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2012年11月

2012年11月27日 (火)

現実を直視せよ

平成23年分民間給与実態統計調査(国税庁)によると、ここ10年の平均給与は、

・平成13年分 4,540千円(前年比▲1.5%)

・平成18年分 4,349千円(前年比▲0.4%)

・平成23年分 4,090千円(前年比▲0.7%)

と直視するのが辛くなるような低調ぶりだ。

いまさら数値を並べて説明するまでもなく、世知辛い職場で毎日せかせかと働かされる者の実感を反映した結果だと言えよう。

だが、年々減っているのは給与だけではない。増え続ける業務目標とは裏腹に、ポストも交際費も同僚も部下も氷が溶けるように減らされている。それは、若者から雇用の場を奪うことにもつながり、多くの若者が、今日も不安の中で厳しい就職活動を強いられている。

 

長らく続く緊縮財政策により景気を刺激する力が絶対的に不足した経済環境下では、国内需要が低迷するとともに、少ない需要を巡って企業間の競争が激化し、売上や収益を犠牲にした勝者なき競争が延々と続くことになる。

出口の見えないデフレの闇の中で誰もが大きな不満やストレスを抱えることになり、“モノの価格が安いのは良いこと”という意識が先行し、国家財政を主婦感覚や家計簿意識で論じることが当然という勘違いが蔓延する。

 

さて、衆院選を睨んで公共事業の強化や大幅な金融緩和を訴える安倍総裁の経済対策に対して、野田首相は「紙幣をいっぱい刷れば経済が良くなる。そんな経済政策を通じるはずがない」と厳しい批判を寄せた。

だが、首相のこういった批判は、戦後のモノの乏しい時代をいまだに引きずる古くさい家計簿の発想だといえる。

デフレ不況の要因が需要不足にあることは、すでに日銀総裁も認めるところで異論の余地はないだろう。

「需要が不足している」ということは、国内に溢れ返る商品やサービスの買い手が足りない、それらに対してカネを払う者が足りないということだ。

あらゆる企業が必死になって「カネ」を集めよう(=売上を上げる)とする時に、最も必要なのは何だろうか。

答えは簡単。それは「カネ=紙幣、通貨」である。

物々交換の社会じゃあるまいし、IPadと大量のじゃがいもを交換しようとするバカ者などいまい。

であれば、経済を良くする=需要不足を解消するためには、供給力に見合う紙幣を実体経済に供給してやるしか手がないことなど常識だろう。

紙幣や通貨を世に供給できるのは国家(政府)しかない以上、安倍総裁が提言する財政政策と金融政策のポリシーミックスは、常道中の常道とも言える当然の政策だ。これにケチをつけるのは勝手だが、我慢や念仏では経済を好転させられないのだから、後で恥をかくだけだ。

“多額の借金を抱える日本はこれ以上国債を発行すべきでない”、“建設国債の日銀引き受けなんてやれば、財政ファイナンスを疑われてハイパーインフレになってしまう”という時代遅れの観念論だ。いつまでもそんなものに固執していては永遠にデフレから脱することはできない。

 

高度な供給力に不釣り合いな需要しかない日本経済にとって、紙幣が増刷され実体経済に供給されれば経済成長が実現するであろうことは、呼吸すれば体内に酸素が取り込まれるのと同じくらい自明のことなのだが、構造改革教の信者たちは、それを頑なに否定する。

それどころか、人間に呼吸を止めさせ光合成を強要しようとするから手に負えない。

大阪の中学生市長や池田信夫などを始めとする構造改革教の信者たちは、経済危機を前にしても、公共事業など無駄だ、日本の産業構造を変える必要があると強弁するが、需要の意味や経済活動の基本的な仕組みを理解できていないようだ。

彼らは、国民の収入状況に関わらず“魅力ある商品やサービスの出現を待ち焦がれる無尽蔵の需要が常にスタンバイ状態にある”ことを前提にしている。

このため、“国家が経済を主導するなんてとんでもない、民間の競争から生まれた経済成長しか認められない”と考えがちだ。

そこには国民経済全体を発展させようというマクロな視点はない。自分の考えに合う者だけが生き残ればよいという狭小かつ幼稚な思考しかない。

 

また、構造改革教の教義では、グローバル化が善とされ、需要は常に海外にあることになっている。

デフレに苛まれ、少子高齢化や人口減少が進み衰退した国内市場など、彼らの眼中にはない。成長するアジアや勃興する新興諸国こそが彼らの狙うフィールドであり、そこに無尽蔵の金鉱が眠っていると信じて疑わない。

経営学の常識では、マーケティングやコマーシャル、物流コスト等の観点から、消費地の近くで生産販売するのが原則だろう。

ましてや、ユニクロや楽天のように(調子に乗って)英語の社内公用語化を社員に強要するような自称グローバル企業であれば、何も人件費の高い日本に固執する必要などないはずだ。

大好きな中国や東南アジアに会社ごと移転させて、有能かつ低コストな現地の人材(英語もペラペラ)を使えば、より高い収益率を実現できるはずだ。

両社とも、いつも社長が偉そうに“これからはグローバルな人材が必要だ”とか“日本に閉じこもっていては淘汰される”と吠えている割に、一向に日本から出て行こうとしない。

便利かつ安全な日本の社会インフラや社会制度のうえにどっかりと胡坐をかきつつ、人件費の安いアジアへ雇用をシフトさせ、日本の若者は甘えているだとか元気がないなどと筋違いな意見を垂れ流しているが、肝心のお前はどうなのかと問いたい。

ホームタウンで威張るばかりで、アウェーで闘う勇気も自信もないのではないか。

 

「日本の産業構造を変える必要がある」というマスコミの決まり文句にも異論がある。

農業や建設業をはじめ公共事業頼みの生産性が低い業種を排除して、付加価値が高い産業分野への転換を図ろうとする意図のようだが、これこそ「需要と供給の関係」をまったく無視したファンタジーだ。

生産性の高い産業とか付加価値の高い業種へ産業構造を転換させようとするのは、観客を減らすにまかせて舞台に上がる演者ばかりを増やそうとするのと同じことだ。

最高の演技、至高のパフォーマンスをしさえすれば、観客なんてどこからともなく現れるはずだ、という単純な発想が根底にある。

だが、現実には、観客の懐にカネが入っていなければ、魅力的な舞台を観たくてもとても観に行けるものではない。

そうなってしまえば、血の滲むような努力を重ねた演者たちは、無人の客席に向かって空しく熱演するしかなく、むろんギャラが支払われることもない。

 

産業構造の変革云々といった浮世離れした抽象論をぶつよりも、経済学の常識に従って公共事業を通じて実体経済へ資金を大量に供給し、未来の先進産業の育成につながる分厚い需要を創出することが大切なのだ。

特定の先進産業に資金を投下しても引き受けてのない供給力ばかりが増すだけだ。まずは、産業全体に需要の源泉となる資金を投じることにより、先進産業の芽を育てる土壌をじっくりと育成することを忘れてはならない。

 

最後に、滋賀県の“何でも反対知事”が、卒原発を標榜して新党を立ち上げるそうだが、自殺者まで出した足元のいじめ問題を放置したままで、よくこんなくだらないパフォーマンスができるものだと呆れている。

この動きは、第三極の二分化を進めるものになり、維新の会やみんなの党にとっては票が割れ不利になると見込まれるが、県政で大した実績を残せない反対屋知事の政治パフォーマンスとしか思えない。

 

それにしても、経済や国防・教育など国家や国民生活に迫る喫緊の課題を二の次にし、反原発とかTPPという呑気な理念に熱狂する連中の頭の中はどうなっているのだろうか。

旦那は失業中で妻はパート勤め、息子は求職中、両隣を布団叩きおばさんのようなクレーマーに囲まれ、メンテ不足で家の柱には白アリがタカっているような一家が、風呂釜をガスにするか、灯油ボイラーにするかで真剣に悩んでいるようなものだ。

世の中には、反原発きちがいの連中(週刊金曜日とか通販生活の購読層や大麻愛好者の連中)が大手を振って闊歩しているが、実際には大震災による福島第一原発が日本に与えた実害など大したことはない。

構造改革教の教義に忠実なマスコミの連中は、たとえ震災復興と云えども公共事業を伴う財政支出は好ましく思っていない。そこから国民の目を逸らすために、あえて反原発主義者たちを煽って原発反対デモを支援したり、風評被害を撒き散らしているだけなのだ。

 

くだらないデモで気勢を上げている暇人は、現実の放射能被害が如何ばかりのものか知っておくべきだ。

どうせ一日中暇でやることもないだろうから、「被災地の皆さんに寄り添う」と云う日頃のキレイごとを実践すべきだろう。

ぐだぐだと文句ばかり言っているのではなく、自分の足で無人化した計画避難区域を訪れ、元気に駆け回る野生化した牛に“体調はどうか”と尋ねてみてはいかがか。

2012年11月25日 (日)

「民間の力」という幻想

124日に公示を控えた今回の衆院選だが、いまひとつ盛り上がりに欠けている。

マスコミに言わせれば、14もの政党が乱立し各党の主張がよく判らない、というところだろうが、それは違う。

選挙モードに火が着かない要因は、景気・雇用対策や社会保障の充実を願う国民のニーズとは裏腹に、マスコミや財務省主導によるTPPや原発、消費税等への強引な選挙争点ずらしが行われていることと、マスコミがゴリ押しする維新の会や太陽の党、みんなの党等の第三極の連中が鵜合離散を繰り返すばかりで一向にまとまらないことにある。

 

その間隙を縫って、自民党安倍総裁が積極的な政権構想を語っているのが印象的だ。

デフレで棄損した日本経済の再生や中韓との国境争いで生じた国防意識の向上を基に、「日本を、取り戻す。」という判りやすいキャッチフレーズを出してきた。

(“大胆な規制緩和”とか“官民協調外債ファンド”とかいうどうでもよい政策のことは触れないでおくが…)

先ごろ発表された政権公約では、震災からの復興や経済再生、教育再生、外交立て直し、暮らしの再生などが謳われ、特に経済再生の項では、「失われた国民所得50兆円奪還」、「縮小均衡の分配政策から成長による富の創出」、「デフレ・円高からの脱却、名目GDP3%の成長」といった成長を志向させる目標を掲げている。

これらの政策は、

・デフレにより失われた国富を取り戻す必要があること

・成長によってしか富を得ることはできないこと

・実質ではなく名目ベースでの成長を明言すること

という基本事項をキチンと踏まえており、デフレ脱却による経済成長を目指す方向性として正しいものである。

こういった当たり前の主張をできる政権や政治家が、ここ十数年の間(安倍前政権も含む)に現れなかったことは日本にとって大きな不幸であったが、それもようやく解消できそうだ。

 

このほかにも安倍総裁は、政府と日銀の協調によるインフレターゲットの導入や日銀法の改正、国土強靭化法に基づく大規模な公共投資の実施など、かなり前向きかつ具体的な政策を矢継ぎ早に提言し、民主党ほか各政党や日銀、財務省、経済界、マスコミ、御用学者など小泉バカ政権以降のデフレ体制にどっぷり浸かってきた「既得権益者」たちを大いに慌てさせている。

「既得権益者」の連中は、さっそく、財政規律が緩むとか、戦後のハイパーインフレ(事実無根だが…)の教訓を忘れるな、などと批判を浴びせ始めた。

自分達は、さんざん金融政策一本槍の経済対策しか打てなかったくせに、いまになって、金融政策は景気回復に効き目がないなどと可笑しなことを言い始めており、もはや支離滅裂になっている。

 

確かに、金融政策だけでは、金融市場から実体経済へ期待するほどマネーが流通せず景気刺激の効果は少ない。

だからこそ、財政政策により実体経済を直接刺激して活性化させ、金融市場から実体経済へのマネー還流ルートをも併せて蘇生させることが必要なのだが、「既得権益者」たちは新自由主義や構造改革教の教義に固執し、頑なに財政政策を拒否し続けてきた。

 

財政政策から逃げ回ってきた結果が、小泉バカ政権から民主党政権に連なるデフレ体制維持政権による国民経済の弱体化なのだが、まったく反省の色がない「既得権益者」たちは、負け惜しみをほざくばかりで失敗を認めようとしない。

安倍総裁の経済プランに対して、「議員や政治家が経済対策を打っても経済成長しない。大阪市のキヲスクを天下りから自由競争にしたら売上が伸びた。もっと規制緩和して民間に任せればよい。役人にバラマキをさせるより、民間に任せれば適切な投資ができる。」などとレベルの低い批判をする大阪の中学生市長などその典型例だろう。

キヲスクの例など、ローソンと郵便局を合体させたら売上が伸びたと自慢していた竹中と同レベルのくだらない話である。

デフレ下にある日本といえども、新たなサービスにより売上を伸ばす企業や団体など、中学生市長が自慢しなくともごまんとある。

問題なのは、経済全体のパイが縮小する中では、そういった成功例の裏に市場を奪われて撤退を余儀なくされる企業が、その数倍~数十倍存在するという事実を直視できないことにある。

 

「既得権益者」たちが、ユニクロや楽天の成功例を採り上げては“それみたことか。売上が伸びないなんて単なる言い訳だ。競争に負けた企業は市場から退出しろ。”などと見下した態度を取って悦に入っているうちに、国内市場からどんどん企業が減っているのだが、彼らは一向に危機感を持とうとしない。

労働規制を緩和しろ、法人税を下げろ、安く使える外国人を使わせろ、でないと海外に出て行くぞと傍若無人に振る舞う居直り強盗たちは、「民間の力」を過信している。

彼らは政治や官僚を見下して、“膠着した官僚主導を打破して民の力を活用すれば経済が活性化する”と事あるごとに自慢するが、ならばなぜ、絶大なパワーを持つ民間企業のうち黒字企業の割合が25%程度しかないのか。

政治や官僚による支配力が今より格段に強かった高度成長期には60-70%、バブル景気期には50%もの割合を誇った黒字企業はどこに行ってしまったのか。

 

また、中学生市長のように、民間企業は役人と違って利に敏く適切な投資を行える、なんて考えている者がいるとすれば、相当な世間知らずだろう。

筆者も数多くの中小企業を訪問してきたが、事務所や工場、倉庫に積み上がった不良在庫や陳腐化して放置された機械や工具類、大量に買ったまま埃をかぶっている資材などを見かけないことなどないといってよい。

資金的に余裕のある大企業ならともかく、カネに切羽詰まった中小企業であれば、世間知らずの「既得権益者」の言を借りるまでもなく、投資や消費に厳正かつ慎重であるべきなのだが、現実は全く違う。

取引先に言われるままに身の丈以上の生産機械を買ったり、ろくにマーケティングもせずに思い込みで大量の資材を買い込んだりして赤字を積み上げているのが現実の「民」の姿なのだ。

 

では、愚かな中小企業が市場からはじき出されるのを自由競争の理想の基に放置してよいのかと言えば、それは違う。

なぜなら、それは大量の失業者や国内産業の衰退を招き、デフレを長期化させ国民経済の破壊につながるからだ。

赤字を出したり投資に失敗した企業であっても経済のパイが拡大する環境なら、再起を果たすチャンスが与えられ復活の可能性も高まり、経済や社会の安定化に寄与する。

 

黒字企業であれ赤字企業であれ、目指すところは売上の拡大である。

「売上」とは、突き詰めれば「日本円を獲得する」ことに他ならない。

であれば、経済や市場を活性化させるには、実体経済に十分な量の「日本円」が存在することが大前提となり、実体経済に円を供給するには、強力な財政政策とそれを支える金融政策が不可欠である。

雨を降らせずに水不足の状態のままで、水の奪い合いを強いるような経済環境では、いくら根性論を説いても、また、規制緩和やグローバル化を唱えても経済が回復することはないだろう。

いま必要なのは、十分に雨を降らせて、くだらない水の奪い合いから「民の力」を解放してあげることなのだ。

2012年11月20日 (火)

マスコミによる選挙の争点ずらしに騙されるな

「年金や医療など社会保障」29.2

「景気や雇用」28.4

「消費税などの税制」13.3

「原発問題をめぐるエネルギー政策」9.1

「TPP参加の是非」2.6%…

これは、共同通信社が1117-18日に行った世論調査の項目の中で、今回の衆院選で投票の際に重視する課題は何か、という問いに対する回答結果である。

 

衆院選突入が決まるとともに、TVや新聞では、太陽の党と維新の会との低レベルな野合をネタにした第三極勢力のゴリ押しが露骨に続けられている。

同時に、自民党など強力な財政・金融政策によるデフレ脱却を主張する政党に関する報道を極力抑えようとする意図が丸見えだ。

新聞誌上やニュースでは、維新の会を中心とする第三極の動静を中心に報道され、続いて野田首相の独演会や民主党の内紛が報じられるが、次期政権が有力視される自民党に関する報道は断片的にしか報じられない。

報道の順序や時間に大きな差を付け、衆院選で第三極を大暴れさせたいというマスコミ連中の強い意志が感じられる。

 

マスコミが衆院選を闘う各党の政策の違いを説明する際に使われるフリップには、必ず「消費税増税」、「脱原発」、「TPP参加」の3つが登場する(中韓を刺激したくないので外交問題には触れようとしない)が、これらは、いずれも国民最大の関心事である社会保障や景気・雇用対策を確実に後退させるキーワードである。

そして、マスコミは、意図的にこのフリップを多用し、衆院選の争点をこの3点に集約すべく世論を巧みに誘導している。

 

社会保障の充実や景気対策、雇用対策をやって欲しいというのが国民の本音のはずだが、マスコミの連中は、そういった“カネのかかる俗っぽい”要望に耳を貸そうとはしない。

彼らは、「財政が大変な時に景気対策とか社会保障なんてとんでもない。欧米並みに増税しないと日本が破綻するぞ。」、「原発なんて、あんな危ないもの動かせるわけないだろ。」、「これからはグローバル化だ。百姓のご機嫌を取って国を閉ざすなんて時代遅れだよ。」などと本気で信じ込んでおり、自らに都合のよい論点を選挙の争点化しようと必死になっている。

そこには、国民のニーズを国政に反映させようとする配慮は一切感じられない。

 

一方で、あいもかわらずマスコミの世論誘導に引っ掛かる国民にも大きな責任がある。

今回の衆院選では、13-14もの政党が乱立し、決められない政治を助長する要因だと問題視されている。

マスコミの街頭インタビューでも、「どこの政党も同じことばかり言っている。」、「政党の数は多いが、政策がよく判らない。」などと寝ぼけたことを応えるシーンをよく見かけるが、これぞ国民の勉強不足の最たるものだ。

いまどきインターネットを見れば、各政党の政策や主張(実際にやれるかどうかは別として…)など一目瞭然だし、普段の新聞やTVの情報を見れば、どこの政党が何を主張しているかくらいは判らない方がどうかしている。

 

そんな、ちょっとした努力さえしようとせずにボケーッとTVばかり見ているものだから、いつもマスコミに騙されてしまい、選挙の争点がマスコミによって恣意的に巧みにずらされていることに気付けないでいる。

そして、終わってみれば、自分達が求めていた景気対策や社会保障対策が、いつの間にかすっかり置き去りにされてしまい、全く逆の主張をする詐欺師たちに票を投じてしまうというバカバカしい前例を、国民は、ここ十数年間で2度ほど経験済みのはずだ。

 

日本国民は、デフレ脱却や東北の復興をそっちのけで国民負担の増加ばかりを堂々と主張するアジテーターに騙されて、再び同じ過ちを繰り返すことになるか、常識的な財政・金融政策により国民経済の成長を取り戻せるのか、という大変重要な岐路に立っていることを自覚せねばならない。

2012年11月18日 (日)

新自由主義や構造改革教こそが日本を後退させる

野田首相が珍しく約束を守り、自らの宣言どおり1116日に衆議院を解散した。

“近いうちに解散”宣言から3カ月以上を経て、ようやく解散が実現したわけだが、何とも中途半端な時期を選択したものだ。

年明け解散や年度明け解散を望む(政党交付金狙いの)党内の声に背いただけでなく、維新の会など第三極にとっても選挙対策の準備が整わないうちに梯子を外された形だ。

 

とはいえ、維新の会の連中も前々から話題づくりに勤しんでいた割に、ずいぶんとのんびりしていたものだ。年内解散の可能性も十二分にあったはずだが、いまだに候補者の選定作業をやっているようでは、ド素人同然である。

しかも、肝心の選挙資金が不足しているようで、立候補者から急きょ100万円(比例区に重複して立候補する場合は+300万円)を上納させるなど、仕切りの悪いブラック企業そのものだ。

こんなことでは、たとえ選挙で当選しても、後から大量の選挙違反者を出す羽目になるのではないか。

 

それにしても今回の解散は、低迷する民主党の支持率を回復させるには早すぎ、第三極を抑え込むには石原暴走老人の台頭を許すなどやや遅きに失した感もあるという、まことに中途半端な時期での解散だと思う。(この中途半端さ加減がいかにも民主党らしいとも言えるが…)

 

さて、衆議院の解散がなされるやいなや、マスコミの連中は、「野田首相は安倍総裁との党首討論で優勢だった」とか「党内の反主流派を切り捨て決められる政治を断行した」などと首相を持ち上げ始め、民主党が主張する「前進か後退かの選択」だとかTPPや身を切る政治の争点化の片棒を担ごうと必死になっている。

この3年間の民主党の実績なんて、高校授業料の無償化と子供手当(半額だけだったが…)以外に何かあっただろうか。

“削る(事業仕分け、復興放置、原発停止)・遠慮する(中韓への対応)・注視する(円高放置)”をスローガンに日本の国力を削ぎ続けた民主党政治に対するマスコミの評価は甘すぎる。

加えて、石原新党(太陽党)と維新の会の合流について民自両党よりはるかに大きな紙面を割いて大々的に報じている。前回の政権交代選挙と同じく、なりふり構わずマスコミ主導で第三極中心の選挙にしようとする意図を隠そうともしない。

第三極などと威勢のよいことを言っても、維新の会や太陽党、みんなの党、減税日本を併せても衆議院の現有勢力は18人に過ぎず、共産党+社会党+新党大地と同じくらいの弱小勢力であることに変わりはない。

しかも、中味は、政策がバラバラな鞍替え議員ばかりの寄り合い所帯で、新たに加わるだろう新人議員達も松下政経塾の二番煎じの自己中な構造改革主義者ばかりだろう。

 

今回の衆院選は、このままでは自民党が圧勝するであろうことは衆目の一致するところだが、それが気に食わないマスコミの連中は、自民圧勝の流れを断ち切るべく野田首相の意固地な政治姿勢を急に持ち上げたり、野合や離散を繰り返しかねない第三極を台風の目としてクローズアップさせようと懸命になっている。

マスコミ的には、民主党の残飯や第三極などの厄介者たちに200近い議席を確保させて自民党への牽制に使いたいのだろう。

 

なにせ、自民党の安倍総裁は、政権獲得後の経済政策について、これまで以上に具体的かつ踏み込んだ主張を展開している。

公共事業の強化や日銀の国債無制限買い取りを含むインフレターゲットの導入、日銀法改正のみならず、建設国債の日銀による直接引き受けにまで深く踏み込んだ主張をしており、このことは、財務省やマスコミなど新自由主義や構造改革教に帰依する者にとって、教義や教祖を冒涜されかねない危険な発言である。

さっそく、財政規律が緩むとか、国債が暴落するとか、ハイパーインフレーションが起きるとかいうネジの緩んだ批判が浴びせられているようだ。

 

こういったリフレ政策は、小泉バカ政権以降、財務省やマスコミ、エコノミスト、財政学者などにより禁句とされ、少なくとも政策協議の場では口にすることさえ憚られてきた。

ここ十数年というものの、TVや新聞、雑誌を眺めても、「公共事業を増やすなんてとんでもない。無駄なハコモノを造るのか。政官業の癒着を許すのか。」、「農業とか建設業は政府に甘えるばかりで競争が足りない。TPPを導入し国際競争に参加して日本の産業構造を変えるのだ。」、「少子が進み社会保障費は増える一方だ。国民負担が増えるのは仕方ない。身の丈に合わせた生活で我慢すべきだ。」など、緊縮と競争の強制を教義とするヤル気のない意見がメディアを席巻してきた。

それに反することを言おうものなら、守旧的だとか、怠け者だと揶揄され徹底的に叩かれてきたものだ。

 

だが、その結果たるや惨憺たるもので、GDPの長期低迷や失業者・自殺者の大幅な増加、雇用の不安定化による社会構造の不安定化、下請けいじめの激化、中韓との摩擦激化等々、日本の国力を低下させてきたことに異論はあるまい。

新自由主義者たちは、こういった惨状を顧みることなく、いまだに“改革が足りないせいだ”と負け惜しみを吐き続け、民主党の残飯たちや第三極に構造改革教へのバトンを託そうとする。

衆院選を控えて急に民主党の実績を讃え始めたり、第三極の素人連中を強引に持ち上げようとするのは、新自由主義や構造改革教の火を絶やすまいとする必至の行動の表れなのだ。

 

彼らは、現状の劣勢を跳ね返すために、小泉以前の政治を「古い政治」とレッテル貼りする一方で、小泉以降の緊縮財政や小さな政府路線の政策を「新しい潮流」と持ち上げ、「前進か、後退か」などと巧みに論点をずらそうとする。

しかし、日本を壊滅させかねない小泉アホ政権以降の緊縮政策こそが、もはや「古く淀んだ薄汚い潮流」なのであり、それ以前のいわゆる古い自民党政治と揶揄されるリフレーション政策こそが、日本の復興に向けた経済成長の糧となる『新しい潮流』なのである。

2012年11月14日 (水)

国民経済の成長こそが最重要課題

衆議院の年内解散・総選挙問題がゴタゴタしている最中に、民主・自民・公明3党の間でようやく特例公債法の今国会成立の合意ができたというニュースがあった。

しかも、今年度分に加えて20132015年度までの赤字国債発行を予め認めるという予想外の大盤振る舞いだ。本来なら予算成立と同時に公債発行を認めるのが筋であり、今回の合意はある意味当然の措置だと思う。むしろ、年限を区切るのではなく、恒久的な措置にすべきだ。

しかし、このニュースを受けてマスコミ各社は、お楽しみの年内解散実現に一歩近づいたことを歓迎しつつも、これまで以上に財政支出を厳しくチェックしろとか財政規律を緩めるなといったくだらない批判を浴びせている。

 

マスコミは、赤字国債を本来禁じられたいかがわしいものだと決めつけ、1975年度に当時の大平首相が特例公債法を恒久の扱いとせず1年ごとに国会でチェックする方式にしたことを称える。

放漫財政を否として責任ある財政運営を頑として押し通した大平首相の政治姿勢に対して、ある種の倫理観を見出しているのだろう。

 

しかし、インフレ率が78(オイルショック時は1220%くらい)にも達していた当時と1995年以降インフレ率のマイナス基調(長期デフレ)が続く現状とを同じ処方箋で断じようとするのは大きな勘違いだ。

旺盛な国内需要が供給力を上回り、常に物価上昇圧力に曝されていた時代に、政府が民間と歩調を同じくして実体経済に通貨を大量に放出すれば、国民経済を圧迫しかねない高水位なインフレを招来しかねないのは当然のことだ。

だが、現状はどうであろうか。

技術革新や新たなサービス開発により高度に発達した供給力に国内の需要力が追いつけない中で、行政改革や構造改革の大号令の下で緊縮財政路線をひた走り、日本経済は、いつから始まったのか思い出せないくらい長期間のデフレに苛まれてきた。

 

本来、通貨の発行権を有する政府は、国内の経済状態を俯瞰して、民間とは逆張りの経済運営を基本とすべきなのだ。

民間景気が過熱していれば政府支出を減らしてインフレを抑制し、民間景気が冷え込めば積極的な財政金融政策を実行してデフレを回避するというのが大原則だろう。

そこでは、赤字国債など本来ならどうでもよい些末な問題に過ぎない。政府はあくまで国民経済や民間経済全体の通貨量の調整役であり、経済状態に応じて国債の発行額を調整すればよい。

 

国債=政府の借金が増えたからと日本の将来を悲観したり大騒ぎするのは、通貨の意味や政府の役割を理解できないバカ者だけだ。

通貨の発行権限を持つ政府が、自国通貨建ての債務を気に掛けるなど滑稽でしかない。政府が注視すべきはインフレ率やデフレ率の推移であり、公債の発行額など末節の問題に過ぎない。

 

バブル景気の絶頂期の平成元年~3年頃でさえ毎年67兆円の公債を発行していたのだから、民間の投資や消費意欲が低迷しているこの不況期に政府が殻に閉じこもって財布のひもを締めていて良いわけがない。

政府が、長期的な財政金融政策の実行について積極的な姿勢を示し、民間の投資意欲を喚起することこそが正しい政策であり、節約しか頭にない市井の人々と同じベクトルで経済を語っているようでは情けない。

 

財政支出→ムダづかい→公債発行→将来世代への先送りという財務省発のインチキ教義や国の借金は自分の借金、日本経済はもはや成長しない、これからはグローバル化だなどといった類のマスコミや有識者から発せられる寝言を毎日のように吹き込まれ、日本経済再建に向けた国民の気持ちはすっかり萎えてしまっている。

だが、麻酔の効いた半病人状態の国民の意識を覚まし、再び成長へと歩を進めさせるためには、国民経済の成長を目標に掲げる政党へと政権交代させ、大規模かつ長期的な財政金融政策を実行させたうえで経済成長を国民に体感させることが何より重要である。

日本はもはや成長しないなどと斜に構えたり、厭戦気分に浸ろうとする怠け者をやる気にさせるには、経済成長を実感させ、その担い手として社会構造に組み込んで行くことが必要になる。

 

※このブログを書いている最中に、野田首相が条件付きながら今週16日の衆議院解散を明言したというニュースが飛び込んできた。

相変わらず取材不足のマスコミ連中は、今回も大きく予想を外されてオタオタしているのが滑稽だ。

それにしても、最近の政治家の支離滅裂な損得勘定には呆れるほかない。

今回の突然の解散宣言は、民主党を取り巻く情勢が誰の目にも明らかに厳しい中で、自党に有利な政策を打つわけでもなく、選挙資金稼ぎのための政党交付金狙いをするわけでもなく、思いついたように解散を口にする野田首相の自爆テロとしか言いようがない。

消費税増税とかTPPなどといった国民経済を破壊する逆噴射政策の実現に政治生命を賭けようとする変わり者のやることは常識では推し量れない。

次期衆議院選挙で落選必至の民主党議員の面々には誠に気の毒なことだが、政権交代後の体たらくを反省し、潔く審判を受けるべきだろう。

 

2012年11月13日 (火)

素人政治家に白紙委任状を手渡すな

政界では衆議院の年内解散・総選挙の動きが活発化しているようだ。

野田総理の“近いうち解散”発言から3カ月余りを経てようやく解散が現実化しつつある。

政権交代後、内政・外交ともに失政続きの民主党の継続を望む声はごく一部に限られるだろうから、年内解散・総選挙という流れは多くの国民にとって望むところだろう。

しかし、政治問題の本質を捉えきれない多くの国民が、いつものようにマスコミの世論誘導に乗せられて、以前の小泉郵政選挙や民主党政権交代選挙の時と同じ轍を踏むことのないよう祈るばかりだ。

実際に、マスコミの街頭インタビューなどで政治に対する意見を求められると、「決められない政治がだらしない」、「ムダづかいをなくせ」、「国の借金が心配」、「官僚の言いなりだ」、「もっと海外に目を向けるべきだ」などといった的外れな意見が大手を振って闊歩している。

いまや戦後最低の政権とも揶揄される民主党政権だが、事業仕分けで官僚に睨みを利かせて歳費のムダづかい抑制に一定の効果を上げているし、財務省の国債抑制キャンペーンにも率先して賛同し自公を抱き込んで消費税増税法案も実現させてきた。さらに、経団連やエコノミストたちの海外志向に媚びてTPP参加に前のめりな姿勢を見せいえる。

こうした民主党政権のパフォーマンスを点検して行くと、街頭インタビューでマイクに向かって文句をまくし立てていた世間知らずの酔っ払いたちの願いをある程度は叶えてきたと評価すべきなのかもしれない。

民主党政権に対して、支持母体の官公労の言いなりになっていると批判する者がいるが、全く的外れな意見だろう。

これまで民主党がやってきた政策は、官僚にとってプラスになるものはひとつもなく、官僚から権限を奪い、その影響力や待遇を貶めるものばかりであった。

そもそも、政権交代後の民主党の政権運営は、緊縮財政・増税路線・外需中心の経済政策など新自由主義や構造改革派の流れを汲んだもので、小泉政権以降の自民党政治(一部を除く)のベクトルと基本的に変わりはない。

その政治手法は、政治や経済体制の疲弊や矛盾の要因を全て官僚に押し付けて国民の不満の矛先を官僚に差し向けることにより、官僚の行動を国民やマスコミの監視下に置くことで相対的に政治家の復権を試みようとするものである。

だが、政治家たちは、官僚たちに財政再建とかムダの削減といった生産性の低い仕事ばかりを押しつけるだけで、デフレ脱却や経済再建のための国民経済の成長という最も重要な仕事に官僚組織の持つ巨大なパワーを活用しようとはしなかった。

これこそが、失われた20年という不幸な時代を生み出した最大の要因である。

 

ここにきて、衆議院選挙を睨んだTPP参加問題や維新の会・太陽の党などの第三極の動きをクローズアップしようとする動きがある。

これらの政策や政党の主張を冷静に吟味すれば、いずれも日本経済にとって害になりこそすれ利益をもたらすものではないことが容易に判るはずだが、ひとたびマスコミの恣意的な世論誘導に掛かってしまうと、TVをボサっと眺めている多くの国民にはゴミが宝石に見えてくるから恐ろしい。

他の良識的なブログなどでも紹介されているとおり、TPPは農業問題よりもむしろ国内のサービス業や製造業に大きな打撃を与えるリスクが高い。

また、大阪の中学生市長率いる日本維新の会や銀行ごっこで膨大な不良債権を作った暴走老人率いる太陽の党の実力など官僚を腐すことしか能がない素人政治家に過ぎず、荒波にもまれる日本経済を舵取りする実力などない。

彼らは、ことあるごとに、薩長連合とか関ヶ原の戦いとかいう史実の転換期を示すキーワードを使って自らの行動を着飾ろうとするが、それは自身の思考や能力に対する自信のなさを裏付ける行為である。

歴史に名を残すような偉人たちは、故事に頼って自分の行動や思想を箔付けするような幼稚なまねはしない。

自らの信念に従い行動した結果が、後の歴史家によって評価されることにより、初めて史実や歴史として認識されるものなのだ。

だが、ことの初めからキャスティングボードや第三極狙いの小者には到底理解できない理屈なのだろう。

 

長引く不況に打ちひしがれた国民は、かつての成長を取り戻す自信を失っており、そもそも成長自体を知らぬ者も多い。

そういった国民の中には、自暴自棄になり、希望は戦争とかガラガラポン思想に陥っている者もいるだろう。

この手のリセット願望に一縷の望みを託す者は、TPPとか第三極といった“社会体制のリセットボタン”を押すチャンスを渇望している。

しかし、このリセットボタンは、日本経済全体を破壊する起爆装置であり、決して押してはならない禁断のボタンである。

いまの閉塞した社会を変えてくれそう、既得権益をぶっ潰してくれそうとかいった軽い気持ちでマスコミに乗せられて来るべき選挙に臨んでしまえば、国民はここ十数年のうちに三度目の大失敗を喰らうことになる。

そして、新年を迎えるH25年は、失われた30年の第一歩として記録されることになるだろう。

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