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2013年7月

2013年7月21日 (日)

政治に関心を失っているのは…

明日が(正確には今日になるが…)参議院選挙日だということに、さっきまで気づかずにいた。

 

報道によると、期日前投票を済ませた人は、すでに1000万人を超え、前回の参院選を10%以上も上回っているようだが、全体の投票率がどうなるかは判らない。

マスコミの連中は、選挙の時期になると国民に向かって選挙に行くよう呼び掛け始める。特に、若者の投票率が他の年代に比べて低いことをあげつらい、若者の政治への無関心ぶりを批判する。確かに、若者の投票率が低いことは事実だ。

 

昨年12月の衆院選(自公が政権奪還した選挙)での20歳代の投票率は37%に止まり、30歳代50%40歳代59%50歳代68%60歳代74%70歳代63%と比べてかなり低位である。

安倍首相を右翼政治家と罵る評論家は、首相を支持するネット右翼層を境遇に恵まれない若者だとレッテル貼りするが、先の選挙での投票率を観る限り、やはり単なる邪推に過ぎないようだ。

 

若者(20歳代)の衆院選での投票率は、平成2年の衆院選辺りまでは5060%台を保っていたものの、その後は30%代半ばに急落し、平成17年の(小泉バカ総理による)郵政解散選挙や平成21年の政権交代選挙時に一時的に40%台半ばを超えたものの、前回の選挙では、またもや30%台に逆戻りしてしまった。

こういった事実を受けて、早速、マスコミや評論家の連中は、「いまの若者は政治に無関心で困る。こんなことでは日本の将来が危ぶまれる。」、「政治に関心を持たないと、その報いは自分に返ってくる。」、「投票の権利を行使しようとしない者に政治を批判する資格はない。」、「選挙に行かない層の意見が政治家に届くはずがない。」などと偉そうな態度で愚痴をこぼす。

だが、世間知らずなくせに他人を見下す癖が直らない彼らは、なぜ若者が投票に足を向けようとしないのか、政治に期待を持とうとしないのか、という点を掘り下げて考えようとはしない。

 

(投票する年代は時間の経過とともにずれ込んでいるが)郵政解散選挙で踊らされ、民主党への政権交代選挙で足蹴にされ、アベノミクスの恩恵に与る前にTPPや消費増税、成長戦略による大競争時代の大波に浚われようとする彼らに、政治に関心を持てとか、政治に期待しろと言うのは無理な注文だろう。

 

確かに、投票によってしか政治地図を変えることはできないし、政治が実際に世の中を変えるのに長期間を要するのは、動かし難い事実である。(逆に世の中を改悪するのは、あっという間だが…)

一方、投票に至る動機の善し悪しは別として、それぞれの選挙に託した有権者の想いを政治に係る者が蔑にしてきたこともまた、厳然たる事実である。

 

選挙のたびに国民の関心事(政治家に対するニーズ)と選挙の争点がずれるのも、もはや恒例行事の域に達している。

国民の関心は決まって景気回復や雇用問題の改善、社会保障や消費税引上げの回避などに注がれるが、当の政治家たちは、こういった大規模な財政支出を伴う政策を避けたがるため、選挙の争点は、いつもそこから大きく逸れてしまう。

 

先の衆院選では、珍しく安倍総裁(当時)率いる自民党が、経済再生を公約に掲げデフレ脱却に取り組む姿勢を見せて政権を奪還したが、半年も経たぬ間に、TPP交渉参加や消費増税(一応判断前の段階ではあるが…)、サプライサイダー思考に凝り固まった成長戦略などといった新自由主義的な政策に大きく舵を取りつつある。

こんなことでは、せっかく芽生え始めたデフレ脱却の機運も、不毛な大競争時代の到来により、再び萎んでしまうことだろう。

特に、TPPや成長戦略の問題では、産業競争力会議等を通じて官僚やいかがわしい民間議員が上げてくるペーパーが議論の叩き台(あまり叩かれてもいないようだが)にされており、完全に主導権を握られている。

デフレによる経済破壊の影響は凄まじい。

特に、地方や若者の経済・雇用状況は惨憺たるものがある。彼らの境遇は、負け戦の続く最前線に取り残され、飢餓と恐怖に晒された兵士のようだ。

死ぬ思いで窮地に取り残されたにもかかわらず、救援が来るのに時間が掛かると言われた彼らの焦燥感や絶望感は、いかばかりであろうか。しかも、救援隊は自分達の方へ向かうどころか、他の外国部隊との戦勝パーティーの準備に取り掛かろうとしている。

衆院だけで300名以上もいる与党議員は、昼寝でもしているのか。財務省やマスコミの圧力に屈して、再びデフレ地獄の釜の蓋が開くのを指を銜えて眺めているつもりか。

 

国民から負託された立法の権限を活かすこともせず、バカみたいに官僚に政策立案を丸投げして、上がってくるペーパーに文句を付けることしか能がないから、国会議員の数を減らせなどという暴論(筆者はむしろいまの議員定数を倍増させ、国民の政治参加の機会を増やすべきだと考える)がまかり通るのだ。

 

国民や若者が政治に興味を失っていると嘯くのは、権力を握る立場にありながら無為に日本の衰退を見過ごそうとする卑怯者の言い訳に過ぎない。

肝心の政治家が、政治に興味や関心を失っていることこそが大きな問題なのだ。

2013年7月 3日 (水)

『改革ごっこ』に興じる愚か者

参議院選挙を控えて選挙に係る報道が増えてきた。

 

先般行われた東京都議会選挙では、自公勢力の圧勝と共産党の躍進という結果に終わったが、各地の首長選挙では自公推薦候補の落選が相次ぐなど、まだら模様の様相を呈している。6月に行われた静岡知事選挙に続き、先の横須賀市長選挙でも、強力な地盤を誇る小泉のバカ息子(と気持の悪い公明党)が推す候補者が現職候補に敗れており、地方や地域で自公勢力が苦戦を強いられている。

 

だが、国政選挙ともなれば、やはり大方の予想どおり自公の優位は動くまい。今回の選挙では、野党勢力の弱体化が著しく、景気対策やTPP、消費増税など本来なら大きな争点になるはずのビッグイシューに対して与党と対立軸を打ち立てるだけの力や勢いを持っていないからだ。

民主党やみんなの党、維新の会といったカス野党は、TPPや消費増税問題に対するベクトルは与党とほぼ同じ方向を向いており、選挙の争点になり得ない。

せいぜい、アベノミクスは庶民に恩恵をもたらさないとイチャモンをつける程度に終るだろう。

 

三本の矢をひっさげて登場したアベノミクスだが、肝心の第二の矢を除く二本の矢しか放たれていない。しかも、ただでさえ効き目の遅い第一の矢(金融政策)の効果を打ち消すように第三の矢(くだらない規制緩和政策ばかり)を次々と放とうとしており、このままでは今年の秋頃には経済が再び失速しかねない。

まともな財政金融政策を打っても、その効果が経済に広く波及するには2年以上はかかるとの専門家の指摘がある。一方、長引くデフレ不況下で、我が国、特に地方経済の惨状は目に余るものがあり、もはや一刻の猶予もならない状況だ。

瀕死の重傷を負い危篤状態にある地方経済が、火急の危機を何とか耐えしのぶには何が必要か。それは、「経済成長への明確な期待」しかない。あと12年我慢すれば、地方交付税や公共事業が増えて経済のサイクルが正の方向に回転し始めるという明確な見通しさえあれば、何とか糊口を凌ぐことができる。

 

だが、政府をはじめ経済財政諮問会議や産業競争力会議から出てくる提言や政策の方向性を鑑みると、そういった地方の渇望に応えようとする姿勢は微塵も感じられない。

彼らに口から吐き出されるのは、「薬のネット販売、英語教育の強化、解雇規制の緩和、国内市場の開放、財政再建」などデフレ脱却に何の効果もないばかりか、ますますデフレを促進しかねない逆噴射政策ばかりだ。

しかも、自公合わせて衆議院で300以上もの議席を有しながら、肝心の与党サイドからは、政府や民間議員の暴走を制するような提言が全くなされていない。自民党にはTPPや消費税増税に反対する議員も多く居るはずだが、その存在感は共産党以下だ。すっかり政府や民間議員に主導権を握られ、まるで羊のように柔順だ。与党議員は昼寝でもしているのか。

 

ここ最近は、政府サイドからもデフレ脱却より財政再建に配慮する趣旨の発言が目立っており、当面はこれまでの政権と同様に、財政政策を抑制した金融緩和偏重型の経済対策が続くことだろう。

だが、金融政策単体では、有効な経済政策たりえないのは、小泉バカ政権以降の経済パフォーマンスを見れば明らかだ。金融政策は、財政政策の従者として欠かせない重要な政策だが、単体ではその能力を十分に発揮できるものではない。

金融政策は、金利の安定と融資環境の改善に主眼を置いた政策であり、金融機関に対する企業の借入需要がなければ意味をなさない。デフレ経済下において将来的な増収見通しを立てられない企業や家計に対して、いくら融資をセールスしてもまともな先は喰いついてこないだろう。売上や収入が増えるあてもないのに、返済義務(利息付きで)のある借金を増やそうとする者などいない。

資金需要の乏しいデフレ経済下で金融政策に大きな期待を寄せるのは、厳冬期のシベリアで氷を売り歩くようなものだ。

 

金融緩和の効果を存分に発揮させるには、企業や家計に収入増加期待を抱かせるための財政政策が欠かせない。

いまの日本経済に必要なのは、改革や規制緩和のような効き目のない呪文を唱えることではなく、国民経済や実体経済に実物のマネーを広く行き渡らせる大規模な財政政策を基軸とした本物の成長戦略である。

 

だが、現実には、庶民から為政者、有識者のレベルまで“経済成長”の意味を真に理解できている者は非常に少ない。

経済とは、モノやサービスの生産とそれらに対する需要や消費の際限のない繰り返しのことを指す。両者の循環がバランスを保ちつつ量的・質的に拡大を続けることこそが経済成長である。

そして、経済成長を媒介する最も重要な役割を担うのが貨幣であり、それを世に排出できるのは唯一“国家”のみだ。

しかし、財政政策を通じて貨幣を実体経済に供給するという日本経済再生に極めて有効な手立てに対して、バラマキだとか国民を甘やかす禁じ手だとかいう間違った批判が後を絶たない。

世間知らずの政治家や官僚、マスコミ、有識者たちは、きれいごとばかりを並べ立てて、構造改革や規制緩和なくして日本の復活なしと本気で信じ込み、その辺の不勉強な庶民の連中は、「いまの世の中は恵まれている。昔はもっと苦労したものだ。このくらいの不況で音を上げるなんて若者は甘えている。」と息巻くが、日本の年間餓死者数は1960年の1,362人と比較して、2011年には2,053人(厚労省資料)にも上るほど社会情勢は深刻なのだ。こういった現実を顧みることなく、自身の思い込みや幼少期の幻想を基に誤った主張を我が物顔で繰り広げるバカ者が社会の大勢を占めるようでは日本経済の夜明けは遠い。

 

『改革ごっこ』に興じて国民経済の再生という大目標を見失う連中は、勉強部屋の掃除にばかり熱を上げて、一向に勉強しようとしないバカ者と同じだ。

勉強をほったらかして机の整理ばかりしていては、肝心の成績が上がるはずがない。

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