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2012年12月

2012年12月30日 (日)

迷信からの脱却がデフレ脱却の第一歩

1217日付でロイターから、「自民圧勝で「アベノミクス」始動、アキレス腱は金利上昇」というコラムが配信された。

コラムは、新政権による積極的な財政金融政策を批判的に評し、長期金利の上昇や国債増発、公共工事コストの上昇、財政ファイナンスを懸念する内容になっている。

これは、単にアベノミクスのみに止まらず、デフレ脱却を目指すリフレーション政策そのものに対する疑念や批判だと言って差し支えない。

筆者には時代遅れの邪教の経文にしか見えないが、恐らく多くの国民は、デフレ脱却の可能性や日本経済の行く末に対して、コラムに書かれたのと同じような疑念を抱いていることだろう。

 

このロイター発のコラムの主張は、次の4点に集約される。

1.日本経済の潜在成長率を引き上げる政策がなければ、財政金融政策も一過性の刺激策に止まり、一段の債務残高累積による長期金利上昇という副作用をもたらす。

2.財政金融政策により、マーケットは一時的に円安・株高を演出するだろうが、公共投資主体の経済対策は日本の実力を高めることにつながらず、投資終了とともに地方の需要は再度沈下する。国債残高が1,000兆円にも達するのは、バブル崩壊後の1990年代に国債を大量に発行して公共事業の大盤振る舞いをしたせいだ。失われた20年と同じ過ちを繰り返すな。

3.日本の生産年齢人口の減少が経済成長の足枷になっている。国土強靭化を理由に公共事業を大量に発注しても、建設労働者の不足や建設関連コストの上昇が日本経済のボトルネックになる。建設労働者の人件費上昇が、他の産業の労働コストを誘発しかねない。

4.国債発行量が急増することに対してマーケットが疑念を抱き、日銀による財政ファイナンスへの疑いが市場に浮上するリスクがある。長期金利が短期間に急上昇した場合に、政府の債務支払い能力や国債を大量に保有する金融機関の財務体質に不安が出かねない。

こういった事態は回避すべきで、財政拡張一辺倒ではなく、大胆な規制緩和による民間資金の流入促進が必要だ。ついでに、行財政改革により無駄を排除し、歳出膨張圧力を緩和させろ。

 

現実を直視せず、構造改革教の文脈でしか経済を語れない愚か者の精神構造は、いったいどうなっているのか。彼らの口からは、寝ても覚めても“規制緩和、無駄の削減、グローバル化”しか出てこない。

この手のバカ者が改心するはずはなく、せめて邪教に騙される国民が一人でも減るように、経文の誤りを指摘しておく。

 

まず、一点目の潜在成長率と長期金利の問題だが、潜在成長率とは、「生産活動に必要な全要素を使った場合に、GDP(国内総生産)を生み出すのに必要な供給能力を毎年どれだけ増やせるかを示す指標(金融経済用語集)」を指し、供給面から一国の経済力を測る指標である。

であれば、デフレに苦しむ日本の経済問題を語る際に潜在成長率を持ち出す時点で、“ボーク”の判定をされても仕方ない。

「日本経済の病巣はデフレにあり、デフレとは供給力を満たすだけの需要が不足する状態を指す」という基本を理解できていれば、供給力の成長可能性を計る潜在成長率をことさら問題視する必要などないはずだ。いの一番に潜在成長率を語ること自体が、現状の経済問題を認識できていない証拠だ。

日本のように高度に技術力や生産力(サービス供給力を含む)が発達した国なら、需要さえ順調に成長させれば、それに見合うだけの潜在成長率を向上させることなど容易いことなのだ。“競争力が落ちているから需要がない”のではなく“需要がないから供給能力が活かされずに競争力が低下する”のだ。

 

また、景気刺激策に伴う長期金利上昇など騒ぎ立てるほどの問題ではない。

大手企業を中心に手元の流動性資金を潤沢に蓄えており、初期の段階で急激に運転資金が不足するような事態にはならないだろう。また、増発されて実体経済を駆け巡ることになる「円」は、投資や運用される際に、リスク回避のため一定程度は必ず国債に流れ込むことになり、急激な金利上昇を抑え込む役割を果たす。

それでも足りないようなら日銀に買い取りさせれば済む程度の話である。

だいたい、多くの国民は、日ごろから銀行預金の金利が低すぎると文句を垂れているのだから、少々の金利上昇くらい歓迎すべきではないか。

 

次に二点目の、公共投資による経済対策の是非と国債増発に対する懸念だが、筆者は、公共投資頼みの経済対策を批判する風潮自体がおかしなものだと考える。

インフラは国民生活や経済活動を支える社会基盤であり、“国民経済を成長させるための前提条件”だ。景気対策云々に関わらず、インフラを充実させ、更新し続けて行くのは至極当然のことである。有史以来、公共工事が行われなかった年など一度もない。

公共事業は一時のカンフル剤などではなく、永遠に継続すべき大切な事業なのだ。

公共投資主体の経済対策をバカにする風潮も根強いが、目立った産業集積や人口集積が期待できない地方(3大都市圏以外のほとんどの地方)にとって、公共事業が経済発展に果たす役割は非常に大きい。東京のように、大した努力もせずに上場企業の本社機能が勝手に集積されるような地域でのほほんとしている者には理解できないだろうが、公共事業の有無は地方にとって経済活動の基盤を支える死活問題だ。

 

また、バブル崩壊後の公共事業増加の意味も正しく理解できていない。

バブル崩壊とともに不動産や株式が暴落し、その損失額は全国で1,200兆円を上回るとの試算もある。これだけの資産デフレをたったの100兆円ほどの公共事業費で何とか食い止めたのだから、評価されてしかるべきであって、ムダづかいだなどと非難する者の神経が疑われる。むしろ、100兆円と言わず、300400兆円くらい投じておけば、いまにつながるデフレに陥ることもなかったはずだ。

 

続いて三点目の生産人口の減少と建設労働コストの上昇の問題だが、生産人口の減少はリタイアした高齢者などの消費人口の増加の裏返しでもある。であれば、供給力(生産人口)の減少→需要(消費人口)の増加をもたらし、デフレが解消に向かうはずだが、現実にはデフレの進行に歯止めが掛からない。

つまり、現状程度の生産人口の減少はデフレ要因でもなく、ましてや経済成長の足枷にはなり得ないのだ。これだけ機械化やIT化が進んだ生産体制下では、需要さえあればそれに合わせていくらでも生産を増強することができる。

 

コラムでは、東北の復興事業が進まない要因を建設労働者の不足だと決め付けるが、復興予算が不十分であることや複雑な予算執行手続きを課しているからにすぎない。

建設労働者など被災地の周辺では不足しているだろうが、全国的に見れば大幅に余剰の状態だ。これまで公共事業費を散々削って多くの建設業者を市場から爪弾きにしておきながら、いざ復興という肝心な時に建設労働者の不足を心配するバカには呆れるしかない。

建設不況により一時的に業界を去った者は多いが、技術やスキルを有する者の多くは幸いにして健在だ。これからきちんと公共事業費を継続的に手当てすれば、建設労働者の確保や建設や土木技術の継承に大きな問題はない。

また、コラムでは、建設労働者の人件費上昇や工事進捗の遅れを懸念するが、くだらない入札制度のせいで不当に低く抑えつけられてきた建設コストや人件費を適正化するよう早急に取り組むべきだ。

工事進捗云々は、役所の単年度会計主義を改めて事業期間を柔軟に設定すれば済む話で、こういう時こそお得意の規制緩和論が役立つ時だろう。

 

最後に、四点目の財政ファイナンスへの懸念だが、日銀による財政ファイナンスの何が問題なのか。

いまや世界各国で行われている量的緩和という名の金融政策は、財政ファイナンスとほぼ同義語であり、マーケットの連中もそんなことはとっくの昔に理解している。 

いまさら財政ファイナンスを恐れるような素人は、40年以上も前に金本位制から脱して、管理通貨制度を導入し経済発展を実現にしてきた意味をよく噛みしめてみればよい。

財政ファイナンスを否定するのは、国家が通貨を発行するのを否定するのと同じことだが、このコラムを書いたロイターの記者はお金を使ったことがないのだろうか。

 

経済学者のA.ラーナーが『雇用の経済学(1951年)』で著したとおり、政府の財政収入は①租税②国債③通貨発行による、というのが基本である。

本来なら、国家の大権である通貨発行で事が済むはずだが、多くの国家は古くからインフレ回避を優先させ、租税と国債を収入の柱としてきた。

しかし、日本をはじめ十分な生産力(供給力)を有するに至った一部の先進国では、インフレよりもデフレこそが忌避すべき問題となり、もはや租税や国債のみに頼らない収入体系を構築すべき時を迎えている。

技術革新などを経て毎年のように成長を続ける供給力に応じて、機動的に需要を創出していくためには租税や国債だけでは、いかにも役不足である。ひとっ飛びに政府紙幣発行とは行かないだろうが、日銀による国債引き受けなど、管理通貨制度下の経済手法としてオプションのひとつにすぎず、なにもおかしな政策ではない。

 

実際には、上述のロイター発のコラムと同じような考えを持つ市井の人々も多い。

筆者の会社や身の回りにいる者も、景気回復への期待とは裏腹に、インフレに対する過度な警戒心を抱いたり、景気回復への希望自体を放棄したりする者がほとんどだ。

景気や経済環境の改善は、雇用の安定や収入増加を通じてほとんどの国民に大きなメリットをもたらすのだが、なぜかそれに強硬に反対する者が多い。

そのバカ者の代表が、“日本はもう成長しない(=すべきでない?)、贅沢したければグローバル化しろ、そうでなければ高望みせず身の丈に合った生活をしろ”と主張する新自由主義者や構造改革教の信者達である。

彼らの思想や発想そのものは、現実社会とは数億光年分も乖離した独りよがりな迷信にすぎない。

だが、幼稚な迷信であっても、社会的地位や強い情報発信力を持つ者の口から発せられると、過大にレベレッジされて意外にあっさりと社会に伝播してしまうから恐ろしい。

 

来年こそは、新政権による積極的な財政金融政策により、こういった迷信から多くの国民が解き放たれる第一歩となることを期待したい。

2012年12月23日 (日)

公共事業は三度の飯

先の衆院選は、マスコミ各社の事前調査の予測どおり自民党の圧勝という結果になった。

今回の選挙結果は、自民党への支持ではなく、民主党への批判の表れとの分析が一般的だが、筆者もこれに同意する。

 

自公両党が掲げる国土強靭化政策に対して、多くの国民が財源問題や国債の増加を理由に忌避感を抱いていることは間違いないが、自民党首脳部は、選挙結果に対して浮ついた様子を見せることなく落ち着いた態度で対応している。また、10兆円規模の経済対策を即座に表明し、日銀に対してインフレターゲット政策の導入を強く迫るなど経済再生に向けて強い意思表示を行っていることは評価したい。

 

マスコミは、安倍新政権の動きに対して、選挙期間中は建設国債の発行など財政政策を中心に強い批判を浴びせていたが、いまやその批判の矛先はインフレターゲットや金融政策に向かっている。

「日銀がいくらお金を刷っても銀行に滞留するだけだ」、「インフレターゲット導入により日銀の独立性が損なわれる」、「通貨の乱発により日銀の信認が損なわれる」といった具合に安倍総裁が求める大胆な金融政策を強く批判するが、一連の金融政策批判の大合唱の真の狙いは財政政策を阻止することにある。

 

量的緩和を中心とする金融政策は、すでに小泉バカ政権時代からずっと行われてきた。

日銀による国債の買取量の多寡に関する議論はあろうが、欧米各国でも標準的な経済政策として一般化(効果はいまひとつだが…)しており、金融政策の是非に関して、いまさらマスコミが躍起になって反対する理由はない。

マスコミの連中が批判の矛先を金融政策に集中させる意図は、世論や議論から「財政政策」の文字を消してしまうことにある。

 

マスコミや財務省の連中にとって、金融政策などやろうがやるまいがどちらでも構わないが、大規模な財政政策だけは何としても阻止したいというのが本音だろう。「金融政策は戻ってくるカネ、財政政策は戻ってこないカネ」という単純だが頑固な意識に囚われた財務省のバカ官僚にとって、財政政策など考えることさえ忌まわしい存在だろう。

 

しかし、アベノミクスを見越した株高・円安基調に国民の期待が集まりつつあり、放っておけば自民党の公約どおり国土強靭化政策にかこつけた大規模な財政政策の実行に免罪符を与えかねない雰囲気も出てきた。

財務省としては、そうなる前に財政政策という文字を国民の意識から徹底的に消してしまいたいと考えているはずだ。そのためには、金融政策への批判を前面に出し、世論の関心を金融政策に集中させてしまうのが最も効果的なのだろう。

 

彼らにとっては、議論が財政政策にまで波及しないよう金融政策やインフレターゲット辺りで論争を食い止めておくことが重要なポイントだ。

そもそも、金融政策自体には大きな抵抗感はないのだから、インフレターゲットや金融政策の維持拡大程度はある程度目をつぶる、最悪、日銀の独立性破棄くらいまでは差し出しても仕方ないが、大規模な財政政策が常態化するような事態だけは何としても阻止する、というのが財務省の強い意思なのだろう。

 

こういった財務省の意思を布教する宣教師の最たるものが日経新聞をはじめとするエセ経済誌の連中だ。

彼らの得意な文句に「公共事業はカンフル剤にすぎず長期的な経済効果は見込めない」という妄言がある。

カンフル剤とは、“だめになりかけた物事を蘇生させるのに効果のある薬”というのが本来の意味だが、彼らは長続きできない一時的な処置というマイナスイメージを世間に与えるために使っている。

彼らの云うとおり、公共事業=カンフル剤にすぎないのなら、公共事業は経済運営の主役ではなく経済成長にとってあってもなくても良い存在のはずだ。

公共事業などなくても、規制緩和や構造改革を実行し、グローバル化に対応してアジアの内需を取り込めば経済は問題なく成長してきたはずだ。だが、現実はそんな夢物語をむさぼることを許さない。

 

国内で金融機関の大型倒産が相次いだ平成9年の惨状を受けて、翌年の平成10年には大幅な補正予算が組まれ約15兆円もの公共事業が行われてが、その後の公共事業緊縮政策により平成23年度には約6兆円にまで激減している。

その間の名目GDP512兆円から468兆円へと、公共事業費削減と歩調を合わせるように激減している。

財務省や構造改革教のバカ者が胸を張って主張するように、公共事業がカンフル剤にすぎないのなら、なぜ、名目GDPが減ってしまったのか。

 

本来常食であるべき公共事業を、サプリメントだと勘違いして抜いてしまったばかりに、日本経済は体調を崩したまま長期入院を余儀なくされている。

構造改革教に熱中したここ10数年の経済パフォーマンスが惨憺たる結果に終わったことを冷静に振り返れば、マスコミが垂れ流す“日本は貿易立国だ”、“グローバル化の潮流には逆らえない”、“規制緩和を進めて産業構造を変えるべきだ”などといった寝言が空しく響く。

 

経済再生こそがいまの日本に課せられた喫緊の課題であり、新政権により大規模かつ長期的な財政金融政策が実行され、そこから生まれた経済成長の果実が、東北の復興を後押しし、失業や雇用不安に苦しむ多くの国民を救うことを願ってやまない。

2012年12月17日 (月)

売上なくして、再生なし

すでに新聞や業界紙、週刊誌などで度々採り上げられているが、中小企業金融円滑化法が来年3月末に適用期限切れを迎える。

【中小企業金融円滑化法とは】

《「中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律」の通称》

中小企業や住宅ローンの借り手が金融機関に返済負担の軽減を申し入れた際に、できる限り貸付条件の変更等を行うよう努めることなどを内容とする法律。

平成20年秋以降の金融危機・景気低迷による中小企業の資金繰り悪化等への対応策として、平成2112月に約2年間の時限立法として施行。

期限を迎えても中小企業の業況・資金繰りは依然として厳しいことから、平成253月末まで延長された。(デジタル大辞泉より)

 

詳しくは上記を参照願いたいが、この法律の趣旨は①売上低迷②収益低迷③過剰債務に苦しむ中小企業の資金繰りを支援するために、金融機関からの借入の返済条件を一定期間緩和するものである。その多くは、元金返済の猶予(利払いは継続)だが、返済期間の延長や旧債務の借り換え、債務の株式化などの手法もある。

 

金融円滑化法の施行状況(H24/9)は、中小企業向けで申込が369万件、うち実行件数343万件(実行率92%)、住宅ローン向けで申込28万件、うち実行件数23万件(実行率80%)に達しており、中小企業にはかなり浸透している制度と言えるだろう。

特に、中小企業向けの実行率(返済条件緩和応諾率)は、当初こそ40%程度に過ぎなかったが、その後7割→8割へと高まり、昨年6月以降は常に9割を超えている。

金融庁の肝煎りで始まった法律とはいえ、中小企業に対して、まさに大盤振る舞いの対応だと言えよう。バブル崩壊直後に、金融機関の大甘な貸出態度を厳しく非難していた当時の金融庁とは大違いだ。

 

かように多くの中小企業の資金繰り延命に効果を発してきた金融円滑化法も、いよいよ残り3カ月程でタイムリミットを迎えることになる。ここにきて、金融機関や行政機関も、法律適用期限切れ後の対応を巡って危機感を募らせているようだ。

 

帝国データバンクによる「金融円滑化法に関する金融機関アンケート調査(2012/12/10);全国516の金融機関を対象とした調査(回答数359機関)」によると、金融円滑化法終了後に再度の条件変更の申込みがあった場合に、応じると見込まれる企業の割合は80%を上回るとの回答が約6割に達し、堤防が一気に決壊するような大混乱はない模様だが、「把握していない」との回答も2割近くあり不確定要素は多い。

また、金融円滑化法適用に際して企業から金融機関に提出される改善計画目標を達成している企業の割合は、「20%以下」が21.5%、「21~40%」が30.7%と改善計画の達成割合が40%以下という回答が6割強を占め、「把握していない」との回答も17.5%もある。

金融円滑化法終了後の企業倒産動向に対する回答も、「やや増加する58.2%」、「大幅に増加する1.7%」と6割近くの金融機関が倒産の増加を見込んでいるが、一方で減少を見込む回答は(当たり前だが)ゼロであった。

法律適用の期限切れが眼前に迫り、再度の返済条件緩和に応じる割合が過半に上るものの、支援先企業の経営改善状況は思わしくなく、来年4月以降の倒産増加は免れないという悲観的な見方が強いようだ。

 

アメリカでは年末がタイムリミットの「財政の崖」が問題視されている(共和党やティーパーティのバカが妥協すれば済む話だが…)が、国内では、この「円滑化法終了の崖」が今後大きな経済問題になろう。

この問題は、全国の中小企業、金融庁、経済産業省、都道府県庁、金融機関、信用保証協会、再生支援協議会など非常に広範かつ多岐に亘る企業や機関に大激震をもたらしかねない深刻な問題にもかかわらず抜本的な対策は取られて来なかったが、これほどの大問題を放置してきた民主党政権の無能さに呆れるばかりだ。

 

法の適用を受けた企業は、デフレ不況の中で売上低迷・価格競争による収益低迷・過剰な金融債務の三重苦に苦しめられ経営改善の糸口さえ掴めずにいる。

金融機関は、融資先企業の経営改善に有効なアドバイス(デフレ下ではそもそも不可能なのだが…)すらできず、倒産リスクに備えて貸倒引当金を積むことしかできない。

行政機関等は、専門家による相談対応とか制度融資の拡充(金融債務を増やすだけ)といった靴の上から足を掻くような役にも立たない施策しか打ち出せず、来年3月末のタイムリミットが到来するのを怯えながら傍観している。

 

金融円滑化法の適用を受ける企業は、金融機関に経営改善計画(事業再生計画)を提出するのだが、その内容は、事業概況、業績悪化原因、経営改善に向けた努力目標の項目に大別され、これに今後数年先までの収支計画や借入返済計画を追加したものになる。

いわば事業再生に向けた事業計画なのだが、すべての計画数値の源泉は、いかに「売上」を確保できるかにかかっている。

 

中小企業、とくに経営規模の小さな企業であれば、カットできる経費などたかが知れている。

社員の人件費や役員報酬、交際費などとっくに削っているし、バカな反原発運動のせいで光熱費などエネルギーコストは上がる一方だ。原材料のロス低減や生産効率化に着手することも必要だが、一朝一夕に効果が出るものではない。

企業が必要な収益を確保するには、どうしても一定レベル以上の「売上」を確保することが避けられない。

 

企業決算で使われる損益計算書の天辺にある売上高から各種の支出や経費を差し引いた残りが「利益(+減価償却)」であり、それが金融債務の返済原資となる。元々、中小企業の多くは、必要な経費を差し引いた後に利益がほとんど残らない、もしくは赤字になってしまう企業ばかりなのだから、漏斗の口から注ぎ込む水の量(=売上)が増えなければ、コストカットの余地すら生じることがなく、事業の再生などあり得ない。

実際に、法の適用を受けた企業の口から、“一時的に借入返済を猶予してもらったが、抜本的な経営改善にはつながらない”、“返済負担を軽減されても業績が回復せず負債が拡大するばかりだ”といった声をよく聞く。

法の適用を受けても、借入の元金返済を一定期間猶予してもらえるだけで返済義務がなくなるわけではない(返済する時期を先送りするだけ)から、返済猶予期間中に業績を回復させなければ改善計画などたちまち吹っ飛んでしまう。

 

平成23年に金融円滑化法が現在の期限まで延長された背景には、デフレ脱却の兆しすらない当時の経済環境下では中小企業の経営の回復が到底見込めないという判断があったはずだ。

であれば、来年3月末に設定した延長期限も2-3年再延期するほかなかろう。

なぜなら、現状の景況判断は、間違いなく平成23年当時と比べて落ち込んでいるうえに、昨日の選挙で経済成長を掲げる自公政権の樹立が確実になったとはいえ、これから行われる経済対策の効果が実体経済に波及するのには、どうしても年単位の期間が必要になるからだ。

 

巷には、デフレに苛まれもがき苦しむ中小企業を尻目に、「いつまで国に頼るのか」、「同法は実質的にゾンビ企業を延命させ日本の成長を妨げている規制の一つだ」、「退場すべき企業の延命を図ることなく将来の成長分野にリソースを集中させるべき」といったバカげた非難をする論者もいる。

だが、その手の愚か者が、経済を聞きかじった中学生レベルの幼稚な意見を軽々しく吐き散らすのは、実体経済を俯瞰する習慣がないからだろう。

 

東京商工リサーチのデータ(国内410金融機関)では、平成243月末時点の金融円滑化法実行債権額は中小企業向けで82兆円、住宅ローン向けで3兆円 合計85兆円にも達する。例えば、このうち2割が再度の条件変更を謝絶されると、約17兆円が不良債権化することになり、金融機関の業績に大きな負のインパクトをもたらすことになる。

加えて、ニューマネーの供給を断たれた10-20万社もの企業倒産が見込まれ、関連する企業倒産や売上債権の焦付きなど、デフレ悪化にさらなる拍車をかけかねない極めて緊迫した事態が予想される。

この倒産の連鎖によるデフレの津波は日本経済に壊滅的な厄災をもたらしかねず、訳知り顔の識者のように“ゾンビ企業狩り”を楽しめるような状態ではない。

 

新政府が採るべき喫緊の処置として、金融円滑化法の2-3年の再延長や強力かつ長期的な財政金融政策の実行による実体経済への梃入れが欠かせないのは言うまでもない。

大規模な経済対策により、国内の中小企業に「売上」という燃料を投下し、業績回復の歯車を回してあげる必要がある。企業に業績回復を実感させ、将来に向けた投資や雇用に自信を持たせることが何より重要だ。

 

むろん、その間は、無駄な公共事業、産業構造の転換、成長戦略、規制緩和、雇用の流動化、構造改革、入札制度の透明化、グローバル化、外需の取り込み、脱原発どの寝言や妄言は禁句である。

2012年12月11日 (火)

『成長』の意味

126日に新聞各社から公表された衆院選情勢の世論調査結果には驚かされた。

読売新聞や朝日新聞、産経新聞ほか全社から「自民党単独で過半数を上回る勢い」、「自公で300議席に迫る勢い」と自公優位の情勢が報じられ、中には、共同通信社のように自民党単独で300議席近くに迫るという極端な調査結果もあった。

いずれの調査も調査規模が数万人~十数万人とかなり大規模な調査であり、自社に都合の良いバイアスをかけていないのであれば相当精緻な調査結果だと言える。

だが、衆院選挙公示前からマスコミ各社が揃って、反原発やTPP、消費税増税へと選挙の争点ずらしに全力を尽くしてきたことを考えると、上記の調査結果は誠に意外なものであり、ストレートに鵜呑みにする気にはなれない。

 

衆院解散が決まった途端に、マスコミによる景気や雇用、社会保障という国民のニーズを無視した争点ずらしが盛んに行われてきたが、それを受け止める国民の意識は、マスコミの暴走を冷静に捉えてきちんと批判できるほど向上しているとは到底思えない。

マスコミの連中は、自分たちが衆院選の主導権を握ろうとなりふり構わず偏向報道を続けてきた。

衆院解散直後は大阪の中学生市長と経済オンチの元都知事の合流推し一色に染まり、公示後は海無し県の卒原発おばさん率いるグリーンピース紛いのインチキ政党への応援に余念がなかった。

まさに、小泉郵政選挙や民主党政権交代選挙という過去2度の衆院選と同じくマスコミによる強引な世論誘導が行われており、マスコミ好きの国民がまたもや簡単に洗脳されるのではと危惧し、自公(いかがわしい宗教政党は要らないが…)で過半数を維持できるかどうか微妙な情勢だと考えていた。

 

126日の世論調査結果を素直に受け取れば、筆者の危惧も杞憂に終わるかもしれないが、こうした一方的な情勢報道がどちらに優位に作用するかは判らない。

報道を見て、自公に大きく振れそうな針を揺り戻そうとする動きもあろうし、そのまま勝ち馬に乗ってしまおうとする動きもあるだろう。

 

筆者は、橋本政権や小泉政権以降の自民党政権(一部を除く)に批判的な立場を取ってきた。

それは、当時の自民党政権が、バブル崩壊後に内需が縮小する国内の経済状況を無視して、マスコミや財務省をはじめとする新自由主義や構造改革教徒の言いなりになって緊縮的な財政政策を断行し、国内経済や社会基盤の停滞や崩壊を招いたにもかかわらず、つい最近まで全く反省の色を見せてこなかったからである。

 

しかし、今回の衆院選では、安倍総裁が過去の失政を反省したうえで、財政金融政策に積極的に取り組むことを公約できちんと示していることを評価している。

数多ある政党の公約を読むと、経済成長こそが日本の諸課題解決のベストアンサーであることをちゃんと理解できているのは、残念ながら自民党以外にはない。(政権奪取後にまともな経済政策を実行できるかどうかは判らないが…)

 

それに引き替え、民主党や維新の会、未来の党、みんなの党などは、「公共事業=古い政治」、「財政政策=国の借金を増やすだけ」というバカげた固定観念に捉われたままで、壊れたゼンマイ時計のように「公共事業頼みの古い政治と決別を」、「規制緩和やグローバル化で経済成長を」、「脱原発で子供たちに安心な未来を」という寝言を繰り返すばかりだ。

彼らは、財政政策=悪という邪教に縛られ、新自由主義的な文脈でしか政策を語れない。まさに進化を拒否する時代遅れの政党であり、日本にとって国難とも言える危険な時期を乗り切れる力量などとても持ち合わせていない。

 

先日も中央自動車道の笹山トンネルで発生した崩落事故で9名もの貴重な人命が失われるという大変痛ましい事故が起きたが、こうした悲劇的な事故を受けても、公共事業の重要性を再認識しようとする動きは弱い。

 

橋本政権や小泉バカ政権の自民党政権以降、削りに削りまくってきた公共投資は、民主党政権になっても毎年のように削られてきた。

マスコミや財務省をはじめ識者といわれる連中は、これを構造改革や行政改革の成果だと鼻高々に自慢し、国民の多くは、薄汚い土建屋をつぶせと喝采を送ってきた。

今回の痛ましい事故を受けても、「全国のインフラ更新に毎年8兆円もの資金が必要だ、新規の公共投資を削るべき」、「公共事業をやっても経済成長などしない、本当に必要な公共投資に絞って効果的に行うべき」といった妄言が渦巻いている。

 

しかし、「国土交通白書2010」によると、2009年時点で建設後50年以上を経過するインフラの割合は、下水道管渠で約3%、港湾岸壁で約5%、河川管理施設で約11%、道路橋で約8%となっている。

しかも、こうしたインフラは197080 年代にかけて整備されたものが多く、今後20 年間で老朽化が急速に進むと予測され、2019年には下水道管渠で約7%、港湾岸壁で約19%、河川管理施設で約25%、道路橋で約25%に、2029年には下水道管渠で約22%、港湾岸壁で約48%、河川管理施設で約51%、道路橋で約51%へと急増する見通しで、この先20年も経たないうちに半分近くのインフラが更新期を迎えるという恐ろしい事実が目の前に付きつけられている。

公共投資がムダだとか、コンクリートから人へなどといった神学論争にかまけている間にも、国内にあるインフラは刻一刻と老朽化している。大切な国土が新自由主義者や構造改革主義者というシロアリに喰い散らかされるのを黙って見過ごす余裕はない。

 

国土を守り国民の生活を維持向上させるために欠かせないインフラ整備は、“新規か、保守か”という単純な二者択一を迫られる類の問題ではない。

新規のみでは膨大な量の保守点検が疎かになるし、保守ばかりでは新規インフラ整備の技術継承が疎かになる。橋や道の保守点検を行う業者と新規で道路や橋を造る業者は別ものであり、どちらか一方のみで十分だと言えるものではない。

 

昨年の大震災以降、湯水のごとく電気を使いながら脱原発だとか反原発だと気勢を上げるばか者と同じく、生まれてから死ぬまで社会インフラにどっぷり寄りかかって生きているのを忘れて公共投資や公共事業に悪態をつく愚か者が絶えることはない。

だが、現実には、日本人の誰ひとりとして公共投資や公共事業の恩恵に与らずに生活できる者などいない。

一歩家を出れば道路を通らずに外を出歩くことなど不可能だし、ネット通販で購入したアクセサリーも道路や港湾・空港などのインフラを使って運ばれてくる。家の中に籠ったままでも電気や水道、ガス、電話、上下水道などのインフラなくして生活は成り立たないことなど子供でも分かる常識である。


我々は、インフラというゆりかごの上で一生を過ごすのだ。

 

今回の衆院選でも、野田総理や大阪の中学生市長は、安倍総裁が提案する財政金融政策に対して、「公共事業や財政政策は古い政治の象徴だ、政治を後戻りさせるな」、「公共事業で経済成長なんてありえない、成長には人材や教育への投資こそが必要だ」といった批判を浴びせているが、彼らの思考の時計の針は十年前で止まったままだ。

 

何より致命的なのは、安倍総裁を除く与野党各党の党首が、『成長』という言葉の意味をまったく理解できていないことにある。

 

国家の成長とは、経済の成長に他ならず、経済成長とは、家計においては安定した雇用を手に入れて収入が伸びること、企業や団体においては売上や収益が伸びることであり、それらの総体が国家全体の名目GDPの成長という結果に集約される。

「成長」というのは、公務員の給与を削減したとか、英語を話せる人材が増えたとかいう類の妄想とイコールではない。

経済成長とは、国家内に存在する家計や企業等の経済力が増加することを意味しており、それを実現するには、実体経済に「円」という通貨を十分に供給し、その流通のスピードを上げ、流通に係るプレーヤー(家計や企業など)の数を増やしていくことが重要なのだ。

 

それには、財政政策、とりわけ公共事業の実施が最適解になる。

世の中には、先端産業や成長産業と呼ばれる業界や分野があるが、そこに携われる者はごく僅かに過ぎない。そんなちっぽけな産業分野に莫大な資金を投じて供給力を高めても、それを受け止められる需要家が存在しなければまったくのムダに終わる。

むしろ、公共事業を通じて、世の中に数多存在し、就業人口も圧倒的に多いオールドエコノミー産業や生産性の低い産業に十分な資金を投じてやれば、関連産業の需要力は大きく伸び、そこにビジネスチャンスを見出す先端産業や成長産業の商機も広がるし、先端産業や成長産業からのビジネス提案により、オールドエコノミー産業の成長力が向上するといった効果も期待できる。

 

長引くデフレの影響により、日本が抱える大きな課題は「需要不足の解消」である。

ムダの削減とか規制緩和とかいった類の政策は、慢性的なインフレに悩む後進国にこそ相応しい政策であり、今の日本には毒にしかならない。

しかし、一部を除くほとんどの党首たちが、こうした基本原則さえ理解できていないことに日本が抱える危機の本質がある。

2012年12月 2日 (日)

『禁じ手』こそが最高の良薬

“国の借金が1,000兆円、このままでは国債が暴落しハイパーインフレになる、いったい政府も官僚も何をやってるんだっ”と怒りながら、もうすぐ信認を失くすハズの「円」を欲しがり、“子供銀行券”になりかねない通貨を平気な顔で買い物に使っている。

40年もの間、国内の電力供給の一角を担ってきた原発への敬意を踏み躙り、“福島の原発事故を忘れるな、脱原発だ、放射能から子供を守れ”とヒステリックに叫んだ挙げ句に、暇人を集めて反原発デモを煽る者もいる。

“公共事業はムダづかいの温床だ、政官業の癒着を断ち切れ、コンクリートから人へ”などと公共事業を邪魔者扱いしながら、除染作業などという、まさに「穴を掘って埋める」に等しいバカげた公共事業に1兆円とも1.5兆円ともされる巨額の予算を付けて、被災者の生活再建をそっちのけに呑気な砂遊びに励んでいる。(本当に放射能汚染が深刻なら、家の庭とか校庭を除染した程度で効果などあるはずがない、Google Mapでも眺めて一度確認してみることをおススメする)

 

 多くの国民の思考や行動は、マスコミや財務省が垂れ流す汚れた情報に汚染され、支離滅裂になっている。

 

 さて、1127日に、滋賀の「何でも反対おばさん知事」率いる日本未来の党結成のニュースが報道されてから、マスコミの脱原発への世論誘導が、再び勢いを増している。

 件のおばさん知事は、地元に原発もないくせに隣県の原発再稼働に文句をつけたり、新幹線の新駅建設に反対したり、世間の騒動に乗じて自分を売り込もうとする典型的な芸人政治家である。

内政の不備を糊塗するために外政のパフォーマンスに精を出すあたりは、大阪の同和知事や中学生市長とそっくりだ。(ついでに、函館の反原発市長とも…)

 

 だが、このレベルの政治家であっても、衆院選の争点を経済政策ではなく、何とか脱原発やTPP参加にすり替えたいマスコミや財務省の連中にとって、格好のネタになる。

 彼らには、安倍総裁が提案する積極的な財政金融政策を向こうにまわして、それを論破できる自信がないのだろう。

下手に安倍総裁の経済政策に咬みつき言い負かされた挙げ句に、景気を良くして欲しい、雇用を何とかして欲しいという国民の願望に火が着くのを避けたいというのが本音なのだ。

そこに、選挙の争点ずらしに強力なパートナーが現れたのだから、マスコミも小躍りしたに違いない。

 事実、未来の党の旗揚げ以降、小沢一派という厄介者を抱えつつも、マスコミ報道はおばさん知事に集中し、その卑しい口から何とか卒原発とか、脱原発というセリフを引き出そうと必死になっている。(どうせなら、反原発の本家本元である共産党や社会党を持ち上げればよいのに…)

 

 大飯原発を除く国内の原発が民主党のバカ政権により強制停止させられて以来、代替の発電に要する燃料コストの増加は年間46兆円にも上るとされる。

これだけ巨額の国富を被災者の生活再建や原発の安全性向上に投じることなく、だらだらと海外に流出するのを黙って見過ごすのは大変な愚策であり、異常な政策でもある。

おまけに、巨額の燃料コスト負担に耐えかねた電力各社から電力料金の値上げ申請が相次ぎ、企業向けの電力料金は二桁の値上げ幅になるケースもある。

これは、中小零細企業にとり過酷なコストUPであり、廃業したり海外移転を進める企業が相次ぐ事態も予想され、国内のデフレをますます深刻化させることになる。

 

 これほどバカげた政策が行われているにもかかわらず、多くの国民が脱原発という邪念に洗脳されているせいか、なぜか原発再稼働という議論ではなく、電力各社のコスト削減に論点がずれてしまう。

だが、東電の資料を例にとれば、発電の総原価5.6兆円のうち人件費は0.33兆円程度と全体の5.9%に過ぎず、そんなものをチマチマ削っても何の解決にもなりはしない。

 

 くだらない電力会社いじめを即刻止めて、原発再稼働という問題解決の本筋を議論し、実行すべきだ。

 頭のおかしいヒステリックなおばちゃんたちやデモが生きがいの全共闘世代のオヤジ、大麻愛好家の連中に先導された反原発運動などに構って、国民経済に大きなロスを生じさせるなど下の下策である。

 

 いまさら幼稚な世論調査をするまでもなく、日本が克服すべき喫緊の課題は「国民経済の回復・成長」である。これが着実に実現されれば、景気や雇用、社会保障などの厄介な問題も解決に至るだろう。

 そのためには、これまでのように金融政策頼みの一本足打法で一部の大企業だけに資金を還流させるのではなく、広く実体経済に十分な量の資金を供給して活性化させる必要があり、大規模かつ長期的な財政金融政策を避けて通ることはできない。

 

だが、原発再稼働と同じく、財政政策を絶対悪として認めようとしない愚か者(財務省やマスコミに毒された構造改革教の信者たち)が後を絶たず、経済再生の大きな障害になっている。

TPPで国際競争力をつけるべし、金融政策と規制緩和で名目GDP3%成長させる、などと酔っ払っている維新の会やみんなの党の連中は、サイコパワーで景気回復を狙っているとしか思えない。

いくら高級なタイヤに履き替えても、道路の速度規制が取っ払われても、ガソリンが入っていなければ車は前に進まない。

 

デフレとは需要不足を指し、需要不足を解決するには仕事の創出を通じて実体経済に資金を還流させる必要がある。そして、実体経済へ積極的に資金を供給できるのは政府が行う財政金融政策しかない。

財政政策をしたくないというワガママを放置して、こんな簡単な理屈を避けていては、経済成長など永遠に訪れはしない。

 

 「社会保障が不安だ? 日本は少子高齢化しているのを知らないのか!もっと身を削らないと国が持たないぞっ」、「景気を良くして欲しいだって? 日本の借金が大変な時に何を言ってるんだ!これからは身の丈に合った生活をしろ」…財務省やマスコミ、維新の会、みんなの党などが信仰する新自由主義や構造改革教の本音はこんなところだ。

 これほど冷たい目で国民を突き放そうとする連中に身を任せるなど、まさに自殺行為である。

 

 彼らが主導する衆院選の争点ずらしに惑わされることなく、景気・雇用・社会保障・安全保障・教育などの優先課題を争点に据えて選挙の行方をウォッチすべきである。

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