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2013年11月

2013年11月13日 (水)

内需拡大や地方活性化にはカネが要る

先日、産経新聞電子版に『一人貧乏くじ引かされた日本 経済音痴・民主党政権の罪』というコラムが掲載された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131105-00000503-san-bus_all

 

このコラムは既に多くの方によりブログなどで採り上げられ、賛否双方の立場から様々な意見が寄せられている。筆者としてもコラムの内容に頷ける部分もあるが、首を傾げざるを得ない部分もある。

 

さて、肝心のコラムの概要は以下のとおりである。

P.クルーグマンが提唱するインフレターゲット論に従い、欧米諸国は通貨供給量を大幅に増やす大型の金融緩和を実行し成果を挙げている。

・経済音痴の民主党政権と頑迷なアンチ・インフレ論者の白川日銀体制が、微々たる金融緩和策を小出しし続けたせいで、日本は欧米諸国から後れを取り、急激な円高がモノ造りにもダメージを与え、デフレ不況を脱却できずにきた。

・安倍政権に代わり、デフレファイターの黒田総裁と岩田副総裁が日銀首脳に就任して以降、誤った金融政策を打破する大胆な施策が打ち出され、やっと日本経済に火が灯された。

・これからアベノミクスが本格化するが、願わくは、バラマキ型財政政策と古い輸出産業振興型成長戦略だけは避けて欲しい。

・人口減少型成熟社会に向かう日本は、国の競争力ランキングやGDPの多寡を問うのではなく、デフレ不況を乗り越えた後、日本人が生き甲斐を持てる社会を目標にすべき。

・日本には、高度経済成長期に蓄えた富だけでなく、技術力や人的資本とか文化力など、世界に誇りうる巨大なソフトパワーが備わっている。これらを活かし、単なる経済力に一喜一憂するのではなく、日本人に特有の美的感受性に根付いた国柄を守り「清富有徳」国家を目差すべき。

・日本の復権に必須なのは内需拡大であり、80年代後半の前川レポートを参考にすべき。

・前川レポートは、国民生活と言うデマンドサイドの構造的問題点を明記し、その抜本改革を主張して、真っ先に内需拡大の必要性を掲げ、その実現に住宅政策と消費生活の充実を挙げた素晴らしい内容だった。今注目されている「Quality Of Life」(暮らしの豊かさ)は、「Quality」とは単なる「Substance」や「Character」ではなく、良質性、高品質を意味する語で、良い生き方、人生の有意義性を問うている。

・日本経済を貶めた諸悪の根源はバブルだ。バブルにより歪んだ内需の拡大は、ウサギ小屋に住みながら高級ブランド品に現(うつつ)をぬかし、グルメや海外旅行に散財してしまう結果となり、実質経済破壊への道程の起点となった。

・アメリカをモデルに内需主導型成長経済への転換を図るべき。アメリカ人は就職、結婚、離婚、再婚、転職や転勤、所得や家族構成の増減などに呼応して、生涯に3回から10回以上も家を買い替え、そのたびに自動車や家具、家電、衣装類なども買い替える。こうした旺盛な個人消費がアメリカの内需拡大基調を支えている。

・近所付き合いや社交の発展や趣味の高揚などが、宅地開発や住宅メーカーの商品供給を刺激し、各種消費財の高級化や低価格化をリードし、サービス産業を含めた衣食住総合型の内需経済成長に寄与するはずだ。

・日本が経済成長で生み出した分厚い中産階級が蓄えた個人金融資産が1500兆円も眠ったままで、これを自国内で回転させることが経済成長の鍵となる。

・内需拡大で見逃せないのが地方活性化だ。中央集権が進みすぎた結果、大半の大企業本社が東京に一極集中している弊害から一刻も早く逃れるべき。

・地方主権と言っても、単に廃県置州といった単純な行政権限の移行だけではなく、大企業が地方にもっと目を向けるべき。

・トヨタやホンダ・ヤマハが東海を活性化し、コマツが石川県回帰を図っていることなどがよきモデルになる。日本の大企業が溜め込んだ60兆円もの手元資金を、自社や地方のベンチャー起業に活かすべき。

・唯一の心配点は電力コストの高騰。原子力規制委員会の不作為、日本のマスコミの自虐的偏向報道、小泉元首相の“寝言”のごとき脱原発主張…。こうしたことが、今後の産業成長の鍵となる原発再稼動を遅らせることのなきよう祈る。

 

コラム中の「民主党政権の経済運営がまったくのデタラメ、日本復権には内需拡大と地方活性化が欠かせない、原発を早急に再稼働させるべき」という意見には同調する。

一方、肝心の内需拡大や地方活性化を実現させるための提言は、財政政策の視点がすっぽり抜け落ち、金融政策偏重主義・構造改革主義・緊縮財政主義・成長放棄主義など様々な思考をごちゃまぜにしたような内容になっており、これをこのまま実行しても日本経済が回復することは120%あるまい。

 

なにより、日本復権のカギは内需拡大にあり地方活性化が欠かせないと言ったのと同じ口から、バラマキ型財政政策を否定する言説が出てくることが、筆者には信じられない。

この手の地域の実情を知らない世間知らずは、すぐに財政政策=バラマキ=無駄な公共事業=政官業の癒着だと決めつけ、財政政策や公共事業を頭ごなしに否定するが、それは「内需拡大」とか「地方活性化」の意味を理解していないからだ。

 

内需とは、GDPの大半を占める民間や政府の消費や投資のことを指す。

これがデフレを脱却するペースで拡大するということは、国内で行われる消費や投資の総額が、前年度を上回る規模で拡大し続けることを意味する。つまり、モノやサービスの提供とその対価として支払われる貨幣との交換量やスピードが増加し続けるということなのだ。

 

当然だが、モノやサービスを消費するにはカネが要る。地方を活性化させるには、地方で消費や投資に投じられるカネが、より多く必要になる。

ただでさえ、長引くデフレ不況やくだらぬ三位一体改革とやらのせいで地方経済はボロボロの状態なのに、公共事業を通じて地方に事業やカネをバラまかずに、どうやって資金を回そうというのか。

 

内需拡大を図るということはカネを使うこととイコールなのだが、当の本人は、GDPの多寡を問わない、単なる経済力に一喜一憂しない、と言い放っており、やはり、経済のイロハを心得ていないようだ。

 

コラムに出てくるアメリカの個人消費や日本の個人金融資産の活用の話も同根で、日本人に「Quality Of Life」の思想が根付けば、自ずと個人消費が刺激されて莫大な個人金融資産が動き出す、という大前研一ばりの夢物語を熱く語っているのは恥ずかしい限りだ。

日本人がカネを使わずウサギ小屋に棲み続けている、いや、いまとなっては、そのウサギ小屋さえ手に入れられないでいるのは、日本人がQuality Of Lifeを理解できずにいるからではない。単に雇用が不安定で収入が減り、手元にカネがないだけだ。

 

財政政策を忌避する臆病者は、カネのかからない政策、例えば「期待」とか「意識改革」なんかに頼りたがる。彼らは、金融政策をやればインフレ期待が起き、構造改革で「清富有徳」国家が実現できると妄信している。まことに単純だ。

だが、期待や清貧の思想だけで巨額の金融資産(ストック)をフローに変え、経済成長の原動力とするなどまさに妄想の世界と言える。

 

個人金融資産が消費や投資に回ることなく増え続けているのは、将来に対する「期待」や「見通し」が否定的であるからに過ぎない。

人々の欲求は尽きることがない。カネさえあれば、いくらでも欲しいものを求め、より良い暮らしをしたいと願うのがまともな人間の姿だろう。そして、その欲求が具現化された結果こそが経済成長なのだ。

 

コラムにあるアメリカの内需主導型成長モデルとやらも、自然発生的に出現したものではない。コラムでは、アメリカ人にQuality Of Lifeの思想が根付いているから、内需主導型成長モデルが成り立っているかのように論じているが、因果関係が逆である。

財政金融政策を積極的に打ち、足りなければ借金をしてでも資金を調達して、国内で潤沢な資金フローを回せるだけの強力な経済基盤があったからこそ、Quality Of Life的な生活慣習が実践できたのだ。清貧の思想みたいな貧乏くさい思想に被れていては、とても3回も10回も引越しすることなどできはしまい。

 

内需拡大とか地方活性化という目標は、きれいごとでは決して実現できない。

地方が欲しいのは、権限もさることながら、何と言ってもカネ(予算)で、どんなにすばらしい事業アイディアがあっても、予算なしには実行できない。地域の活性化を図るのにポイントになるのは、道州制の導入などではなく、交付税の増額と税源の移譲なのだ。

 

政府がカネを使おうとせず、きれいごとばかりの政策を断行しようとすれば、自ずとその方向性は緊縮財政的あるいは新自由主義的なものとなり、その手段は構造改革や規制緩和、金融政策などに収斂されるだろう。

そういった政策は国民に「我慢」や「気合」を強要し、国民の消費意欲をますます萎縮させるだろう。

 

経済を刺激するにはカネが要る。経済活動を活性化させるプレーヤー(国民や企業)に十分な資金を渡せば、それが叶う。そしてその資金を無限に提供できるのは政府しかいない。

経済成長に至る行程は、バカバカしいほど単純である。

2013年11月11日 (月)

素材や即戦力に頼ろうとするのは無能の証

10月下旬に関西地域で発覚した食材偽装表示事件は、有名ホテルや旅館に始まり、百貨店やレストランにまで広がっている。

“食材偽装”の内容は、客に提示したメニューと使用する食材や調理手法との間に大きな乖離があるというもので、海外産や一般的な食材を国産やブランド品に、加工肉をステーキ肉に、既製品を自家製に、冷凍物を鮮魚になどといった具合に偽装内容は多岐に亘る。(中でも、バナメイエビ、牛脂注入牛肉、ストレートジュースが大人気)

 

実際に健康被害が出たという訳ではないが、高級感やブランド力を売り物にする高級ホテルや有名レストラン(ミシュランガイド掲載店も含まれている)が、安い食材で誤魔化し、客(通きどりの愚か者)から高い料金をせしめたことに強い非難が浴びせられている。

 

高級ホテルや百貨店などは、食材や商品を納入する業者、特に地方の中小企業者に対して、食の安心安全だ、トレーサビリティだと相当厳密な管理を求め、詳細な商品シート(商品特性、取引条件、生産工程等が記された商談用の提案書)を提出させた挙句に、工場のチェック行い衛生管理体制や作業体制、機械設備の内容等にまで細々と指導をすることがある。

納入側の中小企業は、あれこれと文句や注文を突き付けられながらも、何とか取引を得ようと必死だから、発注の高い要求に応えるために原価の高い食材を使わざるをえずに赤字を強いられたり、無理な設備投資をして資金繰りに窮する者や納期を守るために深夜まで残業を強いられたりするケースも珍しくない。

 

高級ホテルや百貨店もデフレによる競合激化と無縁でいられる訳はなく、利益確保のため致し方なく偽装に及んだであろうことは想像に難くないが、今回の食材偽装問題は、高い料金を支払った客だけでなく、ホテルや百貨店に必死の思いで食材等を納入する業者の努力を踏みにじる行為とも言える。

 

一連の事件はマスコミにとって非常に美味しいニュース素材であり、いつものように偽造に手を染めたホテル等を一斉に糾弾し始めた。

マスコミの圧力に屈した事業者の中には、レシート等の証拠書類なしの返金に応じる者もいるようだが、そこまでする必要はない。そんな甘い対応を取れば、いつぞやの西友事件のように、いじきたない乞食にタカられるだけだ。料金返金はレシートがある者に限り、後はお詫びセールと称して、半年なり1年なり、料金割引サービスでもやればよいだろう。

 

そもそも、ブランドやプライドを売り物にする高級店が、せこい手口を使って食材偽装に及んだのは、コスト削減もさることながら、食品産業や食品業界に蔓延する「ブランド信仰」に起因するものと考えている。

ブランド信仰とは、産地、栽培・飼育・漁獲方法、希少性などに過大な価値を見出し、それを鵜呑みにする思考や慣習を指す。食品のプロと称する業者であっても、○○産ブランド牛とか有機無農薬栽培の高級トマト、幻の魚○○といった触れこみを妄信し、ブランド=高付加価値と曲解する者が多い。むしろ、プロと称する者ほど、自分の感性とか味覚ではなく、ブランド頼みの選定基準を持つ者が多いように感じる。

結局、彼らは大手百貨店とか高級ホテルという看板を背負って仕事をせざるを得ない立場にあり、素材の目利きのプロと称しながらも、ある程度のロットの売上を確保し客から高価な対価を得るためには、世間一般に通りの良い基準(産地、農法、ブランドなどという語句)に頼るのも最も安全かつ確実な方法なのだ。

 

実際に“最高の食材に使った最高の料理”という単純な思い込みは、TVや雑誌を通じて広く浸透しており、誰も疑問を差し挟むことはない。110万円もする高級旅館の夕食に、贅を尽くした最高の食材が宝石のごとく並べられ、女将や料理長が自慢げにリポーターへ講釈をたれているシーンを目にした方も多いだろう。

 

だが、本来、料理とは、料理人の腕と食材や調味料、食器、火加減などが相互かつ複雑に影響し合う微妙なバランスの上に成り立っている。最高の食材同士の組み合わせが最高の結果をもたらすとは限らない。

本物の料理の腕前というのは、最高の素材を使わずとも、調理方法や調味料に独自の工夫を加えて客の舌を唸らせるようなものを指すのではないか。そうではなく、素材や食材のブランド力の上に胡坐をかいて料理の腕を磨くことを怠っているようでは、高級ホテルの名が廃るというものだ。

 

だが、素材の良さやブランド力に頼り切って己の努力を怠ってきたのは、なにも今回槍玉に挙がったホテルや百貨店に限らない。

 

構造改革騒ぎが猖獗を極めたこの十数年の間に、あらゆる企業や組織内で、人材教育に時間・カネ・ヒトを投じることがすっかり少なくなった。

いまや、中途採用だけでなく、新人採用にまで即戦力を求める企業は珍しくない。自分たちはのんびりと学生時代を過ごしたくせに、他人には“TOEICで〇点を取れ、自ら考え判断し行動する能力を身に付けておけ、コミュニケーション能力が大切だ、小学生から英語教育を取り入れろ”と無理難題を押し付けてケロリとしている。

 

だいたい、職業経験のない学生が即戦力になれるような企業は、自社の組織力が「おから建築並み」であることを公言しているようなものだ。プロ野球の世界でも、ドラフトで即戦力となる人材を漁り、他球団の有力選手を引き抜くことに執着するアホ球団が散見されるが、そんなチームには監督やコーチなど不要だろう。

 

彼らは、人材育成に要する時間とカネを無駄なコストとしか捉えられない幼稚な怠け者なのだ。だが、この手のバカ者に限って「日本は資源のない国、人材こそ日本の資源だ」と偉そうに公言するから話がややこしくなる。

人材などというものは、何の努力もせずに黙って手に入る代物ではない。どんな人材も長い時間と資金を投じ、様々な失敗や周囲の協力を得てようやく一人前に育つのだ。人材育成を悪性のコストだと言って憚らないバカ者にも、過去には役立たずで周りの人に支えられた新人時代があったはずだ。

 

彼らが愚かなのは、人材が重要と言いながら、それを育成することには極めて消極的で、即戦力になる人材を都合よく他所から引っ張ってくればよいと単純に考えているところである。

だからこそ、若者や失業者の雇用や育成には目もくれずに、海外から安価でこき使える人材(中国人とかベトナム人など)を引っ張り込むことばかり主張する。

 

そもそも、彼らが大好きな「日本は資源のない国」というフレーズは、大きな誤解をもって世に浸透している。

本当に有用な資源とは、地下や海底から採れる天然資源のことを指すのではない。

天然資源=国家を豊かにする資源、という公式が正しいのなら、とっくの昔にアフリカや中東、東南アジア、南米などの資源国は世界に冠たる先進国として君臨しているはずだが、現実は全く逆である。

 

各国から産出される天然資源を加工し、そこに多大なる付加価値を生み出せる技術こそが本当の意味での資源なのであり、地道な人材育成システムが備わっておればこそ、国富を支える基盤技術を長年に亘り脈々と継承できるのだ。

そして、国家に蓄積された多層的な技術基盤が様々な国富を生み出し、それがまた天然資源を海外から購入する源泉となる。

 

人材育成のような地道な努力を放棄して、海外から即戦力をかき集めているような国家は、やがてシンガポールのような都市国家に落ちぶれ、その地政学的な優位性が失われた時点で国家の命運も尽きることだろう。

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