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2011年6月

2011年6月21日 (火)

竹槍精神健在なり

 大震災後も素人による無様な政権運営が続いているにもかかわらず、円の信認が高止まりしている。10年物国債の利回りは1.1%台、円ドル相場は80円台付近に張り付き、格付け会社の度重なる嫌がらせなどどこ吹く風といった状況だ。

 新聞や雑誌では、この状態を異様な事態と捉えて、「日本国債が暴落しないのは、市場が将来的な増税を織り込んでいるから」と説明する。この類の説明は10年以上前から続いているが、その間、国債発行残高は400兆円近く増える(H11/492兆円→H21/882兆円)一方、税収は大きく落ち込み(H11/47兆円→H21/38兆円)、頼みの綱の消費税UPも議論ばかりで実現されず、市場関係者の折り込み予想はことごとく裏切られてきた。ならば、とっくに日本国債は暴落の憂き目を見てもおかしくはないはずだが、現実は逆の結果になっている。そろそろ持説の誤りを認めればよいのに、市場関係者らは、まったく懲りる様子もなく財政再建だの、構造改革だのと浮世離れした呪文を唱え続けている。何度叫んでも一向に現れない“狼”をジリジリしながら待つ気分はいかがかと同情する。

 震災からの復興や社会保障制度改革の名を借りた増税キャンペーンは、財務省のみならず上記のような市場関係者、政治家、マスコミ、IMFなどあらゆるルートを使って世の中にばらまかれている。前回(平成9年)の増税によって日本経済が大きく腰折れした事実は誰の目にも明白なのに、最近では財務省が内閣府と組んで財政審議会の御用学者を使ってこれすら否定しようとしている。当時の景気低迷を招いた主因は消費税増税ではなく、不良債権処理とアジア通貨危機によるものという主張がこれだ。コップの中の水が冷えたのは氷を入れたせいではなく、横に置いてある食べ物が腐ったせいだ、とでも言うのと同じこと。こんないい加減な議論を持ち出すとは、財務省もかなりイラついているのだろう。

 日本の経済成長なんてまったく眼中にない財務省的思考に従って、財務・経済財政担当の両素人大臣の言うままに、いっそのこと消費税を10%に引き上げてみてはどうか。それでも最大限期待される税収増加額は10兆円程度に過ぎず、現状の税収と歳出とのアンバランス(40-50兆円)の解消には殆ど意味をなさないし、1,000兆円にも及ぶ国債の利払い費で吹っ飛んでしまうのが関の山だ。

 このように消費税増税による国家財政の改善効果は極めて限定的なものに止まる一方で、経済を下降させる威力は極めて大きい。10年以上も名目GDPが低迷したままで経済環境がヘロヘロになっている状態で、10兆円もの消費抑制圧力をまともに被るダメージは甚大と言える。増税分は社会保障費等で再分配されるという意見もあろうが、社会保障費という性格上、貯蓄に回される部分も相当大きくなると見込まれ、景気浮揚効果を期待することはできない。

  何よりも、多くの消費者に、給与水準が低下する環境下で一律に物価上昇イメージを植え付けることのマイナス効果が大きすぎる。200万円の自動車なら、単純に消費税が10万円から20万円へ10万円分も増えることになる。これは昨年秋の大騒ぎしたエコカー補助金とほぼ同額で、当時とは逆に負のインパクトをまともに受けることになる。住宅や自動車など高額商品を忌避する動きが消費者に広がるであろうことは容易に想像でき、向こう7-8年の間に名目GDPが400兆円を割り込む事態も予想される。

 こういった危機に目もくれず、政府やマスコミに煽られた国民は東電いじめに熱狂し、口を開けば脱原発だの自然エネルギーだのと青臭い持論を吐いている。新聞の投書欄にも、中学生が書いたような現実を顧みない幼稚な理想論が跋扈しているが、恥ずかしくないのだろうか。

 災害が発生した当初は、大震災や津波による被害自体が想定しうるものであったか否かという議論もあった。しかし、いまやそんな可能性論議はどこかに吹っ飛び、原発である限りいかなる自然災害(テロ攻撃も)をも想定すべきであったという暴論が罷りとおっている。貞観地震みたいに千年も前の古文書にしか載っていないような伝説(当然マグニチュードや震度は不明)まで想定して具体的な対策を打っておくべきだった、なんて言うのは、無理難題や言いがかりのレベルだろう。こんな暴論が通るなら、江戸時代の文献にも明記されている浅間山の大噴火級の火山災害に備えて、全国の活火山の周辺地域で降灰対策の検討および必要な対策費用を計上すべきと思うが、そんな議論はまったく聞かれない。伝記の世界の出来事に備えて対策を打つなんてことが、現実にできるはずがないが、こと東電いじめに関しては大政翼賛会的な結束力を誇るマスコミにより、いまや電力各社は、宇宙人からの攻撃をも想定すべきといっても過言でないほどの度を越した原発の安全対策を強要されている。

 国民も不思議なもので、いつ起きるか予想もつかない自然災害への備えには何かと口うるさいくせに、現実に起こっている被害者の救済や被害対策への関心がなさすぎる。未曽有の被害を被った東日本大震災の被災者への資産保証を訴える意見はまったく聞かれないし、毎年コンスタントに3万人を超える自殺者(経済苦による割合が高い)を出しながらも個人の問題としてほったらかしにされている。本来なら、国民は、東電を批判する以上のエネルギーをもってこうした問題の解決に当たるべきと思うが、いずれも財政支出が必要になると判った途端にトーンダウンしてしまう。日本は財政危機だという財務省のネガティブキャンペーンの威力は絶大なものがあり、多くの国民はそのことを信じて疑わず国債増発に対する忌避感は拭いがたい。

 十分な人口規模や高度な技術力を持ち、経常黒字国で莫大な対外資産を所有しながらデフレに苦しむという我が国にとって、名目貨幣、管理通貨制度、通貨発行権、日銀による国債引き受け、金融緩和、通貨切り下げなどといった政策や制度は、まさにいまの日本のためにあるような経済対策ツールと言える。しかし、現実には、適度なインフレ、円安、内需拡大、マネタリーベースの増加など日本にとって慈雨をもたらすこれらの対策が、マスコミや多くの国民から毛嫌いされるのが不思議でならない。

 この絶好の機会を目の前にしながら便利な道具を使おうとせずに、ひたすら節約と増税(+輸出)でこの難局を乗り切ろうとする無謀さは何なのだろうか。 弾丸がもったいないからと最新の対空砲を使わずに、竹槍で敵機を打ち落とそうとする財務省やマスコミにやり口に違和感を覚えないような愚か者は、もう一度小学校からやり直した方がよい。


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2011年6月 8日 (水)

日本はこれからも経済成長できる

 先日、ある経営者と話をする機会があり、その経営者は「この間、日本は人口が減って構造的な問題を抱えているからずっとデフレが続くんだっていうベストセラー本を読んだよ。俺もそのとおりだと思ったね。なにせ日本は少子高齢化社会を迎えるんだから、もう右肩上がりなんて無理だよ。これからは皆の意識を変えていかないとね。」などと得意げに語っていた。

 彼の言う“皆の意識を変える”とは、何を指すのか。右肩上がり(の経済成長)は望めないなんて言うくらいだから、デフレによる経済の縮小均衡を前提に、これから先は企業の売上増加は望めないという意味なのだろう。随分と軽薄な経営者である。

 売上増加が見込めないなら残る手段はコスト削減しかないが、コストカットのやり過ぎは社内の人材やモチベーション・モラルの劣化に直結するため、自ずと限界がある。ただでさえ、20年もの間デフレ不況に怯えてコストカットに邁進してきた日本企業には、厭戦ムードが蔓延しており、コストカットみたいな空襲から逃げ回るような消極的手法をこれ以上続ければ、経営基盤そのものが崩壊しかねない。

 雇用条件の悪化や若者の雇用機会の消失といった大きな犠牲の上にやっとこさ捻出した収益も、労働者へ分配されることなく企業の内部留保に積み上がるばかりだ。このため、雇用者報酬も減少の一途を辿り、それが消費の低迷や企業業績の悪化を引き起こし、結果として税収の低下や社会保障財源の危機につながっている。

 こういった一連の社会構造の経済連関に目を向けず、やれデフレだ、グローバル化だのとマスコミに乗せられて経済成長をいとも簡単に諦めてしまう輩が企業経営をやっていること自体おこがましい。“皆の意識を変える=経済成長を諦める”なんて経営者が本気で信じているのなら、日本の経済活動は早晩終わりを迎えるだろう。

 件の経営者も、口ではマクロな経済成長など望めないと言いながら、その同じ口から社内では今期の売り上げは前年比プラス●%必達だなんてハッパを掛けて社員をウンザリさせていることだろう。意識を変えろと偉そうに言う当人の意識が全く変わっていないのだから、社員が気の毒である。

 デフレが長期化するにつれ、構造問題や人口減少、少子高齢化、グローバル化、国債問題などあらゆるキーワードを駆使してデフレを受け入れよとか経済成長を諦めよといった類の幼稚な論調が後を絶たない。こういった意見は、財政支出を嫌う知識層(マスコミ、政治家、官僚、エコノミスト、経営者、コンサルなど)に非常に強く支持されているばかりではなく、浪費や贅沢な生活習慣や様式を忌避(もしくは反省)する主婦層やスローライフ的な隠遁生活が好きな層(原発も嫌い)にも受け入れられ、いまや多くの国民がこれを支持していると言っても過言ではない。

 だが、経済成長を諦めるということは、給与の削減や生活レベルの低下、雇用とりわけ若者層の雇用機会が大きく棄損されることを意味するが、彼らはそういうことを理解して言っているとは思えない。おそらく、自分の生活や雇用はさておき、世の中の流れがこうだから多少の犠牲はやむを得ないなんて無責任な考えしか持っていないだろう。こんな軽い気持ちで未来の日本の行く末を悪い方向に先導されてはたまらない。人口減少だといったところで、そのペースは緩やかで、この先の経済成長によりいくらでも取り返しのつくものである。下図のとおり2005-2009年の日本の人口減少率は0.2%に過ぎず、誤差の範囲と言ってもよい。この程度なら、きちんと財政金融政策を行ったうえで労働分配率を適切な水準に維持すれば、一人ひとりがいつもの買い物の際にチョコレートや缶ジュースを一つ余計に買うだけで十分に経済成長を実現できる。

 問題なのは人口減少そのものではなく、財政政策を嫌うあまりに、国民個々人が消費支出を伸ばせないような素人じみた経済運営を長らく放置してきたことに尽きる。日本と同時期に人口減少に見舞われたドイツやロシアでは立派に経済成長(実質ではなく名目で)を果たしている。人口がとか少子高齢化がなんていうのは、単なる言い訳に過ぎない。

 将来的に人口の下降カーブを止めて上昇カーブを描かせるためには経済成長が欠かせないのは当然のこと。国債は将来世代へのツケ送りなんて嘘を巻き散らして、縮小均衡する社会を放置すれば、必ずや後世の日本人からなんて情けない祖先であったかと厳しく批判されることだろう。

 我々には、経済成長を基礎にした強固な社会基盤を後世に残していく責務がある。斜に構えて勝手に成長を諦めてしまうような役立たずは、日本人である必要がない。

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