無料ブログはココログ

リンク集

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月12日 (水)

アクセルとブレーキの区別がつかないバカ者

大分県の湯布院町で行われた絶叫大会で、地元の田舎者県議が調子に乗って「セシウム牛はいりません」と叫び、大震災の被災地を侮辱するものとの非難を浴びている。これに限らず、福島第一原発事故をネタにした心無い行動が各地で頻発しているのは周知のとおりだ。

震災発生後こそ、「がんばろう東北」とか「東北の復興を応援しよう」とか口清く叫んでいたのと同じ口で、「放射能に汚染された東北の農産物を持ち込むな」などといった賤しい言葉を吐く神経の下品さは同じ日本人とは思いたくないほどだ。彼らの本音が、東北の復興なのか、放射能をネタにした弱い者いじめをしたいだけなのか、知る由もないが、何の落ち度もないのに大変な厄災に直面した東北の復興が国家的な課題になっている現状において、その足を引っ張るような風評被害を巻き散らかす馬鹿げた行為は厳に慎むべきである。原発事故を恐れて海外からの来日客が減っているとの報道も目につくが、何のことはない。単に日本の地図を確認せずに放射能恐怖症になったバカか、円高を嫌って旅行を取り止めたケチのどちらかに過ぎない。本来味方すべき国民が、小心者の外国人と一緒になって放射能の風評被害を撒き散らすとは何事か。

マスコミ各社は、原発事故を契機に脱原発や新エネルギーを声高に叫んでおり、風力発電量を急速に伸ばしているスペインがよく紹介されている。報道によると、スペインの最新の電源罰の発電割合は、LNG32%、風力21%、原子力19%、水力17%、石炭火力13%、太陽光3%、輸出・調整等△5%というもので、特に風力の割合が他国と比較して突出していることを持ち上げ、脱原発の先進事例として紹介している。

だが、太陽光や風力などの新エネルギー発電参入業者と既存の電力会社との間の電力買い取り価格の設定で大モメになっているのが現実で、脱原発に向けた国を挙げてのプロジェクトなどという清新なイメージとは程遠い状態だ。第一、問題の原子力発電の割合が、いまだに19%もあり、これは風力発電量とさして変わらないし、日本(2008/24%)やドイツ(/23.5%)と比べると低いが、ほぼアメリカ(/19.3%)と同じレベルにあり、この程度で脱原発の先進国扱いするのは明らかに過大評価だろう。ご存じのとおりスペインはPIGS問題に象徴される欧州債務危機問題の代表選手として自国の国債償還財源の確保こそ喫緊の問題であり、新エネ云々などにかまけている余裕などないはずだ。

マスコミは、原発の風評被害と同様にTPP問題でも誤った認識を盛んに焚きつけている。現在、野田内閣がTPPへの参加を前提とした議論を拙速に進めようとしているが、それを擁護するように玄葉外相から「アジア太平洋の40億人の内需を日本の内需だと考え、これからの産業政策、経済連携を進めていきたい。」との発言があった。この“40億人”は、“40億円”の間違いかと思ったが、本人は大まじめの様子。このアホなコメントは2つの意味で間違っている。

一つ目は人口に関する点。玄葉氏は、将来的な中国やインドの参加を見込んで40億人と放言したのだろうが、現実の参加国は9か国(アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ペルー、チリ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、ブルネイ)のみで、その総人口は世界人口の7.4%、約5億人とされる。これでは氏の期待する40億人の1/8に過ぎないうえに、中国やインドが参加する見込みはいまのところ全く不明な状態だ。しかも、これまで散々食い尽くした北米市場のほかは、小国や人口の少ない国ばかりで問題にもならない。

二つ目は“自称40億人”の内需の源泉である。アメリカはともかく、それ以外の新興諸国(便宜上、中国とインドも加える)の内需に過度な期待を抱く自由貿易の信奉者は、それらの内需の源泉がどこにあるのか、何処からもたらされるのかについての考察が甘い。あたかも、新興諸国内で自発生的に積み上がった資金とその出口としての膨大な需要が溢れ出ているかのようなイメージで語られることが多いが、それは幻想である。新興諸国の内需の源泉、平たく言えば所得やGDPの源泉の殆どは、海外からの所得移転や投資によるものであり、国内で主導的に創り出されたものではない。新興諸国の多くは、徴税システムや金融システムがいい加減なせいで、財政政策による有効需要の創出や国内銀行による投融資が上手く機能せず、常に海外からの資金流入に頼っている。また、中流層の創出とか国土の均衡ある発展といったまともな経済思想が欠如しているため、富の偏在が極端(富裕層の資金は海外投資により国外へ流出しがち)で国民の購買力向上にも限度がある。これまでの経済発展も、先進諸国からの生産拠点や所得の移転といった恩恵によりもたらされたもので、自国の努力によるものではない。

自由貿易の信奉者(100%近い確率で新自由主義者や構造改革主義者とイコールの青臭い連中)は、自分では何もできないくせに、念仏のように開国だの、外需の取り込みだの、輸出の拡大だのと騒ぎ立てるが、トヨタやパナソニックといった大手の輸出企業ならともかく、中小企業や農業者が輸出を行うのは外野が口で言うほど簡単なものではない。

TPP参加国に限らず海外に輸出しようとすれば、米ひとつとっても、膨大な保管スペースの確保、長期間の輸出に耐えうる保存技術の開発、輸送コンテナの確保、輸送中の事故に対する保険の加入、輸出代金決済手続き、相手国の検疫対策、現地での保管施設の確保、販売代理店など販売・輸送システムの整備、販売代金の回収システム、現地でのアフターサービス体制の整備、本社での問い合わせ窓口の整備などなど数え切れないくらいの人的・資金的な負担が生じる。無論、商社などに代行させうる手続きや機能もあるが、当然、相応のコストを支払うことになり現地での販売価格に跳ね返る。いまだ、低所得者層が圧倒的多数を占める新興諸国を相手に、そんな高価格な商品をどうやって売り込めばよいのか。中国の富裕層(2015年に400万世帯の見通し、世帯年収25万元以上/マッキンゼー社調査)を狙えというバカの一つ覚えのような呪文を信じて過度な期待を寄せるのは禁物だ。発展著しいと言われる中国でさえ、4年後の富裕層の数は400万世帯、約1,0001,600万人程度に過ぎないし、その富裕層の収入も元を糺せば先進諸国からの所得移転によるもので、将来的な見通しは決して明るいものではない。また、そういった富裕層を狙っているのは、当然、日本企業だけではなく、世界各国の企業を巻き込んでの競合になるのは目に見えており、収益性の面でも大した期待はできない。

何よりも、外需は自国の経済政策のコントロールが及ばないというごく基本的な事実が最大のネックとなる。自国で大量の資金を注込んで革新的な技術開発を奨励しても、その結果完成した製品や技術が売れるかどうかは、需要家たる他国の経済情勢に常に左右される。そんな頼りない経済構造に身を任せてもよいのか。海のものとも山のものともしれない外需を巡って無駄な苦労や努力を重ねるよりも、経済学の基本に則り、需要不足への対策として財政・金融政策を着実に実行して内需の拡大を図る方が、はるかに早道且つ確実性も高い。

日本にとって何より大切なのは、一日も早くデフレから脱却して名目GOPを成長軌道に乗せることと東北復興を具体化させることに尽きる。そんな折に放射能の風評被害を煽る行為やTPPや復興増税を議論すること自体、まさに切腹ものの愚行と言える。

2011年10月 8日 (土)

変化に気付かない愚か者

 先日、目にした週刊誌に、TPPを積極的に推進せよといった趣旨の某有名評論家の記事が掲載されていた。同氏は、TPPの重要性をひとくさり述べた後に、平成の開国とも言える大転換期に農業保護などといった内向きな対応をしていては世界の潮流についていけない、今やグローバリズムの時代だ、閉鎖的な農業を改革するチャンスだ、世界の変化に背を向けるな と自信満々に締めくくり、経団連や日経の連中が驚喜しそうな記事であった。

 社会的あるいは経済的に強い立場の人間が、「グローバル」とか「改革」、「変化」などといった耳触りの良いキーワードを使った駄文をばら撒き、それをマスコミが増幅して喧伝する。ここ10年余りに亘り、新自由主義や構造改革を妄信する馬鹿が国民の支持を集めて政・官・財・報に及ぶ強力なカルテットを形成し、それまでの濁りの中にも安定感のあった世の中の仕組みを破壊し尽くしてきた。

 青臭い書生論しか吐けない彼らは、「構造改革」、「ムダの排除」、「バラマキの排除」、「後世にツケを残すな」、「透明性の確保」、「グローバル化」などといったデフレ対策として何の役にも立たないばかりか極めて有害なスローガンを巧みに撒き散らしているだけなのだが、ワイドショーとか新聞記事にコロッと騙される不勉強な国民から強い支持を得ており、そのことが、この10年の間に社会体制や構造に大きな変化をもたらしたと言っても過言ではない。それは、自民党から民主党への政権交代といったちっぽけなものではなく、国全体あるいは国民の基本精神や思考経路、行動様式など社会運営の根幹に関わる基点が、戦後数十年間に亘り積み上げられてきたものとは全く異質なものに変ってしまったと言ってもよい。

 だが、その“変化”は、国民生活の向上に有益であったとは言い難い。変化がもたらしたのは、世界に先駆けたデフレ経済とそれに破壊されたみじめな社会基盤、数十万人にも及ぶ自殺者や数百万人にもなる失業者のみである。その情けない経済パフォーマンスは、どれだけ贔屓目に見ても、彼らとそれを支持する多くの国民が散々こき下ろしてきた公共事業頼みの土建国家の時代に数段劣るものだ。

 にもかかわらず、彼らは決して自らの過ちを認めようとはしない。不況の原因を構造改革やグローバリズムの不徹底に押し付け、財政支出の拡大を絶対悪と決め付けるなど、己の失敗から目を逸らし、適切な問題解決から逃げ続けている。

 彼らは時代の変化を認めようとしない化石時代の絶滅種と同じ存在だ。自らの思想や観念を妄信するあまり、冷静に世の中の変化を分析する能力がない。

 財政支出だけは絶対にしたくないという幼稚な理由のせいで、需要不足による長期デフレや高止まりする失業率、雇用や収入の不安定感、内需縮小による外需頼みの経済運営、馬鹿の一つ覚えのような金融緩和頼みの経済対策、新興諸国への雇用や所得移転など先進諸国に共通する真の病根を治療する有効な術がない。打てば効果のある薬が目の前にあるのに、自分が信奉する学説を曲げたくないがためにそれを手に取ろうとせず、患者の病状は悪化する一方だ。

 “変化に背を向けるな”という言葉は、彼らにこそ投げ掛けられるべきものだろう。

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30