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2016年1月

2016年1月29日 (金)

マイナス金利という墜落必至の最後の矢

本日の日銀金融政策決定会合で、マイナス金利導入という奇策が発表されたことを受けて、東証株価は乱高下し、新発10年物国債の利回りが0.135%を付けて過去最低水準を大幅に更新する動きもあった。

『日銀、マイナス金利導入 当座預金に0.1%手数料、物価目標達成は先送り』
(産経新聞 1月29日(金)12時42分配信)
“日銀は29日、金融政策決定会合を開き、追加緩和策として、民間銀行が日銀に預けている一部の資金に0.1%の手数料を課す「マイナス金利」を導入することを決めた。追加緩和策の導入で、原油安や新興国経済の失速を受けて企業が投資に慎重になるのを防ぐ。米国の利上げで新興国からの資金流出が懸念される中、日銀は投資家の不安解消も狙う。”

日銀HPでは、今回のマイナス金利導入について次のような説明がなされている。
・金融機関が保有する日本銀行当座預金に▲0.1%のマイナス金利を適用する。今後、必要な場合、さらに金利を引き下げる。
・具体的には、日本銀行当座預金を3段階の階層構造に分割し、それぞれの階層に応じてプラス金利、ゼロ金利、マイナス金利を適用する。
・貸出支援基金、被災地金融機関支援オペおよび共通担保資金供給は、ゼロ金利で実施する。

さらに、「本日の決定のポイント」なる資料を付して、マイナス金利導入の意図や懸念に対する回答を掲載している。
(http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160129b.pdf)

マイナス金利導入といっても、日銀当座預金の残高全てにマイナス金利が適用されるわけではない。
下記のサイトを参照すれば解かるように、基礎残高部分(従来どおり+0.1%)、マクロ加算残高部分(0%)、政策金利残高部分(0.1%マイナス金利適用)という3階層に分けて適用するようだ。
(http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160129a.pdf)

今回の決定の意図について、日銀は、「こうしたリスク(=原油価格下落や新興国・資源国経済の不透明感による金融市場の不安定化)の顕現化を未然に防ぎ、2%の「物価安定の目標」に向けたモメンタムを維持するため、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を導入することとした。日本銀行当座預金金利をマイナス化することでイールドカーブの起点を引き下げ、大規模な長期国債買入れとあわせて、金利全般により強い下押し圧力を加えていく。」と説明している。

しかし、マイナス金利が、グローバルマーケットの動揺や需要低下によるデフレ化の特効薬と成り得るという説明としては、あまりに弱く、根拠に乏しい。

日銀は、もっと正直に本音を語るべきだろう。

3階層制を採用するとはいえ、マイナス金利の導入により、明らかに、金融サイドから日銀への国債売却のインセンティブは弱まるはずだ。
いくら金融緩和して資金をブタ積みしても十分には融資が増えない(対前年比3%くらいは増えているのだが…)現状に業を煮やし、金融機関に対してより強い貸出増加圧力をかけたいだけのことだろう。

金融機関が、当座預金に資金を遊ばせておけないような環境を創れば、金貸し屋の連中も、必死に融資先を探さざるを得ないだろう、といった程度のノリだろうと推測する。

先に紹介した「本日の決定のポイント」にも、マイナス金利導入に対する懸念とそれらに対する日銀の回答がつらつらと羅列されているが、マイナス金利が市場の動きに好影響を与えるのでは、といった趣旨の質問が全く載っていない。
要するに、誰もがその効果を疑っているのだ。

三井住友信託銀行の「欧州マイナス金利の伝播と功罪」というレポートでも、マイナス金利の先輩たる欧州では、“ユーロ安や政府債務の利払い負担軽減につながる一方で、異例な水準への低下は、各国財政の信用力を反映されるはずの価格発見機能に歪みが生じている恐れがある”と報告され、実体経済には大した効果をもたらすことはできなかったようだ。
(http://www.smtb.jp/others/report/economy/37_3.pdf)

どうも、金融政策サイドの効能を過大評価しがちな連中は、物価が上がれば景気が良くなるはず、という思い込みと同様に、融資が伸びさえすれば景気が良くなると勘違いしている。

これらは、原因と結果を混同した初歩的な勘違いなのだが、本人たちは大真面目だから手に負えない。
家計や企業の所得や収入が伸び、長期的な成長予想が確立されることで消費や投資意欲が向上し、需要不足が解消され景気が回復する。
その過程で融資への需要も増えるだろうし、物価上昇を許容できる素地も生まれるのだ。

ところが、リフレ派の連中は、こうした経済循環の発生順序を蔑ろにし、物価目標さえ達成すればよい、融資さえ増えればよいと主客逆転した主張を平気な顔で行い、コストプッシュ型のインフレに苦しむ中小企業や家計を尻目に、景気は力強く回復しているとかアベノミクスの成果は着実に表れているといった詭弁で誤魔化そうとしている。

今回のマイナス金利導入についても、彼らは最大限擁護し、称賛を浴びせることは想像に難くないが、ほぼ間違いなく、大した効果も上げられぬまま終わるだろう。
むしろ、国債買入の阻害要因となり、またぞろ、くだらぬ国債危機論を誘発しかねないと危惧している。

もはや、金融政策のみの一本足打法でマクロ経済の停滞感を打破できる、と夢想して済む段階ではない。
リフレ派は、いま打つべき経済政策が、自らの解決能力を超える範疇にあることを自覚し、強力な財政政策のサポートを要請すべきだろう。

黒田総裁の面目やプライドと日本経済とを天秤にかければ、どちらが重要かくらい、すぐに答えが出るはずだ。

2016年1月27日 (水)

自助を信奉するあまり自助の足を引っ張る愚か者

下記の引用文は、とある安倍信者系リフレ派ブログから抜粋したものだ。
(http://ameblo.jp/akiran1969/entry-12121403257.html)

『小泉進次郎氏激白!補助金漬けと決別し農業を成長産業に』
週刊ダイヤモンド編集部 2016年1月25日

(聞き手)昨秋、政府与党の農政方針をとりまとめる農林部会長に就任しました。農政にどんな課題を感じ、何から着手しているのですか。

(小泉氏)僕がまず言っておきたいのは、農業ほど伸びしろのある産業はないということ。
すでに高付加価値化が進む製造業においては、数パーセントの生産性を上げるだけでも苦労する。でも、農業では当たり前のことができていないから、やればどんどん生産性が上がるはず。農業の成長産業化――儲かる農業への転換は必ずできます。
ただし、そのためには発想の転換が必要。つまり、旧来型の「アグリカルチャー(農業)」と「アグリビジネス(農業生産のみならず、周辺の流通・消費などを含めた農業関連産業)」が互いに相乗効果を発揮できる環境が要るのです。
今までは、アグリカルチャーがとても強く、おまけ程度にアグリビジネスがある、という状態だった。そして、アグリカルチャーに属する人たちはアグリビジネスが文化を破壊する敵だと思っている。民間資本が農業分野へ参入することに警戒するのも、同様のアレルギーがあるからです。
でも、僕の発想はそうじゃない。
歌舞伎を見てほしい。伝統芸能の世界では、(人気漫画の)「ワンピース」を題材にした歌舞伎講演を行なって、新たなファンを開拓している。ビジネスでの成功が、真に残すべきカルチャーを守ろうとしています。農業も同じ。カルチャーとビジネスは対立する敵味方ではない。両方が共存できる新しい農業を確立したい。(後略)
(引用元 http://diamond.jp/articles/-/85101)

いかにも小泉のバカ息子らしい幼稚な意見で、周囲に気兼ねして日経新聞を読み始め、構造改革に目覚めた新卒者みたいな青臭い言葉が散らばっている。

バカ息子が言いたいのは、後略した部分も含めて、「農業は生産性が低い」、「農業は補助金漬けにされ新たなチャレンジに及び腰になっている」ということだろう。

まず、農業の生産性について、彼は、製造業のそれより遥かに劣っているかのように決めつけている。
しかし、日本生産性本部の資料(労働生産性の国際比較)によると、主要7か国の産業別労働生産性トレンドに関して、1990年代以降の生産性上昇率は製造業2.8%(トップは米国の4.0%)、農業2.0%(トップはカナダの3.2%)という結果が出ており、言うほど大きな差異はない。

しかも、同資料では、“日本の製造業の労働生産性は、1990年代にはトップクラスであったものの、2000年代に入って順位が大きく後退してきている。(中略)このところ4~7位あたりで推移しているものの、かつてのような優位性を回復するにはいたっていないのが現状である”と指摘されている。

また、経済財政白書でも、“全規模製造業で見ると、日本のROAは、アメリカ、ドイツと比べて低いことが分かる”とされており、「製造業=高生産性産業」というイメージは、単なる思い込みであることが解かる。

日本の農業は、兼業農家が7割を占めるため零細農家がほとんどで、大規模な設備投資が難しく、しかも、国内の地勢上、中山間地が耕地面積の40%、総農家数の44%、農業産出額の35%、農業集落数の52%を占めるため“規模の優位性を発揮できない“という悪条件が重なっており、労働生産性の急激な向上が望みづらいのは、致し方なかろう。

むしろ、かようなハンディを背負いつつも、諸外国に引けを取らない生産性を維持し続けていることに驚きを覚えるほどだ。

ここで改めてくどくどと説明する必要もないほど、日本の農産品の高品質化は進んでおり、もはや「国産品=高品質+安全・安心+味も良い」という認識が多くの国民の間で共有されている。

東京都が実施した「平成27年度第2回インターネット都政モニターアンケート~東京の農業~」でも、東京産農畜産物への期待という質問に対して、 「新鮮さ」(60%)、「安全・安心」(48%)、「味や品質の良さ」(35%)といった品質に関わることが上位を占めている。
農業後進国たる東京産の農産物ですら、これだけ期待値が高いのだから、日本の農産物=高品質という理解は間違っていないだろう。

次に、農業は補助金漬けで新たなチャレンジに及び腰云々という愚論について、私見を述べたい。

小泉のバカ息子は、いい歳こいて、市川猿之助主演の「スーパー歌舞伎ワンピース」がお気に入りのようだが、こんなものを持ち上げて革新派を気取られても困る。

市川猿之助といえば、歌舞伎役者というよりもタレント活動の比重が高く、件のワンピース歌舞伎も“歌舞伎の新たな挑戦”というより、“ミュージカルに歌舞伎の要素をちょっとだけ取り入れたもの”に過ぎず、取り立てて珍しいものではない。

この程度のことを革新的と称するのは明らかに過大評価で、むしろ、農業者がレストランを経営する6次産業化など、まさに異分野への挑戦であり、そちらの方が、よほど革新的だと言えるだろう。(たいがい失敗に終わるけど…)

また、日本の農業は欧米と違って補助金漬けゆえに脆弱だ、という論法も眉唾ものである。むしろ、農業大国と言われる欧米や豪州などの方が、高関税、所得補償、輸出補助金による国内農業への保護政策に、よほど力を注いでいる。
大規模農業というスケールメリットを存分に活かせる地勢条件の上に、国の手厚い保護政策がオンされるのだから、農業の生産性(収益性)が強化されるのも当然だろう。
(参考)
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamashita/01.html
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/agrifood/namerica/news/04061001.htm
http://www.tatuo.jp/091215nosan.html

日本の農業は補助金漬けどころか関税率も総じて低く、規模のメリットが享受できないうえに自然災害も多いという強烈なハンディを背負わされており、生産・販売ともに世界有数の厳しい条件やマーケットで奮闘していると言ってよい。

悪条件だらけの国内農業が、多くの国民から、その品質に高い評価や信頼を勝ち得てきたのは、ひとえに農業者と関連団体の弛まぬ努力と改善活動の賜物だろう。

農業の生産性が低いとしたら、それはメインマーケットである国内需要が低迷しているためであり、適切な経済政策によりそれが是正されれば、たちまち収益性やそれに伴う生産性も向上するはずだ。

個々の農家や農協の在り方にメスを入れれば、確かに閉鎖的で前時代的な風土も残っているが、輸出型企業への消費税還付という事実上の輸出補助金や欠損金の繰越控除制度による納税免除制度、雇用の流動化による労働コストカット等といった政策を悪用している大手製造業者から文句を言われる筋合いはなかろう。

苦労知らずのバカ息子は、“農業では当たり前のことができていない”などと偉そうに語っているが、自分こそ、立法府の議員のくせに、議員立法という「当たり前の仕事」をきちんとやっているのか怪しいものだ。

冒頭にご紹介したブログ記事は、ここから、“公助よりも自助”、“補助金よりも借りるカネ”という方向に話が向かうのだが、他人に厳しく自分に甘い新自由主義者の連中は、えてして、自分のことを棚に上げ、他人に対して無神経に「無償の努力」を強制しがちだ。

彼らは、どうも、自助と公助とを相容れない対立項としてしか理解できないようで、政府がちょっとでも公助に力を入れると、たちまち国民が自助を放棄して、国中が怠け者の巣窟にでもなってしまうかのように騒ぎ立てる。

だが、元来、バカバカしいほど生真面目で勤労意識の高い日本人にとって、そんなものは杞憂でしかない。

日本人の労働意欲は低下するどころか、毎年、過労死や過労による自殺で2000人以上が亡くなっている。
問題なのは、勤勉な日本人が提供する労働サービスに対して、対価や報酬があまりにも少なすぎることである。

「自助か公助か」という単純な二項対立の時代は、とっくの昔に終了している。
これから目指すべきは、公助をより充実させ、自助への取組みをよりスムーズにし、自助から得られる対価や付加価値をさらに増幅させる社会基盤を創ることである。

視野の狭い中学生みたいに「自助か公助か」という選択論に拘泥するのではなく、「自助も公助も」というステージに歩を進めるべきだろう。

2016年1月25日 (月)

欲しいモノを躊躇なく買える世の中に

『自販機離れに悩むメーカーがとった「苦肉の策」』(NEWS ポストセブン 1月24日(日)、
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160124-00000005-pseven-bus_all)

上記のニュースサイトによると、消費税増税に伴う消費の減退やスーパーなど量販店との価格差による消費者の「自販機離れ」が起こり、販売チャネルとしての飲料自動販売機の在り方が踊り場を迎えているそうだ。

一般社団法人日本自動販売機工業会が作成した「自販機普及台数及び年間自販金額(2014年版)」によると、日本には約503万台(台数ベースで対前年比1.1%、金額ベースで同5.0%)の自販機が設置されており、その内訳は、「飲料」256万台、「たばこ」23万台、「券類(乗車券等)」4万台、「カード類(プリカ等)」86万台、「自動サービス機(コインロッカー等)」125万台、その他9万台となっており、飲料自販機がおよそ半数を占める。
また、自販機による総売上金額は4.9兆円に上り、うち飲料自販機によるものが2.2兆円と44%近くを占めている。(ちなみに、アメリカの自販機設置台数は645万台、自販機売上は4.1兆円ほど)

ポストセブンの記事では、「自販機の台数は減るどころか増え続けて飽和状態になっている」という記述があったが、上記資料のデータから、増税や電気料金値上げ、コンビニのカウンターコーヒー人気などの影響を受けて設置台数は減少しているとされており、この部分は誤りだろう。(飲料自販機の台数は対前年比で0.9%)

さて、飲料自販機は清涼飲料販売数量の約30%を占めるだけでなく、唯一の「定価販売チャネル」として、清涼飲料メーカーの収益の6割以上を稼ぎ出すドル箱とも言われている。

このため、メーカー各社では、何とか販売量を死守すべく、ライバルメーカーとの連携に取り組んでおり、様々なメーカーの売れ筋飲料が混在する“オールスター機”の設置に励んでいるそうだ。

特に、昨年5月に、業界2位のサントリーが日本たばこ産業(JT)の飲料自販機事業を約1500億円で買収し、JT子会社のジャパンビバレッジホールディングスが保有する飲料自販機17万台を手中に収め、既存の自販機49万台と合わせて66万台となり、飲料自販機83万台を有する業界トップの日本コカ・コーラグループに肉薄したことから「2強多弱体制」が確立された。

これを機に上位メーカーと下位メーカーとの差が一気に広がり、下位メーカーが生き残り策として他社との乗り合いを進めているようだが、対症療法の域を出ず、根本治療には至らないだろう。

確かに、自販機でジュース類やお茶を買う機会は減っている。

量販店に行けば、自販機の6割から半額近い金額で缶ジュースやペットボトル飲料が販売されており、ただでさえ不況下での財布の紐を緩めようとしない消費者にとって、自販機で定価買いするのがバカバカしく思える。
また、高齢者人口比率の高まりに伴い、元々、自販機で物を買う習慣がない層が増えた影響もあるだろう。

こうした事態を踏まえて、メーカー側では、先の他社との乗り合いのほか、内容量を減らした低価格商品や自販機専用商品を開発するなど試行錯誤しているようだが、いずれも決定打に欠ける印象だ。

このままでは、マクドナルドやユニクロのように、勝手に高付加価値戦略を強行し自爆するパターンを辿ることになる。

財布の中身が増えず支出に対して非常にシビアになっている家計の眼は、供給サイドが考えているよりはるかに厳しい。
マックのように、“高付加価値化”は口だけで、実態は、単なる便乗値上げに過ぎないことを消費者に見破られると、売上げ下落に歯止めが効かなくなるだろう。

消費税増税前に100円で買えた缶コーヒーが、税額8%になってから130円にも値上がりしたのでは、消費者の納得も得られまい。
もろもろの経費UPを勘案しての価格設定だろうが、消費者はそんな事情まで考慮しない。

多くの消費者は、税額が8%しか上がっていないのに価格が30%も上がることに納得していない。
しかも、パッケージを変えただけで、商品そのものの付加価値に何の変化も見受けられないようでは、都合のよい便乗値上げではないかと反感を買うだけだ。

マイボイスコム株式会社による調査(自動販売機に関するアンケート調査、2014年5月実施)によると、自動販売機選定時の重視点として、「種類が豊富」(47.0%)、「価格の安さ」(34.4%)が上位を占めており、購買において価格が持つ訴求力が大きいことが解かる。

缶ジュース単体でモノを考えると、100円から130円という値上げ幅は30%にもなり、かなり大幅な値上げ率に見える。
しかし、10万円のPCが13万円に値上がりしたのとは訳が違い、金額だけで見れば値上げ幅は、たったの30円に過ぎない。

しかも、先ほどのマイボイスコム株式会社による調査でも、缶ジュースを自販機で購入する頻度は、月に1~3本以下という回答が7割以上にもなり、支出金額の絶対額で見れば、せいぜい、月に90円ほど支出が増えるだけのことで、大した金額ではない。

問題なのは、その程度の些細な支出にも目くじらを立てざるを得ないほど、消費者が追い詰められているということだろう。

総務省が公表する消費支出(二人以上の世帯)は、平成27年11月に対前年同月比2.5%となり3か月連続でマイナスを記録し、昨年は11月までの11か月のうち8か月でマイナスを記録している。

個々の業界の売上状況を見ると、コンビニ、スーパー、ドラッグストアなどのように好調な業界もあるが、その分、大型家電量販店や自動車、タクシー乗客などの売上が減っている。

全体の消費額が伸びていない以上、何処かが儲かれば、何処かが割りを食うだけのことだ。

業界ごとの売上推移を横に並べてグラフにプロットすると、高い山と深い谷が混在し、“山高ければ谷深し”という格言を地で行くようなグラフが描かれるだろう。

だが、マクロ視点での経済成長を目指すのであれば、こんな有様を放置すべきではない。
“民間のことは民間に任せて”なんて呑気なことを言っているうちに、山の数が減り谷ばかりになってしまう可能性もあるのだ。

実体経済を積極的に刺激し、売上拡大の恩恵に与ることができる業種を増やし、プロットしたグラフに険峻な頂を数多く出現させる一方で、可能な限り谷の部分を少なくするような経済政策が必要だろう。

21世紀にもなって、缶ジュース一本を買うのに逡巡させられる国民が、いまだに多くいることに対して疑問を持つべきだ。
安倍政権が苦し紛れに打ち出した「新三本の矢」のようなフワフワした目標をいくら立てても何の役にも立たない。

まずは、現在の長期不況の原因が、所得の低迷や雇用の不安定化に起因する需要不足にあることを認めるべきだ。
そのうえで、少なくとも、一般的な所得水準の国民であれば、欲しいと思ったモノや食べたいと思ったモノを躊躇なく買ったり食べたりできるような経済環境を創り出すことを目指したい。

数値的な目標に当て嵌めると、現在410万円ほどのサラリーマンの平均給与を4~5年以内に750万円程度に引き上げ、ゆくゆくは900万円程度を目指すことを当面の目標とすべきだ。
バブル崩壊後の逆噴射政策さえなければ、この程度の水準は軽くクリアできていたはずだから、これまで怠けていた分も含めて、強めに財政金融政策のアクセルを踏み込めばよい。

供給制約だの、人手不足だのといった文句も出るだろうが、こうした文句や障害の存在こそが生産性アップへの財源となり、そうした課題をクリアするための対価を生み経済成長の栄養源になるだろう。

2016年1月22日 (金)

「公共事業クラウディングアウト論」という幼稚なデマ

筆者が学生時代に使った歴史の教科書には、江戸時代に大規模噴火や冷害等によって引き起こされた大飢饉や第一次大戦後にドイツやオーストリアで起こったハイパーインフレの件が掲載され、飢餓に苦しむ民衆の悲惨な様子が絵画や写真付きで解説されていたが、最近の教科書にも載っているのだろうか。

ハイパーインフレに見舞われたドイツでは、パンの価格が1年のうちに、250マルクから4千億マルクにまで跳ね上がったそうだから、まさに、ハイパーインフレ状態にあったと言える。
当時の教科書には、一輪車に大量の札束を積んだ子供が、パンや卵を買い求める写真が掲載され、筆者の記憶にも強く残っている。
お金がほとんど用をなさない状態になってもなお、商品を買い求めるためにお金を使わざるを得ない辺りが、貨幣経済に抗うことのできない現代社会の悲しい性とも言えよう。

こうした大飢饉やハイパーインフレが恐怖の象徴として史実に記されるのは、「モノ不足」に対する警鐘を鳴らしたいがためだろう。
生産力や技術力が飛躍的に発展し、溢れんばかりのモノやサービスに囲まれている現代においても、人々の潜在意識の中にはモノ不足に対する根強い恐怖心が潜んでいるのだろうか。
(ほとんどの日本人は農業に従事していないのに、“日本人は農耕民族だから”という根拠のないセリフに納得してしまうのと同じことか…)

世間には、未だに、何かといえばモノ不足や人手不足を気にする意見が跋扈している。

東日本大震災後に一時的に発生した建設労働者不足の折にも、こうした意見を多く聞いた。
「震災や国土強靭化を理由に公共工事をやり過ぎると、極度の人手不足やモノ不足を招くし、金利や物価の上昇する」という“公共事業クラウディングアウト論”などが、そうした愚論の最たるものだろう。

こういった世迷い事を吐く連中の本音は、単に財政出動につながる公共事業をやりたくない、というだけのことであり、人手不足や金利上昇云々という枝葉末節は、そのための方便でしかない。

建設事業者の人手不足の問題については、「建設労働需給調査」の「建設技能労働者過不足率推移(8職種合計)」の結果を見ると、2014年3月のピーク時こそ+3.4%を指していた(ピークでも、たったの3.4%でしかない!)が、2015年11月には±0.0%にまで落ち込み、“人手不足感”とやらは、すっかり収束してしまったようだ。
型わく工や鉄筋工が足りないと騒いでいたのも昔の話で、いまやすっかり解消されている。
(http://www.garbagenews.net/archives/2155784.html)

また、人手不足による建設技能労働者の賃金水準の高騰が懸念されていたが、厚労省の毎月勤労統計調査の資料によると、建設業の現金給与総額(月平均)は2013年で371千円と2000年の380千円の水準すら下回っている。
賃金指数の推移を見ても、2015年の建設業の賃金指数は97.0と2012年を100.0とした数値を3.0%も下回っている。

震災後の公共工事量の拡大は確かにあったが、いまや一服感を通り越して、工事量の不足感すら強まっている。
帝国データバンクなど各地域の景気DI指標を見ても、特に、公共工事量の削減による建設業者のDI低下が認められる。(http://tdb-di.com/)

ついでに、公共事業クラウディングアウト論者が懸念するような過度な財政政策による長期金利や物価水準の急騰など起こっていないことは、説明するまでもあるまい。
(一部の生活物資の値上がりは、輸入物価高騰によるコストプッシュ型インフレに起因するもの)

だが、頭のおかしい“公共事業クラウディングアウト論者(リフレ派+緊縮財政派の一部)”の妄言は、これだけに止まらない。

彼らは、公共事業の役割や意味を「景気対策としての公共事業」や「デフレ脱却のための公共事業」などと勝手に矮小化し、「景気が回復したら公共事業をやめるのか?」、「デフレ脱却したら国土強靭化計画が道半ばでもやめるのか?」と愚にもつかぬ屁理屈を並べて、公共事業の拡大に反対し、何とか足を引っ張ろうと必死になっている。

公共事業は景気対策のためだけにやるものではないことくらい、いい大人が理解できないのだろうか?
つまらぬ言葉遊びを止めて現実を直視すべきだ。

公共事業は、社会活動や経済活動を営む上で「絶対不可欠の社会基盤」を維持向上させるための重要な事業であり、言わば生物が生存のために必要な水や空気、食料などと同レベルの存在だと言える。

公共事業は、何か特定の目的のために出したり引いたりする類いのものではなく、社会生活のため、経済成長のために欠かさざるを得ないもので、たまたま長期デフレ不況に見舞われた我が国においては、公共事業特有の地域経済への所得分配機能を通じて、「需要不足やデフレ解消の役割”も“期待できる」というだけのことだ。

「景気が回復したら、或いは、デフレ脱却したら公共事業をやめるのか?」という勝気な小学生レベルの質問に対しては、「公共インフラの新規整備や維持更新の必要性が絶えることはなく、公共事業を止める日など永遠にやって来ない」というごく当たり前の説明をすればよいだろう。

公共事業クラウディングアウト論者は、「インフレ・デフレは貨幣現象」であるから、公共事業に景気を左右させるだけの影響力はない、とも主張している。

しかし、『貨幣の定義』を曖昧にしたまま、消費や投資に直接的に使えるお金と利子を付けて返済せねばならぬ借入金とを十把一絡げにし、その定義を水脹れさせたまま、貨幣政策の効果を喧伝するのは卑怯としか言えない。

彼らは、アベノミクス初期段階で組んだ13兆円の補正予算による財政政策の効果を“貨幣現象”と称して、金融政策の手柄だとさんざん喧伝してきた。

彼らの信条どおり「金融政策を通じた貨幣量のコントロール」によりインフレ・デフレが調整できるなら、黒田バズーカ一発で、とうの昔に不況を脱することができたはずだが、現実は見てのとおりだ。
信仰する経典どおりに世の中が動かないからといって、貨幣の定義まで捏造するのは異常としか言いようがない。

物価は消費や投資による直接的な刺激を受けて変動するものだから、「インフレ・デフレは財布の中の貨幣現象」というのが真実であり、貸出用の融資マネーをいくら積み上げても大した効果は望めない。

財政政策に反対したいがために、現実から目を反らし、需要不足による不況を放置していると、遠からず供給力や技術力も栄養分を失い朽ち果てていくことになる

そうなってしまえば、もはや先進国たる地位に留まることはおろか、強みである技術力も他国に頼らざるを得なくなり、その結果、後戻りできないほど深刻なモノ不足に悩まされることになるだろう。

2016年1月19日 (火)

眼前にあるリスクや課題に対処せよ

まったく…、洋の東西を問わず世の中には暇な連中がいるものだ。

『世界のリスク: 1位は「地球温暖化対策の失敗」』
「世界にあるリスクのうち、最も影響が大きいのは「地球温暖化対策の失敗」、最も起こる可能性が高いのは「紛争や災害、経済的理由などによる大規模な強制的移住」との分析結果を、20日からスイスで始まるダボス会議を主催する民間研究団体「世界経済フォーラム」(本部ジュネーブ)が公表した。2006年から毎年実施している分析で、両リスクとも初めて1位になった。
 昨年 9〜10月、世界の政財界のリーダーや研究者ら約750人を対象に意識調査を実施した。リスクを「実際に起こると、複数の国や業界に深刻な影響を及ぼす出来事」と定義し、29種類のリスクについて、起こった場合の影響と10年以内の発生可能性を各7段階で評価してもらった。
 影響が大きいリスクでは、前年5位だった「温暖化対策の失敗」が環境関連で初めて1位になった。昨年12月には産業革命前からの気温上昇を2度未満に抑えるとする「パリ協定」が採択され、対策の機運も高まっているが、同フォーラムは「温暖化は食糧や水不足を招き、難民問題を悪化させるなど、他の問題にも悪影響を与える」と指摘する。2位は大量破壊兵器(前年3位)、3位は水不足(同1位)だった。
 起こる可能性の高いリスクは、欧州の難民問題などを受け、前年は10位以下だった「大規模な強制的移住」が急上昇した。次いで異常気象が2位、温暖化対策の失敗が3位と、温暖化に関連するリスクが上位に入った。』(2016年1月18日 毎日新聞)


この手の“温暖化利権に群がるゴロツキ”は、反原発ゴロと同じ匂いがする。
また、経済指標がいくら悪化しても“アベノミクスは大成功”と唱え続ける安倍信者や“国の借金が膨らみ続けて日本経済は破綻する”と叫ぶオオカミ少年の連中と同類の狂信者とも言える。

地球温暖化対策みたいなエアリー感の漂うどうでもよい問題よりも、現実の世界には、喫緊に解決すべき諸課題が山積している。

先進諸国では、過度な自由化と移民の促進による雇用の不安定化、緊縮気味の財政運営による極度の需要不足からくる売上や所得の低迷などにより社会基盤の破壊が進み、我が国においても、一時より減ったとはいえ、毎年2万人以上もの貴重な人命が自殺という最悪な形で失われている。

また、発展途上国においては、内戦による政治の不安定化、宗教上の対立や少数民族への弾圧、輸出不振や為替変動などによる経済の変調もあり、相変わらず混沌とした状態が続いている。こうした国々では、人命などいとも簡単に奪われる儚い存在でしかない。
“世界の政財界のリーダーや研究者ら”とやらが気にしている以上に凄惨なリスクが、既に世界中で噴出しているのだ。

だいたい、彼らのように大所高所から夢物語を語っておればよいような結構なご身分の連中は、世情のことを知らなすぎるし、世の中の仕組みに対する関心がなさすぎる。
だが、そうした下賤な連中に限って、下手に社会的な地位だけは高いが故に、マスコミの連中に煽てられ、自身が裸の王様状態にあることに気付けないから手に負えない。


地球温暖化問題に対しては、従来から懐疑の眼が向けられている。
長期的視点で考えると、地球はこれから寒冷期に向かうとさえ論じる学者もいるほどだ。

温暖化問題については、真偽が疑われる事件やデータがいくつも公表されている。

2009年のクライメイトゲート事件(英国イーストアングリア大学に設置された独立レビュー組織がハッキングされ、1900年以降に空気中の二酸化炭素が占める割合が急上昇したようにグラフが改竄されていたという内容の電子メールなどが流出した事件)が、地球温暖化ゴロの摘発につながるかと期待されたが、温暖化に群がるインナーサークルの連中や温暖化への警鐘を鳴らし続けることで快感を得たい馬鹿者たちにより、見事に有耶無耶にされてしまった。

しかし、その後も、2015年9月に、米・エール大学の専門家らが率いる15カ国の国際研究チームから、地球上にある樹木の本数が、これまでの“約4千億本”という推定値を遥かに上回る“約3兆本”にも上ったと発表され、温暖化の影響で地球上の森林が失われつつある、というお決まりのデマの一つが否定される事態となった。

また、2015年11月には、NASAから、南極大陸で失われる氷よりも増える氷の量が多いとの研究結果が発表され、温暖化利権屋による“南極の氷の融解が海面上昇につながる”という悪質なデマも梯子を外されてしまった。


しかし、美味しい利権に群がる連中もしぶといものだ。

我が国でも、京都議定書に定められた温室効果ガス排出削減の目標達成のために、火力発電所等の大規模排出源から分離回収した大量のCO2を地下深部塩水層に貯留するCO2地中貯留技術の実証に莫大な予算がつけられている。(平成28年度要求額69億円、累計で数百億円にも上る)

まさに、穴を掘って二酸化炭素を埋めるという、まことにバカバカしい事業に、よくこれだけの予算が付くものだと呆れ返る。
いつもなら、政府の無駄遣いの粗探しに余念がないバカマスコミも、こうした“砂遊びにも等しい無駄な事業”には一切批判を浴びせようとしない。

そもそも、地球規模の気候変動など、到底、人智の及ぶところではなく、人間の出る幕ではない。
そんなものは放っておき、自分たちの社会活動や経済活動に勤しんでおればよい

仮に、人の力で何とかしようとするのなら、エネルギーを無駄遣いしてCO2を垂れ流しているアメリカ、中国、インド辺りを槍玉に挙げて、彼らに率先して責任を取らせるべきだ。

いまを懸命に生きざるを得ない我々は、生活上のリスクから隔絶された呑気な雲上人の戯言など聞いている暇などない。
温暖化みたいなフワフワしたフィクションにかまける暇があれば、実生活を脅かしているリスクへの対策を最優先とし、そちらから早急に着手すべきだろう。

2016年1月18日 (月)

需要のコントロールを諦めた途端に経済は歩みを止めるもの

『軽自動車販売、突如「大幅減少」の真相とは 消費増税「駆け込み」期待に成算はあるか』

「2015年の国内新車販売台数(軽自動車含む)は、前年比9.3%減の504万6511台だった。辛うじて500万台の大台は保ったものの、東日本大震災やタイ洪水の影響で部品供給網が寸断された2011年以来、4年ぶりの前年割れとなった。
特に、2015年4月に増税された軽自動車は16.6%減と大きく落ち込んだ。自動車業界は2016年の市場動向について、2017年4月の消費増税を控えた駆け込み需要などを期待しているが、若者の車離れなどもあり、どの程度回復するかは極めて不透明な状況だ。』
(2016年1月18日JCASTニュース)

軽自動車市場が大きな岐路に立っているようだ。

2013、14年と二年連続で200万台の大台を超えて過去最高の販売台数を更新していたが、昨年は一転して、17.9%減だった1975年以来の大幅なダウンとなった。

軽自動車税が2015年4月に7200円から1万800円へと大幅に増税されたことが主な要因とされているが、4万円前後もする普通車の税額に比べると、まだまだ安い水準にあり、増税だけが原因とは言い切れない。

筆者は、近年の軽自動車価格の高価格設定が、主な購買層であった若者や主婦層に敬遠され、自動車税額の増税をきっかけに、軽自動車離れが一気に具現化したものと推測する。

最近の軽自動車は結構高い。

スズキやダイハツのディーラーの展示場にある軽自動車に貼り付けられた価格表を見ると、中古車でも150万円以上するものが結構ある。
新車ともなると200万円を超えるものまであり、コンパクトカーより高い車種も珍しくない。
“軽自動車=100万円くらい”というイメージは、とっくの昔に消え去り、ひとむかし前ならカローラクラスの車が買えるくらい強気の価格設定になっている。

若者層の雇用や所得は相変わらず不安定で、増えているのは非正規雇用の口ばかり、という現状では、もはや、若者にとって、軽自動車すら高嶺の花といわざるを得まい。
記事では、例のごとく“若者の車離れ”の一言で済まそうとしているが、若者側としては、生活の足として手に入れたくとも財布にお金が無くて買えないというのが実状だろう。

軽自動車大手のスズキ、ダイハツともに、工場の稼働余力は十分にあるだろうが、肝心の需要が盛り上がらないことにはどうしようもない。

そして、この手の需要不足による販売減少に悩んでいる業界は、衣料品しかり、飲食業界や家電業界しかり、多々存在している。

こうしたマクロ単位での苦境から脱するには、個々の企業の頑張りだけでは、まったくの力不足で、政府による大規模かつ長期的な需要刺激策が欠かせない。

たとえ、魅力的な商品やサービスで潜在需要とやらを刺激しても、マクロ全体の需要能力にキャップが嵌められている状況では、その分だけ別の商品・サービスが割りを食うだけ(代替消費の発生)で、一国の経済全体が成長することはなく、全体の所得も伸びて行かない。

立ち遅れているとはいえ、日本のGDPは500兆円もあるのだから、いくら個々の企業が踏ん張っても、国全体の経済を牽引できるわけがない。
ここは、通貨の発行権限を持つ政府の出番であろう。

当ブログでも、以前にご紹介したが、江戸時代から明治初期にかけて、我が国では8回もの貨幣改鋳という大規模な財政政策が実行された記録がある。

貨幣改鋳は、貨幣が流通界において毀損したとき、あるいは、時の政府が改鋳益金の収得を意図して、貨幣の品位・量目などを変えて新しい貨幣を鋳造することにより、市中に大規模な財政政策と同じ効果を生むもので、元禄8年(1695年)に当時の勘定吟味役であった荻原重秀が編み出した「元禄の改鋳」が有名である。

また、暴れん坊将軍のモデルとして有名な徳川吉宗も、自らの倹約令によるデフレ政策や当時の“諸色(諸物価)高の米価安”がもたらした政権基盤の脆弱化に対して、町奉行の大岡忠相や勘定奉行の細田時以らの献策により実施された元文の改鋳により、ようやく経済を安定化させることに成功している。

日銀金融研究所の資料(貨幣博物館「第27話米将軍吉宗と元文の改鋳」)でも、元文の改鋳に対して、次のとおり高く評価している。
「深刻なデフレ下にあった 日本経済に「干天の慈雨」のような恵みを与えた。例えば大坂の米価は、改鋳直後の元文元年 から同5年までの5年間で2倍にまで騰貴する など、徳川幕府の企図したとおりの物価上昇が みられた。こうしたなかで経済情勢も好転し、 元文期に制定された金銀貨は、その後80年もの間、安定的に流通した。
一方、幕府財政は、相対米価の上昇、年貢の 増徴のほか、貨幣流通量増加の一部が改鋳差益 として流入したこともあって大きく改善した。この傾向は宝暦期後半まで続いた。このように元文の改鋳は、日本経済に好影響をもたらしたと積極的に評価される数少ない改鋳であった。」

元禄の改鋳こそ日本経済史に記念すべき画期的な経済政策だと考える筆者にとって、最後の一文は余計だが、“通貨信認教”の熱烈な信者たる日銀に、ここまで言わせしめたのは、感嘆に値する。

江戸時代は、総じて、経済の実論よりも朱子学的な倫理観の方が優先される頭でっかちな世の中であったが、そんな不器用な時代にあっても、実体経済に流通する貨幣量(=消費や投資に直接的に使えるお金)を増やすことが需要不足の解消やデフレ不況脱却に必要だという適切なマクロ経済政策の原理をきちんと理解し、周囲の強硬な反対を押し切って実践する力を持った賢人たちが数多存在した証左でもあろう。

先の資料にも、「幕臣たちは、金銀貨の改鋳による通貨量の拡大を幾度となく進言したが、
元禄の改鋳が一般庶民を苦しめた(※この部分は誤り)ことを熟知していた吉宗は、なかなか首を縦に振らなかった」との記載がある。
“倹約や綱紀粛正こそ将軍の仕事”、というバカげた発想しかなかった吉宗のことだから、さぞや周囲の人間も説得に苦労したことだろうが、やってみれば、“日本経済に「干天の慈雨」のような恵みを与えた”そうだから、改鋳による大規模な財政政策が果たした役割は大きいと言えるだろう。

上記では、一般庶民を苦しめたと腐された元禄の改鋳についても、「江戸時代における改鋳の歴史とその評価(大塚英樹、日本銀行金融研究所/金融研究/1999.9)」という資料では、「当時の経済には相当のデフレ・ギャップがあったと考えられることから、貨幣改鋳は物価をさほど上昇させることなく、実質所得を上昇させる効果をもっていたものと思われる。元禄期における都市の繁栄や町人文化の興隆など、いわゆる元禄繚乱の姿は、貨幣収縮下の経済では現出しなかったであろう。そうした意味で、元禄改鋳は幕府財政を潤すと同時に、経済全体にとってはすぐれたリフレ効果を発揮したと思われる(速水・宮本[1988]」と、正当な評価がなされている。

いまから300年以上も前の日本人に実践できた政策を、平成の世に実行できない理由など一ミリもない。
江戸時代では到底考えられぬほど生産能力や物流能力が飛躍的に発達した現代なら、国債の増発はおろか、政府紙幣を大規模に発行しても、極めて適切な水準に物価を抑えることなど、いとも容易いことだろう。

自動車税率が少々上がったくらいで、売上が十数パーセントも落ち込んでは、軽自動車業界もたまるまい。
そんな苦労をせずとも、漸増的に販売量を増やし、業界全体が売上面の心配をせず自動車の性能アップに邁進できるようなマクロ経済環境を創りだすことこそ、国全体の経済的効用の向上につながるのだ。

いくらでも創りだせるカネを惜しんでいる暇はない。
需要不足による不況がもたらす長期的な技術力や供給力の棄損にこそ恐怖心を抱くべきなのだ。

2016年1月15日 (金)

期待と不安を分けるもの

『インフレ期待低下続けば金利見通し再考=米セントルイス連銀総裁』
“米セントルイス地区連銀のブラード総裁は、米経済は引き続き健全な軌道にあるものの、継続的なインフレ期待の低下により、自身の金利見通しを見直す可能性があるとの認識を示した。(2016年1月15日ロイター記事)”

昨今の中国をはじめとする新興諸国経済の変調を受け、さしもの米国も、利上げに対する自信が揺らいでいるようだ。

さて、我が国の金融当局の動きだが、物価目標2%達成に苦労していることを認めつつも、経済環境の変化を認めようとはせずに、相変わらず景気動向や物価そのものには強気な見方をしている。

“日銀は12日、黒田東彦総裁がパリで予定していた講演の準備原稿を公表した。デフレマインドを転換するには中央銀行の断固たる決意が必要と強調している。
日銀が現在進めている大胆な金融緩和である「量的・質的緩和(QQE)」について、「所期の効果を発揮しており、物価の基調は着実に改善している」と強調。「生鮮食品とエネルギーを除いたCPIの上昇率は26カ月連続してプラスとなっており11月に1.2%となった」と指摘。
その上で「2%目標達成に向けた取り組みは依然として途半ば」とし、「人々の間に染み付いたデフレマインドを転換するのは簡単ではないが、誰かが断固たる決意を持って行動しなければならない。問題が物価である以上、その役割を果たすのは中央銀行だ」と言い切った。
日本とユーロ圏の金融政策については、「近い将来に」成功することを確信していると強調。(2016年1月12日ロイター記事)”

黒田総裁は金融緩和政策の成功を確信していると強弁したいようだが、「近い将来」とやらが訪れる可能性は(少なくとも在任中は)限りなくゼロに近いだろう。

量的金融緩和を主軸とするインフレ・ターゲット政策の狙いは、日銀が国債やETF・REIT等のリスク商品を市場から購入して金融市場等にマネーを大量に供給することで生じる
・金利の長期的な低下予想による時間軸効果
・金融システムの安定化
・ポートフォリオ・リバランス効果(金融機関の自発的な投融資活性化)
・為替の円安効果
・金融資産等の価格押し上げ効果
等といった効果により家計や企業に「インフレ期待(実質金利の低下)」を発生させて消費や投資意欲を刺激する、という点にある。

インフレ・ターゲット政策の成否を握るのは、ひとえに、インフレ期待を生じさせることができるか、という点に集約される。

「インフレ期待」の定義を調べると、
“インフレーションの傾向がある期間続くと,今後もそれが持続するものと想定して経済主体が行動するようになること。実体経済の正常な活動を阻害する働きがある。(三省堂大辞林より)”という説明がなされている。

これを読んで筆者も意外に感じたのだが、継続的なインフレを想定して経済主体(家計や企業等)が取る行為が、あくまで、「行動する」としか記されていないのだ。

インフレ“期待”というくらいだから、当然、経済主体は前向きに行動するはずと思い込んでいたが、「行動する」という表現を使い、それが前向きなのか、後ろ向きなのか明言を避けている。

さらに、説明文では、「実体経済の正常な活動を阻害する働きがある」とかなり否定的なニュアンスまで用いているが、リフレ派の連中がこれを読んだら激怒するのではないか?

大辞林が、上記の否定的なニュアンスを使ったのは、単純に、物価上昇を悪だと決めつける旧来の発想によるものだろうが、経済政策に興味を持たない大多数の国民の気持ちを代弁したものとも言える。

長期的かつ持続的なインフレ予想は、それが、所得や収益の増加に後押しされたディマンドプル型のものであればよいが、輸入物価等の価格高騰に起因するコストプッシュ型のものであれば、人々はインフレに対して否定的な感情しか抱けず、そこの生じるのは「インフレ期待」ではなく「インフレ不安」だろう。

インフレ予想がもたらすのは、果たして、「期待」か「不安」か、その結果を左右する分水嶺となるのは、経済主体の所得や収益が増えるか否か、つまり、実際に財布の中身が増え、これからも増えるだろうという未来を確信できるか、という点に尽きる。

巷には、金融緩和政策を指して、「お金を刷ってバラまいている」かのように喧伝する輩がおり、当のリフレ派も、緩和政策が実体経済に強い影響を及ぼせるかのように装えるため、殊更それを注意することなく都合よくスルーしているが、そういった表現は全くの誤りである。

金融緩和政策は、世の中(実体経済)にお金をバラまいてなどいない。
単に、金融市場で国債や債券を現金と両替しているだけに過ぎず、そこで両替されたお金が、家計や企業の所得になって実体経済へ直接的に出ていく訳ではない。

だからこそ、金融緩和政策の一本足打法ではダメなのだ。

いまやるべきことは、バラマキを否定することではなく、その逆である。
大規模かつ長期的な財政金融政策により、実体経済に消費や投資に使えるお金をバラまき、小学生でも実感できるくらい明確なインフレ期待を生じさせることだろう。

日頃は、清廉潔白なツラをして「行政をスリム化しろ」、「ムダ遣いやバラマキを止めろ」と騒ぐ国民も、所詮は現金な生き物でしかないから、いざ自分の懐が温まれば、飲んだり食ったり余計な買い物をしたりして無駄遣いを始めるものだ。
そういった単純なカネの流れを極大化し、マクロ経済を押し動かすことなく日本経済の前進はあり得ない。

このまま金融緩和政策一本槍に固執し続ければ、黒田総裁は、今年も、金融政策決定会合のたびにオオカミ少年呼ばわりされる羽目になるだろう。
これ以上恥を晒さぬためにも、早々に金融緩和政策の限界を認め、財政政策への救難信号を発すべきだ。

2016年1月14日 (木)

包丁を研げば料理の味が旨くなるという妄想

昨年12月24日に開催された経済財政諮問会議に「平成28年度の経済見通しと経済財政運営の基本的態度(平成27年12月22日閣議了解)」なる資料が提出されている。

同資料は、平成28年度の主要な経済指標の見通しを数値で示したもので、実質GDP成長率1.7%程度、名目GDP成長率3.1%程度、消費者物価(総合)1.2%程度の上昇を見込んでいる。

無論、これらは、例のGDP統計方法の変更(研究開発費の計上)による“嵩上げ”を加味したものだろうが、これまでと違い、「アメリカの金融政策の正常化が進む中、中国を始めとする新興国等の景気の下振れ、金融資本・商品市場の動向、地政学的な不確実性等」を認めており、いわゆる“外需依存”から脱却した表現となっている。

ちなみに、実質経済成長率に対する外需の寄与度は▲0.1%程度と、早くも諦めムードを漂わせている。(その割にTPPの効果試算では、今後の外需効果をかなり過大に見込んでいるようだが…)

では、上記の嵩上げのほかに、何が成長を担保するのかといえば、
(ⅰ)民間最終消費支出
雇用・所得環境の改善により、緩やかに増加する。また、消費税率引上げ前の増加が見込まれる(対前年度比2.0%程度の増)。
(ⅱ)民間住宅投資
雇用・所得環境の改善により、緩やかに増加する。また、消費税率引上げ前の増加が見込まれる(対前年度比3.8%程度の増)。
(ⅲ)民間企業設備投資
企業収益の改善や各種政策の効果等もあり、緩やかに増加する(対前年度比4.5%程度の増)
と、根拠不明の“民需新三本の矢”を主軸に据えるつもりらしい。

しかし、政府が過大な期待をかける民需を取り巻く環境はかなり厳しいものになろう。

個人消費については、昨年末に公表されたとおり、家計消費支出や実収入は明らかに減少トレンドに入っている。
しかも、今年の1~11月の間で、実績値が前年を上回ったのは1世帯当たりの消費支出は5月と8月の2回だけ、勤労者世帯の実収入は4~8月の5回だけで、残りは全てマイナスという有り様だ。

また、新規住宅着工件数は昨年こそ90万戸を少し超える見通しにあり、一昨年を若干上回るペースを維持できたが、これとて比較対象になるのは、消費税増税後の反動減に見舞われた平成26年の数値である点に注意が必要である。

平成28年に着工件数のアクセルをフカすためには、文字通り消費税再引上げの断行に伴う駆け込み需要を発生させる必要があるだろうが、それによる翌年以降の反動減は避けられないし、個人消費の下落傾向が定着しつつある中で、ひょっとすると、個人消費の前倒し減に見舞われる可能性もある。

企業の設備投資については、2015年11月の機械受注統計(季節調整値)が公表され、中国経済をはじめ海外経済の先行き不透明感が強まる中、製造業、非製造業とも幅広い業種でマイナスとなり、民間設備投資の先行指標となる「船舶・電力を除く民需」の受注額が、前月比14.4%減の7738億円となり3カ月ぶりに縮小した、と報じられたばかりだ。

外需の先行きが極めて不透明感を増す中で、企業の設備投資は老朽化に起因するものが目立ち、とても、対前年度比4.5%UPするようなプラス材料を見出すことはできない。
(統計方法やデータの数値を弄るなら別だが…)

政府サイドは口では強気な発言を繰り返しているが、いまひとつ民需の盛り上がりに確信が持てないのか、会議の中で林経産大臣から、「各企業による積極的な設備投資と賃上げ、取引先企業に対する価格転嫁について、私を先頭に、経済産業省を挙げて200を超える業界団体に対して投資や賃上げを強くお願いする。これが言いっ放しとならないよう、東証一部上場企業と中小企業3万社に対してフォローアップ調査を実施していく」との発言もあった。

つまり、企業に投資や賃上げを丁重に要請するだけでは収まらず、追跡調査までセットして脅しをかけねばならぬほど追い詰められているわけだが、これなど、民需の自発的な拡大に自信を持てない何よりの証拠だろう。

また、経済財政諮問会議の議事録を見ると、相変わらず「生産性革命と働き方改革」、「賃金・所得の向上を引き出すサプライサイドの強化」、「多様な潜在ニーズを顕在化させること等を通じた消費等の喚起」といったサプライサイド振興にどっぷりハマっている様子が窺える。

彼らは、政府が企業に声掛けし、サプライサイドを強化すれば民需が熱を帯びるものだと信じ込んでいるようだ。

だが、「生産性革命と働き方改革」はコストカットによる下請けいじめの激化と雇用の流動化を、「賃金・所得の向上を引き出すサプライサイドの強化」は高齢者や女性活用による低賃金労働の常態化を、「多様な潜在ニーズを顕在化させること等を通じた消費等の喚起」は公的部門の産業化(=民間への切り売り)を体よく言い換えただけのことに過ぎず、そんなものを断行しても、家計や企業の所得や収益を増やすことにはならないから、民需の活性化につながるはずがない。

経済財政諮問会議なる如何わしい民間会議のメンバーは、経済政策の要点が、とっくの昔に、サプライサイドからディマンドサイドに移っていることに未だに気づいていない、というより、認められないと言った方が適切か。

ようやく、彼らも、外需の脆弱さや先行きの不透明さを認めざるを得なくなったようだが、今度は、賃上げ要請(経団連はベ・アを拒否しているが…)とサプライサイド強化で内需拡大を図るという“珍説”を持ち出して抵抗を試みている。

統計数値を誤魔化したり、でたらめなTPPの経済効果分析を提示して自己満足している場合ではないはずだ。
家計の収入や支出だけでなく、企業の設備投資まで減退のサインが出ていることに強い危機感を抱くべきだ。

いつまでも持説に固執して経済環境の変化に対応できず、的外れな政策ばかり打とうとする様は滑稽でしかない。
だが、このまま新自由主義者どもの改革ごっこを放置すれば、不況の最大要因である「需要不足への対策」が蔑ろにされ続け、経済の悪化に歯止めが掛からなくなる恐れがあろう。

大局を読めず環境の変化に対応する気のない愚か者には、早々に退出願いたい。

ところで、今回の経済財政諮問会議の資料に、金融緩和政策に関する記述はないものかと探したが、議事録には見当たらず、添付資料の末尾に『日本銀行には、経済・物価情勢を踏まえつつ、2%の物価安定目標を実現することを期待する』と申し訳程度に記されていた。
しかも、いつも同じセリフの定型文が貼り付けられているだけの雑な扱いである。

リフレ派の連中は、安倍政権に懸命に尻尾を振っているが、政権側は、金融緩和政策に大した関心を持っていないようだ。
これ以上、忠義を示しても、見返りや恩賞は期待できないものと心得て、見切りをつけるべき時期だろう。

2016年1月12日 (火)

環境の変化に対応しきれない(自称)経営者たち

『ユニクロ、大幅減益 暖冬で冬物不振 昨年9~11月』

“衣料品大手「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが、暖冬で大幅減益となった。7日に発表した20159~11月(第1四半期)の決算は、売上高は海外出店などで前年同期比8.5%増の5203億円だったが、営業利益は同16.9%減の759億円にとどまった。

 ユニクロの国内の既存店売上高は9,10月は前年を上回ったものの、平年より気温が高かった11月は8.9%減と大幅ダウン。保温機能のあるヒートテックやフリースなどの売れ行きが苦戦したという。世界的にも暖冬で、海外でも冬物衣料がふるわなかった。

 12月も暖かさは続き、国内の既存店売上高は前年より11.9%減だった。ファーストリテイリングは通期の業績予想を下方修正し、売上高を19千億円から18千億円に、営業利益を2千億円から1800億円に引き下げた。(201617日朝日新聞デジタル)“

 

 

国内衣料品販売大手のユニクロの経営が踊り場を迎えている。

 

上記の報道に関する東洋経済オンラインでは、最近の業績不振の要因を

“ユニクロは円安に伴う原価の上昇を理由に、秋冬商品から約2割の商品を平均1割値上げしている。2014年に続く2年連続の値上げとなり、割高感は強まっている。岡崎CFOは「値上げの影響は限定的」とするが、客離れが起きていることは否めない。

 国内大手証券のアナリストは「暖冬の影響が一番大きいが、値上げが消費者に十分支持されていないことも国内不振の背景にある」としたうえで、「たとえばウルトラライトダウンは3割近い値上げなっているが、それに消費者がおカネを払うか疑問だ」“

と解説している。

 

今回の決算説明において、ユニクロの岡崎グループ上席執行役員CFOから、「想定を超える暖冬だったことに加え、暖冬でも売れる商品構成になっていなかった」、「品番数の増加により焦点がぼやけ、(テレビCMやチラシで)個々の商品の付加価値を伝えきれなかった」との説明があったが、要するに、企業の都合でコストプッシュ分の値上げを強行したが、それが商品自体の付加価値向上を伴わない一方的な値上げであったため、実質賃金が伸びていない消費者から敬遠されてしまった、ということだろう。

 

ユニクロ側は「暖冬という環境の変化」を言い訳にしたいようだが、それは、当社の柳井社長の経営哲学を否定する考え方ではないか。

 

当の柳井社長は、2010年に上梓した「ユニクロ・柳井正一 仕掛けて売り切るヒット力」(ぱる出版)の中で、次のように力説している。

<インタビュアー>

“ユニクロがよく売れるのはデフレやバブル崩壊と関係があるのか。

 

<柳井氏>

“「全く関係ない。日本国内以上に海外でよく売れている。景気が良い中国でも、ニューヨークやパリでも、韓国でもよく売れる。客単価も昨年より増えた。

私たちの名前を取り上げてデフレを合理化するのは受け入れられない。どこがデフレなのか。

私たちの看板商品のヒートテックセーターは1500円だ。ほとんどの競合他社の商品は1000円以下だ。それでも売れない。

私たちは05年、主要国内新聞の1面で‘ユニクロは低価格をやめる’と宣言した。価格に比べて良い商品という言葉は聞きたくない。ただ良い商品だと評価されたい」“

 

当のユニクロは、柳井社長の宣言どおり2年連続で商品価格を値上げし、文字通り“低価格を止めた”わけだが、結果はご覧のとおり惨憺たるものだった。

 

柳井氏の哲学が正解ならば、“商品力さえあればデフレなんて関係ない”はずだが、現実はそれほど甘くはない。

国内市場で大幅な減収減益に転落したばかりか、頼みの海外市場でも、中国以外の韓国、米国、台湾、香港では、景気低迷の影響を受けて計画を大きく下回ったり、大幅な減益を余儀なくされている。

 

同書のまえがきには、こう書かれている。

「小売りを取り巻く環境は常に激変している。複雑な要素が絡み合い、今日の小売り環境は昨日のそれとは一変している。小売りの経営者はそうした日々激変する環境にビビッドに対応しなければならない。」

 

この書籍では、山口の田舎のみすぼらしい衣料品店に過ぎなかったユニクロを、一代で国内を代表するトップメーカーに育て上げた柳井氏こそが、激変する経営環境を上手く乗り切ってきた真の成功者であるとヨイショしているのだが、果たして、激変する環境にビビッドに対応して値上げを強行した柳井氏の経営判断は正解だったのだろうか?

 

今回採り上げた書籍だけではなく、「環境の変化に適応した者こそが真の勝者」という言葉は、経営学を語るうえで、もはや定石の域に達していると言ってよいだろう。

 

しかし、本当に環境の変化を読み取れる経営者は、案外少ないものだ。

 

多くの経営者は、「実体経済の環境の変化」よりも、自社や自身の経営目標の方を優先させがちになる。

家計の実質所得は減り続けているにもかかわらず、ユニクロのように、自社のブランド力を過信して、原材料の高騰を消費者に押し付けて反発を食らい失着を重ねる事例は枚挙に暇がない。(マクドナルドも同じ失敗を繰り返している)

 

今回のような経営判断のミスが横行するのも、大手企業の経営者自身が、デフレや不況を直接的に体感できていないせいだろう。

 

経団連の連中のように、“アベノミクスと旺盛な外需の取り込みにより日本経済は着実に回復している(はず)という「物語」”を前提に経営判断しようとするバカ者が後を絶たないが、切迫する実体経済から目を背け、自分が勝手に創り上げたサクセスストーリーに溺れているだけだ。

 

彼らのような現実を読み切れない無能な経営者こそ、“環境の変化に対応しきれない絶滅危惧種”だと言ってよいだろう。

2016年1月 8日 (金)

豆を惜しんで熱気を萎ませる愚行

ついこの間、クリスマスや正月商品がスーパーの棚を埋め尽くしていたかと思えば、もう節分用の豆やお菓子が所狭しと並べられている。

節分といえば、成田山新勝寺の節分会が有名で、「国土安穏・万民豊楽・五穀豊穣・転禍為福」を祈願し、大相撲の力士や芸能人が境内の上から観衆に向かって豆まきする姿が、いつもTVで報じられている。

集まった観衆は、境内から大量にバラまかれる剣守や大豆、落花生などを拾おうと、右往左往しながら必死に手を伸ばして宙を舞うお守りや豆を何とか手にしようとし、会場は大変な熱気に包まれている。

筆者は、成田山に行ったことはないが、この映像を見るたびに、幼い頃に近所で行われた上棟式(棟上げ)の光景を思い出す。
上棟式は、家を建てるときに柱や梁など骨組みができて棟木を上げるに際して行う儀式で、施主や関係者が柱の上に上り、縁起物として、大小のお餅や5円玉などを撒く風習である。

そこには近隣の住民や子供らが集まり、上からバラまかれる餅や硬貨を拾おうと、エサを取り合う猿のように恥も外聞もなく餅拾いに熱狂していた。
(中には、開いた傘を逆さまに持ち、餅をキャッチしようとしていたツワモノもいた)

こうした光景は、経済活動の熱気に、どこか通ずるものがある。
バラまかれる豆や餅は、実体経済における商機や仕事の発注、雇用等に喩えられ、それを手にしようと群がる人々の動きや熱量は、投資や消費の活発度に模して考えられるだろう。

バラまかれる豆や餅の量が多ければ多いほど、また、その範囲が広ければ広いほど、群衆の熱気は高まって拾集を狙った活動量は多くなり、会場のボルテージも更に上がろうというものだ。

もし、撒かれる豆の量がほんの僅かで、撒く範囲も限定されていたり、はたまた、撒いた豆はレプリカだから後で返却するよう群衆に伝えたりしたなら、会場はどうなるだろうか。

今更会場に駆けつけても、もう自分が撒かれた豆を拾えるチャンスはないと諦めるか、どうせ返さなければならないのなら、面倒くさいから行くのを止めにしようと思うことだろう。
これでは、せっかく用意した会場も閑古鳥の群れに包まれるだけだ。

マクロ経済の仕組みも同じようなものだろう。

政界や財界の連中は、今年の景気回復を個人消費や企業の設備投資の活性化に託そうとしているが、出てくる政策はといえば、税制をチョコチョコ弄ったり、極めて限定的かつ一時的な給付金を撒いたりする程度で、消費や投資の活性化を促すには、圧倒的に力不足なものばかりだ。

あたかも、落花生の種を撒いて高級メロンの収穫を期待するような、まことに図々しい皮算用だと言えよう。
高級果実が欲しければ、それに見合った種を撒き、糖度を高めるための施肥や管理の手間を掛ける必要があることくらい小学生でも解かりそうなものだ。

長らく低迷した個人消費や設備投資に火を点けるには何が必要か、常識で判断すべきだろう。
家計や企業は、「改革」とか「再建」という“きれいごと”にカネを使うことはない。

バラマキによるモラル低下を懸念する向きもあるだろうが、清貧に甘んじて冬眠させられるよりも、多少の混沌や秩序の乱れの中でも旺盛なエネルギーを発していられる社会の方が遥かにマシだ。

彼らの欲求を大いに刺激し、実需を動かすためには、彼らが最も欲するものを提供してやらねばなるまい。
それは、「(収益の取れる)仕事」であり「(まともな条件の)雇用」であろう。
つまり、最終的な売上や所得(=消費や投資に直接的に使えるお金)の獲得に直結する機会の提供である。

仕事や雇用を介して技術力やサービス提供力の維持向上を図るのも良いし、急を要する部分には給付の形で直接分配するのも良い。(分配オンリーというバカは論外だが…)

こうした機会や商機を、どんどんバラまく(きれいな言葉で修飾するなら「創出する」)ことが、家計や企業の意欲を刺激し、経済の善循環につながるのだ。

家計が増税で苦しんでいるなら、減税や社保料負担の軽減などで対応すればよい。
企業が受注不足で苦しんでいるなら、公共事業量の拡大と受注条件緩和で商機を提供すればよい。

突き詰めていけば、家計も企業も、最終的には“消費や投資に直接的に使えるお金”が欲しいだけのことだから、何も難しく考える必要はないはずだろう。

2016年1月 5日 (火)

感応度の低い政策をいくら打っても意味がない

日銀黒田総裁は、4日に都内で開かれた生命保険協会の新年の会合に出席し、念願の物価目標達成に向けて、「できることは何でもやり、2%の物価目標上昇は必ず実現する」と述べ、今後の金融政策について、「必要と判断すれば、さらに思い切った対応を取る」と強調した。

黒田総裁は、先月24日の経団連の審議員会でも「(目標達成のために)できることは何でもやる」と言い切っているが、新年早々これに続く強気発言をした裏には、前回の黒田バズーカ3が、あまりに不評だったことへの反発や一部で囁かれている“緩和限界説”を払拭する狙いがあると言われている。

1月5日付日経新聞のコラムでも、『物価2%「思い切って対応」 日銀総裁一段と強調』という表題を付して取り上げられているが、コラムによると、総裁の積極的な発言の背景には、“緩和観測が薄らげば、4年間続いた円安・株高の流れにブレーキがかかり、デフレ脱却が難しくなるとの危機感がある。「動く日銀」をアピールすることで、企業に設備投資や賃上げを促したいという本音も透ける”と解説している。

先ず、こういった経済政策を打つに当たり、国民やマーケットの連中の後手に回っては意味がない。
経済環境が悪化したのを見計らった後でノロノロ重い腰を上げても遅いのだ。
対策が“too late too little”であるほど政策効果も薄く、結果として、経済政策そのものが疑問視され、無駄とかバラマキだといったレッテル貼りをされる原因にもなる。

我が国の経済は、GDPは内閣府が筆を嘗めないとプラス成長に達せず、勤労者収入は停滞したまま、家計消費は落ち込んだまま、という状態で、相変わらず不況の底にある。

黒田総裁も、この期に及んで “必要と判断すれば”なんて言っているようでは、現状認識が甘すぎる。

とっくの昔に“必要と判断して、政府とのアコートを結び積極的な財政金融政策に着手”すべきだっただろう。
インフレ・ターゲットの達成に向けて、政府に大規模な財政政策を提言し、日銀が、異次元緩和政策により財源面でフルカバーし続ける姿勢を明確に表明すべきだ。
当面は、機関投資家を介した間接支援の形を取らざるを得ないが、それで足りないなら、堂々と法改正して直接引き受けへの道を開けばよい。
どうせ、遠からず、日銀による直接引き受けが避けて通れない時機が来る。

「日銀は政府の打ち出の小槌ではない」とか「財政規律が崩壊する」といった類いの批判の大合唱が沸き起こるだろうが、そんな戯言は無視しておけばよい。
景気が好循環基調に入れば、マスコミや国民からの文句なんてピタリと止んでしまうものだ。

日銀が3か月ごとに公表している「生活意識に関するアンケート調査」(第63回)~2015年9月調査~の結果を見ても、総体的な景気低迷感は否定しようがない。

≪景況感D.I=「良くなった(良くなる)-「悪くなった(悪くなる)」≫
・現在の景況感15.2(前回比+0.2)
 ※少なくとも、2012年12月調査以降一貫してマイナス
・1年後の景況感17.8(同3.9)

≪暮らし向きD.I.=「ゆとりが出てきた」-「ゆとりがなくなってきた」≫
・現在の暮らし向き▲41.0(前回比+0.7)
・1年後の暮らし向き15.2(同+0.2)
 ※「ゆとりが出てきた」という回答は、「ゆとりがなくなってきた」の1/8未満しかない

≪収入D.I.=「増えた(増える)」―「減った(減る)」≫
・現在の収入26.0(前回比+1.4)
・1年後の収入26.5(同1.5)
 ※「増える」という回答は、「減る」の1/4未満しかない

≪支出D.I.=「増えた(増やす)」―「減った(減らす)」≫
・現在の支出23.5(前回比3.7)
・1年後の支出▲43.3(同▲1.7)
 ※「増やす」という回答は、「減らす」のおよそ1/9ほどしかない

前回調査より少々改善している項目もあるが、100点満点のテストで10点しか取れなかった奴が今回は11点取ったからといって、そんなものは“改善”と呼べないことくらい誰にでも解かるだろう。
とにかく、景況感に関する絶対値や期待値が低すぎるのだ。

ちなみに、同調査で景況判断の根拠について尋ねた(複数回答可)ところ、「自分や家族の収入の状況から」(59.7%)との回答が最も多く、次いで「勤め先や自分の店の経営状況から」(34.4%)、「商店街、繁華街などの混み具合をみて」(22.0%)といった回答が多く、日銀の本気度との関連性を見て取ることはできない。
(以前の調査ではあった「日銀の金融政策を見て」という選択肢は、いつも回答率が“コンマ以下”のため、ついに選択肢から削除された模様)

また、商工中金のレポート(中小企業設備投資動向調査 [2015 年7 月調査])によると、設備投資に関する2015年度修正計画における投資目的の上位は、「設備の代替」 47.5%が最多で、次いで「維持・補修」27.1%、となっており、少なくとも2011年度以降、ずっとこの傾向が続いている。

昨今の設備投資実施企業割合の回復(といっても、97年~05年辺りと比較すると、1割以上低い数値なのだが…)を見て、金融緩和政策の手柄だと勘違いしているバカ者も散見されるが、なんのことはない、単に、我慢して使い続けてきた設備が老朽化の限度を超え、更新・修繕せざるを得なくなっただけのことだ。

筆者も、付き合いのある企業から設備投資に関する話をあまた聞く機会があるが、金融緩和政策のおかげとか、それによるインフレ期待に背中を押されて、なんて話を聞いたことは一度もない。

長期不況の最中にある現在は、ビジネスチャンスを狙って積極的にリスクを取る意欲が低下しており、投資判断をする際に、実質金利を含めて、金利に対する感応度が極めて低い、というより、(投資判断をする資格のある業績を誇る企業が)投資判断そのものをする機会自体が減っているように感じている。

それどころか、経営者に金融緩和政策の話を向けても、「政府の方針で金利を低く抑えてるんだろ?」くらいのもので、その内容や目的を理解できている者は、ほとんどいないと言ってよい。

黒田総裁は、“「動く日銀」をアピールすることで、企業に設備投資や賃上げを促”すつもりのようだが、残念ながら、いくらアピールしても、家計や企業がそれに反応を示すことはないと思う。

また、総裁の言う「思い切った対応」の方向性が見当違いの方向を向いていないことを祈るが、恐らく、ETFやJ-REIT、CPなどの買い入れ枠を増額するくらいが関の山だろう。

彼らのような新自由主義者は、常に、“思い切り”が悪く、方向性も見当違いだから、大した期待はできない。
今年も、経済問題の核心には触れようとせず、それを遠巻きにしたまま、役にも立たない政策を打ち続けることだろう。

2016年1月 2日 (土)

「幸せへの期待値」を高めることが若者世代に対する責任

新年に、17~19歳の若者世代に関するとある新聞の特集記事を目にした。
記事は、今夏の参議院議員選挙から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることを踏まえて、昨今のハイティーン層(もっとマシな呼び名はないものか…)の意識や行動などを評した内容だった。

記事によると、17~19歳の若者世代110名に意識調査をした結果、安保関連法案への反対運動で一躍有名になった「SEALDs」の活動に「共感する」と回答したのは、たったの17%に過ぎず、「共感しない」が42%にも上ったほか、40%が「知らない」と回答したそうだ。
街頭で10代の若者に聞いたところ、「戦争とか安保法とか、身近じゃない」、「そこまで頑張る意味って何だろう」と軽くいなされたとのこと。

あれだけ世間を(悪い意味で)賑わした現代版の反安保闘争も、若者の手に掛かってしまうと、「知らない(=興味がない)」の一言であっけなく片づけられてしまうものか。
国会前で幼稚なラップを謳って自己陶酔していたバカどもに、今回の結果をぜひ届けてほしいと思う。

当の新聞は、地方紙にありがちな反権力論全開(といっても、経済改革とか緊縮財政の話になると、急に、政権の太鼓持ちに早変わりするのだが…)の論調を売りにしているため、反安保運動に、賛意はおろか、関心すら示さないシラケた若者がお気に召さないようで、記事の後段では、若者叩きに奔走し始める。

“大人との摩擦や衝突を避け、「まじめ化」している(=大人に反抗する(良い意味での)エネルギーがない)”とか“見た目と違ってワルという子もいるし、インターネット系のいじめが増え、目に付きづらい”などと、今の若者が、無気力かつ陰湿化しているかのような印象を与える書き方をしている。


今回の記事の中で、特に、筆者が腹立たしいのは、現代の若者が置かれた社会環境に関する分析のくだりである。

先の調査の中で、今の生活について尋ねたところ、「非常に満足」、「まあ満足」との回答が72%に達したそうだが、この結果を受けて、記事では、北海道大学教授の浅川氏(教育社会学)のコメントを載せている。

浅川氏は、今の17~19歳世代を「満腹世代」と呼び、「高度消費社会に生まれ育った。その気になれば何でも手に入ると考えるから、飢えがない。一方、低成長時代を肌で知っていて、幸せへの期待値が元々低いこともある」と評している。

このコメントを読んで、苦労人を自称する焼け跡世代や団塊の世代辺りの半呆け人間なら、多くの者が、そのとおりだと首肯するのではないか。
「モノが溢れて苦労も不自由もなく育った今の若者は、昔と違って怠惰で贅沢だ」と思い込み、自己の相対的な優位性を保っていたい人間にとって、“今の若者=苦労知らず”というステレオタイプな批判をするために都合のよいカードを手にした気分だろう。

だが、浅川氏のコメントは、長期不況がもたらした世間の厳しい風に直接触れたことがないド素人の極めて画一的な見方だと思う。
端的に言うと、自分の目で現況を確かめもせず、新聞や雑誌に書かれてあった若者に対する印象記事をそのまま引用したかのような、薄っぺらいコピペコメントに過ぎないということだ。

まず、“高度消費社会に生まれ育った”の部分だが、高度消費社会を謳歌しているのは、今の若者に限ったことではない。

高度消費社会なんてものは、それこそ、何十年前の高度成長期から存在していたし、恐らく、江戸時代や室町時代を生きた人間を基準にすれば、列車が走り、洋食文化さえあった明治時代や大正時代だって、目を剥くほどの高度消費社会だったはずだ。

若者が駆使するPCやネット、スマホの存在を以って、“高度消費社会=現代特有の現象”だと定義づけするのは、いくらなんでも無理があるだろう。

次に、“その気になれば何でも手に入ると考えるから、飢えがない。”とのくだりは、とんでもない勘違いである。

これは、“今の世の中にはモノが溢れ返っている”という年長者特有のお決まりのフレーズから発せられた台詞だろうが、これも、先の高度消費社会云々と同じことで、戦後の焼け野原以降、高度経済成長期を経て、我が国は常に「モノが溢れ返っている時代」を過ごしてきたはずだ。

50代後半の浅川氏とて、若い頃にデパートやスーパーに行った折に、様々なモノやサービスが溢れ返っていた光景を目にしたことだろう。
筆者もたいがいな田舎育ちだが、子供の頃に、ちょっとしたスーパーに行けば、商品棚を埋め尽くす商品の数々を目にした覚えがある。

旧共産国家じゃないんだから、モノが溢れ返っていない時代を過ごした国民なんて、ごく僅かだろう。
時代に応じて、棚に陳列された商品が変化しただけで、いつの時代も物は溢れていたはずだ。

浅川氏の最大の勘違いは、今の若者が“その気になれば何でも手に入る”と思い込んでいる(もしくは、思い込みたい)点である。

小泉バカ政権以降、日本の雇用の質が大幅に低下していることは論を待たないが、いつの時代もその悪影響を真っ先に被ってきたのは若者世代だ。

年代別の非正規雇用の割合の推移を見ると、15~24歳層では2000年の23%(データがあるのは2000年から)から2012年には31.2%、25~34歳層では、1988年の10.7%から2012年には26.5%へと大幅に増えている。
また、2013年のデータでは、大卒者の20.4%、院卒の12.3%が非正規雇用に従事している。

さらに、大卒初任給の推移を見ると、1993年(19万円)辺りまでは右肩上がりで上昇してきたものの、それ以降は伸びが鈍化し、2012年(20万円)までの9年間で1万円しか増えていない

雇用の不安定化と所得の頭打ちに苛まれる若者世代にとって、“その気になれば何でも手に入る”なんていうのは、まったくのデマに過ぎない。
“飢えがない”どころか、欲しいモノがあっても買うお金がない、というのが実状で、目の前に溢れかえる数多のモノやサービスに触れることもできないどうしようもない飢餓感を強要されているようなものだろう。

「今の若者は、溢れんばかりのモノに囲まれて、いくらでも手に入れることができるから、世の中に対する不満もなく、政治に関心もないんだろう」といった、自分基準の勝手な妄想に浸るのは、もう止めにしてもらいたい。

“今の若者は、低成長時代を肌で知っていて、幸せへの期待値が元々低い”なんていう台詞は、低成長時代を放置しっぱなしで、若者世代に碌な世の中を引き継げなかった中高年世代の負け惜しみに過ぎない。

今の若者は満腹などしていない。
将来に対するどんよりとした不安に苛まれながら、「幸せへの期待値」に対する強烈な飢餓感と懸命に闘っているはずだ。

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