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2011年11月

2011年11月23日 (水)

悪政は政治によって生み出され国民によって育てられる

 先ごろ公安調査庁が、オウム真理教(現アレフ)の信者が1,000人を超えたと発表した。
 「アレフはインターネットの交流サイトや大学で団体名を隠して近づき、ヨガ教室に誘うなどの手口で勧誘。 多く入信させた信者に特別な修行を許す優待制度を設けるなど拡大に力を入れており、 参加者が300人を超えたセミナーもあった。(時事通信)」とのことで、世間を震撼させたオウム真理教のような危険な宗教団体に入信しようとする人間がいることに多くの人が疑念を抱いたと思う。だが、善し悪しは別として、オウム真理教の信者が増えたこと自体に驚くことはない。
 あくまで公称値のため実際の信者数は半分以下だと思うが、2009年のデータ(週刊ダイヤモンド)では、「幸福の科学」が約1,100万人、「創価学会」が約820万人の信者を抱えていると言われている。これらは、世間を騒がすような刑事事件こそ起こしていないものの、いずれも怪しさではオウム真理教に引けを取らない。こうしたインチキ宗教団体に(恐らく)100万人以上の人間が入信していることを考えると、オウム真理教の信者が1,000人を超えても不思議ではない。
 この手の怪しげな宗教団体は、弱い立場にいる人や精神的に追い詰められた人に近づき、“宗教という建て前”を巧みに利用して税制度から逃れ、ネズミ講のように信者から集金する(+教祖の名誉欲を満たす)システムはインチキ宗教団体に共通する、というより、それをしたいがために“宗教という看板”を利用する。
 だが、筆者が、オウム真理教の入信者増加を不思議でないと思う理由はこれだけではない。
 多くのマスコミによって、インチキ宗教より更にタチの悪い思想に洗脳された、あるいは、されつつある国民が数多くいる現状を冷静に眺めてみれば、インチキ新興宗教を信じ込むアホが1,000人くらい居ても、何も不思議なことではないだろう。
 
 では、このタチの悪い思想が何かと言えば、それは、構造改革や行政改革などの一連の改革思想とそれに連なる緊縮財政、規制緩和、事業仕分け、TPP、増税、社会保障制度改革、労働規制緩和などといった愚策とその旗を振ってきた構造改革や新自由主義などの幼稚な思想のことを指す。
 こういった愚策のスタートラインと言えば、橋本内閣が行政改革や消費税増税を断行した1997年なのだろうが、当時、名目GDPが513兆円、国民可処分所得が420兆円あったのが、2009年には名目GDPが474兆円、国民可処分所得が370兆円にまで激減してしまったという惨憺たる結果に終わった。
 常識的な経済運営さえしていれば増えて当たり前の2つの指標をここまで悪化させてきたのだから、国民もいい加減に目を覚ますのかと思いきや、太平洋戦争時の軍部のように自らの失敗を認めようとしない構造改革主義者(自民党や民主党の執行部や自称改革派の連中、経団連や経済同友会、一部の官僚、マスコミなど)に踊らされ、長引く不況の原因は、既得権益にしがみつき改革が足りないからという教義を頑なに信じ込まされたままだ。
 その結果、デフレ不況下での消費税増税や復興増税、TPP参加などという正気の沙汰とは思えない政策に過半数の国民が賛意を唱える一方で、大震災の復興予算の大規模な支出には慎重な意見が大勢を占めてしまうという異常な事態を招いている。また、地方政治においても、公務員叩きと支出の引き締めにしか興味のない河村・橋下レベルのいかがわしい政治家が実力以上の人気を博すという情けない事態になっている。
 国民が心酔する構造改革教や新自由主義の教義はいたってシンプルで、
 ①生産性の低い(あくまで彼ら基準で)層を既得権益者として排除する
 ②国家や行政の役割を極力矮小化させ強者が勝利しやすい環境を作る
 ③イノベーションを過剰なまでに賛美する といった辺りに集約される。
 まさに世間知らずのファンタジーな教義で、こんなものが実際に行われると、殆どの国民がノアの箱舟から溢れてしまうだろうが、馬鹿げた教義であっても、それが社会的立場の強い人間の口から連日のように唱えられると、多くの国民は意外にあっさりと洗脳されてしまうから恐ろしい。
 大抵の国民は、マスコミが垂れ流す政府の政策やニュースをよくよく吟味するスキルも気持ちも持ち合わせていない。せいぜい自分の身の回りで起こった事象を基準にして、政策やニュースの判断基準にするのが関の山だろう。
 だからこそ、「景気対策をしっかりやるべきだ」なんて言った同じ口から「公共事業はけしからん」といった矛盾するセリフが平気で吐き出される。自分の知っている土建屋の親父はバブルの頃に外車を乗り回していたとか住民票を取りに行った際の市役所の職員の対応が気に食わなかったとかいった類の卑近な事例を基準にして世の中を論じようとするから、マスコミが垂れ流す誤った教義に引っ掛かってしまう。
 これから大きな論争を呼ぶであろうTPPや復興増税(消費税増税)などといった問題が、少なくとも自分の生活にとってプラスの影響をもたらすのか否か冷静に判断すべきである。
 
 国民や大衆に擦り寄り迎合しようとする政策はポピュリズムと呼ばれ非難されるが、自民党末期(小泉アホ政権以降)やいまの民主党政権には、そのポピュリズムすら行おうとする気がないことを理解しておいた方が良い。選挙前になると、各政党が人気取りのために国民受けの良い政策ばかり連呼する云々といった非難がましい論評がマスコミ紙上を賑わすが、いまの指導者層(日本に限らず諸外国も同様に)には、国民の人気取りのための政策をしようとする気持ちなどさらさらないことに気付くべきだろう。
 彼らは、国民に厳しい政策(増税や社会保障の削減など)を敢えて示して、激しい非難を受けながらも断行する自分に酔いたいだけなのだ。自陣の議席を確保するために自説を曲げて妥協するというバランス感覚よりも、信念に殉じるヒロイズムを優先するような手に負えないバカ者揃いなのだが、厄介なのは、その信念とやらが、大抵、国益とは正反対の結果をもたらすものであることと現在の政権党と野党第1党の執行部との経済思想の親和性が強いために、この愚かな信念にブレーキを掛けられる者がいないことにある。

 日本の政治はかくも危うい状況下にあるが、マスコミの論調を唯々諾々と受け入れるばかりで、自分の頭で物事を考えようとしない国民は、それを放置し、あるいは後押ししようとすらしている。
 
 冒頭のオウム信者を笑う資格のある国民は、一体どれくらいいるのだろうか。

2011年11月 8日 (火)

クオリティーペーパーを自称する回覧板

 連日のようにTPP問題がTVや新聞を賑わせている。今日(11/8)付けの日経新聞朝刊の一面に、論説委員長名で「国を開かないでどうする」と銘打ち、いかにも日経らしいTPPを賛美する提灯記事が載っていた。
 以下、記事の概要を紹介し、その幼稚な論調を糺したい。

(記事)
「(TPP)賛成派は、自由貿易で製造業の競争力低下を防ぎ、成長するアジアを日本経済に取り込もうと経済の論理で主張する。対する反対派にあるのは、農業、医療などの個別利益と、日本の伝統や制度を守ろうという保守の思想だ。」
 
 まず、日経の定義する“自由貿易”とは何か。日経や彼らが賛美する連中(経団連とか経済同友会あたりの世間知らずな経営者)にとっての自由貿易とは、雇用や所得、製造拠点、技術などを人件費が安くて規制が杜撰な発展途上国に好き勝手に移転させることを指す。そして、こういったバカげた思想を背景に、製造業はおろか国内の幅広い産業が、その競争力を削り取られてきた。
 彼らは、雇用の創出や労働分配を通じた実体経済の発展には殆ど貢献していないくせに、円高や法人税、国内の人件費や労働規制などに文句をつけては、製造拠点の海外移転を進めて国内産業を空洞化させてきた。このように、社会基盤崩壊の主犯格とも言える彼らに、更なる自由貿易の推進にフリーハンドを与えてしまえば、国内の競争力は低下どころか崩壊してしまうだろう。
 もっとも、TPP自体が、一定地域内の経済をブロック化するものである以上、自由貿易とか開国なんて言う概念とは、そもそも相容れないものである。
 また、“成長するアジア(多分、中国とかインドのこと)”は、今回のTPP参加予定国に一国も含まれていない。
 前回の記事でも指摘したように、アジアに成長をもたらしてきたのは、先進国からの所得や雇用の移転の結果であり、アジア諸国内の自律的な発展の結果とは言い難い。
 この先、仮にTPPが推進されると、日本やアメリカ国内では、更なる競合激化や法制度変更に伴う様々なコストの発生、それに対処するためのコストカットが起き、デフレは更に悪化するだろう。そうなれば、人件費の安さのみを売り物にした製造センターたるアジア諸国にとって、経済発展の主体である外需が縮小することになり、成長にブレーキが掛かることは必定だ。
 更に、“農業、医療などの個別利益”の部分は、意図的に、農業や医療を既得権益にしがみつく抵抗勢力として蔑視する書き方をしているが、TPPの交渉分野が20以上の広範囲に及ぶものである以上、その悪影響は国内の広範な産業に及ぶものと想定され、むしろ「個別利益」にしがみつこうとしているのは製造業の方だ。

(記事)
「国会議員は「全国民を代表する」存在だ。もちろん個別利益である部分最適の主張が否定されるものではない。ただ、最後は全体最適である」
 
 繰り返すが、TPP問題でダダをこねて部分最適の主張を撒き散らしているのは“製造業”であり、全体最適が重要というのなら、国内産業全体の発展という観点から態度を改めるべきは製造業であることは疑いない。

(記事)
「もうひとつは歴史に学ぶということだ。モデルは幕末である。開国か攘夷かで、国内は真っ二つに割れた。それを乗り越え、明治国家をつくり上げた先人の苦労は、いまいちど思い起こしていい。」
 
 こんなものは、日本で社会的に高い地位にある層がいつもやらかす困った時の幕末ネタや維新ネタの乱発に過ぎない。
 歴史に学べというが、江戸幕府がハリスに恐喝されて無理やり締結させられた不平等条約(日米和親条約や日米修好通商条約)を改正するために、当時の明治政府が大変な苦労を背負ったことを忘れていないか。TPPこそ対アメリカ不平等条約の再締結につながりかねない危険な存在であることは周知のとおり(米韓FTAが良い見本)で、そんな悪条約の締結に前のめりになっておいて、それこそ明治の先人たちに恥ずかしくないのだろうか。
 どうせ歴史に学ぶのなら、明治政府成立時の政府紙幣発行や高橋是清が世界恐慌からの脱却の際に採ったリフレーション政策など、自己の妄想や夢物語ではなく、現実に即した政策を果敢に実行した行動力こそ学ぶべきだろう。

(記事)
「(日本は)デフレから抜け出せず、2010年度の名目GDPは1991年度並みの水準だ。国が縮んでいくかのようだ。伸びるアジアを引き寄せないで、日本はどうやって経済成長を実現していくのか。安全保障上もTPPが大国化する中国へのけん制になるのはたしかだ。」

 自分達で、さんざん日本の経済成長を邪魔する政策(構造改革や新自由主義的な政策)をゴリ押ししておきながらよく言えたものだ。
 財政支出に反対し、無駄の排除を叫び、国内の人件費が高過ぎると言って賃金水準を低下させ雇用も流動化させる、雇用や技術、所得は好きなだけ海外に移転させる、こんなバカげた事態を放置しておいて名目GDPが伸びるはずがない。ガソリンを入れずブレーキを踏んだままで車を前進させようというのだから恐れ入る。
 伸びるアジア云々については、前述のとおり単なる妄想に過ぎない。また、中国に対するけん制と言ったのと同じ口から、アジア(=中国)の内需を取り込むなんて言うのは自己矛盾も甚だしい。
 
 長引くデフレの脱却や東日本大震災からの復興を目指す日本にとって、TPPによってもたらされる余計な競争や法制度の変更などに伴う手間やコストを負担しているような悠長な状況にはない。日本はまさに重病人であり、TPP参加によって強制されるマラソンに参加できるような状態ではないし、参加する必要はない。
 TPPに反対する立場から、食の安全が心配だという意見が聞かれるが、懸念すべきはむしろ“職の安全”をどう守るかということだろう。
 一刻も早くデフレを脱却して、それこそ名目GDPを成長させていくためには、いたずらに人口減少や内需の縮小を嘆くばかりではなく、それらを克服するための現実的な政策はどうあるべきかを考え実行に移すべきだ。
 悲観論を撒き散らして、国内はもう駄目だ、成長しない、国を開け、なんて短絡的かつ煽情的な主張をする新聞がクオリティーペーパーを自称し、毎朝、世のサラリーマンを洗脳しているかと思うと嘆かわしい限りだ。

2011年11月 1日 (火)

無駄を否定することこそが最も無駄なこと

 TVや新聞では、TPP参加への賛否に関する議論が連日のように大挙して報道されている。
 元々TPP参加論者の多くは構造改革や新自由主義者との親和性が高く、その系譜につながるマスコミの多くも議論の当初は賛成の論陣を張っていたが、世の中的にTPPへの反対論が高まりを見せ、TPPの影響が農業のみならず自分たちの業界にも及ぶ可能性があると判断したのか、地方紙や一部のTVで反対論へ旗色を変える動きが見受けられる。そのため、紙面にTPP反対の論者を多く登場させるなど、従来の構造改革騒動や復興増税などとは異なり、TPP賛成論一色の報道とまではなっていないようだ。TPP推進の総本山ともいえる日経新聞の世論調査でさえ賛成の割合は45%と半分に満たない。一方で、1次産業の割合が高い地方紙では反対の論説を掲げる記事が多いようだが、相変わらずTPP問題を製造業VS農業という単純な図式に落とし込もうとするレベルの低さはいただけない。
 マスコミをはじめ、TPP問題は難しくてよく判らないと逃げ腰になっている国民の多くは、TPPで最も大きな被害を蒙るのは、今や日本の主要産業とも言えるサービス業であるということを理解しなければならない。生活レベルが下がるか、最悪の場合、職を失う事態になることを覚悟の上でTPPへの賛否を論ずべきということだ。
 日本企業にとって、TPPへの参加は、必然的に加盟国との間、特にアメリカや東南アジアの参加国との間での競争の激化や参加に伴う法制度変更への対応、訴訟リスクの増加などを余儀なくされ、雇用者にとっても生活レベルの低い他国の労働者との競合に晒される。その結果、賃金や雇用条件の切り下げを覚悟せねばならない。
 一方で、賛成論者からは、海外から安くていいものを手に入れることができるとか、日本の農産品を輸出するチャンスが拡大するとかいった類のおとぎ話が吹き込まれる。海外から輸入される安モノなどとっくの昔から溢れるほど入ってきており、いまさら物珍しがるほどのものではない。こんなことが判らないなんて、外に買い物に行ったことがないのだろうか。
 また、日本の農産品の輸出についても、そもそも外国人に高く売ることを誇るかのような時代錯誤な考えを正すべきだ。農業者にとって、自分が作った農産物の付加価値を国民が認めて買ってくれればいいだけの話で、なにも余計なコストを掛けてまで外国へ優先的に売りに行く必要はない。
 国内のデフレを放置することを前提とした日本衰退論を起点に物事を考えるから、このような外需礼賛型の幼稚な議論になってしまう。速やかに財政政策と金融政策とのパッケージ政策を大規模かつ長期間にわたり実施して、国内の実体経済に資金を供給し国民所得を向上させればよいだけの話だ。
 国内の企業や雇用者は、長引く不況による売上や収益の低迷、需要不足下での過当競争に悩まされ続けており体力的にもフラフラの状態だ。いま必要なのは、休息(競争の緩和、カルテルの容認など)と栄養補給(売上増、所得増)なのは明らかなのに、TPPへの参加により、さらなる競争の激化がもたらされるのは確実だ。すぐにでも休みたい時に余計な仕事や運動を強いられて体力が回復するはずがない。この大変な時にTPPとか復興増税なんていう厄介事を持ち込もうとするバカ者の神経は計り知れない。
 だが、このような馬鹿げた話が国民から多数の支持を得ているのも事実である。復興増税にしろ、TPPにしろ、世論調査の賛否が拮抗するということは少なくとも半数近い(現実にはもっと多い)国民が馬鹿話を是としているということになる。増税やTPPなど、およそ自分の生活レベルの向上を邪魔するような政策が、スッと認められてしまうのは、多くの国民が自分の能力をはじめ日本全体の能力や将来性に絶望感をインプットされていることに起因している。
 いかがわしい自己啓発セミナーでよくやるように、周囲の参加者から徹底的に自分の無能さを責められたうえに人格否定されるような言葉を浴びせられて、すっかり自信をなくしてしまい、その後に囁かれる甘い言葉や怪しい教義にすっかり洗脳されるのと同じことが、バブル崩壊以降の日本で政界やマスコミ、経済界などから国民に向けて行われてきた。
 日本の借金は世界最悪、公共工事は悪、日本の商慣行は閉鎖的、行政機構は無駄が多すぎる、日本企業にはイノベーションがない、年功序列では良い人材が育たない、労働市場を自由化しないから若者が仕事にあぶれる等々、数え切れないほどの自己否定が喧伝され、すっかり自信を失くした日本人に向かって、構造改革だの、自由競争だの、市場に委ねろなどといった誤った教義が吹き込まれてきた。
 彼らが強調するのは、無駄の排除と競争の奨励であるが、競争を美化するばかりで競争の勝者に対する報奨の源泉となるはずの需要拡大策(=財政支出)については、無駄の排除の観点から一切関知しない。このため、プレーヤーは十分な報奨を得ることなく常に厳しい競争に晒され続けるしかない。その挙句に最後は力尽きて退場を余儀なくされる。全くくだらないことではないか。
 こんな馬鹿げた状況を打開するのは、無駄の存在を容認するしかない。そうしない限り勝者なき不毛な争いは永遠に続くことになる。
 “無駄”の取扱いは難しい。それは、一見社会にとって非効率な存在に思えるが、実際には多くの人にとって所得の源泉になっていたり、業界や雇用者の生活を守る障壁の役目を果たしている。
 日本は、ピークより減少したとはいえH23/9時点で約5,400万人もの雇用者数(統計局HPより)を抱えている。さらに、構造改革論者から、約1,300万人ともいわれる主婦層の労働力を活用せよなどといった威勢のいい提言もある。青臭い構造改革論者のように、無駄を排除せよなんて真顔で言っていたら、これらの膨大な労働力に見合うだけの雇用の場や仕事を提供することなどできず、山のような失業者を生んでしまう。無駄が云々などと役にも立たないことを言う前に、とてつもなく膨大な労働力が国内に存在していることに思いを馳せなければならない。
 冷静に考えれば、筆者を含め、一体何人の雇用者が自分は無駄な存在ではないと言い切れるだろうか。勤務先は他の会社で代替できないほどオンリーワンな存在なのか、自分のスキルは他者に代えがたいほどレベルの高いものなのか、胸に手を当てて考えてみると答えは自ずと出てくる。無駄のない世の中など現実にはあり得ないし、むしろ無駄が存在する状態こそが通常であり、その中で無駄を極限まで排除したような企業が一部存在するからこそ周囲の尊敬を集めるのだろう。世の中の企業や雇用者の殆どは少なからず無駄な部分を持った存在であり、それでよいのだ。その無駄同士のやり取りの中からビジネスや需要が生じ、それが雇用を生み、実体経済を上手く回転させることにつながっている。
 無駄を極限まで排除するのは、自らの存在を否定するのと同じこと。そんな無謀な賭けに国民を巻き込むのはやめてもらいたい。

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