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2016年12月

2016年12月30日 (金)

三バカ経済理論

医学、化学、生物学、生理学、文学、歴史学等々、世の中には様々な学問が存在する。
およそ「学問」の名を冠する以上、人間生活や社会生活にプラスの効果をもたらすものでなければ、まったく無意味であり、却って有害ですらある。

しかし、特定の経済学者のように、単純化した仮定モデルを弄りまわして世情を傍観するだけのナマケモノもいる。

彼らは、役にも立たぬ定理や数式を以って経済を分析し始めるが、大概の場合、上手く説明できず周囲から失笑を買うだけで終わってしまう。
だが、実力に比してプライドばかりが異常に高いためか、「現実>理論」という結果を良しとせず、現実を否定し、言葉の定義を捻じ曲げようとする。

妄想肥大気味のエセ経済学者が好む経済理論でも、醜悪なのが、「リカードの比較優位説」・「マンデル・フレミングの法則」・「セイの法則」だろう。


先ず、リカードの比較優位説については、Wikipediaの解説を参照願いたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%84%AA%E4%BD%8D

その内容は、例の、
・報酬の高い弁護士は弁護士業務に、タイプを打つしか能がない秘書は秘書業務に専念すべき
・イギリスは毛織物産業に、ポルトガルはブトウ酒生産に特化すべき
という世迷い言で、
①機会費用の低減
②生産性向上
の観点から、自由貿易の重要さを説くものだ。

しかし、時代はモノ余りのトレンドに変わり、「資源は有限だから、ある財の生産を行う場合には他の財の生産を諦める」という機会費用の前提が成り立たなくなった。

極度の需要不足から、人材やモノ・サービスの余剰が生じ、“資源は有限”という前提が怪しくなり、また、Aという財が売れ残っているため、他のBという財の生産を諦める云々以前に、生産する必要すらなくなっている。

Wikipediaの解説にある弁護士とて、国税庁の調査(2012年)によると、所得が1,000万円以上の弁護士は5年前から15%減少し、逆に200~600万円の人が20%ほど増加しており、いまや、年収100~300万円台の低所得層がゴロゴロいるありさまだ。
これなら、司法試験突破に多額の資金と多大な時間を投じるよりも、秘書として稼ぎ、小金を持った女性でも捉まえる方が遥かに機会費用も少なかろう。

また、イギリス・ポルトガルの毛織物・ワイン生産の話も、「比較優位に立つ側は相手側よりも少ない機会費用で生産できる」という観点からしか論じておらず、あまりにも粗雑で乱暴な議論だ。

およそ、製品や商品として世に出る以上、品質やブランド力、労働者の質、流通・保管ネットワーク、アフターサービス力など総合的な観点からの評価が求められるべきで、実際の商流の現場では、“機会費用が少ないから、ワインはポルトガルで造りました”では、まったく通用しない。

そもそも、「貿易」という行為自体が、産地の近隣では消費しきれないモノを遠隔地や海外に売って資金を得ようとするもの、あるいは、隣県や外国に強いニーズが存在することを察知して積極的にモノを輸出するもので、機会費用とか、比較優位云々に関係なく、太古の昔から自然発生的に行われたものに過ぎない。


続いて、マンデル・フレミングの法則(MF理論)だが、その内容は次のとおりだ。

「財政赤字が拡大すると実質長期金利が上昇し、設備投資や住宅投資が減少する(クラウディング・アウト効果)。また、実質長期金利が上昇すると国内への資本流入圧力が生じて自国通貨が増価し、輸出が減少して輸入が増加するためGDPが減少する。よって、変動相場制のもとで景気回復や雇用を増やすには、財政政策よりも金融政策が効果的だという理論(Yahoo辞書)」

いまだにMF理論を誇らしげに語る田舎者も多いが、そもそも、機能的財政論を唱える論者の中に、財政政策一本足打法に固執する者などいない。

積極的な財政政策を訴える際には、金利の急激な上昇を忌避するため、さらに、財政政策の財源を確保するために、量的金融緩和政策を前提としているのが当然だ。

にもかかわらず、“金融政策がないと大変なことになるぞっ‼”と大騒ぎするバカ者には、今頃そんなレベルの低い心配をしているのか、と冷笑を送るしかない。

また、「輸出が減少して輸入が増加するためGDPが減少する」のくだりにも、
・財政赤字の拡大と実質金利との間にどんな関係があるのか?
・実質金利が今より高かったバブル期に設備投資や住宅投資が盛んだった理由は?
・為替レートは実質金利だけで決まるものなのか?
・日本のGDPに占める純輸出の割合をご存知か?
・財政政策より効果的なはずの金融政策が一向に効かないのは何故か?
と冷ややかに尋ねれば十分だろう。


最後に、セイの法則だが、金融大学の解説によると、次のようになる。

「生産物はすべて売れる、という理論のことで販路法則ともいいます。価格メカニズムが働く市場では生産物をすべて売ることができるので、生産物がどれだけ売れるかは供給の大きさで決まります。」

これも突っ込みどころが多すぎて困るのだが、一般の市場では、倒産企業のバッタ売りでもない限り、価格メカニズムなんてそうそう働くものではない。

燃費不正問題を起こした三菱自動車の新車が売れ残ったからといって、一台5万円で売るわけにはいかないし、売上がピーク比で1/4にまで落ち込んだ任天堂が、ゲームソフトを1本100円で叩き売りできるわけがなかろう。

しかも、生産物には鮮度も流行も仕様もあるから、売れ残りが生じるのが当たり前で、すべて売り切ることができるモノなんて、数十万アイテムのうちの一つくらいに過ぎない。
第一、造ったモノがすべて売れるのなら、これほど倉庫・流通業者が大規模化する必要もないだろう。

「生産物がどれだけ売れるかは供給の大きさで決まります」の部分には、苦笑するしかない。

粗鋼生産力で世界一を誇る中国の生産力は、ここ15年で6倍以上に膨張し年間12億トンに達するが、実際の生産高は8億トンに過ぎず、4億トンもの膨大な売れ残り(世界中の余剰の6割近く)を抱えている。

セイの法則に実戦力があれば、これもたちどころに解決できるはずだが、中国の鉄鋼余剰問題は10年以上も続き、在庫量は拡大する一方だ。


今回指摘した「リカードの比較優位説」・「マンデル・フレミングの法則」・「セイの法則」は、いずれも、モノ不足に悩まされ続けていた太古の昔には通用したかもしれないが、逆に、需要不足に苦しむ現代では、「そういう考え方もあるかもしれないね…(棒)」という程度の扱いで十分だろう。

モノの生産量だけを気にすれば済んだ牧歌的な時代は、とうの昔に終わっている。
カビの生えた経済理論に固執し、安住するナマケモノは、もはや必要ない。
今すぐ経済論議から身を引き、厭世気分に浸って畑でも耕していればよかろう。

2016年12月28日 (水)

経済学は自己保身用のアクセサリー〜成長に背を向ける厭世家〜

世の中には、経済学を学んだことに自負心を持つ者が多くいる。
だが、その自負心が強ければ強いほど、信奉する学問の理論や数式と、現実との間に大いなる齟齬が生じた場合、見苦しい詭弁や幼稚な言い訳で自己保身に走ろうとしがちだ。

知識人を気取る詭弁師たちには、学問の修得以外に自身を鼓舞する核がない。
だからこそ、厳しく立ちはだかる現実を直視し、それをいかに変革すべきかについて、自ら思考することを放棄し、既存の経済学に救いの手を求めるしか能がない。

その結果、学問と現実とが対立した場合に現実を否定しにかかり、それすら叶わないと悟るや、今度は、希望や幸福の定義すら勝手に改竄しようとする。

「日本はもはやデフレではなく、着実に経済成長しつつある」

「雇用環境は過去最高」、「日本の経済格差なんて、欧米と比べると大したことはない」

「非正規やバイトでも、失業するよりマシ」、「アベノミクスの目的は雇用だ」

「経済発展の定義が変化したことに気付くべき」、「高度成長を夢見るな」、「政府に頼れば何とかなると思うな」、「貧困は個人の責任」

「お金=幸福ではない」、「不況や貧困なんて大げさ。餓死するわけじゃないだろ?」

こんな詭弁を弄しつつ、現実から逃げ回るのが、彼らの十八番だ。

彼らにとって経済学を自己流で学ぶのは邪道で、いわゆる主流派経済学を信奉する者のみが経済を語ることを許されるらしい。

市井の自己流経済学の知見を以って的確に説明できる現実や事実は、彼らにとって否定し難いが許すことのできぬ、謂わば「違法収集証拠」のようなものであり、それゆえに、学問や数式を持ち出して現実や事実を否定しにかかる。

例えば、「日本はG20内でも経済格差が非常に小さな国だ。虐めるべき金持ちがいないのに藁人形叩きをするのか」といった論点ズラしで誤魔化そうとするバカ者など、その好例と言える。

格差問題を語る際に重要なのは、富者と貧者とのストック・フローの上下差ではない。
両者の相対的な差異よりも、中下位層のボリュームと所得の絶対的水準の在り方こそ重点的に論じるべきだ。
また、欧米諸国の経済格差云々なんて何の関係もないし、第一、我が国の経済格差が欧米より小さくても腹の足しにもならない。

サラリーマンの平均年収は1997年の467万円から2014年には415万円と12%以上も減って(普通は増えるのが当たり前だろう…)おり、また、家計貯蓄率も1995年/9.61%から2014年/0.07%にまで激減し、勤労世帯の貯蓄額の中央値も2002年/817万円から2015年/761万円へと7%近くもダウンしている。

国民は年収1億円以上の富裕層が増えていることに恨み辛みを述べているのではない。
自分の年収が、いつまで経っても300~400万円のまま増えないことに強く憤っているのだ。

こうした民衆の切なる願いや機微に鈍感な連中に限って、薄っぺらな理想論を吐きたがるものだ。
自身が職やカネに苦労したことがないから、彼らの空論は常に浮ついた感が拭えない。

「個々が富むことはとても好ましいこと」、
「勤勉であることは他のなににも代えがたい徳である」、
「富んでも良いじゃないか,勤勉で倹約することの何が悪い」、
「我々は乞食や奴隷ではなく個人である」、
「今の日本が最低なのかといえばそんなことはない」

こんな生ぬるいポエムを並べるバカ者の神経が知れない。

幼稚なポエマーが夢見るように、勤勉が富に直結する正常な世の中なら、誰も苦労しない。

勤勉、過剰な労働、学歴、才覚…こうした個人の努力やポテンシャルが、やりがいのある職と安定した所得に直結しないのが、デフレ不況の罪深いところであり、いま、まさに多くの国民がそうした暗澹たる時代に苦しめられているのが解らぬのか?

知性の低いポエマーは、「公平や平等を叫び、全体で貧しくなろうとするのは、サヨク的理想社会だ」と揶揄するが、“デフレの放置、マクロ的成長の放棄、貧困の容認、分配の否定”を軸とする彼らの主張こそ、「国民総貧困化」を招く薄汚い思想であろう。

彼らは不況継続を容認し、カネで買えない幸せを強要したいようだが、それこそ、国民を乞食化・奴隷化しようとする危険な発想だ。

「お金=幸せとは限らない」なんていう黴の生えたセリフを聞く気はない。

十分な所得や資産を持てば、人生において多様な選択肢を手にすることができ、無用なリスクを遠ざける効果もある。

長い人生を送るに当たり、大小様々、かつ、急な出費を強いられることが多々あろう。
その都度、手持ち資金に窮するようでは、人生のステップを順序良く踏むことすら叶わない。
例えば、就職活動をするにしても、就活スーツすら揃えられぬとしたら、職を手にする機会すら失いかねず、人生の第一関門すら超えられない。

バカ者が調子に乗って、“お金で買えない幸せ云々”なんて綺麗ごとばかり並べていると、やがて、国民の勤労や努力に対するインセンティブが失われ、最大の国富たる供給力が崩壊することになるだろう。

なにせ、懸命に努力しても、それに見合う報酬が得られず、
「日本が成長できる時代は終わった。これからは、お金で買えない幸せを目指せ!!」、
「見方や尺度を変えれば、幸せの価値も変わるよ」
なんて詐欺に遭うだけだから、勤勉も努力も無意味なものになってしまう。

卑しくも経済学徒を称する者なら、その知見を経世済民に活かす義務があろう。
知識をひけらかすだけの厭世家を気取ることなど許されまい。

今の日本には、腹も満たせぬ空論を弄ぶ暇なんてない。
ただ真っ直ぐに、「普通に働けば、誰もが豊かに暮らせる社会」を目指せばよいだけのことだ。

2016年12月27日 (火)

リフレ派の詭弁師ぶりは1000年経っても変わらない

勉強不足で頑迷な“自称知識人”ほど始末に負えない者はない。

 

『浜田宏一氏インタビュー 「金融緩和を続けながら財政出動を」』

(週刊エコノミスト https://www.weekly-economist.com/2016/12/27/

 

(聞き手)

アベノミクスで日銀が掲げた「物価上昇率2%」の目標は達成されていない。

(浜田氏)

アベノミクスは当初、効果があった。雇用者数は増え、企業収益は改善し、大企業を中心に賃上げの動きも広がって、政府の税収も増えた。アベノミクスの成果を否定する論者は、新卒者が就職難だった時代に戻れと言っているのと同じだ。

(中略)

初期のアベノミクスで効果が出たのは、人々により新しいインフレ的なレジーム(政策)を期待させたこともあるが、一義的には量的緩和が円レートの下落と結びついていたからだ。

(中略)

円市場が動く時には金融政策だけで十分な収穫があったが、金利がほぼゼロの状況の中で徐々に量的緩和の効果が薄れつつある。

 

(聞き手)

これまでは財政出動を主張していなかった。

(浜田氏)

20168月に米ワイオミング州ジャクソンホールで開かれた会合でクリストファー・シムズ米プリンストン大学教授が発表した論文を知り、考えが変わった。

シムズ教授は日本の現状について「金利がゼロに近い状況で金融緩和は効かず、マイナス金利の深掘りも金融機関のバランスシートを損ねるが、財政出動も併せて行えば効果はある」という指摘をしている。

(後略)

(聞き手)

1115日付『日本経済新聞』朝刊のインタビュー記事で「かつて『デフレはマネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」と発言したことが、一部で「リフレ政策や量的緩和を否定する発言」と解釈されて話題になっている。

(浜田氏)

量的緩和という薬Aが最も日本経済に効くと考え、金融政策を進めてきた。そしてそれがアベノミクス初期には予想以上に効いた。

今回の私の発言は、患者の状況が変化したので、これから財政政策という薬Bも併用したほうがAの効果も強まると言っているに過ぎない。アベノミクス初期にはAだけでもこれだけ効いたのだから、Aだけを勧めたことを批判されるのは心外だ。

私が「デフレは専ら貨幣的現象だ」と言っていたのは事実だ。岩田規久男・日銀副総裁が主張してきた金融政策も同じような考えによるもので、アベノミクスは日本経済を生き返らせるのに成功した。

しかし、5%から8%という高率の消費税引き上げにより、総需要、特に消費需要がマイナスの影響を受け、金融政策による日本経済の救済の妨げになっている。

 

(聞き手)

金融緩和のためには、日本国債でなく、米国債など外債を購入するという選択肢もあるのでは。

(浜田氏)

その通りだ。しかし、米国債の購入も、事実上の為替介入だとして米国は文句を言うかもしれない。特にトランプ氏はそういう問題に派手に反応する可能性がある。

 

(聞き手)

17年の日本経済に楽観的か、悲観的か。

(浜田氏)

米国が財政出動をすれば景気もよくなり、日本経済にも波及するので、目先は楽観的。

だが、トランプ政権は矛盾だらけの政策を追求しそうなので、予想外の波乱もあるだろう。

 

 

浜田氏の幼稚な言い訳は、誠に見苦しい。

敗軍の将が語るべきは、事実に基づく敗因分析と今後の改善方針であって、自己保身のための詭弁ではあってはならない。

 

浜田氏の根本的な誤りは、「初期のアベノミクスで効果が出たのは、(中略)一義的には量的緩和が円レートの下落と結びついていたからだ。(中略)円市場が動く時には金融政策だけで十分な収穫があった」という発言に集約されている。

 

これでは、日本史上初の「インフレ・ターゲット政策」は、円安効果を狙った単なる為替操作に過ぎないことになる。

しかも、都合が悪くなるとリフレ派の連中の口から飛び出す「我々は財政政策を否定していない(# ゚Д゚)」というセリフが、まったくの嘘で、金融政策一本足打法への飽くなき固執を吐露してしまっているではないか。

 

浜田氏は、シムズ論文を読み、金利がゼロに近い状況では金融緩和は効かないが、財政出動を併用すれば効果があることに気付いたと語っている。

しかし、その程度の基本認識は、既に何年も前から、国内の論者やブロガーが繰り返し指摘しており、氏や、それを支持するリフレ派の連中の勉強不足ぶりを裏付ける証左とも言える。

 

そもそも、アベノミクスがスタートした2013年には、既に国債金利は1%を切って「金利がゼロに近い状況」になっていたはずで、浜田氏の「(量的緩和政策が)アベノミクス初期には予想以上に効いた」という発言と、「金利がゼロに近い状況で金融緩和は効か(ない)」というシムズ論文に感化されたという発言は、明らかに矛盾する。

 

金利がゼロに近いアベノミクス初期に、ゼロ金利近辺で効き目の無くなる金融緩和政策が効くはずがなかろう。

 

いい加減な詭弁師の発言は、常に変化と矛盾を孕んでいるものだ。

 

また、浜田氏の「量的緩和という薬Aが最も日本経済に効くと考え、金融政策を進めてきた。そしてそれがアベノミクス初期には予想以上に効いた。今回の私の発言は、患者の状況が変化したので、これから財政政策という薬Bも併用したほうがAの効果も強まると言っているに過ぎない。アベノミクス初期にはAだけでもこれだけ効いたのだから、Aだけを勧めたことを批判されるのは心外だ」という発言は、事実誤認も甚だしい。

 

アベノミクス初期の経済効果は、明らかに10兆円規模の補正予算によるものであり、金融緩和政策は、その従者としておこぼれに与かっただけのことだが、政策のメインストリームにいた立場を悪用して主人の手柄を横取りしたに過ぎない。

 

浜田氏は、やたらとアベノミクスを持ち上げ、莫大な成果があったかのように騙っているが、現実はそんな詭弁を軽く吹き飛ばすほど厳しいものだ。

 

帝国データバンクの『2017年の景気見通しに対する企業の意識調査』によると、2016年の景気動向について「回復」局面だったと判断する企業は5.7%、「踊り場」は53.9%、「悪化」局面は19.3%という結果で、アベノミクス初期の2013年調査時の「回復」26.2%、「踊り場」47.4%、「悪化」8.0%と比べて、明らかに悪化しているが、“アベノミクスの成果”とやらは、いったいどこへ行ったのか?

 

また、同じく帝国データバンクの『金融緩和政策に対する道内企業の意識調査』によると、金融緩和政策の効果について実感があるか尋ねたところ、「実感はない」と回答した企業が 62.9%、「分からない」が26.3%9割近くがその効果を実感しておらず、「実感がある」は 10.8%に止まっている。

 

企業規模別でも、「実感がある」とした企業は「大企業」が 7.3%、「中小企業」が 11.5%、(うち「小規模企業」が 8.8)となり、金融緩和による為替効果やアベノミクス効果を真っ先に享受したはずの大企業でさえ、9割以上が効果を実感できていないという散々な結果に終わっている。

 

では、アベノミクスや金融緩和政策の効果をちっとも実感できなかった企業は、いったい何を望んでいるのか?

 

その答えは、先の『2017年の景気見通しに対する企業の意識調査』に載っている。

 

アベノミクス効果を実感できない企業に、景気が回復するために必要な政策を尋ねたところ、「個人消費拡大策」が5 年連続トップとなり、次いで「所得の増加」「年金 問題の解決(将来不安の解消)」「個人向け減税」「公共事業費の増額」が続いている。

 

景気回復に必要な政策トップ5は、いずれも財政政策の範疇に属するものばかりで、金融緩和政策の出る幕なんてない。

せいぜい、量的緩和でも続けて、財政政策の財源捻出と急激な金利高騰防止役としてサポートに廻っておればよい。

 

また、浜田氏は、金融緩和による外債購入を容認するトンデモ発言をしているが、わざわざ欧米の資金調達に手を貸してやる必要などない。

おとなしく日本国債を買うだけで十分だし、量的緩和政策により高度な柔軟性を持たせるために、日銀の直受けができるよう法改正を働きかけるべきだ。

 

能天気な浜田氏は、自身の大矛盾を棚に上げ、「トランプ政権は矛盾だらけの政策を追求しそう」なんて言っているが、トランプ氏に鼻先で嘲笑されるだけだろう。

2016年12月21日 (水)

通貨の価値は国力で決まる

日銀のバランスシートには「発行銀行券(=日銀券・紙幣)」が負債の部に計上されており、その額はH28/3期で95兆円になる。

以前のエントリー『日銀券に負債性など無い』(http://ameblo.jp/kobuta1205/entry-12227438733.html)で述べたとおり、筆者は、日銀券の負債性や債務性を認めていない。

そもそも、日銀はバランスシートを作成する必要がなく、資金の出入りだけをチェックできれば十分で、大福帳でもつけていればよい。

仮に、国民から、日銀券の返却対価を求められたとしても、金や他の貴金属を以って、あるいは、日銀職員が皿洗い(労役)をして返済する必要がない以上、負債性があるとは言えない。

日銀券を要らぬという者に、日銀は何を以って応えるのか、その答えは日銀券であろう。

日銀券を決済手段に用いる実体経済の現場なら、受け取った日銀券の対価としてモノやサービスを返す必要があるが、こと日銀という立場においては、そうした対価を支払う必要はない。

一方、日銀券(=通貨)に負債性を認めぬと徴税権の信頼性が揺らぐとの論もあり、常識的な見解からすれば、これもまた一理あると思う。
いや、一理あるどころか、こちらの方が極めて一般的な発想であり、筆者のような極論をがなり立てる方が、周囲からよほどの変わり者と受け取られても仕方ない。

特に、「徴税権の存在が通貨価値の不安定化を防ぎ、通貨流通の安定化を図る。これこそが、国家の垣根を超えた通貨の売買において、自国通貨の信認を維持する根幹である」という議論は、非常に高い説得力を持っている。

だが、それは、「負債性や債務性」の概念をあまりにも広義に解釈するもので、一般的な理解の範疇を逸脱しているし、筆者は、徴税という制度が通貨を担保する主峰だとも思っていない。

人々が通貨に価値を見出す時に、発行元の徴税能力に思いを馳せることはないし、最強通貨のドルを発行するアメリカが、世界最悪の脱税国家であるという指摘もあることから、通貨価値と徴税能力のみをリンクさせるのは無理がある。

 

通貨の価値は何によって測るべきか?

 

それを明快に評価できる絶対無二の基準は見当たらないが、為替レートや長期国債の金利水準などが一般的だろう。

 

「徴税権=通貨を担保」とするならば、為替・債券ディーラーは、購入対象国の徴税制度に関する詳細な情報を修得していなければおかしいし、為替や債券市場の現場で、対象国の徴税制度が材料になることなど極稀でしかない。

国家は、法の制定・強制、通貨の発行、徴税、軍事力の保持、治安の維持、条約の制定など数多くの大権を有しているが、「徴税制度」はそれらを構成する要素の一つに過ぎない。

一般的に、信用力の高い通貨、例えば、米ドルやユーロを手にした時、ドル紙幣を安心して財布に入れる気になるのは、発行元の国家の国力に高い経緯と信用を抱いているからだろう。
「ウガンダ・シリング」とか「コロンビア・ペソ」みたいな如何わしい通貨だと、こうはいかない。

つまり、通貨の価値を担保するのは、国家の供給力や治安状況、国民や企業の資産力、教育水準、法の強制力・遵守力、労働規範、商慣習、流通インフラ、金融システム、徴税力、知財権等々数え上げれば限がない、要するに「信頼に足る国家であるか」という“国家としての総合力”に他ならず、徴税権だけを特別視する必要はない。

「通貨=国家」との認識は共有できるが、そこから「=徴税権」とはならない。

 

徴税制度に関して、いにしえの律令制下での租庸調や雑徭(労役)が租税制度の主流であった時代は、納税という行為自体が極めて高コストかつ面倒なシステムであったろうと想像する。

租(収穫の3%の稲を納めるもの)・庸(京に上って労役に服するもの、麻による代納も可)・調(地方の特産物を納めるもの)、さらに、雑徭(インフラ工事等の労役)は、国民に物納や労役を課すもので、農作物の栽培技術が未熟かつ自然現象に収穫量を左右される当時において、現代を生きる我々が思う以上に過酷な負担であったことは想像に難くない。

庸と調を都に運ぶのは生産した農民自身で、運脚夫といい、国司に引率されて運んだ(Wikipediaより)そうだが、国府と都を結ぶ東海道・北陸道等(七道)の大動脈の交通インフラでさえ未整備であった当時なら、運搬にかかる労力やコスト(食費や宿泊費用も含めて)は莫大で、かつ、何日もかかる運搬行程の途中で怪我や病気に罹りでもしたら、そこいらに医者なんていないから、たちまち命の危険に晒されてしまう。

それほど面倒かつ高コスト・高リスクな納税作業を、貨幣納付で代用できるようにしたのが現代の徴税制度につながる系譜だろう。

貨幣による納税が一般化したのは、貨幣という万能の購買権の利便性に気付いた徴収側のニーズと、心身ともに大きな負担を強いられる物納や労役を避けたがったいにしえの国民のニーズとが、たまたま合致しただけのことであり、徴税制度が貨幣価値を担保するか否かというのとは別の話である。

 

また、通貨流通の安定化について、徴税制度により、過大な資産や所得を得る者から、貧しい者へ配分を促す社会的不公正是正の役割は重要だと思うが、現実には、税率の累進性はフラット化する傾向にあり、税の本分や強みが活かされていない。

実際、通貨流通の安定化を徴税だけに求めるのは、いささか徴税制度を誇大視した議論だろう。
国内の税収入は50~60兆円しかないのに、国内市場の決済額(≒通貨流通)はクレジットカード市場だけでも50兆円に達しており、国内全体でどれほど膨大な額になるのか想像もつかない。

つまり、徴税による通貨流通は、それ自体大きな額であることに異論はないが、マクロレベルで見た場合に、それが与えうる影響は軽微なものでしかない。

 

徴税制度は、高インフレを防ぐ予防策として極めて重要であることは間違いない。
生産力が未熟で物資が乏しく、ちょっとしたきっかけで高インフレに見舞われていた前近代においては、徴税制度が通貨を担保する主要素足り得たかもしれない。

徴税権は、あたかも、通貨という猛虎を繋ぎ止めるための強靭な首輪の役割を果たしていたのだろう。

だが、供給力が飛躍的に発達し、慢性的なデフレ圧力に苛まれる現代においては、そうした慣習を改めねばなるまい。

かつて猛り狂っていた虎は、空腹に耐えかねて立ち上がることすらできずにいる。
彼の勇猛な姿を再び望みたいのなら、与えるべきは首輪ではなく、空腹を満たすための食糧だろう。

そして、その役割を果たせるのは「通貨」しかない。

 

人々や政治に携わる者は、通貨の神秘性を疑い、その呪縛を解き放ち、国民生活向上と国富たる供給力の維持向上のために、通貨をもっとこき使うべきなのだ。

2016年12月15日 (木)

金持ちがインフレを嫌う理由?

筆者は、以前から、積極的な財政金融政策の実行による豊かで力強く成長する社会を目標にブログを書き、「進撃の庶民(http://ameblo.jp/shingekinosyomin/)」管理人様のご厚意により、同ブログにも寄稿の機会を頂いている。

20年もの長期不況が社会に与えた影響は凄まじく、若者を中心に好況期を知らぬ層が増え、国民の間に、「身の丈に合った生活で慎ましく暮らせればよい」、「少子高齢化社会を迎える日本はもう成長できない」、「日本の衰退は歴史の必然」といった諦観論が蔓延しつつある。

構造改革派やリフレ派(ついでにエセ教科書学派の1名様も)の連中は、生産性向上こそ経済成長の源泉だと主張するが、国民がすっかりヤル気を失くしてしまっては、生産性UP云々を語る以前に、国内の供給力水準を維持することすら困難になるだろう。

筆者の主張は、漸増的な経済成長とその果実の適切な分配を前提としているが、物価の在り方についても、当然、デフレではなくマイルドなインフレを想定している。
インフレ率の幅は、景気対策のアクセルを踏み込む当初は7~8%程度まで容認し、以降4%前後の水準を維持するイメージだ。

しかし、国民がすっかりデフレ病に飼い馴らされ、デフレ継続を前提とする社会構造を望むようになってしまうと、「インフレ=危険・害悪」という間違った観念が拡がり、経済成長そのものが疑問視、あるいは、敵視されてしまう事態になりかねない。

近年では、庶民層のみならず、富裕層もインフレを嫌悪していると聞く。
その理由として、「インフレになれば貨幣価値が下がり、持っている預貯金が目減りする。だから、富裕層は、何もしなくても資産が増えるデフレを好む」という説明を聞くことが多い。

彼らの口から、積極的な経済政策による経済成長を求める声を聴くことは皆無であり、富裕層がデフレを容認し、インフレを嫌っているのは事実だと思う。

だが、筆者は、“保有する資産価値が目減りするから富裕層がインフレを嫌う”という説明が、どうにも腑に落ちない。

富裕層の資産構成について、『富裕層はなぜ資産運用として不動産を活用しているのか?海外と国内の富裕層に違いはあるのか』
(https://familyoffice.estate/search_list_magazines/detail/83)』というコラムによると、
「世界の富裕層と日本国内の富裕層を比較してみると驚くべきことがわかる。
資産内訳は、なんと世界の富裕層の現預金が資産全体の26.6%に対して国内の富裕層は約半数を占める43.8%と言われているのだ。
一方、不動産資産の割合はどうだろうか。
世界の富裕層は18.7%に対して日本の富裕層はさらに低い11.4%にとどまっている。ちなみに株式等の有価証券の割合は資産全体の24.8%(世界の富裕層)、20.7%(日本国内の富裕層)となっている」
そうで、日本の富裕層の資産構成に占める現預金が、他国と比べてかなり高く、リスク資産の割合が低いことが判る。

一方、野村総研のリポート『日本の富裕層は101万世帯、純金融資産総額は241兆円 ~ 2年間で世帯数は24.3%、純金融資産総額は28.2%増加 ~』によると、
「2011年から2013年に、富裕層および超富裕層の保有する純金融資産総額は、それぞれ16.7%、65.9%増加し、合わせて28.2%の増加となりました。(中略)
富裕層および超富裕層の保有する純金融資産額の増加が著しい理由は、保有する金融資産に占める株式や投信の比率が高いことが考えられます。(後略)」
とのことで、リスク資産の割合が低いとはいえ、株価上昇による果実や恩恵を十二分に享受していることが判る。(一般家庭にはほとんど恩恵はないが…)

つまり、富裕層は、インフレによる資産価値の目減りなんて気にしていないし、気にする必要もないのだ。

一般的に、有価証券や不動産、貴金属といったリスク資産は、好況期やインフレ期に値上がりし、そこから産み出される配当や不動産収入も増加する傾向にある。
また、市中の金利も上昇するだろうから、預貯金の利子も増え、かつてのように1億円の預金があれば働かなくても済むような時代が来るかもしれない。

インフレは、確かに貨幣価値の下落を招くかもしれないが、貨幣の活躍の場は間違いなくデフレ期以上に増えるのだ。

富裕層の保有資産がフル稼働し、強みを発揮できるのは、明らかにデフレ期ではなく、実体経済が活況を呈するインフレ期であるはずだ。

よって、単純に「インフレ=貨幣価値の減少=資産価値減少=インフレはキライ!!」という公式は成り立たないのではないか。

デフレは資産価値を向上させる云々は現金のみに通用する話で、デフレ期に有価証券や不動産価格が低迷や低下を余儀なくされた事実を見れば、「デフレ≠リスク資産価値向上」とも言え、富裕層がこれを歓迎するインセンティブが見当たらない。

筆者は、富裕層がインフレを嫌う理由は、冷厳な経済分析によるものなんかではなく、極めて感情的な理由に起因するものだと思う。

そもそも、富裕層に属する個々人は、経済的側面から資産価値と物価動向とを結び付けて比較検討するほど勉強熱心ではなく、「インフレになると、貨幣価値が下がり資産価値も減る」と頭を捻るような人種でもない。
デフレの怖さも知らず、インフレになると物が高くなって困ると愚痴をこぼす…
そこいらの庶民と何ら変わらない。

「インフレ=物価高騰という思い込み」
「不況期に苦しむ庶民が自分たちに向ける妬みや嫉みに対する反発心」
「格差問題が拡がり、自分たちが批判の的になることへの恐怖心」
「自身の努力と才覚により資産を形成してきたという強い自負心」
「自助の精神に対する過度な思い入れ」
「公助や共助を求めるのは努力不足の怠け者の証という思い込み」
「弱者救済につながる政府の経済対策は、自分たちが支払った税金の無駄遣いだという妄想」

富裕層の連中が、インフレを嫌う理由は、案外、こんな単純な感情的反発によるものだろう。

“大した努力もせず、何の才覚もない奴らが、自らの非才を棚に上げて富裕層を嫉むなんて怪しからん‼”

“あんな奴らのために、自分たちが払った高額な税金が使われるなんて腹が立つ”

“景気対策や財政政策なんてトンデモナイ”

“多少の不景気でも自分たちは困っていないから、余計な事をして貧乏人を喜ばせる必要なんてない”

“(好況をもたらすような)インフレはキライ”
という具合に、富裕層特有の歪んだ嫉みや被害者意識が、インフレの足を引っ張っている。

筆者は、リフレ派やエセ教科書学派の連中みたいに、インフレ予想やインフレ期待が民間投資を刺激できるとは思わない。
今のように、デフレが深刻な時期なら、「インフレ懸念」しか起こらぬだろう。

だが、庶民や富裕層が不況慣れし、インフレを嫌うあまり、将来の経済成長を諦め、前進を恐れるようでは、日本の途上国化に歯止めが掛からなくなってしまう。

筆者は、庶民や富裕層に属する個々人が、経済の仕組みに強い関心を持つような時代が来る可能性なんて100%ないと割り切っているが、せめて、景気を良くしてほしい、給料を上げてほしい、誰もが十分な年金を貰えるようにしてほしい等といった願望や欲求を、もっと素直に、もっとストレートに発露し、訴えてほしいと願っている。

国民が諦めてしまえば、この国が発展することはない。

2016年12月14日 (水)

高校生からもバカにされる「本物の痴識」

現代ほど人々にとって、経済学が軽く頼りない存在に映る時代はない。

先進各国は、産業空洞化や雇用条件の悪化による内需縮小に端を発する低成長に喘ぎ、著しく勃興した新興諸国も、生産物の買い手である先進国の内需低迷の煽りを受け、一時の勢いは完全に削がれている。

こうした低迷期に、経済学はいかなる答を明示するのか興味深いが、世界の貿易量の伸びが明らかに鈍化し0%に近づきつつあるのに、主流派経済学派の連中は、十年一日の如く「構造改革・規制改革・輸出振興」の三バカ論を主軸とする提言を続けている。

緊縮脳に侵された大多数の国民は、経済学者の三バカ論に易々と誑かされてきたが、不景気が長期化するにつれ、経済対策や社会保障政策の強化を求める本音が、ついつい、世論調査の結果なんかに出てきてしまう。

国民は、経済や通貨の本質などまったく理解する気もないから、“緊縮財政を崇めつつ、自分の生活に不都合が生じると政府に景気対策を求める”という矛盾だらけの身勝手な行動を取りがちだ。

そうかと言って、経済学者や論者たちが確固たる信念を持って持説を堅守しているわけでもない。

彼らの言説や主張は、世論動向に合わせて意外とコロコロ変わっている。

筆者は、この手の柔軟性の高すぎる(=信頼性に欠ける)学者や論者のことを、外部環境に応じて簡単に立場を変える「ポジショニング派」と呼んでいる。

元ケインズ派→緊縮財政派へ見事に変身した吉川洋氏、構造改革派でありながら都合が悪くなると財政政策の有効性に触れる榊原英資氏・竹中平蔵氏・山崎元氏、構造改革派→日本経済衰退派に落ちぶれた水野和夫氏、金融政策万能派のくせに時々財政政策に頼ろうとするリフレ派の連中等々、ポジショニング派の蔑称を架すべき論者は大勢いる。

彼らに共通するのは、持説の論拠が怪しくなったり、実体経済への処方箋を書けなくなったりすると、前言を翻して財政政策に甘えようとする点である。
そのくせ、苦境を脱するや、また直ぐに財政政策を批判し始めるのが悪い癖だ。

先日も、とある経済系ブログを眺めていると、性質の悪いポジショニング派がいた。

(教科書読め‼でお馴染みの)彼は、財政政策嫌いを公言し、
『え?「財政出動しろ!国債発行しろ!公共投資しろ!そしてGDP増やせ」ですか????
そんな「変動相場制」で、財政政策など、効果がないことはISーLMの簡単なマンデル=フレミングモデルさえ知っていれば、財政政策は無効なことぐらい、一目瞭然です』
と財政政策の無効性を強く主張していたにもかかわらず、別の日のエントリー記事では、
『(不況期には)総需要管理政策で、「金融政策」で、企業投資を、「公共投資」で政府支出を増やせ!』
と真逆の主張をしている。

確か、MF理論がある限り、変動相場制の下では財政政策は無効のはずだが??

さらに、彼は、『日本の底力をフルに発揮する、潜在成長率(実質GDP成長率)は、0.5~0.8%程度しかありません』、『日本は、潜在成長率「1%程度の成長」しかできません。GDPギャップは限りなくゼロです』、『アベノミクス批判する人は、日本が2%、3%、4%、どんどん成長できるとでも、思っているのですか?』
と、日本経済の成長力を強く否定しておきながら、別のエントリーでは、
『(生産性や経済成長率に)限界がある? GDPの高さ(先進国と後進国)の違いは、「生産性」の違いです。「生産性」を引き上げるのに、「限界がある」????? 
そんなもの、「絶対」にありません。
 明大飯田先生によれば、人間、寝ていても、つまり、1年たてば、1%程度、生産性が上がっているそうです』
と、“黙って寝ていても1%くらいは成長できる”と力説している。

確か、日本の潜在成長率は1%未満だったはずだが??

性根がいい加減な論者や持説に自信のない論者ほど、コロコロ言説を変えざるをえない。
それほど、現実は学問に対して厳しいものなのだ。

件のエセ教科書学派の信者は、
『GDP=Yを増やす魔法のような方法があれば、だれも経済学なんてやりません。そんな答えがあれば、経済学でウンウン、考えることは不要だからです』
と、早くも、厳しい現実から逃亡を図ろうとしている。

しかし、GDP(=国民にとって富の源泉)を増やす処方箋すら書けぬ経済学など、まったく存在価値がない。
経済学が不況を解決できぬなら、そもそも経済論を口にする資格もないし、すべきでもなかろう。

そんな役立たずは、自室に籠って教科書と遊んでいればよい。

2016年12月12日 (月)

日銀券に負債性など無い

国民の誰もが何よりも大好きなものは、何か?

多分それは、「お金(紙幣)」だろう。

 

これを欲しがらぬ者はいないし、世の中の経済活動は、一義的には、この『お金』を得るためになされていると言っても過言ではあるまい。

 

むろん、「お金」という存在の向こう側には、更に、個々人が欲するモノやサービスという存在があるのだが、それらは、個人の立場や嗜好により千差万別だから、この世で唯一、万物との交換権を有する『お金』こそ、経済活動の最大の果実と言えよう。

 

お金(紙幣や貨幣)の定義について、筆者は、ここでくどくど語る気はない。

ただ、「国内に存在するあらゆるモノやサービスとの間に絶対的な交換権を有する存在であり、実体経済の流通や決済を円滑化させ、国富たる供給力に需要という対価を与える原資にもなり、供給力の永続的な維持向上のために不可欠な存在である」と理解している。

 

しかし、世の中には、便利な「お金」に足枷を付けたがり、“「お金」に債務性があるのか”と要らぬ疑問を持つ人間が結構いるものだ。

 

『日銀券は日銀の債務か』(日経新聞「大機小機」12/9 執筆者:山河)

 

「日銀は、発行した日銀券(お札)を負債として貸借対照表(バランスシート)に計上している。

日銀券は本当に日銀の負債なのか否かを検証してみよう。

 日本が日清戦争の賠償金として得た金・外貨を使って金本位制を導入したのが1897年。

このときから第1次世界大戦勃発で金本位制を停止した1914年まで、日銀は日銀券と金を交換(兌換=だかん)する義務を負い、1円当たり0.75グラムの金と交換していた。

この時期、日銀券は明白に日銀の負債であった。

 しかしその後は、30年初~31年末の金本位制への一時的な復帰(いわゆる金解禁)を除けば、現在まで日銀は銀行券と金との交換義務を負っていない。

このため個人が日銀券を日銀の窓口に持っていったとしても、せいぜい傷んだお札を新しいお札に交換してもらえる程度で、日銀券は日銀の負債とは言えない。

 

では日銀券には負債としての性格がまったくないのだろうか。

例えば「日銀には負債性がないのだから、政府の負債である国債を日銀が買い取って、すべて日銀券に置き換えてしまえば、巨額の政府債務は返済する必要がなくなる」と論ずる人がいる。

本当なのか。

 

 日銀券による国債の置き換えは、国債買い入れで膨大に膨らんだ日銀券及び日銀券と等価な民間金融機関が保有する日銀預金(日銀当座預金)を日銀が「将来にわたり回収しないし、日銀預金には金利を払わない」と決定すれば実現する。

物価が大幅に上昇しても、日銀は決して金融引き締めを行わないと決めたのと同じだ。

 日本経済がデフレから脱却し、安定的に1~2%程度の賃金・物価の上昇を達成できた時点で日銀がゼロ金利を解除できないと物価の上昇は加速していく。

ゼロに近い金利でお金を借りて劣化しない不動産や貴金属などに投資しておけば将来利益が出るので、投機が拡大するからだ。

 物価の上昇は、それによる日銀券への取引需要増加が、発行された日銀券に見合うときまで継続するだろう。

日銀券の取引需要は大ざっぱに言って国内総生産(GDP)の1割弱と見込まれるので、物価が10倍以上に上昇するまでインフレは止まらない。

 日銀が物価安定を目標とする限り、日銀券には負債性が存在する。」

 

なにせ、緊縮教の総本山たる日経のコラムだから、結論が「日銀券に負債性あり」となるのは、予想がつく。

 

しかし、執筆者の山河氏は、文中で、日本が金本位制を排して以降、日銀券に負債性が無くなった事実を認めている。

氏が記した「個人が日銀券を日銀の窓口に持っていったとしても、せいぜい傷んだお札を新しいお札に交換してもらえる程度で、日銀券は日銀の負債とは言えない」という部分が、まさに、日銀券に負債性が存在しない事実の動かぬ証左であり、これ以上に的確な説明はない。

 

日銀券が、日銀のバランスシート上の「負債」の部に計上されているのを盾に、日銀券に債務性や負債性があると述べる勉強不足の論者もいるが、奇しくも、“日銀券債務派”の山河氏も認めざるを得ないように、日銀券には両替の義務(これすら本当にあるのかどうか疑わしいが…)はあれど、債務性や負債性なんてない。

 

ネットで検索したところ、「負債」の定義は、『他から金銭や物資を借りること。その借りたもの。また、債務。』で、「債務」は『特定の人に対して金銭を払ったり物を渡したりすべき法律上の義務。多く、借金を返すべき義務。』とされている。

 

いまどき、無銭飲食の負債を皿洗いのバイト(=労働の供与)で返すような変わり者もいないだろうから、債権・債務や資産・負債は、すべて「お金」を通じて決済・清算されるのが常である。

 

つまり、債務性とか負債性とかいう言葉を使う際に、それらは「お金(=金額)」という単位で具現化され、それらを最終的に清算する手段もまた「お金」によるのだ。

 

よって、「お金(紙幣)」の発行元たる日銀に負債など存在しないし、日銀券に債務性や負債性が課せられるはずもない。

なにせ、債務や負債自体が「お金」なんだから…

 

山河氏は、日銀の異次元緩和政策により、「日本経済がデフレから脱却し、安定的に1~2%程度の賃金・物価の上昇を達成できた時点で日銀がゼロ金利を解除できないと物価の上昇は加速していく」と述べた挙句に、「日銀券の取引需要は大ざっぱに言って国内総生産(GDP)の1割弱と見込まれるので、物価が10倍以上に上昇するまでインフレは止まらない。

日銀が物価安定を目標とする限り、日銀券には負債性が存在する。」なんて荒唐無稽な主張をしている。

 

そもそも、これだけ長期間ゼロ金利を続けておきながら、いまだに、たったの2%という低レベルの物価目標すら達成できていないのに、ゼロ金利と加速的な物価上昇とを関連付けて論じること自体、まったく説得力がない。

 

金利と物価に明確な相関性が生まれるのは、ディマンド・プル型の好景気が十二分に過熱してからの話であり、そもそも、需要不足型不況期には、金利をいくら弄っても、物価に大した影響はない。

 

また、日銀券の取引需要から、10倍以上ものインフレを推計するのは、あまりにも根拠不明かつ杜撰なやり方で、それなら、積極的な財政刺激策によって日銀券の取引需要を大幅に増やし、GDPに占める相対的割合を落とせば、潜在的なインフレ率の上限が下がるという結論になるのではないか。

(=大規模な財政政策を打つことにより、将来的な高インフレを未然に予防できる)

 

氏は、財政政策を忌み嫌うあまり、無理矢理、日銀券に負債性を負わせようと、愚にもつかないヘボ理屈を並べている。

 

しかし、日銀の異次元緩和を通じて数百兆円もの「日銀券と国債との置き換え」が行われてきたが、物価は、“加速的”どころか2%程度の低いハードルすら越えられないではないか。

どこぞのエセ教科書学派(実質1)によると、「5兆円も財政支出をすれば、たちまちインフレになる」そうだが、何処の国の話をしているのだろうか?

 

また、氏は、「日銀が物価安定を目標とする限り、日銀券には負債性が存在する。」と論点をすり替えようとするが、「負債」の意味を解さぬ屁理屈でしかない。

 

氏は、「物価安定」を「低成長」や「未成長」と同義で用いているようだが、それこそ、国富を損なう大きな負債につながることが解っていない。

 

低成長は、成長を続ける他国との相対的な競争に敗れ、買い負けや輸入物価高騰による悪性インフレにつながり、研究開発投資の劣化による技術力の低下や比較優位産業の喪失に直結する。

つまり、日本の最大の強みである『供給力=国富』をドブに捨てることになる。

 

まあ、リフレ派やエセ教科書学派の連中によると、「日銀の金融政策の目的は、物価目標(物価安定)ではなく、雇用改善」だそうで、日銀は物価安定を目標にはしていないようだから、どうやら、日銀の負債性など心配する必要もなさそうだが…

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2016年12月 7日 (水)

融資のことさえ知らぬ財務相

『麻生金融相「中小企業の事業内容よくみて積極融資を」 意見交換会 』
(12/6 日経新聞)

「麻生太郎財務・金融相は6日昼、金融庁で開いた中小企業などの金融円滑化に関する意見交換会で「経営者や事業の内容をみたうえで中小企業を育てていってもらいたい」と述べ、担保は少なくても事業は有望な中小企業への貸し出しを積極的に増やすよう金融機関側に求めた。
 麻生氏はさらに「融資課長など融資の最前線にいる人に目利きを育ててもらい、中小企業が大きくなるためにはある程度リスクをとるような指導をしてもらわないといけない」と述べ、金融機関側に事業の成長力などを適切に評価できる行員の育成を求めた。「年末や年度末は資金繰りが苦しい。こういったときに親身になって融資などの相談にのってほしい」とも要請した。(後略)」

同じニュースを報じた毎日新聞社の記事でも、麻生氏は、「担保を取ってカネを貸しているだけでは意味がない。中小、零細企業は資金繰りが極めて厳しい」と強調し、“担保主義脱却&事業評価重視型”の融資を増やすよう要請したそうだ。


確かに、中小企業の資金繰りは楽ではない。

経産省の「中小企業景況調査(2016年7-9月期)」では、中小企業の資金繰りDIは、「全産業の資金繰りDIは、(前期▲13.9→)▲13.7(前期差0.2ポイント増)とマイナス幅がやや縮小した。産業別に見ると、製造業で(前期▲13.0→)▲12.4(前期差0.6ポイント増)、非製造業で(前期▲14.3→)▲14.2(前期差0.1ポイント増)といずれもマイナス幅が縮小した」とし、若干の改善傾向が見受けられるものの、DIがプラス化するにはほど遠い水準だ。

また、商工中金の「中小企業月次景況観測(2016年11月調査)」でも、「資金繰りは▲2.2と「悪化」超幅が拡大」しており、中小企業の資金繰りの厳しさが覗える。

では、中小企業の資金繰りの厳しさは、担保主義の金融機関による悪質なイジメによるものかと言えば、決してそうではない。

日銀の無謀なマイナス金利政策の影響により、「5大銀行中間決算 大手3行が減益マイナス金利影響(毎日新聞)」、「地方銀行中間決算 マイナス金利が影響 利益14%減(NHKニュース)」、「低金利影響、8信金減収 静岡県内16年3月期決算(静岡新聞)」といった具合に、いずこの金融機関も内情は厳しい。

貸出実績こそ僅かに伸ばしている(国内銀行貸出実績:H28/9時点で対前年同月比+2.2%)が、預金の伸び(同+6.0%)にまったく追いつけず、貸出の平均金利も1.02%前後と低下する一方であり減収が避けられないため、どこも融資拡大を至上命題とし、熾烈な融資先の分捕り合戦が行われている。

融資拡大戦争の現場では、小売や卸売、製造などの業種に対する融資が思った以上に伸びない(卸売や製造に至ってはマイナス)ため、不動産投資物件や個人向け住宅ローンに注力して糊口を凌いているのが実情だ。

現に、日銀の金融機関貸出態度DI(2016年9月)は、全企業で3ケ月前より2.0Pt上昇しプラス25.0%Pt、大企業はプラス28.0%Pt(7年半以上連続上昇)、中堅企業はプラス28.0%Pt(6年半以上連続上昇)、中小企業はプラス21.0%Pt(5年以上連続上昇)という結果であり、金融機関サイドは、すでに数年前から積極的な貸出姿勢を露わにしている。

以前に騒がれたような「貸し渋り」はすっかり影を潜め、DI値だけならバブル期に近い値を示しており、“企業の資金繰りの厳しさが金融機関の融資態度にある”とする麻生氏の指摘や懸念はまったく的外れだ。

麻生氏は、いまだに担保主義云々と古くさいことを言っているが、金融機関サイドから見ると、担保、とりわけ、不動産担保ほど頼りない担保はない。
彼は金融情勢に関する情報のアップデートが必要だろう。

国交省のH28地価公示のデータを確認すると、東京・大阪・名古屋の三大都市圏では、住宅地・商業地ともに上昇しているが、地方中核都市を除く地方圏では住宅地▲0.7%、商業地▲0.5%と下げ止まる気配すらない。

全国平均でも、住宅地▲0.2%、商業地+0.9%、全用途+0.1%と、下げ止まりや上昇傾向が覗えるものの、上昇幅があまりにも小さ過ぎるため、担保力拡大にはほとんど寄与しない。

地価上昇と言っても、バブル崩壊以降下げるにまかせてきた地価が、ほんのちょっと下げ止まった、あるいは、持ち直したくらいの話であり、金融機関が担保主義に頼れるほどの水準には全然達していない。


金融機関は、かなり以前から担保主義に見切りをつけざるを得ず、独自に融資先の事業性評価に取り組んでいるが、正直言って、まるで機能していない。

その原因は、
・実業に携わった経験のない金融機関職員の知識不足
・融資先たる企業側の事業性(市場環境、自社の強み、ポジショニング分析など)に関する説明能力不足
など、互いに一半の責任があるが、事の真因は別に求めるべきだろう。

金融機関から企業への融資の流れを簡略化すると次のようになる。
①企業から金融機関へ融資の申し込み
②金融機関は、審査を経て、企業の預金口座に融資相当額を振り込み(貸出利息などを除いた額)
③企業は、融資(=借入金)を基に事業活動を展開し、売上や収益を確保
④企業は、③で得た収益(+償却財源)により、借入金の元金と利息を金融機関へ返済

では、融資拡大に積極的な金融機関と、資金繰りに苦しむ中小企業が混在する原因はどこにあるのか?

最大の問題は、上記③の工程が根詰まりしていることだ。

再び「中小企業景況調査(2016年7-9月期))」の結果を見ると、
・「業況判断DI」~全産業▲18.2、製造業▲15.6、非製造業▲19.0
・「売上額DI」~全産業▲17.9、製造業▲16.2、非製造業▲18.2
・「経常利益DI」~全産業▲24.0、製造業▲22.0、非製造業▲24.6
と、改善と悪化が混在する状況だが、一つ確かなことは、リーマンショック期よりマシにはなったが、長期間に亘りDIがマイナス値に沈んだままで、業績回復の糸口すら掴めていないということだろう。

我が国の経済構造が、国内の消費や投資を主体とする「内需大国」である以上、事業活動のメインスタジアムたる実体経済がこんなありさまでは、麻生氏が金融機関に向かって、企業の事業性を評価しろと息巻いても、肝心の企業が事業性を発揮しようがないではないか。

麻生氏のような世間知らずは、融資(=企業から見て借入金)を売上か何かと勘違いしていないか?

当然のことだが、融資を受けた企業は、融資元金に利息を加算した金額の返済義務を負っており、事業活動を通じて「元金+利息+収益」を確保せねばならない。

問題なのは、実体経済の市場環境が、「元金+利息+収益」を稼ぎ出せるだけのポテンシャルを有しているか、ということだ。

そのポテンシャルを拡大させる役目を担うのが、政府や官公庁、日銀といった公的セクターであり、適正な経済政策による実体経済の漸増的な拡大と活性化こそ、公的セクターたる者の最大の務めだろう。

当然だが、融資は補助金ではない。
企業の事業活動で得た収益を原資とする債務である。

事業性を評価云々と言ったところで、事業性を担保する実体経済がヨレヨレでは、元も子もないではないか?

世の中には、「日本の潜在成長率は1%未満だから、これ以上の成長はムリ」、「大卒・高卒ともに内定率が上がっているから何の問題もない」、「雇用指数は改善しているぞ」などと、日本経済の真のポテンシャルや人口動態・雇用慣習の変化を無視したシロウト論(=自称「本物の知識(冷笑)」)が横行しているが、麻生氏の見当違いな指摘も、巷に蔓延るシロウト論の域を出ていない。

彼も、金融機関にグダグダ文句を垂れる暇があるのなら、自らの旧バージョンの発想を早急に改め、財政・経済担当の重要閣僚として、我が国の実体経済活性化に向けた具体的なアクションを起こすべきだ。

2016年12月 6日 (火)

呪術経済論者に危機感なし

読者の皆様が、とある高校のクラス担任だとしよう。

このクラスには、かつて、学校で一・二を争うほどトップクラスの成績を収めた生徒がいる。仮にJ君とする。

J君は、元々勤勉な性質で、決して裕福な家庭ではなかったが、猛勉強の甲斐もあって急激に成績を伸ばし続けていた。

しかし、夏休み明けのテストでのちょっとしたミスを境に成績が低迷し、以降、「自己改革」だと称して、他校の生徒との交流に熱を上げたり、参考書を熱心に買い集めたりと格好はつけるものの、肝心の勉強はそっちのけ、という状態が続いていた。

そんな中、J君の冬休み前のテストが1000点満点中504点と散々な出来だったので、呼び出して注意すると、J君は反省するどころか、「ここ3回の成績は上がっています。成績が上がってさえいれば何の問題もないでしょ?うちは勉強時間に制約があるから、1~2点ずつしか伸ばせません(# ゚Д゚)」と気色張って反論してきた。

ちなみに、J君の成績の推移は、479点→486点→499点→504点と僅かながら上がってはいるが、J君の実力なら900点以上取っても何の不思議もない。

彼は、勉強時間に制約があると言い訳しているが、実は、他校の生徒とカラオケに行ったり、スマホゲームに熱中して遊んだりしているだけなのだ。
しかも、見栄っ張りのJ君は、小遣いが足りないと親に文句を言うくせに、他校の生徒に気前よく奢っているらしい。

高いポテンシャル無駄にしてまで遊びを優先させ、現実逃避を続けるJ君の将来や如何に?

同僚のS先生(インチキ教科書理論を開陳して、生徒から冷笑を買っている人物)は、“実際、成績が上がってるんだから、問題ないんじゃないの?”なんて甘いことを言っているが、J君は難関国立大学を志望しており、こんな成績では、到底、合格は覚束ない。

読者の皆様なら、J君をどう評価するだろうか?


さて、同じような問題は、我が国にも起こっている。

橋本行革以降、日本の名目GDPはダウントレンドに陥り、小泉改悪によって更なる打撃を被った。
その後、対米輸出増加を柱とする輸出偏重型経済で糊口を凌いできたが、民主党政権や安倍政権が緊縮型の経済運営を継続させてきたため、名目GDPは470兆円台から500兆円前後をウロつくばかりで、力強く漸増する気配はまったく感じられない。

2016年の名目GDPは前年比1.1%増の504兆円を見込むが、これとて、20年以上も前(1995年/501兆円)の水準と大して変わっておらず、“情けない”の一言に尽きる。

日本の名目GDPは、1995年/501兆円(ドルベースで5,335 billion$)→2014年/486兆円(同4,595billion$)と減少しているが、この間の世界全体の名目GDPは、1995年/30,859billion$→2014年/78,045billion$と2.5倍以上に拡大している。

このため、世界のGDPに占める日本の割合も17.2%→5.9%へと大幅に縮小しており、あたかも、「世界に冠たる経済大国」から「one of them」に降格処分を受けたようなものだ。
しかも、IMFの見通しでは、日本のシェアは2016年に5.5%に低下すると予想されており、プレゼンスの低下に歯止めが掛からぬ状況だ。

世界各国が猛烈な勢いで所得を増やす中で、我が国だけが立ち遅れている。
それが、相対的な日本の購買力低下をもたらし、牛肉や豚肉、大豆、小麦、サケやタラなどの水産物等々、様々な産品で外国との競合に敗れ、買い負けを起こしている。

GDPの成長により着実に購買力を増している外国と、成長から取り残されて購買力が縮小する一方の我が国の財務力の差は拡がるばかりで、多くの一次産品を輸入に頼る我が国にとって非常に由々しき問題である。

東南アジアや中南米諸国のように、貧弱なサプライパワーしか持たぬ国なら仕方ないが、我が国には、掃いて捨てるほど十二分な供給力が備わっており、ことサプライサイドに限れば、経済成長を実現させるだけの糧に不安はない。

最大の問題は、ヤル気十分のサプライサイドを活かし切るだけのディマンドパワーが決定的に欠けていることに尽きる。

要は、根拠薄弱な緊縮思考や改革礼賛主義に騙されて、ディマンドサイドの刺激を怠ってきただけなのだ。

こうした惨状を目の当たりにしても、アベノミクス万能論に酔いしれる茹で蛙たちは、「GDPは3年連続増。総生産増=総所得増、GDP増=総所得増だから、何も問題ない、アベノミクス万歳‼」と賛美するだけで、危機感の「危」の字も感じていない。

「GDPは3年連続増」と言っても、3年も掛かって479兆円から504兆円へ、僅か25兆円しか増えておらず、増加率は年率でたったの1.7%でしかない。
これまで高度成長を続けてきた国なら、2%以下の成長率でも許されるかもしれないが、20年以上も成長できていない国が、そんな低レベルの成績で許されるはずがない。

成長から逃げ回る「ナマケモノ論者」の中には、“日本の潜在成長率は1%にも満たない”と嘯くバカ者もいる。

だが、高度成長期終了後の1980年辺りから橋本行革がとん挫する直前の1997年まで、我が国の名目GDPの平均成長率は4.6%であり、1998年以降も、せめてこの半分程度の水準で成長を続けていたら、今年の名目GDPは805兆円と推計され、現実の予想値(504兆円)を300兆円も上回ることになる。

この300兆円の差だけでも巨額だが、この間に逸失した名目GDPの累計額は、実に3,140兆円にも及ぶ。
緊縮と改革を柱とする呪術経済学に騙された挙句に、目眩がするほど莫大な富を失い、世界の経済成長レースから取り残されるという大失態を演じてしまったのだ。


冒頭にご紹介した事例のように、100点満点のテストに換算して50点くらいしか取れぬ落ちこぼれが、「前回より1点“も”上がったぞ。問題ないだろ?」と強弁するのを許してはなるまい。
49点でも、50点でも、こちらが求めるレベルに全然足りていないことに変わりはない。
こんなありさまでは、受験どころか落第してしまう。

今すぐに、言い訳ばかりのバカ生徒に鞭を入れて、80~90点を目指し、更なる勉強と追試を課さねばならない。
なにせ、受験の時期(=需要不足の継続により、国富たる供給力が瓦解してしまうデッドライン)は迫っており、暢気に構えていられる余裕なんて1秒もないからだ。

2016年12月 3日 (土)

成長を拒否するクズに経済を語る資格なし!!

ここ数年というもの、大手企業を中心とした収益力の向上やボーナス支給額アップといった“大本営発表”が続き、アベノミクス成功を担保する材料として喧伝されてきたが、どうやら、それも息切れし始めたようだ。

『<税収前年割れ>アベノミクス失速鮮明…法人税が減少』
(毎日新聞 12/2(金) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161202-00000008-mai-bus_all)

「2016年度の国の一般会計税収が、法人税収の減少を主因に、7年ぶりに前年度実績(56兆2854億円)を下回る見通しとなった。安倍晋三政権は、税収増を追い風に経済政策「アベノミクス」を推進してきたが、税収減はその転換点となりそうだ。(後略)」

税収は、経済政策の効果を測る指標の一つではあるが、筆者としてはさほど重要視していない。
よって、「税収減少=政策失敗」と短絡的に結論付けるのは、いささか幼稚な気もするが、個人消費・所得・雇用の質・物価の何れを取っても、“悪化、もしくは、伸び悩み”の様相を呈している以上、間違ってもアベノミクスが成功しているとは言えまい。

国民の懐が膨らまぬ以上、時の政権の経済政策を成功と評価することはできない。

今回の税収減少見通しも、そんなアベノミクスの失敗を証明するエビデンスの一つになるだろう。

アベノミクスの失敗を最も如実に表現しているのは、何といっても「個人消費・所得・雇用の質」に係わる指標の停滞であり、謂わば、長期不況の病根と呼んで差し支えなく、物価低迷や税収減少などの症状を惹き起こしている。

日本経済の足を引っ張り続ける病根を断つには、さんざんに痛めつけられた家計と企業のフロー・ストック両方を早急かつ大胆に回復させる必要がある。

毎月勤労統計調査による所定内給与の長期推移を見てみると、従業員5人以上の事業所の賃金指数は、1996~2015年までの20年間で7%も下落している。

つまり、1996年頃の所定内給与(残業代などを除いた月給)を100とすると、2015年には93まで下がってしまっている。

これを単に7%の下落(それでも大きすぎる下落幅だが…)と取り、日本人の生産性が低いから仕方ない云々と放置するバカ者もいる。

しかし、平常ベースの国家運営ができる国なら、経済成長する(=家計所得も増加させる)のが当たり前であり、イーブンペースなんて実質マイナス評価とすべきで、ましてや、マイナス基調なんて、懲戒免職ものの失態だろう。

1996~2015年までの20年間に、所定内給与が対前年比1% (たったの1%!!)ずつでも増えていたとしたら、その間、給与水準は100から120にまで増えていた計算になる。

つまり、積極的な財政金融政策を怠り、デフレ容認・不況放置を続けた結果、家計が受け取る給与が120から93まで、23%近くも減少してしまったことになる。
それだけ多額の利益を得るチャンスを失い(=逸失利益)、家計のストックやフローは痛み切っている。

こんなありさまでは、インフレ予想(期待)も抱けないし、先を争って消費や投資に精を出すこともできるはずがない。

だが、世の中には、こうした現実を認めたがらず、日本の経済成長を忌避する痴者も生息している。

成長否定論に浸る痴れ者の主張を要約すると、次のようになる。
『日本の潜在成長率は「1%程度」しかない。GDPギャップは限りなくゼロ。財政出動や、金融緩和の余地なんて、もうほとんどない。5兆円程度の財政出動をすれば、インフレにはなる。日本だけ財政出動しても、マンデル=フレミング効果により薄まってしまうから、無駄になる。』

この手の痴者は、潜在成長率を供給サイドからしか見ていない。
すなわち、①労働力 ②資本力 ③生産性といったサプライサイドの要素が成長のポテンシャルを決定づけると信じ込んでいる。

彼らは需要サイドを軽視するくせに、なぜか日本のサプライサイドに対する評価が極めて低く、実質GDPの伸びが2016年+0.5%、2017年▲0.1%というIMFによるいい加減な推計を盾に、日本の潜在成長率の限界は1%くらいだと諦めきっている。

実社会で、製造やサービスの現場を経験したことのないドシロウトには、我が国のサプライサイドが秘めるポテンシャルの高さを理解できぬようだ。

今年9月の国内製造工業稼働率指数は96.7(前年同月比▲1.0%)に止まっている。
この指数は、2010年を100としたもので、6年前と比較して3.3Ptも落ち込んでいる。
その間にアベノミクスが隆盛を極めたはずなら、当然100を大きく超えていなければならないが、現実はそうなっていない。

しかも、比較の尺度をもう少し長く取り、2005年頃と比較(2005年=100)すると、今年9月の稼働率水準は85程度に止まり、極めて低位でしかない。

先の痴れ者のように、GDPギャップはゼロどころか、国内にはそこいら中に遊休設備が転がっている状態で、2005~2016年までの設備投資や更新による製造能力のUPを考慮すると、未稼働率はかなり増えている(=製造余力の拡大)と予測される。

つまり、国内には、製造業・サービス業の区別なく供給余力は十分にあり、サプライサイドの能力不足を理由に成長余力を過少に見積もるのは、完全なる誤りであろう。

「5兆円程度の財政出動をすれば、インフレにはなる」なんて戯言を吐くバカ者には、28兆円(真水はごく一部だが…)もの補正予算を組んだ安倍氏に文句をつけるべきだろう。
しかし、実際には、多額の補正予算がアナウンスされても、物価はピクリとも反応せず、インフレどころか、デフレ化懸念が増すばかりだ。
(教科書に噛り付くだけの痴れ者の大嘘は、すぐにバレる)

現実を知らぬシロウト論者は、「日本の“労働力・資本力・生産性”をフルに発揮されるGDP水準を潜在GDPという」などと嘯くが、肝心の「生産性」は、供給力ではなく、需要力の強弱に大きく左右される。

現状のように、製造設備やサービス提供の稼働水準が低位で、且つ、早急な回復が見込めない場合であっても、製造品目の単価やサービス価格の向上により付加価値を上げることは、何も難しいことではない。

大規模かつ長期間の財政金融政策により内需を刺激し、298円の弁当製造ラインで700円の弁当を製造できる経済環境を整えればよいだけのことであり、ありもしない供給制約とか、潜在成長率限界論のような安っぽい理由を盾に成長を拒もうとするナマケモノには、“社会に出て現実を見ろ!”と言っておきたい。

そもそも、成長を諦めるようなクズは、不況からの脱却が至上命題でるはずの我が国には不要だから、早々に北朝鮮にでもお引き取り頂く方が、ゴミ掃除の手間も省けるというものだ。

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