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2019年4月12日 (金)

ココログでの投稿終了のお知らせと他ブログへのご案内について

ココログにて拙ブログをご覧いただいている読者の皆様、永らくご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。

今般、iOSアプリでのココログサービスが終了したことに伴い、いつもスマホ経由で記事投稿している当方も対応する術を失ってしまいました。

よって、ココログでの記事投稿を終了いたします。

なお、記事投稿自体は、アメーバブログとはてなブログにて継続してまいりますので、下記のいずれかのURLにて引き続きご覧くださいませ。

アメーバ:https://ameblo.jp/kobuta1205/

はてな:http://kobuta1205.hatenablog.com/

2019年4月11日 (木)

風車ごっこはもうお終い

反原発運動に首を突っ込むゴロツキどもは、太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギー強化により国内の電力供給問題を解決できるかのような大嘘を吐くが、現実は甘くない。
『秋田の海に風車500基?賛否両論 景観、漁業などに不安の声』(毎日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00000016-mai-bus_all
「秋田県の沿岸海域で、7件の大規模な洋上風力発電計画が浮上している。計画通りにすべて進むと、県北の八峰町から県央の由利本荘市の沿岸海域に最大500基以上の風車が並ぶことになる。洋上風力は国が開発を後押ししており、県も沿岸部4カ所を国指定の開発促進区域にしたい考えだ。ただ、一部住民は景観や環境面で反対し、一部漁業者も漁獲への影響を不安視している。(略)
 同市在住で17歳でサーフィンを始めた工藤仁美さん(39)は「きれいな海を次世代に残したい」と訴える。自然環境に悪影響があるなどとして、計画反対の署名運動を続けている。(略)
 県漁協の加賀谷弘組合長(64)によると、一部では秋田を代表する魚ハタハタが洋上風力の振動音などを警戒して産卵期に近寄らなくなるなど懸念の声があるという。(略)」
国が秋田県沿岸で計画する洋上発電は、秋田県内の能代市から秋田市を経て由利本荘市へと県北から県南までほぼ全域に跨る広大な計画である。
だが、沿岸や洋上に設置する風車の数が500基ともなると、さすがに鼻白む住民も多いだろう。
50基ならともかく500基ともなれば異様な数としか言えず、海岸線沿いや海上にあたかも巨大な電信柱が林立するようなもので、景観の悪化は免れないし、海流や漁業に与える影響も計り知れない。
洋上ゆえ風量の確保はある程度見込めるとしても、風量の急激な変化や落雷による故障、低周波による健康被害問題、海鳥等のバードストライクといったリスクも高まり、計画通りの発電量が確保できるかどうか容易には見通せない、というか、既存の風力発電事業者はほとんど黒字化できておらず、FIT頼みの脆弱な収益体質を鑑みると、今後の事業化は絶望的といってよかろう。
我が国の風力発電事業は、20%程度でしかない設備利用率の低さ、キーコンポーネントをはじめとする欧州メーカー頼みの部品調達からくるイニシャルコストや修繕コストの高さ、故障発生時の備品調達に100日~1年近くもかかるダウンタイム(不稼働日数)の長さ、国内のメンテ人材不足、国内での部品供給やストック体制の未整備等々課題満載の状態、というよりも“課題しかない”という惨状だ。
また、風力発電は故障が非常に多い。
少々古いデータだが、日本風力発電協会の資料によると、「平成16年度から平成19年度までの風車の総故障・事故発生回数は498件で、平均故障・事故発生比率は0.138回/台・年であった(平成19年度の対象期間は10.5ヶ月であるため今後データを収集して再集計の予定)。これは年間に設置風車の約14%が何らかの故障・事故で3日を超えて停止していることを表している」とあるとおり、故障が頻発している。
【参照先】http://jwpa.jp/2011_pdf/88-06tokusyu.pdf
にもかかわらず、風車の製造は欧州メーカー頼みゆえ、国内にメンテ人材がおらず、高い金と長い時間をかけて欧州メーカーに修理を頼らざるを得ない状態であり、「風力発電については、世界的に大幅な導入拡大が進み、他電源と比較して競争力のある発電コスト水準となっている。他方、我が国においては、既に導入が進んでいる欧米と比較すると、環境アセスメント・地元調整・系統制約等開発段階の課題や、導入・調達規模の小さいことによる風車・施工コストの高さ、安定的な発電シ ステム・メンテナンス体制が確立されていないこと等の様々な課題から、発電コストは世界の1.6倍の水準となっており、いまだコスト競争力のある電源とはなっていない」(平成28年経済産業省 風力発電競争力強化研究会報告書より)と指摘されているとおり、反原発ゴロのワガママを満たすためだけの質の悪い“金喰い虫”でしかない。
さらに、風力発電による低周波被害に関して、「風車騒音は夜間など地域の暗騒音が低い時に気になり、睡眠 影響などの原因となりえる。ひいては、それが健康に影響を及ぼす可能性がある」(平成28年3月一般財団法人日本気象協会資料より)と指摘されており、それを防ぐ技術的解決方法も見当たらぬ状態で、野放図に風車を林立させるのは、国民の健康被害を無視した暴挙であろう。
特に、我が国では、平地の狭さや漁業関連産業への従事のために海岸沿いに多くの人が住むという特殊事情があり、面倒な風車を無闇に増やすわけにはいかない。
反原発ゴロの連中は、口を開けば原発はリスクの塊であるかのような大デマを吐くが、周辺住民に健康被害を押し付け、故障ばかりの金喰い虫でしかない風力発電の顕在化したリスクをこそ危険視すべきではないか?
まぁ、眼の狂ったバカどもに何を言っても始まらないと思うが…

2019年4月 8日 (月)

政府支出の清濁にこだわる勿れ

ついこの間、ネット上で、“アベノミクスで雇用爆増! 景気もついにいざなぎ・いざなみ超え 安倍ちゃん大勝利‼”と叫んでいたバカを多数見かけたが、現実は冷酷だ。

『30、40代「貯金ゼロ」が23% SMBCの金銭感覚調査』(毎日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190306-00000074-mai-bus_all
「 SMBCコンシューマーファイナンスは6日、30~40代の金銭感覚に関する調査結果を発表した。「現在の貯蓄額がゼロ」と答えた人が前年比6ポイント増の23.1%になり、平均貯蓄額も同52万円減の195万円に低下。同社は「景気回復が働き盛りの賃金上昇につながっていない」と分析している。(略)」

調査を行ったSMBCコンシューマーファイナンスは、
「貯蓄額の調整平均は2018年247万円→2019年195万円と、52万円減少しています。
貯蓄ができていない人が増え、貯蓄額が減っていることから考えると、30代・40代では貯蓄にあてるぶんのお金を消費にまわしたという人が増えたのではないでしょうか。
調整平均額の変化を年代別にみると、30代では2018年198万円→2019年194万円と大きな変化はみられなかったのに対し、40代では2018年316万円→2019年196万円と、120万円の減少となりました」
と分析している。
(※上記文中の年表記は、調査時点の表記を基にしているものと推測される)
【参照先】http://www.smbc-cf.com/bincan-station/antenna/11.html

母数のばらつきによる影響もあるだろうが、平均貯蓄額が52万円も減っているのには愕然とさせられる。
特に、働き盛りの40代の貯蓄額が120万円も激減しているのは“驚愕”の一言に尽きる。

調査では、「30代・40代では貯蓄にあてるぶんのお金を消費にまわしたという人が増えたのではないでしょうか」と、貯蓄から消費への行動転換を予想しているが、総務省のデータを見ても、1か月当たりの消費支出額の伸びは、2017年/283千円→2018年/287千円と、たったの4千円(年換算で4.8万円ほど)でしかなく、貯蓄額の大激減とはまったく見合うものではない。

また、同調査でお金の使い方に関する質問をした結果、
<無理をせず、買える範囲で良いものを選びたい>
30代の87.8%、40代の89.0%が「そう思う」と回答
<購入検討する際、同じ商品群・サービスの中で「最安値」のものは必ずチェックする>
30代81.4%、40代80.6%が「そう思う」と回答
といった具合に、消費に対してかなり慎重な姿勢をとっているのが判る。

これらを勘案するまでもなく、周囲の同世代の知り合いのお金の使い方を見れば、貯蓄が減ったのは消費を増やしたせいという珍説はどう見ても大間違いだ。

いまの40代前半は、いわゆる就職氷河期世代で定職に就けず、30代は、物心ついた時からずっと不況で、“明日は今日より悪くなるかもしれない”という不安感を抱えて生きてきた方が方も多く、消費に楽観的な考えを持つ人種ではない。

現に、30代・40代の平均年収の推移をみると、
30代前半男性:1997年/513万円→2013年/438万円
40代前半男性:1997年/645万円→2013年/568万円
と激減する一方で、税金や社会保険料などの国民負担率は右肩上がりで増えているから、とても貯蓄どころではないし、消費を増やす余裕など何処にもないだろう。
【参照先】
https://nensyu-labo.com/nendai_30.htm
https://nensyu-labo.com/nendai_40.htm
https://www.mof.go.jp/budget/topics/futanritsu/sy3002a.pdf

生産活動や消費活動のコア層がこんなありさまでは、先が思いやられる。
一番カネの掛かる年齢層の収入がガタ減りし、満足に貯蓄もできぬようでは、未婚率が上がり、少子化に歯止めが掛からず、各地で住宅が売れ残るのも当然だ。

今年の春闘賃上げ見通しは平均で6,820円(2.15%)、ベースアップ実施予定は4割未満と、収入UPの兆しはまことに微々たるもので、大手企業ですらこの体たらくだから、ごまんといる中小零細企業の賃上げなど望むべくもない。

こうした惨状を見るにつけ、国民の所得引き上げや消費力の補強が急務であると思い知らされる。
一日でも放置すれば、それだけ、我が国の需要力は瓦解へと歩を進めるだけだ。

以前のエントリーでも述べたが、国民全体の実収入を増やすために、
①家賃負担に該当する一人当たり月3~4万円の生活向上給付金の支給(BI政策)
②社会保険料の国庫負担割合を増やし、家計・企業負担を半減
③消費税の廃止
④幼児教育~高等教育までの授業料を無償化(大学は学費を半減)
⑤医療費負担割合を1割負担へ引き下げ
といった大規模な財政政策を行い、国民の実質収入を大幅に引き上げるべきだ。

むろん、これと並行して裁量経費支出を現状より20~30兆円ほど増やして民間経済主体の生産活動を刺激するとともに、政府が消費や投資への積極姿勢にコミットする必要がある。

事ここに至っては、「給付金は怠け者を甘やかすだけ」、「BIみたいな労働なき所得再配分は生理的に受け付けない」云々とさもしいことを言っている場合ではない。

我が国の国富が「生産力・労働力・技術力」といった“モノやサービスを創り出す力”であるのは間違いない。
しかし、国富に栄養を与え強靭化できるのは、モノやサービスを創り出す力ではなく、“モノやサービスを消費する力”だけなのだ。

「カネなくして技術は立たず、技術なくしてカネは無用のものとなる」

カネが生み出す需要のパワーを蔑むバカ者は、カネがなくとも技術は育つという空想論を唱え、国富の何たるかを一mmも理解しようとしない“頭の中が空っぽなフリーライダー”でしかない。

2019年4月 4日 (木)

真のニーズに応えよ

『4時間切り祝い乗客歓迎 北海道新幹線』(産経新聞)
https://www.sankei.com/life/news/190316/lif1903160039-n1.html
「北海道新幹線のダイヤ改正で東京-新函館北斗(約863キロ)の所要時間が最短で4時間を切り、3時間58分となった16日、JR北海道は函館駅で祝賀セレモニーを開いた。(略) 東京都葛飾区の女性会社員(25)は「東京からでも長くは感じなかったが、数分の短縮ではそんなに変わらない」と話した(略)」

JR北海道が北海道新幹線の東京~新函館北斗間4時間切りに躍起になるのは乗車率の低下にある。
北海道新幹線の乗車率は、開業した2016年/32%以降、2017年/26%、2018年/24%と下落に歯止めが掛からず、「4時間の壁」と呼ばれる飛行機との競争に打ち勝たぬ限り乗車率UPは望めないとの判断だろう。

筆者も出張で北海道の函館方面を訪れ、新函館北斗駅を見物したことがあるが、人影もまばらで閑散とし、駅に隣接する商業施設はテナントの撤退で空きだらけという、新幹線の終着駅としてはなんとも寂しい場所だった。

北海道新幹線不調の原因は、4時間の壁以前に、
①函館駅から約20㎞、列車で20分近くもかかる新函館北斗駅の立地の悪さ
②上下それぞれの運行本数がたったの一日13本(一時間に1本未満)という利便性の低さ
にある。

函館という全国区の知名度(※函館周辺の有名観光スポットはJR函館駅からのアクセスが便利らしい)を誇る街をスルーして、隣接する北斗市郊外の田園地帯にポツンと佇む新函館北斗駅を初めて見た時、「地元自治体やJRは、いったい何を考えているのか???」と呆気にとられたのを覚えている。

ひとつ前の木古内駅を出てすぐにある函館湾の海底にトンネルを通し、函館駅に直接乗り入れていれば、ここまで乗車率が落ち込むこともなかったろう。(函館湾海底トンネルは5~6㎞程度の掘削で済んだと思われる)

なにせ、函館市内の観光入込客数は、2014年/4,840千人→2015年/4,947千人→2016年/5,607千人→2017年/5,247千人と堅調に推移(函館市観光部資料より)しており、函館空港の本州便運航本数が一日15便しかないのを考慮すれば、新幹線にたいする輸送需要は非常に強いものがあるはずだ。

それを思えば、北海道新幹線の一日13本という運行本数はあまりにも少なすぎる。

函館市内から遠く離れているうえに、一時間1本しか列車が走らないというのでは勝負になるまい。
かの銚子電鉄とて、時間帯によっては一時間に2本運行しているというのに、北海道新幹線の時刻表を見ると、どこのローカル線のダイヤか? こんな体たらくでは多大なる苦労と犠牲を払って掘りあげた青函トンネルも泣いているぞと情けなくなる。

ちなみに、九州新幹線鹿児島中央駅の新大阪行は一日24本、北陸新幹線金沢駅の東京行は28本もあり(秋田新幹線だって16本も走っているのに…)、九州新幹線の乗車率は50%を超え、北陸新幹線も開業3年目の2017年の利用者数は827万人と前年並みを維持できている。

いくら待っても来やしない列車に好んで乗ろうとする暇人などいない。

JR北海道は4時間切り(と言っても、上下合わせてたったの3本だけ)を乗車率UPの切り札と勘違いしているようだが、スカスカの時刻表の隙間を埋める努力をせぬうちは、乗車数や乗車率UPなど不可能だろう。

カネをかけたくないばかりにスピードアップという“質”の改善(実際は大した改善ではないが…)に固執し、カネも人手もかかる“量”の改善(増便)は見向きもしないという態度は、消費者ニーズをガン無視し踏みにじる行為であり、需要家のニーズに応えようとしない以上、来年以降も乗車率低下は免れまい。

今回、北海道新幹線の話題を取り上げたのは、優秀な(はずの)経営スタッフを抱えながら、
・困窮に至る原因や理由の分析
・改革手法の方向性
のいずれも、まったく見当違いなまま突っ走ろうとする愚行を示す格好の事例だったからだ。

国民向けの世論調査では、毎回、「社会保障制度を充実・拡充してほしい」、「景気や雇用をもっとよくしてほしい」という意見がワン・ツー・フィニッシュするが、当の政府は社会保障の切り下げや聖域なき歳出カット、移民促進といった逆噴射政策ばかりに血道を上げ、国民の政策ニーズなど端から相手にしようとしない。

ニーズを無視され続ける国民も政府に対する憤りや怒りを露わにせず、ダラダラ支持を続け政府の勘違いを助長する始末だ。

現政権や与党の連中のみならず、それを批判する立場の野党も、我が国を覆う長期不況の真因をきちんと分析せず、まったく見当違いの対策(=改悪策)を打ち出すだけで自己満足し、その結果が出ないのを国民の怠惰や高望みの所為にしようとしている。

赤字続きでカネのないJR北海道なら許される勘違いでも、通貨発行権という誰の負債にもならない貨幣創造権を有する政府に、“カネがない”という言い訳は通用しない。

2019年3月25日 (月)

リフレ堕ち

筆者のように積極財政を訴える者にしろ、真反対の立場にいる緊縮主義者(反国民主義者)の連中にしろ、何かしらの論を張るにあたっては、まず、「目指すべき社会体制」があり、それを実現するために「選択すべき経済政策」を訴え、政策を補完するための「経済論・経済理論」を説明する、という工程を経るものだ。

さしずめ筆者なら、『豊かで成長力に満ちた社会、誰もが“明日は今日より豊かになれる”と信じることができる社会』を目指し、『国富である生産力や技術力の強化』を図るため、『聖域なきバラマキ』により国民や企業の所得や収益を増やして需要力を高める、といったところか。

“目標・目的を明確にし、それを実現するために適切な論建てはどうあるべきか、どういう手段を選択すべきか”を冷静に判断すべきで、常にゴールから逆算する思考プロセスが大切なのだ。

だが、論者の中には、沸騰する議論の波に呑まれたのか、果たすべき目的や目指すべきゴールをすっかり見失い、手段の正否に拘泥する輩も多い。

典型的なのは、“経済”という言葉に込められた経世済民の思想を蔑ろにし、PB黒字化や財政収支にばかり気を取られ、国民に重税を課し、社保負担を際限なく引き上げようと鬼の形相で躍起になる緊縮派のバカどもや、「リフレーション(経済再膨張)」に伴う経済成長という目的を忘れ、物価指標の動向にばかり気を取られているリフレ派の連中だろう。

ただ、最近、経世済民を目指し積極財政を訴えてきた論者の中にも、リフレ派と同じように『目的健忘症や手段強迫性障害』を患う者、つまり「リフレ堕ち」する者が散見されるのは本当に残念だ。

経世済民の理想を何処かに置き忘れ、怒気を含んだ目を吊り上げ、「貨幣は負債だ(# ゚Д゚)♭」と、(根拠ゼロの空想論や書生論の類いでしかない)貨幣負債論の正当性をひたすらがなり立てる様を見せられるのは、なんとも居たたまれない気分だ。

これが、かつて、経世済民の実現を目標とする積極財政の重要性を、冷静沈着な態度で訴えていた者のなれの果てかと思うと、もの悲しいとしか言いようがない。

自らの誤りを認めるのは決して恥ずかしいことではないのだが、威勢よく振り上げた拳の下しどころを見つけられないのだろう。

何よりガッカリさせられたのは、「積極財政の先駆者たる●●さんも貨幣負債論を支持しているぞ! ●●さんも、貨幣負債論を含むMMTを否定するのは『地球人では不可能』と断言したっ! 貨幣負債論を認められない輩は、人間以外の生命体なのか?」という趣旨の、あまりにレベルの低い妄言を吐く輩がいることだ。

貨幣負債論(というゴミくず論)を愛する気持ちから出た妄言ゆえ、それを否定する者に荒っぽい言葉を吐くのは十分理解できる。
筆者も同じように、政策目標を異にする緊縮派やリフレ派の馬鹿どもを口汚く罵ってきたから、他人のことをとやかく言えない。

ただ、著名な学者や有名人の名前を裏付けのない妄言の権威づけに利用しようとする輩の、あまりにも軽薄かつ薄汚い態度と根性の無さを見るにつけ、本当に情けない思いがするし、かつて切れ味鋭い論説で経世済民を訴えていた者が、かくも堕ちてしまうものかと愕然とさせられる。

彼が有名人の名を利用するに至ったのは、貨幣負債論に対する激しい批判や厳しい質問に対して何ら具体的に回答することができず、繰り返し飛んでくる批判や質問の雨から青息吐息で逃れるためなんだろうが、どれだけ追い詰められたとしても、最後まで自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分なりの誠実な態度で応えてほしかった。

・目的(経世済民)よりも手段(貨幣負債論)に異様なこだわりを見せる
・手段の正当性を訴えるためなら詭弁も厭わない
・自分に都合のよい結論(貨幣は負債、異論は認めぬ(# ゚Д゚))から議論をスタートさせる
・手段の正否に対する質問にはまともに答えず、質問で返す
・都合の悪い指摘はスルー
・論争相手の鋭い反論には「教科書を読め!」で反撃
・日本にはMMTに関する教科書が存在しないと言いながら、なぜか「教科書を読め」を連呼
・自分が反論できない時は学者や著名人の言葉を印籠代わりに使う
・言葉の定義を一般人には意味不明な解釈に変え正当性を主張する
・望ましい政策ではなく現実を語る理論云々と責任逃れとしか思えぬ言い訳をする
・結局、貨幣が負債であるという具体的な証拠を何ひとつ提示できない

貨幣負債論を騙りたがる者の態度は上記の通りだが、はて? こうした輩を前にもどこかで見たことがあるぞと思っていたら…、やっぱりリフレ派だった。

「リフレ堕ち」した者を何とか治癒する手立てはないものか…、本当に悩ましい。

2019年3月21日 (木)

賃金が上がらない原因は?

『日本人の給料がほとんど上がらない5つの要因~90年代以降の平均上昇額はわずか7万円程度』(東洋経済ONLINE 岩崎博充:経済ジャーナリスト)
https://toyokeizai.net/articles/-/267883

上記のコラムで岩崎氏は、国税庁の「民間給与実態統計調査」のデータを基に、日本人の平均給与は1990~2017年の27年間で425万円→432万円と、わずか7万円しか上がっていないと指摘している。

そればかりか、1997年=100とした場合の「実質賃金指数(2016年基準)」で見ると、アメリカ(115.3)、イギリス(125.3)、フランス(126.4)などが1~2割以上も伸ばしているのと対照的に、我が国は89.7と逆に1割以上も下落していると喝破する。

製造業が死滅したかのように映るイギリスでさえ2割以上も実質賃金を伸ばせているのに、過労死が頻発するほど働き詰めの我が国の賃金指数が20年も前より減っているなんて、絶対あってはならないことだ。

我が国がこうした悲劇や敗北の憂き目に晒された原因は、ひとえに消費や投資の長期停滞に伴う内需の不振によるものだが、長期不況と所得縮小を惹き起こした緊縮主義者や新自由主義者のバカどもは、ちゃんと反省しているのか?

さて、コラムの中で岩崎氏は、日本の賃金が上昇しない要因として、
①労働組合の弱体化
②非正規雇用者の増加
③少子高齢化の影響
④内部留保を貯め込んで賃金を上げない経営者
⑤規制緩和の遅れがもたらした賃金低迷
の5つを挙げている。

上記①~④には筆者も同意する。
特に、岩崎氏が④について、「バブル崩壊以前は、社員こそ最大の資源、という具合に会社も賃上げに積極的だった。優秀な人間は、一生をかけてでも育て上げていく、というのが日本企業の大きな特徴だった。それが、バブル崩壊以後は雇用さえ確保しておけば、賃上げなんていう贅沢は言わせない、という雰囲気に変わってきた」と述べ、企業が人材投資を怠り雇用の質を貶めてきたのを批判する姿勢は正しい。

ただ、残念ながら最後の⑤が無茶苦茶で酷い内容だ。

彼はこう説明する。
「通信や交通エネルギーなどの公共料金分野は、規制緩和の遅れで現在も新規参入を阻害し価格の抑制や引き下げが遅れてしまった。価格が上がらなかったことで顧客満足度が増し、製品やサービスの価格が低く抑えられたまま日本経済は推移している。
そのツケが、従業員の賃金の上昇を抑えてきたといっていい。スーパーやコンビニ、スマホ(通信)、宅配便、外食産業といった業種では、価格が低く抑えられてきたために、賃金がいつまでたっても上昇しない。
企業経営者や行政の怠慢によって、適正な価格競争が起こらなかった結果といえる。(略)」

【規制緩和の遅れ】→【価格上昇を抑制】という謎理論にはまったく恐れ入る。
彼は、「企業経営者や行政の怠慢によって、適正な価格競争が起こらなかった」と嘆くが、事実は真逆で、小泉バカ政権以来の野放図な規制緩和により行き過ぎた価格競争が生じ、そのせいで企業の売上や利益が伸びず賃金抑制につながったのは、誰の目にも明らかだろう。

平成不況を演出したのは、政府が推し進めた暴力的かつ無計画な規制緩和や、中小企業の財務を破壊した激烈な価格競争が惹き起こした内需縮小のせいであり、その引き鉄を引いたのは、緊縮主義者が好む、日本はもう成長できない、成長すべきではないという「反成長思想・反国民主義」である。

無計画な規制緩和によって、業種・業界の垣根取り払われ、財務力に乏しい中小企業は異業種や大企業との競争に、我が国自慢の製造業は低賃金労働と技術盗用を屁とも思わぬ外国企業との競争に晒され、体力を擦り減らし続けてきた。
岩崎氏が紹介した日本の実質賃金の驚くべき凋落ぶりの原因もこの辺にある。

近頃の政治家や官僚はTPPだEPAだと、体力の弱り切った国内産業を寒風に晒して苛め抜けば財務が筋肉質に生まれ変わると勘違いしているが、野放図な規制緩和や市場開放は国内市場の価格破壊と市場収奪を招くだけで、岩崎氏が嘆くような従業員の賃金上昇を抑制するアンカーにしかならない。

安倍政権や与党の連中は、【野放図な規制緩和や市場開放】→【効果の乏しい産業強化政策】といった“強烈なブレーキとアクセルのチョイ踏み”という意味不明な政策をとり続けてきたが、その結果が“世界でたった一つの実質賃金マイナス国家”という迷惑な称号だ。

くだらぬ規制緩和や緊縮政策は、反成長主義を助長する愚策でしかない。
このまま、“規制緩和の遅れが賃金低迷をもたらす”なんて、とんでもない勘違いをし続けると、20年後の我が国の賃金指数は50~60くらいにまで落ち込んでいるだろう。

規制緩和を手放しで礼賛する馬鹿者には、「いいかげんに目を覚ませ」と厳しく叱りつけておきたい。

2019年3月18日 (月)

貨幣をツールと割り切る胆力

前々回のエントリーで、MMT(Modern Monetary Theory 現代金融理論)を支持するアメリカの経済学者が、財政赤字を悪とする周回遅れの古株学者を相手に奮闘している様子をご紹介した。

ご紹介したステファニー・ケルトン氏のようなMMT論者は、通貨発行権を盾にした政府の将来支払いに対する非制限的な支払い能力を明示したうえで、
①積極的な財政政策の実行(財政赤字への懸念払拭)
②財政支出の対象や費目の拡大(公共投資だけでなく社会保障的な給付金も)
をきちんと訴えており、この点を非常に好ましく思っている。

だが、MMT論者、特に国内の論者の多くは、いまだに、貨幣負債論や租税貨幣論といった、どうでもよい枝葉の部分への強いこだわりを捨てきれず、MMTが目指すべき経済政策や、その先にある適正な社会の在り方に関する考察がなおざりになっているのが残念でならぬ。

MMT論者は、自分たちの貨幣観はリフレ派とは違うと主張し、しきりに距離を取りたがるが、
・貨幣を負債視したがる(=野放図に増やせない)こと
・経済の起点を金融や負債の拡大に置きたがること
・政府から家計への直接給付をフリーランチと蔑視しがちなこと
・“カネか、雇用か”、“インフラか、ベーシックインカムか”という二者択一論を語りたがること
・政府紙幣よりも国債みたいな負債に頼りたがること
・財政支出拡大の話をハイパーインフレとセットで語りたがること
・心の奥底では、政府の非制限的な支払い能力に対する疑念を捨てきれないこと
・持説への反論に対するレスポンスが、「教科書を読め‼」しかないこと
・反論に対して具体的な回答を避け、逆に相手へ質問を返したがること(貨幣という負債を誰が、何を以って、何時までに返済すべきか、という簡単な質問への回答が、いまだに帰ってこない…)
などといった点から、MMTとリフレ派の経済観はかなり近似しているのではないか。

片や、国債増発による財政政策を訴え、片や、金融緩和万能論に固執する違いはあるものの、両者間にある、
・社会的弱者(いまや国民の大半がここに属するにもかかわらず)の救済に対する視線の冷たさ
・貨幣を負債の一種と捉え、その配布量に制限を掛けたがる点
・金融や負債の拡大を重視したがること(名称にも“金融”を使いたがるし…)
・経済基盤や国民生活の崩壊に対する危機感の甘さ
といった共通項を見るにつけ、せいぜいカツ丼とカツ煮定食くらいの違いしかないと思っている。

筆者は、MMTの根幹は、政府の非制限的支払い能力を活用した社会的課題のスピーディーな解決にあると考えている。

よって、「MMTは経済政策の是非を問うものではなく、現実を説明しているだけ」と責任回避の煙幕を張るのは無責任極まりないし、一般人には理解不能な貨幣負債論や租税貨幣論のような空疎な書生論などゴミくずでしかない。

経済的苦境に苦しむ国民の生活を一秒でも早く救い出すために何をすべきか、もっと真面目に考えてもらいたい。
くだらぬ貨幣負債論を唱える前にやるべきことがあるはずだ。

だいたい、以前にも指摘したが、MMT論者の貨幣負債論に関する説明はあまりにも雑すぎる。

「円は日本政府の借用書、つまり、貨幣は日本政府の負債。日本政府は借用書を書き、国民からモノやサービスを借りている」
「“誰かの資産=誰かの負債”という経済の大原則から、通貨は政府の負債でしかありえない」
「貨幣が負債の一種だと、ランドール・レイの教科書に書いてある」

こんな説明だけで、貨幣負債論が認められると思ったら考えが甘すぎる。

そもそも、国民は円を日本政府の借用書だなんて思っていない。

貨幣を、国内に存在するあらゆるモノやサービスと強制交換できる資産だと思っているからこそ喜んでそれを受け取り、欲しがるのであって、貨幣が政府の借用書だなんて言ったら、「国の借金を俺たちに押し付けるのか~」と逆ギレされるだけだ。

また、政府は発行した円を使い、国民や企業からモノやサービスを“買い取っている”のであって、“借りている”のではない。

公共事業や福祉事業によって、政府と民間経済主体との間に生じるのは、労働の提供と対価の支払いであって、賃借や債権・債務関係ではない。

MMT論者は、森羅万象の取引を賃借や債権・債務の視線で捉えたがるあまり、「誰かの資産=誰かの負債」論を貨幣にも援用できると思い込んでいるようだが、はっきり言って「誤用」であろう。

それが真であるのは、銀行の預貸金や政府の国債のような双方の間に債権・債務関係が成り立つ場合のみであり、モノやサービスの売り買いみたいにその場で決済・清算されてしまうものにまで経済の大原則とやらを被せるのは不適切だ。

“教科書に書いてあるから~”の類いに至っては、レベルが低すぎてコメントする気にもならない。
「本当に貨幣が負債なのか否か、自分の頭を使ってよく考えろ!」と言っておく。

MMT論者は、雇用保障プログラム(JGP)、つまり、政府や地方自治体による雇用創出事業を勧めており、これはこれでよい。
ただし、既存の地域おこし協力隊みたいな不安定かつ低賃金な短期雇用をいくら増やしても大した効果は生まないだろう。

ジョブトレーニング的な“雇用対策にきちんと取り組んでますよアピール”はもう要らない。
そんなものは、失職者に無理やり名刺を与えるための一時しのぎでしかなく、職務経歴をバージョンアップさせるのにクソの役にも立たず、失職者を正規雇用の座に就かせるための期間をいたずらに浪費するだけに終わる。

MMT論者がお嫌いなベーシックインカムにしても同じだが、MMTは政府の非制限的財政支出能力を謳う以上、財出の使い道をやたらと選別したがる悪い癖をいますぐに止めてもらいたい。

失業者対策を行うに当たり、おためごかしのJGPに逃げるのではなく、堂々と公務員の大増員に言及すべきではないか。

我が国の人口当たりの公務員数は他国より少ないし、民から公への人材流入によって、日ごろからお役所批判を繰り返す国民にお役所仕事を改革させるチャンスを与えることにもつながる。

また、公務員と民間とで人手の争奪戦を繰り広げることが、いまだに奴隷労働を探し回る民間経営者の意識を変える良いきっかけにもなるだろう。

筆者が他者の経済論を評価するに当たり重視するのは、「貨幣を経済拡大や国民生活向上、ひいては国富(生産力や技術力)増強のツールとして割り切って使う度量や胆力があるか否か」という点に尽きるが、貨幣負債論者は、リフレ派同様、その点の覚悟が十分ではないと感じている。

2019年3月16日 (土)

貨幣負債論はリフレ派と同じ運命を辿る

『現代金融理論MMTは「完全なナンセンス」』(ブルームバーグ3/13)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-13/POA9WH6K50XT01
「「現代金融理論(MMT)」否定陣営にダブルライン・キャピタル共同創業者のジェフリー・ガンドラック氏が加わった。
 同氏は12日のウェブキャストで、MMTは「大規模な社会主義的プログラム」を正当化するために利用されている「完全なナンセンス」だと論じた。
 MMTを信奉するエコノミストらは、米国は自国通貨で借り入れているので、返済のためには通貨を発行すればよく、破綻することはあり得ないと主張する。ガンドラック氏は「この議論の問題点は、それが完全に誤っているということだ」と述べ、MMTは長期債の「重大なボイコット」につながる可能性があると付け加えた。
 さらに「この議論はばかげている」とし、「小学1年生には正しく聞こえるかもしれないが、景気が悪化したらどうなるのか」と問い掛けた。
 米国が来年リセッション(景気後退)に陥れば、MMTは単なる理論以上のものになる可能性があるとして、米国がMMTの実験に向かっているかもしれないとも述べた(略)」

MMTに関する議論がアメリカで盛り上がっているようだ。

同理論は通貨増発による景気刺激策を訴えるものゆえ、予想どおり、周回遅れの緊縮主義者や構造改革派といった“既得権益者”から激しく攻撃されている。

「完全にナンセンス」なのは、いくらでも造り出せる貨幣の支出を惜しみ、国内の社会保障プログラムの充実やインフラ整備、技術開発力の高度化、教育の充実といった重要課題を放置したり、自国通貨建て国債の返済を危ぶんだりする“経済ド素人”の方だろう。

MMTを含む積極財政派による“米国は自国通貨で借り入れているので、返済のためには通貨を発行すればよく、破綻することはあり得ない”との主張は、経済を理解するうえで極々初歩的な「常識論」にすぎないが、貨幣を負債やペナルティの類いと思い込み、むやみに増やしたり分配したりできないと考えるブードゥー経済論者には、そういった常識すら理解するのが難しいのか…

ガンドラック氏は、「(国債償還のために貨幣なんか発行したりして)景気が悪化したらどうなるのか」とマヌケなことを言っているが、貨幣発行を財源とする積極果敢な財政支出の目的は景気を加熱させるためであり、よしんば景気悪化期に実行するとして、「大増税+大緊縮or聖域なきバラマキ」のどちらが景気回復に資するか、小学生でも解るはずだ。

こうした議論は、やがて日本のマスコミによっても報じられ、国内にも伝播するだろう。
MMTは、アメリカ以上に頑迷な緊縮脳まみれの日本人にとって刺激の強すぎる理論であり、相当な反発を喰らうであろうことは容易に予想がつく。
というより、端から聞く耳を持たれぬまま、ガン無視される可能性が強い。

筆者のMMTに対する立場は、これまで何度も説明しているとおり、
①通貨発行権に基づく政府支出の無限性と、それによる社会的課題のスピーディーな解決を訴える部分は大いに賛同する。(→従前からの筆者の主張とも一致するため)
②ただし、貨幣負債論や租税貨幣論のような緊縮主義者をアシストするだけの空想上のゴミくず論は真っ向から否定する
というものだ。

これを踏まえて、MMTに関わる議論が我が国に上陸した際に、国内のMMT論者が恥をかかぬよう、いくつかアドバイスしておきたい。

まず、彼らに言っておきたいのは、「持論を国民に解ってもらいたいのなら、なぜ、貨幣が負債なのか、自分たちの言う“負債”とはどういう意味なのか、箇条書きで具体的に明示すべき」ということだ。

国民の貨幣に対する興味や理解の深さは様々だ。
①貨幣は負債ではない(否定派)
②貨幣を負債呼ばわりするのは違和感がある(懐疑派)
③貨幣は負債だ(肯定派)

国民の多くは上記①②に属すると思われるが、これまでの貨幣負債論者の説明は、あまりにも穴だらけで雑すぎた。
「何で貨幣を負債と思うの?」という疑問や質問に対して、「そもそも貨幣は負債なんだよ。そんなことも解らないの? ┐(´д`)┌ヤレヤレ」という不遜な態度から説明をスタートさせるのは身勝手すぎる。

“貨幣が負債であるか否か”という初歩的な次元や段階で、周囲から疑念の声が上がっているにもかかわらず、そこをすっ飛ばして、いきなり「貨幣は負債なんです」から説明を始めるのは、真摯な態度とは言えず、正直いって傲岸不遜かつ不誠実としか思えない。

だいたい、不況続きでカネのない国民に、“負債だ、債務だ”とがなり立てたところで、「へぇ~お金って負債なんだ。ってことは、国の借金なのか… こんなものを無駄遣いさせられないな」と、かえって消費意欲をシュリンクさせ、国民にカネを使わせるのが大嫌いな緊縮主義者(反国民主義者)を歓ばせるだけだ。

貨幣負債論者は、「負債」というネガティブワードの使用を控え、もうちょっとマシな修飾語を探してはどうか?

「誰かの資産は誰かの負債」という経済原則を援用した負債肯定論も的を外している。
そもそも、前段の大原則は、双方が債権債務の関係にある場合のみ通用するものであり、他者から借りたものではない貨幣にまで適用するのは不適切だ。

既に所有する貨幣の価値や通用力を保障し、その資産性を担保するのは貨幣負債論のようなバカげた空想ではなく、国定貨幣や法廷貨幣の制度を定めた法律であり、ひいては、法の力を担保する(国家を運営する国民の生産力や技術力等に裏打ちされた)国家の存在そのものである。

また、「貨幣が負債でないとすると、●●を説明できない」的な言い訳もよろしくない。
そんなか弱い状況証拠を見せられても国民は納得できないし、メソポタミアとかヤップ島のツケ払い帳を引き合いに出されても、頷く者は一人もいないだろう。

貨幣負債論支持者は、否定派や懐疑派に対して、きちんと、「●●だから貨幣は負債なのだ」と解りやすく説明すべきだし、何度も言っているように、『貨幣が負債だとしたら、誰が誰に対して、何を以って、いつまでに返済・清算すべきか』という簡単な質問に対して、逃げ回ることなく誠実に答えねばなるまい。

彼らの「お金は借りることで発生し、返済することで消滅する」との主張も、お金は「造ること(政府紙幣)」でも発生することを意図的に見落としており、片手落ちとしか言えない。

「国債増発=お金を借りる=政府債務の膨張」という経路で経済成長の糧を得ようとするのは一つのやり方であり、筆者も賛同する。

ただし、企業や家計といった民間経済主体が、投資や消費のために「借りる=債務膨張」に積極的になれるのは、一旦借りた債務を(収益という果実を財布に入れたうえで)将来的に返済できるだけの裏付け(増収・増益)が見込めるという強い確信が必要になる。

マクロレベルで売上や収益を上昇させるためには、民間経済主体の実質金利低下期待や債務膨張意欲を煽り続けねばならず、バブル発生と崩壊のリスクと常に隣り合わせにならざるをえない。

経済発展の過程において債権・債務が膨張するのは当然の現象だが、こと長期不況からの脱却、つまり、ゼロではなく大幅なマイナス地点からアクセルを吹かすケースのやり方として、債務の膨張に頼るメソッドは、リフレ派による金融緩和万能論と同じく失敗を招くだけに終わるだろう。

人々は“債務や負債”に怯えと嫌悪しか感じず、負債縮小の為なら成長や幸福への期待を放棄することすら厭わぬ覚悟を決めてしまっている。
自分たちの生活向上よりも、国の借金とやらを減らすことを優先しても構わないと諦めてしまうバカな国民のなんと多いことか…

かような状況下で、「貨幣は負債だから、政府負債が増え続けるのは当たり前」なんてドヤっても、何も始まらない。

経済成長に伴い政府負債(国債)が増え続けるのは事実であり、在るべき姿なのだが、貨幣負債論を前提に、これを緊縮脳に染まり切った国民に納得させるのは不可能だ。

国民は「負債」という言葉自体に怯えにも似たネガティブな感情を抱いており、政府負債を増やせと叫んだところで、「どうせ、後で重税を課すつもりだろ‼」、「私たちの税金が~」と猛反発を喰らい、「お金は負債なんだろ? なら、国債をどうやって返すんだよ‼ 借金を借金で返すのか??」と馬鹿にされるだけだろう。

負債や債務を恐怖する勉強不測の国民を安心させるためには、貨幣を負債呼ばわりしてはならない。

多くの国民は、政府が抱える負債は最終的に自分たちが被らねばならないと、妙な正義感に囚われており、「政府の負債拡大→民間経済の活性化→経済発展→所得UP」という簡単なロードマップすら描けないでいる。

彼らを安心させるには、何者にとっても負債や債務ではなく、国内にあるあらゆるモノやサービスとの交換価値が保証される絶対的な資産性を有する存在、つまり、『貨幣』を大胆に供給する姿勢を政府が明示することが重要だ。

自分たちが税金を搾り取られるのではないかと国民を疑心暗鬼させるのではなく、国民が(高インフレの発生防止という最大の責務を除いて)自分たちの責任外の財源を得て、社会的課題の解決に邁進できる体制や基盤づくりこそ望ましい。

その手法を具体化するのが通貨発行権の執行であり、これを既存の国債増発を併せて、もっと積極的に活用すべきだろう。

現行の不況下で負債拡大論を先行させるのは、あまりにも筋が悪い。
政府紙幣の増発により国債増発をアシストし、資産・所得拡大論を先行させ、人々が現状の所得に満足し、将来にわたる増収期待に強い確信を得ることができれば、負債は黙っていても増え続けるものだ。

2019年3月14日 (木)

財政赤字を気にするブードゥー教徒

筆者は、3/7にアップした記事『MMTに期待すること』(https://ameblo.jp/kobuta1205/page-2.html)にて、MMT論の支持者に対し、
①一般国民の支持を得られそうにない貨幣負債論と租税貨幣論は一旦横に置くべし
②そのうえで、MMTの根幹である“自国通貨発行権に基づく政府の非制限的な財政支出能力を活かした大胆かつ無選別の財政政策”を積極的に訴えるべき
と述べた。

下記のロイター記事によると、MMT支持者の経済学者が、財政赤字限界論に固執する御大級の学者たちを向こうに回し、財政赤字よりも社会的課題解決を優先すべしと訴え、奮闘している。

記事で紹介されたステファニー・ケルトン教授が、貨幣負債論や租税貨幣論にどの程度こだわっているかは知らぬが、「財政赤字なんて、社会的課題解決という大目標を前にすれば、取るに足らぬ些末事に過ぎない」という主張が、マスコミを通じて広く周知されることは非常に意義深い。

大多数の国民は「財政赤字=絶対悪」と盲目的に信じ込み、財政赤字がもたらす国民所得の増進、技術革新、産業発展、医療や福祉・教育の充実、貧困の根絶などといった莫大な社会的効用に気づくことなく、財政赤字を嫌悪し緊縮財政を受忍することにより、社会問題解決や構造改革のチャンスを自らゴミ箱に放り投げ続けてきた。

筆者は、MMTに関わる論争が「財政赤字は悪くない→“財政赤字=積極財政”は社会的重要課題解決につながる良薬だ」という常識が浸透するきっかけになることを願っている。

『「財政赤字は悪くない」、大統領選にらみ米国で経済学論争』(ロイター)
https://diamond.jp/articles/-/196615
「ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏とローレンス・サマーズ元米財務長官は過去3週間、ツイッターやテレビ、新聞のコラム欄を活用して、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授に反論を重ねてきた。
 ケルトン教授は、政府予算や財政赤字は完全雇用やインフレを実現するために積極利用すべしという「現代金融理論(MMT)」の強固な提唱者で、2016年の前回大統領選ではバーニー・サンダース上院議員の顧問を務めた。
 ケルトン氏の主張に対し、クルーグマン氏は「支離滅裂」と一蹴し、サマーズ氏はワシントン・ポストのコラムで新たな「ブードゥー経済学(魔術のようで理論的に怪しいとの意味)だ」と批判した。(略)
これほどの発想転換は、平時なら思いもよらないだろう。(略)
ケルトン氏に至っては、政府ができるし、やるべきだと考える範囲はもっと広く、債券市場や外国為替市場が許さないことを地球を救う支出を抑制する理由に挙げるのは、かなり筋が悪いと主張する。(略)
 またケルトン氏は、米国の通貨発行権を完全雇用や温暖化対策の財源確保などの実現に活用すべきだと論じている(略)」

クルーグマンやサマーズらはケルトン氏をこき下ろすくせに、自分たちは、インフラ整備や教育・社会保障の拡大、雇用の確保と質の向上といったアメリカが抱える諸問題を、カネを使わずに完全かつスピーディーに解決できる方法を何ら示すことができない。
(一時、クルーグマンはリフレ派から積極財政派に転向したと言われたが、いまだに未熟なリフレ論から離れられないらしい…)

国民に重税を課し、カネを使わせないよう我慢を強いて捻出したカネを財源に福祉や教育、貧困、インフラ問題を解決できると本気で思っているのなら、彼らこそブードゥー経済学にも劣るジャンクと言えるだろう。

財政支出を経済発展や国民生活向上に活用しようとするケルトン氏の主張は、次のコラムに紹介されている。
『ステファニー・ケルトン「財政赤字は気にしなくていい」』
http://econdays.net/?p=9268

インタビュアーの質問に答える彼女の論をいくつかピックアップしてみる。

「ツイッターで民主党は1.5兆ドルでどんな健全な投資をするのかと聞かれました。こんなことができます。インフラ整備に6500億ドル、公立大学の授業料無償化に7500億ドル、プエルトリコに1000億ドル。あるいは、1.4兆ドルですべての未払い学生ローンの棒引き。または、社会保障拡大に1.2兆ドル。共和党がもうお金なんて必要ないお金持ちにただ同然に渡したがっている1.5兆ドルを、アメリカ国民に渡すのです」

「国の財政赤字があるという理由で憤慨して朝目覚めるひとはいません。彼らが怒っているのは、給与が上がらなくなったから、退職後が心配だから、そして子どもたちを学校に通わせ続けられるかどうか心配だからです」

「誰も経済がその可能性より低いパフォーマンスをすることを望みません。雇用できる限りの労働力や使える限りの資本の投入をして、経済がその可能性を完全に達成することを、みんな望んでいるのです。ひとびとが条件の悪い雇用のもとで働いたり失業者になったりしてもらいたくはないでしょう?完全雇用がほしいのです」

「MMTが何を主張しているかというと、アメリカのように自国通貨を発行できる国はギリシャのようにはけっしてならないということです。自国通貨を持つ国の政府は、請求書が払えなくなるような状況に陥ることはありません。アメリカ政府は売られているものは何でもアメリカドルで買うことができます」

「もし私がアメリカ議会で支出の許可権限を持っているとしたら、座ってこう言います:「インフラ整備に1.4兆ドル。どうやってやるかって?私がたった今、許可しました。それだけよ」って。政府の支出はセルフ・ファイナンスである(資金調達を自ら行っている)と私がいうのは、政府支出というのは私たちが車を買いに行くときのように資金をあらかじめ用意するわけではないという意味です。(略) 国会議員が、インフラ整備、教育、社会保障の拡大などの何らかの法案を提出します。すると法案の採決があります。例えば、戦争を取り上げてみましょう。「国防にお金を使います」、するとこの法案に各国会議員は賛成か反対の票を入れます。前もって資金調達を手配したりはしません。(略) 要は、議会が支出を許可すれば、お金は使われるということです」

「限界は現実の経済の中にあります。もし私がアメリカ政府なら、「すべての国民の健康保険、あらゆる分野の高等教育、そしてインフラ整備の法案を通したい」と言います。私たちにはもっと病院、大学、教師が必要ですし、改良された道路や橋も必要です。もし経済が完全雇用を達成していてもう雇用可能なひとが誰もいなくなったら、どうしたらよいでしょうか。限界は現実の経済の中に存在するのです」

彼女の主張を踏まえて、筆者が抱いた感想は、
①財政赤字や国債累積を心配するあまり、社会的諸課題解決を放置したままにするのは鈍物の証し
②通貨発行権の存在を認めておきながら、財政支出の行き先を選別したがるのは愚者の証し
というもので、管理通貨制度が一般化した現在において財政収支それ自体を議論することの愚かさを訴え、財政支出を国民の生活向上を妨げる諸問題根絶のためのツールとして積極的に活用しようとする彼女の経済観を高く評価する。

MMT論者が、貨幣負債論や租税貨幣論という子供じみた言葉遊びに躓くことなく、財政赤字にまつわる妄想や幻想の類いを払拭する論を張ることは大いに歓迎したい。

世界一の経済大国であるアメリカとて、貧困や失業、質の悪い雇用、医療・福祉レベルの低下、インフラの老朽化といった社会的課題と縁を切ることができず、世界トップの経済大国に暮らす国民という地位にふさわしい生活を送れるものは、3億人を超える国民のうちごく僅かだ。

上記インタビューの中でケルトン氏は、財政支出の限界は赤字額ではなく、支出されたカネを付加価値のあるモノに変えるために欠かせない労働力・資材・資源などといった生産力や供給力にあると主張する。

これは、天然資源や一次資源を国民の生活向上に資する物品やサービスに変換する「生産力・供給力・技術力」こそが最重要の国富であると主張する筆者の考えとも一致する。

地下に溜まったガスや大海を泳ぐマグロは、それらを家庭のコンロの火力に変え、美味しい寿司ネタに加工する技術があってこそ、初めて“資源”と言えるのだ。

地球上に存在する気体や魚類を、生活を潤す資源に変換する技術を維持し、磨き続けるためには、人々の意欲を刺激し、そうした行為に没頭させる動機や報酬が必要になる。
それこそがカネの果たすべき役割なのだ。

カネなんてものは国民や政府の意志により制限なく造り出せるツールに過ぎない。
財政赤字とかPBを心配するあまり、国民に重税を課してカネを取り上げ、実体経済に放出するカネの量を絞ってしまうと、企業や国民の収入が減り、生産力や技術力は減退を余儀なくされ、国富は腐敗へと進む。

国富たる生産力や技術力を失った国家の国民は、いったい何を支えに生活を維持できるというのか…

筆者が国債増発や政府紙幣発行を財源とする積極財政論を口うるさく訴え続けてきた真意はここにある。

国民の生活を最終的に支え得るのは国民自身しかいない。
国民自身が、貧困や失業により、就業を通じてしか得られない技術や労働に対する前向きな意欲を失ってしまえば、国家はおろか、社会生活を支える基盤は瞬く間に崩壊の危機を迎えるだろう。

“カネが惜しい、無駄遣いは悪、国債は将来世代へのツケ送り、給付金は怠け者を増やすだけ”云々と愚痴を吐き続け、財政赤字を攻撃し、財出の行く先を選別したがる大バカ者たちは、真の国富、最凶の国難とは何たるかをまったく理解できないブードゥー教徒でしかあるまい。

2019年3月11日 (月)

不毛な二者択一論は幼児性の証し

『甲状腺がん診断...15年間で『韓国17倍』 福島医大・国際シンポ』(福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20190116-342446.php
「建国大(韓国)の耳鼻咽喉・頭頸部(とうけいぶ)外科のリー・ヨンシク教授は15日、福島医大が福島市で開いた国際シンポジウムで講演し、韓国で広範囲に甲状腺超音波検査が行われるようになった結果、「甲状腺がん」と診断された人が15年間で約17倍に急増したことを報告した。リー教授は、甲状腺がんと診断される人の急増は「超音波検査の乱用が引き起こした過剰診断の見本だ」と見解を示し「治療の必要がない微小ながんまで見つけて手術することで、恐怖をあおる結果を招いた」と述べた。(略)
 リー教授は韓国の経験を踏まえ「原発事故を経験した福島の人々が甲状腺がんを不安に思うのは当然だが、超音波検査で見つかる微小ながんのリスクが小さい以上、検査が生み出すがんへの漠然とした恐怖の方がより大きな問題になり得る」と話した。
 リー教授は甲状腺がんは触診で分かる大きさになってからでも生存率が97%超だったとのデータも示し「福島でも甲状腺の超音波検査はやめ、定期的な触診が甲状腺がん予防に十分役に立つ」と述べた。(略)」

『甲状腺がん検査「発見率の上昇なし」 福島医大が研究結果報告』(福島民友ニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190223-00010014-minyu-l07
「東京電力福島第1原発事故後、県が県内全ての子どもを対象に実施している甲状腺検査を巡り、福島医大は22日、国連の報告書を基に甲状腺吸収線量と甲状腺がんまたはがん疑いの発見率の関連性を調べた結果、線量の上昇に伴う発見率の上昇は確認されなかったとの研究結果を報告した。(略)」

東日本大震災の津波被害を被った東京電力福島第1原発事故に端を発して、反原発ゴロや過激な左翼思想に駆られたクズどもによる「福島=放射能汚染」という許しがたいレッテル貼りや暴言が横行し、彼らのあまりにも無責任かつ人非人的な態度に、筆者は大いなる怒りを覚えていた。

だが、案の定、上記報道のとおり、福島県内の放射能による健康被害など存在せず、“福島の子供たちは甲状腺がんの高リスクに晒されている~”という脅し文句が悪質な大嘘であることがバレてしまった。

「治療の必要がない微小ながんまで見つけて手術することで、恐怖をあおる結果を招いた」という趣旨の指摘は、反原発派による大嘘の流布を諫める論者から、これまでもたびたびなされてきたが、今回、リー教授という利害関係のない第三者から同様のコメントが得られたことは大きい。

反原発ゴロの薄汚い連中は、自分たちの思想をゴリ押しするために、福島に暮らす方々を貶め続けてきた罪の重さを思い知るべきだ。

ゴロツキどもが「福島の子供=甲状腺がんに罹患」というデマをばら撒くたびに、我が子の健康は大丈夫だろうかと不安に駆られ、ストレスを抱え込んだ親御さんも多数いらっしゃったに違いない。
ただでさえ、避難生活の負担を抱え、福島県産の農水産物に対するいわれなき白眼視に耐えながら、お子さんの健康不安を煽るような暴言に晒され続けた方々の心情たるやいかばかりかと同情を禁じ得ない。

罪深いゴロツキどもは、反省の色を形で示すためにも、“「私は原発憎しで大嘘を吐いた馬鹿です」と背中に書いた法被でも着て、浪江町や双葉町に行き、向こう5年間、毎日草むしりでもやってこい‼”と言っておく。

さて、世間に大嘘を撒き散らしているのは、反原発ゴロだけではない。
ネットを見ても、「経済成長は不要」、「公共事業は要らない、減税や給付金を‼」と叫んで、緊縮主義をアシストする経済無知の大バカ者が散見される。

経済成長不要論や公共事業嫌悪論を唱える者の特徴は次のとおり。
①自分の懐には成長の果実が一切入ってこないと思い込んでいる
②成長に伴い仕事が忙しくなりストレスが増えることに怯えている
③成長の果実を享受できる層と自分との経済的差異が大きくなることに嫉妬している
④そもそも、“経済成長”の意味をまったく理解していない
⑤公共事業はDQNばかりの土方やゼネコンにカネをばらまくだけで、自分には恩恵がないと思い込んでいる
⑥公共事業より、確実に自分の懐に入ってくる減税や給付金を欲しがる

経済成長不要論を唱える連中も一枚岩ではない。
A 緊縮思想を崇拝するあまり財政拡大を伴う経済成長を忌み嫌う者
B 積極財政派の論者への嫉妬心から意図的に経済成長を貶めようとする者
の2種類に分別される。

特にAの緊縮派は、20年不況を経てもなお国民の大半を占める一大勢力で、「国債=国家・国民の借金=次世代への負の遺産」という妄想の呪縛にあえて囚われたままでいようとする、いわば『幸福恐怖症患者(幸せを敬遠し、不幸に安らぎを感じる病気)』とでも呼ぶべきか。

彼らは、“国債は借金、借金は悪、借金が増えるくらいなら死んだ方がマシ”と頑なに信じ込んでおり、理を以って諭すのは不可能に近い。
狂信者に何を言っても徒労に終わるだけ。

彼らの意向など無視して積極財政を行い、彼らの不平不満を踏み越えつつ、経済成長と所得倍増といった体感可能な“実績”で黙らせるしかない。

一方のBに分別される嫉妬集団には、常識とか理性を以って接する必要はない。
ただひたすらバカにしておけばよかろう。

この手の連中は、“経済成長しても自分には何の益もない”と拗ねるのがお約束だが、経済成長の意味を何も分かっていない。

経済成長とはGDPの成長を意味し、その目的は国民所得の増大と、それが惹き起こす産業力や技術力の強靭化に他ならない。

GDPの分配面から分解すると、「雇用者報酬」という国民の取り分が50%近くを占めているが、経済成長の重要性を唱える者が目指すのは、この“国民の取り分”を増やすことである。

嫉妬集団の連中は浅はかな勘違いをしているようだが、経済成長の果実として国民所得が増えるのではなく、「適切な経済政策が国民所得の増大をもたらし、その結果として嫌でも経済が成長してしまう」というのが正しい。

経済成長は不要というのは、「オレの給料が減っても構わない」というのと同じこと。
マクロ経済を眺める際には、自分たちの給料が増えた結果、経済も当然成長するものだと見方を変える必要がある。

それが解かれば、「経済成長か、身の丈に合った生活か」という二者択一論に固執することが、いかにバカバカしいことかすぐに理解できるはずだ。

他国がガンガン成長を続ける環境下で、我が国だけがのんびりと身の丈生活など享受できるはずがなかろう。
途上国の国民が経済的に裕福になり、衣食住のランクを上げ始めると、世界中の原材料や食糧、エネルギー価格が上昇するから、“もう成長は要らん。オレはのんびり暮らすから”と安穏とできると思っているなら大間違いだ。

自分たちの所得を他国に負けぬくらいのスピードで上げていかないと、資源や食糧価格の高騰という悪性のコストプッシュインフレに苦しめられるばかりか、買い負けにより端から物品が手に入らないという惨事に直面することになろう。

長期間にわたる不況の放置により、国内のモノづくりが壊滅状態の危機に瀕している状況下で、資源や食糧の不足に見舞われ、コストプッシュインフレの襲来を喰らうことの恐ろしさを噛みしめてみるがよい。

また、「財政支出=公共工事増」と話を矮小化し、公共事業悪玉論を吐き散らすバカにも呆れ果てる。

まず、財政支出の拡大を唱える積極財政派の中に、公共工事だけを増やせと言う者はいない。
公共工事は無論のこと、社会保障費(医療や福祉等を含む)、科学技術振興費、農業予算、防衛費、産業振興予算、教育費などあらゆる予算を拡大し、国内産業の基盤強化と労働者の所得を増やせと訴えている。

積極財政派が公共工事をクローズアップしがちなのは、我が国の国民生活や産業基盤を支える社会インフラが、度重なる緊縮政策により新規整備や更新投資が放置され、向こう20年間で崩壊の危機に瀕している事実を重く見ているからに他ならない。
【参照先】http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/maintenance/02research/02_01.html

仮に国民が豊かになったとして、港湾の岸壁がボロボロ、橋やトンネルも崩落といった惨状で、せっかくAmazonでポチったモノが満足に届かないようでは元も子もない。
(そもそも通信回線がズタボロで、ネットがつながらなくなるかも…)

「公共工事か、減税・給付金か」という選択論に固執する輩は、経済をマクロ的に俯瞰できぬ蚤や虱の類いでしかない。
インフラ投資と減税や給付金とを天秤にかける発想自体に、周回遅れな幼児性を感じる。

インフラは国民の社会生活と産業基盤を下支えする揺り籠であり、減税や給付金による実質所得の増加は、GDPの根幹を占める個人消費の強力な牽引力となり経済発展に欠かせない。

くだらぬ二者択一論はいますぐ捨てるべきだ。
公共工事も善し、減税・給付金も善し、国民の生活を支え、国民を豊かにする政策であれば、どちらか一方を排除すべきではない。
無理を推しても両方やればよいだけだ。

«MMTに期待すること

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