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2016年4月

2016年4月30日 (土)

成長戦略の「矢」は、規制緩和ではなく、『需要の創出』であるべき

4月28日に公表された日銀の金融政策決定会合の資料では、熊本地震の被災地の金融機関を対象にした総額 3,000 億円の被災地金融機関支援オペ(ゼロ金利貸出)以外に、これといった追加材料がなく、日経平均も急落した。

肝心の経済や物価の見通しについては、「わが国の景気は、(中略)2018 年度までを展望すると、当面、輸出・生産面に鈍さが残るとみられるが、家計・企業の両部門において所得から支出への前向きの循環メカニズムが持続するもとで、国内需要が増加基調をたどるとともに、輸出も、新興国経済が減速した状態から脱していくことなどを背景に、緩やかに増加するとみられる。このため、わが国経済は、基調として緩やかに拡大していくと考えられる。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、エネルギー価格下落の影響から、当面0%程度で推移するとみられるが、物価の基調は着実に高まり、(中略)消費者物価の前年比が、「物価安定の目標」である2%程度に達する時期は、2017 年度中になると予想される」とし、相変わらず、“景気は緩やかな拡大基調にあるものの、物価目標の達成はまたもや先送り”の一点張りで、まるで「そば屋の出前」のような嘘をつき続けている。

日銀が満を持して世に問うた「マイナス金利政策」の効果がさっぱり見えず、資金運用益の低下という実害を被った身内の金融機関からも、公然と不平不満が出る有り様で、各方面から、金融政策の在り方に対する異論が噴出している。

ただし、異論といっても、筆者のような機能的財政論の立場からのものはほんの僅かで、その多くは、野放図な規制緩和万能論や財政シバキ上げ論に則った頭のおかしな連中らの口から発せられている。

その一つが、同日の日経朝刊のコラム「大機小機」で、『マイナス金利と政策論の倒錯』という表題を掲げてマイナス金利政策を批判している。

コラムの要旨は次のとおり。
・一部の経済学者はマイナス金利政策を肯定するが、現行のマイナス金利政策は、名目金利をマイナスにして、プラス状態にある実質金利を自然利子率(需給ギャップが埋まり完全雇用状態となる利子率)に近づけ、投資の活性化による景気回復を狙うものだが、この話は倒錯している。
・短期金利をマイナスの自然利子率に近づけて、一時的に不況脱出をしても長期的なマイナス成長は不可避のままだ。
・日本経済研究センターのリポートによると、日本の自然利子率がマイナスになっているのは供給要因のせいであり、ここを改善せぬ限り長期的な成長は望めない。
・一時的に需給ギャップを埋める政策ではなく、長期的な視野に立ち、構造改革などの成長戦略に本気で取り組むべき。

要は、
・マイナス金利政策なんて、プラス状態にある実質金利を一時的に引き下げるだけの弥縫策に過ぎない。
・マイナス金利や需給ギャップを埋めるためのカンフル剤(=財政政策)みたいな如何わしい政策に頼るな。
・構造改革や規制緩和のような成長戦略で日本経済を筋肉質に変化させないと、長期的な経済成長は望めない。
と言いたいわけだろう。

だが、当該コラムには、緩みきった日本経済の救世主たるべき「成長戦略」とやらについての具体的な記述はまったくなかった。
そこで、同日の日経新聞を嘗め回すように見てみると、『「的」ばかりの成長戦略に「矢」をこめよ』という社説に答えが書かれてあるのを見つけた。

“日経流成長戦略の矢”とは、
・女性・高齢者・外国人材の就労増を柱とした働き方改革による生産性向上
・企業や個人が自由に動けるための規制緩和
・個人が持つモノや能力、時間をインターネット経由で他人に貸し出し、対価を得る仕組み
・民泊の促進
・自家用車による有償の配車サービス
だそうで、これらを「第4次産業革命」と称し、日本を“世界で一番ビジネスのしやすい国”にすべきだと力説している。

天下の日経新聞が主張する「成長戦略の矢」の内容が、こんな幼稚なレベルなのかとがっかりさせられる。
この程度の内容なら、社会に興味のある高校生の学級新聞でも書けるだろう。

綺麗な言葉で修飾したつもりだろうが、平たく言えば、“パート労働の増加、定年の延長、不良外国移民への門戸開放、ノマドワーカーの活用、違法宿泊施設や白タク行為の追認”が第4次産業革命のカギとなる、と言っているに過ぎない。

これで“産業革命”を称するとは聞いて呆れる。
胸を張ってこんなくだらぬ提言をして恥ずかしくないのだろうか?

違法宿泊施設や白タクを公認するくらいで景気が回復するのなら、とっくの昔にデフレ不況など終わっているはずだし、高度なスキルを持つノマドワーカーも引く手あまたになっているはずだが、厳しい現実はそんな夢想を許してはくれない。

日経新聞は、“規制緩和を徹底して世界で一番ビジネスのしやすい国にすることこそが、成長戦略の原点である”という趣旨の主張を繰り返しているが、それは違う。
ビジネスしやすさは、規制の緩急よりも需要力の高さによって決まると考えるのが自然だからだ。

米ウォール・ストリート・ジャーナル紙および米ワシントン最大手のシンクタンク、ヘリテージ財団が公表している「経済自由度指数ランキング(通貨安定・汚職・労働の自由・財産権の保護・ビジネスの自由度など10項目で評価)」で144位(2016年)に沈んでいる中国が、対内直接投資ランキングでは堂々の1位(2014年)に輝いていること一つを取っても、規制の有無なんて、ビジネスのしやすさにほとんど関係ないことが解る。

中国が144位になった主な理由は、「財産権の保護」、「汚職」、「労働の自由」への低評価によるものだが、アメリカを抜き去り圧倒的なトップの地位を築いている。
ビジネスの世界では、儲けのネタさえあれば規制なんて大した障害にはならない。
必要とあらば、現地の役人にちょっと賄賂を握らせれば済む程度の話なのだ。

日経新聞のような規制緩和万能教の信者は、改革や規制緩和さえ唱えておれば、万事丸く収まると勘違いしているようだが、白タクを追認したところで、いったい誰が利用するというのか?

全国ハイヤー・タクシー連合会のデータによると、2013年の全国タクシー業界の営業収入は1,752,092百万円とピーク時(1991年)の2,757,034百万円と比較して37%近くも縮小しており、回復の兆しがまったく見えていない。
一方、車両数は2014年で24万台と、ピーク時(2006年)の27万台から12%しか減っておらず、マーケットが縮小する中での減車が進んでいない。

かような過当競争状態を放置して、白タクの新規参入を認めるなど本末転倒であり、増車する白タクの利用者は、いったいどこから湧いて出てくるのかと釈明を求めたい。

奇しくも、総務省による3月の家計調査にて1世帯当たりの消費支出が前年同月比5.3%減と大きく落ち込んだと公表されたばかりであり、長引く不況の要因が供給要因ではなく需要不足によるものであることは誰の目にも明らかだ。

日経新聞に群がり、構造改革教や規制緩和万能教を唱えるだけの寄生虫は、いい加減に現実を理解すべきだろう。

2016年4月25日 (月)

模範解答をあえて無視するバカ者

『衆院補選 「安保語ってほしかった」北海道5区』
(毎日新聞 4月25日(月)配信)
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160425/k00/00m/010/126000c
「夏の参院選を控え、今後の政局を占うとして注目された衆院ダブル補選。接戦となった北海道5区は自民党が議席を死守。京都3区は民進党が結党後、初議席を獲得した。安全保障関連法の成立・施行後、初の国政選挙で最大の争点だったが、与野党とも直後に発生した熊本地震への対応に追われるなどし、論議は深まらなかった」

先週日曜日に投開票を終えた衆院選補欠選挙は、すでに報道のとおり、北海道5区では自民党が、京都3区では民進党が勝利した。

京都3区は自民党の不戦敗が決定していたため、民進党をはじめ野党サイドとしては連勝に期待をかけていただろうが、北海道5句は1.2万票余りの差で惜敗に終わった。
惜敗とはいえ“敗戦”に変わりはなく、自民党の党勢を削ぎたいと願う勢力には残念な結果となった。

今夏の参議院選の前哨戦として、安倍首相の政権運営やそれに唯々諾々と従うしかない与党の情けない連中に「NO」を突き付けるチャンスでもあったが、それを果たすには至らなかったようだ。
京都3区で、いかがわしいおおさか維新のバカが大差で落選したのが、唯一の収穫と言えようか。

この結果を受けてマスコミ各社は、「アベノミクスが一定の評価を得た」、「安保関連法案阻止の訴えが浸透しなかった」などと報じているが、相変わらず勘違いも甚だしい。
アベノミクスの恩恵なんて、官製会議に寄生する一部の大企業にしか及んでいないし、安保や憲法改正なんて、そもそも議題にすら上がっていない。

北海道5区の2候補者の得票結果を見てみると、互いに支持母体の9割以上を固めた守りの選挙だったようだ。
その中で、野党側候補の池田氏は無党派層の7割以上を固めたとされており、しかも、前回自民党(故町村氏)に投票した人の21%を奪取したとされているが、結果として僅差で敗れている。

全体の投票率は57.63%と2014年の衆院選を下回っており、参院選の前哨戦という触れ込みの割りに、有権者の関心はかなり低調だったことが窺える。
では、その理由は何だろうか。

今回の選挙で最も重視した政策や争点について、地元の北海道新聞のアンケート調査結果によると、①社会保障24.9% ②景気・雇用19.4% ③安全保障10.9% ④子育て・教育10.3% ⑤憲法改正9.1% ⑥消費税増税3.6% ⑦TPP1.9%となっており、いつものことだが経済問題(社会保障も結局は経済問題の一部にすぎない)への関心が上位を占めており、“戦争法案云々”など、どうでもよいというのが有権者の本音なのだろう。

だが、今回の選挙で両候補は、こうした有権者のニーズを無視する形で、与党支持の和田氏は、故町村氏からの議席継承や誰も実感していない“アベノミクスの効果”とやらを訴え、一方の野党支持の池田氏は、表向きこそ福祉政策を謳いつつも、実際には安保法案反対を前面に出して対抗した。(支持者の連中が、全共闘世代の妄想老人ばかりだから仕方なかったのだろうが…)
これでは、有権者の関心や熱意が急降下してしまうのも無理はない。

資料によると、北海道5区は札幌市の一部と周辺市町村からなり、池田氏は札幌市、江別市の大票田で和田氏を上回ったほか、札幌市のベッドタウンである北広島市や石狩市でも僅差で勝利している。
一方、千歳市と恵庭市、当別町、新篠津村では敗れている。
特に、自衛隊の駐屯地のある千歳市と恵庭市で大敗(両市合わせて1.7万票差)しており、その影響が全体の勝敗の帰趨を決したと言えよう。

だが、安保法案反対を旗印に抱える以上、両市での苦戦は想定の範囲内であり、選挙の肝は、有権者数の多い札幌市や江別市で、いかに多くの無党派層を掘り起こせるかにあることくらい容易に想像がつく。

だが、両候補者とも、見事に有権者のニーズを無視し、自分たちの言いたいことだけを連呼するだけに終始し、特に、攻める立場のはずの野党候補者が、関心の高い景気や雇用問題に具体的に踏み込めないようでは勝利はおぼつかない。

今回の補選に限ったことではないが、選挙の争点に関する有権者のアンケート調査結果は、いわば、事前に配布される“テストの回答集”だと言ってよい。
有権者が、わざわざ、「回答集を見て、こちらのニーズに合う公約を作ってくれ」と言っているのだから、選挙に関心の薄い無党派を取り込むのに大いに活用すべきなのだが、与野党を問わず政党側はこれを軽く無視しがちだから有権者との齟齬が生じ、回を追うごとに投票率が低下してしまう。

今回は、北海道5区も京都3区も、いずれも投票率は低調だったようだが、直前に発生した熊本大震災の影響とばかり言えまい。
なぜなら、両選挙区とも、選挙の争点がはっきりせずに、公示以前からまったく盛り上がりに欠けていたからだ。
震災という突発事が発生していなくとも、恐らく低調な選挙に終わったことと思われる。

国民も、日ごろは、“国の借金が心配だ”とか“財政赤字のせいで年金がもらえなくなるかも”なんていらぬ心配ばかりしているが、いざ選挙になると、“地方に仕事をくれ”、“年金支給額を引き上げろ”、“保育所を増設しろ”と本音が出てくるものだ。

要は、こうした本音をくすぐってやれば選挙の争点が具体化され、有権者の関心も高まるのだが、肝心の政治家の連中が、財政問題やPB目標などを盾にして財政支出を渋るから、いかなる問題も財源の裏付けを取ることが叶わずに、結局は、“弔い合戦”や“自身の不幸自慢合戦”レベルで終わってしまう。

仕事が欲しい、社会保障を充実させてほしいという国民の率直な願いを叶えるためには、財政支出の増額が避けて通れない。
このまま財政問題を言い訳にして、国民のニーズに背を向け続けると、いずれ投票率は地に堕ち、政党制や選挙制度自体の存続に疑いの目が向けられるようになるだろう。

すでに、筆者は、その双方とも廃止すべきとの意見であり、こんな下らぬ制度が無くなっても一向に構わないが、多くの有権者はそうは思わないだろう。

先人が苦労して獲得した普通選挙制度を無にせぬためにも、諸悪の根源たる「財政問題という迷信」をかなぐり捨てて、有権者にあっては景気回復や雇用改善、社会保障の充実を強く政治家に要求し、政治家にあっては有権者の要望を汲み取り、力強い経済成長と適切な分配を実現させる公約を掲げるよう互いに努力すべきだ。

テストの模範回答が目の前にあるのに、政治家がそれを無視して、自分本位の妄言で回答欄を埋め尽しても喜ぶものは誰もいない。

2016年4月20日 (水)

保育園建設に反対するバカには情操教育を義務付けろ

『保育園は迷惑か 反対運動に元防衛庁長官、スリーエフ社長の名も〈週刊朝日〉』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160420-00000006-sasahi-soci

「“全国ワースト1”の待機児童数1182人(2015年4月1日時点)を抱える東京都世田谷区。市川市と同様に、区内2カ所で認可保育園新設をめぐる“反対運動”が起こった。取材をすると、なんと自民党の元閣僚や有名企業の社長の名前も出てきた。(後略)」

記事によると、1カ所目は、東急東横線田園調布駅から徒歩15分ほどの閑静な住宅街で、定員約60人の認可保育園が17年4月の開園を目指しているそうだが、予定地の近隣十数軒の塀には、「開設反対!!住環境の破壊!」、「危ない三叉路、坂道、一方通行、ここは保育園には向いていません」などといった黄色い横断幕が掲げられており、住民から「地価の下落」「交通量増加による危険性」「騒音問題」などを理由に反対の声が上がっているそうで、自民党の大野功統元防衛庁長官(80)の姿もあったとのこと。

反対運動をする身勝手な住民から、「保育園の重要性はわかりますが、高齢者世帯が多いこの地域で、勢いよく走る自転車がたくさん通るのは怖い。地域のコンセンサスがないままに話が進んでいるので、できれば静かに暮らしていきたいです」との声が上がっているそうだ。

もう1カ所は、田園調布駅から徒歩10分ほどの環状8号線から細い路地を入ったところにある高級住宅街で、定員161人と大規模な認可保育園が今月開園予定だったそうだが、反対運動をする周辺住民との話し合いで、定員が145人に変更され来年4月に開園する方向とのこと。

こちらも、建設反対派のゴロツキ住民から、「周辺道路は道幅が狭く、見通しがきかない坂道で通園には危険。不適切な立地だ」、「子供の送迎時の事故の危険性で住環境が一変する」などといった反対の声が上がっており、昨年5月には、コンビニエンスストア・スリーエフの中居勝利社長が世話人となり、“保育園整備計画(仮称)反対表明文~署名にご協力のお願い~”と書かれた紙が配布されたそうだ。

先日報道された千葉県市川市の保育園新設反対運動のニュースを聞いた時にも、周辺住民のワガママぶりに呆れ返ったが、今回の件もはらわたの煮えくり返る思いがする。

昨今の保育所不足や待機児童の問題に関して、筆者は基本的に、
・働く女性の意思を否定する気はないが、所得不足を理由に女性が働かざるを得ない社会であってはならない
・保育所不足の解消には、保育士の待遇の大幅な向上と保護者からの理不尽なクレームを遮断する法制度の整備が必要
というスタンスなのだが、待機児童の解消という社会的ニーズの高い取組みに対する周辺住民の身勝手な態度や無関心ぶりには、さすがに腹立ちを禁じ得ない。

反対運動に熱中しているバカ者どもの年齢層は不明だが、田園調布駅の近隣という場所柄、“功成り名を遂げた富裕層の高齢者”というイメージが浮かび上がる。

児童数が数名しかいないような田舎の小学校では、地域の高齢者が一緒になって運動会に参加するような微笑ましい光景も見られるというのに、市川市や田園調布で息巻いて反対の声を上げている連中には、こうした幼子に対する暖かい愛情がないのだろうか。

保育園と騒音とを結びつける声もあるが、園児が出す声の大きさなど微々たるもので、将来日本を支える大切な宝だと思えば、その泣き声すら愛おしく感じるのが普通の大人というものだろう。

「子供の送迎時の事故の危険性で住環境が一変する」なんて頭のおかしな反対理由もあるようだが、24時間始終車やバイクが出入りするコンビニと違って、保育園の出す騒音や送迎時の混雑ぶりなんてたかが知れている。
地図データを見ると、田園調布駅周辺には10店近いコンビニがあり、常識に欠ける社長が反対運動の先頭に立っている件のスリーエフも、田園調布やその周辺地域に11店も出店しているではないか。

自分たちが騒音や自動車事故リスクを撒き散らしておきながら、騒音や事故を理由に保育園の建設に反対するなんて、詭弁や矛盾にもほどがある。

スリーエフの中居氏は、週刊朝日の取材に対して、「当初は敷地面積の割に161人という大規模な保育園の計画だったので、現行計画を強行することに反対しました。保育園の設立そのものに反対だったわけではありません。事業者の説明に問題があって、近隣の心配が大きくなってしまった。良い保育園になればと思う」、「待機児童なんていない」との自身の発言については、「区のデータで、待機児童数が一番少ないエリアという趣旨での発言だった」と釈明したそうだが、老害が醜態をさらす様は何とも格好が悪い。

取材を受けて前言を翻すくらいなら、初めから黙っておればよい。

我が国は少子高齢化社会を迎え、筆者の近所の小学校も児童数が大幅に減っており、運動会を見に行っても、応援する家族の席がスカスカになっており、子供の数がかなり減っていることを実感させられる。
まさに、「子は国の宝なり」という言葉を噛みしめるべき時代なのだろう。

長期不況に苦しむ日本をこれから発展させ、次世代を担う人材は、いまこの瞬間に誕生しているのだ。
彼らが成長し、幼少期を振り返ったときに、当時の大人や高齢者、それも、社会的地位の高い責任世代の連中が、自分たちを邪魔者扱いしていたことを知れば、何と思うだろうか。

彼らに、“昔の日本人は、なんて心の狭いバカばかりだったのか”と蔑まれるようではなるまい。

保育所の反対運動に身を投じているバカ者どもには、歳月を重ねた分別のある人間としてどうあるべきかを再考し、猛省を促したいが、そんな簡単な理屈も解からぬようなら、もう一度人間教育を徹底的に叩きこむために、小学校の空き教室を使って、こうしたレベルの低い連中に対する生涯学習を義務付けるべきだろう。

ゆとり教育をバカにする前に、この手の常識のない高齢者への教育が喫緊の課題なのかもしれない。

2016年4月18日 (月)

カネよりも大切なもの

先週、熊本・大分地方を襲った大地震により、40名以上の方がお亡くなりになったほか、1,000名以上の方が負傷され、家屋等の有形資産や公共構造物等の損壊も多数に及んでいる。
お亡くなりになられた方やそのご遺族、被災された方々には、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
また、被災された皆様の生活が一日も早く再建されるよう、お祈りいたしますとともに、微力ながら、できる限りの支援をさせていただきます。


さて、筆者も14日の帰宅後に、最初の地震発生のニュースを聞いたが、“震源が熊本・最大震度が7”と聞いたときは、一瞬耳を疑い、事実を飲み込むことができなかった。

筆者の親族も、一部九州に在住しているが、小さい時から「九州=地震の少ない地域」という固定観念があり、東日本大震災と同レベルの震度7の大地震が、九州の、それも、これまで地震と縁遠かった熊本で発生した、ということがすぐには理解できなかった。

九州といえば、毎年のように台風や大雨による風水害に見舞われることは多いものの、2005年に起った福岡県西方沖地震(被害規模:死者1名、負傷者約1,200名、住家全壊約140棟)以外の地震のニュースを聞くことはなく、“大地震”という言葉と最も縁遠い地域だと勝手に想像していた。

さらに、14日夜の大地震の後に、気象庁が余震に対する注意喚起の呼びかけをしていたのを聞いた時も、これほど大規模な地震の後なら、これまでの事例からして、多少の余震があってもほどなく収束に向かうだろうと高を括っていたが、16日深夜には、M7.3・震度6という大地震が再度現地を襲い、筆者の呑気且ついい加減な経験則はあっさりと否定されてしまった。


『熊本地震 倒壊多数、耐震化遅れ 九州「地震なかった」』(産経新聞 4月18日配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160418-00000037-san-soci

「「熊本地震」は最大震度7を記録し、家屋が倒壊して住民が下敷きになるなど多数の犠牲者が出た。熊本県益城(ましき)町では、2階建て住宅の1階部分が潰れた家屋のすぐそばに、壁の一部が剥がれた程度の軽微な被害で済んだ住宅も目につく。国土交通省は平成7年の阪神大震災を教訓に家屋の耐震化を進めているが、いまなお全国約900万戸は今回と同規模の地震で倒壊する恐れがあるという。有識者は「九州地方などは対策が遅れていた」とも指摘する。今回の地震は震源が比較的浅く、家屋倒壊の危険があるとされる震度6弱以上の地震が17日午後3時までに7回発生した。熊本県建築課によると、県内約68万戸の耐震化率は25年時点で75%。担当者は「それほど悪い数字ではない」と話すが、27年度末までに達成目標としていた90%には到底及ばない数字だ(後略)」

上記の記事では、耐震化が進まない最大の理由は“多額の費用”だと指摘している。
自治体による費用の一部補助制度もあるが、耐震診断には10~20万円かかり、柱や屋根などの耐震改修には、さらに100~200万円も持ち出しが必要になるため、おいそれとは決心できないようだ。
20年以上も続く不況により、ほとんどの国民は収入減少に見舞われており、いつ来るともしれないリスクに備えて100万円ものカネをポンと出せる状態にはない。

地震の少ない地域なら、まず備えるべきは台風や大雨による風水害による被害に対してであり、今回のような大地震が来ることを想像し、対策をしろと言う方が無理だろう。
人命リスクに関する優先度合だけで言えば、経験のない大地震よりも、自宅の軒先に巣食ったスズメバチに刺されるリスクの方が、実際には遥かに高いからだ。

むしろ、地震の少ない熊本県内の耐震化率が75%にも達していることの方に驚かされる。
この水準がもっと低ければ、今回の大地震による被害はさらに深刻なものになっただろう。

先の記事によると耐震化が未着工の住宅は900万戸とのこと。
1戸当たり100万円の費用がかかるとすると、ざっと9兆円程度の予算があれば自己負担なしでほぼ全戸の耐震化が叶う。

このほか、小中学校や病院施設、防災拠点となる公共施設等の耐震化も順次進めていく必要があるものの、住宅の耐震化と合わせても20兆円程度の予算があれば、十分に対応可能だろう。
むろん、財政事情の苦しい自治体の負担割合を増やすのではなく、全額国の支出で賄うべきだ。

災害発生時における住宅の倒壊は、一個人の財産損失の問題に止まらず、災害救助活動の妨げにもなり公益を阻害する要因にもなり得る。
つまり、全国民が一様に直面するかもしれぬリスクに対応する施策なのだから、災害対策特別国債とでも銘打って日銀に引き受けさせておけばよい。

今回の熊本地震では、宇土市本庁舎や熊本市民病院が倒壊寸前まで破壊され、防災対応拠点としての機能を喪失し、被災対応に大きな混乱が生じている。
こうした事態を回避し、国民の生命や財産をある程度守ることができるのなら、たかが20兆円程度の支出を惜しんではなるまい。

不幸にも被災した方々の生活再建費用の全額国庫負担制度の創設にも、ぜひとも着手すべきだ。
国民の生命や財産と予算やカネを天秤にかけて、どちらが重要なのかを議論するよい機会でもあろう。

政府は、TPPとか税と社会保障の一体改革みたいな有害かつ優先度の極めて低い政策にかまけている暇などない。
東日本大震災の教訓を経て提唱された国土強靭化計画を迅速かつ速やかに実行するとともに、個人住宅や公共建造物等の耐震化を一気に進める必要がある。

我が国では、地震だけでなく、毎年のように国土を襲う大規模風水害等により、貴重な人命や財産が失われているが、国土強靭化のような物理的防災対策の強化が叫ばれることはなく、災害物資の確保や避難場所や経路の確認、防災教育の強化などといったソフト支援の強化に多大なコストが割かれているのが実情だ。

ソフト教育も重要な施策だが、一瞬でビルを倒壊させ、山をも切り崩すような大自然の持つ想像を絶する圧倒的なパワーと対峙するには、ソフト力だけではあまりにも心許ない。
大災害に対する物理的な抑制力や保全力だけでなく、災害後の避難拠点や治療拠点としてのハード設備の整備や強化は欠かせない。

今回、2回目に起った大地震による建物倒壊が人々に与えたショックは計り知れない。
特に、熊本のランドマークたる熊本城が無残にも破壊された姿を見て、また、市庁舎や病院といったもしもの時に頼るべき存在が破壊された様を見て、被災地の人々は戦慄し委縮している。

こうした心的ショックは、避難生活により大きなストレスを与え、生活再建に対する意欲を削ぎ、復興にとって大きな足枷となる。
何より迅速さが求められる復興活動において、こうした余計なハンディキャップを背負い込むのは避けるべきだ。

我々が何気なく使っているコンクリート建造物や公共建築物は、自然災害から国民の生命や財産を守る防壁となり、自然災害に打ちひしがれた人々にとって心落ち着ける宿り木となり得る存在なのだ。

遠からぬ将来に発生が予想される南海トラフ大地震や東海大地震に備えて、やるべきことは山積している。
「コンクリートか、人か」という下らぬ二元論に興じている暇など一秒もない。

2016年4月14日 (木)

賢い支出よりも、全員に行き渡るバラマキを

『ワイズ・スペンディング【wise spending】』
“「賢い支出」という意味の英語。経済学者のケインズの言葉。不況対策として財政支出を行う際は、将来的に利益・利便性を生み出すことが見込まれる事業・分野に対して選択的に行うことが望ましい、という意味で用いられる。”(デジタル大辞泉)

このワイズ・スペンディングなる言葉は、2009年頃、時の麻生政権が、約15兆円の大規模経済対策を決定する際の理論武装のために登場した概念だそうで、昨今の経済財政諮問会議のペーパーにやたらと登場する。

“「経済・財政再生計画」に掲げる歳出改革等を着実に実行し、国・地方を通じたワイズ・スペンディングを徹底する。(平成28年会議資料 骨太方針に向けて~600兆円経済の実現~)”
“リターンの大きい政策に重点化するといったワイズ・スペンディングに徹し、経済再生と財政再生を目指す明快な展望を描いていくことが重要である。(平成27年会議資料 経済・財政再生アクション・プログラム “見える化”と“ワイズ・スペンディング”による「工夫の改革」)”等々、会議資料のあちこちに散見される。

安倍政権は、表向きこそ「経済再生なくして財政再建なし」、「成長と分配の好循環」を標榜しているが、実際には、2018年度のPB赤字対GDP比1%程度、2020年度のPB黒字化というPB目標を堅持したまま、「経済・財政一体改革」による歳出改革を優先させようとしている。

「ワイズ・スペンディング」という語句の用法も、財政政策の正当性を装飾するためという当初の目的とは遥かに乖離し、単に、財政政策の実施規模を極力抑え込むためのアンカーとして使われているようだ。

そのことは、ワイズ・スペンディングが登場する資料には、必ずと言ってよいほど“歳出改革”、“KPI”、“PDCAサイクル”、“見える化”といった「お目付け役」となる語句が、前後を取り囲むように記載されていることからも読み解ける。

冒頭に紹介したワイズ・スペンディングの解説文には、「不況対策として財政支出を行う際は、将来的に利益・利便性を生み出すことが見込まれる事業・分野に対して選択的に行うことが望ましい」とあるが、まったく逆だろう。

筆者は、財政政策を不況対策のみに用いるカンフル剤と位置付ける考え方を明確に否定する。
財政政策は、カンフル剤なんて軽いものではなく、実体経済の維持・活性化に不可欠な栄養分を補給するための「常食」だと考えている。

よって、“不況対策として云々”という消極的な言い草に腹立たしい思いもするが、仮に不況対策として財政支出を活用するのなら、将来的に利益・利便性を生み出すことが見込まれる事業・分野にのみ資金を投じるやり方は、実体経済に還流する資金の偏在を生むだけで、経済再生にとって大した効果を生むことはできない。

比較的恵まれた事業分野の企業が、より恵まれるだけで、業界ごとの格差拡大を助長する結果に終わるだろう。

マクロ的な不況下で財政支出をするなら、一部の業界や分野にのみ資金を投じても、全体の需要が落ち込んでいるのだから、そこから先の経済波及効果は極めて限定的にならざるを得ず、結局、財政出動の効果そのものが疑われることになる。

こうした緊急時は、あっちの業界、こっちの業界と選り好みせずに、十二分な資金を広く厚く投じるべきなのだ。

食糧を求めて広場に集まった群衆を前にして、ほんの数か所に食べ物をバラ蒔くと、猛烈な奪い合いを生み、群衆は互いに傷つけ合い、体力も消耗し、撒かれた食べ物もバラバラにされてしまうだろう。
これでは、食べ物を撒いた甲斐もないし、飢餓に苦しむ群衆を宥めることもできない。

血走った眼をした群衆を行儀よく並ばせ空腹を満たしてやるには、全員が満足できるだけの物量の食糧を配給せねばなるまい。
将来性のある人間だけをピックアップし、別室で個別に食糧を渡すような真似をすれば、群衆の不信感を買うだけに終わる。

経済財政諮問会議のメンバーのような改革バカの連中は、“選択と集中による賢い支出”とか“効果のある事業”とか言いたがるが、個別事業の効果測定にいちいち拘っていると、肝心のマクロ経済成長という果実をものにする機会を逸してしまう。

先の経済財政諮問会議に提出された「国の行政をチェックしよう」という内閣官房制作のパンフレットがあり、その5ページに国の予算編成スケジュールが例示されている。
それによると、4~8月にかけて、各省庁による個別事業評価のためのレビューシート作成と評価が行われ、それを基に9~12月にかけて次年度の予算編成作業が行われると示されている。

通常、省庁レベルの補助事業や委託事業などは、実質的に7月頃にスタートすることが多いのだが、このスケジュールなら、まだ始まってもいない事業を評価し、事業の進捗途中で効果測定や評価を行い、来年度の予算編成作業を同時並行で進めることになる。

要するに、個別事業の効果測定を単年度で行うことなんてそもそも不可能だし、初めから真面目にやる気がないのに、やったフリを装うために、KPIだ、PDCAだと叫んでいるだけだし、これまで大した支障もなかったのだから、そもそも事業評価を厳密に行う必要性があったのかどうかも怪しいものだ。

特に、不況期にあっては、個々の事業の効果測定や検証作業に多大な労力を掛けること自体が大いなる無駄だと言える。
公務員に余計な残業代を支払うよりも、やるべきことは他にあるだろう。

財政支出の最大の効果は、国内産業や家計に使えるお金を供給し、民間経済主体にその循環を促すことに尽きる。
肝心なのは、「実体経済に投じられた資金の循環を促す」点にあり、一回きりの給付金のような単発事業では到底成し得ない。

つまり、大規模かつ長期的な財政金融政策を打つことが何より重要であり、それによって、
・経済成長や所得向上が実感できる豊かな経済環境の恒常化
・十分な所得を得ることができる多様な職業・職種の創出
・社会保障制度の発展的充実と拡張
の実現を図れば、人々も経済活動に熱中し、財政問題に対する下らぬ関心も自然に薄れるだろう。

不況時における経済政策の目標は、“財政再建”であってはならない。
打ちひしがれた人心を奮い立たせ、明日への期待を紡ぐためにも、“適切な分配を前提とする経済成長”を最大かつ唯一の目標とすべきだ。

2016年4月13日 (水)

経済問題を観念で解決しようとするバカ者

最近、国際経済分析会合の場でスティグリッツ教授やクルーグマン教授が金融政策や構造改革頼みの経済運営の限界と財政政策の必要性を強く訴えたほか、世界経済の成長が鈍化し始めたことを受けてG7やG20でも財政出動が焦点に挙げられるなど、これまで新自由主義一色であった経済政策の潮流にも若干の変化が見受けられる。

だが、“これで財政政策が今後の経済政策のメインストリームに躍り出るぞ”と早合点するわけにはいかない。
機能的財政論を十二分に理解する論者とそうでない者との「適切な経済政策」に対する認識には、いまだに数万光年以上の開きがある。


『日銀の影響力低下が顕著、追い詰められたアベノミクス』(信州大学教授 真壁昭夫 4月12日ダイヤモンドオンライン)http://diamond.jp/articles/-/89290

上記コラムで真壁氏は、アベノミクスで一時的な円安・株高を演出で来たが、本当の意味での景気回復には至っておらず日銀と安倍政権は一段と苦境に追い込まれる、と主張する。

その要因として、
①日欧の中央銀行の金融政策による市場への影響力が極端に低下し、期待通りの通貨安を実現できていないこと
②賃金の上昇が期待されたほど盛り上がらず、また、非正規雇用の割合が4割近く達して家計収入が伸び悩んだところに消費税8%への増税が重なり、個人消費が伸びなかったこと
③過剰債務と過剰設備を抱える中国問題、原油価格下落による財政が悪化した中東諸国のSWF売却による株安懸念、中東からの難民問題を抱える欧州諸国の社会不安などの世界的リスクが顕在化していること
などを挙げている。

さらに、政策金利引き上げによるドル高懸念を何とか払拭したイエレン議長の手腕を持ち上げる一方で、「特に、金融政策頼みの円安・株高が主なセールスポイントだったアベノミクスは、一段と厳しい経済状況に追い込まれることになった」と安倍政権の経済運営を皮肉ったうえで、「そろそろ本腰を入れて、労働市場の改革や規制緩和など、本当の意味での成長戦略を考えるべき時期に来ている」とコラムを結んでいる。

元々、真壁氏は、新自由主義的色彩の強いグローバリズム礼賛系の論者であり、当コラムの結論自体、特に目新しいものではないが、せっかく金融政策一本足打法の無策ぶりと雇用の不安定化による個人消費の落ち込みを指摘しておきながら、実行すべき経済政策の答えを“労働市場改革や規制緩和”に求めてしまう素人ぶりには溜め息を禁じ得ない。
いったい、彼らは何時になったら目を覚ますのだろうか。

真鍋氏の言う“本当の意味での成長戦略”が何を指すのか、まったく意味不明だが、仮にGDPを確実に成長させることができる“戦略”とやらがあるのなら、具体的に出してみろと言っておきたい。
その中身が、「女性・高齢者等の就業促進、多様な働き方を可能とする環境整備、生産性革命、TPPを契機とする海外展開、インバウンド対策、外国人材の活用」あたりなら、端から耳を貸す気にもなれないが…


我が国では、バブル崩壊への過剰な反省から、橋本行革や小泉構造改悪に端を発する下らぬ改革ごっこや緩和ごっこに国民総出で駆り出されてきたが、その間、GDPの成長はピタリと止まり、世界で唯一の成長を忘れた国に成り下がってしまった。

改革の美名の下にあらゆる支出に“ムダ”というレッテルを貼り、20年以上にもわたって、官から民へ“ムダや支出の削減運動”を普及させてきたことが祟り、総需要が冷え込み、家計所得も低迷を余儀なくされている。

本来なら、GDPがマイナス成長になった時点で改革ごっこの過ちに気付き、即座に経済政策の方向転換を図るべきなのだが、狂信的な構造改革教の指導者とそれに帰依する愚かな信者の熱狂に支えられ、適切な判断ができぬままズルズルと改革ごっこを続けてきたのだ。

罪深い狂信者たちは、経済よりもモラルを優先させた改革騒ぎや緊縮ごっこが完全に失敗に終わったという事実を認めたくないがゆえに、結果から目を反らして、「改革が足りない、規制緩和が不十分だ」とひたすら強弁し続けるしかなかったのだろう。

だが、現実は冷酷である。

我が国を覆う経済不況の主因は「需要不足」であることは既に結論が出ており、原因が需要不足である以上、その解決方法は需要を増やすことしかありえない。

『需要=消費や投資』というシンプルだが動かしがたい結論に則れば、(供給サイドは高レベルにあるという前提条件付きだが)需要不足を解消するなら、消費や投資の原資となるマネー(借りるカネでは無くて使えるカネのこと)をドンドン投入してやるよりほかない。

そして、その“マネー”を供給するのは、需要の冷え込みに尻込みするばかりの民間経済主体ではなく、中央銀行や通貨発行権という強力な武器を有している政府サイドであるべきだろう。

“改革・規制緩和・成長戦略”みたいな空疎な観念をいくら振りかざしても、カネを生み出すことはできないし、需要不足の解消には一ミリも役立ちそうにない。
江戸時代の三大改悪のごとく人心を委縮させるだけだろう。

経済問題を解決するのに観念を以ってするなど、失敗必至のバカげた行為だと断言できる。

2016年4月12日 (火)

財政再建なんて後回しでよい

『日本の消費税率、15%まで上げる余地=OECD事務総長』

「経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長は11日、日本の消費税率について、長期的には15%まで引き上げる余地があるとの見方を示した。その上で、消費税率は徐々に上げていく経路を作ることが重要だと強調した。都内の講演で語った」(4月11日ロイター)

今夏の参院選を睨み、来春に予定されていた消費税率10%への引上げの見送りが囁かれているが、上記のニュースは劣勢気味の増税断行派にとって援護射撃となるだろう。(例によって財務省が仕掛けた外圧の一つなのだろうが…)

件のアンヘル・グリア事務総長は確信的な財政再建論者であり、昨年4月に日本記者クラブで会見した折にも、「抜本的な構造改革の早期実現と共に、消費税率を現行の8%からいずれは20%程度へと段階的に引き上げていくべきだろう。(中略)日本の債務残高はGDP比で226%と、OECD34カ国のなかで最悪な未知のレベルにある。所得税の課税ベースも拡大すべきだ。(中略)同時に、歳出削減も不可欠だ。超高齢化社会においては、医療や介護の分野での自己負担を増やす必要があり、個別診療の報酬を積み上げて医療費を算出する出来高払いなどは、なくすべきだと言える。年金の支給開始年齢を引き上げる対策も必要だ。(後略)」と述べている。

ついでに、日本は労働生産性が低いだの、起業率が低すぎるだのと文句を垂れた挙句に、“女性の労働参加率を高める政策が必要だ”、“外国人労働者の受け入れの拡充なども検討すべきだ”と周回遅れ気味の構造改革教の念仏を唱えて帰って行ったそうだ。

まともな思考力のある人間なら、消費税率の引き上げが民間経済の支出削減を誘発し、マーケットの縮小につながることくらい容易に想像できるはずだ。
マーケットの冷え込みにより、収益機会は縮減し労働生産性は否が応にも低下せざるを得ないし、起業環境も悪化を避けられまい。

グリア氏みたいな財政再建派や構造改革派の間抜けな連中は、起業率を上げろ、労働生産性を上げろと偉そうに強要するのと同じ口で、それに反するような経済環境にミスリードしようというのだからバカの極みとしか言えまい。

グリア氏の消費税率の水準に関する発言自体、たった1年間で20%から15%へとブレているくらいだから、何の根拠もないテキトーな数字を吐いているだけのことだろう。
しかも、ディスカウント後の税率15%という数値に関する具体的な根拠は何も示していない。

日本経済は、消費税率が5%から8%に引き上げられただけであらゆる経済指標が悪化し、特に、消費支出の落ち込みは目を覆うばかりだ。
グリア氏のような狂信者は、こういった状態をまったく考慮せずに、税率をさらに15%や20%にまで上げようというのだから、思い込みの激しい単なるバカなのだろう。

10%への増税可否判断に関しては、安倍政権内部の意見も揺れており、先送りすべきという声と予定通り増税すべしとの声が入り乱れている。

日本経済の惨状を鑑みれば、増税などもってのほかで、減税や消費税そのものの廃止を検討すべき段階なのだが、日本の政財界にはグリア氏のような“緊縮絶対主義の狂信者”がウヨウヨしており、事は簡単ではない。

現政権は、口先では「経済再生なくして財政再建なし」と言いながら、実際には「構造改革なくして財政再建なし」とばかりに、まともな経済政策をそっちのけにして、改革(=改悪)や規制緩和偏重の政策を推し進めており、企業や家計は業績や所得再生の糸口すら掴めずにいる。

こうした苦境に置かれてなお、事態を改善するには生産性向上が欠かせないと主張する世間知らず(特に、頭のおかしい構造改革主義者)も多いが、我が国では20年以上も経済成長から見放されており、労働生産性云々を論じるレベルに達してすらいない。

マクロ経済が成長していないということは、そもそも、生産性の価値を図る大元となる生産額や付加価値額が増えないということであり、我が国の実体経済には、生産性を向上させ得るだけの原資が存在しないということにほかならない。
(だからこそ、各企業がこぞってブラック化し、人員削減や下請けいじめに勤しむことになる)

“日本の労働生産性が低いのは、顧客が望む新たな商品や付加価値の大きいイノベーション性のある商品がないからだ”という蜃気楼を追い続ける限り事態が好転することはない。

世の中に数多存在する商品やサービスの大半(というより99.999%)は、特別なイノベーション性など有していないものばかりだが、一般的な個人が欲するのは、そうした何処にでもあるような凡庸な商品やサービスであり、付加価値の大きな商品とか革新的なサービスがないからお金を使いたくないなんて駄々をこねる変わり者など早々いるものではない。

適切なマクロ経済政策を実行して実体経済に十分な商機や所得機会が溢れ返っておれば、労働生産性など訳もなく上昇させることができ、経済活動を通じた税収も問題なく上がるものだ。そうなれば、グリア氏あたりからくだらぬサゼッションを受けずとも済むだろう。

彼のように、実体経済から企業活動や生活の糧を得ている企業や家計の生き死によりも、国家の財布の方が気になる“賤しい金庫番”の意見など耳を傾ける必要はない。

民間経済に比べれば、国家財政など遥かにどうでもよい存在に過ぎないのだから。

2016年4月 6日 (水)

増税と緊縮にしか興味のない狂信者

「タンス預金用の「金庫」が売れまくる異常事態~マイナス金利で不安心理が広がっている~」(東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/106974)

『埼玉県本庄市にあるホームセンター「カインズホーム本庄早稲田店」。同店には今、異例ともいえる、家庭用金庫の特設売り場が設置されている。
理由の一つは2015年10月に施行されたマイナンバー制度。個人資産の情報を捕捉されたくないとの理由から、「10月以降、急激に売り上げが伸びた」(関谷方揮副店長)。そしてもう一つは、今年1月に日本銀行が発表した、マイナス金利の導入だ。
同店では、今年1月から足元まで、金庫の販売金額が前年同期比でなんと330%にも及んだ。カインズの全店舗合計でも、160~170%と、目下絶好調である』

記事によると、マイナンバー制度施行による個人資産の捕捉やマイナス金利による預金金利低下を嫌い、自宅に現金を保管する人が増え、それに伴い耐火金庫の売上が増えているそうだ。
売れ筋は3万円前後のものだそうで、個人向けは従来の倍近い出荷台数になっているとのこと。

また、財務省が2016年度に印刷する1万円札を前年度より1億8000万枚多い12億3000万枚とする計画を決めた、との報道もあり、「現金」に対するニーズが高まっているのは確かなようだ。

脱税目的で金庫に現金を隠しておくような間抜けな素人は放っておくとして、わざわざ3万円も余計なコストをかけて自宅に現金を仕舞おうとするバカ者には呆れ返るよりほかない。

最近のメガバンクの大口定期預金金利(10年)が年率0.01%くらいだから、3万円分の利子を稼ごうとしたら3億円の預金が必要になる。
しかも、全国の住宅空き巣被害件数は平成27年に4万6千件余りも発生しており、自宅に現金を保管することによって、余分な出費と空き巣被害というコスト&リスクを抱えることになるのだが、正常な判断ができないバカに限って簡単な損得勘定すらできないものだ。

だが、常識的な損得勘定すらできないバカ者は、なにも耐火金庫マニアだけとは限らない。


「スティグリッツ教授は消費増税の延期など提案していなかった/小幡績氏(慶應義塾大学大学院経営管理研究学科准教授)」
(ビデオニュースドットコムhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160402-00010001-videonewsv-pol)

小幡氏は、時代遅れの財政再建論者、それも重度の緊縮論者として有名な人物である。

彼は、安倍首相がスティグリッツ教授やクルーグマン教授を国際金融経済分析会合に招聘し、両教授から、消費増税について否定的な意見を述べられたことや金融政策に偏重した経済政策を改め積極的な財政政策が必要だと提言されたことに反発し、次のように述べている。

「安倍政権は今回の会談を増税延期への布石にすることを意図しているようだが、もし日本政府が彼らの発言とは異なる内容を流布しているとすれば、それは単なる世界的経済学者の権威の政治利用だけでは済まされない重大な問題だ。
確かにスティグリッツ、クルーグマン両教授とも、消費税の増税には消極的な意見を持っていることは事実だ。聞かれれば、反対と答えるだろう。しかし、両教授とも安倍政権に対する提言の核心は消費増税の延期ではなかった。
特にスティグリッツ教授は貧富の格差の解消を優先課題として提示し、消費税よりも環境税・炭素税の導入や資産課税強化の必要性などを訴えたほか、労働者の賃金を上げるための制度や法律の強化の重要性を訴えている。
(中略)
そもそもスティグリッツ教授が安倍首相との会談で消費増税の延期を提案したという情報は、首相との会談の後、首相官邸で記者団から消費増税に賛成かどうかを問われて、反対の意思を表明したことが根拠になっている。その時の映像がニュース報道で繰り返し流されたため、多くの一般の市民が、「経済学の世界的な権威が消費増税には反対している」と受け止めたにちがいない。(後略)」

時代の趨勢を読めずに財政再建と増税にしか興味を持たない愚か者の思考回路は、かくも幼稚なものかと呆れ返るが、特に、“両教授とも安倍政権に対する提言の核心は消費増税の延期ではなかった”の発言部分は、単なる捏造、あるいは、小幡氏の妄想に過ぎない。

現に、スティグリッツ教授の提出資料(首相官邸のHP上で公開されている)を見ると、確かに、消費税に関する記述こそ見当たらないが、会合の中で「消費税は総需要を増加させるものではないので、引き上げるのは今のタイミングは適切ではない」と発言している。

また、同教授からの提出資料の「大不況に関する誤った診断」の項(P.9)に “企業が投資に積極的にならないのは、バランスシートや資金調達の問題ではない。需要が足りないことが問題なのだ”との記載があり、同資料のP.14「当然の手段に関する対立する見解:財政政策」の項で“2008~2009年に実施した景気刺激策は効果がなかったという見方は全くの間違い。対策がなければ更に悪化していたであろう失業率の低下をもたらすことができ、更なる景気後退、不況に陥るのを防いだ。危機時においては、支出を最適化する時間はなかった。-たとえ、不完全な歳出であっても、大量の資源を活用せずにいることや不況に比べれば望ましい”と財政政策を全面的に肯定している。

さらに、P.17では「効果的な施策」として“政府支出の増加”を挙げ、P.19「A.緊縮財政をやめる」の項で、“景気拡張的な財政緊縮や、債務が一定の閾値を超えると経済成長が低下する、といった考えの正しさは否定されている”と、政府債務の拡大が経済に悪影響を与えるという妄言がまったくの誤りであることを指摘している。

資料の後段では、グローバル化やサプライサイド思考、金融政策、緊縮政策の過ちが随所に指摘されている。

小幡氏の“両教授とも安倍政権に対する提言の核心は消費増税の延期ではなかった”との発言が真実だと仮定するならば、それは、「両教授の提言の核心は、“世界的な経済不況の主因は需要不足にあり、最大かつ緊急の対策は強力な財政政策を実行すること(+下らないグローバル化や改革ごっこ、緊縮政策から手を引くこと)である”」という点においてであろう。

日本経済は長すぎる不況に喘いでいる。

安倍政権発足当初の財政出動により一息ついた時期もあったが、その後の緊縮的な財政運営や消費税率8%への引上げにより、再び長いトンネルに入ってしまった。

来春の10%への引上げに関して、安倍首相は、リーマンショック並みの事態でも起こらぬ限り予定通り引き上げるなどとバカなことをほざいているが、リーマンショック云々の前に、我が国は世界でたった一つだけの成長や好況を忘れた国に成り下がっていることを自覚すべきだ。

我々はリーマンショック程度の不況など既に20年以上前から経験済みであり、いまさらこれを言い訳に使っても何の迫力もない。

小幡氏は、不況に苦しむ国民などそっちのけで消費税増税の強行を支持する、いわば「増税教の狂信者」と言っても差し支えないが、氏のように、高い社会的地位にありながらマクロ経済の簡単な損得勘定すらできない専門バカにつける薬はないものかと呆れるばかりだ。

2016年4月 1日 (金)

フリーランチ乞食

(佐々木)
そういった課題のある日本の経済ですが、これから動かすため、私たちが持つべき大切な視点って、どんなことでしょう。
(川本)
2つあると思うんです。一つが「フリーランチはない」ということ。何か便益が発生すれば、かならずコストをだれかが負担している、ということです。ただ飯はない、ということ。積極的な財政拡大は、経済のスパイラル的な崩壊を防ぐために必要という面もあるけれど、一方で財政赤字が急速に拡大する。(※下線部は筆者)

これは、イー・ウーマン社長の佐々木かをり氏と早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授の川本裕子氏が、同社HP上で行った対談から一部を抜粋したものだ。

この「フリーランチ(タダ飯)はない」という決め台詞は、ハーバード大学のマンキュー教授が自身の教科書で「経済学の10大原理」の冒頭に掲げた言葉だそうで、何かを得るには何かを犠牲にする必要があり、タダに見えることにも隠れたコストがあることを意味するそうで、財政政策を毛嫌いする「緊縮財政派」や「新自由主義者」、「リフレ派」の連中が好んで用いる言葉でもある。

フリーランチ無効論を公言する世間知らずな連中は、政府主導の積極的な経済政策や弱者救済を毛嫌いし、そうした施策は必ず質の悪い副作用を招来するはずだ、と信じて疑わない。

冒頭に紹介した川本氏の論も、“積極的な財政支出の裏には財政赤字拡大という麻薬が潜んでいる”とでも言いたげなようだが、インフレに十二分に対応できるだけの高度な供給能力を有する国家においては、通貨発行権を有する政府の財布の中身などいちいち気にする必要なんてない。

川本氏のような薄っぺらい経済認識しか持っていない新自由主義者は、「財政赤字が心配だ」とさえ叫んでおけば、借金恐怖症に駆られた無知な国民の同調を得られると勘違いしているようだが、そもそも財政赤字の何が問題なのか?

基本的に、政府は集めた税金を懐に入れることなく、公務員の人件費や何らかの事業費、或いは、給付金などとして実体経済に放出することになる。
よって、財政赤字が増える分だけ、実体経済で活動する企業や家計というプレーヤーは、(海外への漏出がないという前提条件付きになるが)より多くのビジネスチャンスや収益機会に恵まれることになる。

これは、民間の経済主体にとっては、まさに慈雨とも言え、新自由主義者の連中が恐れるような厄災でも何でもない。

累積された財政赤字の償還のため巨額の増税が必要だ、という妄想が罷り通るかぎり、新自由主義者が振りまくインチキフリーランチ論が止むことはないだろう。

筆者は、実体経済が過熱し民間の経済主体の懐さえ潤っておれば、政府の財政収支など気に掛からないし、余計な増税の必要などないと考えている。

政府が税率を低く抑え、納税に対する努力を放棄すれば、民間の個々の経済主体が自由に使えるお金の量が自然に増えて経済取引が活発化し、結果としてインフレ気味の経済状態を招きやすくなる
その過程で、多くの民間経済主体は、より多くの収益や所得を獲得するが、その一方で、物価の値上がりというデメリットに対峙せざるを得なくなる。
それこそ正当な自己責任の世界の話であり、民間経済主体が対処&解決すべき問題だ。

問題なのは、誤った経済政策や税制によって民間経済主体が収益や所得を獲得する機会を減らされた挙句に度重なる増税を喰らい、自由に使えるお金を十分に持てずにいることだろう。

フリーランチを貪っているのは、コストや負担を家計や中小企業といった民間経済主体に一方的に押し付け、その上に胡坐をかいている政府や大企業の方だろう。

経済財政諮問会議や産業競争力会議のような如何わしい会議を通じた財政再建優先主義の強要によって財政支出を切り詰めさせ、労働規制緩和や外国人労働者の流入促進によって人件費を押さえつけて家計所得の向上を阻もうとしている。

また、大企業にあっては、自らは史上空前の利益を計上しながら、消費税増税分の下請けへの負担つけ回し、大量発注を前提として決定した単価での少量発注への適用、納入価格の値下げの強要など、下請けいじめに余念がないありさまだ。

こういう連中こそ、自分たちがフリーランチを貪っていることに気付かずに、他社の犠牲の上にのうのうと胡坐をかく“フリーライダー”や“フリーランチ乞食”だと糾弾されるべきだろう。

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