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2016年5月

2016年5月27日 (金)

結果を出せないダメ政策との決別を!

現在開催されているG7伊勢志摩サミットでは「世界経済の持続的な成長に向けて、各国が機動的な財政出動や構造改革などの政策を総動員することで一致した」と報じられているが、頭の悪い構造改革教徒(メルケルとキャメロン)が“財政出動は不要、構造改革の重要性を盛り込むべし”と駄々を捏ねている。

安倍首相は、いかにも新自由主義者らしく、“機動的な財政出動”という表現に止めてタガを嵌める提案をしたが、『構造改革こそ世界の真理』だと疑わないバカ者には、それすらご不満のようだ。

また、安倍・キャメロン間には、現状の世界経済情勢がリーマンショック前に似ているか否かで意見の相違があるようだが、そんなものはどうでもよい。

バブル崩壊後の日本経済は、リーマンショックより遥かに深刻な需要不足に見舞われ続けており、たかがリーマンショック程度の危機であたふたする欧米各国とは、年季が違うのだ。

安倍氏も、“リーマンショック=経済的大災害”であるかのような誇大な表現を使って、ここ20年で我が国が直面してきた他国で類を見ない極めて深刻な経済不況を軽々しく扱うのは止めてもらいたい。


さて、本日、ロイターが、“安倍リーマン発言”を擁護するようなニュースを報じている。

『ロイター企業調査:8割が「デフレ逆戻り」懸念 増税・円高・改革遅れで』
(http://jp.reuters.com/article/deflation-idJPKCN0YI02J?pageNumber=2&sp=true)

記事によると、
「5月のロイター企業調査によると、約8割の企業が来年までにデフレに逆戻りする懸念があると回答、デフレ脱却への期待がここへきて大幅に後退している。熊本地震で収益の悪化を見込む企業が自動車では7割にのぼり、年金債務負担や運用悪化などマイナス金利による負担増も目立ってきた。ドル円相場は110円程度での安定を望む声が6割となった」
そうで、
「今年1月のロイター企業調査では今年後半までにはデフレを脱却しているとの見方が52%に達していた。しかし、今月はその割合が30%に低下。「当面脱却はできない」との回答が48%から70%に増えた」
と伝えている。

この調査は、資本金10億円以上の中堅・大企業400社を対象にしたものであり、数多ある中小企業の見方は、これよりさらに厳しいものになろう。

日本の名だたる企業の7割がデフレ脱却を悲観し、8割近くが将来のデフレ再突入を予想しているという事実は、インバウンド景気とやらに小躍りする日経新聞のようなシロウトにはリーマンショック並みにショックな出来事だろう。


だが、せっかくのロイターの記事も、他紙と同様に「分析二流・対策五流」の範疇に止まっている。

記事では、デフレ懸念の要因として、「来年の消費増税に伴う消費低迷への懸念や円高の悪影響、構造改革の遅れなどが背景」にあるとし、「社会保障や成長戦略などで改革の遅れを指摘する声もある。「将来への不安が残り消費が活発にならない」(輸送機械)、「短期的な金融・財政政策に頼っており、希望を抱かせる改革が見えない」(その他製造)」という声を紹介し、現政権に、一層の成長戦略と構造改革を強く求めるニュアンスを漂わせている。

「将来への不安が残り消費が活発にならない」要因は、社会保障制度の改革が進まないことへの苛立ちによるものではなく、年金支給年齢の引き上げや医療費の自己負担割合増加による収入や所得の減少によるものであろう。

試しに、「来年から年金支給開始年齢を70歳に引き上げますよ」、「医療費の自己負担割合を5割に引き上げますよ」とアナウンスしてみればよい。
構造改革教徒の言うとおりなら、「これで社会保障制度も万全だ。さあ、景気よく飲みに行くか」となるはずだが、そんなバカは一人もおるまい。

「短期的な金融・財政政策に頼っており、希望を抱かせる改革が見えない」という寝言を吐く者には、「緊縮的且つ不十分な財政政策に固執しており、所得増大期待を抱けるだけの経済成長が見えない」という正解を教えておこう。

この手の愚か者に問いたいのは、「お前の言う“希望を抱かせる改革”って、いったい何を指し、どれだけの経済効果があるのか?」ということである。

それが、一億総活躍社会のことなのか、農協の解体を指すのか、はたまた、土建イジメや公務員叩きなのか、はっきり明言すべきだし、そういった改革(実態は単なる改悪)とやらが、マクロ経済をどの程度成長させ、国民所得をどれくらい増やせるのかについても、数値で説明する義務があろう。

構造改革教徒の連中は、財政を緊縮気味に絞り、金融緩和政策で経済対策をしたフリをして、改革だの規制緩和だのと遊び散らかしておきながら、いざ、景気回復という結果が出ないと、「改革が足りない、成長戦略が足りない」と譫言を繰り返して自己弁護に終始してきた。

構造改革教徒にとって「改革が足りない」と叫び続けることは、何にも勝る快感を得られる麻薬や媚薬の類いなのだろう。
自らは結果に何の責任を持つことなく、周囲を見下して大所高所から高説を垂れておればよいのだから、これほど気持ち良いことはあるまい。

だが、彼らがドラッグパーティーに耽る間にも、経済は刻々と悪化を続けている。
いい加減に国民も、20年以上も結果を出せない迷信とはすっぱり手を切るべきだろう。

2016年5月25日 (水)

口当たりのよい薬ほど効かぬもの

先日、日経新聞を眺めていると、「グローバルオピニオン」なるコラムを見つけた。

今回の執筆者は、米コロンビア大教授のグレン・ハバート氏(元米大統領経済諮問委員会委員長)で、「先進国は就労促す改革を」という副題が添えられている。

元々、ハバート氏は重度の構造改革論者で、金融政策には否定的な人物(当然、財政政策は更に否定的)である。

当コラムでのハバート氏の意見は次のとおりだ。
①先進国にとって共通の課題は、労働参加率と生産性の向上
②勤労を阻害する障害を取り払い、企業や個人が活動しやすくなるよう規制改革や税制改革を断行すべき
③日本の成長率を上げるには、女性が働きやすい環境整備と農業改革などの構造改革が不可欠
④金融緩和政策は生産性向上につながらないばかりか、円安による輸入物価上昇の悪影響をもたらす
⑤財政政策は短期的なインフラ投資に止め、消費税増税を段階的に進めて財政問題の解消に努めるべき(増税を見越した駆け込み消費にも期待)
⑥医療など社会保障制度の効率化による歳出抑制が必要
⑦自由貿易の否定(高関税)は輸入物価上昇につながり中低所得層に打撃を与える
⑧お金のバラマキではなく、働く意欲のある人に力を与えることが重要

日経新聞の愛読者や構造改革教に心酔するバカ者の心にはストンと落ちる内容だろうが、こちらはそうはいかない。

④の金融緩和政策は生産性向上につながらない、という部分だけはOKだが、その他は、幼稚な世迷い言だろう。

先進国にとっての最大の経済的課題は「需要不足」とその主因たる「財政政策に対する嫌悪感」および「適切な所得分配構造の破壊」であって、労働参加率や生産性云々は、そこから派生する問題の一つに過ぎない。

ハバート氏は「勤労を阻害する障害」を気にしているようだが、財政政策の縮小、構造改革や規制緩和の強行こそが、その最大の障害になっていることを指摘せねばなるまい。

我が国の失業率は今年3月時点で3.2%ほどとされるが、元々、分子となる「完全失業者」の定義が極めて厳格であり、潜在的な失業者の実態を反映できていないとの指摘がある。
現状の不完全な指標によっても、国内の完全失業者は216万人もおり、このほかにも統計から漏れた“隠れた失業者”が400万人以上存在するとの指摘もある。
(http://www.garbagenews.net/archives/2039332.html)

こうした600万人以上にも及ぶ失業者の勤労を阻害しているのは、適切な財政金融政策を放棄し不況を容認する政府と労務コスト削減に勤しむ企業側の姿勢に他ならない。
実際に、政財界の連中は、労働単価の安い外国移民受入や同一労働同一賃金制度の導入をこぞって進めようとし、失業者の雇用どころか、日本人の賃金水準引下げに血眼になっているではないか。

彼らは、労働コスト削減の観点から女性の労働参加にも積極的だが、当の女性は迷惑顔だ。

エン・ジャパン株式会社による『子どもを持つ女性の「働く」意識調査』(2015年7月)によると、子どもを持つ女性の就業率は52%に止まり、現在働いていない層が望む働き方は「家事や育児などプライベートと両立できる程度で働きたい」との回答が68%に上ったそうだ。
子供を持つ女性の半分が働いておらず、この先働くとしても、空いた時間でできるパートやバイト程度の働き方しか望んでいないらしい。

また、民間の調査データによると、管理職への昇進を希望しない女性の割合は65%を超えるとされ、その理由として、「責任が重くなる」「仕事量が増える」「時間がなくなる」といった回答が上位を占めているそうだ。

ハバート氏の他の論説に関しても、その誤りや矛盾を指摘しておく必要があるだろう。

農業改革云々については、どうせ大規模化とか市場開放の話だろうが、大規模化を進めるほどイニシャルコストが膨らみ、新規参入のハードルが高まるだけだろう。

消費税増税による駆け込み消費への期待なんて、ただの需要の先食いであり、永続的に続く増税による消費抑制効果を見落としている。

社会保障制度の効率化(=給付条件の悪化+自己負担率の上昇)は、家計の実質所得を抑制するだけであり、ますます個人消費を落ち込ませることになる。

関税による輸入物価云々については、雇用や所得の安定と消費の一部を占めるに過ぎない輸入物価とを天秤にかけて脅しつけるまやかしに過ぎない。
所詮、消費は所得の内数なのだから、購入品の一部の価格上昇に右顧左眄するよりも、個人の生活を支える雇用や所得全体の安定化の方を選択すべきだろう。

最後の「バラマキよりも就労支援を」という主張は、因果関係を真逆に捉えた戯言だろう。
国内に600万人以上もいる潜在的な失業者を就労させるには、そうした雇用にかかる雇用主側のコストを吸収できるだけの売上や収益が確保されねばなるまい。

問題なのは、そうした原資を民間経済(国内需要と海外需要)だけで生み出せるのかということだ。
コストカットと外国移民の推進、資本の海外移転にばかり血道を上げている民間企業に、数百万人にも及ぶ失業者に雇用の場を与え、十分な給与を払うだけの資力と度量があるのか?

これほど莫大な量の失業者を吸収するには、生半可な手立てでは到底無理で、異次元の財政金融政策を通じて、その原資を実体経済に供給してやらぬ限り実現不可能だろう。

ハバート氏のような観念論者は、物事や世の中の事象に関して、極めて表層的にしか理解していない。

構造改革や規制緩和がどういったルートで成長率向上につながるのかについて、具体的な説明を一切しないし、労働参加率が低い原因はどこにあるのか、増税や社会保障制度の改悪が経済にどういった影響を及ぼすのかといった点について、目の前にある事象しか捉えていない。

現実の世界には、目の前にある事象の更に向こうに側に別の事象につながるドアが複数枚存在しており、それらをすべて開けていくと、やがて「需要不足=売上や所得になるお金の不足」という問題に行き着くはずだ。

彼らが最後のドアを開けた先にある結論は、「最良の処方箋は、改革ではなく、バラマキである」という事実であろう。

2016年5月19日 (木)

生産性や付加価値は、需要の従属変数

筆者も仕事柄、起業者や中小企業の経営者が作った事業計画に目を通す機会がある。
事業計画なんてものは、たいがい、売上は過大気味に、リスクは過小気味に見積もられており、どうしても「“入”は多め、“出”は少なめ」になりがちだ。

例えば、「当社の独自技術により製品化するは、コラーゲンやヒアルロン酸に次ぐ第3の革命的素材である。美容業界や健康食品の市場規模は8,000億円にも達し、大手社が市場シェアの30%を抑えており、当社は残りのシャアのうち少なく見積もっても2%を確保できる見込み。よって、製品投入後早期に売上15億円程度は見込める」なんて威勢の良い口説き文句が書かれている。

筆者も、この手の夢物語を数え切れぬほど聞かされてきたが、製品化後に当初目標の売り上げを達成できるケースは間違いなく1割を切る。
目標額の半分も行けば良い方で、10億円の目標に対して1億円にも届かずに青息吐息のケースが大半だ。
見事に目標達成できるのは、多めに見積もっても1~2%くらいか。

失敗の要因で最も多いのは、需要見通しの甘さによる売上不振であり、挑戦者たちはリアルマーケットの厳しさを思い知らされることになる。

起業者や経営者は、得てして、自社の製品やサービスに自信過剰気味なため、現実の需要の厳しさに対して無警戒であり、いかに良いものを造るか、大量に生産するか、といった供給サイドの磨き上げに没頭しがちになる。

事実、いまマーケットに溢れ返っているあらゆる製品やサービスは、間違いなく景気の良かったバブル時代以前に比べて、顧客ニーズを満たして余りあるほど品質やデザインも大幅に向上しており、本来なら、もっと売れてよいはずなのだが、現実は非常に厳しく、各社とも売上確保に四苦八苦している。

こうした現況を踏まえて、「供給サイドには大きな問題はない。需要サイドが活性化すれば、供給サイドの稼働不足が解消されて、需要と供給の善循環が実現する」と主張するのが、筆者の立場だ。

しかし、実社会では、「不況の原因は日本の潜在成長率の低下にあり、成長戦略を立て、構造改革や規制緩和の断行により供給力や競争力を強化し、中長期的な成長率向上を図るべきだ」という構造改革教徒の呪文の方が、遥かに幅を利かせている。

彼らは「潜在成長率」とか「生産性」、「付加価値」という語句を気軽に用いて持説を着飾ろうとするが、どうも、論旨が上滑りしている気がしてならない。

彼らの論を聞いていると、“生産性”とか“付加価値”こそ経済活動の最上位の概念であるかのように力説するが、そうした概念を担保する、あるいは、裏付けるものは何か、という点まで掘り下げた議論を聞いたことはない。

「グローバルネットワークやIoTを活用して生産性を大幅にアップさせる」とか「アメーバ経営の実践で付加価値向上を実現」みたいな怪しげな謳い文句を目にする機会はあっても、生産性や付加価値の源泉たる“需要”にまで切り込んだ論説を見かけることはまずない。

「生産性」とは、投入量と産出量の比率をいい、投入量(労働、資本、土地、原料、燃料、機械設備などの生産諸要素)に対して産出量の割合が大きいほど生産性が高いことになる。

また、「付加価値」とは、企業が新たに生み出した価値、付け加えた価値を指し、付加価値は売上高からその売上を上げるために必要となった外部から調達した商品やサービスの金額を差し引いて求め、メーカーなら売上高から原材料費を引いた金額、商社なら売上高から仕入高を引いた金額となる。

こうした小難しい定義とは別に、一般的に、生産性は業務効率、付加価値は利益率の高さと同意義で用いられることが多いが、いずれにしても、それを使う者は、製品やサービスがスムーズに消費される(=売れる)ことを前提として語っており、そこに落とし穴があることに気付いていない。

“造りさえすれば必ず売れるはず”というあり得ない妄想に耽ったまま、現実に起こっている需要不足という病から目を反らし続けるから、生産性や付加価値の大本になる「売上と収益(=需要)」の重要さに気付けないのだ。

本人が、どれだけ製品の付加価値の高さを自慢しても、現実に売れなければ、倉庫を賑わすただのゴミでしかない。
造ったモノが消費され、売上勘定が立って初めて、生産性とか付加価値とかいう話になるのであって、その逆はあり得ない。
経営者たる者、生産性、付加価値云々を語る前に、その前提条件となる需要の確保に最大限の配慮を払うべきだ。

『生産物は必ず消費される(=消費されないようなゾンビ企業は市場から即刻退場すべき)が、デフレの影響により収益性は不十分。よって、生産性UPのためコスト競争力強化が必要となり、労働コストの安い高齢者や女性、外国人をもっと活用すべき。ケチな日本人は高いものを買ってくれないから、金回りの良い外国人相手に高付加価値な製品やサービスをどんどん売るべし』というのが、頭の悪い構造改革主義者(=売国奴)の思考回路である。

しかし、経済活動にとって最上位の概念である「需要」というピースを欠いたまま経済を語っていると、必ずや、手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。

2016年5月17日 (火)

構造改革主義者の潜在成長率は、たぶんマイナス

先日、取引先の管理職と面談した際に、若手社員の愚痴を聞かされた。
彼曰く、「近頃の若手は理屈ばかりで行動が鈍い」、「デキない男ほど自分のポテンシャルに過剰なほど自信を持っている」だそうだ。
文句を垂れてる本人だって、若い頃には、さんざん上司や先輩の足を引っ張っていたはずだが、サラリーマンたるもの、得てして自分への評価は甘く、他人への評価は辛くなりがちなのは仕方ないか…

彼の愚痴は置いておくとして、「ポテンシャル」という言葉を聞いたとたん、なぜか、構造改革派が大好きな「潜在成長率」が頭に浮かんでしまった。

「潜在成長率」の定義は次のとおり。
“「資本」「生産性」「労働力」という生産活動に必要な3つの要素をフルに利用した場合に達成される、仮想上の成長率。生産活動に必要な設備などの「資本」、労働力人口と労働時間から求められる「労働力」、技術進歩によって伸びる「生産性」の3つの伸び率の合算値が「潜在成長率」である”(コトバンクより)

ひとことで表現すれば、国に備わった経済発展のためのポテンシャルだと言えようか。

コトバンクの説明文にもあるとおり、潜在成長率はあくまで「仮想上」の成長率に過ぎないのだが、ポテンシャルという外部からは測定不能な要素を基にした概念であるため、現実逃避しかできない経済学者やエコノミストの連中によって、しばしば恣意的に用いられてきた。

今回は、そうした潜在成長率の考え方を都合よく曲解したコラムを紹介する。

『日本の財政拡大提案が独英の理解を得られない理由 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問]』(http://diamond.jp/articles/-/90977)

コラムでは、安倍首相の訪欧を巡り、安倍氏が財政拡大(安倍ちゃんが求めているのは、“機動的かつ限定的”な財政出動に過ぎないが…)と為替介入について、欧州首脳から理解を得ることができなかったことを採り上げ、次のように指摘している。

①現在の先進国経済が直面している問題は潜在成長率の低下であり、短期的な財政拡大では解決できない

②むしろ、財政赤字が増大すれば長期的な問題はより深刻化するから、短期的な成長率引き上げのために財政拡大を行なうなどとする国はない

③財政拡大によってGDPが短期的に増加しても、それが企業収益の増加に結びつくことはなく、財政拡大は日本の金利を引き上げるため円高要因になる

④ドイツやイギリスなど欧州首脳は、構造改革成長戦略のほうが重要だという認識である

⑤アメリカやイギリスが新しい技術とサービス産業を軸として高い経済成長率を実現しているのに対して、日本と欧州大陸諸国は、古い産業構造のままで、通貨安と金融緩和にしがみついてきたため、経済成長率が低いままだ

⑥先進国が共有すべき認識は、経済の構造改革を行ない、新しい技術を導入することによって潜在成長率の引き上げを図ることだ

コラムでは、この他にも、為替介入による通貨安競争は止めろ、金融政策は無駄だ、といった戯れ言が続く。

要するに、
①財政政策は時代遅れだから止めておけ 
②経済成長には構造改革による潜在成長率しかない
ということなのだろう。

財政政策は時代遅れ云々については、これまでのエントリーで散々批判してきたので、くどくど解説する必要もないが、アメリカやイギリスが、財政政策に頼らず、構造改革による産業構造の変化で高成長率を実現したというのは事実誤認である。

両国とも、2006~2016年の10年間で大幅に財政支出を拡大(アメリカ4.3%/年、イギリス3.7%/年)させており、その間の名目GDPも、アメリカ年3.4%、イギリス年3.7%と順調に成長している。
経済にとって、実弾中の実弾とも言える財政支出の効果や影響が顕著に表れた結果と言ってよい。

アメリカやイギリスの経済成長を構造改革や潜在成長率によるものと主張する連中は、国民受けのよい“構造改革”を盾にしたイメージ戦略に逃げ込まずに、改革と成長率との因果関係を定量的に説明すべきだろう。

そもそも、潜在成長率なる概念が、相当いい加減なもので、造ったモノやサービスがすべて消費されるというあり得ない前提に立っており、また、「経済成長=生産量の増大」、「消費拡大=量の拡大」という固定観念にも囚われている。

潜在成長率を擁護する論者は、中・長期的には現実の成長率と潜在成長率とは同様の動きになると強弁するが、それはまったくの誤りで、現実の成長率の実績を基に潜在成長率とやらを後付けで算出した結果に過ぎない。

成長率なんてものは、需要さえあれば、いくらでも成長できる。

モノやサービスの価値を“量”でしか測れない「胃袋経済論者」には理解できぬだろうが、家計や企業の所得や収入が増加し、それに見合った需要が増えれば、同等のモノやサービスの価値単価が上昇し、それに連れて経済は成長するものだ。

サラリーマンの昼食が500円のランチ定食から900円のトンカツ定食に格上げされれば、レストランの収入や付加価値もアップし、当然、経済も成長する。
この程度のことなら、「資本」とか「労働力」とかいった小難しい生産要素を気にすることなく、簡単に成長を実現できる。

潜在成長率云々に逃げ込む輩は、生産設備の増強なしに経済発展はないという、産業革命以前の前時代的な発想で思考が停止しているのではないか。

彼らは、魅力的かつ革新的な製品やサービスこそが潜在的な需要を生み出すのだと信じて止まないが、その「潜在的な需要」とやらが、何によって担保されているのかについては、まったく説明しようとしない。
家計や企業は潤沢かつ莫大なフローとストックを抱えており、斬新な製品やサービスが世に出るのを、いまかいまかと待ちわびている、というのが彼らの妄想だが、現実には、そんな余裕のある者はごく稀にしか存在しない。

「来客もまばらなポンコツ居酒屋で、バイトをたくさん雇い、高価な食材を仕入れ、懸命に食器を磨いている」、潜在成長率万能主義者の脳内を覗くと、そんな光景が目に浮かぶ。

せっかくの生産設備や労働力も、元気のない需要の前では、ガラクタやゴミも同然でしかない。
そうした供給サイドのポテンシャルを活かすには、養分となる需要の増進が欠かせない。
つまり、経済成長を左右するのは、潜在成長率ではなく現実の需要なのだ。

「デキない男ほど自分のポテンシャルに過剰なほど自信を持っている」というセリフは、潜在成長率万能主義者にこそ、お似合いの言葉だろう。

2016年5月11日 (水)

経済が生き物であり続けるために

TV番組や雑誌のインタビューなどで、コメンテーターや経営者、政治家なんかが、「経済は生き物だから」と話すのを目にする機会が多い。

このセリフを使いたがる人々の意図は様々で、経済活動のダイナミズムが醸し出す躍動感、次々と新しい商品やサービスを生み出すマーケットの鮮度などに対する期待感や驚嘆、あるいは、激変するマーケットに翻弄されることへの不安など、まさに千差万別だろう。

だが、この言葉ほど真意や真髄を理解されぬまま多用されているものはない。
端的に言うと、経済が生き物であることを本当は理解せず、生き物であるはずの経済への接し方を学ぼうとしないまま言葉を発している者が多いということだ。

経済が“生き物”であるのなら、
・十分な栄養を摂取できるだけの食事
・体調維持のための適度な運動
・社会的マナーを守らせるための適切な躾
が欠かせないだろう。

しかし、この言葉を吐く人に、そうした意識があるようには思えない。
大概は、“経済なんて、ほったらかしておいても、誰かが勝手にうまく運営してくれるはず”という身勝手な妄想を前提に、経済動向を傍観しているだけで終わっている。

この手の輩は、経済活動に対する主体性がないだけではなく、あたかも経済が永久機関であるかのように勘違いしているのではないか。

そうした勘違いが、“経済活動は自律的な存在だから、政府は余計な邪魔をせずに民間に任せておけばよい”、あるいは、“財政政策のせいで、退場すべきゾンビ企業が温存され、市場の健全化が阻害される”などと妄言を吐く連中を調子づかせ、マクロ経済と政府との関係が断ち切られようとしている。

橋本政権や小泉バカ政権以降のほとんどの政権は、こうした勘違いをベースにした緊縮型の経済運営を断行した。
しかし、“官から民へ”や“小さな政府路線への転向”がもたらしたのは、「世界で唯一の非成長国家」という恥ずべき称号でしかなく、その間に逸失した国民所得も累計で4~5千兆円に達するなど、国民は甚大な被害を被っている。
“経済のポテンシャルを活かすために、政府がマクロ経済運営に積極的な関わりを持ち続ける”という基本を蔑ろにした結果、日本経済は惨憺たる大敗北を喫したと言ってよいだろう。

先に示したとおり、あらゆる生き物には「食事・運動・躾」が欠かせない。

だが、愚かな政治家だけでなく、財政政策や政府によるマクロ経済運営を忌み嫌う多くの国民は、“経済という生き物”に対して、緊縮政策によって三度の食事を抜き、構造改革による過度なシゴキを繰り返し、野放図な規制緩和や市場開放により躾を放棄してルール無視の地下プロレスを強いるなど、過酷な体罰や虐待を繰り返してきたのだ。

長年ひどい仕打ちを受け続けてきた日本経済は、生き物としての基礎体力を奪われ、もはや息も絶え絶えの状態にある。

経済活動とは、我々に富や所得だけでなく、豊かな生活を提供してくれる最も基礎的かつ最重要の社会基盤であり、その活性化や維持発展を願うなら、生き物である経済に対する愛情と適切なケアを忘れぬことだ。

経済は、確かに生きている。
ゆえに、良好な健康状態を維持し、体力を向上させられるだけの栄養分を常に与え続けることが必要だ。

では、経済にとって最高の栄養分とは何だろうか。
それは言うまでもなく、「所得や売上に直結するお金」であり、それこそが経済活動の原点である。

ベンチャー企業にしろ、地方の食堂にしろ、世界に冠たる大企業にしろ、企業活動の最終目的は売上や収益を上げることと、それを原資として従業員たる個人に所得を分配することにある。
企業が、人材を育成し、技術を磨き、他社との激烈な企画・販売競争に血道を上げるのも、突き詰めれば、お金を稼ぐことの一点に集約される。

民間企業や家計の力だけで、消費や投資が活発化し、実体経済が目まぐるしく成長している状況ならよい。
だが、現状では、誰もが投資に消極的で、財布の紐をきつく締めたまま自発的に動こうとせず、経済は生き物としての機能を失いつつある。

こんな時に、改革だの、財政再建だの、財政支出の質だのとくだらぬことに拘っていては、経済の体力が削がれるだけだ。
もっと大きな視点に立ち、経済にダイナミズムを生み出せるような提言をしてもらいたい。

2016年5月10日 (火)

「財政政策嫌悪症」というバイ菌

先日、安倍首相が訪欧した際に、ドイツやイギリスなどに対して、“機動的な”財政支出の協調を呼び掛けた、なんてニュースがあった。

財政再建偏重気味の首相のことだから、財政支出に対する熱意のほども知れたものだが、この程度のことでも、メディアをはじめ各方面から、「財政再建に向けた取組みを後退させるのか」、「無駄な公共事業やバラマキを回避すべきだ」、「財政政策みたいなカンフル剤は構造改革の障害になる」といった類いのレベルの低い批判が噴出している。
マスコミや国民の「財政政策嫌悪症」は相当重症で救いようがない。

無駄な公共事業云々というレッテルを用いた財政政策への批判や誹謗を繰り返しているのは、何も財政再建派の連中だけではない。
構造改革派やリフレ派はおろか、弱者の味方を気取る福祉重視派や似非分配派の連中ですら、財政政策に強い嫌悪感を露わにするから不思議なものだ。

このように、財政政策嫌悪症が蔓延する要因として、
①「公共事業=公共工事=ムダ遣い・利権・汚職」という短絡的な発想
②財政政策が国の借金を際限なく増やし、その返済のための大増税が避けられないという勘違い
③公共事業を増やしても、たちの悪い土建屋が儲かるばかりで、自分たちの懐は潤わないという決めつけ
④財政政策が経済的な効果を発揮してしまうと、(インチキな)持説が否定されてしまうという強い危機感
⑤経済成長がもたらす自然破壊への危惧
などが挙げられるだろう。

①は「公共事業・公共工事一体論」で、公共事業といえば、公共工事のみならず、文教・医療・福祉・科学技術・防衛・各種行政サービスなど非常に広範な概念を指すはずだが、敢えて、国民の嫌悪感を焚き付けやすい土木・建設工事と混同させて、“大規模工事=ムダな箱もの=公務員天国=利権の温床=汚職や賄賂の横行”という悪いイメージを刷り込もうとしている。

だが、バカな連中が公共工事叩きを楽しんでいる合間に、我が国の社会資本は急速に老朽化している。
国土交通省の資料によると、2023年時点で建設後50年を経過する社会資本の割合は、
・道路橋(40万橋)43% ・トンネル(1万本)34% ・河川管理施設(1万施設)43% ・下水道管(45万km)9% ・湾岸岸壁(5千施設)32%にも及ぶそうだ。(この他にも、水道管やガス管、鉄道橋など憂慮すべきインフラは数知れない)
本当に空恐ろしくなる数値で、我々の生活や企業活動を支える社会インフラは崩壊の一歩手前にあると言ってもよい。

我が国の公共工事費は、1995年のピーク時には、国と地方合わせて40兆円を超えていたが、それ以降は激減を続け、いまやその半分ほどの規模に減額されている。
財政支出を忌み嫌う「シロアリども」に食い荒らされ、社会資本のメンテナンスを怠った結果がこの様だ。

こうした事態を放置し続けるのなら、我が国は、遠からず、モノを造れても交通インフラの崩壊により流通機構が麻痺するような後進国に落ちぶれてしまうだろう。
ひょっとすると、中国やインドあたりから、社会資本整備のためのODA支援を受ける身になっているかもしれない。

②の増税宿命論は、国家財政の在り方や貨幣の仕組みを理解しようとせず、幼稚な“身の丈財政論”に固執することから生まれる誤解である。

日本の租税負担率は、消費増税の影響でジリジリ上昇しているが、2016年の見通しで26.1%と、30年前とほぼ同じ水準だ。(ただし、社会保障負担率を加えた“国民負担率”は相当上がっている)
これは、明治時代や昭和初期の値(15%くらい)に比べると高い数値だが、3公7民程度であった江戸時代とほぼ同水準といってよい。
その間に、政府債務(財政破綻論者が言うところの“国の借金”)は膨大な額に達しているが、債務の増加ペースに見合うほど急激に納税負担が増えているわけではなく、財政支出の増加=大幅な増税というのは、単なる思い込みに過ぎない。

大規模な財政政策を通じて国内の実体経済に資金を投じてやれば、いやでも経済活動が活発化し、あらゆる経路を経て納税額がUPするのだから、そもそも増税を心配する必要などないはずだ。

③の公共事業無関係論も聞いて呆れる。

こうしたバカげたことを言うのは、ヤル気のない日本衰退論者や似非分配論者に多いのだが、これといった職能スキルのない低所得者層や中間層の収入を増やすためには、誰にでもできる仕事や単純労働従事者でも相応の報酬を得ることができるような経済環境が欠かせない。

支出の質や内容への妙な拘りは、高度なクオリティや技術に対応できる大企業への事業流出による富の偏在を生むだけで、中小零細企業から事業獲得機会を奪い、結果的に低所得者層への富の配分が阻害されることになる。

つまり、恵まれない層にまで富を分配するためには、財政支出の質なんかに感けてはいられないのであって、とにかく質より量を重視し、あまねく広くバラ撒いてやるべきだ。
撒き餌の量が少ないと、図体がデカくて力の強い魚ばかりが満腹になり、社会的な不平等を拡大させてしまう。
それを回避するためにも、広範囲に膨大な量の撒き餌をバラ撒いて、力の弱い魚の空腹をも満たしてやる必要があろう。

日本経済停滞の病巣は大規模な需要不足にある、つまり、家計や企業の所得・売上の絶対的な不足に起因していることは論を待たない。(いまだに、供給要因に拘る周回遅れの田舎者もいるが…)

こうした危機を乗り越えるためには、
①所得・売上の増加に対する確信的な予想と実感
②官民を問わず支出に対する寛容かつ積極的な空気や風潮
が必要になるのだが、緊縮財政や構造改革、金融政策、税制改正によるちゃちな分配なんかでは実現不可能だ。

筆者は、消費税に関して、制度の廃止を主張する立場だが、それだけで事態を解決できるとは思っていない。

みずほ総研の試算によると、税率が5%から8%に上がった際に、年収300万円の層の年間負担額は15.3万円と5.7万円ほどUPしたと言われている。
これが全廃されると、年間15.3万円、月に均すと1.2万円ほど実質所得が増える計算になり、確かに家計は助かるだろうが、生活をより豊かにするという意味では、まったくの力不足だろう。

手取り額が増えるのは良いが、そもそもの所得ベースが低すぎるため、消費の選択肢は限定されてしまう。
最も重要なのは、所得全体の底上げであり、それなくしては貧困による消費の減退という根本的な問題は解決できない。

④⑤は、あまりにもレベルが低い問題であり、今回はコメントしない。
大バカ者に猛省を促すのみである。

財政支出の要否を論じる段階はとうの昔に過ぎ、いまや、その物量を検討する段階にあると理解している。

これまでも繰り返し述べてきたとおり、
・需要不足を解消するには、家計や企業の所得・売上を直接的に刺激する経済政策が欠かせない
・採るべき経済政策は財政政策を主軸とする長期かつ大規模な財政金融政策しかない
・財政支出で重要なのは質より量である(質への拘りは富の偏在を助長する)
・とりわけ、低所得者層や中間層に富を分配するには、広範かつ大量の支出が不可欠
・国民や国内企業の所得になるものである限り、ムダな支出など存在しない(ただし、海外資本や外国人の所得に一次的に化けるものはダメ)
というのが筆者の基本的な考え方である。

財政政策にガタガタ文句をつける周回遅れの連中には、需要不足を解消させ不況を吹き飛ばせるだけの政策を持ってこいと言っておく。

2016年5月 9日 (月)

教科書に逃げ込む前に、現実を直視せよ

経済系のブログなんかを眺めていると、いまだに「経済学の教科書を読め」と斜め上から目線で高説を垂れているバカ(プロを自称するシロウト以下の詭弁家)を発見することがある。
特に、マンデル・フレミングモデルやAS(総供給)-AD(総需要)曲線を神の啓示のごとく崇め、「経済政策=金融政策」という金融政策万能論を妄信する輩が多いようだ。

彼らに言わせると、経済学の教科書を読めば、変動相場制の下での財政政策など無用の長物であることや、非正規雇用や保育士の待遇を上げるなんてどだい無理なことくらい、直ぐに解かるはず、だそうだ。

彼らは、経済学のプロを自称し、やたらと小難しい経済理論や数式を持ち出して武装しようとするが、出てくるメンバーは、だいたい「マンデル・フレミングモデル」や「インフレ・ターゲット理論」、「AS-AD曲線」、「IS-LM曲線」辺りが関の山だ。

理論や数式で世の中の事象を説明しようとするナマケモノに限って、現実よりも理論を優先しがちだから進歩がないのだ。

彼らが誇らしげに紹介する「AS-AD曲線」、「IS-LM曲線」の均衡点など最たるもので、2本の直線を用いて、それを左右に動かし、両線の交差点を均衡点だと決めつける理論は、非常に単純化された仮想空間、もしくは、市場のセリのような極めて原始的なモデルでしか通用しない。
そういった理論や公式が成立するには、限られた商品しか存在せず、それらがすべて消費されるというあり得ない前提条件が必要になろう。

実体経済下で売買される商品やサービスの価格は、需要・供給のバランスで決まるほど単純ではない。

実際に企業を経営したり、勤め人として企業活動に携わっておれば解かるだろうが、自社が提供する商品やサービスの価格なんてものは、需要の多寡に係らず、予め供給サイドが決めており、大量購入時の割引サービスなどは別として、価格変動は一定の範囲に収まるはずだ。

例えば、ネットのプロバイダー料金なんて、需要は増える一方だが、価格は低下しているし、自販機の缶ジュースのように、売上が長期的に低迷しているのに値上げを続ける例や、スーパーの乾物コーナーに置いてある干し貝柱のように、まったく売れていないのに、安くなるどころか価格が上昇している例もある。

また、エステのサービス料金や宅配サービスの料金、銀行の振込手数料のように、需要があろうがなかろうが、一度決めた料金が微動だにしない例も数多ある。

市場の価格は、企業の戦略や仕入れコスト、業界ルール、流通との関係など複雑な因子によって決まるものであり、需要と供給のバランスもその一要素に過ぎない。

そもそも、2次元のグラフと2本の直線だけで実体経済の動きをグラフ化することに無理がある。
実際のマーケットでは、3次元、4次元の世界で、複数の直線や曲線が複雑に絡み合って商品やサービスの価格を形成しているものだ。

しかも、一度決まった価格(均衡点)は、需要の多寡に係らず、そう簡単に動くものではない。

AS-AD曲線やIS-LM曲線のみで経済学云々を語る連中は、複雑な市場の動きを、サンマや大根のセリか何かと勘違いしているのではないか。
そうだとすれば、あまりにも杜撰である。
実際にサンマの不漁が続けば、しばらくは市場の価格は上昇するが、それが永遠に続くわけじゃない。
やがて消費者に呆れられ、他の魚や肉という代替品へ乗り換えられるだけのことだ。


また、「経済学の教科書を読め派」の連中は、得てして、マンデル・フレミングモデルや金融政策の効果を礼賛するが、これも失笑ものだ。

マンデル・フレミングモデルは、為替変動による輸出の影響を過大視しすぎており、内需依存型の経済体制下では通用しない。

そもそも、前提となる財政政策実行→金利上昇→海外からの資金流入→円高という条件設定が単純すぎて使い物にならない。
現に、我が国では、マイナス金利政策による金利下落の状況下で為替は円高に振れており、条件が破たんしている。

マンデル・フレミングモデルでは、「資本の移動が自由/変動相場制の条件下」での金融政策は非常に効果があると強弁するが、黒田バズーカという異次元の金融政策を何発撃ったにもかかわらず、GDPが2期連続マイナスになりそうな体たらくをどう説明するつもりなのか。

マンデル・フレミングモデルの妄信者は、“変動相場制では財政政策は無効であり、金融政策こそが正解”、“90年代以降どの国も財政政策なんてやっていない”と嘯くが、これはまったくの嘘でしかない。

我が国は1971年のニクソン・ショックを契機に変動相場制に移行したが、GDPがまともに成長したのは、積極的な財政政策を採っていた時期と重なり、橋本政権や小泉バカ政権以降の緊縮的な財政運営(=政策経費ベースで緊縮的という意味)により成長が止まってしまったことは誰の眼にも明らかだろう。

また、“90年代以降どの国も財政政策なんてやっていない”なんてのは明らかな捏造で、欧米各国とも財政支出のアクセルをかなり強く踏み、高度成長を続けてきた。
馬鹿正直に財政支出を絞り込み、“世界でたった一つの非成長国”に甘んじてきたのは、主流派経済学の虚妄に騙され続けてきた日本くらいのものだ。

現実よりも理論を優先するバカな連中が、「経済学の教科書を読め」と念仏を唱えるのは、金融政策万能論という信仰に縋り、それを妄信し続けることで、現実から目を反らしたいという願望の表れなのだろう。

彼らが信じる主流派経済学には、「需要創出」という積極的な概念が決定的に欠けているため、実体経済を病ませている需要不足による不況にまったく対応できず、オロオロするばかりだ。

最近では、金融政策という薬の効き目がないことが露見するのを恐れて、構造改革とか規制緩和のような防具まで持ち出し、長期的かつ大規模な財政金融政策という最適な処方箋の提案を邪魔しようと必死になっている。

だが、主流派経済学が世界中で撒き散らした金融政策万能論や規制緩和論のせいで、先進諸国では貧富の格差拡大や中間層の没落が顕著となり、所得や雇用の減退による消費力の低下という弊害が顕在化している。

教科書の世界に逃げ込み、こうした悪弊を放置し続けるならば、「先進諸国の内需縮小→外需頼みの輸出攻勢→通貨の切り下げ競争→通貨安による輸入物価上昇→先進諸国の購買力の低下→新興諸国の輸出減退→外需の受け皿喪失→世界各国の消費力減退→世界規模のデフレ不況→大恐慌」という負のスパイラルは避けられないだろう。

彼らの十八番の「経済学の教科書を読め」という捨て台詞も、金融政策やマンデル・フレミングモデルという最終兵器が、現実世界ではまったく効果を発揮できず、国民から相手にもされない(相手にされなさ加減では、財政政策の方が一枚上手だが…)ことに対する焦りや言い訳の裏返しだと理解している。

教科書を読め云々と負け惜しみを言うのは、“法律の教科書を読了すれば、世の中から犯罪が消えるはず”と妄信するのと同レベルの勘違いに過ぎない。

2016年5月 6日 (金)

中小企業は、格好つけずに利益を追求すべき

TVの旅番組や雑誌のグルメ特集など、どこを見渡しても地元の新鮮な食材を使った地産地消型商品推しが、やたらと目に付く。

レストランやファストフードでも、使用する食材の原産地を明記する店が増え、外国産よりも国産、国産よりも〇〇県産の方が、より付加価値が高いという風潮が蔓延している。
また、「生産者の顔が見える=安心・安全」という根拠不明の公式が、いつの間にか市民権を得て、スーパーや道の駅の直売所などで、どこの誰かも判らぬ農家の親爺の作り笑顔の写真を目にすることも増えた。

国の政策も、農水省や経産省の補助事業において、「地産地消」、「地域資源」、「地域ブランド」、「ふるさと名物」などのキーワードを使い、やたらと地域食材や地元食材推しを進めるが、これらは、そうした地域産品による国内市場の開拓を意図したものではない。

例えば、中小企業庁が公募する「ふるさと名物応援事業補助金(JAPANブランド育成支援事業)」の要領を見ると、その目的として、「複数の中小企業等が連携して、優れた素材や技術等を活かし、その魅力をさらに高め、世界に通用するブランド力の確立を目指す取組みに要する経費の一部を補助することにより、地域中小企業の海外販路の拡大を図る(後略)」と明記されており、海外販路の開拓を狙ったものであることが解かる。

ここ数年の政府の方針は、地域食材の発掘や商品化を振興する一方で、TPPなどの野放図な市場開放政策による国内市場の浸食を放置するという、まったく整合性の取れない政策を進めており、様々な矛盾が噴出している。

地産地消関連の過度な演出は、こうした矛盾を誤魔化すために、“成長著しい海外市場の開拓”という当てにならない夢舞台(かつて北朝鮮を地上の楽園だと妄想したのと同レベルの過ち)を用意したに過ぎないのだが、地産地消に係る幻想は制御が効かぬほど膨張しており、生産者や事業者だけでなく、流通業者やコンサルに至るまで浸透し、もはや「信仰」の域に達したと言ってもよい。

筆者も職業柄、様々な事業者の商品開発や販路開拓などに関する相談に乗る機会も多いが、皆が口を揃えたように、「地域の素材や食材を使った商品開発」とか、「地域ブランドを確立して県外や海外に打って出る」といった類いの与太話に目を輝かせるシーンを何度も見てきた。

それは、事業者や生産者サイドだけでなく、行政やコンサル、流通業者も同じことで、相談に来る事業者に対して、「地域産品を使った食品開発により高付加価値化を図るべし」、「地域資源がもつストーリー性を商品等に与えることが大切だ」、「モノ消費からコト消費へのトレンドに合わせた商品開発をすべし」などと偉そうに高説をぶっている。

だが、こうした「地域素材幻想」は、商品開発する事業者自身の首を絞めることになる。

地域の食材と素材は、得てして、収穫量が少なく、時期も限定されがちで流通ルートも確立されていないことが多いため、
①十分な製造量が確保できない
②製造時期が不安定で作業の平準化が難しい
③仕入コストが高い
④素材特性に癖があり加工の自由度が少ない
⑤“地域・地元”という点以外に何ら訴求点がない(=大して美味しくはない)
などといった問題点を抱えているものだ。

要するに、中小規模の事業者にとって、大したメリットが見当たらないうえに、量の確保やコスト面で非常に使いづらい食材である、ということだ。
1本200円程度の野菜ジュースを作れば売れるのに、素材の特性を活かそうとするあまり、1瓶700円もするようなビネガーを作って自爆するような、市場ニーズを無視した商品開発へと突き進む事例を、筆者も数多く目にしてきた。

食品製造に携わる事業者、とりわけ資本力の乏しい中小規模の事業者は、地域素材幻想に振り撒されることなく、もっとマーケットの現実に目を向けるべきだ。

例えば、“ぐるなび食市場”の全国地域別おみやげランキングを参照すると、北海道から九州に至るまで、各地域の売れ筋土産品ベストテンが公表されている。
北海道なら「白い恋人」、東北は「笹かま」、関東は「東京ばな奈」、中部・北陸は「赤福餅」、九州・沖縄は「カステラ」という具合なのだが、上位にランクインする商品に共通している点は、“地域の素材や食材をほとんど使っていない”ことだろう。

中でも、最も有名なのが、ロングセラーを誇る石屋製菓の「白い恋人」だろう。
白い恋人は、今年で発売40周年を迎え、年間100億円を売り上げる土産市場の雄と言ってよい商品だが、HPを見ても、商品パッケージを見ても、原材料表示を確認しても、どこにも北海道の素材を使ったなどとは書かれていない。

筆者も、先日、札幌に出張した際に、改めて商品を手に取ってみたが、パッケージに利尻山が描かれている以外に、北海道の素材との関わりを示す表記は何もなかった。
これは白い恋人に限った話ではなく、恐らく、笹かまも東京ばな奈も、あるいは、赤福でも同じだろう。

ちなみに、人気駅弁として全国でも名高い北海道の「いかめし」も、原料のイカは道産ではなくニュージーランド産のものを使っていると聞いたことがあるし、福岡名産の辛子明太子も北海道産のたらこを主原料としていることは周知のことだ。
要は、安く手に入る原材料を上手く加工して、いかに高く売れるかが勝負なのだ。

各社とも、全国的なブランド力を誇る商品に育て上げるために、地域の素材に拘らない柔軟な発想を基に、各社とも原料の確保や製法に工夫を凝らし、試行錯誤を重ねた結果が、現在の地位を築いているのだと思う。
これは土産物に限らず、行列のできる店や路地裏の繁盛店、人気のお取り寄せ商品などにも共通するポイントだろう。

素材の良さとか素材の力に頼り切り、地域の食材を使ったくらいで発信力やブランド力がつくと考えるなんて、いかにも甘すぎる。
ましてや、体力に劣る中小事業者が、コスト高で量も少ない素材を使うのは、事の初めからハンディを背負い込むようなものであり本末転倒だろう。

消費者の方も、日ごろは“食の安心・安全”とか“地元の新鮮な食材を”なんて偉そうなことを言っているが、いざ売り場に行くと、メジャーな商品か1円でも安い商品を選ぶものだ。
消費者ほど気まぐれで残酷な者はいない。

ブランドなんて、自らが創り出そうとして創れるものではなく、長年の販売実績に対する栄誉として、消費者から自然発生的に与えられるものだろう。
素材が良いからブランド化されるのではなく、美味しくて長く売れ続けた結果として“ブランド”という地位が与えられることを忘れてはならない。

2016年5月 2日 (月)

フィンテック狂騒曲

昨年秋頃からちょくちょく耳にしていたが、「フィンテック」なる言葉が、産業競争力会議の資料でも目にするようになった。

フィンテックとは、「Financial Technologyのこと。ファイナンス (Finance、財政) のFinと、テクノロジー (Technology、技術) のTechを合わせて創り出された造語(はてなキーワードより)」であり、国内では2014年に日経新聞が初めて紹介したとされ、今年2月にNHKのクローズアップ現代で特集(ITが変える“お金の未来”~フィンテック革命の衝撃~)が組まれてから、週刊ダイヤモンドや東洋経済などで採り上げられ、関連書籍も多数発売されている。

フィンテックの事例や効用について、解説本やNHKの番組では次のように紹介している。
①スマホや指紋認証で簡単に支払い決済が可能となる
②クラウドシステムと連携し、家計簿や会社の経理管理が自動化される
③電子カード化により、複数枚のクレジットカードやキャッシュカードを1枚にまとめることが出来る
④ビッグデータやAI(人工知能)の活用による投資資金運用や融資・ローン審査などの自動化

そもそも、日経発の輸入用語をダイヤモンドや東洋経済、クロ現みたいな取り巻きが“〇〇革命”と持て囃すという構図を見せられただけで、フィンテックなるものの将来性が危ぶまれようというものだ。

この手の欧米発の金融技術や情報技術を無批判に礼賛する連中は、何か目新しい技術が世に出ると、必ず消費者が反応しプラスの化学反応を起こす、と思い込んでいるから失笑するしかない。

先に紹介したフィンテックの事例を聞いたときの筆者の感想は、「その程度のサービスは既にあるだろう?」というものだ。

①については、クレジットカード、電子マネー、スマホなどのIC決済システムなど多数の決済システムが存在しており、フィンテックの入り込む余地などない。

クローズアップ現代でも、指紋認証決済で買い物を済ませた利用客が、「さっき買い物したときに小銭をバラバラと落とした。(財布を)出すことなくて良かった」とコメントするシーンがあったが、財布を出すことくらい大した手間ではないし、おサイフケータイでも決済できるだろう。

多くの消費者にとって、決済時の財布の要不要なんて問題ではなく、自分の財布の中身が年々軽くなっていることこそが大きな問題なのではないか。
肝心のお金が無いのに、買い物だけが便利になっても仕方があるまい。

②の家計簿管理や経理処理管理についても、タダで使えるフリーソフトやPOSと連動した自動経理処理ソフトが多数存在しており、大した訴求力はない。
こちらも、管理の出発点たる「所得」や「売上」の確保が先決で、これが十分な水準に達しない限り、毎月増え続ける赤字に溜め息をつくだけになる。

③は、必要ならば複数枚のカードをまとめればよいだけの話で、そもそも、カードを複数所持することによる生活上の支障なんて特段思いつくものはなく、コメントに値するとも思えない。

④は、資金運用というものを一面のみから論じる片手落ちの論考だ。
“AIが個々の属性や資力に沿って最適なポートフォリオを提案できる”と大見得を切っているようだが、この手の世間知らずは、資金を預けてしまえば、黙っていても利殖が叶うと勘違いしている。

資金運用といっても、当たりくじばかりの宝くじを買えるわけではなく、その運用先は必ず実業を担う投資先に行き着き、そういった実業者の事業収益から投資利益を得る仕組みになっている。
よって、実体経済が低迷している限り、投資先が事業活動で十分な利益を上げるのは困難であり、こうした投資環境下で収益を無理強いすれば、他人を出し抜かない限り収益を上げられない単なるババ抜きの世界に陥ってしまう。

AIに資金を預けて、“後は宜しく”と鼻を穿っていると、いつの間にか大赤字をこいて慌てふためくことになるだろう。

また、融資やローンの件も①で指摘したのと同じで、クローズアップ現代では、自転車店を開業するアメリカ人が、フィンテックを使って3,000万円ほどの融資を受けることができたとはしゃぐ様子が紹介されていた。
しかし、その金利たるや5.5~22.8%とかなりの高利で、いわば、信販系の事業性ローンと大差ない水準だ。

この程度の事業性ローンの与信システムなら、既にいくらでも存在している。
我が国でも、銀行系や信販系、リース系の事業者向けローンは数多あり、即日審査で金利も3.0~18%くらいで調達可能であり、個人向けローンも、いまやスマホから気軽に申込できる時代になっている。

このように、わざわざフィンテック云々と大見得を切るまでもなく、便利な決済システムや金融商品を提供するツールがいくらでも揃っており、フィンテック自体に何ら目新しさを感じることはできない。

フィンテックについては、宿輪 純一 帝京大学経済学部教授・博士が、東洋経済に寄稿した『フィンテックは、銀行再編を促進させるのか 決済インフラ改革の必要性を問う(H28.2.3)』というコラム(http://toyokeizai.net/articles/-/102863)で、
「現在、日本国内の振り込みは、給与振り込みの口座であったり、預金残高が一定額あったりすれば“無料”であることが多い。しかも、相手の口座に入金されるのも“ほぼ瞬時”である。クレジットカードのおかげで、ネットでの購入も24時間手間なく決済できる。
米国は、小切手社会ということもあるし、日本でいうところの振り込みにも数日かかる。しかも、クレジットカードを持ってない人もいる。(中略)
金融の状況が違うので、海外でフィンテックが発展しているからといって、日本で発展するとは限らない。(後略)」
と指摘し、野放図なフィンテックフィーバーに釘を刺している。

これまでも、Web2.0やユビキタス、クラウドファンディング、IoTのように、日経新聞や経産省が煽り、一時的なホットワードにはなるものの、その後はパッとしない言葉は掃いて捨てるほどある。
フィンテックも遠からず、「いまとなっては口にするのが恥ずかしいIT・金融用語ベスト10」に間違いなくランクインすることになるだろう。

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