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2009年1月

2009年1月31日 (土)

自分はさておき・・・

 ちょっと前に、文部科学省が発表した子供の体力が低下しているとのデータに関して、大阪のパフォーマンス知事が騒いでいる記事を読んだ。

 やれやれ、また、いつもの学力低下問題(=ゆとり教育はけしからん)への非難とおんなじだ。

 

 この学力低下を巡る問題とは、OECDが3年ごとに行なう学習到達度調査(通称:PISA、2006年は56カ国が参加、15−16歳の生徒が対象、数学・読解力・科学等を問う)というおせっかいなテストの結果、日本人の成績が2000→2003→2006と回を重ねるごとに順位が低下したため→日本の子どもの学力が低下した→ものづくり大国が崩壊する→ゆとり教育はけしからん→ついでに日教組もけしからん という騒ぎのことを指す。

 そもそもこのPISA自体がかなり怪しいもので、参加校、参加者がよく判らないうえに、中3~高1という受験生を含む層に当たる参加者の本気度も更に不明である。(あなたの知り合いでPISAを受けた人を知ってる?) 数学・科学オリンピックみたいに、○○高校の○○君が出場して金メダルを取りました という訳ではないのだ。

 当然、PISAで高得点GET=参加メリット(受験に加算or内申点UP等)とは全くならない。こんなテストに本気で付き合う生徒がどれくらいいるのか?

 しかもこのおせっかいなテストは、全部で6時間半も掛かるうえに、各自の学習習慣や学習動機、家族の属性まで問われるとのこと。まったくご愁傷様としか言いようがない。

 このPISAでいつも上位には入っているのが、フィンランド、韓国、香港、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、台湾等といった国々で、特にフィンランドは、北欧好きの日本人から北欧型の教育などと持ち上げられ、多くの視察の対象になっている。(ちなみに、国内の全国学力調査のトップは秋田県)

 だが、上位の国々を見渡しても、だいたいこじんまりした国ばかりで、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国(参加したかどうか不明)など日本のライバル国はいずれもベスト10に入ってない。競争相手になりそうな国で、日本より上位なのは韓国ぐらいか。

 しかし、フィンランドや韓国、ついでに秋田県などの国民や県民ははたして幸せなのだろうか。多くの日本人は、北欧諸国=理想の国という幻想を抱いているが、実際のフィンランドは自殺率が非常に高く、政府を挙げての取組みによってようやく日本並に下がってきたし、失業率も劇的に改善したといわれているのに8%近い。韓国も同じで、自殺率はOECDで最悪であるうえに、日本以上といわれる厳しい受験競争を勝ち抜いても大学生の就職率が50%程度しかないといった惨状である(秋田県も自殺率が日本で最悪)。

 また、フィンランドではノキア、韓国ではサムソンといった具合に、一握りの巨大企業と弱小企業ばかりで産業基盤が手薄だから、国内にはまともな働き場所がなく、結局海外や首都圏(だいたいはアメリカ、秋田の場合は東京あたり)に人材が流出してしまう。結果として、個人は優秀でも、それを国家全体の利益につなげられないために、経済基盤が弱く、人口も増えない。何のことはない、それらの流出する人材を吸収するアメリカ(秋田の優秀な生徒も秋田大には行かないだろう)にいいように利用されるだけなのだ。

 こういった馬鹿げた状況をよく見もせずに、日本の子どもの学力や体力の低下を愚痴ったり、文句を言うものがいるが、果たして自分が子供の頃はどうだったのか?彼(彼女)らは、自分を棚に上げて、文科省や学校、他人の子どもに散々文句を言い散らかしているが、自分たちだって大した成績ではなかったはずだ。

 なのに、TVや雑誌(プレジデントファミリーほか)に煽られて、公立校ではダメ、中高一貫の有名私立でなければなどと無駄金を使うことに懸命になっている。その割りには、明治大や立教大、青山大、関関同立あたりを一流校だと言い張り、ややもすると日東駒専レベルまでそれに含めようとする盲目ぶりには呆れるばかり。

 繰り返すが、PISAなんか受験には何のメリットもないのに、訳のわからないテストを受けさせられ、その結果を大げさに取り上げられて最近の子供は学力が低下しているなどと難癖を付けられる生徒こそいい迷惑だと思う。 実際にフィンランドや韓国、秋田のように結果とメリットが直結しないのは本当に不幸なことだ。

 解決策は単純で、一定の水準の大学(国公立、有名私大)を卒業できれば生活を一生保障する社会にすればよい。つまり、結果に対する報酬(メリット)を明確化すべき、昭和や平成バブルの頃まではこういった暗黙の約束があったので学力水準が保っていられた。

 だいたい、学生はぼんやりしているようで将来の見通しは敏感だ。学力で結果を出せば生活が保障されるとわかれば、外野がつまらぬ心配をする必要もなく猛勉強するはずで、学力調査の結果など言うまでもなく上がるはず。

 小学生に対する英語教育必修化も同じことで、一体子供に何を期待しているのか?

 英語なんて話せる人間は世界中に掃いて捨てるほどいるし、既に国内にも相当数おり、あきらかに過剰気味だ。TVでKDDIの子会社の海外向けオペレーター(無論英語は堪能)の非正規雇用問題が取り上げられていたが、彼女らの時給はたったの1,200-1,400円程度とのことで、マックのバイトと大差ない。ネイティブ並みの英語力を持つ彼女らにしてこの程度の待遇しか受けられないのが現実なのに、眉間にしわを寄せて英語教育の必修化を叫んでいる愚か者が多数いる。 この愚か者は、恐らく殆ど英語など話せもしないし聞き取りもできないだろう。自分の無能さには目もくれずに、下らぬことを他人に強要する。彼らが、子どもの頃から英語を勉強してもう少し話せていれば俺(私)の人生やポジションも変わったはず・・・などと夢想するのは単なる幻想にすぎない(実際あなたの職場で英語を必要とする仕事がどれくらいあるのか?)

 

 ちゃんとしたところを卒業すれば、あるいは他人より優れた能力を身に付ければ、人並み以上の職に就ける(=高収入)ようにする(公務員でも一流企業でも可)。この当たり前のシステムや受け皿を用意もせずに子どもの努力不足を非難しているが、自分たちの時代はどうだったか。 高度成長やバブル景気のおかげでそういったルートが用意されており、運良くそれに乗ってこれただけで、昇りエスカレーターに乗れた時代の人は、降りエスカレーターにしか乗れない時代の人を非難する資格はない。自分たちの運のよさを棚に上げて、他人の不運に対して根拠のない批判を行うのは無責任なことだ。

 近頃は、この手の自分はさておき○○はけしからん、○○すべき・・・という輩が多すぎ、あちこちで諸問題解決の足を引っ張っている。

 実際には喜んで受け取るくせに定額給付金を批判する者、非正規社員に職がないのは本人の努力不足などと勘違いしている者、自分は目を剥くような高級を取っていながら日本の人件費は高すぎるとのたまうエコノミストやマスコミなんかもこの類だろう。

2009年1月19日 (月)

AかBか、ではなく、AもBも

 非正規社員の大量解雇問題に関連して、昨今、ワークシェアリングの導入を検討すべきという声が大きい。

 ワークシェアリングは、オランダが成功例とされるが、人口約1,600万人のかの国と、労働人口だけで6,600万人にもあるわが国とは事情が違いすぎる。限られたパイを分かち合う、つまり、日本という国がこれ以上成長しないといった概念が前提になっており、到底承知できない。日本が有する生産力・サービス提供力(=労働力)は世界でも有数のレベルにあり、需要さえあれば当然成長することは可能だと思う。なんといっても、ここ10数年というもの殆ど成長していなかった(名目成長率で)のだから。政府の役割は、萎縮して凍りついたこの需要を積極的に作り出すことにある。

 ワークシェアリングは、ホワイトカラーエグゼンプションと同様に、一般の社員(=多くの国民とその家族)にとっては賃下げにしかならない。住宅ローンや教育関連費用など月々の固定支出が高水準にある家計が、賃下げを飲み込める訳がないし、結局は、支出が絞られ→消費減退→企業業績低下→景気の更なる悪化→税収の落込みという悪循環に陥るのは目に見えている。

 そもそも非正規雇用者の多くは、企業が正社員として処遇すべきであるのに、それを放置してきたもので、企業がそういった努力をせずに、非正規社員の待遇が低水準で不安定なことを正社員のせいにしようとし、マスコミもそれに加勢して両者間の対立を煽っていることに憤りを感じる。今朝の日経新聞に、人材派遣会社の経営者のコメントが載っていたが、それによると登録者のうち、あえて非正規雇用を望んでいる層が60%になるそうだが、全く呆れた意見としか言いようがない。本当に6割もの人が非正規でもいいや、もしくは、非正規でいいんだ などというなら、こんなに大きな問題になるはずはなく、ほとほと幼稚で無見識な意見である。

 だいたい、巷で言われている正社員の“既得権益”なんかは、高給取りのマスコミなどごく一部に過ぎない。年収4-500万程度で、諸手当は減らされ、会社のカネで飲み食いもできず、毎年給料が減らされ早期退社勧告の恐怖に怯えながらもノルマだけは右肩上がり、おまけにポストもなければ長時間残業で毎日終電帰り…。こんな身分が人も羨む既得権益なのだろうか。こんなのでよければ、何時でもくれてやる と思っている方も多いのではないか。

 世間の正社員が、このような悲惨な状況にあることは、当然、非正規の方々も感じているだろう。感じていながらも、その悲惨な正社員にすらなれないことへの焦りや憤りに苛まれているのではないか。

 こういった状況を一刻も早く打開する必要がある。それには、ワークシェアリングなどのちまちました政策では、何の解決にもならない。もっと大規模な、国が積極的に数十万~百万人単位で直接公務員(短期間ではなく正規の)として雇用するような大胆な取組みが必要だ。正社員か非正規社員か、といった小さなパイを争うような不毛な議論ではなく、パイそのものを拡大させるのが本筋の議論だ。

 教員を始めとする公務員の増員、防犯や軽犯罪専門の警察人材の増員、消防・海上保安など防災対策人材の増員、統計調査員の増員、福祉・医療人材の増員、科学技術支援人材(大学や研究機関など)の増員など国民のニーズの高い分野で大規模な雇用を生み出してはどうか。これらはいずれも社会基盤の整備に関するもの。バブル崩壊以降、20年近くにわたって国の基盤が侵食され続けており、将来に向けてこれらを再構築することが必要だ。

 大きな政府になる、財政が悪化する、改革が後退するなどといったお約束の反論に対しては、国民一人ひとりの幸福や社会の安定と国家の財政バランスとどちらが大事なのかと尋ねたい。

 国の借金は毎年順調に増加し、毎年のように財政危機が叫ばれながらも、国債の利率は史上最低の水準にあり、日本の信用力が高いことを示している。

 国債は、政府にとっての負債勘定かもしれないが、その大部分を保有する国内の金融機関等にとっては最も信用力の高い資産なのだ。管理通貨制度や国の通貨発行権があることを考えると国債の返済能力に問題がないことは明白であり、国債残高を盾にして、困窮する国民に何もしないばかりか、いまだに、痛みに耐えろなどと結果の出ない根性論を振り回す識者が多いことに呆れ返っている。

2009年1月15日 (木)

給料はどこから来るの?

(質)「皆さんの給料は、誰が払ってくれていると思いますか?」

(答)「部長です。」、「社長です。」、「いや、株主だと思います。」

 すると、講師が得意顔でこう答える。「皆さんの答えは間違っています。正解は、お客様です。」

 ひと昔前の新入社員研修でお約束のように見られた光景だ。

 私もこんな新人研修を受けた身であり、当時はただぼんやりと納得させられものだが、永らく続くデフレ不況の中、TVや新聞などで次のようなやり取りを聞いていると、上記の回答もなるほどと実感させられる。

 (TVのリポーター)「今年も厳しい年になりそうですが。」

 (新橋駅前のサラリーマン)「これだけ不景気だとどうしようもない。(自分の仕事を)頑張るだけです。」

 働く者の回答とすればこれが限界だろうが、仕事を頑張っても消費がついてこないのが悲しい現実だ。この点がまさに大事な点であって、日本経済を氷付けにしているデフレ不況下ではそう簡単には消費が伸びるはずもなく、生産性を上げろ、付加価値を高めろ、任天堂やアップルを見習え などといった定番の説教や精神論で解決できる類の問題ではない。Willやi−Podがいくら売れても所詮は他の消費に廻すことができたであろう所得を削って得られる代替消費に過ぎず、当該企業にとってはプラスでもマクロ経済全体への影響はほんの僅かである。

 これに止まらず、ものが高い、金利が低すぎるなどといった意見もそうだが、子供や老人は別として、自分に働く者と消費者としての二面性があることが忘れられがちなように思う。サラリーマンは労働者(供給)サイドの視点、主婦や学生は消費者(需要)サイドの視点でしかものを考えていないから話が先に進まない。

 主婦や年金暮らしの老人が、「近頃の低金利はけしからん。どうせ銀行がくすねている。」などと憤るのは見当違いであり、別に銀行が不当にくすねているわけではなく、融資先の企業が不況のあおりで売上が低迷して金利負担能力がないだけ、もしくは、融資自体の需要が落ち込んでいるために金利が上がらないだけである。まともな(返済される可能性の高い)融資の範疇では、たいした金利が取れないから高金利を狙い無理して無担保融資の拡大に走り、その結果新銀行東京や三井住友銀行のように詐欺に引っかかりドツボにはまってしまう。今の経済状況では、一般の人が期待するような5%とか8%とかいった高金利なんて到底払えないのだ。

 また、自動車や家電製品など価格を抑えて年々スペックを上げているのに、非正規雇用者を解雇してまで生産調整をしなければならないほど売上が落ち込んでいるのも、何も開発者の努力が足りない訳でも、営業担当者が怠けている訳でもない。これらの原因も単に消費者の所得が減って消費に廻せないだけであり、若者の車離れ・嗜好の変化などというのは的外れな意見だ。Willやi−Pod、ユニクロ、携帯電話料金を合わせてもせいぜい10数万円単位の金額であり、百万円単位の車を諦めたのなら、もっと他の分野の消費が盛り上がってもよさそうなのに、一向にそういった話も聞かない。若者の嗜好が変化して車に興味を失ったのではなく、給料が安くて、あるいは、まともな職に就けなくて所得が低すぎるために、興味を持つ対象から外さざるを得なかったのではないか。

 需要と供給、生産・サービスと消費は、まさにキャッチボールの関係と同じで、どちらか一方が過剰な場合は大きくバランスを崩すことになる。平成不況の現在は、5人の投手(供給者)の球を3人の捕手(需要者)が受けているような状態で、落球が多いうえに、渾身の剛速球を投げ込んでくる投手に対して捕手の返球は山なりのスローボールでリズムも悪い。

 投手のポテンシャルを上手く引き出すには、適切な人数の捕手の存在が必要であり、生産と消費の関係もこのとおりだ。生産→消費→生産→消費・・・という循環を繰り返しながら経済は成長する。消費が生産を拡大させ、働く者の給与の源泉となるのだ。いたずらに自らの努力不足を反省しても事態は好転しない。もっと世の中のお金の流れに関心を払うべきだ。

 消費を活性化させるにはどうしたらよいか。アメリカ人のように過剰な借金をする人は別として消費が所得の内数である以上、消費を増やすのは所得を増やすしか手はない。一部を除いて平成不況でバランスシートが大きく痛んでいる企業に所得増加の役割を負わせるのは難しく、また、それは家計も同じことだ。長年頼り切ってきた外需も弱り果てている。すると残りは政府しかない。こういうことを言うとすぐに「国に頼るな」とか「財政赤字をどうするのか」、「大きな政府はけしからん」などという意見がでてくる。困ったときに頼りにするために政府機関があるのであって、国に頼るなどというのは存在を自己否定するようなものだ。

 その点、欧米は割り切ったもので、つい先日まで新自由主義や構造改革主義の総本山と目されていたIMFが、昨年の金融危機を受けて即座に各国に対して財政出動を要請するなど極めて現実的で変わり身も早い。また、日本に対しては小さな政府や自由貿易を声高に要求する一方で、自分たちは人口比で日本の倍以上の公務員数を抱える大きな政府を維持したり、自国の農業を過度に保護したり、まさに自国の利益のためなら形振り構わない姿勢なのだ。

 もうすぐ20年にも達しようとするバブル崩壊以降の失われた時代から脱却するには、政府の大規模かつ長期の財政政策+金融政策が欠かせない。管理通貨制度を上手く活用し、政府紙幣や日銀の国債引き受けなどによって、雇用や所得を生み出す機会の創出に知恵を絞り、十分に発達した生産力に見合うだけの消費力を供給することが求められている。そうすることが、冒頭のサラリーマン氏の努力に報いる最良かつ最速の方法だと思う。

はじめまして

バブル崩壊後、失われた18年を経ましたが、一向に日本経済には回復する兆しが見えてきません。

 昨年起こったアメリカ発の金融危機による世界同時不況や世界的な需要の大幅な収縮、急激な円高など大きな厄災がわが国を襲い、企業の倒産、非正規社員などの大量失業といった大きな被害が顕在化しています。

 事ここに至っては、政府やマスコミがこれまで盛んに喧伝していた、いわゆる"いざなぎ越え"の景気回復(実感なき景気回復)が、まさに偽者であり、実体経済は長い不況下にあることを認めざるをえないのではないでしょうか。

 "闇が深くなるのは夜明けが近いから"という言葉どおり、今回の世界同時不況を経て日本経済が回復への途を辿ることが出来るのかということを中心に、経済問題や時事問題について所見を述べて行きたいと思います。

経済問題などに関する基本的な考え方

毎回ブログを更新していくに当たり、基本的な考え方を以下のとおり明示しておきます。

●経済問題はあらゆる分野に影響する最重要課題

 世の中の仕組みが貨幣経済に基づいて動いている以上、教育・福祉・医療・科学・国土保全・治安・防衛・防災・農林水産・スポーツ・外交などあらゆる分野が経済問題に大きな影響を受けている。近年の医療・年金崩壊問題などの主因が財源不足にあることなどが一例といえる。経済問題の解決=諸問題の解決となる訳ではないが、より容易に解決できる状態に近づけられるのではないか。

●バブル崩壊以後の長期不況の原因は需要の大幅な不足

 日本経済の不調の要因は、構造改革や規制緩和・不良債権処理の遅滞、日本的な雇用制度(長期雇用・年功序列)などのせいではなく、単なる需要の不足である。

 日本の有する生産力(ものづくり・サービスなどの数量や質)は明らかにバブル景気以前より数段向上している。車や電化製品、住宅、スーパーなどのサービスなど身近なもので、以前より退化しているものがあるだろうか?例外なく進歩していると思う。それも価格が安くなって。

 さらに、曲がりなりにもここ数年間で構造改革や規制緩和などが進められてきた。構造改革を無邪気に信奉する人には不十分だと思うが、いわゆる政・官・業の癒着みたいなものは相当打撃を受けてきたし、日本式経営的なものも骨抜きにされ、大店法や労働法関係などの規制緩和も進んでいたのではないか。

 良いものがあるのに売れない、構造改革や規制緩和が進んでいるのに景気が良くならない、これはなぜか?

 それは、国民が怠けているからも構造改革に耐えうる精神修行が足りないためでもなく、単純に財布にお金が入っていないから、つまり需要が不足していると考える方が自然だと思う。

●需要不足の解決には売上や所得の増加で対応すべき

 国民(=消費者)の財布が空っぽでは、製品の良否や社会構造に関わりなく消費の伸びは期待できない。内需拡大のためには収入の増大によるバランスシートの改善が最も効果的であり、平均所得を現在の500万円程度から800万円に伸ばすなどといった所得増加目標を立てるべきである。

●長期かつ大規模な経済対策が必要

 売上や所得の拡大にはGDPの拡大が不可欠であり、これまでの金融政策頼みの経済対策ではなく、財政政策を主体とし金融政策を補助エンジンとする長期かつ大規模な経済対策が求められる。財政赤字を理由に単発で小規模な財政政策を繰り返しても効果はなく、失われた18年を取り戻すためにも、最低でも10-15年間、年間ベースで40-60兆円規模の経済対策によるリフレーションが必要である。

●経済成長の手段として貨幣を活用すべき

 大規模な経済対策の財源を税に求めては元も子もない。財源は日銀による国債引受(法改正も必要だが)や政府貨幣の発行を活用すべきである。

 貨幣の増大=急激なインフレと考えるのは短絡的な考えで、飛躍的に伸びている生産力や膨大な失業者の水準を考えると、需給ギャップには相当のゆとりがあり急激なインフレが発生するとは考えづらい。

 金を貨幣の拠り所とする金本位制は当の昔に廃止されており、この世の中は管理通貨制度のもとで運営されているのだから貨幣に貴金属的な価値を求めることは無意味であり、生産力の維持向上のための手段として必要に応じて柔軟に活用されるべきである。

●国債は家計の借金とは違う

 年度ごとの国家予算の決定後に、お約束のように国の借金を家計にたとえると言う主旨の記事が新聞誌上をにぎわすが、全く無意味で誤った記事である。

 国家は永久に存在することを前提とし、管理通貨制度の下で通貨発行権がある以上、国債の水準云々を心配することは馬鹿げている。ましてや日本のように国債が国内の資産でファイナンスされているケースでは、最終的にはコストのほとんど掛からない通貨の発行によって返済すればよく、全く問題ない。

●実体経済への資金供給が重要

 近年の金融政策を中心とする経済対策は、日銀の量的緩和や金利引下げなど主に金融市場向けのものでしかなかった。

 経済問題の解決は、企業や家計など私たちの生活に関わる実体経済に資金が供給されることなしに成しえず、次の3点に留意することが重要。

 ①実体経済の生産力に見合う十分な資金の量…生産力に対する需要(消費)力=売上・所得

 ②実体経済を廻る資金の流通速度の向上…消費の活発化

 ③上記の①②に携わるプレイヤーの増加…中流層の拡大

●国・企業・国民の役割

 国や企業・国民が果たすべき基本的な役割は次のとおり。

 ①国…経済目標の設定、実体経済への資金供給(政府貨幣・赤字財政など)と調節、雇用の創出

 ②企業…雇用の確保、安定した労働分配、技術革新

 ③国民…勤労、消費、一定程度の貯蓄

 国が十分な資金を供給し、企業がそれをビジネスに活かして給与として家計に配分し、家計が消費や貯蓄でそれを支えるといった構造である。

●安定した雇用の創出

 内需拡大には何よりもGDPの6割近くを占める個人消費の活性化が不可欠。基本的に消費は所得の増加に比例するものであり、長期安定的な雇用の創出が重要である。将来入ってくる十分な収入が見通せるなら消費することがより容易になる。

 現在問題になっている非正規雇用も企業も無責任によるものであり、彼らは本来正規社員として雇用されるべきものである。ここ数年というもの企業は、法人税の減税・派遣法改正やリストラによる人件費圧縮・一時期の円安誘導による為替差益・低金利政策などといった都合のよい政策を割り与えられているにも拘らず、労働分配率の削減や非正規社員の解雇を行なうなど全く甘えているとしか言いようがない。

●グローバル化は幻想に過ぎない

 中国、インドなど発展途上国の人件費の低さや技術力の向上を引き合いに出し、日本の労働者を叱咤する論調が目に付くが、これは単に人件費を削りたい側の脅し文句に過ぎない。中国やインドなどは国民性や社会制度からして現状程度が限界であり、こちらから無用な技術流失をしない限りは、これ以上の発展は難しい。

 第一、労働者のみが中国人と比較されるのは可笑しなことで、比較の対象に経営者や学者、エコノミスト、政治家、マスコミなども含まれるべきである。年収2千万円の無能な経営者を解雇して、5百万円程度で働いてくれる中国人の経営者を雇っても良いのかと言いたいところだ。また、中国の人件費が日本の1/10−1/30などと騒いで退去して進出しておきながら、それが10-20%上がっただけで次はベトナムだなどと騒ぎ出すなど、全く幼稚で呆れ返る。

 そもそもグローバル化を喧伝する論者は、自分はさておきという都合の良いことしか考えておらず、また、そういう連中に限って日本はここがだめ、あそこを改革すべきなどといいながら日本を離れようとはしないものである。

●企業は従業員と経営者のもの

 企業は、そこで働きそれを運営する従業員と経営者のものであり、株主のものという考えは誤りである。

 株主個々人の投資額といっても企業の総資産に占める割合は僅かであり、また、企業の生産行為に寄与していない以上、企業は株主のものなどというのは思い上がった考えである。

 ましてや、株を投資の対象としてしか所有していない者など言うに及ばない。

●職業に貴賎なし

 土木建設業やローテク産業、農林水産業などを付加価値の低い産業と蔑んだり、公務員を罵倒するような風潮が目立つ。なかには、これらの無駄な産業を廃して、より付加価値の高い産業へ移動させよといった意見も聞くが、全く幼稚な考えである。

 我々サラリーマンを含めて、現在就いている職業しか出来ない者が殆どであり、この産業は付加価値が低いからあの産業へなどというのは机上の空論である。付加価値の高低に関わりなく、雇用を維持し、最大の無駄である失業を発生させないことこそが重要で、現在のような不況期に雇用に手のつく(失業者の発生)ような政策を唱えるのはどうかしている。

●日本は資源のない国?

 日本は資源のない国だから…というフレーズをよく聞くが、世界中探しても鉱物資源を全て自給できる国はないのではないか。日本のみが資源のない国なのではなく、各国がそれぞれに資源不足を抱えている。石油の豊富な中東諸国、鉄鉱石や石炭の豊富なオーストラリア、ダイアモンドの豊富な南アフリカなど鉱物資源は採れても、それを加工して付加価値の高い製品を造る技術はない。つまり、鉄は採れても自動車は造れない国は多い。鉱物資源はむろん食料ではなく、何かの原料として使用されて初めて意味を持ちうる。すなわち、技術力や労働力)こそ最大の資源であり、幸いにして日本にはこれらがいまのところ豊富にある。ただし、現状のように大量の失業者を放っておくと貴重な技術力や労働力の先細りは避けられない。そうならないためにも、貨幣を有効に活用して国内の消費を活性化させ、技術力などの維持向上を絶えず図っていくことが重要である。

●規制緩和や構造改革すべきは政治・マスコミ・宗教団体

 財政政策を嫌う論者は、バカの一つ覚えのように規制緩和や構造改革を唱えるが、経済対策としては念仏と同じ効果しかない。それらは無駄な競争を煽ったり、支出の低下や失業者の発生をもたらすだけで経済的な効果に乏しい。規制緩和の対象として、医療・福祉・農業などがよく引き合いに出されるが、こういった分野に国民が困窮するほどの規制があるとは思えず(農業は例外)、また、既に飽和気味の市場でもあり、規制緩和したからといって大きなビジネスになるとは考えづらい。

 むしろ、供託金制度に守られる政治家、再販制度・広告の無規制・電波法に守られるマスコミ、免税制度に守られる宗教団体こそ最大の既得権益であり、規制緩和なり構造改革なりをすべきである。

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