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2013年8月

2013年8月30日 (金)

再びデフレスパイラルへ

今週の26日から政府による消費税増税の集中点検会合が始まった。会合では、6日間で60人の有識者から、来年4月に予定される消費税増税に関するヒアリングが行われているが、そもそも、選ばれた「有識者」には、業界ごとの重複が目立つばかりか、増税容認派や賛成派が多数を占めており、“増税止むなし、あるいは、断行すべし”の大合唱になることは目に見えている。

 

現に、29(5回会合終了)時点で、出席者42人のうち、賛成26人、条件付き賛成6人、引上げ幅見直し条件付き容認4(毎年1%ずつの引上げならOK)、反対5人、その他1(政府にお任せ)という内訳で、広義の引上げ賛成・容認が88%もいるのに対して、明確な反対意見はたったの12%に止まった。会合自体はあと2回開催されるが、出席者には増税強硬派の御大が数多く控えており、反対派の割合はさらなる縮小が確実視されている。

 

この結果は、マスコミの世論調査結果とは相当乖離している印象だが、元々賛成・容認派が中心のメンバー構成であり、反対意見が1割程度に止まるという結果自体は驚くに当たらない。こういったメンバー構成にし、有識者の御意見という錦の御旗を盾に増税をゴリ押ししようとする政府の強い意志が改めて確認できたというにすぎない。

 

会合に出席したメンバーのうち、経団連や経済同友会、証券系のポチエコノミスト、大学教授辺りの世間知らずのバカはともかく、消費税増税による負の影響をまともに被るであろう労働界や消費者団体、不動産業界、自動車業界、建設業界、漁業者団体、農業団体、観光業界、中小企業団体等の代表者(一部を除く)の口から、次々の増税を容認する意見が出されたことに暗澹たる思いがする。

 

彼らも業界代表とはいえ、社会的には功成り名を遂げた立場(叩き上げではなく天下りも多い)にあり、一般の労働者や消費者とは、また違った感覚の持ち主で、消費税増税による苦境など所詮他人事だと高みの見物をできる立場なのだろう。

会合の意見をまとめると、次のようになる。

・将来世代へのツケの先送りをしない

・財政健全化のため

・社会保障財源確保に必要

・増税回避は日本の国際的な信用を棄損し株・債券・通貨のトリプル安を招く

・増税延期により長期金利が上昇すれば市場の混乱を招く

・増税により若者と高齢者との世代間格差を埋める

・持続的な経済成長には増税が必要

・増税しても住宅購入の落ち込みは限定的だ

・地元の建設業者も賛成が多い

・金融機関の不良債権問題があった前回(97)の増税時とは経済情勢が違う

また、増税容認の条件として、次のような意見もある。

・低所得者対策や国会議員定数削減が必要

・若者や少子化対策が必要

・法人税減税等の景気下支え策が必要

・非正規労働者の社会保険適用拡大が必要

・増税分は待機児童をゼロにする財源に充てるべき

・車体課税の抜本的な見直しが必要

・地方向けの対策を万全にし、農水産物に軽減財率を適用して欲しい

まるで、緊縮財政論者か構造改革主義者の戯言を復唱されているかのようだが、出席者の多くを構造改革的思考の殉教者が占める以上、当然の結果とも言える。

 

既に何度も主張してきたとおり、筆者は、大規模かつ長期に亘る財政金融政策の実行によりデフレを脱却させ、経済の巡航的な成長や拡大を実現していく過程で、社会保障やインフラ整備、教育、科学・技術、食料、防災、治安、防衛等の日本を支える社会基盤の整備や強化を図るべきという立場である。つまり、社会に横たわる諸問題の多くを「経済成長による国富」の強化により解決する、あるいは、解決の糸口を付けるべきと主張してきた。

 

消費税とは、所得や社会的立場の高低に関わりなく、消費行動という社会生活を送るうえで避けて通れない行為に課税する強制性や逆進性の強い不公正な税制である。(その分インフレ対策としては極めて有効な税制)

 

今回の会合で賛成・容認派から出された「財政健全化」とか「将来世代へのツケ送り」、「社会保障財源の確保」という意見は、正当な経済評論家や学者から過去に何度も論破された古臭いものだ。消費税増税が家計や企業の消費意欲を委縮させるものだという一般的な皮膚感覚から、また、橋本政権による97年の消費税増税と構造改革や行財政改革の合わせ技が見事にデフレ突入の起点となった事実(小泉のバカがそれを深刻化させたのだが…)を踏まえても、デフレの闇から明けきらぬ日本経済に消費税増税という過酷な嵐を呼び込めば、再度デフレは深刻化し、名目GDPの縮小に起因する税収減少によって、財政は健全化されず、社会保障の財源も確保できず、結果として将来世代へのツケが更に膨らむことにしかならないだろう。

 

また、増税見送りが株・債券・通貨のトリプル安を招くと言うが、財政問題(筆者に言わせればただの嘘)30年も前から指摘されており、とっくの昔にトリプル安になっているはずだが、現実は迷惑なほどの債券高・通貨高に悩まされている。

 

このほか、増税は世代間格差を埋めるとか持続的な経済成長に欠かせないとかいった類の愚見には、開いた口が塞がらない。叩けば叩くほど傷の治りが良くなると唱える邪教の信者かと見紛う愚かさで、こういう連中が新興宗教に騙されてシャクティパットとかに嵌るのだろう。

 

増税を条件付きで認める意見の中には、自動車税や法人税の引下げ、一部商品への軽減税率適用といった自己都合丸出しの意見や低所得者対策・若者対策・少子化対策との抱き合わせといった愚にもつかない対応策を求める意見があるが、消費税増税を見送ること、あるいは減税や廃止にまで踏み込んで実質的な財政政策を打つことこそが何よりの対策なのだ。

 

わざわざ厄災を呼び込み対策に四苦八苦する(TPP問題にも同じことが言える)よりも、始めからそれを避ければ良いだけなのだが、「有識者」とされる連中には、このレベルの簡単な理屈さえ理解できないようだ。

 

政府がこれだけ大規模な“ショー”を催す以上、消費増税に向けたレールは既に敷かれたものと受け止める。

だが、バブル崩壊後に曲りなりにも経済対策が打たれた前回(97)と違い、失われた15年の間にすっかり体力が落ちた今回は、増税に対する社会の耐性が脆弱化していることを忘れてはならない。しかも、今回は5%8%10%と税率の引上げ幅も大きく、経済に与えるインパクトは格段に大きい。

このまま、黙って増税を見過ごしてしまえば、日本の失われた15年は第二弾の幕開けを迎え、経済困窮による自殺者や企業倒産による離職者の増加という悲劇が再生産されることだろう。

 

(追記)

消費税増税と並び頭の痛い問題であるTPP交渉について、ブルネイで行われている会合で、国有企業と民間企業の競争条件についての議論が始まり、日本郵政やJT等の国有企業の事業への影響が危惧されている。

安倍政権の対外交渉力に絶対的な信頼を寄せる信仰心の厚い一部のファンの方々の期待は大きく裏切られ、最終的にはアメリカの我が儘に付き合わされた挙句に妥協を重ねて国益を損なう結果に終わることだろう。

また、自民党内部に数多くいるとされるTPP反対派議員も、党内論議というガス抜きの場を与えられるだけで、結局は内閣の意向に逆らえず、その愚行を追認することになるだろう。なぜなら、所詮はサラリーマン議員である彼らにとっては国益よりも党議拘束の方が重い意味を持つからだ。

筆者としては、TPP交渉に連なる国内市場開放要求が、JPJT等の国有企業だけでなく、ゆくゆくは国営企業である日本銀行にまで及びかねないと余計な心配をしている。

2013年8月19日 (月)

納税意識の足りない文句タレども

817日付に共同通信社から、主要企業111社向けのアンケート調査結果が発表された。

 

消費増税に関する設問では、広義の引き上げ賛成が74社と67%を占め(「経済状況に関わらず引き上げるべき12社」、「経済状況の改善が続けば引き上げるべき35社」、「現状の経済状況で引き上げるべき27社」)、先に財務省のバカどもから発表された「国の借金1,000兆円超え」のアナウンス効果が、TV漬けの主婦や老人だけでなく、日本を代表する大企業の経営層に対しても絶大であることが証明された。

 

増税容認の理由も「社会保障の安定化や財政再建の道筋をつけるため」、「日本の財政への信認を維持するのに不可欠」といったお馴染みのものだが、増税に慎重な意見の中に「実効性のないばらまきの廃止など増税の前にやるべきことがある」との声もあったようで、筆者のように、大規模かつ長期的な財政金融政策(消費増税などもってのほか、バラマキOK)を唱える者にとっては、まさに八方塞の状況だ。

 

このアンケート調査では、安倍政権への要望を聴く設問(複数回答可)があり、「成長戦略の着実な実行(=規制緩和だ、移民を受け入れろ、日本人が英語をしゃべれるように教育しろ)84社」、「法人税など抜本税制改正(=法人税を下げろ)45社」、「財政健全化(=デフレになっても構わないから無駄遣いを止めろ)29社」、「TPPなどの推進(=平成の開国だ、農家を甘やかすな)18社」という結果であった。

ちなみに、「公共投資の拡大」や「電気料金の値下げ」を望む声はゼロで、資金に余裕のある企業は内需拡大に全く興味を持っていないことがよく判る。

 

こういった調査結果を受けて(かどうかは定かではないが)、菅官房長官は、横浜市内で行われた街頭演説で、消費増税の是非に関して、“26日から行われる有識者からの意見聴取を踏まえ、国民に理解を得ながら、大決断させていただく”と強調するとともに、“慎重な上にも慎重に手順を踏みながら首相が判断する”と述べ、“何としてもデフレ脱却と財政再建を行う”と訴えたそうだ。

 

消費増税に関するこれまでの首相や内閣首脳部のコメントは、決して増税を断定するものではない。当初予定どおり、経済環境を総合的に勘案しつつ今秋に決断するという姿勢を崩していない。

しかし、少なくとも消費増税を見送るという積極的な意思は微塵も感じられない。

有識者からの意見聴取や公聴会などを開き増税決断に至る熟慮を重ねてきたというアリバイを積み上げ、止むを得ず決断せざるを得なかったというプロセスを演出することで、増税に伴って湧き起こるだろう国民からの怨嗟の声をいかに逸らせるかに腐心しているようにしか見えない。

首相やその周辺から、たびたび財政再建を強調するコメントが出てくる以上、消費増税のベクトルを否定する気はないのだろうと推測する。

むしろ、彼らの思考の奥底には、増税に臆する惰弱でわがままな国民に対する怒りのマグマが蓄積されているのではないかとすら感じる。

今回、菅氏の口から出た「大決断」という言葉にこそ、それが表現されている。デフレに苦しむ国民の意に沿う決断をするのに、何も“大決断”をする必要などない。国民の怒りを買いかねない決断であるからこそ、「大」の字を付けて自らを鼓舞せざるを得ないのだろう。まあ、いざ国民との全面戦争ともなれば、いつものように公共事業や社会保障を悪者にして逃げ回ることは目に見えているが…。

 

さて、消費増税が大きな話題をさらう一方で、13日付の日経新聞で、「安倍首相が法人税の実効税率の引き下げを検討するよう指示した」と報じられた。(後日、菅官房長官は報道内容を否定)

法人税減税は、産業競争力会議でも、いかがわしい民間議員の連中から、先端設備への投資促進と並んで「成長戦略の本丸」と位置付けられており、事実が日経の報道のとおりであっても何も不思議ではない。

一方で日本の財政危機を叫んで消費増税を国民や中小企業に押し付け、自らは法人税減税の果実を得ようとする産業界の厚顔ぶりに激しい怒りを覚える。

 

法人税率は昭和5962年頃をピークに引き下がる一方だが、肝心の産業競争力とやらは一向に上向いていない。

法人税収は、平成元年の19兆円から平成23年には8.8兆円(統計局資料)に落ち込み、欠損法人(赤字企業)の割合も平成元年頃には30%ほどであったのが、近年は70%を軽く突破している。

 

産業界(経団連や経済同友会のバカ者たち)は、口を開けば、“諸外国と比較して日本の法人税率は高すぎる、これでは産業競争力が削がれ海外企業と競争できない”とダダをこねるが、実績は見てのとおり惨憺たる結果だ。

国税庁や統計局資料によると、平成23年度の国内法人の営業収入額は1,275兆円に達するが、法人税額は8.8兆円で、売上のわずか0.69%に過ぎない。この程度の税金が高過ぎるとほざくようでは、世界で戦うなど100年早いと言わざるを得ない。

また、雇用環境についても、正規雇用者数は、平成2年の3,473万人から平成25年には3,257万人に減り、逆に非正規雇用者の割合は20%から36.2%に増えている。(労働力調査)

いくら税率を下げても、“黒字を出せない、税金すらまともに納められない、雇用も維持できない”のナイナイづくしの状態で、さらに法人税を下げてくれと要求するなど厚かましいバカだとしか言いようがない。

 

にもかかわらず、現政権は、ご意見拝聴しますとばかりに、産業競争力会議や日本経済再生本部という錦の神輿まで用意するものだから、すっかり彼らも付け上がっている。

恐らく彼らの無理な要求はこの先も続くことだろう。ならば、いっそのこと当面の間、法人税率ゼロにして法人税を失くしてしまえば良いではないか。チマチマと小出しに下げるのではなく、一気にゼロにすれば彼らの宿願も叶うだろう。

 

だが、法人税だけをゼロにして、他の所得税や消費税を取るというのも税の公平性に反し、著しくバランスを欠くため、いっそのこと税制の運用をストップ(インフレ対策への機能維持のため、税制そのものを無くすのではなく、税率を暫定的にゼロにする)してしまえばどうか。

つまり、これから数年間、事実上の無税国家を運営してはどうかと提案したい。

その間、税収は日銀によるファイナンスと政府紙幣発行で補えばよいだろう。税収見合い分とそれを補う政府支出分の合計数十兆円に及ぶ巨額の財政政策を打つことができ、民需や名目GDPは飛躍的な伸びを見せるだろうが、日本の供給能力を勘案すれば、物価水準も十分に一桁台のインフレ率に抑え込むことが可能だろう。(当初の1-2年は二桁になるかもしれないが…)

 

要求どおり法人税を無くすのだから、産業界もまさか文句はあるまい。免除された税金を原資に競争力強化にでも精を出せばよいではないか。

また、公務員の連中も、小うるさい住民やキチガイじみたオンブズマンの連中から「私たちの税金で云々」とくだらぬ言い掛かりを付けられずに済むだろう。

企業や国民の多くは、日ごろから税金が高過ぎると文句ばかり言うが、「じゃあ、いっそのこと税金を失くしてはどうか、それで皆がハッピーになりますよね」と問うと、「いやいや、そんなことをしたら国が傾いてしまう、絶対に無理だよ」と否定する。それに対して、「それなら大人しく税金を納めればよいではないか」と返すと、「せっかく納めた税金を国や役人がムダ遣いするのが腹立たしい」と話を逸らす。

この手の文句タレは、納税を嫌がっているのか、はたまた、ムダ遣いが我慢できないのかは判然としないが、自分こそムダな存在に過ぎないくせに、自身に直接益をもたらさない事業を全てムダ遣いだと誤解しているのは確かだ。

 

無税国家という言葉は、経済学の世界では「不可能なこと」という意味合いで使われる。

だが、厳密な意味での無税国家は存在しないものの、ブルネイ、モナコ、サウジアラビアなどそれに近い国家は現にある。

無税国家=不可能という論拠として、憲法の納税の義務への抵触を除くと、高インフレの招来、富の再配分機能の停止、国民の政治監視意識の低下などが挙げられるが、絶対に不可能だと言われる割に、その理由はこんなものだ。

最大の課題とされるインフレ対策なら、むしろ日本のお家芸でもあり、金融政策や得意の技術革新、節約、貯蓄の奨励をフル活動すれば、意外と耐えられるのではないか。ましてや長期デフレに苦しむ日本にとって内需拡大の起爆剤になりこそすれ、大きな害になるとは思えない。インフレに伴う金利の上昇を機に、高金利での運用を狙って国債や預金が大幅に増加し、インフレも懸念するような高水位には達しないだろう。

 

筆者とて、いまの日本がすぐに無税国家へ移行できるとは考えていないが、強欲な産業界の連中と同じように、国民や中小企業が免税や減税の恩恵に与るための方便の一つとして検討に値すると思っている。

無税国家を鼻で笑うのは、法人税くらいきちんと納めてからにしろと言っておく。

2013年8月14日 (水)

経済の足手まといでしかない朱子学者たち

今回は、みなさんが普段何気なく使っているお金についてお話ししたい。

 

ご存じのとおり、お金には紙幣と硬貨(貨幣)があるが、それぞれ発行元が異なっている。

1万円札などの紙幣は、独立行政法人国立印刷局が製造し、日本銀行が発行している。また、500円玉などの硬貨は、独立行政法人造幣局が製造し、財務大臣が日本銀行に交付することにより発行される。

端的に言うと、紙幣は日銀が、硬貨は政府が発行している。一度、紙幣や硬貨をよく眺めてみていただきたい。紙幣には「日本銀行券」との印刷が、硬貨には「日本国」という刻印があるはずだ。

 

因みに、財務省のホームページによると、平成24年度の紙幣と硬貨の製造枚数は、紙幣が3種類で3,150百万枚(約13.5兆円)、硬貨が7種類(記念硬貨含む)で916百万枚(約1,794億円)に上る。

このように、毎年多くの紙幣や硬貨が流通することになるが、その製造コストは、一体どれくらいかかっているのだろうか。

残念ながら、それらの製造コストは、造幣局のホームページでも、貨幣に対する国民の信任の維持や偽造防止の観点から公表されていない。

 

だが、国立印刷局から日銀への引き渡し価格や原材料の価格等を基に推計すると、次のようになると言われている。(いずれも推計値)

[紙幣]1万円札:22.2円、5,000円札:20.7円、2,000円札:16.2円、1,000円札:14.5

[硬貨]500円玉:43円、100円玉:73円、50円玉:20円、10円玉:42円、5円玉:4円、1円玉:14

殆どの紙幣や硬貨は、額面が製造コストを上回り、いわゆる通貨発行益が生じているが、10円玉と1円玉は、材料となる青銅やアルミニウムの価格との兼ね合いからコスト超過の状態だ。

 

ご存じのとおり、現在では、日本を含む世界中の国が金本位制(金を通貨価値の基準とする制度。中央銀行が、発行した紙幣と同額の金を常時保管し、金と紙幣との兌換を保証する。)を離脱し、管理通貨制度(各国の中央銀行が、政府の信用を裏付けとして自国の経済規模に見合った分だけ通貨を発行する制度。)を採用している。

日本では「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により、貨幣の製造や発行の権限は政府に属すると定められ、貨幣の発行量が金の保有量に制限されることはない。

 

では、高価な金や銀などを貨幣そのものとして用いていた江戸時代の貨幣製造コストは、どれくらいだったのだろうか。

江戸幕府を開いた徳川家康の下で鋳造された「慶長小判」1両の現在価値は、諸説あるが、10万円くらいと言われている。

この慶長小判には、金が15g、銀が2.5gほど使われていた。これを現在の相場で計算すると、原材料費のみで66,000円くらい掛かることになり、いまの1万円札と比べて製造コストの高さに驚かされる。

それぞれの額面や価値を製造コストで割り返すと、1万円札は製造コストのおよそ450倍以上もの価値を創出しているが、慶長小判のそれは1.5倍ほどに過ぎない。両者の差は約300倍にもなる。

現在使われている1万円札は、江戸時代の小判と比べてはるかに通貨発行益が大きく、それだけ発行元である政府にとって経済政策の自由度が高いことを意味する。

 

1971年にアメリカが、いわゆるニクソンショックによりドルと金との兌換禁止に踏み切ったことをきっかけに、世界は一気に管理通貨制度へ移行した。

その後、現在に至るまで、多くの国が目覚ましい経済発展を遂げたが、管理通貨制度の導入による貨幣価値の増大が大きく寄与したことはあまり知られていない。

金の保有量に制限されることなく、為替レートやインフレ率さえ気にしておれば、後は政府の裁量で貨幣量をコントロールできる管理通貨制度は、生産力やサービス供給力に優位性を持つ先進諸国にとって非常に使い勝手の良い制度であった。

金本位のように貨幣発行量が金の保有量に制限される窮屈な制度下では、生産力の増大に見合うだけの量の貨幣(=消費するための原資)を創造することが叶わず、一人の勝者の出現により必ず敗者が弾き出されるイス取りゲームのような経済状態に陥ってしまう。

これでは、革新的な商品やサービスが出現しても、それを広く普及させることはできない。いくら良い商品であっても、それを買うための貨幣が世に出回っていなければ、せいぜい祭りの見世物で終わってしまう。

 

江戸時代も元禄期になると、度重なる大火や将軍家の出費により、いよいよ幕府の財源も尽きかけたが、この危急の事態を勘定奉行であった荻原重秀が救ったことは有名な話だ。

荻原は、誰もが思いつかなかった貨幣改鋳という極めて斬新な発想で、財政危機を見事に乗り切った。柔軟な発想で金の含有量を変え、慶長小判の2/3ほどの金含有量となる元禄小判を新たに発行し実質的な貨幣発行量を1.5倍に高めて幕府の財政問題を解決するとともに、華やかな元禄文化の幕開けを陰で支える財政政策を行い、失墜しかけた幕府の威信を建て直し、江戸260年の土台を築いた。

 

貨幣改鋳に踏み切る際に、彼が残した「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な台詞は、世界に先駆けて貨幣国定説を世に問うた経済史に残る記念碑とも言うべき偉業である。

産出量が乏しい貴金属を基にした貨幣経済では、新たな商品やサービスが世に生み出されるスピードに貨幣鋳造のスピードが追い付けず、モノ余りが常態化し、デフレ圧力に晒される。(この貨幣不足を補っていたのが藩札の存在)

これでは世の中は大きく発展しようがない。なにせ、いくら画期的な商品を作っても、それを欲する人が購入するための資金を持っていないのだから…。

 

こういった前近代的な状況をブレークスルーするには、貨幣に対する価値観を一変させる必要がある。つまり、貨幣自体に貴金属的な価値を求めずに、価値の尺度や交換(決済)手段としての役割に特化した存在として受け容れるよう発想を転換しなければならない。

貨幣を経済的な交易に用いるツールと割り切りつつも、政府の信用をバックに国内の津々浦々にまで強制通用させる国定貨幣、名目貨幣の存在が求められたのだ。

ドイツの経済学者クナップが貨幣国定説を唱えたのは1905年とされるが、重秀はそれより200年以上も早く名目貨幣の存在に気づいたばかりか、頭の固い朱子学者たちに取り囲まれた江戸幕府という巨大な政治機構を動かし、貨幣改鋳という巨額の財政政策を実現させた手腕は驚愕に値する。

 

だが、せっかく花開いた元禄経済も、将軍の代替わりを機に台頭した新井白石という経済音痴の朱子学者によって崩壊してしまう。白石は重秀が苦心の末行った改鋳を廃し、朱子学に立脚した下らぬ倫理観を振りかざして江戸の経済をデフレ不況に陥れた。そして、幕府は、この後に同じ過ちを享保、寛政、天保と三度も繰り返すことになる。

 

こういった史実は、いまだにデフレ脱却の道を見出せない日本経済に大きなヒントを与えてくれる。

日本のように技術革新やサービス向上への取組みを怠らず、高度な生産力やサービス供給力を維持できる国は、管理通貨制度のメリットをもっと積極的に活用すべきだ。既に述べたとおり、現在の1万円札は、小判と比べて300倍以上もの発行益を生み出し、それだけ莫大な価値を創出できる。だからこそ、この無限に供給できる「貨幣」というまことに有用なツールをもっと大胆に実体経済へ投入して、技術革新の芽をどんどん創出させるべきなのだ。それは、日本の供給力を永続的に維持更新することにもつながる大変重要な取り組みである。

生産力が比較にならないほど乏しかった江戸時代に、重秀以降も数度にわたり貨幣改鋳が実施されたが、大したインフレをもたらすことはなかった。ましてや、世界最高水準の供給力を誇る現代の日本であれば、相当大規模な財政金融政策を打っても、財政破綻論者が懸念するような高インフレにはなり得ない。

 

構造改革主義者や財政破綻主義者の連中は、口を開けばイノベーションだ、技術革新だと叫ぶ割に、日本経済が持つ供給能力に自信が持てないようだ。ちょっとでも余計に貨幣を刷ったり、財政規律が緩んでしまえば、たちまち制御できないインフレに見舞われるとビビっている。

こういった経済音痴な連中が、新井白石紛いの緊縮財政や構造改革ごっこに熱中し、消費税増税の旗振りをしている様を荻原重秀が見たとしたら何と思うだろうか。

恐らく、あまりのレベルの低さに失笑するしかないのではないか。

2013年8月13日 (火)

毒を飲まされたワニ

日本経済は、1990年代後半からデフレーション(一般物価水準の継続的下落)に陥ったとされ、“失われた15年あるいは20年”などと言われているが、そんな中で日本の預金総額は、どういう動きをしてきたかご存知だろうか。

 

実は、この間に国内の預金は一貫して増え続けている。

 

国内銀行(都市銀行、地方銀行、第二地方銀行)の総預金高は、1999年に約470兆円だったが、直近のデータでは20135月末時点で約631兆円にまで拡大(日本銀行資料)しており、この14年間に161兆円、およそ34%も増加している。不況なのに預金が増えるなんて、と不思議に思う方もいるだろうが、事実はこのとおりだ。

 

一方、預金と言えば、その対極にあるのが貸出(企業や家計への融資)だが、こちらは預金とは逆の動きになっている。

国内銀行の総貸出額は1999年に約462兆円だったが、20135月末には約422兆円と40兆円余りも減っている。(2011年以降は若干増加傾向にある)

 

この預金と貸出との差額は「預貸差」と呼ばれ、経済状況を判断する重要な指標となる。

一般的に、経済状態が良好で企業や家計の投資意欲が強い時には、貸出(融資)への需要が増え、両者の差が小さくなり、逆に、投資意欲が減退する時期には両者の差が拡大する。

1991年から1998年頃まではこの預貸差が逆転し、いわゆる貸出超過の状態であった。

筆者が若手銀行員であったこの時期には、預金獲得競争がかなり過熱気味であったことを覚えている。

その後、金融危機騒動の余波を経て預金超過時代に突入したとはいえ、1999年に僅か8兆円に過ぎなかった預貸差は、2013年に209兆円にまで拡大してしまった。

両者の差は日本がデフレ不況に陥って以降、拡大のスピードが増し、2003年に初めて100兆円を突破すると、今年に入ってついに200兆円に達している。

しかも、これは信金・信組、農協、ゆうちょなどの数値が加算されていない数値であり、それを考慮すると実際の預貸差はさらに拡大する。

財政破綻論者が大好きな、いわゆる「ワニの口(歳出と税収差の拡大)論」と同じ現象が起きているということだ。

 

「預金が増えて貸出(借入)が減るなんて結構なことじゃないか」とお考えの方がいるかもしれない。個々の企業や家計の発想なら、それもよい。

だが、経済全体の状況をマクロな視点から捉えると、預貸差の拡大は放置できない問題なのだ。

 

預金の伸びに貸出の動きが追い付けないということは、企業や家計の投資意欲や資金需要が縮小しているということであり、ひいては投資の裏付けとなる「国内消費の落ち込み」を表している。つまり、景気の現状や先行きを不安視する家計や企業が委縮して消費や投資を控え、生活防衛のため、あるいは、企業体力蓄積のため、一斉に預金に走っているということになる。

 

預金とは、消費や投資に回されることのない余剰資金(=消費や投資の死骸)のことだから、預金が一方的に増えるということは、それだけ実体経済の消費や投資に回る資金量が減ることを意味する。つまり、企業の売上低下や家計の収入削減に直結するのだ。

 

日本の経済活動の総量を示す名目GDP(国内総生産)の推移を見ると、このことがよく判る。

GDPを構成するのは国内の消費や投資の総額(+純輸出=海外の消費)だが、1999年に504兆円あった名目GDPは、2012年には475兆円にまで落ち込んでいる。

これほど長期に亘り名目GDPを成長させられない先進国は我が国以外に存在せず、こうした体たらくの結果が、この預貸差にも表れている。

 

経済状態を計る指標としてよく知られているのは「金利」や「物価」で、これらは『経済の体温計』と呼ばれているが、この「預貸差」という一見地味な指標も、経済のコンディションを知るうえで重要な手掛かりとなる。

 

さて、まだまだデフレ脱却への光明が見出せない経済状況下で、世間では、またぞろ消費税増税論議が熱を帯びている。

 

旗振り役は、例のごとく財務省のバカ者どもと取り巻きのマスコミやエコノミストの連中で、812日に内閣府から発表された今年4-6月期のGDP成長率の速報値が名目値で+0.7%(年換算+2.9%)、実質値で+0.6%(2.6%)を示したことや同じく13日に内閣府から発表された4-6月期の機械受注統計(季節調整値)で民間設備投資の先行指標とされる「船舶・電力を除く民需」が前期比6.8%増の22999億円となったことをエサに、「景気回復の足取りは確かなものであることが確認できた」、「増税による景気の腰折れリスクは小さい」と増税断行の御旗を掲げての大合唱が続いている。

加えて、政界・財界に寄生する構造改革主義者や新自由主義者の世間知らずどもから、「社会保障改革は消費税増税が前提条件だ」、「これだけの財政赤字がありながらも日本の国債が信用を維持しているのは消費税の増税余地があるからだ」、「消費税増税は国際公約で、公約破りは日本売りを招く」といったくだらぬ援護射撃もあり、消費税増税論議は増税派に有利な状況へ大きく傾いている。

 

消費税増税の声があまりに大きいため、政財界に僅かに残る増税反対派の声は掻き消されそうになり、増税派への妥協を口にする者も増えており、「デフレ脱却が確認できれば増税もやむなし」、「消費税増税は1-2年先送りすべき」、「いきなり税率を5%から8%に引き上げるのではなく、毎年1%ずつ上げてはどうか」、「消費税引き上げ分を全て社会保障に充当するならやむを得ない」といった弱音も聞こえてくる。

 

だが、最近のエントリーでも述べたように、デフレ突入以降に日本経済が失った国富は莫大な額に上る。それらを取り戻すことなく、景気回復の芽がほんの少し頭をもたげたからと言って、経済破壊をもたらす公算が大きい逆噴射政策に安易に手を出すのは、国家に対する破壊行為にも等しい。

たかが四半期や1-2年間の経済指標が少々上向いたからと言って、遂にデフレ脱却だと狂喜するのは、過去を顧みようとしない痴れ者だと言える。

デフレを脱却してすぐに国民経済全体が改善されるほど現実は甘くない。

特に、疲弊し切った地方経済を治癒するには、財政金融政策を大規模に実行したとしても相当長い期間が掛かるだろう。

寒波と洪水に見舞われ水浸しになった荒野は、少々陽が差したからと言って直ぐに乾くものではない。

 

構造改革のバカ騒ぎに載ってデフレを放置してきたせいで、既に1520年も景気低迷が続き、他の先進諸国から大きく後れを取っている。

今回のGDP速報にしても、年換算(これも乱暴な指標なのだが…)で+2%台程度の実績で喜ぶようではレベルが低すぎる。他国では4-5%は当たり前で、二桁を超える伸びを示す国も珍しくない。

 

過去にはコンスタントに90100点くらい取っていたのに、間違った勉強法のせいで30点しか取れなくなった学生が、たまたま今回のテストで35点を取ったからと言って、 “学力向上への道筋はしっかりと確認できた、勉強を止めて遊びに行っても学力維持に問題はない”と安堵するようなバカ親がいるだろうか。(DQNペアレントならやりかねないが…)

改善の絶対値が満足するレベルに到達していない限り、安易な妥協策を採るべきではない。

 

消費税増税論議など、名目GDP成長率が10年以上平均で5-6%を超え、物価上昇率が二桁に迫る勢いとなりインフレが深刻化し、再びバブル膨張の懸念が高まった時にゆっくり議論を始めればよい。

激しい干ばつに悩む田畑を前にして、いつ来るともしれない大雨による根腐れを本気で心配するバカどもに付ける薬はないが、この手の心配性の愚か者が政官財界に溢れ返っていることが日本病の病根の一つであることは間違いない

 

彼らは構造改革や緊縮財政で弱り切った日本経済に、またもやTPPや消費税増税という新たな毒薬を飲ませようとしている。

日本経済という死にかけのワニは、無理やり飲まされた毒を吐き出そうともがき苦しみ、ますます大きく口を開ける羽目になるだろう。


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2013年8月 7日 (水)

現代の姥捨て山

85日の日経新聞に「増えぬ若者の起業」という記事が掲載された。

記事は(自分のことはさておき)若者のチャレンジスピリットが足りないことを嘆く、いかにも日経らしい内容で、要約すると次のようになる。

・政府の目標は、開業率を今の2倍に引き上げ欧米並みにすること。

・シニア世代や30-40歳代の起業意欲は強いが、20歳代の若者の意欲は低い。その理由は、若者の大企業志向が強いこと。夢があり養う子供もいない若者は本来起業の中軸のはず。

・日本政策金融公庫のデータでは、2012年の起業者29歳以下は9.8%1990年比5ポイントダウン)に過ぎない。

・政府の目標実現には若者の起業減少を止めることが必要だ。

・日本では起業のリスクが大きい。日本企業は新卒学生を優先採用するため起業に 失敗すると就職が難しい。

・起業を促進させる対策として、日本政策金融公庫の無担保・無保証融資(1,500万円)の元本返済据え置き期間を半年から1年に延長するほか、経営者による融資個人保証制度の改正を検討中。

・起業を促すには労働市場の流動化が欠かせない

 

また、81日付けの「中小企業振興(中小機構が発行する業界誌)」には、APEC中小企業サミット(78日京都市にて開催)のセッションで日本のベンチャー企業の状況が堀場製作所の会長(自称ベンチャー支援の第一人者)などの有識者によって討議された様子が記事として掲載されていた。

その内容は次のようなものである。

・ベンチャー育成に行政が多大な支援を投じたが、目立った成果を得られてない。

・ベンチャーが育たない理由は「日本人のDNA」に起因する。日本人は何か新しいことをやることをあまり評価しない、ベンチャーが大企業に売り込みに行っても信用されず相手にされない。

・自分の子供がベンチャーを志した時に、家庭が心の底から応援できる家庭環境づくりが必要だ。

・企業内のベンチャースピリットを育て、日本人の生き方の価値観を変えるという本質の部分を見直すことが大事だ。

 

両者に共通するのは、若者のチャレンジスピリット不足を嘆き、ベンチャー企業に対する社会的な偏見を嘆いた揚句、日本の労働市場を流動化させろ、日本人の労働に関する価値観を変えろという結論に至る点だ。

これらの記事を通じて、彼らは本当に言いたいのはココなのだ。

彼らにとって、開業率が増えようが、ベンチャー企業が増えようがどうでもよいことで、契約社員や派遣社員のような流動性の高い雇用形態の普及を促進させることや正社員を解雇しやすくするために雇用を流動化させることに真の狙いがある。

彼らが真面目な顔で起業問題を論じるフリをしているが、腹の底では、コストの高い日本人正社員を増やすなんてとんでもない、とはいえ失業して家でブラブラされて生活保護費が増えるのも癪だし、起業でもしてもらおうか、たとえ起業に失敗してもそれは自己責任だから、という程度の軽いノリなのだ。

起業だ、ベンチャーだと煽てるが、本音は態の良い口減らしに過ぎない。

 

自分で起業したこともないド素人は、いまの若者は大企業志向で起業リスクを嫌う、ベンチャースピリットがないと嘆くが、中小企業白書2013の資料(企業ベース)によると、バブル期からバブル崩壊後にかけての開業率は、198619913.5%199119962.7%20042006年の5.1%と比較してかなり低い。だが、当時は世の中が好況感に包まれ、若者の起業意欲が低いなどと嘆く声は全く聞かれなかったと記憶している。

当時若者世代であったはずの4050歳代の連中(筆者を含む)は、いまの若者はだらしないと偉そうな口を利くが、昔の自分はどうだったのか。バブル景気に浮かれてぬくぬくと大企業に就職しておきながら、他人には起業しろと言える立場か。

 

上記の日経の記事にあった「夢があり養う子供もいない若者は本来起業の中軸のはず」なんていう台詞は、まことに自分勝手な言い草で、死んでも嘆く身寄りのない若者は最前線の戦場で討ち死にしても構わないというのに等しいだろう。

こういう手前勝手な意見を吐くバカ者は、日本の大学進学率が上昇している理由や背景を理解できていない。

大学進学率は、昭和30年代に8%ほどであったが、順調に上昇を続けて2009年には50.2%に達し、2人に1人は大学に進学する時代になった。

個々の大学の学力レベル云々の話は置いておくとして、この事実は、何とか自分の子供たちに高等な教育を受けさせてまともな企業に就職させたいという親の切実な願いを反映したものに違いなかろう。

 

また、中小企業振興の記事には、自分の子供がベンチャー企業を志した時に親がそれに反対する空気を替えようなんて書いてあるが、これは非常におこがましい発想だ。

一説によると、企業の生存率は設立1年で40%5年で15%10年で6%に過ぎない。裏を返せば1年で60%5年で85%の企業が消滅の憂き目に合うということで、わざわざ高い学費を掛けて大学に進学させた我が子に、高確率のハズレ馬券を買わせる親などいないのは当然のことだ。

ベンチャー企業と言えば聞こえはよいが、給与の遅配、低レベルな福利厚生、独裁者や暴君のごとく振る舞うブラック経営者の横行など、新卒学生にお勧めできる就職環境とは到底言い難い。

 

また、政府は、起業対策としてすぐに融資制度の拡充に逃げ込むが、ベンチャー企業が上手くいかないのは融資が足りないせいではない。たんに売上が足りないだけだ。

ベンチャー礼賛者は、出資や融資制度さえ拡充すれば何とかなると勘違いしている者が多いが、この手のバランスシート至上主義者は経営のイロハを理解していない。

事業継続に重要なのは、貸借対照表よりも損益計算書であり、その最上位にある売上を確保することだ。売上こそが利益の源泉であり売上の絶対量を確保することなしに収益を確保することはできない。乏しい売上しかなければ、必然的にコストカット頼みの経営に走らざるを得なくなる。

日本は内需型産業が大半を占めるため、企業の売上を増やすには、内需を活性化させる必要があり、尤も有効かつ即効性が高いのは大規模な財政政策を長期に亘り実行することだ。これにより名目GDPが増えて企業活動も活発化し、ディマンドプル型の物価上昇の中で企業収益も改善される、こういった経済状況下でこそ起業環境も改善され起業後の生存率も高まるだろう。

 

長引くデフレ不況の影響で我が国の名目GDPは低迷を余儀なくされている。これは企業の商機が減少していることを意味する。パナソニックやシャープ、ソニーなど名だたる大企業でさえ経営改善に四苦八苦しているのだ。

国内の企業数も80年代後半から90年代初頭に約540万社あったものが、直近では約

420万社にまで減ってしまった。それだけ国内の経営環境が厳しい荒波に曝されて過酷になっているということだ。

 

冒頭の日経の記事やイベントのパネリストたちは、暴風が吹き荒れ大波が荒れ狂う海に敢えて漕ぎ出すバカ者がいないことを嘆いている。

自分は安全地帯から高みの見物を決め込み、他人の人生を賭けた壮絶な闘いをゲーム感覚で批評する卑怯者だ。

また、日本人のDNAにまで踏み込んで若者の起業意欲の無さを批判するが、不得意分野にムダなリソースを投じるよりも、得意分野を伸ばす方が大きな効果が得られやすいのは人材教育の基本だ。経営学の基本であるABC分析で、非重要品目の販売戦略に多大なコストを掛けることが経営の失敗をもたらすのと同じことで、長年経営者をやっていながら、そんなことも理解できないのだろうか。

 

彼らは良識も常識もない卑怯な傍観者だ。

それほど他人を起業させたいなら、若者をあてにせずに、まず自分でラーメン屋でも始めたらどうか。

消費のパイが減る一方で、競合相手が次々に参入する激烈な市場で勝ち抜くことがどれほど辛くリスキーなことかを身をもって体感すべきだ。

立場の弱い若者相手に偉そうな口を叩くのは、自分が起業を経験し成功してからにしろと言っておく。

2013年8月 3日 (土)

成長ごっこに興じる暇などない

先の参議院議員選挙は、大方の予想どおり自公政権が過半数を制した。

戦前から自公側の圧倒的な優勢が伝えられていたこと、野党側から与党との対立軸を形成するような政治提案が全くなされなかったことから、選挙自体も盛り上がりに欠け投票率も52%と戦後3番目の低さに止まった。

衆参のねじれが解消したこと自体は評価すべきことだが、どさくさにまぎれて三馬鹿トリオ(反原発中核派芸人、ブラックワタミ、伝説の円安トレーダー)を当選させてしまった「民意」とやらの程度の低さに、はらわたが煮えくり返る思いだ。

 

気色悪い宗教政党というお荷物を抱えながらも、安定政権として新たなスタートを切った安倍政権だが、さっそくTPP参加交渉や消費税増税問題という大きな課題に直面している。

これらは、そもそも自ら招いた自業自得ぎみの問題であり、お前たちが勝手に解決しろと突き放したいところだが、いずれも国民経済を破壊しかねない大問題であり傍観するわけにはいかない。

 

TPP交渉に関しては、異常なまでの秘密主義や対象分野が農業以外の広範囲に及ぶこと、ISD条項の弊害などが、ようやくバカマスコミから報じられ始めたが、いずれも23年前から心ある有識者にさんざん指摘されていたことだ。交渉参加した段階でようやく弊害を口にし始めるなど、報道機関として自らの不勉強を恥ずべきだろう。

彼らの口からは、相変わらず農業分野5品目(コメ、麦、牛・豚肉、乳製品、サトウキビ)を死守できるかという視点でしか報じられていないため、TPP=農業問題という誤ったイメージを国民に植え付けてしまっている。

また、新聞やTV報道をボケーっと観ているだけの不勉強な国民も、TPPという厄災を自らに降りかかる問題とは認識しておらず、農業問題の枠内(=他人事)でしか捉えようとしない。

TPPは、アメリカのグローバル(気取りの)企業による国家主権侵害と人件費の安さしか能がない途上国の労働者流入による国内雇用の崩壊という大問題を引き起こす可能性が極めて高く、日本経済のデフレを更に深刻化させるだろう。

 

一方、消費税増税問題は、消費税改正法案附則第18条の適用を巡り、財務大臣や政府高官から増税が既定路線であることを匂わす発言が飛び交っている。

安倍政権の経済政策に全幅の信頼を寄せる者は、政権サイドの脱線気味の開き直り発言に対しても、その一言一句を忖度して、“増税するとは明言してない、首相の発言は一ミリたりともブレていない”とすがるような思いで強弁しているが、既に、消費増税時の価格転嫁を円滑にする特別措置法が成立し、その広報事業が全国的に展開されている。また、財務省のバカどもは、2014年度予算に消費税増税を前提とする二段階査定方式を強要するなど、増税に向けた地均しは着々と進んでいる。

官邸の経済ブレーンから、消費税を一気に8~10%に上げずに毎年1%ずつ上げてはどうかとの提案もあるようだが、税率を上げることに変わりなく何の意味もない。これでは消費税増税の逆アナウンス効果が毎年行われるようなもので、病状がかえって進行してしまうこともあろう。

首相や官房長官の口から、増税への慎重発言が出ることもあるが、消費税増税問題に対して「熟慮」を重ねたというアリバイ作りに過ぎないだろう。

なぜなら、彼らをはじめ大臣や与党議員、政府高官クラスの口から、増税回避や減税を求めるような積極的な発言を聞いたことがないからだ。政権与党側に本気でデフレ脱却への覚悟があれば、この経済環境で増税するなど全くありない選択で、例の3党合意を金科玉条のごとく祭り上げて、国民生活より優先させるべき正当な理由が見つからない以上、増税封印に向けた発言や行動が、もっと積極的に行われるべきではないか。だが、現実は見てのとおりだ。

残念ながら、消費税増税はもはや既定路線で、後は発表に向けた環境整備の段階に入っていると思わざるを得ない。

本日、エコノミスト各社から今年4-6月のGDP(またもや「実質GDP」なのだが…)見通しが発表されたが、いずれも謀ったかのように年率23%の大本営発表で、消費税増税を強行したい財務省の思惑どおりに事態は進行中だ。

 

元々、時の政権が、4-6月期の景気情勢を総合的に勘案して、今秋を目途に来春からの増税の可否を判断するという基準自体が考えられないほどユルユルなのだ。

日本経済は15年以上もデフレに苛まれ、世界随一の低成長国という屈辱に甘んじてきた。その間に失われた国富や国民の生命・財産は莫大な規模に達する。他の先進諸国並みに成長していれば、いまごろ我が国の名目GDP1,000兆円近くに達していたはずで、累積的な損失は3,0004,000兆円にもなる。

これほどの経済的厄災に見舞われたにも関わらず、僅か3ヶ月間の経済指標を基に増税を決断する神経そのものが疑われる。

消費税増税のハードルをここまで低く設定できるのは、デフレの恐ろしさや国民の経済的困窮を全く理解できず、デフレ不況を軽く見ている何よりの証拠だろう。

 

過去の逸失利益を少しでも取り戻すためには、高いレベルの経済成長を実現すべく成長のためのアクセルを強めに踏み込まねばならない。アベノミクスの第一の矢と第二の矢は、そのための強力な助っ人として期待されたはずだが、ほんの1-2回打席に立っただけですぐにベンチに引っ込められてしまった。

そして、代わりに出場してきたのが、高給取りの割に三振ばかりしている自称“四番”の成長戦略である。

 

その成長戦略の全貌は、今年6月に日本再生本部が公表した「成長戦略(案)」に収められている。

筆者も、94頁に及ぶ経文に目を通したが、首肯できるのは「個人保証制度の見直し」と「メタンハイドレード等海洋資源の商業化」の二点のみだ。中には、「空港・港湾など産業インフラの整備」という尤もらしい提案もあるが、首都圏の利便性向上しか眼中にないもので、日本全体の発展に寄与するレベルの話ではない。

“戦略”の中味は、頭の悪い産業競争力会議の連中が創ったポエムに、世間知らずの経産・財務官僚が文書を肉付けした程度の内容しかないのだが、改めて読み返すと、日本経済を破壊した「骨太の方針」そのものであることにいまさらながら呆れ返る思いだ。

そこには、国土強靭化とか、需要刺激策による経済発展を目指す気持ちなど微塵も感じられない。

成長戦略案の概要は次のようなものだ。

・産業の新陳代謝の加速

・規制・制度改革と官業の開放

・女性の社会進出を促進

・雇用維持型から労働移動支援型への転換

・日本の若者を国際競争の波に晒して鍛え上げる

・新興国の成長を取り込むために世界に飛び出す

・日本市場に投資を呼び込むために国内市場に蔓延る制度面の障害を除去する

・成長戦略は財政再建と矛盾するものであってはならない

改めて説明するまでもなく、今回の成長戦略案にちりばめられた“毒素条項”は、小泉バカ政権時代にスタートした構造改革路線を彷彿とさせるものばかりだ。そして、多くの国民は、それらが社会基盤や日本経済だけでなく、自らの生活基盤をも破壊し尽くそうとしていることに気付かされている。周囲から、見苦しい言い訳をする社会的敗者だというレッテルを貼られたくないばかりに、誰もが口に出して言えないだけだ。

 

この戦略案が政策に反映され実行に移されれば、日本経済は間違いなく「失われた40年」を迎えることになろう。

「需要と供給」という経済活動に欠かせない二つの要素を無視して、供給面の視点でしか経済を捉えきれていない今回の提案は、競争激化と供給過多、国民所得の減少によるデフレの深刻化という結果をもたらすだけに終わるのは目に見えている。

需要なき供給力の発展などあり得ないことに、彼らは何時になったら気付けるのか。

 

「政策が効果を表すには時間が掛かる、国民は慌てず政策の行方をじっくり見守るべき」という一部の保守論者の言は、至極真っ当な意見だと言える。それが、通常の経済状態下で放たれた意見であれば…。

20年にもなろうかというデフレ不況の影響で、国民や多くの企業の経済環境は困窮を極めている。特に、地方経済の惨状はもはや一刻の猶予もならぬほど逼迫している。

彼らは、もはや日本経済の未来に希望や期待を失いかけており、じっくり待つとかいった悠長なことなど言っていられないのだ。

アベノミクスが第一・第二の矢をしっかり放ち、真の成長の芽が植え付けられているのなら、歯を食いしばりながらも、肥料をやり水をやり時間を掛けて穂が実るのを待つことができよう。(筆者としては、いつもの公共事業の大幅増額のほか、現在、年間60兆円近くに上る社会保険料(公費負担分を除く)の公費負担のうち、例えば年間2030兆円分の公費負担を増やすといった即効性のある財政政策を提案したい。)

だが、現実には、とても食べられないような毒の実ばかりが植えられている。ひもじい思いを強いられる国民は、どのような気持ちで食べられもしない毒の実の成長を見守ればよいのか。

 

バカマスコミの連中は、円安による食糧や資源価格の悪影響を誇大に採り上げてアベノミクスの足を引っ張ろうと必死になっている。当初はマスコミの悪あがきと見ていた国民も、アベノミクスの経済効果がいつまでも自分の懐に入ってこないと、我慢しきれずに、やがてマスコミの振り撒くデマが真実味を帯びてくることになる。

今は通常の経済環境ではない。“これくらいなら国民も待てるだろう”と高を括っていると病状を悪化させることになる。

将来や未来に対する国民の期待の糸が完全に切れてしまう前に、一刻も早く国民に経済政策の果実を実感させる必要がある。

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