無料ブログはココログ

リンク集

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月

2016年3月31日 (木)

日本人の生活向上が最優先

3月30日に政府の「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」から、観光先進国化に向けた構想が発表された。

公表された資料では、「安倍内閣の発足から3年。戦略的なビザ緩和、免税制度の拡充、出入国管理体制の充実、航空ネットワークの拡大など、大胆な「改革」に取り組み続けてきた。
この間、訪日外国人旅行者数は2倍以上の約2000万人に達し、その消費額も3倍以上となり、自動車部品産業の輸出総額に匹敵する約3.5兆円に達した」と、自画自賛気味に改革の成果を強調している。

だが、近年の急激な訪日客の増加は、ビザの緩和云々以前に、諸外国の所得向上、為替変動による円安効果、政情不安・テロの頻発による欧州等からの観光客の流出などによるものだろう。

しかも、地声の大きな中韓台の3か国で訪日客全体の6割近くを占めており、喧しくて仕方がないし、未だに日本を敵国扱いする中韓相手にビザを緩和する必要性を全く感じない。
むしろ、如何わしい両国に対しては、捏造された歴史認識を改める旨の誓約書にサインさせたうえで入国を認めるくらいの厳しい処置(=踏み絵)が必要である。

今回の「明日の日本を支える観光ビジョン」では、観光先進国への目標値として、
・訪日外国人旅行者数 2020年:4000万人 2030年:6000万人
・訪日外国人旅行消費額 2020年:8兆円 2030年:15兆円
・地方部(三大都市圏以外)での外国人延べ宿泊者数 2020年:7000万人泊 2030年:1億3000万人泊
・外国人リピーター数 2020年:2400万人 2030年:3600万人
等々、訪日外国人対策に関する強気な数値が目白押しだ。

一方、日本人の国内旅行に関しては、
・日本人国内旅行消費額 2020年:21兆円 2030年:22兆円
と、極めて控えめな目標となっている。

訪日客の旅行消費額を、現状の3.4兆円から2030年には15兆円と4.4倍に急増させる(年平均22%UP)一方で、日本人のそれは、現状の18.5兆円から22兆円と、たったの19%程度の伸びしか見込んでおらず、年率換算で僅か1.3%と、まことにみすぼらしい。

資料の中身も、往日外国人対策が99%を占めており、日本人国内旅行消費額UP対策の項には、国民の有給消化率向上がちょっとだけ触れられている程度に過ぎない。

観光白書のデータによると、2013年度における国民1人当たりの国内宿泊観光旅行回数は1.43回、同宿泊数は2.35泊と推計され、2006年度の実績(旅行回数は1.71回、同宿泊数は2.74泊)すら下回るありさまだ。
この間、暇を持て余している高齢者人口は600万人以上増えているのだから、本来なら、旅行回数・宿泊数ともに増加していて然るべきだろう。

異様なほどワーカホリックな日本人の有給消化率を向上させるのは良い。
だが、休暇を増やすだけではまったく不十分で、余暇を満喫できるだけの所得増加とセットでなければ意味がない。
旅行にも行けずに、家でゴロゴロするだけに終わってしまう。

外国人へのおもてなしに精を出してこき使われるよりも、日ごろから過剰な労働とストレスに晒され続けている日本人にこそ、余暇を謳歌する機会を与えるべきだ。

先に紹介した2030年の旅行消費額の目標数値は、日本人と訪日外国人の分を合わせて37兆円と、現状の22兆円余りと比較して15兆円の伸長を見込んでいるが、その内の11.5兆円を訪日外国人分として当て込んでいる。

これは相当にチャレンジ度の高い数値目標であり、中韓台頼みでは、とうてい達成不可能な数字だ。
そんな夢のような目標を追うよりも、母集団が格段に多く、既に19兆円近くに達している日本人の旅行消費額を伸ばそうとする方が、より現実的だ。
2014年の国内旅行消費額(日本人)は18.5兆円と、2001年の19.2兆円すら下回っており、国民所得の適切な向上さえ見込めれば、成長の余地はかなり大きいだろう。

ところが、「明日の日本を支える観光ビジョン」では、所得向上の側面から日本人国内旅行客の増加を図ろうとする提言は一切なく、それどころか、「若者のアウトバウンド活性化」を進言し、“若者層の海外旅行を更に促進”すべし、と真逆の方向に突き進もうとしている。

このほかにも、民泊の推進や歴史的価値の高い公的建造物の開放、文化財の多言語解説、地域の農林水産物・食品の輸出促進、免税店の増設、ビザの更なる緩和、ビジネスジェットの受入れ促進などといった規制緩和色の強い提言が目立つ。

要するに、彼らが本当にやりたいのは、訪日外国人客の取り込みにかこつけた規制緩和ごっこや市場開放ごっこであり、インバウンド強化というお題目はその呼び水でしかない。
彼らにとってどうでもよい日本人旅行客の増加策に、端からまったく力が入っていないのも道理である

肝心の日本人が旅行にも行けずに休みなく働かされ、観光地に溢れる外国人の世話ばかりさせられては堪らない。
これでは、外国人からのチップ頼みの下僕化が進行するばかりで、日本人のQuality of Lifeは低下の一途を辿るだろう。

「何よりも国民の生活向上が最優先」という原理原則を逸脱した政策に魂が宿ることはない。

2016年3月25日 (金)

サプライサイド信仰という敗着手

日本経済は明らかに下降トレンドを辿っている。
総務省が3月1日に発表した「家計調査報告(H28/1速報)」によると、勤労者世帯の実収入は434,330円と名実ともに前年同月比1.3%減少となり、二人以上の世帯の消費支出も同じく名実ともに3.1%の減少となった。(両指標ともに5ヵ月連続減少)

また、家計消費状況調査(H28/1確報)によると、「婦人用スーツ(対前年同月比9.1%減少)、「自動車(同17.9%減少)」、「パック旅行費(同24.3%減少)」など高額商品への支出減少が目立ち、「インターネット支出額(同17.1%減少)」と頼みの綱であったネットショッピングさえ大幅減に見舞われる始末だ。(ちなみに、ネットショッピング利用世帯の割合も30%の壁を打破できずに低迷を続けている)

これが日経新聞あたりの手に掛かると、“個人消費は一時的な足踏み状態にあるが、急増するインバウンド需要の波及やTPPを睨んだ海外の成長市場の取り込みが見込まれ、引き続き日本経済のファンダメンタルズは堅調だ”と変換されてしまうのだろう。

だが、ここ1年余りで、消費支出が対前年比でプラスに転じたのは、たったの2回だけ(しかも、比較対象の2014年は消費税増税などの影響もあり、そもそも絶対値が低レベル)で、経済動向に呑気な安倍政権も、さすがに経済の不調を認めざるを得なくなったようだ。

3月24日に開かれた第4回経済財政諮問会議の資料でも弱気な表記が目立つ。
内閣府の資料(個人消費の動向について)には、「低所得者層の消費は2013年半ば以降、総じて弱い動き。高所得者層の消費は消費税率引上げ後も底堅く推移してきたが、2015年夏以降は減少傾向で推移している」とあり、有識者(??)議員の提出資料(600兆円経済の実現に向けて)でも、「デフレマインドの払拭に時間を要する中、子育て世代や高齢者を中心に消費を抑制」と、個人消費の不調を渋々認めてはいるが、肝心の分析と対策は、相変わらず見当違いの方向を向いている。

まず、個人消費低迷の原因について、内閣府資料では、「消費者にとって身近な食料品の価格上昇、2015年後半の株価低下による消費者マインド悪化、天候不順の影響が下押しした」と分析し、有識者議員の資料には、「子育て世代にとっては人口減少高齢化の下での負担感の増大や社会保障の持続可能性といった点での先行き不安、高齢者にとっては資産や可処分所得の先行きに対する不安がその背景」にあると結論付けている。

いまさらくどくど説明するまでもなく、株価や天候は個人消費の動向とほとんど関係ない。
株式の個人購入者割合は、どんなに高めに見積もっても、せいぜい1割程度しかおらず、江戸時代以前と違い、カネさえあれば誰でも天候や気候に左右されず買い物ができるからだ。

また、社会保障制度の不安を消費低迷の言い訳にするのも、いまひとつ説得力に欠ける。
勤労者世代の者なら、将来の年金支給額の縮減に対する不安や不満を少なからず抱えており、それが解消されることを誰しもが願っている。

だが、それは数十年先の遠い将来に対する不安であって、待ったなしの状態で迫りくる毎日の家計支出とは別の話だろう。
食費や水道光熱費、家賃、塾の月謝など、日々支払わねばならぬ費用は、将来の財布からではなく、現在の財布から支出せねばならず、年金がどうのこうのという前に、いまの所得が十分かどうかに掛かっているのだ。

家計が財布の紐をきつく締めて支出を渋っているのは、将来に対する不安があるのは無論のこと、現在の所得水準が極めて不十分で、かつ、近い将来の見通し暗いがゆえだろう。

次に、こうした個人消費低迷の打開策について、有識者議員の資料では、「イノベーションや規制改革を通じて、国民が求める新たな財・サービスを生み出すことが重要」とし、健康増進・予防サービス分野、子育て・介護サービス、まちづくり、インバウンドを含む国内外旅行、TPP市場・シルバー市場などが有望市場だと提言している。

さらに、「国民資産の有効活用を通じ、新たな需要を喚起すべき」として、コンパクトシティ、エネルギーの地産地消、中古住宅の市場形成を通じた資産価値向上、空き家の利活用促進、自己財産の寄付等による褒賞等の検討などを挙げているが、いずれも地味で頼りない脇役的な方策ばかりだ。

“国民が求める新たな財・サービスを生み出す”なんて格好の良いことを言っているが、当の国民は、なにも目新しい“新たな財・サービス”がないと嘆いているわけではない。

バカなサプライサイダーは、「市場が成熟し、より高度な商品やサービスを求める消費者ニーズとマッチしていない」なんて、いつもいい加減なことを言うが、世の中には、優れた商品やサービスがいくらでも転がっている。

仮に、サプライサイダーの言うとおり、新たな商品やサービスしか市場に受け容れられないとしたら、現状で市場に出回っている膨大な量の既存の消費やサービスは、すべて不良在庫と化してしまうはずではないか?

家計消費が落ち込んでいるのは、人々が既存の商品やサービスに飽き飽きしているせいではない。
自身の所得や貯蓄があまりにも少な過ぎるせいで、新たな商品やサービスどころではなく、そこら中に転がっている“既存の財・サービス”すら手に入れることが叶わず、そういった厳しい現実に大きな不満を抱いているのだ。

「個人消費低迷の原因は、所得不足や雇用の不安定化に起因する需要不足にある」という真実を認めずに、「財布の紐が緩まないのは、国民の潜在ニーズに合う商品やサービスがないからだ」と誤魔化して蜃気楼を追い続けていると、消費はどこまでも落ちて行くことになるだろう。

政府や有識者議員の連中は、家計が十分なフローとストックを保有している状態を前提として、サプライサイド強化の視点から経済を語っているようだが、そういった極めて甘い現状認識こそが、そもそもの間違いを引き起こしていることに、いいかげん気付くべきだ。

サプライサイド信仰に囚われ、濁った眼差しで議論を重ねても、適切なゴールに辿り着けるはずがない。

2016年3月23日 (水)

現状認識の誤りが失敗の始まり

先日、とある自治体の経済担当部局の幹部と話をする機会があった。

最近、インバウンド景気の波及が一部に止まり、一時は盛り上がった公共事業関連の仕事がすっかり鳴りを潜めたこともあり、筆者の暮らす地域でも、創業機運は低調で中小企業の業況も思わしくない。

当の幹部から、地域の景気動向を懸念する意見を聞くことになるのかと思いきや、彼は、「失業率も落ち着き、企業からはしきりと人手不足を心配する声が上がっている。株価や株価も落ち着いているのに、なぜ、企業経営者は元気が無いのか?」と本気で不思議がっていた。

先日、政府の招聘により、アメリカから、スティグリッツ教授とクルーグマン教授の2名のノーベル経済学賞受賞者が相次いで来日し、安倍首相と会談した。
既に報じられているとおり、両教授とも、来年春の消費税率引上げに対して明確に反対するという意見を述べている。

筆者が呆れたのは、3月16日の国際金融経済分析会合の席上で、日銀の黒田総裁が、スティグリッツ教授に向かって、「不可思議なことがある。アベノミクスのもとで企業収益は改善し労働市場も引き締まっている。急速な賃上げが起きるのが普通だと思われるが、実際の賃上げのペースは緩い」と疑問を呈したことである。

スティグリッツ教授も、内心では、“これほど世情に疎いバカに日銀総裁が務まるのか?”と呆れ返っていたことと思うが、そこは教授も大人だから、黒田総裁に対して、「米国では職探しを諦めた人が失業者に分類されないなど失業率が労働市場を正確に表していない。失業率とインフレ率の関係が瓦解してきている」とやんわりと指摘したそうだ。

前述の自治体幹部も黒田総裁も、数値データだけを頼りに、しかも、自分が望む方向に都合よく解釈して歪曲するから、経済動向や景況感の分析・判断を誤るのだろう。

株価と外需偏重気味のアベノミクスにより収益が改善しているのは、一部の輸出メーカーと人材派遣会社の類いくらいなもので、労働市場が引き締まっているように見えるのは、“低賃金で長時間労働や残業を厭わず黙って働いてくれる奇特な求職者が減っている”だけのことだ。

当地のパート募集チラシを眺めても、数年前と比べて時給は僅か10~20円程度しか上がっていないし、相変わらず週5日勤務での求人がほとんどで、融通の利かないシフトになっており、これでは、主婦層の掘り起しも上手く行くまい

春闘相場が昨年よりペースダウンしたことが報じられたばかりだし、サラリーマンの平均年収も大して上昇しておらず、労働市場が引き締まる要因など全く見当たらない。
黒田総裁のように、奴隷の公募に人が集まらないからといって、就職事情の好転や急速な賃上げに結び付けて考えるとは、世間知らずにもほどがあろう。

スティグリッツ教授が指摘するように、現在の失業率は求職者の実態を正確に反映できておらず、実際よりかなり甘くカウントされている。
また、失業していないからといって、雇用条件が目に見えて改善されているわけではなく、むしろ、一人当たりの労働量や労働時間(ノルマも)が増え、実質的な賃金や雇用に対する満足度はかなり低下しているだろう。

スティグリッツ教授に続いて、クルーグマン教授も政府に対して、「世界経済は弱く日本の状況を一層困難にしている。消費税増税は延期すべきだし財政刺激策も必要だ」と述べ、金融政策や財政再建に軸足を置いた安倍政権の経済運営を批判した。

だが、わざわざ、両教授を呼びつけるまでもなく、ここ数年の経済動向を素直に分析すれば、消費税増税などもってのほかで、強力な財政金融政策の実行が不可欠であることくらい、当たり前に理解できるはずだ。

それすら解らぬ無能な宰相が、日本のトップに居座り続けるのは、日本経済にとって害毒でしかない。

日本経済は、1997年以降ぱたりと成長が止まり、巡航速度で成長し続けたケースと比べて、数千兆円にも及ぶ膨大な国富を失っている。
家計一世帯当たりの所得喪失額の累計は5,000万円を下らないだろう。
とりわけ、家計や中小企業が負った傷はかなりの重傷であり、消費税増税を論じること自体が不届き至極と言ってよい。

増税を容認するバカな連中は、現時点での家計所得を基準にして、これが少しでも上向くと、すぐに“増税できる環境が整った、増大する社会保障財源の手当てのために増税待ったなしだ”と騒ぎ立てるが、そもそも前提条件が間違っている。

現状の家計所得を基点(=ゼロ地点)に見立てるべきではない。
なぜなら、多くの家計は、経済成長が止まったことにより、本来得ることができた膨大な所得を失っており、いわば、巨額の債務を抱えているのと同じ状態にあるため、現在の所得を基点とするなら、ゼロではなく、当然マイナス値としてスタートさせるべきだからだ。
よって、家計所得や実質消費が数%伸びたからといって、早とちりするのではなく、マイナス値が少々改善されたと受け止めるべきなのだ。

今回の安倍首相が、わざわざ国際金融経済分析会合を開き、スティグリッツ教授やクルーグマン教授に税率引上げ反対の意見を述べさせたのは、巷間噂されているとおり、参院選を見据えたデモンストレーションと言って差し支えない。
前回の衆院選でも同じ手口で大勝したことに味をしめたのだろう。

経済財政諮問会議の資料では、財政再建に向けた道筋を何より優先することが謳われており、消費増税の延期を鵜呑みにすることはできないが、自民党議員の相次ぐスキャンダルによる失点を挽回するために、半年から一年程度再延期するくらいはやるかもしれない。
そして、多くの国民が、再度、安倍首相の仕掛けた苦し紛れのパフォーマンスに引っかかることになるだろう。

家計や中小企業が抱える経済的な苦境を考慮すれば、税率据え置き程度で良しとするような悠長な状況ではない。

大規模な財政支出による実体経済への資金供給は無論のこと、消費税減税や廃止はおろか、定率減税や年少者を対象とする給付金、国庫による社会保障負担割合の引上げ、教育関係費の全面無償化、公的事業従事者の賃金引上げなど、家計や中小企業の所得向上に直接的に効果のある施策をフル稼働させるべきだ。

日本のように潤沢な資産と供給能力を有する国家においては、通貨創造機能を有する国庫のバランスシートを心配する必要はない。
日本は財政危機だという誤った幻想を捨てて、家計や中小企業のフローとストックの改善に効く政策を実行することだけを考えておればよい。

2016年3月17日 (木)

"ポピュリズム批判"という逃げ口上

米国大統領選予備選挙は過半数の州で投開票を終え、報道のとおり、共和党のトランプ氏と民主党のクリントン氏が大きくリードしている。
選挙前まで場末のキワモノ扱いであったトランプ氏は、予備選のスタートこそ躓いたものの、その後は連勝を続けて過半数を制しそうな勢いであり、日本のマスコミでも彼の人物像などを詳しく報じるようになった。

トランプ氏は、「ワシントン・インサイダー」と呼ばれるエスタブリッシュメントへの嫌悪感を露わにし、不法移民やイスラム教徒を激しく罵倒する、はたまた、中国や日本を貿易上のライバルとして糾弾するなど、歯に衣着せぬ言動を見せ、それが大きな支持を獲得している。

彼のような“異物”の出現が、アメリカ大統領選挙の在り方に一石を投じることに興味を惹かれるが、
・このまま共和党予備選挙を勝ち抜けるか
・民主党候補者との一騎打ちを制することができるか
・大統領就任後に支持者との約束を果たせるのか
については、皆目見当がつかない。

洋の東西を問わず、政治家という生き物は、得てして、“国民が不満を抱きそうな公約は万難を排して断行しようとするが、国民が望む公約はいろいろな理由を並べて避けたがる”ものだから、トランプ氏が、要職に就いた後も、アメリカ国民の利益を守ろうとする行動に出るかどうかは判らない。

多くのマスコミは、トランプ氏の支持拡大の要因として、行き過ぎた新自由主義による所得格差拡大や過度な開放政策に伴う移民増加や資本流出による雇用の崩壊、イスラム過激派が引き起こす無差別テロへの弱腰な対応などを挙げ、これらを激烈に批判するトランプ氏に対して、扇動者、ポピュリストといった厳しい非難を浴びせている。

アメリカ経済は、2009年から2015年にかけて名目GDPで年平均4%以上成長し、その間の失業率も10%から5%台へ改善しており、成長を忘れた我が国から見れば羨ましい限りだが、見た目の数値以上に、個々の雇用環境や所得条件は改善しておらず、国民は強い不満を抱えているのだろう。

マスコミは、トランプ旋風は同氏に対する積極的な支持ではなく、行き場を失った政治への不満や憤りがトランプ氏に集約されたものと分析しているが、だとしたら、こうした不満の受け皿を用意できなかった他の候補者は自らの不明を恥じるべきだ。

トランプ氏の言動を非難する者は、“米国の労働者が不法移民に職を奪われているのだとすれば、彼らを国外退去させよう。不法移民の流入を阻止するためにメキシコとの国境にメキシコ側の負担で壁を建設させよう。イスラム過激派のテロを防止するためには当面イスラム教徒の入国を拒否しよう。テロリストには拷問も必要だしその家族を殺害することも許される”といった彼の言動を指して“幼稚なポピュリズム”だと愚弄する。

ポピュリズムとは、「政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動」(知恵蔵2015)というネガティブな意味で用いられることが多い。

だが、日本人が羨むほどの経済成長を遂げているアメリカの国民ですら、個々に対する所得分配は乏しく、社会格差は拡大(というより、中下位層が一方的に没落)し、雇用や所得の行く末に強い不安や不満を抱いており、既存の政治にNOを突き付けている。

こうした国民の素直な感情を切り捨てるのに最も便利な言葉が、“ポピュリズム”という言葉であり、国民の政治的ニーズを無視するための免罪符として使われてきた。

だが、“ポピュリズム”には、『民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を指す』(はてなキーワード)というポジティブな意味合いもあることを忘れてはならない。

そもそも、社会やそれを運営するための政治という仕組みが何のために存在しているのかに思いを馳せれば、国民や民衆の利益を反映しない政治など有り得ない。

国民や団体からの種々雑多な利益同士がぶつかり合い、齟齬や衝突が生じることもあろうが、それを調整するのが政治の果たす役割の一つである。
しかし、新自由主義思考に染まった政治家は、こうした調整行為を忌み嫌い、初動の段階で国民や団体の利益を汲み取ること自体を拒絶している。

新自由主義者の連中は、減税や社会保障の充実などといった大衆のニーズに沿った政策が議論の俎上に上るのを避けるために、先ずは国の財政問題や構造改革などを盾にし、それが突破されると、“ポピュリズム”や“大衆迎合”、“旧来型の政治手法”などといったボヤッとした言葉を持ち出し、マスコミを扇動して、こうした要求を撃退してしまう。

選挙前の世論調査でいつも上位を占める「景気を回復させてほしい」、「社会保障を充実させてほしい」という要望が無視され続けるのは、こうした背景があるからだ。

この手の幼稚なバカ者は、“痛みを伴う政策を敢えて断行するのが真の政治家だ”と公言それ以上して憚らず、何かと言えば、ポピュリズムだ、大衆迎合だと斜に構えて批判ばかりしているが、そもそも国民の利益に直結しない政策なんて何の意味もなく、単なる害悪でしかない。

“政策”というものは、社会や国民の公益や利益を拡大させるためのものだから、国民との利益相反があってはならない。
よしんば、いまの安倍政権のように、一部の企業や外国の利益ばかり追求するような政策などもってのほかだろう。

政治のプロを気取って、トランプ氏の言動をせせら笑う暇があれば、それ以上に国民の利益に適う政策を打ち出し、堂々と政策論争すべきだ。
そうした努力もせずに、ポピュリズムだの、理想論だのと逃げ回るばかりでは卑怯者の誹りを免れまい。

2016年3月15日 (火)

貸出動向への過剰な期待

このところ、空振りばかり目立つ日銀の量的緩和政策だが、使い勝手が良いと考える変わり者が、未だにいるようだ。

『今年前半にも追加緩和=消費増税10%凍結を―本田内閣参与』
(時事通信 3月15日(火)0時46分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160315-00000000-jij-pol

記事によると、本田参与は、来年4月からの消費税率引き上げの凍結を訴えるとともに、今年前半の追加緩和実施を示唆し、一例として、日銀当座預金の一部金利を現在のマイナス0.1%から同0.2%に引き下げ、国債の買い増しペースを現在の年間80兆円から90兆円に拡大する案を挙げたそうだ。

消費税率引上げの凍結は当然のことであり、あらゆる経済指標の冴えない結果を素直に見れば、凍結を通り越して、減税や消費税自体の凍結・廃止にまで踏み込んで議論すべきだろう。

一方で、マイナス金利を軸とするこれ以上の追加緩和政策が、経済のファンダメンタルズに良い影響を及ぼすことができるか、と問われれば、日銀の国債買取り額増加による国債の実質無効化が進むこと以外に大したメリットはない。

既に様々な論者がしているとおり、黒田バズーカ以前も含めて、日銀の量的緩和政策が、実体経済に刺激と実弾を与えて、それに起因するディマンド・プル型の景気回復や金融機関の貸出額増加につながった証拠は何も残っていない。

ここ数年来、金融機関の貸出残高は、前年対比2~3%程度の伸びを示しているが、貸出金利の平均値は下落傾向にある。(H25/1.258%H27/12/1.110%)
仮に、前向きな資金需要が増えているのなら、いくら量的緩和政策が採られているとはいえ、政策金利自体はほとんど変化しておらず、もっと強気な金利設定になっても良いはずだ。

だが、現実には金利はダダ下り状態にあり、金融機関の収益環境は依然として厳しいままだ。
金融機関としては、新規貸出先の開拓や既存融資先への貸増しを狙い、日々営業をかけているが、好条件での融資が叶わず、いきおい金利のダンピング合戦になっていることが窺える。

つまり、貸出額の増加は、企業や家計の前向きな資金需要(返済能力に問題のない貸出)に支えられたものではなく、バブル期のような金融機関側からの提案型営業により創られた数字だと考えている。

本田参与は、マイナス金利幅を大きくし、金融機関にプレッシャーを掛ければ、自然と貸出が増えて、投資や消費の活発化や景気回復につながる、と思い込んでいるようだが、それが単なる夢想に過ぎないことは、初回のマイナス金利導入後の指標を見れば、直ぐに解かることだ。

貸出増加の隘路になっている金利水準のターニングポイントが、0.1%という金利水準とイコールになっているのなら、0.2%への引下げが劇的な効果を生むかもしれないが、そうではなかろう。
マイナス金利で金融機関に脅しをかけても、却って金融市場の混乱を招くだけで何の効果もない。

貸出動向と実体経済の関係は、季節と動物や昆虫との関係に似ている。
気候が温暖になり、草木が芽吹き始めるから、動物や昆虫が冬眠から目覚めたり卵から孵ったりするのであって、春が待ち遠しいからといって、冬眠中の動物を無理やり叩き起こしても春はやって来ないのと同じことだ。

金融機関が貸出を増やそうとして、企業や家計が欲してもいないカネを無理やり貸し込んだところで、投資や消費が活発化するはずがない。
実態とかけ離れた商品市況や不動産市況の高騰を招き、不良債権の山を築くだけのことだ。

金融政策の一本足打法が実体経済に絶大な効果をもたらすと本気で信じ込んでいるバカも多くいるが、小手先の対策に右往左往するから、そのような初歩的な間違いを犯すのだろう。

貸出(融資)は、企業や家計にとっては、“時間や期間の短縮と引き換えに抱え込む債務”でしかない。
その上、利息まで取られるのだから、生半可な気持ちで手を出せる代物ではない。

きちんと返済することを考えれば、確度の高い事業収益や所得の裏打ちが必要になるが、それらを担保するのは、実体経済に存在する事業機会や収益機会の多寡であり、そもそも金融政策で生み出せる類いのものではない。

財政政策を通じて雇用や事業機会を創出し、実体経済に所得や消費に直結する資金を投じてあげぬ限り、投資や消費は低迷を続け、経済の体温が上がることはない。

日銀が3ヶ月ごとに実施している「生活意識に関するアンケート調査― 2015年12月調査 ―」(第64回)の結果を見ると、景況感・暮らし向き・消費意識・物価に対する実感等の各項目で、景気が極めて低いレベルで踊り場に差し掛かっていることが窺えるが、ひとつ気になる結果もあった。

それは、物価下落についての感想で、他の回答が、前回、前々回と比べて大きく変化していないのに対して、この項目だけ大きく変化しているのだ。
(物価下落が)[どちらかと言えば、好ましいことだ]という回答が、前々回16.7% 前回23.8% 今回52.4%と劇的に増えている。

政府や日銀首脳陣は「日本経済のファンダメンタルは引き続き堅調だ」なんて寝惚けたことを言っているが、多くの家計は、収入が思ったように伸びないことに強い焦りや憤りを感じており、物価上昇に対する忌避感が急速に高まっているようだ。

物価上昇目標を掲げる日銀の金融緩和政策を頭ごなしに否定する意見が急増している中で、これ以上、黒田バズーカを撃ち続けても、経済に対する期待を高めることは到底出来まい。

財政政策という効き目の強い実弾を込めない限り、バズーカ砲を撃つ意味合いはない。
“金融ごっこ”にうつつを抜かすのではなく、実需を喚起できる骨太の経済政策を実行に移すべきだ。

2016年3月10日 (木)

成長放棄主義こそ最大のつけ回し

内閣府が3月8日に発表した2015年10~12月期の実質GDP改定値は、個人消費や輸出が冴えず、速報値より上方修正されたとはいえ、前期比年率1.1%減少となった。
1~3月期の鉱工業生産の予測指数は前期比0.3%低下し、中国向けの電子部品・デバイスも新型スマートフォン販売不振により2~3月とも減産の見込みと海外市場の様子も思わしくない。

こうした景気減速(そもそも“加速”していた気がしないが…)に加えて、今夏の国政選挙を睨み、来春の予定している消費税率10%への引上げ見直し論が囁かれており、政権側も、やや含みを持たせながらも、増税見送り論の火消しを余儀なくされている。

8日には麻生財務相が「プラス、マイナスいろいろ考えて政治的に判断する」、「(少子高齢化に対応するための)『社会福祉目的税』との位置づけで消費税の増税は決めている」、「消費増税を見送れば、将来世代に赤字国債という形でつけが回る」と発言している。(3/8ロイター記事より)

また、9日には安倍首相から「世界に冠たる社会保障制度を次世代に引き渡す責任を果たすとともに、市場や国際社会からの国の信認を確保するためのものであり、リーマンショックや大震災のような重大な事態が発生しない限り確実に実施する」、「来年度予算の早期成立こそが最大の景気対策であり、現時点で新たな経済対策や補正予算の編成は考えていない」、「世界経済の大幅な収縮が実際に起こっているかどうかは、専門的見地から行われる分析も踏まえ、その時の政治判断において決められる」との発言があった。(3/9NHKニュースより)

両者とも、グダグダ言い訳するばかりで増税カードを手放そうとしない。
「社会福祉財源・将来世代へのつけ回し・リーマンショック」という国民受けのよい言葉を免罪符に使って、ギリギリまで増税延期の言質を与えまいと必死のようだ。

しかし、彼らの経済認識は甘すぎる。
質の悪い言い訳を並べて、適切な経済政策から愚図愚図と逃げ回る様には、民主党時代に連発された『事態を注視したい発言』並みの情けなさを感じる。

安倍氏は、“リーマンショックや大震災のような重大な事態が発生しない限り”なんて言っているが、先の大震災後に、当時の谷垣総裁が“復興増税をすべき”というまことにバカげた発言をしたことを、もう忘れたのか?

また、ことあるごとに“リーマンショック”を持ち出すのも、いい加減に止めてもらいたい。

政財界の連中は、何かとリーマンショックという言葉を引用して、さも、それまで順調に復活を遂げてきた日本経済が、リーマンショックという外的な特殊要因により破壊された、と言い訳をしたがる。
(リフレ派の連中が、“消費税増税さえなければ、金融緩和万能論で上手く行っていたはずだ”とギャーギャー騒ぐのと同じ構図)

確かに、日本の名目GDPは、2006年〜2009年にかけて506兆円→512兆円→501兆円→471兆円と山型に推移し、リーマンショックが起こった2008年が分岐点であったことが解かる。

しかし、世界中が大騒ぎしたリーマンショックといえども、所詮はアメリカ国内で起こった信用収縮による金融不安や消費の落ち込みに過ぎず、内需大国たる我が国が、適切な財政金融政策を実行し、きちんと内需振興策を講じておれば、本来なら軽傷で済んだはずだ。

事実、主犯のアメリカをはじめ、ヨーロッパやアジア各国は、リーマンショックによる外需縮小の波を軽々と超え、順調に経済成長を続けており、大怪我を負ったと被害者ヅラしているのは我が国くらいだ。

いつまでもリーマンショックの呪縛に囚われた悲劇のヒロインを気取るのは止めてもらいたい。

日本経済が躓いたのはリーマンショックのせいではなく、橋本政権や小泉バカ政権以降、連綿と続けてきた緊縮政策・構造改革・規制緩和の“猛毒3本の矢”を撃ち込まれたせいだろう。

緊縮政策によりビジネスチャンスが激減し、実体経済を循環する(≠退蔵される)貨幣量も減る。
また、構造改革や規制緩和という毒素のせいで、元々強い力を持つ経済主体がより強力となり、中小零細企業や家計が得るべき収益を吸い上げるため、市場の格差が拡大する。

こうした経済の循環機能の破壊により、我が国の経済基盤は極めて歪な形となり、総体的な体力が著しく低下したのだ。

毒矢を打たれ続けて体力が弱ったところに、たまたま、リーマンショックという寒気が襲来し、さらに症状が悪化した、というべきで、毒矢さえ喰らっていなければ、多少の寒気くらい、十分に耐え凌げたはずだ。

麻生財務相の“将来世代へのつけ回し発言”にも呆れ返る。

不況下で増税を強行して、家計や企業から消費や投資に使えるはずの資金を奪ってしまうと、更なる消費や投資の落ち込みを招くだけだ。
いくら経済に疎い麻生氏でも、そのくらいは理解できるだろう。

“将来世代”なんてきれいごとを並べているが、将来世代以前に、現役世代が先に衰弱してしまえば、そこから経済基盤や資産を受け継ぐ将来世代の生活基盤が崩壊し、それこそ、莫大な負の遺産をつけ回すことになる。

筆者は、いまから二十数年以上も前の就職環境の非常に良い時代に社会人となり、職場教育や雇用条件なども恵まれた状態でスタートできたが、こうした恩恵に与ることができたのも、それ以前の世代の方々が強力な経済基盤や社会基盤を引き継いでくれたおかげだと感謝している。

それだけに、就職時期がたまたまデフレ不況期に重なった就職氷河期組が直面した不幸に大変心を痛めている。

時の政府が、緊縮財政や構造改革のような余計な施策に手を染めずに、適切な経済政策を採っておれば、こうした“次世代へのつけ回し”も十分に防げたはずで、経済成長の重要さを痛感させられる。

安倍首相も麻生大臣も、寝惚けた頭を叩き直してまともな経済政策(大規模かつ長期的な財政金融政策)に邁進すべし、と言いたいところだが、構造改革教の教義にどっぷりと染まり切った両者に、いまさら何を言っても無駄だろう。

役立たずの穀潰しに国政を任せるわけにはいくまい。
経済を読めぬ両者は早々に退陣すべきだ。

2016年3月 4日 (金)

正規雇用と非正規雇用の対立を煽る働き方改革は失敗に終わる

安倍内閣が設置した『一億総活躍国民会議』では、新三本の矢の一環として、一見、女性・若者・高齢者・障害者等の活躍促進や働き方改革などが真面目に議論されているように映る。

国民会議の資料には、「長時間労働の是正」、「非正規労働者の待遇改善」、「高齢者雇用の促進」などといった耳障りの良いキーワードが躍っているが、大した対策が提言されているわけではない。
元々、会議の構成メンバーが、功成り名を遂げた新自由主義者と財政再建派の連中ばかりだから、実社会の弊害を打破するような提言が出てくると期待する方が間違っている。

そもそも、長時間労働の是正や非正規雇用の待遇改善なんてものは、経営者サイドの都合で生み出された問題であり、それこそ、安倍氏のお友達である経団連の役立たず共に、早急なる是正を命じればよいだけだ。

高齢所雇用については、若者の雇用やポストを奪うだけで、却って労働市場の停滞を招いている。
プライドばかり高くて実践的なスキルに欠ける高齢者には、60歳から年金を支給するようにし、大人しく消費者としての役割を果たしておればよい。

また、長時間労働は、労基法という立派な法律があるのだから、それをきちんと適用すればよいだけの話で、わざわざ、会議を開いて論じる必要などない。
むしろ、会議開催が、長時間労働放置の言い訳に利用されていないか?

いまのところ、この会議は、マスコミ受けが良いためか、厳しい批判も受けておらず、安倍氏氏も調子に乗った発言が目立つ。

平成28年1月26日(火) 衆議院本会議では、「女性や若者などの多様な働き方の選択を広げるためには、非正規雇用で働く方の待遇改善を更に徹底していく必要があり、働き方改革として、ニッポン一億総活躍プランでは同一労働同一賃金の実現に踏み込む」と答弁し、正規雇用の弱体化を財源とする非正規雇用救済の方針を打ち出した。

この不況下で、「同一労働同一賃金」の意味を“低きを高きに合わせる”と理解する者は、恐らくいないだろう。
“高きを削り、その内のいくばくかを低きに分配する”という具合になることは目に見えている。

いまや、国内労働者の6割にまで減らされた正規雇用労働者をさらに鞭打つような仕打ちだが、非正規雇用の待遇改善の美名の前に、同一労働同一賃金に対して大声で反発する者は意外と少ない。

そして、非正規と正規の融合を隠れ蓑に、両者の対立や分断を煽る記事もある。

『視点:正規・非正規雇用の分断こそ日本の弱点~ビル・エモット(英エコノミスト誌元編集長)~』
[ロイター:2016年 01月 27日]
(http://jp.reuters.com/article/view-bill-emmott-job-idJPKCN0V50PE?rpc=122&sp=true)

エモット氏のコラムを要約すると、次のようになる。

・日本の経済発展と社会調和にとって最大の障害は、約60%のインサイダー(正規雇用労働者)と約40%のアウトサイダー(非正規雇用労働者、多くはパートタイマー)との分断にある。

・労働法制を調整し、インサイダーの雇用保障レベルを下げて、パートタイムに関係なく、働くすべての人が同等の雇用保障とベネフィットを受けられるようにする必要がある。

・アウトサイダーの権利を向上させることは、インサイダーの権利を引き下げるのと同じくらい重要だ。

・労働市場の分断を解決しなければ、日本は家計需要の慢性的な低迷、生産性上昇の停滞に悩まされ続けるだろう。

・日本経済が完全雇用状態にあり、現実として労働力不足に直面しているにもかかわらず、このアウトサイダーの人的資本の劣化と家計需要の低迷が継続しており、労働制度改革が喫緊の課題だ。

・完全雇用と労働力不足の状況下では、改革に伴う社会的な痛みは小さく済む。

ひとことで言って、“現実を知らぬ単なるバカの戯れ言”である。

エモット氏は、家計需要の慢性的な低迷をアウトサイダー(非正規雇用労働者)の劣悪な待遇のせいだと言いながら、その解決策として、インサイダー(正規雇用労働者)からの実質的な所得移転を提案している。

だが、マクロ視点で見れば、労働者間の所得移転が起きるだけで、家計所得の総量は変わらないため、プラス効果はまず見込めない。

それどころか、いわれのない待遇低下を強要されたインサイダーは支出を減らさざるを得ず、その労働意欲はますます低下し、当然、労働生産性も落ち込むだろう。
また、アウトサイダーにとっても、インサイダーからの中途半端な額の所得移転程度では、思い切って消費支出を増やせるほどの所得額には到底達することはなく、財布の紐は固いままの状態が続き、全体としての消費総額は間違いなく減ることになる。

エモット氏も、エコノミスト誌の元編集長の肩書を持ちながら、所詮はマクロ視点で経済を俯瞰することができない“蛸壺エコノミスト”の一人に過ぎない。

インサイダーとアウトサイダーを無理やりトレード・オフの関係に置き、両者を対立項として捉えることで、インサイダー(正規雇用労働者)制度を破壊し、その待遇の切り下げを狙う魂胆が丸見えだ。

エモット氏は、日本が完全雇用で慢性的な労働者不足の状態にあるなどと寝惚けたことを言っているが、我が国は、潜在的な者を含めて数百万人もの失業者を抱えており、多くの労働者や若者が職に溢れて苦しんでいる。
巷間囁かれている人手不足なんて、「低賃金でも文句を言わずに長時間働いてくれる都合の良い人が見つからない」というだけの話で、バブル期のような売り手市場とは色合いが全く異なっている。

彼の吐く“改革に伴う社会的な痛みは小さく済む”というセリフは、いかにも軽薄で無責任過ぎる。
日本人は、この手の無責任な煽情に釣られて、20年近くも、改革に伴う激痛に苦しみ続けてきたのだ。

エモット氏は、政府や経営者層の歓心を買おうと尻尾を振るような賤しい行為を厳に慎むべきだろう。

「改革」とか「変革」という言葉を安易に連呼する新自由主義者の甘言に乗ってはならない。
彼らが狙うのは、労働市場の破壊と労働者の待遇の切り下げによる生産コストの抑制でしかない。

非正規雇用労働者の待遇改善は、一般の労働者ではなく、政府や経営者層に課された喫緊の責務であり、政府による適切な経済政策と経営者による雇用環境の改善への取組みによって乗り切るべき類いの問題である。

2016年3月 1日 (火)

監視すべきは権力を濫用するマスコミ

『「私たちは怒ってる」高市氏発言に抗議 岸井氏降板語る』
(2016年2月29日19時58分 朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/articles/ASJ2Y5HH6J2YUCVL01Z.html
「高市早苗総務相が放送法4条違反を理由にテレビ局に「停波」を命じる可能性に言及したことについて、「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)の司会者田原総一朗氏や「ニュース23」(TBS系)のアンカー岸井成格氏らジャーナリスト6人が29日、東京都内で会見を開き、「私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている」とする声明を発表した」

高市氏の「停波発言」については、先日もブログで採り上げたが、またまた、マスコミ関係者がグダグダ文句を言っているようだ。

報道によると、今回の下らぬパフォーマンスの呼びかけ人は、青木理、大谷昭宏、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎だそうで、マスコミ界という最強の既得権益にどっぷり浸りきってきた、いわば業界を代表するゴロツキどもと呼んで差し支えない。

そのゴロツキどもの主張は、以下のとおり。
・高市発言により、テレビ報道を取り巻く環境が著しく『息苦しさ』を増している
・全テレビ局の全番組が抗議すべきだが、多くのテレビ局の多くの番組が何も言わない
・これは政治権力とメディアとの戦争だ
・政治的公平は、一般的な公平・公正とは全く違う
・政治的公平を判断するのは国民であり、事実をチェックするメディアだ
・放送法第4条の規定は、多くのメディア法学者のあいだでは、放送事業者が自らを律する「倫理規定」とするのが通説

あいかわらず、強大な権力を持つ自分たち(マスコミ)を、さも、弱者であるかのように装い、国民の同情を買おうという作戦なのか、高市発言により報道現場が極度に委縮していると騒ぎ立てている。

だが、停波発言以降、マスコミの報道姿勢に何の変化もない。
朝から晩まで、編集権を乱用し自分たちに都合のよいニュースだけを報じたり、ひな壇芸人を並べたレベルの低いクイズ番組を垂れ流したりしている。

テレビ局が、高市発言にだんまりを決め込んでいるというのは全くの嘘で、報道番組やニュースで、識者の口を借りて散々罵詈雑言を浴びせているではないか。

また、政治権力とメディアとの戦争だなんて息巻いているが、その勇ましさを、なぜ、TPPや消費税増税、経済問題などといった国民の生活に直結する重要な問題で発揮しようとしないのか。

彼らが政権に噛みつくのは、安保と原発、基地問題、放送法の問題だけで、こと経済や社会保障の問題になると、コロリと態度を変え、たちまち緊縮政策や構造改悪を進める政権の応援団と化してしまう。

こんな腰抜けどもが、“政権と戦争だ”なんて啖呵を切ったところで、誰も相手にすまい。

彼らは、世論は自分たちが創るものだと思い上がっている。
「政治的公平は、一般的な公平・公正とは全く違う」という詭弁を弄するのも、“政治的公平を判断するのは、常に自分たちだけだ”という特権意識が抜けないからだろう。

彼らの「政治的公平を判断するのは国民であり、事実をチェックするメディアだ」という発言はあくまで建前に過ぎない。

「事実をチェックして都合よく編集し、政治的公平を判断するのは自分たちマスコミだけだ。国民は黙ってそれを受け取っていればよい」というのが本音だろう。

本来、政治的公平を判断するのは視聴者たる国民であり、マスコミの連中がそう言うのなら、地デジや自社ホームページの機能をフル活用して、番組やゲストコメンテーターごとに政治的公平性に関する視聴者からの投票をすべきだ。

冒頭に紹介したゴロツキどもが会見に持参した高市大臣宛ての抗議声明文
(http://www.asahi.com/articles/ASJ2Y6JHGJ2YUCVL038.html)には、「そもそも公共放送にあずかる放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない」と自ら記しているのだから、視聴者に対して、それくらいのサービスがあっても良いだろう。

ゴロツキどもは、またもや「放送法は倫理規定」なる捏造を企んでいるようだが、放送法は、そこいらの自治体の宣言条例と違い、きちんとした罰則付きの法律であり、倫理規定呼ばわりするのは全くの誤りである。

放送法が倫理規定なら、憲法以外のあらゆる法律も同じ扱いをすべきで、財政法第5条も無視して日銀による国債直接引き受けを解禁しても文句は言えないはずだ。

ゴロツキどもは会見で、「権力は絶対に腐敗し、暴走する。それをさせてはならないのがジャーナリズムの役割だ」と大見得を切ったようだが、実際に暴走しているのは、編集権を乱用し報道しない自由を謳歌しているマスコミの連中の方だろう。

いまや監視が必要なのは政権だけではない。
世論を操り醜悪な経済政策を政治家に強要するマスコミの連中こそ、国民全員から24時間体制で監視されるべきだろう。

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

最近のトラックバック

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31