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2011年12月

2011年12月30日 (金)

『言葉』への逃避

 先ごろ、日本漢字能力検定協会から発表された今年の漢字は「絆」であった。
 早速、TVや新聞、雑誌などマスコミ各社は、東日本大震災をはじめとする大規模災害が相次いだことを受け、改めて家族や仲間とのつながりや絆の大切さを知ったことによるものと報じている。こういった安易な報道がタレ流されたせいか、街角のインタビューや新聞の投稿記事なんかで、やたらと絆とかつながりを連発するバカが多くて気持ちが悪くなる。
 また、以前から、大震災をきっかけに家族や親しい人との絆を重視する人が増えたといった類のいい加減な論説や調査が雑誌やシンクタンクなどから発表されている。大震災をきっかけに結婚が増えた(震災婚)とか、逆に離婚が増えたという根拠に乏しい妄想や住まいに対する意識が変化し親族との近居を望む人が増えたとか、家族との絆を深めるために内食が増えたなんていうのが、それであるが、なんのことはない、不況で収入が減り外食できなくなっただけのことだろう。
 家族との絆が云々など、不幸にして被災した人々が言うなら理解できるが、以前と変わらぬ生活を満喫しながら、マスコミに乗せられて原発事故の風評被害を撒き散らしているような外野の人間が軽々しく口にすべき言葉ではない。
 街のあちこちで「がんばろう東北、がんばろう日本」と書かれたポスターを目にするが、現実には被災者への金銭的な生活支援や被災地の復興支援という最重要課題は、財源問題がネックになり殆ど放置状態にあると言っても過言ではない。多くの被災者、それも同じ日本人が生活や生命の危機に瀕しているのに、たかだかカネの問題を解決しようともせず被災者を9カ月以上もほったらかしにしている。
 そればかりか、マスコミや政府、多くの国民は、興味の矛先を原発事故の問題にすり替えて毎日のように放射能をネタに馬鹿騒ぎを繰り返している。そこでは、東北を一派ひとからげにして放射能汚染されているかのように扱う一方で、たびたび高レベルの放射線量が測定される杉並や世田谷は何故か正常扱いされている。
 それにしても、閑そうな主婦が、放射能測定器を手にして自警団気取りで町内の放射線量を計り廻る姿は異常である。彼女らは、子供への影響が心配だと深刻そうな顔付けでインタビューに応えているが、便利な東京から決して離れようとはしない。自分達の軽はずみな行動が、被災地に重大な風評被害をもたらすことが理解できないでいる。
 今回の震災や原発問題で水を得た魚のように生き生きとしているマスコミや反原発学者、反原発活動家と同じような原発ゴロや震災ゴロと言って差し支えない。

 マスコミも、年末の特番で大震災で起こった津波の映像(同じものばかり)を垂れ流し、ことさら原発事故の脅威を煽りたて、最後はお決まりのように被災者が頑張ろうとする姿を強調して番組を〆ようとするが、いかにも部外者目線のプロダクトアウト型の番組作りでは被災者のリアルな苦しみを視聴者が理解することはないだろう。
 政府やマスコミ、多くの国民は、問題の核心から外れたところをブンブンと蠅のように飛び廻っているだけで、本当は大したことのない放射能に怯えるふりをして被災者や被災地への金銭的・財政的な支援という本丸から目を逸らそうとしている。彼らは、TVや新聞に紹介される被災者や被災地での補償のない努力を美談に仕立て上げて、遠回しに被災者に自立を強要しているだけなのだ。

 被災者が受けた深刻な不幸をリアルに理解しようとせず、きれいな言葉を並び立ててその場を取り繕っても、被災者の腹は決して満たされることはない。自己満足のために発せられた言葉は、見た目は美しいフレーズであっても中身が伴わず軽々しいものだ。
 支援したつもりのキャッチフレーズやお決まりの“心のケア”とかいった自己満足気味の支援ではなく、真に被災者や被災地が生活を再建できるだけの十分な資金をすぐに支援すべきだ。国債を少々多めに発行すれば済む話で何も難しいものではない。

 絆とかつながりとか言ったフレーズを、被災地への財政支援からの逃避を助ける免罪符にしてはならない。
 

2011年12月20日 (火)

不退転の決意で壮大な社会実験に挑戦を

 東日本大震災から9カ月が経過したが、依然として被災地や被災者はほったらかしにされたままだ。
 政府は、財源問題を言い訳にして復興対策から逃げ回っていたかと思えば、肝心の野田総理や前原政調会長(二人とも気持ちの悪い“松下政経塾”出身者)が「不退転の決意」で取り組もうとしているのは消費税増税やTPPなどといった復興を否定するような逆噴射政策ばかりだ。
 ただ、消費税増税やTPP参加のように景気や復興に悪影響を及ぼす政策に、あえて政治生命を掛けたがる(構造改革も大好き!)幼稚な政治家が増えているのも事実だ。
 この手合いは、ポピュリズムに流されやすく大局的な判断ができない割に、自分の能力を過大評価している。国民におもねることなく、あえて国民生活に不利益になるような政策を断行しようとする自分の姿に陶酔し、くだらないヒロイズムに浸り切っているだけの小人物にすぎない。

 だが、復興に背を向けているのは、こういった生っちょろい政治家ばかりではない。
 マスコミや有識者、そして国民の多くも、所詮は他人事と思っているのか、毎日のように原発問題や東電叩きにかまけてばかりで、被災者への生活支援や被災地の復興に対する前向きな意見が殆ど聞こえてこない。独りよがりな詩や手芸品などを作って被災地に送ったり、売れない歌手やスポーツ選手が被災地を訪問して握手する程度のことを“生活支援”とは呼べない。
 生活を支援するということは、自然災害という人間の力ではコントロール不能な事象により不幸にして被災した人々に対して、失った財産を補償し、雇用を確保して生活の糧を得ることができるような施策を打つことである。現状のように民間事業者に雇用する力がなければ、国家が代わりに公務員として雇用の場を確保するくらいの度量が求められる。
 バカなマスコミのように、被災者の周りをハエみたいに飛び廻るだけでは、多くの被災者は救われない。天気予報で被災地の予報を垂れ流すことが最大の被災者支援になってしまっている情けない現実に、多くの国民は早く気付くべきだ。

 野田・前原コンビだけでなく、政治家やマスコミ、識者の中には、自分は後方の安全圏にドンと居座り、指導者気取りで国家の進むべき方向を勝手に指し示して、不安がる国民や嫌がる者を前線に急き立てようとする卑怯者が後を絶たないが、なまじ彼らの社会的な地位が高いから始末に悪い。
 彼らは強い発言力を持ち、発言の機会も多い。また、国民の多くは自分で考える能力も気持ちもないものだから、彼らの意見が例え間違った内容であっても、繰り返し聞かされてしまえば意外にすんなりと世間に浸透してしまう。マスコミ各社の世論調査で、どう見ても今の生活に悪影響しか与えない消費税増税やTPPに賛成する者の割合が4~5割もいるのが何よりの証拠だろう。

 そこで、こういった口先ばかりの卑怯者に世論へのタダ乗りを許さないために、ひとつの社会実験の実施を提案したい。
 それは、この手の卑怯者(=構造改革主義者)が国民に強制しようとする数々の政策を限定されたエリア内で実験してみてはいかがか、というものだ。つまり、●●特区のようなエリアを設けて、そこでバカげた社会実験を試行してみればよいではないか。
 エリアの選定基準は、次の3つである。
①経済力があること
②自治体の首長の同意があること
③企業や各種団体の同意があること
 だとすれば、日本中を探しても該当するのは、首都圏、中京圏、大阪圏の3エリアしかない。3エリアの名目GDPはH20年度でおよそ232兆円と全国の46%余りに達し、公共事業削減や公務員イジメが大好きな改革派気取りの首長がおり、口を開けばグローバル化や規制緩和・財政削減しか言えない経済団体を抱える3エリアこそ、この壮大な社会実験をする場所に相応しいだろう。
 社会実験の期間は5~6年程度を想定し、域内において次のような制度を試行する。
・消費税の税率を25%とする。
・社会保障費を一律10%削減する。
・医療費の負担割合を現状の2倍に引き上げる。
・公共事業費を20%削減する。
・公教育に掛かる費用の30%を住民の負担とする。
・雇用者に対する解雇条件を大幅に緩和する。
・救急搬送を有料化する。
・海外からの移民や労働者の受け入れ条件を大幅に緩和する。
・新聞の特殊指定の禁止
 また、他の地域においても、改革者を自称する者に対して特区への参加を受け入れる。
 参加を希望する者に対して、「改革推進支援者カード」というIDカードを交付する。カード保持者は、物品を購入する際などにそれを提示すれば、店頭で高い消費税率が適用されるというものだ。カードの利用実績に応じて、固定資産税や相続税を一部減税してやってもよい。
 日頃から、改革が足りないとか、地方は国に甘えるなとか勇ましいことを言っている連中のことだから、まさかこの社会実験を拒否するようなことはあるまい。
 グローバル化に備えた構造改革とはかくあるべしとの気概を持って、是非、前向きに取り組んでもらいたい。

2011年12月 1日 (木)

地図が読めない人、読もうとせずに諦める人

 長きにわたり日本を覆い尽くしてきた閉塞感はどこから来るのか?
 その答えは「デフレ」による不況であることは論を俟たない。

 では、そのデフレをもたらした原因は何か?
 これについては、数年にも及ぶ不毛な議論を重ねた末に、ようやく「需要の不足」にあるという結論が共有されてきた。実体経済の動きを冷静に見つめれば、無駄な神学論争を重ねるまでもなく、当たり前に行きつきそうな結論なのだが、それが世間に認知されるようになったのは最近のことだ。
 そもそも、これまでは、日本がデフレに陥っていることすらなかなか認めようとしない連中(政府だけでなく学者やマスコミも)が多く、日本政府が公式にデフレ不況に陥ったことを認めたのが2009年11月というのだから呆れるほかない。(2001年3月にもデフレ宣言しているが、“穏やかなデフレ”という表現で危機感が感じられないし、その後目立ったデフレ対策も行われていない)
 政府が、しぶしぶデフレに陥っていることを認めたかと思えば、今度はそこから脱却しようという真っ当な議論ではなく、デフレの原因に関する的外れな推理が横行し、肝心の景気対策はすっかり放置されてきた。
 デフレの原因に関する怪しい論説はいろいろとあったが、代表的なものとして、日本の産業の生産性や技術競争力の低下、既得権益にしがみつく業界の規制緩和不足、グローバル化への対応遅延、労働市場の規制緩和不足、国債問題、海外からの低価格品の輸入増加などが挙げられる。
 中には、「日本はデフレではない」などとのたまう微笑ましい学者(知的レベルが疑われる)もいたが、2011年3月2日に衆議院財務金融委員会に出席した白川日銀総裁から、「日本のデフレの原因は基本的に需要不足にある」との見解が発表された。なにせ、財務省と並び、デフレ対策を拒否してきた双璧とも言える日銀総裁の口から、白旗が挙げられたのだから“デフレの原因は需要不足にある”ということで決着がついたと言えよう。

 この「需要不足」を生み出しているのが「デフレギャップ(潜在供給力と実需との差異、供給力を下回る需要)」の存在である。
 デフレギャップの大きさには諸説あり、20-50兆円と大きな開きがあるものの、少なくとも20兆円以上あるというのが一般的な理解だろう。
 デフレからの脱却を目指すのならば、最低限このデフレギャップをゼロにする必要があるが、そもそもデフレギャップの意味を理解してない論者も多い。
 デフレギャップは潜在GDPと現実のGDPとの差異(GDPギャップ)でもあるから、デフレギャップが20兆円あるという場合の“20兆円”は、あくまで付加価値額ベースであり売上高とは異なるだろう。例えば、日本国内の全産業の付加価値額の売上高に占める割合は16-17%程度と言われており、ここから逆算すると、20兆円のデフレギャップを解消するためには、あくまで単純計算だが、売上高ベースに換算してざっと120兆円もの巨額になると思われる。
 バカの一つ覚えのように規制緩和で内需拡大を訴える連中は、医療や介護、農業分野の規制を緩和すれば新たな需要が生まれるなどといい加減なことを言うが、これらの産業の成長を阻害しているどんな規制をどの程度緩和すれば、この莫大なデフレギャップを解消できるというのだろうか。

 デフレ脱却の方法を巡っては諸説飛び交う状態にあり、これが有効な対策の実行を遅らせている。デフレ脱却の方法またはデフレへの対処を巡っては、おおまかに次の三つのカテゴリーに集約される。

 一つ目は、日本が陥ったデフレの原因を競争力低下によるものとし、供給力の強化や生産性の向上が重要とする考え方で、既得権益にしがみつくゾンビ企業の殲滅にも熱心なあまり失業率のUPに対する貢献には多大なものがある。
 政府や与野党の執行部層、官僚、経団連などの中堅規模以上の企業団体、エコノミスト、マスコミなど社会的地位や影響力の高い層に支持され、ここ10~15年にわたり主流な位置を占めており、これは日本だけでなく他の先進諸国も同様である。(だからこそ欧米諸国が雁首揃えて「日本病」に罹っているのだが…)
こういう考え方をする者は、戦後のモノのない時代から高度成長期に至る辺りで思考が止まっている。旺盛な需要に技術の進歩が追い付けなかった時代の遺物と言える。
 いつもアップルとかサムソン(最近ノキアの名前が出てこないが…)を引き合いに出し、魅力的な商品開発やグローバル化への対応を訴えるが、需要が縮小し続ける最悪の経済状態を無視した夢物語に過ぎない。
 供給が新たな需要を生み出せたのはモノのない前時代までのことで、生産力が飛躍的に向上して魅力的な商品が溢れ返る現代には通用しない。これからの経済対策は、高度化する供給サイドに見合う需要を財政・金融政策を通じてスピーディーに創出することが重要であり、時代遅れの思考に凝り固まったままでは対応できない。

 二つ目は、経済成長そのものを諦めて身の丈に合った生活をしようというデフレ容認論的な考え方である。
 こういった考えは、もともと政治や経済に関心がない、あるいは縮小する経済環境への対処法が判らない層、反原発や環境問題などに熱心な層(+ブータンに憧れる世捨て人)などに受け容れられている。彼らは、マスコミが垂れ流すいい加減な情報に流されやすく日本の将来を悲観して右肩上がりの成長を諦めている風を装いつつも、文明生活への中途半端な執着心を捨て切れないでいる。
 この手の怠け者は、経済成長が止まってしまえば、合わせるべき“身の丈”が年を追うごとに小さくなってしまうことに気付かないから困る。現状の生活基盤や社会基盤が経済成長によってもたらされているという当たり前の事実に目を向けるべきだろう。

 そして三つ目は、デフレの要因である需要不足を解消するために財政政策や金融政策を実行して需要を拡大させ、長期的に供給力の維持向上を図ろうとする考え方である。
 最近でこそネットを中心に支持を集めつつあるが、未だ少数派で、公共事業悪玉論や日本の財政危機説が蔓延している現状では、端から無視されるか非国民扱いされるのが関の山だろう。
 しかし、現状ではどれだけ異端視されていても、先に述べたようにデフレの原因は需要不足にあるという認識は共有されているのだから、病根を絶つための適切な対策を検討して行けば、イヤでもここ(財政政策+金融政策のパッケージ)を避けては通れない。
 日本のように供給力や生産力が高度に発達し、国内における資金調達力も十二分に備わっている国であれば、適切なデフレ対策に対する答えは極めてシンプルだ。
 目的地までの地図はあるのだから、それに沿って進めばよいだけの話である。つまり、デフレ脱却という目的に辿りつくには、供給力に見合った需要を創り出すべく十分な量の資金を実体経済に広範囲に放出するという当たり前の対策を実行すればよい。
 公共事業は無駄を生むとか政官業の癒着が心配とかいった類のレベルの低い些末事を気にしていては、国の進路を誤りかねない。

 バブル崩壊以降の日本では、1997年の橋本政権による消費税増税や2001年以降の小泉アホ政権による構造改革や新自由主義の横行という需要抑制政策を長期的かつ強権的に実行してきたが、この間、経済指標は何一つ好転していないばかりか悪化の一途を辿っている。この14-15年にも及ぶバカげた社会実験は、マスコミに煽られた国民から熱狂的な支持を得てきたが、雇用や収入など生活基盤の崩壊や生産拠点や技術の海外流出による国力の低下を招いただけの結果に終わった。
 愚かな選択に対する代償は余りにも大きく、とりわけロストジェネレーション世代以降の若者層は大きな負担を背負い込まされているが、日本の将来を支える大切な世代を決して見放してはならない。
 そのためには、こういう逆境の中で、ますますデフレを深刻化させる誤った教義や無謀な精神論が跋扈するのを見逃す訳にはいかない。
 成長を諦めて試合を放棄するような無責任な世捨て人が国民の大半を占めるようになったら日本も終わりである。

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