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2012年1月

2012年1月31日 (火)

国民を道連れにしようとする殉教徒たち

 先週始まった通常国会では、消費税増税に関する審議が大きなポイントと言われている。
 だが、テレビや新聞各社、雑誌などメディアの大勢は、増税やむなしの論調でまとまっているうえに、野党第1党たる自民党まで増税容認と取られても仕方ないようなグズグズした態度であり、以外にあっさりと増税法案が通ってしまうのではないか。
 なにせ、きちんと増税に反対しているのが国民新党と共産党くらいといった体たらくだし、民主党内の反主流派(小沢一派)も党を割るとか口先ばかりで、どうせ最後は尻尾をまいて逃げ出すのがオチだろう。
 経済状態が低迷し、家計にも企業にも担税能力が乏しい時に、あえて増税という選択に踏み切ろうとする神経は、筆者には到底理解できない。栄養失調の兵士を戦場に駆り立てるようなもので負け戦になるのは目に見えている。

 消費税増税に賛成するのは、財務省を頂点に与野党の政治家を始め官僚や財界、マスコミ、識者層、経済団体ほかいろいろといるが、以外と高齢者やサラリーマン層に指示者が多いし、増税分は社会保障の財源にしますと言えば、年金や医療費が気になる年寄りもコロリと参ってしまう。
 特に、多くのサラリーマンは、毎朝の情報源であり企業戦士の教典ともいえる日経新聞が大キャンペーンを張る消費税増税に反対するのはいろんな意味で難しいだろう。デフレ不況下で小遣いや給与が減りつづけ、本音では増税なんて勘弁してくれと思っていても、日経をはじめあらゆるメディアは"財政はもはや破綻寸前、ギリシャやイタリアを見ろ、増税やむなし、国民も身を切る覚悟をもて"と勇ましく煽り立てるし、経営者や上司、同僚、取引先と話していても「国の借金や老人ばかり増えて働き手が減るんだから、もう増税するしかないよな」なんて言われるものだから、自分ひとりが反対する勇気など湧いて来るはずがない。
 よしんば、国債増発で財政支出すべきなんて言おうものなら、これ以上借金を増やせる訳がないとか、今どき公共事業なんて時代遅れとか、いつまでも国に頼るななどと言われて白い目を向けられるか、怠け者扱いされる(あるいは土建屋の手下呼ばわり)のが関の山だ。
 新聞や各メディアに目を通せば、そこには○○グローバル戦略研究所 CEOとかいった怪しげな肩書きの輩が、“グローバル競争に勝ち抜くには筋肉質の経営体質を!、グローバル化に対応できない奴は人間にあらず”とでも言いたげな上から目線で、消費増税や開国は避けて通れない、行政をスリム化せよなどといっぱしのことを言っている。そういった親増税論や親開国論はあちこちのメディアを通じて大量に世の中にあふれ出ており、これに影響されるなと言う方が無理なのかもしれない。

 国民の大多数にとって消費税増税がデメリットにしかならないことは、広く認知されていることと思う。特に、これだけ経済状態が疲弊し尽くしている状態なら、なおさらだろう。
 だが、この手の玉砕必至な精神論は、世の中の状態が厳しい時ほど人々の心にスッと浸透しやすい。江戸時代の3大改革による不況誘引や浜口内閣による恐慌突入、小泉構造改革によるデフレ不況など根性論に基づく馬鹿げた緊縮財政政策は、国民生活の破壊を糧にしてこれまでも度々繰り返されてきた。世間知らずで融通の利かない権力者が、正論や原則論を振りかざして、根回しによらない正面突破といった手法に頼ろうとする時に不幸は起きる。
 消費増税を安易に支持したり、増税の前に行政の無駄を省けなどといったピント外れの意見が厄災を招く要因になることに気付くべきだ。
 
 それにしても、多方面から批判を受けたり、自らの生活や待遇にも悪影響を及ぼしかねない増税やTPP、行財政改革、規制緩和、構造改革などといった愚策を目の色を変えて布教する輩(財務省やその言いなりになっている民主党・自民党の一部の議員)の目的は何であろうか。筆者はいつもこのことを疑問に思う。天下り先の確保、省益の拡大、国税庁に脅されて等々いろいろな理由が取り沙汰されているが、いまひとつピンとこない。官僚にしてみれば給料やポスト、天下り先は減る一方で、業者からの接待もなくなるし、政治家にしてみれば歳費が減るうえにやたらと選挙民の目がうるさくなり、以前のようにのんべんだらりとした選挙活動もしづらくなっている。
 なのになぜ、苦しい思いをしてまで改革運動に連なる様々な愚策に血道を上げるのか。気が触れた者の行動を理解するのはまことに難しい。ひとつ結論付けるとするなら、それは殉教者の心理と似たようなものではないかと想像している。自分の生活に直接のメリットがないばかりか、自らの命を投げ出さざるを得ないような事態になっても、心酔する信仰が世に広まれば最高の満足感が得られるのと同じ心理なのではないか。
 こういった心理状態にある者は、利害関係や損得勘定に左右されづらいだけに厄介な問題でもある。しかも、国民生活を破壊する愚策に対する彼らの想いは、もはや信仰の域に達しているから、いくら利害や損得を数字で説明しても、その信念が揺らぐことはあるまい。
 隠れキリシタンやイスラム原理主義者のような殉教徒だけに、無理に説得しようとしても無駄だろう。
 だが、国民を道連れにする自爆テロだけはやめてもらいたい。
 

2012年1月21日 (土)

デフレの正体は『カネ不足』

 消費税増税に向けて、“眼帯総理”や政府首脳から威勢の良い発言が相次いでいる。最近では開き直ったのか、増税論議に応じようとしない野党に対する恫喝まで飛び出す始末だ。
 ただ、恫喝された側の自民・公明辺りも、消費税増税やTPP参加、デフレ対策という点に関しては、政策の方向性に大した違いはないから、よしんば解散総選挙という事態になっても争点はぼやけたものになろう。いわんや、与野党ともに大阪の“中学生”市長に擦り寄っているようでは、再度の政権交代があったとしても、早晩、同じような問題が再燃することになるだろう。

 ケチな財務省を起点に消費税増税キャンペーンが張られる際に、露払いとしてよく使われるのは、「日本は少子高齢化社会を迎えるから右肩上がりの経済成長は無理」というフレーズだろう。
 20年もデフレに翻弄され、実際に少子化や高齢者の増加を目の当たりにしてきた国民は、ほとんど疑うことなくこの妄言を受け入れてしまい、「日本の消費形態は成熟した」とか「必要な家財は一通り揃ったし、もう欲しいものはない」、「Iphoneみたいな魅力的な商品がないから何も買う気が起きない」などと判ったようなふりをしてしまう。だが、本当にもう何も欲しいものはないのだろうか。
 多くの人は、経済問題に絡めて「消費」や「購買」を定義する際に、無意識に自動車や家電などの耐久消費財や家屋などの不動産を意識している。だからこそ、短絡的に人口減少を消費減少やGDP減少に結びつけてしまう。日常生活で食料品や衣料品などの消費財を購買する機会の少ないサラリーマン層や経営者層ほどその傾向が強いだろう。
 だが、実際に自分達の給料から消費されているのは、食料品とか衣料品、教育・娯楽などといった日常の買い物や支出の占める割合の方が大きい。家計調査(H23/11)のデータから計算すると、毎月の支出に占める品目ごとの割合は、食料品や衣料品、教育・娯楽、医療、交通費、その他消費が全体の43%余りを占め、耐久財(半耐久財を含む)の割合は7.5%ほどに過ぎない。自動車とか家電なんかはそうそう頻繁に買うものではないから、考えてみれば当たり前のことだ。自分ではカネを使っていないようでも、奥さんの日常の買い物や子供の教育費など、実際は毎日のようにどこかでカネを使っている(=消費)のが現実だ。
 しかし、普段からヨドバシカメラには立ち寄っても、食品スーパーには足を運ばないサラリーマン諸氏には、この辺りがリアルに実感できていないだろう。だからこそ、日経なんかに“国内家電メーカーのTV売上が不振”なんて記事が載ると、途端に日本の消費はもう駄目だなどと早とちりしてしまう。
 また、魅力的な商品がないとか欲しいものがないなんて言うたわごとも聞き飽きたが、こういう輩に限って家電とかスマホの新製品に飛びつくから手に負えない。成熟社会とか飽食の時代などと言いながら、多くの国民は、美味しいものを喰ったり、いい服を着たり、高機能の家電を買ってみたりといった行動を繰り返している。人間の欲求が尽きることなどない。

 莫大な広告費を投じて宣伝される自動車や家電の類は、日経好きの輩には実力以上に大きく映るらしいが、実際にGDPに占める割合は、自動車関連が2.5%、電機関連が2.9%(H22暦年ベース/内閣府資料)程度で、卸売業7.5%、小売業5.9%、対個人サービス業6.3%等に比べて思った以上に小さな存在なのだ。
 自動車や家電が売れないから日本のGDPはもう伸びない、なんて決め付ける単細胞なサラリーマンや経営者は、もっと外に出て世の中のことを勉強した方が良い。
 昼食の500円ランチが750円になる、飲み会のコースが3,500円から4,000円になる、1,980円のワイシャツが3,980円になるなどといった具合に日常の消費形態がランクアップすれば、それに沿って普通にGDPは伸びて行く。判ったような顔をして、人口が減り胃袋の数が増えないのだから消費は伸びないなんていうのは、単なる勘違いだ。その胃袋に入れる食品の質や価格が上がれば、消費も活発になりGDPも当然増えるではないか。
 これは、自動車や家電に様な耐久財にも言えることだ。いくら丈夫な国産品でも、数年もすれば買い替えのサイクルが訪れる。その際に150万円の車から200万円の車に買い替えられるような経済環境を創り出せばよいだけだ。端からそれを諦めてしまうから、間違った悲観論に囚われて無駄に20年もデフレを放置してしまったのだろう。

 GDPを構成する要素は、なにも「人口」とか「数量」だけではない。長い間経済対策を怠ってきたツケのせいでこの先は少々人口が減ることは避けられないが、長期的に財政・金融政策などの経済対策を行い、一人当たりの消費額が人口減少率(たいした水準ではない)を上回るような経済環境を整えればGDPを着実に伸ばすことができる。
 長らく消費が低迷し、深刻なデフレ不況が続いているのは、人々の消費行動が自発的に変わったからではない。財政政策の縮小やくだらない規制緩和などによって雇用が流動化し、収入が不安定化したため積極的な消費行動を取りたくても取れないだけなのだ。
 財布にお金が入り、明日もまた入ってくると思えば、人々は躊躇なく消費でき、ひいてはそれが企業業績の回復につながり、雇用者所得も伸びるといったプラスのサイクルが回り始める。

 なにも川の流れが逆流したわけではなく、構造改革に連なる誤った政策に経済成長の歩みが堰き止められているだけなのだ。成長を阻害する改悪政策を転換すれば、何の問題もなく日本経済は再び右肩上がりの成長軌道に乗せることができるだろう。

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