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2017年3月25日 (土)

バカのひとつ覚え「ジンバブエ」

『米利上げで国債漬けの日銀に「債務超過」の危機』(ダイヤモンドオンライン特任編集委員 西井泰之 3/17)
http://diamond.jp/articles/-/121602?page=3
「米国の連邦準備制度理事会(FRB)が追加利上げを決めたが、「物価上昇率2%」の目標を掲げる日本銀行は、直後に開いた政策決定会合で超金融緩和を続けることを決めた。だが日米の金利差が拡大し、国債(長期金利)市場が不安定な動きをしかねない中で、日銀は金利上昇を抑えようとしてまた国債購入を増やすことになりかねない。借金財政をファイナンスする“国債漬け”日銀の「出口」はますます見えなくなった。(後略)」

西井氏の主張は次の4点に集約される。

①「いったん金利が急騰(国債価格が急落)すれば、財務基盤にも影響が出る。(中略)途中で売ると「含み損」が表面化するから、物価が上がって金融引き締めをしようにもできなくなる。インフレが止まらなくなり、結果、国債の額面が維持されても資産価値は目減りしてしまう。」

②「政府が増税を先延ばしし財政健全化に取り組む姿勢が見えなかったり、財政が破綻寸前だったりという国の中央銀行が発行する通貨はどうなるか。通貨の信認が崩れて超インフレになり、自国通貨を国民すら使わなくなったジンバブエなどの例でも明らかだ。」

③「政策金利がゼロになった時点で、金融政策がやれることはほぼ限界にきていた。銀行の貸出金利を下げて企業の投資を促すには、銀行の短期市場での資金調達コストを下げることしかない。だが短期金利がゼロまで下がってしまえば、その効果はそこで終わる。」

④「政府の財政再建努力は先送りされて、日銀保有の国債残高は増え続け、財政ファイナンスの性格を帯びる。民間でも、超低利局面が長く続いてきた結果、「ゾンビ企業」が生き残って、新陳代謝、産業構造の転換が遅れ、一方で国債や上場投信などの市場は“官製”化が進んでしまった。」

①は日銀B/S棄損論とハイパーインフレ懸念論で、②は通貨信認崩壊論、③は金融政策限界論、そして④のゾンビ企業排除論へと続く。

まず、①について、西井氏も触れているが、日銀の保有国債は満期償還目的のため評価損は生じないし、そもそも通貨発行元たる日銀の財務基盤云々を語ること自体がまったく無意味だ。

また、西井氏は、極度のインフレ発生時に国債売りオペができないことを心配しているようだが、政策金利の引き締めや融資の総量規制、増税などインフレ防止策はいくらでもあるし、いざとなれば、日銀の含み損など無視して売りオペを仕掛ければよいだけのことだ。
日銀の財務と国民経済とのどちらが大切なのか、政治が冷静に判断すれば自ずと正しい答えは出る。

まあ、4年もの歳月を経て、300兆円以上の資金を使っても、僅か2%のインフレ目標にすら到達できないありさまだから、極度なインフレを心配する方がどうかしている。

次に②について、ハイパーインフレとか通貨の信認云々の与太話をするのは勝手だが、いい加減に“ジンバブエ”しかネタが無いのか?

日本の財政破綻論は、20年以上前から公然と囁かれるほど年季が入っているが、インフレどころか、何時終わるとも知れぬデフレに悩まされ、通貨の下落どころか、絶えず円高に怯えているではないか。

西井氏は、ジンバブエ国民が自国通貨を使わなくなったと脅しつけるが、日本人の“円に対する絶大な愛情”は天井知らずで、2016年末の家計の金融資産残高は1800兆円(昨年比+0.9%)と4四半期ぶりに過去最高を更新したと報じられたばかりだ。
しかも、金融資産増加分のほとんどは“円”による現預金であり、資産の海外逃避の動きは見られない。

③の金融政策限界論については同意するが、だからと言って、西井氏のように、出口論(金融緩和縮小)への誘導を急ぐ必要はない。

せっかくの史上空前の低金利環境を活かすためにも、大規模な財政政策を打つことで企業や家計の投資・消費意欲を喚起し、金融政策をサポートしてやればよい。

最後に④のゾンビ企業排除論は、経済連関を無視した夢想論に過ぎない。

西井氏は、企業活動の何たるかをまったく理解できていない。
日本企業の67%近くが赤字企業という惨憺たる状態で、赤字企業(ゾンビ企業)狩りなんかやった日には、間違いなく経済がクラッシュするだろう。

企業全体の7割近いゾンビ企業とて、実体経済においてモノやサービスを売り買いするわけで、そうした経済活動が黒字企業の富の源泉にもなっている。
黒字企業は黒字企業同士だけの商売で業績を維持しているわけじゃないことくらい、普通の人間ならすぐに理解できるはずだが?

素人に限って、新陳代謝とか産業構造の転換なんて言葉を軽々しく使うが、ゾンビ企業を退場させてしまえば、実体経済は失業者で溢れ返り、ただでさえ事業化確率が低い新規創業者の事業環境はますます悪化し、新陳代謝どころか、創業マーケットは死屍累々の状態と化すだろう。

西井氏のようなドシロウトに言っておきたいのは、産業構造の転換も、新陳代謝も、財政再建優先主義がもたらす超デフレマーケットよりも、放漫財政が創り出す成長マーケットの方が、遥かに実現しやすいということだ。

経済は結果がすべてであり、その結果をもたらし得るのは「所得や売上に直結するマネー」でしかない。

2017年3月24日 (金)

会計検査院と財務省は要らない

『プレミアム商品券の使途、車検や運賃など想定外多数 検査院』(日経新聞 3/15)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H4M_V10C17A3CR8000/
「(前略) 検査院が248の市区町村などを調べたところ、少なくとも150の市町などで車検費用に充てられていた。司法書士などへの報酬(18自治体)、家賃や駐車場代(13自治体)のほか、交通機関の定期券代、葬儀費用、パチンコ店での支払いなどの使用例もあった。
 商品券には1人当たりの購入限度額が設定されているケースが多いが、購入履歴の確認が不十分で、特定の人が大量に使っているケースもあった。福井県では船の購入費の一部として1800万円分が使われていた。
 プレミアム商品券は自治体から委託を受けた地域の商工会などが発行する。例えば5千円の商品券で6千円分の買い物ができ、この千円分を交付金で賄う。法律で定価販売が義務付けられているたばこには使えないが、少なくとも8つの県市などでたばこの購入に利用されていた。
 検査院は制度設計を行う内閣府に対して「利用対象となる商品やサービス、利用条件などについて消費喚起効果を高めるものとすべきだ」と指摘。(後略)」

筆者にとって、「財務省」と「会計検査院」は、その存在自体がゴミとしか思えない二大官庁だ。

彼らは経済実態を知らぬ教条的な守銭奴で、支出を削ることと、公的支出に難癖をつけることしかできぬくせに、強大な権限を振りかざし、他省庁や補助金受給者(企業や団体)に睨みを利かせて悦に入っている。

日経記事によると、検査院の見解では、プレミアム商品券が司法書士報酬や家賃の支払い、たばこの購入などに使われるのは、「新たな消費を喚起するという制度の趣旨」にそぐわないそうだが、バカも休み休み言えとした思えない。

プレミアム商品券の真の目的は、地域の消費喚起を起点とする経済効果の波及を狙ったものだから、葬式代に使おうがパチンコに使おうが何の問題もない。
要は、カネが使われたかどうかが最重要ポイントなのであり、使途の適否は、商品券を購入した消費者の自由な選択に委ねられるべきだ。

検査院は、「新たな消費喚起(新規の消費喚起)」の定義を故意に狭め、制度の趣旨を歪めている。
「新たな消費喚起」とは、新商品や新サービスの購入という意味ではなく、貯蓄に退蔵されていたカネを実体経済の場に引き出す(=実体経済に新たなカネを引っ張り出す)という意味だと理解すべきだ。

特に、大した産業もない地方や地域には、これといった新商品や新サービスなんて存在しないから、商品券の使途に制限を掛けてしまうと、購入するモノが何も無くなってしまう。

プレミアム商品券の立ち位置は、消費を義務付ける減税措置と同じだから、結果的に支出が喚起されるのであれば、商品券が何に使われようが問題はない。

「利用対象となる商品やサービス、利用条件などについて消費喚起効果を高めるものとすべきだ」との検査院の指摘は、あまりにも烏滸がましく頭に乗った発言である。

文句を言いたいなら、“消費喚起効果を高める商品やサービス”とやらを、検査院自身が具体的に明示し、その経済効果を他商品との比較で数値データを以って実証すべきだろう。

筆者自身、プレミアム商品券は購入層が比較的資金の余裕がある高齢者層に偏りがちで、経済政策の優劣で云えば減税や定額給付金以下の政策だと考えるが、それでも、高齢者層の退蔵資金を消費の場に引っ張り出し、地域の消費喚起に一定の効果は認められると思う。

検査院による重箱の隅をつつくようなくだらぬ指摘は、こうした細やかな経済効果すらも否定するものであり、到底受け容れられない。

こうした幼稚な屁理屈が罷り通るようになると、各省庁が予算要求の過程で、事業目的の狭小化や支出要件の厳格化に血眼になり、せっかく予算化された事業が、ますます使いにくくなってしまう。

財務省は予算査定や予算編成という「入口」で、検査院は会計検査という「出口」で、事業の組み立てや予算の執行にアレコレと難癖や文句をつけ、補助金を使いにくくすることにしか興味がない。
彼らの専横を放置すれば、せっかくの公的支出の経済効果が台無しにされてしまう。

補助金を使う企業や団体が、補助金の目的やルールを守ることだけに縛られ、税金を拠出する経済主体が、税金を原資とする事業を自由に使えないようでは、まったくの本末転倒ではないか。

いつもなら、ここで、「税金を原資にすると、“私たちの税金が~”と騒ぐバカの所為で、いろんな制約が掛かり過ぎ自由度が無さすぎる」→「税金の番犬に要らぬ口を差し挟ませぬよう、永久国債や政府紙幣発行により財源を拠出すべき」と話を拡げるところだが、くどくなるので、この辺で止めておく。

2017年3月23日 (木)

紙幣の返済?

『「紙幣や国債は返済する必要がない」は本当か 「返済される」からこそ守られる大切なこと』(3/20 東洋経済オンライン 斉藤誠 /一橋大学大学院経済学研究科教授)
http://toyokeizai.net/articles/-/163330

斉藤教授の主張詳細は上記URLからご確認いただくとして、それを要約すると次のようになる。

①1万円札は「日銀がいつでも返済することを期待されている借金」。
紙幣は、江戸時代にコメ取引で使われた約束手形と同様に、「返済される」からこそ、日々無数の経済取引が紙幣を介して滞りなく取り結ばれている。

②今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはないが、依然として「いつでも返済される」という性質を備えている。

③「いつでも返済される」紙幣と「確実に返済を期待できる」国債が両輪となり1枚1枚の紙幣の流通が支えられている。

④日銀保有の国債を「いつまでも返済する必要がない」とするアデア・ターナー氏(英金融サービス機構・元長官)やジョセフ・スティグリッツ教授(米コロンビア大学)の主張や、国債の「返済されない度合い」は政策的に微調整でき「当面、返済されない」国債や紙幣の実質価値を下げて物価上昇を期待するクリストファー・シムズ教授(米プリンストン大学)の主張は、国債と紙幣が「返済される」という大前提により守られている通貨取引の仕組みを根底から殺めてしまう。

⑤社会にとって極めて大切な通貨制度の根幹を揺るがせ、公的債務を踏み倒し、通貨や国債の価値を毀損してまで物価上昇を達成しようとするような経済政策は「どうかしている」としか言いようがない。

先ず、上記の①②③について、斉藤氏は盛んに、「紙幣はいつでも返済されるべきだ」と主張し、紙幣を保有するものが、日銀から、その対価を何らかの形で“返済”されることに強くこだわっている。

一方で、「今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはない」と、管理通貨制度下における通貨の不兌換を認めている。

では、斉藤氏は、紙幣の対価として日銀は“何”を返済すべきだと言うのか?

先進国では、もはや、金本位制度を採っている国はなく、紙幣を金銀と交換してくれる国なんて何処にもない。

「通貨(紙幣)は中央銀行の負債である」というのが一般的な考え方(※筆者はそう思わないが…)だが、斉藤氏みたいに、中央銀行や政府を基点にして通貨や紙幣の返済性に固執し過ぎると話がややこしくなる。

通貨や紙幣は、実体経済や金融市場における取引を円滑に行うための媒体としての役割を担っており、個々の取引における債権・債務の決済に用いられている。

例えば、AがB商店で本を買う際に、Aは1,000円札をB商店に渡し、それを受け取ったB商店は、1,000円札の対価として本をAに渡す、つまり、渡された紙幣に対して、“本”という商品で以って「返済」するという商行為が起きる。

これは、返済云々というよりも商取引の範疇だろうが、このように、「紙幣の対価が、何らかの商品やサービスなどで決済(返済)される」という意味合いなら解らぬでもない。

しかし、紙幣を日銀や政府に突き付けても、何も返済しようがないではないか。
せいぜい、新しい紙幣と両替するくらいしかやりようがない。
(※ちなみに、日銀は、損傷した、あるいは、昔に発行した紙幣や貨幣の交換以外の両替行為などは行っていない)

また、斉藤氏の④⑤の主張について、氏は、ターナーやスティグリッツの無利子永久国債発行論や、政府債務のインフレによる解消を主張するシムズのFTPL論を、『国債と紙幣が「返済される」という大前提』を破壊するトンデモ論だと非難している。

筆者は、インフレ発生を目的化するだけのシムズ論には、正直言って賛同しかねるが、少なくとも、国債縮減必達論あたりで立ち止まったままの斉藤理論よりは、数段マシだと思う。

斉藤氏は、コラムの中で、「国債と紙幣が「返済される」という大前提によって1つ1つの通貨取引が守られている」と述べているが、通貨の信認と返済性とを混同していないか。

個人であれ、企業であれ、日常お金を使う際に、いちいち通貨の返済性を確認する者なんて一人もいない。
斉藤氏だって、大学から支給される給料を使う際に、円の返済性を気にしてなんかいないはずだ。

経済論壇でも、財政規律が緩むと円の信認が棄損し、通貨価値の大暴落により外貨へのキャピタルフライトが起きるなんて寝言を吐くバカ者を見かけるが、幻覚状態に陥っている者に限って、無価値なはずの“円”を必死に掻き集めようとして、自ら矛盾を露呈してしまうものだ。

通貨の信認は、発行国の供給力や治安状況、国民や企業の資産力、教育水準、法の強制力・遵守力、労働規範、商慣習、流通インフラ、金融システム、徴税力、知財権等々総合的な信頼性によって担保されるものであり、返済性なんて何の関係もない。

また、斉藤氏は国債の返済性も心配なようだが、国債は償還期に同額の新発債を発行し、永久債に切り替えて永遠にロールオーバーすればよいだけで、そもそも実質的という意味において返済の必要などない。

国債は、国民や企業、投資機関の財産であり、それを逓増させて、いったい誰の腹が痛むというのか?

国債償還財源が心配なら、政府紙幣発行により償還相当額を基金として積み立てておればよい。
本来なら、そんなものは不要だろうが、我が国には斉藤氏みたいに、国債を民間の借金と取り違えて怯えたがる痴れ者がたくさんいるから、そうした臆病者たちを安心させられる程度の意味合いはあるだろう。

斉藤氏は、紙幣の返済云々にこだわるつもりなら、何を以って返済すべきかをきちんと明示すべきだ。

2017年3月22日 (水)

売上無視して成長なし

『4年連続ベアも前年割れ=官製春闘、息切れ鮮明-大手が一斉回答』(時事ドットコム 3/16)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017031500905&g=eco
「自動車、電機など大手企業の経営側が15日、一斉回答を行った2017年春闘では、基本給を底上げするベースアップ(ベア)が4年連続で実現した。しかし、引き上げ幅は円高による収益悪化などを受け、ほとんどの企業が2年連続の前年割れ。景気の本格回復に向け、政府が産業界に賃上げを促した4年目の「官製春闘」は、息切れ感が一段と鮮明になった。(後略)」

今回のベア前年割れという事態に、連合は「労働条件改善につながるなど前進があった」なんて呑気にコメントしているが、日本の異常な労働慣行自体が、そもそも違法なのだから、春闘以前に即刻改善すべき次元の話だろう。

また、円高による収益悪化なんて恍けたことを言っているが、昨今の1ドル=110~115円程度の為替水準は、2015年夏~冬頃にかけての120円台と比べると若干円高だが、ここ2~3年で見れば、十分に円安と言える水準であり、収益悪化の言い訳にはなるまい。

なんのことはない。官製春闘が息切れしたのは、アベノミクスが失速したからに過ぎない。
家計消費支出の下落が1年半も前年割れを続ける異常事態を放置し、“景気は緩やかな拡大局面にある”なんて惰眠を貪ったツケがこの体たらくなのだ。

大手企業経営者の中には、ベアが“特別なこと”であるかのように語る者もいるが、勘違いも甚だしい。

財務省法人統計によると、全産業ベースの経常利益は、平成27年度に68兆円と対前年比で5.6%増加(6年連続増加)し、40兆円を切るくらいであったバブル期を遥かに凌駕している。(http://www.mof.go.jp/pri/reference/ssc/results/h27.pdf)
バブル期の1.5~2倍もの経常利益を貯め込んでおきながら、“業績見通しが不安定ゆえベアは難しい”なんて幼稚な言い訳が通用するとでも思っているのか?

同統計を見ると、全産業ベースの売上高が平成3年以降、ぴたりと止まっていることが判る。
平成27年の1,431兆円という水準は、平成3年辺りと大差なく、ここ25年余りほとんど伸ばせていない。

全産業ベースの売上高は、平成16~19年にかけて一時拡大を続け1,500兆円を突破したが、リーマンショックによる大幅下落以降立ち直りの気配も見えず1,400兆円台をうろついたままだ。

本来なら、「売上が頭打ち」になっていることが企業にとって最大の悩みであるはずだが、肝心の企業側の危機感が薄い。
「売上が増えない=商機がない=成長できない」となり、云わば、資本主義が機能しない、企業活動の意味がない、という深刻な事態に直面しているはずだが、企業が政府に求める対策は、いつも頓珍漢なものばかりだ。

「売上高」を増やそうとすれば、実体経済を飛び回るカネの量、とりわけ、『消費や投資に直接使える所得や売上としてのカネの量』を増やす必要がある。

しかし、企業側が要望するのは、法人税絡みの減税措置や規制緩和、海外への投資、外国人材活用、雇用流動化といったクソの役にも立たぬコスト削減策ばかりだ。
政府に対してもっと財政支出を訴えるべきなのに、格好をつけて真逆のデフレ促進策ばかりを提案している。

企業経営者は、口を開けば「人手が足りない」、「中長期的な事業拡大が望めない」と愚痴をこぼすが、自ら成長の蛇口を締め上げ続けているのだから、事態が改善するはずがなかろう。

今回のベア後退を受けて、経営者からは「この先人口減少による市場縮小が予想され、賃上げ要求に応えられる環境ではない」、「価格競争が厳しく、一人当たりの人件費は抑えざるを得ない」という弱気なコメントが相次いでいる。

“人手不足=低賃金労働者不足”であるのなら、国民にとって何のメリットもない。
そんなものは、奴隷代わりに外国移民を入れるための単なる「エア・人手不足」としか呼べない。

“労働需給の逼迫”というせっかくの追い風を賃金改善に活かせないのは、デフレを払拭するための根本的な政策(=大規模かつ長期の財金政策)を避けている所為に他ならない。

「売上高」という企業活動の『フィールド』を拡大させぬことには、日本の経済成長などあり得ないことを、企業経営者はもっと真剣に考えるべきだろう。

2017年3月21日 (火)

暴力的なフリートレードを"保護"したい輩

『G20声明、「反保護主義」を削除-ムニューシン米長官との対立鮮明に』(ブルームバーグ 3/19)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-03-18/ON0OKU6K50XS01
「ドイツで開かれたG20は18日に閉幕し、共同声明では「経済に対する貿易の貢献の強化に取り組んでいる」と表現。米国が求めていた公正な貿易を確実にするといった具体的な約束は盛り込まれなかったものの、昨年の共同声明にあった「あらゆる形態の保護主義に対抗する」との文言は削除された。(後略)」

暴力的なフリートレード(=行き過ぎた資本・人・技術の移動の自由、必要な規制の聖域なき撤廃)は、先進諸国の雇用や所得だけでなく治安までも不安定化させるとともに、莫大な資金と人材を継ぎ込んで開発した高度技術をも簡単に流出させてしまった。

こうした野放図な貿易体制は、隣家との境界を定める塀の撤廃やドアロックの禁止を強要されるようなもので、国民生活をリスクに晒し、国家の存立すら危うくするとても無謀かつ危険な行為である。

だが、これまでは、狂気に満ちたフリートレード論を是正すべしとまともな指摘をしただけで、「時代遅れの保護主義者」だと周囲から一斉に口汚く罵られるのがオチだった。

G20の共同声明に、「あらゆる形態の保護主義に対抗する」といった過剰反応としか思えぬ“ヒステリックな妄言”が盛り込まれてきたのも、世界中が暴力的なフリートレードに心酔し切ってきた証左とも言える。

今回のG20の動きを見たアップルのティム・クックCEOは、「グローバル化に問題があるからといって、国が内向きとなれば経済発展のスピードは遅くなる」とコメントし、途上国の安価な労働力に甘え切ってきたフリートレード論者(=自分たち)の欺瞞を糺すような動きを牽制したそうだ。

クック氏の「国が内向きとなれば経済発展のスピードは遅くなる」との発言は、まったく現実を説明できていない。
日米ともに、国が内向きというか、節度のある自由貿易体制下にあった時代の方が、遥かに経済発展のスピードは速く、国民所得も十分な伸びを示していた。

経済活動のエネルギーは、生産→流通→消費→生産…という間断なき連鎖により増幅されるのに、一企業や一介の経営者の都合で生産工程を安易に海外へ移されてしまうと、経済の連鎖が断ち切られ雇用や所得がたちまち不安定化する。

国を適度に内向きに保たないと、経済活動が生み出す付加価値が海外へ漏出するばかりで、国内で循環すべき富が流出してしまう。

付加価値や富は経済発展のエネルギーそのものだから、国内市場にそれらが不足すれば、経済発展のスピードが上がるはずがない。

クック氏が言う“スピード”とは、国家単位の経済ではなく、自社の業績や自身の所得のことを指しているだけだ。
他人を安くこき使いだけの下衆な根性を隠そうと、あれこれ格好良く修飾するために、“グローバル化”なる言葉で誤魔化すのは止めてもらいたい。

また、フリートレード論者は、自由貿易こそが人々の生活を便利にした、スマホもAmazonも自由貿易のおかげだ‼といきり立つが、そんなものは何の根拠もない思い込みでしかない。

別に、中国人をこき使わないとスマホは世に出ていなかったという確証など何処にも無い。
仮に、節度ある自由貿易体制が維持され、付加価値や富が国内循環していたならば、安定した所得を保障された世界中の人々は、より早くスマホを手に入れられた(アップルよりも数年早く日本人がスマホ以上の商品を世に出していたかもしれない…)ろうし、格安スマホみたいなケチくさい商品ではなく、もっと便利で高付加価値な商品を求めたことだろう。

新しい家電商品や便利なサービスが世に出ると、人々はそれらに驚嘆し、頭に乗ったフリートレード論者から、「あなたが、便利な●●を手に入れられたのも、自由貿易のおかげですよ」と唆され、すっかり騙される。

だが、暴力的なフリートレードが世界レベルで蔓延する以前から、人々は常に便利な商品やサービスを手にしており、毎年のように「いやぁ、世の中便利になったもんだ」という言葉を繰り返してきたはずだ。

フリートレードの有無に関わらず、必要なものは海外から調達できたし、それらを活用して生活スタイルをガラリと変えるような画期的な商品が数多生み出されてきたではないか。

むしろ、フリートレードが横行する時代(平成中盤以降)になってから、イノベーションやレボリューションのレベルが明らかに低下し、10年前、20年前との生活レベルの違いが不鮮明化している。

昭和から平成初期にかけては、5~10年も経てば、街の景色は一変し、住環境から衣服、食料、交通網、情報、娯楽に至るまで、大きく変化を遂げるのが当たり前だったが、平成期突入以降の変化の無さにはウンザリさせられる。

“パソコンやネットが普及しただろ”、“スマホもあるじゃないか”との意見もあるが、適切な経済政策や節度ある貿易体制下でぐんぐん成長を続けていたとすれば、そんなものはとうの昔に普及しており、現世を生きる我々は、より高度なレベルの便利なアイテムを満喫できていたはずだ。

そもそも、いくら便利な商品やサービスが存在しても、それを消費できる所得がなければ、まったく意味がない。

一部のグローバル企業の都合で、生産拠点や雇用・所得を途上国へ持ち逃げされては、本来、先進国の国民が享受すべき所得がダダ漏れし、革新的な商品が世に出たとしても、あたかもと需国の貧困層のように、黙って指を咥えているしかなくなってしまう。

フリートレードがもたらす低コスト生産により莫大な利益を手にする守銭奴には、自国の社会インフラにタダ乗りさせてもらっているという感覚が欠如している。
あたかも、親の庇護を忘れて、独力で生きて行けると勘違いした青臭い中学生みたいなものだ。

そんな彼らの我欲が創り出した貿易体制の下でしか、人々が便利な生活を手に入れられなかったなんて詭弁が罷り通るはずがなかろう。

想像力に乏しい連中に限って、「フリートレードか、鎖国か」という小学生みたいな二者択一を迫るが、その中間にある『節度ある自由貿易体制』を探る気はないのか?
「鎖国」という誰もが選択し得ない極論を盾にして、鎖国が嫌なら「暴力的なフリートレード」しかないだろと迫るのは、あまりに稚拙だ。

人件費の安い国での生産に固執するのは、自国から雇用や所得、技術集積の機会を奪い流出させても構わないという意思表示としか受け取れぬから、そんな企業には“会社ごと生産国へ移転してしまえ”と言っておく。

また、“海外生産によるコストダウンが売価ダウンにつながり消費者の利益になる”との間抜けな意見には、「お前は、100円のプライスダウンと引き換えに、10,000円の給与削減に応じるのか?」と突っ込んでおく。

今回、G20が「あらゆる形態の保護主義に対抗する」という妄言を取り下げたのは当然のことで、むしろ遅すぎたくらいだが、意固地な欧州勢の反対を振り切って、フリートレード礼賛の旗を降ろさせた意味は大きいと評価できる。

2017年3月20日 (月)

実戦力を失った比較優位説

リカードの比較優位説(一国における各商品の生産費の比を他国のそれと比較し、優位の商品を輸出して劣位の商品を輸入すれば双方が利益を得て国際分業が行われるという説「デジタル大辞泉より」)なるクズ理論を信じる者がいまだに絶えない。

“比較優位説は数多ある経済学の理論で「前提無しに成立する」唯一の理論”とまで言い放つバカもいるが、前提の有無以前に、エセ理論を信奉するシロウトの願望の中にしか存在しない“妄想理論”に過ぎない。

比較優位説を青筋立てて擁護する連中は、例のイギリスの羊毛とポルトガルのワインの話や、弁護士と秘書(最近は、タイガー・ウッズと芝刈り少年の話に夢中)の職業分担の話を盾にして、絶対不可侵の地動説並みに完璧な理論だと主張する。

交易は比較優位説のおかげ、人類が自給自足せずに済むのも比較優位説のおかげ、職業選択も比較優位説のおかげ…と際限なくリカードの手柄にしようとするから質が悪い。
この辺りは、ちょっと良くなった経済指標を見つけては、何でも自分たちの手柄だと喧伝するリフレ派の連中とそっくりだ。

『労働量1単位で、A国はパン4個か毛布2枚、B国はパン3個か毛布1枚が生産可能とした場合、どちらもA国のほうが効率的だが、B国では毛布1枚を諦めればパン3個が生産できるため、パンの機会費用が少ない。A国が毛布、B国がパンに特化し、貿易を行うほうがよい。』というデジタル大辞泉の説明事例を見ても、ピンとくるより、あまりに現実離れしていることへの違和感が募る一方だ。

そもそも、一国における比較優位産業や比較劣位産業なんて、誰も正確に把握することは不可能だし、比較劣位と決めつけられた産業を排除することもできない。

B国が毛布を諦めパンの生産に特化したとして、ついさっきまで毛布を作っていた職人が、いきなりパンを3個も生産できるはずがないし、パン職人への転職を無条件にのむとは限らない。

毛布職人が、エセ理論をバラ撒く高校教師(フィクションです)を見て、俺も高校教師(社会科)になれるはずだと駄々を捏ねたらどうするのか?

また、A国が毛布、B国がパンに特化できたとして、相互の交易が成立する保障などどこにもない。

A国では米食が大ブームとなり、B国は熱帯気候ゆえに毛布が不要となれば、互いに、パンも毛布も不要となるが、それでも比較優位説を盾にして、両国に対して、需要ゼロのゴミ造りに特化しろとでも言うつもりか?

現実には、A🔗B両国間のニーズが互いの比較優位産業と完全に合致する確率はゼロに近く、これは、自給自足経済下の物々交換といったファンタジーと同様、ほぼあり得ない空想の世界でしかない。

彼らは、自給自足が消滅したり、各人が特定の職業に特化したりするのは、すべて比較優位説のおかげだと得意げに騙るが、そんなものは、交易の発展に都合よく乗っかっただけの詭弁であり、人々が一つの職業に特化するのは、単純に、ほとんどの職場で副業が禁止されているからに過ぎない。

また、自給自足が消えたのは、比較劣位産業を潰して優位性の高い産業への集約を果たしたからではなく、単に交通網や産業の発展とともに生産力が上がり、それを流通させる術が発達したからに過ぎない。

人類は紀元前の太古から世界中で交易を行い自給自足生活と手を切ってきたが、別に比較優位産業の生産物だけを交易してきた訳じゃない。
交易物の中には、付加価値の高いものもあれば、単に造り過ぎただけの余剰品もあり、生産性の高い物品に特化して交易し合うという比較優位説では説明できないものが多すぎる。

地方には比較優位産業と呼ぶべき産業など皆無に等しいが、とくに問題なく物品流通がなされているし、交易国同士が優位産業と劣位産業を補完し合うなんてのも、日独間で、互いの優位産業であるはずの自動車の交易がなされているのはおかしなことになる。

現実には、リカードが理想とする国際分業なんて絵に描いた餅に過ぎず、複数国の比較優位産業が同一産品であるケースが一般的で、分業どころか熾烈な貿易戦争が起きているではないか。

さらに、我が国には3万種近い職業が存在すると言われているが、比較優位説が本物ならば、比較劣位産業が淘汰されて優位産業に特化せねばならぬはずで、いまだに、多くのゾンビ企業や劣位産業が生き残っていること自体が奇異なことではないか?

そもそも、比較優位説の論拠を、各国における様々な品目の「生産性=1単位を生産するのに必要な労働力」に求めている時点で、理論として三流の誹りを免れない。

リカードが生きていた生産力に乏しい時代ならともかく、恒常的な需要不足に悩まされる現代においては、“造れば売れる”ことを前提とした産業や交易は、理論的にも実証的にも成り立たない。

ポルトガルはワインづくりに特化すると生産量がUPすると思い込むのは勝手だが、勝手気ままに造りまくった大量のワインを、いったい何処の誰が買うというのか?

ポルトガルが毛織物づくりに特化したイギリスとの交易を望んだところで、イギリス人がフランスワインを選択したら、ポルトガルはワインを畑にでも撒くしかない。

野放図な自由貿易論を唱えたがる連中は、リカードとかセイ、マンデル・フレミングモデルの如き実戦力を失った古臭い理論に頼るのではなく、そろそろ自分の頭を使って論拠を組み立てる努力をすべきだろう。

生産力が脆弱であった時代の理論をいくら振り回しても、需要不足の時代に通用する理論は見つからない。

2017年3月19日 (日)

反原発ゴロの嘘はすぐにバレる

我が国を覆う“反原発ヒステリー”は、ついに司法の場にまで及んだ。

『原発避難訴訟、国と東電に賠償命じる…前橋地裁』(読売新聞 3/17)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00050130-yom-soci&pos=2
「東京電力福島第一原発事故で、福島県から群馬県に避難した計45世帯137人が、国と東電に慰謝料など総額約15億円の損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は17日、国と東電に対し、原告のうち62人に計3855万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 原道子裁判長は、国も東電も巨大津波の到来は予見できていたとして、原発事故で国の責任を初めて認めた。全国で計28件ある同様の訴訟で、判決は初めて。
 裁判では〈1〉国と東電が津波を予見していたか〈2〉国の原子力損害賠償紛争審査会の中間指針に基づく賠償基準が妥当か――が争点となった。
 判決では、国の地震調査研究推進本部が2002年7月に公表した「日本海溝沿いで大津波を引き起こす巨大地震が30年以内に約20%の確率で発生する」などとする長期評価の合理性を認め、「非常用発電機を建屋の上に置くなど対策を取れば事故は起きなかった」と指摘。(後略)」

今回の判決は、東電や国に、予測困難な自然災害リスクに対する過剰なまでの予見責任を負わせるもので、冷静さを欠き偏った感情論や偏見に満ちたまったく不当な判決だ。

前橋地裁は、地震調査研究推進本部による「日本海溝沿いで大津波を引き起こす巨大地震が30年以内に約20%の確率で発生する」との調査結果を根拠にして、東電や国が大津波を予見し、必要な対策を取るべきだったと結論付けている。

しかし、およそ自然災害のリスクは、進路が予想できる一部の台風などを除き、その発生や災害規模を事前に予見するなんて、ほぼ不可能だと言ってよい。
予見できるのだと言い張るなら、裁判所の責任で、今後10年間に発生するすべての自然災害のスケジュール表やカレンダーを制作し、国民の前にきちんと提出してみろ、と言っておく。

そもそも、自然災害、しかも、それが大規模になればなるほど、予見なんてできないことは、誰もが理解している。
伊勢湾台風や阪神・淡路大震災、秋田沖地震、中越地震、熊本地震、広島豪雨など過去に甚大な被害をもたらした数々の自然災害を誰も予見できなかったではないか。

たまに、週刊誌やネットニュースで、富士山大噴火や南海トラフ地震の発生を予測する記事が出るが、それを目にする国民のほとんどは与太話としか思わず、そのリスクを真剣に考えることはない。

本件についても、“日本海溝沿い”、“30年以内”、“約20%”という曖昧な言葉や数値を賠償責任に結び付けるのは、あまりにも無理がある。

まず、「日本海溝沿い=福島第一原発」とは限らず、場所の特定は極めて困難だ。
なにせ、日本海溝は、北海道えりも沖から関東地方まで、総延長800kmにも及ぶのだから。

さらに、この数値や確率自体の根拠が万人に認定されたものではないし、30年以内というのなら、2002年+30年=2032年までに対策を取っておればよく、2011年時点で対策を取っていないことを非難するのは暴論だ。

しかも、20%しかない確率を基に国が積極的に数億円~数十億円も掛かる予算を付けるのは現実的に難しく、国の責任を問いたいのなら、緊縮財政の旗を振っていた財務省の責任を問うべきだろう。

大した科学的根拠もない「30年以内に約20%」という数値が大手を振って歩くのが許されるなら、鉄道のホームドア未設置による転落事故や刃物を使った殺傷事件を根拠にして、鉄道会社や刃物メーカーが対策不備の責任を問われることになる。

それでも、必要な津波対策を取れというのなら、“30年以内に70%程度”という極めて高確率で発生が予見される南海トラフ巨大地震や首都直下型大地震に備えて、国の責任で防災対策に莫大な予算を支出することを素直に認めるべきだろう。
なにせ、こちらは、「20%」どころか「70%」だから、予見の域を超え、すでに「現実」の領域の問題なのだ。

いざ事故が起こると、予見責任云々と騒ぎ立てるのなら、よもや、財政危機を言い訳にして必要な防災対策予算の支出を渋るような卑怯者はいないと思うが…。

今回のくだらぬ判決にもまったく収穫がないわけではない。

それは、地裁が「非常用発電機を建屋の上に置くなど対策を取れば事故は起きなかった」と指摘した部分であり、裏を返せば、“必要な対策”さえ取れば事故発生は防ぐことができた=原発は人為的に管理&コントロール可能であることを、司法が公式に認めた点にある。

現在、各所の原発再稼働に当たり、反原発派のバカどもが、原発は“アウト・オブ・コントロール”だと騒ぎ立てているが、今回の前橋地裁の指摘は、こうした幼稚な幻想を根底から否定するもので、原発が十二分にアンダーコントロールであることを吐露してしまった形になる。

頭の悪い詭弁師の嘘は、常に自分たちに跳ね返ってくるものだ。

2017年3月18日 (土)

働き方改革は国民主導で行うべき

今月13日に、安倍首相、経団連の榊原定征会長、連合の神津里季生会長が会談し、繁忙期に例外として認める残業を「月100時間未満」とすることで決着した。

これを受けて、故高橋まつりさんのご遺族から、次のようなコメントが寄せられた。

『「月100時間残業に反対」=電通女性社員の遺族コメント』(時事通信 3/13)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017031300942&g=soc
「残業時間の上限規制をめぐり、過労自殺した元電通社員高橋まつりさん=当時(24)=の母幸美さん(54)は13日、代理人弁護士を通じ、「1カ月100時間、2カ月平均80時間残業を上限とする案に、過労死遺族の一人として強く反対します」とのコメントを出した。
 幸美さんは「このような長時間労働は健康に極めて有害なことを政府や厚生労働省も知っているのに、なぜ法律で認めようとするのでしょうか」と批判。「人間はコンピューターでもロボットでもありません。長時間働くと疲れて能率も悪くなり、健康を損ない、ついには命まで奪われるのです」と指摘した。
 その上で、「娘のように仕事が原因で亡くなった多くの人たちがいます。死んでからでは取り返しがつかないのです」と訴えた。」

高橋さんのご遺族は、今回の決定に強く反発している。

繁忙期とはいえ、月100時間の残業ともなれば、「毎日3時間残業+毎週土曜にフル出勤」くらいは必要で、その他にも、残業にカウントされない通勤時間(往復2~3時間)や早出時間(1~2時間)もあるから、食事や睡眠時間などまともに摂れないし、家族と過ごす時間などほとんど無いだろうから、不幸にも娘さんが、自殺という最悪の選択を取らざるを得なかったご遺族が不快の念を抱くのも無理はない。

ご遺族のコメントに内在する強い憤りは、○○時間という形式上の残業時間だけではなく、無理な残業を社員に押し付けて平気な顔をしている上司や組織全体の非人間性に向けられている。
働く者の人間性をまったく配慮せず、下僕や家畜であるかのように軽く扱う上司や使用者の下賤な態度や発想を即刻改めろと言うのが、ご遺族の偽らざる想いなのだと推測する。

こうした過労死問題を語るにつけ、なぜ、日本人はこれほどキチガイじみた働き方をせねばならないのかと嘆息せざるを得ない。

厚労省の資料によると、平成27年度の精神障害に関する事案の労災補償状況は、精神障害「精神障害」に関する請求件数は 1,515 件で、前年度比59 件増え、うち未遂を含む「自殺」件数は前年度比14件減の199件であった。
精神障害の請求件数は、平成23年度の1272件から毎年増え続けており、自殺件数は200件前後で推移している。
業種別では、医療・福祉業や卸・小売業、製造業などブラック企業が犇めきがちな業界の件数が多い。
【参照先】http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000128216.html

無論、労災補償にまで話が縺れるケースはごく一部に過ぎず、1,500件という請求件数など氷山の一角であることは誰しも理解するところで、実際には、強いストレスの所為で精神障害寸前の方が、少なくともこの百倍はいるだろう。

表面上の残業時間だけを問題視するのではなく、その陰に潜むパワハラやセクハラ、職場内いじめ等々といった醜い付属物や悪習を排除する必要がある。
国民の強い監視の下で、そうした悪習が犯罪であることを徹底的に叩かない限り、高橋さんのように誠に不幸な事案は後を絶つまい。

そのためには、労働法規違反を機動的に摘発し是正させる権限を持つ「労働環境監視員」のような制度を新設し、一定規模以上の企業を担当させ、定期的に監視させるような強権発動も必要だろう。

働き方改革の取り組みを企業の自主性に任せる呑気な時代はとうに終わっている。
国民自身や行政の視点から、強く管理・指導せねば具体的な改善効果は見込めないだろう。

2017年3月17日 (金)

愚者の愚者たる所以

『住宅ローン利用者の平均値』というサイトによると、2016年の新築マンション購入者の全国平均像は、
・年齢42歳
・家族2.5人
・世帯収入787万円
・購入費用4,250万円
・借入金額3,201万円
・毎月返済額11.9万円
だそうだ。
http://isolf.com/hikakuhyo2/hikakutool/403-matome

これが首都圏平均となると、
・借入金額3,602万円
・毎月返済額13.4万円
に膨らむ。

上記の世帯収入787万円という数値は、何かと妬みの的にされる国家公務員平均給与630万円前後に、奥さんのパート収入を足したくらいの額だろう。

これくらいの収入だと、ご主人の給料は手取りで30万円を切るだろうから、奥さんのパート収入無しで12万円近いローン返済は、かなりキツい。

これに子供の教育費用や医療費などが嵩むから、年収700万円台と雖も、家計は楽どころか火の車に近い。

「公務員は特権階級」、「民間との給与格差是正のため公務員給与を下げろ」といった類の飲んだくれレベルの愚痴が、いかにいい加減か解る。

中小企業の従業員なら年収300-400万円もザラだから、それと比べれば公務員の年収も高く見えるが、600-700万円クラスの年収で楽ができると思ったら大間違いだ。

一流大学を出て、懸命な努力の末に晴れて公務員となり、地域住民の面倒な苦情処理の矢面に立たされ、不勉強な議員諸侯の代わりに立法の仕事までこなし、国家や地方の行政運営の根幹を支える彼らの年収が、たったの600万円程度なら安いもんだ。

大半の公務員はコツコツ真面目に働く人種であり、途上国の公務員みたいに当たり前のように賄賂を要求したりしないし、欧米の公務員みたいにやたらと高圧的な態度を取ることもない。

筆者も業務上、県や国の役人と仕事をしたり、会議の場に居合わすこともある。

彼らの発想や行動原理が、いわゆる「お役所仕事」の域を出ないのも事実だが、その原因は、行政手続きや予算執行管理をやたらと厳格化する昨今の風潮や、予算獲得のための財務省や各県の財務当局とのバカバカしいほど面倒な予算折衝作業、程度の低い議員連中の議会質問対応業務など、心身に過度な負担の掛かる業務の所為だと言える。

彼らの行政手続の遅さが、お役所仕事だと批判されるが、公務員である以上、法で定められた手続による他なく、文句があるなら、地元の議員を動かして手続法の改正を訴えてはどうか。

民間企業だってお役所仕事以上に不親切でスピードの遅い会社はいくらでもある。

電気通信事業協会の資料によると、苦情・相談窓口の受理件数約2,000件のうち57%がサービ内容や接客態度などへの不満といった「苦情」だったそうだ。

これはごく一例に過ぎないが、民間だから親切かつ迅速なんて、単なる幻想だ。
それを証拠に、価格.comのサイトを見ても、「◯◯のサービス対応は最悪!」なんて書き込みが溢れているではないか。

また、民間に合わせて公務員給与を削減しろとのバカ論には、顔を洗って小学生からやり直せと言っておく。

小泉バカ政権による三位一体改革で交付税を削減された地方行政は、国家公務員に先んじて自主的な給与減額措置を10年以上も続けたが、その間、減額措置を取った県のGDPは軒並みダウンしており、公務員叩きには何の経済効果も無いことはハッキリしている。

特に、大した産業もない地方では、公務員・自衛隊・農協・商工会・教員・漁協・その他公的団体が主要産業化しているのが、何も珍しくない。

そこでは主要産業の給与は公務員準拠されているから、公務員給与引き下げは、地域の購買力の弱体化に直結する由々しき問題なのだ。

公務員の給与を一部カットし、低所得層に分配すべきとの意見もあるが、間違いなく購買力の共倒れと消費支出の縮減に陥るだろう。

仮に、公務員の給与を20%くらいカットし、それを低所得層に付け替えたとしても、せいぜい一人当り年間20万円くらいしか増やせまい。

これでは、公務員は間違いなく支出を減らすし、低所得層も年収増加額の絶対値が低過ぎるから、支出を増やさずせっせと貯蓄に回すだけに終わる。

公務員を妬んで叩くことにより収入がグンと増えるならよいが、そんなバカなことはあり得ず、単にデフレを深刻化させ、公務員のヤル気を削ぐだけで、良い事は一つもない。

20年以上も成長を忘れ、平均所得が減るばかりの我が国には、喫緊の課題や優先度の高いイシューが山積しており、公務員の給与問題風情に青筋立てて猛り狂うバカには呆れるよりほかない。

あたかも、ゾンビの大群に囲まれ、絶体絶命の危機に瀕した状態で、共に立て籠もる仲間の食料が豪華過ぎると食って掛かるようなものだろう。

眼前の危機を脱するために取るべき行動は何か、倒すべき敵は何処にいるのか、頭を使い冷静に考えるべきだ。

公務員の給与を下げても事態の悪化を招くだけだ。
低過ぎる民間給与を大きく引き上げるための政策にこそ心血を注がねばならない。

感情にまかせて重要な選択を誤るのは、紛れもない愚者である。

2017年3月16日 (木)

嫌煙ファシズム

『飲食店の原則禁煙案、「賛成」64% 朝日新聞世論調査
』(朝日新聞デジタル 3/14)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170314-00000012-asahi-pol

「朝日新聞社による11、12日の世論調査によると、受動喫煙対策の強化策として、レストランや居酒屋などの飲食店を原則禁煙とする厚生労働省の法改正案に「賛成」は64%で、「反対」の25%を上回った。男女別では、男性の57%、女性の71%が「賛成」だった。
たばこを吸うか吸わないかを聞くと、「吸わない」は77%、「吸う」は22%。男性の67%、女性の87%が「吸わない」と回答した」

筆者自身はタバコを吸わぬ(一度も吸ったことがない)が、近年のタバコ叩きを無条件に善しとする風潮は異常だと感じている。

タバコ代は値上げの一途を辿り、喫煙スペースも減るばかりで、さぞかし、喫煙者も辛かろうと同情する。

筆者の職場のあるビルでも、狭い喫煙スペースで、人目を偲び寄り添うようにタバコを吸う者たちの姿を目にする。

先日、商用で北海道に出張し、新千歳空港から札幌経由で稚内市まで列車に揺られたが、計7時間近い乗車時間中は全面禁煙のため、筆者みたいな非喫煙者はよいが、喫煙者には溜まったものではなかろう。

「国民総タバコ狩り」状態の我が国では、喫煙人口は年々減少し、JTによると2016年の喫煙人口は約2,000万人と、2009年より600万人も減っている。
これは、いくら何でも異常な減り方だ。

タバコが嫌われる理由として、
①健康被害(肺がんなど)
②臭い
③喫煙者のマナーの悪さ(ポイ捨てなど)
などが挙げられる。

タバコの健康被害問題については、「
タバコ=肺がん」というイメージが先行する嫌いがあり、両者の因果関係者は疫学的検証ばかりで病理学的な検証が十分ではないとの指摘がある。

また、肺がん死亡者数は、喫煙率が80%を優に超えていた昭和50-60年代の3,000人弱から、喫煙率が30%程に低下した2010年には、逆に50,000人へと増えているというデータもある。

これについては、タバコを吸い続けてから病気になるまで30年程のタイムラグが生じるとの反論もあるが、肺がん死亡者数の急増を説明しきれてはいないし、30年もの長過ぎるタイムラグを設定すれば、大概の人は何らかの病気に罹っていても不思議ではない。

また、タバコの臭い問題は、分煙を徹底すればよいだけのことで、すべての飲食施設から喫煙者を追い出す「嫌煙ファシズム」を容認する理由にはなり得ない。

喫煙者のマナー問題は、喫煙者自身にも自覚の無さを反省してもらう必要があるが、ゴミのポイ捨てと同じく、公園や街中にゴミ箱や吸い殻ボックスが少な過ぎるのも良くない。

ゴミの回収コストをケチり、マナー違反者を糾弾して悦に入ることに、何の生産性があるのか?

以前のように、ゴミ箱を彼方此方に設置すれば、清掃業務が増え民間事業者の雇用増加につながり、街の美観も向上する。

筆者は、タバコは大人の嗜みとか、文化云々とまで言うつもりはないが、せめて、酒やタバコくらいの庶民の楽しみにまで度を越したキツい制限を掛けてはならぬと思っている。

«妬みは何も生まない

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