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2016年8月15日 (月)

リスクの質の違いを誤魔化す緊縮主義者

最近、構造改革主義者や緊縮財政主義者の連中から、大規模な財政政策やヘリコプターマネーに対する警戒論が沸き起こっている。

筆者の眼から見ると、安倍政権ご自慢の“自称28兆円(真水7兆円)の経済対策”なんて、4倍希釈タイプの水増しでしかなく、安倍首相や与党が積極的な財政支出支持に方針転換したとは露ほども感じていないが、緊縮教の教徒たちはアリの一穴を恐れてか、早期の火消しに必死のようだ。

早速、8月14日の日経朝刊一面に「日本国債「敗戦後、失われた預金」」なる特集記事が掲載され、安倍政権による財政と金融の一体化政策がとんでもないインフレを招きかねない、というデマを垂れ流している。

記事では、太平洋戦争後の高インフレ(1945年のインフレ率は568.1%とハイパーインフレの定義には遠く及ばないが…)を例に挙げて、戦時国債はほとんど国内で消化され、債権者の多くは日本国民であったにも拘わらず紙切れ同然になったと批判し、現在1,000兆円に達する我が国の国債発行残高の対GDP比率が、戦時下の204%を上回る249%に達していることに対して強い警告を発している。

しかし、米軍による非人道的な無差別爆撃や原爆投下により、国内の生産設備が壊滅的なレベルにまで破壊された戦時下と、世界トップレベルの高度な生産能力やロジスティクス網を有する現代とを横並びで比較すること自体が間違っており、議論の前提条件がまったく整っていない。

先の大戦で我が国が被った損害は、戦死者約300万人に加えて、建物の約25%、生産機械の35%、船舶の80%を喪失するに及んだと言われている。
つまり、1945年に記録した568.1%というインフレ率は、米軍の攻撃により、働き手と生産設備、運送設備という重要な生産要素を壊滅的に破壊されつくしたうえでの超特殊事情がもたらした一時的なものであり、その後のインフレ率は1947年に125%、1950年には15%と僅か数年で収束している。

闇市で物資を調達せざるを得なかった “物のない時代”と、過剰な供給力のやり場に悩む“物余りの時代”とを一緒くたに比べること自体が非常に悪質なミスリードだ。
両者を同じ土俵で論じるのは、あたかも、手漕ぎボートによるドレーク海峡横断のリスクと豪華客船による地中海クルーズのリスクとを同一に論じるくらいトンデモナイ行為だと言えるだろう。

また、日経の記事では、江戸時代、とりわけ元禄時代の5代将軍綱吉の放漫財政や勘定奉行 荻原重秀による日本初の貨幣改鋳を採り上げて、通貨の劣化や過度なインフレを招いたと批判している。

だが、村井淳志氏著『勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚』には、“マイナスイメージで伝えられる元禄の貨幣改鋳だが、物価上昇は年率三%弱にすぎず、それも冷害の影響が大きい”と記されており、貨幣改鋳が過度なインフレを招いたという後世の歴史家による根拠薄弱なレッテル貼りを明確に否定している。

綱吉時代の“放漫財政”の支出用途は、日光参拝や寺社建立のための費用、度重なる天災からの復興費用だったそうだが、こうした大規模な財政政策が需要の原資として実体経済に投じられ、当時の商工業者や庶民にもたらした恩恵は計り知れない。

綱吉治世下の元禄時代は、江戸時代初の文化興隆の世として知られており、そこで花開いた元禄文化は、次のように解説されている。

『元禄文化は、しばしば「憂き世から浮世へ」と称せられるように、現世を「浮世」として肯定し、現実的・合理的な精神がその特徴とされる。もとより貴族的な雅を追求する芸術の成果も一方には存在したが、「民勢さし潮のごとく」と評された民衆の情緒を作品化したものが多く、世間(社会)の現実をみすえた文芸作品もうみ出された。
とりわけ、小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門は日本文学史上に燦然と輝く存在である。また、実証的な古典研究や実用的な諸学問が発達し、芸術分野では、日本的な装飾画の様式を完成させたとされる尾形光琳や浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれ、従来よりも華麗で洗練さを増した美術工芸品もまた数多くつくられた。音楽では生田流箏曲や新浄瑠璃、長唄などの新展開がみられた。さらに、音曲と組み合わせて視聴覚に同時に訴えかける人形浄瑠璃や歌舞伎狂言も、この時代に姿がととのえられた。
元禄時代は、めざましい創造の時代だったのである。(Wikipediaより)』

歴史上誰よりも早く貨幣国定説を唱えて、果敢に実行した貨幣改鋳という偉業がもたらしたのは、インフレによる混乱ではなく、後世や諸外国に対して長きに亘って誇ることのできる偉大な文化の発露と隆盛であった。

しかも、元禄文化は貴族や武家階級から伝播したものではなく、民衆の生活に根差したボトムアップ型の文化が横展開されたものであったことが判る。
小説や俳諧、浄瑠璃、絵画などを庶民が楽しめる素地があったということは、庶民層にそうした嗜好品を購入するだけの購買力が備わっていたということの証であり、それをもたらしたのが、貨幣改鋳に端を発する積極的な財政政策であったことに疑いない。

日経の記事は、元禄の改鋳が通貨の劣化と過度なインフレを招来したと決めつけて、安倍政権は同じ過ちを繰り返すつもりかと脅しつけているが、“緊縮&改革主義者”揃いの現政権首脳部を前にして、まったくの杞憂というほかない。

そんな有りもしないことにいちいち目くじらを立てるよりも、バブル崩壊以降、何の成果も得られぬまま強行してきた緊縮財政や構造改革という“最悪の過ち”をいつまで繰り返すつもりなのか、と逆に問うておきたい。

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