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2012年3月

2012年3月26日 (月)

目的より手段が大切な人々

 消費税の増税問題に関して、連日のように民主党内の社会保障・税一体改革合同会議の様子が報道されている。増税法案の中に名目GDP成長率3%、実質GDP成長率2%の景気弾力条項を盛り込むことの是非を巡って党内の増税賛成派と反対派がモメているというものだ。
 筆者などは、デフレ不況で喪失した国富を取り戻すには、そもそも名目GDP3%という設定水準自体が低すぎると考えるが、それはさておき、この景気条項を盛り込むことに対して、民主党の前原政調会長が「景気条項を入れてしまうと増税ができなくなる」と発言したことに呆れ返ってしまった。
 このほかにも、「公務員採用数大幅削減は若者のため」とか「TPPはビートルズ」等々、この一週間の間に民主党や政権首脳部から常識が疑われるようなレベルの低い発言が続いている。
 こういった幼稚で開き直った発言がぺらぺらと口をついて出てくるのは、政権に巣食う連中にとって本当に大切なのは“消費税増税”とか“TPP参加”といった手段なのであり、国民経済の成長などという目的なんてどうでもよいと思っている証拠である。だからこそ、説明のたびに消費税増税やTPP参加の理由や背景がコロコロと変わるし、国民にとってのメリットが納得できる数値で示されることもない(示しようがないだろうが…)。
 “景気なんてどうでもいいから、とにかく増税させろ”という本音を隠せないからこそ、景気条項が増税の邪魔になるなどとつい言ってしまうのだろう。
 バブル崩壊以降の経済論壇では、構造改革やサプライサイドの強化を唱える者、インフレターゲットなど金融政策の強化を唱える者、公共事業などの財政政策と金融政策のポリシーミックスを唱える者などが中心となり、経済論議が行われてきた。その中で実践されたのは、新自由主義的な主張に基づく構造改革とあまり意味のない金融緩和政策であり、自民党から民主党への政権交代後も、このくだらない経済政策は一貫している。
 筆者は、そういった異なる経済政策間に意見の相違はあれど、『日本の経済成長を目指す』という方向性や大義は共有されているものとぼんやり考えていた。つまり、手段は違えど目的は同じものと思っていた。
 しかし、昨年の大震災後の被災地に対する冷たい対応や被災地の復興を放り出したままでの原発騒ぎに続き、今回の消費増税やTPP参加のためのなりふり構わない態度を見ていると、彼らにはもはや国民経済を成長させようというまともな発想や思想が全くないと言わざるを得ない。デフレ環境下、しかも震災により被災地の生活や経済が大きく破壊されている状況下での増税やTPP参加、公務員給与削減などのデフレ促進策の強行など正気の沙汰とは思えない政策が平気で実行されようとされ、マスコミも揃ってそれを後押ししている。
 国民一人一人がどう思っているかは判らないが、政権与党をはじめ自民党執行部、財務省、経済産業省、マスコミ、エコノミスト、識者など社会の中枢に近い層の大半は、経済成長を目的とするどころか、すでに経済成長に対する興味や希望を失い、増税とかTPP、○○改革などといった個人的興味や願望を優先させようとしている。
これは極めて由々しき事態である。
 世の中のあらゆる社会体制は経済活動をその基盤としており、社会や国家の発展、国民生活の向上等は経済成長なくしてあり得ない。つまり、経済成長なくして国民生活の向上や国力の強化などあり得ないのだ。
 経済成長の停滞や低下は国力の低下を意味し、現にデフレ不況の罠に嵌まり込んだ我が国のプレゼンスは低下する一方であり、国民の生活レベルも低下の一途を辿っていることは否定しようのない事実である。
 財政赤字とか少子高齢化とかいったできない理由を次々と並べて経済成長に背を向けてきたツケが回ってきたのだろう。
 多少でも、いまの日本を変えたいとか、良くしたいとかいう希望を持つ者は、マスコミがタレ流す情報を鵜呑みにしてはならない。そこには、日本経済の行く末など全く気にも留めずに自己の信ずる教義(増税とかTPP参加)に殉じようとする狂信者の呪文が隠れている。
 TVや新聞、雑誌をボサッと読んでいるとこういう新興宗教にはまりやすいのでご注意願いたい。

2012年3月14日 (水)

『削減=改革』という勘違い

 この20年余りの間で、『改革』という言葉ほど誤った使われ方で世の中に氾濫したものはないだろう。
 新自由主義や構造改革の熱心な信者に先導されて、構造改革・行政改革・郵政改革・政治改革・社会保障改革・税制改革・公務員制度改革等々数え上げればきりがないほどの改革(中国による異様な為替操作のスピードを少々緩めることでさえ“人民元改革”と称賛されている)が行われてきたはずだが、そのお粗末な結果はご覧のとおりである。
 橋本内閣や小泉バカ内閣に連なる一連の“改革ごっこ”に洗脳された国民は、雇用や収入、社会保障などを浄財として巻き上げられた挙句に、荒廃した社会基盤を押し付けられ、文句を言おうものなら、努力(信心)不足とか自己責任の一言であっさりと片づけられるありさまだ。
 東日本大震災後に湧き起こった復興増税や消費税増税問題においても、「身を切る改革」などというレベルの低い議論に終始している。先日も、岡田副総理から、国会議員の歳費削減や国家公務員の新規採用者数大幅減といった小学生レベルの提案が、政権内部で事前の摺り合わせもなく飛び出す始末で、政治家どころか社会人としての基本的な常識も持ち合わせていない政府首脳の存在に唖然とさせられる。

 そろそろ、政府・官僚・国民・企業の間で、互いに支出削減実績を自慢し合うようなバカバカしいデフレ促進合戦は止めた方がよい。中高年のオヤジが自分の病気自慢をし合うのと同じくらい生産性のない話である。
 我が国が世界最長水準のデフレ継続記録を更新し続けていられるのも、この手の「支出を削る=改革」といった初歩的なミスから多くの国民が抜け出せないでいるからだ。国家と家計を同一視し、カリスマ主婦に倣って無駄を省けば社会が上手く行くと単純に信じ込む単細胞な国民はどうしようもない。
 前述のナントカ改革シリーズに共通する思想は、他人の支出や待遇を削るという点のみであり、その他のちょこまかした制度や機構の変更などは単なる付属品である。
 やたらと改革をやりたがるというより“改革という手段に逃げ込もうとする輩”は、マクロな視点で物事を解決するのが苦手である。発想を転換して根本的な解決策を探るような能力や意欲に欠けるため、ミクロな視点から抜け出せずに目の前にあるこまごました制度や機構をいじくりたがるのだ。だが、所詮は問題の大枠には手をつける勇気がないからやれることは限られてくる。そんな時に誰もが思いつくのが、他人の給与やポスト、あるいは外部への支払いの削減といった愚策である。
 何も無いところに新たな仕組みを創り出すのは大変な苦労を伴うが、既にある制度や仕組みに文句をつけて、それを削ろうとするのは誰でも考えつくことだ。
 ところが、新自由主義者や構造改革が大好きな自称改革者は、こういった単純な行為をさも難しいことのように喧伝して、自らを巨悪に立ち向かう改革者に擬えようとする。最近では、事業仕分けに気勢を挙げていたバカ議員や大阪・名古屋のこども市長(+阿久根の元バカ市長)などがこういった類のエセ改革者と言えよう。
 多くの国民は、デフレに起因する生活水準の切り下げに抗しきれずに莫大な鬱憤を抱え込み、公務員や政治家の待遇を下げて少しでも溜飲を下ろそうとする。しかし、そんなことをチマチマやっていても決して自分の生活が元に戻ることはない。公務員の給与引き下げは名目GDPに下降圧力を加えるものである以上、他人の給与が下がったと喜ぶのは、自分の首に掛かったロープを絞めるのと同じことだ
 以前のブログにも書いたが、自分の収入や給与がどこから来るのか想像できない者や実体経済において個々の企業や家計が相互に連関し合いながら支出と収入を創出し合っていることを理解できない者が多すぎる。
 「カネは天下の回りもの」という諺を知ってはいても、そのシステムを実体経済や実生活レベルに落とし込んで理解できないでいるのだろう。

 だが、先週末に各局で放映されたバカマスコミによる東日本大震災関連の幼稚な報道姿勢やそれにつられてやたらと“絆”を連呼する軽薄な視聴者を見ていると、『改革』という言葉が国民の生活を真に向上させる意味合いで実践されるのは何時になることやらと暗澹たる気持ちになる。

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