無料ブログはココログ

リンク集

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月28日 (金)

結論は、いつも「コストカット」

日本経済新聞社と日本経済研究センターが10月24日に都内で開催した景気討論会の概要が、25日の日経新聞に掲載されていた。

出席者は、林田英治氏(JFEホールディングス社長)、門間一夫氏(みずは総合研究所エグゼクティブエコノミスト)、山田久氏(日本総合研究所チーフエコノミスト)、岩田一政氏(日本経済研究センター理事長)の4名で、個人消費低迷や働き方改革、生産性向上などを中心に議論が交わされた。(というより、持論が披露された、という方が適切か…)

緊縮主義&構造改革主義色の強い出席者の顔ぶれを見た瞬間に、その内容もおおよそ見当がつこうというものだが、次のとおり、評価できる発言もいくつか見受けられた。

『賃金が先か、生産性が先か。あえて言うが賃金が先だ。』(山田氏)

『クリントン氏とトランプ氏がここまで接戦になったことが大きな出来事だ。市場経済重視の負の側面が明らかになってきた。グローバル化や技術革新の恩恵が均等に行き渡っていない。格差拡大と中間層の不満が、米欧の政治の混迷を生み出している。』(門間氏)

『保育士の月給を最大5割増やし、30万円くらいに引き上げる。それくらいインパクトがあれば担い手が増える。』、『子育て支援への財政支出をもっと増やすべきだ。』(門間氏)

日経主催の討論会と言えば、“緊縮・改革・規制緩和”の3点セット連呼とグローバル化礼賛と相場が決まっており、そこに呼ばれる弁士たちも、その大原則を喜々として踏襲するものだが、そんな彼らが、嫌々ながら、労働者(消費者)への分配率引き上げや雇用の質の改善、野放図な市場主義経済の是正に触れねばならぬほど、事態は逼迫しているのかもしれない。

8月の家計調査では、2人以上世帯の消費支出が1世帯あたり27万6338円と、前年同月比で実質4.6%減少(6カ月連続減少)し、勤労者世帯の1世帯あたり消費支出も30万1442円と、同4.5%減少(4カ月連続減少)となり、家計の財布は早くも“厳冬期”を迎えている。
恐らく、9月の実績も対前年同月比マイナスを避けられまい。

こうした家計の慎重な行動は、消費の現場にも既に波及している。
日本チェーンストア協会が発表した9月の全国売上高(既存店ベース)は、スーパーで1兆87億円と前年同月比3.2%減の2カ月連続マイナス、コンビニエンスストアで8010億円と同0.01%減の4カ月ぶりのマイナス、百貨店で4233億円と同5%減の7カ月連続マイナスと、酷い有り様だ。

特に、食料品1.3%減、衣料品11.3%減、住関連4.1%減と、消費の3本柱である「衣・食・住」が揃ってダウンするなど事態は深刻だ。

結果を受けて、同協会では、(台風や猛暑を言い訳にしつつ…)「実質賃金は上昇していても、消費者心理の改善にはつながっていない」とコメントしている。

小売店の売上減少の真因は、天候や気温といった外的要因ではなく、消費者の所得低迷による消費意欲の減退や抑制という内的要因にある、というのが極めてまともな考え方だろう。

端的に言うなら、家計の賃金水準が名目・実質ともに低すぎることが、消費低迷の真犯人であり、デフレ脱却を邪魔する負の引力とでも言うべきか。

不景気やデフレの真因は需要不足であり、その根源は家計所得の低迷にある、という原理を理解していれば、解決策を導き出すのは容易なはずだ。

しかし、これが、緊縮&構造改革主義者の手に掛かると、『1+1がマイナス2』になってしまうから話がややこしくなる。

冒頭の討論会でも、事実誤認も甚だしい分析や事態を悪化させるだけの提言が相次ぎ、イライラが増すばかりだ。

『日本経済の実力を示す潜在成長率はゼロ%台で低迷しており、実力との対比では絶好調といえるのではないか。 (中略) 財政政策や金融政策の効果は限界があり、構造改革で成長の天井を押し上げるしかない。』(門間氏)

『賃上げは労働生産性の向上を上回ることはできない。これは大原則だ。』(林田氏)

『正社員のあり方が問題だ。日本は大手中心に長期雇用で守られている代わりに、賃金が上がらない。日本的な雇用慣行は否定しないが、生産性の向上と賃上げの好循環が実現できる労働市場改革が重要だ。』(山田氏)

『政府は移民政策についても議論すべきだ。何年くらいまでに何万人、どういう条件なら受け入れるか工程表を示す必要がある。』(岩田氏)

日本のように優れた供給能力を有する国では、潜在成長率の多寡は需要量によって十分にコントロールできるはずで、、門間氏のように、いまの日本の実力を端からゼロ%台と決めつけること自体、成長放棄論とも言える可笑しな考え方だろう。

また、成長の天井を押し上げる得るのは積極的な財政金融政策であり、構造改革なんて、内需減退や雇用破壊を誘発する有害な毒薬でしかない。
供給力の劣る発展途上国型経済なら、構造改革とやらが成長に寄与するかもしれないが、日本のように供給過剰型先進国経済には完全に当て嵌まらない。

林田氏のように、財政・金融政策に消極的な姿勢を示しながら、労働生産性向上を語るのは間尺に合わない。
賃金上昇は労働生産性向上の範囲内と主張しながら、生産性UPのために雇用の流動化や移民導入を進めて労働コストのカットに勤しむのは、明らかに論理が矛盾している。

生産性UPには付加価値の源泉たる売上UPが欠かせず、林田氏が経営するJFEスチールをはじめ民間経済主体が消費や投資に消極的である以上、公的セクターが実体経済に資金を投入するほかないのだが、財政支出を嫌う連中は、あくまで民間経済内で生産性改善を行うことに固執し、結果として賃金カットに全てシワ寄せされることになる。

また、山田氏の雇用流動化を柱とする労働市場改革論や岩田氏の移民容認論も、国内の雇用の不安定化や賃金低下にしかつながらず、家計の所得減少や雇用に関する不安感を助長し、消費者心理を一層冷え込ませ硬化させるだけに終わるだろう。

緊縮&構造改革主義者特有の“シバキ上げ思想”の根本が変わることはない。

彼らが賃上げや市場主義経済の弊害に(ちょっぴり)言及するのは、生活が苦しいと騒ぎ立てるウザったいハエを追い払うための一時的な方便でしかない。
緊縮&構造改革主義者どもの提言が、全て国内の労働コストカットに端を発しているのが何よりの証拠であり、殺虫剤や外来種のクモを受け容れて五月蠅いハエどもを駆逐したい、というのが本音なのだ。

2016年10月26日 (水)

コンビニドーナツの居場所は?

今回は、いつものマクロ経済の話(やリフレ派の悪口)ではなく、コンビニドーナツの動向について触れてみる。

『コーヒーと一緒に…は誤算だった!? コンビニドーナツが売れていないって本当?』
(10月26日 ZUUonline 提供「お金のキャンパス」)
「コンビニで気軽にコーヒーやスイーツが味わえるコンビニカフェ。セブンイレブンでは「セブンカフェ」、ローソンは「MACHI cafe(マチカフェ)」、ファミリーマートは「ファミマカフェ」を展開しています。好調なコンビニコーヒーとの合わせ買いを狙って、各社コンビニドーナツを投入しましたが、苦戦が伝えられています。(後略)」

コンビニドーナツは、100円コーヒーに続くコンビニのカウンター商品の旗手として、大きな役割を期待されていたが、苦戦を余儀なくされている。
業界トップのセブンイレブンでさえ、年間売上目標の600億円(店舗当たり日販90個)に遠く及ばない400億円(日販60個レベル)程度に止まっているようだ。

セブン一社で400億円も売れば大したものだと思うが、先発のコンビニコーヒーの売上規模が2,000億円を突破し、ここ3年ほどで75%近くも拡大しているのに比べると、かなり期待外れの数字なのだろう。

確かに、発売当初のコンビニドーナツは注文するのが面倒だった。
レジ横什器に入ったドーナツを買うには、スチーマーに入っている中華まんやアメリカンドッグなどと同じように、従業員に商品名を伝える必要があるが、商品名が長く馴染みが薄いせいか、パッと注文しづらい雰囲気が拭いきれなかった。(しかも、日に日にドーナツが小さくなっているような気もする…)

コンビニ側でも、注文カードを取り入れたり、個包装にして客が直接手に取れるようにしたりと工夫を凝らしているが、消費促進にはつながっていないようで、後手に回った感がある。

コンビニドーナツ苦戦の謎については、すでに数多くの記事が世に出ており、ドーナツ市場を牽引してきたミスター・ドーナツの売上が、ここ7年で3割近くも縮小していることを理由に、“そもそも、ドーナツ市場自体が小さ過ぎた”という結論が共有されている。

だが、同じカウンター商品でも、おでんや中華まん、アメリカンドッグ、唐揚げなどが批判の槍玉に上がることはない。

コンビニドーナツの売上規模は、すでにコンビニおでんを凌駕したと言われており、中華まんやアメリカンドッグ辺りの市場規模は、それよりもさらに小さいだろう。
また、注文の面倒くささなら、おでんの方が遥かに上なのだが、なぜか、ドーナツの不振さばかりが目についてしまう。

ドーナツのマーケットサイズがコンビニ業界の期待にそぐわなかったと結論付けるのは、一見解かりやすいが、他のホットアイテムの動向と比べると、十分な説明だとは言い切れない。

では、コンビニのカウンター商品としてこれまでヒットした商品、定番化した商品の共通項は何か?
それは、ホット商品にしろ、コールド商品にしろ、いずれも温度管理を要する商品ばかりだということだ。

逆に、いくら魅力的な商品でも、ドーナツや大福、チロルチョコのように常温管理(に近い)商品は、カウンター商品として不向きなのではないか。
コンビニカウンターの横には、ホット商品の独壇場とも言え、客の側も「カウンター=ホット商品」という観念が刷り込まれているから常温商品には手を伸ばしにくくなっているのかもしれない。

もうひとつ言えば、コンビニドーナツの所期の役割はコーヒーとのセット買い、つまり、コンビニコーヒーを注文する際のついで買いを狙ったものだが、そもそも、コーヒー自体が他商品のついで買いアイテムなのだから、ドーナツの立ち位置は“ついで買い商品のついで買い商品”というややこしいカテゴリーに嵌りこんでしまったことになる。

せっかく個包装までしたのなら、シンプルに考えて、パンコーナーの横にでも特設コーナーを設けて置けば、もっと売れるのではないか。

2016年10月25日 (火)

「非常識」を常識だと言い張るバカ

出張先で読んだ北海道新聞に「壁を越えろ 企業進出の現実 ①通用しない「常識」」なる特集記事があった。
記事では、東南アジアに進出した北海道内の飲食企業が現地で直面した“雇用上のハプニング”が紹介されている。

・「内装業者は“必ず”工期を守らない」(タイのIT会社)
・「有給休暇や病欠の取得が頻繁で、当日朝に申告される」(ベトナムの日本料理店)
・「早朝に現地スタッフから、『今日から新しい職場へ行くので、もう働けません』というメールが届き愕然とした』(シンガポールの和食・惣菜店)
・「遅刻したスタッフに理由を聞くと、『眠たかったから仕方ない』と開き直られた」、「お客さんがいるのに、従業員が疲れたと言って店内の床に座り込む」(シンガポールの和食店)
・「現地従業員に皿洗いを命じると、契約書に書いてないからと断られたので、仕方なく日本人責任者が皿洗いをせざるを得なかった」(シンガポールの豚丼店)
・「秘書にコピーを頼んだら断られた」(大手企業)
等々、自己主張の強い現地スタッフに翻弄される日本企業の苦労話が綴られている。

だが、東南アジアだけでなく、中国や欧米でも、こうした海外特有の契約社会(というよりも、“日本特有の非契約社会”という方が適切かも…)や労働者意識の違いは、早くから指摘されており、十数年以上も前から失敗事例も数多く報告されている。

にもかかわらず、いまさら、現地スタッフの意識と日本のいい加減な労働慣行との齟齬に頭を抱えていること自体、驚くべき認識不足であり、単なる準備不足だと詰られても仕方ない。
彼らは、多額の費用を掛けて海外進出を検討する際に、なぜ基本的な情報収集を怠ったのだろうか?

海外進出という経営者としての勲章に目が眩み、あるいは、TPP推進論者の連中が吐く「力強い成長が期待されるアジア市場」とやらに釣られてつまらぬ欲をかいたツケとして、粛々と受け容れるほかあるまい。

記事では、奔放かつ合理的な東南アジア人への対応策として、
・南国気質の東南アジア人は、のんびりしていて本当に自由だ。会社に縛られ過ぎている日本人の方が考え直すべき
・有給や医療休暇など労働者の権利を守るのは契約社会の東南アジアでは当然のこと。日系企業の都合を押し付けずに、現地人との信頼関係を築くべき
と提言している。

これが日本なら、業界トップの広告会社が、東大出の新人に月100時間以上(実態はこの倍以上だろう)も残業させたり、みっともないパワハラを加えたりした上に、自殺するまで扱き使っても平気な顔でいるくせに、外国人相手には随分甘い対応で済ませるものだと呆れ果てるよりほかない。

記事で紹介された企業の責任者たちは、現地スタッフの“おイタ”には困惑や苦笑いで済まそうとしている。
しかし、恐らく、日本人スタッフが同じように、「今日は眠いので有給取ります」とメールで連絡し、「企画書作成業務は分掌外なのでお断りします」なんて拒否ったなら、たちまち大声で怒声を浴びせて罵倒し、どこかの居酒屋チェーンの会長みたいに従業員を人間のクズ呼ばわりしかねない。

同朋たる日本人には冷酷な暴君になり得るのに、なぜか、塩対応の外国人には、やんちゃな愛猫が仕出かしたイタズラの後始末を自ら買って出る始末だから情けない。

国の内外でこのような差別的とも言える労働慣習が罷り通っていることに強い憤りを覚える。
“東南アジアは契約社会だから“というレベルの低い言い訳は通用しない。
日本国内にもれっきとした労働法規や雇用契約が存在しており、労働慣行の曖昧さにかまけて、サービス残業やパワハラ行為、業務分掌外の業務の押し付け行為などの契約違反が罷り通ると思っているのなら大間違いだ。

東南アジアであれ、日本国内であれ、労働法規は順守されるべきものであり、“サービス残業がないと会社は成り立たないよ”なんて不届きな言い訳をするつもりなら、今すぐ経営者を辞任すべきだ。
基本的な遵法意識すら持てぬような企業には、そもそも事業を営む資格などない。
労働法規を守る気もないバカ者は、従業員など雇わずに、自分一人で行商でもしておればよい。

「有給や医療休暇など労働者の権利を守るのは契約社会の東南アジアでは当然のこと。日系企業の都合を押し付けずに、現地人との信頼関係を築くべき」なんてセリフは、先ず、日本人労働者にこそ用いるべきだし、「会社に縛られ過ぎている日本人の方が考え直すべき」なんて他人事のように悟っている場合ではない。
“遵法や人権よりもノルマ達成が優先”という悪しき慣習に縛られている自分の石頭こそアップデートすべきだろう。

2016年10月20日 (木)

リフレ派というBad Loser

日銀の異次元金融緩和政策は、安倍政権の強力な庇護の下で、数百兆円規模のブタ積みが物価や景気・雇用動向に影響を与え得るか、という社会実験が粛々と進められてきた。

その金融緩和一辺倒な姿勢に対して、積極的な財政金融政策を支持する論者、とりわけ、機能的財政論を唱える論者から強い批判に晒されてきたが、コンマ以下の存在に過ぎぬ少数民族の抗議活動は端から無視され、「2年間で物価上昇率2%の目標達成」というコミットメントの未達も放置され続けてきた。

しかし、日銀がマイナス金利という奇手に手を染めて以降、風向きが明らかに変化した。

“マイナス金利”という見た目のインパクトの割りに、実体経済の投融資は伸びを欠き、預金の伸びに貸出の伸びがまったく追いつけず、低金利競争から「超低金利競争」へとステージが悪化したことに金融機関は強く反発している。

筆者も、知り合いの地銀関係者や信用保証協会に聞いたところ、法人融資、中でも、増加運転資金や設備投資の類いは非常にネガティブな状態で、アパートローンや住宅ローンの刈り取りで何とか融資残高を維持しているのが実情のようだ。

地銀職員によると、従業員10名ほどの小規模事業者(板金業者)でも、一般融資の金利が0.3%にまで下がっているとのこと。
まさかと思い、そんな水準で銀行の収益が上がるのか?と尋ねたが、ここのところの預金の急激な伸びもあり、日銀当座預金の政策金利残高(=マイナス金利が適用される階層)の増加に歯止めが掛からないそうだ。

ここ半年くらいの預貸の推移は、国内金融機関の貸出の対前年伸び率が2%台なのに対して、預金は5~6%台をキープしており乖離幅は広がる一方なのだ。
ちょっと油断すると、すぐに当座預金残高の水位が上がり、政策金利階層に達してしまうため、たとえ0.3%でもマイナス金利よりはマシと判断せざるを得ないらしい。

掻いても掻いても湧いてくる漏水(=預金)を懸命に汲み出そうとする哀れな金融機関担当者の姿が目に浮かぶ。

このところの黒田日銀は、金融業界ばかりか、異次元緩和が財政規律の緩みにつながることを嫌悪する緊縮財政派や構造改革派からも白い目を向けられ、いまや黒田バズーカは質の悪いオオカミ少年扱いされている。

だが、こうした日銀批判に対して、最大の応援団たるリフレ派から、反撃の狼煙が上げられている。

『日銀の金融政策変更で「リフレ派敗北」という報道は本当か[高橋洋一/嘉悦大学教授/ダイヤモンドオンライン]』(http://diamond.jp/articles/-/105157?)

コラムの中で、高橋氏は次のように主張する。
・「金融政策が雇用政策」というは世界の常識だ
・物価と雇用(失業率)はフィリップス曲線を通じて裏腹の関係にある
・リフレ派は世界中の中央銀行が採用するメインストリーム的政策だ
・もう金融政策をやるなと言うのは、デフレに逆戻りせよと同じこと
・リフレ批判者とその背後にいた財務省・日銀は、失われた20年間の教訓がまったくなく、デフレの犯人だった

氏の言い分は、一部頷ける部分もある。
しかし、因果関係を捻じ曲げたものや誇大妄想の類いに等しいものもある。

髙橋氏は、「金融政策=物価政策=フィリップス曲線による失業率改善=雇用政策」と言いたいようだが、起点となる「金融政策=物価政策」の段階でいきなり躓いており、論の証明になっていない。
物価もまともにコントロールできないのに、なにが雇用政策かと失笑したくなる。

また、フィリップス曲線については、「失業率が低いほど物価上昇率は高く,失業率が高いほど物価上昇率は低い,という〈トレードオフ〉の関係を示す曲線(百科事典マイペディア)」という因果関係の解説ならしっくりくるが、リフレ派の連中のように「(コストプッシュ型とディマンドプル型の区別もなく)物価上昇はすべて雇用改善につながる」という主張は腑に落ちない。

特に、深刻なデフレ不況期&緊縮政策の継続という特殊なステージにあっては、ディマンドプル型の物価上昇は不可能に近く、コストプッシュ型の物価上昇が起きやすくなる。
このため、雇用の現場でも、質より量を優先する動きが広がり、正規雇用から非正規雇用へ、成人男性から女性や外国人へというインセンティブが働きやすくなる。

見せかけ上は雇用の椅子が増えるかもしれないが、いずれもゴミ箱から拾ってきたようなオンボロの椅子ばかりで、そこに座らされる人間の疲労を増やすだけだろう。

リフレ政策をやるなというつもりは毛頭ないが、開始から3年半以上も経って、未だに大した実績も上げられないようでは、あまりにも情けないではないか。
リフレ派は、金融緩和政策の一本足打法に固執せず、素直に財政政策に救いを求めるべきだ。
両者は不可分の政策であり、意地を張って片肺飛行を続けるべきではない。

氏は、リフレ批判者と財務省・日銀こそがデフレの真犯人だと逆ギレしているが、金融政策の不足はデフレの真因ではないことを認めたくないようだ。

日本は、官民を問わず、支出は悪で緊縮は善であるという“モッタイナイ思考”や、日本はもう成長できないといった“空気(衰退論・成長放棄論)”に包まれており、これが惹き起こす需要不足こそがデフレの震源地なのだ。

高橋氏も、デフレ脱却を目指す気持ちが1ミリでもあるなら、需要不足を扇動し、有害な緊縮政策を推し進めようとする現政権や財務省を攻撃し、財政政策の実行を強く求めるべきだろう。

2016年10月18日 (火)

「生産性」というコストカットの隠れ蓑

9月30日に開催された第15回経済財政諮問会議では、「(1)金融政策、物価等に関する集中審議(2)働き方改革とマクロ経済(3)2030年の経済構造を展望した改革について」 の3つが議題に上がっていた。
(会議を仕切るのが、あの“石原伸晃(内閣府特命担当大臣(経済財政政策)兼経済再生担当大臣)”という辺りで、すでに、まともに取りあう気を失してしまうが…)

議事要旨に目を通すと、先ず、日本経済を覆う「しつこいデフレ」の原因は、国民が物価も賃金も上がらなかった過去、いわゆる、「バックワールドルッキング」に憑りつかれているためだとの指摘があり、それを払拭するには、物価や賃金に対するフォワードルッキングな期待を高めねばならず、そのためには、第三の矢(構造改革)の柱となる「働き方改革」による生産性向上が欠かせない、といった具合に議論が展開されている。

会議を運営するメンバーの目的は、“生産性向上”という耳障りの良い言葉を上手く使い、「歳出削減・構造改革・規制緩和」という『真・三本の矢』で、日本の社会構造を射抜くことにある。

公益財団法人日本生産性本部によると、「生産性」という言葉の定義は、「「生産性(Productivity)」とは、投入量と産出量の比率をいいます。投入量に対して産出量の割合が大きいほど生産性が高いことになります。投入量としては、労働、資本、土地、原料、燃料、機械設備、などの生産諸要素が挙げられます。産出量としては、生産量、生産額、売上高、付加価値、GDPなどがあります」となっている。

しかし、過去のエントリーでも触れたが、筆者は、この「生産性」の定義、とりわけ、「産出量」の定義が曖昧なまま、あちこちで使われていることに疑問を抱いている。

上記の「産出量=生産量、生産額、売上高、付加価値、GDP」という定義が無視され、「産出量=生産量(のみ)」という偏った解釈、つまり、「生産量÷従業員数」という“物的労働生産性”の側面から、コストカットに力点を置いた議論しか行われていないのではないかと、強い疑問を感じている。

経済財政諮問会議の議事録にある「生産性向上を図るためには、AIなど、技術革新を最大限活用したイノベーション改革の達成が必要」、「従来の概念にとらわれない柔軟な働き方」といった言葉の端々にも、そういった発想が見て取れる。

物的労働生産性に偏った議論が、なぜダメなのか?
それは、物的労働生産性という生産量(産出量)マターの考え方は、生産したモノはすべて捌け、供給するサービスには遍く消費される、という“セイの法則”にも似た甘えの構造に基づく発想でしかないからだ。

議事要旨で、いみじくも「しつこいデフレ」と指摘されたごとく、20年以上も我が国を苦しめてきた平成デフレ不況は、民間経済主体の所得不足や生活力改善期待の喪失による強烈な需要不足が惹き起こしたものである。

需要不足経済下で最も重要視されるべき課題は、「需要不足を埋めること」であり、「供給力の質を問題視すること」ではない。

しかし、経済財政諮問会議のみならず、将来の若者不足や労働力不足を心配する議論が活発だが、それらの議論は、どうも、モノやサービスの供給量をいかに維持するかという観点からしか論じられていない気がする。

現在行われている生産性論議の大半は、“いかに生産コストを抑えるか”というコストカット論に終始し、所得向上の原資を稼ぐための議論が徹底的に不足している。
「とにかく人手を確保しろ、女性でも老人でも、外国人でもいいから、安く使える人材を連れてこい」という不毛な結論ばかりで、「産出量=生産額、売上高、付加価値、GDP」という考え方、つまり、労働分配のための原資(=粗利益)をいかに向上させるか、という観点がすっかり抜け落ちてしまっている。

何のために生産性を上げるのか?
それは、「同量の労働力で、より高い収益を稼ぎ出し、所得を上げるための原資を確保すること」であるはずで、低賃金労働を常態化させるためではない。
労働コストカットは、所得縮小→デフレ予想→需要低迷→生産性低下という負のスパイラルにしかならない。

そのために必要な議論は、“柔軟な働き方”という名目による雇用の流動化や高度人材の活用という外国移民の受け容れではない。
そんなものは、単なる労働コストのカットにしかならない。

生産性向上に必要なのは、労働や生産に対する対価の質を高めること、つまり、“生産額、売上高、付加価値、GDP”を伸ばすための貨幣の投入量をいかに増やす(=需要拡大)か、という観点に気付くことだろう。

2016年10月15日 (土)

嫉みがもたらす行政の停滞


『公務員給与、3年連続増=人勧の完全実施決定―政府』
(時事通信 10月14日(金))
「政府は14日の給与関係閣僚会議と閣議で、2016年度の国家公務員の月給とボーナス(期末・勤勉手当)について3年連続で引き上げることなどを求めた人事院勧告の完全実施を決めた。勧告内容を盛り込んだ給与法改正案を今国会に提出する。
16年度の給与改定は、月給を平均0.17%(708円)増額し、ボーナスを0.1カ月引き上げて年間4.3カ月とする。職員の年間給与は平均で5万1000円増の672万6000円となる見通し」

上記ニュースのとおり、国家公務員の給与引き上げが決まったが、引上げと言っても、年収ベースでたったの5万円、月収では僅か700円余りという惨めさだ。

しかも、この数値は、総支給額ベースだから、税・社会保険料などを除いた手取りベースの増額は実質3~4万円にしかならず、消費税増税分を考慮すれば、給与が上がったという実感なんてないだろう。

だが、公務員に対する僻み根性に満ち溢れた市井の人々からは、「増税しても増税しても、公務員の給料が上がるだけ」、「ボーナス4.3か月とか景気良すぎ」などと、ルサンチマン塗れの低レベルな批判を浴びせられており、同情を禁じ得ない。

月収が700円上がった(手取りだと500円くらいか?)ところで、せいぜい、ラーメン一杯分にも満たず、こんなもので世間様から冷たい目を向けられるのでは割に合うまい。

この672万円という国家公務員の平均給与額は、東証一部上場企業の平均給与額とほぼ同水準(筆者は、上場企業の給与水準が低過ぎるという立場)なため、僻みややっかみを受けることも多い。
しかし、年収700万円を切る給与水準は、1億人を超える人口規模と世界第3位の経済規模を誇る巨大な国家の舵取りという極めて難解かつ重要な任務担うエリート層が受け取る報酬として、決して満足のいく額ではない。

実際に公務員の声をネットから拾ってみると、
「当方、30歳、独身、2年民間経験あり。某都道府県庁、行政職で、上級職です。
今月の収入。 基本給:約23万円、通勤手当:約1万円、残業代:約1万円、以上の約25万円が総額で、もろもろ引かれて手取りは約20万円です。ちなみに、昨年の年収は約370万円(税引き前で)でした。
残業手当については、100%出ることはまずありえません。」

「3月給料 俸給支給額210,800、広域異動手当6,324、通勤手当2,000 支給総額219,124、
手取りは16万7598円になってしまいました。
超過勤務もほとんど予算がないので、さらに組合費などを引くと16万ちょうどくらいです。33歳でこれより少ない中小企業は珍しいかと思います。」
などと、結構いじましい実態が透けて見える。

筆者も、知り合いの公務員が多くいるが、三位一体改革以前に退職した公務員は別として、近年の公務員の待遇は、世間一般が夢見たり、羨んだりするような水準ではない。
田舎の公務員で、親と同居しているのならともかく、子供がいて、世間並みに住宅ローンや教育費が圧し掛かってくれば、700万円にも満たぬ年収で楽な暮らしなんてできまい。

おまけに、業務の実態も、国会議員や地方(痴呆)議員に小突かれ、住民からのクレームに振り回され、業界団体との調整に忙殺され、財務当局の緊縮バカから無理な資料を要求され、と傍から見るよりかなりハードで、強烈なストレスに晒されることも多いようだ。
議会が始まるたびに、彼らの顔から生気が薄れていく姿を、筆者もたびたび目にしている。

地方公務員安全衛生推進協会が毎年実施している「地方公務員健康状況等調査」によると、全国の地方公共団体342団体の平成26年度における長期病欠者数は17,730人(10万人率で2,381人)に達している。
疾病分類別で最も多いのが「精神および行動の障害」であり、その値は10万人率で1,239人と、構成比の52%を占め、10年前の1.8倍、15年前の3.8倍にも急増している。
また、職員の自殺率も10万人率で18.1人(H26)と民間企業とさして変わらない。

「公務員」という仕事が、気楽でのんびりした職業であったのは一昔前の話で、いまや、口さがない市民から、公僕ならぬ下僕扱いをされるありさまだ。

無知で無責任な市民が公務員イジメに精を出すのは簡単だが、彼らに鞭を振るっても、社会基盤の根幹を司る行政機構という巨船を動かす貴重な人材を痛めつけることにしかならない。

小泉改悪以降、行政運営に投じられる予算や人員は大幅に削減され、行政の現場は疲弊している。
新規採用が極端に減り、業務兼任体制が横行し、実際に知恵を絞り、現場を動かす人材も枯渇しつつある。

彼らは、来る日も来る日も、財務当局から押し付けられるコストカット要求や結果の出ない膨大な資料作成作業、頭の悪い議員対策などのネガティブな業務に忙殺され、公僕たる者の使命を確認する時間や余裕さえ完全に失っており、このままでは、近い将来に、行政のかじ取りを担う人材が居なくなってしまうのではと危惧している。

“公務員”という言葉に条件反射的に拒絶反応を見せるバカ者には、我々の生活インフラを支える貴重な行政組織を傷つける愚を犯すべからず、と強く警告しておきたい。

2016年10月13日 (木)

ミクロという狭い檻

我が国が不況期に突入してから、(どんなに短く見積もっても)20年が経過しようとしている。

この間、官民を問わず不況の原因や解決策を巡る論争が続いてきた。
論争の中心には、緊縮財政や構造改革・規制緩和を推進する勢力がドンと居座り、金融緩和万能主義のリフレ派がその周囲を固め、積極的な財政金融政策を支持する者は部屋の隅っこで塵芥並みの扱いを受けてきたと言ってよい。

だが、一見華やかで熱い論争に首を突っ込んでいるのは一部の人間に過ぎず、そもそも経済や経済政策に関心のない大多数の無関心層は、不況の解決や経済成長自体を諦めているのではないか。

この手の輩は、端から経済を難しいもの、自分には関係のないもの、と敬遠しがちで、 “日本はもう成長できない、このまま減少社会を粛々と受け容れるしかない”と、早くも白旗を挙げ、“公共事業なんてやってもムダ”、“財政政策を打っても、どうせ、その果実は自分のところには廻って来ない”と意固地になって拗ねてしまう。

彼らは、「自分の財布から出て行ったお金はノーリターン、他人が何処かで使ったお金もNot Come In」としか考えないし、この不況下で所得も増えないから、消費に対してネガティブで、節約にばかり関心が向いてしまう。

“九州ふっこう割りや北陸・北海道新幹線の開業による熊本や金沢・函館などの賑わいも所詮は他人事”、“九州や北陸でいくらカネが使われても自分のところには廻ってこない”と拗ねる連中は、ミクロという小さな箱に安住してばかりで、乗数効果すら理解できないようだが、一個人という経済主体のレベルは、たいがいこんなものだろう。

この手の連中は、自分が使ったお金は永遠に手元に帰ってこないと頑なに信じる割に、自分が毎月貰う給料の出処に思いを馳せることはない。

使ったカネの帰還率が低過ぎるのが不満なら、分配制度の網の目を細かくするよう訴えればよいのが、そうした努力もしようとしない。

また、何処かの誰かが払ったお金が、複雑に絡み合う実体経済中の毛細血管を巡った末に、自分の給与口座に振り込まれたこと、そして、その誰かが払ったお金の正体は、数日前に自分が居酒屋で支払った飲み代かもしれない、という事実を認めようともしない。

確かに、実際に、個人であれ、企業であれ、モノやサービスを購入する際に、自分が支払ったカネが、いつか収益を背負って手元に帰ってくるかも、なんていちいち考える変わり者はいない。

彼らがお金を支払う理由は、将来のリターンへの期待感ではなく、一義的には目の前にあるモノやサービスという対価を得るためでしかない。
つまり、個人や企業といったミクロの経済主体レベルでは、あくまで、消費という行為は消費するためのものに過ぎず、投資という観点から行っているものではない、ということだ。

このように、一個人や一企業の消費行動は極めてミクロ的な目的でなされるものであり、それを止める手立てなどない。
しかし、「誰かの支出は、他の誰かの所得になる」という大原則を解せぬ連中が、個々の合理的判断に基づいて勝手気ままに行動すると、所得減少が節約・倹約を促し、それが誰かの所得を奪って失業や不況をスパイラル化させ、マクロレベルでは膨大な利害対立が生じてしまう。

こうした相互の利害を調整し、マクロの経済環境をスムーズ化させることこそが国家の経済政策が果たすべき役割であろう。

Aという個人が何気なく使ったお金を所得として受け取ったBが、すぐに、Cからモノを買いたくなるような所得状況や経済環境を創造することが重要なのだ。

ABCという消費循環の回転数を上げるとともに、A・B・C・D・E・F…といった具合に、循環経路に係る人数を増やすことにより、乗数効果にブーストを掛けて経済成長させる必要がある。
そうした経済基盤は整えば、Aが何も考えずに支払ったカネが巡り巡って、Aの所得をいつの間にか増やし、誰もがそれを当たり前に感じるようになるはずだ。

ミクロが引き起こす誤謬をマクロで解決する、という地道な作業の繰り返しこそが経済活動の実態なのだ。
それを解せず拗ねてばかりの小心者は、何も喰わずに家の中でじっとしておればよい。

2016年10月 6日 (木)

フリーランチにタカるゴミ

今回は、10月4日(火)付けの日経新聞に掲載された「反グローバル化は間違いだ」という英エコノミスト誌記事の翻訳版を紹介したい。

記事では、英国のEU離脱のほか、米大統領選候補者2名が揃ってTPPに非を唱えていること、ドイツでは米国との環大西洋貿易協定(TTIP)に反対する数万人規模のデモが勃発していることなどを採り上げ、先進諸国で反グローバル化のうねりが起きつつあることを懸念しつつ、「大企業と金持ちにしか恩恵をもたらさないからグローバル化にだまされてはいけないという主張は、完全な誤りだ」と強い警告を発している。

エコノミスト誌の主張は次の3点に集約される。
①国際貿易の自由化は、世界中の生活水準向上にめざましく貢献した。
②貿易自由化による安価な商品の流入は、庶民、とりわけ、最貧困層に多大な恩恵をもたらす。
③グローバル化による打撃(失業など)には、労働者の再教育や就職支援で対応すべき。

まず、記事では、①を補完するのに、世界中の原材料や製品輸出のGDPに占める割合が、1950年の8%から2000年辺りに20%前後にまで拡大したことが、各国に経済成長をもたらし、数億人の中国人を貧困から救い、アイルランドや韓国などの経済発展を後押しした、と記している。

しかし、先進諸国の経済成長率は、50~60年代辺りと過度なフリートレードが横行し始めた90~00年代を比較すると、明らかに鈍化しており、その間に中国や韓国など当時の途上国が経済発展できたのも、単に、先進国の低・中間層の雇用の場や所得が、途上国の単純労働者に移っただけであることが解かる。

フリートレードの恩恵のほとんどは、労働コストや納税コストの圧縮というメリットを享受できたグローバル企業と、雇用の場が天から降ってきた途上国の労働者ばかりに吸収され、コツコツ真面目に働いてきた先進国の労働者は、奴隷労働との低賃金競争を強いられ、その割を喰っただけに終わったのだ。

次に、②の「低価格化は消費者の利益論」だが、我が国においても、バブルが弾けてデフレが深刻化した97年以降、サラリーマンの平均年収が右肩下がりになっているように、デフレがもたらす低価格化は、低・中間層のメリットになどなっていない。

デフレにしろ、貿易自由化にしろ、それらが引き起こした低価格化が招いたのは、雇用の不安定化・非正規雇用者の増加・所得の伸びの鈍化といったデメリットばかりではないか。

リフレ派の連中のように、安物買いで生じた余剰金は、必ず別の購買行動を刺激して消費される、という妄想を信じるならともかく、家計消費のデータを見ても、現実に起こっているのは、余剰金の貯蓄と更なる消費の削減でしかない。

物価が上がる(=経済成長による所得UPが牽引するディマンドプル型のインフレ)と可処分所得が減り、購買力が落ちるため、低所得者層に痛みを強いることになる、という意見もある。

しかし、経済成長下であっても、すべての商品・サービスの価格が上昇する訳ではなく、広い世の中には必ずと言ってよいほど低・中・高それぞれの価格帯で商売する事業者が存在するものだ。
過去の高度成長期にも、バブル経済期にも、安くてそこそこ良い品質の商品を提供する店舗や事業者が必ず存在していた。

よって、消費者は、経済成長による所得の向上という恩恵を受けつつ、自らの所得水準に応じた価格帯の事業者を選択できる機会を得ることができ、安物買いしか選択肢のない現世よりも、幅広い消費行動を取り得るだろう。

安物買いに慣れ、百均ショップを持て囃しているうちに、自分たちの雇用の場が侵され、給料が減り続けてきたことに、未だに気付けないバカ者も多い。

そうこうしている間に、低賃金労働が常態化し、百均なしでは生活が成り立たぬような慣習が根付き、年収増よりも安物買いできる環境の継続を望む質の悪い消費者が横行するようになる。
この辺りは、不良外国移民に頼り切り、奴隷労働を既得権として声高に主張し、擁護する移民推進派&容認派の連中のバカげた発想と同じようなものだ。

低価格化は、低成長経済と低賃金労働・低所得社会の固定化を招くだけであり、消費者の利益どころか、明らかに不利益でしかない。

最後に、③の「再教育・就業支援万能論」には、呆れてモノが言えない。

この手の夢想を平気で語るバカ者は、再教育・就業支援云々以前に、グローバル化がもたらす途上国との低賃金競争によって、国内労働者の失業という「就業スキルや技術継承の途絶」が生じること自体が、一国の生産力の維持向上に大打撃を与えることを理解していない。

一人の人間が、何十年も掛かって積み上げてきた職能や技術、人間関係(人的ネットワーク)等々の無形資産を、奴隷労働に耐えられないという理由で、簡単に捨ててしまうことに、何の痛痒も感じないのだろうか。

パソナのような如何わしい派遣会社の再就職支援を受けた程度では、何の役にも立たないし、元の年収や待遇が補償される見込みは限りなくゼロに近いし、新たな職場に馴染むための心理的負担やストレスも並大抵のものではない。
転職は、人生を一からやり直すくらいの大転換に等しく、バイトを乗り換えるような軽いノリで語るべきものではない。
こうした実態を無視して失業を軽々しく扱うグローバル化容認論者の軽率さに強い憤りを覚える。

過度なフリートレード推進論やグローバル化万能論は、自助努力もせずに先進国から移ってくる資本やカネのおこぼれに群がる途上国と、それを利用して法外な利益を懐に入れるグローバル企業が、フリーランチを腹いっぱい食うのを肯定するための醜い言い訳でしかない。

この手のバカ者は、100%の自由化か、100%の鎖国か、といったあり得ない二元論や極論に誘導してミスリードしようとする。
だが、先進諸国が取るべき選択肢は、両者の中間に必ず見出せるはずだ。

2016年10月 3日 (月)

インチキヘリマネ


『日銀政策「ヘリマネに似ている」 前FRB議長が指摘』
(2016年9月26日 朝日新聞デジタル)

「日本銀行が新たに導入した長期金利を「ゼロ%程度」とする目標について、米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ前議長がブログで、政府の借金を中央銀行が直接引き受ける「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)政策」に似ているとの見方を示した。
(中略)
長期金利目標については「最も驚きで、興味深い」と言及。「(中央銀行が政府債務を肩代わりする)あからさまな財政ファイナンス、いわゆるヘリマネに、日銀の黒田総裁は反対を表明してきた」としながらも、「政府の借入金利を無期限でゼロに維持する政策は、財政ファイナンスの要素がある」と説明した」

FRB議長に就任当初は、どこぞのリフレ派学者(「教科書を読め!」でおなじみのあの人…)から「新皇帝」とまで煽てられたバーナンキ氏だが、在任中には大した実績を残せず、「財政政策を伴わない量的緩和政策は、良きにつけ、悪しきにつけ、物価に与えうる影響は極めて軽微である」という事実を証明しただけに終わった。

そのバーナンキが、日銀の金利水準目標をヘリマネに似ていると“好意的に”評したそうだが、単なる事実誤認か、彼の発言を誤訳したのではないか?

金融経済用語集によると、ヘリコプターマネーとは、「ある日、ヘリコプターが飛んできて、空から現金をばらまくように、中央銀行または政府が対価を取らずに大量の貨幣を世の中に(市中)に供給する政策」を指すと説明されている。

ヘリマネに対しては、賛否両論がある、というよりも、現実には反対意見が圧倒的に多いのだが、その政策の肝は、「大量の貨幣を世の中(市中)に供給する」点にあり、ここを外したヘリマネ論議にはまったく意味がない。

バーナンキ氏は、日銀による金融市場への資金のブタ積みや効果の疑わしい長期金利目標を指して、ヘリマネの要素を含んでいると評しているようだが、日本版リフレ政策は、「大量の貨幣を世の中(市中)に供給できていない」という点において、ヘリマネの足元にも及ばない。

そもそも、黒田総裁をはじめ、日銀首脳やそれを擁護するリフレ派の連中の考えは、金利水準やマネタリーベース量の操作を通じた予想物価上昇率の引上げと実質金利予想の低下を梃に、民間投資や消費の自助喚起をベースとする発想であり、“中央銀行または政府が対価を取らずに大量の貨幣を世の中に(市中)に供給する”つもりなんて、1ミリもないのだが…。

新たに導入された長期金利ゼロ%目標という奇策も、イールドカーブ・コントロール云々という小難しい理屈はほとんど無関係で、単に、国債市場の需給がタイトになり日銀が国債買入のスピードを緩和せざるを得なくなった、という裏事情によるものだろう。

本来、国債市場がタイトになった(=新発債の不足)のなら、日銀サイドから政府に対して、大胆な財政政策の発動を呼び掛けて、新規国債を大量に発行するよう求めるべきなのだが、黒田総裁から、そういった趣旨の発言を聞いたことは一度もない。

黒田総裁も、日銀の連中も、あくまで、金融政策の一本足打法のみでの課題解決に拘っており、ヘリマネはおろか、財政政策に頼る気なんてさらさら無く、バーナンキの日銀に対する評価は明らかに買いかぶり過ぎと言ってよい。

総務省が公表した8月の家計消費支出は、前年同期比で実質値マイナス4.6%(名目値マイナス5.1%)と、ここにきて大きく落ち込み、消費低迷による再デフレ化懸念が鮮明になっている。
もはや、ちっぽけな倫理観に拘っていられる状況ではなく、内需喚起に向けて、一刻も早い対策が求められている。

ヘリマネに対しては、国民の労働意欲を喪失させる、円の信用が暴落する、日銀のB/Sが棄損するなどといった批判が根強いが、グダグダ文句を垂れているうちに、我が国は脱出不可能なデフレスパイラルの渦に巻き込まれかねない。

「財政出動による公共事業だ」、「消費税廃止による減税が先だ」、「低所得者層への給付金をやるべきだ」と三者三様の争いをするのではなく、政府や日銀は、内需の刺激に必要な政策を総動員し、国民一人一人が“ここまでやるのか…”と呆れるくらい大規模かつ積極的な姿勢を示す必要がある。

老朽化したインフラの整備、全国に行き渡る新幹線網の整備、消費税の廃止、低所得者層や子育て世代への新たな給付金制度の創設、福祉業界職員の給与UP、難病治療費の全額負担等々、国民のwishリストをすべて満たすくらいの強烈な刺激がないと、絶対零度にまで冷え切った家計のマインドを溶かすことはできない。

これらに加えて、筆者は、ヘリマネ発動による社保・租税の減免を求めたい。
給与明細の支給額と手取り額との間には、2割くらいの差がある(支給額×0.75~0.8≒手取り額)が、ヘリマネ(別に、日銀の直受けや政府紙幣発行でも構わないが…)を財源として、この差額分の50~75%くらいを直接的に支援すれば、家計の手取り額は大幅に上がり所得UPをダイレクトに実感できるし、ヘリマネの趣旨でもある「大量の貨幣を世の中に(市中)に供給する」ことにもつながるはずだ。

バーナンキ氏ほどの人物が、日銀の金融緩和ごっこをヘリマネ呼ばわりするなんて、まさに失笑ものの失態であり、効果の出ない政策で愚図愚図と時間稼ぎする日銀の尻を叩き、真のヘリマネを実現するよう鞭を入れるべきだろう。

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31