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2010年4月

2010年4月24日 (土)

マスコミに洗脳された人たち

 事業仕分けの第2弾が始まった。TVや新聞は、相変わらず天下りはけしからんだの、無駄な独法はなくせだの、前後を顧みない感情論を振り回している。

 仕分けを見ていていつも気になるのは、構造改革派や財政支出削減論者が大半を占める仕分け人のヒステリックな意見だ。例えば、経済産業省系の団体が行っている事業の評価に対する「全国で●●社しか支援していない事業を国がやる必要があるか」といったパターンのものだ。おおよそ、国や公共体が行う事業には当然予算枠が定められており、その範囲内で企業等に対する支援を行っている。予算に上限がある以上、支援できる企業の数は限られてくるのは当たり前のことであり、その数が少ないと文句を言うのなら、むしろ予算を増やすよう提言すべきではないか。支援対象数が少ないから無駄だなどというのは全く誤った意見で、発芽後間もない若芽を見て、こんなに小さなものは食べられないからちぎって捨ててしまえというのと同じことだ。独法=無駄→廃止すべしという偏見を前提にモノを言うから、このようにトンチンカンな意見が出てしまうのだろう。

 しかし、仕分け会場に押し寄せている聴衆たち(暇そうなボケ老人がほとんど)はなんなのだろうか。自分達が社会人の頃は会社や国の手厚い社会保障や諸手当をもらい、さんざん会社のカネで遊んできたような連中が、天下りの給与が高いのはけしからんなどと一家言ぶつためにやじうま根性丸出しで見学に来たのだろう。暇なものだからTVを見たり新聞を読むしかすることがなく、しかもそれらの意見を丸呑みにしてすっかり洗脳されている。たぶん、朝からみのもんたのアジテーションを聞いて、役人に対する歪んだ妬み根性を膨らませているような連中だ。

 独法への天下りが気に食わないのなら、役員層の給与を下げてその分で独法に複数名の新規雇用をさせるなど、もっと前向きな意見は出ないのか。

 マスコミや民主党(+自民党もそう)を始め多くの国民は、口を開けば無駄を削れと念仏を唱えるが、独法へ流れる20兆円とも言われる無駄なカネは最終的にどこに行っているのかを考えたことはないのだろうか。当たり前だが、国から独法に流れるカネは、独法に全て積み上がっているわけではない。その殆どが独法の事業を通じて企業や家計に流れ込んでいる。つまり、無駄だ無駄だと叫んでいる本人の懐に入っているのだ。仮に、独法を全て無くして20兆円の無駄を削ってしまえば、それだけ家計や企業の収入が減ることになるが、これは日本経済にとってとんでもない大打撃となるだろう。

 それなら国が直接事業をやるべきだとの意見もあるだろうが、元々数が少ない公務員の人員体制では到底対応できないのが現実だ。そもそも、何でも手続きや経路を簡素化して無駄を省くというのは、一見尤もそうだが、実は間違った意見だ。

 家計や企業のレベルなら、無駄を省き、コストを減らして資金を手元に残そうとするのは自然な行為だろう。だが、家計や企業が収入を増やそう(黒字化)とすれば、当然のことだがその対価を誰かが払ってやらなければならない。そしてそれができるのは、国家と海外(海外の国家、企業、家計)しかない。海外への純輸出はGDP比でほんの僅かなものに過ぎず、円決済でない場合も多い(ドルやユーロで回収)ため問題にならない。であれば、残るは国家しかない。国債残高の巨額さに怯えて、ひたすら無駄を削れと連呼しているが、その巨額の債務こそが、企業や家計の莫大な資産の裏返しなのだ。つまり、1,400兆円とも言われる巨額の家計資産や250兆円にも上る世界最大の対外債権を抱えていられるのは、巨額の国債があればこそなのだ。資産、中でも預貯金などの金融資産には、必ず誰かの負債に裏打ちされている。国民が預金して利子を受け取れるのは、銀行を介してそれを支払う企業等が存在するからである。つまり、家計や企業が営々と収入を貯め込んでこれたのは、国債を発行してそれらを支払ってきた国家があったからこそである。国債頼らず徴税の範囲でしか財政支出をしてこなければ、戦後の高度成長などあり得なかっただろう。

 このような世の中の大きな仕組みを理解せず、薄汚れた倫理観を振り回して無駄を削れと叫ぶ連中が多くいるのは本当に情けない。ましてや、高度成長期をリアルタイムで経験し多くの社会経験を積んできたはずの高齢者が、みのもんたあたりに洗脳されているようでは世も末だ。

 余談だが、2001年に関西の地方都市の歩道橋で起こった将棋倒し事故の件で、警備担当の元副署長が強制起訴された件にも同じような違和感を感じる。そもそも公的か私的か分からないようなイベント(花火大会)の警備に駆り出された(しかも民間の警備会社もいたはず)挙句に、早く家に帰ろうとして無思慮に前にいた人を押していただろう多くの群衆の責任は問われず、警備不適切の一切の責任を個人に押し付けるのは正常な考えなのか。事故の起きた歩道橋の上で前を押していた連中(事故の本当の犯人)に良心の呵責はないのか。むしろそいった連中を見つけ出す捜査こそすべきではなかったか。

 本当の原因や仕組みを理解しようとせず、目の前の事象にばかり気を取られていると、とんでもない間違いを起こしてしまう。

2010年4月15日 (木)

法人税こそ引き上げよ

 夏の参議院議員選挙を控えて、またもや消費税論議が盛り上がってきた。盛り上がるといっても、決して引き下げるとか無くすとかというものではなく、あくまで○%引き上げるべしといったきちがいじみたものばかりだ。

 先日も経団連や経済同友会から、消費税を10%台後半にまで引き上げるよう提言があった。

 正直、信じられないを通り越して、日本の経営者層の頭の悪さに呆れてしまった。彼らは、法人税の引き上げには、国際競争力云々と子供じみた難癖をつけて反対するのに、消費税の引き上げには随分と鷹揚なものだ。会社って消費税を払わなくても良かったっけ?と勘違いしてしまう。

 彼らが蛇蝎のごとく嫌っている法人税は、実効税率が利益のおよそ40%程度とされている。経団連などは、これが欧米比べて高すぎる、30%くらいに引き下げよとケチなことを言っているが、そもそも総売上に占める税引き前の利益率など大企業で10%を切るくらいで、中小企業なら1~3%ほどではないか。そのわずかな額に掛かる税率が、40%だろうが30%だろうが大した違いはない。ろくに雇用もしていないのだから、ケチなことを言えずに、法人税くらいきちんと払うべきだろう。

 一方、消費税は、給与や借入利息など一部を除いて全ての支払いに掛かってくる。つまり、消費税を現行の5%から15%に上げるとすると、総売上の数十%に達するであろう仕入原価や諸々の支払いコストが、一気に10%も上昇することになる。これは、法人税引き上げなどと比べ物にならないほど大きなインパクトがある。

 一時、製造業で流行した「トヨタ式生産現場改善」などの工程管理手法でも、100万円から高いもので数千万円のコンサルタント料を払って、わずか数%の生産コストを落とすのに四苦八苦しているが、消費税の引き上げで、そんな血の滲むような努力や苦労は、いとも簡単に吹き飛ばされてしまう。

 ものづくりのトップ企業が集まる経団連の連中は、そういうことを大事なことを理解してしゃべっているのだろうか。

 まともな給料を払わずに好きなだけサービス残業をさせ、若い世代に雇用の機会も提供できないような二流の経営者が、日本の財政状態云々など口を挟むにもおこがましい。

 この不況下に消費税の大幅引き上げなどといった的外れな提言をする暇があれば、もう一度小学校から勉強をし直してはどうか。

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