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2011年2月

2011年2月22日 (火)

TVや新聞をボケっと観ていると・・・

先日、とある地方都市に出張した際に読んだ地元新聞に、アメリカ書店チェーン第2位のボーダーズ・グループ倒産(民事再生法に相当)の記事が載っていた。
記事の内容を要約すると、“ネット書籍販売(アマゾンなど)の浸透や電子書籍(iPadやキンドル)の拡大で利用者が激減し、経営が圧迫された”とのことで、特に、大きく「電子書籍拡大、業界2位ボーダーズ倒産、米書店に打撃」という見出しを打つなど、電子書籍の販売拡大が同社の倒産に大きな影響を与えたとのニュアンスで一連の事態を綴っている。
だが、記事の中にあった数字を拾ってみると、2010年の全米の一般消費者向けの書籍総売上(ネット書籍販売が含まれるかどうかは不明)は48億6,400万ドル(約4,040億円)で前年比5%減の一方で、電子書籍市場は4億4,100万ドル(約37億円)で前年比2.5倍とのこと。そもそも、急成長しているとはいえ電子書籍の市場規模は一般書籍の1割にも満たず、いまのところは話題先行型の商品の一つに過ぎないといったところだろう。(ちなみに、日本の書籍市場全体は1兆9,356億円、電子書籍市場は610億円(いずれも2009年)もあり、人口が日本の2.5倍もあるアメリカ人がいかに本を読んでいないかということもよく判る。)
たしかに、アメリカ全体の書籍売上は3年連続の減少となり減少幅も小さくはない。一方の電子書籍の伸び率は急激で、iPadなどの端末が大きな話題をさらっているのも事実だ。だが、冷静に両者の数字を比較すると、一般書籍の減少額は4,040億円÷0.95-4,040億円=212億円に対して、電子書籍の増加額は37億円-37億円÷2.5=22.2億円に過ぎない、つまり、電子書籍の急激な伸びといっても、一般書籍減少分のおよそ1/10程度に過ぎず、その影響は軽微と言わざるを得ない。212億円-22.2億円=189.8億円の市場減少要因が、電子書籍の急伸ではなく他にあるのは明らかだろう。
アマゾンなどネット書籍販売の数字が、先ほどの4,040億円に内包されるのかどうかが不明なため断定的なことは言えないが、一般書籍の市場が縮小している要因の大部分は、電子書籍の台頭以外にあると思われる。長引くデフレ時代に日本が経験してきたように、収入全体が頭打ち、あるいは縮小する環境下では、同じ商品カテゴリー間に止まらず、カテゴリーを超えたボーダーレスの競合が激化する。日本で起こっているように、携帯電話への支出の増加の影響で、飲食費が抑えられたり、TVや車が諦められたりするのと同じことだ。
恐らく、アメリカの書籍販売額が減少したのも、電子書籍に市場をちょっとだけ奪われたこともあるが、原因の大部分は、単に国民の収入が減ったために、支出の自由度が少なくなり書籍などの娯楽に回せる費用が減ったことにあるのだろう。まさに、電子書籍の台頭ぶりをセンセーショナルに書きたいがための勇み足記事だ。

流行りもの(iPadやキンドル)の煽り記事を書きたいばかりに、冒頭の記事のように結果ありきのミスリード記事を書いてしまうのがマスコミの悪い癖だが、これと同じことが、財政問題やTPP、社会保障と税制改革などの問題にも言える。最近のS&Pやムーディーズによる日本国債格付けの見直し問題(両社は他人を格付けする能力なんて持ってない)や自民党の国債暴落対応に向けたXデープロジェクト(今の自民党執行部はどうしようもなく低レベル)など、ありもしない国債暴落や財政危機の問題を誇大に取り上げるなど、相変わらず決め付け報道が横行している。
TVや新聞、雑誌、ネットなどあらゆるメディアを通じて、日本はもはや立ち直れないというインチキ話が、毎日、洪水のように垂れ流され、多くの国民が洗脳されている。マスコミは、①日本がもはや成長することなく衰退する②衰退を食い止めるには開国が必須だという意味不明な信仰を固く守っており、まるで、病人を前にして治療法を検討するとか、治療を施すことなく、初めから葬式のやり方を熱心に話し合っているかのようだ。

昨日のYAHOOニュースでも、内閣府の発表で2010年10~12月期国内総生産(GDP)速報値から推計した需給ギャップが金額換算で年20兆円程度(本当はこんなもんじゃない)に達したとの報道があったが、情けないのはこのニュースに対する読者からのコメントで、“中国ODA・朝鮮学校無償化・子ども手当・国会議員定数削減・国家公務員給与2割カット・財務省の資産売却をしろ(筆者要約)”というトンチンカンなコメントに最も多くの賛同が寄せられていたのには呆れ果てた。
中国や北朝鮮に対する憎悪はともかく、他の項目は、デフレ対策に反するものや役に立たないチンケなものばかりで、「需要不足」とか「デフレ」の意味合いや深刻さを全く理解していない。
このように、凍える人に水を掛けるようなアホな意見がまかり通っているのは、多くの国民が日ごろからボケッとTVをタレ流して観ているからだろう。みのもんたや宮根、辛坊辺りがもてはやされるようでは、今の大人のレベルも知れたものだ。
最近の少子化により、小学校にも空き教室が増えているようだが、それを活用して、マスコミ報道を無批判に受け入れてしまうような大人は、もう一度小学校からやり直させた方がいいのではないか。

2011年2月19日 (土)

若者は消費に興味を失ってなどいない

 2月15日に総務省から「家計調査」(報告家計収支編平成22年平均速報結果の概況、以下同調査より抜粋)が発表された。これについて、翌日の日経新聞が、次の2点に焦点を当てて採り上げているが、相変わらず我田引水気味のミスリード記事になっている。
 ① 総世帯ベースの平成22年の総世帯(平均世帯人員2.47人、世帯主の平均年齢56.4歳)の消費支出は1世帯当たり1カ月平均252,328円で、物価変動の影響を除いた実質で0.3%の増加となった。(ただし名目値では0.5%減少)
 ② 単身世帯の消費支出を年齢階級別にみると、35歳未満の世帯は156,582円、35~59歳の世帯は186,396円、60歳以上の世帯は150,669円となった。対前年実質増減率をみると、60歳以上の世帯で実質3.4%の増加となったほか、35~59歳の世帯で実質2.4%の増加となったが、35歳未満の世帯では実質7.9%の減少となった。

 まず、①について、リーマンショックによる落ち込みから反転して勤労世帯の実収入が持ち直しつつあることや家電エコポイントによる関連支出の伸びが要因と解説する。
 しかし、今年の春闘で大手自動車会社の労組でさえ、軒並み定期昇給を諦めて一時金の上積みに切り替えたことでも判るように、一部を除けば、長引く不況の出口は一向に見えず、到底世帯ベースの実収入が増えるような状況にないのは、多くの国民が実感していよう。さらに、平成22年は、家電エコポイント、住宅エコポイント、エコカー補助金、公立高校の無償化、子供手当、たばこ増税など消費を刺激する、または、消費に廻せる臨時収入が目白押しだったにもかかわらず、上記のように消費支出は実質で0.3%しか増加していないし、ましてや名目値では0.5%減少しているほどだから、いかに消費支出への逆風が強かったのかが判る。溢れるほどの消費刺激策や物価の下落という下駄を履かせてもらい、ようやくほんのちょっぴり消費が(統計上)増えたということに過ぎない。もし本当に“勤労世帯の実収入が増えた”のなら、支出の伸びが、より鮮明に出てくるのが自然だ。

 次に②について、35歳以上の世代が軒並み消費を伸ばしている(あくまで実質値だが)一方で、35歳未満の若者世代の消費支出は対前年比で7.9%減と大きく落ち込んだ。細かい項目を見ると、交通・通信費、住居費、食糧費をはじめ光熱費以外の殆どの項目で支出が減少している。光熱費の増加とて、昨夏の耐えがたい猛暑の影響だろうから、実質的には全ての項目で減少していたと考えて差支えなかろう。
 ところが、この若者世代の消費支出減少の要因を、日経は「若者の消費離れの表れ」とあっさり結論付けている。最近、バブル世代以降の世代を「嫌消費世代」などとカテゴライズする流れがあり、その特徴は次のように説明される。
『思春期に、バブル後の混乱、就職氷河期、小泉構造改革を世代体験として持ち、共通の世代意識を共有している。「自分の夢や理想を高望みして周りと衝突するより、空気を読んで皆に合わせた方がいい」、と言う意識だ。この意識の背後には、児童期のイジメ体験、勤労観の混乱や就職氷河期体験によって植え付けられた「劣等感」があるようだ。(中略)この世代が嫌消費をリードし、下の世代である20代前半の「少子化世代」にも波及しているのが現状だ。(中略)彼らは収入が増えても買わない。彼らの世代心理に接近することが大切だ。説得のキーワードは「スマート」にある。とにかく、割高な商品は嫌いだ。周りから「バカ」にされるからだ。外食は切り詰めているが、男性でも鍋や炊飯器は持っている。スイーツも作る。「話す携帯」は値段で選ぶが、「使う携帯」はコンテンツの豊富さで選ぶ。店では買わないが、情報が豊富なネットでは常連だ。海外には行かないが筋トレグッズは好きだ。彼らが買っているものには三つの条件が揃っている。[1]自分の趣味に合って、[2]節約に貢献してくれて、[3]皆から利巧と思われることである。 (週刊ダイヤモンドより抜粋)』
 この世代は、構造改革というインチキ新興宗教を信じ込んだ国民によって大きく社会が変節してしまった影響をもろに被った世代でもあり、消費に慎重にならざるをえない事情は十分理解できる。だが、彼らに限らず、世の中に消費を嫌う人間などそうそういるはずがない。仏門に仕える生臭坊主とて金集めに必死になる世の中なのに、ましてや、消費を嫌う人間がひと塊りのボリューム層を形成するなど、常識的に考えればあるはずがない。彼らが消費に慎重なのは、単に収入が少ないことや収入の見通しが不安定なことによるものと考えるのが自然だろう。消費したくてもカネがない、もしくは入ってくる見通しがないからできないだけだ。勝手に若者を消費から切り離して論じるなど、思い違いも甚だしい。
 まともな職について安定した収入さえあれば、車にも乗りたいと思うし、パソコンだって買いたいと思うだろう。近頃の若者は草食系で元気がないとか、若者が車に乗らなくなったとか、消費に興味がなくなったとか、根拠のない言いがかりをつける暇があれば、彼らに社会参加の機会を与えるべきだ。景気の良い時代に大した苦労もせず社会に出られた世代が偉そうなことを言う資格はない。むしろ、次代の若者に、ロクな社会を引き渡せなかった無能さを恥ずべきだ。
 彼らをあたかも突如現れた“ニュータイプ”的に扱うだけでは何も解決しない。彼らに安定的な職や収入の機会を与えるという根本的な解決策から逃げ回ってはいけない。彼らは次代を担う大切な人材なのだから。
 若者世代が簡単に社会参加できないような状況を放置しておいて、ついてこれない若者に手を差し伸べようともせず、彼らは消費に興味をなくしたなどと言い切る冷たさは、一体どこから来るのだろうか。

2011年2月16日 (水)

豊かな土壌があってこそ作物は成長する

 先日、日テレの世論調査で菅政権の支持率が22%に下落したと報道されると、立て続けに共同通信による世論調査では20%を切ったと報道され、いよいよ選挙好きのマスコミによる倒閣運動が始まったようだ。
 昨年の尖閣諸島問題は言うに及ばず、やることなすことケチをつけられっぱなしの民主党は、麻生政権の末期に似た状況にあり、仮に衆議院解散という事態になれば、政権を手放す可能性が高い。

 そもそもこの政権は、現在の自民党主流派層の連中(小泉のポチ)と同じで、他党や業界団体、諸外国に対して根回しをするといった、政治家としてというより社会人として当たり前のことができないから困る。政策通を気取る政治家(松下政経塾上がりの世間知らず)に限って、自分が良かれと思う理想を強引に世間に押しつけようとする。TPPや消費税引き上げを前提とする税制・社会保障の一体改革などを巡る青臭い(アホ臭い)議論が好例である。現実には、複雑な利害関係の調整が必要で、そこに妥協や駆け引きを通じて落とし所の探るといった事務作業があってしかるべきなのに、そういうことは一切無視されて、突然国民の前に重要課題として提示される。しかも、一から議論するのではなく、マスコミが加担するのをいいことに、半ば決まってしまった結果を承認させるための議論にミスリードしようとする。

 だが、仮に近々衆議院解散による選挙があったとして、政権復帰が予想される自民党が、疲弊しきった日本を再び成長軌道に乗せることができるだろうか。谷垣総裁をはじめ、構造改革派の信者が集う自民党は、何を思ったかこのタイミングで“財政健全化責任法”などというバカ法案を提出しようとしている。
 この法案のポイントは、当面の財政健全化目標についてストック・フロー両面の目標を設定し、(1)2021年度以降の各年度末における国・地方の債務残高対GDP比を安定的に低下させる(2)そのために、国・地方合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2020年度めどに黒字化、遅くとも2015年度までにプライマリーバランス対GDP比を2010年度から半減させる。目標を実現させるために、政府が各年度に講ずるべき措置を財政健全化中期計画として定める。また、各年度の予算編成は、財政健全化目標と 財政健全化中期計画と整合的なものとするとし、新たな施策を実施する場合には原則その経費を上回る財源を安定的に確保するペイ・アズ・ユー・ゴー原則を遵守することを規定する。(ロイター記事より抜粋) という点にある。
 財政の健全化という文句だけを切り取れば、誰しも反対しづらいが、デフレ不況の苦境に立つ日本にとっては、財政政策にキャップをはめてデフレ期待を永続化させかねないもので、成長の阻害要因にしかならない。総需要の調整による経済対策を行うには、財政・金融政策の両輪が欠かせないことは言うまでもないが、このバカ法案は、少なくともその片輪を止めようとしている。これでは車は前に進めない。
 にもかかわらず、世間やマスコミはこの法案を“バラマキ禁止法案”として評価している。いまや、公務員や相撲協会と並ぶ悪の代名詞として、すっかり定着した「バラマキ」だが、日本全体が経済的に疲弊する症状に対しては、極めて効果的な役割を持つものと個人的には評価している。

 現状の閉塞感の打開策として提案されがちなのが、成長分野に資源(カネやモノ)を集中投資するという考えだろう。一時、竹中や島田(当時は慶応大)あたりが盛んにITやバイオを持ち上げていたあの構図だ。しかし、現実には、IT分野に集中的に投じられた資金も、当該分野への参入を目指す下請け業者のダンピング競争を煽っただけで、とても産業の隆盛や雇用の拡大を実現したとは思えない。特定の産業分野を拡大させるには、技術水準を高めるための、いわば供給サイドの強化的な研究投資や開発投資が必要になるが、結局、最終的な成否を決めるのは、その分野の製品やサービスに永続的な買い手が付くかどうかに懸かっている。需要家の存在が事業や産業の成否を決める…、企業はモノやサービスを売って成長するもので、考えてみれば当たり前のことなのだが、経済論議の場では忘れられがちなポイントだ。
 筆者の取引先企業にも、ITやバイオ、医療など成長分野に位置づけられる企業があるが、実際のビジネスの場では、IT企業であれば建設現場や林業、酪農家向けの管理システムを開発したり、バイオ企業であれば家畜糞尿の処理システムを開発したりと、いくら高邁な技術論をぶってみても最終的な需要の行きつく先は、案外身近な所にあるもので、だからこそ分厚い需要が見込まれるのだ。(宇宙産業など特殊な需要しか見込めないものは、見た目は派手だが需要には限りがある)
 このように、土木・建設、運輸だけでなく、いわゆるオールドエコノミー分野に選別され厄介者扱いされる産業の成長なくしては、成長のけん引役が期待されるニューエコノミー産業の成長もあり得ない。精魂込めて改良した新品種の種も、豊饒な土壌があってこそ花開く。経済対策を打つ時は、上から目線ではダメで、ボリュームのある層に目線を合わせることが肝心だ。経済は輪のように循環し連関し合っていることに気付かなくてはならない。
 国民の多くが忌み嫌う「バラマキ」を、筆者が評価するのも前述の理由による。特定の産業に集中的に資金を投じても、効果は限定され、無駄が生じやすい。ましてや、トリクルダウンなどといった夢想論が既に破たんしたことは記憶に新しい。
 それよりも、厚く広くあらゆる産業に資金を行き渡らせることが重要である。そのあとは、それこそ民間の自由な経済競争に任せておればよい。

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