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2009年11月

2009年11月27日 (金)

公務員に嫉妬するな

 仕分け人の上から目線的な態度にイライラしていたが、ひとつ面白い仕分け結果を発見した。「電波利用共益費用」がそれで、11月13日に仕分け作業の結果、地上デジタル放送への円滑な移行のための環境整備・支援なる項目が予算半分縮減という厳しい判断に晒された。これは、デジタルチューナーの無償配布や広報活動などに対する補助金で、間接的にはマスコミにもマイナスの影響があるはずだが、いつものように自分に都合の悪いことには一切触れようとせず、殆ど報道されていない。

 今回の仕分けでは、ロケットやスパコンの予算に大ナタをふるってしまい却って大きな反発が出ているが、個人的に最も腹立たしいのは、若手研究者向けの科学技術振興関係の補助金の評価である。世間知らずの仕分け人からは、実社会から逃避するポスドクを保護するな、ポスドクの生活保護になっているなど、全く見当違いの意見が出されている。そこには、一流大学の大学院を出て、将来の科学技術を支えていく最も重要な知識層に対する期待感や経緯は微塵も感じられない。本来なら、潤沢な研究資金を得て諸外国の研究者と先端技術の開発を巡ってしのぎを削るべき貴重な人材が、大学の研究予算削減の煽りを受けて、バイトをしながらやっとのことで生活を送っている現実をおかしいとは思わないだろうか。これこそ予算の削減どころか大幅な増額が至急必要な分野である。

 財政再建にしか興味はなく、ハコモノや道路・ダムは作らない、科学技術への投資はしない、企業への開発助成はしない、デフレや円高は放っておく、こんな政権が長く続くようなら、日本の生活レベルは遠くない将来に鎌倉時代あたりまで戻ってしまうのではないか。

 公務員を目の敵にして、仕分け作業に拍手喝采を送っているバカものは、小泉政治をもてはやしていたと同じく、大きなしっぺ返しを喰らうだろう。仕分け作業で削られた予算の分だけ、あるいは逆の乗数効果が働いて削減額以上に民間の事業機会が奪われることになるからだ。それは、間違いなく企業収益を圧迫し、給与削減となって跳ね返ってくる。こんな簡単なことを理解しようともしない国民が多くいることに暗澹たる気持ちになる。

 また、天下り官僚が1千万円を超える高給を取っていることをしきりと批判するが、一流大学を出た行政の最高幹部クラスの人材に対する報酬としてはそれほど高くはないだろう。エコカー減税(エコポイントも)や研究開発補助、研究投資減税、過去の為替介入をはじめ様々な形で有形無形の補助を受けてきた大企業の役員クラスの年収は、到底こんなものではない。

 官僚の待遇(実際は大していいものでもないのに…)に嫉妬心を剥き出しにするのは、何よりも隣の店が儲かるのだけは許せないという商店街の卑しいオヤジと同じレベルだと思う。

2009年11月17日 (火)

無駄を否定することは己を否定すること

 連日報道される仕分け作業も蓮舫の高圧的な態度に少々食傷気味。

 作業自体も、廃止や縮小ありきのパフォーマンスが目立ち、さながら官僚いじめ用の査問会といった様相だ。

 先日も、日本科学未来館の毛利館長を呼びつけ、来館者が伸びているにもかかわらず何で赤字なんだと難癖を付けて予算を削減した。それなら、毎年大幅な赤字財政(個人的には問題ないと考えるが…)なのに、のうのうと歳費や政党助成金を受け取っている政治家の存在意義は何なのかと考える。

 今回の仕分け作業では、スーパーコンピューターやロケットなどこれまで聖域扱いであった科学技術分野の予算も大幅にカットされている。これに対しては賛否が分かれるところだろう。賛成する人は、経済情勢が厳しい中で実生活に役立たないロケットやコンピュータに投資する必要があるのかと言うだろうし、反対する人は、科学技術立国としての成長戦略を放棄するのかと憤るだろう。

 確かに一般の国民にとって、ロケットやスーパーコンピューターの存在など普段の生活には何も関係がないように思えるが、それに関連する業界の人々(大学、公的機関、メーカー、下請け企業、卸業者)やその家族にとっては実生活そのものなのだ。これは、無駄の象徴と言われるダムや道路とて同じこと。自分に直接関係ないものを片っ端から無駄と決めつけて排除するなら、この世から職業の大半が失われるだろう。

 日本は6~7千万人もの労働人口を抱えているうえ、更に4~5百万人もの潜在的な失業者が存在している。この膨大な数の働き手のうち、誰もが納得する必要な職に就いている人はどれくらいいるだろうか。恐らくほんの数万人程度ではないか。残りの大半は、大概あってもなくてもかまわないような企業や職に就いているはずだが、それを真に受けて、互いにあれは無駄だ、あんな職はいらないなどと非難し合っていては、到底7千万人規模の職を維持することなどできない。堕落した平和でも戦争に勝るのと同じで、無駄といわれる職業でも失業を放置するより社会に与える厚生は比べるべくもなく大きい。

 職やポストなど社会的なパイを増やして行かないと人心は荒廃するばかりで、努力することすら放棄する傾向が強まるだろう。無駄といわれるA分野の予算を削って、それを成長が期待されるB分野の予算に上乗せという、一見見栄えの良い政策では社会全体のパイを増やすことはできない。AかBかではなく、AにもBにも投資を増やしてこそ、全体のパイを拡大することができる。職が増えれば生活維持への安心感ができ、ポストが増えればそれを巡ってスキルが向上するのが当然で、国民にとって大きな利益につながるのだ。

 こういった前向きな努力を国民に放棄させるかのごとく「希望を捨てる勇気」などといったくだらない幼稚な本を出版するエセ経済学者がいるようだが、本当に経済を勉強したことがあるのだろうか。 

2009年11月11日 (水)

マスコミへの規制が必要

 今日は続けてもう一題。

 頼まれもしないのに、日ごろから政治や官僚など権力への監視役を自任して憚らないマスコミへの規制や監視が必要だととみに思う。

 戦前は大不況下での無謀な清算主義を、戦時中は不毛な戦争を煽ってきた彼らは、バブル崩壊後の長期不況下で懲りもせずにまたまた馬鹿げた清算主義や構造改革を国民に押し付けてきた。

 小選挙区制度により知名度頼りの度合いが強まった政治家は、すっかりマスコミに頭が上がらなくなり、監督官庁であるはずの総務省をはじめ官僚も文句を言われっぱなしの状態だ。

 長引く不況の影響でマスコミの業績も低迷しており、新聞・TVを問わずに軒並み厳しい決算を余儀なくされている。なのに、彼らは相変わらず構造改革や緊縮財政へ未練を断ち切れないようで、政府の予算の膨張に文句をたれ、行政の無駄撲滅に血道を上げている。それが企業の業績低迷をもたらし自らの広告収入の低迷につながっていることを認めようともしない。まさに自爆テロである。

 当然ながら、こんな無謀な自爆テロに付き合う必要はないのだが、自分でものを考えようとしない多くの国民は、新聞や雑誌、TVなどで展開される声高な主張に抗する術を知らず、自然と洗脳されてしまう。その結果が、一連の構造改革(改悪)騒ぎによる社会基盤崩壊や経済の低迷である。

マスコミは、無駄の排除や競争への礼賛、制度の効率化など、一見倫理性が高そうに見えるキーワードを並べて政治や官僚、建設会社などを攻撃するが、殆どの国民(個人あるいは家族単位で)は、消費者と労働者の両面性を持っており、消費者としての立場、あるいは労働者としての立場何れにたつかによって利益も相反する。(物価の下落、規制の緩和など) 

 そういった矛盾する相反関係は、好況期であれば上手く調整することが可能だが、全体のパイが縮小する不況期にはそれが難しい。構造改革主義者は「雇用の流動化」や「規制緩和による新産業の創出」といった言葉が大好きだが、こういった夢物語は、好況期にこそというか、好況期でしか実現しえない。

 ところがマスコミは、こういった相反関係を全く無視して、自らの主張(というより「わがまま」程度のレベル)である構造改革や規制緩和などといった汚れた倫理観を垂れ流し、これに誰も逆らえない状態が続いている。

 これは放置できない大変危険な状態であり、マスコミに対する具体的な規制や監視制度が必要である。

 新聞に対しては、

①押し紙の実態調査および禁止措置

②信憑性に乏しい広告掲載の禁止および罰金(怪しげな宗教、健康器具、オカルト本ほかの広告掲載禁止、無税の恩恵を受けている宗教団体の広告禁止および広告主に反社会的な行為があった場合の罰金制度)

③横並びの紙面構成の是正(1面ニュース、2面政治記事などの横並びの紙面構成の見直し)

④不祥事社員(販売店を含む)に対する厳正なる処分

⑤世論調査の適正さの検証(サンプル数、対象者、調査手法)

 TVに対しては、

①視聴率調査の厳密化(複数社での調査、調査サンプル数の増加)

②信憑性に乏しい広告掲載の禁止および罰金(怪しげな宗教、健康器具、オカルト本ほかの広告掲載禁止、無税の恩恵を受けている宗教団体の広告禁止および広告主に反社会的な行為があった場合の罰金制度)

③番組構成の見直し(各社横並びの時間帯ごとの番組構成の見直し)

④下請け製作会社への発注の検証(優越的地位の乱用の調査)

⑤不祥事社員(関連企業を含む)に対する厳正なる処分

⑥世論調査の適正さの検証(サンプル数、対象者、調査手法)

⑦犯罪被害者への報道自粛、実名や顔写真の放送自粛、加害者への過剰な配慮の排除

など、必要な規制は数え上げればきりがない。

 特に、彼らの資金源である広告部門への規制を強化して、他の三権とのバランスをとるべきである。そうでもしないと、彼らの暴走を止めることはできないだろう。

努力が報われる社会を

 “財務省が国債や借入金などを合計した「国の借金」が9月末現在、864兆5226億円になったと発表。”、“会計検査院は08年度決算検査報告を公表。不正経理や無駄遣いなど717件、2364億5000万円に上る。”、“行政刷新会議の「事業仕分け」がスタートし、独立行政法人の地方移管や予算削減を求めたほか、事業環境が変わった場合に使う「国土・景観形成事業推進調整費の「廃止」を結論づけるなど、厳しい判断が相次いだ。”などなど、今日はうんざりするニュースが3つも続いた。もちろん、国の借金や行政の無駄遣いに対してではなく、こういった財政再建至上主義(=国全体の支出・資金還流の縮小)の馬鹿げた論調がまかり通りことに対してである。

 恐らく、多くの国民が、このニュースを聞いて、もう国債は増やせない、とにかく無駄遣いを減らせと憤っていることだろう。だが、その無意味な憤りは、自らの生活水準の切り下げという結果しか生まない。

 小泉改革(改悪)にマスコミや国民の多くが間違った声援を送っている頃に、構造改革や規制緩和によって既得権益を排除し頑張った者が報われる社会を作るなどという論調が盛んに取り上げられていたが、結果はご覧のとおりである。多くの非正規労働者を生み出し、長時間労働に苦しむ労働者はリストラにより家計の所得は大きく毀損した。また、企業にとっても、度重なるリストラや技術革新、コスト低減努力を強いられたにもかかわらず、売上げの漸減を余儀なくされている。

 バブル崩壊後の20年というもの、多くの国民や企業は、出口のないトンネルに放り込まれ報酬のない努力を強いられてきた。これが努力が報われる社会なのだろうか。普通に努力した者が、普通に報酬を得られて、普通に暮らせる社会をこそ目指すべきであり、家計や企業の資力が疲弊している現状では、大規模かつ長期の財政支出によってしか、それを実現できる手立てはない。

 緊縮財政を続けて国家の借金を多少減らすことが、何の意味もないどころか、経済成長によるデフレ脱却を阻害することに気付こうとしないものが多すぎる。この借金の多寡という倫理的な問題に縛られて、多くの国民の生活が崩壊していることに目を向けなければ、結果として社会の崩壊を招くだろう。その時に、国の借金が減っていたとしても全く意味がない。

 緊縮財政などのいわゆる出口戦略は、経済成長が一般の国民にも十分に認識できインフレ率が2桁に届くなど、今では夢のような状態が確認できた後でよい。

 喫緊の課題は、冷え切った経済を立て直し、ニーズのある新規事業への投資を現実化することである。そのためには、国民から広く事業ニーズを聞き取り(これまでの業界団体の陳情ではなく、希望する国民からの聴取)した上で、十分な財源を与えることだ。頭の固い構造改革主義者は反対するだろうが、政府紙幣や国債の日銀引受で財源を手当てすればよい。いま大切なのは、通貨の信認ではなく、国民の生活や技術力の維持向上だろう。通貨の信認などというのは、所詮、その国の生活力や経済力によって担保されるのだ。

 こういったWILLリスト的なものを作成しようとすれば、きめ細かな要望が数多く挙がってくるだろう。そういったものを実現すれば、公務員の雇用や介護や医療への資金手当ても増やすことができ、介護や医療が本当の意味で成長産業となることができる。外国人を連れてきて安月給で働かせるようなやり方では、絶対に成長産業にはならない。

 こういった形で幅広い産業や分野に多くの資金が流れれば、商機も増え雇用の拡大にもつながる。つまり、努力した者が真に報われる社会になる。縮小するパイをめぐって不毛な罵り合いをしている場合ではないのだが、相変わらずそのことに気付こうとしない国民が多すぎる。

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