無料ブログはココログ

リンク集

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2016年6月

2016年6月30日 (木)

国民の苦境を理解できぬ奴は選挙に出るな!

ここ最近、参院選の選挙期間中であることを忘れるくらい各党の政策論争が停滞している。

筆者も、頭の中では選挙に行かねばならぬことを解かっていても、与野党から提示されたマニフェストのレベルの低さに開いた口が塞がらず、正直に言うと、選挙に行く気が失せつつある。
せっかくの選挙権を放棄するつもりはないが、意に沿わぬ候補者や政党の名を投票用紙に書かねばならぬかと思うと、うんざりするのが正直な気持ちだ。

そもそも、主要政党から泡沫政党まで見渡しても、まともな構想も政策も持ち得ていないところばかりだから、熱い議論を期待する方が間違っているが、イギリスのEU離脱問題にすっかり話題をさらわれたばかりか、野党共闘の目玉だったはずの共産党議員の舌禍問題(例の“防衛費は人殺し予算発言”)により、残念ながら、早くも与党の楽勝ムードが漂い始めた。

政党の各候補は、与党は“アベノミクスの成果”を謳い、野党は“アベ独裁政治を許さない、憲法改正阻止、戦争法案(呆)阻止”を訴える、といったていたらくで、与野党とも、国民の政策ニーズを端から無視して、緊急性や緊張感に欠ける選挙運動を展開している。

いったい、彼らの頭の中にある“お花畑”には、どんな花が咲いているのか?
これでは、投票率の低下に歯止めが掛からないのも止むをえまい。

今回の参院選は、選挙年齢の18歳への引下げが初めて適用される重要な選挙のはずだが、ガラクタや賞味期限切れの商品ばかりがぎっしり詰まったショーケースから、好きなものを選べと言われても、若い世代の心に響くことはあるまい。(記念投票くらいにはなるだろうが…)

自公の連中は、オカラ建築並みに中身の薄い“アベノミクスの成果”とやらを喧伝しているが、求人倍率のアップは、まともな求人先がないことによる求職者(分母)の減少と介護福祉職やパートなどの低賃金労働の求人数(分子)の増加に過ぎないし、税収増云々も、単に消費税増税分が加算しただけのことだし、そもそも、最優先で増やすべきは国民所得であって、税収なんて後回しでよく、自慢する類いのものではない。

アベノミクスの成果を謳うつもりなら、家計の消費支出下落に歯止めが掛からない状態(2016年4月実績は前年同月比0.4%減少、ここ1年間で10回目のマイナス計上)を、どう説明するつもりか?
負け試合に打った数少ないヒットを称えて、勝ち試合に摩り替えるような卑怯な真似はよした方がいい。

一方の野党の連中も、まったく進歩しない。

民進党は、「分配と成長の両立」を旗印に、“「人への投資」「働き方革命」「成長戦略」を力強く、実行します”と謳っているが、例の「コンクリートから人へ」の臭いがプンプン漂ってくる。

「人への投資」なんて言っているが、財政政策や公共投資への嫌悪感を隠そうとしない連中のことだから、公共事業の予算を削って福祉予算に充てようとする魂胆が丸見えだ。

「働き方革命」や「成長戦略」なんてキーワードも、新自由主義に染まった自民党のいかがわしい公約の丸パクリで、同一労働同一賃金のごり押しによる正規雇用の瓦解や潜在成長力強化のようなサプライサイド教の蔓延を招くだけだろう。

最悪なのは、「目標と実現までの戦略を定める財政健全化推進法をつくる」と財政政策を事実上放棄している点で、財金政策抜きの成長戦略なんて、ガソリンが入っていない車のアクセルをふかすようなもので、まったく意味がない。

最近、何かと話題の尽きない共産党は、「安保法制=戦争法廃止、立憲主義の回復、安倍改憲を許しません」、「日本を殺し、殺される国にしてはなりません」と、60年前の安保闘士が書いたマニフェストかと見紛うような的外れぶりを露呈している。

彼らのように時が止まった人間には、中国による我が国の領海・領空侵犯事案の頻発により、自国の安全保障が脅かされている現状が見えないようだ。
安保法案の細かい中身の論議はともかく、外敵による侵犯行為に対する防衛体制強化を蔑ろにするような主張が、広く国民の支持を受けるわけがなかろう。

自党の議員による“人殺し予算発言”も、自衛隊による数多くの災害救助実績が国民から高い支持と共感を得ていることにまったく気付けていないことによるボーンヘッドであり、議員のくせに、ここまで世論を読めないものかと、却って心配になる。

「日本を殺し、殺される国にしてはなりません」なんてセリフにも呆れるよりほかない。
今の日本人の中に、日本が他国に侵略戦争を仕掛けるなんて真面目に心配している変わり者が、いったいどれくらいいるのだろうか。

日本のみならず、ほとんどの国々は、事実上、専守防衛を柱とする軍事態勢を敷いており、何かと好戦的なイメージの強い米国やロシアとて、ごく限られた地域の紛争はともかく、ある程度の規模の軍事力を有する国との本格的に事を構える気概などない。

定期的に“無慈悲な制裁”を連呼する北朝鮮も、ミサイルの発射練習をする際には、誰にも迷惑が掛からぬよう、わざわざ日本海の隅っこを狙って慎重に発射するし、仇敵であるはずの韓国とも、国境を挟んだ拡声器による怒鳴り合い(声闘(ソント)合戦)でお茶を濁すありさまで戦争のリスクなど微塵も感じられない。

与野党が雁首を揃えて、国民のニーズとはまったく相容れないマニフェストを掲げたところで選挙戦が盛り上がるはずがない。

与党は、緊縮的な財政運営を前提に、さらなる改悪や過度なフリートレードの推進に邁進する一方で、対する野党も、緊縮&改悪という与党の基本路線を踏襲したままで、予算の付け替えや防衛体制の弱体化といった勘違いも甚だしい主張を繰り返すばかりだ。
これだから、与党の連中が悪乗りして羽目を外すのだろう。

先ごろ、新生銀行から「2016年サラリーマンのお小遣い調査」が公表され、男性会社員のお小遣いは過去3番目に低い水準に止まり、昼食代の平均額は600円を下回り、7割以上が消費税8%への引き上げによる負担を感じているとの結果が出た。
http://www.shinseibank.com/corporate/news/pdf/pdf2016/160629okozukai_j.pdf

政治家たるもの、こうしたデータを丹念に拾っていけば、国民が直面する課題は何か、それを解決するために自分が何をすべきか、自身や自党のマニフェストはどうあるべきか、について、すぐに答えを出せるはずだろう。

与野党が揃いも揃ってまともなマニフェストを示せないのは、日ごろの勉強不足に加えて、国民のニーズや情報をキャッチするためのアンテナの故障のせいだろうが、本質的な要因は、彼らの経済政策に対する無関心ぶりや財政政策に対する偏見や理解不足にあると思う。

各政党のマニフェストが見当違いの方向を指し示しているのは、彼らが財政健全化信仰に縛られ、積極的な財政政策は未来に禍根を残す悪行だと信じ込んでいるためで、だからこそ、与野党を問わず、勝手に経済政策に見切りをつけ、“財政再建・社会保障改革・規制緩和・安保反対”だのと下らぬ方向に政策が散逸してしまうのだ。

こうした根本的な弊害が取り除かれ、一日も早くマニフェストがレベルアップすることを願っているが、それが実現されるのは何時になることやらと半ば諦めてもいる。

2016年6月28日 (火)

"当たりくじが出ない"と癇癪をおこす幼児性

かれこれ7~8年前のことになるが、筆者が相談を受けたとある素材メーカーの経営者が、「経営成功の極意は成功するまでやり続けることだ」と得意げに語っていたのを覚えている。
その経営者は、ある化学物質を当時の常識レベルの数百分の1のコストで抽出できる技術を独自に開発して大いに注目され、まさに昇り龍のような勢いであったが、事業が軌道に乗りかけた矢先に、工場の暴発事故を繰り返して失脚するという憂き目に遭ってしまった。

ここ数日のイギリスのEU離脱騒動に関連する報道や世論のドタバタぶりを眺めていて、ふと、件の経営者のセリフを思い出した。

『英国民投票の結果は覆せないのか-週末に浮上した数々の疑問点を解消(Bloomberg 6月27日)』(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160627-69876150-bloom_st-bus_all)

記事では、今回の離脱派勝利が世界中に混乱を引き起こしている様子(実際に混乱しているのは、金融市場や株式市場で遊んでいる博徒たちだけだが…)を目の当たりにした英国民から、法的拘束力を有しない国民投票の結果を覆せないのかとの声が多数上がっており、2回目の国民投票を求める嘆願書に署名した市民は少なくとも160万に達した、と報じている。

上記の報道の他にも、離脱派の公約にウソがあったとか、世界中の動揺を見て離脱派が後悔している、中露が接近している、スコットランドの独立の動きがある等々、離脱派を動揺させる意図を含んだ未練がましい報道が繰り返されている。

イギリスのEU残留に強い未練を抱いているのは、なにも英国民ばかりではなく、EU諸国は無論のことアメリカや我が国、EUを主要輸出先とする中国などからも、同様の世論が広がっている。

筆者は、そもそも、大騒ぎし動揺している連中に“イギリスのEU離脱くらいでおたおたするな”と言っておきたい。
イギリスが他国に戦争を仕掛けたのならともかく、今回の結果は、イギリスがEU加盟以前の姿に戻るだけのこと、しかも、イギリスはユーロを使ってもいないのだから、慌てふためいたり悲観したりする方が間違っている。

むしろ、世界中の中低所得者層の雇用と所得を破壊し続けてきた新自由主義という悪夢を瓦解させるきっかけとすべきだが、その悪夢の上で惰眠を貪ってきた連中には、今回の投票結果こそ“悪夢”だったに違いない。

だが、“国民投票という究極の民主主義的手法”を経て出された結論、しかも、世界中のマスコミや政財界、識者の連中が総出で残留派支援キャンペーンを張り、EU離脱はイギリスに深刻な経済的損失や社会保障の瓦解、貿易の停滞をもたらすと脅し続けられた末の結論を、いまさら覆そうというのなら、以後、選挙という手法を捨て、民主主義云々というきれい事を口にするのは止めるべきだ。

マスコミの連中も、日ごろは「民意を無視するな!」、「民意を問え!」と偉そうに主張するくせに、自分の気に入らない民意が示された途端、目の前にある民意に疑いの眼差しを送るようでは社会の木鐸たる資格なんてない。

自らの意に沿う民意が出るまで選挙のやり直しを求めるなんて、当たりくじが出るまでカネに糸目をつけずにくじを引きたいと泣き叫ぶワガママなバカ息子のようなもので、言論人として最低の行為である。
冒頭に紹介した間抜けな経営者のように、“自分に都合の良い結果が出るまで失敗を認めない”というワガママが罷り通るほど世間は甘くない。

仮に、国民投票のやり直しといった事態に陥るとしたら、イギリスは“民主主義の母国”という金看板を即刻返上すべきだ。

また、今回イギリスで行われた国民投票という手法自体に対する批判も根強くある。
国民投票は国民の声を直接、政治の場に届ける「直接民主主義」の代表例だが、トランプ氏のような扇情的政治家に利用されポピュリズムにつながる、などという批判も多い。
要するに、議会制民主主義という政治機構を無視して、YESかNOかの二者択一を迫る国民投票を多用するのはポピュリズムの蔓延を助長するから危険だという主張だ。

確かに、国民投票という大規模かつコストのかかる手法を乱発するのは現実的ではない。
だが、今回の国民投票はキャメロン首相や保守党の公約を経て実施された経緯にあり、いわば、議会制民主主義から派生した産物だと言える。

結局、キャメロン氏が国民投票を選択せざるを得なかったのは、自由と共生というEUの理想(=夢想)と、それがもたらした雇用不安や所得低下、治安の悪化、異民族の浸食に対する畏怖等といった厳しい現実とのギャップを、イギリスだけでなくEU諸国の政治家がまったく埋め切れなかったことに起因している。

こうした事態を招いたことに関して、新自由主義のような毒素の強い政策の弊害を理解できぬほど政治家のレベルが低下していることが主因だと言えるが、それを許容してきた国民の側にもまた大きな責任がある。

そうした混沌とした現状の狭間に生じたのが今回のEU離脱問題であり、不勉強かつ正常な判断を怠ってきた国民自身が自分たちの過去にケリをつける意味でも、国民投票という手法は意義深いものであったと思う。

国民投票という手法に対しては、ポピュリズムを招来するという強い批判がある。
我が国でも、過去に起こった小泉元(バカ)首相や大阪の元中学生知事&市長に対する低レベルな国民の熱狂ぶりを見ると、ポピュリズムのリスクが潜んでいることは想像に難くない。

論者の中には、「政治とは妥協の産物であり、可能性のアートである」というビスマルクの言葉を引き合いに、“国民投票=ポピュリズム”と決めつけて批判する者もいるが、政治家がビスマルクの言葉に甘えてグローバリストたちを相手に妥協ばかりを繰り返してきた結果が、現在の惨状を招いていることを肝に銘じるべきだ。
こうしたプロ気取りのバカには、「妥協しかできないくせに、偉そうなことを言うな!」と言っておく。

彼らとて、仮に投票結果が残留派の勝利であったなら、ポピュリズムだとか、議会制民主主義の否定だ、と文句を言うはずがなかっただろうことは想像に難くない。
結果によってコロコロ主張を変えるようでは、卑怯者の誹りを免れまい。

先日のTV番組でも、とあるコメンテーターが、イギリスのEU離脱に危惧を示しながらも、「イギリスは過去に英国病を克服した力があり、今回の危機も乗り越えてくれるだろう」とピントのズレたコメントをしていた。

彼の言う“英国病を克服した”云々は、サッチャー元首相による合理化策を主軸とする新自由主義的政策のことを指しているのだろう。

しかし、筆者は、この行き過ぎた新自由主義という危険な思想、とりわけ、中低所得者層の雇用と所得に永遠のアンカーをぶら下げ続け、“貧困の凝固剤”に成り下がっている悪質な疫病を世界中にばら撒いたことこそが、“真の英国病”だと思っている。

2016年6月24日 (金)

英断

世界中が注目した英国のEU離脱の是非を問う国民投票の結果は、「離脱派」が勝利したと報じられた。

事前の世論調査では、投票一週間前に労働党所属の残留派議員が殺害されるというショッキングな事件が起こり、離脱派を取り巻く熱が一気に冷め、残留派がやや優勢との報道もあったため、この結果には筆者も少なからず驚いている。
と同時に、今回の投票結果が、ここ20~30年余り世界中を席巻した新自由主義的潮流から舵を切る転換点となることに期待したい。


マーストリヒト条約には、EUの目的として、
(a)域内国境のない地域の創設、及び経済通貨統合の設立を通じて経済的・社会的発展を促進すること
(b)共通外交・安全保障政策の実施を通じて国際舞台での主体性を確保すること
(c)欧州市民権の導入を通じ、加盟国国民の権利・利益を守ること
(d)司法・内務協力を発展させること
(e)共同体の蓄積された成果の維持と、これに基づく政策や協力形態を見直すこと
と規定されているが、実現されたものもあれば、まったく逆方向に走っているものもあるだろう。

経済的発展の恩恵を受けたのは、ルクセンブルクのような国の態を装う金融ブローカーや欧州内のグローバル企業と出稼ぎ労働の働き口を得た旧東欧諸国やアラブ・アフリカ系移民の連中だけで、数億人にも及ぶEU諸国の国民は、社会や雇用の不安定化、所得の停滞に悩まされている。
最近の欧州の若者が、比較的安定した社会構造や治安を誇る日本に憧れるのも、そんな歪んだ欧州の社会背景を受けてのことだろう。

特に、「(c)欧州市民権の導入を通じ、加盟国国民の権利・利益を守ること」の規定は、頻発するテロや移民による重犯罪リスクの最前線に晒される一般国民にとって、絵空事に等しいだろう。


今回の投票結果は、その差こそ、ほんの数%でしかないが、当初から離脱派は、目に見えぬ大きなハンディを背負い込んでいたはずだ。

欧州における「政・官・財・報」の鉄のカルテットは、現状変更に極めて否定的で残留派を強く支持してきた。
こうした連中は、口を開けば“改革、改革…”としか言わないくせに、自分に都合が悪くなると、途端に守旧派に転じるから始末が悪い。

特に英国のみならず世界中の報道機関は、離脱派を指して、“排外的思想の持主、守旧派、懐古主義者、自由貿易否定派”だのと、下劣かつ強烈なレッテルを貼り続け、「寛容な多文化共生主義VS不寛容な時代遅れの民族主義」という図式を創り上げて、反離脱派キャンペーンを展開してきた。

世界中のマスコミから、“善VS悪”という不利な構図に拘束されたうえに、投票目前で残留派の女性議員(しかも子育て中の若い議員)が過激な離脱派の運動員によって殺害されるという痛ましい事件(事件の真相ははっきりしていないが…)が起こり、離脱派は相当なアゲインストに晒されていたことだろう。

そうした極めて不利な情勢下での離脱派の勝利は、大変大きな意義を持っており、現実の数%という投票差も、実質的には65%:35%くらいの差で勝利したような感覚なのではないか。


いまや、先進国の政治家や官僚、経営者、識者、マスコミの多くは、新自由主義的思想にどっぷり洗脳されており、「改革・規制撤廃・緊縮的財政運営・国境の撤廃・移民受入・多文化共生主義」のような時代遅れの左翼ワードに強いシンパシーを感じている。

彼らは、総じて、こうした思想がもたらす経済停滞や中低所得者層の没落、民族対立、社会不安、治安の悪化にほとんど無関心で、“改革こそ善、関税無き自由貿易こそ絶対不可侵の真理”だと妄想して止まない。

そうした歪んだ理想主義が自国の企業の体力を奪い、自国民の所得や雇用に悪影響を及ぼしても、「自己責任・努力不足・グローバル化は不可避の潮流」という紋切り回答3点セットで批判を遮断してしまう。

そして、最大の被害者であるはずの国民や中小企業も、政府やマスコミから、改革や自由貿易という一見清廉そうな建前を押し付けられると、巨大な権力を持つ相手に怯むばかりで、長いものには巻かれろと改革信者へ変心し、その結果、世界中に新自由主義者が増殖してきたのだ。

今回の離脱派の勝利は、こうした圧倒的に不利な歴史や状況を覆した結果であり、二十一世紀の経済政策や社会政策を支配して横暴を極め、暴虐の限りを尽くしてきた新自由主義的思想を排除する転換点や起点になることを願って止まない。

なによりも、欧州で社会実験済みの「移民推進」という危険な政策に、この段になっても執着する東洋のバカな国の首脳には、今回の大英断を下した英国民の強い意思をよく噛みしめてもらいたい。

2016年6月21日 (火)

「国の借金」という免罪符にしがみつく亡者

『国の借金は国民にとって財産? 民進党・江田憲司氏の摩訶不思議な財政学。」
(中嶋よしふみ BLOGOS)
http://blogos.com/article/180116/

いまや、“ネット言論界屈指の妄言メーカー”として確固たる地位を築きつつある中嶋よしふみ氏が、またもや珍説を披露してくれた。

民進党代表代行の江田憲司氏が、自身のブログにアップした「目からウロコの財政学講座」という記事で、“日本の借金は問題の無い水準であり、消費税増税も不要だ”と主張したことに対して、カビの生えた財政破綻論を基に強く批判している。

当の江田氏は、エセ政治家ごっこ集団の巣窟たる維新の党に一時期身を寄せて、「身を切る改革」やTPP推進、移民受け入れ、原発廃止、道州制推進などを訴えてきた生粋の新自由主義者であり、彼流の消費増税反対論は、あくまで、身を切る改革を優先させるための方便(=例の「増税の前にやるべきことがある」論)だと理解すべきだろう。

よって、江田氏のブログ記事を含めて、この先の彼の言説を擁護する気も信用することもないが、中嶋氏のように、自分は何の解決策も持ち得ていないくせに機能的財政論を意識的に忌避しようとする愚か者に猛省を促す意味で、反論記事を記しておきたい。


さて、中嶋氏の主張を要約すると次の4点になる。

【1.国債は借金では無く財産である?】
中嶋氏は、江田氏のブログ記事にある『国債は、子や孫たちへの「借金のつけ回し」、ってよく言われますよね。我々世代は将来の世代に借金を残しちゃいけないんだと。でも、ちょっと考えれば、これっておかしいって思いません? あなたが国債を買えば、それは「財産」でしょ。それが相続されれば、国債の満期が来た時、あなたの子や孫が国から元本や利子を貰えるんでしょ。生きている間に満期がくれば、その人(世代)だけで完結し、将来世代へったくれもない。(後略)』の部分を引用して、『なんとも理解しがたい内容だ』と強い疑問を呈している。

詳しくは触れていないが、中嶋氏は、「国債=国の借金=国民の借金」という妄想に囚われて、国民の財産が政府によって強制的に収奪されかねないかのような危惧を抱いているようだ。

“国債の購入者にとって、それが相続も可能な財産である”という動かしがたい事実を受け容れようとせずに、ひたすら借金恐怖症に怯える勉強不足な輩は、なにも中嶋氏ばかりではない。

政治家や官僚、マスコミ、財界、識者ばかりか、一般大衆の中でも、むしろ、こちらの方が圧倒的に多数派であり、だからこそ、バブル崩壊以降25年にもわたり緊縮気味の財政運営が放任されてきたのだろう。

【2.国の借金は誰が返すのか?】
国債発行に対して、中嶋氏は、『借金によって得た資金は当然ながらその時点ですぐに使われる。大部分は年金・医療費等の社会保障費に使われる。そして将来、国債の償還(国債の保有者にお金を返す事)をするときには、その時点の税収で賄われる。つまり将来の時点で働いている人から所得税、そして勤務先から法人税などを徴収し、それを返済にあてる』と強弁し、“国債=借金のつけ回し、国の借金=次世代からの前借り”だと批判する。

さらに、『個人がローンを組めるのも、企業が融資を受けられるのも、将来にわたって収入・売り上げがあるからだ。これが国の場合は税収になる。借金が出来る理由は税収があるからだ。当然、返済する能力が無いとみなされれば国債の価値は暴落して金利が上昇し、それ以上の借金も出来なくなる』と捲し立てて、国家の収入は税収しかないと驚くべき珍説を披露している。

仮に、中嶋氏の妄想どおり、国家の収入が税収分しか充てられないとしたら、政府と民間経済との資金循環は税収額とそれと同額の予算執行額との間を行き来するだけに止まるから、実体経済は資金の拘束具を嵌られ、日本経済は円という通貨が導入された明治初期の経済規模のままで永遠の停滞を余儀なくされるに違いない。

何と言っても、政府が借金(=国債発行)をせず、通貨の増発もしないとなれば、そもそも、経済活動に使われる“お金の総量”が増えないのだから、経済のパイが拡大するはずがない

国債は“国の借金”ではなく、政府が便宜上引き受けている債務に過ぎず、裏を返すと、主な貸し手である機関投資家やその貸付原資を拠出する国民や企業の債権である、というのが正確な表現だ。

そして、それが自国通貨建て且つ国内投資家が多数を保有する限り、政府の償還能力や国債の償還金の行方をいちいち気にする必要はない。
なぜなら、政府(国家)には通貨発行権という大権があり、自国通貨建て国債の償還能力を危惧すること自体がムダなことで、円建てで償還された通貨も、円が日本国内でしか流通しない以上、何らかの形で国内に舞い戻ってくるしかないからだ。

そもそも、通貨発行権を有する政府が、わざわざ通貨発行ではなく利子付きの国債を発行する意味を考えてみればよい。
国債は、資金運用に悩む国民や企業に対する政府の支援策であり、そこに付される利子は、平たく言えば、前世代から次世代へのプレゼントだと言える。

中嶋氏は国債が増え続けることにイラついているようだが、まったく要らぬ心配だ。
国債は、永遠に拡大し続けることを義務付けられた経済活動を支えるための燃料や栄養分であり、常に総量を増やしつつ永続的にロールオーバーさせるべき存在なのだ。

そんなに国債の返済が心配なら、国債発行額と同額以上の政府紙幣を国債整理基金として積み立て、順次返済原資とすればよい。
国債なんて、その程度のものなのだ。

【3.国債は日本人が買っているから問題ない?】
中嶋氏は、『外国人が国債を購入すると、国のお金が外国に流出する』と懸念を発した挙句に、『三菱東京UFJ銀行が国債の入札に有利な条件で参加できる資格を返上すると表明』しているぞ、と国債消化に黄色信号が灯っているかのように騒ぎ立てている。

外国人が買ったと騒いでいるが、それが既発債なら、その外国人に国債を売却した日本の機関投資家がいるはずだし、新発債を買われるのが嫌なら、日銀にでも買取りさせればよいだけだ。
それほど外国人に国債を買われるのが嫌なら、買取り資格に国籍条項でも設ける提言をしたらどうか。

また、今回の三菱東京UFJの参加資格返上騒ぎは、日銀のマイナス金利政策に対する抗議的な色彩の強いパフォーマンスであり、くだらぬマイナス金利政策を解除すれば、直に収まるだろう。

【4.国債の流動性低下がリスクを高める】
『実際には日銀が国債を買い過ぎていることで国債の流動性は極めて低下している。流動性が低いとはどういうことか。わずかな売買で価格が乱高下するということだ。(中略)
外国人投資家は国債の売却から円売りにつながる可能性があり、為替の乱高下につながる可能性もある。極端な円売りによる円安はエネルギー・食料を海外に頼る日本には打撃となる。そういった意味では自国民が国債を買う場合との違いは発生するかもしれない。ただ、円の信認が失われれば外国人ほどではなくとも日本人も円売りに走るだろう』という中嶋氏の主張は、これまでも、池田信夫や大前研一あたりのいかがわしい自称評論家からも聞かされたような気がする。

先ず、日銀の既発債買い増しによる流動性低下に文句があるなら、国債の流通量を増やすよう政府に対して財政政策による新発債の大規模発行を訴えるべきだろう。

また、国債や円の売り浴びせによる円の暴落(極度の円安)が心配なら、中嶋氏も、円建てでのギャラやフィーの受け取りを拒否して、元建て、あるいは、ウォン建てで貰っておけばよいのではないか?

中嶋氏のように、中途半端な経済知識を振りかざす割りに、そこいらの主婦レベルの感覚から抜けきれず、緊縮脳や税収脳に束縛されっ放しのバカ者には呆れるよりほかない。
こういった幼児性を振りかざす田舎者には、通貨量の増発なくして、どうやって経済を発展させる気なのかと尋ねてみたい。

彼のような視野の狭い愚者には、通貨発行権や徴税権、行政権、立法権等といった大権を有し、経済活動から超越した存在である政府や中央銀行を、バランスシートや家計簿の枠に押し込めようとするバカバカしさに到底気付くことはできまい。

彼らのような緊縮脳や税収脳患者が大手を振って言論界で羽を伸ばし、疲弊した経済という爆弾を無思慮かつ無責任に手渡すことこそが、次世代への最大のツケ回しだと言えるだろう。

2016年6月16日 (木)

ポピュリズムより恥ずかしいこと

日経新聞のマーケット総合2面に「大機小機」なるコラムが掲載されていることをご存知の方も多いだろう。
当コラムは月~金の日替わりで別々の執筆者が書いているようだが、いずれも財政再建論者か構造改革主義者ばかりで、日経の社説の縮小版のような記事が目立つ。

先日も「ポピュリストの時代」(執筆者:唯識)なるコラムが掲載され、参院選を控えての安倍首相による消費増税再延期の判断を採り上げて、世に蔓延る様々なポピュリズムを批判するような内容であった。

執筆者の唯識氏は、過度なポピュリズムの例として、
①安倍氏が、民意を意識するあまり税と社会保障の一体改革を無視して消費税再引上げの延期を決めたこと(国民の6~7割が再延期に賛成)

②アメリカ大統領選の民主党候補であるクリントン氏が、国内の労働者や中間層に配慮してTPP反対論に転向したこと(氏は元々TPP推進派)

③中国政府が、国内のネット世論に配慮して、南沙諸島や尖閣諸島での軍事的プレゼンスを誇示していること

の三点を挙げた挙句に、太平洋戦争時の軍国主義と共通するポピュリズムの蔓延を危惧し、マスコミが大所高所から監視役となり率先して参院選の判断軸を国民に示すべきだ、と息巻いている。

②については、国民の利益を考慮するなら、貧困への競争を招くリスクの高いTPP協定に反対するのが当然だろう。

③については、中国政府は自らの意思で暴慢な示威行動を取っているだけで、大衆への配慮ではなかろう。

今回のエントリーでは、上記①について論じてみたい。


唯識氏が太平洋戦争時のポピュリズムを悪例として挙げた理由は、勝ち目のない戦い(当時の軍事力をより正確に検証しない限り、本当に勝ち目がなかったのか否かは軽々に判断できないが…)に多くの国民を巻き込み膨大な被害を生じさせたことにあると思われる。(実際に、戦時下でポピュリズムを煽り立てたのはマスコミや国民自身であり、その責めから免れることはできないが)

それならば、国民経済を大きく破壊してきた確証のある消費税増税という悪手を敢えて断行しようと呼びかけるのは、まったく勝ち目のない経済戦争に国民を誘い込もうとする行為であり、話が矛盾しているのではないか。

“民衆に迎合せず国民に苦役を課す政策を敢えて断行するのが真の政治家である”という歪んだヒロイズムに囚われ、毒薬を良薬だと勘違いしているだけだろう。

消費税増税に対する反応は、一般国民と企業及び有識者との間で大きく異なる。

内閣府による「将来の公共サービスのあり方に関する世論調査」では、「財政再建を優先すべき」と回答したのは、調査対象となった国民の22.1%に過ぎない。

一方、朝日新聞社が主要100社に対して昨年6月に行った「景気アンケート」では、51社が「財政再建への取り組みが足りない」と指摘し、40社が「社会保障改革への取り組みが足りない」と回答している。
また、経済同友会が会員経営者を対象に昨年9月に行った「景気定点観測アンケート調査」では、消費税再増税を支持する回答が合わせて81.9%にも達した。

さらに、言論NPOが全国6000人の有識者(自称)に対して昨年7月に行った『「財政健全化計画を評価する」有識者アンケート』では、消費税10%からのさらなる引き上げが「必要」との回答が63.1%、財政再建にとって重要なのは「社会保障費の抑制」との回答が40.5%に達している。

つまり、財政再建や消費税増税に関して、国民は消極的、企業経営者や有識者は積極的という構図になっている。
こういう場面で消費税増税を声高に叫ぶのは、戦況をまったく読めていない経済界や有識者の連中に迎合することにならないか?

唯識氏の言説には、“大衆(国民)は無知で怠惰だから、彼らに甘い顔をしていると財政再建や構造改革が進まない”という思い上がりや傲慢さが透けて見える。

既に多くの懸命な論者が指摘しているとおり、消費税という税制は、内需や個人消費に対するブレーキ効果を働かせる極めて毒性の強い税制であり、特に、デフレ期における導入は、低体温症患者に解熱剤を打つようなもので自殺行為に等しい。

経済活動のイロハすら理解していない素人が、根拠のない理想に固執して、増税や改革の進軍ラッパを吹く様は、まさにポピュリズムの極みだと言ってよい。

いや、ポピュリズムよりも数倍恥ずかしい「強者への阿り」あるいは「権力者への迎合」とでも呼ぶべきだろうか。

2016年6月15日 (水)

目的の達成こそが最優先

6月12日(日)に言論ポータルサイト「進撃の庶民」に寄稿したコラム『働き者の日本人は、もっと幸せになってよいはず』(http://ameblo.jp/shingekinosyomin/theme-10086866565.html)について、本日、同じくコラムを寄稿なさっておられる『みぬさ よりかず様』の『お金と仕事の話し』(6月15日付け「進撃の庶民」に掲載)というコラムで本稿をお採り上げ頂き、様々な御指摘を頂戴しました。

みぬさ様の御指摘を受けて、別の角度から自分の論考を見つめ直すことができ、とても勉強になりました。
改めて御礼を申し上げるとともに、本エントリーを以って、ご指摘に対する当方の見解を添えたいと思います。
(※本来であれば、進撃の庶民のサイトのコメント欄に回答すべきですが、文書が長くなったため、こちらに掲載させていただきます)


さて、私自身は、積極的な財政金融政策を主張する者ですが、常識的なお考えをお持ちの方から見れば、経済成長や国民所得向上のためには、日銀による国債の直受けや政府紙幣の発行、ベーシックインカムさえも辞さず、といった具合で、まさに“重度の積極財政金融論者”と呼ばれても仕方ありません。

自ブログでも、毎度くどくどと財金政策を訴えている私ですが、経済政策を論じる際には、次の5点に立脚して論考しています。

1.たとえ高度な職能スキルを有していなくとも、相応の収入を得ることができ普通に暮らせる社会を実現すること(しがないサラリーマン、タクシーやトラック運転手、居酒屋の店員、警備員、あるいは、女手ひとつでも十分に生活できる社会)

2.国民が、今日より明日の暮らしが良くなることに一片の疑問を抱かずに済むよう、連続的且つ永続的に経済成長を続ける社会を実現すること

3.付加価値を生み出し国民生活向上に資する「供給力」こそが真の国富であり、それを維持向上させるためには栄養分や燃料となる「需要力の創出」が欠かせぬこと。

4.バブル崩壊以降、25年以上も続いている経済停滞によって逸失した累計数千兆円にも及ぶ莫大な国富や国民所得を絶対に且つ速やかに取り戻し、国民に還元する必要があること

5.人類が営む社会活動や経済活動は、所詮、人間の都合で行われているものに過ぎないから、プレーヤーたる人間が最大限の利益や幸福を得られるよう、トレードオフ的思考や二項対立的な発想を捨て、ルールや仕組みを柔軟に変えればよいと考えていること

以上の点を踏まえて、今回のご指摘に対してお答えしたいと思います。

【インフレ懸念について】
現在の日本経済は、身の丈に比べて着る服のサイズが大き過ぎる状態にあり、GDPの1割程度の実需(実際には貯蓄分がかなりレスされると思いますが…)であれば、インフレ率はせいぜい4%以内に収まると思います。

GDPの膨張は、数量だけではなく、製品やサービスの単価UP(付加価値向上)という形でも生じますので、現有の供給力でもかなり無難にこなせると思っており、“所得増加=需要急増=悪性インフレ”になるような懸念はないでしょう。

また、日本のような経済構造においては、供給が需要を喚起する力よりも、需要が供給を成長させる力の方が遥かに強力ですから、実需を狙って企業の新規参入や技術革新が活発化し、瞬く間に供給力が増強され、インフレも沈静化されるでしょう。

私も、実社会において企業の技術開発熱を間近で見てきましたが、デフレ不況の間であってもそうした企業の研究熱は衰えることを知らないものです。

ましてや、需要がより確実視されるインフレ期であれば、より積極的な研究投資や生産能力UPのための投資が行われ、一時的なインフレギャップなど瞬く間に解消させるでしょう。
こうした好況下なら、企業の技術開発投資も実需によって報われて、より強力な投資資金を得て、さらなる供給力拡大が実現されるでしょう。

【勤労意欲の減退懸念について】
「勤労意欲」の定義をどのように捉えるかによって、この点に関する懸念の度合いは変わってくると思います。

私は、仕事に対して、
①自発的且つ意欲的な態度で臨むこと
②クリエイティブな発想、収益を追求する貪欲さを持って臨むこと
が勤労意欲だと考えており、生活のために仕方なく、あるいは、不本意な雇用形態に甘んじたままで嫌々働かせられる状態を「勤労意欲が満たされている状態」とは捉えておりません。

よって、現状のように、非正規雇用者の割合が4割近く(厚労省統計より)に達し、正規雇用であっても7割近くがストレスを抱えたまま止むを得ず働かざるを得ない状態(エン・ジャパン社調査より)においては、すでに国民の勤労意欲は実質的に崩壊しているものと理解しています。

つまり、長年の経済無策により労働意欲は地に堕ちかかっていると認識しており、家計支出の一部を国庫で補填したとしても、勤労意欲はこれ以上悪化するどころか、労働者は大きな経済的サポートを得て、より前向きに働ける環境が整うことになります。

こうした現状を打開するには、家計支出において大きなウエートを占める住宅費負担をサポートするのが、最も早道且つ消費者心理を好転させるインパクトも大きいだろうと考えます。

家計の資金繰りに掛かるストレスを軽減することにより、労働者は、より集中して仕事に向き合えますし、生活費を稼ぐため、無理矢理、意に沿わぬ仕事に執着する必要もなることで前向きな意味での転職に対する垣根も低くなり、労働者自体の価値向上にもつながるでしょう。


【貧困ビジネスの暗躍について】
大きな経済政策の裏には必ず影の部分がつきまとうもので、あらゆる汚れやシミを一掃するという訳には参りません。

低賃金労働者に集る悪徳業者による貧困ビジネスの件も、そうした汚れの一部と言えるでしょう。

個々の事例を看過する訳には行きませんが、大きな船を動かす際には、船底にへばりつく雑魚をいちいち気にするよりも、船を出航させることを優先すべきで、そうした雑魚は、長い航海の途中で、司法の手を借りて個々に除去するしかありません。

【格差是正策としての適性(給付金or税制改正)】
格差是正を検討するうえで最も重要なのは、上下格差の拡大云々よりも、中下位層の所得の絶対値を維持して、中間層や低所得者層の没落をいかに防ぐか、という点だと思います。

ややもすると、エセ分配派の連中のように「格差社会=金持ちがより金持ちになる社会」だと誤解する者もいますが、本当に深刻なのは、中間層や低所得者層のフローとストックが棄損され、絶対的な貧困層が増え続ける点でしょう。

本来なら700~800万円くらいになっていてもおかしくないサラリーマンの平均年収が、いまや400万円を切りかねない有り様です。

こうした所得の絶対的な不足感と折りからの日配品の値上げや増税等が相俟って、個人消費は長らく低迷し、それが企業収益を圧迫してさらに家計所得を締め付ける、という負のスパイラルに陥っています。

こうした負のスパイラルから抜け出すためには、中低所得者層の所得の絶対値を上げてやる必要があります。

年収300万円の家計の年間の税負担は30~35万円くらい(社保料除く)でしょう。
私は、所得税負担の見直しや消費税廃止を支持する立場ですので、中低所得層に寄り添った税制改正をやること自体には賛成なのですが、それを完璧にやったとしても、年間に増やせる実質所得は、せいぜい30万円程度が限界です。

これだけでは、実質所得の絶対値が、あまりに足りなさ過ぎます。
家計の消費意欲を前向きに転換させるには力不足を否めず、真の意味で格差を是正するためには、所得そのものをもっと大きな単位で増やせる政策が必要です。

そのためには、強力且つ長期間にわたる財政金融政策が欠かせませんが、その効果が隅々まで浸透するまでには若干の時間を要するでしょう。
それゆえ、本筋である財政金融政策の波及効果の到着を待つ間に、人々がいらぬ疑問を抱かぬよう、家計の期待を先取りできる強力な経済政策を同時に打っておく必要があります。


以上が、みぬさ様の御指摘に対する私なりの回答になります。

最後に、改めて、貴重なご指摘を頂いたみぬさ様に御礼を申し上げるとともに、引き続きのご指導をお願いしたいと存じます。

2016年6月14日 (火)

経済の本質を理解できない者が縋る改革神話

既に報じられているとおり、消費税10%への再増税は2年半延期されることになった。
再延期という決定に約6割の国民が「賛成」しているとの調査結果もある一方、反対する変わり者が4割近くもいることに目眩がする。

実際に、消費税というシロモノに対する評価は様々で、財務省発の“消費税=社会保障財源の人質”だという決めつけに洗脳された者も多く、筆者のように、消費税は経済活動を棄損させる猛毒の一種だと捉える考え方は案外少ないのかもしれない。

先日、北海道新聞への寄稿コラムを目にした土居丈朗 慶応大教授は、6月4日(土)掲載のコラム「消費増税再延期 将来世代へのツケ回し」において、“家計消費低迷の真因は実質所得の低迷にある。消費税は2014年度に既に8%へ増税されており、2014年度から2015年度にかけての実質所得の伸び悩みは消費税増税の影響ではない”という趣旨の主張を展開して、増税は所得動向にマイナスの影響を与えてはいないと擁護している。

そればかりか、実質所得の伸び悩みは生産性の低下のせいだとし、日本経済を低迷から救うには一時的な財政出動(=役立たずのカンフル剤)ではダメで、人工知能やロボット開発などの第4次産業革命による生産性向上が不可欠だと主張している。

いまどき、“AIやロボットだ、第4次産業革命だ”と騒いでいる連中は、ちょっと前まで、調子に乗って“Web2.0だ、農業・医療・介護だ、ビッグデータだ”と連呼していた田舎者だろうから、第4次産業革命なる虚語もそのうち消えて無くなるだろう。

しかし、この手の幼稚な田舎者は、人工知能やロボットが、あたかも経済活動や生産活動の根幹を担うかのように単純に夢想するから失笑するしかない。
仮にそうなれば、PB黒字化と緊縮財政しか言えないレベルの低い大学教授の椅子は、真っ先にAIに取って代わられてしまうだろう。

今回のコラムで、土居氏は二つの誤りを犯している。
一つ目は、増税の影響を意図的に過小評価し、実質所得低迷の原因を生産性低迷に責任転嫁していることで、二つ目は、生産性向上を自律的かつ内発的な存在であると勘違いしている点である。

土居氏の“2014年度から2015年度にかけての実質所得の伸び悩みは消費税増税の影響ではない”というのは、単なる思い込みだ。

経済活動や実質所得の低迷には複数の要因があり、増税もその犯人の一人だというのが常識的な考え方だろう。

しかし、氏は、敢えて増税のみに焦点を当てることにより、増税による2015年度の実質所得低迷への関わりを否定しようとするが、増税による負のインパクトが内需を冷え込ませて企業収益のアンカーとなり、それが所得の伸び悩みにつながったことは明白であり、氏の言説は見苦しい詭弁に過ぎない。

また、氏が得意とする「根拠なき生産性万能論」も、生産性向上を担保し裏付ける「需要力」の存在を一切無視した暴論である。
世間知らずの人間ほど、AIだ、ロボットだと大騒ぎするものだが、いったい、誰がそれを使い、誰がカネを払うのか、という肝心な点についてまったく説明がない。

供給が需要を生み出すような平和でおめでたい時代は、とっくの昔に終わっている。


さて、土居氏のように、「増税無関係説」を唱える者がいる一方で、「増税だけが悪人説」に固執する者もいる。

『アベノミクスの失敗」?いやいや、民主党の責任でしょ!~攻め方を間違え続ける野党へのため息』(現代ビジネス/長谷川幸洋)http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48870

上記コラムで長谷川氏は、「消費増税の先送りについて、民進党は「アベノミクスの失敗」と批判しているが、失敗したのはアベノミクスではなく、2014年4月の8%への増税だ。そもそも増税を推進したのは民主党政権だったはずだ。失敗の責任は民進党にもある」と述べている。

デフレ下における消費税増税という最悪の選択をしたのは、ほかならぬ自民・民主・公明の三バカ政党であるのは隠しようのない事実だ。

しかし、「失敗したのはアベノミクスではなく」の部分にはまったく頷けない。

「緊縮財政・金融政策・構造改革」というアベノミクス三本の毒矢に急所を射抜かれた日本経済はその場に倒れ込み、「消費税増税」という剣でとどめを刺された、というのが正確な表現だろう。

長谷川氏は新自由主義者的な思想を持ち、構造改革や規制緩和を断行する安倍政権の応援団を買って出る人物であり、その思考回路はリフレ派に近いものがある。

コラムでも、「(TPP賛成との立場から)資源がない日本は自由貿易体制を強化する中でしか生きていけない。自由貿易を進めるうえで痛みが生じる部分を、どう和らげながら全体としてメリットを享受していくか、という問題が構造改革であり、成長戦略そのものだ」と述べ、改革や戦略を盾にして、野放図な市場開放や規制緩和を強引に押し通そうとしている。

また、景気回復や格差是正の問題を、“格差是正が先か、経済成長が先か”という幼稚な二元論の枠に押し込み、両者をトレードオフの関係に置いて二項対立を煽ろうとする。
なにも、両者は同居不可能な存在ではないから、経済成長をさせながら格差是正を実現させればよいだけのことだろう。

彼のような安倍ファンは、アベノミクスの失敗を認めたくないがゆえに、すべての責任を増税のみに転嫁しようとするが、そんな単純な話ではなかろう。

そもそも、安倍首相が増税に踏み切ったのも、三党合意云々のせいではない。

元々、安倍氏の政治的関心は「緊縮財政と構造改革」という二本の柱にあり、そのショックを糊塗するために金融政策を持ち出したが、思いのほか支持率が落ち込まなかったことに気を良くして調子に乗り増税に踏み切っただけに過ぎない。

しかも、安倍政権下で制定された骨太の方針とやらには、“財政再建、歳出改革、PB黒字化、ワイズ・スペンディング”といった類いの緊縮用語が羅列されており、安倍氏が増税に否定的どころか、むしろ積極的な姿勢を示していることが窺える。

つまり、消費税増税という政策は、アベノミクスの“異端児”ではなく、“メインプレーヤー”であり、安倍氏にとって今回の再増税見送りは、まさに断腸の想いだっただろう。

安倍政権の経済政策を評価する際に、長谷川氏やリフレ派にように、アベノミクスと増税とを分別するのは間違っている。
なぜなら、消費税増税はアベノミクスにビルトインされた不可分の政策であり、増税部分のみを捉えて、それが失敗したと評すること自体ができないからだ。


今回紹介した土居氏や長谷川氏のように、消費税増税に対する評価や捉え方がまったく異なっていながら、結果的に同じような落とし穴に嵌ってしまうのは、“経済とは何か、経済成長は何によってもたらされるのか”という基本を理解できていないからだろう。

間断なく連続しつつ持続的に拡大するモノやサービスの供給と需要こそが経済の本質であり、それは供給サイドのみの努力では成り立たない。

経済を供給サイドからしか見ることができない者は、需要という供給にとって不可欠な栄養源やゴールの存在を理解しようとしない。

供給は需要を充たすための行為であることを忘れて、供給こそが需要を生み出す神であるかのように勘違いしている。

そういった基本的な過ちが、生産性神話や構造改革神話を支え、ひいては財政再建至上主義を蔓延させる病原菌になっているのだろう。

2016年6月13日 (月)

金融政策は限界、構造改革は賞味期限切れ

『石原経財相「金融・財政には限界あるが構造改革には限界ない」』
(2016/5/24 日本経済新聞)
「石原伸晃経済財政・再生相は24日の閣議後の記者会見で、20~21日に仙台市で開いた主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議で金融・財政・構造改革にバランスよく取り組むことが確認されたことに関し「金融政策にも財政政策にも限界がある。一方で構造改革には限界がない」と語った。その上で「構造改革の手を休めてはならない」と述べ、規制緩和をはじめとした成長戦略の取り組みを重視していく姿勢を示した。
 現状の景気判断については「緩やかな回復基調に変わりはない」と語った。追加経済対策の有無は経済状況を確認したうえで「するとしたら秋の臨時国会で決める」と説明した」


最近、その存在すら忘れかけていた石原伸晃だが、上記の日経記事で報じられているとおり、相変わらず迷走しているようだ。

彼は、過去にも、福島第一原発の “サティアン”呼ばわりや報道ステーションで中国の尖閣諸島侵攻に対する危機認識不足発言等々、数多くの失言や舌禍事件を繰り返してきた人物だ。
この程度の無能なボンボンを重要な経済財政担当大臣職に就けるとは、自民党の危機管理能力のあまりのレベルの低さに、改めて愕然とさせられる。


石原氏は、元々、経済政策に対する確固たる主張や信念を持ち合わせているわけではなく、“改革・規制緩和・グローバル化”という流行り言葉に根拠のない憧憬を抱く「無自覚型の新自由主義者」であろう。
なぜ改革が必要なのか、それが日本の行く末や経済にどういった恩恵をもたらすのか、といった点について、具体的かつ根拠ある説明もできないくせに、周囲の意見や時流に流されて、それが善だと信じ込んでいるだけの風見鶏に過ぎない。

彼の「金融政策にも財政政策にも限界がある。一方で構造改革には限界がない。構造改革の手を休めてはならない」との発言から、“構造改革という神話や心霊現象の類い”を妄信して疑わない改革信者臭がプンプンと漂っているが、発言内容自体は、アベノミクスに対する昨今のマスコミの論調とよく似ている。
やはり、バカ同士の思考回路には相通ずるものがあるのだろうか…


石原氏は、財政政策金融政策を腐す一方で、構造改革を手放しで持ち上げているが、この手の構造改革万能主義者の思想の根底には、3つの政策に対する次のような固定観念があるのだろう。

①財政政策は国の借金を増やすだけの悪手で、景気浮揚策として一時的に用いることが許されるカンフル剤に過ぎない。
②金融政策は専門用語が多すぎて理解できないけど、肌感覚からして、大して役立っていないように思える。
③世界の潮流は構造改革だ。政治にしろ、経済にしろ、旧習を排して改革せぬ限り世界から孤立してしまう。

以前から世間の風当たりの強い財政政策は別として、黒田バズーカと称される異次元の金融政策は、当初こそアベノミクスを輝かせた(真の功労者は、政権発足直後の補正予算による財政政策なのだが…)が、さしもの黒田バズーカも、ここ2年余りは目立った成果を出せず、完全にオオカミ少年化している。

最近では、エコノミストやマスコミの連中も、日銀の追加緩和策に期待するどころか、「金融政策に限界はない」という黒田総裁の負け惜しみを信じる者も(哀れなリフレ派の連中を除いて)いなくなった。

現在の異次元緩和策は、財政政策を否定(=新発債の発行抑制)したまま年間80兆円もの既発債を買い増しするだけで、単に、日銀と国債を保有する金融機関との間の両替機能にしか成り得ていない。

黒田総裁は、国債を日銀に売却した金融機関が、手持ち資金を使って企業や家計向けの融資を活発化させるはずだし、インフレ予想の拡大に伴い企業や家計が消費や投資に踏み出すはずだと強弁するが、そうした空論は、ピクリとも反応しない現実により、頭から否定されてしまった

おまけに、マイナス金利という弊害だらけの奇手に頼らざるを得ないありさまで、年金や医療保険などの資金運用難の問題もあり、さすがに金融政策に対する風当たりも相当強くなりつつある。

まさに、金融政策一本足打法(=財政政策抜き)は土俵際に押し込まれて限界を迎えているといってよい。


では、石原氏イチオシの構造改革はどうだろうか?

これについて、いまさらくどくど解説するまでもないが、「構造改革は、それ自体が経営資源に恵まれた大企業の権益をより拡大させるための思考であり、中小企業や家計への適正な資金分配を阻害するとともに、財政政策を否定する風潮を蔓延させて内需停滞の主要因となり、経済成長の足を強烈に引っ張り、経済基盤の棄損や財政悪化の遠因となった」と断じるよりほかない。

橋本行革時代や小泉バカ政権による構造改悪騒ぎ以降の経済政策は、一貫して構造改革路線を柱に据えており、ここ数年は、これに金融政策が加わったものの、財政政策は忌避されっ放しであったことは明らかだろう。

果たして、その間の経済的パフォーマンスはといえば、GDPをはじめ家計支出や物価水準、生産指数、設備投資など、あらゆる指標が大停滞時代を余儀なくされてきた。

新自由主義者の連中は、こうした惨憺たる結果を突き付けられても、「それは改革が足りないせいだっ!!」と醜い言い訳に終始してきたが、実体のない蜃気楼をいくら追い続けても永遠に答えは出せないだろう。

何を聞かれても「構造改革」という答えしか書けない落第生は、早々に教室から退出すべきだ。

石原氏の「金融政策にも財政政策にも限界がある。一方で構造改革には限界がない」と語った。その上で「構造改革の手を休めてはならない」というセリフは、丸っきり間違っている。

正しくは、「金融政策頼みの経済政策には限界があり、構造改革は賞味期限が切れている。一方で財政金融政策には限界がない。力強い経済成長を実現して、適切な分配構造を構築するためにも、大規模かつ長期的な財政金融政策の手を休めてはならない」だろう。

2016年6月10日 (金)

消費者の価格感応度には非対称性がある

ここ最近、様々な経済指標が公表されているが、今年1~3月期の実質GDP改定値が前年同期比+1.9%、大手企業の夏のボーナス支給額が4年連続増加などといった良いニュースがある一方で、4月の機械受注額は前月比-11.0%、5月の街角景気調査では前月比-0.5ポイントと2か月連続悪化、4月の実質消費支出は前年同月比-0.4%と2か月連続マイナスなど冴えないニュースもあり、まさに玉石混交といったところか。

自称エコノミストたちは、こうした状態を指して「景気は踊り場に差し掛かっている」と解説するが、それが上り階段の途中なのか、下り階段の途中なのかを明言しようとしない。

ここ数期のあらゆる経営指標の動きを俯瞰すれば、やや良化した指標が見受けられるものの、全体的に見れば、最大限譲歩したとしても、“景気は下り階段の途中にある踊り場に差し掛かっている”と言うべきだろう。

筆者が業務上で目にする中小企業の決算動向を見ると、機械加工や運輸、食品加工などの業種では(決して高いレベルとまではいかないが)増収増益傾向にあり、印刷や建設などは減収気味といった印象を持っている。

ただ、残念なことに、業界全体の活況により増収決算となっているとは言い切れず、受注のパイ自体は縮小しているものの、競合他社の倒産や廃業により、その分の“こぼれ球”を拾った結果としての好決算というケースが多いのが実状だ。

一方の個人消費は相変わらず低迷している。
4月の勤労者世帯の実収入は、1世帯当たり480,098円と前年同月比 実質+1.0%、名目+0.7%と2か月連続増加、しかも、世帯主収入・配偶者収入ともに増加しているにもかかわらず、消費支出は1世帯当たり298,520円と実質0-.4%、名目-0.7%と2か月連続のマイナスとなっている。

こまかい内訳を見ると、私大や専門学校の入学金・授業料や食費などが高騰した煽りを受けて、洋服代や冠婚葬祭費、自動車整備費、住宅修繕費、通信費などが削られている。
所得が多少増えたとはいえ、家計は、消費増税や社会保険料引き上げ、食品などの物価上昇に対してかなりナーバスになっており、支出に対する防御態勢を解こうとしていない。

一般家計は、景気の行く末に対する強烈な猜疑心を抱いているが、これを解きほぐすにはどうすべきだろうか。

現実的な政策として選択肢の一つになるのが、消費税率の引き下げや消費税そのものの廃止だろう。

安倍首相は、税率10%への再引上げを延期し、さも苦渋の決断を迫られたかのように装っているが、引上げ延期をしたからといって、景気回復に絶大な効果があるわけではない。
せいぜい、引上げに伴う絶望的な景気の落ち込みをしばらく猶予できた、という程度に過ぎない。
引上げ延期なんて当然の判断であり、こんなもので手柄顔をされても困る。

では、8%の税率を5%に戻せば、8%への引上げの影響で悪化した経済を元に戻すことができるのかといえば、決してそうはならない。

なぜなら、価格変動幅に対する消費支出の感応度には非対称性があり、一般的に家計の消費行動は、値上げに対しては極めて敏感かつ過剰に反応する一方で、値下げに対しては思ったほど劇的な反応を示さないケースが多いからだ。

住信SBIネット銀行の値上に関する消費者意識調査(2014年1月)によると、値上がりがつらいと感じる商品の1位はガソリン、2位は食品・飲料、3位は電気だそうだが、いずれも実際の値上がり幅だけを見れば、月に数千円程度に収まるはずだが、調査では5人に1人の家計が「これ以上の値上げには耐えられない」と回答しており、値上げに対してかなりナーバスに反応している様子が窺える。

また、取引先のスーパーの経営者に聞いた話だが、普段1パック150円で売っている卵を170円に値上げすると、売上数量が20%くらいは簡単にダウンするのに、逆に130円に値下げしても、客の反応は鈍く、せいぜい数%しか伸びないそうだ。(さすがに、100円で特売をかけると倍以上の数量が捌けるが、商品単体としては赤字であり、客寄せの特売商品と割り切らないとやっていられないとのこと)

よって、消費税率の改定により景気を刺激しようとするならば、8%への据え置き程度で満足するなど以ての外であり、5%への引下げでも不十分で、あらゆる家計が実質所得の増加を確実に実感できるよう、消費税そのものを廃止するのは当然として、将来にわたる所得増加期待を高めるためにも、積極的かつ大規模な財政金融政策により実体経済をかなり強烈に刺激してやる必要がある。

日本人は、不況という冷泉に長らく浸かり過ぎたせいか、我慢や貯蓄にばかり興味を持ち、20年間不況のどん底にあったのだから、20~30年かけてゆっくり回復させればよいなどと呑気に構えているが、トンデモナイことだ。

理不尽な不況に抑圧された期間の逸失利益を一刻も早く取り戻すべく、2~3年のうちにスピーディーに景気回復を実現させるくらいの気概が必要であり、通貨の信認だの、財政規律だの、PB目標だのと手段の清濁に拘泥するのは、まことに愚かな態度だろう。

2016年6月 8日 (水)

事業承継対策は急務、国や金融機関は実のあるサポートを!

筆者も業務の関係上、中小企業の経営者と話をする機会が多いが、経営者の高齢化が年々進んでいることを実感する。

東京商工リサーチの調査によると、2015年の全国社長の平均年齢は、前年より0.2歳延びて60.8歳になったそうで、事業承継手続きが遅れていることが窺える。

社長の年齢分布は、特に70代以上の社長の構成比が上昇する一方、30代以下は伸び悩み、社長の高齢化に拍車がかかっているようで、社長年齢と業績の相関では、社長が若年なほど「増収増益」企業の比率が高い傾向がある一方で、社長が70代以上ほど「赤字」企業率が高らしい。

また、2015年の「休廃業・解散」企業は、社長が70代以上の企業が全体の4割(46.5%)を占めており、承継が進まぬうちに廃業せざるを得ない企業が数多くある。

筆者が話をする経営者(たいがいは50~70歳代)も、元気な経営者ほど、業績の良し悪しに関係なく後進に道を譲ろうとする気がさらさらなく、辞めたがっている経営者ほど、バトンを受けてくれる後継者がいない、というジレンマに陥っているケースが多いように思う。

特にバブル崩壊後は、親族間承継の割合がめっきり減り、内部昇格や外部招聘など第三者承継との逆転現象が起こっている。
高齢の経営者の口から、「こんな貧乏会社を息子に継がせるのは忍びない。借金をできるだけ増やさないようにして、早いうちに会社を畳んでしまいたい」という愚痴をよく聞かされる。
地方の企業経営者の中には、早い段階で息子を役所や農協、商工会などに就職させ、会社は自分の代で閉める、と廃業に向けた準備をしているところも多い。

国においても、国内企業のほとんどを占める中小企業の事業承継問題を大きな課題と捉えており、毎年の中小企業白書に必ず問題を指摘する記載があるし、承継の相談窓口として、全国に「事業引継ぎセンター」を設置して専門の相談員を配置している。
また、事業承継税制の創設や拡充により、後継者の相続税・贈与税の負担軽減に関する支援策を整備している。

だが、企業の休廃業・解散件数は、2013年をピークにやや減少傾向にあるものの、2015年には約2.7万件にも達し倒産件数の3倍以上にも上っている。

廃業の理由としては、経営者の高齢化や後継者難、業績ジリ貧などが上位を占めるが、廃業に追い込まれるのは赤字企業ばかりではない。
中企庁のデータによると廃業企業の44%が黒字経営だったそうで、本来なら企業として存続できる可能性のあったものまで、後継者難を理由に廃業を余儀なくされるのは、雇用の受け皿を失うという意味で大きな損失である。

このままでは、あと20年もすると国内企業の20%くらいは消失してしまい、700万人分近い雇用の場が失われるだろう。

事業承継が一向に進まぬ背景には、中小企業の業績悪化と承継に際しての資金問題(相続税・贈与税、金融機関に対する個人保証)の二点に集約されよう。

ろくな売上も上がらぬ中小零細企業の社長の椅子なんか譲られても、年収300~400万円くらいしか取れないうえに、製造から営業、総務、クレーム対応まであらゆる業務をおっかぶされた挙句、年がら年中、元請けや銀行に頭を下げっぱなしといったところが関の山で、まさに「名ばかり社長」もいいところだ。

こうした事態を打開するには、実体経済に溢れんばかりの資金を供給して、笊で掃いて捨てるほどの事業機会を創出してやる必要があろう。
そうでもせぬ限り、これといった経営資源や特殊な独自性を持ちえない中小零細企業に生き残る術はない。

たとえゾンビ企業と揶揄されようとも、事業を継続し雇用を維持できる方が、廃業や倒産により雇用の場を失ってしまうよりも百万倍もマシだと思う。
新規に起業して一から事業基盤を構築するまでには、多大なリスクと膨大な時間を要するため、同じ企業とはいえ、場末のゾンビ企業と比較すると、非常な危うさと脆さを内包しており、雇用の場としては心許ない。
腐っても既存の事業基盤を有している企業は、新規創業者とは違う安定感を有している。

また、承継に当たっての後継者の資金問題解消については、既存の事業承継税制や経営者保証ガイドラインの大幅な見直しが必要だろう。

現在の事業承継税制は、一定の条件下で相続税・贈与税の納税を“猶予する”に止まり、“免除する”わけではない。
2015年に制度が拡充されたが、その内容は、親族外承継を対象化、雇用8 割維持条件の一部緩和など小手先の改正に過ぎず、大半の企業から“まったく使い物にならない”と無視されたままだ。

中小企業の株式なんて、どうせ流通性はゼロの紙切れ同然(株主総会もやってないし…)なんだから、そもそも時価評価する必要もない。(筆者は、中小企業に「株式」なんて必要なのか、「株式会社」という形態をとる必要があるのか? とさえ考えている)
誰にでも解かりやすいように、後継者に簿価での取得を認め、相続税や贈与税なんて免除してやればよい。
そんなものは、税として搾り上げてもたかが知れているし、事業承継対策費として毎年度予算化している莫大な量の事業費の削減にもつながる。

後継者の個人保証についても、300~500万円を限度とし、それを超過する金額は無保証で取り扱うべきだ。
中小企業経営者の資力など端から当てにできないし、経営が傾いて銀行が個人保証を求める頃には、どうせ資力はゼロどころかマイナスになっているケースがほとんどで、いくら金消契約にサインしていても、実効性はゼロに近い。

後継者が思い切って承継という選択に踏み切れるよう金融機関も協力すべきだし、個人保証免除によるリスク増加分は、貸出金利の上乗せ(2~3%くらい)でカバーすればよい。
いざという時に当てにならない個人保証に頼るよりも、日常の貸出取引において利息として徴求しておく方が、確実にリスクヘッジできるだろう。

我が国においては、ここ10年余りで40万社近い企業が消失し雇用の場は崩壊の一途を辿っている。
中でも、国内企業の99%以上を占める中小企業は雇用の受け皿として欠かせない存在であり、その維持存続のために、国や金融機関はさらなる譲歩に踏み切るべきだ。

2016年6月 4日 (土)

揚げ足取りしかできないクズは小学生からやり直せ!!

『北海道男児保護 捜索隊批判するなの声』

(デイリースポーツオンライン201664日)

http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/06/04/0009152010.shtml

 「北海道七飯町の林道で行方不明になっていた北斗市の小学生2年、田野岡大和君(7)が3日に、6日ぶりに保護され歓喜の声があがる中、地元消防や警察、自衛隊などが行った捜索手法への検証や、一部に批判する声があることに、ネット上では「結果論でものを言うな」「何もしなかったやつが文句言うな」と、捜索隊を擁護する意見がわき起こっている。

(中略)

 大和君が保護された後に、地元消防に捜索手法を問題視する電話が相次いだとも報じられ、これにツイッターなどでは「結果論なら何とでも言える」「文句言ってる人は、一度、山林の中で自分で探してみろ」「こういう人たちが出てくると思った」と不快感を示す声が殺到した。」

 

528日に北海道七飯町の山林で発生した小二男児置き去り事件は、6日後の63日に隣町の鹿部町にある自衛隊演習林で、無事に男児が発見されるという誰もが予想しなかった結末で幕を閉じた。

 

筆者も、男児の生存を絶望視していたこともあり、発見の報をラジオで聞いた時には、こんな幸運もあるものかと、正直、鳥肌の立つ思いがした。

 

捜索には、警察や消防団をはじめ地元の有志や自衛隊まで駆り出され、延べ1,000人を超える体制で早朝から夜まで、毎日のように懸命な捜索が行われたことは、誰もが知るところだろう。

国民の多くが固唾を飲んで捜索の行方を見守る中で、捜索から数日経っても何の手掛かりも見つからず、父親の証言を疑問視する声も多く聞かれた。

 

そもそも、本事案が全国的な注目を集めたのも、捜索開始の翌日に、男児が山菜採り中に行方不明になったというのは両親の虚偽だったと判明(躾のための山林に置き去りにしたというのが事実)したことに起因するもので、事態の停滞も相まって、“事故か、事件か”というミステリー性を帯びてきたのも事実だろう。

 

だが、男児発見という歓迎すべき結末を迎えて周囲も気が抜けたのか、上記のニュースで報じられたように、警察や自衛隊の捜索態勢にクレームをつけたり、バカにするような民度の低い国民が一部に存在するようだ。

 

男児が発見された自衛隊の演習林は行方不明になったとされる地点から北東方向にあり、一方、捜索範囲は不明地点を中心とする南西方面を重点的に行われた。

 

結果だけを見れば、何とでも文句をつけることはできよう。

 

だが、置き去りにされた時刻、子供の体力・服装、食料などの所持品がなかったという状況を考慮すれば、道に迷って川や沼に迷い込んだのではないかと疑うのは常道だろう。

よって、大沼などの湖沼が広がる南西方面を重点的に捜索するのは当然である。

 

結果が判ってからしたり顔でクレームをつける無責任なバカは、初期段階から演習林の捜索を提案しておくべきだっただろう。

捜索の労を労うこともなく、後出しジャンケンで揚げ足を取ろうとする薄汚いクズは黙っていろと言っておく。

 

そもそも、今回の捜索が手間取った大きな要因は、両親による例の虚偽証言のほか、530日には両親から捜索隊に対して“山の方を捜してほしい”という要望があり、それに振り回されたこともある。(山=駒ヶ岳は発見場所とは真反対の方角)

また、置き去りにされた男児が、両親に連れてこられた道を辿って戻るという当たり前の行動を取らずに、見当違いの山林の奥へと入り込んでいったことにも、大きな原因があるだろう。

いくら子供とはいえ、こうした軽率な行動は、生命の危機に直結する危険な選択であり、強く非難されるべきだ。

 

しかも、肝心の男児の服装も、当初は、「胸にアルファベットの文字の入った黒色の服、紺色のジャージのズボン、赤色の運動靴」と証言していたにもかかわらず、実際に発見された時に自衛隊員が撮影した男児の服を見ると、服の色は茶色で、運動靴は黒色(ジャージだけは証言どおり)と、まったく別物である上に、ちゃっかり野球帽まで被っていた。

洋服の色はさておき、帽子の有無までいい加減な証言をされては、捜索の任に当たる者は堪らない。

 

捜索や捜査においては、基点となる一次情報が何より重要で、そこに虚偽や虚言が混在してしまうと、上手く行くはずのものも上手く行かなくなってしまうだろう。

 

過去にも、災害における捜索や救助の結果を巡り、余儀ない事情で最悪の結果とならざるを得なかった被災者の遺族や第三者から、捜索側の責任を問う事案がいくつも発生し裁判になったケースも多い。

 

中には、山岳での遭難事故のように、天候や気候を無視した無謀な入山が引き起こした遭難事故の責任を、何故か救助に当たった警察側の責任に擦り付けようとして裁判を起こす頭のおかしい遺族もおり、こうした裁判事例を耳にするたびに、民度の低い自分勝手な連中の増徴ぶりに、心底腹立たしい思いがする。

 

警察庁の資料によると、2014年の山岳遭難事故の発生件数は2,293件、遭難者は2,794名と10年間で66%も増えているそうだ。

 

入山の目的は、「作業(1.5%)」を除く98.5%が「登山(77.0%)」、「山菜取り(11.7%)」などの不要不急な理由である。

また、事故の原因も、「道迷い(41.6%)」、「滑落(17.9%)」、「転倒(14.4%)」など入山者側のミスや準備不足によるものが9割以上を占める。

 

つまり、行かなくてもよい者が行かなくてもよい場所にわざわざ足を運び、軽率な行動をとった挙句に他人様の手を煩わせているだけなのだ。

この手の無鉄砲な馬鹿者のミスのせいで、休日返上で捜索に駆り出される方の身になってほしいもので、捜索のやり方や結果にモノ申すなど以ての外であろう。

 

冒頭にご紹介したネットの声は、誠に尤もな意見であり、捜索に文句をつけている低レベルなアホは、罰として、ボランディアで公共施設の便所掃除でもさせるべきだろう。

2016年6月 2日 (木)

新自由主義者は生き方を変えろ

世の中に新自由主義の毒がすっかり回ったせいか、「終身雇用制は悪」、「企業は株主のもの」という呪詛にも似た穢れた言葉を耳にすることも多い。

今回は、終身雇用制度を毛嫌いする狂信者のコラムをご紹介したい。

『死にゆく日本の終身雇用「サラリーマン」』
http://www.msn.com/ja-jp/money/news/%e6%ad%bb%e3%81%ab%e3%82%86%e3%81%8f%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%b5%82%e8%ba%ab%e9%9b%87%e7%94%a8%e3%80%8c%e3%82%b5%e3%83%a9%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%80%8d/ar-BBtGlQf
(執筆者:アーバン・レーナー/元ウォール・ストリート・ジャーナル・アジア編集長)

コラムの内容は、上記のURLからご確認いただきたいが、端的にまとめると以下のようになる。

①日本の経営文化は、産業経済を作り上げるには生き方を変える必要があることを理解した支配エリート(=安倍ちゃんのこと)によって、大きな変革を迫られている。

②こうした改革がうまくいけば、株主や利益、会社の存続意義に対する日本人の考え方を大きく変えることになり、その指標の1つとなるのが名高い終身雇用制度である。

③終身雇用制度には弱みがある。それは、企業は株主ではなく社員のためにあるという考え方を終身雇用制度が助長していることや労働の移動を制限し、起業家精神を妨げていることだ。

④年功序列があるがゆえに、業績よりも勤務時間や同僚との関係が重視され、凡庸な人材ばかりが増える。重要な地位には往々にして最も資質のある人ではなく、序列で次の順番にある人が就く。

⑤不要な社員をレイオフしやすくすれば企業にとってプラスになる。日本に蔓延するリスク回避志向を排除するためには終身雇用制度を止めねばならない。そうでもしない限り日本は変われない。

⑥コーポレートガバナンス改革によって投資、成長、賃上げ、国際社会からの尊敬を手に入れることが重要だ。

ひとことで言うと、「企業は株主のものだと狂信するバカの言いなりになるために、日本人は生き方を変えろ」ということだろう。

この手の狂信者は、“終身雇用は悪、人材流動化や起業家精神は善”という固定観念や「日本企業=完全なる年功序列」という妄想に囚われており、概してディマンドサイドの重要性に対する認識が甘い。

レーナー氏は、「年功序列は業績よりも勤務時間や同僚との関係が重視される風潮を生み、凡庸な人材を増やす」と決めつけているが、実際には、年功序列とサービス残業とはイコールの関係にはなく、単なる言いがかりにすぎない。

仮に、年功序列が完全に機能しているのなら、黙っていても入社年次順に昇進できるはずだから、サービス残業みたいな無駄な行為を以ってわざわざ忠誠心を示す必要なんてないはずだ。

サービス残業が蔓延する背景には、上司や同僚、部下などといった競争相手の中で、自己の忠誠心や仕事への熱意をアピールして差をつけるには“必死に残業する姿勢を見せる”という視覚的かつ記録にも残る定量的なデモンストレーションを行わざるを得ないという事情があるからだろう。

入社年次順に出世できるのなら、サービス残業なんてする必要はなく、定時退社して差し支えないはずだ。
しかし、実際にサービス残業が蔓延しているのは、社内競争に勝ち抜くために“残業という延長戦”でのアピールが欠かせないためであり、年功序列が完全には機能していない証左の一つと言える。

また、企業は株主のものという虚言もたいがいにしてもらいたい。

そもそも、“企業は株主のもの”というセリフは、投資家の都合による壮大な詭弁にすぎない。

日本企業では、自己資本比率(自己資本/総資本)が20%未満の企業割合が圧倒的に多く、株主なんて偉そうにしていても、ただでさえ小さな自己資本のごく一部を提供しているだけのことであり、経営に必要な資金の面倒を見ているわけじゃない。

だいたい、資本金なんて創業時以外に経営の大きなファクターになることはないし、特に、株式が流通性を持つ上場企業の場合、“株主”という立場は、市場価格に応じて売買される権利の一つに過ぎず、実際に株主が経営に参画することもほとんどない。
要するに、株主なんてものは、企業運営に一滴の汗もかかない人間(株式市場という賭場で遊んでいる暇人)であり、そんなものが経営に口出しする権利などなかろう。

会社は株主のものなんて、とんでもない虚言であり、会社は社員と経営者のものであるというのが常識的な考え方である。

レーナー氏は、雇用の流動化にも熱心なようだが、安易な雇用の流動化は家計の将来不安を招き、与信行為の縮小と不動産・耐久消費財の減退に直結するだろう。

氏は、人材の流動化や業績連動型の報酬が優秀な人材の待遇向上につながると言いたげだが、そんな恩恵に与ることができるのはほんの一握りに過ぎない。
だが、マクロ経済を動かすのは、一部の高所得者ではなく、掃いて捨てるほどいる中低所得者やゾンビ企業の類であるという事実を、レーナー氏は理解できていないようだ。

人材を流動化させると、必然的に雇用と所得が不安定化し、労働者や家計の長期所得予想の不透明化を招くことになる。
そうなると、住宅や自動車という長期分割弁済を伴う高額商品の購入にブレーキが掛かり、所得の見通しが不透明化することにより金融機関も長期の与信に慎重姿勢を取らざるを得なくなる。
つまり、人材の流動化は住宅ローンや自動車ローンの大幅な縮小を招き、経済に負のインパクトを与えることになるということだ。

また、雇用の不安定化は居住地の不特定化にもつながり、これまでにも増して転職による移動機会が増えるだろう。
そうなると、引っ越しに掛かる移動コストを考慮して日常的な購買行動が制限され、消費抑制効果が発生するとともに、所得の不安定化による結婚機会も益々減少し、更なる少子化につながる恐れがある。

さらに、安定した雇用のイスの絶対値が減ってしまうと、そうしたイスを得るための努力を端から放棄する風潮(=どうせ努力しても無駄だという諦め)が蔓延し、学生の学習意欲や学力レベルの大幅な低下も免れまい。

努力により獲得できる地位の絶対数が相応に存在すれば、目標に向かって努力する価値を見出せるものだが、その数が極端に減ってしまうと、どんなに頑張っても手に入れることは不可能だと先読みする者が増えてしまい、非正規の職にしか就けないのだから勉強なんてするだけ無駄だと決めつけ、努力すること自体を諦め放棄した方が合理的だという判断に行き着くだろう。

レーナー氏のように雇用者目線やサプライサイドでしかものを考えられぬ幼稚な人間は、自分にとって都合の良い範囲にしか目が行き届かないものだ。

彼のような妄想家は、もっと実社会に出て、世の中の仕組みや市井の人々の行動原理を学び直す必要があるだろう。

2016年6月 1日 (水)

増税再延期に反対するエセ経済人

『消費税増税再延期 自民・小泉進次郎氏「そんなおいしい話に若い人たちはだまされない」
産経新聞 5月31日(火)』( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160531-00000586-san-pol)

「自民党の小泉進次郎農林部会長は31日、党本部で開かれた党政調全体会議に出席し、消費税率の10%への引き上げを来年4月から2年半延期するという安倍晋三首相の方針について「延期するけれども決まっていた(社会保障)充実策はやるというなら、こんなおいしい話はない。そんなおいしい話に若い人たちはだまされない」と発言した。(中略)
一方で、「今回の決断は社会保障の構造的なあり方(の改革)にもう一度アクセルを踏んでいくスタートにしなければいけない」とも強調。再延期の方針を半ば容認しながらも、社会保障制度の見直しを同時に進めていくべきだとの認識を示した。」

ようやく消費税再増税の延期が公表されたと思ったら、それに反対するバカ者が方々で声を上げ始めた。

だが、増税延期に反対する“通気取りの中学生”は、上記記事で紹介された小泉のバカ息子だけではない。
麻生財務大臣や谷垣幹事長、公明党幹部をはじめとする与党内にもゴロゴロいるし、民進党や維新関係の新自由主義者の中にも増税に未練たらたらの連中が多数おり、日本の政治家のレベルが疑われる。

さらに、予想通りではあるが、クオリティーペーパーを自称する日経新聞も、さっそく増税延期に反する記事を連発し、6月1日付の社説(「成長と財政再建の両立を捨てるな」)とコラム大機小機(「消費増税再延期のリスク」)を使って、消費増税再延期という判断に文句をつけている。

日経は、社説やコラムを通じて“日本経済の最大の課題は成長力強化と財政再建の両立”だとしたうえで、

①消費税は社会保障を支える重要な安定財源であり、増税再延期は財源を不安定化させ将来世代へのつけ回しになる

②増税再延期により、巨額の借金を抱える最悪の財政状態に対する懸念が強まり、国債の格付け下落リスクに晒されるとともに、20年度PB黒字化という財政再建目標達成が遠のく

ことなどを懸念し、社会保障費の膨張を抑える歳出改革や潜在成長率を高めるための労働規制改革などが必要だと主張している。

彼らに言わせると、“消費低迷の一因は若者世代を中心とする将来不安にあり、子育て支援等の財源になる消費増税を見送れば、若者世代は期待を裏切られたと感じて消費を更に抑えるだろう”ということだそうだが、消費増税による子育て支援の充実を期待する若者世代など現実にはほとんどおるまい。

だいたい、増税という負担は、若者世代にも間違いなく掛かってくることになるが、子育て支援の具体的な内容は何一つ決まっていないし、そもそも、20歳代後半の未婚率が男性で7割、女性で6割にも達するご時世に、若者世代が子育て支援自体に敏感になることもないだろう。

増税主義者の連中は、社会保障に対する不安を語る際に、“社会保障制度が将来的に立ち行かなくなるという不安”や“消費税などの財源不足による社会保障制度の停滞”という側面からのみアプローチするが、国民が実際に不安なのは、“自身が享受できる社会保障のクオリティーが年々劣化していること”であろう。

国民が気にしているのは、社会保障制度の在り方みたいな大所高所の議論ではなく、あくまで自分に関わりのある範囲での社会保障の質の維持向上の問題でしかない。
つまり、医療にしろ年金にしろ、自分が支払う負担を軽くする一方で、生活するのに十分な水準の年金を受給したいという極めてシンプルな願望しか持っていない。

日経のコラムには、「社会保障制度の充実を目的とした消費増税の先送りは、国民の将来への不安感を増幅し、家計に消費を一段と冷え込ませかねない」と記されているが、モノやサービスを消費するに当たって、市井の人々が社会保障云々を気にすることなんて、実際にはない。

日本銀行が3ヶ月ごとに実施する「生活意識に関するアンケート調査」(第65回・2016年3月)によると、景況判断の根拠については、「自分や家族の収入の状況から」との回答が58.9%と最も多く、今後1年間の支出を考えるにあたって特に重視することは、「収入の増減」との回答が67.8%と最も多かった。

要するに、“自分の収入さえ増えれば、景気が良いと感じるし、積極的にお金も使うようになる”という極めて当たり前の結果が裏付けられただけのことで、社会保障制度の動向を気にして消費を逡巡しつつ、増税による安心感から消費に前向きになれるような“非合理的なエセ経済人”なんて存在しないということが判る。


日経の社説やコラムにある“潜在成長率を引き上げる構造改革を断行せよ”云々のいかがわしさについては、過去のエントリーでも指摘したので今回は割愛する。
ひとつ言えるのは、日経流構造改革、例えば、医療や年金などの社会保障費の削減や人材流動化を目的とする労働規制緩和、国内市場の野放図な開放につながるTPPのような“構造改悪”は、間違いなく家計消費心理の悪化と国内産業基盤の不安定化を招き、税収の悪化や財政再建の足枷を増やすことにしかつながらないと言えるだろう。

日経は、表面上「成長力と財政再建の両立」を主張するが、彼らのいう「成長力」は、我々が想像する「経済成長や国民所得の向上」と相容れるものではない。
彼らの本音は「構造改革や規制緩和と財政再建の両立」であり、だからこそ、“成長力=潜在成長力=構造改革+規制緩和”という具合に話がどんどんズレていくのだ。

いま目指すべきは、「成長力と財政再建の両立」などではない。
財政再建なんて、ディマンドプル型のインフレが恒常化した後にでもゆっくり取り掛かればよい。

財政再建のような余計なお荷物を抱えると、家計と国家財政との区別もつかず借金恐怖症に駆られた無知な政治家や財界の連中に邪魔されるばかりで、財政金融政策の足手まといにしかならない。

実体経済を加熱させて国民所得向上につなげるには、財政再建とか構造改革のような“毒性の強い政策”を避けて、「経済成長と適切な所得分配のための規制強化との両立」を断行すべきだろう。

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

最近のトラックバック

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28