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2019年1月21日 (月)

ポンコツ円安万能論

昨年末から年初にかけて株価や為替が大きく変動したせいか、株や円ドルレートだけで偉そうに経済を騙ろうとする“シロウト評論家”が跋扈している。

筆者は、これまで何度も指摘してきたが、株価や為替なんてものは、経済活動の結果として現れる数多の指標の一つに過ぎず、それが経済のファンダメンタルを大きく左右することはないと思っている。

風邪を引いたからくしゃみが止まらないのであって、くしゃみを無理やり止めれば風邪が治るわけではない。

『NY外為ドル指数上昇:米経済大復活、日本経済轟沈?』(1/4 アゴラ 藤巻健史Facebookより転載)
http://agora-web.jp/archives/2036507.html
「(略)米国債で運用したとすれば年2.64%の利回りになるのに日本国債で運用すればほぼ0%にしかならない。
日本は世界最悪の財政状況にあり、かつ世界最大のメタボの中央銀行を持ち危機的状況にある。
それにもかかわらず昨年、世界の主軸通貨で円だけがドルに対して強くなった。(略)
ハーバード大のEzra F. Vogel教授が「Japan as No1」という本を出版した日本の黄金時代の1979年、米国は低迷の時代だった。その時の$/¥は1ドル=240円だった。
その後、低迷していた米国が大復活し、日本経済は轟沈しつつある。当然円は弱くなるはずなのに逆に$/¥は=昨日朝、一時104.87円と大幅に強くなってしまった。
ここに日本経済の矛盾と経済停滞の最大の理由がある。(略)
国力に比べて強すぎる円高が日本の経済低迷の最大の原因だ。(略)」

藤巻氏といえば、“1ドル=200円の超円安で日本経済大復活”でおなじみの超円安論者だが、今となっては時代遅れも甚だしいポンコツ評論家に過ぎない。

巷の円安論者は、日本は貿易立国という“神話”にいまだに囚われ、輸出産業さえ元気なら日本経済は問題ないとばかりに円安推進論をがなり立てるが、事実は異なる。

我が国は紛うことなき“内需立国”であり、実質GDPに占める純輸出の寄与度はミジンコレベルだ。
実際、日本の純輸出(実質値)は2011年第2四半期以降ずっとマイナスだ。
【参照先】https://www.nippon-num.com/gdp/actual-ix.html

この状態で藤巻好みの超円安にでもなれば、名目の輸入額(輸入コスト)が大きく膨らみ、GDPマイナス要因となるばかりか、企業の原材料仕入れコストを圧迫する。

折からの長期不況下で需要サイドの値上げ許容力はゼロに近いから、コスト高を販売価格にすべて転嫁できる企業は少なく、マーケットはスタグフレーションさながらの深刻な不況に陥りかねない。

このところ人手不足が企業を苦しめる最大要因であるかのような大嘘が罷り通っているが、実際に中小企業の経営者を悩ませているのは、「需要停滞(=売上減少)」と「原材料やエネルギー等のコストUP(=原料高)」なのだ。
【参照先】独立行政法人中小企業基盤整備機構「第154回中小企業景況調査(2018年10-12月期)」http://www.smrj.go.jp/doc/research_case/154th.pdf(15ページ)

この状況で1ドル=200円もの超円安が到来すると、海外からの仕入れコストが倍増するだけに止まらず、エネルギーコストの負担も圧し掛かるから、国内産業は壊滅的な打撃を受け、諸物価高騰の波は家計の消費支出にも大きなダメージを与えるだろう。

超円安の恩恵を享受する肝心の輸出型大企業はといえば、空前の経常利益を上げておきながら、2017年の労働分配率は66.2%と43年ぶりの低水準に落ち込んだとおり、輸出増で稼いだ収益を分配する気がまったく見受けられない。

藤巻氏みたいな能天気なバカ者は超円安で日本経済大復活だと叫んでいるが、そんなものは根拠マイナスの大法螺でしかなく、大半の国内産業や家計は“深刻な物価高騰と惨憺たる売上不振”に苦しめられるだけで、大復活するのは一部の輸出型企業だけだろう。

彼は、円が国力に比べて高すぎるのは長年の経済政策の失敗のせいであり、経済政策を真剣に考えるべきと訴えるが、真剣に考えるべきは、彼の持論である「超円安への為替誘導」や「緊縮政策による財政再建」といったクソ政策ではない。

第一、緊縮財政を続けて実体経済を回る貨幣量(=円)を減らしてしまうと、円が希少化しますます通貨高を招くから、彼が大好きな超円安との大矛盾を惹き起こしてしまうが、藤巻氏は何十年も経済評論家を名乗っておいて、その程度のことも解らぬのか?

我が国が恒常的な円高に悩まされてきたのは、長年の緊縮財政により他国と比して貨幣流通量(※金融市場ではなく実体経済下の流通量)が相対的に減少し円の希少化を招いたこと、名目輸出額や海外での生産比率増加に伴う外国通貨の円への両替量増加によるものだろう。

要は、国内需要をほったらかしにして、海外への行商にばかり熱を上げたせいで、稼いだドルやユーロを円に換える際の円に対する需要が必要以上に増えただけのことだ。

藤巻氏は、ご紹介したFacebookで行き過ぎた円高是正のために“円を安くする方法はいくらでもある”と豪語しているが、彼が大好きな『聖域なき歳出カット・乱暴な構造改革・野放図な規制緩和や市場開放』という方法は、いずれも円の希少性や需要を高め、さらなる円高を招くだけのマイナス解答でしかない。

円安を熱望するポンコツ評論家には、「緊縮政策はさらなる円高を招くだけ」、「超円安はコスト暴騰を招き、日本経済は復どころか壊滅しかねない」と注意しておこう。

そのうえで、彼には、周回遅れの発想を転換するようアドバイスしたい。

為替を小手先だけで弄ったところで何の役にも立たない。
為替は経済活動の結果でしかないし、円安であれ、円高であれ、それがプラスに働く経済環境を創出しなければ意味がない。

これからは、平成不況をもたらした「緊縮・構造改悪・規制緩和」とは真反対、つまり、『積極財政・国内産業の保護・資本や人材移動の規制』といった政策を長期にわたり打ち続け、内需を刺激し、生産拠点の国内回帰、中小企業の競争力強化、国内人材の保護育成に取り組まねばならない。

国内に生産拠点や人材を集約して、大規模な財出により、それを刺激するための財源を供給してやれば内需は刺激され、実体経済下の資金流通量とスピードは飛躍的に高まり、海外からの原材料やエネルギー購入量も増加する。
また、国内経済の活性化で稼ぎ出された資金は、海外への投資にも向かうから、為替は自然と円安に向かうだろう。

積極財政委がもたらす内需の隆盛と適切な分配によって国内産業や家計の購買力も高まるから、円安に対するコスト許容余力も増し、それが輸出型産業へのアシストにもなる。

藤巻氏のようなアホな為替万能論者につける薬はないが、経済評論家を気取るなら、せめて現実をきちんと踏まえてモノを言うくらいの慎重さが欲しいものだ。

2019年1月18日 (金)

貨幣の資産性は国民の生産力によって保たれる〜貨幣負債論の嘘

筆者が隔週でコラム投稿の機会を頂戴している『進撃の庶民』では、MMT(現代貨幣理論)や、それに連なる貨幣論に関する議論が続いている。

MMTの詳細はWikipediaほかのサイトでご確認いただくとして、かの理論を信奉する者は、

①自国通貨と中央銀行を有する金融主権国家は、純粋な財政的予算制約に直面することはない(法定貨幣無限発行論)

②政府のバランスシートにおいて、あらゆる政府発行の貨幣性商品は資産として計上されない。政府自らは貨幣を所有せず、あらゆる政府発行の貨幣性商品は負債として計上される(貨幣負債論)

③法定不換貨幣に課税することは「強制力を持つ民間の納税義務」という形で貨幣そのものに対する需要を創出し、法定不換貨幣の流通を促す(租税貨幣論)

の三つを軸に、経済成長にためには負債(信用)の拡大が不可欠だと主張する。
【参照先】
https://ja.wikipedia.org/wiki/Modern_Monetary_Theory
http://econdays.net/

MMTに対する筆者の立場は次のとおりだ。

・「通貨発行権を有する政府は、将来の支払いに対する非制限的な支払い能力と他部門への非制限的な資金提供能力を有している以上、債務超過による財政破綻は起こりえない」というMMTの主張には大いに賛成する

・ただし、貨幣は国民全体の資産であり、それを発行する政府や日銀は貨幣の通用を保障はするものの、貨幣に対して何ら弁済義務を負わないから、貨幣に負債の定義を当てはめるのは不適切である

・また、貨幣の信用を担保するのは、“国家が定めた法廷貨幣であること”、“あらゆるモノやサービスとの交換能力を有すること”、“国家全体の社会機構や産業基盤などの強靭さ”等々といった事実や現実であり、納税制度はそうした要素のごく一部でしかなく、税制のみが貨幣価値を担保するかのような論は虚言でしかない

積極財政を支持する論者から、MMTの三要素のうち、政府は財政制約に囚われないという①の論に反論する声はほとんどない。

一方、③の租税貨幣論は、あまりにも現実離れしすぎた書生論や珍説の類ゆえ、これを信じる者は極端に少なく、「単なる妄想」という結論で決着済みだと理解している。

現在、MMTを巡り最も熱くなっているのは、②の貨幣負債論の是非に関する議論であり、「誰かの資産は、誰かの負債」という経済大原則を貨幣そのものに適用可能かどうかという点が大きなポイントになる。

「誰かの負債は、その対岸にいる者にとって資産である」という説は正しいのは、両者が債権(資産)=債務(負債)を有する関係にある場合に限られ、労働や企業活動を通じて得た所得や収益にまで適用するとおかしなことになる。

労働者が賃金を受け取る権利(賃金債権)や、使用者が賃金を支払う義務(賃金債務)になぞらえる者がいるかもしれないが、両者の関係は、使用者側から労働者へ給料が支払われた時点で権利関係は一旦終了となり、労働者が既に受け取った給料(貨幣)自体が何らかの負債性を帯びることはない。(使用者の義務(負債)は給料を支払った時点で終結)

貨幣負債論を強弁する者は、貨幣を資産として仕分けする以上、会計学上の原則から、その対になる負債勘定に何かしら計上せねばならないと焦り、いろいろ探し回った挙句に、貨幣そのものを発行元の政府・日銀の負債だと言い繕うしかなくなったというのが実情だろう。

だが、所詮、『お金はお金(貨幣は貨幣)』でしかない。

貨幣がすべての国民や企業に資産として認められる理由は、国家が強制通用力を保障し、世の中にあるすべてのモノやサービスとの交換能力を有しているからにほかならず、貨幣が政府の負債である必要など微塵もない。

貨幣の資産価値を担保するのは、貨幣を負債勘定に計上する日銀のバランスシートではなく、ましてや、国民が大嫌いな税制などでもない。
貨幣が資産たり得るのは、それを使って入手できる数多のモノやサービスが無限に存在しているからであり、それらを生産・供給する国民の不断の努力のおかげであると言って差し支えない。

事実、一億円の札束が詰まったアタッシュケースを持ったまま、商店や食料もなく人影すら見当たらない荒涼とした雪原や砂漠に放り出されてしまえば、貨幣など何の役にも立つまい。そこでは、貨幣よりも一個のパンや一本の缶ジュースの方が遥かに高い資産性を持つだろう。

資産なんてものの尺度は、置かれた環境や状況によっていくらでも変化するものであり、誰もが欲しがる貨幣に、わざわざ“負債”という悪名をつける必要などない。

貨幣の資産性を担保する対義語(会計上の対科目)が必要なら、それは日銀のバランスシートの負債勘定にある日銀券ではなく、『国民の生産力』を以ってそれに充てるべきだ。
(そもそも、貨幣は負債ではなく発行益として計上すべきだし、日銀が決算書を作ること自体が無意味なのだが…)

また、「貨幣=負債(信用)」という大嘘もさることながら、「貨幣は借用書だ」と言いつつ、なぜか貨幣負債論を否定する一部の論者の支離滅裂な思考回路にも呆れている。

常人の感覚なら、負債も、その内容を記した借用書も、ほぼ同義だと思うはず(※筆者も両者は同一思想の範疇だと理解している)だが、当のご本人は、「負債は“借りた”という行為。その行為を証明する文書が“借用書”だ」と言い張り、ゴマ粒未満の些末な違いに拘っておられる。

負債論⇔借用書論の違いなんて、“坂本龍馬”と“坂本龍馬伝”の違いのようなもので、云わば、偉人気取りの偽物と、偽物の虚像を記したウソだらけの伝記程度の違いでしかない。
筆者に言わせれば、行為だろうが、実体だろうが、貨幣借用書論は貨幣負債論の派生に過ぎず、貨幣に要らぬ負債性を科すという危険性を孕んでおり、積極財政政策の足枷になりかねない。

“国の借金が~”と怯え、財政政策を忌み嫌う国民に「お金そのものが負債なんですから、お金を増やしたいならお負債を増やすしかないですよ」なんて入れ知恵しようものなら、たちまち、「貨幣は政府の負債なんだろ? つまり“借金”なんだよな。調子に乗って貨幣をばら撒くと取り返しのつかないことになるんじゃないの? 俺たちの子孫にツケを回していいのかよ(# ゚Д゚)」と逆ギレされ、収拾がつかなくなるだろう。

そもそも、借用書とは、お金を貸し借りする当事者の間で作成する文書であり、「貸主の名前、賃借する金額、金利、毎月の返済日、返済が遅れた場合の金利、返済開始日、返済期日
返済方式、契約日、借り手の署名と住所、印」などを明記するのが通常のやり方である。

では、上記項目のうち、実際に貨幣に記されているものはどれほどあるのか?
貨幣に記されているのは、発行元(紙幣、硬貨)、名称(紙幣)、金額(紙幣、硬貨)という情報だけで、そこには貸借関係を証する文言は一切書かれていない。

書かれてもいないものを、さも事実であるかのように言い募るのは、詐欺にも等しい下賤な行為でしかない。

言葉の定義を厳密に解釈する者なら、「貨幣は借用書である」なんて大嘘など間違っても口にできないはずだが…

貨幣負債論や貨幣借用書論、租税貨幣論の類は、いくら詭弁を重ねても証明のしようがなく、一般人の常識論に照らし合わせただけで、矛盾がボロボロ露呈するポンコツ論だ。

MMTを信奉する者には、現実を説明できない腐った枝葉を削ぎ落したうえで、国民生活の向上や産業基盤の強化に資する財政拡大論にシフトするよう望みたい。

2019年1月16日 (水)

時計の針を逆回転させる愚論

人々は、なぜ「お金(法定貨幣)」を欲しがるのか?

それは、お金さえあれば、自分の欲するモノやサービスを不自由なく買えるからに他ならない。
いつでも、何でも買うことができるという満足感や安心感は、個々人の人生に、何物にも代えがたい充足感をもたらすとともに、より強い労働意欲を掻き立てる。

だが、世の中には「お金(貨幣)は負債である」と信じて止まない人(貨幣負債論者)もいる。
誰もが貨幣を資産として欲する以上、それを発行する政府や日銀にとって負債でないと、会計的なバランスが取れないというのが主張の根本にあるようだ。

「誰かの負債は、その対岸にいる者にとって資産である」という説は正しい。
ただし、それが成り立つのは両者が債権=債務を有する関係にある場合に限られる。

まず、「資産」とは何か?

ネットで検索すると、「土地・家屋・金銭などの財産。法律で、資本にすることができる財産」との説明があるが、一般通念上は、現預金や株券、債券、不動産、貴金属、宝石、書画・骨とう品など貨幣額で合理的に換算できるものを指す。

例えば、、プラチナの価格相場はグラム3.100~3,200円ぐらいで、それを保有する者にとって間違いなく資産だろうが、この場合、プラチナという資産の向こう側にある負債とは何を指すのか?

貨幣負債論者なら、プラチナが資産と化すにはそれを換金する必要があり、受け取った貨幣が資産、その貨幣を発行した政府や日銀が負債を抱えることになる、とでも説明するのだろう。

では、食料も水もないサハラ砂漠のど真ん中ではどうなるか。

行き交う人もラクダもいない荒涼たる砂漠で、何億円持っていても資産としての価値はない。
そこでは、貨幣や宝石よりもパン(フルーツの方がいいかも…)や水の方が遥かに高い資産価値を持つだろうが、そこでも貨幣負債論者は、砂漠の中心で「パンは負債だ、水は負債だ」と叫ぶつもりなのか?

債権・債務の延長線上での取引には、必ず資産と負債が対になっているはずだが、世の事象すべてがそうなっている訳ではない。

貨幣負債論という発想は、すべての取引を会計学の枠組みでしか捉えられぬ者の“早とちり”でしかない。

筆者は、貨幣負債論者に対して、これまで何度も自ブログや進撃の庶民へのエントリーで、
①貨幣という負債の清算(返済)義務を負う者は誰なのか
②負債の清算にあたり、持ち込まれた貨幣の対価として何を以って支払うのか
③負債の清算期限は何時なのか
と問いかけてきたが、質問に対して正面から具体的な回答を得たことは一度もない。

貨幣は負債であると言い張る以上、普通の国民が抱くであろう上記の疑問に対して、ひとつひとつきちんと答えられるはずだ

だが、残念ながら、貨幣負債論者から返ってくるのは、予想の斜め下からのビーンボールばかりで、ストライクゾーンを掠る気すらしない。

そもそも、彼らの回答が「そもそも貨幣は発行者にとって必ず負債になります」という、まったく答えにもなっていない一文から始まることにげんなりさせられる。

貨幣の負債性を疑わせるエビデンスを付したうえで「貨幣は本当に負債なのか?」と質問しているのに、疑問を氷解させる答えや事例を全く示すことなく、「そもそも貨幣は負債です」という結論を主張し始めるようでは、常識を疑われても仕方あるまい。

また、「「負債」とは、言うまでもなく「信用」の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である。貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣理論のすべてである」なる説明も、まったく的を外している。

A・Bの二者が、債権・債務や賃貸借の関係なら、なんとなく当てはまりそうだが、ここでも「貨幣」の二文字を使うのは適切ではなく、「債権」という文字を使うべきだろう。
なにせ、BがAに負債(債務)を返済しても、この世から貨幣が消滅することはないのだから…

A・B間で発生・消滅するのは、あくまで「債権と債務」という取引概念であり、貨幣はそれを具現化するための道具でしかない。

確かに、「負債=信用」という言い方も理解できぬわけじゃないが、通常、金融取引の現場では、抱えている負債の少ない者(=無借金経営)の方が、より高い信用を得ていると言い張ることも可能だ。

無借金経営者に対して、「より多額の負債を抱えられる余地がある」と捉えるか、「負債を抱えていない身綺麗な身体」と捉えるかによって、信用の抱き方が違ってくる。

将来の多額の負債吸収力を信用力と評価することも可能だが、それも初めのうちだけで、負債額が徐々に増えるにつれ、信用力は逆に降下し始めるのが世の常だ。

つまり、信用の定義なんて、切り口次第で何とでもなる程度の曖昧なものだ。

まぁ、貨幣とは信用に違いないが、その根源にあるのが、「国家が無限に負債を膨張させることができる」という貨幣負債論か、「国家は国民の資産である貨幣を無限に造り出し続けることができる」という真逆の論なのかによって、議論が分かれるところだろう。
信用を裏付けるのは、負債(負債に対する耐久力)なのか、資産なのか、というわけだ。

先の一文にあるAを国民に、Bを政府に置き換えると、「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。A(国民)の貨幣はB(政府)のA(国民)に対する負債であり、B(政府)が負債を支払えば、A(国民)の貨幣は消滅する。これが貨幣理論のすべてである」と言い換えられる。

果たして、B(政府)は何を以って負債を支払うのか? そして、A(国民)が持つ貨幣はどこに消えてしまうのか? まったく意味不明である。

また、貨幣負債論者は、「リフレ派を含むネオリベ経済学は、お金を自明な存在と捉えて論考せず、お金はお金という発想は新自由主義的な価値観に通じる」と批判する。

リフレ派の貨幣観をよく知らぬが、彼らの貨幣に対する期待感は、どちらかと言えば貨幣負債論者に近似しているのではないか。

リフレ派の連中は、金融政策による実質金利の抑制が投資や借入(金融機関にとっての貸出)を促すと考え、実体経済に富や資産の源となる貨幣を供給する財政政策を毛嫌いする。

彼らは、投資や借入という負債の拡大を経済成長の起爆剤とする、つまり、「負債=信用」の膨張が景気を動かすと信じ込んでおり、貨幣をその道具(所得や売上にはつながらない貸出原資)として位置付けている。

リフレ派の連中が財政政策を忌み嫌うのは、負債拡大が経済成長を促すと言っておきながら、それはあくまで民間経済主体による負債拡大であって、政府の負債である貨幣を野放図に膨張させると財政問題が悪化して金利上昇圧力が掛かり、金融緩和政策の邪魔になるからだ、という矛盾した態度によるものだ。

こうして見ると、リフレ派特有の「お金(貨幣)は負債だけから生まれるもの」、「貨幣が飛び交う好景気にするためには負債の拡大や過熱が不可欠だ」という腐った書生論は、貨幣負債論と瓜二つではないか。

貨幣が負債でないと不都合なのは、貨幣負債論者だけではなく、財政政策を忌み嫌う緊縮主義者や新自由主義者、リフレ派の連中の方だろう。

貨幣が負債なら、借金恐怖症に毒された国民に対して「貨幣は政府や日銀の負債、つまり“借金”なんですよ。調子に乗って貨幣をばら撒くと取り返しのつかないことになります。皆さんの子孫にツケを回していいのですか?」と脅しつけるのに格好の材料になる。

経世済民を推進する立場の論者が、「国債は政府の負債であり、内国債である以上何の問題もない」、「自国通貨発行権のある我が国に財政問題は存在しない」と、いくら主張したところで、貨幣負債論者に知恵を借りた緊縮主義者の連中が、にんまりして、「国民の皆さん、騙されないでください。日本には財政問題が無いなんて大嘘ですよ。お金は政府の負債なんです。負債である以上、いつかは返済しなければなりません。いったい誰が負債を返すのですか? これ以上税負担が重くなってもいいのですか?」と国民を脅しつければ、即試合終了だ。

「貨幣が負債ではないのなら、国の借金に怯えて政府債務を全額返せ!と主張する国民に何と説明するのか」との意見もあるが、上述のとおり、貨幣が負債であるなら、借金恐怖症の国民を重篤化させるだけで、説得する手立てなどない。

いくら、貨幣は特殊な負債であり、通常の負債とは違って永遠に返さなくてもよい負債だと言い張っても、国民から、「返さなくてもよいなら、そもそも負債じゃないだろっ(# ゚Д゚)」、「政府だけ返す必要のない借金ができるなんていい加減なことを言う奴を信用できるか‼」と逆ギレされ、それこそ“信用”を失うだけだ。

おまけに、「お金そのものが負債だから、お金を増やそうと思ったら負債を増やすしかないですよ?」なんて言った日には、「これ以上借金を増やすなんてとんでもない‼ 借金を増やすくらいなら、お金なんて要らない」とケツを捲られて終了だろう。

積極的な財政政策を打ち続けるための原資として、国債増発や日銀による国債引き受けを訴えるのは、筆者も大いに賛成だ。

“国の借金が~”とブーたれる愚か者には、
「日銀買い取り分は実質的な債務にはカウントされない」
「国民にとっての資産である国債が増えるのは喜ばしいこと(国債は政府の債務だが、国民全体の資産である貨幣で財源は確保済みであり問題なし)」
「内国債がどれだけ積みあがっても、通貨発行権で処理(財源確保)できる」
「政府が通貨発行権という国民全体を利する最強資産を保有する以上、財政問題など端から存在しない」
「借金問題に怯えるよりも、国債や通貨発行による果実を得て経済成長する方が遥かに有用だ」
と説明すれば十分だし、それで解らぬようなら貨幣を使う資格なしとみて、日本から出て行ってもらうしかあるまい。

貨幣負債論は、国債だけでなく、貨幣そのものに“負債+借金+増やすべきではないもの”といったマイナスイメージを植えつけ、人々から貨幣を増やしたり使ったりする意欲を削いでしまい、積極財政策にとっては足枷にしかならぬ非常に筋の悪い発想であろう。

貨幣負債論に脳内を侵された者は、まず「そもそも貨幣は負債なんです」という固定観念や雑念を取り払い、貨幣は本当に負債なのかと自問自答したうえで、
①貨幣という負債の清算(返済)義務を負う者は誰なのか
②負債の清算にあたり、持ち込まれた貨幣の対価として何を以って支払うのか
③負債の清算期限は何時なのか
という素朴な問いに箇条書きで具体的に答えるべきだ。

お金(貨幣)を商品貨幣論か、新表券主義・表券主義かという二元論でしか理解できないのは、あまりにも世の中の仕組みを知らなすぎる。

いまや商品貨幣論を唱える者などおらず、表券主義がメインストリームを成しているが、貨幣を負債と見做す発想は、商品(財貨)自体を貨幣とする商品貨幣論に通じるものがある。

せっかく、貨幣を貴金属のくびきから解き放ったのに、またもや貨幣を負債という鎖でがんじがらめにするなんて、本当に馬鹿げたことではないか。

2019年1月14日 (月)

お金はお金

Q.「銀行券が日本銀行のバランスシートにおいて負債に計上されているのはなぜですか?」
A.「日本銀行は銀行券の発行を1885年に開始しました。当初、日本銀行の発行する銀行券は、銀との交換が保証された兌換銀行券でした。その後、金本位制度の採用を経て、金との交換が保証されました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていました。
このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す「債務証書」のようなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。
その後、金や銀の保有義務は撤廃されましたが、一方で、銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべき」という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない「債務証書」のようなものであるという性格に変わりはなく、現在も負債として計上しています。」
(日銀㏋『教えて!にちぎん』より)

“お金(貨幣)とは何か”という疑問に答えるのは容易ではないが、筆者は少なくとも「貨幣は貴金属的価値のある財貨(主にゴールド等)に裏打ちされるべき(金本位制)」とか、「貨幣は負債である(貨幣負債論や貨幣借用書論)」といった愚論を容認する気はさらさらない。

一般的には、日銀(正確には国立印刷局)が発行する日本銀行券(紙幣)や、政府(造幣局)が製造する政府紙幣(硬貨)を総称して、“貨幣や通貨(法定通貨)”と呼ぶのが常識だが、世の中には、国家が製造する法定通貨を捕まえて、「お前の価値を担保するのは何なのか?」とやたらと貨幣に担保を要求したがる者がいる。

それほど貨幣(円)価値の担保が気になるなら、ドルやユーロ、元にでも両替すればいいのだが、こういうめんどくさい奴に限って、平気な顔して毎日のように円で買い物しているからややこしい。

冒頭にご紹介した日銀のQ&Aのとおり、中央銀行は発行した貨幣(日銀券)をB/S上の「負債勘定」に計上しているが、そうした事実が、貨幣の使用に足枷を嵌めたがる緊縮派のバカどもや、貨幣負債論を信じる者の拠り所となっている。

だが、貨幣が負債であるなら、その負債をどうやって清算するつもりなのか、明確な回答を提示した者は誰もいない。

「負債」とは『他から金銭や物品を借りて、返済の義務を負うこと。(デジタル大辞泉)』と解説される。
ここで重要なのは、“負債=返済の義務を負うこと”であり、負債である以上、債権者が存在し、決められた期日までに相応の対価を以って清算せねばならない。

貨幣負債論を信じる者は、最低でも、
①貨幣という負債の清算(返済)義務を負う者は誰なのか
②負債の清算にあたり、持ち込まれた貨幣の対価として何を以って支払うのか
③負債の清算期限は何時なのか
という疑問に対して、具体的に箇条書きで答える必要がある。

念のために言っておくが、持ち込まれた貨幣を別の貨幣と交換することを負債とは呼べない。それは単なる“両替”である。

それから、「負債の定義」を一般人が理解できない特殊な言葉で修飾したり、一部のコミュニティでしか通じない暗号で定義づけしたりするのは明確なルール違反である。

まぁ、貨幣という負債を返済する対価として使われるのが“貨幣”である時点で、貨幣が負債ではないことが明白なのだが…

貨幣が負債であって欲しいと願うのは、「預貯金や債券などの金融資産の価値を裏付けるためには、その対岸に負債の存在が必要になる」という原則論を慮ってのことだろう。

だが、「誰かの資産は誰かの負債」という原則は、あくまで債権債務や貸借関係の線上で成立するものであり、売買や贈与のような行為にまで及ぶものではない。

通常、負債や債務を清算するにあたり、貨幣が使われる(無銭飲食の罰としての皿洗いは別…)が、そうした場合の貨幣の役割は、「負債の総量を円という金額単位で可視化すること」と、「可視化した負債量をゼロにするための清算に使われる道具」であり、負債そのものを意味しない。

冒頭のQ&Aで日銀は、『銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべき」という考え方がとられるようになってきました』と口を滑らせている。

これを額面通りに受け取れば、貨幣(銀行券=紙幣)の価値を担保するのは、日銀のB/Sの資産勘定にある国債や有価証券ではないという意味になる。

つまり、国債や有価証券という金融資産を資産化するには、それらを売却して“貨幣”に換金する必要があり、換金された貨幣を以って、負債勘定にある貨幣の価値を担保することはできないという事実を暗に認めているのだ。

積極財政を主張する者たちは、これまで、世間に流布する「1,000兆円もの国債を抱える日本は財政危機」という緊縮財政派の大嘘に対して、「国債は政府の債務であって国民にとっての資産。政府債務は経済規模の拡大に伴い永久に増え続けるのが当たり前。国内には日銀や民間金融機関をはじめ国債の買い手はいくらでもおり、政府債務の拡大に懸念はない。債務がいくら増えても、政府が貨幣発行権という大権を有する以上、内国債の債務不履行など起こり得ない」という論で厳しく批判してきた。

しかし、貨幣が負債となると、“政府の負債は国民の資産”まではよいが、その先の“貨幣発行権発動による政府債務解消”の段階で躓いてしまう。

借金恐怖症に駆られた国民の多くは、「お金が負債だって?じゃあ、国債をどうするんだ!借金で借金を返すのか??いい加減なことを言いやがって(# ゚Д゚)」とヒステリーを起こして暴走し、緊縮病が重篤化するだけだろう。

緊縮思想に汚染された無知な国民に、「負債には返すべき負債と返さなくともよい負債がある」という理屈は通じない。
一般的な常識では、返さなくてよいものを負債とは呼ばないからだ。

返さなくてもよいのなら、むしろそれは負債ではなく、政府による硬貨発行が「貨幣造幣益」であるのと同じく「資産や収益」と呼ぶべきだろう。

貨幣負債論は、国民の借金恐怖症をいたずらに刺激し、経済政策における貨幣活用のハードルを自ら上げるだけの愚策でしかない。

また、『財政政策は、政府が負債や借用書である円を刷って、国民からモノやサービスを借りるのと同義』という論もあるが、これも“借りる”ではなく、“買う”と表現すべきで、政府はサービス提供者に対する対価(貨幣)の支払いを個々に清算済みだから、借りっぱなしというわけじゃないし、ましてや対価として支払われる貨幣そのものが負債になるわけでもない。

貨幣とは、『国家が定める法律によって保障された強制的な通用力を持ち、あらゆるモノやサービスと交換できるこの世で最も便利なツール』である。

貨幣が負債に見えてしまうのは、会計至上主義に囚われ、資産の対義語を欲する者の“早とちり”であろう。

誰もがお金(貨幣)を欲しがるのは、日本政府がその通用を保障しているからであり、通用の保障と負債とは同義語ではない。

貨幣の価値に疑問を持った馬鹿者が、政府に対して、「俺の持っている一万円札はあんたの負債なんだろ?いますぐ借金を返せよ!」とゴネたところで、誰も相手にはしない。
せいぜい、「両替ならお近くの金融機関でどうぞ」、「お金の価値に疑問を持つのは勝手ですが、万札が気に入らないなら、豪勢にお寿司でも召し上がってはいかがですか」と追い払われるのがオチだろう。

ありもしない貨幣負債論をいくら唱えても、その負債とやらを返済してくれる者はどこにもいない。
当たり前だ。そもそも、貨幣は誰の負債でもないのだから。

2019年1月10日 (木)

奴隷不足を美談にするな!

昨年、与党や安倍政権から改正入管法が提出された際には、“事実上の移民解禁だ”、“人手不足じゃない、単なる奴隷不足だ”、“人手不足は雇用条件改善のチャンスなのに、それを潰す気か”と方々から非難の嵐が起きた。

しかし、いまやマスコミの論調は、「移民の人権をいかに保護すべきか」、「移民に選択されるために日本はどう変わるべきか」という具合に変化し、移民受け入れは当然という前提の下で、日本人に多文化共生社会という害悪しかない腐れ文化を押し付ける気マンマンだ。

『東北でさえ「低賃金」の外国人に頼り切る現実~企業や社会の維持に手前勝手はもう通じない』(1/8 東洋経済ONLINE)
https://toyokeizai.net/articles/-/258918?page=1
「「あんな不毛な論争をやっていたんじゃ、日本には誰も来てくれなくなる。質問する野党議員も、取り繕って答弁するばかりの政府も、地方の窮状がまるでわかっていない」
宮城県気仙沼市でワカメやコンブの加工業を営む「かわむら」の川村賢壽会長は、昨年秋の国会で審議された入管法(出入国管理法)改正案の審議を見ながら、いら立ちが収まらなかった。「外国人を最低賃金以下で使い倒すとかパスポートを没収するとか、そんなことをやっている会社がなぜ生き残れている。国は何をやってきたんだ。法律違反を犯す会社があれば2度と外国人労働者を雇えなくなるくらいのペナルティーを与えるくらいのつもりで制度運用すべきだ」
外国人労働者の人権をないがしろにする会社の蔓延に、川村会長が危機感を募らせるのは、技能実習生の存在なくして現場が回らないことを、ここ数年で痛いほど感じてきたからだ。(略)」

東洋経済の記事に紹介された㈱かわむら(宮城県気仙沼市)の川村社長は、外国人労働者を最低賃金以下で扱き使おうとする悪徳事業者に憤り、心の通った指導や交流の大切さを説いている。

筆者は、そうした態度に文句を言う気はない。

ただ、彼が、「3K職場には誰も来てくれない」、「外国人技能実習生の存在なくして現場は回らない」、「移民反対云々とグズっていると、外国人労働者が誰も来てくれなくなる」といった趣旨の発言を繰り返していることを本当に情けなく思う。

こういった低収益労働の常態化を前提とした移民不可避論により、不況下で苦しい経営を強いられる経営者や貧困脱出を目指す出稼ぎ労働者が悲劇の主人公に祭り上げられ、移民推進派や、経済政策を放棄し貧民輸出を企てる後進国の為政者らに都合よく利用される。

“人手が足りない”、“募集をかけても応募がない”、“日本で少しでも稼ぎたい”という現実に直面する悲劇サイドの人間たちは、目の前の苦境から逃れるために移民解禁に賛成して互いを利用しようとする。

だが、「国内労働条件悪化の放置→国民所得の長期低迷→需要不足による長期不況」という構造問題を解決せぬ限り、間違いなく10年後も、彼らは悩みの淵に沈んだまま同じような愚痴をこぼし続けているだろう。

川村氏は、外国人労働者の雇用に人一倍気を配っているかのように美談仕立てで語っているが、最低賃金を守るなんて至極当然であり、別段自慢するほどのことでもない。

ちなみに、宮城県の最低賃金は時給798円と、8時間/月25日労働でも総支給ベースで月額16万円ほどにしかならず、実家住まいでもないと到底自活できるレベルじゃない。

しかも、件の㈱かわむらの募集条件をネットの求人情報(正社員)で拾ってみると、作業内容はわかめ・サケなどの加工現場での作業、1日9時間、月時間外26時間、休日:日祝のみ、年間休日87日で月給13.8~18.1万円、つまり、ほぼ最低賃金ギリギリの給与水準という体たらくだ。

こんな劣悪な条件で募集をかけておいて“一生懸命やっていますヅラ”されても困る。
日本人どころか、そのうちベトナム人やインドネシア人にもそっぽを向かれるだろう。

学生バイト以下の低賃金を堂々と提示しておいて、人が来ないと嘆くバカ者には、「お前なら、こんなところで働くの?」と問うてみたい。

事実、東洋経済のコメント欄にも、
「日本政府はブラック企業に対して甘すぎる」、
「外国人でなく職探しをしている人は多いです。高齢者の職探しはとても多い。主婦も仕事探しをしている人は多いです。ニートは60万人以上いる。日本人から人手を確保する仕組みが必要だと思います。適正な給料を払い、適正な労働環境にすると人は集まると思います」、
「外国人を入れなくても失業者はいっぱいいる。ブラック企業を淘汰して、安心して働ける社会を作るのが先。ブラック企業の延命策は要らない」
等々、手厳しいコメントが寄せられている。

筆者が業務上で支援する中小零細企業の多くは、その財務内容を見ると経常赤字や営業赤字を余儀なくされる先も目立ち、最終黒字を計上してもたったの数十万円ほど(実態は赤字経営)のところがほとんどであり、川村氏の嘆きもよく解る。
時給を上げたくとも、数十円上げただけでたちまち赤字に陥り、資金繰りに窮してしまうのは目に見えている。

だが、そうした苦境を解っていながらも、本稿では、移民なくして仕事が回らないと弱音を吐く経営者を敢えて厳しく批判する。

彼らは、外国人労働者に逃げられぬよう何かと気配りし、心を砕いているようだが、果たして日本人労働者にも同じような配慮をしているのか?
移民優遇にばかり目が行き、肝心の日本人の待遇改善への努力はなされているのか?

経営者が“不況下で価格転嫁不能→赤字受注ばかりで収益低下→人件費捻出不能→労働待遇低下→人材流出→求人不発→移民頼み→外国人への媚び諂い”という衰退へのスパイラルを断ち切る努力をせぬままだと、やがてベトナム人やインドネシア人を中国に取られ、イエメン人やザイール人を探しに行かざるを得なくなるだろう。

現況の人手不足は、数百万人規模で存在する国内労働人材に十分な雇用条件を提示できぬまま無駄に腐らすだけで、“奴隷並みの悪条件で大人しく働く奴がいない”と嘆く「奴隷不足(=エア人手不足)」であり、低賃金労働を常態化させたいだけの経営サイドの我が儘やだだ捏ねレベルの話でしかない。

この指摘に文句がある経営者には、奴隷が足りないと国民に甘える前に、問題の根本である不況脱出への具体策に目を向け、その解決を図るよう政治家に文句をつけて来いと言っておく。

緊縮主義に押されて、“財政支出は無駄遣い”、“消費税は不可避”だのと逆噴射政策を呑み、“モノが売れない”、“給料を払えない”、“奴隷がいない”と愚痴をこぼすバカ者には、経営者たる資格がない。

「給料を上げたくとも不況で価格を上げられない」と嘆くのなら、自社製品に十分な付加価値を付けられる(=値段が高くても売れる)ような経済環境の実現にこそ汗をかくべきであり、積極的な財政金融政策の実行による所得UPと消費活性化に賛成すべきだ。

それも出来ぬのなら、雇用の受け皿がなくなるのは残念だが、奴隷労働並みの雇用条件しか提示できぬ以上、もはや企業としての使命を終えていると言うべきで、大人しく退場してもらいたい。

2019年1月 7日 (月)

自立型経済に向けた改革を‼︎

『日経平均終値、1010円安 トランプ政権混乱が飛び火』(H30/12/25 朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181225-00000050-asahi-brf
「連休明け25日の東京株式市場で日経平均株価は急落し、終値は前週末より1010円45銭安い1万9155円74銭。日経平均が今年1千円超の値下がりとなったのは2月以来2回目。終値で2万円の大台を割ったのは昨年9月以来1年3カ月ぶり(略)
 前日の米ニューヨーク株式市場ではトランプ政権の混乱が市場不安につながりダウ工業株平均が約650ドルも急落。この流れで日経平均も全面安となった。(略)
 SMBC日興証券の太田千尋氏は「市場心理が悪化に傾き、海外勢の売りが株価を押し下げているのに対し、有力な買い手が不在の状況だ」と話す。」

朝日新聞をはじめとするバカマスコミは、トランプ大統領の足を引っ張りたいがために、日本市場の株価急落までトランプ氏のせいだと責任転嫁している。

だが、ヤフーニュースのコメ欄には、
「トランプ政権の混乱が飛び火したことだけが原因ではない。安倍首相・黒田総裁ラインが行ってきた不景気対策が、もうすでに手詰まりになっていることを如実に示している」、
「日本の報道は、株価下落の理由を、世界景気減速にしているけど国内も景気良くないし、外部要因だけを理由にするのは無理がある」、
「何故、上がると安倍のおかげで、下がると外的要因というご都合主義なのかな?真摯に判断すれば安部の経済運営の手詰まりだが原因なのが明らかだが」
と、マスコミの幼稚な分析に対する手厳しい意見が踊っている。

また、ニュースの中でSMBC太田氏は株価急落を海外勢の売りのせいだとコメントしているが、当日、外国人投資家の多くはクリスマス休暇中で売買に不参加だったらしい…
コメントする前にカレンダーをよく確認しておいた方がよかろう。

さて、これまでも何度か述べてきたとおり、筆者は株価が急落しようが急騰しようが、実体経済に与える影響は軽微にすぎないという立場であり、昨年末に起きた株価大暴落に一喜一憂する気もない。
昨年10月11日にも日経平均が前日比915円安まで暴落したが、それで日本経済がクラッシュしたわけでもなかった。

我が国の個人金融資産に占める株式の割合は、せいぜい一割になるかならぬかという程度でしかなく、株価上昇による“資産効果”など大したことはない。

日本証券協会の調査(H28/9)によると、個人投資家の証券商品保有額は“300万円未満”の少額保有者が46.7%を占めるそうだから、株価上昇による儲けなどほんの小遣い程度に過ぎない。
また、証券の購入目的も、「配当金、分配金、利子を得るため」(53.5%)、「(使い道は決めて
いないが、)長期の資産運用のため」(42.0%)の割合が高く、値上がり益をタイムリーに収益化する短期売買を行う者は少ないことからも、資産効果による経済波及効果は微々たるものでしかないだろう。

むしろ、宝くじや競馬、パチンコなどのギャンブルで一発当てた方が、消費への影響は大きいのではないか。(ギャンブル負け組によるマイナス消費効果と相殺すれば、大した効果ではなかろうが…)

そもそも、株価の急落・急騰を、いまだに海外要因(主にアメリカ経済)に求めたがるマスコミや株屋の連中の不見識ぶりこそおかしいのではないか?
世界第3位の経済大国が、アメリカに風邪をうつされ肺炎を拗らすなんてあってはなるまい。

野放図なフリートレードや資本移動の自由を正そうとするトランプ大統領の経済政策は、国内産業の育成保護や雇用の質向上の点から理に適うものであり、これを「保護貿易」だの「ブロック経済」だのと批判する方がどうかしている。
我が国もこれに倣い、国内産業の衰退と低賃金労働の常態化につながるバカげた開放政策を見直すべきだ。

また、外需を過度に持ち上げ、輸出産業や外国人観光客誘致を神聖視する風潮のいかがわしさにも気づかねばならない。
なにせ、日本の実質純輸出は2011年以降ずっとマイナス続きだったのだから、“輸出こそ経済を牽引するメインエンジン”という大嘘を吹聴すべきではなかろう。
【参照先】https://www.nippon-num.com/gdp/actual-ix.html

我が国の経済構成は、これまでもこの先も「内需主導型」であることに変わりはない。

日本の経済政策が及ばぬ海外の経済要因につられて体調を崩すようなことがないよう、個人消費や政府消費といった内需が経済のメインエンジンであることを国民がしっかり理解し、内需刺激型の持続的経済成長を目指すべきだ。

自国の意志に基づき経済政策のコントロールが効く内需中心の“自立型経済構造”こそ大切にせねばならない。

外需頼みの経済構造は、需要コントロールが不能で貿易摩擦を生み、通貨高圧力にも晒さやすい。
何より、需要の見通しを立てるのが極めて難解なだけでなく、輸出先国の意図的な政策や法令変更のターゲットとなり国内産業が振り回され、かえって弱体化してしまう。

外需はあくまでおまけみたいなものと割り切り、儲けの大半は内需で稼ぐのが賢いやり方で、少子高齢化で人口減が免れないとはいえ、国民の所得を増やし、一人当たりの消費支出をもっと増やしてやれば、人口減のマイナス要素を補うのは別段難しいことではなく、経済成長は十二分に可能だ。

我が国では、政官財から民に至るまで、経済を主導的にコントロールし、発展させようとする強い意志がまったく欠けている。
物乞いみたいに外需を当てにし、海外の政策変更に怯え、マナーも知らぬ迷惑観光客にペコつくだけの“外尊内卑”の負け犬根性が染みついており、その無様さには目も当てられない。

内需縮小論セットで外需信仰を支えてきた“構造改革、緊縮財政、規制緩和、金融政策万能論”などといったクズ理論は、不況脱却どころか症状を悪化させるだけで悉く結果を出せず、効き目の無い偽薬でしかなかった事実が露呈している。

くだらぬ緊縮ごっこや改革ごっこはもう止めよう。

日本が世界経済において再び主導的地位を占め、国民が「明日は今日より豊かになれるはず」と希望を持てる社会にするためには、外的経済変動に対して強靭性を持つ自立型の経済構造を創らねばならず、それには積極的な財政金融政策とそれを支える適切な分配政策を実現するための経済改革が必要だ。

“縮小(緊縮)と破壊(構造改革&規制緩和)”に明け暮れた平成不況期を一日も早く脱却するには、国民を豊かにできる真の経済改革こそ求められる。

2019年1月 2日 (水)

「カネが無い」はバカの始まり

読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。
本年が、皆様にとって実り多き一年となるようご祈念申し上げます。

さて、昨年12月21日に閣議決定された平成31年度政府予算案が過去最高の101兆円に上ったことに対して、マスコミや緊縮主義者のバカどもが「バラマキ予算だ」、「財政再建が遠のく」と噛みついている。

筆者に言わせれば、バラマキどころか、不況脱却の意思を微塵も感じない「超緊縮型予算」だ。

周回遅れの緊縮脳たちは、消費増税に備えた2兆円規模の経済対策という“異例の景気対策”のせいで、当初予算が初めて100兆円を超えてしまったと嘆いているが、本来なら、国債費(23兆円)抜きで120兆円(国債費込なら145兆円くらい)規模の歳出であっておかしくない。

緊縮脳にバカどもは、口先では不況を憂いているくせに、カネの供給無しでどうやって不況を脱出するつもりなのか、具体論を以って答えるべきだ。

将来の見通しが立たず、企業も家計もカネの支出を渋り続ける状態で、国内の実体経済に所得や売上に直結するカネをバラ撒けるのは政府しかなかろう。

“我慢”と“改革”という安っぽい行為は不況を悪化させるだけだし、海外頼み(輸出増+観光客増)も所詮は小遣い稼ぎの域を出ないことは、20年も続いた平成不況で十分学んだはずだが?

『財政にもトリアージ(優先順位付け)の発想を』(12/18 藤巻健史(経済評論家・参議院議員)のFacebookより)
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=339616723499028&id=100023521096911
「本日は各省庁を呼んで党として来年度予算の概算要求を聞いた。あいかわらず各省庁とも予算獲得競争の体。民間のように支出を収入内に収めるとの意識がほとんどない。お金が余剰の時には正当化される予算でも財政がこれだけ悪化している時にこんなことに予算つけていいの?と思う案件が山ほど出てくる。これではまちがいなく将来赤字のツケを払わされる。それも甚大なツケを。(略)
災害時、トリアージを認めてもらうにはお医者様の数が足りないことを理解してもらう必要がある。それと同様、財政トリアージでも国にはお金が無いことを理解してもらう必要がある。(略)」

緊縮主義者という輩は、本当にざんねんで愚かないきものだと改めて感じる。

まず、“国にお金が無い”という発想そのものが、経済評論家とも思えぬ『最低のジャンク』であり、金本位制の時代ならいざ知らず、いまどきこんな周回遅れの妄想を口にするなら、政治家失格だ。
これほどレベルの低い阿呆を税金で喰わせるのは、カネを溝に捨てるのと同じくらいもったいない。

先進国随一の供給力を誇る我が国にはカネ(を実体経済に供給する余地)なら幾らでもある。
10年物の国債金利は0.05%前後と“超々々低金利”を彷徨い続けているし、国内産業の設備稼働指数も低位なままだ。

これらは、国債発行量の不足や能力を持て余す生産設備からの“不満のサイン”にほかならず、政府はもっと大胆に国債を発行し、余剰気味の生産設備に稼働のきっかけを与えねばならない。

大規模な国債発行→積極的財政支出により民間の事業量が増えれば、企業業績は上向き、長期にわたる成長期待も高まるし、景気過熱がもたらす資金の取り合いから金利が上向けば、資金運用に悩む地方銀行や信金・信組の収益改善にも役立つ。

国債発行で足りなければ、政府が別に貨幣を発行(製造)すれば済むだけの話であり、国にお金が無いなどと口にするのは、国家と家計の財布とを混同する素人未満の“うすのろ”でしかなかろう。

無いのはお金ではなく、“やる気”と“能力”の問題だ。

災害時のトリアージなんて、ふつうは後進国の話であり、日本でこうした議論をせざるを得ないのはまことに恥ずべきことだし、そもそも、医者が足りない事態を招いたのは、間違った緊縮思想の下で大学などの研究機関への科学研究予算をケチり、地方交付税を削減して地域医療機関の予算を削りまくったせいではないか。

財政トリアージなどまったく無用かつ不要であり、国民生活を向上させるためには、優先順位どころか、“聖域なきバラマキ”こそ必要なのだ。

社会保障、科学技術、防衛、防災、国土開発、農業、文教、産業育成、医療高度化等々、あらゆる分野にふんだんにバラまかれた予算をめぐり、民間事業者がしのぎを削り合い潤沢な収益を上げる経済環境こそ「常態」とすべきなのだ。

いくらでも造り出せるカネ(貨幣)を出し惜しみ、トリアージ云々を騙るのは、企業や家計の投資意欲や消費心理を冷え込ませるだけの愚策でしかない。

藤巻氏は、緊縮を賛美し、民間の競争とか自助努力をやたらと強調するが、政府がカネを出し渋る超緊縮経済下で、積極的にカネを使おうとする者などおらず、いくら競争や自助努力を強要しても、すべて死屍累々のゴミの山と化すだろう。

競争や自助努力が報われるには、それらにカネ(貨幣)という対価が十分に支払われなければならず、カネ無きところに付加価値は生まれない。
緊縮バカは、“カネ抜きの努力・根性・工夫だけ”で経済が好転することは絶対にないことを肝に銘ずべきだろう。

経済は結果がすべてであり、無限に製造可能で誰の負債にもならぬカネ(貨幣)を神聖視し、ケチっているうちは不況が終わることはない。

以上、藤巻氏のような緊縮バカの大嘘を批判し、緊縮思想に平伏す国民が一人でも減るよう、今年も努力してまいりますので、ご愛読のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。

2018年12月27日 (木)

来年こそは積極財政による経済改革を!

『ポケベル電波は「防災無線」で生き続ける 「文字通信の強み、最大限に発揮」』(12/3 ITmedia)
「ポケベルを使った無線呼び出しサービスが、来年9月に終了する。全国で唯一、サービスを提供している東京テレメッセージが12月3日、終了を決めたと発表した。同社は、利用者が1500人を下回っていることに加え、「防災無線サービスに経営資源を集中するため」と説明している。(略)」

筆者は、学生時代から銀行員時代を含めて、ポケベル(ポケットベル)を使ったことも、実際に目にしたこともないが、ポケベルが登場から50年も経過していたこと、サービスが継続していたこと、未だに1,500人も利用者がいたことに驚かされた。

ポケベル終了のニュースを聞いた現在の職場の同僚は、「懐かしいねぇ。若いころ、よくあんな不便なものを使っていたよなぁ…」、「あと10~20年経ったら、スマホを懐かしむ時代が来るのかな??」と感慨深げだった。

しかし、彼の様子を見た筆者の頭に浮かんだのは、このまま40~50年も不況が続けば、逆に「昔はスマホとか、インターネットを自由に見れる便利なものがあったらしいね」と過去を羨むだけの時代が来るかもしれないという、どんよりとした不安だった。

たしかに平成時代の大半は不況まみれの陰鬱な時代だったが、経済や科学技術が高度成長を遂げた昭和の遺産のおかげもあり、電気や情報通信、化学、機械、農業、医療、などといった分野の飛躍的な技術発展の恩恵に浴することができた。
(それゆえに、昔より便利な生活を送れるからと不況容認論を唱えるバカも後を絶たないが…)

だが、我々がかろうじて享受できた昭和の残滓も、そろそろ底を尽きかけている。

平成中期以降の度重なる経済失政は“失われた20年”という世界でも稀有な長期不況をもたらし、内需が徹底的に破壊された結果、我が国の強みである供給力(=国富)は骨粗鬆症にも似た崩壊の瀬戸際にある。

すなわち、製造拠点やコア技術の海外流出、少子化による歪な生産年齢構成と技術継承の断絶、科学技術予算の縮減による知財や技術力の低下、無就業人口の増加による生産スキルの低下といった内部破壊により、もはや回復不能ともいえる大きな傷を負ってしまった。

日本人は、あと何年間、“昔はあんな不便なものでよく我慢していたよね”と過去を笑える贅沢を味わえるだろうか? 筆者は非常に悲観している。

このまま不況が永続化すると、我が国は先進国から後進国(=後退国)へ転落を余儀なくされ、技術発展の針は逆回転し始めるだろう。

我々の生活を豊かで便利なものにしてくれた電気製品や情報通信機器、物流サービス、娯楽サービスなどは、過去に存在した“空想上の贅沢”と化し、「過去は羨むべきもの、未来は絶望するしかないもの」という悲惨な時代が現実化しかねない。

技術発展の針を逆回転させぬためにも、緊縮思想という忌まわしい“麻薬”とは完全に手を切らねばならない。

平成不況のという麻薬中毒を悪化させた真因は、「緊縮・改悪・規制緩和の三バカ政策による大規模な需要不足のせい」というのは誰の眼にも明らかであり、薬中患者を更生させるには、緊縮主義や新自由主義という『麻薬』の誘惑を断ち切り、積極的な財政金融政策という『厳しい更生プログラム』を課すしか効き目はあるまい。

だが、麻薬患者を更生させるのは容易ではない。
いっぱしの識者を気取る連中の中にも、麻薬に魅入られ、不況というトランス状態に溺れて治療を頑なに拒む心の弱いメンヘラさんがうようよいるものだ。

『再考すべき増税対策』(12/11 日経新聞「大機小機」)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO38764620Q8A211C1EN2000/

上記コラムの担当執筆者である魔笛氏は、
「そもそも財政の役割とは、政府が国民から税金を集め、公共のために使うこと」
「せっかく国民から集めた税金の使い道は、その場だけの増税緩和策といった狭い了見からではなく、全ての支出の優先順位を熟慮して決めるべきだ」
「消費税は一時的な駆け込み需要と買い控えを起こしても、中長期的には影響しない」
といった具合に、増税断行論と悪影響緩和策不要論を唱えている。

彼が言いたいのは「財政再建のため、国民を甘やかさず完全なる消費増税をやり遂げろ」の一言だろう。
まさに、緊縮思想という質に悪い麻薬に骨の髄まで侵された重度の薬中患者だ。

そもそも、財政の役割をまったく勘違いしている。
財政政策とは、税の集金と再配分だけを指すのではない。

財政の役割は、国民生活の向上を図り、国家を強靭化するために必要な、
・社会インフラの維持更新
・医療、介護、福祉、教育サービスの高度化
・基盤となる食糧やエネルギーの開発や確保
・産業力強化のための基幹産業の育成やそれを支える技術企業群の保護
・科学技術力養成のための研究人材育成
等々の政策を行うために必要な財源を絶えず供給し続けることに尽きる。

それらに必要な財源(=貨幣)は、何も税金ばかりではなく、国債発行でも紙幣増刷でもよい。
何より優先すべきは、政策をスピーディーかつ永続的に実行し、国民生活の満足度を上げ続けることだから、財源問題など二の次、三の次でよく、消費や投資への懲罰でしかない「税」など最小限で構わない。

よって、支出の優先順位云々などセコい了見から財政を騙るのは経済の基本を知らぬド素人に過ぎぬ。
支出項目に優先もくそもない。過度なインフレにならぬうちは、聖域なきバラマキで家計や企業といった民間経済主体の成長期待を刺激し続ければよい。

火も点かぬうちから火消しのことばかり気にするバカのせいで、国民を凍えさせてはならなぬ。

また、魔笛氏は、消費税が中長期的には消費に悪影響を及ぼさないと断言しているが、まともな神経の持ち主なら、これを鵜呑みにする者はおるまい。

彼は、平成期の家計所得(サラリーマンの平均給与)や消費支出の推移のデータをとくと眺めた方がよい。
長期不況下で消費に重いペナルティを課す悪税が、消費にブレーキを掛けなかったか否か、じっくり確認すべきだろう。

緊縮麻薬は正常な経済観を麻痺させ、中毒患者は、成長より後退を、幸福より苦労を、収益より負担を、健全より退廃を尊ぶようになる。
こうなっては人間もお終いだ。

来年も引き続き、緊縮志向のバカバカしさを説き、積極的な財政金融政策による『経済改革』を強く訴えていきたい。

今年のエントリーは本稿が最後になります。
今年も一年間、拙ブログをご愛読いただき、誠にありがとうございました。
読者の皆様も、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

2018年12月24日 (月)

維新好きのエセ評論家

“維新”とか“改革”といった類のいかがわしい言葉が大好きなバカ論者は、いつも的外れな主張ばかりのくせに、自らの失敗を省みようとする気はさらさらなく、他人を叱咤して悦に入っている。

この手の害虫の本を買ったり、講演に読んだり、コラムを書かせたりして甘やかしていると、ますます調子に乗って毒をまき散らすから、決してエサを与えぬよう、国民の皆さんにはよくよくご注意願いたい。

『大前研一"ついに失われた30年になった"~なぜ平成という時代は失敗したのか』(11/30 PRESIDENT ONLINE 大前研一/ビジネス・ブレークスル-大学学長)
https://president.jp/articles/-/26871
「(略)私に言わせれば、この国は現代史というものにまったく学んでいない。現代史というのは過去30年の世界の動向であり、過去30年の日本の動向である。
その現代史においてもっともシビアなメッセージは何かと言えば、財政赤字は政治家の怠慢によって生み出されるということだ。そして「経済を膨らませて借金を返せばいい」などと歴史的に見てもほとんど実現不能な政策を掲げる政治家が選ばれるのは、国民が怠慢だからである。(略)」

そもそも、「財政赤字=悪」という発想がお粗末極まりなく、国債を今すぐ返さねばならない借金だと思い込む大前氏の素人くささには失笑を禁じ得ない。

企業も家計も消費や投資を抑え込んでいる以上、政府部門が積極的に“カネの使い手”となり赤字を背負い込まねば、いったい誰が国内需要を支えられると言うのか?

また、国債発行残高は一国の経済規模を示すものであり、経済の発展や拡大に伴い増大するのが当然で、永遠にロールオーバーしておけばよく、国債のゼロ化は経済をクラッシュさせるだけのとんでもない暴論だ。

大前氏は財政赤字を政治家や国民の怠慢だとご不満のようだが、経済評論家やプロのコンサルタントを気取っておきながら、『経済を縮小させてでも借金を返すべきだ』などと歴史的に見ても絶対に実現不能なバカ論を唱える自信の無能さを恥ずかしいと思わないのか??

彼は、安倍政権や黒田日銀総裁がデフレ脱却や物価目標2%を達成できないのに対して、「達成時期を明示しないコミットメントなんて、「成り行き任せ」と言っているのと同じだ。普通の企業で事業部長がそんなことを言ったらクビである」と偉そうに批判する。
だが、『経済をクラッシュさせても財政再建を断行すべき』という事の最初から達成不可能なコミットメントを吹聴するド素人こそ、プロの経済評論家として失格だろう。

カネを使わずに、「改革」とか「維新」といった腹の足しにもならぬ空疎な言葉だけで経済を動かせると信じ込む彼の無能ぶりを、筆者は心底から軽蔑する。

彼の寝言はまだまだ続く。
「アメリカでも日本でも、かつてのギリシャや今のイタリアなどでも、国民に甘いことを言う政治家の台頭ばかりが目立つ。国民も政治家の甘ったるい言葉に慣れてしまっているので、真実に近いことを言って厳しい政策を打ち出す政治家よりも、真実から遠いことを言う政治家が選ばれる。」

アメリカやギリシャ、イタリアあたりはともかく、少なくともこの20年間、この日本で国民に甘いことを言った政治家がいたならぜひ紹介してもらいたいし、どのくらい甘い政策を打ったのか説明してもらいたい。

また、彼は、「この20年で欧米の給料は平均で2倍になっているのに、唯一、日本の給料だけはほぼフラットだ。G7の主要7カ国で比較しても、日本だけが2000年の賃金水準を下回っている。給料がまったく上がらないのだから、景気を実感できるわけがない。暴動が起きてもおかしくないくらいだが、日本人は騒がない。理由はデフレだ。」と他人事のように文句を言っているが、日本人の所得がフラット化し、欧米諸国に立ち遅れた最大の原因は、大前氏をはじめとする緊縮バカが財政支出の足を引っ張り、不況を常態化させたからに他ならない。

彼のような老害は、「“理由はデフレだ”なんて、いったいどの口が言っているのか? そのデフレを長期化させたのは、カネを出し渋ったお前たちのせいだろ」と厳しく叱責しておかねばなるまい。

大前氏は、「銀行関係者から聞いた話だが、年金の受取口座を別につくって、年金をもらい始めてから一度もその口座に手を付けていない人が結構多いそうだ。年金の3割を貯金に回している人もいるくらいだからカットする余地もあるのだが、日本ではそうした議論はタブー視される。しかし、「贅肉」にメスを入れないことには、日本の財政はまともにはならない。(略)先細りしていく将来世代にツケを回して今日の繁栄を享受するのは、現役世代の犯罪である」と高齢者の貯蓄にまで文句をつけ、将来世代に格好をつけるためになけなしの年金すらカットせよと騒いでいる。

高齢者が若者を搾取しているかのような壮大な勘違いを盾に、高齢者の年金までカットするのは、それこそ後世に年金制度への疑心を植え付け、制度維持に甚大な禍根を残す愚行になるだろう。

高齢者は世間が想像するほどカネに余裕があるわけではない。

高齢者世帯の平均収入は297万円に過ぎず、「貯蓄ゼロ」、「貯蓄50万円未満」の割合は合計20.7%に上ったというデータもある。
また、東京都内でさえ世帯収入で最も多いのは100~200万円の層で全体の25.1%を占めるといった具合に、「高齢者=金持ち」というのは現実にそぐわぬ幻想でしかない。

若年期や中年期を経済的に比較的恵まれた時期を過ごしたいまの高齢者でさえこの程度の収入しかないのだから、将来世代の高齢者の収入はもっと悲惨なものになっているだろう。

高齢者は年金を貰い過ぎだとばかりに安易な年金カットを行えば、いまの中年世代や若者世代も「いずれ自分たちの年金もカットされるに違いない」と疑心暗鬼となり、ますます財布の紐を固めて消費にブレーキが掛かるに違いないし、意図的な年金未納も増え制度自体が瓦解の危機に晒されることになる。

つまり、大前氏の馬鹿げた緊縮論や年金カット論は、日本経済を復活不能な大不況に叩き落す愚行でしかない。

彼は、「私が「平成維新」を旗印に掲げて日本の改革を世に訴えたのは平成がスタートしてまもなくのことだった。(略) 道州制、ゼロベースの憲法改正、移民政策、容積率の緩和など、私の政策提言のすべてはこの本から始まっている。(略) あれから30年が経過した。2005年はとうに過ぎ去り、平成が終わろうとしているのに、私が平成維新から唱え続けてきた政策提言はほとんど何も実現していない。ということは、平成の30年間、私は空論を振り回していただけということになる。大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいないのではなかろうか」と、さも被害者であるかのように嘆いて見せるが、ここは嗤うポイントなのか?

大前氏のようなエセ評論家は、不況の原因を作り、それを悪化させておきながら、自分たちは素知らぬ顔でバカ論を振りまき、多額の報酬を得ていい気になっていただけではないか。

本当に平成時代をむなしく過ごさざるを得なかったのは、彼みたいな緊縮バカに騙されてお布施を巻き上げられた無辜で無能な民であろう。

2018年12月20日 (木)

唾棄すべき変節屋

人の心は移ろいやすいとは言うものの、いい歳こいた大人が持説や思想をコロコロ変えるのはみっともないものだ。

妄想や邪教から解き放たれて心根を入れ替えるのならまだしも、保身のため、あるいは、若輩ゆえの忍耐不足から変心や変節を繰り返す輩の醜態を見るにつけ本当に情けなくなる。

・金融緩和政策の効き目が危うくなると財政政策にすり寄り始めるリフレ派の連中
・保守利権で甘い汁を吸ったくせに、いまやアクロバティック左翼擁護とネトウヨ批判だけが十八番の著述屋

巷の経済論壇にはさまざまな変節屋がいるが、下記に紹介する城氏も、そんないかがわしい連中の一人だろう。

彼は、元富士通社員として成果主義導入による従業員評価制度の矛盾を暴いて世にデビューしたものの、その後、終身雇用・年功序列を痛烈に批判する一方で、雇用の流動化や企業の内部留保蓄積、ワタミのようなブラック企業を擁護するなど、あちら側の世界に転向し、「7割は課長にさえなれません」、「たった1%の賃下げが99%を幸せにする」と若者に対する絶望強要本を著し、いっぱしの評論家気取りだ。

『移民受け入れ&消費税引き上げ推進の安倍政権は本当に保守政権なのか』(11/28 城氏のブログより)
http://jyoshige.com/archives/9279003.html

彼の得意技は“弱者批判と強者への阿り”で、新自由主義や緊縮財政論に頼り、不備だらけの経済観念を補強しようと必死なのだが、所詮は借り物の知識であり、矛盾や勘違いだらけで粗が目立ちすぎる。

上記エントリーから、彼の妄言をいくつか引っ張り出し、矛盾点などを指摘しておく。

「SNSなんかを見てると安倍政権の支持層の中に「移民を受け入れたり消費税増税するなんて、本当に保守なのか?」みたいな疑問を抱いている連中が散見されるんですが、はっきりいってアホですね。今さら何言ってんの。アベちゃんが憲法以外のことを真面目に考えてるわけないでしょ。」(城氏のエントリーより、「以下同じ」)

⇒安倍ちゃんは、先の総裁選後に「今度こそ憲法改正に踏み切る」と意気込んでいたのに、消費増税や入管法改正問題で非難を浴びた途端、またもや憲法改正の発議と国民投票法改正案を来年以降に先送りしてしまった。
安倍ちゃんが政権を取ってから6年近くになり、しかも、衆参両院で与党が改憲勢力を維持しているにもかかわらず、いつも直前になると尻尾を巻いて、憲法改正を先送りし続けてきたし、今後も逃げ回るだろう。
要するに、「安倍ちゃん=憲法改正が最優先事項」だと、いまだに勘違いしているのは、おめでたいインチキ右翼かバカ左翼、もしくは、新聞すらまともに読んでいないド素人でしかない。


「日本は古代から渡来人受け入れに積極的だったし保守革命の明治維新は使い物にならない幕府とか武士階級を投げ捨てて西洋文物を全面的に受け入れるイベントでした」

⇒まず、渡来人は4世紀から7世紀にかけて中国大陸及び朝鮮半島から移住し、仏教の普及や水稲、寺社建築技術の伝来に力を発揮したのは事実だが、それも今から1300年以上も前に終わった話で、移住した渡来人の数などほんのわずかで、中世以降は別段積極的に受け入れもしてこなかった。
また、明治政府は幕府や武士を捨てるどころかサポートや保護に精力を注ぎ、旧大名で華族や政治家、資本家に転身したものも多い。
また武士階級の者も「しかし士族はインテリであって、その中には時勢をみるに敏なるものも少なくなかった。(略) 少し補足すると、大阪株式取引所・大阪商工会議所を創設した五代友厚は薩摩藩、三菱の大番頭となった荘田平五郎は臼杵藩、三井中興の祖と言われた中上川彦次郎は中津藩、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎は土佐藩、第一国立銀行や東京証券取引所などの設立・経営に関わった渋沢栄一は幕臣、安田財閥の祖・安田善次郎は富山藩、藤田財閥の祖・藤田伝三郎は長州藩の出身である。他には日産コンツェルンの創始者鮎川義介(長州藩)、三越百貨店創立者の日比翁助(久留米藩)、第二代住友総理事の伊庭貞剛(伯太藩)、三井物産の設立に関わった益田孝(幕臣)など、武士出身者で経済界の重鎮になった人物が目白押しなのである」といった具合に、明治の産業発展の大黒柱となった人材も多い。
【参照先】http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-362.html
城氏みたいに、「明治維新=西洋文物を全面的に受け入れるイベント」なんて戯言を吐いていると、いまどき小学生にすら笑いものにされかねない。


「増税も歳出カットもしない放漫財政は保守の天敵でしょ。「国債をいくらでも刷ればOK」っていう負け組は頼むから保守を名乗らないでね(苦笑)
では安倍政権とはいったい何者なのか。一言で言えばポピュリズムでしょう。国民の多数派が喜ぶことだけをやってくれているありがたい政権です」

⇒増税と歳出カットしかしない緊縮バカは保守どころか国民の敵だ。
 「国債発行=財政破綻」という有り得ない妄想や蜃気楼にうなされている周回遅れの経済オンチは評論家を名乗るべきではなかろう(失笑)
 安倍政権や自民党をポピュリスト呼ばわりする阿呆には、ポピュリズムの意味をもう一度調べ直してこいと言っておく。
 税や社保料は上がる一方、年金支給は遠のき、TPPで国内産業や農業を破壊、水道など公営事業をたたき売り、米中韓鮮露には譲歩だけ、おまけにサラリーマンの平均給与はだだ下がりといった体たらくの何処に国民を悦ばせるポピュリズム要素があるというのか?


「本当に受け入れに反対するんだったら留学生がレジやってるコンビニや外食チェーンの不買運動やって、一食1500円くらいする純日本人が国産食材使ってやってる定食屋だけみんなで行列作って利用すればいいのに誰もそんなことしてないでしょ」

⇒くだらぬ緊縮政策と野放図な市場開放政策を押し付けて国民の平均収入を下げるだけ下げ、国民から消費の選択肢を奪っておきながら、“外人を雇って安く買える店に行くな”と言い放つのはバカか詭弁師の類だろう。
それなら、移民受け入れを声高に叫ぶ逆張り変節野郎には、移民バイトが店頭に立つコンビニと新大久保のインチキ在日料理店以外は一切利用するなと言っておく。


「消費税については逆に20%近くまでさっさと上げて、そこから先をどうするかを国民全体で議論すべきでしょう。ほっておくと30%を超えるけど、たとえば一気に15%くらいにあげれば高齢者の中からも「え!?そんなに負担しなきゃならないの?だったら無駄を見直して給付を減らそうよ」という声が出てくるはず」

⇒消費税率が一気に15%にも上がったとして、“年金給付を減らそうよ”なんて言う老人がいるわけなかろう。ただでさえ負担が増えるのに、消費や税負担の原資を返上するバカが何処にいるというのか?
 彼は消費税率を20%に上げろなんて勇ましいことを言うが、消費や投資に2割ものペナルティを課す愚策を断行した日には、間違いなく国内の消費はクラッシュする。
 ただでさえ青息吐息の種版業界やメディアは大打撃を受け、城氏の三流コラムにギャラを払うようなインチキメディアは激減し、彼のエセ本も書店で文鎮化を余儀なくされるだろう。

逆張りしかできぬ卑しい変節屋が糊口を凌ぐためには、マクロ経済の活況が最低条件になるが、自己評価だけは異様に高く、実力を過信しがちな小人に限って、自分が乗船する客船を必死に壊そうとするものだ。

自分の生活を保障してくれる経済環境を喜々として破壊しようとするのは、大局観ゼロの蛆虫やゴミ虫でしかあるまい。

«せっかくの供給力をムダにするのか?

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