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2016年12月21日 (水)

通貨の価値は国力で決まる

日銀のバランスシートには「発行銀行券(=日銀券・紙幣)」が負債の部に計上されており、その額はH28/3期で95兆円になる。

以前のエントリー『日銀券に負債性など無い』(http://ameblo.jp/kobuta1205/entry-12227438733.html)で述べたとおり、筆者は、日銀券の負債性や債務性を認めていない。

そもそも、日銀はバランスシートを作成する必要がなく、資金の出入りだけをチェックできれば十分で、大福帳でもつけていればよい。

仮に、国民から、日銀券の返却対価を求められたとしても、金や他の貴金属を以って、あるいは、日銀職員が皿洗い(労役)をして返済する必要がない以上、負債性があるとは言えない。

日銀券を要らぬという者に、日銀は何を以って応えるのか、その答えは日銀券であろう。

日銀券を決済手段に用いる実体経済の現場なら、受け取った日銀券の対価としてモノやサービスを返す必要があるが、こと日銀という立場においては、そうした対価を支払う必要はない。

一方、日銀券(=通貨)に負債性を認めぬと徴税権の信頼性が揺らぐとの論もあり、常識的な見解からすれば、これもまた一理あると思う。
いや、一理あるどころか、こちらの方が極めて一般的な発想であり、筆者のような極論をがなり立てる方が、周囲からよほどの変わり者と受け取られても仕方ない。

特に、「徴税権の存在が通貨価値の不安定化を防ぎ、通貨流通の安定化を図る。これこそが、国家の垣根を超えた通貨の売買において、自国通貨の信認を維持する根幹である」という議論は、非常に高い説得力を持っている。

だが、それは、「負債性や債務性」の概念をあまりにも広義に解釈するもので、一般的な理解の範疇を逸脱しているし、筆者は、徴税という制度が通貨を担保する主峰だとも思っていない。

人々が通貨に価値を見出す時に、発行元の徴税能力に思いを馳せることはないし、最強通貨のドルを発行するアメリカが、世界最悪の脱税国家であるという指摘もあることから、通貨価値と徴税能力のみをリンクさせるのは無理がある。

 

通貨の価値は何によって測るべきか?

 

それを明快に評価できる絶対無二の基準は見当たらないが、為替レートや長期国債の金利水準などが一般的だろう。

 

「徴税権=通貨を担保」とするならば、為替・債券ディーラーは、購入対象国の徴税制度に関する詳細な情報を修得していなければおかしいし、為替や債券市場の現場で、対象国の徴税制度が材料になることなど極稀でしかない。

国家は、法の制定・強制、通貨の発行、徴税、軍事力の保持、治安の維持、条約の制定など数多くの大権を有しているが、「徴税制度」はそれらを構成する要素の一つに過ぎない。

一般的に、信用力の高い通貨、例えば、米ドルやユーロを手にした時、ドル紙幣を安心して財布に入れる気になるのは、発行元の国家の国力に高い経緯と信用を抱いているからだろう。
「ウガンダ・シリング」とか「コロンビア・ペソ」みたいな如何わしい通貨だと、こうはいかない。

つまり、通貨の価値を担保するのは、国家の供給力や治安状況、国民や企業の資産力、教育水準、法の強制力・遵守力、労働規範、商慣習、流通インフラ、金融システム、徴税力、知財権等々数え上げれば限がない、要するに「信頼に足る国家であるか」という“国家としての総合力”に他ならず、徴税権だけを特別視する必要はない。

「通貨=国家」との認識は共有できるが、そこから「=徴税権」とはならない。

 

徴税制度に関して、いにしえの律令制下での租庸調や雑徭(労役)が租税制度の主流であった時代は、納税という行為自体が極めて高コストかつ面倒なシステムであったろうと想像する。

租(収穫の3%の稲を納めるもの)・庸(京に上って労役に服するもの、麻による代納も可)・調(地方の特産物を納めるもの)、さらに、雑徭(インフラ工事等の労役)は、国民に物納や労役を課すもので、農作物の栽培技術が未熟かつ自然現象に収穫量を左右される当時において、現代を生きる我々が思う以上に過酷な負担であったことは想像に難くない。

庸と調を都に運ぶのは生産した農民自身で、運脚夫といい、国司に引率されて運んだ(Wikipediaより)そうだが、国府と都を結ぶ東海道・北陸道等(七道)の大動脈の交通インフラでさえ未整備であった当時なら、運搬にかかる労力やコスト(食費や宿泊費用も含めて)は莫大で、かつ、何日もかかる運搬行程の途中で怪我や病気に罹りでもしたら、そこいらに医者なんていないから、たちまち命の危険に晒されてしまう。

それほど面倒かつ高コスト・高リスクな納税作業を、貨幣納付で代用できるようにしたのが現代の徴税制度につながる系譜だろう。

貨幣による納税が一般化したのは、貨幣という万能の購買権の利便性に気付いた徴収側のニーズと、心身ともに大きな負担を強いられる物納や労役を避けたがったいにしえの国民のニーズとが、たまたま合致しただけのことであり、徴税制度が貨幣価値を担保するか否かというのとは別の話である。

 

また、通貨流通の安定化について、徴税制度により、過大な資産や所得を得る者から、貧しい者へ配分を促す社会的不公正是正の役割は重要だと思うが、現実には、税率の累進性はフラット化する傾向にあり、税の本分や強みが活かされていない。

実際、通貨流通の安定化を徴税だけに求めるのは、いささか徴税制度を誇大視した議論だろう。
国内の税収入は50~60兆円しかないのに、国内市場の決済額(≒通貨流通)はクレジットカード市場だけでも50兆円に達しており、国内全体でどれほど膨大な額になるのか想像もつかない。

つまり、徴税による通貨流通は、それ自体大きな額であることに異論はないが、マクロレベルで見た場合に、それが与えうる影響は軽微なものでしかない。

 

徴税制度は、高インフレを防ぐ予防策として極めて重要であることは間違いない。
生産力が未熟で物資が乏しく、ちょっとしたきっかけで高インフレに見舞われていた前近代においては、徴税制度が通貨を担保する主要素足り得たかもしれない。

徴税権は、あたかも、通貨という猛虎を繋ぎ止めるための強靭な首輪の役割を果たしていたのだろう。

だが、供給力が飛躍的に発達し、慢性的なデフレ圧力に苛まれる現代においては、そうした慣習を改めねばなるまい。

かつて猛り狂っていた虎は、空腹に耐えかねて立ち上がることすらできずにいる。
彼の勇猛な姿を再び望みたいのなら、与えるべきは首輪ではなく、空腹を満たすための食糧だろう。

そして、その役割を果たせるのは「通貨」しかない。

 

人々や政治に携わる者は、通貨の神秘性を疑い、その呪縛を解き放ち、国民生活向上と国富たる供給力の維持向上のために、通貨をもっとこき使うべきなのだ。

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