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2012年4月

2012年4月26日 (木)

生類憐みの令

 先週はヒグマにまつわる大きな事件が、北海道と秋田県で奇しくも同じ日に起こった。
 札幌市では2日間にわたり民家の間近に出没した若い羆が射殺され、秋田県八幡平では倒産寸前のクマ牧場から逃げ出したヒグマに襲われて高齢の女性飼育員お二人が死亡するという大変いたましい事件があった。
 件の秋田の事件に関連して、前々からクマ牧場の管理運営体制に文句をつけてきたNPO法人の代表は、取材に対して「(牧場の環境は)問題外としたうえで、今後については「『閉園』したとしても、環境を改善し、子どもを増やさないようにして、寿命を全うするまで飼うしかない」とコメントしたそうだが、全くリアリティーが感じられない。まさに他人事である。閉園した後の飼育コストやエサ代を誰が面倒をみるかなどといった現実的な課題を全く無視した呑気なコメントだ。
 どうせ、最後は県庁あたりに責任を押し付けようとする無責任な姿勢が目に浮かぶ。行き届かない管理が仇となり、第二の事件が起こってもよいというのだろうか。
 残されたクマにとっても、狭い檻の中で乏しいエサしか得られないようなら、薬殺か射殺してあげる方が楽だろう。

 一方で、札幌市で若いヒグマを射殺したことに対して、札幌市役所宛てに100件もの抗議の電話が入ったということだ。
 ヒグマの射殺と同じ日に、秋田で凄惨な事件が起こったというのに、若いヒグマを殺すなんて可哀そうだとか、山に返せばいいのにとかいった類の世間知らずで幼稚な抗議をする市民の神経はまともなのだろうか。
 今回射殺されたヒグマは、若いとはいえ体長135センチ、体重が120キロもあり、これは、本州で多数の人身被害を起こしているツキノワグマなら成獣クラスの体格に匹敵する。
 ちなみに、ここ5-6年間のクマによる人身事故(ケガや死亡)の件数(環境省資料、死亡者数はH19以降未公表)は、H18/150人(うち死亡5人)、H19/50人、H20/55人、H21/64件、H22/150件、H23/81人(速報値)に上り、いずれの年も全体の9割以上が本州で発生している。つまり、クマによる人身被害の殆どが体格の小さなツキノワグマによるものというのが実態であり、今回射殺された若グマクラスの体格でも成人に対する殺傷能力は十分といえる。しかも、出没地点はまさに住宅街の人家のすぐ裏手であり、近隣住民の安全を考えれば、射殺するなと言う方がどうかしている。
 札幌市では、近年、住宅地や公園などへのヒグマの出没件数が増えていたようだし、昨年は、市内の中心部近くにまでヒグマの成獣が出没して大きな騒ぎになったと記憶している。それだけに、今回の射殺という適切な処置に対して、胸をなでおろした市民も多かったと思う。実際に自宅の裏にヒグマがウロウロされてはたまらないだろう。他人事だと思ってグリーンピースまがいの戯言を吐く連中には、それほど文句を言うのなら、お前の家で飼ってみろと言いたい。
 この手の問題が起きると、お約束のように、野生動物との共生とか、絶滅危惧種がどうのこうのと言いだす連中は、罪もない住民が、秋田で起こったような不幸な事件に巻き込まれても構わないというのだろうか。わざわざ山奥に分け入ってまで野生動物を殺してしまえとまで言うつもりはないが、人間の生活ゾーンに無断で侵入し、人身被害が見込まれる動物は駆除するよりほかない。
 また、クマやイノシシなどの野生動物の被害の話になると、決まって、人間の手によって野山が開発され山に動物の食べ物が乏しくなり、動物が人家の近くに出没するようになると言いだすバカがいるのは困りものだ。
 そういう輩には、ぜひ野山に足を運んでみることをお勧めする。それが無理なら、飛行機の窓から下界を覗いてみてはどうか。
 昭和の高度成長期ならいざ知らず、山林の乱開発なんて20-30年前に終わっている。地方の山林地域で車を走らせると、耕作放棄地や朽ち果てた家屋や畜舎、倉庫などが目につき、公共工事の縮小のあおりで除草作業をしていないせいか道路の側面がびっしりと雑草で覆い尽くされている光景を目の当たりにする。
 人間が自然を破壊していたのなんてとうの昔の話で、いまや人間が緑に駆逐されようとしている。東京周辺でのほほんとしている連中には理解できないと思うが、少々郊外に行けば乱開発どころか、人間が自然に追い立てられているありさまだ。
 
 また、害獣の駆除についても、鳥獣保護法という時代遅れの法律のせいで、対策は常に後手後手になっている。
 クマやイノシシ、シカ、サル、アライグマなどの動物による食害やカラスによるゴミの散乱などにより人間がこうむる悲願は甚大だが、そう簡単には害獣を駆除することはできない。
 いちいち都道府県の許可を取らざるを得ず、下手にケガでもさせようものなら、こちらが逮捕されてしまうケースもある。実際に、北海道で農作物を荒らすヒグマを捕獲する囲いワナを仕掛けた人が逮捕された事例もある。
 これからカラスの産卵期になると、子育てで攻撃的になるカラスに気を付けましょうといった回覧板が町内会で回ってくるが、そこにはカラスを退治しようなどとは決して書かれることはなく、カラスのご機嫌を損なわないようあなたが気をつけるようにといった類のバカバカしいアドバイスがびっしりと書き込まれている。
 いったい、なぜこれほどまでに人間側が我慢を強いられ続ける必要があるのだろうか。
 人間に害を及ぼす鳥獣を駆除することが許されず、黙って手を下そうものなら人間側が罪に問われてしまうというおかしな構図は、どこかで聞き覚えがないだろうか。
 これは歴史の教科書で誰もが必ず学び、恐らく日本人の殆どが天下の悪法だと口汚く批判してきた「生類憐みの令」そのものである。

 ヒグマの射殺だけでなく、被災地のがれき受け入れに対して勘違いも甚だしいヒステリックな抗議電話を入れるような暇人は、その無駄なエネルギーの有益な使い道を足りない頭で考えるべきである。

2012年4月18日 (水)

「借りるカネ」なら、もう結構

 経済用語に関する誤用や誤解を招く表現は多い。
 新聞や雑誌などのメディアでよく目にするのが、金融政策を通じて「政府や日銀により市場に資金がじゃぶじゃぶに供給されている」というもので、この後には必ず、これだけじゃぶじゃぶに資金が溢れているのに一向に景気が回復しない、とか、日本の経済構造が変わってしまい景気を刺激しても仕方がない等といったニュアンスの戯言が続く。
 確かに資金は“じゃぶじゃぶ”にある。問題なのは、それらが「貸すためのカネ」ばかりという点にある。
 日銀が金融政策を通じて金融機関等から国債等を買い取り、その買取資金が金融機関の口座に溢れかえるさまを見て資金がじゃぶじゃぶだと騒いでいるようだが、そんな呑気なことを言っていられるのは、景気が過熱して 市場の資金が不足し金利が上昇局面にあるようなケースの場合である。
 直近の日銀資料では、国内銀行の預貸差(預金-貸出の額)はH24/2時点で185兆円(預金595兆円-貸出410兆円)とH21年末(預金567兆円-貸出417兆円)と比較して35兆円も増加している。しかも、貸出金利の平均はH23年末/1.655%からH24/2/1.442%へ低下している。これだけの預貸差拡大や金利低下は、借入意欲や借入ニーズの低下を示す市場からのシグナルと言え、個々の企業の問題は別として、平たく言えば、企業か家計かを問わず当面借入は必要ありませんといったところだろう。
 一方で金融機関の貸出意欲はどうかというと、金融機関の貸出態度判断DIの推移を見ると全規模で7%pt、中小企業でも0%ptを超えて(日銀、H24/3時点)おり、リーマンショックで一時的に落ち込んだものの、その後は貸出に前向きな姿勢を示している。
 前述のように、銀行にとって強制的な借金とも言える「預金」が一方的に増加し続けている環境下で、企業や家計が借入返済に熱中する有り様では適切な資金運用ができずに商売あがったりである。だからこそ、行き場のない余剰資金(預金)を国債購入に振り向けるしかなく、金融機関の国債保有高は増加している。

 世間では銀行に産業育成の役割を期待しているのか、銀行の融資姿勢を消極的と批判し、もっとリスクを取って日本をリードする新産業を発掘せよとけしかける。
 また、担保や保証人依存で事業性を評価するスキルがないとか旧態依然とした融資から脱却しろなどといった批判もよく耳にする。
 だが、残念ながら、いまの銀行にはそんな過大な期待に応える能力も方針もない。
融資の現場をよく知らずに好き勝手なことを言う人は、「新産業」と呼ばれるベンチャー企業や既存企業の事業計画のレベルを理解していない。
 企業全体の借入や投資意欲が低迷する中で、そういったベンチャー企業や既存企業の新規事業などの投資意欲は確かに高いものがある。1千万円に満たない売上しかない企業が1億円近い設備投資を計画した挙句に、必要資金の100%を融資で賄おうとする頭のおかしな事例など事欠かない。
 これまでに筆者が相談を受けてきた数多の経験からして、こういったベンチャー企業に限らず創業者やものづくり系の企業経営者の類いは機械や設備投資に異様な情熱を燃やすことが多いが、彼らの脳裏に綿密な返済計画があるかどうかは疑わしい。大概は、多額の融資を受けて購入した機械を稼働させることができずに、ただうっとりと眺めるだけで終わってしまう。また、ベンチャー企業や経営力が脆弱な経営者ほど身の丈をはるかに超えるような社会貢献をやりたがるから始末に負えない。
 また、時勢や時流に乗っかろうとする安易や事業計画も多い。携帯電話の普及期には携帯サイトの作成サービスや携帯関連ビジネスを、生キャラメルが流行れば地域の食材を混ぜた生キャラメルを、環境問題が持て囃されると風力発電だのバイオマスボイラーだのと見境なく流行りものに飛び乗ろうとする案件が実に多い。こんなものは流行り始めてから参入してもすでに手遅れである。マーケットが成長する前から愚かな参入者がどっと押し寄せた挙句に、すぐに価格競争が始まり値崩れを起こすのが関の山だ。後に残るのは、使われない製造機械と不良債権の山だけである。いったい何年経営者をやってきたのかと呆れ返る。
 日ごろ、銀行の融資姿勢を批判する外野の人間は、預金者の立場としてこういった幼稚な起業家の連中をどう評価するのだろうか。自分の預金を犠牲にしてまで、彼らを支援すべきと自信を持って答えられるのだろうか。

 このように、融資の現場では、資金の出し手と借り手の間のミスマッチが頻発している。貸したい相手は借りたがらず、貸したくない相手ほど借りたがる。これでは、いくら金融市場に貸すためのカネがじゃぶじゃぶと溢れていても役に立つはずがなく、ましてや経済成長につながるはずがない。
 しかし、金融機関として、こういったベンチャー企業に同情すべき点もあるし、こういったイノベーターの出現は将来の経済発展を促すダイナミズムの源泉になるのは間違いないことなのだ。このようなデフレ期に企業せざるを得ないことは、タイミングが悪く気の毒な面もある。
 創業者の事業リスクが高いのは今に始まったことではないが、かつての高度成長期やバブル経済期のような成長期であれば、マーケットにもベンチャー企業が参入する余地が生まれて事業化の可能性は今よりはるかに高まるだろう。

 いま必要なのは「貸すためのカネ」ではなく、「収入になるカネ」なのだ。そして、それは金融政策だけでは生まれない。
 財政政策にまで踏み込んで実体経済に潤沢に資金を供給し続けることで初めて、ベンチャー企業や中小企業の挑戦が夢から現実へと変わるだろう。
 バラマキだのといった批判を気にする必要などない。広く厚くあらゆる分野に資金を投入するからこそ、経営体質がぜい弱な企業にもビジネスチャンスが生まれやすくなるのであり、それを繰り返すことにより徐々に企業の経営基盤が強化され、ベンチャー企業から一人前の企業へと脱皮できるのだ。選択と集中とかいった幻想につられて特定の産業分野に資金を集中投下するのは愚かな選択である。過剰な参入競争による価格競争や意味のない消耗戦を招くことは目に見えており、結局は川下に位置する大手企業の一人勝ちで終わるだろう。

 財政の蛇口を閉めたまま見せかけだけの金融政策に固執していては、ベンチャー企業や中小企業と銀行との間の不毛な罵り合いは永遠に続くだろう。

2012年4月 8日 (日)

風評被害の発信源

 震災がれきの処理問題をマスコミが連日のように報じている。
 大震災から1年以上経過するにもかかわらず山のように放置されたがれきを見せられて、被災者の方々もさぞ無念な想いを抱いておられることとお察しする。
 だが、がれきの広域処理問題に関しては、札幌市や福岡市をはじめ、多くの自治体が受け入れを拒否している。特に、被災地から距離的に離れた地域ほど、がれきに付着する(どうせ大した量ではない)放射能による風評被害を恐れて受け入れに対する拒否反応が強いようだ。

 筆者が薄気味悪く感じるのは、がれきの受け入れを拒否する各首長の小心さよりも、彼らに無言のプレッシャーを掛け続ける『民意』である。実際に、がれき受け入れに対する自治体住民へのアンケート結果や自治体へ寄せられた意見などには、放射能による健康被害を懸念する声、周辺の農産物や観光資源への風評被害を心配する声、がれきは被災地で集中処理すべきとの意見などが多くあるほか、放射能を拡散させるなといった頭の悪い意見も散見される。
 昨年末のエントリーでも指摘したが、多くの国民の口から発せられ、街中に氾濫した“絆”とか“がんばろう東北”とかいう美辞麗句は一体何だったのだろうか。大震災なんて所詮は他人事で、被災者や被災地のことなんて構っていられないという薄汚い本音が垣間見える。2011年の今年の漢字に選ばれた「絆」という文字が、いかに軽い気持ちで使われていたのかがよく判る。

 一連の震災がれき報道や受け入れを拒否する住民の声を聴いていると、福島第一原発から200㎞も300㎞も離れた被災地のがれきまで犯人扱い(放射能汚染)されていることと、まるで福島第一原発から漏れ出した放射能のすべてが震災がれきのみに吸収されたかのような報道や過剰反応に対して強い違和感を覚える。
 反原発ゴロや放射能に過剰反応する頭のおかしな人々が云うように、福島第一原発の事故により放射能がバラまかれ被災地全体のがれきに健康を害するような放射線量が含有されているとするならば、すでにがれきだけでなく周辺の人や構築物、鉄道や車両、山林などあらゆる物質が汚染されているはずだ。
 放射能は、わざわざ「がれきだけ」を選んで、そこに居座っている訳ではないからだ。
 そうだとすれば、がれきだけを拒否しても何の解決にもならない。すでに震災後に大量の人員や物資、車両などが被災地から全国へ移動し、今日もそれは続いている。被災地へボランティアに赴いた人は大丈夫なのか、被災地でチャリティーコンサートをしたアーティストは大丈夫なのか、被災地や周辺地域で日常生活を送っている多くの住民は大丈夫なのか。岩手のがれきが放射能汚染されているなら、仙台市民も同じように被ばくしているのではないか。それなら、なぜ、がれきだけを特別視して受け入れを拒否するのか。
 そもそも、がれき受け入れを拒否する人々の頭の中に合理的な判断や冷静な視点は存在しない。
 そういう類の人間は、自分の頭や常識で考えようとせず(そもそも常識がないのかも…)に、マスコミが撒き散らす風評被害に踊らされてその片棒を担いでいるだけなのだ。常識のない外国人ならいざ知らず、当の日本人がマスコミの連中と一緒になって災害に苦しむ被災者の傷に塩を塗るような汚いマネをすべきではない。

 また、震災がれき受け入れに関する調査で、最後に決まって出てくるのが『国が明確な基準を定めるべきだ』というフレーズだろう。
 日ごろは行政や政治に文句ばかり付けて小さな政府を礼賛するくせに、なにか事が起きるとすぐに国を頼ろうとする意気地のなさは何なのだろうか。どうせ、なにか基準をこしらえても、原発再稼働の時と同じく、拙速な議論だとか国は信用できないとか言って文句をタレることは目に見えている。被災地に協力できない自身の卑怯さを直視したくないからといって国に責任転嫁するのは止めた方がよい。

 被災地や被災者は災害により家族や資産、職を失った挙句に長期間にわたり放置され、復興への気持ちが萎えかけている。そんな折に、震災がれきの処理などといった初歩段階の問題で躓いている場合ではない。
 各自治体の首長や住民は、いまこそ震災直後の真摯な気持ちに立ち返り復興を後押しすべきだ。

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