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2016年8月25日 (木)

「量的拡大神話」から抜け切れない愚か者

世の中や社会では、「目的」と「手段」の混同や入れ替わりが起こってしまうことは、さして珍しくはない。
社会の良化を願って政治の世界を志していた者が、いつの間にか、政治家でいることに汲々としたり、画期的なビッグプロジェクトの立ち上げを夢見ていた者がドロドロの社内政治に没頭したりといった事例など枚挙に暇がない。

これを経済の世界に敷衍すれば、さしずめ、“国民生活の向上のための経済成長”という「目的」が蔑ろにされ、“改革とか生産性向上”といった類いのどうでもよい「手段」の方が我が物顔で跋扈している昨今の風潮がピタリと当て嵌まる。

こうした“絶対的改革推進主義者”が好んで引き合いに出すのが「潜在成長率」だ。

彼らは、我が国の潜在成長率が日銀推計で0.2%、内閣府推計で0.4%(2015年度推計)と他の先進国と比較して著しく低いことを盾に、労働市場の縮小や設備投資の停滞による供給制約がある条件下における財政支出は高インフレを招くだけと主張し、財政政策のようなカンフル剤に頼るのは危険で、構造改革による生産性向上しかないと念仏を唱え続けている。

例えば、経産省の「通商白書2016」には「潜在成長率は、現在の経済構造を前提にした一国経済の供給力として捉えられ、いわば中期的に持続可能な経済の成長軌道と言える。したがって、経済成長は、この潜在成長率を高めることに他ならない」と記され、また、2009年9月日銀レビュー“潜在成長率の各種推計法と留意点”には、「長い目でみれば、一国の成長率は供給能力によって規定される」との記述もあり、『経済成長=供給能力=潜在成長率』という発想で物事を捉えているのが解かる。

筆者も、国力を担保するのは一国内に存在する生産・サービス等の供給力であると考えるが、改革主義者のように、“供給力さえ上げれば経済成長が必ず達成される”とは思っていない。
彼らの妄想は、エンジンとタイヤさえ付いていれば車は動くというバカな考えと同じで、燃料や運転手なしに車が前進することはない。

供給力は、他国との競争優位性を保ち経済成長するための基礎的条件であることに異論はないが、決して自律的な存在ではなく、「需要力」なしに、その効果を発揮し得ない他律的な存在だと理解している。

論者の中には、スマートフォンなどの事例を挙げて、革新的な製品が新たな需要を生み出してきたと主張する者もいるが、それはミクロ経済の一部を都合よく切り取った見方に過ぎない。

緊縮的な経済運営によりデフレ化した実体経済下では、スマホが刈り取った分の需要は、なにも新たに発生したものではなく、これまで洋服や旅行などに消費されていた需要が、たまたま、そちらに廻されただけなのだ。

要するに、マクロ全体で俯瞰すれば、洋服や旅行からスマホへの代替消費が起こっただけに過ぎない、ということである。

いくら革新的な製品やサービスが世に出現しても、それらを消費するための通貨が自動的に発行されるわけではないから、政府が経済政策を以って実体経済に通貨を供給してやらぬ限り、パイの奪い合いが発生するだけで終わってしまう。

つまり、供給が需要を生み出すという考え方は、マクロ的視点から見れば不完全な主張に過ぎず、「需要が供給を刺激し成長させることはできるが、需要のパイが一定である以上、供給が需要を拡大させることはできない」というのが正確だろう。


また、何かと潜在成長率を持ち出す連中に限って、少子高齢化に伴う生産年齢人口と内需の縮小を供給制約や需要制約の言い訳にしたがるものだが、彼らは、「日本の産業構造は労働集約型産業を基軸とし、需要サイドは“胃袋経済論(=需要力は人口に正比例する)”が支配している」というバカな発想から抜け切れない。

彼らの主張は、生産能力が乏しく供給されるモノやサービスの付加価値が著しく低い時代にしか通用しない旧式の発想で、どこかの田舎の食堂みたいに、“モノを多く作るには人手が必要だ”、“胃袋の数が減るとモノが売れない”と思い込んでいる。

絶対的改革推進主義者は、生産性とか競争力、付加価値みたいな言葉が好きな割に、発想の根本の部分で「質より量」に固執するから不思議なものだ。

「労働力の制約があるから、働き方改革(=雇用の流動化と移民の促進)が必要だ」、「全要素生産性を向上させるには、構造改革と規制緩和によるイノベーション促進が欠かせない」という妄想は、“とにかく生産量を増やさねば話が前に進まない”という質の向上を無視した量の確保論が前提になっている。

しかし、生産性向上(=潜在成長率UP)のためには、生産数量の拡大にあくせくする(量の拡大)よりも、分子となる付加価値UPを実現する方(質の向上)が遥かに劇的な効果をもたらすものだ。
利益率の低い饅頭を1個50円でバルク売りするよりも、利益率の高いフルーツタルトを1カット500円で売り行列を作らせる方が、付加価値がアップし、人数を掛けずに生産性を高めることもできる。

大量に製造して大量に売り捌く時代はとうの昔に終わり、いまや収益率の高い製品やサービスを適正価格で提供する時代にシフトしたのだから、“労働人口が少ないからモノを造れない”とか“少子高齢化の世の中だからモノが売れない”といった見苦しい言い訳は通用しない。

量ではなく質を以って国全体で創造する付加価値を創り上げていく時代になったのだから、高度な供給能力を既に有している我が国においては、質の高い製品やサービスを購入できるだけの通貨を実体経済に供給してやればよいだけだ。

つまり、供給体制は十二分に整っているのだから、それをフル稼働させるための需要力さえつけてやればよい、性能の良い自動車は用意されているから後はそれを走らせるためのガソリンを入れてやればよい、というだけの話であり、人が足りないとか、胃袋が減ったなんていう次元の低い悩みに拘泥するのは止めてもらいたい。

先に紹介した通商白書では、「急速な少子・高齢化が見込まれる我が国が、今後持続的な成長軌道を維持するためには、全要素生産性の向上、すなわち不断のイノベーションによって経済全体の効率性を向上させることが不可欠である」と断じているが、それはまったくの誤りで、「我が国が持続的な成長軌道を維持するのに必要なのは、国富の源泉たる供給力を維持向上させるために不可欠な燃料となる需要力、すなわち不断のGovernment spending(財政支出)である」というのが正解だろう。

2016年8月22日 (月)

省益ファーストの怠け癖を糺すべき

国の施策を具現化するためには、法の整備と予算付けが欠かせない。

高級官僚から末端に至るまで国家を動かす官僚たる者の仕事は、省令を含む法律の立案と予算獲得の二点に集約されると言ってよく、それを成し得るために、彼らは、ほぼ休暇なしの年間360日労働くらいの勢いで馬車馬のように机に噛り付いている。

 

官僚たちの勤労ぶりには敬意を表したいが、せっかくの職能スキルを、労働時間量の消化に費やすのではなく、その質の充実に使ってもらいたいものだ。

 

筆者も仕事柄、企業の資金調達や経営支援に係ることが多く、経済産業省や中小企業庁の中小企業支援メニューをチェックしているが、はっきり言って、どれも新鮮味に欠けるし、個々の支援内容もショボ過ぎる。

 

経産省の今年度イチ推しの目玉施策は、7月に改正施行された「中小企業等経営強化法」だ。

 

同法は、「中小企業・小規模事業者等が労働の供給制約等を克服し、海外展開等も含め、将来の成長を果たすべく、生産性の向上(経営力向上)を図ること」を目的に制定されたもので、中小企業等が、人材育成、コスト管理等のマネジメントの向上や設備投資等によって自社の生産性向上のための「経営力向上計画」を作成して、経産省をはじめとする担当官庁宛てに提出し、認定を受けた企業に対して支援措置が施されるという内容である。

 

中小企業等経営強化法認定制度の一番のウリは、“申請書がたったの2枚だけ”という手軽さで、何につけ、申請者に対して膨大な資料を要求してきた悪しき慣行を覆すという意味では、一歩前進と言ってよい。

 

問題なのは、認定を受けた後に受けられる支援措置があまりにも貧弱なことだ。

 

支援措置の柱は、

①経営力向上計画に基づき新規で取得する新品の機械装置(160万円以上)を対象とする固定資産税課税標準を1/2に軽減(3年間)

②政策金融機関の低利融資や信用保証協会利用時の保証枠の拡大

2本だが、いずれも新鮮味に欠け、アピール力はゼロに近い。

 

①の固定資産税の軽減額なんて、下限の160万円の機械なら、せいぜい年3,000円×3年間の9,000円程度にしかならず、大したメリットはない。

 

②の低利融資や保証枠拡大は、経産省や県の支援制度としてお馴染みの手垢まみれの支援措置であり、実際にはほとんど利用されていない。

 

低利融資と言っても、個別案件に対する審査判断は別物であり、「法認定=融資実行」という訳ではない。(ここを勘違いしている企業のなんと多いことか…)

あくまで、政府系金融機関が融資可否を別途判断し、その関門を潜り抜けた企業が低利で融資を受けられるというだけの話なのだ。

 

しかも、市中銀行の中小企業向けの融資金利が1%を切るケースも珍しくはなく、政府系金融機関の低利融資より金利が低いケースなんてザラにある。

ついでに、信用保証協会の保証枠についても低利融資と同じ仕組みであり、企業にとって大した訴求力はない。

 

経産省は、これまでも、産業活力強化法や中小企業経営力強化支援法、中小企業による地域産業資源を活用した事業活動の促進に関する法律等々、似たような法律を次々と立ち上げてきたが、それらに付随する支援措置は、ほぼ、租税の減税と低利融資の使い回しばかりで同省のやる気が疑われる。

 

これでは、経産省の官僚が自分の手柄づくりのために年度ごとに類似法を立ち上げているのではないかと指摘されても仕方あるまい。

 

今回採り上げた中小企業等経営強化法の全国の認定件数は、88日時点で105件に止まり、いまひとつパッとしない。

この手の認定制度が立ち上がると、手数料狙いのコンサルにそそのかされ、何でもよいから取り敢えず国の認定を受けたいという名誉狙いの企業も多いから、本気でメリットを享受しようとする企業は半分にも満たないだろう。

 

中小企業等経営強化法みたいに、一見ちっぽけな法律であっても、いざ立法するとなると、高級官僚たちが掛かりっきりで年単位の膨大なコストが必要になる。

それだけのコストをかけても、企業の経営力強化に有用な施策を創れるのならよいが、ご紹介したとおり、企業のためというよりも、官僚自身の実績づくりのためとしか思えぬような筋の悪い政策ばかり創っているのが実態だ。

 

中小企業の経営力の強化を謳うのなら、省内の常識や相場観で一方的に判断するのではなく、企業サイドはどういう支援を求めているのかについて、きちんとニーズを汲み取る努力が欠かせない。

 

予算を握る財務省の連中の顔色を窺って、靴の上から足を掻くような効き目のない施策に逃げるのではなく、認定企業に対して数百万円単位の設備投資助成金を措置するなど、企業の成長力強化へダイレクトに響くやり方を模索すべきだろう。

 

わざわざ高級官僚を総動員して法整備をするのなら、省益や局益に拘泥することなく、国益を担う公僕としての役割を自覚して、企業経営に資する政策づくりを心がけてもらいたい。

2016年8月19日 (金)

改革主義者の願いはひとつ、"日本人の所得を下げること"

いまや賃金労働者の4割が非正規になったと言われ雇用の破壊が進んでいるが、労働現場での苦労を知らぬ連中ほど、野放図な雇用の流動化に対する危機感が極めて薄い、と言うよりも、更なる非正規化促進に拍車を掛けるような発言を繰り返している。


『「最低賃金引き上げ」でも低所得層が救われない理由(ダイヤモンドオンライン)』
(岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授])
http://diamond.jp/articles/-/97961

上記コラムで岸氏は、安倍政権の経済対策を引き合いに、『“未来への投資”を標榜しながら、働く人の将来の所得増加につながる政策が足りないということです。これでは、働く人の圧倒的多くが感じている将来不安は払拭されないのではないでしょうか』と心配顔をして見せている。

しかし、コラムを読み進めると、“正規社員を減らせ、正規社員の賃金を引き下げろ、雇用の流動化を進めろ”という本音がぶっちゃけられ、働く人の将来不安を一層煽り立てている。


今回は、当該コラムから、岸氏の主張をいくつかピックアップして、個別に誤りを指摘しておきたい。

【ポイント①】
(岸氏)『そもそも経済政策の最大の課題は、欧米と比べて低い日本経済の生産性を引き上げて潜在成長率を高めることにあります。』

日本の労働生産性が欧米に比べて低い(2014年度調査で世界21位)というレッテルは、「労働生産性=GDP/(就業者数×労働時間)」なる数式を根拠とし、“生産性向上のためには、カンフル剤ではなく、改革と規制緩和が必要だ”という念仏の大合唱につながるのが、いつものパターンだ。

しかし、数式を素直に分析すれば、労働生産性を上げるには、分母を削るという選択肢はあり得ないから、分子を拡大させるより他ないことくらい、誰でも理解できるだろう。

であれば、我が国の生産性が低い要因は、GDPの停滞に求められるべきであり、日本の経済構造や労働者の質に責任転嫁すべきではない。
GDP拡大に最も効果のある栄養素(=財政政策)の摂取を頑なに拒んできたのだから、身体のキレが鈍るのも当然だ。

我が国でも欧米並みに積極的な財政政策を打ち、GDPを普通に拡大させれば、労働生産性の国際順位など瞬く間にベスト5入りできるだろう。

元々、労働生産性の算式は就業者数を分母に定めているせいで、労働に従事している者の割合が比較的高い(=働き者)の日本の生産性は低くなりがちで、若者世代の失業率が20~30%にも達し、働きもせずにブラブラしている者が多い欧米諸国と単純に比較するのは不適当だ。

【ポイント②】
(岸氏)『労働者が生産性に見合った賃金を得られるようにする、衰退産業から成長産業への雇用の移行が進むようにする、といった対応が不可欠です。』

衰退産業から成長産業への“労働者の大移動(外国移民を含む)”なんて机上の空論に過ぎない。

現実には、社内のプロジェクト異動や部署異動、業界内の転職ですら、移動先の文化に馴染めず能力を発揮できない人材がゴロゴロいるのに、産業間の民族大移動なんて大混乱を招くだけだろう。
どう考えても絶対に不可能なことを、いかにも軽く口にするから、世間知らずの素人は無責任極まりないのだ。

誰の利益にもならないバカな社会実験に熱中するよりも、適切な経済政策を施して内需を拡大させ、衰退産業を持続可能産業や成長産業へと変革を図る方が、そこで蓄積された職能スキルを活かせるし、次世代へのスキル継承もスムーズに行えるはずだ。

【ポイント③】
(岸氏)『グローバル化とデジタル化という構造変化が急速に進む中では、イノベーションの継続的な創出が不可欠となりますので、職場が同質的な人の集まりとなる終身雇用はこれらの構造変化との親和性が低いと言わざるを得ません。』

そもそも、多国間の貿易自体は太古の昔から行われており、グローバル化云々を“新たな潮流”と呼ぶこと自体が時代遅れな旧式の発想だろう。

岸氏のように、グローバル化という言葉を盾にして低賃金諸国との競争を煽り、雇用のフラット化を企むのは、内需の源泉となる先進国の家計所得の抑制につながる危険な発想である。

また、本来なら、デジタル化は作業の効率化や迅速化につながるものだが、実際の企業現場では、業務効率化というデジタル化の最大の恩恵を活かすことができずに、くだらぬ社内調整業務に振り回されて、せっかくの労働資源を上手くイノベーションに振り向けられないでいる。

岸氏は、終身雇用がイノベーションの妨げになっていると暴論を吐いているが、話は逆で、雇用の流動化こそイノベーションにとって最大の阻害要因だと言える。

その程度のことは、日本企業が取得した特許件数のうち、雇用安定性の低いベンチャー企業企業(=人材定着率が極めて低い企業)が取得した特許の割合を確認してみれば解かる。
ベンチャー企業がイノベーションを発揮して特許申請を活発に行っているのなら、特許庁が、わざわざ、ベンチャー企業を対象にした特許審査請求料の軽減措置などの様々な優遇措置を講じる必要なんてないはずだが…

何よりも、ビジネスの現場で重要なのは、“イノベーションの創出よりも、イノベートされた技術やサービスをいかに売上や収益につなげることができるか”であり、雨後の竹の子みたいにアイディア出しさえすればOKと決めつけるのは、事業の本質を知らぬシロウトの発想だ。

アイディアをカネに換えて初めて事業は成立する。

イノベーションをお金に変える(=B/Sの「研究開発費」をP/Lの「売上高」に換える)のが最も難しいポイントであり、それを成し得るには企画・製造・営業・管理など各部門の垣根を越えたチームワークが不可欠で、雇用が流動化されて、自分の職務経歴に箔付けすることにしか興味のない外人部隊の寄せ集めばかりの企業には不可能だろう。

【ポイント④】
(岸氏)『正しい意味での同一労働同一賃金を実現するには、正規雇用についての解雇ルールを明確化し、生産性の低い正規雇用者の賃金を引き下げることが不可欠です。』

「正規雇用者の賃金引き下げ」、岸氏をはじめ改革絶対主義者の連中が言いたいことはコレに尽きる。
彼が大好きな“同一労働同一賃金や働き方改革、雇用流動化、女性が輝く社会、ダイバーシティ、外国人材の活用”なるキーワードは、すべて労務コスト削減を目的とする発想が源流になっていることに注意したい。

だが、正規雇用者の生産性に文句をつける前に、マクドナルドやベネッセといった名だたる大企業の財務を見事に崩壊させた原田泳幸氏のような自称プロ経営者の経営能力や生産性を、真っ先に問うべきだ。

正規雇用者の賃金引き下げは、労働の高付加価値化に対するインセンティブや非正規雇用者から正規雇用者へのステップアップ意欲を確実に削ぐだけに終わるだろう。

【ポイント⑤】
(岸氏)『低賃金で働く人の収入の増加に向けて、職業訓練の制度を進化させることが不可欠なはずです。』

岸氏の発言は、職業訓練云々に託けて、パソナ・テンプスタッフのようないかがわしい派遣会社への利益誘導を図ろうとする意図が窺える。

筆者は知り合いから、アメリカの一部レストランでは、入店案内とオーダー係が別々、飲み物と食べ物のオーダー係が別々になっているところがある、と聞いたことがある。

これに対して日本の食堂やファミレスでは、バイトやパート人材が、入店受付から、オーダー、配膳、会計、清掃まで一貫処理する多能工化が発達するなど、OJTを通じた高度な職業訓練が十二分に機能しており、外部機関による訓練など意味がない。

こうした高い職能スキルを有する人材を低賃金で扱き使う業界の慣習や体質こそが問題なのであり、職業訓練のように余計な屋上屋を架そうとするのは、都合のよい利益誘導か、単なる問題のすり替えだろう。


経済学者の連中は、労働条件の劣化を企む暇があるのなら、他の先進諸国と比較して著しく立ち遅れている経済成長や国民所得の向上を実現させるための具体的な方策を示すべきで、それすらできない役立たず且つ生産性の低い学者こそ、コストの安い東南アジア辺りの学者と交替させるか、率先して職業訓練を受けさせるべきだ。

2016年8月15日 (月)

リスクの質の違いを誤魔化す緊縮主義者

最近、構造改革主義者や緊縮財政主義者の連中から、大規模な財政政策やヘリコプターマネーに対する警戒論が沸き起こっている。

筆者の眼から見ると、安倍政権ご自慢の“自称28兆円(真水7兆円)の経済対策”なんて、4倍希釈タイプの水増しでしかなく、安倍首相や与党が積極的な財政支出支持に方針転換したとは露ほども感じていないが、緊縮教の教徒たちはアリの一穴を恐れてか、早期の火消しに必死のようだ。

早速、8月14日の日経朝刊一面に「日本国債「敗戦後、失われた預金」」なる特集記事が掲載され、安倍政権による財政と金融の一体化政策がとんでもないインフレを招きかねない、というデマを垂れ流している。

記事では、太平洋戦争後の高インフレ(1945年のインフレ率は568.1%とハイパーインフレの定義には遠く及ばないが…)を例に挙げて、戦時国債はほとんど国内で消化され、債権者の多くは日本国民であったにも拘わらず紙切れ同然になったと批判し、現在1,000兆円に達する我が国の国債発行残高の対GDP比率が、戦時下の204%を上回る249%に達していることに対して強い警告を発している。

しかし、米軍による非人道的な無差別爆撃や原爆投下により、国内の生産設備が壊滅的なレベルにまで破壊された戦時下と、世界トップレベルの高度な生産能力やロジスティクス網を有する現代とを横並びで比較すること自体が間違っており、議論の前提条件がまったく整っていない。

先の大戦で我が国が被った損害は、戦死者約300万人に加えて、建物の約25%、生産機械の35%、船舶の80%を喪失するに及んだと言われている。
つまり、1945年に記録した568.1%というインフレ率は、米軍の攻撃により、働き手と生産設備、運送設備という重要な生産要素を壊滅的に破壊されつくしたうえでの超特殊事情がもたらした一時的なものであり、その後のインフレ率は1947年に125%、1950年には15%と僅か数年で収束している。

闇市で物資を調達せざるを得なかった “物のない時代”と、過剰な供給力のやり場に悩む“物余りの時代”とを一緒くたに比べること自体が非常に悪質なミスリードだ。
両者を同じ土俵で論じるのは、あたかも、手漕ぎボートによるドレーク海峡横断のリスクと豪華客船による地中海クルーズのリスクとを同一に論じるくらいトンデモナイ行為だと言えるだろう。

また、日経の記事では、江戸時代、とりわけ元禄時代の5代将軍綱吉の放漫財政や勘定奉行 荻原重秀による日本初の貨幣改鋳を採り上げて、通貨の劣化や過度なインフレを招いたと批判している。

だが、村井淳志氏著『勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚』には、“マイナスイメージで伝えられる元禄の貨幣改鋳だが、物価上昇は年率三%弱にすぎず、それも冷害の影響が大きい”と記されており、貨幣改鋳が過度なインフレを招いたという後世の歴史家による根拠薄弱なレッテル貼りを明確に否定している。

綱吉時代の“放漫財政”の支出用途は、日光参拝や寺社建立のための費用、度重なる天災からの復興費用だったそうだが、こうした大規模な財政政策が需要の原資として実体経済に投じられ、当時の商工業者や庶民にもたらした恩恵は計り知れない。

綱吉治世下の元禄時代は、江戸時代初の文化興隆の世として知られており、そこで花開いた元禄文化は、次のように解説されている。

『元禄文化は、しばしば「憂き世から浮世へ」と称せられるように、現世を「浮世」として肯定し、現実的・合理的な精神がその特徴とされる。もとより貴族的な雅を追求する芸術の成果も一方には存在したが、「民勢さし潮のごとく」と評された民衆の情緒を作品化したものが多く、世間(社会)の現実をみすえた文芸作品もうみ出された。
とりわけ、小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門は日本文学史上に燦然と輝く存在である。また、実証的な古典研究や実用的な諸学問が発達し、芸術分野では、日本的な装飾画の様式を完成させたとされる尾形光琳や浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれ、従来よりも華麗で洗練さを増した美術工芸品もまた数多くつくられた。音楽では生田流箏曲や新浄瑠璃、長唄などの新展開がみられた。さらに、音曲と組み合わせて視聴覚に同時に訴えかける人形浄瑠璃や歌舞伎狂言も、この時代に姿がととのえられた。
元禄時代は、めざましい創造の時代だったのである。(Wikipediaより)』

歴史上誰よりも早く貨幣国定説を唱えて、果敢に実行した貨幣改鋳という偉業がもたらしたのは、インフレによる混乱ではなく、後世や諸外国に対して長きに亘って誇ることのできる偉大な文化の発露と隆盛であった。

しかも、元禄文化は貴族や武家階級から伝播したものではなく、民衆の生活に根差したボトムアップ型の文化が横展開されたものであったことが判る。
小説や俳諧、浄瑠璃、絵画などを庶民が楽しめる素地があったということは、庶民層にそうした嗜好品を購入するだけの購買力が備わっていたということの証であり、それをもたらしたのが、貨幣改鋳に端を発する積極的な財政政策であったことに疑いない。

日経の記事は、元禄の改鋳が通貨の劣化と過度なインフレを招来したと決めつけて、安倍政権は同じ過ちを繰り返すつもりかと脅しつけているが、“緊縮&改革主義者”揃いの現政権首脳部を前にして、まったくの杞憂というほかない。

そんな有りもしないことにいちいち目くじらを立てるよりも、バブル崩壊以降、何の成果も得られぬまま強行してきた緊縮財政や構造改革という“最悪の過ち”をいつまで繰り返すつもりなのか、と逆に問うておきたい。

2016年8月12日 (金)

緊縮主義者のバカさ加減に"カム着火インフェルノ"

(絵玲奈)「ヘリコプター・マネーって何ですか?」
(教授)「文字どおりヘリコプターからおカネをばら撒くっていうことですよ」
(絵玲奈)「天からおカネが降ってくるんですか?」
(教授)「そうです。もしそうなったらうれしいですか?」
(絵玲奈)「たしかに。タダでおカネがもらえるなんて、変ですよね……。でも、そもそもヘリコプターからおカネを撒くってどうやってやるんですか? むずかしくないですか」
絵玲奈のおバカな質問に教授は爆笑した。
~~~~~~~~~~~~~
【中略】
~~~~~~~~~~~~~
(教授)「こんなふうに、おカネを借りて使うのは民間である必要はなく、政府がおカネを借りて使えばマネーは増えます。だから、前に言ったようにインフレをつくれるのは、中央銀行ではなくて政府なのです。つまり、金融政策ではなくて財政政策なのです」
(絵玲奈) 「じゃあ、財政政策をやれば景気を良くしてインフレにできるってことですか?」
(教授)「ええ、でも、それには、いくつかの条件があります。たとえば、政府が借金をして、みなさんにそのおカネをばら撒いたとしましょう。でも、政府の借金はいつか返済しなければいけないですよね。そのおカネは結局、みなさんの税金で賄うしかありません。つまり、いつかは増税されることになるわけです。」
(絵玲奈) 「それって、今おカネをもらっても、将来、増税されて取り上げられちゃうってことですよね。だったら、使わないで貯金します」
~~~~~~~~~~~~~
【中略】
~~~~~~~~~~~~~
(教授)『じゃあ、政府が借金をするから返済を心配しなきゃいけないわけで、中央銀行が輪転機回しておカネを配ればいいじゃないか。そしたら、将来の増税を心配しなくていいので効果絶大だ』というふうに、ヘリコプター・マネーを推奨する人の中には、新たに創造するマネーは中央銀行から与えられると、基本的なことを理解していないとんでもない勘違いした主張をする人もいます」
(絵玲奈)「え~と、中央銀行は錬金術師じゃないから、勝手におカネを創れないんですよね」
(教授)「そのとおりです。以前のゼミで詳しく説明したように、中央銀行は、無から有を生み出すことはできません。なので、この主張は根本的に勘違いしています。」


上記は、『ヘリコプター・マネーには、女子大生も“激オコぷんぷん丸” 「なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?」・特別篇』(ダイヤモンドオンライン 松村嘉浩 http://diamond.jp/articles/-/91533)に登場する架空の女子大生 絵玲奈と教授との頭の悪い会話の一部を抜粋したものだ。

会話の内容は、「リフレ派が「ヘリマネ」なる毒性の強い政策の導入を企んでいるが、ヘリマネで配られたお金は、後の増税で回収される。つまり、朝三暮四の諺どおりの将来世代へのツケ回しに過ぎないし、政府や通貨の信用棄損というリバウンドも怖い。そんな経済合理性を無視したバカげた政策には騙されない」と絵玲奈が“激おこプンプン丸化する“というもので、レベルの低さと会話の黴臭さにむず痒くなってくる。


まず、リフレ派の連中が、やたらと“永久国債の日銀引受けによるヘリマネ推し”をしているのは事実で、自信たっぷりにブチ込んだ異次元金融緩和政策が空振り続きで、まったく成果を出せないことに、さすがに焦りを感じているのだろう。

彼らは、ヘリマネを金融政策が放つ異次元緩和やマイナス金利に続く第三の刺客と位置付けて、若田部昌澄や高橋洋一辺りを先頭に猛プッシュし、残りの金魚のフンの連中も応援団として援護射撃を続けている。

彼らは、日銀が絡めば何でも金融政策の範疇にカテゴライズできると勘違いしているが、ヘリマネ政策のメリットは、政府が、永久国債で得た資金を、公共事業や公務員給与、給付金、減税などの事業を通じて直接的に実体経済へ叩き込む点にあり、誰がどう見ても「財政政策の範疇」と見るのが自然だろう。

リフレ派の連中は、質の悪い韓国人のように、何でも自分たちの手柄化する悪い癖を改め、素直に財政政策のサポートに廻っておればよい。


さて、激オコぷんぷん丸化した絵玲奈は、ヘリマネを指して“タダでおカネがもらえる”と表現しているが、これは明確な誤りであろう。
ヘリマネを財源に公共事業を行うとしたら、当然、それを請け負う事業者は、発注元の政府や地方自治体に対して労務サービスを提供する必要が生じる。

また、減税や給付金に使われるとしても、それは、デフレ不況下での消費増税により不当に徴収された税金、間違った経済政策による雇用機会や国民所得の逸失や減少という『国民が本来負担すべきではなかった債務』の一部が国民に返還されるものに過ぎないから、それらをフリーランチ呼ばわりするのは間違っている。

むしろ、政府が不当に徴収した税金や社会保険料の一部分だけを返還すると理解すべきで、タダ金と呼ぶべきものではない。

両者の会話の中にある「インフレをつくれるのは、中央銀行ではなくて政府なのです。つまり、金融政策ではなくて財政政策なのです」の部分は、そのとおりで、黒田バズーカ砲がいつまで経っても物価目標を攻略できていないという厳然たる事実がある以上、リフレ派も反論できまい。

だが、この表現には、明らかに間違っている点がある。
それは、“財政政策が目指しているのは、インフレを創ることではない”という点だ。

端からインフレ目標にしか関心がないリフレ派とは違い、財政政策(正確には、財政金融政策)が目指しているのは、家計の所得向上・企業の経済活動の活性化・マクロ経済の安定的成長であり、そこから派生する経済効果の一つとして適切なインフレ率(=適度なインフレが許容される経済的好環境)が実現するというもので、インフレの出現は、あくまで結果の一部分にすぎない。

そこを意図的に摩り替えて、“財政政策=過度なインフレ=国家の信用棄損”という悪意に満ちたストーリーに仕立てるのが財政再建病患者特有の症状で、完治の見込みはない。

会話の中で、教授は、政府がヘリマネでお金をバラ撒いても、国民は将来の増税を予想して貯蓄に走る、と得意顔で絵玲奈に講釈をタレているが、それが本当なら、かつての高度経済成長やバブル経済なんて存在し得なかったはずだ。

政府が積極的な財政支出に凌ぎを削るの見た当時の国民は、“いつか増税されるかも…”と怯えるどころか、我先にと消費に奔走したものだ。
一時的な定額給付金や地域振興券のようなチマチマした政策は別として、大規模かつ長期間の財政政策であれば、家計の消費心理を間違いなく刺激できる。

中央銀行は「無から有を生み出すことはできない」、「勝手にお金を創れない」と及び腰になっているが、そんなことはない。

何も中央銀行単体に限定して選択肢を狭める必要はなく、中央銀行とて広義の統合政府の一機関に含まれるから、通貨発行権という大権を有する政府とのコミットメントにより、世の中の経済活動の円滑化に必要なだけお金を創って投じ、後は民間経済主体に任せておればよい。

国民の労働が生み出す付加価値こそ「有」であり、我が国では不況下にもかかわらず、日々、想像を絶する量の付加価値が創造されている。
問題なのは、緊縮思想に染まった質の悪い経済政策の蔓延により、国民が生み出す付加価値(=「有」)に見合うだけの対価(=所得)を支払うだけの財源が実体経済に存在しない点にある。

政府が事業や減税措置などという名目の下で、実体経済の供給量(=付加価値量)に相応しいお金を供給することを指して、「無から有を生み出す行為」だと非難するのは、まったく見当違いだ。
国民の労働こそ、まさに「無から有を生み出す行為そのもの」であり、それ無くして経済なんて成り立たないし、そうした経済行為に正当な対価を支払うのは経済活動の初歩である。

お金なんてものは、経済を上手く回すための燃料程度のものに過ぎないから、実体経済が巡航速度で成長できるよう必要な分量をどんどん供給してやればよいのだ。
中途半端にお金を神聖視する余り、それを使わずに実体経済を窒息させてしまっては元も子もなかろう。

2016年8月 8日 (月)

働き方改革の実態は、「働かせ方改悪」

8月3日に発足した第3次安倍内閣の目玉政策は「働き方改革」だと言われている。
記者会見では安倍首相も、「最大のチャレンジは働き方改革だ。長時間労働を是正し、同一賃金同一労働を実現する」と強調していた。

これが言葉通り実行されるのであれば良いが、既に完全なる“骨抜き改革”と化しており、個人的にはまったく期待していない。

肝心の長時間労働の是正について、もし政府が本腰なら、違法なサービス残業やパワハラ行為が横行する我が国の労働実態を是正すべく、労基署の権限や人員・予算を大幅に増やして厳しく取り締まろうとするはずだが、そんな姿勢は微塵も見受けられない。

せいぜい、厚労省のポータルサイト(働き方・休み方改善ポータルサイト)に大企業の取組み事例を掲載する程度で済まそうとする、つまり、政府の監視ではなく、あくまで企業の自主的な取組みに任せ切りで放置しようとする魂胆が丸見えだ。

また、もう一方の同一賃金同一労働も、非正規雇用の待遇改善という本来のあるべき姿から外れ、多様な労働形態(ダイバーシティ)の導入、女性や外国人労働者の活用といった大義名分の下で、“正社員”という処遇の破壊と労働コストのカットへと誘う気配が濃厚だ。

政府主導の働き方改革は、総じて、“いかに労働コストを流動化させ、それを抑制するか”という経済界目線から進められており、あらゆる提言やキーワードが労働コストの抑制という文脈で語られていると言ってよい。

また、働き方改革に対するマスコミ連中の批判も大甘で、長時間労働の是正よりも同一賃金同一労働の実現による中小企業の人件費負担の増加を懸念する意見や女性の社会進出、外国人労働者への門戸解放を手放しに賛美する意見が大勢を占めている。

中小企業の人件費アップが心配なら、元請け企業や大手企業に対する下請けいじめ防止キャンペーンでも張るべきだ。
それをせぬのは、自社のスポンサー(大企業)に何か気兼ねでもしているからなのか?


筆者の考える働き方改革の柱は、「労働分配率の引上げ、長時間労働の是正、非正規雇用のような不安定雇用に対する規制強化、公正なる人事評価、業務の効率化」の5つであり、日本人の雇用や治安に悪影響を与える外国人労働者の安易な受け入れは強く拒絶すべきだ。

平成26年5月に厚労省がまとめた『働きやすい・働きがいのある職場づくりに関する調査報告書』によると、中小企業で働く常用労働者に対し、同僚がどんな理由で離職する場合が多いかを聞いたところ、「賃金が不満」(44.3%)、「仕事上のストレスが大きい」(37.4%)、「会社の経営理念・社風が合わない」(25.3%)、「職場の人間関係がつらい(職場でのいじめ、セクハラ・パワハラを含む)」(24.4%)、「労働時間が長い」(18.9%)という回答が上位を占めた。

この辺りの悩みは、世のサラリーマン諸氏なら、たいがい身に覚えがあろうと思われ、こうした身近な課題を一つずつ改善することこそが、“真の働き方改革”なのではないか。

日本の労働生産性、とりわけホワイトカラーの生産性が低いと揶揄されるが、それは、間接部門への過剰な人員の張り付け、過大かつ過剰な社内管理事務や調整事務、社内政治への対応、コンプライアンス等の収益外業務負担などといった日本企業特有の膨大な社内調整業務のせいだと断言できる。

筆者の職場でも、会議資料の作成(作成内容の事前調整を含む)、業務企画などの準備に当たっての関係各所への根回し、PDCA管理資料の作成、社内プレゼンの準備等々、およそ業務と名の付くものの95%は上司や部下、関係部署との調整云々といった“社内向け”だと言っても過言ではなく、とどのつまりは社内向けの仕事しかしていない。

これでは収益なんて上がるはずがないが、当の経営者は、こうした悪弊を見過ごし、また、推進しておきながら、「日本人労働者のパフォーマンスは中国よりはるかに低いよね、これなら女性や外国人を雇った方が効率的かもね」なんて戯けたことを抜かしているのだ。

こうしたくだらぬ内向きのパフォーマンスから解放され、対外業務に注力することができれば、(マクロの経済環境が改善するという前提条件付きだが…)日本企業の収益力、ひいては労働生産性は劇的に向上するだろう。


しかし、政府の諮問会議の場で遊んでいるバカな連中の意識は、さらに遅れている。

平成 28 年第 13 回経済財政諮問会議(そもそも、メンバーが経営者側ばかり)の議事要旨を見ると、政府の働き方改革に絡めた民間メンバーからの幼稚な提言が相次いでいる。

例えば、
「最低賃金の3%引上げの完全実施のために、中小企業において生産性を上げていくことは当然だが、人材不足でなかなかできない。ぜひとも、その生産性を上げるために、地銀やメガバンクの人材を活用していただきたい」(新浪氏)

「公的サービスの生産性が低いと申し上げた。子育て、介護事業はその典型である。これらの事業の生産性を上げていくためにも、例えばコンビニの人材を活用してはどうか。コンビニは世界一生産性の高い中小企業の塊だと思う。こういったコンビニの人材を介護事業や子育て事業に活用してはどうか」(新浪氏)

「もっとテレビ会議を使うべきである。(中略) 国家公務員も民間も、会議のために移動する時間がもったいない。移動時間の短縮により生産性が向上する」(新浪氏)

「これからは外国人労働者がむしろ働く国を選ぶ時代である。日本に来てもらうためには、例えば、帰国後の日系企業での活躍が期待できるなど、様々な優秀人材確保に向けたインセンティブ強化が必要である。そうした意味で、単に受け入れだけではなく、彼らが気持ちよく働くことができ、日本好きになってもらうための包括的なパッケージも必要ではないか」(髙橋氏)
等々、本質を踏み外した提言、自分たちに都合のよい提言ばかりで、労働者側のメリットなど一欠けらも語られていない。

金融機関の人材なんて、実業の何たるかを知らぬシロウトばかりで、中小企業の生産性向上に役立つどころか、細かいカネの使い方のことで現場の従業員と衝突して社内の人間関係を壊すのがオチだ。

また、コンビニの生産性が高いなんて偉そうに言っているが、単に、バイトの給料を低く抑えて加盟店(フランチャイジー)を泣かせているだけのことに過ぎないし、コンビニのノウハウや人材(バイト)がすぐに介護現場で活躍できるかのような軽い発言には失笑を禁じ得ない。

テレビ会議で生産性が上がるなんてのも、労働現場を知らぬ学生並みの発想だろう。
現に業務負担が重いのは、会議に出席することではなく、会議を開催するための事前調整(議事や方向性に関する根回し)や資料作成の方であり、移動時間なんて問題ではない。会議を開催すること自体が問題の主因なのだ。
そんなことを解からずに、バカげた発言をして、恥ずかしくないのか?

高橋氏の“外国人移民御一行様歓待”発言には、呆れてモノが言えない。
低賃金労働くらいしか能がない外国人労働者など、我が国には不要である。
そんな不良部品に頼らずとも、国内には有為な人材が掃いて捨てるほど眠っており、そうした人材の発掘と活用にこそ政府は汗をかくべきだ。

この手の深層意識に後進国根性や奴隷根性が染みついている輩に、政府の諮問会議の場で発言させるべきではない。
日本人としての矜持を持たぬ者に、公の場で勝手な意見を述べさせてはならない。

労働現場の中心にいる正社員や非正規雇用者の待遇改善とポテンシャルを発揮しやすいような環境づくりこそが働き方改革の本丸であり、女性や外国人などをダシにして労働者の地位や処遇を脅かすような紛いものの改革は許されない。

2016年8月 6日 (土)

差別利権に群がるウジ虫こそが、差別を生む温床

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された卑劣な事件は、かの“津山30人殺し”に次ぐ単独犯による大量殺人事件として、発生当初こそ大きく報じられていたが、被害者全員が知的障碍者という特殊な事情から被害者家族からの要望もあって匿名報道がなされたこと、また、東京都知事選挙やオリンピック開幕という外部要因も重なり、次第に誌面の取扱いが小さくなってしまった印象がある。

事件発生当初は、「障害者なんていなくなればいい」、「障害者が安楽死できる世界を望む」などといった犯人の発言が何の修正もなく報じられていたが、ここ数日のマスコミの報道姿勢は、障碍者に対する差別意識を糾弾し、ヘイトクライムへの批判を強調する論調に変化している。

今回、被害者全員を匿名報道するという、大量殺人事件としては異例の措置が取られており、
神奈川県警も、死亡した19人の実名を非公表とした理由を「知的障害者の支援施設でプライバシー保護の必要性が極めて高く、遺族から特段の配慮をしてほしいと強い要望があったため」と説明している。

筆者も、こうした犯罪被害者の匿名報道(顔写真の非公開も含めて)を支持する立場であり、今後も同様の対応をすべきだと考えている。


だが、マスコミやジャーナリストのように、犯罪報道をビジネス化し、そこに寄生する薄汚い連中の理屈はそうとは限らない。

『“マスコミ憎し”で障がい者匿名報道を喜んでいいのか?』
(8月2日 網尾歩(ライター) WEDGE Infinity)

コラムの執筆者である網尾氏は、今回の匿名報道措置を受けて、朝日新聞の記者がツイッター上で「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」とつぶやいたことを採り上げて、 “今回の匿名報道を行われたことについて、安易に「今後も匿名報道を行ってほしいですね」とドヤ顔をしているユーザーの気が知れない。障がい者差別を許している社会の構成員として、その一端に私たちはいる。未だに障がい者をタブーとして扱う存在にしてしまっているのは、ほかならぬ私たち一人ひとりだ。マスコミ憎しの匿名報道賛美ではなく、まずそのことを重く受け止めるべきではないのか”と主張している。

要するに、「遺族からの要望があったとはいえ、安易に被害者の匿名報道を認めることは、却って障碍者差別を容認し助長することにつながる」、「ネットユーザーみたいに何でもマスコミの逆張りばかりしているくだらぬ連中の揚げ足取りに屈するな!!」と言いたいのだろう。

コラムで紹介された朝日新聞の人権派気取りの記者や「一般的に公表される被害者の氏名が、この事件に関して公表されないことは大きな疑問を持たざるを得ない」と訴えて、偏見の払拭を求める申入書を県に提出するというまことに余計なパフォーマンスをした神奈川県内の障碍者支援団体の連中は、“差別の撤廃”という大きな命題に立ち向かおうとする自分に酔っているだけで、事件により計り知れない被害や精神的ダメージを被っている遺族や被害者家族の心情を慮ろうとする気持ちはさらさらないようだ。

「被害者の人生を紹介することで事件の重みを伝え、風化を防いで防犯意識を高める。「忘れない」「記憶に刻む」ことが追悼だ」なんていう屁理屈は、犯罪報道を飯のタネにし、被害者の存在を単なるコンテンツ程度にしか考えていない人非人にしか通じない。

たとえ彼らが美文を以って被害者の人生を紹介したところで、次々と沸き起こる重大な事件や凶悪犯罪の波が、読者の同情心を簡単に浚っていく。

一般の人々は、被害者に同情を寄せることはあろうが、所詮は他人の身の上に起った不幸に過ぎないから、事件の鮮度が失われると同時に、一時的な感傷の気分は次の事件によって上書きされてしまう。

マスコミの連中が事件の風化を防ごうなんてきれいごとを騙ったところで、事件報道や犯罪報道など、所詮は鮮度が命の消費物に過ぎず、個々の被害者の実名報道が永遠に事件の風化防止や防犯意識の向上に役立つなんてことはありえない。
逆に言うと、事件を風化させないということは、被害者遺族が、何時までも世間の好奇の目に晒され続けるということにつながりかねないし、防犯意識云々と報道の成果との具体的な相関関係は確認できない。
犯罪被害に巻き込まれた被害者やそのご遺族にとっては大変痛ましいことだが、それが動かしがたい現実なのだ。

だからこそ、そんな一過性の消費物に大きな期待を寄せて、大きな精神的ダメージを負った被害者遺族を苦しめてまで、被害者写真の公開や実名報道にこだわる必要なんてまったくないし、絶対にすべきではないと思う。

実名報道の是非を決めるのは、最大の被害者である遺族や家族の判断に委ねるべきで、犯罪報道をビジネスとしか考えていない卑しい連中が外野から意見を口にすべきではない。
どうせ、彼らの汚い口から出たきれいごとなんて、自分の商売を際立たせるための都合のよい方便に過ぎないのだから。


また、網尾氏は、匿名報道が障碍者をタブーとして扱う風潮の容認につながると憤っているが、事の善悪は別として、障碍者をタブー視するか否かは、極めて主観的な個人の思想信条に係る問題であり、あたかも特定の人間に思想矯正を強いるかのような危険な表現は厳に慎むべきである。

日ごろから表現の自由や思想信条の自由を声高に標榜する連中に限って、一部の利権に群がる連中を庇い立てし、すぐに差別だのヘイトクライムだのと叫んで特定の思想や表現を弾圧しようとするが、そんなご都合主義が罷り通るわけがなかろう。

彼らのように、口では差別撤廃を叫びつつ、商売道具である差別がなくなることを恐れる「差別利権に群がるウジ虫ども」には、本気で差別をなくすつもりがあるのかと問うておきたい。

知的障碍者とはいえ、外部からの批判やタブー視を一切禁じるのが絶対の正義であり、その禁を破る者はいかがわしい差別主義者であるかのような我儘な主張をすること自体が間違っている。

一般の健常者(=そこいらにいる国民全般)なら、たとえ理不尽なものであっても、外部から非難されたり誤解を受けるようなことはザラにあるが、いちいち、それに対して差別だなんだと食って掛かることはできない。

差別という行為自体は忌むべきものであるが、健常者では受けることが叶わぬ特別な保護体制や外部からの批判に対する過剰な敵対反応が、一部の健常者と障碍者との間に拭い難い溝を生み、知的障碍者に対する保護が行き過ぎた「特権」だと揶揄される原因になっている。

だからこそ、知的障碍者という事実だけを以って、彼らの周囲を、外部からの非難を一切遮断する完璧なシールドで覆わねばならぬ、という理屈から卒業すべきなのだ。
知的障碍者と雖も、健常者と同じ土俵に立って、誰もが晒され得る差別や批判というリスクに正面から向き合うべきで、そうした経験や努力を経てこそ、差別云々という概念から脱することができるのではないか。

コラムには、「障がい者団体は「実名報道しろ」と言っているのではない。こうやって特例扱いされることに、世の中の偏見が凝縮されて表れている、それを考えろと言っているのではないだろうか」とも書かれているが、障害を抱えている方やそれを支援する団体も、一般国民から偏見の目で見られぬよう自らの行動をきちんと処すべきだし、それが物理的にかなわぬというのなら、身の回りの世話を委ねる介護職員の大幅な待遇改善を訴えるようなアクションを起こすべきだ。

本当の意味で差別されているのは、入所者から暴言や暴力を浴びせられながら激務に耐え、薄給に甘んじている現場の介護職員の方ではないか。

2016年8月 4日 (木)

フリーランチを貪っているのは、お前らだ!

『「ヘリコプターマネー」リスク考 道で拾った30万円をあなたは使うか?』
熊野英生 [第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト]
7月29日(金)ダイヤモンド・オンライン
(http://diamond.jp/subcategory/%E7%B5%8C%E6%B8%88)

このコラムの執筆者が、第一生命経済研究所の熊野氏だと聞いた時点で、その内容もおおよその見当がつくが、念のため中身を読んでみると、案の定、財政規律を重視する立場から財政政策を頭ごなしに嫌悪するものであった。


熊野氏の主張をまとめると次の3点になる。

①世の中には「ノーフリーランチ原則(タダ飯は存在しない)」があり、ヘリコプターマネーのような都合のよい政策はあり得ない

②ヘリコプターマネー政策で国民にお金を配っても、多くは貯蓄に回されるため消費増加という経路でのインフレは起きない

③ヘリコプターマネーは円の信認を低下させ、輸入物価の急激な上昇によるインフレを招く危険な実験的政策の代表例である


熊野氏は、①のフリーランチ否定論の論拠として、“道で30万円のお札が入った封筒を拾ったら、どう使うべきか”という思考実験を紹介し、
(1)その30万円を使って欲しいものを買う
(2)そんなうまい話があるはずがないので無視する
という2つの選択肢を提示している。

そして、合理的な行動を前提にした経済モデルを仮想すると、「ただで得られる30万円などは世の中に存在するはずがない。ならば自分の知らない“からくり”があって、30万円を拾った後、相応の出費を強いられると覚悟をしておく方が良い。自分は、そんな面倒なことに巻き込まれるのは嫌だから、30万円は拾わない。これが合理的な推論」だと結論付けている。

馬鹿正直な日本人のことだから、拾ったお金をどうするかと問われれば、たいがいの者は「交番に届ける(≠拾わない)」と回答するはずであり、そもそも、熊野氏の設定した設問自体が不適切であり、「消費振興のため、政府から30万円の給付金があなたの口座に振り込まれたら、どう使うべきか」という表現に訂正すべきだ。

熊野氏は、“ただで得られる30万円などは世の中に存在するはずがない”とフリーライダー論を振りかざして、あたかも勤勉な国民が政府に集っているかのようにミスリードしているが、事実はまったく逆だ。

実体経済を刺激する経済政策を放棄し、正規雇用から非正規雇用への転換を強要してまともな雇用の場を奪い、勤労な国民を蔑ろにして平均所得の低下を強いてきた政府や経営者層こそ、国民の努力と納税負担にただ乗りしているだけのフリーライダーであり、強欲な彼らにこそ“フリーランチなんてない、働いて欲しければまともな給料を払え!!”と言い放つべきだろう。


次に、熊野氏の②の主張だが、氏は、「この減税が一度だけのものならば、多くの国民は30万円を貯蓄するだろう。合理的に考えると、ただでもらった30万円はいつか相当の増税で回収されるのではないかと疑うからだ。相当の負担増を予想するならば、30万円は取っておいた方がよいことになる。だから、インフレは消費増加という経路では起こらない」と説明している。

確かに、麻生政権時の定額給付金のように一回きりの政策なら、氏の主張どおり、多くは貯蓄に回される、あるいは、消費した分の給付金と同額の将来消費額が減らされる(=使わずに済む)ことになり、消費活性化に大した効果は見込めないだろう。

だが、政府からの給付が永続的なもので、かつ、並行して大規模な公共事業が打たれたとしたら、所得増加に関する現実的な実感と将来的な期待に後押しされ、多くの家計は消費支出を増やすと考えるのが自然である。

財政政策を忌み嫌うあまり、一回きりのチマチマした給付金を出し、「ほらみろっ! やっぱり大した消費刺激効果はないじゃないか」と嫌味を言うこと自体が間違っている。
給付金にしろ、公共事業にしろ、1打席のみの代打出場で効果など出るはずがない。
レギュラーとして毎試合出場してこそ、本領を発揮する政策なのだ。

また、熊野氏は、「政府がこの便利な仕組みを何度も使わずに済ませられるであろうかと疑問を抱く。筆者は、国民に増税を求めずに、財源を日銀に求めることが可能になれば、必ずや財政の節度が失われると考える」と断言したのと同じ口で、「政府が永久国債で調達した資金で、国民に減税するとなれば、それは将来の納税負債を現在の永久国債による資金で入れ替えていることになる。つまり、将来の納税負担は膨張し、政府債務の担保力を一段と低下させて、信用度を失わせる」とまったく矛盾したことを述べている。

どうも、熊野氏は永久国債の意味や仕組みを理解できていないようだ。

片や、影響国債には返済義務がなく国民は増税負担を求められないと言っておきながら、片方で、将来の納税負担が膨張するとまったく逆のことを言い分けている。

氏には、永久国債を財源とするヘリマネに返済義務が有るのか否か、仮に有る(無いというのが正解)として、将来の納税負担が増すのかどうか(増すことなど無いというのが正解)、コロコロ主張を変えずにはっきり明言しろと言っておきたい。


最後に熊野氏の③の主張について、あまりにバカバカしいので割愛したいところだが、特に、「返済義務のない永久国債は、無担保も同然になる。政府債務の中で、税資金の裏付けのない永久国債を増やすほど、日本の財政全体の信用力が低下することになる」の部分には、溜め息しか出ない。

永久国債に返済義務がないと自ら解説しておきながら、無担保云々に言及すること自体がおかしなことと理解できないのだろうか?

返す必要がない資金であれば、担保の有無など端から関係のない話であるし、政府債務に占める返済不要の債務割合が増えることは、財政の信用力が増すことにしかなるまい。
何と言っても、“返済不要”なのだから…

熊野氏は、国債の返済財源としての国民の税負担にやたらと固執しているが、国債と同額の税負担を強いてしまえば、支出と負担の総量がイコールとなってしまい、実体経済に流通するマネーの量に箍が嵌められてしまうことを理解できないようだ。

税なんて、所詮は過熱した景気の抑制と社会的不公正の是正のための方便に過ぎないから、せいぜい、税理士が喰っていける程度に取っておけばよい。

また、氏が心配する円安経由の輸入物価値上がりによるインフレについても、財政規律とやらが失われるほど大規模な財政政策が実行されているのなら、国内景気は相当過熱しているはずであり、海外から国内への投資や資金流入の大幅な増加も見込めるため、一方的に受忍限度を超えるような円安に振れ続けるとは到底思えない。

そもそも、イギリスのEU離脱表明後に円高不況の到来に怯えてバタバタしていたマーケットの連中に、円安が心配だなどと口にして欲しくない。

決めつけと妄想だらけの記事やコラムを書いて高額な報酬を得ている識者やマーケットの連中こそ、フリーランチを貪っている卑しいフリーライダーであり、せめて報酬に見合うだけの実のある経済提言をやってみろと言っておきたい。

2016年8月 2日 (火)

他人に冷たく自分に甘い売国奴

筆者が隔週日曜日にコラムを投稿させていただいている『進撃の庶民』(http://ameblo.jp/shingekinosyomin/)にて、隔週土曜日のコラムを担当しておられる“みぬさ よりかずさん”のブログ(『「国家戦略特区」blog』 8月12日付記事 タイトル『桜井誠と水島と古谷と』 http://ameblo.jp/minusa-yorikazu/)を拝読させていた。
みぬささんは、新自由主義的な構造改革路線に反対の立場から毎日ブログを更新しておられ、独自の視点や新鮮な切り口から飛び出す大胆なご提言の数々には、筆者も日々勉強させられている。

上記のブログ記事では、チャンネル桜で長年司会を務める水島総氏が、自身の討論番組で出演者に対して、「私も移民は反対だが、今の若いヤツらが、人の嫌がる仕事をしないじゃないか!これに対してどう思いますか?」と詰問したことに対して、強い憤りの気持ちから、「「職業に貴賤は無い」、人の嫌がる仕事は高い報酬を出せば良い」と反論しておられ、「その根拠になるのが、水島さんが大好きな言葉「日本は家族の様な国家」これに尽きます。総ての国民が安心して生活出来る様にするのが政府の仕事です。国民を貧困化させる移民など言語道断なのです」と断じておられる。

世間では、「若者や日本人は人が嫌がる仕事をやりたがらないから、移民を入れるのも仕方ない」なんていう妄言が大手を振って罷り通っており、その手の寝言に腹立たしい思いをしていた筆者も、みぬさ氏のご意見にはまったく同感であり、胸のすく思いがする。


さて、移民受入の賛否に関する世論は一定していない。

2014年4月に調査会社マクロミル社が行ったネット調査では、移民受入に「賛成」23.1%、「反対」51.6%、「その他」25.3%と反対が大きく上回っている。

一方で、朝日新聞デジタルによるアンケートは、賛成が6割強、反対が4割弱で推移し、年代別に見ると20~40代の男性だけ反対が賛成を上回るという結果であった。

無論、移民大賛成派の朝日新聞による調査だというバイアスを考慮する必要もあるが、賛成派が6割強にも達していることに軽い頭痛を覚える。

また、移民受入れ反対派が多数を占めたのは20~40代の男性層のみだったという事実から、労働現場の最前線にいる者以外は、移民受入が低賃金労働の常態化に直結するという事実なんて所詮は他人事だと呑気に構えていることが窺える。

その朝日新聞デジタルの記事『働き手として外国人に来てもらうことに賛成?反対?』(2016年2月7日)から、一般国民の声をいくつか拾ってみる。
【賛成派】
「郡部に住んでいますが、人口減少はものすごい勢いで進んでいます。例えば、地方の人口増加につながるような移民政策を、政府には真剣に考えて欲しいと強く思います」(福島県・50代男性)

「雇用が奪われるという幻想から外国人を排斥しない。コストの安い外国人に3K業務を手伝ってもらい日本人を一段上の高収入業務に持っていかない限り低賃金に足が引っ張られていつまで経っても裕福になれません」(米シリコンバレー・40代男性)

【反対派】
「外国人労働者を受け入れれば、(日本人が)低賃金のままで、いつまでも希望を持って働くことができない社会になります。まずやるべきことは生活出来る最低賃金にすべきです」(群馬県・60代男)

 「労働人口の減少であれば逆に一人当たりの生産性を上げる必要があり、実質賃金の上昇になります。派遣労働者・フリーター・ニートや、失業者のスキル向上に投資する方がはるかに日本のためになります」(東京都・20代男性)

賛成派の意見は、総じて、移民受入れに伴う「低賃金労働の常態化」、「治安の悪化」、「移民に対する社会保障負担の増加」、「日本の文化や生活習慣を拒絶する移民(イスラム教の礼拝など)の取扱いに掛かる可視化できない社会的負担」などといった重大なリスクを端から無視している。

しかも、少子高齢化社会に対する根拠のない怯えに屈したままで、現状を克服し、再度人口増加社会を構築しようとするような強い意志や意欲がまったく感じられない。

また、国民全員が高付加価値労働のみに従事すべし、といったような実現不能かつ夢みたいな意見を吐く世間知らずには、いい加減に大人になりなさいと言っておく。

この件に関しては、日本人の低賃金労働の固定化を防ぎ、失業者や非正規雇用者層のスキルアップと待遇改善を訴える反対派の意見の方が、遥かにまともである。
なぜなら、この国は、日本人が安全かつ豊かに暮らしていくために存在しているのだから…


さて、本稿の最後に、移民受入れ派の常套句である「日本人や若者が、人の嫌がる仕事をしたがらない」という妄想について論じてみたい。

この手の妄言を耳にするたびに、
①人の嫌がる仕事とは、具体的にどんな仕事を指しているのか?
②そういった仕事に従事する者に対して、十分な報酬を与えているのか?
③偉そうに文句を言っている本人は、進んで“人の嫌がる仕事”をする気があるのか?
という点が気になり、モヤモヤした気分になる。

①の人の嫌がる仕事とは何か?
これといった定義はないが、安月給、労働時間が不規則、拘束時間が長い、ノルマがきつい、休暇を取りづらい、人間関係が最悪、パワハラの横行、現場が不衛生等といった条件が挙げられ、介護職・外食産業・コールセンター・引っ越し業務・コンビニ店員・建設現場・清掃業務・アニメーター・水産加工場・町工場などの職種が思い浮かぶ。

②の報酬については、介護職を例にとると、正規職員の介護福祉士の月給は手取りが15〜17万円前後、年収は250万〜400万くらいが一般的と言われているが、あまりにも低賃金過ぎて、土日勤務は当たり前かつ夜勤や変則勤務だらけ、おまけに、日がな呆け老人や精神異常者の暴言や暴力に晒された挙句に、入居者の家族からのクレーム処理に忙殺される、という重責にまったく見合っていない。

他にも、転職サイトによると、外食産業の平均年収は298万円、コールセンターは277万円と、“人の嫌がる業界”の年収水準は軒並み低い。

また、平成26年11月に厚生労働省が発表した平成23年3月卒業者の離職率を見ると、宿泊業・飲食サービスは52.3%でトップ、医療・福祉は38.8%で5位(※医療を含む数値であることに注意)と断然高くなっている。

大学進学率が年を追うごとに上がり、一般事務職に就きたがる者が増えている以上、本来なら、こうした“人の嫌がる業種”に従事する者に対する需要が高まり、勤務体系や給与水準などの待遇改善がなされているべきなのだが、実態はまったく逆だ。

マクロ経済自体が不調のまま放置され続けているため、他業界から幾らでも余剰人員がなだれ込む構造が解消されず、失業者の負の循環構造が産業全体に波及し、特に“人の嫌がる業種”のブラック化が横行している。

筆者の相談先の工場経営者の連中の中にも、「最近の若者はキツイ仕事をやりたがらないから、安い給料でも一生懸命働く中国人には敵わないよね」なんて呆れた暴言を吐くバカ者が多くいる。

なら、“当のお前は、そんな安月給で我慢して働くのか?”と聞けば、口ごもってしまうか、俺は若い頃さんざん苦労してきたんだと話を逸らしにかかるのが関の山だ。

この手の自分勝手なバカ者には、「お前は、何処の国の国民なのか?」と厳しく詰問すべきだろう。


「日本人や若者が、人の嫌がる仕事をしたがらない」なんてのは完全なる妄想で、実際に介護や外食産業(東京みたいに外国人不法労働者が横行している地域は別として)、コールセンター、工場、引越しなどのキツイ現場で、毎日のように夜遅くまで汗をかき働いているのは、ほとんどが日本人の若者である。

そして、彼らがやむを得ず離職という選択をせざるを得ないのは、給料や労働条件といった待遇が、提供する労働サービスの質量にまったく見合わぬほど悪いからに他ならない。

冒頭にご紹介したみぬさ氏が断言されているとおり、「人の嫌がる仕事は高い報酬を出せば良い」というシンプルかつ的を得た言葉こそが、唯一の解決策だろう。

2016年7月29日 (金)

日銀は完全に弾切れ、いまこそ財政政策へのステージチェンジを!

『日銀、追加緩和=上場投信購入6兆円に倍増―政府と連携・マイナス金利維持』
(時事通信 7月29日(金))

「日銀は29日、金融政策決定会合を開き、追加金融緩和を賛成多数で決めた。緩和は1月のマイナス金利政策の導入決定以来、6カ月ぶり。株価指数連動型の上場投資信託(ETF)の買い入れを現在の年3.3兆園から6兆円に増額する。企業や金融機関の外貨調達の支援強化も決めた。金融機関が預ける日銀当座預金の一部に適用するマイナス金利は現行水準のマイナス0.1%に据え置いた。(中略) 通貨供給量を増やすため実施している現在の年間80兆円の国債購入は増額を見送った。(後略)」

注目を集めていた日銀の金融政策決定会合は、予想以上の肩すかしに終わった。
もはや日銀には、これ以上の打つ手は残っていないようだ。

ETFの買入増額なんて、誰も期待していない。
こんな愚策で具体的な経済効果を狙っているのだとしたら、日銀首脳部は、全員即刻辞表を出すべきだ。

黒田総裁は、会合後の会見で「必要な場合は追加的な金融緩和措置を講じる」と、お馴染みの空手形を乱発していたが、噂のあった“ヘリコプターマネー”どころか、国債買入額の増額やマイナス金利の拡大(この辺の効果も怪しいものだが…)にすら踏み込めず、市場関係者は大いに落胆したことだろう。

日銀の異次元金融緩和政策に対する悲観的あるいは否定的な意見は根強いものがあるが、そうした意見にも、「金融緩和政策なんてやっても意味がない」という金融政策嫌悪派と、「これ以上やって日銀の国債直受けにまで発展してしまうと、大規模な財政支出につながり日本経済が回復してしまう」という成長否定派の二通りがあり、最近は後者の意見が多く聞かれるようになった。

『日本の金融緩和依存に懸念=「財政ファイナンスはリスク」-IMF』(7月28日時事通信)
「国際通貨基金(IMF)のマレー副報道官は28日、記者会見で日本の経済政策について(中略)金融・財政政策と構造改革を適切に組み合わせ、包括的に実行するよう促した。また、日銀が政府から国債を直接引き受ける「財政ファイナンス」が導入されたら、国債市場に懸念が生じて金利が高騰するリスクが生じ得ると指摘。「世界各国にも打撃が及ぶ恐れがある」と警告した」

『中銀の財政支援は「異常」=FRB議長、日欧のヘリマネ論に懸念』(6月16日時事通信)
「米連邦準備制度理事会(FRB)のイエレン議長は15日の会見で、中央銀行が金融政策で政府の財政を支えるような事態は「極めて異常で極端だ」と語った。日本や欧州の金融政策が財政を補完するようになるとの見方も一部で浮上しているが、議長は「学術的議論でも異常な状況だ」と懸念を示した。イエレン氏は「通常は中央銀行の金融政策と政府の財政政策を区別することが重要だ」と指摘。中銀が国債の直接買い入れなどで、紙幣の増刷効果を生み出す「ヘリコプターマネー」によって、「ハイパーインフレに陥った国はあまりにも多い」と語り、「物価の安定は中央銀行の独立性によって支えられている」と訴えた。(後略)」

一見、IMFのマレー氏やFRBのイエレン氏の意見は、日銀が政府の軍門に下り、ヘリマネの下働きをさせられることが、将来的に深刻なハイパーインフレを招くことを懸念しているように聞こえる。

しかし、彼らの本音はそこではない。
彼らが真に憂慮しているのは、
①日欧の金融政策の効果が疑問視され、国民やマーケットの連中から、次なる一手を求める声が高まる
②残された手段として、ヘリマネのような大規模な財政政策がクローズアップされる
③財政政策に対する期待感が、これまでの負のイメージを凌駕し、各国で実行され始める
④財政政策により家計や企業のフローが改善されるとともに、長期的な所得上昇期待が高まり、消費や投資の活発化により需要不足が解消され世界的な経済成長が実現する
⑤経済の活性化が社会的な最優先課題として定着し、彼らにとって最重要事項である“社会構造の改革と野放図な規制緩和”のプライオリティーが低下してしまう
という点なのだ。

要するに、金利高騰やハイパーインフレ云々という脅し文句を都合よく使っているだけで、「財政政策みたいに効き目の強い政策を打たれると景気が回復してしまい、俺たちが大好きな改革や規制緩和ができなくなるじゃないか!!」というのが、彼らの本音なのだから、まともに取り合う必要はない。

イエレン氏は、「ヘリコプターマネーによってハイパーインフレに陥った国はあまりにも多い」なんていい加減なことを言っているが、近年になってからヘリマネ的な財出でハイパーインフレに陥ったのは、せいぜい、ジンバブエくらいのもので、“あまりにも多い”なんてのは明らかに誇大表現だろう。
しかも、当のジンバブエ国民が悲惨な末路を辿っているかと言えばそうでもない。
一時的な経済の混乱こそあったが、いまでは他のアフリカ諸国を上回るほどの生活水準を確保しているようだ。(参考URL;http://gigazine.net/news/20120310-zimbabwe-us-dollar/)

日銀の金融政策に“非伝統性”を求めることを否定するような連中は、成長や分配よりも、改革や規制緩和という強者の自己満足を優先させたがるものだ。

日銀首脳部も、くだらぬ外野の意見には耳を貸さずに、ETF購入やマイナス金利のような効き目のない方策には早々に見切りをつけて、大規模な財政政策のサポートに舵を切るべきだろう。

«成長の余地なら、くさるほどある

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