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2013年5月

2013年5月26日 (日)

海を渡ってやってきた『たかり屋』

ここ二週間あまり、大阪の中学生市長の慰安婦問題に関する発言が、多いに世間を賑わしている。

 

いわゆる「従軍慰安婦」の問題は、反日教育に熱心な国やそれを支持する愚か者により捏造された史実である可能性が極めて高いとの指摘がある。しかし、現代的な感覚から、一般的な女性にとって非常にセンシティブな側面があり、史実の検証をすることすら難しかったことも事実だ。

よって、慰安婦問題を論ずるに当たっては、「日本軍による強制性の有無」と「戦地や占領地での売春行為や性犯罪を日本特有の問題とすることの是非」に絞って、具体的な証拠に基づく史実の検証を行うよう訴えるべきだ。

だが、口の軽い中学生市長は、上記の2点に絞って論弄すればよいものの、日本を非難できるのは戦勝国特権(=日本は敗戦国という立場を受入れるべき)だとか、在日米軍に風俗活用を勧めるなど余計なことまで戦線を拡大させたために論点がぼやけてしまい、マスコミやタチの悪い人権保護団体、アメリカなど戦後レジームの擁護者たちから一斉に猛烈な非難を浴びる結果となった。

 

これに対して中学生市長は、国内外のマスコミから袋叩きに合った腹いせに、慰安婦募集時に強制性が無かったことや、ベトナム戦争時の韓国軍の蛮行を例に挙げて戦場での売春活用は世界各国共通の問題だと吠えて、アメリカや韓国に咬みついた。

 

一方、アメリカ国務省のサキ報道官は、従軍慰安婦制度について「性的目的の人身売買で、女性たちの身に起きた出来事は嘆かわしく、明確かつ重大な人権侵害だ。被害者に深い同情の念を抱く」と表明し、「日本は過去の問題に対処するため、近隣国と協力し、前進できるような関係を培うことを望む」(47NEWSより)とコメントしたようだが、これは単なる論点ずらしにすぎない。

世界一の大国らしく堂々と、自国の軍隊がこれまでに世界各地で犯してきた罪(戦地での性暴力や民間人の虐殺)に対する見解やコメントを発するべきだ。いつも正義の戦争論を振りかざす自国の正当性や太平洋戦争における日本軍の犯罪性に明確な根拠を持っているのなら、容易くコメントできるはずだ

 

一連の騒動を受けて、新聞の投書欄には、“橋下市長は、先の戦争で日本の占領下におかれたアジア諸国の苦しみを理解していない。きちんと歴史を直視すべき。”という、くだらない投書が毎日掲載されている。

キレイごとを並べ立てるのはよいが、歴史を直視して過去の史実を丁寧に検証すればするほど、戦後の創られた歴史を擁護する者や戦勝国を気取る中韓米ロに都合の悪い史実が、次々に出てくる可能性が強い。

 

一般的に、アジア諸国、中でも東南アジアでは一様に親日的な国が多い。東南アジア諸国の国民を対象とするアンケート調査の結果でも、日本や日本人に対する評価や高感度は非常に高いものがある。こういったシンプルな事実ひとつを採っても、太平洋戦争に日本の行動がアジアにもたらした意義を想像できよう(戦禍により多大な被害を被った人々の不幸は別の問題として)。

いまだに70年近くも前の戦争に文句をタレて、反日教育にオダを上げているのは、東アジアの一部の頭がおかしな国々だけだ。

 

その東アジアの特定の国から、中学生市長の“暴言”に触発されて、元慰安婦を称する二人の老婆が先日来日した。来日当初は、筋の悪い人権団体とともに各地を興行して、中学生市長を叱りつけて謝罪させると息巻いていたが、24日に予定された中学生市長との面会を自らドタキャンしてしまった。

彼女ら(+素姓の怪しい支援団体の連中)にとって、国内外のマスコミが注目する中で、旧日本軍に対する長年の恨みつらみをぶちまけ、世間知らずの生意気な中学生市長を眼前にひざまづかせて謝罪させる絶好のチャンスだったはずなのだが、ジャパンツアーのグランドフィナーレへの筋書きを自らの手で台無しにしてしまった。

表向きの理由は、中学生市長に政治利用されたくない、市長への嫌悪感、心身の疲れなどと見苦しい言い訳を並べ立てているが、今回の騒動を通じて、自身の主張を裏付ける証拠が何もないことを公の場で露呈してしまったことは、たかり屋(自称元慰安婦+インチキ支援団体)の連中にとって、大きな失点になろう。

これに懲りて、たかり屋の連中も、「証拠なんてない。私こそが証拠だ。」という小学生レベルの主張を見直さざるを得ないだろう。(ついでに、慰安婦として従事した自分の年齢や年代も、史実と齟齬がないかチェックしておくことをおススメする。)

 

そもそも、太平洋戦争時の日本や日本人を戦争犯罪人扱いするのなら、犯罪の具体的な証拠を立証する責任があるはずだ。犯罪者を訴追する側に被告の犯罪を立証する責任があるのは、現代の法治国家にとって常識である。

だが、戦後から現在に至るまで、敗戦国であるという事実のみをもって日本は戦争犯罪を犯したと断じる歴史が一方的に創り上げられてきた。

 

中学生市長の失言やそれに対する反日国家の幼稚な反応をきっかけとして、これまでタブー視されてきた戦争責任や戦争犯罪といった諸問題が、議論に晒されるのは望ましいことだ。それらは、まさに戦後レジームの源泉とも言える問題であり、戦後の日本の行く末に敷かれたレールの方向性を見直す重要なポイントになるだろう。

議論を重ねて正しく歴史を検証した結果、日本にとって不都合な史実が出てくることもあるだろうが、それはそれでよい。戦時下という異常な状況で100%の善行や悪行を判断するのは難しいだろうが、日本を含む戦争参加国の行為を一つずつ冷静に検証すべきだ。

 

今回の騒動が、正しい史実の検証につながり、すっかり女性層の支持を失いつつある中学生市長や維新の会の連中と捏造された戦後の歴史教育の上に胡坐をかいてきた連中とが、互いに抱き合い心中して共倒れしてくれれば、何もいうことはない。

2013年5月12日 (日)

収入の増加こそが消費者の利益

ここのところ株価が14,000円台半ばを突破し、為替相場も大きな壁になっていた100円台を超えるなど、日銀の大規模な金融政策(黒田総裁の宣言どおりに事務方が国債を買い取っているかどうかは不明だが…)への期待感が形になって表れているようだ。輸出産業を中心に、上場企業の決算もおおむね好調な見通しであり、金融市場は賑わいを見せ始めている。

週刊誌などは、株高・円安だと大騒ぎしているが、リーマンショック前の2007年頃には、日経平均株価は17,000円を超え、円ドルレートが120円台であったことを思えば、今の水準など大したことはない。この先も更なる株高・円安が十分に期待できるだろう。

ただし、きちんとした財政政策を実行すれば…という話であり、調子に乗って金融政策頼みの一本足打法を続けるのなら、恐らく今秋辺りに景気は息切れし、株安・円高局面に逆戻りを余儀なくされるだろう。

 

マスコミは、この束の間の株高を針小棒大に採り上げて、“アベクロバブル”とか“日の丸産業の復活”だと気勢を上げている。「黒田バズーカ砲の威力は絶大、次は成長戦略の出番だ」とTPP参加や消費税増税への地均しに余念がない。

呑気な彼らの脳内では、既に日本経済は完全に回復軌道に乗り、放っておいても心配なしと判断されたようだ。いまこそ成長戦略を掲げて念願の構造改革に取り組むべし、と騒ぎ立て構造改革教の布教に勤しんでいる。

だが、マスコミの連中が、成長戦略だ、規制改革だと大声を上げる理由は、第二の矢である財政政策を求める声が国民から上がるのを掻き消すためである。

そのために、第二の矢(機動的な財政政策)=平成24年度の補正予算(民主党の置き土産の焼き直し予算)のことで既に終わったものだと決め付けた報道をタレ流し、第一の矢と第二の矢は既に放たれました、最も重要なのは第三の矢(成長戦略)ですよ、と国民をミスリードする記事で紙面が埋め尽くしている。

彼らが何より忌み嫌う財政政策の出番を失くそうと必死なのだ。

 

新自由主義者や構造改革教徒が採る財政政策発動予防策には二つの方法がある。

一つ目は、先に示したように、金融政策と成長戦略で景気は十分に回復したと喧伝し、それを強引に既成事実化させるやり方である。

「金融政策と成長戦略だけで景気は十分に回復しました、財政政策みたいに国の借金を増やすような危ない方法を採る必要はありません」と囁けば、不勉強な国民の多くは納得させられるのだ。


もう一つ目は、国民に成長を諦めさせ、現状を認めさせるやり方である。

「デフレ不況なんて大げさだ、物価が下がって何が困るんだ、モノを安く買えるのは消費者の利益だ、若者が大変だというがモノは溢れてるし誰も飢え死してないじゃないか」というネジの緩んだ意見や論調を吐く馬鹿の口を通じて、デフレは悪くない、物価が下がるのは消費者の利益だと洗脳するやり方が、それなのだ。

とある経済新書の誌上で、構造改革主義者とリフレ派の経済学者同士の対談があったが、構造改革主義者の学者(経済情勢によってコロコロと立場を変えるポジショニング派の大家として有名な人物)の口から、「デフレは悪くない、物価が下がるのは消費者の利益、余ったお金でより多くのモノを買える、若者は安く買えたパソコンでネットライフを満喫している」とデフレを全面擁護する発言が次々飛び出したのには驚いた。

いっぱしの経済学者が、モノが安いのは良いこと=デフレでOKといった主婦や年寄レベルの経済認識しか持っていないとすれば、まことに情けない限りで、経済学者と言われる者ですらこの程度なのだから、日本が世界隋一の低成長国になってしまったのも頷ける。

ちなみに、19962011年間のコアコアCPIとサラリーマンの平均給与額の推移を比較すると、コアコアCPIの下落率が4%程度であるのに対して、平均給与は10%以上も下落している。

パソコンや薄型テレビが安くなった、デフレ万歳、とはしゃいでいるうちに、肝心の給与がそれ以上に下がっていることに気付いていない。数年に一度くらいの頻度でしか買い替えない耐久消費財と自分の生活を支える給与収入を天秤にかけるなど愚の骨頂だ。

こんな簡単な理屈が判らないような者は、朝三暮四の諺に出てくる猿よりレベルが低い。

 

新自由主義者の素人学者が良く勘違いするのが、「消費者はデフレによる物価下落によって支出を縮減できるため余ったお金を別の消費に向けることができる。その結果、別の商品やサービスに対する需要が高まり、それらの物価は上昇するはず。つまり、マクロ経済全体では影響は中立だ。」という考え方だ。

つまり、A商品を買うのに10,000円を使うつもりの消費者が存在したとして、A商品の価格が9,500円に下がると、得をした消費者は、余った500円で別のB商品を買うはずということだ。

だが、こういった消費循環が成立するのは、現実的には非常に困難だ。なにせ、そのためには、支出する金額を消費者が常に一定に保ち続ける必要があるからだ。

世の中が好景気で、雇用や収入も安定し財布の紐が緩みっぱなしの状態なら、こういった消費行動は十二分にあり得るだろう。それどころか、借金までして余計な買い物すらしかねない。

だが、いまのように雇用が不安定で収入が減り続けるようなデフレ不況下では、将来不安もたらす強迫観念から消費に慎重になっており、使い切る金額を端から決めて買い物する者など滅多にいないだろう。10,000円のモノを買うつもりが、9,500円で買えたとして、残りの500円で他のモノを買う者がどれくらいいるだろうか。「いったん決めたからには、何があっても10,000円を使い切るぞ」なんていう頑固な江戸っ子がいるとすれば、よほどの変わり者だろう。

大概の者は余った500円を貯蓄する(もしくは財布の中に眠らせる)だろうし、例え何かを買うとしても500円全額ではなく300円程度のモノに抑えるのではないか。こうして、消費から脱落した余剰所得が積み上がりマクロ経済全体の支出額が減り続け、デフレを深刻化させる。

 

デフレ不況下において、物価の下落は消費者の利益とは言えない。

下落した分の価格は、それを生産し提供する企業の売上や収益、ひいてはそこで働く者の給与の犠牲の裏返しに過ぎない。

下がった値札を見てニヤける一瞬の静的快楽が永遠に続くと思うのは、大きな勘違いだ。

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