無料ブログはココログ

リンク集

« 3Kから、4Kへ | トップページ | 課税原理主義者の妄想 »

2016年9月29日 (木)

縮小史観に染まった売国奴

日本人の労働生産性の低下が叫ばれて久しい。

日本生産性本部の資料によると、2014年の日本の労働生産性(就業者1人当たり名目付加価値)は72,994ドルで、OECD加盟34カ国中第21位に止まり、主要先進7カ国中最低という屈辱的な位置に甘んじている。

とりわけ、サービス産業やホワイトカラー層の生産性の低さばかりが問題視され、「中高年齢層を中心とする日本人の給与水準が高過ぎる」、「グローバル競争に勝ち抜く体力をつけるためには、世界水準の賃金水準に合わせるべき」といった具合に話が逸れた挙句に、「少子高齢化社会に突入した日本では、高度成長は望むべくもない」、「この先は、低成長時代を受け容れ、身の丈に合った社会を構築するべき」といった諦観思考が蔓延してしまう。

成長する努力を放棄し、将来世代に豊かで実りある社会を引き継ごうとする意志を捨てた“逃げ得市民”は、自らの屈折した心情を糊塗するために、成長悲観論や絶望論に加担しがちになる。

彼らは、成長悲観論を補強するのに、“過去の日本の高度成長期実現3要件”を持ち出したりするが、その内容はお粗末なものだ。

悲観論者お得意の3要件とは、次の3つを指す。
①冷戦構造によるアメリカの庇護
②欧米先進国というキャッチアップモデルの存在
③人口ボーナス

まず、①の冷戦構造下のアメリカによる経済的なバックアップ、つまり、当時の日本が、繊維、鉄鋼、自動車、半導体のアメリカ輸出を原動力に高度成長を果たした、という主張はあまりにも大げさだ。

高度成長期は、一般的に1955年~1973年と言われるが、その間のGDPに占める輸出の割合は、おおむね10~12%前後で推移しており、1980年代や2005年辺りに15%に達したのに比べて寧ろ低く、経常収支や貿易収支の黒字額も80~90年代に比べて、かなり見劣りしている。

つまり、旺盛な外需や輸出振興が高度成長をもたらしたというのは拝米意識が産んだ幻想に過ぎず、我が国は高度成長期から一貫して内需中心に経済発展を成し遂げた国である。

冷戦を持ち出すのなら、ベルリンの壁崩壊以降、世界中に蔓延した「資本移動や貿易規制の野放図な自由化」こそ、内需縮小に拍車を掛けた悪しき慣習だと指摘すべきだろう。

続いて、②の「欧米に追いつき追い越せ式のキャッチアップモデル」だが、これも単なる思い込みに過ぎない。

当時の日本は、欧米諸国が得意とした電気・電子産業や自動車産業を後追いして、その技術力を吸収できたから、国内の製造業が世界に伍せるだけの生産力を身につけることができた、という主張が本当なら、既に100年近くに亘り世界のトップを走り続けるアメリカや欧州先進諸国の経済発展を説明できない。

1985年から2015年の30年間に、アメリカは名目GDPを4.1倍にまで成長させ、ドイツ(3倍)、イギリス(4.8倍)、フランス(2.8倍)なども着実な成長を遂げているのに、我が国だけが1.5倍という低成長に止まっており、その差異は、各国の財政支出額の伸びでほとんど説明できる。

つまり、キャッチアップする相手が居ようが、居まいが、適切な経済政策さえ採っていれば、内需が活性化され、当たり前に経済発展できるのに、妙な緊縮思考に囚われた日本だけが、“悪意のある選択ミス”をし続けてきた、というだけのことに過ぎない。

最後に、③の人口増加論(=高度成長には人口ボーナスが欠かせない)だが、これも胃袋経済論者特有の幻覚だろう。

「高度経済成長期=人口爆発期」だと勘違いしている者も結構いるが、統計の残る大正9年以降、終戦後数年間の特殊な時期を除くと80年代の手前まで、我が国の人口増加率の平均値は1.25%/年であるのに対して、1955~1973年の人口増加率は平均して1.12%/年に過ぎない。
むしろ、第二次大戦前の方が人口増加率も高かったし、高度成長期が特別な人口増加時期と重なっているわけではない。

高度経済成長期のGDP成長率は、平均で名目値16.6%、実質値9.2%ほどになるが、上記のとおり、人口増加率はせいぜい1%程度であり、両者の相関関係を語るには、かなり無理がある。

人口増加は、確かに、経済成長を支える大きなファクターであることに疑いないが、人口が増えないからといって経済成長ができないわけではない。
何しろ、経済成長は付加価値額の総額の伸びでもあるのだから、人口が多少減っても、実体経済で消費されるモノやサービスの総額が増えていれば、何の問題もない。

現に、ロシア、ドイツ、リトアニア、ラトビア、ポーランド等々、日本以上の人口減少に直面しながらも着実に経済成長を遂げてきた国々もあり、人口論と経済成長論とを絶対不可分な関係に置くこと自体がナンセンスだと言える。

外的環境の変化を言い訳にして、悲観論を振り撒き、経済成長と適切な分配から逃げ回ろうとするバカ者は後を絶たないが、要はやる気の問題なのだ。

経済成長は難しい(=成長させたくない)と簡単に匙を投げたがる連中は、何を言っても、成長を否定する材料ばかりを探し回るだけで、他国を蹴り落してでも国民生活を向上させようとする気概など一グラムも持っていない。

彼らは、“冷戦は終わった、グローバル化は不可避の潮流だ、建設的な移民の受け容れ論議をすべき”などと絶叫するが、その本質は、日本を、先進国にタカるだけの途上国との低賃金競争に巻き込み、縮小社会に誘おうとする売国奴に過ぎない。

« 3Kから、4Kへ | トップページ | 課税原理主義者の妄想 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1436015/67719567

この記事へのトラックバック一覧です: 縮小史観に染まった売国奴:

« 3Kから、4Kへ | トップページ | 課税原理主義者の妄想 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31