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2015年8月

2015年8月25日 (火)

経済政策の目的は、国民生活を向上させること

8月24日に起こった中国発の世界同時株安により、東証株価は一時的に1,000円を超す下落に見舞われ、この原稿を書いている25日午前中の時点でも、前日のNYダウ下落の影響もあり続落の状態だ。
マスコミ各社は、マーケットを襲った大激震を大きく報じ、誌面には「世界同時株安」、「止まらぬ株安連鎖」等といった文字が躍っている。

今回の世界的な株安の報道を受けて、いまさら中国バブルの崩壊に驚く面々もいるようだが、中国の経済指標の如何わしさについては、かなり以前から、多くの識者によりGDP指標の水増しが指摘されていた。
また、数年前から、中国国内では、肝心の供給サイドがアンコントローラブル状態に陥っており、中国だけで、欧州全体の鉄鋼生産能力一年分を軽く上回るほど膨大な量の生産在庫を抱えるなど、もはや、産業とか事業の態を成していない。

需要サイドの無駄を揶揄する言葉が「穴を掘って埋める」だとすれば、中国の供給サイドの無様な有様は「鉄やマンションを造って捨てる」といったところか。

もしも、直近まで、中国経済が張子の虎だと気付かずに、成長市場だと本気で信じていた者がいるとしたら、早急に顔を洗って出直した方がよい。

さて、今回の株安を受けて、(筆者が仕方なく取っている)新聞に、とある外資系証券会社のチーフ・マーケット・ストラテジスト(名称が長過ぎ…)のコメントが載っていた。

コメントの内容は、今回の株価急落は楽観的見通しに基づいていた株価水準の修正だとしたうえで、中国経済の実態はかなり悪化しており、米国の成長力も落ちていると指摘している。
そして、「今後必要なのは(国内の)人口減対策や社会保障制度の持続性確保など、構造改革で日本経済への信認を高める政策だ」と結んでいる。

この手の“たこつぼエコノミスト”の言うことは、寝ても覚めても“構造改革(と規制緩和と財政再建)”の一点張りだ。
雨が降っても構造改革、雪が降っても構造改革、と年柄年中、改革を叫ぶしか能がない。

今回の世界的な株安の背景には、どうみても、中国をはじめとする新興諸国や欧米諸国の先行きに対する不安、つまりそういった国々の需要力に対する不信感から生じたものである。
つまり、成長著しいと言われて久しい新興諸国や途上国だけでなく、景気回復が伝えられていた欧米諸国も含めて、世界規模での需要力が予想以上に低下しているのを見越した動きだと言ってよい。

そんな時に、国内の需要力向上にほとんど関係のない社会保障制度の改革や人口減対策という名の女性等の労働市場進出を後押ししたところで、株価は上がるはずがない。

女性や高齢者の労働市場への進出は、供給力を無駄に増やすだけで、ただでさえアンバランス状態にある実体経済の需給バランスを更に大きく損ない、労働条件や雇用条件の悪化を招くだけだ。
また、社会保障制度の改革と言えば聞こえは良いが、その実は、年金受給条件の改悪や医療保険負担の引上げに他ならず、国民負担は間違いなく増加し、消費者の財布の紐は、より一層固くなるだけだろう。

そもそも、人口減対策や社会保障制度の持続性確保に疑義を抱いて株を売る変わり者なんて、この世に存在しないだろう。

それから、いまさら“日本経済への信認云々”というのもおかしな話だ。
というのも、株価の急落を経て、日本経済どころか「日本そのもの」に対する信認は、既に上昇済みなのだから…

日本国債10年ものの利回りは、昨日時点で0.35%とここ1年余りのピーク比で0.2ポイント以上低下し、徐々に最低水準に近づいている。(GDPの倍以上の“借金”にもビクともしない)
また、恒例の「有事の円買い」により、円相場も118~119円と直近ピーク比で6円近くも上昇している。
周回遅れ気味の似非エコノミストにとやかく言われるまでもなく、日本経済は既に世界的な信認を獲得しており、何の心配もない。(自身の下らぬコメントに対する信認をこそ気にすべきだろう)

政界では、こうした一連の株価急落の動きを見て、政府に対する補正予算の要求が高まりつつあり、筆者としても少なくとも15兆円以上の支出、それも、できるだけ消費を直接且つ長期間刺激し続けられる施策を望みたい。

だが、補正予算組成の起点は、あくまで低迷する需要力の下支えとすべきであり、決して株価対策であってはならない。
株価の動向に一喜一憂して経済政策を決めるなど愚の骨頂である。
GDPや国民所得を直接的に刺激することのない株価のようなどうでもよい指標を、経済政策の重要指標に位置付けてはならない。

重要なのは、国富である国内の供給力(技術力・生産力・サービス提供力等)の維持向上であり、そのために必要十分な量の資金(供給力の養分となる需要力)を、インフレ率とのバランスを睨みつつ、実体経済に供給し続けることだ。

一日も早く、日本経済を持続的な成長軌道に乗せるとともに、中小企業や家計に対する適切な所得配分を行えるよう、要らぬ改革や規制緩和を正し、累進性の緩んだ税制を元に戻して中下位層への富の分配を急ぐべきだ。

国家の経済政策は、国民生活の向上を図るために行うべきであり、株価急落の尻拭いをするためにやるものではない。

2015年8月21日 (金)

予算の逐次投入という愚策

「内閣府が十七日発表した2015年4~6月期の国内総生産(GDP、季節調整値)の速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比0.4%減、この成長が一年続くと仮定した年率換算で1.6%減となり、三・四半期(9カ月)ぶりにマイナス成長に転じた。GDPの約六割を占める個人消費が冷え込んだことや、輸出が振るわなかったことが響いた。」(中日新聞記事より)

既に報じられたとおり、今年4—6月のGDPは、名目ベースでは年換算0.1%増とかろうじてプラス成長を維持したものの、実質ベースでは再びマイナスに落ち込んでしまった。
マイナス成長になって要因は、円安や世界的な原料高による食料品や生活物資の急激な値上がりの影響による個人消費の不振、公共事業の頭打ちによる地域経済の減退感、中国経済をはじめとする世界規模での景気減速による輸出の不振等にあると言ってよいだろう。

今年1-3月期のGDPが、実力以上に高い成長率を示した(実態は在庫変動による嵩上げに過ぎないが…)ため、“アベノミクスの成果が消費税増税を乗り越えた”とはしゃぐ愚か者が多数出現した。
大企業を中心に春闘相場が多少上向いたとはいえ、総じて民間給与の伸びは、電力料金や生活必需品の高騰に比べてあまりに小さ過ぎ、到底、消費マインドが過熱するような情勢ではなかったが、どうしてもアベノミクスのサクセスストーリーを演出したい一部の馬鹿者は、“日本経済は踊り場を脱し、成長に向けて力強く歩み始めた”などと、必死に幻想を振りまいていた。

だが、そうしたぬか喜びをあざ笑うかのごとく、経済の不調を示す客観的なデータが出た以上、“経済系安倍信者”の連中(=金融緩和万能論(偏重論)の教徒達)も、襟を正して、経済成長に向けた対策がどうあるべきか、真剣に検討すべきだろう。

さて、今回のGDPマイナス成長のニュースを受けて、補正予算を中心とする経済対策を求める声が沸き上がっているが、政府や与党議員の態度は煮え切らない。
甘利大臣「この時点で直ちに補正予算のような経済対策をということまでは想定しておりません」
谷垣幹事長「ただ、補正予算編成については、そこまで煮詰めて考えているわけではない」
と、僅か2~3兆円の補正予算さえ出し渋ろうとする有り様だ。

7月以降も個人消費や輸出の不調や停滞は続いており、7-9月期のGDPも、恐らく、冴えない数値が出る見込みが高く、政府与党も、結局は補正予算を組まざるを得ないだろうが、こういった経済対策は、外野から急かされて渋々やっても大した効果を生まないものだ。

年度後半に差し掛かる時期でもあり、事業者としては一日でも早い予算執行が望まれるし、そもそも、政府与党が補正予算に積極的ではないという姿勢を露呈してしまうと、民間の経済主体(企業や家計)は、経済成長に対する政府与党の本気度が疑わしいことを敏感に感じ取り、消費や投資に心理的なブレーキが掛かってしまうものだ。

企業や家計にはズルいところがあり、日ごろは“民間主導”とか“政府主導の公共事業は時代遅れ”などと偉そうに語るくせに、政府の経済政策を虎視眈々と注視している。
東日本大震災の発生時や安倍政権発足時に大型の補正予算が組まれるや否や、“公共工事は税金のムダ遣い”という持論をかなぐり捨てて、一斉に予算や利権に群がっていた様を見れば、彼らの消費や投資動向が、経済政策に対する政府のコミットメントの強弱に大きく影響されていることが窺える。

筆者も、今回のGDPマイナス成長の報を受けて、少なくとも15兆円くらいの規模の補正予算を組み、特に、個人消費や地域経済の梃入れに全力を注ぐべきだと考える。

不況期に重要なのは、「予算の質ではなく量」である。
国民の多くは、バラマキだの税金の無駄遣いだの、国の借金が増えるだのと文句を言うだろうが、何のことはない、自分の財布にお金が入りさえすれば、いとも容易く前言を撤回し、喜んでお金を使おうとするものだ。
リフレ派が大好きな減税でも良いし、生活保護費の充実でも良い。はたまた、筆者の持論でもある社会保険料の国庫負担引き上げや公共事業の強化でも良い。
国民が必要とする事業に対して、遍く広く予算をバラ撒くべきだ。

一方で、筆者は、昨今の補正予算頼みの予算編成、つまり、当初予算を低く抑えて必要に応じ補正予算を小出しに打つやり方に強い違和感を覚えている。

ここ10年間の国家予算は、国債費を除く政策経費ベースで、H17の67兆円(当初予算63.7兆円+補正予算3.3兆円)からH26には76.5兆円(当初予算72.6兆円+補正予算3.9兆円)に増えてはいるが、年間に均すとたったの1.3%くらいの伸びでしかない。
しかも、その大半は、高齢化による社会保障費の増加(およそ10兆円の増加)、いわば義務的な色彩の強い経費の増加によるもので、政策的意図を以って積極的に予算配分した結果とは言えない。

こうした傾向は、H13頃に始まった小泉バカ政権による緊縮的財政運営の残滓とも言え、ここ15年間というもの、時の政権は、緊縮気味の財政運営を旨とし、景気悪化の兆候が出てくる都度、小出しに補正予算を打って対応するという弥縫策に終始してきた。
しかし、この間のGDPは低迷を続け、我が国は、「世界でたった一つの未成長国」という恥ずべき結果に陥り、財政均衡論者や構造改革主義者のストップ・アンド・ゴー的な経済運営が全くの誤りであったことはすでに明白であろう。

H17~H25までの間、サラリーマンの平均年収は437万円から414万円に落ち込み、民間の給与総額は201兆円から200兆円と(伸長するのが当然なのに)全く伸びていない。
また、同期間の法人営業収入は1455兆円から1493兆円と伸びてはいるが、それも9年間もかけてたったの2.6%程度の伸びでしかない。

こうした惨憺たる状況下で、民間の経済主体に積極的な消費や投資を求める方が無理というもので、どう考えても、最後で最強のプレイヤーたる政府が公的支出を拡大させて、実体経済で活動する民間の経済主体に資金(「借りる」カネではなく、「使える」カネ)を供給し、それを原資として経済活動を刺激し続けるしか手はないだろう。
政府は、頼りにならない民間の顔色を窺ってばかりではなく、経済成長を具現化するために自ら積極的かつ主体的に行動すべきだ。

誤った緊縮思考に基づく消極的な予算編成では、到底、この難局を乗り切ることはできない。
必要最小限の当初予算を先行させ、景気動向に赤ランプが灯ってから、チマチマと補正予算を組んでいるようでは、民間の経済主体に経済成長期待を抱かせることはできない。

口では偉そうなことを言っても、所詮、民間企業や家計の多くは、国の経済政策にタダ乗りするしか能がない、言い方を変えると、国の経済政策が創り出すマクロ経済環境に身を委ねるしかないのだから、政府が先頭に立ってリードする気概を見せるべきだ。

本来なら、GDPにしろ、国民の所得にしろ、右肩上がりで成長したり増えたりするのが「当たり前」であり、日本のように経済成長が止まっている国は異常と言うしかない。
無論、経済成長を続けるには、生産能力や供給能力のレベルアップが欠かせないが、そちらの方面においても我が国は他国を十分に凌駕する能力を既に備えている。

足りないのは、そういった供給力を活かせるだけの「需要力」だけなのだ。
単に、民間の経済主体に「消費や投資に使えるカネ」が足りないだけに過ぎない。
政府は、少なくとも、当初予算ベースで対前年比7~8%増くらいの強気の予算編成をし、経済成長に明確にコミットする姿勢を強く打ち出すべきだろう。

2015年8月11日 (火)

"財源=税収"という因循から脱却すべき

先日、とある企業の経営者と話す機会があった。
彼は、原発停止に伴う電力料金の値上げや最近の原材料のコスト高にご不満なようで、「これだけ中小企業が苦労しているのに、政治家や役人はムダ遣いばかりで腹が立つよ。これから人口が減るのに、公共事業なんて、もう要らないだろっ!! 俺たちの血税をなんだと思ってるんだ」と愚痴をこぼして帰って行った。

筆者も職業柄、企業経営者と話す機会が多いが、たいして儲かっていない企業の経営者ほど、『血税』という仰々しい言葉を使いたがるから不思議なものだ。(因みに、冒頭の企業も赤字企業で、ここ数年法人税を納税していない)

『血税』とは、“本来は兵役を意味した。現代では、徴兵制度がなくなったことで本来の意味も忘れられ、血税の「血」は「国民の労力」といった意味で使われるようになった(はてなキーワードより)”という意味だそうで、マスコミの連中が、「私たちの血税をムダ遣いして、云々…」と政府の財政政策を非難したり、攻撃したりする際に多用される便利な言葉である。

納税(税金)は、教育・勤労と並ぶ三大義務として憲法に規定されているせいか、日本人には、これをやたらと神聖視する風潮が強い。
一般的に、税金は、国家運営を支える主要な財源であると認識され、あたかも家計にとっての収入、あるいは、企業にとっての売上に擬して語られることが多い。
先の“血税”というオーバーな表現も、こうした旧来の風潮と無縁ではないだろう。

だが、筆者は、こうした国家財政における“税金主権”的な考え方を是とはしない。
そもそも、税金と云う制度は、社会的な格差是正や富の再分配のために、国民や企業による労働や生産・消費という行為を通じて生み出された付加価値の一部を国庫に還流させるよう便宜的に設けた制度に過ぎないと理解している。

世の中には、何処かの自動車メーカーのように、大した業績も上げていないのに、自分は社長室に閉じこもり、部下には改革ごっこや下請けイジメを押し付けるだけで、法外な報酬を得ているトンデモナイ経営者がいるものだ。
そうした実力以上の対価を貪る経営者と労働者との間に生じた非合理的な不公正を是正するためにこそ、“税”という制度の存在意義があるのだと思う。

端的に言えば、税という制度の主目的は、社会的不公正を是正するための再分配(関税等も、著しく競争条件の異なる諸外国との不公正を是正し、国内産業の保護育成を図るための制度との理解)であり、国家財政を支える財源としての役割は、あくまで副次的なものだと捉えている。

一般の国民は、何の疑問も抱くことなく、税こそが国家財政の根源であり、唯一の原資だと思い込んでいる。
税金原理主義を信仰する人々は、単純に国家と家計を同一概念で括り、「税収=正規の収入」だから国家財政はその範囲内で賄うのが当然だと信じて疑わない。

この手合いは、国債みたいな借金に安易に頼るのは邪道で、あらゆるムダを削り国債の発行を限りなくゼロに近づけるべきだと本気で考えているから驚かされる。
ましてや、政府紙幣の発行(そもそも存在すら知られていないが…)なんて口にしたら、そんな如何わしいものは偽札造りに等しい大罪だと言われかねない。

だが、僅か50兆円そこそこでしかない税収の範囲で国家財政を運営したとしたら、公務員の給料すらまともに払えず、行政機能はたちまちストップしてしまうことくらい想像できるだろう。
実際、江戸時代には年貢不足を藩札の発行や貨幣改鋳で賄い、近代化以降も現代に至るまで国債発行が止むことはなかった。

だが、過去の藩札や国債の発行は、税収不足に端を発する弥縫策や補てん策的な色彩があまりにも強かったため、追い込まれてやむに已まれず借金せざるを得なかったと理解され、その行為全体にマイナスイメージが付きまとってしまった。
もしも、幕府や政府が、マクロ経済における貨幣の役割を理解して、インフラ整備を国家の発展や国民の生活機能向上に資する前向きな事業と位置付け、その原資として積極的に藩札や国債の発行を活用していれば、そうした負のイメージを払拭できていたはずだ。

旧来から、日本人は、税を神聖視しながらも、それはあくまで建前上のことで、行政機能を円滑に運営するには、それだけでは到底足りないことを認識し、税以外の収入で財政資金を調達することを容認してきたと思う。
何だかんだと言いながらも、日本人は、税収の範囲内で経済をぐるぐる回すだけでは、国家の経済発展もなく、庶民の生活が向上しないことを直感的に見抜いていたのだろう。

バブル崩壊以降に生じた長期のデフレ不況により、我が国の経済は停滞し、世界でたったひとつの「非成長国」に成り下がってしまった。
かような情けない事態を招いたのは、公共事業のムダ遣いのせいではなく、ましてや、日銀の陰謀によるものでもなかろう。
単に、政治家ばかりか国民全体が集団ヒステリー状態に陥り、経済発展よりも財政再建を優先させ、緊縮的且つ消極的な財政支出に固執した結果、実体経済の消費や投資がシュリンクしたせいに他ならない。

そこで、今後の国家財政の在り方について、筆者は以下のように提案したい。
①現在の歳出費目(社会保障費、地方交付税交付金、公共事業費、文教・科学振興費、防衛費、国債費等)を見直し、再分配的性格の強い費目と経済成長的性格の強い費目に仕分けしたうえで、それぞれの財源も分別すべき。
②税収は、あくまで再分配的性格の強い費目の財源に充てるに止め、経済成長的性格の強い費目には、国債や政府紙幣の発行を財源として充てて、税収の多寡に左右されないシステムを構築すべき。
③国家予算の査定権限を官僚(財務省)から取り上げ、国民の代表たる政治家主導で行うべき。(行政は予算の執行に専念、財務省は解体し歳入庁へ格下げ)

現在の歳出形態には次のような課題があり、是正すべきだと考えている。
・歳出規模全体が税収の多寡に左右されるため、“不況→税収減→歳出減→更なる不況”という不況のスパイラルを招きやすい
・あらゆる予算の財源に“税金”が紛れ込んでいるため、「私たちの血税が云々」というレベルの低い税金原理主義者の声を無視しづらい
・税収により歳出規模にキャップが嵌められるため、官僚のパワーが、予算の分捕り合戦や省益の衝突といった非生産的な行為に割かれがちになる
・“国債=借金”という負のイメージが先行し、ムダの抑制や財政再建が優先され、財政支出を経済成長の手段や糧として積極的に活用する発想が生まれない
・インフラ整備や科学技術の振興等といった国富を生み出す事業に必要な財源を継続的に確保するのが難しい
・単年度決算故に長期的展望に立った施策が実行できない
・予算編成に当たり、緊縮思考に染まり切った財務省の査定を受けるため、事業効果よりも事業費の総額抑制が重視される

税金は、“社会的な格差是正や富の再分配のための浄財”という役割に止め、その徴収も必要最小限(無論、消費税も廃止)とし、それを国家財政運営のための主要な財源とするような旧来の発想とは決別すべきだろう。

税収の使い道は、国民が社会生活を営むに当たり享受できる環境や競争条件をフラット化することが必要な分野、例えば、福祉・医療・教育といった分野に絞り込むのが適当だと考える。

一方で、地方交付税交付金、公共事業費、科学振興費、防衛費といったマクロの経済環境の構築、国富の源泉となる社会資本の整備や技術力の向上、国土や国民の生命・財産の保全等といった分野は、税収の変動に左右されるべきではなく、国家が裁量を存分に発揮でき、必要な額をいつでも用意できるようなシステムを構築すべきである。

つまり、国民の生活や経済活動の基盤として常に増強や維持更新が求められるインフラ整備や防衛機能、国富そのものと言える技術力やサービスの供給力を創出する科学技術の振興等といった重要な分野については、不勉強なマスコミや国民から浴びせられる“私たちの税金云々”という雑音に妨害されることなく、より裁量的且つ自由度の高い財源を確保しておく必要がある。
そのためには、財源から税収を切り離し、国債や政府紙幣の発行を主とする体系に切り替えるべきだ。

日本の国家財政が税収のみで維持できないことは、誰の目にも明らかであり、また、そうする必要など微塵もない。
だが、税収に主眼を置いた財政運営に固執する限り、国家全体が、永遠に終わることのない財政再建運動に付き合わされ、成長のきっかけを失い続けるだろう。

税金が国家財政を賄う主役の座から降りるべき時が来たのだ。

経済成長に向けて歩み出そうとする意志があるのなら、歳出や財政政策の財源に関する発想を転換して、税で賄う分野と国債や通貨発行で賄う分野を色分けし、税というアンカーに縛られない積極的な財政運営を目指すべきである。

【告知】

今週土曜日に、筆者も参加している「進撃の庶民」というサイトで、第7回目の討論会が開始される予定です。
ご興味のある方は、ぜひ、下記のサイトをご参照いただき、奮ってご参加ください。
(http://ameblo.jp/shingekinosyomin/)

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