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2014年8月

2014年8月19日 (火)

特定"害来種"「日本人排除主義者」は駆除すべき

観光地として有名な長野県の上高地で、ちょっとした“ホタル騒動”が起こっているそうだ。

上高地周辺で7月頃に見られるゲンジボタルの乱舞する姿が観光客に人気を博していたが、当地には元来ゲンジボタルは生息しておらず、15年ほど前に西日本から持ち込まれたものとの見方が強まるとともに、ホタルのエサとなるカワニナ(固有種)の絶滅が危惧されるため、環境省がホタルの駆除に乗り出す方針を固めたというもの。
しかし、ホタルが貴重な観光資源になっていることに加えて、ホタルの生息地域が一部の河川に限定され大きな影響はないと推測されることから、地元の観光業界は強く反発しているというのが一連の騒動の内容らしい。
この件は、複数のTV番組ですでに報じられており、全国的なニュースに拡大しているようだ。(最初に報じた「噂の東京マガジン(TBS系)」のインチキ報道問題もあるようだが、どうでもよいので放っておく)

当のゲンジボタルは、本来上高地には生息しない「国内外来種」との扱いで、カワニナの命や生活を守るため、このままではあえなく駆除される運命にある。
人間で言えば、関西人が長野県に移り住んでいたことが発覚し、逮捕された挙句に死刑宣告されるようなものだろう。(下品な関西人の行動区域を制限すること自体は賛成するが…)

国内外来種なる言葉は、今回初めて耳にしたが、アライグマ、オオクチバス(ブラックバス)、カミツキガメ、セアカゴケグモなどのいわゆる特定外来生物(外来種)はすでに有名だ。
こうした外来種の運命は過酷なもので、国内固有種(在来種)の生息・生育を脅かす恐れがあるという理由で、発見次第、その多くが駆除の対象になる。

国民の生活や生命を守ることには無関心な市井の人々も、なぜか在来生物の保護には熱心で、外来種の駆除に表立って反対するのは、ブラックバスの釣り人かキチガイじみた動物保護団体くらいだろう。
外来生物に対しては憎悪をむき出しにするくせに、どういうわけか、国民生活に直結する国内市場の開放や移民の受け入れには無関心、あるいは、もろ手を挙げて賛成するバカが多くいることに眩暈がする思いだが、この手のバカ者たちにとっては、日本人の生活や生命よりも動植物の方が大事なのだろう。

国内マーケットの開放や海外からの移民受け入れに異様な執着を見せる売国奴は後を絶たず、「TPP」や「高度外国人材の活用」などと目新しいキーワードを引っ張り出しては、国民の批判をかわそうとする。
正面切っての議論には強い反発があるとでも予想したのか、彼らは“高齢者や女性の活用”みたいな耳触りの良い言葉を盾にして、その陰に隠れて本丸の外国人移民の受け入れ促進をこっそり忍び込ませようとする。
ちょっと古い資料だが、2014年4月4日に産業競争力会議 雇用・人材分科会に提出された「持続可能な成長の確保に向けた外国人材活用のあり方」(主査 長谷川閑史)というペーパーにそういった動きがよく表れている。

“本格的な少子高齢化社会・人口減少社会を迎え我が国の労働力不足が顕在化する”、“グローバル戦略など産業競争力強化策が必要になる”というのが彼らの建前で、持続的成長を維持するためのイノベーションの担い手として、なぜか日本人ではなく、高度な能力・資質・経験等を有する外国人材の受け入れを促進すべし、と訴えている。
また、開発途上国への国際貢献や日本企業の海外進出支援の観点から、外国人技能実習制度の抜本的見直し(対象職種の追加・拡大、実習期間延長、受入人数枠拡大、技能検定の見直し) を提唱している。
政府の諮問委員会にもぐり込んだ売国奴は、もはや、“人件費の掛かる日本人なんかほっといて、とにかく、そこそこ優秀で安く働いてくれる外国人の方がありがたい。政府は、俺たちのワガママが一日も早く実現されるように支援しろっ!”という醜い本音を隠そうともしない。
日本企業の海外進出支援などと尤もらしい台詞を並べているが、こんなものはメリットを享受する立場にある進出企業の責任と負担で措置すべきもので、ましてや海外進出企業の多くを大企業が占めているのだから、わざわざ国が支援する必要はない。

日本人の多くは、「高度外国人材」という言葉に抵抗感はなくとも、「移民」の受入れには、まだまだ強い忌避感を覚えるのではないか。
外国人の不法残留者数は、今年1月1日時点で5.9万人(国別では韓国、中国のバカコンビがワンツーフィニッシュ)と平成21年当時の半分近くにまで減っている。また、来日外国人の犯罪件数も平成16~17年頃をピークに減少の一途を辿ってはいるものの、マスコミが事件をセンセーショナルに採り上げるせいか、移民=不法残留者や治安の悪化というイメージが根強く残っているのが実情だろう。

こうした国民感情に配慮してか、先の産業競争力会議 雇用・人材分科会の提言でも管理体制の厳密化やガバナンス強化が謳われ、不正行為等のあった団体に対する罰則の厳重化や外部監査の導入を求めてはいる。
だが、一方で、“実習生の立場から帰国後のキャリア形成サポートのため民間人材ビジネスを活用すべし”とか“技能実習の管理団体の業務を民間企業にも開放すべき”と、露骨に、特定企業(またパソナを甘やかす気か)への利益誘導を想起させる文言を織り込んでいる。

この手の『日本人排除主義者』どもは、国内の労働人口減少は避けられない、外国人労働者の受入れは2020年のオリンピックまでの時限的措置だ、と緊急措置であることを強調するが、詭弁だらけで聞く気も起きない。

また、“受け入れた外国人労働者は在留期間限定で必ず帰国することが前提であり移民政策とは異なる”と言い訳がましいことを言っているが、一旦入国してしまえば完全に管理するのは不可能で不法在留者を徒に増やすだけに終わるだろうし、そもそも国際的な定義で滞在期間1年以上とされる移民の定義からして、少なくとも3~5年も国内に留まる外国人を移民と呼ばない方がどうかしている。

詭弁だらけの日本人排除主義者は、建設分野が人手不足だ、いや、牛丼屋のバイトも足りない、と盛んに人手不足を煽り立てるが、一体どの業界で何人くらい不足するのかを具体的に明示しようとはしない。
建設業界の従事者は、総務省資料によると今年6月時点で501万人と推計されるが、あと何万人必要なのか、どの程度の技能スキルを持つ人材が必要なのか、国内人材を確保する努力をしているのか、国内人材で補うことが本当に不可能なのか、という点について明快な回答を聞いたことがない。

いますぐに建設業者を手当てしないとオリンピックに間に合わないぞ、と脅しつけながら、技能実習期間を3年から5年に延長しろ、技術スキルの修得の前に日本語教育から始めなければならない外国人を使え、と移民促進の論拠とは全く矛盾する詭弁を撒き散らしている。日本語も話せない外国人相手に5年間も技術講習をやっていては、オリンピックなんて終わってしまうと呆れてしまうのが正常な大人の感覚だろう。

週刊ダイヤモンド(第929回)の記事によると、2015~2020年の6年間で建設業界では延べ15万人の人材が不足し、政府は、うち7万人を外国人でカバーしようという狙いだそうだが、日本には約240万人もの失業者(H26/6)や80万人近いニート(若者無業者/H25)、約210万人もの生活保護受給者(H26/4)が存在するほか、建設不況によりやむを得ず他業態へ移らざるを得なかった労働者も数十万人はいるだろう。
これだけの労働ストックを有しながら、たかだか6年で15万人(年に2.5万人)程度の人材を確保できないなどまったくあり得ない話だ。

外国人労働者(=移民)の活用に固執する輩の目的が、単に労働コストの安い外国人をこき使いたいだけであることは、次の文書によく表現されている。
“ある大手ゼネコン幹部は、「「必要な人材は専門的な技能を持っている人。5年くらいの短期間で身につけられるとは思えない」と懐疑的な見方を打ち明ける。 事実、2月に国土交通省が実施した建設労働需給調査によると、型枠工の不足率は3.4%、鉄筋工は3.0%など、専門職の不足率が大きい。 「震災後のがれき処理のような単純作業であれば任せることもできるが、建設現場では難しい。そもそも、建設会社が外国人労働者を使っていたのは、賃金が安かったからだ」 ゼネコン幹部がこう語るように、人材確保に困っていた中小の下請けを中心に、日本人よりも安い人件費に目をつけ、技術実習制度を活用していた。その結果、残業代を払わなかったり、長時間労働を強いたりといった法令違反が全国で相次いだ。(先の週刊ダイヤモンドの記事より抜粋)”

実際に、全国建設業協会の会長の挨拶文でも、建設業界の人手不足解消に重要なポイントは“設計労務単価の引き上げや低入札価格調査基準の見直し”に尽きると明快に言い切っており、外国人労働者の活用なんていう文言はどこにも見当たらない。
単に、その場しのぎの人手のやりくりで誤魔化していては、最も肝心な「技術の伝承」や「夢のある建設業の再生」にはつながらないというのが、業界の一致した見方であろう。
こうした現場の意を汲むこともせず、国内の労働コストの引き下げにしか興味を持たない売国奴どもが、日本の労働政策に口出しするなどもってのほかだ。

売国奴たちの最終目標は、建設業界を手始めに、日本人労働者のメインストリームであるサービス産業を外国人労働者に開放し、国内の労働コストを極限まで引き下げることにあり、先の提言でも、高齢化問題を梃に介護分野への外国人実習生受入れを強調しているが、国民は、貧しい外国人の境遇に同情して安易に労働市場を外国人に開放してはならない。

特に国内の若年層は、バブル崩壊以降のあまりに厳しすぎる就職環境に苦しめられ続けてきた。
最大のお荷物であった団塊の世代がやっと引退し、自分たちに正社員のイスが回ってくるかと期待すれば、年金支給年齢の引上げによる団塊世代の再雇用により雇用の場から締め出され、アベノミクスで就職環境が良くなったかと思えば、今度は高齢者や女性層だけでなく、タダ働きも辞さない外国人との不毛な競争を強いられ、いつまで経っても正社員にもなれず、就業スキルも伸ばすことができないでいる。

こうした状況を放置すれば、やがて日本人労働者の就業スキルはガタ落ちし、技術の伝承もままならない事態に直面する。
そうなってしまえば、日本人の強みである几帳面さや勤勉さ、粘り強さ、丁寧さ等も完全にスポイルされ、供給能力は地に落ち、ものづくり大国どころか、資源も技術も何も持たないみじめな東洋の島国として世界中の笑いものになるだろう。

朝から晩までボケーっとTVばかり見ている国民は、捕獲されたアライグマやカミツキガメを見てギャーギャー騒ぐ暇があったら、政府に巣食う危険な日本人排除主義者の駆除方法でも考えておくべきだろう。

2014年8月15日 (金)

まともな経済成長を諦めた国の末路

8月13日のYAHOOニュースにこんな記事が掲載されていた。
『オーストラリアのやよい軒サバ定食が2,500円もする理由』(THE PAGE8月13日(水)15時11分配信)。

記事の内容は、福岡市に本社を置く外食大手のプレナス(Hotto Mottoでお馴染み)が、日本食の人気が高いオーストラリアのシドニーに1号店「YAYOI(日本では「やよい軒」という名称でチェーン展開中)」をオープンしたが、そこで提供されるメニューの価格が高くて驚いたという趣旨のものだ。(ちなみに、日本のやよい軒では「サバ塩焼き定食」は税込590円で提供されている)

記事の中でいくつかのメニューと価格が紹介されていたが、冒頭のサバ塩焼き定食が約2,500円もするのをはじめ、和牛すき焼き定食が約3,200円、前菜4食盛り約1,300円、あさり味噌汁約630円、ご飯約340円と、眼を剥きたくなるような高価格で、いったい現地の人はいくら給料を貰っているのかと驚かされた。

だが、記事によると、オーストラリアの物価水準は日本の2~3倍とも言われ、コンビニのサンドイッチが約390円、コーラ1缶約240円、ラーメン約1,500円、レストランなら低・中価格帯の店でも約1,900~2,900円も掛かるそうで、ちょっとした高級レストランならランチタイムの客単価が1万円近くにもなるらしい。

これには少々思い当たる節がある。
いつもはTVに文句ばかり付けているくせに、筆者も旅番組なんかをダラダラ眺めていることがある。
番組の中でレポーターが現地のレストランに入って食事をするシーンを見ると、その価格の高さにびっくりさせられることがしばしばある。
東南アジアでラーメンが1,500~2,000円もしたり、北欧諸国でちょっとしたランチが3,000円くらいするばかりか、中南米やアフリカみたいな発展途上国でも一皿メニューが平気で1,000円以上するケースをよく目にし、そのたびに、現地の人はこんな高いものを食べさせられて大変だろうなと勝手に訝しんでいた。

また、最近では低品質高価格路線を突っ走り方々から非難を浴びているマクドナルドのメニューを見て、世界的な指標の一つとして使われるビッグマックの高さに呆れていたが、世界にはまだまだ上がいることに気付かされた。
7月時点の価格で比べると、日本が370円(世界57か国中35番目)であるのに対して、フィリピン376円、韓国407円、トルコ449円、オーストラリア489円、ウルグアイ499円、カナダ533円と来て、1位のノルウェーはなんと788円もする(セット料金かっ!)らしい。
もはやファストフードの価格帯とは言えないくらい高くなっているのだ。

確かに、所得格差が極端な諸外国の人々にとって、誰もが気軽に食べられるものではないだろう。
しかし、世界で唯一成長が止まったどこかの国と違って、一部では高いインフレに悩まされるほどの成長を続けてきた諸外国にとって諸物価が上昇するのは当然のことだ。
「給料も安いだろうに、あんな高いものを食わされて気の毒だ。」と上から目線で同情する筆者など、経済成長を続けて生活水準の上がった諸外国の人々から見れば、「給料なんて毎年上がっているよ。当然だろ。それより、金持ちのはずの日本人は、なんで300円くらいの牛丼しか食わないんだ。ずいぶんケチだな。そんなにお金を溜め込んでどうするつもりだ。」とせせら笑われるのが関の山だろう。

件の記事でも、オーストラリアの物価と国民の給与水準の関係に言及している。
現地では、ホワイトカラーのマネージャー職の年収は約970~1,500万円にも達し、法定最低賃金も時給で約1,600円と東京都の倍近くになるそうだ。(たかが10数円の時給を上げるのにギャーギャー騒いでいる日本の経営者に爪の垢を煎じて飲ませたいところだ)
また、別のサイトではオーストラリアの平均年収は700万円近くに上るとの報告もあり、「かつての平均的生活困窮者が、今や上昇指向型オージーになっている。シドニーやメルボルンの西郊の平均的世帯は、今や自動車2台、携帯電話4台、休暇はバリで、衣料はブランド物、たまにはレストランで食事というのが当たり前だと考えるようになっている。」と指摘する研究者もいる。(AUD/円の為替レートは2000~2002年にかけて62円~68円くらいの円高であったが、その他の期間はおおむね80~94円くらいの円安傾向で推移)

日本では消費税引上げを強行した橋本行革元年の1997年度に467万円であったサラリーマンの平均年収が、2012年度には408万円にまで落ち込んでいる(統計元:国税庁 平成24年民間給与実態統計調査結果)ことを思えば、年々豊かになっていくオーストラリア国民の暮らしぶりを羨ましく思うばかりだ。

こう見ると、オーストラリアは、さぞや凄まじい経済成長を遂げているのではないかと想像してしまうが、90年代半ばから後半にかけてこそ4%台の成長率を維持していたが、その後は2~3%台をチョロチョロする程度で、2013年の実質GDP成長率は2.43%(これでも世界で115位にすぎないそうだ)に止まっている。ちなみに、1993~2013年までの20年間でオーストラリアの消費者物価水準は1.7倍になったが、トータルのインフレ率に均すと年平均で2.7%程度に収まっている。
つまり、資源大国たるオーストラリアが他を圧倒するような奇跡の経済成長を遂げたわけではなく、単に他国並み(成長率としてはむしろ平均以下)に成長してきただけなのだ。
その程度の国を見て、羨むことしかできない日本の停滞ぶりにこそ、我々が克服すべき課題が凝縮されている。

オーストラリアみたいな人口がせいぜい2,000万人程度で、農業や観光以外にこれといった産業もない国でも経済成長しているぞ、なんで日本はまともに成長できないんだと叫んだところで、オーストラリアは世界有数の資源国だから成長できたんだと間抜けな答えが返ってくるだけだろう。

だが、本来、資源(コモディティ)のような付加価値の低い品目は、国際相場の動向に大きく左右されやすい脆弱な商品ともいえ、相場を高値に誘導する資源カルテルみたいな卑怯な手法で支えなければ成立しえない産業構造でもある。

そもそも、構造改革主義者がバカの一つ覚えのように唱える「日本はものづくり大国」という経文が真実ならば、付加価値の低い資源を加工して高付加価値製品として世界中に売りさばいてきた日本こそ、高度な経済成長を遂げていなければならなかったはずだ。
だが、現実は見てのとおりの惨状である。

筆者がデフレを実感したきっかけは、幼いころ高いと思っていたおもちゃ類の価格が、いまでもほとんど変わっていないことに気付いたことだ。小学生の頃3,000~5,000円もして、自分の小遣いではとても高くて買えないと諦めていたが、子供に付き合ってスーパーの玩具コーナーに行った折りに、当時と同じようなおもちゃが昔と同じ価格のまま売っていたのを見て、最初こそ、なんて安いんだと感心すらしたが、すぐに、30年も経ってなぜ同じ価格で売っているんだ、これじゃメーカーも儲からないだろうと訝しんだことが、デフレを実感したきっかけである。

昨今の円安や農産物・資源価格の高騰により、つい最近まで鶏卵のような物価の優等生で溢れ返っていた国内の商品にも少しずつ変化が表れている。
だが、現在の消費者物価の上昇は、明らかに消費税増税や原料価格の高騰による悪いコストプッシュ型のインフレに分類されるものであり、オーストラリアのような所得水準の上昇による自然な物価上昇とは異なるものだ。
ただでさえ、長期的な所得減少に打ちひしがれてきた国民にとって、このタイミングでデフレから悪いインフレへのバトンリレーをやられてはたまったものではない。

先日、内閣府は、今年の4-6月期の実質GDPの速報値を年換算で▲6.8%と発表し、消費税増税の悪影響が相当深刻であることが裏打ちされたが、肝心の安倍首相や甘利再生相のコメントからは、そういった危機感は全く感じられず、あくまで10%への再増税を既定路線とした言い訳じみたコメントに終始する有様だ。

世界に名を馳せたアベノミクスの主人公がこんな体たらくでは、遠からず日本は再びデフレの長いトンネルに突入し、ますますオーストラリア国民と日本国民との生活レベルの差が開いていくだろう。

その昔は、日本でリタイアした年金生活者の移住先として人気のあったオーストラリアだが、あと10年もすれば、日本は、オーストラリア人どころか、フィリピン人やインドネシア人当たりの年金生活者の移住先と成り下がってしまうかもしれない。

2014年8月11日 (月)

マクロ経済は現実そのもの

今夏は冷夏になるという春先の長期予報に反して、今年も暑い夏が到来した。
外を歩けば汗だらけになる酷暑の中で、涼を求めて身近にあるコンビニに駆け込む方も多いだろう。

コンビニといえば、ここ最近、カウンター商材の一つであるコーヒーと各社がPBで力を入れるスイーツ類の売上が好調だ。

多彩な淹れ立てコーヒーを手軽に楽しめるコーヒーは、業界最大手のセブンイレブンが昨年から本格的に展開し、他のコンビニチェーンにも一気に浸透した。
コンビニコーヒーの導入店舗は、大手5社で約4万3千店舗と9割近くに達し、1日当たり40~100杯販売されている。

今年の大手5社の販売計画は合計13億杯と前年の2倍近くに拡大する見込みで、1杯180円ほどの価格として約2千3百億円の売上になる。
この影響で、アイスコーヒー用の氷の供給が間に合わず、製氷事業者が慌てて設備増強に走るなど思わぬ波及効果も表れている。(ブームが去った後の遊休化が心配ではあるが…)

また、ロールケーキやプリンなどの洋菓子や和菓子といった「コンビニスイーツ」もTVや雑誌で盛んに採り上げられ大きな話題をさらった。
こちらも、昨年の業界全体の売上が1千8百億円に達したとの報告があり、さぞやコンビニ業界の鼻息も荒いのではと思ったが、関連データを見るとそうでもないらしい。

日本フランチャイズチェーン協会から7月22日に発表された今年6月分のデータ(JFA正会員コンビニ10社分)によると、店舗数が約5万店と前年同月比5.3%増加したことにより、店舗売上高と来店客数は全店ベースでは、それぞれ、+2.6%、+3.5%とプラスを維持したが、既存店ベースでは、店舗売上高▲1.9%(前年同月比(以下同じ)、3ヶ月連続のマイナス)、来店客数▲0.9%(4ヶ月連続のマイナス)、平均客単価▲1.0%(3ヶ月連続のマイナス)と惨憺たる状況だ。
平均客単価に至っては全店ベースでも▲0.9%と3ヶ月連続のマイナスと出口の見えな
い状況に陥っている。どうやら、日経新聞が言うほど国民の財布の中にまでアベノミクス効果が及んでいないということらしい。

今年6月の平均客単価(既存店ベース)は586円と前年同月比▲1.0%に止まり、比較的低単価なコーヒーやスイーツ類の売上が他の売上分を喰った形になった、つまり、ヒット商品がコンビニ全体の売上を牽引するのではなく、他の商品の購買力を奪う、いわば同一店舗内の「代替消費」を発生させ、店舗全体の客単価引下げというマイナス効果をもたらしたということだろう。
あるいは、最大限擁護するとしても、たばこや雑誌、サービス(コピー・FAX・チケット販売等)部門の落ち込みを少々カバーしたに過ぎないという程度のことだ。
(※全店ベースの商品構成比・売上高前年同月比は次のとおり。「日配食品(スイーツ含む)」構成比36.5%/売上高+8.1%、「加工食品(コーヒー含む)」構成比27.0%/売上高+1.7%、「非食品(雑誌・たばこ含む)」構成比31.2%/売上高▲1.6%、「サービス(コピー等含む)」構成比5.3%/売上高▲2.8%)

圧倒的な販売拠点を持ち、莫大な資本力を背景に溢れんばかりの広告を打てるコンビニ業界ですらこの体たらくだ。
一部の商品やサービスのヒットで、企業全体の業績を牽引させるのはまことに難しい。

「デフレでも頑張っている企業はある」「不況下でも売れている商品やサービスもある」と説教面でご高説をタレる世間知らずのミクロ万能主義者は、身の回りで起こった細々とした出来事をつなぎ合わせて世の中全体の動きを説明しようとする。
だが、彼らが得意顔で語る成功物語の裏で、同量、あるいは、それを上回る量の失敗談が生み出され、経済全体の停滞を招いている。

一国の経済を前進させる、つまり、名目GDPを成長させるには、本来、そういった失敗談をカバーして余りあるだけの成功物語が必要になるが、ミクロ経済というおとぎの国の成功物語にしか興味を持たない愚か者は、他所で発生する数々の失敗談から目を背けようとする。敗者に対する彼らの対処法は極めてシンプルで、「努力が足りない」の一言を浴びせるだけだ。
だが、中学生並みの社会経験しか持たない世間知らずには、そういった敗者への冷酷な仕打ちがマクロ経済の体力を奪うことを理解できないようだ。
「ミクロ経済には外部性があるが、マクロ経済政策にはそれがない」という経済の大原則を無視したまま、個々の成功例が、あたかも自分の手柄であるかのように得意顔で語るバカ者(日経新聞の愛読者)につける薬はない。得点シーンのみに満足して熱く試合を語れる能天気さを羨ましく思うばかりだ。

日本のように供給力が高度に発達した国において、短期的に経済成長の原動力となるのは、供給力よりも需要力の方だ。過去に蓄積された分厚い技術基盤や人的能力により、少々の需要増加には(多少のタイムラグはあれど)即座に対応できるだけの供給力を備えている。
逆に、いくら高度な製造能力を誇る設備であっても、需要がなく稼働しなければ、ただの粗大ゴミだ。

では、需要の源泉となるものは何か。それは、国民や企業の所得である。
人々が欲しいものを購入するには所得が必要であり、国内に400万社もある企業が必死に知恵を絞って商売をするのも商品やサービス供給の対価として所得を得たいがためだろう。所得こそ需要の源泉であり、全ての経済活動の源である。

モノを買うにはカネが要る、つまり、消費は所得の内数であり、所得が伸びない限り消費も伸びることはない。
リフレ派の連中を中心に、金融機関の貸出(融資)を伸ばせば景気が回復するという戯言を主張する者もいるが、融資とて、その返済原資は借入主体の所得(将来の所得)を担保とするものであり、所得の伸び、あるいは、将来的な所得増加期待、それも確度の高い期待が必要になるのは同じことだ。

我が国のように高度な供給力を有する国においては、需要こそが経済を牽引する重要なファクターであり、その需要の多寡を決めるのが所得である。
その所得を数値化しあらゆる経済活動の基点となるのが貨幣であり、貨幣を継続的に実体経済へ供給できるのは政府しかいない。
民需と海外需要だけで限られたパイの中でセロサムゲームを演じるような不毛な争いを中和するのは、政府の経済政策に課せられた重要な役割である。

個々のミクロ主体の経済活動の総和がマクロ経済を構成することに疑いはない。しかし、成功した一部のミクロ事例を取り上げてマクロ経済の動向を判断しようとすると、大きな誤りを犯すものだ。
ごく一握りの企業や個人が輝かしい成功を収めても、巨大なマクロ経済に及ぼす影響は蚊ほどもない。
日本のGDPは、老いたりとはいえ500兆円にもなる。これだけ巨大なGDPを維持したうえで、敗者による減額分をカバーし、さらに成長させるつもりなら、テレビ東京の経済番組で紹介されるような些細な好事例なんかでは到底足りない。
構造改革主義者が蔑むようなゾンビ企業を含めて、あらゆる企業や個人の所得が伸びなければ、巨大なGDPを成長させることなど不可能だ。

マクロ経済の動向こそが現実社会を左右することに気付かずに、「ゾンビ企業の存在が成長企業の足を引っ張っている」といったみみっちい戯言を吐いているようでは、マクロ経済政策に意見する資格はない。

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