無料ブログはココログ

リンク集

2019年3月18日 (月)

貨幣をツールと割り切る胆力

前々回のエントリーで、MMT(Modern Monetary Theory 現代金融理論)を支持するアメリカの経済学者が、財政赤字を悪とする周回遅れの古株学者を相手に奮闘している様子をご紹介した。

ご紹介したステファニー・ケルトン氏のようなMMT論者は、通貨発行権を盾にした政府の将来支払いに対する非制限的な支払い能力を明示したうえで、
①積極的な財政政策の実行(財政赤字への懸念払拭)
②財政支出の対象や費目の拡大(公共投資だけでなく社会保障的な給付金も)
をきちんと訴えており、この点を非常に好ましく思っている。

だが、MMT論者、特に国内の論者の多くは、いまだに、貨幣負債論や租税貨幣論といった、どうでもよい枝葉の部分への強いこだわりを捨てきれず、MMTが目指すべき経済政策や、その先にある適正な社会の在り方に関する考察がなおざりになっているのが残念でならぬ。

MMT論者は、自分たちの貨幣観はリフレ派とは違うと主張し、しきりに距離を取りたがるが、
・貨幣を負債視したがる(=野放図に増やせない)こと
・経済の起点を金融や負債の拡大に置きたがること
・政府から家計への直接給付をフリーランチと蔑視しがちなこと
・“カネか、雇用か”、“インフラか、ベーシックインカムか”という二者択一論を語りたがること
・政府紙幣よりも国債みたいな負債に頼りたがること
・財政支出拡大の話をハイパーインフレとセットで語りたがること
・心の奥底では、政府の非制限的な支払い能力に対する疑念を捨てきれないこと
・持説への反論に対するレスポンスが、「教科書を読め‼」しかないこと
・反論に対して具体的な回答を避け、逆に相手へ質問を返したがること(貨幣という負債を誰が、何を以って、何時までに返済すべきか、という簡単な質問への回答が、いまだに帰ってこない…)
などといった点から、MMTとリフレ派の経済観はかなり近似しているのではないか。

片や、国債増発による財政政策を訴え、片や、金融緩和万能論に固執する違いはあるものの、両者間にある、
・社会的弱者(いまや国民の大半がここに属するにもかかわらず)の救済に対する視線の冷たさ
・貨幣を負債の一種と捉え、その配布量に制限を掛けたがる点
・金融や負債の拡大を重視したがること(名称にも“金融”を使いたがるし…)
・経済基盤や国民生活の崩壊に対する危機感の甘さ
といった共通項を見るにつけ、せいぜいカツ丼とカツ煮定食くらいの違いしかないと思っている。

筆者は、MMTの根幹は、政府の非制限的支払い能力を活用した社会的課題のスピーディーな解決にあると考えている。

よって、「MMTは経済政策の是非を問うものではなく、現実を説明しているだけ」と責任回避の煙幕を張るのは無責任極まりないし、一般人には理解不能な貨幣負債論や租税貨幣論のような空疎な書生論などゴミくずでしかない。

経済的苦境に苦しむ国民の生活を一秒でも早く救い出すために何をすべきか、もっと真面目に考えてもらいたい。
くだらぬ貨幣負債論を唱える前にやるべきことがあるはずだ。

だいたい、以前にも指摘したが、MMT論者の貨幣負債論に関する説明はあまりにも雑すぎる。

「円は日本政府の借用書、つまり、貨幣は日本政府の負債。日本政府は借用書を書き、国民からモノやサービスを借りている」
「“誰かの資産=誰かの負債”という経済の大原則から、通貨は政府の負債でしかありえない」
「貨幣が負債の一種だと、ランドール・レイの教科書に書いてある」

こんな説明だけで、貨幣負債論が認められると思ったら考えが甘すぎる。

そもそも、国民は円を日本政府の借用書だなんて思っていない。

貨幣を、国内に存在するあらゆるモノやサービスと強制交換できる資産だと思っているからこそ喜んでそれを受け取り、欲しがるのであって、貨幣が政府の借用書だなんて言ったら、「国の借金を俺たちに押し付けるのか~」と逆ギレされるだけだ。

また、政府は発行した円を使い、国民や企業からモノやサービスを“買い取っている”のであって、“借りている”のではない。

公共事業や福祉事業によって、政府と民間経済主体との間に生じるのは、労働の提供と対価の支払いであって、賃借や債権・債務関係ではない。

MMT論者は、森羅万象の取引を賃借や債権・債務の視線で捉えたがるあまり、「誰かの資産=誰かの負債」論を貨幣にも援用できると思い込んでいるようだが、はっきり言って「誤用」であろう。

それが真であるのは、銀行の預貸金や政府の国債のような双方の間に債権・債務関係が成り立つ場合のみであり、モノやサービスの売り買いみたいにその場で決済・清算されてしまうものにまで経済の大原則とやらを被せるのは不適切だ。

“教科書に書いてあるから~”の類いに至っては、レベルが低すぎてコメントする気にもならない。
「本当に貨幣が負債なのか否か、自分の頭を使ってよく考えろ!」と言っておく。

MMT論者は、雇用保障プログラム(JGP)、つまり、政府や地方自治体による雇用創出事業を勧めており、これはこれでよい。
ただし、既存の地域おこし協力隊みたいな不安定かつ低賃金な短期雇用をいくら増やしても大した効果は生まないだろう。

ジョブトレーニング的な“雇用対策にきちんと取り組んでますよアピール”はもう要らない。
そんなものは、失職者に無理やり名刺を与えるための一時しのぎでしかなく、職務経歴をバージョンアップさせるのにクソの役にも立たず、失職者を正規雇用の座に就かせるための期間をいたずらに浪費するだけに終わる。

MMT論者がお嫌いなベーシックインカムにしても同じだが、MMTは政府の非制限的財政支出能力を謳う以上、財出の使い道をやたらと選別したがる悪い癖をいますぐに止めてもらいたい。

失業者対策を行うに当たり、おためごかしのJGPに逃げるのではなく、堂々と公務員の大増員に言及すべきではないか。

我が国の人口当たりの公務員数は他国より少ないし、民から公への人材流入によって、日ごろからお役所批判を繰り返す国民にお役所仕事を改革させるチャンスを与えることにもつながる。

また、公務員と民間とで人手の争奪戦を繰り広げることが、いまだに奴隷労働を探し回る民間経営者の意識を変える良いきっかけにもなるだろう。

筆者が他者の経済論を評価するに当たり重視するのは、「貨幣を経済拡大や国民生活向上、ひいては国富(生産力や技術力)増強のツールとして割り切って使う度量や胆力があるか否か」という点に尽きるが、貨幣負債論者は、リフレ派同様、その点の覚悟が十分ではないと感じている。

2019年3月16日 (土)

貨幣負債論はリフレ派と同じ運命を辿る

『現代金融理論MMTは「完全なナンセンス」』(ブルームバーグ3/13)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-13/POA9WH6K50XT01
「「現代金融理論(MMT)」否定陣営にダブルライン・キャピタル共同創業者のジェフリー・ガンドラック氏が加わった。
 同氏は12日のウェブキャストで、MMTは「大規模な社会主義的プログラム」を正当化するために利用されている「完全なナンセンス」だと論じた。
 MMTを信奉するエコノミストらは、米国は自国通貨で借り入れているので、返済のためには通貨を発行すればよく、破綻することはあり得ないと主張する。ガンドラック氏は「この議論の問題点は、それが完全に誤っているということだ」と述べ、MMTは長期債の「重大なボイコット」につながる可能性があると付け加えた。
 さらに「この議論はばかげている」とし、「小学1年生には正しく聞こえるかもしれないが、景気が悪化したらどうなるのか」と問い掛けた。
 米国が来年リセッション(景気後退)に陥れば、MMTは単なる理論以上のものになる可能性があるとして、米国がMMTの実験に向かっているかもしれないとも述べた(略)」

MMTに関する議論がアメリカで盛り上がっているようだ。

同理論は通貨増発による景気刺激策を訴えるものゆえ、予想どおり、周回遅れの緊縮主義者や構造改革派といった“既得権益者”から激しく攻撃されている。

「完全にナンセンス」なのは、いくらでも造り出せる貨幣の支出を惜しみ、国内の社会保障プログラムの充実やインフラ整備、技術開発力の高度化、教育の充実といった重要課題を放置したり、自国通貨建て国債の返済を危ぶんだりする“経済ド素人”の方だろう。

MMTを含む積極財政派による“米国は自国通貨で借り入れているので、返済のためには通貨を発行すればよく、破綻することはあり得ない”との主張は、経済を理解するうえで極々初歩的な「常識論」にすぎないが、貨幣を負債やペナルティの類いと思い込み、むやみに増やしたり分配したりできないと考えるブードゥー経済論者には、そういった常識すら理解するのが難しいのか…

ガンドラック氏は、「(国債償還のために貨幣なんか発行したりして)景気が悪化したらどうなるのか」とマヌケなことを言っているが、貨幣発行を財源とする積極果敢な財政支出の目的は景気を加熱させるためであり、よしんば景気悪化期に実行するとして、「大増税+大緊縮or聖域なきバラマキ」のどちらが景気回復に資するか、小学生でも解るはずだ。

こうした議論は、やがて日本のマスコミによっても報じられ、国内にも伝播するだろう。
MMTは、アメリカ以上に頑迷な緊縮脳まみれの日本人にとって刺激の強すぎる理論であり、相当な反発を喰らうであろうことは容易に予想がつく。
というより、端から聞く耳を持たれぬまま、ガン無視される可能性が強い。

筆者のMMTに対する立場は、これまで何度も説明しているとおり、
①通貨発行権に基づく政府支出の無限性と、それによる社会的課題のスピーディーな解決を訴える部分は大いに賛同する。(→従前からの筆者の主張とも一致するため)
②ただし、貨幣負債論や租税貨幣論のような緊縮主義者をアシストするだけの空想上のゴミくず論は真っ向から否定する
というものだ。

これを踏まえて、MMTに関わる議論が我が国に上陸した際に、国内のMMT論者が恥をかかぬよう、いくつかアドバイスしておきたい。

まず、彼らに言っておきたいのは、「持論を国民に解ってもらいたいのなら、なぜ、貨幣が負債なのか、自分たちの言う“負債”とはどういう意味なのか、箇条書きで具体的に明示すべき」ということだ。

国民の貨幣に対する興味や理解の深さは様々だ。
①貨幣は負債ではない(否定派)
②貨幣を負債呼ばわりするのは違和感がある(懐疑派)
③貨幣は負債だ(肯定派)

国民の多くは上記①②に属すると思われるが、これまでの貨幣負債論者の説明は、あまりにも穴だらけで雑すぎた。
「何で貨幣を負債と思うの?」という疑問や質問に対して、「そもそも貨幣は負債なんだよ。そんなことも解らないの? ┐(´д`)┌ヤレヤレ」という不遜な態度から説明をスタートさせるのは身勝手すぎる。

“貨幣が負債であるか否か”という初歩的な次元や段階で、周囲から疑念の声が上がっているにもかかわらず、そこをすっ飛ばして、いきなり「貨幣は負債なんです」から説明を始めるのは、真摯な態度とは言えず、正直いって傲岸不遜かつ不誠実としか思えない。

だいたい、不況続きでカネのない国民に、“負債だ、債務だ”とがなり立てたところで、「へぇ~お金って負債なんだ。ってことは、国の借金なのか… こんなものを無駄遣いさせられないな」と、かえって消費意欲をシュリンクさせ、国民にカネを使わせるのが大嫌いな緊縮主義者(反国民主義者)を歓ばせるだけだ。

貨幣負債論者は、「負債」というネガティブワードの使用を控え、もうちょっとマシな修飾語を探してはどうか?

「誰かの資産は誰かの負債」という経済原則を援用した負債肯定論も的を外している。
そもそも、前段の大原則は、双方が債権債務の関係にある場合のみ通用するものであり、他者から借りたものではない貨幣にまで適用するのは不適切だ。

既に所有する貨幣の価値や通用力を保障し、その資産性を担保するのは貨幣負債論のようなバカげた空想ではなく、国定貨幣や法廷貨幣の制度を定めた法律であり、ひいては、法の力を担保する(国家を運営する国民の生産力や技術力等に裏打ちされた)国家の存在そのものである。

また、「貨幣が負債でないとすると、●●を説明できない」的な言い訳もよろしくない。
そんなか弱い状況証拠を見せられても国民は納得できないし、メソポタミアとかヤップ島のツケ払い帳を引き合いに出されても、頷く者は一人もいないだろう。

貨幣負債論支持者は、否定派や懐疑派に対して、きちんと、「●●だから貨幣は負債なのだ」と解りやすく説明すべきだし、何度も言っているように、『貨幣が負債だとしたら、誰が誰に対して、何を以って、いつまでに返済・清算すべきか』という簡単な質問に対して、逃げ回ることなく誠実に答えねばなるまい。

彼らの「お金は借りることで発生し、返済することで消滅する」との主張も、お金は「造ること(政府紙幣)」でも発生することを意図的に見落としており、片手落ちとしか言えない。

「国債増発=お金を借りる=政府債務の膨張」という経路で経済成長の糧を得ようとするのは一つのやり方であり、筆者も賛同する。

ただし、企業や家計といった民間経済主体が、投資や消費のために「借りる=債務膨張」に積極的になれるのは、一旦借りた債務を(収益という果実を財布に入れたうえで)将来的に返済できるだけの裏付け(増収・増益)が見込めるという強い確信が必要になる。

マクロレベルで売上や収益を上昇させるためには、民間経済主体の実質金利低下期待や債務膨張意欲を煽り続けねばならず、バブル発生と崩壊のリスクと常に隣り合わせにならざるをえない。

経済発展の過程において債権・債務が膨張するのは当然の現象だが、こと長期不況からの脱却、つまり、ゼロではなく大幅なマイナス地点からアクセルを吹かすケースのやり方として、債務の膨張に頼るメソッドは、リフレ派による金融緩和万能論と同じく失敗を招くだけに終わるだろう。

人々は“債務や負債”に怯えと嫌悪しか感じず、負債縮小の為なら成長や幸福への期待を放棄することすら厭わぬ覚悟を決めてしまっている。
自分たちの生活向上よりも、国の借金とやらを減らすことを優先しても構わないと諦めてしまうバカな国民のなんと多いことか…

かような状況下で、「貨幣は負債だから、政府負債が増え続けるのは当たり前」なんてドヤっても、何も始まらない。

経済成長に伴い政府負債(国債)が増え続けるのは事実であり、在るべき姿なのだが、貨幣負債論を前提に、これを緊縮脳に染まり切った国民に納得させるのは不可能だ。

国民は「負債」という言葉自体に怯えにも似たネガティブな感情を抱いており、政府負債を増やせと叫んだところで、「どうせ、後で重税を課すつもりだろ‼」、「私たちの税金が~」と猛反発を喰らい、「お金は負債なんだろ? なら、国債をどうやって返すんだよ‼ 借金を借金で返すのか??」と馬鹿にされるだけだろう。

負債や債務を恐怖する勉強不測の国民を安心させるためには、貨幣を負債呼ばわりしてはならない。

多くの国民は、政府が抱える負債は最終的に自分たちが被らねばならないと、妙な正義感に囚われており、「政府の負債拡大→民間経済の活性化→経済発展→所得UP」という簡単なロードマップすら描けないでいる。

彼らを安心させるには、何者にとっても負債や債務ではなく、国内にあるあらゆるモノやサービスとの交換価値が保証される絶対的な資産性を有する存在、つまり、『貨幣』を大胆に供給する姿勢を政府が明示することが重要だ。

自分たちが税金を搾り取られるのではないかと国民を疑心暗鬼させるのではなく、国民が(高インフレの発生防止という最大の責務を除いて)自分たちの責任外の財源を得て、社会的課題の解決に邁進できる体制や基盤づくりこそ望ましい。

その手法を具体化するのが通貨発行権の執行であり、これを既存の国債増発を併せて、もっと積極的に活用すべきだろう。

現行の不況下で負債拡大論を先行させるのは、あまりにも筋が悪い。
政府紙幣の増発により国債増発をアシストし、資産・所得拡大論を先行させ、人々が現状の所得に満足し、将来にわたる増収期待に強い確信を得ることができれば、負債は黙っていても増え続けるものだ。

2019年3月14日 (木)

財政赤字を気にするブードゥー教徒

筆者は、3/7にアップした記事『MMTに期待すること』(https://ameblo.jp/kobuta1205/page-2.html)にて、MMT論の支持者に対し、
①一般国民の支持を得られそうにない貨幣負債論と租税貨幣論は一旦横に置くべし
②そのうえで、MMTの根幹である“自国通貨発行権に基づく政府の非制限的な財政支出能力を活かした大胆かつ無選別の財政政策”を積極的に訴えるべき
と述べた。

下記のロイター記事によると、MMT支持者の経済学者が、財政赤字限界論に固執する御大級の学者たちを向こうに回し、財政赤字よりも社会的課題解決を優先すべしと訴え、奮闘している。

記事で紹介されたステファニー・ケルトン教授が、貨幣負債論や租税貨幣論にどの程度こだわっているかは知らぬが、「財政赤字なんて、社会的課題解決という大目標を前にすれば、取るに足らぬ些末事に過ぎない」という主張が、マスコミを通じて広く周知されることは非常に意義深い。

大多数の国民は「財政赤字=絶対悪」と盲目的に信じ込み、財政赤字がもたらす国民所得の増進、技術革新、産業発展、医療や福祉・教育の充実、貧困の根絶などといった莫大な社会的効用に気づくことなく、財政赤字を嫌悪し緊縮財政を受忍することにより、社会問題解決や構造改革のチャンスを自らゴミ箱に放り投げ続けてきた。

筆者は、MMTに関わる論争が「財政赤字は悪くない→“財政赤字=積極財政”は社会的重要課題解決につながる良薬だ」という常識が浸透するきっかけになることを願っている。

『「財政赤字は悪くない」、大統領選にらみ米国で経済学論争』(ロイター)
https://diamond.jp/articles/-/196615
「ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏とローレンス・サマーズ元米財務長官は過去3週間、ツイッターやテレビ、新聞のコラム欄を活用して、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授に反論を重ねてきた。
 ケルトン教授は、政府予算や財政赤字は完全雇用やインフレを実現するために積極利用すべしという「現代金融理論(MMT)」の強固な提唱者で、2016年の前回大統領選ではバーニー・サンダース上院議員の顧問を務めた。
 ケルトン氏の主張に対し、クルーグマン氏は「支離滅裂」と一蹴し、サマーズ氏はワシントン・ポストのコラムで新たな「ブードゥー経済学(魔術のようで理論的に怪しいとの意味)だ」と批判した。(略)
これほどの発想転換は、平時なら思いもよらないだろう。(略)
ケルトン氏に至っては、政府ができるし、やるべきだと考える範囲はもっと広く、債券市場や外国為替市場が許さないことを地球を救う支出を抑制する理由に挙げるのは、かなり筋が悪いと主張する。(略)
 またケルトン氏は、米国の通貨発行権を完全雇用や温暖化対策の財源確保などの実現に活用すべきだと論じている(略)」

クルーグマンやサマーズらはケルトン氏をこき下ろすくせに、自分たちは、インフラ整備や教育・社会保障の拡大、雇用の確保と質の向上といったアメリカが抱える諸問題を、カネを使わずに完全かつスピーディーに解決できる方法を何ら示すことができない。
(一時、クルーグマンはリフレ派から積極財政派に転向したと言われたが、いまだに未熟なリフレ論から離れられないらしい…)

国民に重税を課し、カネを使わせないよう我慢を強いて捻出したカネを財源に福祉や教育、貧困、インフラ問題を解決できると本気で思っているのなら、彼らこそブードゥー経済学にも劣るジャンクと言えるだろう。

財政支出を経済発展や国民生活向上に活用しようとするケルトン氏の主張は、次のコラムに紹介されている。
『ステファニー・ケルトン「財政赤字は気にしなくていい」』
http://econdays.net/?p=9268

インタビュアーの質問に答える彼女の論をいくつかピックアップしてみる。

「ツイッターで民主党は1.5兆ドルでどんな健全な投資をするのかと聞かれました。こんなことができます。インフラ整備に6500億ドル、公立大学の授業料無償化に7500億ドル、プエルトリコに1000億ドル。あるいは、1.4兆ドルですべての未払い学生ローンの棒引き。または、社会保障拡大に1.2兆ドル。共和党がもうお金なんて必要ないお金持ちにただ同然に渡したがっている1.5兆ドルを、アメリカ国民に渡すのです」

「国の財政赤字があるという理由で憤慨して朝目覚めるひとはいません。彼らが怒っているのは、給与が上がらなくなったから、退職後が心配だから、そして子どもたちを学校に通わせ続けられるかどうか心配だからです」

「誰も経済がその可能性より低いパフォーマンスをすることを望みません。雇用できる限りの労働力や使える限りの資本の投入をして、経済がその可能性を完全に達成することを、みんな望んでいるのです。ひとびとが条件の悪い雇用のもとで働いたり失業者になったりしてもらいたくはないでしょう?完全雇用がほしいのです」

「MMTが何を主張しているかというと、アメリカのように自国通貨を発行できる国はギリシャのようにはけっしてならないということです。自国通貨を持つ国の政府は、請求書が払えなくなるような状況に陥ることはありません。アメリカ政府は売られているものは何でもアメリカドルで買うことができます」

「もし私がアメリカ議会で支出の許可権限を持っているとしたら、座ってこう言います:「インフラ整備に1.4兆ドル。どうやってやるかって?私がたった今、許可しました。それだけよ」って。政府の支出はセルフ・ファイナンスである(資金調達を自ら行っている)と私がいうのは、政府支出というのは私たちが車を買いに行くときのように資金をあらかじめ用意するわけではないという意味です。(略) 国会議員が、インフラ整備、教育、社会保障の拡大などの何らかの法案を提出します。すると法案の採決があります。例えば、戦争を取り上げてみましょう。「国防にお金を使います」、するとこの法案に各国会議員は賛成か反対の票を入れます。前もって資金調達を手配したりはしません。(略) 要は、議会が支出を許可すれば、お金は使われるということです」

「限界は現実の経済の中にあります。もし私がアメリカ政府なら、「すべての国民の健康保険、あらゆる分野の高等教育、そしてインフラ整備の法案を通したい」と言います。私たちにはもっと病院、大学、教師が必要ですし、改良された道路や橋も必要です。もし経済が完全雇用を達成していてもう雇用可能なひとが誰もいなくなったら、どうしたらよいでしょうか。限界は現実の経済の中に存在するのです」

彼女の主張を踏まえて、筆者が抱いた感想は、
①財政赤字や国債累積を心配するあまり、社会的諸課題解決を放置したままにするのは鈍物の証し
②通貨発行権の存在を認めておきながら、財政支出の行き先を選別したがるのは愚者の証し
というもので、管理通貨制度が一般化した現在において財政収支それ自体を議論することの愚かさを訴え、財政支出を国民の生活向上を妨げる諸問題根絶のためのツールとして積極的に活用しようとする彼女の経済観を高く評価する。

MMT論者が、貨幣負債論や租税貨幣論という子供じみた言葉遊びに躓くことなく、財政赤字にまつわる妄想や幻想の類いを払拭する論を張ることは大いに歓迎したい。

世界一の経済大国であるアメリカとて、貧困や失業、質の悪い雇用、医療・福祉レベルの低下、インフラの老朽化といった社会的課題と縁を切ることができず、世界トップの経済大国に暮らす国民という地位にふさわしい生活を送れるものは、3億人を超える国民のうちごく僅かだ。

上記インタビューの中でケルトン氏は、財政支出の限界は赤字額ではなく、支出されたカネを付加価値のあるモノに変えるために欠かせない労働力・資材・資源などといった生産力や供給力にあると主張する。

これは、天然資源や一次資源を国民の生活向上に資する物品やサービスに変換する「生産力・供給力・技術力」こそが最重要の国富であると主張する筆者の考えとも一致する。

地下に溜まったガスや大海を泳ぐマグロは、それらを家庭のコンロの火力に変え、美味しい寿司ネタに加工する技術があってこそ、初めて“資源”と言えるのだ。

地球上に存在する気体や魚類を、生活を潤す資源に変換する技術を維持し、磨き続けるためには、人々の意欲を刺激し、そうした行為に没頭させる動機や報酬が必要になる。
それこそがカネの果たすべき役割なのだ。

カネなんてものは国民や政府の意志により制限なく造り出せるツールに過ぎない。
財政赤字とかPBを心配するあまり、国民に重税を課してカネを取り上げ、実体経済に放出するカネの量を絞ってしまうと、企業や国民の収入が減り、生産力や技術力は減退を余儀なくされ、国富は腐敗へと進む。

国富たる生産力や技術力を失った国家の国民は、いったい何を支えに生活を維持できるというのか…

筆者が国債増発や政府紙幣発行を財源とする積極財政論を口うるさく訴え続けてきた真意はここにある。

国民の生活を最終的に支え得るのは国民自身しかいない。
国民自身が、貧困や失業により、就業を通じてしか得られない技術や労働に対する前向きな意欲を失ってしまえば、国家はおろか、社会生活を支える基盤は瞬く間に崩壊の危機を迎えるだろう。

“カネが惜しい、無駄遣いは悪、国債は将来世代へのツケ送り、給付金は怠け者を増やすだけ”云々と愚痴を吐き続け、財政赤字を攻撃し、財出の行く先を選別したがる大バカ者たちは、真の国富、最凶の国難とは何たるかをまったく理解できないブードゥー教徒でしかあるまい。

2019年3月11日 (月)

不毛な二者択一論は幼児性の証し

『甲状腺がん診断...15年間で『韓国17倍』 福島医大・国際シンポ』(福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20190116-342446.php
「建国大(韓国)の耳鼻咽喉・頭頸部(とうけいぶ)外科のリー・ヨンシク教授は15日、福島医大が福島市で開いた国際シンポジウムで講演し、韓国で広範囲に甲状腺超音波検査が行われるようになった結果、「甲状腺がん」と診断された人が15年間で約17倍に急増したことを報告した。リー教授は、甲状腺がんと診断される人の急増は「超音波検査の乱用が引き起こした過剰診断の見本だ」と見解を示し「治療の必要がない微小ながんまで見つけて手術することで、恐怖をあおる結果を招いた」と述べた。(略)
 リー教授は韓国の経験を踏まえ「原発事故を経験した福島の人々が甲状腺がんを不安に思うのは当然だが、超音波検査で見つかる微小ながんのリスクが小さい以上、検査が生み出すがんへの漠然とした恐怖の方がより大きな問題になり得る」と話した。
 リー教授は甲状腺がんは触診で分かる大きさになってからでも生存率が97%超だったとのデータも示し「福島でも甲状腺の超音波検査はやめ、定期的な触診が甲状腺がん予防に十分役に立つ」と述べた。(略)」

『甲状腺がん検査「発見率の上昇なし」 福島医大が研究結果報告』(福島民友ニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190223-00010014-minyu-l07
「東京電力福島第1原発事故後、県が県内全ての子どもを対象に実施している甲状腺検査を巡り、福島医大は22日、国連の報告書を基に甲状腺吸収線量と甲状腺がんまたはがん疑いの発見率の関連性を調べた結果、線量の上昇に伴う発見率の上昇は確認されなかったとの研究結果を報告した。(略)」

東日本大震災の津波被害を被った東京電力福島第1原発事故に端を発して、反原発ゴロや過激な左翼思想に駆られたクズどもによる「福島=放射能汚染」という許しがたいレッテル貼りや暴言が横行し、彼らのあまりにも無責任かつ人非人的な態度に、筆者は大いなる怒りを覚えていた。

だが、案の定、上記報道のとおり、福島県内の放射能による健康被害など存在せず、“福島の子供たちは甲状腺がんの高リスクに晒されている~”という脅し文句が悪質な大嘘であることがバレてしまった。

「治療の必要がない微小ながんまで見つけて手術することで、恐怖をあおる結果を招いた」という趣旨の指摘は、反原発派による大嘘の流布を諫める論者から、これまでもたびたびなされてきたが、今回、リー教授という利害関係のない第三者から同様のコメントが得られたことは大きい。

反原発ゴロの薄汚い連中は、自分たちの思想をゴリ押しするために、福島に暮らす方々を貶め続けてきた罪の重さを思い知るべきだ。

ゴロツキどもが「福島の子供=甲状腺がんに罹患」というデマをばら撒くたびに、我が子の健康は大丈夫だろうかと不安に駆られ、ストレスを抱え込んだ親御さんも多数いらっしゃったに違いない。
ただでさえ、避難生活の負担を抱え、福島県産の農水産物に対するいわれなき白眼視に耐えながら、お子さんの健康不安を煽るような暴言に晒され続けた方々の心情たるやいかばかりかと同情を禁じ得ない。

罪深いゴロツキどもは、反省の色を形で示すためにも、“「私は原発憎しで大嘘を吐いた馬鹿です」と背中に書いた法被でも着て、浪江町や双葉町に行き、向こう5年間、毎日草むしりでもやってこい‼”と言っておく。

さて、世間に大嘘を撒き散らしているのは、反原発ゴロだけではない。
ネットを見ても、「経済成長は不要」、「公共事業は要らない、減税や給付金を‼」と叫んで、緊縮主義をアシストする経済無知の大バカ者が散見される。

経済成長不要論や公共事業嫌悪論を唱える者の特徴は次のとおり。
①自分の懐には成長の果実が一切入ってこないと思い込んでいる
②成長に伴い仕事が忙しくなりストレスが増えることに怯えている
③成長の果実を享受できる層と自分との経済的差異が大きくなることに嫉妬している
④そもそも、“経済成長”の意味をまったく理解していない
⑤公共事業はDQNばかりの土方やゼネコンにカネをばらまくだけで、自分には恩恵がないと思い込んでいる
⑥公共事業より、確実に自分の懐に入ってくる減税や給付金を欲しがる

経済成長不要論を唱える連中も一枚岩ではない。
A 緊縮思想を崇拝するあまり財政拡大を伴う経済成長を忌み嫌う者
B 積極財政派の論者への嫉妬心から意図的に経済成長を貶めようとする者
の2種類に分別される。

特にAの緊縮派は、20年不況を経てもなお国民の大半を占める一大勢力で、「国債=国家・国民の借金=次世代への負の遺産」という妄想の呪縛にあえて囚われたままでいようとする、いわば『幸福恐怖症患者(幸せを敬遠し、不幸に安らぎを感じる病気)』とでも呼ぶべきか。

彼らは、“国債は借金、借金は悪、借金が増えるくらいなら死んだ方がマシ”と頑なに信じ込んでおり、理を以って諭すのは不可能に近い。
狂信者に何を言っても徒労に終わるだけ。

彼らの意向など無視して積極財政を行い、彼らの不平不満を踏み越えつつ、経済成長と所得倍増といった体感可能な“実績”で黙らせるしかない。

一方のBに分別される嫉妬集団には、常識とか理性を以って接する必要はない。
ただひたすらバカにしておけばよかろう。

この手の連中は、“経済成長しても自分には何の益もない”と拗ねるのがお約束だが、経済成長の意味を何も分かっていない。

経済成長とはGDPの成長を意味し、その目的は国民所得の増大と、それが惹き起こす産業力や技術力の強靭化に他ならない。

GDPの分配面から分解すると、「雇用者報酬」という国民の取り分が50%近くを占めているが、経済成長の重要性を唱える者が目指すのは、この“国民の取り分”を増やすことである。

嫉妬集団の連中は浅はかな勘違いをしているようだが、経済成長の果実として国民所得が増えるのではなく、「適切な経済政策が国民所得の増大をもたらし、その結果として嫌でも経済が成長してしまう」というのが正しい。

経済成長は不要というのは、「オレの給料が減っても構わない」というのと同じこと。
マクロ経済を眺める際には、自分たちの給料が増えた結果、経済も当然成長するものだと見方を変える必要がある。

それが解かれば、「経済成長か、身の丈に合った生活か」という二者択一論に固執することが、いかにバカバカしいことかすぐに理解できるはずだ。

他国がガンガン成長を続ける環境下で、我が国だけがのんびりと身の丈生活など享受できるはずがなかろう。
途上国の国民が経済的に裕福になり、衣食住のランクを上げ始めると、世界中の原材料や食糧、エネルギー価格が上昇するから、“もう成長は要らん。オレはのんびり暮らすから”と安穏とできると思っているなら大間違いだ。

自分たちの所得を他国に負けぬくらいのスピードで上げていかないと、資源や食糧価格の高騰という悪性のコストプッシュインフレに苦しめられるばかりか、買い負けにより端から物品が手に入らないという惨事に直面することになろう。

長期間にわたる不況の放置により、国内のモノづくりが壊滅状態の危機に瀕している状況下で、資源や食糧の不足に見舞われ、コストプッシュインフレの襲来を喰らうことの恐ろしさを噛みしめてみるがよい。

また、「財政支出=公共工事増」と話を矮小化し、公共事業悪玉論を吐き散らすバカにも呆れ果てる。

まず、財政支出の拡大を唱える積極財政派の中に、公共工事だけを増やせと言う者はいない。
公共工事は無論のこと、社会保障費(医療や福祉等を含む)、科学技術振興費、農業予算、防衛費、産業振興予算、教育費などあらゆる予算を拡大し、国内産業の基盤強化と労働者の所得を増やせと訴えている。

積極財政派が公共工事をクローズアップしがちなのは、我が国の国民生活や産業基盤を支える社会インフラが、度重なる緊縮政策により新規整備や更新投資が放置され、向こう20年間で崩壊の危機に瀕している事実を重く見ているからに他ならない。
【参照先】http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/maintenance/02research/02_01.html

仮に国民が豊かになったとして、港湾の岸壁がボロボロ、橋やトンネルも崩落といった惨状で、せっかくAmazonでポチったモノが満足に届かないようでは元も子もない。
(そもそも通信回線がズタボロで、ネットがつながらなくなるかも…)

「公共工事か、減税・給付金か」という選択論に固執する輩は、経済をマクロ的に俯瞰できぬ蚤や虱の類いでしかない。
インフラ投資と減税や給付金とを天秤にかける発想自体に、周回遅れな幼児性を感じる。

インフラは国民の社会生活と産業基盤を下支えする揺り籠であり、減税や給付金による実質所得の増加は、GDPの根幹を占める個人消費の強力な牽引力となり経済発展に欠かせない。

くだらぬ二者択一論はいますぐ捨てるべきだ。
公共工事も善し、減税・給付金も善し、国民の生活を支え、国民を豊かにする政策であれば、どちらか一方を排除すべきではない。
無理を推しても両方やればよいだけだ。

2019年3月 7日 (木)

MMTに期待すること

MMT理論(現代貨幣論)を構築する基盤の一つに「内生的貨幣供給論」なるものがある。

これは、“需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論”と説明され、中央銀行がベースマネーの量を制御することでマネーストックの量を制御可能だという、いわゆる「外生的貨幣供給論」の対立概念だと位置づけられている。

これを信奉する論者によると、「内生的貨幣供給論」とは、銀行が民間に貸出を行った結果として預金(マネーストック)が創造される、つまり、銀行の貸出行為によって預金が生まれるという意味だそうだ。

一方、「外生的貨幣供給論」とは、中央銀行が売りオペ・買いオペや、準備預金量の調整を行うことにより銀行の貸出量をコントロールできる、つまり、中央銀行の意志でマネーストック量を制御できるということらしい。

なぜ、両者が対立概念にあるのかというと、“貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります”との説明がある。
【参照先】https://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12442893865.html

つまり、MMT支持者によると、貨幣数量説や金融緩和万能説を唱えるリフレ派は外生的貨幣供給論に位置づけられ、内生的貨幣供給論を軸とするMMTとは真反対の立場にあるそうだ。
【参照先】http://shavetail2.hateblo.jp/entry/2019/02/17/100049

国債と準備金を両替しただけで空砲に終わった黒田バズーカ、実体なき経済成長が単なる統計偽装だったことがバレたアベノミクス…、これらを熱狂的に支持してきたリフレ派は、壮大な社会実験を経ての大失敗を認めようとせず、いまだに“アベノミクスで雇用激増‼”と強がってみせるが、負け試合という結果は変わらない。

醜態を晒すリフレ派と同属に見られたくないというMMT支持者のお気持ちはよく解かるが、経済の内外を区分するのに、銀行と民間が内部、中央銀行は外部という線引きは、いささか勇み足ではないか?

筆者は、リフレ派と貨幣負債論の貨幣観は対極にあるどころか、かなり近似していると思っている。

リフレ派が、行ったきりのカネ(財政政策)を嫌い、戻ってくるはずのカネ(金融緩和)に固執するのは、「貨幣=負債→むやみに放出できない存在」だと思っているからに違いない。

これに対して、“リフレ派は大規模な金融緩和政策を主張し、日銀による数百兆円規模の国債買取で金融市場に莫大な資金を放出したではないか?”との反論もあろう。

しかし、金市場に供給したのは“直接的に所得として使えるカネ”ではなく、“返済義務を伴う借りるためのカネ”だから、そんなものをいくら増やしても意味がなく、資金を放出したことにはならない。

リフレ派の連中の経済観は新自由主義との親和性が高く、国民所得を直接的に増やす政策(財政政策)への忌避感が強い。(財政政策を否定しないという彼らの言い訳は、まったく信用できない)

彼らの経済政策の主軸は、あくまで金融政策、つまり、行ったきりのワンウェイのカネ(所得や売上に直結するカネ)ではなく、貸借や債権債務で縛られリターンを前提とするカネ(融資や貸出金としてのカネ)を土台としている。

要は、「政府は余計なカネを使いたくない。期待インフレ率を引き上げるから、いま投資しないと先々損するよ。投融資に必要なカネは用意するけど、後は民間同士で稼いで利息を付けて返してね。間違っても政府に甘えようなんて考えないように」というわけだ。

ゆえに、リフレ派は財政政策を声高に訴えない(※時々、財政政策を口にするのは、金融政策がどん詰まりになって話の接ぎ穂に困ったときだけ…)し、政策の成果を国民所得の向上ではなく、税収増に結び付けて語りたがる。

さて、筆者が彼らの内生・外生の区分方法に違和感を覚えるのは次の点である。
①内外の線引き以前に、肝心の「政府」はどこに行ったのか?
②経済活動の内部に位置づける「コア・プレーヤー」は銀行と民間だけでよいのか?
③中央銀行と市中銀行との関係性を考慮すると、両者間に境界線を引く意味がまったく不明。単に、敗戦が確定したリフレ派との対立構造を演出したいがために恣意的な線引きをしただけではないか?
④貨幣が賃借から生まれるという貨幣供給論ばかりがクローズアップされるが、金融の役割は、本来、経済活動の資金供給をアシストする円滑剤でしかない。
⑤彼らの云う「内生」も「外生」も、貸借により貨幣を発生させるという金融論の域を出ておらず、こんな線引きに意味はあるのか?

MMT支持者の方々から、自分たちは貨幣供給論を論じているだけと反論がありそうだが、貨幣は負債や債務だけから生まれるわけではない。

現に、政府発行の硬貨が流通しているとおり、通貨発行権という大権を有する政府の意志で生み出すこともできるのだから、貨幣供給論を論じるに当たり、肝心かなめの「政府」を外すのはおかしい。

「貨幣的主権を持つ政府は貨幣の独占的な供給者であり、物理的な形であれ非物理的な形であれ任意の貨幣単位で貨幣の発行を行うことができる。そのため政府は将来の支払いに対して非制限的な支払い能力を有しており、さらに非制限的に他部門に資金を提供する能力を持っている。そのため、政府の債務超過による破綻は起こりえない。換言すれば、政府は常に支払うことが可能なのである(Wikipedia)」というMMTの根幹的主張を自ら汚すことにならないのか?

政府の貨幣製造・供給能力をこそこそ隠そうとせず、その活用をもっと堂々と訴えればよい。

国債発行という政府負債の拡大により、貨幣を実体経済に供給するのが、積極財政論の本筋であるのは間違いない。

だが、ほとんどの国民は、「国債=借金=将来世代へのツケ回し」と信じ込む緊縮主義者であり、国債増加は税負担増加を招くと怯え、“私たちの税金が~”と叫びながら、国債を一円でも減らそうと鬼の形相で財政支出を口汚く非難する。

ここで、「貨幣は負債です」論や「国債増加宿命論」で正面突破を図ろうとするなら敢えて止めないが、借金恐怖症に駆られた国民から悪質タックルを喰らって病院送りにされるだけだ。

“私たちの税金が~”という雑音が届かない財源を確保するためには、国債発行と並行し、政府による貨幣製造、つまり、政府紙幣の発行をもっと一般化させる必要がある。

現在の政府紙幣(硬貨)発行量は年間2,000億円ほどと、あまりにも少なすぎる。
まずは、これを20兆円くらいに拡大させ、財政政策の自由度を高めていくべきだ。

筆者は機能的財政論の立場から、MMTの政府の支払い能力無限論(=貨幣発行無限論)を支持している。

だが、MMTを支持する方々が、同じ文脈から、なぜか給付金拡大やベーシックインカムを敬遠し、あまりにも公共工事などのインフラ投資に偏った財政支出を主張する様を残念に思っている。

“政府は将来の支払いに対して非制限的な支払い能力を有している”のなら、公共工事か、給付金かといった択一論にこだわる理由などなかろう。
国民ニーズの強い政策なら、双方を天秤にかけて一方を排除する必要はない。

MMTを支持する方々には、政府の絶大なる貨幣供給能力を十分に活かした議論を期待したい。

2019年3月 4日 (月)

政府は、とにかくカネを使え

『富士通、希望退職2850人=461億円の費用計上-今期』(時事通信社)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00000088-jij-bus_all
「富士通は19日、ITサービス強化と間接部門の合理化を目指したリストラ策の一環として実施した希望退職者の募集に、2850人が応募したと発表した。退職日は3月31日で、割増退職金などの費用として2019年3月期に461億円を計上する。(略)」

富士通の希望退職募集のニュースは、もはや決算期の風物詩と化した感もあるが、このところ、NECやエーザイ、協和発酵、キリン、アルペン、コカ・コーラなど早期退職や希望退職を募るニュースが後を絶たない。

経営者の連中は、口を開けば「業界は人手不足で人材確保に一苦労だ」とボヤくが、いったい何処の話をしているのか? (要は、安月給&キツいノルマに文句も言えない奴隷が足りないと言いたいだけなんだが…)

名だたる大企業が、屋台骨を長年支え続けたエース級社員たちを冷酷な追い出し部屋送りにする様を見て、「仕事もしない穀潰しの中高年はゴミ箱行き」、「年功序列を排し、真の実力主義の導入を‼」と気勢を上げる若者世代も多いが、10~20年後に自分の首を切り落とす断頭台の切れ味を称賛する頭の悪いバカだろう。
屠殺場行きのトラックを待つ列の後方で屠殺人に喝采を浴びせる豚と同じだ。

豊富な業務ノウハウや人脈を有するベテラン社員を標的に苛烈なリストラと首切りの嵐が吹きすさぶのは、40~50歳代の高所得層(経営視点から視ると高コスト層)を雇うだけの売上や収益を稼げないからで、とどのつまりは、国内のビジネス需要が極度に冷え込んだまま一向に回復していないことに尽きる。

企業の経営資源は「ヒト・モノ・カネ・情報」などと言われるが、ベテラン社員の大量喪失により、経営の根幹たる“ヒトと情報”が一挙に失われ、残ったモノやカネの劣化に直結する。
それを証拠に、大規模なリストラを断行した企業ほど、その後何度も追加リストラを余儀なくされ、企業価値の下落に歯止めがかからない。
リストラという「麻薬」は常習性が極めて高く、自傷行為を伴い経営を蝕み続けるものだ。

こうした企業の体たらくを見るにつけ、国内需要の回復が急務だと思い知らされる。
なぜなら、リストラや人材の使い捨ては、我が国最大の強みである生産力・供給力・サービス力という“国富”を劣化させ、豊かで便利な国民生活を一気に破壊し、貧困と暴力が支配する後進国へと転落させる危険を孕んでいるからだ。

にもかかわらず、内需回復を求める声は相変わらず小さすぎるし、それに欠かせぬ積極財政主義には“ムダ遣い”だの“不正の温床”だのとレベルの低いレッテが貼られ、国民から忌み嫌われている。

筆者は、平成の次の元号が終わる頃に、我が国のGDPはいまの半分以下にまで落ち込み、G7どころかG20から外され、失業率は9~10%にも達しているのではないかと、まじめに心配している。

世界をリードする生産力や技術力、サービス力を何とか維持できている今のうちに、そうした国富に十分な養分を与えられるよう、積極的な財政政策に舵を切らないと、生産力そのものが壊死してしまい、財政政策そのものが効力や意味を失う世界、つまり、需要が供給の高度化につながらず、単にインフレを加速させるだけの暗黒の時代を迎えざるを得なくなるだろう。

財政政策を推す論者は「政府はカネを借りて、使え」と、積極的な国債発行による財源捻出を主張する。
これには筆者も大いに賛同する。

巷には、「1000兆円を超える国債は国の借金。次世代に負債のツケ払いをさせるな」だの、「収入が50万円しかない家が、毎月50万円も借金しているようなもの。増税に耐えてでも無駄遣いを減らせ」だのと、国債の何たるかをまったく理解していない大バカ者の妄言が溢れかえっているが、そんな戯言をまともに相手する必要はない。

本気で豊かになりたいのなら、政府にカネを存分に使わせ、懸命なる労働と旺盛な消費や投資を以って、それを十分に吸収してやればよい。
その過程で、国民の消費に対する欲求はより高度化し、企業はそれに応えるべく生産やサービス技術を磨き、国全体の国富がより堅牢かつ強靭化するという善循環につながるだろう。

くだらない清貧の思想とか、カネの使い道の清濁に関する異様な拘りは、そうした循環と発展を阻害する薄汚い汚泥の類いでしかない。

筆者は、「政府はカネを借りて、使え」に加え、「政府はカネを造って、もっと使え」と主張したい。

前回のエントリーでも説明したが、国家が、経済活動の源泉となる「貨幣」を実体経済に流通させる方法には二つのやり方がある。
一つは、政府が民間からカネを借りる「国債発行」であり、もう一つは、政府が直接的に貨幣、つまり、「政府貨幣(紙幣でも可)」を製造する方法だ。

国債発行は長年の実績やノウハウの蓄積があり、貯蓄超過になりがちな民間経済主体に対する利払いを通じた資産運用の手助け、国債売買のオペレーションによる貨幣流通量の調節、金融緩和や引き締めによる金利水準の調整などといった役割があり、これらは今後も十二分に活用すべきだ。

問題なのは、国民の「国債=国(国民)の借金⇒私たちの税負担が重くなる」という猛烈な国債アレルギーをいかに治癒するかという点だ。

“国債は政府の借金であって国民にとっては資産”、“他国の例を見ても解かるように、国債発行残は永久に増え続けるもの”という説明には合理性があり、聖域なきバラマキを善しとする筆者みたいな人間はたちどころに首肯できるが、借金コワい病を患う多くの国民を納得させるのは極めて難しい。

まして、「皆さんが欲しがる“貨幣”って、ほんとは負債なんですよ」なんて言った日には、「なにぃ~! カネが負債だって? じゃぁ、最後は国の借金を負債で返すの? カネが負債ってことは外国から借りないといけないってこと? ナニいってんのかサッパリ解からんわ??」とバカにされるだけだ。

「世の中には、預金みたいに返すことを許されない借金もある」とか、「国債とは、政府が国民からモノやサービスを借りた証」といった言い訳は通用しない。

預金は金融機関にとって拒否できない借金に等しいが、それを以って国債発行の許容に結び付けるのは難しい。
勉強不測の国民から、「預金(借金)増加に困っているなら、銀行はもっと企業に融資すればよい。何も国債を買う必要はないだろ?」、「銀行が国債を買うのは、政府を甘やかすだけだ」とアホな反論を焚きつけるだけに終わる。

また、政府は国債発行で捻出したカネを財源に様々な事業を行うが、個々の事業の対価は都度清算済みであり、モノやサービスを借りているとは言えない。
政府が借りているのはカネであって、モノやサービスではない。

借金恐怖症に駆られた国民に、いい加減なことを言うと、「政府は国民が貸したモノやサービスを返せ。いますぐ、国債という借金を減らせ」と大騒ぎされるだけだ。

緊縮財政や増税止む無しとばかりに自殺行為を受け容れる国民に訴えるべきは、「政府はカネを借りて、使え」と「政府はカネを造って、もっと使え」の両方であり、どちらか一方だけでよいというものではない。

手段の清濁に固執せず「政府はカネをもっと使え」を実行させることこそが、物事の本質や根幹なのであり、“借りるor造る”の二者択一論争をすることではない。

借りるという行為以外でカネを発生させるのはご法度だなどと時代遅れも甚だしい戯言を言っている場合ではなかろう。

政府がカネを積極的に使えば、民間は必ずそれを追従し、民需隆盛につながる。
政府の役割は、消費や投資は生産力や供給力を強靭化させるために不可欠な行為であるということを民間経済主体に理解させ、実感させるために範を垂れ、先鞭をつけることに他ならない。

カネを使う(=民間のビジネスチャンス拡大、家計所得UP)ことが大切なのであって、“公共事業は仕事を生むから善”、“給付金は怠け者に対する施しだから悪”という幼稚な発想を捨て、公共事業も善、給付金も善、減税も公務員増員も善という原則を理解せねば話は前進しない。

財出拡大を訴えると、ハイパーインフレが怖いから無税国家は成り立たないとか、ベーシックインカムは働く意欲を喪失させるとかいうトンデモ論が沸き起こるが、こういうことを言う論者は、生産の概念を質や付加価値ではなく量でしか測れない「胃袋経済論」に囚われ、日本の工業力を前近代的視点でしか理解していない、呆れるほど周回遅れの経済観しか持ち合わせていない。

ハイパーインフレ対策として絶対に欠かせないのは、生産力の高度化(生産性向上)と人材育成、流通基盤の整備に尽きるが、国富喪失のリスクに直面する我が国のサプライサイドを修復するために、貨幣の資産性を活用した積極果敢な財政支出なしに、どうやってそれを成し得るというのか?

国債=次世代へのつけ回し論や財政破綻論、金融緩和万能論、増税不可避論、貨幣負債論、租税貨幣論などといった類いの愚論を布教するのにムダな時間を費やしている暇はない。。

「政府はカネを借りてでもよい、造ってでもよい。とにかく、もっと使え」と言うべきだ。

2019年2月28日 (木)

貨幣をもっと造れ!

国家(政府)が市中に貨幣(紙幣や硬貨といった通貨)を流通させるには、二通りの方法がある。

一つは、政府が国債を発行し、市中金融機関、あるいは、二次的に日銀に買い取らせ資金調達する、つまり、政府が債務(信用)を拡大させるやり方。
要は、緊縮主義者や財政再建論者が忌み嫌う「国の借金(正確には“政府の借金”)」を増やす方法だ。

もう一つは、政府が直接的に貨幣を発行するやり方で、財務省が毎期立てる「貨幣製造計画」に基づき、独立行政法人造幣局が硬貨を製造し、財務大臣が日本銀行に製造済の貨幣を交付することにより発行する(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律に規定)もので、平成30年度の発行計画額は1800億円ほどだが、毎年2000億円程度の硬貨(政府貨幣)が発行されてきた。
【参照先】https://www.mof.go.jp/currency/coin/lot/2018kaheiseizou-henkou3.html

なにせ国債は毎年40~50兆円、借換債を含むと150~170兆円も発行されてきたのに比べて、1兆円にも遠く及ばない政府貨幣の発行額などコンマ未満のゴミ扱いされ、一般人のみならず、学者やエコノミストまでもが、「貨幣は債務(のみ)から生まれる」という大嘘を信じ込んでいる。(その割に誰もが硬貨を平気で使っているのが不思議なのだが…)

恐らく国民の99.99%は、政府が貨幣を手に入れるためには、緊縮主義者のバカどもから厳しいチェックを受け、“無駄づかいだの、バラマキだの”と罵倒されながら、わざわざ国債という借用証書(=購入者にとっては債権)を発行せねばならないと信じているに違いない。

だが、財務省の連中が堂々と貨幣製造計画を公表しているとおり、貨幣は政府の意志により、特に限度の定めなく製造可能であり、製造した硬貨は、日銀のB/S上で負債勘定に計上される(※筆者はこの会計処理を間違いだと指摘済み)日銀券とは違い、ちゃっかり造幣益(額面金額-製造コスト)として計上している。

財務省をはじめとする緊縮主義のバカどもに遠慮して、「借用書(国債)発行→民間から資金借入→財政出動」という踏み絵を踏ませ、国民の国債アレルギーを敢えて刺激するようなハレーションを起こさずとも、政府は貨幣を直接的に創造(製造)できる大権を有していることを忘れてはならない。

預金や保険料の運用に困る金融機関や機関投資家といった国債購入者へ国債利子をプレゼントするつもりなら構わぬが、政府にそういった意図がないのなら、これまでのような国債偏重型の貨幣発行体制を改めるべきだ。

いまから半世紀近くも前に、貨幣をゴールドに縛り付ける鎖を断ち切った時から、債務型の貨幣発行(国債)のウェートを減らし、直接製造型の貨幣発行(政府貨幣)の比重をもっと高める努力をすべきだったのだ。

無論、日本政府発行の国債は自国通貨建ての内国債ゆえ、いくら巨額になっても何ら問題はないが、「国債=国民の借金=将来へのツケ回し=増税で回収」という妄想から逃れられない一般国民に何を言っても始まらないのが現実だ。

くだらぬ緊縮主義に盲従する国民からの批判を跳ね返し、国債増発を訴えるのはまことに骨が折れる。
積極財政派の論者にはイロハに過ぎぬ「自国通貨建て・内国債・通貨発行権という絶大なる保証」という国債発行無限論を支える三点セットですら、緊縮病に憑りつかれた国民には神経に触る雑音にしか聞こえない。

毎年、わずか1~2兆円の国債増発ですら、“無駄遣いは許さん”、“私たちの税金が~”の大合唱が沸き起こる我が国では、国債増発への道は長く険しい。
こうした苦行を少しでも癒し、実体経済への貨幣供給量をもっとスムーズに増やすためには、一年でも早く政府による直接的な通貨発行への道を切り拓いておく必要がある。

一方、緊縮主義者に邪魔され、国債発行による十分な財政支出額を確保できぬ間に、我が国の内需はシュリンクし、それを養分とする供給力(国富)は年々劣化を余儀なくされている。
このままでは、通貨発行による内需刺激に供給サイドが反応できず、ただただ高インフレを発症させるだけの途上国型経済に堕落しかねない。

我が国の供給力に余力が蓄えられている僅かな時間を無駄にせぬよう、需要力を大規模かつ長期的なスパンで増やし続けることが不可欠なのだ。

そのためには、税収と国債頼みの財政運営とは一刻も早く決別し、通貨発行を主体とし、国債や税収による補完的財政体制を構築すべきだ。
理想をいえば、通貨発行:国債:税収=6:3:1くらいの比率が望ましい。

国債増発でも特段問題はないのだが、なにせ立法府や行政府の連中は新自由主義者や緊縮主義者揃いゆえ、国債増発への抵抗感は根強く、せいぜい金融緩和政策で市中金融機関の国債を日銀保有へ移し替えする程度が関の山だ。

これとて、政府の実質債務を無効化する効力はあるのだが、何といっても肝心かなめの新発債発行増には至らず、残念ながら財政刺激効果はゼロに等しい。

冒頭に説明したとおり、貨幣発行の方法に二種類あるように、発行された貨幣の性質にも二つの種類がある。

一つは、家計や企業といった民間経済主体の所得や売上に直結するもので、財政政策や給付金などにより、事業や実収入につながるものだ。

もう一つは、金融緩和政策で生み出され日銀当座預金に積みあげられる“貸出金予備軍”としての貨幣だ。

経済が過熱し、家計も企業もこぞってカネを借りたがる世の中なら後者の貨幣(借りるためのカネ)も引っ張りだこになるだろうが、ご存じのとおり、史上空前の超低金利が罷りとおる現状で“借りるためのカネ”に対する需要は著しく低迷している。

誰もがいま欲しているのは、間違いなく前者の貨幣(所得や売上に直結するカネ)であり、利息をつけて返済せねばならないカネなど用はない。

こうした実体経済のプレイヤーの資金ニーズを充たすためには、公共事業にしろ、給付金にしろ、社会保障サービスにしろ、財政出動が積極的かつ大規模かつスムーズに行われる必要があり、“私たちの税金が~”と叫ぶ無学なバカどもの雑音になど構っておられない。

国債を消滅させる必要はないが、財政政策の自由度を確保するためにも、政府貨幣発行による財政支出額をもっと大胆に増やす努力をすべきだろう。

2019年2月25日 (月)

経済成長はマスト

『噛む馬はしまいまで噛む』という諺がある。
“人や柵に噛み付く癖のある馬は、死ぬまでその癖が直ることはない。悪い性質や悪癖は容易に変えられず、死ぬまで直らない”という意味らしい。

筆者は、会社の上司から、かつて「他人の性格を変えようとしてもムリ。四十を超えると人の性格は変わらない」とアドバイスされたことがある。

たしかに、社会に出て周囲の同僚や上司、取引先の関係者などを思い浮かべてみると、一定の年齢に達した人間の性格や基本的な思想信条は、そう簡単に変わるものじゃない。
特に、迷惑な性格や悪い癖ほど頑固にこびりついたまま離れないものだ。
(かくいう筆者も同じだが…)

『ワタミ創業者の自民・渡辺美樹氏が参院選不出馬、政権批判も』(産経新聞)
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/190213/plt19021310160004-n1.html
「自民党の渡辺美樹参院議員(比例代表)は13日午前、改選を迎える夏の参院選に出馬せず、政界を引退する意向を表明した。平成25年の初当選時に公約した「財政再建」と「原発ゼロ」が進まず、議員を続けても実現できる見通しがないことを理由に挙げた。
 渡辺氏は外食チェーン大手の「ワタミ」創業者で当選1回。国会内で記者会見し、「経済成長なくして財政健全化なし」との安倍晋三政権の方針について「経済成長しなかったら国は破産してよいのか。そんな崖っぷちの経営をすべきではない」と苦言を呈した。「私は経営者であり、売り上げが増えなくても潰さない会社をつくるのが社員や株主のためだ」とも語った(略)」

渡辺氏といえば、居酒屋チェーン「ワタミ」を創業した人物として有名で、そのブラック経営者ぶりはつとに聞こえている。
2008年に、入社2か月の女性従業員に月140時間超の残業を強制し、過労自殺に追い込んでおきながら、当の本人はまったく反省せず、労災認定決定後も暴言ツイートを吐いて問題になったいわくつきの人物だ。
【参照先】
https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/6ccafc13fd1e83056d769200a8e14490
http://www.mynewsjapan.com/reports/1863
http://www.datu-seisyain.com/watami-burakku/

こんな事故物件を公認し、参議院議員の議席を与えた自民党と選挙民の暗愚さには、改めて強い憤りを覚える。
彼自身、自らの仕事ぶりを評して、「0点。何1つ実績を残せなかった」と反省の弁を述べているくらいだから、このバカに支払われた議員歳費を返還させろ、それが無理なら、自民党の連中が代わりに賠償しろと言いたい。

彼の選挙公約は「財政再建」と「原発ゼロ」だった(“残業代ゼロ、有休ゼロ”かと思った…)らしいが、これこそ経済観念ゼロ、政治センスゼロの大馬鹿者の証しだ。

財政再建は緊縮政策と増税を呼び、消費や投資という経済成長の軸を破壊する。
原発ゼロはエネルギー供給の不安定化をもたらすうえに、国民や企業に再生エネ賦課金という隠れ増税負担を課し消費力を奪う。

いずれの公約も、我が国の需要と供給の両方を弱体化させる最悪の愚策であり、こんなものを公約化する神経の卑しさを疑うほかない。

彼は、安倍政権が財政再建への取り組みに熱心でないとご不満のようだが、政府の諮問会議資料に目を通すと、そこら中に「歳出改革」、「PB黒字化」「財政健全化」、「公債発行縮減」といった“財政再建応援ワード”が散らばっている。
渡辺氏は与党議員のくせに、諮問会議の資料すら見ていないのか?

このバカは、アベノミクスに対して、「経済成長しなかったら国は破産してよいのか。そんな崖っぷちの経営をすべきではない」と偉そうに苦言を呈したそうだが、国家の政治経済運営を安っぽい“経営”に喩えること自体、勘違いも甚だしいド素人ぶりを露呈している。

“経済成長できぬ国家=即、破産”というわけじゃないが、そこに暮らす国民は間違いなく経済的大苦境に晒される。

彼も(超ブラック企業とはいえ)経営者の端くれだったから解かるはずだが、企業にしろ、そこで働く従業員にしろ、明日も今日と同じ売上でよい、5年後もいまと同じ給料でよいと満足する者はない。

みな、今日より明日、今年より来年と常に右肩上がりの成長を期待し、それを前提としたロードマップやライフプランを描いているはず。
そうでないと、安心してモノを買えないし、長期的な人材教育や投資にも打ち込めない。

近ごろ、緊縮主義者だけじゃなく、経済左派的な論者からも、「経済成長を前提としない経済体制」で善しとする非常に安易かつ馬鹿げた主張がなされるのを目にするが、先進国に相応しい生産力や消費力を維持しようとするならば、“経済成長か否か”という選択肢など端からありない。
“経済成長はマスト”であり、そのスピードをどの程度上げるかを議論すべきだ。

国家としての経済運営が、渡辺氏の云う“崖っぷち”に追い込まれるとしたら、それは、財政再建とか反原発、移民受入れ促進、関税廃止といった「反経済主義的逆噴射政策」に溺れたせいでしかない。

「私は経営者であり、売り上げが増えなくても潰さない会社をつくるのが社員や株主のためだ」とのたまう渡辺氏だが、実際やったことといえば、社員を過労地獄に叩き込み、自殺や精神病に追い込んだ挙句、自分だけが私腹を肥やして議員先生の地位を得たというブラック遍歴だけではないか。

彼みたいなド素人には解かるまいが、「売り上げが増えなくても潰れない」程度の思想レベルは、国家運営に携わる責任者として失格だ。
「売り上げが増え続ける=GDP成長=生産力UP=国民の所得UP=生活満足度向上」を維持し続けることが政治家や官僚に課された“絶対条件”であり、このノルマを達成できないクズはビタ一文たりとも報酬を受けるべきではない。

最後に、「0点。何1つ実績を残せなかった」という彼の反省の弁を聞いて、「0点?? いや、マイナス200点だろ‼ お前の議員報酬に利息を付けて、いますぐ返済しろ‼」と怒鳴りつけたくなった。

こんなクズを議員や経営者の椅子に二度と座らせてはならない。

2019年2月21日 (木)

“借金コワい”を煽るだけ

いつの世も、人々は借金を不健全なものと嫌い、それが増えるのを恐れるものだ。

昭和61年に政府が行った「税金に関する世論調査」を見ると、『国の財政は、年間の支出の約2割を借金に頼っていますが、これについてどう思いますか』という設問に対して、
(ア)「国の借金はいずれ税金で返済しなくてはならないものだから、そのツケを先送りするのは不健全であり、1日も早く赤字を解消すべきだ(26.3%)」
(イ)「借金が続くことは不健全だが、公共サービスのカットや負担の増加は急にはできないので、徐々に赤字の解消を図ればよい(45.5%)」
という結果だった。

つまり、合わせて7割以上が「国債は(政府ではなく)国の借金」、「借金が増え続けるのは“不健全”」、「借金を清算する手段は“公共事業費カット+税金”」だと認識していたわけだ。

昭和61年といえば、円高不況により一時的に成長率が落ち込んだものの、その前後の年は実質成長率が6%を超え、同年12月に端を発するバブル景気の暁光が差し込み始め、いまから振り返ると涎が垂れるほど経済が絶好調だった時期だ。
【参照先】https://honkawa2.sakura.ne.jp/4400.html

歳入に占める国債割合も2割ほどとまったく問題なく、日本製品が海外市場を席捲しはじめ、日本の経済大国たる地位もより強固となり、国民全体が、まさに隆々たる未来を疑うこともなかった。

にもかかわらず、多くの国民が、国債を国の借金と嫌悪し、国債発行に頼ることを不健全だと心配していたというのだから呆れ果てるしかない。
もし、バブル崩壊と20年不況を経た今、同じ調査をしたら、(ア)の回答が8割、(イ)が2割くらいに増えるだろう。

筆者みたいに聖域ないバラマキを唱える意見は皆無に近く、異物やキチガイ扱いされるのがオチで端から回答の選択肢にも入れてもらえない。

日本人の借金恐怖症は遺伝子レベルの先天性の病で、もはや手の施しようがない。

かような環境下で、「貨幣が負債だ」とか、「貨幣を駆動させるのは税制だ」なんて言おうものなら、“借金コワい病”に侵された国民は、「ヤバいよ。国債だけじゃなく、お金も国の負債なんだってよ」、「日本は純債権国だから安心だなんて言ってた奴がいたけど、あんなのウソッぱちじゃん」、「お金が負債ってことは、借金なんだろ? いったい、いまいくら発行されてんだ… こりゃ、大増税確定やね」云々と狼狽し、消費税増税やむなしだの、国は無駄遣いをヤメロだの、公務員を減らせだの、年寄りは病院に行くなだの、と見境なく他人に八つ当たりし始めるに違いない。

質の悪い貨幣負債論や租税貨幣論を吹聴することは、図らずも、緊縮財政派やアナーキストの連中に手を貸し、彼らの壊国運動をアシストすることになる。

『貨幣負債論こそ国の借金問題の解決策だ』とのご意見もあるが、逆に、“国の借金問題”という多くの国民が誤解したままの妄想をさらに深刻化させるだけだ。

貨幣負債論者が、どういうイメージで「負債」という言葉を使っているのか、いまひとつ判然としない(彼らも明確に定義できないようだが…)が、市井の人々にとって「負債→借金や債務の類い→負のイメージ」がこびりついており、それ以上でも以下でもない。

景気回復を求め、収入UPを願う国民に対して、「お金そのものが負債なのだから、お金を増やそうと思ったら負債を増やすしかないよ」というわけのわからぬ説明をしても、納得する者はおるまい。
「お金が負債なら、お金が増えるだけオレたちが払う税金も増えるんだろ? もうお金を使えないじゃん(# ゚Д゚)」と逆ギレされて終了だ。

「負債にも色々ある。金利の無い負債、利息だけ返せる時に返せば良い負債、返してはダメな負債等々すべて悪ではない。お金は良い負債だ」という方便も拙い。

申し訳ないが、どう言い繕っても、負債は負債(返済や弁済義務を伴う債務)でしかなく、色々もクソもない。
それらはすべて“国債”の増大を擁護する言葉であって、負債ではない貨幣の性質を説明するものではない。

“返さなくてもよい負債、返してはダメな負債”にいたっては、もはや負債とは呼べない。
アルコールが入ってない飲み物をお酒とは言えない、あるいは、水が苦手な魚を魚類に分類できないのと同じこと。
返済義務がなくワンウェイで行ったきりのものは、「資産」か「収益」と呼ぶべきだ。

子供でも解かるだろうが、貨幣を負債呼ばわりしてしまうと、国民に対して「国の借金が増えるのは当然だろっ!」と強弁できなくなる。

国民が国債の累積に怯えるのは、その返済のために巨額の税を課されるリスクを恐れるからだ。

これまで積極財政派は、「国債は政府の債務であって国民にとっては資産」、「通貨発行権を有する国家において、自国通貨建て債務の返済能力は無限大(=国債償還財源は永続的に確保済み)」と主張し、国債増発を擁護してきたが、日銀券(紙幣)や政府紙幣(硬貨)といった貨幣を負債と言い張るのは、長年の持論に大穴を開ける自殺行為に等しい。

国債増大→財政破綻懸念→増税というリスクを恐れる国民に対して、「政府債務たる国債の償還財源は、貨幣、つまり政府や日銀の負債なんですよ」なんて説明した日には、「お前たちの詭弁はもういいよ(# ゚Д゚) 借金を負債で返すのか? どれだけオレ達に税金を払わせる気かっ‼」と激怒されゲームセットだろう。

また、「国家の債務は永久に増え続けるもの」という言い訳も効かない。
“貨幣は政府が無限に発行できる国民の資産”と説明できるならまだしも、“貨幣は負債ですよ ┐(´д`)┌ヤレヤレ”なんてふんぞり返っていたら、国民は、「国債は増え続けてもいいなんて本当に大丈夫なの? お金も負債だっていうし、最後になって、やっぱり税金で払えなんて言われたら怖いよね。いったい誰が責任を取るの?」と疑心暗鬼になるだけだ。

無限の負債拡大を容認するのなら、それを十二分にカバーし得るだけの無限の資産があること、つまり、貨幣が国民共有の資産や財産であることを明示し、国民が臆することなくカネを使えるよう安心材料を与えてやらねばなるまい。

貨幣負債論者が好んで使う、古代メソポタミアの楔形文字でツケ払いや貸し借りの記録が残っていた、太古の昔から人類は他者を信用し債権債務の記録を帳簿につけていた、お金は借用書であり帳簿に負債を記録することで発生するという主張も、少々飛躍しすぎだ。

メソポタミア人の石板に記されたツケ払い帳は、単に古代人にもツケ払いの慣習があったかもしれない、それらを清算するために貨幣を使っていたかもしれない、というだけのことで貨幣=負債を証明するエビデンスには程遠い。

メソポタミアでは、銀が秤量貨幣として流通し、銀1ギン(約8.3g)=大麦1グル(約300㍑)との公定比率も決まっていたらしい。

それこそ当時は、王が貨幣発行によるシニョリッジ(発行益)を独占していたはずで、銀の確保量分だけ収益が生まれるから、貨幣は負債ではなく王に富をもたらす収益や資産だったから、わざわざ帳簿に負債を記録する手間をかけずとも、王の職権で自由に発行できる。

負債の中からしか貨幣が生まれないというのは、国家の通貨発行権を無視した国債呪縛論であり、そう信じる者は硬貨の使用を拒否すべきだろう。

帳簿に記録された負債云々は、あくまで債権債務の発生→清算の過程を記すものであり、貨幣の負債性を証明する材料にはならない。
「へぇ~ メソポタミア人も飲み代をツケ払いしてたんだ(棒) むかしの人も乾杯は、“とりあえずビールで”ってやってたんかいな?」という程度のことだ。

前から気になっていたが、貨幣負債論者は貨幣に負債性という重荷を課すなど、どうも、貨幣の使用にアンカーをつけたがるというか、貨幣の乱用やバラマキを忌み嫌っている。

彼らが政府による国債発行無限論を唱えつつも、なぜか中央銀行の独立性にこだわり、ベーシックインカムや給付金を毛嫌いするのは、やはり、心の奥底で貨幣価値の毀損を恐れ、財出拡大による高インフレへの警戒感を隠せないからだろう。

貨幣負債論者の発想は、どうも「公共事業か、給付金か」「公共事業>給付金」という二者択一論から抜け出せないように見える。

それは、“労働行為を伴う公共事業は善”、“怠け者への施しでしかない給付金は不労所得”という発想と、“貨幣の根源は負債であり、負債である以上、発行量には自ずと限界がある”という呪縛から逃れられないせいだろう。

だが、そうした自縄自縛的な思想は、財政拡大論から積極性を奪い、財出すべき分野のバリエーションを狭め、福祉政策の拡充や貧困救済を訴える層の支持を失い、ただでさえ少数民族にすぎない積極財政派界隈で上下左右の対立を煽ってしまう。

“給付金=貯蓄に回るだけで無意味”という主張は、あまりにも一面的すぎる。

給付金が消費に回らなかった原因は、それが一過性かつ少額だったからで、長期かつ継続的に十分な額を支給すれば、それを受け取った国民も安心して消費に回せるはず。
少量ワンショットではなく、人々の警戒心を解くよう大量かつ継続的に支給すればよい。

そうすれば受け取った給付金は消費に回り、二次的に供給サイドの労働行為を刺激するから、貨幣負債論者も異存はあるまい。

たとえ給付金が、一時、貯蓄に回されたとしても、経済が十分に活性化されれば、貯蓄→融資→投資・消費というルートを通じて実体経済に戻ってくるのだから、いちいち目くじらを立てることもなかろう。

給付金が貯蓄されるのを忌み嫌うのではなく、貯蓄という仮眠室に入った給付金を叩き起こして働かせるよう、公共事業や給付金の量を大幅に増やし、経済を強烈に刺激すればよい。

貨幣(お金)という国民共有の資産や収益を活用し、実体経済に熱を与えることこそが重要で、貨幣に負債という重荷を背負わせるのは、何の意味もないどころか、緊縮派の馬鹿どもに花を持たせるに等しい愚行でしかない。

2019年2月18日 (月)

財政悲観派は降伏主義者

読者の皆様は、最近、「日本はもうお終い。巨額の国債を整理し、財政赤字体質から脱するには大増税が不可避。国民は増税から逃げるな! 積極財政論者は国民を騙すな! 経済成長なんて諦めろ! 破滅的な事態を覚悟しろ!(# ゚Д゚)」というトンデモ論を耳にしたことはおありだろうか?

日本悲観論や増税不可避論の類いは、これまでも緊縮主義者からさんざん吹聴されてきたが、緊縮教の布教に行き詰まり、焦りを感じているのか、近ごろ彼らの口調も、少々トゲのあるものに変わってきた。

日本破滅宿命論を唱える狂信者が経済成長を嫌うのは勝手だが、それを他人に強要するのはお門違いも甚だしいし、そんなに破滅ごっこをしたいなら、東北や山陰の寒村でも買い取って緊縮教徒を集め、終末世界へのカウントダウンを楽しむ百物語でも騙り合ってはいかがか。

さて、今回のエントリーでは、醜悪な日本破滅宿命論の妄言を取り上げ、個々に誤りを指摘していきたい。

【妄言①】
経済成長率は落ちているのに。国債発行額は増える一方。これは経済成長できない分を借金でごまかし続けてきた証拠。これが日本の現実だ。こんなのがもつわけない。

【指摘①】
・本来なら他国に負けぬくらい経済成長できたはずなのに、緊縮主義者たちが“日本は財政危機”という大嘘を吹聴し、財政支出を邪魔してきた。こうした政府の緊縮姿勢が民間部門に伝播し、消費や投資がいいだけ削られてきた結果として起きたのが、経済の衰退と巨額の赤字国債なのだ。

・20年以上の緊縮財政による政策経費の抑制が、民間部門の消費や投資を委縮させ「GDP低迷+赤字国債増加」という双子の赤字を生んだ。これこそが緊縮主義者のもたらした日本の厳しい現実だ。

・そもそも、“カネを使わずに経済成長しろ”、“いや、経済成長なんて諦めろ”、“日本人は大増税を甘受すべき”、こんな支離滅裂な呪文を唱え続けておいて、日本経済がもつわけなかろう。

【妄言②】
高齢人口だけが増え,社会保障費の負担は増大する一方で成長率は落ちていく。
なのに,「経済成長すれば何とかなる」と思い続け、歳出に見合う増税から逃げ、借金でごまかし続けた。ちゃんとコツコツ増税していれば、これほど借金が積みあがることはなかった。

【指摘②】
・歳出に見合う増税? コツコツ増税? このバカは、いったい何が言いたいのか?
 国民や中小企業は20年不況で塗炭の苦しみを負ってきたのに、ぺたんこの財布からコツコツ税を毟り取る逆噴射政策を採っていたら、いまごろ日本のGDPは400兆円割れしてドイツに抜かれ、40歳台以降の若者はすべてロスジェネ化していたに違いない。

・なんといっても、税金、とりわけ消費税は、消費や投資へのキツいペナルティーだ。消費と投資は経済活動の大黒柱(GDPの構成項目を見れば一目瞭然)ゆえ、そこへの課税強化は経済活動の首を絞めるのと同じこと。

・経済成長を嫌い、“増税こそが唯一の解決策”と唱えるのは、経済が何を以って駆動するのかをまったく理解できていないポンコツの証拠だ。

【妄言③】
政府は、歳出が増え続ける中で、なぜ所得税と法人税を減税し、消費税を増税したのか? それは「経済成長すれば何とかなる」と勘違いしたせいだ。

【指摘③】
・直接税の減税と間接税の増税に文句があるのなら、素直に高額所得者の所得税率や法人税率の引き上げと消費税の撤廃を訴えればよいだけ。

・そもそも、「所得税・法人税の減税+消費税の増税」への文句から、経済成長すれば云々の流れに至るつながりが意味不明。

・所得税&法人税の最高税率引き下げと消費増税を推し進めた緊縮派や新自由主義者の狙いは、経済成長ではない。ただ単に、高額所得者や大企業といった“インナーサークル(自分たちとお仲間)”の私腹を肥やし、そこで生じる負担を一般大衆に付け替えたかっただけのこと。そんなことも解からないのか?

【妄言④】
日本の生産年齢人口は、人類史に例を見ない勢いで減っていく一方で高齢者は増えていく。
2025年に団塊の世代が後期高齢者になるが、それは通過点だ。後期高齢者数のピークは2054年。つまり、巨額の社会保障費が必要になり、これから先の未来は今までよりもっとお金がかかる。

【指摘④】
・生産年齢人口減少と高齢化という課題を前に、シッポを巻いて逃げようとするなら、この先、偉そうに経済を騙るのは止めるべき。

・その程度のことにビビッて未来を放棄するのか? 
先の大戦で我が国は310万人もの(生産年齢人口に近い)若い命が失われ、そのせいで日本の男性人口は、昭和15年の3,629万人から昭和20年には3,389万人へ激減してしまった。おまけに終戦時は、空襲による破壊やひどいモノ不足で我が国の供給力はメタメタに破壊され尽されるという大惨事に直面していたが、当時の日本人は、想像を絶する困難にもめげることなく、果敢に供給力の回復に取り組み、奇跡的と称賛される高度成長を成し遂げた。もし、終戦直後の日本人が、生産年齢人口の縮小に怯える臆病者ばかりだったなら、いまごろ我が国はバングラディッシュやパプア・ニューギニアにも劣る後進国としての地位に甘んじていただろう。

・ちょっと発想を変えれば、「高齢人口の増加=消費者の増加」とも言え、本来なら需要不足の我が国に害を及ぼすものではない。高齢化が何かとお荷物視されるのは、低所得層の高齢者の増加と、労働分配率の抑制による質の高い労働環境の不足が潜在失業者の労働市場への流入を阻害していることによるものだ。

・巨額の社会保障費など問題ではない。いくらでも造れる“カネ”で済む事など問題とは呼べない。社保負担を家計や企業に付け回す悪習を改め、国債や通貨増刷で財源を宛がってやれば、巨額の社会保障費は、民間事業者にとって膨大かつ超長期的なビジネスチャンスに生まれ変わる。

【妄言⑤】
日本は既にあり得ないぐらい巨大の債務(国債)を抱えている。こんな闘いは,勝てるわけがない。

【指摘⑤】
・筆者には、自国通貨建ての内国債を前にして、いったいどうやれば債務不履行を起こせるのか適切な方法が見当たらない。通貨発行権を持つ日本政府が日本円の返済に窮するなんて、どう考えてもあり得ない。この状況で不履行を起こすのは、“砂漠のど真ん中で溺れろ、豆腐の角に頭をぶつけて死ね”と命令される以上に難解だ。

・緊縮主義者の連中は、国債残高を見るだけで闘いを放棄するつもりのようだ。まぁ、お金が債務に見える変わり者なら、生活困窮に苦しむ国民を見捨て、何の努力もせず簡単に白旗を上げるだろう。だが、国債発行や通貨増刷による財源確保で積極財政を打とうとする論者は“闘い”の成否を別の次元から俯瞰している。本当の闘いとは、国債減らしに熱中して国民を恫喝することではなく、国債や貨幣(ツール)を活用し、生産力や供給力という大切な国富の維持向上に尽力することを指す。「国債償還=増税強制=本当の戦い」というレベルの低いヒロイズムに浸るのは周回遅れのバカだけ。

【妄言⑥】
「経済成長すれば財政問題も解決する」とかとぼけたことを言うな! うそをつくな。もうそんな次元じゃねえだろ。

【指摘⑥】
・増税で財政問題を解決する、つまり、1000兆円を超える国債を税だけで償還せねばと思い込むのは、知性に欠けるただのバカ。仮に、消費増税で国債全額償還しようとすれば、年50兆円×20年(利払い分は無視)として、今よりさらに税率を25ポイント程度引き上げるする必要がある。消費税率が33~35%にもなる世界だ。当然、高額商品や高付加価値商品の需要は吹っ飛びトヨタは国内工場を閉鎖せざるを得なくなるし、Amazonの配送センターも閑古鳥が鳴くだろう。日本のモノづくりは壊滅、昭和恐慌を凌駕する大不況となり、失業率は二桁どころか30%くらいになるかもしれない。生産年齢人口の縮小をはるかに上回るスピードで失業者が増え社会問題が深刻化する。(運送業界の人手不足解消と外国人労働者の激減という効果はあるかもしれないが…)

・安易な増税は財政問題を解決できないどころか、財政問題や社会問題を修復不可能なレベルにまで破壊する。

【妄言⑦】
日本財政は破綻しないという財政楽観論者が、この国をボロボロにした。

【指摘⑦】
・盗人猛々しいとは、まさにこのこと。
緊縮財政で消費や投資の蛇口を絞り、消費増税で内需の原資を奪ってきた緊縮主義者こそが我が国を世界で唯一の非成長国に没落させ、ロスジェネ世代や少子化という悲劇を招き日本をボロボロに壊した張本人だ。己の不明や失態を棚に上げ、正論を吐く論者に責任を擦り付けようとする彼らの姑息さや卑怯さに反吐を吐きかけたい気分だ。

【妄言⑧】
財政楽観論に頼るな。国民に耳の痛いことを言え、嫌われるのを覚悟で誰かが本当のこと(増税不可避+社会保障費削減)を言え、国民に見たくない現実を突きつけろ。
そうでないと,また同じ過ちが繰り返される。

【指摘⑧】
・国民を痛めつける安っぽいヒロイズムに恍惚感を覚えるバカは、財政支出を怠った日本だけが“世界で唯一の非成長国”という汚名をかぶり、それを横目に財政支出を増やした他の先進諸国が順調に成長を遂げてきた“現実”にきちんと向き合うべき。

・「甘え癖のついた国民に耳の痛いことを言うべき」なんて偉そうにしているが、何のことはない、“面倒事に関わりたくない、国民を前に向かせる努力をしたくない、自分は汗をかきたくない”と逃げ腰の怠け者が、負担を他人に押し付けたいがために醜い言い訳をしているだけだ。

・国家的困難に立ち向かう勇気と、それを打破しようとする気概のない逃げ腰の卑怯者は、国家再建にとって重荷にしかならない邪魔者や害虫ゆえ、はっきり言って日本から出て行ってもらいたい。

【妄言⑨】
文句があるなら、オレの本を読んでから批判しろ。

【指摘⑨】
・これは、自説に自信のない臆病者の常套句。
 安っぽい啖呵を切ったところで、まともに相手する者は誰もいない。ただで読めるブログやSNSならまだしも、高いカネと貴重な時間を費やしてクズ本を買う奇特な暇人など何処にもいない。

・何時間もかけてくだらないポエムを読まずとも、目次や帯の宣伝文句を見れば、それがクズ本か否か一目瞭然だ。Amazonの解説文を見て、「“増税”の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想を大胆に提言する、著者渾身の一冊」とか、「以前からハイパーインフレ、日本財政の崩壊を予測してきたが、いよいよそのXデーが間近に迫ってきた」といった腐臭漂う謳い文句が目に入ってきた瞬間にクソ本確定で、読む気も失せる。

・第一、いまどき本を読んだくらいで自説を180度転向させるおめでたい奴などいない。異見を持つ相手の本に目を通すとしたら、それは相手を理解するためじゃなく、論理の矛盾点や粗を探し、攻撃材料や反証用の材料を揃えるためでしかない。

・いい年こいた大人なら、その程度の社会の狡さや残酷さを勉強しておかないと、思わぬところで恥をかくぞとアドバイスしておきたい。

«租税貨幣論のウソ〜税がなくなれば人々はもっとお金をつかうようになる

最近のトラックバック

2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31