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2015年10月

2015年10月22日 (木)

「強い経済=非正規化、共稼ぎ、移民促進、地方イジメ」という妄言

10月16日に第16回経済財政諮問会議が開催され、提出された資料が内閣府のHPで公開されている。

この会議や産業競争力会議には、常識や良識が疑われる“有識者”から、様々な提言(というより妄言)が盛り込まれた資料が提出されているが、今回は、伊藤 元重、 榊原 定征、高橋 進、新浪 剛史からなる有識者議員から提出された「アベノミクスの第二ステージに向けて」という資料(ペーパー)を採り上げてみたい。

新自由主義の先頭をひた走る4人の民間議員からの提出資料と聞いただけで、おおよその中身が知れようというものだが、案の定、のっけから、「 「強い経済」、「子育て支援」、「社会保障」を新三本の矢とするアベノミクス第二ステージにおいて、経済財政諮問会議は、引き続き、経済と財政、社会保障の相互依存関係を踏まえた基本戦略の司令塔として、改革を大胆に推進すべき」と改革万能砲をぶっ放している。

さらに、
・デフレに後戻りさせないためには民需主導の好循環を確立することが重要 ・日本経済の供給サイドを強化すれば、潜在的な消費や投資が喚起され、需要面も含めた経済構造が強化される
・官民双方が資源配分や所得分配を大胆に見直し人々の活躍を妨げている障壁をなくしていく
などといった趣旨の発言が続く。

要するに、(これまで失敗ばかりを重ねてきた)“構造改革+サプライサイド強化+規制緩和”が日本経済を救う唯一の方法だと言いたいのだろう。

以下、彼らの作ったペーパーのうち、主に、『1.強い経済の実現に向けて』の部分に記された課題とその解決に向けた提言の概要の一部を示し、個別に批評を加えたい。

(課題1)
全体として賃金・所得環境が改善している中で、依然デフレマインドが払拭されておらず、消費の改善テンポが遅い。

(提言1)
・多様な働き方の実現を通じて、家計収入を押し上げるとともに、規制改革や公的サービスの産業化を通じて、健康長寿や介護・子育てに関連する財・サービス等の潜在需要を顕在化し、消費拡大につなげるべき。


まず、「多様な働き方」というのが曲者で、非正規雇用や地域限定社員、夫婦の共稼ぎなどを想定していることは疑いようがなく、家計収入を押し上げるどころか、雇用の不安定化だけでなく、過度な女性の社会進出による労働市場の供給過剰をもたらすだけだろう。

「規制改革や公的サービスの産業化」による健康長寿や介護・子育ての潜在需要掘り起しについては、介護サービス従事者の外国人受入や保育分野の規制緩和等を指しているのだろうが、そんなものは、介護従事者や保育士の待遇の大幅な改善を図り、保育所増設に公的資金を注ぎ込めばたちまち解決可能な問題で、外国移民の受け入れ促進みたいに、論点を脇道に逸らすべきではない。


(課題2)
過去最高水準の企業収益にもかかわらず、設備投資の動きが鈍い。

(提言2)
・成長志向の法人税改革を早期に完了すべき。
・中小企業の競争力強化と価格転嫁の円滑化の観点から、親企業と下請企業間で相互にWIN・WIN関係を実現していく必要がある。
・活用されていない内部留保を、従業員の賃金や人的投資、将来利益の源泉となる投資、取引先を含めた経営力強化に振り向けて好循環拡大を図るべき。

彼らが提言の中で言いたいのは、法人税改革と銘打った法人税減税のみであり、残りの2つ(下請け企業への適切な利益配分、内部留保の分配)は、わざわざ、公的色彩の強い会議に持ち出すような真似をせずとも、民間企業、それも日本を代表する大企業の経営者たる自分たちが決断し速やかに実行すれば済むだけの問題に過ぎない。

決裁権限は自分たちが握っているのだから、つべこべ言わずに、下請けいじめを止め、労働分配率を引き上げてやればよいだけだ。


(課題3)
労働市場がタイトとなる中、「働きたい」若しくは「もっと働きたい」と希望する者が1千万人近く存在している。

(提言3)
・就労の希望が実現しない背景には、特に、女性・若者・高齢者の労働参加を阻む制度・慣行が存在している。
・働き方改革(女性等の就労継続・復職支援、正社員化への支援強化、子育てや介護のための不本意な離職の解消に向けた官民による取組、長時間労働の是正、配偶者控除・手当の見直し等)が必要だ。
・外国人材の積極的活用が必要だ。

正社員化の促進や長時間労働の是正を謳うのはよいが、それこそ、先ずは隗より始めよの例えのとおり、経営者たる自らが範を垂れ実行に移せばよいだけだ。

この程度の話は、経営者が本気になって意識変革をし、長時間労働の温床になっている社内事務手続き(根回し作業)の簡素化や労働法務の厳正化に取組めば、たちまち解決できる問題だろう。

悪意の不作為を移民解禁の話に摩り替えるなどもっての外で、そもそも、働く意欲のある日本人が1千万人近くいるのなら、外国人労働者を入れる必要などないはずだ。

また、“女性・若者・高齢者の労働参加を阻む制度・慣行”があるとしたら、それは、彼らが妄想しているような規制によるものではなく、「低賃金・長時間労働・異常なノルマ」という質の悪い慣行のせいだろう。

(課題4)
意欲ある地方を支援する。

(提言4)
・消費を押し上げている訪日外客によるインバウンド需要や地方の特産品輸出をさらに拡大できるよう、関連するインフラ整備を含め意欲ある地方を支援する。
・公的サービスの産業化、民間資金の導入。交通インフラ、上下水道等の分野にコンセッション等の多様な手法を通じて民間資金を導入すべき。

インバウンドをネタにインフラ整備をチラつかせたかと思えば、すかさずPFIで果実をかっさらい、公共事業に巣食おうとする寄生虫どもに分け与えようとするから要注意だ。

意欲の有無を餌に地方を恫喝したり、政府が地方を“支援してやる”といった上から目線の発想こそ周回遅れだろう。

そもそも、鼻をほじくっていても向こうから勝手にお金が集まってくる中央と違い、意欲を持っていない地方なんて存在しない。
全国各地から納税や消費というツールを介して中央に集められた資金を地方に適切に配分するのは、政府に課せられた当然の義務であり、政府が自分のカネを貧乏人に恵み与えるかのように勘違いすべきではない。

自らの権限をひけらかすかのように、“意欲の有無”みたいな屁理屈を持ち出して差別化しようとするのは、まことに卑しい行為だ。

自分の無能さを棚に上げて、他人を批判したり見下したりするしか能がないサプライサイダーの連中は、安い労働力を利用して作ったものを海外に売ることしか考えていない。
いわば、植民地経営的感覚の抜けない時代遅れの黒船主義者だと言ってよいだろう。

偉そうに他人に文句を言う前に、先ずは、自分たちの『意欲』を見せてみろと言っておきたい。

2015年10月16日 (金)

TPP幇間芸者の得意技は「追従・楽観・妄想」の三点セット

ここのところ、鉱工業生産指数や企業物価指数、街角景気調査などの経済指標が悪化し、政府による10月の月例経済報告でも景気の基調判断を下げざるを得なくなった。
この段になってようやく、政府内で年内の補正予算編成の方針がまとまったようだが、そのお題目は“TPP対策、それも農業対策が中心”だというから、呆れるよりほかない。

今回の補正予算がTPP対策になるのなら、それは、大筋合意内容を基にした国家における議論の前に、国内でのコンセンサスを取っておくためのアリバイ作りにするつもりだろう。

それを以って安倍首相は、国会で、「TPPが国内の農業に過度な影響を与えぬよう今年度の補正予算で万全の対策を取っております。さらに、成長するアジアの需要を取り込めるよう我が国の農業の競争力を高め、“内向きの農業から稼ぐ農業”へと変貌させるために今後も万全の対策を図っていく所存であります」とでも演説するつもりではないか。

こうした政府与党の動きを後押しするように、国内でもTPPを擁護する幇間芸者が跋扈している。
今回は、そんな幇間芸者の駄文を紹介し、批判を加えておきたい。

件の芸者さん(リフレ派特攻隊長&コミンテルン万能論者)の論説は次のとおり。
『TPP芸人の予言は全部外れた! 「支那包囲網」に揺らぐ習近平(http://ironna.jp/article/2168)』

彼の主張の要旨をまとめると次の3点になる。
①ISD条項を恐れるな
・日本が1989年に中国と締結した投資協定にもISD条項が含まれているが、大した影響はなかった。
②ラチェット条項にビビるな
・TPP大筋合意前なら、いくらでも交渉内容をひっくり返せる。乳製品の輸入枠を巡ってニュージーランドがちゃぶ台返しをしたのを見習え。
③「TPPで○○がなくなる」というのはウソ
・TPPをやっても国民皆保険はなくならないし、工業製品に掛けられる関税は即座に2割削減され、日本にもメリットはある。
・取引や貿易のルールが変わっても、事業モデルを変えて対処すればよい。

①のISD条項に関しては、米国との間で自由貿易協定を締結した国において、下記のような事例が既に生じている。
<メキシコの事例>
・甘味料を使った炭酸飲料への課税に対する米国企業の訴訟→メキシコ政府が敗訴(1.9億ドルの賠償)
・ゴミ埋め立て地設立の不許可処分に対する米国企業の訴訟→メキシコ政府が敗訴(1600万ドルの賠償)
<カナダの事例>
・タバコの箱への表示規制に対する米国企業の抗議→カナダ政府は規制を取り下げ
<アルゼンチンの事例>
・いい加減な運営をしていた水道会社への契約打ち切り措置に対して事業を受託している米国企業が訴訟→アルゼンチン政府が敗訴(1.6億ドルの賠償)
<ボリビアの事例>
・法外な水道料金の値上げに困惑した市民が水道の使用を止めたことに対して事業を受託している米国企業が抗議&訴訟→米国企業に有利な評決→後日、猛烈なデモに遭い止む無く訴訟取り下げ

のんきな幇間芸者は、日本国民や日本政府が、こうした身勝手な訴訟に晒されるリスクなど殆どあり得なず、“無理筋の要求が通ってしまったら却って自由貿易に支障をきたすだろう”から、そんなものに怯える必要はないと高を括るだけで、それを担保する具体的な根拠を何一つ述べていない。

強欲な米国企業にとって優先すべきは自社の権益であり、自由貿易の維持発展など二の次、三の次でしかない。
だいたい、自由貿易に支障をきたすから云々と行儀よく振る舞えるだけの常識が備わった企業なら、先に紹介したようにゴロツキ紛いの訴訟を起こすはずがなかろう。

次の②のラチェット条項のくだりについては、既にTPPの大筋合意が終了し、ちゃぶ台返しや交渉を漂流させる機会が失われていることを理解していないのではないか。
一旦決まった条項をひっくり返すことができない無謀な条項に苦しめられるのは、これから間違いなく顕在化するリスクである。

芸者さんが褒め称えたようなニュージーランドの我儘ぶりをこの先発揮できる機会はないし、そもそも、日本政府や交渉に関わった与党の連中は、屈辱的な片務条約に唯々諾々と従うばかりで、我が国の国益をゴリ押しして交渉相手国を激怒させるような気概なんてサラサラないのだから、ラチェット条項のような不可逆的な悪手を盛り込むのは、極めて危険な行為だろう。

最後に③のTPPを過度に恐れず前向きに対処しろとの論には、実業に携わったことのない素人の意見だと断じておきたい。

呆れるほど長引く不況のせいで、国内産業の99%以上を占める中小企業や需要面からそれを支える家計のフローとストックは疲弊の極致に達している。
いまだ病床から起き上がることのできない重篤患者といってもよい。
不況以前に鍛え上げた強靭な肉体の力により、辛うじて死線を越えずに済んでいると言えるだろう。

件の幇間芸者は、“ルールが変わったのなら、いち早く事業モデルをそれに適応させればよい。正解は分からないので、様々な挑戦を繰り返し、失敗しながら学べばいいだけだ”なんて安っぽいコンサルみたいなことを言っているが、ほとんどの中小企業では、ヒト・モノ・カネという経営資源に乏しく、商圏や商流を即座に変えられるわけではない。

挑戦を繰り返せるだけのヒトもカネも持っていないし、失敗しながら学べるような資金的な余裕など無いのが解らないのだろうか。
事業の失敗に高い授業料を支払えるのは、一部の大企業だけの話であり、巷の中小企業には通じない。

芸者さんの“日本の負けは決まったわけでもないし、勝ちも決まったわけではない。すべてはここからの努力次第なのだ”という勇ましいセリフに対しては、勝ち負けがフラットな状態からのスタートというのは、国レベルの経済交渉として落第だと教えておきたい。
自国の産業が普通の努力をしておれば、黙っていても勝ち抜きやすいルールをいかに相手に押しつかられるか、が経済交渉の決め手である。
スポーツで欧米諸国がよくやるルール改正を見て勉強しておくべきだ。

外交交渉や経済交渉は、きれいごとを言って自己満足する場ではない。
相手は辟易するくらい自国の国益を押し付け、いかに有利な条件を捥ぎ取れるかが勝負なのだ。
それくらい理解できないレベルの連中は、TPP交渉を賛美し、幇間芸者紛いのおべんちゃらを垂れ流している暇があるなら、もっと勉強しなおして来い、と言っておく。

デフレに関する勘違い(緊縮&改革編)

いつ終わるとも知れぬ不況に覆われた我が国だが、それを克服するには、
①不況の主因が実体経済における総需要不足にあること(金融市場のマネーの量は大した影響なし)
②総需要不足を解消するために、大規模かつ長期的な財政金融政策を実行し続け、家計や企業のフローとストックを改善すること
③実体経済に投じられた所得の外部への漏出や特定の階層への偏在を防ぐため、不要な構造改革や規制緩和を見直すこと
④②③により家計や企業に前向きな“インフレ期待”が生じさせ、消費や投資を活性化させ続けること 等といった手順が基本になるだろう。

前々回、前回とデフレに関するリフレ派やエセ分配信者の主張を取り上げ、そこに内在する根強い勘違いや過ちを指摘してきた。

リフレ派は、曲がりなりにも“リフレーション(通貨再膨張)”を名乗るだけあって、建前上はデフレを「否」とする立場で、金融緩和政策を主体(ほぼ100%と言ってもよいが…)とし、そこから派生する(はずの)インフレ期待や円安効果、資産効果によるデフレ克服を図ろうとしている。

彼らに足りないのは、どんな手段を用いても、一秒でも早く不況を克服しようとする強い意志と苦境に怯える庶民や中小企業に対する温かい眼差しである。
金融政策の優位性を脅かされまいと、デフレ克服に最も即効性のある財政政策、特に、公共事業を敵視し、実体経済へ直接的に資金が投入されるのを忌み嫌うようでは、不況克服に対する本気度を疑われても仕方があるまい。

もう一方のエセ分配信者は、リフレ派よりタチが悪い。

彼らは、口先では、庶民の生活を何とかしろ云々と叫んでいるが、その中身は、消費税の廃止や労働条件の改善という取って付けたような内容で、庶民の財布の中身を増やして、その生活力を劇的に向上させようとする意欲的な提案は皆無である。

それどころか、庶民にとって間違いなくプラスになるはずの経済成長や公共事業は信用できない、不要だ、と主張するありさまだ。

さらに、物価安は庶民の利益とばかりにデフレを是認したかと思えば、日本は供給力が多すぎるから削れと支離滅裂な主張を繰り返している。

彼らの頭の中は、自分が気に食わない論者に対する私怨を晴らそうとする情念で一杯になっており、デフレの是非を正確に論じる能力どころか、経済の本質を捉える力が決定的に不足している。


さて、前置きが長くなったが、今回は、こうしたリフレ派やエセ分配信者以上に、デフレ不況に無関心な連中のことを採り上げたい。

正確には、“デフレに無関心”というより、“経済そのものに無関心で、家計や企業会計の発想から国の借金や財政赤字、インフレを忌み嫌っている”と言うべきだろう。

一般的に、財政再建原理主義者とか構造改革&規制緩和主義者といった層がこれに該当するのだが、恐らく、国民の大半がこのカテゴリーに分類されるのではないか。

彼らは、経済の外部性の有無を無視して、自分の価値観や物差しでしか物事を捉えていない。
端的に言えば、“マクロ経済”という概念を持ち得ていない。

だからこそ、「借金や赤字=絶対悪」という固定観念に捕らわれ、「財政政策=借金と不正を増やすだけのムダ」、「金融政策=何のことか解らない」というレベルから抜け出せない。
そして、借金まみれの日本は破たんする、とか、人口が減る日本はこれ以上成長できない、と信じ込み、“もう成長はムリ、日本人は身の丈に合った生活をすべき”とトチ狂った主張をする。

彼らに言わせれば、“デフレの何が悪いのか、日本は世界一の借金王で、庶民の生活は苦しい、インフレなんてトンデモナイ”といったところだろう。
「デフレに関する勘違い」どころか、そもそも、デフレそのものを真剣に考える気がまったく無いのだ。

“政府や役人はムダ遣いばかりしている”と文句を垂れる新橋駅前のサラリーマン、“口を開けば私たちの税金云々”と目を吊り上げる意識高い系の主婦、“(自分たちの年金を削る気はさらさらないが)孫の代まで国の借金が残る”と要らぬ心配ばかりして新聞の読者欄に投稿する暇な高齢者等々、デフレ無関心層(=インフレ反対論者)はそこら中に溢れている。

この手合いは、現状に不満を漏らすことはあっても、それを改善しようとする意欲が足りない。
不況を克服するために財政赤字を膨らまさざるを得ないなら、前に進もうとするよりも、自分の不満を抑え込み我慢することを選択する、だから、いつまで経っても不況から抜け出す糸口すら掴めないし、増税や規制緩和を推進する連中にコロリと騙されるのだ。

デフレとか不況の克服に無関心な連中に、“そもそも論”を吹き込もうとしても時間の無駄だろう。
彼らは、何があっても不況の原因になんて興味を持とうとはしないし、赤字やインフレに対する嫌悪感を捨てようともしないだろうから、“現状への不満→赤字や借金への嫌悪→我慢→更なる不満の蓄積…”というデフレスパイラルにも似た生活レベルの縮小均衡から抜け出すことはできまい。

そこに待っているのは「身の丈に合った生活」どころか、年々レベルダウンする生活環境に身の丈を合わせ続けなければならない不毛な将来だけだろう。

2015年10月15日 (木)

デフレに関する勘違い(エセ分配信者編)

長引くデフレ不況の弊害により、実体経済が疲弊し中間層が破壊され、GDPが停滞を続けているが、不況の主因が「デフレを放置し続けたことによる総需要の不足」にあることをきちんと理解している者は非常に少ない。

日本が不況から抜け出せないのは、財政赤字や無駄な公共事業のせい、あるいは、金融緩和が足りないせい、構造改革や規制緩和が足りないせい、グローバル化に乗り遅れたせい、などとまったく見当違いな方向に八つ当たりするバカが圧倒的多数を占めている。

デフレによる総需要不足という当たり前の事実に向き合おうとしない限り、我が国が不況の底から抜け出す手立てを見出すことはできないのだが、上記のような旧来型の勘違いに加えて、最近では、デフレに関する新種かつ珍種の勘違いが出没するようになった。

新たに発見された珍種は、「庶民への分配派」を自称し、
・庶民への分配
・物価安の是認(=デフレの容認)
・多すぎる供給力の削減
を叫び、

それを実現する具体策として、
①消費税の廃止
②労働者の権利保護(バカンス推奨、残業禁止、ワークシェアリング)
を訴える。

だが、その一方で、GDPや経済成長に対しては、必ずしも庶民に行き渡るとは限らないと屁理屈を並べて頭ごなしに否定する奇妙な一面を持っている。

彼らは、当初、財政金融政策、特に公共事業の実施に強く反発する形で持論を展開し、ベーシックインカムや給付金による庶民の救済を口にしていたが、財源や乗数効果の側面から強く批判されると何の反論もできずに、たちまち論を撤回し、何食わぬ顔で、税と労働条件に鞍替えしてしまった。

また、本当に庶民の懐を温めるつもりなら、最も重要な収入自体を増やす方策が必要であり、ベーシックインカムや無税国家論まで踏み込むべき、と指摘されると、慌てて、中途半端な無税国家論に言及するありさまで、見苦しいことこの上ない。

肝心の「庶民への分配」も、お金が無理ならコメや野菜でも可、ただし、財源や手段、規模などは一切不明、といういい加減さで、こんなザルみたいな主張を展開しても、恐らく、当の“庶民”には何も伝わるまい。

庶民の生活が苦しいのだから物価安を歓迎すべきと主張し、デフレを容認するが、

・多くの庶民は消費者と労働者の二面性を持たざるを得ず、行き過ぎた物価安は、企業業績の悪化→庶民の収入減少→デフレ予想→消費の減退→実体経済の悪化という負のループを演出し、庶民生活の破壊を招くこと(※この程度の基本は、さすがに、前回のエントリーでも取り上げた世間知らずのリフレ派ブロガーでも理解しているようだが…
http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-12080548887.html)

・マクロ経済は、家計や企業、政府、海外等の経済主体が互いに複雑に連関しあい、収入と支出という行為を通じてお金が絶えず循環していること

などといった経済の基本を全く理解できていない。

まるで、自分の財布の中身しか見えていない小学生のような幼稚な発想に呆れるよりほかない。

さらに、物価安はOKとデフレを容認しておきながら、“デフレになるのは供給力が多いせいだ、供給力を削れ”とデフレに反対する、しかも、需要力をUPさせるのではなく、日本の強みであるはずの供給力を削るというバカげた主張をするから支離滅裂としか言いようがない。

供給力の削減は、雇用の場の縮小や勤労者収入の削減、技術力やサービス力の低下に直結する最悪の手段だ。
普通の庶民は、非正規雇用ばかりでまともな職がないことを嘆いているのに、ワークシェアリングという事実上の非正規化促進策を訴えるなど、バカとしか思えない。

供給力が多すぎるのではなく、高度に発達した供給力に見合うだけの需要力が足りない、すなわち家計や中小企業の実収入(売上・利益)が不足している、というのが正しい考え方であり、いやしくも庶民派を気取るつもりなら、それを増やす方法こそ提言すべきだろう。

だが、自称分配派の主張には、庶民の懐を温めようとする(=収入を増やす)本気度が決定的に欠けている。
年収が200万円とか300万円しかなく、カツカツの生活をせざるを得ない庶民の願いは、何よりも収入の増加だろうが、自称分配派はそれを善しとはしない。

ちなみに、総務省の「就業構造基本調査」における転職希望理由で多いのは男女ともに「収入が少ない」であり、リンクモンスター社の「離婚したくなる亭主の仕事調査」によると、不満で最も多かった理由は「給料が低い(78.7%)」だったそうで、庶民のニーズが収入UPにあることが解るだろう。

彼らは、こうした現実を顧みようとせず、消費税の廃止による年間10~20万円程度の実収入増は認めても、大規模な財政政策や公共事業による実体経済の活性化による雇用の増加や労働条件の改善、恐らく100万円単位での収入UPは絶対に認めない、という矛盾を垂れ流したままである。

また、彼らの主張する残業廃止や休暇取得の促進なども、財政政策や経済成長とは別次元の労働規制の問題であり、公共事業の実施とトレード・オフの関係で捉えること自体が間違っている。

自称分配派の主張の起点は、財政金融政策(特に公共事業)を主張する論者への怨恨にあり、その口から出てくる主張の数々は、私怨の対象者へのカウンター行動でしかない(この点はリフレ派もほぼ同様)から、主張の軸が直ぐにブレて、ちょっと反論されると持論を二転三転させる。

要するに、「庶民」とか「分配」という言葉を隠れ蓑に利用して、気に食わない論者の足を引っ張るだけの小人に過ぎない。

彼らは、デフレの意味を勘違いしている、と言う以前に、経済の基本的な仕組みや社会構造そのものを勘違いしている、といった方が正確かもしれない。

現実の日本経済はリセッション入りの様相を呈しているが、この後、エセ分配論が、どのような退化を遂げて行くのかを楽しみにしている。

2015年10月13日 (火)

デフレに関する勘違い(リフレ編)

ここ20年近くに亘り日本経済の足を大きく引っ張り続けたデフレ不況だが、これを解決するにはデフレの要因を正しく理解する必要があるだろう。
しかし、一般の国民は、インフレには馴染みがあるだろうが、デフレの意味や弊害をほとんど理解していない。
だからこそ、専門家や識者が、それらを正しく伝える必要があるのだが、未だに、いかがわしい情報や間違った知識を撒き散らす不届き者が多くいるのが実状だ。

今回は、とあるリフレ派ブロガーの妄言を採り上げ、修正を施しておきたいと思う。(http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-12083500384.html)

彼は、「デフレの原因の勘違い例」として、「技術革新が起こって物が安くなる」、「中国などから安いモノが日本に入ってきてデフレになっている」の2点を挙げている。
そのうえで、両者に共通するのは、いわゆる“個別価格と一般物価との勘違い” 、つまり、“Aという商品の価格が安くなっても、消費者は浮いたお金で他のBという商品を買えるから、Bの消費需要が増え、全体の消費需要は変わらないので、すべての品目の価格を加重平均した全体の物価には影響がない”という趣旨の主張を展開している。

リフレ派の連中は、この個別価格と一般物価の話が本当に大好きなようで、ブログや論文などあちこちで援用しているのを見かける。
だが、後述するように、この「個別価格&一般物価中立論」は、いわば“一億総江戸っ子化状態”を前提とする空想上の理論で、我が国のように、国民所得が振るわず、消費が低調な経済環境下では成立しないと言ってよいだろう。

さて、件のブロガーの話に戻るが、彼は、「技術革新が起こって物が安くなる」論に関して、発売当初に極めて高額な製品であった電卓を例に挙げ、技術の進歩に応じて製品価格が下がって(電卓の場合、50万円から100円に)も、それはデフレとは言えない、と断じている。
なぜなら、「消費者はその浮いたお金で、他のものを買えるようになっている。ですから、他のものの消費需要が増え」るからだ、というのが説明の趣旨だ。

まず、彼が例に挙げた“電卓”だが、シャープが他社に先駆けて1964年に市場投入した頃は、1台数十万円もしたため普及が進まず、製品化から10年目にようやく普及率が10%を超すという有様で、そもそも、ほとんど市場に出回っていない(=購入されていない)のだから、件のインチキ中立論の例に当て嵌めるのは不適当であろう。

次に、「中国などから安いモノが日本に入ってきてデフレになっている」論、いわゆる、輸入デフレ論の是非についても、リフレ派特有の勘違いをしているようだ。

えてしてリフレ派は、この輸入デフレ論に否定的である。
(彼らの理論的支柱の一人である黒田日銀総裁は、以前に「「人民元が安くなり過ぎれば、日本の輸出業者は利益が出せず、輸入した商品が極端に安ければ日本国内のデフレが悪化する」と輸入デフレ論を認める発言をしているのだが…)

彼らが輸入デフレ論を否定する論拠として、
・日本は他国に比べて輸入依存度(GDP、経済全体に占める輸入の割合)が低い
・日本よりも中国製品等の安価な海外製品の輸入割合の高い国がデフレになっていない
という点を挙げて説明している。

日本の輸入依存度が低いのはその通りである。ついでに、日本は輸出依存度も低いため、リフレ派が大好きな「マンデル・フレミング理論(通貨高による輸出減少懸念論)」も杞憂に過ぎないと指摘しておく。

だが、それは輸入デフレ論を否定する論拠とは言えない。
筆者の取引先企業でも、元請け企業から、中国製品との価格差を盾に強引な値下げ要求を受けた例は枚挙に暇がない。
グローバル化の美名の下に、あらゆる業種が国際競争に曝され、新興諸国のバカげた労働単価水準が、国内企業に対する都合のよい脅し文句に使われている。

こうした影響は、決して製造業だけに限らない。サービス業とて、事務処理工程を丸ごと海外企業に持って行かれた、なんていう例はいくらでもあるし、他社の製造拠点の海外流出に伴い、そこと取引していたサービス業の需要が減り、それが国内他社との価格競争に拍車を掛け業績不振や内需圧迫要因となる、といった2次的3次的被害も起こっている。

また、中小企業白書や商工団体の経済分析資料にも、安価な輸入品の流入に伴う価格競争により、中小企業・小規模事業者が大きな被害を受けた実態が数多く報告されており、輸入デフレが内需の縮小を誘引し、実体経済に大きな影響を与えていることが窺える。

「日本よりも中国製品等の安価な海外製品の輸入割合の高い国(輸入依存度の高い国)がデフレになっていない」という説明も支離滅裂だ。
そもそも、輸入依存度が高いということは、国内の生産力や供給力が脆弱であるという事実の裏返しであり、インフレへの耐性が弱い、つまり、デフレになりにくい、というだけのことである。

件のブロガーは、輸入依存度が高い国(香港やシンガポールなどの特殊な国を除く)として、マレーシア、ハンガリー、タイなどを挙げているが、独自の生産力や技術力を持たないインフレ懸念国ばかりで、そもそも、こんな国がデフレになろうはずがなく、輸入デフレ否定論の論拠として不適当だろう。

最後のまとめに、リフレ派の十八番である「個別価格&一般物価中立論」について、その誤りを指摘しておきたい。

人々が消費するに至るには、
①購入したいモノやサービスがあること
②購入しようとするモノやサービスの価格が適正な価格の範囲に収まっていること
③購入するだけの資金を保有していること(支払い能力があること)
④今後も安定した所得が見込めること
という条件整備が前提になると思う。(浪費癖のある人は②~④をすっ飛ばしてしまうが…)

ましてや、長引く不況に喘ぐ我が国の国民の多くは、所得の低迷に悩まされており(サラリーマンの平均年収はピーク時と比べて▲12%)、③④の条件が満たされていない。
しかも、昨今の生活物資の値上がりや実質値上げ(内容量減少など)により、②ですら満たされないケースも増えている。

かような経済環境下で、牛丼の値段が80円下がったから、余ったお金でガムでも買うか、なんていう呑気な者はそうそう居るものではない。
ディマンドプル型のインフレ経済下で、国民の所得が安定的に漸増状態にあり、フロー・ストックともに潤沢な状態にでもなれば、人々は、余ったお金を、先を争って消費しようとするだろう。

だが、現実は全く逆の状態であり、人々は、一円も無駄にすまいと吟味に吟味を重ねて消費しようとし、余ったお金は、たいがい、貯蓄に回るか、財布に退蔵したままになるだろう。

ニッセンが30~40歳代の女性を対象に行った調査(H24/6)では、全体の83%が節約に興味があり、半数以上が月に1万円以上節約したい、と回答している。

また、余ったお金の使い道に関して、住信SBIネット銀行が行った調査(H21/12)では、「貯蓄・投資」にまわすという回答が58.5%と最も多く、「住居費(ローン返済)」という回答も5.9%あった。
さらに、パドコーポレーションが行った調査(H20/6)でも、「貯金」という回答が77%(複数回答)と最も多かった。

かように貯蓄好き(というより、“必要に迫られて貯蓄せざるを得ない”と言った方が適切かもしれないが…)な日本人が、余ったお金をぱっぱと全部使ってしまうなんて、現実にはあり得ないのだが、リフレ派の連中は、「感度の高い経済人」をモデルに理論構築し、現実よりも持論を優先させようとするためか、こうした事実を受け容れようとせずに空理空論を撒き散らしている。

彼らの「個別価格&一般物価中立論」が、空想上の世界から脱して現実世界で認知されるようになるには、大規模かつ長期的な財政金融政策を実行して実体経済を刺激し、そこで生じる富の漏出を防ぐための資本移動や労働規制等の強化が不可欠になるだろう。

しかし、頑固かつ管中窺天な彼らが、それを理解できるようになる日が来ることはあるまい、と諦めている。

2015年10月10日 (土)

「自由貿易・競争・外需」を過度に持ち上げる前時代的思考

先日、日米など12カ国による環太平洋経済連携協定(TPP)交渉が大筋合意したと報道されたが、安保関連法案の時のような大きな反対の声は巻き起こっていない。
それどころか、バカマスコミの連中は、旧来型の規制を取り払う良い機会だ、関税撤廃まで十分な期間を設けており農産物等への影響は軽微だ、輸入物価が下がって消費者の利益につながる、輸出振興型の稼ぐ農業に転換すべきだ、などとTPPを好意的に捉える報道が目立つ。

筆者も知り合いの農業関係者にTPP対策の様子を聞いてみたところ、彼曰く、感度の高い大規模農家は、既に数年前から対策に取り組んでおり、自社商品のブランド化や域外、海外輸出に取り組んでいるから大した影響はない、と自信あり気に答えていた。

ついでに、対策をきちんと取れている農家の割合はどれくらいか、対策を取れていない農業者に悪影響は無いのかと尋ねたところ、彼は、対策を取っているのは農業者の中でも限られた者だけだ、大半の農家はTPPによる輸入攻勢の前になす術もないだろうが時代の流れだから仕方がないよ、と平然と言い放っていた。

TPPの例に限らず、世の中には、筆者の知り合いのように、マクロ的な視野を忘れて、ごく一部でしかないミクロの好事例を論拠として、あらゆる経済的な事象を判断しようとするタコツボ評論家で溢れている。
社会に出たことがない高校生みたいに、業界に一つでも先進的な事例があり、他もそれに倣って努力すれば、全てが上手く行くハズだと思い込んでいるから、呆れるよりほかない。

TPPがもたらす国益の棄損や国内産業への悪影響などに関しては、既に多くの論者から数々の有益な持論が公開されており、そちらを参考にしていただくとして、今回のエントリーでは、TPPのように幼稚で有害な規制撤廃万能論や時代遅れの自由貿易論が跋扈する要因に触れてみたい。

さて、我が国は、輸出入総額がおよそ160兆円にも達する世界第4位(輸出入ともに)の貿易大国である。
しかし、こうした事実を顧みようとせずに、いまだに日本が閉鎖的な鎖国政策を採っているかのような妄言を撒き散らす者が後を絶たない。

TPP推進派の連中こそ、こうした時代遅れの開国論者であり、“グローバル化は世界の潮流”、“TPPは中国への牽制”、“成長するアジアの需要を取り込む”などといった妄想に駆られている。

彼らの特徴は、
① 狂信的な自由貿易崇拝(日本市場は閉鎖的だという妄想)
② 根性論的な競争崇拝(厳しい環境と競争こそが進歩をもたらすという幻想)
③ 前時代的な外需崇拝(海外にモノを売ってこそ一人前という開国前夜の発想)
という3点に凝縮される。

まず、①の狂信的な自由貿易崇拝の精神的支柱ともいえる「比較優位論」だが、D・リカードが提唱した比較優位論は、「自由貿易において各経済主体の自身の得意な分野(より機会費用の少ない財の生産)への特化でそれぞれの労働生産性が増大されて、互いにより高品質の財やサービスをより多く消費できる様になるという利益を享受できること(ウィキペディアより)」と説明される。

これを、勘違いしたまま、『コンビニでサンドイッチを買う場合は、サンドイッチの材料の作成、調達、サンドイッチの製造、そして流通、販売と、それぞれの業務を得意としている業者や作業者が分担して作業を行っています。要するに、小麦粉を作る人、卵を生産する人、材料を流通させる人、サンドイッチを作る人、サンドイッチを顧客に提供する人、それぞれの仕事を比較優位としている人がその作業に専念することによって、仕事が効率化、生産性が向上して、200円でサンドイッチを手に入れることが可能な社会が実現できているというワケです(http://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-12080999363.html)』などと、絶対優位を比較優位だと得意げに説明している愚か者(単なる作業分担と比較優位論を混同)には失笑するしかないが、この比較優位論が、国際分業や自由貿易論を支える重要な論拠になっていることは疑いようがない。

世界中で膨大な量の原材料や資本財、物品などが行き交う現代社会において、自由貿易を頭ごなしに否定できる者などいないだろうが、問題は、その『自由の度合』である。

「自由=オールフリー」ではない。

国内産業の保護育成のため、そして、国民の生活や権益を守るため、そこには自ずと一定の制限や規制が必要になることくらい、社会生活を送る者なら容易に理解できるはずだ。

消費者の利益は、モノを安く買えることだけではない。
安定した雇用の場と十分な所得を得る就業機会こそが消費者の利益だろう。
豚肉やパンを安く買えても、給料が下がり失業してしまっては元も子もない。

自由貿易は、あくまで、一国の産業を上手く稼働させ、国民生活の質の向上を実現させるための最低限の便宜や手段であって、絶対善として信仰の対象にすべきものではない。

だが、狂信的な自由貿易論に没頭するあまり、比較優位論を悪用して、あらゆる生産やサービスを国際分業体制の下に置き、国内産業や雇用の保護を蔑ろにしようとするバカがいるから困る。

日本には6,000万人以上の労働者がおり、それら膨大な量の労働者にまともな雇用の場を確保するためには、グローバル競争どころか、逆に、国内産業の保護育成こそ急務であり、輸入物資の内製化に注力する必要があるだろう。

国際分業体制とは、グローバル化を想起させる耳障りのいい言葉だが、その実態は、複数のベストシナリオ同士を微妙なバランス上で繋ぎ合わせた脆弱且つリスクの高い体制だとも言える。
以前に起ったタイの大洪水や東日本大震災で自動車の部品工場がストップし、自動車自体の供給が全面的にストップしてしまったように、自然災害や人為的なミスにより生産工程や部品の一部にでも欠陥が生じると、たちまち世界中の生産機構がストップするリスクを常に孕んでいる。

調子に乗って比較劣位な産業を保護せずに国内から排除してしまうと、産業構造や就業構造が非常に歪な形となり、国家としての脆弱性が高まることになる。
国際分業を極度に進めてしまうと、比較優位な産業のみが残りがちになり、国民の労働スキルや科学技術スキルの範囲もそういった産業に関連するものが優先され、産業構造だけでなく教育や研究構造までもが歪になりかねない。

世界でも類を見ない幅広い産業分野に多くの有能な人材が満遍なく散らばっていたのが、日本の高度なものづくりや卓越したサービス提供力の源泉なのだが、行き過ぎた国際分業信仰は、そうした強みを自ら捨て去る愚かな選択だと言える。

ウィキペディアの解説によると、「比較優位とは、各経済主体が得意な分野を発展させようとすることで、交換の利益を介して互いに生活水準を向上できるようになることを示す理論」だそうだが、TPPのような過度な自由貿易や国際分業は、デフレを促進させ、労働界層の雇用や所得の縮小をもたらすものであり、比較優位論が期待する“交換の利益”自体を奪い去るものであることに気づくべきだろう。

続いて、②根性論的な競争崇拝と③前時代的な外需崇拝にも触れておく。

今回のTPP騒動でも、経済からよく聞かされるのが、「保護されるだけの農業から稼ぐ農業へ」という妄言である。 激烈なグローバル競争に身を置いている(つもりの)民間企業の目には、閉鎖的な農業界が疎ましく映るのか、しきりと、農業改革や輸出振興を叫ぼうとする。

だが、現実には、イオンやイトーヨーカ堂、ワタミ、キューサイなど数多の大手企業が、農業に革命を起こすと息巻いて、何年も前から農業に参入してきたが、それらは、ことごとく失敗に終わっている。(せいぜい、自社の売り場に並べる野菜をチマチマ生産する程度に止まっているのが実状)

農業は、素人や外野が思うほど簡単な産業ではない、努力や根性だけで野菜が育つほど甘い世界ではないということだ。

作物一つをとっても、種苗の育成から輪作障害対策、施肥技術や病害虫対策、収穫時期の見極めと作業の効率化、保管技術、輸送技術まで、気が遠くなるほど膨大な量の知見や経験、科学的なデータの蓄積と分析が必要となるうえに、常に自然災害の脅威にも晒される非常にリスクの高い事業でもある。
しかも、それらの膨大な作業を作物ごとに行わねばならず、現場を知らず土を触ったこともない大企業が軽いノリで参入して成功するほど甘いものではない。

また、高付加価値な農畜産物を成長するアジアに売り込めなどと理想論を語るバカもいるが、日本最大の農業王国たる北海道の農業者が、デフレ不況期に進められた貨物列車やフェリーの減便の影響をモロに被り、コスト高故に海外はおろか本州への輸出さえままならない実状を理解しているのだろうか。

輸出したり、付加価値を付けたりしたくとも、船積みするための港湾設備は老朽化し、運搬に使うフェリーはなく、製品に加工するための工場設備さえ無いのに、どうやって売り込もうというのか。

そもそも、「高付加価値な農畜産品を売る相手=外国人」という発想自体が間違っている。
高付加価値なものを日本人が消費してこそ国内の経済的効用が最大化し、域内循環も活性化するはずだ。
安倍政権お得意の“地方創生”とは、本来、こういった域内循環で経済を活性化させることではないのか。

実際に海外にモノを売っている業者に尋ねてみたが、中国やASEANの成長というのは、ほんの一部を切り取った幻想で、高級品を買うのはごく一部の階層に過ぎず、その実体は価格競争ばかりで、物珍しさから一度は購入しても継続的な購買にはつながらない厳しい世界だと聞いている。

曲がりなりにも、中国やASEANなどの一部で高級品が売れるのも、海外諸国の平均所得が伸びているおかげであり、我が国でも、適切な財政金融政策を実行して、国内の所得を伸ばし、内需を活性化すれば、高いコストを払ってわざわざ海外で行商する手間もかからないはずだ。

21世紀にもなって、いまだに開国前夜の海外信奉思考が抜けきれない時代遅れな連中には開いた口が塞がらない。
彼らは、信仰の対象を欧米諸国からアジアに変えただけで、お上りさん根性を曝け出し、「海外に打って出ろ」とか「成長するアジアを取り込め」と叫び続けている。

だが、国家の歩むべき進路は、国民が主体的に選択し続けるのが大原則である。

政治的、経済的制御の利かない外需に身を委ねるような極めてリスクの高い外需依存型の経済構造から如何に素早く脱却できるか、資本主義の崩壊を招きかねない過度なグローバル信仰と決別できるか、そこに気づける国だけが、先進国として生き残っていけるだろう。

2015年10月 1日 (木)

『価値観』を共有するということ

かれこれ半年も前のことになるが、今年3月に、日本政府は外務省のHP2015年版の外交青書に記載する韓国に対する表現を、「価値観を共有する国」という文言から、「最も重要な隣国」という表記に格下げした。

それまでの「自由、民主主義、基本的人権などの価値を共有」という表現が削除され、何かと反日的恣意行動を繰り返す韓国に対して、今後の同盟関係の維持に疑義が生じたことが窺える。

 

国と国との関係は無論のこと、個々の経済政策論議においても、この「価値観の共有」というのは、とても重要なポイントだ。

 

最近の経済論壇は、一見すると、プロであれ素人であれ、細かな論点や相違点を巡って喧々諤々の論争を繰り返しているように見えるが、個々の争点の乖離は端から見るほど小さなものではない。

 

筆者は、「経世済民」を目標とし、それを実現するための手段として「機能的財政論」を採る立場にある。

そして、経済認識に対する個人的な「価値観」は、平たく言うと次のようなものになる。

 国民が安全かつ安心して暮らせ、今日より明日の生活環境が常に向上するような世の中を実現すること

 国内企業が安定的かつ十分な収益を得て絶えず技術やサービスの向上に努めることができる経済環境を実現すること

 ①②を担保するための国土や社会基盤を強靭化すること

 

こういった大目標を実現させるためには、実体経済を中心とする内需主体の経済基盤の創出が不可欠であり、そのためには、積極的な財政政策と、それを支える機動的な金融政策によるポリシー・ミックスが必要である。

 

こうした経済政策の背景として、常に成長を続ける経済基盤を前提としているが、そのためには、税だけに頼らない「成長の原資の多様化」が必須であり、これが「機能的財政論」の発想(筆者の場合は、「政府紙幣の活用と国債の増発」が軸になるが…)につながっている。

 

更に、実体経済に遍く富や所得を浸透させるために、裾野の広い頑強なピラミッド構造が必要であり、特に、所得構造の中下位層に対して、富の適切な配分がなされる雇用・労働政策や税制改革が絶対に欠かせず、こうした社会的安全装置を破壊する質の悪い規制緩和や構造改革には強く反対する。

 

経済論議や政治論議をする際には、こうした基本的な価値観を基盤として、個々の問題について互いに批判や受容を繰り返すことになるが、先ず、世論の大半を占める財政再建派や構造改革派(この二派間に大きな争点はないが…)と経世済民を目指す者との間には、「国民生活の向上」という大目標を巡って既に埋めがたい大きな溝があり、双方のベクトルが同じ向き方角を指すことはないだろう。

 

彼らは、日本の将来を悲観して、未来に対する責任から逃避し、国民の貧困化など歯牙にも掛けずに、縮小均衡やグローバル化依存を柱とする“身の丈経済論”を蔓延させようとしている。

こうした役立たずの無抵抗主義者や諦観論者とは、そもそも価値観を共有することなどできるはずがない。

 

だが、広い世の中には、リフレ派(金融政策万能論者)や分配信者(税制偏重気味の分配万能論者)の連中みたいに、一見、同じような価値観を共有していると誤解しがちな者がいるから、話がややこしくなる。

 

彼らは、口先では、リフレーション(通貨再膨張によるデフレ脱却)や国民(庶民)への富の分配を訴えており、経世済民を目指す論者とのベクトルに矛盾は生じづらいように思えるが、現実には、彼らの目標や経済政策に対する姿勢との距離感は、想像以上に大きく離れている。

 

先ず、リフレ派だが、彼らの大きな問題点は、国民生活の向上よりも、持論や学術的論理性の正しさを優先させようとする点にある。

 

安倍政権になってから、事実上のインフレ・ターゲット政策が採用され、二発の黒田バズーカ砲による異次元の金融緩和政策が実行されているが、それらがもたらした過度な円安により生活物資が大きく値上がりする一方で、勤労者の所得やサラリーマンの平均給与等は伸びを欠き、生活に困窮する者も多い。

 

日銀が行った「生活意識に関するアンケート調査(20156月調査)」でも、現在の暮らし向きに対して、「ゆとりが出てきた」という回答は4.5%でしかなく(前回調査よりは若干増えてはいますが…)、「どちらとも言えない」(49.1%)や「ゆとりがなくなってきた」(46.2%)という回答が圧倒的に多い状況に変わりはない。

 

財政支出を絞った金融政策偏重気味の経済政策では、せいぜい現状維持するのが限界で、力強い成長や生活環境の改善など望むべくもないことが解る。

 

異次元の金融政策といっても、あくまで金融市場を刺激するものに過ぎず、所得になるお金を実体経済に直接的に投じるわけじゃないから、積極的な財政政策なくして所得や雇用が改善しないのは当然だろう。

 

金融政策は、十分過熱した景気が落ち込まぬよう財政政策を下支えするのが本分の経済政策、つまり、勝ち試合でしか出番のないリリーフエースみたいなものであり、長期デフレからの脱却という泥臭い負け試合を挽回せねばならないような大役を任せるには、そもそも役不足なのだ。

 

だが、こうした都合の悪い現実から目を逸らして「変動相場制を採る日本において、財政支出一辺倒の経済政策でデフレ脱却は不可能だ」なんて強弁している周回遅れの金融政策万能論者がいるから、呆れるよりほかない。

彼らは、日本が変動相場制に移行して40年以上も経ち、その間、経済成長できたのは、積極的な財政政策を打った時期だけだった、という事実を認めたくないようだ。

 

 

最後のおまけに、分配信者の面々にも触れておく。

 

彼らは、財政政策、特に公共事業に対する批判を基に、ここ数か月の間に急速に増殖した感があり、当初は、ベーシック・インカム論を中心に、雇用や労働環境の改善、税制の改善などを訴える“フリ”をしていた。

 

しかし、何の具体策や数値目標も示さぬまま、ひたすら庶民への分配を訴えるだけで、地方経済の活性化や庶民の雇用環境の改善、所得向上に大きく貢献するはずの公共投資に対しては、なぜか頑強に反対し、あろうことか経済成長自体までも否定する始末であった。

 

そして、幼稚な矛盾点を各方面から指摘されると、たちまち逃げ腰になり、「必要な公共事業まで否定しない」とか「本来なら、ベーシック・インカムなんて必要ない」などと言い訳を繰り返した挙句に、「消費税廃止・サービス残業廃止・失業者への保障、雇用創出」という新三本の矢に打ち出し、体裁を取り繕っている。

 

彼らの言う「庶民」の定義は定かではないが、仮に年収300万円未満の層だとしておこう。

こうした層の消費税負担額は、税率を8%とした場合に、みずほ総研の試算によると、年間で15万円くらいになり、消費税率が10%に引き上げられると、19万円くらいになると推計される。

 

この点に関して、前述のリフレ派は、“財政政策を否定しない”という逃げ口上の証として、消費税率の引上げ反対や5%への減税を口にしているが、それだけでは、どんなに頑張っても、税率5%もしくは8%なりの経済水準、つまり、GDP500兆円前後を行ったり来たりするような大停滞時代から抜け出すことはできないだろう。

 

消費税率が5%に引き上げられた1997年以降、日本経済が長期デフレに陥り、8%に引き上げられた2014年にはアベノミクスの神通力も剥落しGDPがマイナス成長に落ち込んだことを踏まえると、消費税率を引き下げただけの一本足打法では、重度の経済停滞病を患っている日本経済を復活させることは不可能だ。

 

その点、分配信者の唱える消費税廃止論は、リフレ派よりも一歩踏み込んだ主張だと言えるが、首尾よく消費税が廃止されても、年収300万円の貧困世帯にとって年間20万円足らずの実質的な収入増にはなるだろうが、それだけで、本当に彼らの生活が救われるのだろうか?

 

彼らが貧困に喘がざるを得ない原因は、何よりも、年収の絶対額が少なすぎることにある。

無論、“モノが高すぎる”という悩みもあるだろうが、大本の所得水準を、せめて、500万円とか600万円くらいに引き上げてやらない限り、根本的な解決には至らない。

 

本来なら、分配信者の主論は、こうした貧困層の雇用の拡大と所得引上げ、更に、その具体的な手法の模索に軸足を置くべきで、大規模なかつ長期的な財政政策を通じた実体経済への富の分配やベーシック・インカム論などを強力に主張すべきだろう。

 

だが、彼らは、最も効果の高い公共事業を拒否し、富の配分が不透明だと経済成長まで頑なに否定する有様で、てんで話にならない。

 

分配信者は、あちこち彷徨った挙句に、税制論議や失業者保護に逃げ場を見出したようだが、庶民の懐を温める最善策を放棄したまま、税制や雇用の問題に議論を矮小化するようでは、所詮は、“庶民の生活向上に対する情熱や真剣さを欠くエセ分配論”に過ぎないと蔑まれても仕方がないだろう。

なぜなら、彼らのやり方では、どんなに頑張っても、貧困世帯の所得を十分に増やすことはできないのだから…

 

リフレ派や分配信者に共通するのは、経済成長や国民生活の向上のための最善策を異様なまでに嫌悪し、効果の怪しい弥縫策や次善の策にこだわる点である。

 

こうした彼らの奇妙な態度を評して、“経世済民を目指す立場と大まかなベクトル(価値観)を共有している”ととるか、“彼らの行動原理は、国民生活の向上ではなく、経世済民や財政政策に対するカウンター行動や私怨に過ぎず、むしろ財政再建派や構造改革派との親和性が高い”ととるか、については、意見が分かれるところだろう。

 

筆者は、長らく彼らのバカげた行動や意見を冷静に観察した結果、間違いなく『後者』に該当すると結論付けている。

 

ベクトルの向きが根本的に違う相手とは、価値観を共有することなどできるはずがない。

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