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2012年9月

2012年9月23日 (日)

中国問題でも露呈したマスコミのバカさ加減

 中韓に遠慮しなければならない国、脱原発を推進すべき国、公共事業を廃止すべき国、外需依存を強化すべき国…新聞やTVをボケっと眺めていると、日本という国の行き先を決めるレールが勝手に敷かれようとしていることに気付かされる。しかも、そのレールは、気が遠くなるほど長い下り坂になっているようだ。

 民主党政権による尖閣諸島の国有化に反発して中国国内で頻発した暴動や略奪行為を受けて、日本国内でも国民の反中感情が大きく高まったことと思う。
 なにしろ、中国得意の官製デモに動員された暇人たちが、日本企業の現地法人や店舗を襲撃し破壊行為や略奪行為をした挙句に、日本国旗を燃やし、日本や野田首相(こっちはOKだが…)を侮蔑するプラカードを掲げて奇声を上げる姿が、連日のように報道されたのだから、いかにノンビリした日本人でも腹が立つのは当然だ。
 だが、国内のバカマスコミだけでなく、海外のニュースを見ても、今回の中国による身勝手な反日行動に関して中国を主語に報道しているのが実状であり、これに対して日本政府も国民も強く反論すべきだ。

 尖閣諸島が日本の領土であることは、いちいち証明するのも面倒なくらい当然の事実で、国有化に対する中国の反応はキチガイの言い掛かりに過ぎない。

 しかし、国内外のマスコミは、中国内の官製デモや略奪の様子ばかりをタレ流し、デモに参加した暇人にマイクを向けて尖閣諸島の国有化に対する怒りをぶちまけさせるなど、一方的に中国側からの情報発信を行うばかりで、日本国内に充満する中国への憤りを報道しようとすることはない。
 マスコミの連中は、口を開けば、“大人の対応で”とか、“外交力を駆使して冷静に対処すべき”などと火消しに必死になっているが、強盗国家を相手に“大人の対応”がどれほど通用するというのか。
 挙げ句の果てに、あらゆるメディアを使って、日本と中国とは経済的な結びつきが密接で、両国の衝突による経済的な損失は計り知れないとか、訪日する中国人観光客からの予約キャンセルが相次ぎ国内の観光産業が困っているなどと、今度は日本国民に向かって、これ以上の反中行動を取るべきではないとやんわり脅しをかけようとするから手に負えない。

 だが、実際には中国人観光客の与える影響など微々たるものだ。中国人観光客は、ビックカメラで家電製品をバカみたいに買い込んだり、関西人みたいに大声でしゃべりまくる(台湾人や韓国人も同じだが…)ために何かと目立つが、観光客としての実数は大したことはない。
 
 中国人観光客の人気旅行先である北海道の観光入込実績を例にとって説明する(以下、北海道庁資料より抜粋)と、平成22年度の北海道内への観光入込数は全体で5,127万人であり、その内訳は道内客4,532万人(88.4%)、道外客521万人(10.2%)、外国人客74万人(1.4%)となる。だが、外国人客74万人のうち中国は13.5万人に止まり入込総数に占める割合は僅か0.2%、香港と併せても22.2万人で同0.4%に過ぎない。
 また、観光消費額で見ると、全体で12,992億円のうち道内客7,240億円(55.7%、単価13,271円)、道外客4,898億円(37.7%、69,670円)、外国人客854億円(6.6%、122,128円)という内訳になる。外国人客のうち、中国人観光客の消費額がどのくらいになのかに関する資料はないが、外国人観光客数に占める割合(中国単体で18.2%、香港込みで30%)から推計して消費額全体に占める割合は1.1~2%程度と思われる。
 

 つまり、中国人観光客が与える影響など多めに見積もっても、入込客数で0.4%以下、消費額で2%以下に過ぎない。これらの数値は北海道を例にとったものだが、恐らく日本全体で見ても同じような割合になるだろう。
 TVや新聞で、中国人の団体客から大口のキャンセルが入り困った顔をする旅館の経営者の様子が大げさに報道されるが、マクロな視点からすればそんなものは誤差の範囲内で、少々景気を刺激して国内客を増やしてあげればたちどころに解決する程度の問題だ。
 これは観光業界だけの問題ではなく、中国に進出したり、中国への市場拡大を目指す他の製造業やサービス業にも言えることだ。

 韓国への経済制裁として通貨スワップの停止が議論された際にも言われたことだが、いまや日本経済は中韓と密接な結びつきがあり、中韓への経済制裁は日本企業、とりわけ中小企業への悪影響が大きいと論じる意見がマスコミを中心に多くあった。

 だが、日本企業の経営リスク云々については、先の消費税増税問題や反原発問題も同じことで、マスコミが盛んに喧伝した消費増税や反原発運動を推進すればするほど、国内企業、とりわけ中小企業の経営に大きなダメージを与えることは火を見るより明らかである。

 なのに、消費増税や反原発問題ではそれを軽くスルーし、中韓問題では全く逆の主張をするというのでは、情報操作をしていると言われても言い訳できまい。

 TVや新聞では、中国発の官製デモや尖閣諸島周辺で領海侵犯を繰り返す公船や漁船の映像や記事が延々とタレ流されている。それは、中国を主語とする主張や力の誇示であり、日本を主語として日本政府や日本国民の意思や怒りを報じる姿勢は全く見受けられない。
 9月19日を境に中国政府がデモの終息を図るや否や、それに呼応するかのように日本経済に与える中国の影響を誇大に語り出し、大人の対応とか冷静な対応といった言葉で日本人に我慢を強いようとする。

 それどころか、中国問題が収まった途端に、優先順の極めて低い反原発問題を大々的に採り上げてバカ騒ぎを繰り返している。 それほど反原発運動を盛り上げたいのなら、50基もの原発を建設あるいは計画する中国にこそ文句を言ってみろと言いたい。

 我が国の失われた〇〇年と呼応するように、バカなマスコミや自称有識者の連中の思考は、あいかわらず「内需抑制・外需推進」の文脈で凝り固まっている。

 中国から国内への生産拠点回帰や公共事業の推進、原発再稼働などの内需の活発化につながるような政策や動きには強い拒否反応を示し、あくまでも外需に縛られた経済体制を維持推進しようと必死である。

 彼らは、中国やアジアの内需を取り込もうと進軍ラッパを吹きならし、日本を外需依存型の経済構造へ転換させようと懸命に情報操作を行い多くの国民がそれに洗脳されている。
 だが、中国や韓国、北朝鮮、ロシア、アメリカなどの日ごろの行動を見れば、外交とか国家戦略などと難しい言葉を使ってはいるが、実際には各々が自国の(国民ではなく一部の権力者の、と言った方が正確だが…)利益のために好き勝手に振る舞っているに過ぎず、そういった連中の購買力に頼った経済構造を目指すのは極めて危険で愚かなことと言わざるを得ない。

 世界的な経済低迷期を迎えて、いずれの国も自国の内需拡大を忌避して輸出主導による外需依存度を高めようとしているのは明らかだ。

 そんな折に、ただでさえ自分勝手な連中に囲まれた我が国が目指すべき方向は、外需に寄り掛かり強盗国家に経済運営の手綱を握られるような外需依存型の国家ではあるまい。

 経済にしろ外交にしろ、自国の利益を追求するために自国を主語にして主体的な行動を取るのが当然である。

 自称知識人たちが小難しい顔をして役にも立たない議論を繰り返す余裕などない。

 今の日本が採るべきは、大規模かつ長期的な財政・金融政策を打って内需主導型の経済運営を粛々と進め、領土問題に関しては経済制裁や武力による威嚇も厭わないといった当たり前の政策を行うことだろう。

 国内の経済基盤さえしっかりしておれば、外交的な有事の際に相手国の動向に振り回されることもなく、外交手段として切るべきカードの選択肢も増えることに早く気付くべきだ。

2012年9月13日 (木)

世の中をミスリードするマスメディアの力を削げ!

 先週9月9日に、マスコミが楽しみにしていた維新の会公開討論会が行われた。
 同会は、何週間も前からマスコミ紙上で大きな話題を呼び、自称改革派の首長や民主党・みんなの党の国会議員だけでなく東国原元知事が参加すると発表されるや維新ファンのボルテージは最高潮に達した感があった。

 だが、フタを開けてみると、会場には空席(誰のための席だったのかは不明)が目立っていたし、討論会が入会希望者(旧党への裏切者)への踏み絵的なものに終始し議論も低調だったせいか、マスコミの評判はいまひとつだったようだ。

 おまけに、翌日が新聞休刊日という間の悪さもあり、維新の連中が期待するほどの宣伝効果はなかったようだ。維新の会の中学生市長が市政を放り出してまで行った討論会だったが、肝心の議論の内容が、出席者による“維新八策の大唱和”のみでは、さすがにマスコミもフォローし切れなかったのか、称賛半分、批判半分といった歯切れの悪い報道だった。
 討論会でのビッグサプライズを期待してワクワクしながら準備した予定稿がボツになり、マスコミの連中もさぞや意気消沈していることだろう。

 先に発表された維新八策(改定版)の内容は、構造改革や新自由主義的な色彩が極めて濃く、マスコミの政治志向とほぼ一致するし、“社会システムのグレートリセット”を掲げる勇ましさは、マスコミにとって、賞味期限の切れた自民党や民主党に代わるコンテンツとしてこれに勝るものはないはずだ。

 中でも、首相公選制や道州制の導入など「国のかたちを変える」提言は、お祭り騒ぎの大好きなマスコミにとってはたまらない提案だろう。

 恐らく、八策の内容で気に食わないのは、自主防衛力の強化と外国人への規制の部分くらいだろう。(そのせいか、マスコミは、維新の会に対して領土問題を問い質すことがない)

 ここ数日間のマスコミによる維新報道を眺めていると、これまでと比べて称賛のボルテージが若干下がった(週刊現代を除く)ように感じるが、衆議院解散が現実化した後のことは判らない。このまま維新の会をヨイショしてグレートリセットに猛進するつもりなのか、方向転換して自民党の新総裁を担ぎ上げ政権奪還を叫ぶつもりなのかは、いまのところ不透明だ。(昨夜の集金パーティーは盛り上がったようだが…)

 いざ解散総選挙ともなれば、郵政選挙や政権交代選挙の時と同じく、多くの国民が、マスコミ報道によって創られた“風”に流されて、改革者を自称する生活破壊者に投票するであろうことは容易に想像がつく。
 日ごろから政治や経済の真相にほとんど興味を持たない多くの国民にとって、マスコミが示す指針や論調は、非常に便利なものだ。

 新聞やTV、雑誌、小説、漫画、アニメなどありとあらゆるメディアを通して、政治家や官僚、軍隊、既得権益者は悪者として描かれ、それらを叩けば世の中が良くなるという刷り込みが毎日のように行われる。

 その効果は絶大で、「ムダ遣いを減らして景気を良くしろ」とか「公務員を減らして若者に職を与えろ」といった類の勘違いが市井に蔓延るのも、こういった日ごろの洗脳行為の賜物だろう。

 猛威をふるうマスメディアも、企業経営の側面から見ると、新聞やTV、雑誌などの凋落ぶりは明らかだ。

 例えば、朝日新聞・日経新聞・毎日新聞の3紙の売上推移をみると、2002年~2011年の10年間で、それぞれ▲22.4%・▲27.8%・▲17.7%と大幅な減収となった。また、TV業界でも視聴率や収益率の低迷による人件費や番組制作費のカットが横行し、人気アナウンサーの退職や番組内での事故が相次ぐなど影響が顕在化しつつある。

 しかし、財務的なダメージがある一方で、世論形成に対するマスコミの影響力は年々強まっているように思える。
 今年3月時点でのパソコン普及率は77.3%(2人以上世帯)、インターネット普及率は昨年末の数値で79.1%(8割の人が日常的にネットを楽しんでいるということではない)に達している。また、今年5月のネット広告費は292億円と新聞の301億円に肉薄する水準に達しており、こういった結果から、巷間言われるように、新聞やTVなどのレガシーメディアの役割は終わったと思われがちだが、残念ながら現実はそうなっていない。

 確かに、既存のメディア論説に満足できない層のニーズをネットが受け止め、ネット空間上で大きな勢力を築き、そこで活発な議論が行われていることは間違いない。
 だが、そういった新たな潮流が政治や経済のあり方を変えるまでに成長しているかと問われると、現状では否としか言えない。

 これまでにも、国政選挙や地方選挙から政党の党首選に至るまで、その結果を見れば、ネットと世論との間に大きな格差が生じていることは明白だ。ネット上で大きな支持を集めた候補者が、リアルの選挙戦で惨敗することも稀ではない。
 ネットで交わされる政策や経済論争の内容が濃ければ濃いほど、既成政党への期待感が萎み無党派層を増やすだけという結果になっているのではないか。
 無党派層の割合は2002年から減少傾向にあったが、2009年頃を境目に増加傾向にあり、直近では50%を超えて過去最高の水準になっているようだ。

 ただし、無党派層といえども、既成政党に対する嫌悪感には大きな差異がある。右から左まであらゆる政党を否定する者も一定数いるが、無党派層の多くは気まぐれだ。その時々の世の中の雰囲気に釣られて投票先を変える者がほとんどだろう。

 だからこそ、マスコミに煽られて選挙で大きな雪崩を引き起こした挙句に、数年後に手酷い反省会をさせられるハメになる。

 次回の衆院選でも、郵政選挙や政権交代選挙と同様に、マスコミに踊らされた無党派層の連中がグレートリセットの引き金を引かされる(その銃口は自分達に向けられているのだが…)危険性が十分にあり、来年の参院選以降も悲劇は繰り返されるだろう。

 世の中には、マスコミの情報は信用できないなどと口では言いつつも新聞やTVの言うことにコロッと丸め込まれている人々のなんと多いことか。

 いい歳をしたオヤジが、「いまの政治家や官僚はだらしない。一度若い人に任せてガラガラポンしなきゃダメだよ。」などと飲み屋でクダを巻いているが、こういったリセット思考こそがマスコミの連中にツケ込む隙を与えるのだ。 

 不況で悪化する生活環境にウンザリしつつも自分ではどうすればよいか判らず悶々と悩む人々のやり場のない怒りをマスコミの連中は巧みに利用する。
 全ての問題を既存の社会制度に押し付け、それを破壊する改革者を華々しくデビューさせ、怒りはあれども何の対策の無い市井の人々から熱狂的な支持を集めて世論をミスリードするのが、小泉アホ政権誕生以来のマスコミの常套手段なのだが、多くの国民はそれに気付けない。

 このままでは、恒常化する不況→人心の荒廃→政治体制や行政機構への嫌悪→改革者待望論→マスコミの煽り→エセ改革者への権力譲渡→構造改悪による社会基盤の破壊→更なる不況の到来という悲劇のループを繰り返すことになるだろう。
 そうさせないためには、政治経済の思考において国民に多大な影響力を行使しているマスコミの力を大きく削いでいく必要がある。

 マスコミの収益源は何と言っても広告収入だ。
 衰えたといえども新聞やTVの広告収入は2.4兆円あまりにも上るが、これらを徐々に締め上げて巨大メディアのパワーを削っていくにはどうすべきか。

 最期に、この点に関して私見を述べたい。
 新聞を例に挙げると、1面下段の広告からTV欄の端っこにある広告まで、株式市況とお悔やみ欄を除くと紙面の半分くらいは広告欄で占められている。しかし、その広告内容たるやまさに玉石混交で、まともな企業のまともな広告もあるが、カルト宗教や科学的根拠のない医療行為、詐欺紛いの金融商品、精力剤、怪しい医療器具や健康食品、開運印章、資金源の怪しげな通販会社など一流誌を自認する紙面に相応しくない広告も相当数見受けられる。

 過去には、大きな健康被害を引き起こした通販石鹸や詐欺事件に発展した金融商品もあり、新聞紙面に掲載されたことを信用して購入した消費者に大きな被害をもたらしているが、当の新聞は知らぬ顔を決め込んでいる。

 だが、こういった問題を梃にしてダイレクトに広告規制を掛けるのは現実には難しい。

 そこで、新聞そのものを学生向けの教育教材あるいは社会的な情報伝達手段として優良指定図書に指定し、各教育機関や公共機関のみならず就労前の大学生や専門学校生に無料配布させてはどうか。既にこういった機関や施設に新聞や雑誌が備えられているのは承知のうえで、敢えて基礎教育や公共的な情報リテラシー向上のためのツールとして新聞を持ち上げるのだ。

 しかも、配布に要する費用は国費で負担し、新聞の普及を後押しするだけでなく、教育現場で新聞を活用した教育プログラムを導入させて、若年層が新聞に親しむ機会を増やすなど、新聞業界にメリットを与える。

 その代わりに、優良図書の趣旨に逸脱するような広告や記事の掲載を厳しく禁じるとともに、記事についても公正な教育の観点から、掲載する諸問題に関して両論併記を義務付けるといった規制を掛けるのがポイントだ。

 新聞の普及に国費を入れ、且つ、教育や文化の向上というお題目で縛り付けることにより、これまでのようないい加減な広告掲載基準を厳格化させて新聞各社の収益力を徐々に低下させるのが最大の目的である。同時に、広告掲載企業の不祥事に対する連帯賠償責任を付加するのも良い手だ。

 このように、アメを与えて骨抜きにしつつ、広告や紙面構成の側面からコントロールできる環境下に置くことで、目に余るメディアの横暴を抑え込む方策を提案しておきたい。

2012年9月 4日 (火)

邪教に熱狂する国民たち

 ここ数日のマスコミ報道は維新の会一色の様相を呈している。
 代表の中学生市長に女性問題に関する不祥事があったにもかかわらず、マスコミ総がかりによる必死のフォローの甲斐もあり、もはや無かったことになっているようだ。
 さて、話題の維新八策の概要は次のとおりなのだが、相変わらずのレベルの低さに頭がクラクラする。
 一、衆院定数半減
 一、国会議員歳費、政党交付金の3割カット
 一、次官・局長級幹部の政治任用
 一、憲法9条改正の是非を問う国民投票実施
 一、主権と領土を自力で守る防衛力整備
 一、環太平洋連携協定(TPP)への参加
 一、消費税の地方税化と地方交付税制度廃止
 一、道州制導入
 一、首相公選制導入
 一、参院廃止と地方自治体首長が議員を兼職する院を模索
 一、脱原発依存体制
 一、関係首長選への公務員の選挙活動を制限
 一、公務員の身分保障廃止
 一、インターネットを利用した選挙活動の解禁
 一、生活保護受給認定は国の責任で実施
 中でも、肝心な経済政策や雇用政策の項目には、“競争力強化、グローバル化に対応する産業構造、自由貿易圏拡大、TPP参加、イノベーション促進のための規制改革、脱原発依存、グローバル人材育成、外国人材の活用”など、いかにもマスコミ受けしそうなキーワードが羅列されている。まさに、日経やダイヤモンド、週刊現代あたりがダボハゼのごとく喰いついてきそうなネタが満載で、この手の二流誌により更に増幅されて世間に布教されることだろう。

 いまの維新の会に対するマスコミや国民の異様な期待感は、この10年余りの間に国民の熱狂的な支持を得て誕生した小泉政権、民主党政権に寄せられたものと非常に近いものがある。
 長引く不況や失業・倒産の増加により世の中に閉塞感や限界感が充満し、マスコミによって、全ての矛盾や不満を既存の社会制度や政治・行政等の在り方にぶつけるような風潮が創り上げられ、多くの国民がミスリードされるという図式が繰り返されようとしている。

 維新の会が目指す政治指針のベクトルは、小泉バカ政権や民主党政権と同じく、“構造改革・緊縮財政・規制緩和・グローバル化”の文脈から形成されており、このまま実施されればデフレを促進し、致命的な経済失政を引き起こすことは明らかだ。小泉改革とやらのせいで社会基盤や行政基盤が大きく棄損され、民主党の事業仕分けや公共事業費削減により、我が国は先進国で唯一成長を知らない国になり下がってしまった。

 これは、デフレ不況の最大の要因が需要不足にあることを認識しようとせず、緊縮財政や過度な競争を強いて企業収益の悪化をもたらし、発展途上国への生産拠点や技術を流出させたことによるものだ。

 小泉→民主党のワンツーパンチでフラフラの日本経済に維新の会が止めを刺そうとしているのに気付かないマスコミや国民の愚かさには呆れ果ててしまうが、彼らは本気で維新の会が国のかたちを変えてくれる救世主だと信じ込んでいるのだから手に負えない。

 維新の会の大躍進を期待するオヤジ連中は、今日も居酒屋でレベルの低い政治談議をしながら、“政治家は信用できない”とか“政治家がだらしない”などとくだを巻いていることだろう。
 筆者は、政治家がだらしないのは政治の家業化による流動性の低下によるものと考えており、決して政治家の数が多すぎるからだとは思わない。政治家のレベルが低いのは、限られた範囲の人間にしか政治家のイスに座るチャンスがないためにいわばインナーサークル的な集合体が生まれ、そこに政治業界独特の慣習や相場観が形成され、それに呪縛せざるを得ないような風潮が蔓延するからだろう。だからこそ前例踏襲的な思考が横行し、官僚に言いくるめられてしまうのだ。
 いまの衆議院の定数は480名のみで、全国民の0.0004%にしかチャンスがない。維新の会はこれすら半分に減らそうというのだから、開いた口が塞がらない。これでは、ますます国民の政治参加の機会が減ってしまうことになり、国民の意思を政治に反映させる途が狭くなる。国民が持つ政治家への軽蔑感を利用して、特定の者のみが政治を牛耳ることにつながる制度を巧みに政策に盛り込む維新の会に騙されてはいけない。
 こんな愚策を“身を切る改革”だと持ち上げているうちに、国民が政治に参加できるチャンスがこっそりと削られてしまうのだ。
 
 そもそも、維新の会のようなインチキ政治集団がこれほど持ち上げられる背景には、デフレ不況に対する国民の大きな勘違いがある。
 デフレが起きるのは需要の落ち込みによるものという簡単な理屈を理解できている者は極めて限られる。多くの国民やマスコミ、有識者らは、いまだに不況の原因がムダづかいや公共事業のやりすぎのせいだと頑なに信じている。
 TVや新聞で“デフレ”という言葉を耳にする機会が増えたはずだが、デフレと不況とが頭の中でリンクできないようだ。なぜか、不況=インフレという呪縛から逃れられないから、不況は官僚や政治家がだらしないせいだ(ある意味当たっている面もあるが…)とか、若者に元気がないせいだなどといった勘違いが横行し、ムダづかいや公共事業を目の敵にするようになる。それが高じて小泉政権や民主党政権などといった類の邪教を熱狂的に呼び込もうとする誤った空気が醸成されるのだ。

 いまとなっては、ちまちまとインチキ宗教の信者たちを説得しても、恐らくマインドコントロールを解くことはできないだろう。そんなことに時間を割いているうちに、ますますデフレは深刻化する。
 彼らは国債の意味や経済の大きな流れを理解しようともせず、マスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにするばかりで、江戸時代の民百姓並みのレベルから進化していない。
 公共事業や財政政策がもたらす経済効果を正面切って理解させるよりも、防災とか教育、雇用、医療、福祉、科学技術、安全保障など国民のニーズが高い分野を基点に人員強化などのソフト事業から切り込み、それらに関連させて徐々にハード事業を拡大させ既成事実や事業効果を積み上げて納得させることが重要だ。
 防災であれば、いきなり堤防建設から入るのではなく、消防などの被災者救助人員面の予算拡大を図り、その後に救助に必要な車両の配備、車両の格納施設、車両をスムーズに移動させるための道路の拡張といった具合にハード面を攻略することが肝要だ。
 本来なら、このような策を弄せずとも、国民の生命や資産を守るための公共事業であれば、万難を排して積極的に行うべきなのだ。だが、東日本大震災のような厄災を経ても、相変わらず構造改革教の呪縛が解けない国民に、いくら正論を説いても時間の浪費に終わるだろう。

2012年9月 2日 (日)

夢の世界の住人たちに蝕まれる現実社会

 震災復興や経済、外交、社会保障問題など我が国には喫緊の課題が満載だ。
 特に、国家運営や社会基盤の血液とも言える経済問題の解決やそれに伴う震災復興が最優先の課題であることは論を待たないが、これらの問題に真剣に取り組もうとする者は限られる。
 マスコミの連中にとって何よりホットな話題は、脱原発と大阪維新の会の動きだろう。
 脱原発運動は、一時よりも下火になった感のあるCO2削減運動の代替品として格好のネタであり、原発事故をやり玉に挙げてしゃにむにゴリ押している。
 毎週金曜日に首相官邸前で行われている反原発デモは、プロ活動家に先導された頭のおかしな市民を巻き込んで盛り上がっているようだ。マスコミも、反原発デモを新しいうねりだなどと持ち上げるものだから、参加している連中も随分調子に乗っているようだが、筆者から見れば、単に被災地に対する風評被害を撒き散らしているようにしか見えない。
 そもそも、デモに参加している輩は“原発の再稼働反対”、“原発止めろ”などと一心不乱に叫んでいるが、原発に代わる新たなエネルギーの代替策を持ち合わせている訳ではない。2010年時点で発電電力量の26%を占める原発を強引に止めて、いったい、代わりに何を動力源とするつもりなのか。

 この問題に関する脱原発運動家の解答には二つの流れがある。
 一つ目は、再生可能エネルギーの発電比率を大幅に引き上げようとするものだ。
 二つ目は、再生可能エネルギーの拡大には技術的あるいは経済的に無理があることを自覚した上で、発電量の縮小に社会の仕組みを合わせようと提唱し、現状の文明生活を贅沢すぎるものとして、地球環境に負荷を与えぬようより質素な生活に耐えるべきと説く考えだ。
 いずれも、現実を顧みない愚論で、いまどき小学生の作文ですらもう少しレベルの高い提案が出てきそうなものだ。

 先に内閣府が各地で実施した「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」では、出席者の殆どを脱原発派が占める中で開催され、原発ゼロシナリオ、15%シナリオ、20-25%シナリオの是非が議論された。(というより、いかに原発ゼロシナリオが正しいものか、という点のみが議論されたというべきか…) これを受けて毎日新聞の世論調査では、原発ゼロシナリオを支持する割合が46.7%に達した(15%シナリオは15.4%、20-25%シナリオは13.0%、いつものとおり態度保留や無回答のバカが残りの25%を占める)
 

 だが、既に一部の良識的なメディアが指摘しているとおり、議論の基になった“エネルギー・環境に関する選択肢”なる資料は、その前提条件に大きな誤りがあることをマスコミは一切報道していない。
 おかしな前提条件の最たるものが、再生可能エネルギーの発電比率である。
 資料では、2010年時点の発電比率を原子力26%、再生可能エネルギー10%、化石燃料(石油・天然ガス・石炭)63%と規定する。そして、20年後の2030年を目途に再生可能エネルギーの比率を“原発ゼロシナリオで35%、15%シナリオで30%、20-25%シナリオで25-30%に引き上げる”といとも簡単に書いている。
 まず、再生可能エネルギーの内訳だが、資料では「水力・太陽光・風力・地熱・バイオマス」がこれに当たると記載されている。因みに、資源エネルギー庁による2010年時点の電源構成比率は、資料とは若干の差異はあるが、原子力28.6%、石炭25.0%、天然ガス29.3%、石油等7.5%、水力8.5%、新エネ等1.1%であり、これらを資料に合わせて集計すると、原子力28.6%、再生可能エネルギー9.6%、化石燃料61.8%となり、先の資料とほぼ近い数値になる。
 
 だが、ちょっと冷静に考えれば、2030年を目途に再生可能エネルギーの比率を原発ゼロシナリオで35%に引き上げるという前提条件が、いかに夢物語の類に過ぎないかがよく判る。
 現状の再生可能エネルギーが9.6%といっても、その9割近くは水力発電(=ダム)によるものだ。さんざん脱ダム宣言をしてきた連中が、いまさらダム建設を推進するわけがない。よって、35%という数値は、あくまでも、1.1%に過ぎない新エネ(太陽光・風力・地熱ほか)のみで達成しようというものだろうが、この論で行くと、20年後までに新エネの発電能力を現状の約32倍にまで向上させる必要があり、まさに気の遠くなるような話である。
 例えば、2011年時点で国内には1870基の風力発電機があるが、これを約60000基に増やすとなると、日本の海岸線は風力発電機で埋め尽くされても足りないだろうし、バードストライクや低周波による健康被害の増加による新たな反風力発電運動を巻き起こすことになろう。
 また、太陽光発電を例にとっても、一説には、国内の全電力を賄うのに、24時間日照が100%あるというあり得ない条件を基に計算しても1466平方㎞の面積が必要(通常の条件設定ならこの程度では済まない)とされ、目標の35%の半分を太陽光発電で賄うと仮定すると約250平方㎞という途方もない膨大な土地(香川県の13%くらい)が必要となる。
 筆者が先日参加した新エネルギー関係のセミナーでは、出席者の一部から、太陽光パネルの設置が野鳥の採餌や営巣に悪影響を与えるのではないかといったくだらない指摘があったが、新エネの旗手として持ち上げられている太陽光発電も、本格的に普及すれば、風力発電と同様に“何でも反対派のゴロツキ”に絡まれるリスクが十分にある。
 また、風力や太陽光発電の寿命は、15-20年と言われており、大目標の2030年に達する頃には、新エネブームに乗せられて慌てて設置した風力発電機や太陽光パネルが次々と更新時期を迎えることになる。その際には、途方もない量のゴミ処理問題が新聞紙上を賑わすことになろう。太陽光パネルはリサイクルができず、劣悪な中国製のパネルの中には重金属類が使用されているとも言われており、いずれ厄介な環境問題を引き起こすことだろう。
 加えて資料では、再生可能エネルギー導入コストとして、2030年までに太陽光で13.8兆円、風力で19.1兆円、合わせて32.9兆円の投資が必要と試算する。
 これらの財源を国債の日銀引き受け等で捻出してデフレ脱却の起爆剤とする、という成長戦略があるのなら筆者も諸手を挙げて賛成する。
 だが、実際には、財源は民間の投資(実態は外国資本による投資)に期待するといった腰の引けたもので、まことに心もとない。ましてや、財源の調達をエネルギー固定価格買取制度のようなくだらない制度に頼ることになれば、国民経済に増税と同様のマイナス効果をもたらすことになる。
 
 いま、エネルギー政策に関して日本が取り組むべきことは、反原発ゴロの挑発に振り回されることなく、十分にバランスの取れたこれまでのエネルギー政策の維持である。その上で、海洋資源の開発に十分な国費を投じて国産エネルギーの比率を向上させるとともに、エネルギー投資をデフレ脱却の起爆剤の一つの柱と位置付けることが重要である。
 
 マスコミがバカ騒ぎするもう一つの問題「大阪維新の会の維新八策」について、今回は特に詳しく言及しない。過日発表された内容も以前のエントリーで批判した時のものから大きな進歩はないようだ。
 維新八策などと大上段に構えているが、小泉構造改革路線への先祖返りそのもので、何の新鮮味もない。その中身は、他人に競争を強いることと公務員への妬みしかない典型的な新自由主義経典である。こんなものを振りかざして日本経済が回復するはずがなく、失われた〇年の記録が更新されるだけだろう。この程度の中学生レベルの作文に誌面を大きく割けるのだから、新聞や雑誌の記者もよほど暇なのだろう。
 彼らの口ぐせは、“国のかたちを変える”だが、その中身は国民が期待しているものとは違う。維新の会の連中は、機構とか組織といった“かたち”をいじくることには異様な執念を燃やすが、それらの内容や中身をよりよいものにすることには関心がない。特に、経済政策のベクトルが、デフレ脱却ではなく、新自由主義的な競争マターの思考に陥っている点は致命的だ。
 この幼稚で有害な政治サークルの連中でも、既成政党に見切りを付けるなどと意気込むマスコミに持ち上げられて、次期選挙では一定数の国民から支持を受け見通しだ。
 競争と無縁の位置にいる者にとって、他人に競争させて叱咤さえしていればいいような政策は、たまらなく魅力的だろう。また、“希望は戦争”世代の人々の中にも、世の中をガラガラポンしてくれそうな政策に期待する者もいると思う。
 だが、競争ごっこや改革ごっこにうつつを抜かしていると、早晩、国民経済の疲弊という多大な代償を払わされることは、既に小泉バカ改革以降の政権で十分実証済みであり、もう一度顔を洗ってよく考えるようにと忠告したい。

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