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2016年8月 6日 (土)

差別利権に群がるウジ虫こそが、差別を生む温床

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された卑劣な事件は、かの“津山30人殺し”に次ぐ単独犯による大量殺人事件として、発生当初こそ大きく報じられていたが、被害者全員が知的障碍者という特殊な事情から被害者家族からの要望もあって匿名報道がなされたこと、また、東京都知事選挙やオリンピック開幕という外部要因も重なり、次第に誌面の取扱いが小さくなってしまった印象がある。

事件発生当初は、「障害者なんていなくなればいい」、「障害者が安楽死できる世界を望む」などといった犯人の発言が何の修正もなく報じられていたが、ここ数日のマスコミの報道姿勢は、障碍者に対する差別意識を糾弾し、ヘイトクライムへの批判を強調する論調に変化している。

今回、被害者全員を匿名報道するという、大量殺人事件としては異例の措置が取られており、
神奈川県警も、死亡した19人の実名を非公表とした理由を「知的障害者の支援施設でプライバシー保護の必要性が極めて高く、遺族から特段の配慮をしてほしいと強い要望があったため」と説明している。

筆者も、こうした犯罪被害者の匿名報道(顔写真の非公開も含めて)を支持する立場であり、今後も同様の対応をすべきだと考えている。


だが、マスコミやジャーナリストのように、犯罪報道をビジネス化し、そこに寄生する薄汚い連中の理屈はそうとは限らない。

『“マスコミ憎し”で障がい者匿名報道を喜んでいいのか?』
(8月2日 網尾歩(ライター) WEDGE Infinity)

コラムの執筆者である網尾氏は、今回の匿名報道措置を受けて、朝日新聞の記者がツイッター上で「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」とつぶやいたことを採り上げて、 “今回の匿名報道を行われたことについて、安易に「今後も匿名報道を行ってほしいですね」とドヤ顔をしているユーザーの気が知れない。障がい者差別を許している社会の構成員として、その一端に私たちはいる。未だに障がい者をタブーとして扱う存在にしてしまっているのは、ほかならぬ私たち一人ひとりだ。マスコミ憎しの匿名報道賛美ではなく、まずそのことを重く受け止めるべきではないのか”と主張している。

要するに、「遺族からの要望があったとはいえ、安易に被害者の匿名報道を認めることは、却って障碍者差別を容認し助長することにつながる」、「ネットユーザーみたいに何でもマスコミの逆張りばかりしているくだらぬ連中の揚げ足取りに屈するな!!」と言いたいのだろう。

コラムで紹介された朝日新聞の人権派気取りの記者や「一般的に公表される被害者の氏名が、この事件に関して公表されないことは大きな疑問を持たざるを得ない」と訴えて、偏見の払拭を求める申入書を県に提出するというまことに余計なパフォーマンスをした神奈川県内の障碍者支援団体の連中は、“差別の撤廃”という大きな命題に立ち向かおうとする自分に酔っているだけで、事件により計り知れない被害や精神的ダメージを被っている遺族や被害者家族の心情を慮ろうとする気持ちはさらさらないようだ。

「被害者の人生を紹介することで事件の重みを伝え、風化を防いで防犯意識を高める。「忘れない」「記憶に刻む」ことが追悼だ」なんていう屁理屈は、犯罪報道を飯のタネにし、被害者の存在を単なるコンテンツ程度にしか考えていない人非人にしか通じない。

たとえ彼らが美文を以って被害者の人生を紹介したところで、次々と沸き起こる重大な事件や凶悪犯罪の波が、読者の同情心を簡単に浚っていく。

一般の人々は、被害者に同情を寄せることはあろうが、所詮は他人の身の上に起った不幸に過ぎないから、事件の鮮度が失われると同時に、一時的な感傷の気分は次の事件によって上書きされてしまう。

マスコミの連中が事件の風化を防ごうなんてきれいごとを騙ったところで、事件報道や犯罪報道など、所詮は鮮度が命の消費物に過ぎず、個々の被害者の実名報道が永遠に事件の風化防止や防犯意識の向上に役立つなんてことはありえない。
逆に言うと、事件を風化させないということは、被害者遺族が、何時までも世間の好奇の目に晒され続けるということにつながりかねないし、防犯意識云々と報道の成果との具体的な相関関係は確認できない。
犯罪被害に巻き込まれた被害者やそのご遺族にとっては大変痛ましいことだが、それが動かしがたい現実なのだ。

だからこそ、そんな一過性の消費物に大きな期待を寄せて、大きな精神的ダメージを負った被害者遺族を苦しめてまで、被害者写真の公開や実名報道にこだわる必要なんてまったくないし、絶対にすべきではないと思う。

実名報道の是非を決めるのは、最大の被害者である遺族や家族の判断に委ねるべきで、犯罪報道をビジネスとしか考えていない卑しい連中が外野から意見を口にすべきではない。
どうせ、彼らの汚い口から出たきれいごとなんて、自分の商売を際立たせるための都合のよい方便に過ぎないのだから。


また、網尾氏は、匿名報道が障碍者をタブーとして扱う風潮の容認につながると憤っているが、事の善悪は別として、障碍者をタブー視するか否かは、極めて主観的な個人の思想信条に係る問題であり、あたかも特定の人間に思想矯正を強いるかのような危険な表現は厳に慎むべきである。

日ごろから表現の自由や思想信条の自由を声高に標榜する連中に限って、一部の利権に群がる連中を庇い立てし、すぐに差別だのヘイトクライムだのと叫んで特定の思想や表現を弾圧しようとするが、そんなご都合主義が罷り通るわけがなかろう。

彼らのように、口では差別撤廃を叫びつつ、商売道具である差別がなくなることを恐れる「差別利権に群がるウジ虫ども」には、本気で差別をなくすつもりがあるのかと問うておきたい。

知的障碍者とはいえ、外部からの批判やタブー視を一切禁じるのが絶対の正義であり、その禁を破る者はいかがわしい差別主義者であるかのような我儘な主張をすること自体が間違っている。

一般の健常者(=そこいらにいる国民全般)なら、たとえ理不尽なものであっても、外部から非難されたり誤解を受けるようなことはザラにあるが、いちいち、それに対して差別だなんだと食って掛かることはできない。

差別という行為自体は忌むべきものであるが、健常者では受けることが叶わぬ特別な保護体制や外部からの批判に対する過剰な敵対反応が、一部の健常者と障碍者との間に拭い難い溝を生み、知的障碍者に対する保護が行き過ぎた「特権」だと揶揄される原因になっている。

だからこそ、知的障碍者という事実だけを以って、彼らの周囲を、外部からの非難を一切遮断する完璧なシールドで覆わねばならぬ、という理屈から卒業すべきなのだ。
知的障碍者と雖も、健常者と同じ土俵に立って、誰もが晒され得る差別や批判というリスクに正面から向き合うべきで、そうした経験や努力を経てこそ、差別云々という概念から脱することができるのではないか。

コラムには、「障がい者団体は「実名報道しろ」と言っているのではない。こうやって特例扱いされることに、世の中の偏見が凝縮されて表れている、それを考えろと言っているのではないだろうか」とも書かれているが、障害を抱えている方やそれを支援する団体も、一般国民から偏見の目で見られぬよう自らの行動をきちんと処すべきだし、それが物理的にかなわぬというのなら、身の回りの世話を委ねる介護職員の大幅な待遇改善を訴えるようなアクションを起こすべきだ。

本当の意味で差別されているのは、入所者から暴言や暴力を浴びせられながら激務に耐え、薄給に甘んじている現場の介護職員の方ではないか。

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