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2012年7月

2012年7月16日 (月)

保守の矜持を取り戻せ!

 先月以来、国会では消費税増税法案の衆院審議や小沢一派の民主党からの分裂騒ぎが続き、小沢一派の連中は、どうせ今回も口先だけで党内に留まるだろうという筆者の見込みは見事に外れた。小沢に対しては、マスコミが一斉に袋叩きにしたほか、民主党や自民党も口汚い批判を浴びせ、みんなの党や石原知事・維新の会なども距離を置くようなコメントが次々と発せられるなど、四面楚歌の状態に見えるが、その間の政治ニュースや紙面はまさに「小沢一色」と言え、小沢にとって大きなアナウンス効果があったのは間違いない。
 さて、件の消費税増税法案は、腰ぬけの自公両党の賛成もあり、景気条項付きで衆院を通過し、参院での審議に入っているが、消費税増税や政治の動きに関わる世論調査の結果は、次のような結果になっている。
(この手の調査で「わからない」と回答するバカが必ず一定数いることにいつも呆れている)

テレビ朝日「報道ステーション」の世論調査より(一部筆者にて編集)
Q.野田内閣を支持するか。
・支持する(4月→7月);20%→25%→27%→24%
・支持しない(4月→7月);56%→50%→50%→53%

Q.消費税増税をどう思うか。
・支持する(4月→7月);29%→37%→33%→41%
・支持しない(4月→7月);61%→55%→57%→48%

Q.小沢らの採決造反(消費税引上げ反対)をどう思うか。
・評価する(6月→7月);31%→33%
・評価しない(6月→7月);57%→53%
 (※小沢新党への期待;期待する13%、期待しない80%)

Q.消費税増税法案を巡り民主党内はまとまって行動すべきか。
・まとまるべき(6月→7月);52%→43%
・分裂すべき(6月→7月);32%→39%

Q.大阪維新の会の国政進出をどう思うか。
・期待する(4月、7月);43%→51%
・期待しない(4月、7月);35%→35%

Q.大飯原発の再稼働をどう思うか。
・支持する(4月→7月);23%→35%→38%→40%
・支持しない(4月→7月);59%→48%→45%→46%

 世論調査の動きを眺めると、“消費税増税大賛成、原発再稼働大反対、維新の会万歳、小沢つぶし”といったマスコミの大政翼賛報道の影響がよく現れている項目もあれば、そうでもない項目もある。
 特に顕著なのは、消費税増税や大阪維新の会を支持する割合で、マスコミを総動員した一大キャンペーンが奏功し見事な伸びを示している。このままでは社会保障制度が維持できない、国の財政は破綻寸前だ、決められない政治から脱却しろとかいった類の全く根拠のない念仏を朝から晩まで唱え続けた効果があったのだろう。こともあろうかデフレ不況の真っただ中、しかも、欧米や新興諸国でさえデフレ不況に突入し、お得意の外需さえ期待薄なこの状況下での消費税増税という蛮行を国民に認めさせようとするのだから、マスコミによる洗脳電波恐るべしといったところか。
 一方で、マスコミの洗脳がいまひとつ効果を上げていないのが、小沢つぶしと反原発だ。
 小沢一派の増税法案への造反行為を評価する回答は、僅かながらも増えている。マスコミの連中は、小沢新党に期待しないという回答が80%に上ると必死に足を引っ張ろうとするが、民主党や自民党でさえ支持率が21-25%に過ぎない(不支持率は75-79%)のだから、2大政党と大して変わらない支持を得ているというべきだ。現に、小沢新党に期待するという回答が13%あるが、これは政党支持率でいえば自民党(25%/7月)・民主党(21%/同)に次ぐもので、3位のみんなの党(3%/同)や公明党(3%/同)を大きく引き離す第3勢力に位置づけられる。
 また、大飯原発の再稼働に至っては、反原発(自称)10万人デモをヨイショするマスコミの涙ぐましい努力も空しく、再稼働を支持する回答が大きく伸びており、支持しないという回答を逆転する勢いである。
 
 消費税増税も大飯原発の停止による計画停電の恐れも、国民にとっては生活に大きなデメリットをもたらす身近な問題だと言える。だが、この二つの問題に対する国民の意見は、現時点ではともに不支持が支持を上回ってはいるものの、そのベクトルは異なる方向に推移しようとしている。
 原発再稼働問題については、当初こそ反原発的な勢いが猛威をふるい、今年の5月に北海道の泊原発の稼働停止の折には、42年ぶりに日本の原発が全て稼働を停止するという事態をイベント感覚で楽しもうとする、平たく言えば“ノリ”で原発を強制的に停止させたといえる。
 しかし、その間に原油やガスの輸入で大幅な貿易赤字を出したこと、再生エネルギー買い取り制度が本格的に稼働し始め新エネにたかる事業者の利益捻出のために家庭の電気料金が値上がりすることが理解され始めたこと、また、本格的な夏を迎えて計画停電の弊害をリアルに意識するようになったことなどから、国民の中に反原発という祭りの熱狂から覚め始めた者が徐々に増えてきた結果だろう。
 酷暑の中で計画停電を迎えるというウンザリする事態を回避するには、反原発などといった神学論争に付き合うべきではないといったまともな感覚が、国民に少しずつ戻っている。
 
 一方で、消費税増税問題の方は、まだ参院での審議が残っているせいか、この問題が国民経済に及ぼすであろう凄惨な弊害を国民は理解できていない。何とか増税法案を通そうとする政府サイドも、企業の景況感が上がっているとか、自殺者数や失業率が低下したとかいう実感に乏しい指標を持ち出して、増税に向けた地均しに必至の様相である。
 消費税増税の弊害などまさに一般常識の範疇であり、ここでくどくど論じるつもりはないが、何といっても大きなポイントは自公両党の動きである。衆院での採決を巡り、すでに民主党から70名余りの造反者を出しており、自公の協力さえなければ、野田政権はフラフラの状態だ。しかし、政権交代以前の民主党のように、倒れ掛かった相手になぜかとどめを刺せない両党は、あろうことか消費税増税法案に賛成に回り、瀕死の政権を支えようとしている。
 野田政権を“自民党野田派”と揶揄する者もいるようだが、筆者に言わせれば、さしづめ“民主党野田派の谷垣幹事長と山口副幹事長”といったところか。
 自民党の連中は、今回の一連の動きを、増税は決定事項ではなく景気条項に縛られるとか、民主党案を骨抜きにしたとか評して悦に入っているようだが、大きな勘違いである。
 自民党自慢の景気条項はGDPの名目成長率3%、実質成長率2%を増税の条件としているが、何としてでも消費税を引き上げたい財務省の連中にとって、そんなものは無きに等しいチンケなハードルに過ぎない。その気になれば経済指標を弄ってでも(中国では日常茶飯事)経済成長したかのように強弁するだろうし、それが無理ならお得意の財政破綻教を持ち出して配下のマスコミを総動員し増税やむなしの世論を作り上げて時の政権を脅しておき、改正法案を採決させて上書きすれば一丁上がりである。
 そもそも、名目成長率3%、実質成長率2%などといった極めて低すぎる目標値を設定すること自体、自公両党の経済立て直しへの本気度が疑われる。バブル崩壊以降20年にも及ぶ不況の間に逸失したGDPや国富を早急に取り戻す必要があることを全く理解していない証拠だ。
 両党は、姑息な手法を捨てて、堂々と財政・金融政策によるリフレ政策(国土強靭化法案等)の必要性を訴えて、民主党の消費税増税法案に反対すべきだ。残されたチャンスは参院での審議のみであり、これを逃して衆院での失態を繰り返さないよう強く願いたい。
 このタイミングでの増税は、両党の支持基盤である商工業者や農業者、小規模事業者などの事業運営に大きなダメージを与えることは疑いない。いまこそ支持者の意見によく耳を傾け、常識的な判断を下すことを望みたい。(両党の執行部層は、構造改革派の頭の悪い(世間知らず)連中ゆえにあまり期待はしていないが…)

 最後に、大津市のいじめ自殺問題について言及する。
 加害者の鬼畜にも劣る犯罪行為や何の反省もしていない加害者の家族の不遜な態度に、久しぶりにはらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えている。
 新幹線の駅建設や原発稼働に反対する滋賀のパフォーマンス知事には、県下で起こった重大な犯罪を見過ごしておいて何をやっているのかと強く問い質したい。
 マスコミは相変わらず学校のいいかげんな対応ばかりを責めるが、まずは犯罪者である加害者とその家族を十分に糾弾すべきだ。無論、この手のバカを放置してきた学校や教育委員会等を責め立てるのに反対しないが、問題の焦点をぼやかすべきではない。
 いい年をして社会の常識も理解できないような加害者やその家族は、まさに社会のクズ、社会のゴミ、蛆虫以下である。
 そのうち、ネジの緩んだ人権団体や人権派弁護士が現れて、加害者の人権を守ろうとするだろうが、“人権”というのは“人”のレベルに達している者のみに付与される権利であると理解する。今回の犯罪者のようにゴミ以下の存在に与えられるような権利ではない。
 被害者やその家族の想像を絶する憤りを思えば、犯罪者に対してはゴミに相応しい極刑を以って処置すべきだし、犯罪者の家族に対しても重大な保護監督責任の欠如に対する重罪を架すべきだろう。彼らに社会復帰させる必要など微塵も感じない。
 そろそろ、学校でのいじめ問題を教師や同級生のモラルに頼るやり方に終止符を打つべきだろう。こういった問題を起きる度に、加害者そっちのけで、教師のやる気のなさが糾弾されたり、同級生が非難されたりするが、一向に改まる気配がない。人間としての基本的な常識に欠ける加害者に対して、教師や同級生の希薄なモラルなど頼りにならないことはとっくに実証されている。
 こういった不幸な犯罪が起こらぬようシステマティックに対応すべきだ。例えば、学校やクラスにいじめや犯罪防止の警備職員をくまなく配置して校内の秩序維持に努め、教師との職務分担を図ることを提案したい。これまでの相談員とかカウンセラーといった被害者側へのケア対策だけでなく、加害者への抑圧を目的とする人材を配置することが必要だ。警察に準じて捜査や逮捕権も付与し、生徒間のみならずモンスターペアレントなど校内の揉め事の対応窓口として機能すれば、教師の業務負担もぐっと減るだろう。
 筆者は、こういったいじめ問題に対して保守層の動きが鈍いことを常々腹立たしく思っている。大した組織力も残っていない日教組との幼稚な口喧嘩に明け暮れ、日の丸・国歌問題や武道の必修化などといった些末な問題にばかりかまけていないで、社会の秩序を乱す憎むべき犯罪行為を糾弾し防止するよう具体的に行動すべきだ。
 日ごろは偉そうに天下国家を論じるくせに、たった一人の少年や少女の命さえ守れない連中が、どうして国民や国家を守れようか。
 伝統や文化を重んじ社会の秩序や規則を守ることが“保守主義”の拠り所だと理解する。ならば、保守の連中は、社会の規範を大きく乱した今回の事件の加害者やその家族を強く糾弾し、言行一致を図るべきである。

2012年7月 7日 (土)

需要を創り出す努力こそが不況の闇を切り開く

 「町有面積の80%を占める山林から切り出された木材を製材する際に出てくる端材を使った木質ペレットを開発。ペレットストーブの普及を後押ししてCO₂削減に期待」とか「地域の飲食店から排出された残飯を飼料にして育成した豚を使ったソーセージやベーコンを開発」などといった新聞記事やニュースのひとコマをご覧になった方も多いだろう。たいがいは、記事やニュースの中で新商品が採り上げられ、開発の苦労話の後に“地域を元気にしたい、地域を盛り上げたい”といった類の生産者のコメントが紹介される。
 だが、筆者の知る限り、この手の話で実際に地域が元気になったという事例はない。新聞やTVで紹介され、始めのうちこそ問い合わせを受けるものの、ひと月も経てば閑古鳥の巣になっている。
 それも当然のことで、この手の商品の多くは、地域の余りモノを何とかしたいとか時流や時勢に沿ったキーワードを並べただけの自己満足な商品づくりの域を出ていない。さらに、作り手側の都合や理念ばかりが優先され、ターゲットの焦点がぼやけていたり、ニーズを汲み取ろうとしないモノばかりなうえに価格も高いものばかりだから、発売とともに在庫の山を築くことになる。
 地域で何が余っていようが、消費者の知ったことではないし、〇〇地域のブランドなどと言ったところで、そもそも地域の知名度自体が限りなくゼロに近いケースも多い。モノづくりに「余りモノ」と「流行モノ」は厳禁である。
 こういった商品の作り手は、えてしてモノが溢れる時代に新たにモノを市場投入することの難しさを全く理解していない。自分たちが苦労して作ったモノ、地域の特産品やブランド品を商品化したモノさえ作っておれば、誰かが勝手に買っていくと思い込んでいる。

 だが、この手の勘違いは、なにも上記のような生産者だけに当てはまるものではない。むしろ、日本人の多くに共通する勘違いとも言えるだろう。
 ながらく技術立国とか貿易立国信仰に帰依してきた日本人は、何かと供給側の論理に基づく発想をしがちである。新たなモノづくりはイノベーションや革新性を想起させ、何か良いモノを作れば必ず収入を得ることができ生活水準が向上すると信じ込んでいる。
 多くの日本人の頭の中には、モノづくりと収入UPとの間に存在する“消費や購入”の視点が抜け落ちている。作れば売れると信じ込んでいるから、いかに効率的に作るか、とか、いかに生産量を上げるかといった視点に固執するが、そんなものはもはや時代遅れの古い考えであることに気づかない。
 彼らは、長引く不況の原因が需要不足にあることを本当の意味で理解できていない。自分の会社の業績が悪いのは、努力や工夫が足りないためだと信じ込まされ、一生懸命働けば、みんなが頑張れば何とかなると思っている。だからこそ、サービス残業や過労死は止まないし、ブラック企業が横行している。
 “もっと魅力ある商品づくりを”とか“新興諸国と競争できるコスト環境を”とかいうバカげた念仏を唱えて身を粉にして働こうとするが、国民の財布にカネが入っていない以上、せっかくの努力も報われず、会社の業績は悪化の一途をたどり、やがては給与や手当、ポストも削減されるという憂き目を見ることになる。

 また、悪いことに、いまだに多くの国民は、景気が循環するものだと思い込んでいるが、これこそ前時代的な発想である。高度成長期を経てバブル期までは、国内外の旺盛な需要に支えられて、こういう考えも通用したが、世界的な供給過剰状態(=需要不足)にある現代においては、もはや幻想だと言ってよい。
 いま我々が直面している不況は、台風のように、じっと我慢していればいつかは過ぎ去り、その後に晴れ間が出るようなヤワなものではない。
 技術革新や生産能力の向上により絶えず上昇圧力の掛かる供給力と緊縮財政やムダの削減という新興宗教の蔓延による需要の低迷との間のバランスを著しく欠く状況下では、景気を刺激することに関して能動的なアクションを起こさない限り、不況という台風が過ぎ去ることはない。
 このまま何も手を打たなかったり、構造改革的なインチキ宗教に逃げ込み無駄な我慢や努力を重ねていけば、この鬱陶しい不況は永久に続くだろう。

 国民は、マスコミが垂れ流す情報に右往左往することなく、好況とは何なのか、それはどういう要因でもたらされるのかという基本的な事柄について理解する努力すべきである。それは何も難しいことではない。需要と供給とのバランス、所得と消費との関係、通貨の役割とその発行主体は誰なのかなどといった点について、身近な常識の範囲内で理解しておれば事足りる。
 世間知らずのマスコミの連中やのほほんとTVばかり観ている国民は、釣竿を数多く垂らせば魚がたくさん釣れると信じ込んでいるが、魚のいない釣堀でそんなことをしてもただただ時間を浪費するばかりである。いくら釣り竿の性能を上げても、高級な餌を付けても、そもそも魚がいないのだから釣果など上がるはずがない。
 ここでグローバル化の信者は、魚のいない釣堀を見捨てて隣の釣り堀に移動しようとするが、残念ながらそこにも大した数の魚は残っていない。たいていは、高い入漁料を吹っ掛けられたり、釣りのルールをコロコロ変えられたり、食べるところもないような貧相な魚しか釣れなかったりしてがっかりさせられることになる。
 これが、いまの世界経済を取り巻く現状である。
 目を血走らせる釣り人の苦労に報いるためにはどうすべきか、釣り堀に魚を投入できるのは誰なのか、投入すべき者は誰なのかをよく考え、常識的な答えを見つけることだ。

 冒頭の事例のように国内に数多ある“地域”を元気にするには、地域にお金が落ちる経済環境が必要になる。もちろん、「お金が落ちる」というのは、売上や収益が生じるという意味で、借りるためのお金を供給するという意味ではない。広域にわたる地域を活性化させるだけの量のお金を広く厚く行き渡らせるためには、特定の業界や地域に資金を集中投下しても役に立たない。
 大規模かつ長期的な財政・金融政策、平たく言えば“バラマキ”を行うのが、最も効率的かつ効果的な手法になる。バラマキを通じて広く国内に循環する資金に刺激されて、地域ごとに様々なニーズが生まれ、それに対応する多様なバリエーションの商機が創出される。そういったビジネスチャンスを求めて民間企業の参入が促され、適切な競争状態が維持される。これこそ、デフレ脱却に向けた経済対策の常道である。

 幼稚な改革ごっこやムダの削減競争に汗をかいても、そこからは何も生まれない。

2012年7月 2日 (月)

無担保・無保証融資・中金利がこれからの融資の基本

 新聞等ではほとんど話題に上らないが、中小企業や小規模企業向けの融資に際して、従来型の不動産担保や保証人への依存を減らそうとする動きが活発化している。

 世間一般では、金融機関が企業に対して融資する際に、事業計画や経営者の資質などほとんど考慮せずに、不動産担保や保証人の資力しか見ていないという誤解が浸透している。
 確かに、昭和後期からバブル期にかけて行われた一部の融資、特に不動産絡みの投融資案件やいかがわしいゴルフ会員権融資、有担保のフリーローンなどについてはご指摘のとおりと言うしかない。そういった融資案件には、たいてい暴力団や不動産屋、土建屋など世間体の悪い人間が絡んでいるものだから、余計に融資=不動産依存という悪いイメージが増幅されて、世間に広まって行ったのだろう。

 金融機関を金貸しとか雨降りに傘を貸さないなどと罵倒する多くの人々も、実際に融資の担当者として現場に立てば判ると思うが、融資の稟議書を上司に上げる際に、“不動産担保力OK、保証人資力OK=融資実行”などと記載してしまえば、間違いなく差し戻しを喰らうだろう。
 実際に融資の現場においては、財務分析は当然のこととして、事業計画や資金計画の妥当性や業界動向、既往の金融機関との取引実績、融資先企業の役員・役員の家族・社員を含めた総合的な取引実績と今後得られる取引メリット等を総合的に勘案したうえで、担保余力や保証余力を加味して決裁されることになる。
 ただし、金融機関といえども、業界動向や個別の製品・商品、事業そのものを評価できるスキルに長けている訳ではなく、その辺りが融資先企業との認識に大きなギャップがあるのが現実で、同時に揉めるポイントでもある。
 こういった点は、融資を希望する企業が最も通暁しているはずであり、金融機関の担当者が理解できるよう具体的かつ噛んで含むように説明すべきなのだが、これができる経営者はごく僅かである。たいていの経営者は、頑張って夢を追う自分の計画を理解できないのがおかしい、といった田舎の農協や商工会の青年部のような態度を取るもので、こんなことでは融資担当者との溝はなかなか埋まらない。

 冒頭の話に関して、現在、経済産業省や中小企業庁を中心に、中小企業、中でも小規模企業への政策的な配慮もあり、不動産担保や保証人に過度に依存しない資金調達が行えるよう法や制度を整備する動きがある。
 これは、平成22年に定められた「中小企業憲章」や今月22日に中小企業庁からとりまとめ結果が公表された「ちいさな企業未来会議」において、事業承継や金融の円滑化を進めるに当たり、不動産担保や保証人問題が中小企業にとって大きな障害になっているとの報告を受けてのものである。
 中小企業憲章においては、「3.行動指針 六.中小企業向けの金融を円滑化する」の項で、“不況、災害などから中小企業を守り、また、経営革新や技術開発などを促すための政策金融や、起業、転業、新事業展開などのための資金供給を充実する。金融供与に当たっては、中小企業の知的資産を始め事業力や経営者の資質を重視し、不動産担保や保証人への依存を減らす。そのためにも、中小企業の実態に則した会計制度を整え、経営状況の明確化、経営者自身による事業の説明能力の向上、資金調達力の強化を促す。 ”と定められた。
 また、ちいさな企業未来会議のとりまとめ報告書では、“(b)より円滑な資金調達を可能とするため、資金調達手段の多様化や従来型の不動産担保以外にも担保手段を拡充する観点から、電子記録債権の活用やABL(動産・債権担保融資)の促進について、実務家を含めた関係者間で協議し、必要となる制度・環境整備を進める。”、“(c)また、個人保証に過度に依存しない融資の推進のため、一定の要件の下で経営者本人の保証を猶予する手法や再生局面における個人保証の整理方法など、個人保証のあり方についても、これまで果たしてきた役割を検証しつつ、見直しを行う。”との記載があり、不動産担保や経営者の個人保証依存型融資からの転換を謳っている。

 筆者も、不動産担保や個人保証の徴求型融資からの脱却という点に関しては賛成する。

 不動産担保については、バブル崩壊後の不動産市況の続落的低迷や地方都市で広がる空き店舗、個人の持ち家信仰の崩壊などといった要因もあり、実際に担保として用をなす(=売却が可能な)物件は大都市圏をはじめ一部の地域にしか存在せず、担保としての価値を実質的に失っている物が多いのが実情だ。また、金融庁や日銀の検査、金融機関の自己査定時の不動産評価見直し作業など担当者の事務作業や事務コストは膨大な量になる。
 ただし、ちいさな企業未来会議の報告書にあるような動産・債権担保の普及には懐疑的である。
 そもそも、中小企業の経営者は自社の動産や債権はおろか、決算書の内容すら説明できないのに、金融機関に担保提供する動産や債権を機動的に特定できるとはとても思えない。金融機関としても、動産や債権の評価や融資枠の決定、回収や担保処理手続きなど非常に煩雑な事務処理を抱えることになり、到底現実的ではない。
 また、経営者や役員などによる個人保証も、融資額をフルカバーできる状態にないものが多く、実態的には破綻していると言ってよい。個人保証の問題が、中小企業の事業承継を阻害している(個人保証を嫌って後継者が見つからない)という指摘も尤もである。ただでさえ厳しい経営状況にある中小企業を個人保証のリスクを負ってまで引き継ごうとする者が少ないのは十分理解できる。

 筆者としては、融資取引に一定の緊張感を持たせるために300~500万円程度の範囲で担保や個人保証を徴求することにして、それを超える融資については一部の大型設備投資案件等を除き原則無担保・無保証で対応するべきだと考える。
 ただし、金融機関の貸出リスクをカバーするために、長プラや短プラに5~7%金利をオンするとともに、融資先企業においては3か月ごとに事業収支と資金収支を金融機関に定期的に報告することを義務付けるといった手法を提案したい。確かに金利は高くなるが、所詮は会社のカネから払われるものだから、不動産担保(経営者が所有する場合が多い)の提供や過度な個人保証の呪縛から解放されるという大きなメリットと天秤に掛ければ、たいていの経営者は受け入れるだろう。

 そもそも、中小企業憲章に示されたような“知的資産、事業力、経営者の資質”などをまともに採点すれば、ほとんどの中小企業は落第点しか取れない。
 だからこそ、経営者自らが経営状況の把握に努め、第三者に対する事業の説明能力を磨く必要がある。
 カネを借りるというのは経営の第一歩であるが、そのためには自分の頭の中にある事業計画をキチンと他人に説明し、理解してもらう努力が求められる。自分の事業計画を金融機関や取引先は当然判ってくれているものなどと安易に考えるのは単なる甘えでしかない。自らの属する業界動向や競合製品との比較など、十数年にも及ぶ業務から蓄積されてきた経験や知識、スキルの総量たるや金融機関の職員の付け焼刃の知識の及ぶところではない。だからこそ、資金を借りようとする企業側からの具体的な説明が必要であるし、そちらからアプローチした方が、双方にとってはるかに効率的なのだ。

 事業を行うということは大きなリスクを背負う一方で、成功すればそれに勝るリターンを得られるほか、社会的な地位や名誉をも手に入れることができる。そして、それが可能なのは経営者のみである。
 だからこそ、経営者たる者、自身の事業計画を先ずは役員や社員にしっかりと理解させたうえで、金融機関や取引先等にはいつでも説明できるくらいの心構えは当然持っていなければならない。

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