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2016年8月25日 (木)

「量的拡大神話」から抜け切れない愚か者

世の中や社会では、「目的」と「手段」の混同や入れ替わりが起こってしまうことは、さして珍しくはない。
社会の良化を願って政治の世界を志していた者が、いつの間にか、政治家でいることに汲々としたり、画期的なビッグプロジェクトの立ち上げを夢見ていた者がドロドロの社内政治に没頭したりといった事例など枚挙に暇がない。

これを経済の世界に敷衍すれば、さしずめ、“国民生活の向上のための経済成長”という「目的」が蔑ろにされ、“改革とか生産性向上”といった類いのどうでもよい「手段」の方が我が物顔で跋扈している昨今の風潮がピタリと当て嵌まる。

こうした“絶対的改革推進主義者”が好んで引き合いに出すのが「潜在成長率」だ。

彼らは、我が国の潜在成長率が日銀推計で0.2%、内閣府推計で0.4%(2015年度推計)と他の先進国と比較して著しく低いことを盾に、労働市場の縮小や設備投資の停滞による供給制約がある条件下における財政支出は高インフレを招くだけと主張し、財政政策のようなカンフル剤に頼るのは危険で、構造改革による生産性向上しかないと念仏を唱え続けている。

例えば、経産省の「通商白書2016」には「潜在成長率は、現在の経済構造を前提にした一国経済の供給力として捉えられ、いわば中期的に持続可能な経済の成長軌道と言える。したがって、経済成長は、この潜在成長率を高めることに他ならない」と記され、また、2009年9月日銀レビュー“潜在成長率の各種推計法と留意点”には、「長い目でみれば、一国の成長率は供給能力によって規定される」との記述もあり、『経済成長=供給能力=潜在成長率』という発想で物事を捉えているのが解かる。

筆者も、国力を担保するのは一国内に存在する生産・サービス等の供給力であると考えるが、改革主義者のように、“供給力さえ上げれば経済成長が必ず達成される”とは思っていない。
彼らの妄想は、エンジンとタイヤさえ付いていれば車は動くというバカな考えと同じで、燃料や運転手なしに車が前進することはない。

供給力は、他国との競争優位性を保ち経済成長するための基礎的条件であることに異論はないが、決して自律的な存在ではなく、「需要力」なしに、その効果を発揮し得ない他律的な存在だと理解している。

論者の中には、スマートフォンなどの事例を挙げて、革新的な製品が新たな需要を生み出してきたと主張する者もいるが、それはミクロ経済の一部を都合よく切り取った見方に過ぎない。

緊縮的な経済運営によりデフレ化した実体経済下では、スマホが刈り取った分の需要は、なにも新たに発生したものではなく、これまで洋服や旅行などに消費されていた需要が、たまたま、そちらに廻されただけなのだ。

要するに、マクロ全体で俯瞰すれば、洋服や旅行からスマホへの代替消費が起こっただけに過ぎない、ということである。

いくら革新的な製品やサービスが世に出現しても、それらを消費するための通貨が自動的に発行されるわけではないから、政府が経済政策を以って実体経済に通貨を供給してやらぬ限り、パイの奪い合いが発生するだけで終わってしまう。

つまり、供給が需要を生み出すという考え方は、マクロ的視点から見れば不完全な主張に過ぎず、「需要が供給を刺激し成長させることはできるが、需要のパイが一定である以上、供給が需要を拡大させることはできない」というのが正確だろう。


また、何かと潜在成長率を持ち出す連中に限って、少子高齢化に伴う生産年齢人口と内需の縮小を供給制約や需要制約の言い訳にしたがるものだが、彼らは、「日本の産業構造は労働集約型産業を基軸とし、需要サイドは“胃袋経済論(=需要力は人口に正比例する)”が支配している」というバカな発想から抜け切れない。

彼らの主張は、生産能力が乏しく供給されるモノやサービスの付加価値が著しく低い時代にしか通用しない旧式の発想で、どこかの田舎の食堂みたいに、“モノを多く作るには人手が必要だ”、“胃袋の数が減るとモノが売れない”と思い込んでいる。

絶対的改革推進主義者は、生産性とか競争力、付加価値みたいな言葉が好きな割に、発想の根本の部分で「質より量」に固執するから不思議なものだ。

「労働力の制約があるから、働き方改革(=雇用の流動化と移民の促進)が必要だ」、「全要素生産性を向上させるには、構造改革と規制緩和によるイノベーション促進が欠かせない」という妄想は、“とにかく生産量を増やさねば話が前に進まない”という質の向上を無視した量の確保論が前提になっている。

しかし、生産性向上(=潜在成長率UP)のためには、生産数量の拡大にあくせくする(量の拡大)よりも、分子となる付加価値UPを実現する方(質の向上)が遥かに劇的な効果をもたらすものだ。
利益率の低い饅頭を1個50円でバルク売りするよりも、利益率の高いフルーツタルトを1カット500円で売り行列を作らせる方が、付加価値がアップし、人数を掛けずに生産性を高めることもできる。

大量に製造して大量に売り捌く時代はとうの昔に終わり、いまや収益率の高い製品やサービスを適正価格で提供する時代にシフトしたのだから、“労働人口が少ないからモノを造れない”とか“少子高齢化の世の中だからモノが売れない”といった見苦しい言い訳は通用しない。

量ではなく質を以って国全体で創造する付加価値を創り上げていく時代になったのだから、高度な供給能力を既に有している我が国においては、質の高い製品やサービスを購入できるだけの通貨を実体経済に供給してやればよいだけだ。

つまり、供給体制は十二分に整っているのだから、それをフル稼働させるための需要力さえつけてやればよい、性能の良い自動車は用意されているから後はそれを走らせるためのガソリンを入れてやればよい、というだけの話であり、人が足りないとか、胃袋が減ったなんていう次元の低い悩みに拘泥するのは止めてもらいたい。

先に紹介した通商白書では、「急速な少子・高齢化が見込まれる我が国が、今後持続的な成長軌道を維持するためには、全要素生産性の向上、すなわち不断のイノベーションによって経済全体の効率性を向上させることが不可欠である」と断じているが、それはまったくの誤りで、「我が国が持続的な成長軌道を維持するのに必要なのは、国富の源泉たる供給力を維持向上させるために不可欠な燃料となる需要力、すなわち不断のGovernment spending(財政支出)である」というのが正解だろう。

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