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2014年5月

2014年5月26日 (月)

『リフレーション』の目的を思い出せ!

先日、とあるネットの質問サイトに、『現在の日本にマンデル・フレミング理論は当てはまりますか?』という質問が上がっているのを見つけた。

そしてベストアンサーに選ばれたのが、『マンデルフレミング理論がデフレだと働かないということはないと思います。』という回答だった。

 

その回答内容を要約すると、次のようになる。

○インフレとデフレは貨幣現象といわれており、ごく単純化すると物やサービスなどの商品とお金の流通量を比べたときに、お金の方が少ないとデフレに、逆にたくさんのお金が発行され使われるとインフレになる。

○マネーの問題であるデフレは、お金の供給量をコントロールすることで解消できるというのがリフレ政策の基本的な考え方。

○発行したお金が実際に使われるかどうかは昔ほど重視されない。みんなが現金を手元に置きたいと思う結果デフレが起こるのだから、「これからお金をたくさん発行します」と宣言することでインフレに誘導し、現金を抱えずに使うようにする、というのがリフレ政策の本質。

○あくまで投資家や企業、一般国民のこれからも物価は上がらない(=デフレが続く)、というムードを変えることが目的。

○実際に発行されたお金の量とインフレ率が一致しないことは、岩田規久男先生の実証研究などからもすでに明らかになっている。

○公共投資がどの程度有効かは専門家でも意見が分かれるが、現在では以前ほど積極的に支持する経済学者は多くない。

○財政政策も完全に否定されているわけではなく、現在の日本のように需要が明らかに足りない場合は金融政策と組み合わせて使うべきである、という意見が主流。

 

マンデル・フレミングモデルは、『財政赤字が拡大すると実質長期金利が上昇し、設備投資や住宅投資が減少する(クラウディング・アウト効果)。また、実質長期金利が上昇すると国内への資本流入圧力が生じて自国通貨が増価し、輸出が減少して輸入が増加するためGDPが減少する。よって、変動相場制のもとで景気回復や雇用を増やすには、財政政策よりも金融政策が効果的だという理論。(kotobankより)』を指すのだが、上記の質問サイトの回答のように、マンデル・フレミングモデルの説明には、リフレ派の連中の主張が非常に端的に要約されている。

その要点は次の4つに集約される。

①インフレやデフレは所詮、貨幣現象にすぎない。

②デフレは、お金の供給量をコントロールすることで解決できる。

③投資家や企業、家計の物価に対する期待に働きかけるのがリフレ政策の本質だ。

④財政政策は金融政策とセットで限定的に用いるべき。

 

そして、その要点の中に、リフレ派最大の勘違いが内包されている。

上記の回答の中で、「物やサービスなどの商品とお金の流通量を比べたときに、お金の方が少ないとデフレに、逆にたくさんのお金が発行され使われるとインフレになる」とお金(マネー)の流通量の重要性を説く一方で、「発行したお金が実際に使われるかどうかは昔ほど重視されない。」と実体経済におけるお金の流通を無視するかのような意見を述べている点がそれに当たる。

 

このことから、リフレ派の連中の口から出る『お金(マネー)』という言葉の定義が、一般の国民と認識を大きくズレているのがよく分かる。

彼らの言う『お金』とは、その殆どが金融市場に出回る投融資資金、つまり、金融緩和政策によってブタ積みされたベースマネーのことを指し、企業や家計の売上や所得となるお金(誰もが欲するお金)のことを意味しない。

 

そんな世間の欲求など歯牙にもかけないリフレ派の連中は、「みんなが現金を手元に置きたいと思う結果デフレが起こるのだから、「これからお金をたくさん発行します」と宣言することでインフレに誘導し、現金を抱えずに使うようにする」などと寝ぼけたことをほざくが、中央銀行が金融機関から国債を買い取り、金融機関に融資用の資金を供給したからと言って、インフレ期待を抱いたり、慌てて駆け込み消費に走ったりするバカ者などこの世に存在しない。

 

あまりに長期化したデフレ不況に怯えて、消費することに臆病な消費者、しかも、先の消費税増税で駆け込み消費を強いられて手持ち資金に乏しくなった消費者が、中央銀行が勝手にインフレ目標というゴールを設定したところで、そこに向かって懸命に走り出すとは到底思えない。何よりも、多くの消費者には、ゴールが見えても、そこに向かって走り出すだけの体力が残っていないのだから…。

 

世間知らずのリフレ派は、自分の妄想を国民に押し付けるのではなく、どうすればインフレ目標に向かって国民が歩み始めてくれるのかを、真摯に考え尽くす努力をすべきだ。

彼らは、金融政策一本足打法に固執するあまり、財政政策の効用から目を逸らし、マンデル・フレミングモデルなどという時代遅れの小国開放経済モデルを持ち出して財政政策に難癖をつけようと必死にもがいている。

 

マンデル・フレミングモデルの胆は、実質金利高→投資の減少→GDPの毀損と実質金利高→通貨高→輸出減少によるGDPの毀損という点にある。

だが、財政赤字の拡大(積極的な財政政策)と実質金利の上昇には、そもそも何の根拠もなく、リフレ派が盛んに実質金利が高いと喧伝してきたデフレ不況期を演出したのは、むしろ消極的な財政政策ではなかったか。

 

財政政策をやり過ぎたから実質金利が高くなるのではなく、財政政策を削減し過ぎたことにより実体経済からビジネスチャンスが奪い取られたせいで民間の収益機会が減少し、それが極めて低利な名目金利にも関わらず実質金利が高いと言われる状態を生み出したのだ。

また、もう一方の批判経路で、通貨高による輸出減少を持ち出すが、日本の純輸出対GDP比率がわずか1%未満(H24年度ベースではマイナス)に過ぎないことを考えると、輸出の減少がGDPを毀損して内需の伸びを相殺するなどというバカげた意見は何の説得力もないことが判る。

 

結局、リフレ派の連中は、脇役に過ぎない金融政策の存在が、財政政策によって霞んでしまうことを極度に恐れて財政政策の効果に文句を付けているだけなのだ。

そもそもが、この程度の卑しい動機だから、どんな理論やモデルを持ち出してきても、必ず現実との乖離や綻びが出てしまうのだが、それを糊塗しようと必死になるあまり、最近の彼らの主張は、ますます構造改革派や新自由主義者と同様に、国民生活を顧みないキチガイじみたものになっている。

 

リフレ派の連中は、新自由主義者呼ばわりされるのを極端に嫌う一方で、「真の新自由主義は市場原理主義の対立概念だ」と詭弁を弄して新自由主義の擁護に走ろうともする。

小泉構造改革に噛みついていた当時のことはともかく、いまや安倍政権の新自由主義路線の忠実な番犬と化したリフレ派にとって、新自由主義者呼ばわりされることは名誉でありこそすれ、何も恥じ入ることなどないはずだ。堂々と新自由主義者に弟子入りしたことを誇ればよい。

 

広い世間には、新自由主義者の定義に異様に固執する変わり者もいるようなので、筆者なりの定義を次のとおり列記しておく。

○小さな政府、構造改革、規制緩和、競争、市場・マーケット、期待、グローバル化、民営化を無条件に讃美する。

○基本的に民尊官卑の思想に立脚し、民間信仰や民間幻想に憑りつかれている。

○緊縮的財政運営を基本とし、オールドエコノミーへの嫌悪感が極めて強い。

○実体経済に流してよいのは貸すためのお金のみ。財政政策は、税金に寄生する産業を温存させるからダメ。

○他人に自助自立を強いるのが賢人の証左と疑わず、労働政策や社会保障政策には無関心。

○効率性を追求しすぎるあまり余剰や余暇という概念が希薄である。

○努力(あくまで自分基準、出自からくる格差や運の良さは考慮しない)が報われる社会に強烈な拘りを持つが、他人を評価する際の“報われるべき努力のハードル”が異様に高い。

○人件費は最も忌避すべきコストという意識が強く、労働者に厳しく経営者に甘い。

○経済政策は金融政策と構造改革、規制緩和のみ。実体経済を刺激するよりマーケットの活性化による資産効果を優先する。

○経済効果の波及経路はトリクルダウンのみ。金融市場の影響力を過大視している。

○国民、国力、国富という概念がない。

○地域や地方は、中央に寄生するお荷物でしかない。

○国内市場は縮小を運命付けられ、グローバルマーケットは拡大し続けるという幻想から抜け出せない。

○自らの半径3m以内に起こった出来事が世界の全てである。

○強い者がより勝ちやすくなるシード権社会が大好き。

○世の中の仕組みに対する理解レベルが、政治経済に興味を持ち始めた中学生時代から進化していない。よって、「清濁併せ呑む」という言葉を理解できない。

こうしてみると、リフレ派と新自由主義者の主張の違いなど殆どなく、ゴミと粗大ゴミくらいの差でしかない。

両者間に異なる点があるとしたら、「タイムラグという言い訳」をするかどうかくらいしかないのではないか。

2014年5月18日 (日)

どうせ刷るなら使えるお金を!

『期待(あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。)』〔デジタル大辞泉〕

 

現在、アベノミクス政策で(見かけ上の)メインストリームとなっている金融政策には、3つの狙いがある。

一つ目は、金融市場への大量の資金供給による低金利誘導だが、長引くデフレにより金利への感応度が極度に鈍っている現況下においては止血剤程度の役割しか果たせていない。

二つ目は、金融市場に溢れたマネーがもたらす株や不動産投資などの活発化を通じた資産効果と為替の円安誘導による外需の取り込みである。

そして三つめは、インフレ目標にコミットメントし、それを達成するまで量的緩和政策を継続させることによるインフレ期待の醸成だ。日銀がインフレ目標を明確化することで、マーケットや民間経済のインフレ予想が刺激され、将来的な物価上昇に追い立てられるように民需や投資が活発化し、それが経済成長をもたらすというものだ。

この金融緩和政策によるインフレ期待の醸成こそが、金融政策論者(いわゆるリフレ派)の主張の胆であり、中央銀行が大規模かつ長期的な金融緩和にコミットメントすれば、インフレにならないはずがない(インフレにならないのなら、事実上の無税国家が誕生するが、そんなことはあり得ない)というバーナンキの背理法を盾に、その効果を固く信じて疑おうとしない。

 

実際、彼らは、いつも自信満々に自説を主張する。

「デフレは需要不足ではなく貨幣現象だ。貨幣減少が要因である以上、マネタリーベースを増やせば、市場は貨幣の価値が薄まると判断し、将来インフレになると予想するはずだ」というのが、リフレ派の代表的な主張だが、そういった“マーケットの妄想”が実体経済を突き動かすに至る経路が全く不明なのが最大の難点でもある。

 

リフレ派の経済政策や主張の軸は、あくまで民間やマーケットの自律的行動が起点であり、その発火点となるのが、民間やマーケットが抱く「期待」や「予想」である。

ブタ積みされた巨額のベースマネーに突き動かされた市場関係者や金融機関が投融資を活発化させ、それに刺激を受けた民間経済がインフレを予想して先行投資や駆け込み消費に走り、それが永続的に循環して経済発展を実現させるというシナリオなのだが、あくまで民間経済の期待やインフレ予想の連続性を前提とする、いわば、ベストシナリオの上にさらにベストシナリオが重なるような偶然性頼みの政策だとも言える。

 

そもそも伝言ゲームのように、インフレ予想が実体経済に綺麗に伝播していくという考え方が極めて甘い。

仮に、最初の一歩目のインフレ予想が見事に着火して駆け込み消費や投資が起こったとする。そうした場合、今春の増税前の駆け込み需要のような消費の盛り上りが、一時的には起きるだろう。

将来的な物価上昇を確信した家計や企業は、後ろから追い立てられるように第一弾の消費や投資行動を取らざるを得なくなる。だが、実体経済に直接的な所得をもたらす財政政策の裏付けなしに、そんな義務的な消費行動を幾度か余儀なくされれば、多くの家計や企業は、やがて手元資金が底を尽き、生活防衛に走らざるを得なくなり、財布の紐を固く締め始めるだろう。その時点で、肝心の「期待やインフレ予想」というバブルは弾け飛び、デフレ不況へ再突入するハメになる。

 

そもそも、財政支出を絞ったままで、いくら金融緩和の蛇口を緩めても、そこから出てくるのは返済義務を伴うマネー(融資や貸付用の資金)ばかりで、直接的に家計や企業の所得に変わるものではない。

そうなれば、国内にある資金量にはキャップがはめられ、所得になりうる限られた資金を巡って不毛な争いが起き、富を獲得するには純輸出を増やして外需を奪うしか手が無くなる。(結局は円高を招来しその効果も相殺されるだろうが)

 

リフレ派の多くは、アベノミクスの切り込み隊長役を果たした黒田バズーカの政策効果を大きな戦果と捉え、財政政策抜きでも金融政策だけでデフレ脱却は十分に可能だと鼻息が荒く、すっかり「金融緩和万能論者」と化してしまった。

そんな彼らの目論み通りに期待やインフレ予想がフル回転し、金融機関の信用創造機能がビッグバンを起こすには、民間経済が借りたカネに利子を付けて返済した上で、さらに手元に十分な収益を残せるだけの経済的好循環が前提となる。

だが、果たして、借りたカネをグルグル回すだけで、そんなことが可能だろうか。

増税やエネルギーコスト等の上昇によるコストプッシュインフレの弊害が顕在化しつつある中で、純所得の創出機能に優れた財政政策を抜きにして、金融緩和頼みのババ抜きごっこにうつつを抜かしていると、やがてスタグフレーションを招来し、金融政策は、その主犯として厳しい非難に晒されることになるだろう。

 

リフレ派の思考は純粋かつ単純で、“お金が増えたらデフレになると予想する人は絶対にいません”などと寝ぼけたことを言う輩がいる。

彼らの言う“お金”とは、我々が欲するお金(所得になるお金)ではなく、投融資の原資としてのお金(返済義務の生じるお金)なのだが、そこのミスマッチに気づこうとしないのが、リフレ派の最大かつ初歩的な過ちでもある。

 

リフレ派の金融緩和政策を指して、「リフレ派は、カネさえ刷れば景気が良くなると言っている」と批判するのは大間違いだ。彼らが刷ろうとしているのは、家計や企業の所得になるお金ではなく、行き場もなく日銀と金融機関にブタ積みされるだけの見せ金に過ぎないからだ。

いまの日本には、使えもしないお金を転がして投資ごっこに興じている暇などないのだ。

 

現在、アベノミクス政策のハンドルは、経済財政諮問会議や産業競争力会議に巣食う気持ちの悪い連中の顔ぶれを思い浮かべるまでもなく、明らかに構造改革派(緊縮財政派を含む)が握っており、彼らに金融緩和政策というニンジンをぶら提げられたリフレ派が、その露払い役を仰せつかっている、という構図だろう。

財政政策や公共工事を時代遅れの汚らわしい政策だと蔑視する両派にとって、財政支出を伴わずに為替や株価にそれなりの影響を及ぼせる金融政策は、非常に使い勝手の良い政策なのだ。しかも、小難しい経済用語や金融用語を多用でき、「マーケットを主語とする」スマートな政策に酔いしれることもできるし、小汚い土建屋や農協、族議員の連中の相手をせずに済む。

 

増税前の駆け込み消費騒動も一段落し、間抜けなバカマスコミや構造改革派、リフレ派の連中は、増税の影響は想定の範囲内だなどと嘯いてのんきに鼻毛をほじっている。

しかし、第二の矢が実体経済にもたらした所得増加の好影響が、まだほんの一部に止まる中で、新たに首をもたげてきた増税やエネルギー価格の上昇という負のインパクトの悪影響を完全に見誤っている。

 

このまま、構造改革と金融緩和のポリシーミックスというポンコツ政策を断行し続ければ、再び内需は縮小に向かい、上向きかけた経済指標も下降線を辿ることになるだろう。

そして、自らの経済失政を認めたくない構造改革派やリフレ派の連中は、内需拡大を果たせない腹いせに、大声で外需開拓の必要性を煽り立て、「人口減少に見舞われる日本にしがみつく時代は終わった」、「成長するアジアを取り込もう」、「国境や国家の垣根などありません」、「国民はグローバル競争に勝ち抜けるスキルを身につけるべきだ」などと国民を扇動し、貿易立国論に逃げ場を求めざるを得なくなる。

それが常態化してしまえば、ますます内需は縮小を余儀なくされ、シンガポールや韓国のように、新自由主義が蔓延る醜悪な貿易国家に落ちぶれてしまうだろう。

 

2014年5月 8日 (木)

社会を支える原動力を大切に

JTB社員を業務妨害容疑で逮捕=遠足バス手配忘れ―岐阜県警

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140505-00000080-jij-soci

JTB中部(名古屋市)の男性社員が岐阜県立東濃高校(同県御嵩町)の遠足バスを手配し忘れた問題で、同県警可児署などは5日、同校に遠足中止を求める手紙を届けたなどとして、偽計業務妨害容疑で、同社多治見支店勤務だった城谷慧容疑者(30)=同日付で解雇、名古屋市千種区朝岡町=を逮捕した。同署によると、「間違いありません」と容疑を認めているという。逮捕容疑は424日、東濃高校の遠足に当たる「全校校外研修」を中止させるため、生徒を装い自殺をほのめかすような手紙を作成。同校に届け、教職員らに全校生徒317人の安否を電話で確認させ、業務を妨害した疑い。』

 

GW中に起こったこの事件をご存知の方も多いだろう。

誰が亡くなったわけでも、ケガ人が出たわけでもない小さな事件(高校の遠足が中止になっただけのこと)に過ぎないが、就職先企業の人気ランクの上位に常に顔を出す大手旅行会社の社員が引き起こした不手際、それも、自らの失敗を糊塗するために、生徒の自殺を仄めかすような脅迫文を自作するという稀有な事例であったためか、調子に乗ったバカマスコミが、事態を増幅して面白おかしく報道しているようだ。

 

この事件はインターネットのニュースサイトでも大きく採り上げられ、逮捕された30代の社員を蔑んだり、バカにしたりする書き込みで溢れている。

「なぜ、もっと早く上司に相談しなかったのか」、「自分の責任逃れのために生徒を巻き込むなんて許せない」、「こんなバカは逮捕されて当然だ」等々、完全に軽蔑しきった眼で彼の行動を罵倒している。

 

常識的に考えると、彼の犯した罪を正当化できないのは誰にでも判ることだ。

当日の遠足を楽しみにしていた生徒やその準備に奔走していた教諭たちの苦労、また、本件により業務上の損害を被ったJTBのことを思えば、それも当然のことと言える。

 

だが、いくら急な事態とはいえ、自らの失敗に気づいた彼が、それを上司に相談し、打開策を練るという行動を取れなかった理由や背景を確認しておく必要があるのではないか。

今回、手配ミスにより不足していたバスの台数は11台に及んだそうで、いくら業界で絶大な力を持つJTBといえども、時間も限られる中で右から左に軽く手配できる数ではなかったのだろう。また、長引く不況の影響で観光バス業界も疲弊しており、昔のように一声かければすぐにバスを手配できる状況でもなかったのだろう。

 

であればこそ、旅行を主催するJTBの組織としてのチェック体制をきちんと機能させておく必要があったのではないか。

事件を起こした男性社員個人の資質や不手際に全責任を負わせるのは、いかにも不公正で、まず問うべきは、自らの失敗に気づき愕然とする一社員が、なぜ即座に上司や同僚に相談できなかったのか、組織としてのリカバリー体制は機能していたのか、という点だろう。

ミスを犯した社員が、組織内に解決手段を求めるという当然の手段をすっ飛ばして、いきなり脅迫文をクライアントに送り付けるという暴挙に出た(出ざるを得ないまでに追いつめられた)背景をこそ検証すべきだ。

 

デフレ不況に端を発する人員削減により、筆者の職場でもそうだが、一昔前まで23人でやっていた仕事を一人で担当させられているようなケースは珍しくないだろう。ちょっとした管理職なら、プレイングマネージャーとして、あるいは、プレーヤー兼管理者として現場の切り盛りだけでなく、部下や後輩社員の管理監督役まで引き受けさせられていることだろう。(その割に給料は下がりっぱなしだが…)

一人のプレーヤーとして厳しい業務目標の達成に挑みつつ、業務方針の立案や管理業務、社内調整にまで駆り出され、ヘトヘトになっている方も少なくあるまい。

いまや日本企業の現場は、上から下まで、完全にオーバーフロー状態にある。50の器しかないところに100200の業務量を注ぎ込まれ、今日の仕事すらこなし切れず頭を抱えている方も多いだろう。

 

そんな激務の狭間でのふとしたミスは、誰にでも起こりうることだし、それを誰にも相談できず呆然として立ち竦まざるを得ない孤独な境遇に追い込まれることも決して他人事ではない。

他人のミスをあげつらい、それを嗤うことは誰にでもできる。だが、それが他人事で済まされる保障はどこにもない。

どうしようもないバカな奴だと蔑んだ相手の立場に、明日、自分が立たされるかもしれないのだ。その時になれば、かつて嗤った相手の心情は如何ばかりであったかとイヤでも考えさせられるだろう。


世の中に仕事は多くあれど、ちゃんとやって当たり前という業務ほど難しい仕事はない。

限られた人員や予算、納期などという制約の多い環境下で、誰もが期待する成果をきちんと出し続けるということは、想像以上に困難で苦労の多いことだ。

こうした地道で目立たないが、周囲から成果を当然視されるような業務は、千のうち三つも当たれば大成功というベンチャービジネスみたいにお気楽なものとは、科せられた責任感やプレッシャーは段違いだ。

多くの国民は、波乱万丈のベンチャー企業の創業者に深い興味を抱くだろうが、彼らの存在など、黙々と社会機構を支える人々の貴重さに比べれば、取るに足らないものだ。

 この社会は、多くの国民な地道な社会活動により成り立っているのだ。

筆者がこの原稿を書きながら飲んでいる一本の缶ビールも、原料の製造、運搬、容器のデザインや製造、商品の企画や販売、卸売業者、小売店舗ほか数えきれないほどの企業や人々の手を介して手元に運ばれてきたものだ。筆者が財布から小銭を出せば、ポンッと簡単に世に出てくるような簡単なものなど一つもない。

 

世の中にあらゆる物品やサービスは、多くの人々の不断の努力や勤勉さにより、世に生み出され、それらを求める人々に提供される。彼らの多くは、決して恵まれた待遇や処遇とは言えないが、自らの倫理観や使命感を原動力に、社会基盤を支え、社会機構を黙々と動かす役割を果たしている。

我々が普段から何気なく享受している技術やモノ、サービスは、目には見えない多くの英雄たちの手によって運ばれてくる。そして、今回逮捕された男性社員も、かつてはその一人だったのだろう。

 

長い時間が必要だろうが、前途ある、まだ若い彼が今回の失敗を乗り越え、今後の人生を実りあるものにしてくれることを切に願う。

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