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2011年3月

2011年3月30日 (水)

いまこそが、『いざという時』

 東日本大震災の復興に向けた財源確保の道筋が未だにはっきりしない。大規模な復興国債の発行話が出たり消えたりしているうちに、ここにきて増税論や予算の付け替え話が台頭してきた。
 野田財務大臣は、震災復興財源に国債を充てることに否定的な発言を繰り返し、予算の組み替えや予備費での対応に抑えようと必死になっている。
 また、とある地方紙には、政府の審議委員など公職歴も多い某有名経済学者が、復興の財源の確保に“常識を超えた発想”で取り組むべしとの論説が掲載されていた。その内容は、電力料金を時限的に引き上げて事実上の復興税を徴収すること、高速道路無料化費用や社会保障費を削減して復興財源に充てるというもの。いかにも財政破綻論者の教科書的な意見であるが、こういった「氷で暖を取らせようとする」馬鹿げた発想のどこが常識を超えているのかさっぱり理解できない。けれど “困窮に耐えて”とか“痛みを皆で分かち合う”的な言葉に弱い日本人は、スッと受け入れて(=洗脳)しまうだろう。
 このアホ学者は、さらに「地震のもたらした傷跡はあまりにも大きいが、これを転機に日本国民が団結して復興に当たれば、それがより力強い社会に日本を造り替える機会となるはず」と綴っている。しかし、大震災で20兆とも30兆ともいわれるストック(国富)を失い、それに伴ってフロー(GDP)が毀損されることが誰の目にも明らかな状況で、フローにブレーキを掛けることが確実な増税策を実施するのは明らかな自殺行為と言える。到底、先のアホ学者が夢見るような力強い社会になどなるはずがない。
 今回の大震災で、東北や北関東の沿岸地域を中心に多大な被害がもたらされた。考えるまでもなく、こういった被害が起こらなかった場合の通常ベースの経済基調が、大震災によって大きくマイナス方向に振れることになろう。ただでさえ、日本経済は長引くデフレ不況により経済基調が少しずつマイナス方向へ振れ続けてきており、これを逆方向に、つまりプラス成長させていこうとするならば、既存予算の付け替えといったプラスマイナスゼロ政策や増税などの逆噴射政策など採れようはずがないし、絶対に採るべきではない。
 むしろ、今回の大震災による損害を補って余りあるような大規模な社会基盤の整備を行い経済成長の基礎とすべきで、それには国債の日銀引き受けや政府紙幣の発行による財政面での後押しが必要になる。
 復興国債の日銀引き受けの是非に関して問題になるのは、財政法第五条の記述である。そこには、「すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。 」と規定され、但し書きで例外的に日銀による国債の直接引き受けを認めている。これは、国家の危急に備えて“いざという時”のために、必要な財源を速やかに賄えるよう配慮されたものと理解する。
 死者・行方不明者が3万人近くに及び(このほかに連絡を取れない人数も多数ある)数十万人が避難生活を余儀なくされ、いくつかの町村では町ごと破壊されて行政機能が完全にストップされるという過去に例のない異常事態である。いまこそが、まさに“いざという時”なのではないか。
 ところが、先に述べたとおり、時の首相や財務大臣、経済財政担当大臣はおろか野党第一党の党首までが、こういった当たり前の認識を持ち合わせていない。彼らの口から出てくるのは、“安易に国債発行に依存しない”などといった怪しげな美意識に基づく妄言ばかりで、完全に国家の財政を自分の財布と勘違いしている。
 彼には“いざという時”なんていう発想すら持ち合わせていない、もしくは強く信仰する財政破綻教の教義に基づき発想すること自体を拒絶しているのだろう。
 これだけの大災害に直面してもなお、柔軟な発想や当たり前の対応ができないようでは、たとえ戦争になったとしてもカネがないから負けましたと平気で言い出しそうで心もとない。度しがたいほどの役立たずと言える。
 彼らも、自分自身が罹災したならば愚かな考えを改めるのだろうか。

2011年3月18日 (金)

『頑張る』が『我慢する』にすり替わってしまわないように

東日本を襲った大震災の被害全容は、いまだ判らない状況が続いている。ようやく筆者も被災者向けの募金を済ませ、少しだけホッとしている。

TVを見れば、原発の危険性をやたらと煽る報道や家族や財産を失って大きく傷ついた被災者に対して無遠慮にマイクを向けるマスコミのはしたない姿ばかりで怒りを禁じえない。このうるさいハエを黙らせることができないものか。報道はNHKに任せて、他局は節電に協力して放送を自粛してはいかがか。報道の名を借りたワイドショーや学生が作ったようなバラエティーを一日中垂れ流されては、ますます視聴者の知能指数低下を招く。

 マスコミのインタビューに答える被災者の口から、“復興のために頑張る”という力強い声を聞くことが多い。理不尽な災害に遭遇しても、なお、次のステップに向けて前進しようとする被災者の方の姿に気高いものを感じる。

 一方で、この『頑張る』が『我慢する』のままで終わってしまわないかと危惧している。震災からの復興を支援すべく、日本全国はおろか世界各国からも支援や募金が集まっている。また、被災された方の中には地震保険でカバーされる資産もあるだろう。だが、これらで全ての逸失財産がカバーできる訳ではない。地震保険は加入金額に限度があるし、例えば宮城県での加入率が30数%に止まるなど、むしろカバーできない部分の方が圧倒的に多いのではないか。前回の記事でも主張したとおり、政府紙幣や日銀の国債引き受け等の手段を柔軟に用いて、被災者の財産を補償する資金に充てるべきだ。全ての被災者に補償してしまえば、保険料を負担した地震保険加入者とのバランスを欠くという批判もあろうが、戦争並みの大災害からの復興という重要な目的を優先させるべきだろう。

 幸い、“政府が10兆円規模の震災復興国債を発行して全額日銀が引き受ける方針が固まった”との報道もある。金額は30兆円くらいまで上乗せすべきだろうが、先ずはこういった柔軟な対応を検討していることを評価したい。ぜひ与野党が協力して速やかに実行してほしい。自民党は、震災に伴う臨時増税などというレベルが疑われるような主張を早々に引っ込めて、こういった前向きな政策に協力すべきだ。

 支援だ、復興だと言っても、やはり先立つものがなければ上手く行かないのは自明のこと。インフレになるとかモラルハザードを招くとか、現状が全く見えていないような意見を吐く輩には、他人の不幸を何とかしてあげようとする気がないのだろう。日頃は正義だなんだと偉そうなことを言っておきながら、一向に寄付しようとしない某朝番組の司会者など、この類だろう。

 被災者の『頑張る』が見事に実を結ぶよう財政支援することに反対する態度こそがモラルハザードなのではないか。

2011年3月14日 (月)

震災からの復興を邪魔しようとするバカ

 このたびの東北や関東地方を襲った大震災で被災された方々、また、不幸にも亡くなられた方々には、心よりお見舞いならびにお悔やみ申し上げます。
 突然大きな厄災に見舞われ、平凡な生活から一瞬にして地獄のような事態に直面せざるを得なくなり、ご心中のほど如何ばかりかとお察し申し上げます。被災地に赴き、瓦礫の除去ひとつお手伝いできないことにもどかしさを感じております。せめて義援金などを通じて、皆様の生活再建のお手伝いをしたいと考えています。

 さて、現時点でこの大震災の被害の全体像が見えているわけではないが、残念ながら阪神淡路大震災を上回ってしまいそうな情勢だ。さっそく、マスコミの連中は、これまでの地震の教訓は活かされていたのかなどと騒ぎ立てているが、今回の地震の規模はまさに想像を絶するレベルであり、街全体が破壊しつくされてしまうほどの強烈な津波の襲来など、事前に想定しておくことなんて到底できないだろう。まさに、ドラマや映画でしかあり得ないような現実離れした災害だったと思う。
 昨年の事業仕分けの際に、民主党のパフォーマンスに乗ったマスコミは、200年に1度の大洪水に備えて首都圏や近畿圏に整備中のスーパー堤防を指して、非現実的とか無駄だとかいった短絡的な批判を繰り返していたが、専門家の中には、今回の大震災を1,000年に1度の大地震だと指摘する声もある。マスコミとそれに踊らされた多くの国民には、人命とおカネ(しかも金と兌換すらできない)のどちらが大切なのかを、再度勉強してもらいたい。
 今回の大地震報道でも、マスコミの連中は相変わらず現場の邪魔ばかりして、何の役にも立っていない。被災者に無遠慮に向けるマイク、一日中垂れ流される同じ映像、救援活動すらできない取材ヘリ、被災した原発の対応に追われる東京電力に浴びせられた失礼な物言い、記者会見での総会屋のような質問態度等々数え上げたらきりがない。彼らの態度は社会人として失格だ。東京電力の対応がまずいだの、原子力保安院が情報を出し惜しみしているだのと下らぬケチをつけるばかりでなく、少しは現場の苦労を勉強しろと言いたい。救援活動にも、生産活動にも何一つ貢献できてないマスコミの連中が忙しい現場でウロウロされては邪魔なばかりだ。せめて節電に協力して間引き放送でもやったらどうか。また、取材に行くなら、おにぎりのひとつでも持っていけと言いたい。
 被災者の方々は、家族や友人と連絡が取れないため互いの安否を確認できず焦燥感を募らせている。マスコミも本当に役立ちたいと思うなら、避難所の名簿を映したり、避難できた人々の顔を時間をかけて映すなど、安否の確認に資するような協力をすべきだ。似合わないヘルメットを被り、さも危険な場所にいるかのように装っている場合ではない。

 以上、災害時に足手まといになるマスコミのことを書いてきたが、昨日のニュースでこれ以上のバカ者が現れた。
 『自民党の谷垣禎一総裁は13日、記者会見し、菅直人首相との会談で、東日本大震災の復興支援財源確保のため、臨時増税の時限立法制定について、両党幹事長間で協議することを確認したと発表した。』(sankeibizより)
 この非常時に、臨時減税ではなく“増税”をしようというバカがいるのだから驚く。これだから、今の自民党の執行部は度し難いバカ揃いと言われるのだ。彼らは構造改革教の教義に縛られて、財政健全化に囚われ過ぎている。さすがに、このニュースの後で非難を浴びたためか、谷垣総裁も国債発行で不足する分を子供手当等の支出削減にて捻出するという趣旨の発言にトーンダウンしたようだが、それでもバカ者であることに変わりない。これだけ大規模な災害ともなれば、数十兆円規模の支出が見積もられるはずで、国債発行以外の不足額も10兆円前後になるかもしれない。この分の支出を他の事業費で賄うとすれば、あらゆる事業がストップしたり削減されることになり大きな混乱を招く。
 こういった非常時にこそ、管理通貨制度や巨額のデフレギャップを活用して、政府紙幣の発行や日銀の国債引き受けを通じて十分な財源を捻出すべきだ。最初から財政支出を均衡させることを前提にしたチマチマとした復興策では、数万人~数十万人にも及ぶ被災者に十分な対応などできるはずがない。防災対策として、少なくとも今回の大震災レベルの津波を想定した街づくりや防災工事が必要になり、そのための事業費が大幅に増えることは自明のことだ。国家財政と自分の懐との区別もつかないような小人物が野党第一党の党首とは情けない限りだ。

 不幸にして被災された方々は、何の落ち度もないのに、これまでの生活レベルを大きくマイナス方向に棄損されたが、恐らく、事態が落ち着いて復興の話が本格化すれば、被災者の“自立”支援という美名のもとで、家屋や家財等に対する国家補償(補填)は見送られることだろう。そうなれば、被災者の資産は大きく棄損されたままになる。これは、国民の財産を守るはずの国家にとってのモラルハザードだと言える。自立支援や自助努力、私有財産への補填忌避などの原則論を振り回して、被災者生活や被災地の復興という重大な課題から逃げ回るのは、何事にも努力を惜しまない国民に対する甘えがあるからだ。
 今回の大震災をきっかけに、天災による被災者への財産全額保証制度を確立させてほしい。本来なら、先の阪神淡路大震災の折に整備しておくべきだったが、当時の政権与党にその度量がなく、自然災害多発国家に住む国民にとって大きな不幸と言わざるを得ない。

 避難所にいる被災者にとって何よりつらくて心配なのは、財産を失ってしまい明日からの生活に絶望することだ。命があったのがせめてもの救いという一言で片づけてはいけない。日本に住んでいれば、誰しも今回のような災害に遭い被災者の立場に立たされる可能性がある。だからこそ、そういった時に、せめて失った財産のことを心配せずに、自らおよび家族の命を守ることに集中できるような環境を作っておくべきだ。

※大震災による原発の故障や計画停電の件で、東京電力が連日のように避難の集中砲火を浴びている。しかし、東電もまたこの震災の被災者なのだ。原発からの放射能漏れ云々と、バカなマスコミが安全な場所から騒ぎたてているが、放射能漏れが懸念される危険な現場の真ん中に立って懸命に作業を行っているのは、東電の社員たちである。彼らは被災者の身でありながら、現場のことを何も知らない傍観者によって無体な非難にさらされている。彼ら自身だけでなくご家族もさぞや悔しい想いをされていることだろう。筆者など、まことに微力な身ではあるが、彼らの奮闘ぶりには、ただただ頭が下がる思いである。どうそ、ご家族の皆様も、マスコミの連中の誤った非難には耳を貸さずに、現場で頑張っておられるご主人に対して誇りを持って見守っていただきたいと願う。

 外野から文句ばかり言っているマスコミや自称原発評論家の連中、それからこれを機に、それ見たとことかとばかりに原発に反対ばかりしている連中には、お前が代わりに現場に行って作業をやってみろと言っておく。

2011年3月 3日 (木)

リフレ派同士の連携が必要だ

日ごろのニュースで、デフレ(物価総体の持続的な下落)の対義語としてインフレが使われることはあっても、リフレという言葉が語られることは少ない。ちなみに、リフレーションとは、不況下における設備の遊休あるいは失業を克服するため、マクロ経済政策(主に金融政策)を通じて有効需要を創出することで景気の回復をはかり、他方ではデフレから脱却しつつマイルドなインフレーションを実現しようとする政策を指す。(ウィキペディア記事より編集)

だが、リフレ派とは、上記のように金融政策だけではなく、もっと広義な意味での財政政策あるいは金融と財政のパッケージ政策などの手法を基に有効需要を創出して経済成長を実現しようとする主張も含有するのではないか。

つまり、現在のデフレ不況の要因が、供給側ではなく、需要不足にあるという理解を前提にして政府サイドが積極的な経済対策を施すべしという主張である。

しかし、現実の経済学の論壇では、主にインフレターゲット政策を主張する論者が“リフレ派”を自称することが多いためか、リフレ=インタゲ派(金融政策重視派)というイメージが定着している。

もっとも、一口にインタゲ派といっても、Mフリードマン(気持ち悪いシカゴ学派の教祖)の信奉者のように金融政策一本槍な主張(構造改革派や上げ潮派)から国債の日銀引き受けや政府紙幣に踏み込むような、むしろ財政政策派に近い主張をする者まで、その主張は様々だ。

中には、経済成長よりも行政改革を重視するものや財政均衡主義に近い主張もあり、単に、ガチガチの財政緊縮派(与謝野大臣や野田大臣などの縮小均衡を是とする主張)ではないというだけの意味で使われることもあるので注意が必要だ。

一般的なインタゲ派の主張は、物価上昇率に対して中央銀行が一定の目標を定めて通貨量を意図的に増加させ緩やかなインフレーションを起こして経済の安定的成長を図るというもので、日銀の役割を最重視する。このため、彼らは、デフレや円高を放置する日銀の金融政策に批判的で、中でも、良いデフレ論や強い円は国益論を唱えて、不況下にゼロ金利政策解除を強行した速水日銀総裁などはボロクソに批判されている。それに比べて、財政政策をあまり重視しないこともあり。政府や財務省に対する批判は少々トーンダウンすることが多い。

基本的には、失業の放置を否定し経済成長を志向するという点で財政政策派と共通するものがあるが、一方で、財政政策を否定し貨幣供給量と利子率によって景気循環が決定されるというMフリードマンの主張をその根幹に据えてもいるせいか、全体的に財政政策を否定するのか容認するのかという点が非常に判りにくい。(Mフリードマンの主張は、ある意味一つの山脈の頂のような存在で、ここから山の両側にそれぞれ流れ出ているリフレ派や財政緊縮派や新自由主義者などの源泉になっているようなイメージだ。)

ただし、岩田規久男、若田部昌澄、野口旭、田中秀臣、竹森俊平、高橋洋一、クルーグマン、バーナンキなどといったインタゲ派の代表的論者(伊藤元重と伊藤隆敏は構造改革派へ鞍替えした模様)は、金融緩和を通じたインフレ期待による投資意欲の喚起を主体としながらも、国債の日銀引き受けによるリフレ政策あるいは政府紙幣の活用という財政政策的な手法をおおむね是としており、財政政策派あるいは財政と金融のパッケージ政策を唱える論者との親和性は高いと思われる。

これまで日本が失われた20年の間に採ってきたのも、先進諸国がリーマンショック以降に採ってきたのも、ほぼ金融政策オンリーに近い経済政策であったが、金融市場や商品市場に膨大なマネーが溢れかえるばかりで、肝心の実体経済には殆どプラスにならなかった。砂漠に降ってほしい雨が海に降ってしまったようなものだ。

政府の負債を極度に嫌うマーケットや国民からの圧力を恐れてか、各国とも財政政策が手控えられ、金融政策に頼り切りの状態になっている。しかし、金融政策を通じて醸成されるはずだった良い意味でのインフレ期待は一向に訪れず、却って溢れたマネーが商品市場に流れ込んで強欲な賭け事に使われた挙句、原油や作物の市況が高騰しコストプッシュ型のインフレを招く結果となってしまった。

だからといって金融政策の有効性を否定するべきではないが、長引く不況や雇用の不安定化で国民や企業の収入が減り続けている現状では、金利低下や潤沢な融資資金の増加は、家計や企業の消費や投資を刺激する要因にはなりにくい。貰えるカネならうれしいが、借りる(返さなければならない)カネならいらないといったところだろう。

まずは収入を安定させ、潜在的な消費意欲を刺激して消費や投資を活発化させる、その結果としてマイルドなインフレ状態になり、経済成長を加速させるといった手順が望ましいのだが、これは財政政策・金融政策いずれか一方のみでは到底なしえない。これまでの金融政策により市場に貯まりこんだ膨大なマネーを制御するには、どうしても金融政策が必要だし、実際に家計や企業の財布を膨らませるには財政政策が必要になる。

日本を再び成長軌道に乗せ、しかもできるだけ長期安定化させるには、財政と金融のポリシーミックスが欠かせない。ましてや、財政緊縮や財政均衡といった逆噴射政策などもってのほかである。

だが、現実には、本当に信じがたいことだが、この不況下に財政緊縮や財政均衡を熱烈に求める国民が多い。多いどころか、ほとんど大多数の国民がそれを支持していると言っても差し支えないだろう。だからこそ、小泉・竹中のインチキ改革や民主党の事業仕分けを熱狂的に支持したり、みのもんたや辛坊辺りの主婦感覚(青臭い中学生並み)の主張にコロッと騙されてしまう。選挙前の世論調査をやれば、景気対策をしてほしい(=財政出動)という本音がチラッと出てくるが、普段は低能なニュースに洗脳されて、財政赤字を何とかしろとか、(自分に害が及ばない範囲で)無駄を削れとか、本音を隠して偽りのオダを上げている国民のなんと多いことか。

こういった現状を見据えて、広義のリフレ派(金融政策重視派、財政政策重視派、財政・金融のポリシーミックス派)は、互いに協力すべきだ。金融政策には効果がない、インタゲはデフレに効かない、公共事業は乗数効果が低い、財政支出は無駄や不正を生み出すなどと非難し合ってはいけない。互いに経済成長という大義を共有しているのだから、その実現を目指して小異を捨て協力し合うべきだ。

マスコミ、経済団体、エコノミスト、国民はおろか、官僚の大部分にまで財政緊縮や財政均衡を支持する愚かな思想が根深く浸透している。こういった危機的な状況を冷静に判断すれば、互いに不毛な非難合戦をしている場合ではないことに気付くはずだ。

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