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2015年4月

2015年4月29日 (水)

リフレ派は「貨幣」の意味を誤魔化さないように!

もうすぐ4月が終わり、2013年春に放たれた黒田バズーカ第一弾の結果を総括する時期が到来した。

「2年で2%の物価上昇目標を掲げマネタリーベースを2倍に増やす」という大規模な異次元金融緩和政策を採り、意味不明であった日銀券ルールを廃して、インフレ・ターゲット政策を初めて実践に移した意義は大きい。
異次元緩和により、国債金利は低金利水準を維持(国債の信認が向上)し、日銀による国債保有割合が25%ほどに達して実質的な政府債務を減少させたことは評価に値する。

しかし、肝心の実体経済に与えた影響はというと、行き過ぎた円安と“実感なき株高”を演出しただけで、大した効果はなかった。
金融政策の根幹である「インフレ“期待”」による実需は発生せず、国民の間に「インフレ“不安”」を撒き散らし、より一層財布の紐を固く締めさせただけに終わった。

期待の大型新人の加入によりチームの連敗は止まったが、観客動員数は減る一方、といったところか。
やはり、財政政策抜きの金融政策一本足打法には、深刻なデフレ不況を招いた緊縮財政路線をベースとする構造改革主義を打破する力は無かったようだ。

だが、頑なに金融政策の神通力を信奉するリフレ派や株高のおこぼれを狙う市場関係者の間には、更なる追加金融緩和に期待する声が大きい。
昨年10月の黒田バズーカ第二弾のようなサプライズを期待しているようだが、彼らの興味の対象は、あくまで、物価や株価というシンボリックな経済指標の動きであり、実体経済の改善なんて完全に視野外に置かれている。

自らの学説の正当性を証明するための手段、あるいは、一部の層の利益獲得の手段として悪用されるだけなら、異次元金融緩和政策は国民の信任を得ることはできない。
やがて、実感なき株高と過度な円安による生活必需品などの物価高騰を招いた元凶として、インフレ・ターゲット政策自体が失策だと罵られる日が来るだろう。

さて、こうした持説の危機を前にしても、リフレ派の狂信者どもは、相変わらず金融政策万能論を振りまいているようだ。
「デフレの原因は貨幣現象であって需要不足ではない」、「デフレは貨幣に対する需要増加である」、「貨幣需要が大きすぎて貨幣価値が上昇する(=デフレ)。だから、中央銀行から貨幣を供給して貨幣価値を減らすのが量的緩和によるインフレ誘導の本質だ」と愚にもつかない書生論を強弁している。

リフレ派の理論や思考は、常に、問題の根幹ではなく、そこから派生する一部の現象にフォーカスを当て、それを誇大に問題視するのが特徴だ。

政府の経済政策ではなく日銀を不況の主犯に祭り上げて批判すること、国民所得の向上ではなく物価上昇率に拘ること、過大な貨幣需要に対して所得ルート(政府支出)ではなく借金ルート(信用創造)で対応しようとすること、等々、彼らの主張は、どこか本質からズレている感が否めない。
ターゲットを正面から狙おうとせず、回りくどい上に、どう考えても効果的ではない方法を敢えて用いようとする。

リフレ派は、「貨幣現象」という言葉の貨幣の定義を、「所得になるお金」から「借りて使うお金(=借金)」まで曖昧に用いており、議論に応じて都合よく使う。

元来、構造改革臭の強い彼らは、財政政策に強い嫌悪感を抱いており、日ごろは「貨幣=借りて使うお金」という前提で論を張っている。
しかし、金融政策の効果が疑問視され、あちこちから批判を浴びると、急に貨幣の定義を「所得になるお金」にまで拡大させ、「リフレ派は財政政策を否定していない。どうせやるなら、利益誘導を誘発する公共事業よりも、減税が効果的だ」と逃げ口上を叫びだす。
そして、議論が終わった途端にピタリと減税を主張するのを止めてしまう。

「デフレは貨幣に対する需要増加(=流動性選好)」という言い方も本質から目を逸らした表現だ。
デフレ不況に慄く人々がモノやサービスを買わずに貯蓄に励む姿を指摘したつもりだろうが、所得不足からやむを得ず貯蓄、あるいは、消費を抑制せざるを得ない人々のマインドを変え、貨幣(所得になるお金)をモノやサービスに向かわせるための方策が、まったくの見当違いなのだ。

リフレ派は「貨幣需要が大きすぎて貨幣価値が上昇するから、中央銀行から貨幣を供給して貨幣価値を減らす」と自信満々に提言するが、需要が高いはずの「貨幣」は、中央銀行から、国民や企業の財布にではなく、何故か金融機関に供給され、所得になるお金ではなく、借りて使うお金に変換されてしまう。

この不況でモノやサービスの需要が落ち込んでいる時期に、好き好んで借金して物価高騰の一翼を担おうとする物好きなど、そうそう居るものではない。

こうした愚策により、貨幣の需要家であるはずの国民や企業が貨幣を得るためのハードルは一層高くなり、実体経済に供給される貨幣量が増えず、結局、貨幣はモノやサービスに向かわずに金融市場に滞留する、つまり、流動性選好がより強まるだけ、という結果に陥ることに、リフレ派の連中は、なぜ気付けないのだろうか。

リフレ派が得意顔で語る「貨幣の価値」なんて言葉は、実体経済における経済活動の結果の一部を切り取った表層に過ぎない。
国民や企業の所得が増えて実体経済が活性化しなければ、貨幣価値が上がった、下がったと識者気取りで評論しても、何の意味もない。

リフレ派は、「貨幣に対する需要増加」を嫌悪するあまり、所得ではなく、先にモノやサービス価格を上昇させて、人々にインフレ不安を抱かせ支出を強要しようとする、つまり、北風政策により、人々を支出に追い立てようとする。
しかも、借りて使うお金を、その追い込み猟の猟犬代わりに使うに至っては、二重の過ちを犯しているとしか言えない。
恐らく、リフレ政策に追い立てられた人々は、支出を増やすどころか、より防御を固めて「貯蓄という駆け込み寺」に逃げ込むだけだろう。

リフレ派は、貨幣とモノやサービスの関係に対する考察やその交換速度を上げるための方策を根本から間違えている。

人々の貨幣需要が大きすぎるなら、貨幣の対岸にあるモノやサービスの価格をいじくり回すのではなく、ストレートに貨幣(使えるお金)供給量を増やし、その需要を満たしてやればよい。
十分な量の貨幣を得た人々は、自身の所得に対する信任を高め、貨幣からモノやサービスへの交換を活発化させるだろう。
やがて、それがモノやサービス価格の上昇をもたらし、相対的な意味での貨幣価値の低減とやらが生じるのである。

リフレ派の連中が、経済政策に関して常に的外れのアプローチをするのは、財政政策という経済政策の根幹に対する忌避感を捨てきれないからだろう。
学識派を気取る彼らの心の奥底には、国や政府に甘える市井の人々や中小企業に対する嫌悪感が渦巻いている。
だからこそ、景気を直接刺激して(彼ら目線でいうところの)怠け者に楽をさせるのではなく、物価高騰と借金の押し付けという重荷を背負わせようとするのだろう。

世間に対して陰湿な怨恨を抱えた連中に経済政策を任せていては、デフレ脱却など到底成し得るものではない。

2015年4月21日 (火)

企業経営の成果は給与水準の高さで評価すべき

さきごろ、ファストフード店の時給を1500円以上に上げるべきだ、というデモが各地で開催されたことに対して、次のような批判記事がネットに上がっていた。
『マクドナルドの「時給1500円」で日本は滅ぶ』
(シェアーズカフェ・オンライン、 4月16日(木)配信 、http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150416-00010000-scafe-bus_all&p=3)

記事の内容をかいつまんで要約するとこういうことだ。
・時給が低いから生活が困窮している、だから時給を上げれば生活は改善する、という考えは100%間違い
・マクドナルドやモスバーガーの利益率は2.3%程度で、時給が1500円以上になれば全てつぶれる
・時給は都道府県ごとに最低賃金が定められており、これを上回る限りいくらに設定するかは企業側の自由だ
・時給1500円で国内産業は空洞化し、あらゆる産業で輸入品への代替やオートメーション化、省力化が進む
・解雇は規制出来ても雇用は強制できない
・賃金は付加価値に対して支払われる、時給1000円の付加価値しか出せない人に1500円を払う事は企業にとってマイナス
・憲法第25条を保障するのは国であって企業ではない
・企業は徹底した競争を、国は手厚いセーフティネットを、これが当たり前

まあ、よくもこれだけバカなことを言えるもんだと呆れる文章だ。
社会のことを少しばかり齧り始めた中学生が書きそうな内容でもある。
いまどき、強欲な経団連の連中でも、ここまで露骨には言えないだろうが、世の中の仕組みを理解できないくせに、妙な熱気ばかり持ち合わせた幼稚な中学生なら、思わず書きなぐってしまうのかもしれない。

まず、論者は、日本国内のファストフード産業の収益力の低さを指摘するとともに、賃金は付加価値に対して支払われるのだから、バイトの賃金なんて到底上げられないと言い切る。
であれば、バイトの賃金も満足に上げられないほど低付加価値なファストフード産業の経営者の報酬は適正なのか。
今日のマクドナルド凋落の張本人とも言われる前会長の原田泳幸氏は、役員報酬と退職慰労金を合わせて3億4千万円近くの報酬を得たようだが、この間抜けで無能な経営者の報酬額は、自らの経営能力やその付加価値に相応しいものだと自信を持って言い切れるのか。

この論者は、バイトには厳しいことを言えても、会社の経営を傾けた経営者には一言の批判も浴びせられない卑怯者でしかない。

また、国内のファストフード産業に従事するバイトの付加価値が、1500円の水準に達していないとも言いたいようだが、どこのハンバーガーショップだって、たいていのバイトは良く働いている。

一般的に、大手ファストフードでは接客や調理のマニュアルが統一化されており、個々のバイトが付加価値を上げようにも、勝手なサービスの提供など許されるものではない。
バイトにいくらやる気があっても、自分の意志や判断で行動できる範囲は極めて限定的で、一定範囲のオペレーションにしか携わることができないのが普通だろう。
例えば、店長やバイトの自主的な判断で、年金支給日を狙って高齢者向けの新商品や新サービスを提供するようなファストフード店なんて見たことも聞いたこともない。

立場の弱いバイトを捉まえて、お前の付加価値が低い云々と罵倒するなどみっともない限りだ。

そもそも、企業の収益メソッドを構築するのは、経営者たるものの役割で、社員やバイトにそれをおっかぶせようとするのは、経営者として無能の証である。
儲ける仕組みを作るのが経営者の仕事で、その仕組みに沿って事業を実践するのが社員やバイトの役目だろう。

だが、世の大半の経営者は、収益体制の構築という仕事を社員に丸投げして、決断するのがトップの役割だなどと格好を付け、この重要かつ難解な仕事から逃げ回っている。
儲かる仕組みを考え、そのオペレーションまで社員がやるのなら、手足も使わず頭も使えないムダ飯喰らいの経営者なんて不要だろう。
ミャンマー人かベトナム人とでも代わってもらった方がよい。

挙句の果てに、この論者のような卑しい狗の口を使って、企業は従業員の面倒まで見る義理はないと言い放ち、最低限度の文化的な生活を維持するのに必要なコストを、すべて国におっかぶせようとしている。
まさに、国や国民にたかろうとするシロアリだ。

この論者は、“企業は徹底した競争を、国は手厚いセーフティネットを”などとキチガイじみた主張をしているが、企業には徹底した人件費やコスト削減を奨励し、それを国や国民にツケ回しするなど以ての外だ。

一端の企業家たる者、自らの才覚とアイディアを以ってこの苦境を脱するための知恵を絞るべきだろう。
ましてや、バイトに付加価値向上を求めるようなレベルの企業経営者は、いますぐ経営から身を引くべきだ。

企業の究極の存在意義は、そこで働く従業員の人件費を稼ぐことにあり、その給与水準は企業価値に等しい。つまり、給与が高い企業=企業価値の高い企業なのだ。

社員、バイトに係らず、全ての従業員はボランティアや趣味で働いている訳ではない。
社員が無能な経営者に文句も言わずに黙々と働くのは、企業の業績を上げ、自らの給与も上げて生活を豊かにしたいからに他ならない。
それが叶わないのは、大抵の場合、その企業の収益構造に原因がある。
つまり、収益メソッド立案の責任者であるはずの経営者が時代遅れで無能だからとしか言えない。

企業経営者の責任はそれだけ重いのであり、だからこそ絶大な権限と高額の報酬を得ているのだ。
それを忘れたバカな経営者が、社員やバイトに甘え神輿に乗って楽をしようとするから経営が傾くのだが、神輿の上で居眠りをしている当の本人にはそれが解からないものだ。

2015年4月 5日 (日)

誤った議論は事態を1ミリたりとも前進させることはできない

今月4日で、日銀による異次元金融緩和政策の実行から丸2年が経過することを受けて、筆者が(仕方なく)購読している地元紙に、異次元緩和に対する二人の論者の意見が掲載されていた。

一人目の論者は、早大政治経済学術院教授の若田部氏で、金融緩和政策推進の立場から発言し、もう一方は、キャノングローバル戦略研究所(いかにも安っぽい名前なのだが…)特別顧問で元日銀審議委員の須田氏が、金融緩和政策に対して慎重な意見を述べている。

若田部氏はリフレ派の代表的な論者の一人として、当然、異次元緩和政策の効果を最大限に評価し、次のような意見を述べている。
・金融緩和の結果、国民生活にとって重要な就業率が上がり、失業率は下がった
・昨春の消費税増税による悪影響を考慮して、日銀は追加緩和をもっと早く実施すべきだった
・円安の影響は業種により異なるが、全体として実質GDPを押し上げている
・中央銀行が国債を買うことは財政ファイナンスに当たるが、禁じ手ではなく、有効な政策だと理解すべき
・財政ファイナンスの副作用としてインフレが進み過ぎるのを抑制するためには、日銀法改正により法的根拠のあるインフレ目標を設定し、それに政府と日銀がコミットすればよい
・2015年度中に物価上昇率2%を達成するのは難しいが、2016年度中ごろに2%に近づく可能性は大きい。いずれにしても、日銀はコミットメント達成が遅れることに対する説明責任を果たすべき
・今はまだデフレ脱却の入り口に入ったばかりで、且つ2017年には消費税再増税を控えており、出口戦略の議論は時期尚早だ

これに対して、須田氏は、構造改革派兼財政再建論者の立場から、次のように異次元緩和に否定的な意見を述べている。
・この2年間で円安株高が進んだのは事実だが、この流れは黒田バズーカ以前の2012年秋ごろから始まっており、日銀の異次元緩和の手柄というより、政権交代への期待感など様々な要因の結果だ
・異次元緩和政策1年目は、円安で輸入物価が上がり物価高を達成したが、2年目になっても実体経済へのプラス効果は確認できない
・消費者物価は、消費税増税の影響を除くとほぼ横ばいだ
・物価が伸びないのは、労働生産性の低下による経済成長への期待値が下がる経済環境下で、消費や企業が将来不安から守りの姿勢を強めていることにある
・消費者や企業の不安を打開するには、規制緩和と構造改革、財政再建計画が必要だ
・将来への不確実性が高いからこそ、金融政策は地道な漸進主義であるべき
・異次元緩和により、日銀の買入れ資産の対GDP比はアメリカの2倍以上に増え出口戦略が見通せない状況にあり、しっかりとした財政健全計画がないと、この先国債の買い手を見つけるのが難しくなる

先ず、この不毛な議論が、現在、日本の経済論壇におけるメインストリームを占めていることにがっかりさせられる。

両者の異次元緩和に対する見方は真逆で、片や、実体経済に具現化した数少ない好指標を全て金融緩和の手柄にしようとし、もう一方は、“構造改革・規制緩和・財政健全化の三本柱”が重要で、金融緩和政策みたいに国民を甘やかすような経済政策は控えるべきだと主張している。(両者が同意できるのは、円安株高という事実確認の部分だけだろう)

若田部氏の意見は、伝統的なリフレ派の主張を踏襲するだけで何の新鮮味もない。
財政ファイナンスの有効性を主張する部分のみは評価できるが、それが真の効果を発揮するのに必要な財政政策に関する言及は一切ない。

本来なら、景気を加熱するための主力装置として財政政策を用い、その過程で「加熱」が「過熱」とならぬよう抑制するのが、金融政策の主たる役割であるはずだ。
だが、若田部氏は、財政政策と金融政策の役割をすり替えたまま財政ファイナンスの効果を語り、どう考えても、不十分ながらも第二の矢の影響としか思えない就業率や失業率の改善という結果も自分たちの手柄にすり替えようとしている。

また、若田部氏は、異次元緩和が演出した円安効果により実質GDPが押し上げられたと主張するが、2014年の実質GDPはマイナス成長が確実視されており、何の説得力もない。

彼らリフレ派にとって大切なのは、あくまで“日銀法の改正とインフレ目標の設定という形式”であり、実体経済を活性化させ、国内企業の業績や国民生活を向上させるという“実質”には興味を持てないようだ。

どこぞのプライベートジムと違い、異次元緩和を声高に主張するだけで、「結果にコミットしない」リフレ派の主張が、国民に受け容れられることはあるまい。
金融緩和による過度な円安や過激な投機行動による物価上昇に対する批判が高まり、遠からず出口戦略を模索せざるを得ない時期が訪れるだろう。

もう一方の須田氏の主張は論評に値しない。

典型的な構造改革かぶれの財政再建論者の意見そのもので、口を開けば構造改革や規制緩和、財政再建しか言えない飲み屋のオッサンレベルでしかない。
このレベルのバカは、経済成長を忘れ、全ての経済政策の目的を財政再建に収斂させようとし、改革すれば世の中が良くなると単純に信じ込みがちだ。

また、須田氏は、異次元緩和が実体経済に好影響を与えていないと述べているが、そもそも実体経済の何たるかを理解できていないのではないか。

実体経済とは、モノやサービスの供給とそれに対する需要が、貨幣という媒体を介して複雑怪奇に交差し合う世界である。
その世界で最も重要なのは、需要と供給の媒介役となる貨幣(所得となるマネー)の量とスピード、媒介という行為に関わる家計や企業の数の多さである。
これらが多ければ多いほど、マクロ経済は膨張し続けることができ、そこに暮らす国民や企業の生活や業績を安定化させることができる。

須田氏をはじめとする構造改革兼財政再建論者は、この貨幣の流れを鈍化させ、縮小しようというのだから正気の沙汰とは思えない。
経済成長を諦めるのに止まらず、経済そのものの破壊につながる危険な発想である。

物価が伸びないのは労働生産性の低下云々のせいではなく、単に国民や企業の所得や売り上げが伸びず、財布にお金が入っていないからに過ぎない。
自分の財布にお金が満たされ、明日もお金が入ってくると思えば、誰しも気前よくモノやサービスを買おうとするものだ。
それができない要因を、構造改革が足りないとか、規制緩和が不足のせいだ、などとトンチンカンな方向に捻じ曲げて論議するから、事態が一向に改善されないのだ。

今回の両者の議論は、その論点が国民所得の伸びではなく、「物価の動き」に重きを置いていることが、そもそも間違っている。
結果や目的ではなく、そこに至る過程や手段を巡って、どうでもよい小競り合いをしても何の生産性もない。

真に重要なのは、2%という無機質な物価水準の達成ではなく、日銀首脳陣のメンツでもないはずだ。
中味のないヒマな議論に興じるのではなく、経済成長による国民生活の向上という真の目的の達成にコミットするための議論こそすべきだろう。


*4月5日(日)に「進撃の庶民」にコラムが掲載されます。
他の執筆者の方のコラムと併せて、ぜひご覧ください。
http://ameblo.jp/shingekinosyomin/

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