無料ブログはココログ

リンク集

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月

2015年2月26日 (木)

百姓にも劣る経営能力

先日、国内の大手コンビニチェーン10社で構成される「日本フランチャイズチェーン協会」から、今年1月分の統計調査月報が発表された。
それによると、
・既存店ベースの店舗売上高(税別) 712,422百万円(前年同月比▲0.7%、10ヵ月連続マイナス)
・既存店ベースの来店客数 1,160,578千人(前年同月比▲1.6%、11ヵ月連続マイナス)
と、相変わらず冴えない実績が続いている。

コンビニチェーン自体の店舗数は、51,934店と前年同月比で4.9%も増加しており、スーパーや小売店のマーケットを侵食している。
また、淹れ立てコーヒーなどのカウンター商材(レジ周りにあるホット食材や惣菜など)をヒットさせたかと思えば、一部の大手コンビニではドーナツの商品化にも注力し、缶コーヒー業界やファストフード業界との熾烈な争いを繰り広げているのは周知のとおりだ。

あたかも、国境を越えて侵略する強大なモンゴル帝国軍のごとく他業界を脅かしているコンビニ業界だが、出店ペースを落とせば、たちまち売上ダウンの波に浚われるほど内実は厳しいようだ。
特に、都心部では明らかに供給過剰になっており、道を挟んだ両サイドにセブン・イレブンが林立する光景も珍しくない。
既存店の来店人数が落ちているのも、過剰な出店によるコンビニ間での顧客の奪い合い激化と無関係ではないだろう。

さて、上記の1月の統計調査月報では、客数の動向に関して、「今月は、平均気温が高かったものの、北日本を除き降水量が多かったため、客数に影響を及ぼした」とコメントしている。
つまり、“天候のせい”で客足が伸びなかった(減った)と言いたいわけなのだろうが、天候を言い訳にしているのは、実は今月だけではない。

ここ数カ月のコメントの書き出し部分を抜き出してみると、
(26年12月)強い寒気により全国的に平均気温が低く、降水量・降雪量が多かった…
(26年11月)全国的に平均気温が高かったが、中旬は北日本で局地的な大雪となる等の天候不順…
(26年10月)北日本で平均気温が低かったことに加え、台風第18号、第19号等の影響…
(26年9月)降水量が少なく日照時間が長かったものの、寒気の影響により気温が低く…
などといった具合に、毎月のように、雨が多かっただの、気温が低かっただのとグダグダと言い訳めいたコメントが並んでいる。

まるで、日本は毎月のように天候不順に見舞われているかのように見える。
だが、農水省の統計データを見ると、穀物や豆類、野菜の作況指数は西日本の一部を除き、おおむね平年より良好だったようだ。
ひょっとして、コンビニ店舗の上空だけ異常気象だったのだろうか?

巨大な資本力を背景に、全国各地に網の目のように張り巡らされた店舗網やそれを支える効率的な物流システムを擁しながら、客数や売上の落ち込みを防ぐことができず、愚図愚図と天気を言い訳にするしか能がないとは、呆れるばかりだ。
いつも、天気、天気と、お前たちは百姓かっ!、と言いたくなる。

同じお天道様頼みの経営でも、江戸時代の農民はもっと強かであった。
隠し田を作って年貢逃れをし、それが発覚しそうになると代官に賄賂を贈って丸め込んだり、米以外の商品作物を作ってちゃっかり蓄財に努めたりしたものだ。
世情に疎い藩主から重税を押し付けられると、一揆や強訴、打ちこわしなどの実力行使に出て、幕府からの言い掛かりを恐れる藩主に税の減免要求を強引に呑ませたりもしていた。
農民が武士階級に虐げられていたというのはまったく誤った幻想で、国家の食料供給源たる自負もあったのか、独自に資力を蓄え、藩主や武士階級に様々な要求を突き付けて困らせていたようだ。

翻って、最先端の経営理論の実践者たるコンビニ業界の経営者はどうだろうか。

業界最大手のセブン&アイHDの鈴木会長は、消費税増税に関して次のようなコメントを発している。
「今回の3%の消費増税分や物価高による価格上昇に消費者の抵抗感が相当ある。そして、来年10月に控える税率の引き上げを消費者は意識している。~中略~消費増税の在り方については『上げるなら一度で』と増税前から言っていた~後略~」

消費税増税が消費者の購買意欲を減退させることに言及しながら、8%→10%ではなく1度に10%へ上げるべし、と語っているのだ。
業界トップの経営者がこの程度の認識では、コンビニ業界が苦しむのも当然だろう。
業界の既存店売上は、昨年の増税前の駆け込み需要の一時期を除き、殆どの月で対前年比マイナスを記録しており、実質賃金低下による国民の消費力減退の影響は明らかだ。
これに増税によるダメ押しが加わったのだから、客数や売上が伸びないのも当然だろう。

業界に消費減退という大厄災をもたらす増税政策を唯々諾々と受け容れ、爪に灯を点すような努力で何とか売上維持を図ろうとする愚かな奴隷根性を捨てぬ限り、客数や既存店売上の数値が回復する見込みは薄い。
このまま指を咥えてマーケットが縮小するのを見過ごせば、早晩、他業界から奪えるマーケットすら無くなっていくだろう。

経営者である以上、企業経営にプラスの結果を残さねばならない。
ならば、効果の出ない個々の企業努力のみ拘泥するだけでなく、業界全体がのびのびと活動できる経済環境創りに目を向けるべきではないか。

いくらや野球の技術レベルを上げても、それにカネを払える観客がいなければ興業は成り立たない。どれだけ立派な釣竿を買い込んでも、釣り堀に魚がいなければ何も釣れない。

業界をリードする経営者なら、局地戦で戦術的な勝利を収めるより、大局的な視点であらゆる戦略や政略を駆使し、闘わずして勝利する状況を創り出すことこそが本当の経営戦略なのではないか。

経営の不調を天気のせいにして愚痴をこぼす暇があるのなら、マーケットが活性化するよう消費者たる国民の懐を潤す政策を断行するよう政府に強く求めるべきだろう。

己が勝ちやすい環境を創り、その上で存分に戦う。これこそが勝者の戦い方だ。
その点、コンビニ業界の経営者の戦略立案能力は、江戸時代の百姓にも劣ると言えるだろう。

2015年2月19日 (木)

改革への逃避は失政の始まり

<ソニー>「売上高より利益」重視に AV事業分社化
「業績の立て直しに苦しむソニーが、飛躍の原点である音響・映像機器(AV)部門を本体から切り離して分社化し、消費者向けエレクトロニクス事業から距離を置く姿勢を明確にした。今後は事業ごとの収益責任を徹底し、投資判断を厳格化する。成長分野として今後の柱にすえた半導体など4事業の中から、ソニーブランドを支える強力な新製品やサービスを生み出せるか。改革の成果が問われることになる。「売り上げ規模をすべての事業領域で狙う機運が強かった。収益確保を最優先する」。平井一夫社長は東京都内で開いた経営方針説明会で、AV部門の分社化を含めた改革の狙いをこう説明し、部門間に残る「依存体質」を断ち切る姿勢を強調した。」(毎日新聞社2月18日(水)配信)

ソニーの凋落に歯止めが掛からない。

これまで数々のリストラを断行し、昨年にはVAIOブランドで有名だったパソコン事業を売却したのに続き、ウォークマンに代表される映像機器・音響部門の分社化に踏み切るようだ。
ソニーのDNAとも言える両部門を分社化せざるを得ないほど、その経営は危機に瀕していると言えよう。
ソニーは、ブランド力の維持向上に失敗し、新興国メーカーの安売り攻勢に押されて、ここ数年の決算は大幅な最終赤字を余儀なくされ、これまで1万数千もの人員削減を行ってきた。

だが、リストラに明け暮れたにもかかわらず、業績改善の兆しは見えない。
さきほどの記事の続きを読むと、“同社は15年3月期の連結業績で1700億円の最終(当期)赤字を見込んでいる。最大の原因となったスマホ事業では、販売地域や機種を絞り込んだうえで、部門で2100人の人員削減を行う「止血策」を進めているが、中国新興メーカーの台頭ぶりは激しく、利益貢献の道は険しい。(毎日新聞社記事より)”ようで、今回のリストラが最終着地点となることはあるまい。

世間には、アベノミクスと円安効果で大手企業の業績は好調だと浮かれる連中もいるが、そんなものはごく一握りにすぎず、ソニーのように不調のアリ地獄から抜け出せない大手企業も多い。
スランプに苦しむ大手企業と聞いて、筆者がいつも思い浮かべるのは、ソニーのほかヤマダ電機とマクドナルドである。

ヤマダ電機は、最終決算こそ黒字を確保しているが、13年上期の中間決算で初の赤字に転落し、ここ数年減収減益が続いている。家電ネット販売への顧客流出やケーズデンキ、エディオンなどの追い上げもあり、牙城に綻びが見え始めている。
当社では、早くからネット販売の台頭を睨み、住宅販売・リフォーム事業や日用雑貨の販売事業を拡大させてきたが、事業や収益面での貢献度はまだまだのようだ。

マクドナルドに関する迷走ぶりは、くどくど書く必要もないほどで、残業代不払い問題や高価格路線への転換、店頭サービスの混乱をもたらした60秒キャンペーンやカウンターメニュー表の廃止、賞味期限切れ鶏肉の使用問題、異物混入問題など、枚挙に暇がない。
2014年通期連結決算では、過去最大となる218億円の連結当期赤字を計上し(対前年比では▲269億円)、2015年1月の売上高は月次で前年同月比マイナス38.6%と大幅に落ち込んでいる。

これら、ソニーを含めた3社に共通するのは、業績不振が続いているにもかかわらず、外部や世間の批判を一切受け容れようとせずに独自の「改革路線」に固執している点である。

リストラ疲れが明白なソニーに対しては、地理的マーケットを絞り込んだうえでのブランドの再構築と高付加価値戦略が必要との意見が多いが、当の経営者は、安易な事業の切り売りと人員削減策しか打ち出せず、毎期の決算発表では平井社長から「最後の構造改革をやり切る」というセリフを聞くのが、もはや恒例行事と化している。(これは任天堂も同じだが…)

いまどき、分社化や独立採算制なんて周回遅れ、それも3週くらい遅れている。
分社化により事業間のシナジー効果が減殺され、互いの技術シーズを持ち寄った研究開発の妨げにもなるだろう。
これまで、あまりに多くの事業を切り売りしたせいで、ブランドを再構築したくとも源泉となる基幹事業も見当たらない。終いには、「SONY」というロゴしか商品として残らないのではないか。

一方、ヤマダ電機に対しては、以前から、店員の接客態度が悪い、アフターサービスの質が同業他社に劣る等といった批判があった。
当社は、日経ビジネスが集計した「アフターサービスランキング(家電量販店部門)」で8年連続最下位という不名誉な記録を持っている。(2014年には「ブラック企業大賞」もダブル受賞)

だが、こういった批判や指摘に対して、当社は何らかの改善に向けたアクションを起こすどころか、日経ビジネスの発行元を提訴する(最終的には請求却下)愚挙に出て、周囲を呆れさせた。
また、経営構造改革の柱であった住宅やリフォーム事業、日配品販売事業等への進出も、肝心の家電売り場の縮小を招いただけで、ただでさえ色彩センスの悪い店舗の外観に加えて、強みであった売り場の展示能力が削がれ、いかにも中途半端な品揃えしかできなくなっている。
今のままでは、ひと昔前のスーパーやデパートに入っていた貧弱な家電売り場程度の規模しか維持できまい。

最後のマクドナルドだが、最近でこそ品質管理や生産工程管理の厳格化を求める意見が多いが、元々多く聞かれたのは、商品単価の高騰と店頭サービスの低下に対する指摘であった。要するに「ファストフードのくせにモノが高過ぎる(ついでにサービスもいまいち)」ということだ。

一時は低価格路線で業界を席巻した当社も、いつの間にか業界最高級路線を突っ走っている。
高価格帯のハンバーガーショップとして知られたモスバーガーの類似商品と比較すると、テリヤキマックバーガー320円:モステリヤキバーガー340円、とんかつマックバーガー399円:モスロースカツバーガー360円と遜色ないばかりか、いくつかの商品ではモスバーガーよりも高くなっている。

国民の所得が巡航速度で上昇しているなら問題ないが、実質賃金が1年以上に亘り減少する経済環境下で、何の付加価値向上の跡もない商品の価格だけが一方的に上げられることに反発を覚えない消費者はいないだろう。

だが、当の経営者には、そんな世間の声は届いていないようで、改革と称して24時間店舗の拡大やFCチェーンの拡大を行ったり、高級路線を狙っての店舗改装や既存の食材を使い回した奇抜な自己満足バーガーを発売してはコケるという愚行を繰り返している。

彼らは懸命に自社商品の付加価値向上を訴えているが、中味に変化のない商品の価値や評価が上がるはずがない。

以上、消費者ニーズを無視した経営戦略が頓挫しがちな事例を取り上げたが、これは経営だけでなく政治の世界にも共通する。
選挙のたびに行われる世論調査では、政治に求める要望として、「景気回復」、「雇用の安定」、「福祉の充実」などが上位を占めるが、現実の政治は、これらとは逆行している。

安倍首相は、平成27年2月12日第百八十九回国会における施政方針演説で、昨年のGDPがマイナス成長を予想していることなど放り出して、戦後以来の大改革に取り組むと的外れな演説に終始した。

首相は、農協改革(農協イジメ)、オープンな世界を見据えた改革(TPP断行)、医療改革(混合診療の促進、医療機関のコストアップ)、エネルギー改革(小売市場自由化=供給元の弱体化)、行政改革(官僚機構イジリ)、社会保障改革(介護福祉業界イジメ)、労働改革(雇用の不安定化と質の劣化、残業代カット)などを断行すると宣言した。

「改革」というセリフに自己陶酔し高揚する様は、小泉のバカを彷彿とさせるが、恐らくその行く末も同じような結果に終わるだろう。
すなわち、改革断行→デフレ招来→経済衰退→更なる緊縮・改革→デフレ深刻化という負のループを辿ることになる。

安倍首相は、演説の中で「はやぶさ2は、福島生まれの技術がもたらした小惑星のサンプルと共に、2020年、日本に帰ってきます。その時には、東北の姿は一変しているに違いありません。」と、はやぶさプロジェクトの偉業を自分の手柄顔で語っていた。
しかし、このまま三本目の矢を撃ちまくって日本の社会基盤を破壊し続ければ、恐らく2020年の日本経済は、GDPは450兆円程度に落ち込み、非正規雇用の割合が50%を超え、サラリーマンの平均年収も350万円くらいにまで減るような暗澹たる世の中に変わっているだろう。
5年後に帰還するはやぶさ2も、久しぶりに会った日本人があまりに元気を失っているのを見てびっくりするのではないか。

国民のニーズを無視した政治家が改革ごっこに逃げ込むのを放置すれば、そのツケを払わされるのは、間違いなく国民自身である。

2015年2月10日 (火)

有限史観からの脱却を‼︎

前回のエントリーで、格差問題に対する富裕層と中下位層の認識の相違を採り上げたところ、読者の方から次のようなコメントを頂戴した。

『ひきずり降ろされる恐怖を持っている今の富裕層といわれる人が、公共事業、内需拡大、経済成長をなぜ否定するかですね。経済成長して国が豊かになれば、当然自分たちの取り分も大きいはずで、しかも国民全体が豊かになるわけだから、ひきずり降ろされる心配は減る。しかも公共事業なら、使うのは政府のお金であって、自分のふところは傷まない。』
これは当然の疑問であり、筆者が持説を周囲の人々に説明する際にも、実は同趣旨の質問をよくいただいている。

ご指摘どおり、いわゆる富裕層とかエリート層とされる人々が、なぜ、国や他者が豊かになり自身の取り分も増えるような経済政策を嫌うのか、筆者も常々疑問に思っていた。
富裕層やエリート層独特の他者に対する相対的優越感の保持に拘るあまり、たとえ自分の懐や財布が傷まなくとも、財政政策により(自分目線では)大した努力もしていない中下位層の連中が楽をするのは許せない、という歪んだ嫉妬心が影響しているのではないかと推測していた。

だが、上記のご指摘に対して、別の方から、『おそらく彼らは、富と言うものが有限だと考えているのではないでしょうか。かつての大国が金銀、領土、人間(奴隷)を奪い合ったように。社会そのものを成長・発展・進歩させていくと言う思考が欠けているのではないでしょうか。』という非常に的確なコメントをいただき、筆者も溜飲の降りる思いがした。

確かに、富や成長を有限だと考えるような人間なら、経済のパイを一定と捉えて「経済活動=限られたパイの中での富や資源の収奪合戦」だと定義付けていても不思議ではない。

多くの国民は、日常生活を送る中で人生とか自分の給料や小遣い、会社の予算等々、時間軸あるいは金額的な側面から常に何らかの制約や限界があることを意識して活動している。このため、あらゆる事象や物事には、時間的な終焉や金額的な上限・限界があるものだと思い込まされ、自らが創り上げた限界という名のボックスの範囲でしか物事を捉えられないようになる。

こうした“有限史観”に染まり切った人間は、国家の歴史を人生に、国家の財政を家計簿に準えることに何の疑問も差し挟むことはない。
ワイドショーを眺めているオバサンみたいに、「もはやこの国は成熟し切っており、成長できない」とか「40万円しか収入のない家庭が借金して90万円も浪費している」などと本気で信じ込んでいる。

“経済成長は不可能”、“経済のパイは有限”というのが彼らの根本思想であり、そこから先は、富裕層なら構造改革や減税、規制緩和を求め、中下位層なら富の再配分を主張し、そこに小さな対立が生じてきたが、多くの場合、構造改革という錦の御旗を振りかざす富裕層が勝利を収めてきた。

では、敗走を重ねてきた中下位層はどうすべきなのだろうか。
国に対して再配分強化政策の実施を強く求めるのも良いし、資産課税の強化を訴えるのも良いだろう。筆者も高額所得者向けの所得税率引上げや大企業や中堅企業向けの法人税率引上げには、諸手を挙げて賛成する。

しかし、経済のパイの上限を固定したまま再配分政策の一本槍戦法に固執していると、恐らく、Aの予算を削ってBに付け替えるような姑息なトレード・オフ論法に取り込まれてしまうだろう。
再配分政策はほったらかしにされて、ムダな公共事業や危険な防衛費を削り社会保障費に充てる、あるいは、膨張する社会保障費を削り企業の競争力強化に充てる、という具合にはぐらかされ、一方の予算を悪者扱いし他に付け替えるような弥縫策が横行することになる。
中下位層間に対立の楔が打たれ、それを巡って同じ階層間で不毛な非難を繰り返す愚に、我々は終止符を打たねばならない。富や資源の収奪合戦に勝者などいないことに気付くべきだろう。

有限史観論や国家衰退論の信奉者は、成長への努力を放棄した怠け者か時代遅れの敗北主義者である。
物理的な制約から国家や経済の衰退や停滞を嘆かざるを得ない時代は、とうの昔に終わっている。
高度かつ膨大な供給能力を備えた近代国家において、国家の老化を心配する必要などない。国家が老いるのではなく、国家が老いたと勝手に決めつける愚か者自身の思考能力や創造力が衰えているだけなのだ。

国家は常に成長著しい若者であり、その成長が止まることはない。
今回いただいたコメントのとおり、国民の自発的な活動や努力が実るよう国家が適切な経済政策を実行し、社会や経済そのものを成長・発展させることこそが重要だろう。

2015年2月 4日 (水)

格差問題の元凶は階層間闘争にあらず

『安倍晋三首相は29日の衆院予算委員会で、経済格差への対応について、来日中の仏経済学者トマ・ピケティ氏を引き合いに、「基本的には、(経済格差を専門とする)ピケティ氏も成長は否定していない」として、富の再分配だけではなく、成長に向けた政策を重視すべきとの認識を示した。長妻昭衆院議員(民主)の質問に答えた。

長妻氏が経済格差への認識を尋ねたのに対し、安倍首相は、「これまで日本の格差に顕著な拡大はない。ピケティもしっかりと成長し、その果実がどう分配されるかということが大切と言っている」と主張。(129日付け産経新聞記事より抜粋)』

 

この記事の中で産経新聞は、「(安倍首相は)アベノミクスの推進で経済成長を目指すことが、格差解消に向けた前提条件との立場を強調した」と解説しているが、安倍首相の本心はそうではあるまい。恐らく、首相は、経済成長にも格差解消にも、ほとんど関心を持っていないだろう。

 

記事の前段で、首相は、長妻氏の質問に反論する形で、ピケティは経済成長を否定していないと述べたそうだが、そんなことは当たり前だろう。ピケティが経済成長を否定していないなんて、著書を読まずとも誰にでも理解できるはずだ。

普段から、経済的な格差解消のための再分配政策と経済成長を目指す政策を両立しえないものと考えているからこそ、慌ててこんな発言が口をついて出てくるのだろう。

ピケティどころか、まともな経済学者(これが実に少ないのが大きな問題なのだが…)なら、そもそも、格差解消と経済成長の関係を別々に捉えたり、両者をトレード・オフの関係に置いたりはしない。

再分配か、経済成長かといったバカげた発想をするのは、構造改革好きの緊縮財政論者かリフレ派(+共産党員)くらいのものだろう。

 

また、安倍首相は、アベノミクスとトリクルダウン理論に関する質問に対して、経済界に賃上げを働きかけていることを強調し、「上からたらたら垂らしていくのではなく、全体をしっかりと底上げしていくのが私たちの政策だ」と語ったそうだ。

 

確かに、安倍首相は、たびたび経団連に賃上げのプレッシャーをかけ、今年の春闘では大手企業を中心にベアの容認につながるなど一定の成果を上げており、その姿勢自体は評価できる。

厚生労働省が4日発表した平成26年の毎月勤労統計調査(12月速報、従業員5人以上の事業所)によると、基本給や残業代、賞与などすべての給与を合わせた1人当たりの現金給与総額は、月平均で前年比0.8%増の316694円と上昇しており、アベノミクス初期段階の経済効果が波及した結果と言ってよいだろう。

 

しかし、物価の影響を織り込んだ実質賃金指数は2.5%減と3年連続のマイナスであり、賃金は上昇したものの、伸び率が昨年の消費税増税や円安による物価上昇に追いつかない状況が続いており、“全体をしっかり底上げしていく”どころか、地盤沈下を起こしている。

 

国民はバケツの底を割られて、汲んだ水の量以上の漏水に悩まされている。収入以上に出ていくマネーの量が増えているから、実質賃金の低下に歯止めが効かず、不安に駆られた国民は消費にブレーキを掛けざるを得ない。これが、“インフレ期待”とやらが一向に出現しない要因にもなっている。

 

安倍首相の経済政策は、初動段階を除きアクセルとブレーキの両踏みが続いているが、日を追うごとにブレーキ優先の度合いを強めている。

確かに、アベノミクス初年度の10兆円規模の補正予算と異次元金融緩和政策を打った効果により一部の雇用改善や所得向上の動きが確認できる。

 

そうした経済成長の芽を拡大させることに専念すればよいものを、何を勘違いしたのか、その後は、せっかく萌芽した芽を摘み取るような政策ばかり打っている。

消費税増税、TPP、聖域なき支出削減、労働規制緩和、農協改革、社会保障改革、ホワイトカラーエグゼンプションなど、孵化しそうな卵に冷水をぶっかけるような苛政を続々と並べ、それに反対する声が上がると、初期の経済政策の成果を持ち出して、アベノミクスで経済は持続的な回復基調にあると称し、それらを免罪符代わりに使おうとしている。

初回に打ったヒットを盾に、中盤で大量点を招いたエラーや失投を見逃してくれと強弁するようなものだ。

 

安倍政権だけでなく、橋本政権や小泉バカ政権以降の政権や与党の連中が、なぜ、経済成長を阻害するブレーキ政策ばかり踏みたがるのかは解からない。

常識を理解できない変わり者の心情は計り知れないが、財政破綻に対する懸念、構造改革や規制緩和へのシンパシー、グローバル化に対する異様な信仰心、偏狂的な自助思考などいくつもの要因が考えられる。

筆者は、これらのほかに格差解消に対する彼らなりの恐怖心もあるのではないかと推測している。

 

格差解消を、フランス革命やロシア革命みたいに富者が引き摺り下ろされ、その富が民衆に収奪されるかのようなイメージで捉えているのではないか。

格差解消に異様な執念を燃やす者とそれを極度に恐れる者は、格差解消という言葉を誤解している。

両者とも「格差の解消=1mmたりとも差が生じないフラットな社会」だと信じ込み、片や上の階層にいる者を引き摺り下ろそうとし、もう一方は庶民のルサンチマンを恐れ一瞬の隙も見せまいと防御を固めようとする。

互いに、相手に対する不信感や敵愾心が異様に膨れ上がり、一切の交渉や妥協に応じようとしない。

 

格差解消に向けて、富裕層の所得や資産に対する多少の課税強化は避けられないが、何も、その富を収奪するような暴挙に出る必要などない。

格差拡大の病巣は、富裕層への富の集中のみにあるのではなく、中間層以下の階層の所得や資産の減少にこそある。

 

ピラミッドの上層部が重たくなるのがいけないのではなく、中層部や下層部が貧困化の危機に晒されて瓦解しかかっていることこそが重大な問題なのだ。

経済のパイの拡大を否定し、上層部にある石垣を中層部や下層部に降ろしたところでピラミッド全体が大きくなるわけではない。

正当な手段によるものである限り、富裕層が富を得ることを否定する必要はない。

そんなことに関わりなく、中層部や下層部が十分な所得や富を得る機会を増やせるよう適切な経済政策を実行すればよいだけだ。

経済のパイが増え各層に十分な所得が行き渡れば、富裕層に対する妬みや敵愾心など消えてしまうだろう。

 

政権担当者のみならず多くの国民は経済のパイが一定だと勘違いしているから、格差解消には富裕層から他の層への富の移転しか手がないと誤解してしまう。

それが富裕層に、「富や地位が収奪される」という恐怖感を抱かせ、格差解消に対する忌避感や嫌悪感を招き、ピケティの格差解消論をあたかも自分の富や地位を脅かしかねない「黒船の襲来」だと勘違いさせている。

 

経済を成長させ、そのパイを拡大することが、無用で有害な階層間闘争の鎮圧につながるだろう。

 

 

 

(※)

28日(日)に「進撃の庶民」にコラムが掲載されます。

他の執筆者の方のコラムと併せて、ぜひご覧ください。

http://ameblo.jp/shingekinosyomin/

 

また、いつもコメントをお寄せいただいている方々にも御礼申し上げます。

コメントを拝見すると、筆者よりはるかに的を得た内容で、参考にさせていただいています。

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31