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2017年10月18日 (水)

希望を実現するための財源は無限

『解散総選挙で隠された「議論なしの経済政策変更」を見逃すな』(10/5 DIAMOND online中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員 森信茂樹 )
http://diamond.jp/articles/-/144668

「大義なき突然の解散に続いて、小池新党騒ぎで政界は沸き立っている。(略)
 有権者そっちのけの選挙戦が始まろうとする状況で、安倍首相の衆院解散までの一連の動きを改めて振り返ると、日本の経済政策決定過程の不透明性が浮かび上がる。
 その象徴が、まったく議論がされないまま打ち出された消費税増税分の使途変更や、国際公約だった財政再建目標時期の先送りだ。(略)
 「2020年度のプライマリーバランスの黒字化」という財政再建目標は、これまでG7サミットなどで首相がコミットしてきたものだが、きちんとした数字の裏付けや議論、検証もないまま独断的に、日本がこれまで掲げてきた国際公約の先送りが決定された。(略)
 もっとも小池新党の方は「消費税凍結」を公約にするという。これではかつて、財源なき子ども手当を公約し、結局、実現できず国民の信頼を失った民主党(当時)の二の舞になる可能性が高い。「希望」を実現するには財源がいる、という冷徹な現実から逃避した公約で、安倍政権よりもっと問題が多きことも付け加えておきたい。」

今回のエントリーで、自民党や小池のババァ率いるインチキ政党のクソ公約に言及する気はない。
政界に巣食う泥棒政治家の公約なんて、カビの生えた骨太の方針や朝日新聞の社説からパクったものばかりで、そもそも論評に値しない。

代わりに、森信氏みたいに脳細胞が硬直した緊縮バカの妄言を糺しておく。

先ず、“プライマリーバランス黒字化目標は、安倍首相がG7サミットでコミットした国際公約だ”という指摘について反論したい。

財政再建とか構造改革が大好きなバカに限って、舶来モノに弱い日本人の甘さに付け込み、二言目には「国際公約」という単語を使って自身が信じる邪教を箔付けしたがるが、国際公約なんて概念を馬鹿正直に盲信するのは日本人だけだ。

「国際公約」という言葉を検索すると、『日本の政治家による国際会議の場での一方的な宣言。拘束力のある約束ではなく、特定の相手との約束でもなく、ただ日本国政府の方針を示しただけのもの。日本独特の約束感覚から生じるもので、国際公約を政策決定過程に組み込もうとする政治家もいる』(Hatane Keyword)という的確な解説がある。

そもそも、サミットにおける他国のリーダーの発言を事細かにチェックしている暇人なんていないし、彼らの発言を“公約視”するアホは日本のマスコミくらいのものだ。

彼らは自分たちに都合の良い政策だけを採り上げて、国際公約呼ばわりするが、それなら、アメリカやドイツ、フランスの国際公約も具体的に列挙し、それらの進捗状況をきちんと監視すべきではないか?

財政や経済運営といった政策やそれに係わる発言は、極めて内政的な問題であり、他国からいちいち口出しされるべきものではない。
安倍首相がサミットやAPECの場で、どれほど口を滑らせても、そんなものは安倍氏個人と政権与党が責任を取り、腹を切ればよいだけの話で、国際公約云々にまで昇華させて国民を巻き込むべきではなかろう。

PB黒字化をゴリ押しすれば、政策予算総額にキャップが嵌められ、省庁間や業界間のくだらぬ予算分捕り合戦と非難の応酬という何の生産性もない愚行に、入らぬ労力が消費されてしまう。

財政再建最優先主義の先に待っているのは、不況の恒常化と生活レベルの後進国化だけで、逆に、PB黒字化みたいな時代錯誤も甚だしい愚策の破棄をこそ公約すべきだ。

次に、『「希望」を実現するには財源がいる』という森信氏の言葉についても指摘しておきたい。

森信流の財源発掘法が、“増税or他の予算削減or希望そのものの破棄”の何れかであろうことは聞かずとも解かるが、彼は『政治の神髄は財源探しではなく、希望の実現にある』という重要なポイントをまったく理解できていない。

緊縮脳に染まった連中は、「税こそが正当な財源で、国債発行は邪道」と考えがちで、財源探しや経費削減にはやたらと熱心なくせに、国民のニーズを実現させ希望や活力を与える政策を創り上げることには全く興味を示さない。

政治家は、国民をシバキ上げるだけの頓珍漢な公約を掲げて自己陶酔するのではなく、「社会保障を充実してほしい」、「景気を上向かせて雇用の質や所得を上げてほしい」といった選挙のたびに出てくる国民の強烈なニーズを掬い取る努力をすべきだ。

不況で自信を失った国民の顔を上げさせ、今日より幸福な明日に向かって力強い一歩を踏み出させるには、何よりも希望の実現を最優先とし、財源の手当てという些細な問題に拘泥してはならない。

財源問題を盾に苛政を強いるのは、国民の希望に背を向けるヤル気のない卑怯者の態度であり、そんな愚か者を相手にする必要もない。

財源なんて、税に頼らずとも、国債発行や、金融緩和政策を通じた実質的な日銀直受けで十分調達できる。
それでも不足するようなら、政府による通貨増発で対応すればよい。

希望実現のための財源に限界なんてない。

2017年10月16日 (月)

国民の生活を豊かにするためには経済成長が必要

『衆院選に問う アベノミクス/この道で所得が増えるのか』(10/1 河北新報社説)
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20171001_01.html

「第2次安倍政権が発足した2012年末から続く景気拡大が58カ月に達し、高度経済成長期の「いざなぎ景気」を超えた可能性が高いという。
 リーマン・ショックでどん底に落ちた世界経済が、持ち直す過程と軌を一にしていたとはいえ、主エンジンである日銀の異次元金融緩和が、円安株高の環境をつくり出し、輸出産業を中心にした企業業績を改善させたのは確かだ。(略)
 政権に言わせれば、それもこれも経済政策「アベノミクス」の成果となる。
 だが大方の国民、特に地方にあって生活実感として景気が良くなったとは思えない。
 ここ数年、政府が春闘に介入し2%前後の賃上げが続いたものの、社会保障費の負担増もあって実質賃金は増えてはいない。 (略)
 経済を成長させるのは、国民の暮らしを豊かにするためである。そのことを与野党は肝に銘ずべきだ。(略)」

上記は河北新報の社説『衆院選に問うシリーズ』の第二弾の記事だ。

第一弾『税と社会保障/新たな改革像こそ議論を』では、教育無償化をバラマキ呼ばわりしたうえに社会保障費削減と財政再建を訴え、第三弾の『エネルギー政策/「脱原子力」へ長期展望示せ』では、無責任な脱原発論を主張する河北新報だけに、所得を増やすための具体策をまったく提示できていない。

だが、文中にある『経済を成長させるのは、国民の暮らしを豊かにするため』というフレーズには、筆者も同意する。

20年以上もだらだら続くデフレ不況下で国民はすっかり自信を失くし、「もう成長なんて無理。スマホと百均さえあれば事足りるから、このまままったり暮らしたい」といった類の成長を放棄する妄言も飛び交っている。

しかし、成長を実現せぬ限り、“最低限のまったり生活”すら容易には維持できないことに、多くの国民は気付いていない。

成長する諸外国との競争に後れを取った我が国は、食糧やエネルギー、鉱物資源の確保で成長国に買い負けに喫し、それによる輸入コスト上昇が後に大きなダメージを生む。
牛丼が350円で食える、キッチン用品だって100円出せば買えるとはしゃいでいられるのも今のうちだけで、このまま停滞が続き所得が頭打ちになると、デフレ信者に残された安物買いという“最後のお楽しみ”さえ奪われてしまう。

デフレ信者の都合に合わせて、経済というエスカレーターが止まったままでいてくれるわけではない。
黙っていれば下がり続けようとするエスカレーターを何とか上昇させない限り、国民は豊かな生活を享受することができず、貧困化という奈落へ突き進むしかなくなる。

「経済成長なんてもう古いよ。低成長を前提としたQOLの追及こそが21世紀型のライフスタイルだ」といったアホな空想を吐く輩には、経済の残酷さを十分理解するために、『経済を成長させるのは、国民の暮らしを豊かにするため』という言葉の意味を噛み締めてもらいたい。

筆者が思うに、「国民の暮らしを豊かにする」には、二つの要素が欠かせない。
一つは「所得の向上」であり、もう一つは「商品やサービスの高品質化や高度化」だ。

所得だけが向上しても、世に溢れる商品やサービスがポンコツだらけでは、意味のないインフレを招くだけだし、逆ならバカげたデフレが続くことになる。

国民の暮らしを豊かにし、今日より希望に満ちた明日を迎えようとすれば、所得増進と商品・サービスの高度化という両輪をバランスよく実現させねばならない。

昨今の経済論壇では、生産性向上や商品・サービスの付加価値向上ばかりが叫ばれ、肝心の所得増進策を意図的に置いてけぼりにする傾向にあったが、先ずは、積極的な財政金融政策を打ち出し、労働分配率を強制的に上げる政策を断行することにより、所得増進策のスイッチを入れるのが先決だろう。

国民の所得向上への期待が確信に変われば、消費力UP→企業サイドの雇用・人材育成・生産投資の積極化→商品開発力UP→商品・サービスの高度化や付加価値UPという好循環につながり、経済活動全体が正のスパイラルで回り始める。

そこまでいけば、安倍政権みたいに統計数値やGDP計算方法を弄らずとも、国民が経済成長の実感を嫌でも得ることができるはずだ。

2017年10月13日 (金)

「増税&無駄の削減しかない」というしがらみ

『代替案なしの「増税先送り」なら、日本の財政を誰も信用しなくなる~「希望」だけでは国が滅びる~』(10/3 現代ビジネス 経済ジャーナリスト 町田徹)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53062

「二度あることは三度ある――。過去二回の先送りに続いて、2019年10月に予定されていた消費増税の実施が風前の灯火だ。その仕掛け人は、総選挙の公約として消費増税の凍結を打ち出した、「希望の党」の小池百合子代表(東京都知事)である。(略)
既定路線とみられていた三度目の消費増税の先送りを安倍首相が断念したことは、資金使途の組み換えによってただでさえ難しい財政再建が一段と遠のく面があるとはいえ、先送りよりは歓迎すべきだ。多くの経済界首脳たちは、安倍首相の変心に安堵のため息を漏らしたことだろう。(略)
総選挙が終われば、(略)消費増税は使途の組み換えでなく、実施延期となる可能性が大きくなるだろう。
そこで懸念されるのが、日本の財政再建への不信や国債の信認低下である。米欧が金融政策の正常化に本腰を入れ始めているだけに、日本の緩和政策もひきずられて金利が上昇してもおかしくない。そうなれば、利払い費が膨らみ、予算に大きな影響が生じる可能性も出てくる。(略)」

個人的に、旧民進党の山尾氏の不倫騒動を発端とする意味不明な衆院選には、まったく興味が湧かない。

小池のババァ率いる希望の党は、マスコミ連中の期待をよそに政権奪取を早々に諦め、安倍政権ではなく旧民進党の連中にケンカを売る体たらくで、公示前から失速し、調整能力と度量の無さを露呈している。

ましてや、肝心の経済政策に関して、各党とも国民ニーズを足蹴にし、ガン無視する完全に場違いな公約を掲げ、“緊縮・改革自慢”を競い合うありさまでは、選挙に興味を持てという方がどうかしている。

筆者は、「社会保障制度の充実」と「景気回復」を願う国民の想いとは真逆の緊縮政策を課そうとする安倍自民党や希望の党のいずれも全否定する考えであり、衆院選に関して細々と論評するつもりはないが、選挙に乗じた悪質な増税礼賛コラムを見逃す気はない。

上記コラムの町田氏の主張を要約すると次の二点になる。
①財務省から増税延期を勝ち取った安倍首相が三度目の増税実施を決断したことに、財界首脳は安堵している。
②希望の党による消費増税凍結は無責任だ。日本の財政再建への不信や国債の信認低下による金利上昇に備えるべく、増税先送りに対する代替案を示せ。

先ず、国家の経済成長力を大きく削ぎ、国民負担が増すだけの愚策(増税)の是非を論ずるに当たり、なぜ、財界首脳の意向だけを忖度する必要があるのか?

町田氏は、財政再建の遅れを懸念する財界首脳たちを慮っているが、そもそも、一介の商売人たる連中が国家の財政状況に口出しするなど以ての外だ。
“輸出型大企業への補助金”と揶揄される消費税輸出戻し税の増額を狙う財界の連中に要らぬ口出しをさせるべきではない。

ここ数年というもの、名だたる大手企業や名門企業による検査データの捏造や粉飾決算、社員へのパワハラやセクハラ等といったまことに恥ずべき不正行為が相次いで摘発されているが、財界首脳たちは、財政や税制に関する無駄口を叩く暇があるなら、業界や自社の不正を正す努力をする方が先ではないか?

次に、増税先送りによる財政再建への不信や国債の信認低下云々という明らかな“虚偽”について指摘しておく。

町田氏は、増税凍結による国債金利高騰や、その先にある財政破綻を気にしているようだが、それが本当なら、我が国の国債金利はとうの昔に急騰し、デフォルトが起こっているはずだ。

なにせ、我が国では、1995年に当時の武村蔵相が財政危機宣言をし、その後も、緊縮派のバカ者たちから事あるごとに多額の政府債務が問題視され、2014年には米アトランタ連銀のアントン・ブラウン氏や米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のゲイリー・ハンセン教授らから、社会保障費を抑制せずに財政安定化を目指すには、2017年には消費税率を33~35%まで引き上げる必要があると指摘されている。(ちなみに小林慶一郎と小黒一正のジャンクコンビは2050年までに31%への引き上げを主張)

30%超の税率を訴える増税推進派の懸念が真実なら、現行8%の消費税率を10%に上げるか否かという議論をしている時点で、日本の財政や国債に対する信認が吹っ飛んでいてもおかしくないが、相変わらず日本国債の金利は史上最低ラインに張り付き、米朝軍事緊張下で有事の円買いが起きるありさまで、日本という国家や円に対する信認は些かも揺るぐ様子がない。

いつも指摘していることだが、「日本は財政危機だ」、「痛みの先送りは財政や国債の信認喪失につながる」という緊縮派の常套句は悪質な大嘘であり、虚言しか吐かぬ連中の虚仮脅しなんて端から無視しておけばよい。

国民の願いは「社会保障制度の充実」と「景気回復」にあり、それらを実現するには、公共投資や社会保障費負担の削減、大型の減税などを通じた長期にわたる経済成長と適切な分配政策が欠かせず、多額の財源が要る。
問題なのは、それらの財源を増税と不要な支出削減で調達しようとする緊縮バカどもの浅ましい発想で、そんなものは誰の腹も痛まぬよう国債や通貨の増発で賄えばよいだけのことだ。

今回の衆院選における各党の公約を見ても、国民の幸福を奪い取る政策を愚直に訴えるバカな与党と、財政再建というしがらみに囚われたままのアホな野党ばかりだ。
もはや、政治を家業とする薄汚い連中に我が国の政治を任せる時代は終わったと強く感じている。

2017年10月11日 (水)

家計簿脳の弊害

『消費増税は急がば回れ 政治に欠ける歳出抑制』(9/25 日経新聞「核心」 上級論説委員 大林尚)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO21437620S7A920C1TCR000/

いつもながら日経の記事は、緊縮政策を煽るものばかりで碌なものがない。

記事を書いた大林上級論説委員は、安倍首相、岸田政調会長、小泉のバカ息子、前原民進党代表らが消費税率引上げや社会保障費負担強化を訴えているのを、「元来、政治権力者は税をたくさん取りたがるものだ」と批判する。

だが、彼の批判の意図は、増税による国民や中小企業の財布を心配するものではなく、「増税の前にやるべきことがあるだろっ‼」というお馴染みの歳出削減論を展開することにある。

彼は、
「社会保障費を抑える視点がどの政治家にも希薄だ。進次郎氏の父は首相を辞す前にこう語った。
『増税していいから必要な施策をしてくれという状況になるまで歳出を徹底的にカットしなければならない。そうすると消費税の増税幅も小さくなる。歳出削減を徹底すると、もう増税の方がいいという議論になる』
至言である。
成長を追い、歳出の膨張を圧縮し、経済への負の影響を抑えつつ増税機会を探る。この組み合わせこそが健全な財政と確かな社会保障を将来の世代に引き継ぐ要諦だ」
と得意げに騙り、“徹底的な歳出カットこそが国民負担を軽減させ、次の増税論議もスムーズになる”と主張する。

正直に言って、大林氏は、経済の要所を何ひとつ知らず、支出削減と増税を賛美する「家計簿バカ」の一人でしかない。

彼は、“成長を追い、歳出の膨張を圧縮し、経済への負の影響を抑えつつ増税機会を探る”姿勢こそが将来世代への責任だと言いたいようだ。

しかし、「歳出削減&増税」という強硬手段が、実体経済や国民所得にどれほど深刻な悪影響を与えてきたか、ここ20年余りの経済指標をつぶさに眺めれば一目瞭然だろう。

我が国の世帯当たりの平均所得(H27/545万円)は、相次ぐ緊縮政策と増税のせいで、ピーク時(H6/664万円)と比べて18%も下がってしまったが、20年前より所得が下がった国なんて世界中探しても何処にもあるまい。

経済をシュリンクさせるだけの「歳出削減&増税」という最悪手の果てに、どうやって成長を追うつもりなのか、大林氏は、そのロードマップを具体的に説明すべきだ。(200%無理に決まっているが…)

彼みたいな家計簿バカは、一般家庭はおろか、政官財界やクオリティーペーパー気取りの新聞社の幹部層にまで蔓延っており、その病根はかなり根深いものがある。

彼らは、経済をマクロ視点から俯瞰することができず、個々の経済主体が織りなす経済行為が相互に連関している事実を無視し、頭の中で、“歳出されたお金は誰の所得にもならぬまま何処かに消失し、大義名分さえあれば国民は喜んで税負担に応じるはず”だと妄想している。

よって、何を聞かれても、彼らの口からは「歳出カットと増税」という答えしか出て来ず、増税を引き出すための「大義名分探し」しかしない。

大林氏は、徹底的な歳出カットと増税強化のコンボにより、健全な財政と確かな社会保障を将来の世代に引き継げるはずだと自信満々だが、そうした悪手により内需主導の経済成長の道を閉ざされた我が国の経済は、隘路に迷い込み墜落必至だ。

家計簿バカの妄言に唯々諾々と従うようでは、我々は次世代に、『さらに悪化した財政、ボロボロに朽ち果てた社会保障制度、勤勉さを失った国民、後進国並みに劣化した生産力、今以上に少子化した社会』という最悪のプレゼントを渡さざるを得なくなるだろう。

いまの経済論壇が、増税派と緊縮派に席巻され、増税を前提にしたうえでの『増税が先か、歳出削減が先か』という実に有害且つ下らぬ議論に成り下がっている現実に目が眩む想いがする。

財出する分野と量に関する建設的且つ前向きな議論は、いったい何時になったら始まるのだろうか。

2017年10月 9日 (月)

問題児が座れるほど議員のイスは多くない

『説明責任の美名に隠れてリンチが行われる』(9/19 BLOGOS 小林よしのり)
http://blogos.com/article/247012/
 
「(略)そもそもわしは豊田氏の罵声の音声はもう飽きたし、元秘書とのパワハラ疑惑に関しては、当事者間の決着しかないだろうと突き放して見ている。
豊田氏が議員を続けたければ、選挙で国民に判断してもらえばいいだけのことで、文藝春秋に手記を書いても、記者会見しても意味はない。
人々は「記者会見しろ」とか「説明責任を果たせ」とか言うが、その本心は「もっとリンチがしたい」というだけのものである。(略)
わしは、パワハラは犯罪に近いと思っているが、豊田氏くらいのパワハラをやっている議員は他にもいるだろう。(略)
パワハラ・セクハラを許してはならないという空気は作っていく必要はあるが、豊田氏個人に対する糾弾は、そのような啓蒙の域を超えていて、単なるリンチである。(略)
民主主義は病いを抱え込んでいる。」
 
小林氏は世論への逆張りがお好きなようで、政策秘書に対するキチガイじみたなパワハラ問題で一躍悪名を轟かせた豊田真由子や、顧問弁護士との不倫騒動で大恥をかいた山尾志桜里を盛んに擁護しているが、彼の論旨は無茶苦茶で、あまりにも身勝手な依怙贔屓が過ぎるためか、周囲から冷笑を買っている。
 
件の問題児たちは、反省やお詫びなど何処吹く風といった図々しさで、何れも議員辞職を拒否し今回の衆院選に出馬するほどの強心臓ぶりを発揮している。
 
一般的な国民感情や感覚からすれば、素行の悪い馬鹿コンビの出馬など端から言語道断なのだが、広い世間には、小林氏みたいな声だけがやたらとデカい変わり者がおり、どさくさに紛れて一般常識のバーを下げようとするから始末が悪い。
 
今回のように、国会議員のパワハラ問題や不倫騒動が起きると、「パワハラなんて、多かれ少なかれ、議員なら誰でもやっている」とか、「不倫云々と政治家の仕事とは切り離すべき。政治家は結果さえ出せば何をやっても構わない」などと、訳知り顔で問題児を擁護したがるバカが現れる。
 
世論の逆張りでheelの肩を持とうとする救いがたいバカ者は、国会議員たる者に課せられた職責の重みをまったく理解せず、自分の好き嫌いだけで愚論を述べているに過ぎない。
 
衆議院のHPには、国会議員について、次のように説明されている。
『国会議員は、主権者である国民の信託を受け、全国民を代表して国政の審議に当たる重要な職責を担っています。この職責を果たすため、国会議員の地位には、一定の身分保障が与えられており、法律の定める場合を除いては、国会の会期中は逮捕されず、また、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われません。』
 
何かと問題視される多額の議員報酬や政務活動費、議員会館内の事務室貸与、秘書経費の国費負担、JRや航空機の無料券などといった優遇措置が与えられ、将来的に叙勲の対象になるのも職責の重みゆえの特権だろう。
よって、その見返りに、一般の職業人より高い責任や倫理観を求められるのは子供でも解る当然の理屈だ。(※実際には、一般人未満の責任感や倫理観しかない糞蠅だらけだが…)
 
そもそも、小林氏みたいに、問題児を処断するに当たっての善悪の判断基準を一般人並みに引き下げること自体が間違っており、一般企業とて、度を越したパワハラや不倫発覚はケースによって首切りの対象になることを知っておくべきだ。
 
「豊田氏くらいのパワハラをやっている議員は他にもいる」、「政治は結果だ。政治家の私生活なんてどうでもいい。不倫どうこうよりも待機児童問題を早く何とかして欲しい」なんて薄呆けた屁理屈で問題政治家を擁護する愚か者には、いますぐ公民権を返上しろと言っておく。

だいたい、まともな結果を出せる政治家なんてどこを探しても見当たらぬし、結果さえ出せば倫理や常識を踏み躙っても構わないなんて甘えが許されるはずもない。
 
我が国には1億2千万人もの国民がいるが、国会議員の座に就ける者はたったの700人余りと、わずか0.0006%でしかないのだ。
それほど貴重な役職に、わざわざ、素行不良で頭のおかしな連中を座らせておく余裕も理屈も必要性も無いことを、小林氏はよく噛みしめるべきだろう。
 
“病”を抱え込んでいるのは民主主義云々ではなく、子供でも解る常識を、屁理屈と詭弁を以って挑発する小林氏みたいな“逆張り魔”の方ではないか。

2017年10月 5日 (木)

息苦しい酸素不足社会

『野焼きは違法?農家困惑 市と警察が“対立” 兵庫・三田』(9/13 神戸新聞NEXT)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00000005-kobenext-l28

「稲わらや刈り取った草を屋外で焼く「野焼き」を巡り、兵庫県三田市内の農家に困惑が広がっている。廃棄物処理法はごみの野焼きを禁止しているが、農業を営む上でやむを得ない場合は例外とし、市は「農家の野焼きは違法ではない」という立場だ。一方、ここ1、2年、市には、三田署の取り締まりに対する農家からの苦情が急増している。12日の市議会一般質問でもこの問題は取り上げられ、森哲男市長が「市と三田署の見解に相違があり、協議が必要」との認識を示した。(略)」

三田市では今年3月に農家の野焼きが原因となった火災が3件発生しており、警察がナーバスになる気持ちも解かる。

だが、稲わらなどの野焼きは、農村地域でごく一般的に行われてきた日常行為であり、筆者も先ごろ田舎に帰省した際に、稲刈りを終えた田んぼで5~6軒の農家がのんびりと野焼きをしている光景を目にした。

ちょっとした田舎なら、農家はもちろん、一般家庭だってゴミや伐採した樹木を庭先で当たり前に燃やしているし、その方が自治体のゴミ処理負担の削減にもなる。

上記記事でも、「野焼きは害虫駆除にも効果があり、灰も肥料になる。これができないと農業が成り立たない」といった農家の声を紹介しており、一定の火災発生リスクは否めないものの、遥か昔から農村の一風景に溶け込んだ野焼きという行為にまで、わざわざ目くじらを立てて取り締まる必要はない。

火災の危険性に警鐘を鳴らしたいのなら、個々の農家に野焼き後の消火や延焼対策を要請すればよいだけだ。

因みに、2016年に発生した火災事件の出火原因のランキング(不明分を除く)を確認すると、
①放火3586件 ②たばこ3483件 ③コンロ3136件 ④放火の疑い2228件 ⑤たき火2124件 ⑥配線不良1310件 ⑦ストーブ1210件と続く。

「野焼き」は「たき火」に分類され、全体の5位と一見多いように見えるが、あくまでたき火の一部でしかない。

真に防火対策に取り組むつもりなら、ダントツに件数の多いのは「放火(疑い含む)」なのだから、警察サイドも、田んぼを見回り農家に嫌がらせするより、住宅街の見回りを増やして放火犯の取り締まりに注力すべきだ。

今回採り上げた野焼き問題は、社会的に決して大きな課題ではないが、たばこや酒等に対する異様な排斥運動にもある意味通じるものがある。

こうした自分に無関係なものや自分が気に喰わぬものに対する過度な弾圧を平気で許容する昨今の風潮に、筆者は強い違和感を覚えている。

この手の狂信者たちは、自分が気に喰わぬ慣習や物品を悪者に仕立て上げ、少しでも反論を喰うと、“健康被害を許容するのか、犯罪行為を見過ごすのか”と高圧的で子供じみた態度を取る。

彼らは、ごく一部の不心得者の行為をダシにして利用者や愛好者全体を恐喝し、たばこや酒がもたらす膨大な社会的効用を真っ向から否定する幼稚な連中であり、まともに相手をする必要もない。

冒頭に採り上げた野焼き問題にしても、そもそも、全国の自治体ではゴミ処理負担の軽減を目標に掲げており、その趣旨に沿うはずの野焼きを問題視する方がどうかしている。

全国都市清掃会議(全国の自治体と企業等が、市区町村の廃棄物行政の問題解決のために組織する公益社団法人)の資料に目を通すと、財政難を抱える自治体のゴミ処理コスト軽減のため、「廃棄物処理法の基本方針の目標(H32目標)」を掲げ、“ゴミ排出量H24実績4,523万トンの約12%削減”や“家庭ごみ排出量1人1日当たりH12比25%減=500g”と言ったゴミ処理負担軽減目標が謳われているではないか。
【参照先】https://www.env.go.jp/press/y0310-03/mat02.pdf

さらに、国の循環型社会形成推進基本法でも、事業者に対する廃棄物発生の抑制を明記するなど、国を挙げて処分を要するゴミ発生量の抑制を推進しておきながら、廃棄物排出の抑制に資する野焼きを禁じるのは、明らかに矛盾している。

偏狂な連中が、小悪を叩いて風紀粛清に熱を上げるたびに、ますます世の中は窮屈になり、諍いやクレームばかりが横行する“息苦しい酸素不足社会”を招くことになるだろう。

2017年10月 2日 (月)

多様性のゴリ押しは止めろ

『スーパーの陳列棚を「国産品」だけにしてみたら…。』(9/11 TABI LABO)
http://tabi-labo.com/283590/edeka-empty-shelves

「災害でも起きた直後かと思うくらい、すっからかんの陳列棚。どこもほとんど商品ナシ。ごく一部、ジュース類やパンなどは並べられているが…。冷凍食品のコーナーに至っては、もはや開店休業状態。
ここは、ドイツの大手スーパーチェーン『Edeka』ハンブルク店。8月の某日、1日限定で"国産品しか置かない"という、大胆な行動に出て話題になった。国産品だけにしたら、こんなにモノがなくなってしまうのか…。
当然、この日は大赤字だったはず。それでも彼らがこれを決行したのは、<国内生産量の危機>を伝えたかったから。普通ならこう思っても不思議ない。ところが、真意は別のところにあった。
空棚に置かれたポップに、こんなメッセージが。
「ドイツが多様性を失った時、こんなにも生活は貧しくなる」
「Edekaは、様々な国の力を借りて価値提供をしている」
人種差別をしたり、違いを受け入れられない社会は貧しいということを、国内シェア率No.1を誇るスーパーが世間に訴えたわけだ。(略)」

上記記事に添付された写真を見ると、純国産商品のみを陳列したスーパーの棚には5~6品の商品しかなく、まるで閉店セール最終日のようだ。

件のスーパーは、敢えてショッキングな写真を上げ、「多様性」や「共存」の大切さを訴えるつもりらしいが、国産品だけで商品棚を埋められないのは、なにもドイツに限ったことではない。
日本でもアメリカでも、はたまた、中国やボリビア、ケニア辺りでも同じざまになるはずだ。

いまや、スーパーに自国産品だけが並ぶ国なんて、世界中どこを探しても見当たらない。

だが、こうした事態は、何も昨今始まったものではなく70~80年代から十分進んでおり、その頃は海外からの輸入品に囲まれながらも、国内産品と輸入品との量的バランスは絶妙に保たれ、先進国内の産業や雇用が寒風に晒されることは少なかった。

だが、そうした適正なバランスは2000年代に入ってから崩壊した。
この時代から野放図な自由貿易推進論者が跋扈し、“自由貿易こそ絶対善”、“国際分業なき社会など時代遅れ”とばかりに、本来なら自国で生産可能な産品ですら、労務コストの安い海外へ生産拠点を移したせいで、雇用や所得だけでなく技術や流通の国外流出を招き、国際的な雇用の不安定化と所得の停滞をもたらす病原菌がバラ撒かれてしまった。

今回採り上げた記事のスーパーは、いかにも幼稚な空想論好きのドイツ企業らしく、
「ドイツが多様性を失った時、こんなにも生活は貧しくなる」
「Edekaは、様々な国の力を借りて価値提供をしている」
と、ドヤ顔で、歯の浮くようなPOPを掲げたらしい。

だが、何のことはない。彼らは、自分の利益のために、自国よりコスト安の後進国から搾取しているだけではないか?
“様々な国の力を借りて価値提供をしている”と鼻高々に騙る以前に、力を借りた国々の労働者に対して、価値に見合った適正な対価を支払っているのか?

恐らくそんなことはあるまい。

フェアトレードの精神などどこ吹く風とばかりに後進国の労働者を土人扱いし、自国民の数十分~百分の一にも満たぬ低賃金で働かせた上がりを掠め取って平気な顔をしているくせに、よくもそんな綺麗ごとを言えたものだ。

また、件のスーパーは、多様性の喪失は生活の困窮につながると訴え、人種差別に反対し、違いを受け入れられない社会に警告を発しているが、彼らみたいな極端なボーダレス論者の発想は、あまりにも大袈裟すぎる。

いまの世の中に、“外国人を一人残らず追い出せ”、“外国産品を一切入れるな”なんて主張するバカなど何処にもいない。
野放図な自由貿易に反対する者は、自国内の労働者が路頭に迷わぬ程度に、資本・生産拠点の移動やダンピング紛いの海外産品輸入、技術漏出などに制限を掛け、国内産業や雇用の場を維持すべきと言っているだけで、極めて適切かつ当然の主張だろう。

なのに、頭のおかしなボーダレス論者は、こちらが少しでも自由貿易に異を唱えると、“鎖国だ、自給自足だ”と幼稚な極論を飛ばして弾圧に掛かるから始末に負えない。

また、彼らは、やたらと人種差別に敏感なことをアピールしたがるが、当の自分たちは、海外から子供の小遣いにも満たぬ安値で商品買い叩き、月給8000円で働くミャンマー人をダシに自国の労働者を“お前たちの給料は高すぎる”と恫喝するありさまで、四方八方に人種差別のタネを撒き散らしていることに気付こうともしない。

博愛主義者のフリをする彼らが、「フリートレードの素晴らしさ」や「多様性の大切さ」、「人種差別への反対」といった綺麗ごとを口にするのは、自国内の雇用破壊と後進国での奴隷労働を正当化するための詭弁であり、今回紹介したようなパフォーマンスをこれ見よがしに披露するのは、そうした詭弁や矛盾を指摘する者に対する悪意に塗れた恫喝でしかない。

彼らは、自分たちの利益を守りたいがために、多様性を甘受するよう自国民に強要するが、それ以前に、多様性という言葉に甘え切ったイスラム系やアフリカ系難民の連中にこそ、それを順守させるべきではないか?

多様性どころか、受入先の法規制すら簡単に足蹴にする出稼ぎ難民の連中に、テロや殺人強盗、性犯罪などで国中を蹂躙されながら、黙って指を咥えて傍観するだけの腰抜け国家に未来などあるまい。

2017年9月30日 (土)

「景気刺激策はカンフル剤」という旧石器時代的妄想

『「景気刺激で消費拡大」は線香花火にすぎない~これまでの20年で家計の姿はどう変わったか』(9/29 東洋経済ONLINE 櫨 浩一/ニッセイ基礎研究所専務理事)
http://toyokeizai.net/articles/-/190322

「日本にとって望ましい経済政策を考える際の対立の一つは、とりあえず経済を活性化することを重要と考えるか、その先の持続性を重視するかという違いによるのではないだろうか。
2014年度に消費税率が5%から8%に引き上げられた後、家計消費は大きく落ち込み、なかなか元に戻らなかった。この間、消費の低迷が続いたため、家計の消費意欲の弱さが問題点として指摘されることも多い。しかし、長期的に見ると日本の家計消費は所得の動向と比べてむしろ堅調だといえる。(略)
恒常的に家計の消費意欲を高めれば消費を活発にすることができる、と期待するのは楽観的すぎる。(略)」

櫨氏は、「日本の家計部門全体の収支を、最新の統計で比較可能な1994年度と2015年度で比べてみると、可処分所得は301.6兆円から295.6兆円へわずかに減少しているが、消費は27.4兆円も伸びた」ことを根拠に、我が国の家計消費は所得減にもかかわらず堅調に伸びてきたとの認識を基に、
①仮に金融緩和政策により物価上昇率が高まったとしても、短期的な景気刺激策の成果が長期的なものにつながるような日本経済の構造変化が実現するとは考えにくい
②現在の経済構造のままでは、財政赤字や対外収支黒字の拡大なしに日本経済が安定的に成長することはない
③日本の潜在的な生産能力をさらに高めても、需要が増えなければ生産能力を発揮することはできない
④景気刺激策を次々と繰り出しても、経済構造自体が変わらぬ限り、線香花火のように短期間で元に戻ってしまうだけだ
と主張している。

櫨氏の主張のうち、需要なき潜在成長率UPは無意味だという指摘や、(彼は否定的に捉えているようだが…)積極的な財政赤字の拡大なしに日本経済は成長できないとの見方には、筆者も同意する。

だが、櫨氏の主張には、経済構造や経済政策に対する理解の根本的な部分で、大きな過誤や誤解があるように思える。

まず、「1994年→2015年間に国内の最終消費支出は265兆円→292.4兆円と27.4兆円も増えており我が国の個人消費は比較的堅調だ」というのが櫨氏の主張だ。

だが、筆者が考えるに、上記20年余りの消費支出増は、日本経済の好調さがもたらしたものではなく、単に“核家族化による世帯数の大幅な増加(4,206万世帯/1994年→5,036世帯/2015年へ19.7%増)に伴う食費や光熱費などの強制的な支出増加”によるものだろう。

また、27兆円と言えば一見大きな数値に見えるが、21年という時間軸で見れば、年率換算の増加率は僅か0.5%でしかなく、“堅調”と呼ぶにはあまりにもショボすぎないか?

櫨氏のコラムでもう一つ気に掛かるのは、「景気刺激策」という言葉の使い方だ。

彼に限らず、経済論議の場、あるいは、様々な経済コラムを見るにつけ、景気刺激策に触れる者は、決まって「景気刺激策=短期的なカンフル剤」という前提で話を進めたがるが、そもそも、「景気刺激策=短期的施策」という陳腐な発想自体が間違っている。

今回ご紹介したコラムでも、日本の消費支出は長期的にも堅調だったと櫨氏が主張しているように、我が国の経済論壇は、“バブル崩壊後の長期不況下においても日本経済は成長を続け、個人消費は持続的に拡大している”という「空想」を土台とした議論が蔓延っていたため、実効力のある政策提言がまったくなされていなかった。

経済論壇の主流派は、重症化した患部を診ても、「投薬の効果を確認できた」、「治癒・回復に向かいつつある」と放置し、「高い薬を投与するのはもったいない。一時的に体力を回復させるカンフル剤だけで十分だよ」と、いいかげんな診察を続けてきたわけだ。
まぁ、患者の命よりも投薬代を気にしたがる守銭奴に、まともな診療を期待する方が無理なのかもしれない。

「景気刺激策=短期的なカンフル剤」なんて妄言は、生産能力が貧弱で、過度なインフレを招かぬよう需要の抑制が求められた高度成長期以前にしか通用しない極めて前時代的発想だろう。

製品やサービスの供給能力が飛躍的に発展した現代の経済構造は、以前とは逆に、旺盛な生産能力を満たすだけの絶え間なき需要刺激策が不可欠な構造へと変貌を遂げており、インフレにビビッて需要抑制を気にするような時代ではない。

そこで必要なのは、短期的ではなく「恒常的な」景気刺激策であり、景気過熱による弊害が出たときのみ一時的にアクセルを緩める程度でよいのだ。

現代の経済構造は、「過度なインフレなき成長実現力を有し、その潜在成長率は需要の多寡に大きく左右される」という事実を十分に認識しておけば、必要な経済政策を誤ることはない。

2017年9月28日 (木)

財源なら幾らでもある

『年金受給「70歳以降からも可能」提言 有識者検討会』(9/13 朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00000009-asahi-pol&pos=5

「高齢化に対応する社会づくりを議論している内閣府の有識者検討会は12日、公的年金の受給開始年齢を70歳より後にできる仕組みづくりを盛り込んだ提言の骨子案をまとめた。政府は提言をもとに、年内に中長期的な高齢者施策の指針となる「高齢社会対策大綱」の改定案を閣議決定する見込みで、導入の是非をめぐって議論となりそうだ。
 年金の受給開始年齢は原則65歳だが、今も60~70歳の間で開始年齢を選ぶことができる。早くすれば65歳から受給するより受給額が最大で30%減り、逆に遅くすれば最大42%増える。
 骨子案では、高齢者にも高い働く意欲がみられる現状があるとした上で、「繰り下げを70歳以降も可能とするなど、より使いやすい制度とするための検討を行ってはどうか」と記した。具体的な年齢は盛り込まれなかったが、7月の検討会では委員の1人から75歳まで延ばしてもいいとの意見が出た。(略)」

今年1月に日本老年学会と日本老年医学会の連名で、“高齢者の定義を現在の65歳から75歳に引き上げるべき”との提言があった。
また、昨今、公務員の定年年齢を65歳に引き上げる議論もスタートし、巷では、「年金受給開始年齢引き上げに向けた布石だ」との批判も強い。

そして、誰もが懸念したとおり、政府が有識者の口を借りて、年金受給開始年齢の引き上げ構想を堂々とぶち上げてきた。

消費税率10%への引き上げ論議もそうだが、為政者たちは、なぜ、国民に負担を強いる政策に熱を入れたがるのか、国民感情を逆撫でする杜撰な神経を疑わざるを得ない。

我が国の少子高齢化が深刻化するにつれ、年金を含む社会保障関連費は毎年2~3兆円の自然増が見込まれ、政府や財務省が予算抑制に躍起になっている。

昨年度の年金支給総額は、予算ベースで56.7兆円と2010年の53兆円との比較で6.9%伸びており、今後も2020年度に58.5兆円、2025年度には60.4兆円にまで増えると推計される。

これが「単なる無駄なコスト」にしか見えない連中は、“最近の高齢者は元気だ”、“高齢者の働く意欲は高い”と持ち上げてワーカホリックな日本人の琴線を刺激し、“年金お預け”を謀ろうとする。

確かに、電通総研の調査によると、60代の男女のうち「現在、働きたい」と思う割合は、60代前半で60.5%、60代後半で50.8%となり、働いている 60 代男女の 7 割が、現在の働き方に「満足」し、「働けるだけで満足」との割合も半数近いとのデータもある。
【参照先】http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015074-0702.pdf

だが、データを裏返すと、60代の人間で「もう、働きたくない」という割合が半数近くいるのも事実だし、そもそも、日本人の働く意欲と、年金受給開始年齢引き上げ問題とは全く別次元の問題として捉えるべきだ。

上記の調査では、「思ったより収入が少なかった」と収入面のギャップに面食らう割合が比較的高く、高齢労働から得られる収入が十分ではない様子が読み取れ、“働いているのだから年金なんて不要だろ”というわけにはいかない。

死んでも働きたがる日本人の病的な勤労症を放置したまま、定年や年金受給年齢をズルズル引き伸ばせば、死ぬまで年金受給できぬ層が爆発的に増え、年金制度そのものが悪質な国家的詐欺との誹りを免れまい。

60歳を超して働いていようがいるまいが、年金支給開始年齢は60歳からとすべきだ。
働くか否かの選択は個人の自由で、それと年金受給の問題とは別の話だろう。

年金に投じられる60兆円近い資金をコスト扱いしかできぬ連中は、それが個人消費を刺激する貴重な財源になるという重要な側面を見落としがちだ。

高齢者に年金を渡しても貯金するだけとの意見もあるが、60歳を過ぎても働きたがるような元気なシニア層が雇用所得に加えて年金を手にすれば、元々消費性向の高い層でもあり、国内に莫大な需要の塊が生まれ、国内企業のビジネスチャンスも拡大する。

高齢者ばかり優遇するのはけしからんとの意見も出るだろうが、社会保険料負担の軽減、未成年層の医療費免除、大学教育の無償化、児童手当の増額、子育て世代への減税措置、住宅ローン減税の拡大等々、現役世代の実収入を増やす施策を強力に要求すればよい。

こうした施策は、財政赤字の拡大や消費者物価の上昇といった副産物を生むかもしれない。
しかし、収入が増えぬまま、遠のく一方の年金を指を咥えて眺めるよりも、確実に収入が増え続ける環境下で、生産性を上げつつマイルドなインフレと闘う方が遥かに楽だし、努力のしがいもあるだろう。

年金・医療・介護といった社会保障は、国民の誰もが受益者となるべき最重要な分野であり、関連予算の安易な削減などご法度だ。

既存の社会保険料や税で財源が足りぬなら、日銀の国債引き受けや政府紙幣発行などで財源を補填してやればよい。

そもそも、国民全員が必ず恩恵を蒙る施策に、予算の縛りを入れる発想自体がおかしいのだ。
世界有数のインフレ対応力を有する我が国では、財源問題を論じること自体がどうかしている。

人生の7割以上を勤労に捧げてきた高齢者が、年金すら貰えずに毎朝満員電車に揺られて通勤せねばならず、会社では自分の息子みたいな年齢の上司からドヤされるなんて、あまりにも惨めすぎる。

それよりも、十分な年金が貰え、日本中何処に住んでいても医療や介護サービスが直ぐに手の届くところにある環境を創る努力こそ必要ではないか。

我が国には財源なんて幾らでもあるのだから、海外が羨むほど高度な福祉モデルを構築し、世界に範を垂れるべきだろう。

2017年9月25日 (月)

生産性は上げるものではなく、上げるもの

『人の力をいかす日本へ(3)社会人の技能高める環境整備を』(8/24 日経社説)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO19952520U7A810C1PE8000/

「失業率など雇用指標は改善しているが、自らの技能を伸ばす機会に恵まれていない人は多い。技能が高まらなければ賃金の増加も望みにくい。総務省の労働力調査によれば、教育訓練の機会が少ない非正規社員で不本意ながら働いている人は2016年に297万人と非正規全体の16%を占める。
 企業が新卒採用を絞った「就職氷河期」世代といわれる30代後半から40代半ばの層は、ほかの年齢層と比べて非正規雇用の比率が高い。「消費の中心的な担い手になった氷河期世代の所得が低いままだと経済への影響が大きい」と、日本総合研究所の下田裕介副主任研究員は指摘する。(略)
 働き手が技量のレベルを上げたり別の分野の技能を身につけたりすることで、正社員登用、賃金増や待遇の良い企業への転職へとつなげていける環境をつくることが急務だ(略)
 まず求められるのは、企業が教育訓練に力を入れ直すことだ。(略)
 同時に重要なのが、仕事に必要な知識や技能を習得する職業訓練や、大学などでの社会人教育を充実させることだ。安倍政権が掲げる人材育成政策「人づくり革命」で、ぜひ力を入れてほしい点だ。
 日本の人材育成は特定の企業でしか役立たない「企業特殊的」な技能の習得に偏ってきた。ほかの企業でも通用する一般的技能にも力点を置かねばならない。(略)」

 日経のアホ社説は、いつ読んでも、どこから読んでも、問題点の捉えどころが幼稚くさい。
 この程度の内容なら、ご自慢の“クオリティーペーパー”や“経済誌”の看板を返上し、素直に政府や財界の広報誌に成り下がりましたと公言してはどうか?

 日本の生産性に関して、日経の論調は、
 ①我が国のGDPが伸びない原因は労働生産性の低さにある
 ②なのに、企業は社員の教育訓練コストを十分に掛けていない
 ③さらに、働く側も技能レベル向上への努力が足りない
 ④働き手の意識改革(技能習得への努力)なくして非正規雇用の割合増加は避けられない
 ⑤そもそも、特定の企業内でしか通用せぬ技能を上げるよりも、あらゆる業界で横断的に通用する一般的技能向上を図るべき
 という流れに持って行きたがる。

 そのうえで日経のバカ社説の結論を要約すると次のようになる。
 ❶日本の労働生産性向上のためには、教育訓練の強化しかない。
 ❷企業内教育だけじゃ大した効果は望めないから、教育訓練の専門機関に任せるべきだ。
 ❸特定の企業でしか役立たない知識やスキルなんてムダ。人材流動化の流れを本流化させるためにも、業種・業界の垣根を超えた横断的技能やスキルが一般化する社会を創るべき。

 当の社説では、非正規雇用の正社員登用を進めろ、企業は教育訓練に力を入れ直せ、働き手への投資が競争力の底上げにつながる、などと殊勝なことを述べているが、自分たちが、小泉バカ政権以降の労働規制撤廃の片棒を担ぎ、非正規雇用増加やOJT等の教育訓練機会の縮減の旗を振り、雇用条件や労働環境の大幅な悪化を招いた大罪を忘れたのか?

 彼らは、さも、日本の労働者が自己修練を怠り、それが生産性停滞を招いているかのように騙るが、事実誤認も甚だしい。

 早朝から深夜まで休日返上で働かせられ、やれ資格取得だ、スキルアップだ、QC活動だ、と鞭打たれる正社員。
 超氷河期という厳しいマクロ環境ゆえに、数十枚~百数十枚ものエントリーシートを突き返され、正社員登用への道を閉ざされてしまった非正規雇用社員。

 デスクや記者クラブで踏ん反り返って偉そうに天下国家を騙るだけで何の生産性も上げていない日経の連中は、激動のビジネス現場で汗水塗れて働いている人々に、「あんた方の待遇や給料が悪いのは、努力不足のせいだから。お前たちは今の環境に甘えてるんだよ。悔しかったら、中国人やベトナム人に負けないくらい生産性を上げてみろよ‼」と、堂々と正面から言ってみればよい。

 どうも、政財官報の世界では、“生産性向上なくして成長なし”という日経発の虚言が広く罷り通っているようだが、所詮は、内需停滞を前提に、生産性をコスト面でしか理解せぬバカ者の言葉遊びでしかなかろう。

・政府は財政政策みたいな借金を増やすだけの如何わしい経済手法は取り得ない

・内需拡大を夢見るのはムダ、これからは外需開拓しかない

・輸出振興には諸外国とのコスト競争が必須
 ↓
・生産性(=コスト競争力)アップしか生き残る道はない
という流れに持って行き、国内の労働者に更なる過酷な自己修練を課し、低賃金労働への従属を求めるのが、お決まりのパターンだ。

 日経流の“生産性向上なくして成長なし”という虚言は、一旦経済成長を成し遂げた国には通用しない。

既に質の高い労働力と優れた生産設備や流通機能を備えた我が国のような先進国では、“マクロ経済成長なくして生産性向上なし”と言うのが正解だ。
現に、日本人から見れば遊んでいるようにしか見えないEUや豪州の労働者の所得が驚くほど伸び、労働生産性順位の上位を占めているのも、かの国々が財政支出や資源バブルといったマクロ要因で高い経済成長率を“創り上げてきた”からに他ならない。

昼間のカフェでビール片手に仕事をこなし、残業がほぼゼロで、仕事より私生活優先のオーストラリア人よりも日本の労働生産性が低いなんて、本来あってはならないことだが、OECDのデータによると、オーストラリアの労働生産性は日本の1.26倍(2012年)もあるらしい。

この異様な逆転現象の要因を、資源バブルの波に乗り、名目GDPを1980年比で7.5倍、1990年比で3倍に拡大させたオーストラリアの幸運に求めるのが普通の感覚だと思うが、日経の連中みたいに歪んだ感性の持ち主は、これをすべて日本人の努力不足のせいにしてしまうから始末が悪い。

適切な財政金融政策でマクロ経済に需要のエネルギーを与え続ければ、それだけ国内企業のビジネス機会も増え、収益率も向上し、生産性など黙っていても上がっていくものだ。
ましてや、日々改善活動に勤しむ日本なら、労働生産性の世界ランクベストテン入り(2012年時点で21位)も余裕だろう。

日経のバカ社説は、安倍政権が掲げる人づくり革命をヨイショし、職業訓練の充実だ、リカレント教育だ、と威勢がよいが、こんなものは、安倍ちゃんのお友達のパソナやFラン私学の連中を悦ばせ、労働者に更なる負担を強いるだけに終わる。
その先に待っているのは、「日本人はいくら教育しても文句ばかりで使えない。仕方ないから優秀な移民で代用するか」という移民促進論であり、日本人労働者は安く扱き使われるだけの運命にある。

経済誌を騙るエセ新聞の妄想に騙されてはいけない。

«大機小機のインチキコラム

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