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2017年2月27日 (月)

ヘリマネを腐す前に、増税脳を嗤え

『金利と経済 高まるリスクと残された処方箋』を著した京都大学 翁教授の解説文が、ダイヤモンドオンラインに掲載されている。
著者の翁氏は日銀OBで、日銀によるマネーサプライの管理是非を巡り、当時の岩田学習院大教授(現日銀副総裁)と「岩田・翁論争」を繰り広げたことで有名な人物である。

『本当に将来の増税を回避できるのか? ヘリコプターマネーの効果を考える』
http://diamond.jp/articles/-/119182?utm_source

翁氏は解説の中で、
「金利ゼロの負債である銀行券で財政をファイナンスすれば、財政コストを伴わずに、財政をファイナンスできる、という結論になりそうに感じる。(中略)しかし、意外にも答えはノーである。」、
「ヘリコプターマネーが、「増税を不要にする財政ファイナンス策」ではありえない」
とし、ヘリマネや大規模な財政支出に否定的な見解を示している。

翁氏の主張をまとめると、次のようになる。
①金利がゼロの間は、家計・企業は受け取った銀行券(紙幣)をタンス預金するだろうが、金利上昇につれ家計は銀行券を預金し始めるから、銀行券が金融機関に還流して日銀当座預金が増える。

②銀行券による財政ファイナンス政策のコストは、ゼロ金利が続く間はゼロかもしれないが、インフレ目標が達成され金利がある程度上昇した時点では、家計による預金増加→日銀当座預金増加をもたらし、日銀当座預金への利払い(+0.1%の金利適用分)が財政コストになる。

③ヘリコプターマネー型の銀行券による財政ファイナンスを採用しても、それだけでは政府の利払費を節約することはできない。金利がゼロから上昇することで統合政府の利払いは不可避的に増加するから、それを防ぐには、金利を恒久的に上昇させない「永遠のゼロ金利政策」が必要になる。

④ヘリコプターマネーの導入と同時に、利払費増加額と同額の銀行課税導入が必要だが、銀行への大規模な課税は、銀行の収益基盤を揺るがしかねず、利用者である家計や企業に、何らかの形で税負担を転嫁するしかない。つまり、ヘリコプターマネーは、「増税を不要にする財政ファイナンス策」には成り得ない。

要は、増税を嫌って財政支出、とりわけ、ヘリマネのように安易な手法に頼るなと言いたいのだろうが、正直言って、翁氏が何を言いたいのかよく解らない。

先ず、①について、この先金利が高騰するなら預金額も増えるだろう。
しかし、「金利がゼロの間は、家計・企業は受け取った銀行券(紙幣)をタンス預金する」というのは、翁氏の妄想に過ぎない。

国内銀行の預金残高は昨年12月末時点で730兆円と、ここ2年余りで72兆円も増えている。
金利が低過ぎることに腹を立てて自宅金庫にタンス預金するような変わり者はごく一部でしかなく、家計や企業は鼻クソみたいな金利でも、せっせと預金を増やし続けている。

次に②だが、日銀当座預金の「基礎残高」部分(今年1月末時点で208兆円)に付利される僅か0.1%の金利を取り上げて“財政コスト”呼ばわりするのは、あまりにも大袈裟すぎる。

208兆円×0.1%=2千億円程度の利払いなんて、H28の国債利払い費9.9兆円に比べればゴミみたいな金額であり何の問題もない。

また③だが、利払い増加を防ぐのに「永遠のゼロ金利政策」を執る必要などない。
前述のように、日銀当座預金の利払いコストは極めて軽微であり、それすら不都合なら、元々無金利だったのだから、ゼロ金利に戻せばよいだけだ。

また、ヘリマネを財源とする大規模な財政政策の実行により景気は過熱し、名目GDPの成長を通じて税収も増加するから、チマチマした利払いコストを気にせずともよい。

そもそも、利払いコストなんて言ったところで、所詮は、「政府・日銀」→「銀行・企業・家計」という日本国内の経済主体間を資金が移動するだけだから、大騒ぎする必要はない。

最後の④について、銀行収益を気にするのなら、積極的な財政政策を打って実体経済を刺激し投融資を活発化させる方が、遥かに効果的だ。

なにせ、国内銀行はH28/12月末で473兆円もの融資残高を抱えており、平均金利は0.998%と1%を切る惨状だ。
ゼロ金利やマイナス金利の悪影響をモロに受けた格好で、不良債権処理やシステム投資負担などを考慮すると、この水準で銀行が収益を上げるのは相当に厳しい。

今すぐゼロ金利政策を止めろと言うつもりはないが、積極的な財政政策を打ち続け、実体経済の過熱度合いに応じて、適切な金利環境に誘導する必要はある。
日銀当座預金の0.1%くらいのゴミ金利を気にするよりも、実体経済を刺激して、融資金利が3~6%程度になるよう誘導する方が、銀行収益にとっては遥かにプラスだろう。

翁氏は、政府の利払いコストを基点にヘリマネによる財政政策の弊害を説きたいようだが、論旨が的外れでピンとこない。

とどのつまり、「“増税を不要にする財政ファイナンス策(ヘリマネ)”なんてトンデモナイ。そんなことをしたら、増税できなくなるだろっ‼」というのが翁氏の本音なのだ。
どうしても増税したいのなら、最初からそう言えばいいのに…

2017年2月26日 (日)

人手不足は移民推進の言い訳

久しぶりに、経済財政諮問会議の資料に目を通してみた。

2月15日に開かれた「平成29年第2回経済財政諮問会議」の議事要旨から、出席した民間委員の発言をチェックすると、珍しく、「働き方改革=企業の残業代減らしではいけない。改革の成果である生産性の向上や業績向上が適切に給料に反映される仕組みが重要」(高橋日本総研理事長、新浪サントリーHD代取)といったまともな発言もあった。
(「適切に」という言い回しを、どう解釈するかにもよるが…)

しかし、相変わらず、
①IT業界を中心とする人材不足を外国人の活用で補うべし
②税・社会保険料の負担による子育て世代の消費低迷対策として社会保障制度改革が必要
といった移民推進論に凝り固まっている様子が覗える。

IT人材不足の件について、民間委員から提出された資料によると、2016年時点のIT供給人材は92万人で不足数は21万人に達し、これが2020年に37万人、2030年には79万人へ拡大するとされ、諮問会議の場においても、伊藤・新浪・高橋・榊原の民間委員4名が揃って外国人材の積極的な受け入れと活用が必要だと発言している。

例えば、
「コンピューターサイエンスの学科が少ない状況にある中で、即座に日本人の人材を補強することはできないので、そういった意味で、外からの高度人材の確保に向けて施策を早急に進めていくべきではないか。」(新浪氏)
「高度なIT人材の獲得競争は世界的に激化しているが、日本でも積極的に海外の高度人材確保の迅速化を図るべきである。そこで、例えば海外で余っている高度IT人材を国内で就労させるという特別なスキームにより彼らを活用する。そして、我々のギャップを埋める。」(榊原氏)
といった具合に、“日本にはIT人材がいない”、“外国人を頼って輸入するしかない”という勝手な前提の下に、国民の意見を無視して、都合よく移民促進のレールに沿った議論を進めようとしている。

彼らは、IT業界の人手不足を懸念するが、単になり手がいないことを嘆くだけで、IT業界が抱える慢性的な人手不足の問題を根本的に解決する気なんて、さらさらない。

経済産業省の資料『IT人材を巡る現状について(平成27年1月)』によると、情報通信業の国内従業者数はH25で107.6万人に対して、同業界の外国人労働者数は2.8万人と僅か2.6%に過ぎない。
【参照元】
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/johokeizai/it_jinzai_wg/pdf/001_04_01.pdf#search
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/johokeizai/it_jinzai_wg/pdf/001_04_02.pdf#search

業界の人材不足が本当に深刻で十万人オーダーで足りないのなら、そもそも、3%にも届かない外国人層を掘り起こすよりも、日本の高等教育を受け、日本語がストレートに通じる日本人層からの供給を図ろうとするのが常道だろう。

しかし、先に紹介した『IT人材を巡る現状について』では、
・景況不況による開発案件増減の調整弁となった多次請け協力会社の労働環境、雇用条件、待遇が悪化
・SI業界を中心に、「ブラック企業」、「デジタル土方」、「デスマーチ」、「新3K」のイメージが醸成
・業界全体にネガティブなイメージが蔓延し就労先としての魅力が低下、新卒学生がSI業界を敬遠
など、IT業界が抱える構造的問題により業界が疲弊し、人手不足の真因である“多重下請け構造による丸投げ委託”や“劣悪な労働環境による魅力低下”という体質は変わっていないと指摘している。

すぐに移民に頼りたがる輩は、問題や課題の改善を忌避し、移民受入れという安易なやり方に逃げ込んでいるだけだ。

こうした悪習や悪癖を取り除き、業界全体の改革をせぬ限り、国内のIT人材増員は望むべくもないし、いくら外国人を引っ張ってきても、すぐに逃げられるだけで根本的な解決にはならない。

なにせ、日本と違って諸外国では、IT業種は給与水準も仕事の満足度も高い人気の職業だから、ブラック業種の代表格と化している日本にまで、わざわざ来てくれる保証なんてどこにもない。
(例)
Q.「この仕事は給与が高い」
A.「よくあてはまる」…米国51.2%、インド47.4%、インドネシア30.8%⇔日本4.0%
Q.「自分の仕事の成果に対する評価」
A.「満足している」…米国51.0%、インド42.6%、インドネシア34.8%⇔日本7.8%
【参考資料】『IT人材に関する各国比較調査(概要版)』(経済産業省)http://www.meti.go.jp/press/2016/06/20160610002/20160610002-8.pdf

こうした実状をまったく考慮せず、経済財政諮問会議の連中は、人手不足を移民促進の突破口に悪用しようとし、「●●業界は人手不足が深刻」→「3Kで日本人がやりたがらない」or「教育システムの不備により日本には人材がいない」→「外国人材(移民)を活用するしかない」→「移民が暮らしやすい社会を創るため、日本の社会構造全体の改革が必要」と、話がどんどんエスカレートしている。

彼らの戯言は、「移民のために日本人は何ができるか、何をすべきか」という風にしか聞こえない。
この手の売国奴には、『いったい、お前たちは、どこの国の人間なんだ??』と厳しく問い質す必要があるだろう。

2017年2月25日 (土)

デフレ脱却に小難しい理論は不要

【合理的期待形成仮説】
「人びとが利用可能なあらゆる情報を用いて合理的に予想するとき,期待値に関しては正しい予想ができるという前提に立つ学説。合理的期待仮説ともいう。
サージェントやルーカスに代表され,1970年代に入ってから米国で大きな影響力をもち,ケインジアンの財政金融政策の有効性に対して,短期的に人びとは政府の政策の帰結を的確に予想し行動するから,政府の期待通りの効果は保証されない,と批判した。」(百科事典マイペディア)

「合理的期待形成仮説」のようなシロウト理論を真顔で信じているのは、経済活動に従事していない経済学者くらいのものだろう。

20日の日経新聞「経済教室」に『「合理的期待形成仮説」次の課題』という論文が載っていた。(執筆者:慶応大教授 小林慶一郎氏)
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO13085270Y7A210C1KE8000/

論文の要旨は次のとおり。

●ケインズ経済学までは、観測者(経済学者)は経済システムの「外」にいて、経済システムの「中」の人々(市場の住人たち)とは別個の存在と仮定されていた。

●現代マクロ経済学では「経済システムの『中』にいる市場の住人たちこそが観測者だ」と考える。市場の住人たちは自分の行動を決めるときに経済システム全体を観測し認識しているはずだ、とシカゴ大学のロバート・ルーカス名誉教授は指摘した。

●「人々の期待が、人々の期待それ自身に依存して決まる」という再帰性は経済システムの本質だが、再帰性があると、ふつうは何が起きるかまったく予想できず、意味のある政策分析ができない。そこで経済学者は「人は完全に合理的に予想するので、期待の基本形は最初から完成しており、時間がたっても変化しない」という非常に強い仮定(合理的期待仮説)を入れることにした。合理的期待を仮定すると、期待が単一に定まり、政策分析がきれいにできる。

●「企業も人も市場価格を所与として数量を決める」というのは理論上の仮定で、現実の経済ではもちろんそうなっていない。現実の期待形成メカニズムを本当に理解し、期待を誘導してデフレから脱却するためには、経済学版の「不確定性原理」を見つける必要があるのかもしれない。

●それには「人々は価格を所与として数量を決める」という大前提を離れ、「人々は価格と数量の確率分布を決める」というような新しい経済学が要るのかもしれない。現世代の学者だけでは荷が重い課題であり、次代の探究者との協働が不可欠であろう。

小林教授は、合理的期待形成仮説が現代経済学の主流派にとって根幹となる理論であるとしながらも、「企業も人も市場価格を所与として数量を決める」というのは、あくまで理論上の仮定であり、現実には通用しないことを認めている。

そのうえで、現実の期待形成メカニズムを本当に理解し、期待を誘導してデフレ脱却を図るためには、次世代の学者による新たな経済学の登場を待つ必要があると論じている。

過去のエントリーでも触れたが、筆者は、合理的期待形成仮説なんてまったく信用していない。
このインチキ仮説は、目立ちたがり屋のサージェントやルーカスらが、ケインズ理論や財政支出効果を批判するために無理やり創作した道具でしかないから、理屈の根拠が妄想だらけで使い物にならない。

合理的期待形成仮説の根幹は、
①人びとが利用可能なあらゆる情報を用いて合理的に予想する
②期待値に関しては正しい予想ができる
という2つの前提条件にあると思うが、現実の経済主体の行動、特に、個人や中小規模の経営者の思考パターンは、こうした条件に当てはまらない。

一般的な個人(=その辺にいる市井の人々)は、“利用可能なあらゆる情報”を集めようとしないし、“合理的”に予想するとは限らない。

そもそも、合理性の基準は、個々によって異なるから、本人が合理的だと思っていても、第三者の目から見て合理的と言えるのかどうかは判らない。

また、人間には嗜好や癖がつきもので、しばしば、それを合理性より優先させたがるから、合理的な予想がなされる方が稀だろう。

よって、期待値に関する正しい予想ができるという保証はどこにもない。

小林氏は論文の中で、「ケインズ経済学までは、観測者(経済学者)は経済システムの「外」にいて、経済システムの「中」の人々(市場の住人たち)とは別個の存在と仮定されていた。市場の住人たちは「自分が住んでいる経済システム全体を観測し、認識する」ということはしない。彼らは政府の政策にただ単純に反応するだけだ」と述べ、ケインズ経済学以前の発想を小馬鹿にしている。

しかし、現実世界にいる個々人の多くは、「自分が住んでいる経済システム全体を観測し、認識することをせず、政府の政策にただ単純に反応するだけ」のケインズ以前の発想に浸り切った平凡な人々ばかりではないか?

「日本は借金大国だという大嘘を信じ込み、自らの所得を減らす緊縮財政策に諸手を挙げて反対する」、「消費税増税が決まったとたんに財布の紐をきつく締め上げる」、「金融緩和政策の意図を理解せず、怯えるばかりで消費や投資に消極的な態度を崩さない」等々、経済システムの『中』から経済システム全体を観測し、自律的に行動を決める『合理的経済人』に相応しくない態度や行動を取るものばかりだ。

彼らは、政府の政策を細々とチェックすることなんてない。
その消費行動は、自分の財布の中身と来月以降の給与明細の多寡によって決まる。

つまり、合理的期待形成仮説は、その前提からして既に脱線しており、説得力も実戦力もない空論でしかない。

小林氏は、現実の期待形成メカニズムを理解し、期待誘導によってデフレ脱却を図るためには新しい経済学が要る、それには自分たちの世代だけでは不可能だ、と述べているが、そんな呑気なことを言っていては、何時まで経ってもデフレから脱却できない。

現実の期待形成メカニズムを理解したければ、実際に消費や投資を行う経済主体(家計や企業)に会い、直接インタビューすれば済む話だ。
経済活動の主役たちに会って話を聞けば、
・デフレの主犯は、需要不足であること
・需要不足の主犯は、現実の所得不足と、将来の所得予想に対する悲観であること
が、すぐに解るはずだ。

本気でデフレから脱却したければ、そうした事実を基に正しい経済政策を実行すればよいだけで、わざわざ、新しい学問を確立させる手間など不要である。

2017年2月24日 (金)

感情論と詭弁まみれの移民推進派

『国境を開放し移民を自由化する大胆提言の真意 「移民の経済学」(著者:ベンジャミン・パウエル/テキサス工科大教授』
http://diamond.jp/articles/-/118269

週刊ダイヤモンドオンラインのHPに、上記書籍の要約レビューが掲載されている。(要約者:松尾美里)

本書の著者は、“移民問題に関して、客観的かつ建設的な議論が必要”との建前から、「移民政策をめぐる議論の多くが感情論に終始し、その経済的・文化的・政治的効果に関する学術的研究の成果がないがしろにされている」と尤もらしいことを言っているが、感情的になっているのは、移民推進派の方だろう。

欧米、特に、欧州各地で惹き起こされている不法移民による凄惨な犯罪やテロ行為、文化・宗教的侵食、社会保障コストの増加、低賃金労働の横行、失業率の高止まり、反移民的言動に対する弾圧行為等々、移民促進による悪影響やデメリットは、誰の目にも明らかなほど顕在化している。

にもかかわらず、デメリットを排除しようとする当然の主張や行動を「感情論」だと切り捨てるのは、殺人や強盗の現行犯を見て見ぬ振りするのと同じ愚かで卑怯な行為だ。

目の前で起きている犯罪行為や惨事を認めずに、屁理屈で庇おうとする連中こそ、何の合理性もない感情論に陥っているのではないか?

さて、この後は、上記URLの要約文で気になった点を掻い摘んで紹介し、その矛盾点を指摘したい。

【論点1:比較優位の原則は労働移動にも適用できるのか】
●「富を増やすには、最も生産的な分野で生産活動を行うべきである」という比較優位の原理を労働者の移動にも適用すべき。

▶比較優位の原理なる空論を絶対視するのは周回遅れの発想。
“最も生産的な分野”が何かは誰にも判らないし、それが永続する保証はない。
また、“生産活動”を託す相手を不法移民の連中に限定する必要性について、合理的な説明がまったくなされていない。

●アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、オーストラリア。こうした人気の高い移住先を移住者がめざすのは、経済的な理由による。平均的な途上国と比べて、一人当たりの所得がおよそ2倍になることが見込めるからだ。研究結果によると、国際労働移動の障壁を撤廃することで、グローバルな富は世界全体のGDPの50~150%も増加し、効率性は大いに向上する。

▶移民の連中の目的が「単なる出稼ぎ」でしかないことを吐露している。
自国民に与えるべき雇用と所得を、無条件に移民に差し出せというのは、国民が路頭に迷っても構わないという意思表示に等しく、国家が行政や立法を放棄するのと同じこと。
▶また、国際労働移動の障壁撤廃によりグローバルな富が世界全体のGDPの50~150%も増加するなんてデータには、まったく根拠がない。
今年1月のIMFによる世界経済の見通しは、2017年の世界成長率を3.4%(先進国は1.9%)と予測しているが、特に2011年以降、世界経済の伸び率は極端に鈍化しており、たかが移民を認めたくらいで、世界全体のGDP換算で50~150%も増加するなど、あまりにも荒唐無稽な予測で絶対にあり得ない。

【論点2:移民受入国の労働者の賃金に与える影響】
●アメリカ人労働者の雇用水準や賃金に対し、移民の影響はほとんどないことが判明している。労働経済学者ボージャスの論文によると、移民の流入で特定の熟練レベルの労働供給が10%増加したとしても、アメリカ人労働者の就労週数はわずか2~3%の減少にとどまっている。

▶米国政調査局が2015年9月に発表した年次調査の統計によれば、2014年のアメリカ人男性の所得の中央値は、1973年よりも低い水準にあるという。
統計によれば、2014年のアメリカ人男性の所得の中央値は5万383ドル(607万円)で、インフレ調整後の実質ベースで5万3294ドル(642万円)という1973年の水準を下回ったそうだ。
▶40年以上も経済成長を続けてきた国で、労働者の所得が昔より低いなんて、本来ならあってはならぬことで、成長の果実が、経営層と低賃金層(不法移民)に分捕られ、一般の労働者の手に渡っていないことが判る。

【論点3:移民は、流出した国にどんな効果を及ぼすのか】
●移民の自由化政策は、送出国に残った住民の厚生をも向上させる。
高度人材の国外移住は、母国での人的資本への投資を減少させるどころか、むしろ増大させる。例えば、ニューギニアとトンガでは、優秀な高校生の大多数が国外移住を検討しており、それが学校教育への投資を増加させている

▶これは、県内の教育投資の果実が、すべて首都圏など他地域に流出してしまう秋田県の例と同じ現象だと言える。
野球なら、移籍先球団からの移籍金や人的補償というリターンもあるが、人材の輸出は流出元の国家にとって、一方的な片務契約であり、せっかく費やした教育投資を国外へ持ち逃げされるようなものだ。

●流出した移民からの送金は、本国に残された住民が生活を維持するうえで重要な役割を担っている。

▶出稼ぎ労働者からの送金を充てにするような底辺国家は、未来永劫成長することはない。
フィリピンやインドネシア、メキシコ、北朝鮮みたいな出稼ぎ国家の惨状を見ればよい。
▶「高度人材の国外移住」なんて偉そうな言葉を使っているが、端的に言うと、国民の教育水準を高め、自国の産業を発展させるという国家としての責務を投げ出し、雇用や所得を創り出す努力もせず、先進国にタカっているだけではないか?

●移民により家族が分散することで、移住先から本国へ、技術とイノベーションの国際移転がよりスムーズになるという効果も評価されるべき。

▶一緒に住むから『家族』なのであり、わざわざ国境を越えて分散させる意味がまったく理解できない。
▶筆者は、いまだかつて、フィリピンやメキシコ、北朝鮮で移民先からの技術やイノベーションの国際移転が起こり、世界を驚かすような製品が開発された、なんて話を聞いたことがないのだが??

以上、移民絶対推進論の詭弁を指摘したが、彼らの現実逃避の徹底ぶりには、改めて失笑を禁じ得ない。

なお、重度の移民依存症患者には、次の4点を指摘しておく。
①国内に眠る人材活用という選択肢を排除し、端から移民に頼ろうとする「排内主義」は、国民の理解を得られない。
②労働者の移動の自由を認めることは、移民排出先の国家から自立や努力の機会を奪い、発展の可能性を阻害する行為である。
③コスト安の移民を使いたい企業は、自国を棄て、移民が掃いて捨てるほどいる移民排出先の国家へ移籍すべき。
④移民の連中は、入国した国の文化や習慣、言語、宗教、法制度などを尊重し、自分たちの慣習や宗教を棄て、入国先の良き国民になる努力をすべき。

2017年2月23日 (木)

「需要」と「自国民」を蔑ろにするのはジャンクの証し

『偉大な国』(北海道新聞 卓上四季 2/17)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/season/2-0109271-s.html
「日本の人口は、1億2千万人台のまま減少傾向にある。1億人を超えたのは50年前、1967年だった。「いざなぎ景気」で好況となり、カラーテレビが普及し始めたころだ
▼同じ時期、米国の人口は2億人だった。現在は3億2千万人余り。つまりこの半世紀で、米国は日本の国一つ分に当たる人口を新たに加えたわけだ。増加の傾向は今日も続いている
▼働き手が多くなれば国の力が強まる。米国が超大国であり続けられる理由の一つはここにあるだろう。長い間、年に数十万人という単位で、他国からの人々を受け入れた。新天地を夢見る男や女、その子孫らが汗を流し、社会を豊かにした
▼第2次大戦以前は欧州からの人々が大半だった。戦後は、中南米やアジア、中東諸国が中心だ。いま自動車産業は斜陽で、白人労働者がトランプ大統領の支持基盤となったが、最盛期には増産を目指して大勢の移民を雇った
▼現に、米国最大級のアラブ人街は、車メーカーが集まるミシガン州にある。街はアラビア語ばかりだ。巨大なモスクもある。イスラム圏から来た人々が、米国人として「アメ車」を造ってきたのだ
▼トランプ氏は「偉大な米国を取り戻す」と言う。だがその米国は、多様な文化を社会に組み込むことにより発展した。いまIT業界などが懸念を示す通り、移民への寛容がなくては、経済面でも無理が出てくるように見えるのだが。」

トランプ氏にこの北海道新聞のコラムを見せたら、さぞや憤慨するだろう。
筆者には、社会のことが何も解らぬ高校生の書いた学級新聞レベルとしか思えないが、これを読んだ北海道民の多くが、記事の内容を無批判に受け容れていることは想像に難くない。

コラム執筆者の勘違いは、文中の二つの言い回しによく表れている。
①「働き手が多くなれば国の力が強まる」
②「移民への寛容がなくては、経済面でも無理が出てくるように見えるのだが」

まず、労働者の数が経済成長にとっての必要十分条件であるとの強い思い込みが随所に見受けられる。

20年以上もの長期不況を経てもなお、“働くものが多ければ、国が豊かになるはず”という幻想に縋る単細胞さに驚きを禁じ得ない。

多くの人が、労働と成長を直結させたがる発想、つまり、「頑張った分だけご褒美を貰える」という思い込みに陥りがちなのは、受験勉強の名残なのかもしれない。

無論、誰もが受験勉強をしてきた訳ではないが、受験に苦しめられた挙句に成功した者は、自らの努力が高得点となって報われたことを自負し、そうでない者は、得点力不足を努力不足のせいだと反省させられる。
受験とは無関係であった層も、社会に出てから「学歴というパスポートの威力」を目にするたびに、「勉強→努力→成果」という発想を受け容れざるを得なくなる。

だが、経済が持つ循環や成長の仕組みは、自分だけの努力で得点を伸ばせる受験勉強とはまったく異なる。
経済の世界は、個々の頑張りだけで切り抜けられるほど甘くはない。

筆者も職業柄、様々な新商品や新サービスの開発や事業化に勤しむ企業家と接することがある。

彼らは、それこそ寝食を忘れて商品開発や販路開拓に没頭し、中には、数千万円もの私財を投じるほど自社商品に惚れ込む者もいるが、そのほとんどは陽の目を見ずに沈没する。

原因はとてもシンプルで、商品としての魅力に欠けるのと、マーケットにそれらを受け容れる購買力が備わっていないこと、端的に言えば、需要力が極端に疲弊し買い手がつかないことに尽きる。

働く者の数が多ければ経済成長できるかのような考え方は、甘い幻想でしかなく、供給サイドが創り出す膨大な量の商品やサービスに対価を払えるだけの巨大な需要力の存在がない限り、経済は決して成長できないし、成長から所得を得る人々の生活が豊かになることもない。

“働けば働いた分だけ豊かになれる”なんてあり得ない。
労働の対価を支払える別の経済主体の存在がない限り経済成長は不可能なのだ。

高校生相手に教科書を曲解したエセ知識をひけらかすインチキ教師は別として、実社会でビジネスの現場に携わった経験のある者なら、この程度の理屈は肌感覚で理解できると思う。

また、北海道新聞のコラムは、「アメリカ経済は、移民が汗をかいて働いたから成長できた」→「移民に寛容な社会じゃないと成長できない」かのような書きぶりだが、こんなものは、低賃金の固定化による奴隷労働と、途上国が行うべき自国民の人材育成に対する努力放棄を容認するトンデモない暴論である。

ヒスパニック系や中南米系、アジア系移民の連中がアメリカに渡る目的は、単なる出稼ぎでしかなく、そこに崇高な思想や理念を無理矢理当て嵌めようとすべきではない。

移民の連中は、アメリカでは汗をかけるのに、自国で汗をかこうとしないのは何故か?
彼らは、貧しさから抜け出せない母国を建て直すためにこそ汗をかくべきではないのか?

不法移民の連中は、カネを稼ぎたいという自分勝手な理由で母国を簡単に棄て、本来彼らを養うべき母国も、都合のよい人減らしになると、移民の輸出を是認する。
要するに、国を挙げて先進国に社会保障コストや労働コストを押し付けているだけではないか。

さらに、こうした途上国の棄民政策に移民受入国の企業が便乗し、国内の労働コストカットに利用するという「負の共依存関係」が成立している。

こうした『寄生のトライアングル』は、すべて先進国の労働者にツケ回しされ、低賃金競争や雇用不安低下、治安悪化という形で社会を蝕んでいる。

移民で国を活性化させるなんて、頭のネジが緩んだ大バカ論でしかない。
労働者が足りないなら、国内に数百万人もいる失業者やニート層の活用こそ訴えるべきだ。
何といっても、彼らには「日本語が通じ、日本の社会ルールを理解している」という何物にも代えがたいメリットが備わっているのだから…

卓上四季のような旧態依然とした発想で嘘を撒き散らすマスコミ連中の態度は、本当に救いがたい愚か者だ。

先週、トランプ大統領が、ホワイトハウスでの会見で「偽ニュースだ。そうでなければ、ひどい偽ニュースだ」とマスコミを扱き下ろしたそうだが、筆者も同感である。

マスコミの連中は、現実離れしたフェイク論を撒き散らす有害無益のゴミでしかない。

2017年2月22日 (水)

モノが買いづらくなる時代が、すぐそこに

先日、経営相談に乗っている焼き肉レストランのPOSデータを見たら、主力メニューの材料原価が47~48%にもなっていたので、驚いて店主に問い質したところ、昨今の牛肉価格高騰により仕入れコストが嵩んでいるが、かといって、値上げもできず、利益を出すのが相当厳しいと零していた。

確かに、JA全農のサイトで大阪市場の肉牛枝肉卸売価格推移を見ると、大阪和牛去勢A-4クラスの㎏当たりの卸単価は、2014年1,995円→2015年2,341円→2016年2,748円(いずれも4月)と、2年ほどで37.7%も上昇している。

また、農水省の資料でも、食料品の消費者物価指数(※卸価格ではないが、ほぼ同じ動き)が、ここ2年余り上昇していることが判る。
2012年の指数(95/2015年=100)に対して、2016年12月の食料品全体の指数は102.5と7.9%も上がっている。
【参考資料】http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/kouri/attach/pdf/index-15.pdf

これだけ仕入価格や市況が上がってしまうと、飲食店が利益を出すのも大変だろう。

知り合いの飲食関係のコンサルタントに聞くと、業種や業態により異なるが、数年前まで、一般的に原価率の目安は約25%〜30%と言われていたらしいが、昨今では食料品価格が万遍なく上昇傾向にあり、原価率も35~45%に上がっているそうだ。

「業種別審査事典」という資料を捲り、いくつかの業態のおおよその原価率(黒字企業平均値)を調べてみると、
〈レストラン〉45%、〈ラーメン店〉32.3%、〈焼肉店〉40.7%、〈大手牛丼チェーン〉33.9%~40.9%、〈そば・うどん店〉31.9%、〈寿司店〉46.9%、〈喫茶店〉31.5%、〈居酒屋〉34.9%、〈料亭〉36.1%
等々、思ったよりも原価率が高止まりしている。

焼肉店を例にとると、売上255,000千円、売上総利益151,000千円、営業利益9,200千円、経常利益10,000千円というのが黒字企業の平均値であり、ここから納税や借入金の返済、新たな設備投資の原資を捻出するのは容易ではなかろう。

10,000千円というと一見余裕があるように見えるが、材料仕入れコストだけでなく、水道光熱費や借入金利が少しでも上振れしたり、厨房機器を更新したりすれば、数百万円くらいは瞬く間に吹っ飛んでしまうものだ。

材料仕入れコストの漸増は、ただでさえ財務体質が脆弱な飲食業界の経営を直撃し、1996年に83万店を超えていた全国の飲食店舗数は、2012年には57万店へと3割以上も減り、歯止めが掛かる気配すらない。

食料価格は、天候不順や飼料価格高騰、円安、離農増加などの要因で簡単に上昇する。
よって、マーケットを健全な状態に保とうとするなら、最低でも、コスト上昇分をメニュー価格に転嫁できる環境が必要なのだが、本来なら、「仕入れコストUP→価格改定→客の不満爆発」という消極的なルートではなく、「適切な経済政策→家計所得UP→高付加価値ニーズの高まり→高付加価値&高利益率メニューの提案→仕入れコストUPを吸収」といった、飲食店と顧客がWin-Winの関係になるのが望ましい。

客は一円でも安い店を探すことに熱中し、出てきた生姜焼き定食のあまりのショボさにガッカリする、一方、店側も、キャベツも豚肉も米も値上がりしているのに、客の懐具合を察して価格を上げられず、場末の学食みたいに貧相な食事を出さざるを得ない、というのでは、互いがLose-Loseになり不満が増すだけで、何の生産性もない。

我が国の食料自給率は、生産額ベースで66%(H27)と、他国と比べて特段低いわけではないが、大豆(42%)、魚介類(53%)、小麦(9%)、畜産物(60%)、砂糖(49%)など、調理の基幹となる食材の輸入割合が高い。

よって、行き過ぎた円安は輸入コストUPに直結するし、経済成長を忘れた我が国と、成長し続ける他国との相対的な購買力の差は拡大する一方だ。

内需依存度が高い日本の産業構造を考慮すれば、マンデル・フレミング理論のような空論は当てはまらないし、円安への固執は、円を決済通貨に使う日本人の相対的な購買力低下にもつながり、却って問題がある。

これまでは「貿易立国たる我が国にとって円安はメリット」との考え方が一般的だったが、このまま停滞が続くと、近い将来、円高に頭を悩ませていたことを懐かしむ時代が来るかもしれない。

日本人は、「人口が減るから経済成長しなくても仕方ない」という愚論を容易く信じてしまうが、未成長による購買力の低下が、輸入物価高騰に起因するコストプッシュ型インフレへの対応力を棄損するリスクを招くことを、きちんと自覚すべきだ。

日本には成長の余地がないから身の丈に合った生活を維持すべきだという「黄昏経済論」に浸るのは、国民を飢餓に突き落としかねない非常に危険な現実逃避であることに気付いてほしい。

2017年2月21日 (火)

名目値も、実質値も重要

先月末に公表された家計調査(二人以上の世帯)の平成28年12月分速報では、二人以上の世帯の消費支出は318,488円で前年同月比実質▲0.3%、名目+0.1%と、相変わらず冴えない数値だった。

一方、勤労者世帯の実収入は1世帯当たり924,920円で、前年同月比実質+2.3%、 名目+2.7%と、11月に続き増加しており良い傾向と言える。
(比較対象となる平成27年の数値があまりに悪すぎるため、増加して当たり前とも言えるが…)
しかし、平成28年の実収入は、第一四半期~第三四半期の実績が、前年同期比で▲2.1%に止まるため、通年ベースでは、良くて±ゼロか、マイナスになる可能性が高い。

家計消費支出にしろ、実収入にしろ、ここ数年は増減が交錯し、たまに増加する月があっても、その上昇幅が小さすぎる。

経済政策の効果が浸透するには時間が掛かるとの反論もあるだろうが、長期間に亘り低迷が続いたということは、比較対象となる数値の土台も低くなるはずだから、本当に適切な経済政策が打たれたのなら、もっと劇的な伸びが確認できてしかるべきだ。

テストの成績でも、90点を91点に伸ばす(+1%)のと、30点を33点(+1%)に伸ばすのとでは、その難易度に大きな差異があるはずで、低いレベルからの伸長幅は、より大きなものが求められる。

昨年の8月以降、実収入の名目値は増加傾向にあるが、そもそも実収入の値自体が低すぎるのが問題だ。
現に、消費支出が対前年比で減り続けているのは、収入が期待以上に増えないことに対する家計サイドの強い警戒感や失望感の表れだろう。

実際に、新日本スーパーマーケット協会による「消費者調査 2015」でも、
●「約8割の消費者は、この1年を支出が多すぎたと実感しています。生活必需品などの上昇により、相対的に収入の低い層や20、30代でその傾向は強く、多すぎたと感じる頻度も多くなっていることがうかがえます」
●「今回の物価高の中心は、消費者にとって最も身近な食品ということもあり、実際に観測される物価と比べて消費者が感じる「体感物価」は高止まりしています」
と指摘されており、生活必需品の値上がりによる支出増に対して、家計が圧迫感を感じている様子が解る。

実収入が長期的に減っているというデータを検証すると、平成12年~27年までの15年間の実収入平均額(1カ月の平均値)は、平成12年/508,984円→平成27年/469,200円へと推移し、この間に7.9%も減っている。
15年間もの間、家計収入が減り続ける国なんて、もはや“異常”としか言えない。
【参考データ】http://www.garbagenews.net/archives/2045729.html

さらに、各世帯が自由に使えるお金「可処分所得」ベースでは、平成12年/429,338円→平成27年/381,193円と、こちらは11.3%も減っている。
これは、実収入に占める「非消費支出(税金・社会保険料の割合)」の割合が、平成12年/15.6%→平成27年/18.8%に増え続けたことによるものだ。

家計は、給料が減り続ける中で、税金や社会保険料の負担増加と食料品・日用品の値上がりというダブルパンチを喰らってフラフラで、立っているのもやっとの状態であり、消費支出が減り続けるのも頷ける。
モノを買いたくても原資(=収入)が無ければ、どうしようもないではないか。

これだけ実収入の絶対値が低いままだと、今後、ガソリンや食料品が少々値下がりして実質値が増えたところで、何の足しもなるまい。

先日公表された昨年10-12月期のGDP速報値でも個人消費の低迷が顕著だったが、このどん底から這い上がるためには、「実収入」と「可処分所得」の両方を増やす、それも1~2%というチマチマしたレベルではなく、最低でも7~8%、可能なら二桁以上伸ばす気概が必要だろう。

家計の消費心理を強烈に刺激し、その姿勢を「消極から積極へ」と劇的に転換させるには、誰もが実現を訝しむほど大胆な目標設定をせねばならない。

「可処分所得」や実質所得を増やす施策として、社会保険料の国費補填割合の引き上げや消費税やガソリン税、自動車税など諸税の廃止や税率引き下げ辺りが有効で、即効性もあるだろう。

一方、「実収入」という所得の名目値を大幅に引き上げるには、大胆な財政支出を通じた実体経済への所得原資の供給が欠かせないし、企業間の雇用条件引き上げ競争を促すために、「景気回復に乗じた給与引き上げが当然の流れだ」という機運を国民が共有することも必要になる。

何だかんだ言っても、企業経営者は周囲の空気や社会の潮流を気にする性質だから、世間の空気が醸し出す力をうまく活用すべきだ。
また、国民の所得増収に取り組む政府の姿勢の本気度を示すためには、金融緩和によるサポートも必要になる。

重要なのは、政府が「国民の所得ターゲット」にコミットし、それを実現するための具体的な政策を打ち出すことにより、国民の心理に「収入増加期待」を醸成させることだ。

金融政策一本足打法や緊縮財政、構造改革みたいなやり方で、収入増加期待を創り出せるならよいが、これまでの実績から、それが120%無理であることは明白であろう。

2017年2月20日 (月)

供給制約論はただのゴミ

『少子高齢化社会を迎えた日本では、もう需要は増えない。たとえ増えたとしても、労働人口も減ってるから、供給が追いつかない』
どうしても日本経済を成長させたくない“成長否定論者”が、こんな大嘘を平気で吐いている。

モノやサービスに対する需要には、①数量増加 ②付加価値増加の2つがあるが、成長否定論者のように実業を知らぬシロウトは、「需要増=数量増」としか考えられず、“労働集約型産業は人的資源がギリギリだから、急な供給増加なんてムリ”と勝手に結論付けてしまう。

だが、「需要>供給」の状態になる(あるいは、そうなる確信が持てる)と、ちょっと目端の効く経営者なら、人材や設備投資など販売拡大に向けた準備に取り掛かるだろう。

筆者が相談を受ける中小企業の中には、たいした需要も見込めないのに、需要があるはずだと信じ込み、事業計画も立てぬまま、数千万円もする設備を買いに走る経営者も珍しくないから、需要が確保される確信さえ持てるならば、設備や人材育成へ、かなり積極的な投資がなされるであろうことは想像に難くない。

以前、拙ブログ(「需要不足の解消が、人手不足の解消にもつながる」http://ameblo.jp/kobuta1205/page-2.html)でもご紹介したとおり、中小企業基盤整備機構の「中小企業業景況調査」で「今期直面している経営上の問題点」を尋ねたところ、

【製造業】
①需要の停28.0% ②生産設備の不足・老朽化11.7% ③製品ニーズの変化への対応11.3%
【建設業】
①官公需要の停滞16.2% ②従業員の確保難14.8% ③民間需要の停滞14.0%
【卸売業】
①需要の停滞35.5% ②販売単価の低下・上昇難9.3% ③大企業の進出による競争の激化8.6%
【小売業】
①需要の停滞19.2% ②大・中型店の進出による競争の激化17.7% ③購買力の他地域への流出15.7%
【サービス業】
①需要の停滞18.4% ②利用者ニーズの変化への対応18.2% ③従業員の確保難12.0%

等々、何れの業種でも「需要不足」が経営上の最大の悩みに挙げられており、裏を返すと、“需要の裏付けさえあれば積極策に打って出る覚悟がある”という何よりの証である。

また、日銀大分支店の『大分県における設備投資動向の現状と先行き(2016年6月』というレポートによると、

「設備投資の弱さの背景については、(1)人口減少や少子高齢化の進展に伴う中長期的な需要縮小懸念、(2)先行きの不透明感の高まり、(3)企業収益の弱さ、に整理可能」、

「一部には、(1)中長期的な事業強化、(2)旺盛な需要の取り込み、(3)人手不足への対応、などを企図して積極的な設備投資に踏み切る動きもみられている」

との記述がある。
このことから、設備投資弱含みの原因は「需要不足」や「受注環境の先行き不透明感」にあり、それさえ払拭されるなら積極的な設備投資に踏み切ろうとする企業の強い意欲が覗える。

こうした実態は、なにも大分県に限ったことではなく日本全国に敷衍できるはずで、需要や受注の長期的な見通しさえ立てば、企業サイドは投資や人材確保に積極的になれるというごく当たり前の現象がデータで示されただけのことだろう。

商機や儲けのタネが目の前に転がっていれば、全力を尽くしてそれを奪い、機会ロスを回避しようとするのが、企業たる者の本分であり、人手不足云々を言い訳にすれば、他社に出し抜かれるだけのことだ。

もう一点、成長否定論者のシロウトさ加減が判るのは、付加価値増加の側面から需要増加を捉えることができない点だろう。

適切な経済政策が打たれ、家計の所得が増え、将来の増収期待も高まるような好環境になったなら、人々は購買点数を増やすとともに、購買物の質も向上させるはずだ。
具体的に言うと、200ℊで我慢していた豚肉を300ℊに増やしたり、100円の板チョコから400円のケーキにランクアップしたり、あるいは、第3のビールから生ビールへと、より高価格な商品に手を伸ばす者が増えるようになる。

こうした「質や価格面での需要増加」が起きた場合に、それに対応する供給力UPを図るのは、さして難しいことではない。
単に値札を書き換えるだけで済む場合、少々グレードの高い包材を使うだけで済む場合、ワンカップ酒を減らし地酒の陳列数を増やせば済む場合、スイーツのトッピングを1~2点増やせば済む場合等々、いくらでも工夫のしようがあり、供給サイドの伸びしろの範疇で問題なく対応できる。

“需要増に供給サイドが即座に応えられないから、需要主導型の経済成長なんてあり得ない”という成長否定論者の戯言なんて聴く価値もない。

彼らは、経営者の発想や企業活動の実態をまったく知らないから、供給力の源となる需要のパワーを蔑み、勝手に“供給力限界説”を唱えて悦に入っているが、要は、インフレの萌芽につながりかねない経済成長に怯えているだけのナマケモノだ。

経済成長を語る際に絶対不可欠の条件となる「需要増加の将来的確信」を避けようとする論者は、役立たずのジャンクに過ぎない。

2017年2月19日 (日)

フリートレード信者の幻覚

『小中で「鎖国」消える…聖徳太子は「厩戸王」に』(読売新聞 2/14)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170214-00050142-yom-soci
「「鎖国」が消える――。
文部科学省が14日に公表した次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会科で「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改める。(中略)
 文科省によると、江戸幕府は長崎でオランダや中国との交易を許し、薩摩(鹿児島県)、対馬(長崎県)、松前(北海道)でも外交と貿易が行われていた。完全に国を閉ざしていたわけではないため、当時の実態に即して表記する。(後略)」

江戸時代の対外貿易体制を「鎖国=完全なる海外貿易の途絶」を呼ぶべきでないとの指摘は、ずいぶん以前から歴史学者により上がっていたが、文科省もようやく重い腰を上げ、教科書から記述を削除するようだ。

「鎖国」は「士農工商」と並び、江戸時代を暗黒時代だと決めつけたがる識者が好んで用いる蔑称であり、彼らは、「江戸時代→鎖国→世界の孤児」というイメージを植え付け、自由貿易こそ絶対善という価値観を押し付けようとする。

だが、読売新聞の記事にあるとおり、江戸時代は長崎をはじめ4つの対外貿易窓口を通じて、オランダ・中国・朝鮮・琉球や、それらを窓口とする西欧や東南アジア諸国との間接貿易がなされていたというのが史実である。

主要な輸入品は、繊維類、砂糖、各種香料、薬、羅紗、ビロード、更紗、などの毛織物、木綿,麻の織物、鹿皮,鮫皮など、麝香、沈香、白檀、檀喬木、染剤原料、胡椒、丁子、肉桂、甘草、大黄、サフラン、水牛角、象牙、犀角、珊瑚樹、ガラス製品、書籍(医学・科学・兵学)、ガラス類、学術用具(天球儀・地球儀・天体望遠鏡)など非常に多岐に亘っている。

一方、輸出品は、銀、金、銅・銅製品、樟脳、陶磁器,漆製品、煙草、木材、醤油、屏風、煎海鼠、干鮑、ふかひれ、寒天、昆布、鰹節、鯣など、こちらも非常に多品目だ。

また、江戸自体の経済成長に応じて、貿易量自体も年々増加傾向にあったようで、輸入超過傾向にあった対外貿易による金銀流出を懸念した幕府から、たびたび貿易制限令が発令されている。

つまり、江戸時代は海外からの物品や情報の流入が途絶された特殊な時代だという旧来の歴史観は完全なる誤りで、鎖国という言いがかりに近い蔑称が教科書から削除されるのは、当然の成り行きだろう。

年間の輸出入額がいずれも70兆円を超えるような現代においてもなお、「日本は自由貿易に消極的な前近代国家」だと揶揄し、暴力的なフリートレードこそ絶対善だという価値観を押し付けようとする風潮が強い。

この手のフリートレード幻想論者は、自由貿易に一定の制限を掛けるべきと主張する論者に対して、「鎖国する気か」、「自給自足でもするつもりか」と幼稚な批判をしたがるが、こうした「ゼロか、100か」という低レベルの暴論には、まともに答える必要もないだろう。

そもそも、貿易とは、輸出入を行う国家同士のメリットの最大公約数を満たすレベルで行えばよく、過度な規制緩和や関税撤廃により、国内産業育成や雇用の維持などに悪影響を及ぼす懸念を生じさせるべきではない。

自由貿易自体を否定する意見なんて皆無に等しいのだから、国内産業の育成や雇用維持が確保できる範囲内で、存分に貿易をすればよいだけのことだ。

貿易は、国益増進や国民生活向上のためにやるべきものであり、それに反するレベルの暴力的な自由貿易は有害でしかない。

製造コストダウンにしか興味のない一企業家の思い込みにつられて、度を越したフリートレードが易々と容認されるような社会であってはならない。

また、TPP交渉における自動車産業と農業との関係のように、特定の産業に肩入れし、その便益向上のために、別の産業を軽々しく犠牲にするような考え方は絶対に容認すべきではない。

多国間交渉であれ、二国間交渉であれ、異なる産業同士を取引材料の駒に使って安値で切り売りするような勝手な真似を許してしまうと、過去の畜産業や果樹農業、繊維産業のような禍根を残すことになる。
時間や手間をかけてでも、産業別・品目別の個別交渉を基本とし、こちらの国益確保を何より優先する強い姿勢が求められる。

「ヒト・モノ・カネ」の三要素の完全なる自由化を求めるフリートレード中毒患者には、何を言っても聞く耳を持つまいが、昨今のSONYやSHARP、東芝をはじめとする電機業界や、自動車業界や製鉄業界、造船業界など、これまで日本の強みとされていた産業の衰退化を招いた主因は、暴力的なフリートレードによる競合激化&技術流出と、緊縮財政による内需停滞に他ならない。

周回遅れのフリートレード信者どもは、穴の開いたバケツで水を掛けるような行為のバカバカしさに、そろそろ気付くべきだろう。

2017年2月18日 (土)

周回遅れの周回遅れ

『アベノミクス危機 浜田教授がすがる“シムズ暴論”』(文春オンライン 2/10 川嵜次朗)
http://blogos.com/article/209565/

「(前略) 講演でシムズ氏は、日銀が掲げる2%の物価目標について「財政の介入がないと物価は上がらない」とし、個人や企業が安心して消費や投資を増やせるように、財政支出の拡大と同時に「消費増税の延期を宣言するべきだ」と提言した。
インフレになれば、国の借金もおのずと減るというのがシムズ氏の持論で、消費増税を予測しているから、国民が金を使わないというのだ。
講演後の討論会には、浜田氏も登壇した。日本の経済学者らが「財政拡大しても物価は上がらない」「むしろ不安が増幅する」と口々に疑問視するなか、ただひとり浜田氏が「これは活用できる」と主張。ただし「論拠もなくボソボソと話すので、会場は白け気味でした(参加者)」
 財務省幹部が語る。
「安倍政権はアベノミクス第二の矢としてすでに財政を吹かし、消費増税を2度も延期しながら、低成長の経済を変えられない。よもや総理が耳を貸すとも思えないが、財政再建を放棄すれば国民がアホみたいにお金を使うという暴論が注目される世の中が恐ろしい」
シムズ理論を「目からウロコが落ちた」と語る浜田教授。その学びに付き合わされる国民はたまったものではない。」

筆者は、話題のシムズ理論にも、“変節名人”浜田参与の何度目かの変節にも、大した期待はしていない。

シムズ氏の提言は、財政支出の拡大と消費税増税延期を含む内容であり、一定の評価はできる。

氏は、週刊ダイヤモンドのインタビューで、「日本は、金融政策と併せて、財政政策を実施していくことこそが必要です。超低金利の状況において、中央銀行は財政拡大のサポートなしに、(量的金融緩和による)資産買い入れを遂行すべきではありません」と答えており、既発債の買い集めに止まる現在の量的緩和政策から、政府の積極財政政策と並行して行う「財政金融政策」へと一歩駒を進めるよう促している。

要は、既発債と日銀券との両替でマネタリーベースをブタ積みするのではなく、政府に新発債の大量発行を促し、マネタリーベースに所得や売上に直結するお金を投入せよ、ということで、この辺りの認識は筆者も同意する。

だが、シムズ氏は、インタビューの続きで次のように述べ、そこはかとなく「リフレ臭」を漂わせている。

「中央銀行が財政政策の支えを求める際は、債務の大きさを判断の基準とするのではなく、インフレ(物価上昇)を条件とすることが欠かせません。言い換えれば、インフレ目標を達成するために、財政を拡大するということです」

「人々は「将来に増税が待っている」と思えば、政府が財政支出を拡大しても、消費を拡大しないでしょう」

「もし目標のインフレ水準が達成されるまで「消費増税をしない」と言えば、人々に前向きな影響をもたらせたでしょう。その方針を続ける限り、人々はインフレを受け入れやすくなります。そうすれば彼らはお金を使うようになり、マネーの流れも活性化するに違いありません」

「“適度”な財政悪化がインフレを起こすのに必要と言っているだけで、健全財政を放棄してもいいわけではありません」

彼の論旨は、『最終目標はインフレターゲットの達成で、財政支出拡大や消費増税延期は、それを達成するための手段である』というもので、所詮はリフレの皮を被った財出論者でしかない。

シムズ氏が「財政支出拡大」という言葉を用いる意図は、崩壊寸前の金融緩和政策の権威を護るための方便にあり、あくまで、「金融政策が主、財政政策は従」というのが彼の真意だ。

金融緩和政策を金科玉条の如く神聖視してきた浜田参与が、彼の理論に縋りついた理由もその辺にあり、浜田氏が財政政策を認めたと理解するのは早計だろう。
浜田氏のことだから、「シムズ理論を梃に、財政支出を引き出し、インフレ達成に利用できれば儲けもの」くらいのノリだと思う。

『財政拡大はインフレ目標を達成するため』という本音を曝け出すシムズ氏は、従来のリフレ理論支持者の枠を出るものではない。

また、彼の『目標のインフレ水準が達成されるまで「消費増税をしない」と言えば、人々に前向きな影響をもたらせたでしょう』という発言は、『人々は「将来に増税が待っている」と思えば、政府が財政支出を拡大しても、消費を拡大しないでしょう』という自身の発言と完全に矛盾する。
彼の主張を素直に受け取れば、たとえインフレ目標達成後であっても、将来の消費税増税が見込まれるのであれば、人々は消費を拡大させないはずだからだ。

このように、シムズ理論には矛盾や穴も多いが、旧式のリフレ理論や成長否定論者(緊縮財政派&エセ教科書学派)のポンコツ理論に比べると、財政拡大に言及する分だけ、数倍マシなのは確かだろう。

現実社会には、冒頭にご紹介した川嵜氏のように、シムズ理論より数世紀も遅れた化石論を信奉し、財政再建や社会保障費削減に躍起になるバカ者が圧倒的多数を占めている。

「財政支出を増やせば物価も上がるという2000年代初めに流行った古い理論です」(経済部記者)、
「財政再建を放棄すれば国民がアホみたいにお金を使うという暴論が注目される世の中が恐ろしい」(財務省幹部)
なんて呆れた愚論を偉そうに騙るレベルの低い能無しは、即刻職を辞すべきだ。

同時に、この手の暴論に対して無批判に頷くだけの国民にも、いい加減に目を醒ませと言いたい。
世界第3位の経済大国に暮らしながら、雇用不安や所得への不満に明け暮れる日々を送らざるを得ないのはなぜか、という点を、マスコミ報道やエセ論者の妄言を鵜呑みにせず、自身の頭を使ってしっかりと考えるべきだ。

世の中に愚論や虚言が蔓延するのは、国民の不勉強や無学にも一半の責任がある。

«「常識」の名を騙る妄想

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