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2017年2月

2017年2月28日 (火)

働く気持ちさえあれば、財源は無尽蔵

筆者は、常々、日本のように重度のデフレ病を患う国では、通貨の信認など気にせずに、もっと積極的に通貨を働かせるべきだと主張してきた。

デフレ経済下で、いつまで経っても不毛な安値競争を強いられるのは、需要不足のせいに他ならない。
モノやサービスを売りたい(=カネに換金して収入を得たい)企業や事業者は後を絶たないが、実体経済には、彼らの欲求やポテンシャルに応え得るだけの資金や実需がまったく足りていない。

そこで、供給サイドと需要サイドのバランスを適切に保つには、両者を隔てる巨額の資金的アンバランスを通貨供給によって埋めてやる必要がある。
それも、「返済を伴う通貨(金融緩和で生まれるマネタリーベース)」ではなく、「ダイレクトに売上や所得となる通貨(財政政策が生み出す事業や給付などを通じて供給される通貨)」でなくてはならない。

莫大な量の通貨供給を行うには、当然、大量の日銀券が必要(必ずしも紙幣の現物を必要とはしない)になり、馬鹿な財政学者や緊縮主義者らから、財政規律や日銀のバランスシート棄損を問題視する声が上がることは目に見えている。

だが、不兌換通貨制度が一般化し、高度な供給能力を備えている現代では、財政規律とか通貨の信認云々など、取るに足らぬ些細な問題である。

なにせ、円安信仰の根強い我が国では、円の信認が高すぎることに怯え、史上空前のゼロ金利が何年続いても、2%のインフレ目標すら達成できないような特殊な国だから、財政規律など気にせずに、大量の通貨を実体経済に供給して活用すべきだ。

いまだインフレ率がゼロ近辺をウロウロしているような国で、通貨の供給制約を語るのは、まったく馬鹿げた話だろう。

ましてや、中央銀行のバランスシートなんて、存在自体がまったく無意味である。
貸借対照表とか財務、決算なんて、結局は、すべて「円」という通貨価値に帰し、円によって換算されるのだから、円の体現者である中央銀行(日銀)をバランスシート化する考え方自体が奇異なことだ。

先日、日経新聞を捲っていると、いつもは緊縮派や構造改革派の幻想コラムしか載らぬ『大機小機』に、珍しく、筆者と似たような主張があった。

『日銀に財源はいらない』(日経新聞「大機小機」2/24 執筆者:カトー)
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO13296490T20C17A2EN2000/

執筆者のカトー氏は、経済アナリストの吉松崇氏の論考「中央銀行の出口の危険とは何か」を引用して、
「まず何よりも、不換貨幣を発行する現代の中央銀行は財務の健全性を心配する必要がない。中央銀行は民間銀行や企業と異なり、通貨発行益を有する。資産の購入も経費の支払いも日銀当座預金の貸方記帳で取引は完結する。日銀は債務超過を心配する必要がないから、自己資本を心配する必要もない。」
と論じている

また、金融緩和政策を終了させる出口戦略の段階で、これまで日銀が購入してきた長期国債の金利上昇による含み損発生やバランスシートの棄損という問題に対しては、
「結論から言えば、短期金利の上昇が始まるまで日銀は経常利益を出し、出口に入って短期金利が上昇し始めると経常損失が生じ始める。
 だが出口での経常損失も心配するに及ばない。出口政策が完了した暁には、再び経常利益が発生し始めるからだ。
 では損失が出たときには政府による日銀の補填は必要なのだろうか。不要だと吉松氏は言う。政府による補填は税金と国庫納付金を通じて日銀から政府に還流するだけだからだ。」
とし、金利上昇による日銀の財務への影響はないとする。

そして、
「ひょっとしたら出口での日銀のバランスシートや債務超過を懸念する人々は、日本銀行を民間銀行のように、あるいはかつての金本位制のように兌換(だかん)通貨を発行していると考えているのかもしれない。もちろん、日銀は民間銀行ではないし、今は金本位制の時代ではない。金融政策に財源は不要だ。この簡単な事実を日銀はきちんと広報すべきだろう。」
と訴え、通貨の発行元たる中央銀行の財務状況を民間企業と同一視する安易な発想を否定している。

日銀の財務に関するカトー氏の考え方は、概ね、筆者と一致する。

金融緩和政策の出口戦略(=国債買取額縮小)に伴う市場金利上昇により、400兆円を超える日銀保有の国債価格の下落を心配する声が多いが、そんなものは満期保有すればよいだけだし、金融引き締めの必要が生じて、国債売却による損失が出たならば、政府が補填すれば済むだけの話だ。(日銀には、それすら不要だと思うが…)

日銀と政府は、誰が見ても一体の「統合政府」に他ならず、また、不可分かつ一体でなければ意味がない存在だから、両者の持つ無尽蔵の通貨発行権をフル活用して、実体経済の需給バランスを調整すればよい。

カトー氏の云うとおり、兌換通貨や金本位制の時代は、とうの昔に過ぎ去っており、政治家や官僚は、経済政策の選択に当たり、通貨の信認や中央銀行の財務状況を言い訳にできない時代になったことを認識すべきだ。

「財源」なら、いくらでも創り出せるのだから、後は、それを受け止め、消化する供給サイドの問題なのだ。
供給サイドが怠けぬ限り、財源(=通貨)が無駄になることはない。

2017年2月27日 (月)

ヘリマネを腐す前に、増税脳を嗤え

『金利と経済 高まるリスクと残された処方箋』を著した京都大学 翁教授の解説文が、ダイヤモンドオンラインに掲載されている。
著者の翁氏は日銀OBで、日銀によるマネーサプライの管理是非を巡り、当時の岩田学習院大教授(現日銀副総裁)と「岩田・翁論争」を繰り広げたことで有名な人物である。

『本当に将来の増税を回避できるのか? ヘリコプターマネーの効果を考える』
http://diamond.jp/articles/-/119182?utm_source

翁氏は解説の中で、
「金利ゼロの負債である銀行券で財政をファイナンスすれば、財政コストを伴わずに、財政をファイナンスできる、という結論になりそうに感じる。(中略)しかし、意外にも答えはノーである。」、
「ヘリコプターマネーが、「増税を不要にする財政ファイナンス策」ではありえない」
とし、ヘリマネや大規模な財政支出に否定的な見解を示している。

翁氏の主張をまとめると、次のようになる。
①金利がゼロの間は、家計・企業は受け取った銀行券(紙幣)をタンス預金するだろうが、金利上昇につれ家計は銀行券を預金し始めるから、銀行券が金融機関に還流して日銀当座預金が増える。

②銀行券による財政ファイナンス政策のコストは、ゼロ金利が続く間はゼロかもしれないが、インフレ目標が達成され金利がある程度上昇した時点では、家計による預金増加→日銀当座預金増加をもたらし、日銀当座預金への利払い(+0.1%の金利適用分)が財政コストになる。

③ヘリコプターマネー型の銀行券による財政ファイナンスを採用しても、それだけでは政府の利払費を節約することはできない。金利がゼロから上昇することで統合政府の利払いは不可避的に増加するから、それを防ぐには、金利を恒久的に上昇させない「永遠のゼロ金利政策」が必要になる。

④ヘリコプターマネーの導入と同時に、利払費増加額と同額の銀行課税導入が必要だが、銀行への大規模な課税は、銀行の収益基盤を揺るがしかねず、利用者である家計や企業に、何らかの形で税負担を転嫁するしかない。つまり、ヘリコプターマネーは、「増税を不要にする財政ファイナンス策」には成り得ない。

要は、増税を嫌って財政支出、とりわけ、ヘリマネのように安易な手法に頼るなと言いたいのだろうが、正直言って、翁氏が何を言いたいのかよく解らない。

先ず、①について、この先金利が高騰するなら預金額も増えるだろう。
しかし、「金利がゼロの間は、家計・企業は受け取った銀行券(紙幣)をタンス預金する」というのは、翁氏の妄想に過ぎない。

国内銀行の預金残高は昨年12月末時点で730兆円と、ここ2年余りで72兆円も増えている。
金利が低過ぎることに腹を立てて自宅金庫にタンス預金するような変わり者はごく一部でしかなく、家計や企業は鼻クソみたいな金利でも、せっせと預金を増やし続けている。

次に②だが、日銀当座預金の「基礎残高」部分(今年1月末時点で208兆円)に付利される僅か0.1%の金利を取り上げて“財政コスト”呼ばわりするのは、あまりにも大袈裟すぎる。

208兆円×0.1%=2千億円程度の利払いなんて、H28の国債利払い費9.9兆円に比べればゴミみたいな金額であり何の問題もない。

また③だが、利払い増加を防ぐのに「永遠のゼロ金利政策」を執る必要などない。
前述のように、日銀当座預金の利払いコストは極めて軽微であり、それすら不都合なら、元々無金利だったのだから、ゼロ金利に戻せばよいだけだ。

また、ヘリマネを財源とする大規模な財政政策の実行により景気は過熱し、名目GDPの成長を通じて税収も増加するから、チマチマした利払いコストを気にせずともよい。

そもそも、利払いコストなんて言ったところで、所詮は、「政府・日銀」→「銀行・企業・家計」という日本国内の経済主体間を資金が移動するだけだから、大騒ぎする必要はない。

最後の④について、銀行収益を気にするのなら、積極的な財政政策を打って実体経済を刺激し投融資を活発化させる方が、遥かに効果的だ。

なにせ、国内銀行はH28/12月末で473兆円もの融資残高を抱えており、平均金利は0.998%と1%を切る惨状だ。
ゼロ金利やマイナス金利の悪影響をモロに受けた格好で、不良債権処理やシステム投資負担などを考慮すると、この水準で銀行が収益を上げるのは相当に厳しい。

今すぐゼロ金利政策を止めろと言うつもりはないが、積極的な財政政策を打ち続け、実体経済の過熱度合いに応じて、適切な金利環境に誘導する必要はある。
日銀当座預金の0.1%くらいのゴミ金利を気にするよりも、実体経済を刺激して、融資金利が3~6%程度になるよう誘導する方が、銀行収益にとっては遥かにプラスだろう。

翁氏は、政府の利払いコストを基点にヘリマネによる財政政策の弊害を説きたいようだが、論旨が的外れでピンとこない。

とどのつまり、「“増税を不要にする財政ファイナンス策(ヘリマネ)”なんてトンデモナイ。そんなことをしたら、増税できなくなるだろっ‼」というのが翁氏の本音なのだ。
どうしても増税したいのなら、最初からそう言えばいいのに…

2017年2月26日 (日)

人手不足は移民推進の言い訳

久しぶりに、経済財政諮問会議の資料に目を通してみた。

2月15日に開かれた「平成29年第2回経済財政諮問会議」の議事要旨から、出席した民間委員の発言をチェックすると、珍しく、「働き方改革=企業の残業代減らしではいけない。改革の成果である生産性の向上や業績向上が適切に給料に反映される仕組みが重要」(高橋日本総研理事長、新浪サントリーHD代取)といったまともな発言もあった。
(「適切に」という言い回しを、どう解釈するかにもよるが…)

しかし、相変わらず、
①IT業界を中心とする人材不足を外国人の活用で補うべし
②税・社会保険料の負担による子育て世代の消費低迷対策として社会保障制度改革が必要
といった移民推進論に凝り固まっている様子が覗える。

IT人材不足の件について、民間委員から提出された資料によると、2016年時点のIT供給人材は92万人で不足数は21万人に達し、これが2020年に37万人、2030年には79万人へ拡大するとされ、諮問会議の場においても、伊藤・新浪・高橋・榊原の民間委員4名が揃って外国人材の積極的な受け入れと活用が必要だと発言している。

例えば、
「コンピューターサイエンスの学科が少ない状況にある中で、即座に日本人の人材を補強することはできないので、そういった意味で、外からの高度人材の確保に向けて施策を早急に進めていくべきではないか。」(新浪氏)
「高度なIT人材の獲得競争は世界的に激化しているが、日本でも積極的に海外の高度人材確保の迅速化を図るべきである。そこで、例えば海外で余っている高度IT人材を国内で就労させるという特別なスキームにより彼らを活用する。そして、我々のギャップを埋める。」(榊原氏)
といった具合に、“日本にはIT人材がいない”、“外国人を頼って輸入するしかない”という勝手な前提の下に、国民の意見を無視して、都合よく移民促進のレールに沿った議論を進めようとしている。

彼らは、IT業界の人手不足を懸念するが、単になり手がいないことを嘆くだけで、IT業界が抱える慢性的な人手不足の問題を根本的に解決する気なんて、さらさらない。

経済産業省の資料『IT人材を巡る現状について(平成27年1月)』によると、情報通信業の国内従業者数はH25で107.6万人に対して、同業界の外国人労働者数は2.8万人と僅か2.6%に過ぎない。
【参照元】
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/johokeizai/it_jinzai_wg/pdf/001_04_01.pdf#search
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/johokeizai/it_jinzai_wg/pdf/001_04_02.pdf#search

業界の人材不足が本当に深刻で十万人オーダーで足りないのなら、そもそも、3%にも届かない外国人層を掘り起こすよりも、日本の高等教育を受け、日本語がストレートに通じる日本人層からの供給を図ろうとするのが常道だろう。

しかし、先に紹介した『IT人材を巡る現状について』では、
・景況不況による開発案件増減の調整弁となった多次請け協力会社の労働環境、雇用条件、待遇が悪化
・SI業界を中心に、「ブラック企業」、「デジタル土方」、「デスマーチ」、「新3K」のイメージが醸成
・業界全体にネガティブなイメージが蔓延し就労先としての魅力が低下、新卒学生がSI業界を敬遠
など、IT業界が抱える構造的問題により業界が疲弊し、人手不足の真因である“多重下請け構造による丸投げ委託”や“劣悪な労働環境による魅力低下”という体質は変わっていないと指摘している。

すぐに移民に頼りたがる輩は、問題や課題の改善を忌避し、移民受入れという安易なやり方に逃げ込んでいるだけだ。

こうした悪習や悪癖を取り除き、業界全体の改革をせぬ限り、国内のIT人材増員は望むべくもないし、いくら外国人を引っ張ってきても、すぐに逃げられるだけで根本的な解決にはならない。

なにせ、日本と違って諸外国では、IT業種は給与水準も仕事の満足度も高い人気の職業だから、ブラック業種の代表格と化している日本にまで、わざわざ来てくれる保証なんてどこにもない。
(例)
Q.「この仕事は給与が高い」
A.「よくあてはまる」…米国51.2%、インド47.4%、インドネシア30.8%⇔日本4.0%
Q.「自分の仕事の成果に対する評価」
A.「満足している」…米国51.0%、インド42.6%、インドネシア34.8%⇔日本7.8%
【参考資料】『IT人材に関する各国比較調査(概要版)』(経済産業省)http://www.meti.go.jp/press/2016/06/20160610002/20160610002-8.pdf

こうした実状をまったく考慮せず、経済財政諮問会議の連中は、人手不足を移民促進の突破口に悪用しようとし、「●●業界は人手不足が深刻」→「3Kで日本人がやりたがらない」or「教育システムの不備により日本には人材がいない」→「外国人材(移民)を活用するしかない」→「移民が暮らしやすい社会を創るため、日本の社会構造全体の改革が必要」と、話がどんどんエスカレートしている。

彼らの戯言は、「移民のために日本人は何ができるか、何をすべきか」という風にしか聞こえない。
この手の売国奴には、『いったい、お前たちは、どこの国の人間なんだ??』と厳しく問い質す必要があるだろう。

2017年2月25日 (土)

デフレ脱却に小難しい理論は不要

【合理的期待形成仮説】
「人びとが利用可能なあらゆる情報を用いて合理的に予想するとき,期待値に関しては正しい予想ができるという前提に立つ学説。合理的期待仮説ともいう。
サージェントやルーカスに代表され,1970年代に入ってから米国で大きな影響力をもち,ケインジアンの財政金融政策の有効性に対して,短期的に人びとは政府の政策の帰結を的確に予想し行動するから,政府の期待通りの効果は保証されない,と批判した。」(百科事典マイペディア)

「合理的期待形成仮説」のようなシロウト理論を真顔で信じているのは、経済活動に従事していない経済学者くらいのものだろう。

20日の日経新聞「経済教室」に『「合理的期待形成仮説」次の課題』という論文が載っていた。(執筆者:慶応大教授 小林慶一郎氏)
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO13085270Y7A210C1KE8000/

論文の要旨は次のとおり。

●ケインズ経済学までは、観測者(経済学者)は経済システムの「外」にいて、経済システムの「中」の人々(市場の住人たち)とは別個の存在と仮定されていた。

●現代マクロ経済学では「経済システムの『中』にいる市場の住人たちこそが観測者だ」と考える。市場の住人たちは自分の行動を決めるときに経済システム全体を観測し認識しているはずだ、とシカゴ大学のロバート・ルーカス名誉教授は指摘した。

●「人々の期待が、人々の期待それ自身に依存して決まる」という再帰性は経済システムの本質だが、再帰性があると、ふつうは何が起きるかまったく予想できず、意味のある政策分析ができない。そこで経済学者は「人は完全に合理的に予想するので、期待の基本形は最初から完成しており、時間がたっても変化しない」という非常に強い仮定(合理的期待仮説)を入れることにした。合理的期待を仮定すると、期待が単一に定まり、政策分析がきれいにできる。

●「企業も人も市場価格を所与として数量を決める」というのは理論上の仮定で、現実の経済ではもちろんそうなっていない。現実の期待形成メカニズムを本当に理解し、期待を誘導してデフレから脱却するためには、経済学版の「不確定性原理」を見つける必要があるのかもしれない。

●それには「人々は価格を所与として数量を決める」という大前提を離れ、「人々は価格と数量の確率分布を決める」というような新しい経済学が要るのかもしれない。現世代の学者だけでは荷が重い課題であり、次代の探究者との協働が不可欠であろう。

小林教授は、合理的期待形成仮説が現代経済学の主流派にとって根幹となる理論であるとしながらも、「企業も人も市場価格を所与として数量を決める」というのは、あくまで理論上の仮定であり、現実には通用しないことを認めている。

そのうえで、現実の期待形成メカニズムを本当に理解し、期待を誘導してデフレ脱却を図るためには、次世代の学者による新たな経済学の登場を待つ必要があると論じている。

過去のエントリーでも触れたが、筆者は、合理的期待形成仮説なんてまったく信用していない。
このインチキ仮説は、目立ちたがり屋のサージェントやルーカスらが、ケインズ理論や財政支出効果を批判するために無理やり創作した道具でしかないから、理屈の根拠が妄想だらけで使い物にならない。

合理的期待形成仮説の根幹は、
①人びとが利用可能なあらゆる情報を用いて合理的に予想する
②期待値に関しては正しい予想ができる
という2つの前提条件にあると思うが、現実の経済主体の行動、特に、個人や中小規模の経営者の思考パターンは、こうした条件に当てはまらない。

一般的な個人(=その辺にいる市井の人々)は、“利用可能なあらゆる情報”を集めようとしないし、“合理的”に予想するとは限らない。

そもそも、合理性の基準は、個々によって異なるから、本人が合理的だと思っていても、第三者の目から見て合理的と言えるのかどうかは判らない。

また、人間には嗜好や癖がつきもので、しばしば、それを合理性より優先させたがるから、合理的な予想がなされる方が稀だろう。

よって、期待値に関する正しい予想ができるという保証はどこにもない。

小林氏は論文の中で、「ケインズ経済学までは、観測者(経済学者)は経済システムの「外」にいて、経済システムの「中」の人々(市場の住人たち)とは別個の存在と仮定されていた。市場の住人たちは「自分が住んでいる経済システム全体を観測し、認識する」ということはしない。彼らは政府の政策にただ単純に反応するだけだ」と述べ、ケインズ経済学以前の発想を小馬鹿にしている。

しかし、現実世界にいる個々人の多くは、「自分が住んでいる経済システム全体を観測し、認識することをせず、政府の政策にただ単純に反応するだけ」のケインズ以前の発想に浸り切った平凡な人々ばかりではないか?

「日本は借金大国だという大嘘を信じ込み、自らの所得を減らす緊縮財政策に諸手を挙げて反対する」、「消費税増税が決まったとたんに財布の紐をきつく締め上げる」、「金融緩和政策の意図を理解せず、怯えるばかりで消費や投資に消極的な態度を崩さない」等々、経済システムの『中』から経済システム全体を観測し、自律的に行動を決める『合理的経済人』に相応しくない態度や行動を取るものばかりだ。

彼らは、政府の政策を細々とチェックすることなんてない。
その消費行動は、自分の財布の中身と来月以降の給与明細の多寡によって決まる。

つまり、合理的期待形成仮説は、その前提からして既に脱線しており、説得力も実戦力もない空論でしかない。

小林氏は、現実の期待形成メカニズムを理解し、期待誘導によってデフレ脱却を図るためには新しい経済学が要る、それには自分たちの世代だけでは不可能だ、と述べているが、そんな呑気なことを言っていては、何時まで経ってもデフレから脱却できない。

現実の期待形成メカニズムを理解したければ、実際に消費や投資を行う経済主体(家計や企業)に会い、直接インタビューすれば済む話だ。
経済活動の主役たちに会って話を聞けば、
・デフレの主犯は、需要不足であること
・需要不足の主犯は、現実の所得不足と、将来の所得予想に対する悲観であること
が、すぐに解るはずだ。

本気でデフレから脱却したければ、そうした事実を基に正しい経済政策を実行すればよいだけで、わざわざ、新しい学問を確立させる手間など不要である。

2017年2月24日 (金)

感情論と詭弁まみれの移民推進派

『国境を開放し移民を自由化する大胆提言の真意 「移民の経済学」(著者:ベンジャミン・パウエル/テキサス工科大教授』
http://diamond.jp/articles/-/118269

週刊ダイヤモンドオンラインのHPに、上記書籍の要約レビューが掲載されている。(要約者:松尾美里)

本書の著者は、“移民問題に関して、客観的かつ建設的な議論が必要”との建前から、「移民政策をめぐる議論の多くが感情論に終始し、その経済的・文化的・政治的効果に関する学術的研究の成果がないがしろにされている」と尤もらしいことを言っているが、感情的になっているのは、移民推進派の方だろう。

欧米、特に、欧州各地で惹き起こされている不法移民による凄惨な犯罪やテロ行為、文化・宗教的侵食、社会保障コストの増加、低賃金労働の横行、失業率の高止まり、反移民的言動に対する弾圧行為等々、移民促進による悪影響やデメリットは、誰の目にも明らかなほど顕在化している。

にもかかわらず、デメリットを排除しようとする当然の主張や行動を「感情論」だと切り捨てるのは、殺人や強盗の現行犯を見て見ぬ振りするのと同じ愚かで卑怯な行為だ。

目の前で起きている犯罪行為や惨事を認めずに、屁理屈で庇おうとする連中こそ、何の合理性もない感情論に陥っているのではないか?

さて、この後は、上記URLの要約文で気になった点を掻い摘んで紹介し、その矛盾点を指摘したい。

【論点1:比較優位の原則は労働移動にも適用できるのか】
●「富を増やすには、最も生産的な分野で生産活動を行うべきである」という比較優位の原理を労働者の移動にも適用すべき。

▶比較優位の原理なる空論を絶対視するのは周回遅れの発想。
“最も生産的な分野”が何かは誰にも判らないし、それが永続する保証はない。
また、“生産活動”を託す相手を不法移民の連中に限定する必要性について、合理的な説明がまったくなされていない。

●アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、オーストラリア。こうした人気の高い移住先を移住者がめざすのは、経済的な理由による。平均的な途上国と比べて、一人当たりの所得がおよそ2倍になることが見込めるからだ。研究結果によると、国際労働移動の障壁を撤廃することで、グローバルな富は世界全体のGDPの50~150%も増加し、効率性は大いに向上する。

▶移民の連中の目的が「単なる出稼ぎ」でしかないことを吐露している。
自国民に与えるべき雇用と所得を、無条件に移民に差し出せというのは、国民が路頭に迷っても構わないという意思表示に等しく、国家が行政や立法を放棄するのと同じこと。
▶また、国際労働移動の障壁撤廃によりグローバルな富が世界全体のGDPの50~150%も増加するなんてデータには、まったく根拠がない。
今年1月のIMFによる世界経済の見通しは、2017年の世界成長率を3.4%(先進国は1.9%)と予測しているが、特に2011年以降、世界経済の伸び率は極端に鈍化しており、たかが移民を認めたくらいで、世界全体のGDP換算で50~150%も増加するなど、あまりにも荒唐無稽な予測で絶対にあり得ない。

【論点2:移民受入国の労働者の賃金に与える影響】
●アメリカ人労働者の雇用水準や賃金に対し、移民の影響はほとんどないことが判明している。労働経済学者ボージャスの論文によると、移民の流入で特定の熟練レベルの労働供給が10%増加したとしても、アメリカ人労働者の就労週数はわずか2~3%の減少にとどまっている。

▶米国政調査局が2015年9月に発表した年次調査の統計によれば、2014年のアメリカ人男性の所得の中央値は、1973年よりも低い水準にあるという。
統計によれば、2014年のアメリカ人男性の所得の中央値は5万383ドル(607万円)で、インフレ調整後の実質ベースで5万3294ドル(642万円)という1973年の水準を下回ったそうだ。
▶40年以上も経済成長を続けてきた国で、労働者の所得が昔より低いなんて、本来ならあってはならぬことで、成長の果実が、経営層と低賃金層(不法移民)に分捕られ、一般の労働者の手に渡っていないことが判る。

【論点3:移民は、流出した国にどんな効果を及ぼすのか】
●移民の自由化政策は、送出国に残った住民の厚生をも向上させる。
高度人材の国外移住は、母国での人的資本への投資を減少させるどころか、むしろ増大させる。例えば、ニューギニアとトンガでは、優秀な高校生の大多数が国外移住を検討しており、それが学校教育への投資を増加させている

▶これは、県内の教育投資の果実が、すべて首都圏など他地域に流出してしまう秋田県の例と同じ現象だと言える。
野球なら、移籍先球団からの移籍金や人的補償というリターンもあるが、人材の輸出は流出元の国家にとって、一方的な片務契約であり、せっかく費やした教育投資を国外へ持ち逃げされるようなものだ。

●流出した移民からの送金は、本国に残された住民が生活を維持するうえで重要な役割を担っている。

▶出稼ぎ労働者からの送金を充てにするような底辺国家は、未来永劫成長することはない。
フィリピンやインドネシア、メキシコ、北朝鮮みたいな出稼ぎ国家の惨状を見ればよい。
▶「高度人材の国外移住」なんて偉そうな言葉を使っているが、端的に言うと、国民の教育水準を高め、自国の産業を発展させるという国家としての責務を投げ出し、雇用や所得を創り出す努力もせず、先進国にタカっているだけではないか?

●移民により家族が分散することで、移住先から本国へ、技術とイノベーションの国際移転がよりスムーズになるという効果も評価されるべき。

▶一緒に住むから『家族』なのであり、わざわざ国境を越えて分散させる意味がまったく理解できない。
▶筆者は、いまだかつて、フィリピンやメキシコ、北朝鮮で移民先からの技術やイノベーションの国際移転が起こり、世界を驚かすような製品が開発された、なんて話を聞いたことがないのだが??

以上、移民絶対推進論の詭弁を指摘したが、彼らの現実逃避の徹底ぶりには、改めて失笑を禁じ得ない。

なお、重度の移民依存症患者には、次の4点を指摘しておく。
①国内に眠る人材活用という選択肢を排除し、端から移民に頼ろうとする「排内主義」は、国民の理解を得られない。
②労働者の移動の自由を認めることは、移民排出先の国家から自立や努力の機会を奪い、発展の可能性を阻害する行為である。
③コスト安の移民を使いたい企業は、自国を棄て、移民が掃いて捨てるほどいる移民排出先の国家へ移籍すべき。
④移民の連中は、入国した国の文化や習慣、言語、宗教、法制度などを尊重し、自分たちの慣習や宗教を棄て、入国先の良き国民になる努力をすべき。

2017年2月23日 (木)

「需要」と「自国民」を蔑ろにするのはジャンクの証し

『偉大な国』(北海道新聞 卓上四季 2/17)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/season/2-0109271-s.html
「日本の人口は、1億2千万人台のまま減少傾向にある。1億人を超えたのは50年前、1967年だった。「いざなぎ景気」で好況となり、カラーテレビが普及し始めたころだ
▼同じ時期、米国の人口は2億人だった。現在は3億2千万人余り。つまりこの半世紀で、米国は日本の国一つ分に当たる人口を新たに加えたわけだ。増加の傾向は今日も続いている
▼働き手が多くなれば国の力が強まる。米国が超大国であり続けられる理由の一つはここにあるだろう。長い間、年に数十万人という単位で、他国からの人々を受け入れた。新天地を夢見る男や女、その子孫らが汗を流し、社会を豊かにした
▼第2次大戦以前は欧州からの人々が大半だった。戦後は、中南米やアジア、中東諸国が中心だ。いま自動車産業は斜陽で、白人労働者がトランプ大統領の支持基盤となったが、最盛期には増産を目指して大勢の移民を雇った
▼現に、米国最大級のアラブ人街は、車メーカーが集まるミシガン州にある。街はアラビア語ばかりだ。巨大なモスクもある。イスラム圏から来た人々が、米国人として「アメ車」を造ってきたのだ
▼トランプ氏は「偉大な米国を取り戻す」と言う。だがその米国は、多様な文化を社会に組み込むことにより発展した。いまIT業界などが懸念を示す通り、移民への寛容がなくては、経済面でも無理が出てくるように見えるのだが。」

トランプ氏にこの北海道新聞のコラムを見せたら、さぞや憤慨するだろう。
筆者には、社会のことが何も解らぬ高校生の書いた学級新聞レベルとしか思えないが、これを読んだ北海道民の多くが、記事の内容を無批判に受け容れていることは想像に難くない。

コラム執筆者の勘違いは、文中の二つの言い回しによく表れている。
①「働き手が多くなれば国の力が強まる」
②「移民への寛容がなくては、経済面でも無理が出てくるように見えるのだが」

まず、労働者の数が経済成長にとっての必要十分条件であるとの強い思い込みが随所に見受けられる。

20年以上もの長期不況を経てもなお、“働くものが多ければ、国が豊かになるはず”という幻想に縋る単細胞さに驚きを禁じ得ない。

多くの人が、労働と成長を直結させたがる発想、つまり、「頑張った分だけご褒美を貰える」という思い込みに陥りがちなのは、受験勉強の名残なのかもしれない。

無論、誰もが受験勉強をしてきた訳ではないが、受験に苦しめられた挙句に成功した者は、自らの努力が高得点となって報われたことを自負し、そうでない者は、得点力不足を努力不足のせいだと反省させられる。
受験とは無関係であった層も、社会に出てから「学歴というパスポートの威力」を目にするたびに、「勉強→努力→成果」という発想を受け容れざるを得なくなる。

だが、経済が持つ循環や成長の仕組みは、自分だけの努力で得点を伸ばせる受験勉強とはまったく異なる。
経済の世界は、個々の頑張りだけで切り抜けられるほど甘くはない。

筆者も職業柄、様々な新商品や新サービスの開発や事業化に勤しむ企業家と接することがある。

彼らは、それこそ寝食を忘れて商品開発や販路開拓に没頭し、中には、数千万円もの私財を投じるほど自社商品に惚れ込む者もいるが、そのほとんどは陽の目を見ずに沈没する。

原因はとてもシンプルで、商品としての魅力に欠けるのと、マーケットにそれらを受け容れる購買力が備わっていないこと、端的に言えば、需要力が極端に疲弊し買い手がつかないことに尽きる。

働く者の数が多ければ経済成長できるかのような考え方は、甘い幻想でしかなく、供給サイドが創り出す膨大な量の商品やサービスに対価を払えるだけの巨大な需要力の存在がない限り、経済は決して成長できないし、成長から所得を得る人々の生活が豊かになることもない。

“働けば働いた分だけ豊かになれる”なんてあり得ない。
労働の対価を支払える別の経済主体の存在がない限り経済成長は不可能なのだ。

高校生相手に教科書を曲解したエセ知識をひけらかすインチキ教師は別として、実社会でビジネスの現場に携わった経験のある者なら、この程度の理屈は肌感覚で理解できると思う。

また、北海道新聞のコラムは、「アメリカ経済は、移民が汗をかいて働いたから成長できた」→「移民に寛容な社会じゃないと成長できない」かのような書きぶりだが、こんなものは、低賃金の固定化による奴隷労働と、途上国が行うべき自国民の人材育成に対する努力放棄を容認するトンデモない暴論である。

ヒスパニック系や中南米系、アジア系移民の連中がアメリカに渡る目的は、単なる出稼ぎでしかなく、そこに崇高な思想や理念を無理矢理当て嵌めようとすべきではない。

移民の連中は、アメリカでは汗をかけるのに、自国で汗をかこうとしないのは何故か?
彼らは、貧しさから抜け出せない母国を建て直すためにこそ汗をかくべきではないのか?

不法移民の連中は、カネを稼ぎたいという自分勝手な理由で母国を簡単に棄て、本来彼らを養うべき母国も、都合のよい人減らしになると、移民の輸出を是認する。
要するに、国を挙げて先進国に社会保障コストや労働コストを押し付けているだけではないか。

さらに、こうした途上国の棄民政策に移民受入国の企業が便乗し、国内の労働コストカットに利用するという「負の共依存関係」が成立している。

こうした『寄生のトライアングル』は、すべて先進国の労働者にツケ回しされ、低賃金競争や雇用不安低下、治安悪化という形で社会を蝕んでいる。

移民で国を活性化させるなんて、頭のネジが緩んだ大バカ論でしかない。
労働者が足りないなら、国内に数百万人もいる失業者やニート層の活用こそ訴えるべきだ。
何といっても、彼らには「日本語が通じ、日本の社会ルールを理解している」という何物にも代えがたいメリットが備わっているのだから…

卓上四季のような旧態依然とした発想で嘘を撒き散らすマスコミ連中の態度は、本当に救いがたい愚か者だ。

先週、トランプ大統領が、ホワイトハウスでの会見で「偽ニュースだ。そうでなければ、ひどい偽ニュースだ」とマスコミを扱き下ろしたそうだが、筆者も同感である。

マスコミの連中は、現実離れしたフェイク論を撒き散らす有害無益のゴミでしかない。

2017年2月22日 (水)

モノが買いづらくなる時代が、すぐそこに

先日、経営相談に乗っている焼き肉レストランのPOSデータを見たら、主力メニューの材料原価が47~48%にもなっていたので、驚いて店主に問い質したところ、昨今の牛肉価格高騰により仕入れコストが嵩んでいるが、かといって、値上げもできず、利益を出すのが相当厳しいと零していた。

確かに、JA全農のサイトで大阪市場の肉牛枝肉卸売価格推移を見ると、大阪和牛去勢A-4クラスの㎏当たりの卸単価は、2014年1,995円→2015年2,341円→2016年2,748円(いずれも4月)と、2年ほどで37.7%も上昇している。

また、農水省の資料でも、食料品の消費者物価指数(※卸価格ではないが、ほぼ同じ動き)が、ここ2年余り上昇していることが判る。
2012年の指数(95/2015年=100)に対して、2016年12月の食料品全体の指数は102.5と7.9%も上がっている。
【参考資料】http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/kouri/attach/pdf/index-15.pdf

これだけ仕入価格や市況が上がってしまうと、飲食店が利益を出すのも大変だろう。

知り合いの飲食関係のコンサルタントに聞くと、業種や業態により異なるが、数年前まで、一般的に原価率の目安は約25%〜30%と言われていたらしいが、昨今では食料品価格が万遍なく上昇傾向にあり、原価率も35~45%に上がっているそうだ。

「業種別審査事典」という資料を捲り、いくつかの業態のおおよその原価率(黒字企業平均値)を調べてみると、
〈レストラン〉45%、〈ラーメン店〉32.3%、〈焼肉店〉40.7%、〈大手牛丼チェーン〉33.9%~40.9%、〈そば・うどん店〉31.9%、〈寿司店〉46.9%、〈喫茶店〉31.5%、〈居酒屋〉34.9%、〈料亭〉36.1%
等々、思ったよりも原価率が高止まりしている。

焼肉店を例にとると、売上255,000千円、売上総利益151,000千円、営業利益9,200千円、経常利益10,000千円というのが黒字企業の平均値であり、ここから納税や借入金の返済、新たな設備投資の原資を捻出するのは容易ではなかろう。

10,000千円というと一見余裕があるように見えるが、材料仕入れコストだけでなく、水道光熱費や借入金利が少しでも上振れしたり、厨房機器を更新したりすれば、数百万円くらいは瞬く間に吹っ飛んでしまうものだ。

材料仕入れコストの漸増は、ただでさえ財務体質が脆弱な飲食業界の経営を直撃し、1996年に83万店を超えていた全国の飲食店舗数は、2012年には57万店へと3割以上も減り、歯止めが掛かる気配すらない。

食料価格は、天候不順や飼料価格高騰、円安、離農増加などの要因で簡単に上昇する。
よって、マーケットを健全な状態に保とうとするなら、最低でも、コスト上昇分をメニュー価格に転嫁できる環境が必要なのだが、本来なら、「仕入れコストUP→価格改定→客の不満爆発」という消極的なルートではなく、「適切な経済政策→家計所得UP→高付加価値ニーズの高まり→高付加価値&高利益率メニューの提案→仕入れコストUPを吸収」といった、飲食店と顧客がWin-Winの関係になるのが望ましい。

客は一円でも安い店を探すことに熱中し、出てきた生姜焼き定食のあまりのショボさにガッカリする、一方、店側も、キャベツも豚肉も米も値上がりしているのに、客の懐具合を察して価格を上げられず、場末の学食みたいに貧相な食事を出さざるを得ない、というのでは、互いがLose-Loseになり不満が増すだけで、何の生産性もない。

我が国の食料自給率は、生産額ベースで66%(H27)と、他国と比べて特段低いわけではないが、大豆(42%)、魚介類(53%)、小麦(9%)、畜産物(60%)、砂糖(49%)など、調理の基幹となる食材の輸入割合が高い。

よって、行き過ぎた円安は輸入コストUPに直結するし、経済成長を忘れた我が国と、成長し続ける他国との相対的な購買力の差は拡大する一方だ。

内需依存度が高い日本の産業構造を考慮すれば、マンデル・フレミング理論のような空論は当てはまらないし、円安への固執は、円を決済通貨に使う日本人の相対的な購買力低下にもつながり、却って問題がある。

これまでは「貿易立国たる我が国にとって円安はメリット」との考え方が一般的だったが、このまま停滞が続くと、近い将来、円高に頭を悩ませていたことを懐かしむ時代が来るかもしれない。

日本人は、「人口が減るから経済成長しなくても仕方ない」という愚論を容易く信じてしまうが、未成長による購買力の低下が、輸入物価高騰に起因するコストプッシュ型インフレへの対応力を棄損するリスクを招くことを、きちんと自覚すべきだ。

日本には成長の余地がないから身の丈に合った生活を維持すべきだという「黄昏経済論」に浸るのは、国民を飢餓に突き落としかねない非常に危険な現実逃避であることに気付いてほしい。

2017年2月21日 (火)

名目値も、実質値も重要

先月末に公表された家計調査(二人以上の世帯)の平成28年12月分速報では、二人以上の世帯の消費支出は318,488円で前年同月比実質▲0.3%、名目+0.1%と、相変わらず冴えない数値だった。

一方、勤労者世帯の実収入は1世帯当たり924,920円で、前年同月比実質+2.3%、 名目+2.7%と、11月に続き増加しており良い傾向と言える。
(比較対象となる平成27年の数値があまりに悪すぎるため、増加して当たり前とも言えるが…)
しかし、平成28年の実収入は、第一四半期~第三四半期の実績が、前年同期比で▲2.1%に止まるため、通年ベースでは、良くて±ゼロか、マイナスになる可能性が高い。

家計消費支出にしろ、実収入にしろ、ここ数年は増減が交錯し、たまに増加する月があっても、その上昇幅が小さすぎる。

経済政策の効果が浸透するには時間が掛かるとの反論もあるだろうが、長期間に亘り低迷が続いたということは、比較対象となる数値の土台も低くなるはずだから、本当に適切な経済政策が打たれたのなら、もっと劇的な伸びが確認できてしかるべきだ。

テストの成績でも、90点を91点に伸ばす(+1%)のと、30点を33点(+1%)に伸ばすのとでは、その難易度に大きな差異があるはずで、低いレベルからの伸長幅は、より大きなものが求められる。

昨年の8月以降、実収入の名目値は増加傾向にあるが、そもそも実収入の値自体が低すぎるのが問題だ。
現に、消費支出が対前年比で減り続けているのは、収入が期待以上に増えないことに対する家計サイドの強い警戒感や失望感の表れだろう。

実際に、新日本スーパーマーケット協会による「消費者調査 2015」でも、
●「約8割の消費者は、この1年を支出が多すぎたと実感しています。生活必需品などの上昇により、相対的に収入の低い層や20、30代でその傾向は強く、多すぎたと感じる頻度も多くなっていることがうかがえます」
●「今回の物価高の中心は、消費者にとって最も身近な食品ということもあり、実際に観測される物価と比べて消費者が感じる「体感物価」は高止まりしています」
と指摘されており、生活必需品の値上がりによる支出増に対して、家計が圧迫感を感じている様子が解る。

実収入が長期的に減っているというデータを検証すると、平成12年~27年までの15年間の実収入平均額(1カ月の平均値)は、平成12年/508,984円→平成27年/469,200円へと推移し、この間に7.9%も減っている。
15年間もの間、家計収入が減り続ける国なんて、もはや“異常”としか言えない。
【参考データ】http://www.garbagenews.net/archives/2045729.html

さらに、各世帯が自由に使えるお金「可処分所得」ベースでは、平成12年/429,338円→平成27年/381,193円と、こちらは11.3%も減っている。
これは、実収入に占める「非消費支出(税金・社会保険料の割合)」の割合が、平成12年/15.6%→平成27年/18.8%に増え続けたことによるものだ。

家計は、給料が減り続ける中で、税金や社会保険料の負担増加と食料品・日用品の値上がりというダブルパンチを喰らってフラフラで、立っているのもやっとの状態であり、消費支出が減り続けるのも頷ける。
モノを買いたくても原資(=収入)が無ければ、どうしようもないではないか。

これだけ実収入の絶対値が低いままだと、今後、ガソリンや食料品が少々値下がりして実質値が増えたところで、何の足しもなるまい。

先日公表された昨年10-12月期のGDP速報値でも個人消費の低迷が顕著だったが、このどん底から這い上がるためには、「実収入」と「可処分所得」の両方を増やす、それも1~2%というチマチマしたレベルではなく、最低でも7~8%、可能なら二桁以上伸ばす気概が必要だろう。

家計の消費心理を強烈に刺激し、その姿勢を「消極から積極へ」と劇的に転換させるには、誰もが実現を訝しむほど大胆な目標設定をせねばならない。

「可処分所得」や実質所得を増やす施策として、社会保険料の国費補填割合の引き上げや消費税やガソリン税、自動車税など諸税の廃止や税率引き下げ辺りが有効で、即効性もあるだろう。

一方、「実収入」という所得の名目値を大幅に引き上げるには、大胆な財政支出を通じた実体経済への所得原資の供給が欠かせないし、企業間の雇用条件引き上げ競争を促すために、「景気回復に乗じた給与引き上げが当然の流れだ」という機運を国民が共有することも必要になる。

何だかんだ言っても、企業経営者は周囲の空気や社会の潮流を気にする性質だから、世間の空気が醸し出す力をうまく活用すべきだ。
また、国民の所得増収に取り組む政府の姿勢の本気度を示すためには、金融緩和によるサポートも必要になる。

重要なのは、政府が「国民の所得ターゲット」にコミットし、それを実現するための具体的な政策を打ち出すことにより、国民の心理に「収入増加期待」を醸成させることだ。

金融政策一本足打法や緊縮財政、構造改革みたいなやり方で、収入増加期待を創り出せるならよいが、これまでの実績から、それが120%無理であることは明白であろう。

2017年2月20日 (月)

供給制約論はただのゴミ

『少子高齢化社会を迎えた日本では、もう需要は増えない。たとえ増えたとしても、労働人口も減ってるから、供給が追いつかない』
どうしても日本経済を成長させたくない“成長否定論者”が、こんな大嘘を平気で吐いている。

モノやサービスに対する需要には、①数量増加 ②付加価値増加の2つがあるが、成長否定論者のように実業を知らぬシロウトは、「需要増=数量増」としか考えられず、“労働集約型産業は人的資源がギリギリだから、急な供給増加なんてムリ”と勝手に結論付けてしまう。

だが、「需要>供給」の状態になる(あるいは、そうなる確信が持てる)と、ちょっと目端の効く経営者なら、人材や設備投資など販売拡大に向けた準備に取り掛かるだろう。

筆者が相談を受ける中小企業の中には、たいした需要も見込めないのに、需要があるはずだと信じ込み、事業計画も立てぬまま、数千万円もする設備を買いに走る経営者も珍しくないから、需要が確保される確信さえ持てるならば、設備や人材育成へ、かなり積極的な投資がなされるであろうことは想像に難くない。

以前、拙ブログ(「需要不足の解消が、人手不足の解消にもつながる」http://ameblo.jp/kobuta1205/page-2.html)でもご紹介したとおり、中小企業基盤整備機構の「中小企業業景況調査」で「今期直面している経営上の問題点」を尋ねたところ、

【製造業】
①需要の停28.0% ②生産設備の不足・老朽化11.7% ③製品ニーズの変化への対応11.3%
【建設業】
①官公需要の停滞16.2% ②従業員の確保難14.8% ③民間需要の停滞14.0%
【卸売業】
①需要の停滞35.5% ②販売単価の低下・上昇難9.3% ③大企業の進出による競争の激化8.6%
【小売業】
①需要の停滞19.2% ②大・中型店の進出による競争の激化17.7% ③購買力の他地域への流出15.7%
【サービス業】
①需要の停滞18.4% ②利用者ニーズの変化への対応18.2% ③従業員の確保難12.0%

等々、何れの業種でも「需要不足」が経営上の最大の悩みに挙げられており、裏を返すと、“需要の裏付けさえあれば積極策に打って出る覚悟がある”という何よりの証である。

また、日銀大分支店の『大分県における設備投資動向の現状と先行き(2016年6月』というレポートによると、

「設備投資の弱さの背景については、(1)人口減少や少子高齢化の進展に伴う中長期的な需要縮小懸念、(2)先行きの不透明感の高まり、(3)企業収益の弱さ、に整理可能」、

「一部には、(1)中長期的な事業強化、(2)旺盛な需要の取り込み、(3)人手不足への対応、などを企図して積極的な設備投資に踏み切る動きもみられている」

との記述がある。
このことから、設備投資弱含みの原因は「需要不足」や「受注環境の先行き不透明感」にあり、それさえ払拭されるなら積極的な設備投資に踏み切ろうとする企業の強い意欲が覗える。

こうした実態は、なにも大分県に限ったことではなく日本全国に敷衍できるはずで、需要や受注の長期的な見通しさえ立てば、企業サイドは投資や人材確保に積極的になれるというごく当たり前の現象がデータで示されただけのことだろう。

商機や儲けのタネが目の前に転がっていれば、全力を尽くしてそれを奪い、機会ロスを回避しようとするのが、企業たる者の本分であり、人手不足云々を言い訳にすれば、他社に出し抜かれるだけのことだ。

もう一点、成長否定論者のシロウトさ加減が判るのは、付加価値増加の側面から需要増加を捉えることができない点だろう。

適切な経済政策が打たれ、家計の所得が増え、将来の増収期待も高まるような好環境になったなら、人々は購買点数を増やすとともに、購買物の質も向上させるはずだ。
具体的に言うと、200ℊで我慢していた豚肉を300ℊに増やしたり、100円の板チョコから400円のケーキにランクアップしたり、あるいは、第3のビールから生ビールへと、より高価格な商品に手を伸ばす者が増えるようになる。

こうした「質や価格面での需要増加」が起きた場合に、それに対応する供給力UPを図るのは、さして難しいことではない。
単に値札を書き換えるだけで済む場合、少々グレードの高い包材を使うだけで済む場合、ワンカップ酒を減らし地酒の陳列数を増やせば済む場合、スイーツのトッピングを1~2点増やせば済む場合等々、いくらでも工夫のしようがあり、供給サイドの伸びしろの範疇で問題なく対応できる。

“需要増に供給サイドが即座に応えられないから、需要主導型の経済成長なんてあり得ない”という成長否定論者の戯言なんて聴く価値もない。

彼らは、経営者の発想や企業活動の実態をまったく知らないから、供給力の源となる需要のパワーを蔑み、勝手に“供給力限界説”を唱えて悦に入っているが、要は、インフレの萌芽につながりかねない経済成長に怯えているだけのナマケモノだ。

経済成長を語る際に絶対不可欠の条件となる「需要増加の将来的確信」を避けようとする論者は、役立たずのジャンクに過ぎない。

2017年2月19日 (日)

フリートレード信者の幻覚

『小中で「鎖国」消える…聖徳太子は「厩戸王」に』(読売新聞 2/14)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170214-00050142-yom-soci
「「鎖国」が消える――。
文部科学省が14日に公表した次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会科で「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改める。(中略)
 文科省によると、江戸幕府は長崎でオランダや中国との交易を許し、薩摩(鹿児島県)、対馬(長崎県)、松前(北海道)でも外交と貿易が行われていた。完全に国を閉ざしていたわけではないため、当時の実態に即して表記する。(後略)」

江戸時代の対外貿易体制を「鎖国=完全なる海外貿易の途絶」を呼ぶべきでないとの指摘は、ずいぶん以前から歴史学者により上がっていたが、文科省もようやく重い腰を上げ、教科書から記述を削除するようだ。

「鎖国」は「士農工商」と並び、江戸時代を暗黒時代だと決めつけたがる識者が好んで用いる蔑称であり、彼らは、「江戸時代→鎖国→世界の孤児」というイメージを植え付け、自由貿易こそ絶対善という価値観を押し付けようとする。

だが、読売新聞の記事にあるとおり、江戸時代は長崎をはじめ4つの対外貿易窓口を通じて、オランダ・中国・朝鮮・琉球や、それらを窓口とする西欧や東南アジア諸国との間接貿易がなされていたというのが史実である。

主要な輸入品は、繊維類、砂糖、各種香料、薬、羅紗、ビロード、更紗、などの毛織物、木綿,麻の織物、鹿皮,鮫皮など、麝香、沈香、白檀、檀喬木、染剤原料、胡椒、丁子、肉桂、甘草、大黄、サフラン、水牛角、象牙、犀角、珊瑚樹、ガラス製品、書籍(医学・科学・兵学)、ガラス類、学術用具(天球儀・地球儀・天体望遠鏡)など非常に多岐に亘っている。

一方、輸出品は、銀、金、銅・銅製品、樟脳、陶磁器,漆製品、煙草、木材、醤油、屏風、煎海鼠、干鮑、ふかひれ、寒天、昆布、鰹節、鯣など、こちらも非常に多品目だ。

また、江戸自体の経済成長に応じて、貿易量自体も年々増加傾向にあったようで、輸入超過傾向にあった対外貿易による金銀流出を懸念した幕府から、たびたび貿易制限令が発令されている。

つまり、江戸時代は海外からの物品や情報の流入が途絶された特殊な時代だという旧来の歴史観は完全なる誤りで、鎖国という言いがかりに近い蔑称が教科書から削除されるのは、当然の成り行きだろう。

年間の輸出入額がいずれも70兆円を超えるような現代においてもなお、「日本は自由貿易に消極的な前近代国家」だと揶揄し、暴力的なフリートレードこそ絶対善だという価値観を押し付けようとする風潮が強い。

この手のフリートレード幻想論者は、自由貿易に一定の制限を掛けるべきと主張する論者に対して、「鎖国する気か」、「自給自足でもするつもりか」と幼稚な批判をしたがるが、こうした「ゼロか、100か」という低レベルの暴論には、まともに答える必要もないだろう。

そもそも、貿易とは、輸出入を行う国家同士のメリットの最大公約数を満たすレベルで行えばよく、過度な規制緩和や関税撤廃により、国内産業育成や雇用の維持などに悪影響を及ぼす懸念を生じさせるべきではない。

自由貿易自体を否定する意見なんて皆無に等しいのだから、国内産業の育成や雇用維持が確保できる範囲内で、存分に貿易をすればよいだけのことだ。

貿易は、国益増進や国民生活向上のためにやるべきものであり、それに反するレベルの暴力的な自由貿易は有害でしかない。

製造コストダウンにしか興味のない一企業家の思い込みにつられて、度を越したフリートレードが易々と容認されるような社会であってはならない。

また、TPP交渉における自動車産業と農業との関係のように、特定の産業に肩入れし、その便益向上のために、別の産業を軽々しく犠牲にするような考え方は絶対に容認すべきではない。

多国間交渉であれ、二国間交渉であれ、異なる産業同士を取引材料の駒に使って安値で切り売りするような勝手な真似を許してしまうと、過去の畜産業や果樹農業、繊維産業のような禍根を残すことになる。
時間や手間をかけてでも、産業別・品目別の個別交渉を基本とし、こちらの国益確保を何より優先する強い姿勢が求められる。

「ヒト・モノ・カネ」の三要素の完全なる自由化を求めるフリートレード中毒患者には、何を言っても聞く耳を持つまいが、昨今のSONYやSHARP、東芝をはじめとする電機業界や、自動車業界や製鉄業界、造船業界など、これまで日本の強みとされていた産業の衰退化を招いた主因は、暴力的なフリートレードによる競合激化&技術流出と、緊縮財政による内需停滞に他ならない。

周回遅れのフリートレード信者どもは、穴の開いたバケツで水を掛けるような行為のバカバカしさに、そろそろ気付くべきだろう。

2017年2月18日 (土)

周回遅れの周回遅れ

『アベノミクス危機 浜田教授がすがる“シムズ暴論”』(文春オンライン 2/10 川嵜次朗)
http://blogos.com/article/209565/

「(前略) 講演でシムズ氏は、日銀が掲げる2%の物価目標について「財政の介入がないと物価は上がらない」とし、個人や企業が安心して消費や投資を増やせるように、財政支出の拡大と同時に「消費増税の延期を宣言するべきだ」と提言した。
インフレになれば、国の借金もおのずと減るというのがシムズ氏の持論で、消費増税を予測しているから、国民が金を使わないというのだ。
講演後の討論会には、浜田氏も登壇した。日本の経済学者らが「財政拡大しても物価は上がらない」「むしろ不安が増幅する」と口々に疑問視するなか、ただひとり浜田氏が「これは活用できる」と主張。ただし「論拠もなくボソボソと話すので、会場は白け気味でした(参加者)」
 財務省幹部が語る。
「安倍政権はアベノミクス第二の矢としてすでに財政を吹かし、消費増税を2度も延期しながら、低成長の経済を変えられない。よもや総理が耳を貸すとも思えないが、財政再建を放棄すれば国民がアホみたいにお金を使うという暴論が注目される世の中が恐ろしい」
シムズ理論を「目からウロコが落ちた」と語る浜田教授。その学びに付き合わされる国民はたまったものではない。」

筆者は、話題のシムズ理論にも、“変節名人”浜田参与の何度目かの変節にも、大した期待はしていない。

シムズ氏の提言は、財政支出の拡大と消費税増税延期を含む内容であり、一定の評価はできる。

氏は、週刊ダイヤモンドのインタビューで、「日本は、金融政策と併せて、財政政策を実施していくことこそが必要です。超低金利の状況において、中央銀行は財政拡大のサポートなしに、(量的金融緩和による)資産買い入れを遂行すべきではありません」と答えており、既発債の買い集めに止まる現在の量的緩和政策から、政府の積極財政政策と並行して行う「財政金融政策」へと一歩駒を進めるよう促している。

要は、既発債と日銀券との両替でマネタリーベースをブタ積みするのではなく、政府に新発債の大量発行を促し、マネタリーベースに所得や売上に直結するお金を投入せよ、ということで、この辺りの認識は筆者も同意する。

だが、シムズ氏は、インタビューの続きで次のように述べ、そこはかとなく「リフレ臭」を漂わせている。

「中央銀行が財政政策の支えを求める際は、債務の大きさを判断の基準とするのではなく、インフレ(物価上昇)を条件とすることが欠かせません。言い換えれば、インフレ目標を達成するために、財政を拡大するということです」

「人々は「将来に増税が待っている」と思えば、政府が財政支出を拡大しても、消費を拡大しないでしょう」

「もし目標のインフレ水準が達成されるまで「消費増税をしない」と言えば、人々に前向きな影響をもたらせたでしょう。その方針を続ける限り、人々はインフレを受け入れやすくなります。そうすれば彼らはお金を使うようになり、マネーの流れも活性化するに違いありません」

「“適度”な財政悪化がインフレを起こすのに必要と言っているだけで、健全財政を放棄してもいいわけではありません」

彼の論旨は、『最終目標はインフレターゲットの達成で、財政支出拡大や消費増税延期は、それを達成するための手段である』というもので、所詮はリフレの皮を被った財出論者でしかない。

シムズ氏が「財政支出拡大」という言葉を用いる意図は、崩壊寸前の金融緩和政策の権威を護るための方便にあり、あくまで、「金融政策が主、財政政策は従」というのが彼の真意だ。

金融緩和政策を金科玉条の如く神聖視してきた浜田参与が、彼の理論に縋りついた理由もその辺にあり、浜田氏が財政政策を認めたと理解するのは早計だろう。
浜田氏のことだから、「シムズ理論を梃に、財政支出を引き出し、インフレ達成に利用できれば儲けもの」くらいのノリだと思う。

『財政拡大はインフレ目標を達成するため』という本音を曝け出すシムズ氏は、従来のリフレ理論支持者の枠を出るものではない。

また、彼の『目標のインフレ水準が達成されるまで「消費増税をしない」と言えば、人々に前向きな影響をもたらせたでしょう』という発言は、『人々は「将来に増税が待っている」と思えば、政府が財政支出を拡大しても、消費を拡大しないでしょう』という自身の発言と完全に矛盾する。
彼の主張を素直に受け取れば、たとえインフレ目標達成後であっても、将来の消費税増税が見込まれるのであれば、人々は消費を拡大させないはずだからだ。

このように、シムズ理論には矛盾や穴も多いが、旧式のリフレ理論や成長否定論者(緊縮財政派&エセ教科書学派)のポンコツ理論に比べると、財政拡大に言及する分だけ、数倍マシなのは確かだろう。

現実社会には、冒頭にご紹介した川嵜氏のように、シムズ理論より数世紀も遅れた化石論を信奉し、財政再建や社会保障費削減に躍起になるバカ者が圧倒的多数を占めている。

「財政支出を増やせば物価も上がるという2000年代初めに流行った古い理論です」(経済部記者)、
「財政再建を放棄すれば国民がアホみたいにお金を使うという暴論が注目される世の中が恐ろしい」(財務省幹部)
なんて呆れた愚論を偉そうに騙るレベルの低い能無しは、即刻職を辞すべきだ。

同時に、この手の暴論に対して無批判に頷くだけの国民にも、いい加減に目を醒ませと言いたい。
世界第3位の経済大国に暮らしながら、雇用不安や所得への不満に明け暮れる日々を送らざるを得ないのはなぜか、という点を、マスコミ報道やエセ論者の妄言を鵜呑みにせず、自身の頭を使ってしっかりと考えるべきだ。

世の中に愚論や虚言が蔓延するのは、国民の不勉強や無学にも一半の責任がある。

2017年2月16日 (木)

「常識」の名を騙る妄想

『なぜ「常識を疑う」ということができないのか?』
(ダイヤモンドオンライン 2/13 島田毅 グロービス編集長)
http://diamond.jp/articles/-/117209

「常識を疑う」というセリフは、ビジネス書や自己啓発本の類、あるいは、入社式や年頭の辞で経営者がしゃべる台本に頻繁に登場する言葉だろう。

ビジネス本の著者や経営者本人が、具体的に何をイメージして「常識」という言葉を使っているのかは非常に曖昧で、読者や社員に明確なメッセージとして伝わっているかどうか怪しいものだ。

メッセージを発する側も、きちんと準備したうえで言葉を使っているわけじゃなく、「なんか、いいアイディアを出せよ‼」くらいのノリだから、たいがいは、常識に飲まれたまま一年を過ごすことになる。

上記のコラムで執筆者の嶋田氏は、常識を疑うための思考として幾つが例示している。
【Why思考】
「なぜそのようなやり方をしているのか?」などと問いかけることで、人々の常識にチャレンジする
【AND思考】
「なぜ両方同時にできないと考えるのか?暗黙の前提があるのでは?」などと考え、トレードオフを打破する
【水平思考】
皆が当たり前と考えている前提を疑う
【ゼロベース思考】
物事を与件なく考えてみる

そして、ビジネスの現場で「常識を疑う」という行為がなされない理由として、次のように説明している。

「突き詰めれば、「その方が楽だから」ということになるのではないでしょうか。
常識や昔からの手順に従って物事をやっていれば、確かにブレークスルーはないかもしれませんが、逆に大失敗を犯す可能性も減ります。人間は基本的にはリスクを嫌う動物ですし、そもそも面倒なことを避け、易きに流れる性向を持ちますから、結局はいつものやり方や、多くの人が推奨するやり方に頼ってしまうのです。(中略)
上記とも絡みますが、言い訳をしやすいというメリットもあります。特に組織人の場合、常識にチャレンジして失敗をしたら、結果責任を問われますし、そもそも何かをする前に他人に対して説明をするという責任も生じてしまいます。」

このコラムを読む経営者やビジネスマンの多くは、「なるほど! 今度、会議や営業先のトークで使ってみるか…」というレベルで話が終わってしまうだろうが、もう少しマクロな発想に昇華してもらいたい。

ビジネス書を読んで「常識を疑うゴッコ」するだけでは何の生産性もない。

ビジネス環境を少しでも改善し、業績向上や収入UPを望むなら、マクロ経済を成長させる必要があるだろうが、マクロレベルの経済環境を好転させ、日本を再び成長軌道に乗せるためには、先ず、我が国に蔓延する「経済的常識」に疑いの目を向け、それを是正する必要がある。

そこで、世に蔓延る「緊縮主義・構造改革・規制緩和」という経済的常識に対する反証を、嶋田氏推奨の思考パターンに当てはめて示してみる。

【Why思考】
財政支出を忌み嫌い、「緊縮主義・構造改革・規制緩和」の三本柱政策を20年も続けてきたが、その間、GDPは停滞し、サラリーマンの平均給与は下がりっぱなしではないか。
20年以上も結果を出せず、それどころか、事態を悪化させるだけの間違ったやり方を、なぜ続けるのか?

【AND思考】
財政政策の話になると、必ず、「財政再建か、経済成長か」あるいは「給付・減税か、公共事業か」という意味の無い二者択一論が沸き起こるが、なぜ両方同時にできない、やるべきではないと考えるのか?
経済成長を果たした先に財政再建は存在し得るし、給付・減税型であれ、公共事業型であれ、民間経済主体(家計&企業)にとってプラスになる政策なら、トレードオフ論に固執せず、くだらぬ縄張り争いを止めて両方やればよい。
家計が潤い企業が富むような相乗効果を求めて、躊躇なく全弾発射すべき。

【水平思考】
「日本は世界最悪の借金国家」、

「財出の財源は税収のみ」、
「グローバリズムの船に乗り遅れると世界の孤児になる」、
「変動相場制で財政政策は無意味」、
「日本は輸出主導型経済」、
「政府と日銀とのコミットメントで経済主体は未来を確定できインフレ予想が発生する」、
「金融緩和一本足打法で実質金利が下がり投資が活発化する」、
「デフレは消費者の利益」
等々、日本人が洗脳され、当たり前だと信じ込んでいる数々の虚言や大嘘を疑り、速やかに是正すべき。

【ゼロベース思考】
「日本財政を家計簿に例えると、50万円の月給で100万円支出しているようなもの」、
「積極財政を宣言した途端に円が売り浴びせられる」、
「財務省が睨みを利かせ、PB黒字化がある限り財出なんてムリ」、
「財出強化は高金利→円高→輸出不振を招く」、
「財出をしても国民は将来の増税を見込んで消費を抑えるから意味がない」、
「日本だけが保護主義に走っても、海外との競争に負けるだけ」、
「ベーシックインカムみたいな所得補填策をやると日本人が働かなくなる」、
「移民を受入れないとコンビニが回らない」
こういった、ありもしない与件や前提条件を勝手に付けて発想の転換を拒否するのは、成長したくないナマケモノや分配をケチる守銭奴の言い訳にすぎない。

敢えて言うなら、上記に挙げたような妄想をそもそも“常識”と呼びたくもないというのが、筆者の本音で、「常識の皮を被った筋悪の悪手」とでも呼ぶべきだと思う。

なにも常識を疑う云々と大上段に構えずともよい。
市井の人々に望むのは、『自分たちの所得を増やし雇用を安定化させられる経済政策は何か』という一点だけに集中し、それこそゼロベースで考えてもらいたい、ということだ。

精神主義者は、自分のことが見えぬもの

1984年に刊行された「失敗の本質」は、第二次世界大戦での日本軍が抱えていた組織的問題点を指摘し敗因を分析した内容で、累計販売数が70万部を超え、「日本=永遠の敗者」に縛り付けたがる戦後レジーム層の愛読書になっている。

とある新聞に掲載されていた「失敗の本質」の解説文によると、本は大学や防衛大の複数の研究者らにより執筆され、日本軍の失敗から何を学ぶかをテーマに、ノモンハン事件やミッドウェー作戦、インパール作戦などを検証し、戦略上、組織上の失敗を探ったもの、と説明されている。

解説によると、日本軍の失敗の要因は、
・装備不足を補うのに兵員増加で対応したこと
・精神主義が強調されたこと
にあり、これが敵の戦力の過小評価と自己戦力の過大評価につながり、日本軍は「神話的思考」から脱却できず敗退した、と強調している。

さらに、インパール作戦で軍司令官の牟田口中将が、必勝の信念を部隊に押し付け暴走したことを例に引き、山本七平著「空気の研究」にある、「日本軍の最大の特徴は言葉を奪ったことである」との記述を以って、問題提起や議論が許されず、組織から言葉が奪われたことの罪深さを指摘している。

こうした解説文を無批判に読むだけで、日本の名門企業の不祥事や米国トランプ大統領による不法移民制限令は怪しからんと息巻く読者も多いことと思う。

だが、筆者には、マスコミの連中がよくやらかす「鏡に向かって唾を吐く」愚行にしか見えない。
それは、「失敗の本質」で語られている「失敗の因子」を誰よりも大量にバラ撒いているのは、日本経済を壊し続け、社会システムの弱体化に手を貸すマスコミの連中だからだ。

日本軍失敗を決定づけた
①装備不足を補うのに兵員増加で対応
②精神主義の強調
という2つの要因は、国民に不況ゴッコを強要し、途上国への転落という“第二の敗戦”を招来しようとするマスコミをはじめ新自由主義者どもの特徴そのものだ。

先ず、①については、人手不足を理由にコストの安い外国移民や女性・シニア層を雇用の場に引っ張り出そうとするバカな動きにそっくりではないか。

戦車や重砲という攻撃力の高い兵器の不足により敗退を喫したノモンハン事件で、当時の日本軍は兵員増強という人海戦術に頼らざるを得なかったが、引鉄ひとつで数百という敵軍を倒せる重兵器との差異は歴然で、兵力を無駄に喪失させてしまった。

翻って、デフレ不況という深刻な戦況悪化を前にして、政府やマスコミは、財源不足を理由に、兵器の革新や補給(=雇用条件引上げ&従業員のモチベーションUP)を図ろうとせず、外国移民という安物の粗悪品の大量投入で対応しようとしている。

そうした安っぽい弥縫策により、各戦場では粗悪な兵員との食糧の奪い合いや情報・機密漏洩、暴動などに悩まされ、更なる戦局悪化を招いているのが実状だろう。
敵と戦うよりも、指導者から押し付けられた粗悪兵との神経戦に気力も体力も奪われてしまい、戦争どころではない。

次に②の精神主義の強調だが、今の世の中で、誰よりも精神主義に酔っているのは、政・官・財・学・報の各界に巣食っている新自由主義者や緊縮主義者の連中ではないか。

国民を喰わせるという重大な任務を放棄し、
「デフレ不況は、イノベーションできない日本人の努力不足のせい」、
「グローバリズムは世界の潮流。それに抗うのではなく適応せよ」、
「国境や国籍にこだわる時代は終わった。移民アレルギーをいますぐ捨てろ」、
「日本人は戦争を惹き起こした犯罪者。中韓に対するヘイトスピーチは厳禁」、
「日本の借金は世界最悪。財政政策なんて絶対に無理だし、次世代にツケを残すだけの愚策」、
などと、精神論を騙るだけで、苦境に喘ぐ国民を救おうとせず、しきりに『自助と努力』を連呼する様は「醜い精神主義」そのものだ。

「失敗の本質」の解説文にあった「敵の戦力の過小評価と自己戦力の過大評価」とは、デフレ不況の放置の先にある“途上国化”という重大なリスクに対する過小評価と、「緊縮・改革・規制緩和」という三バカ政策に対する過大評価に当て嵌めることができる。

マスコミの連中は、「日本軍の最大の特徴は言葉や議論を奪ったことである」と偉そうに言う自分たちこそ、「グローバリズムは善、緊縮財政は善、移民は当然」という言論の弾幕を張り、道理のない要求を突き付けてくる中韓に対する抗議の声を「ヘイトスピーチ」の一言で押さえつけようとする自分たちの姿勢こそ、国民から言葉や議論の機会を奪う重罪を犯していることを自覚せねばなるまい。

2017年2月15日 (水)

苦労自慢しかできない賤人

今回は、先週起こった二つのニュースをご紹介したい。

【ニュース1】
『「学費はアルバイトで賄え」 67歳「奨学金批判」に大ブーイング』(J-CASTニュース2/8)
http://www.j-cast.com/2017/02/08289885.html
「「苦学した私から見るといい時代になった」――。67歳の男性が新聞投書で「給付型奨学金」を批判し、話題を呼んでいる。
高校時代のアルバイトで、大学の入学費を捻出したという男性。奨学金で学費を賄おうとする現代の大学生に、「健康であればアルバイトで賄える」とキツい一言を投げかけた。
しかし、ネットでは「経緯をわかっていない」「若い方のことを考えなさすぎ」と大ブーイングが巻き起こっている。(後略)」

【ニュース2】
『「社会に出ると、仕事ねぇから」 坂上忍の「クラスぼっち」批判に異論殺到』(J-CASTニュース 2/10)
http://www.j-cast.com/2017/02/10290294.html
「俳優・坂上忍さんがテレビ番組で「ぼっち」を批判したことが、ネットユーザーから怒りを買っている。
学校の「いじめ」について、現役中高生と討論する番組で、クラスのグループ分けで孤立してしまう生徒に対し、「余らないように努力するのも一つ」と持論を展開したところ、「必ずしもそうじゃない」「ばかな大人の典型」と反論が相次いでいるのだ。(後略)」

「苦学生」や「苦労人」を自称する小人ほど、えてして他人の苦労や心労が解らぬものだ。

彼らが若い頃に重ねてきた(はずの)苦労は、いつの間にか、苦労自慢をするための「勲章」と化し、他人を睥睨し、見下すためのアイテムに成り下がってしまう。

苦労の末に手に入れた幸福の量が大きくなるほど、勲章の重みは増し、他人を見下そうとする気持ちは高くなる。
要するに、「俺は世界一の苦労人。俺より苦労した奴なんているはずがない(=居てもらっちゃぁ困る)」と言いたいだけなのだ。

苦労自慢しかできぬバカ者は、たいがい、脳内時計や体内時計が故障し、数十年前で止まっている。

彼らは、現代に起きる諸問題を語る際に、「自分が苦労を克服した時代=人生最良の時(the best in my life)」を基準にして、“想い出補正”をかけたままだから、いつもピントがズレたコメントしかできない。

問題を解決しようにも、肝心の関連情報がアップデートされていないから、正確にアプローチできず、最後は自分の苦労話で結論をまとめようとする。
要は、自称苦労人なんて、何も考えていないのだ。

ニュース1の投書オヤジは、大学の入学金や授業料の高騰、家賃相場の高騰、ブラックバイトの横行、就職難、就職後の賃金カーブのフラット化等々、現代の若者を取り巻く苦境をまったく理解しようとせぬまま、自身の価値観を押し付けて悦に入っているだけだ。

また、ニュース2の坂上忍による、
「『俺、普通にしてたら余るんだ』というなら、余らないように努力するのも一つ」、
「社会に出ると、余ったら仕事ねぇから」、
とのコメントも、自身の体験が最上・最良だという思い込みによる幼稚な勘違いで、深刻ないじめ問題に対して、この程度の認識しか持っていないネジの緩いバカをTVに出演させるのは止めてもらいたい。

社会に出たら云々…を盾に説教を垂れるのは、社会経験ゼロの学生に、大人の優位性をひけらかしたいだけの臆病者の常套句であり、そんなことは、学生が社会に出てからゆっくり対処すればよいのだ。

いじめは社会から即刻排除すべき醜い犯罪であり、いじめられる側に非があるかのような言い草は絶対に許されない。

投書オヤジや坂上忍のように、何でも努力で解決できると妄信する知的レベルの低いバカに共通するのは、苦境のどん底に突き落とされた人々に更なる努力や苦労を強いる発想の卑しさだろう。

彼らは、苦労人のフリをしながら、その実、根本的な問題解決に向けた努力や苦労を放棄するただの“ナマケモノ”に過ぎない。

困難が立ちはだかる社会問題に正面から対峙しようとせず、不幸の渦中にある人々を足蹴にして、「苦労が足りない」、「努力不足だ」と言い放てば問題が片付くと信じ込むのは、ナマケモノかバカのどちらかだろう。

2017年2月14日 (火)

クレーマーに必要なのは「再教育」

『「保育園から騒音」近隣住民の請求棄却 神戸地裁』(神戸新聞NEXT 2/9)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170209-00000012-kobenext-l28
「保育園から聞こえる園児の声などによって精神的苦痛を受けているとして、神戸市東灘区の男性が自宅近くの保育園の運営法人に対し、慰謝料100万円と防音設備の設置を求めた訴訟で、神戸地裁は9日、請求を棄却した。
山口浩司裁判長は判決で「園児の声などの騒音レベルが社会生活上の限度を超えているとは認められない」と指摘。その上で「保育園の公共性をことさら重視し、受忍限度を緩やかに設定できない」と述べ、周辺への影響は、国などが定める通常の騒音規制を基準に判断すべきだとした。
判決によると、保育園の定員は約120人。男性は「保育園の騒音で家族の会話もままならず、テレビの視聴にすら支障を来している」と主張していた。(後略)」

保育園児の声にクレームをつけて裁判にまで持ち込んだ“老害クレーマー”の常軌を逸した請求が棄却された。(※男性の年齢は明記されていないが、現場近くに50年以上居住との記述から70~80歳前後と推測される)

当然の判決である。

むしろ、「保育園の公共性をことさら重視し、受忍限度を緩やかに設定できない」という裁判所の余計な一言も併せて撤回すべきだ。

保育園や幼稚園は、公共性が極めて高い保護・教育機関であり、公益機関としての優先度は医療機関並みに高いはずで、周囲だけでなく近隣住民の受忍限度は、相当緩やかに設定されていなければなるまい。

子供が掃いて捨てるほどいた団塊の世代とは違い、ただでさえ子供の数が減少し、日本という国の行く末が危ぶまれている緊急時に、国の将来を背負って立つ貴重な人材の育成現場に、理不尽なクレームをつけるとは何事か‼

いい大人、しかも、人生の機微を知り尽くした(はずの)高齢者が、子供たちの元気な声に腹を立てて裁判にまで持ち込むとは、あまりのバカさ加減に、「お前の年金支給を今すぐ停止するぞ」と恫喝したい気分だ。

以前のエントリーでも指摘したが、保育園や幼稚園、小学校の近隣住民の中で、保育施設の新設に反対したり、子供たちの声がうるさいとクレームをつけたりする大バカ者には、『顔を洗って田舎にすっこんでろっ‼』とキツく言っておきたい。

子供、とりわけ小学生未満の園児たちの年頃なら、身体を動かして元気に騒ぐのなんて、人間が呼吸をし、睡眠をとるのと同じくらい当然の行動だろう。

この老害クレーマーとて、幼き頃は外でギャーギャー叫んで遊んでいたはずだ。

だいたい、保育園や小学校がひっそり静まり返っていたら、却って不気味だと思わないのか?

筆者も、スーパーのレジで店員にクレームを付ける、電車で列に割り込もうとする、ゴミをポイ捨てする、病院の待合室で大声を出す、運転マナーが悪い等々、“民度の低い高齢者”を数多く目にしており、「近頃の年寄りは行儀が悪い。本当に日本人なのか?」と疑りたくなることがある。

少々古いが、こんな記事もある。

『「お客様は神様」じゃない 猛威振るう反社会的消費者』(日経ビジネス 2015.1.25)
http://blogs.yahoo.co.jp/abcd5963ne2/31876260.html
「(前略)今回取材した店員やコールセンター社員のほぼ全員が、言葉を濁しながら、口をそろえて指摘した理由がある。「孤独で元気過ぎる老人」が増えていることだ。
 コールセンター専門誌を発行するリックテレコムが2014年に実施した調査では、企業に電話で問い合わせをする人の35.8%は60代以上で他の世代よりも圧倒的に多い。
 もちろん、大半は正当な問い合わせだろう。が、日夜、店頭や電話で厄介な苦情に悩まされている社員たちからは「面倒なクレームを持ち込むのは圧倒的に男性高齢者、はっきり言えば団塊の世代」との声が上がる。
 「時間はあるし、一昔前のお年寄りに比べ元気。一方で会社中心主義の人生を送ってきたため、女性に比べ地域に居場所はなく孤独でもある。彼らが持て余したエネルギーを最もぶつけやすいのは企業。特に逃げ場のない顧客相談窓口は格好の“標的”になる。実際、厄介なクレームは団塊が大量退職を始めた時期から一気に増えた」(後略)」

迷惑極まりない老害クレーマーと聞いて、すぐに団塊世代という言葉が浮かんだが、企業にクレームをつける主犯格は、案の定、彼らだったようだ。

高度経済成長時代に社会人生活を送り、プライドばかり高い彼らの中には、会社で通用した常識や手法が、そのまま社会に通用すると勘違いしている。
(※この辺りは、教科書が絶対に正しいと妄信する、エセ教科書学派のバカと同じ構造)

本人たちは、消費者の権利を振りかざしていることを忘れ、単に社会的手順を踏んでいるつもりなのかもしれないが、直撃を喰らう企業側にとっては、薄汚い恫喝や業務妨害に等しい迷惑行為でしかない。

何かと時代を牽引してきた団塊世代も多くは70歳近くに達し、本来なら、人生の大先輩として私利を捨て公益に尽くす懐の深さを見せてもよい年齢だろう。

だが、現実には、痛々しいほど“ミーイズムやエゴイズムの塊”と化し、次世代の幸福を願って一歩身を引くという慎ましさがまったくない。
あたかも、高崎山(大分県)にいる子猿の口を抉じ開けエサを横取りする躾の悪い親猿の醜態を見せられるかのようだ。

文科省の資料によると、全国には65000近い空き教室があるものの、その多くは、学校の物置代わりにしか使っていないようだから、社会常識が欠落し、マナーの遵守意識が希薄な高齢者に対して、日本人として守るべき基本的な倫理を教育してはどうか。

最近の高齢者層の社会規範遵守意識の劣化を見るにつけ、冗談ではなく、本気で、再教育が必要ではないかと考えている。

2017年2月13日 (月)

今日より豊かな明日が実現できる社会を!

『若手社会人に聞いた!』(マイナビフレッシャーズ 2015年)
Q 将来父親の年収を超えられると思いますか?
「はい」20.9% 「いいえ」79.1%
・100%不可能。父はいい時代に生きていい職場で長年勤めることができてきたが、自分はそんなに稼ぐことはできないから(女性/25歳/医療・福祉)
・バブル時代の昇給率にはかなわないので(女性/27歳/小売店)
・景気が良くなったり、昔のようにボーナスが一度に4カ月分もらえるようなことは考えられないから(男性/25歳/団体・公益法人・官公庁)

Q.親の年収をいつかは超えたいとおもいますか?
「はい」40.8% 「いいえ」59.2%
・親の年収が高すぎて、夢のまた夢(女性/27歳/食品・飲料)
・バブルを生きていた親の年収は超えられないと思う(女性/27歳/通信)
・今の景気や働き口では、親の年収を超える日はこない(女性/23歳/金属・鉄鋼・化学)

上記によると、若手社会人に父親の年収を超えられるかどうか聞いたところ、8割近くが無理だと答え、6割近くが超えたいという意欲すら失っている。

中間層の没落が大きな社会問題になっているアメリカでも、いまの30歳代の5割が、親世代の収入を超えられないというデータがある。

『米国の所得伸び悩み、半数が親世代超えられず 中間層に閉塞感、「アメリカンドリーム」は衰退』(WSJ 2016/12/9)
http://jp.wsj.com/articles/SB10133893654180563918204582485840879002650
「米国で8日発表された調査結果によると、30歳時点で自分の親の同じ年頃の所得を上回る人は半数程度にとどまることが分かった。(中略)
 スタンフォード大学、ハーバード大学、カリフォルニア大学の経済学者と社会学者からなるチームは経済的機会の格差について調査。「アメリカンドリーム」は健在なのかを独自の尺度で調べたところ、衰退しつつあることが分かった。具体的には、納税や国勢調査のデータをもとに1970年以降の30歳の米国人の所得を親世代の同年齢での所得と比較した。
 1970年には30歳のときに親の同年齢での所得を上回る人は92%いたが、2014年には51%に落ち込んだ(後略)」

20年以上も不況に甘んじてきた日本と違い、アメリカ経済は表面上成長を維持し、ここ20年間で名目GDPを2.3倍にまで膨らませてきた。
にもかかわらず、親世代の年収を超えられるのは若者世代の半分しかいないという。

上記の記事の続きには、
「親よりも稼ぎが多い若者は1970年から1992年(58%)頃にかけて急激に落ち込み、その後10年ほど横ばいだったが2002年に再び低下し始めた。(中略)
研究チームの試算によると、所得配分が富裕層に偏っている現状が続くならば、ほぼすべての子どもが親の収入を超えていた時代に戻るためには、年率6%以上(インフレ調整後)の経済成長を維持する必要がある」
とあり、中間層の没落と、多国籍企業による海外直接投資(工場移転)の増加が雇用輸出(流出)につながったと指摘される時期とが一致する。

我々から見ると呑気に暮らしているように見えるアメリカ人たちだが、市井の人々は、出口の見えない深いトンネルの中にいる。

『マスコミに載らない海外記事~アメリカの産業空洞化』より
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-09db.html
「アメリカの経済マスコミの報道からは決して知ることはできないが、現在、アメリカ人が直面している悲惨な就職見通しは、30年前のインドのそれに匹敵する。
アメリカの大学卒業生達が雇用される場合があるとすれば、ソフトウエア・エンジニアや、管理職としてではなく、ウエイトレスやバーテンダーとしてなのだ。彼等は独立して暮らすほどの収入がえられず、親元で暮らさざるをえない。
学資ローンを抱えた人々の半数は利息を支払えずにいる。18パーセントは、取り立て中か、滞納しているかだ。更に学資ローンを抱えた人々の34%が繰り延べか、債務履行猶予状態にある。明らかに、教育は解決策にはならない。」

「国民の三分の二が、400ドルの現金も用意できないような悲惨な状況で暮らしている。国民の貯蓄は、暮らしを維持する為に、引き出されつつある。
大企業は、将来の為に投資する為ではなく、自社株を買い戻す為に資金を借りて、株価、CEOボーナス、大企業債務を押し上げている。1パーセントの人々の所得と富の増加は、生産的な経済活動ではなく、略奪で得ているのだ。」

アメリカという巨木の根や幹は修復不能なほどに腐りかけ、譬えようのないほどの不安感と鉛のような停滞感がアメリカ社会を覆っている。

トランプ大統領が就任演説で、
・ワシントンD.C.から国民の皆さんへ政権を取り戻す
・この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはない。誰もが皆さんに耳を傾けている
・私たちは2つの単純なルールに従う。アメリカ製の商品を買い、アメリカ人を雇うことだ
・デトロイトの子供であろうとも、ネブラスカの風が吹き抜ける大地に住む子供であろうとも、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に見たすことができる
と強く訴えた意味がよく解る。

トランプ氏は、“真面目に働き、豊かな暮らしを手に入れたい”というささやかな願いすら、グローバリズムを盾に身の丈を超える贅沢だと却下され、雇用を脅かす不法移民に不満を述べようものなら、時代錯誤の差別主義者だと蔑まれてきたアメリカ人の怨嗟の声を代弁したかったのだろう。

翻って、我が国の若者世代を取り巻く惨状はアメリカ以上で、上昇意欲も極めて低く、“バブル時代には到底敵わない”と早くも白旗を上げるありさまだ。

世間では、いまだにバブル期を特別視する風潮が根強いが、もう四半世紀以上も前の話であり、バブル期の名目GDP成長率もたかが平均で4.6%でしかない。
経済政策の立案や執行に携わる者だけでなく、国民の多くが、こんな低い壁すら超えようとする気概も持てないようでは日本も終わりだろう。

バブル崩壊後の社会的実証実験で、緊縮財政・構造改革・野放図な規制緩和・資本移動の自由化・金融政策一本足打法・消費税増税等々、あらゆる愚策が実施され、いずれも悪手であることが実証されている。

我が国は、20年以上という長い時間を無駄にし、ロスジェネ世代など貴重な人材に多大なる苦労を背負わせてしまった挙句の果てに、実戦力の無い政策や、やってはいけない政策が何であるかを、身を以って学ぶことができた。

親の身長を超えるのは難しいかもしれないが、親世代の収入を超えるのは、さして難しいことではないはずだ。

為政者は、多くの犠牲の上に得た教訓を活かさねばなるまい。

2017年2月12日 (日)

需要不足の解消が、人手不足の解消にもつながる

『24時間営業、もうもたない 人手不足に加え「働き方改革」』(J-CASTニュース 1/22)
https://news.biglobe.ne.jp/economy/0122/jc_170122_7113432912.html
「人手不足が深刻化する中、外食や小売業界で、24時間営業をやめたり、正月の休業を増やす検討をしたりする動きが広がっている。広告大手の電通が昨2016年末、違法な長時間労働を理由に書類送検され、長時間労働の是正が社会的課題となっており、営業時間を減らす動きに拍車がかかっているようだ。
外食チェーン大手のすかいらーくは17年1月半ばから順次、主力のファミリーレストラン「ガスト」と「ジョナサン」の深夜営業を大幅に縮小する。24時間を含め、深夜にも営業している店舗は現在約1000店あり、このうち約750店の営業時間を短縮。原則として深夜2時に閉店し、早朝7時に開店する体制に改める計画だ。(後略)」

新聞やニュースで人手不足の声を聴かぬ日はないほどで、これを機に、女性やシニアの活用とか、外国人移民の受入を促す戯言もよく聞かれるが、失業者やニートなどの国内人材を活用すべきという正論は不思議なほど聞こえてこない。

実際に、各種データを見ても建設業やサービス業で不足感が強まっているようだ。

独立行政法人中小企業基盤整備機構が、全国の中小企業約1 万9千社を対象に調査した「中小企業業景況調査」(2016年10-12月期)の結果によると、
「従業員数過不足DI(「過剰」-「不足」、今期の水準)は、(前期▲15.3→)▲16.2(前
期差0.9ポイント減)と2期連続してマイナス幅が拡大し、不足感が高まっている。
産業別に見ると、サービス業で(前期▲20.0→)▲20.0(前期差0.0ポイント)と横ばいとなった以外は、建設業で(前期▲23.2→)▲27.3(前期差4.1ポイント減)、製造業で(前期▲12.0→)▲13.5(前期差1.5ポイント減)、卸売業で(前期▲9.5→)▲10.4(前期差0.9ポイント減)などすべての産業でマイナス幅が拡大した」
とのコメントがある。

だが、同調査で「今期直面している経営上の問題点」を尋ねたところ、次のような結果となった。
【製造業】
①需要の停28.0% ②生産設備の不足・老朽化11.7% ③製品ニーズの変化への対応11.3%
【建設業】
①官公需要の停滞16.2% ②従業員の確保難14.8% ③民間需要の停滞14.0%
【卸売業】
①需要の停滞35.5% ②販売単価の低下・上昇難9.3% ③大企業の進出による競争の激化8.6%
【小売業】
①需要の停滞19.2% ②大・中型店の進出による競争の激化17.7% ③購買力の他地域への流出15.7%
【サービス業】
①需要の停滞18.4% ②利用者ニーズの変化への対応18.2% ③従業員の確保難12.0%

何れの業種も経営上の最大の悩みは「需要不足」や、競合激化など需要不足に関連するものばかりであり、「人手不足」は、巷で云われるほど大きなトピックスにではない。
(ついでに、「デフレの原因は需要不足ではない」とほざくエセ論者の大嘘もバレバレだけど…)

従業員数過不足DIで大きなマイナス値を示した建設業やサービス業でも、人手不足を課題とする割合は12~15%程度でしかない。
製造業や卸売業では一桁に止まり、小売業に至ってはランク外だ。

マスコミや経営者が口にする「人手不足」という言葉の本気度が、実際にはどれくらい深刻なのか、その真意が疑われる。

筆者もあちこちの店舗に貼り出されている求人票に目を通している。
先日立ち寄った総合スーパーでは、婦人服や食品売り場の求人票があり、何れも、「1日8時間勤務、月21日程度、時給800円」という条件で、ほぼフルタイムで、たったこれだけの時給なのかと、他人事ながらガッカリさせられた。

これでは、諸手当などを加味しても月収15~18万円ほどにしかならず、「土日出勤必須&時間が不規則な立ち仕事&クレーマー対応込み」の面倒くさい職に歓んで応募する者は限られるだろう。

経営者が“足りない、足りない”と嘆くのは、「奴隷並みの最低賃金でも黙って働く奇特な人材」が見つからない、と愚痴を溢しているだけのことだ。

とは言え、需要不足のデフレ不況下で「仕入高の売値安」により、販売単価を上げられず、多くの企業が赤字経営に苦しむ現状で、雇用条件を易々と引上げられぬ事情もよく解る。

先述の景況調査のデータからも、企業サイドの最大のネックが「需要不足」にあることは一目瞭然だから、先ずは、これを解消して売上や収益の改善につなげ、賃金引上げの原資を確保できる経済政策を打てばよい。

同時に、労働分配に消極的な企業が内部留保を貯め込みに走らぬよう、損金算入経費の拡大や法人税の強化、労働分配率に応じた減税、社会保険料の国庫負担率引上げなどの施策も必要だ。

何より重要なのは、「景気を回復させ、給料が毎年上昇するのが当たり前」という機運を国民や企業間で遍く共有することだ。
こうした空気の醸成は、意外と効き目があるもので、経営者(特に、企業規模が大きくなるほど)は、世間の空気を気にしがちだから、100%とは行かぬまでも、それなりの効果は期待できる。

いま実行すべきは、外国人労働者受入のための体制整備などではない。
そんなくだらぬことに労力を使う暇があれば、企業にとって喫緊の課題である「需要不足問題」を早急に解消することに全力を尽くすべきだろう。

2017年2月11日 (土)

エセ痴識が不幸な未来を確定させる

「未来が現在を決める」という事実こそ、現在経済学の本質だという主張がある。
(byエセ教科書学派)

“未来が確定すると、あらゆる経済主体の現在の行動が変わる”というもので、
例えば、
①インフレ・ターゲットへのコミットメント
②●年後にオリンピックが開催
③●年●月に新たな鉄路や新駅が完成
といった未来のエポックが現在の消費や投資行動に大きな影響を及ぼす、と訴えている。

エセ教科書学派によると、企業投資は「未来予測」に基づいて行われ、工場建設も店舗拡張も、すべて未来予測であり、将来の見通し(=売上見込み)のために、「今」投資をするのだそうだ。

この辺りまでなら、当たらずと雖も遠からずで、1/5くらいは認めてあげてもよいのだが、この後がいけない。

彼は、
・インフレ・ターゲット理論が政策として採用された理由は、「動学的一般均衡=未来を加味した理論」であるから
・インフレ・ターゲットの本質は不確定な未来を確定させることにあり、未来の確定により現在の私たちの行動が変わる
と荒唐無稽なことを言い始める。

安倍政権がインタゲ政策を採用したのは、小泉構造改悪~民主党事業仕分けに連なる緊縮&改革ゴッコによって崩壊しかかった経済の立て直しが急務だが、財政再建問題も無視できない、というタイトな政治バランスの下で、大規模な財政政策を必要とせず、財務省やマスコミ連中からの抵抗感が少ない「インタゲ→量的金融緩和」が都合のよい選択肢として急浮上し、それにダボ鯊みたいに喰いついたというだけのことだ。

リフレ派やエセ教科書学派みたいに、インタゲ政策を過度に信奉する連中は、政府と中央銀行がコミットした「インフレ目標」が、あたかも、すべての経済主体の未来に向けた投資・消費行動を先導する『魔法の杖』であるかのように騙るが、それは単なる思い込みか、幻覚でしかない。

2013年春にインフレ・ターゲット政策が導入されてから、4年近い歳月が経過したが、「未来を加味した理論」は見向きもされず、2%というインフレ目標はいまだ一度たりとも達成されていない。
おかげで、黒田総裁はインフレ目標達成の延期宣言を5回もさせられるハメになり、大恥をかかされた。

エセ教科書学派は「インタゲ政策という未来と現在を見据えた最適化行動モデル」が実践されていると力説するが、中小企業白書を見ると、中小企業の業況判断DIはマイナスに転落し、設備投資も力強さを欠いたまま、ほぼ横ばいでしかなく、設備投資をしない理由で「現状設備で十分」、「景気の先行き不透明」という回答が多くなっている。

また、H28/12の家計消費支出は、前々同月比で実質▲0.3%と10カ月連続でマイナス(うるう年効果を除くと1年以上も連続マイナス)と落ち込み続けており、家計は所得や雇用条件の劣化に怯えて支出を減らし続けている。

こうした事実を見れば、エセ教科書学派による「インフレ・ターゲットの本質は不確定な未来を確定させる」という主張が、いかに大嘘であるかがよく判る。

インタゲ政策がスタートしてから4年近くにもなるのに、いまだに、民間経済主体に「明るい未来」を確定させられないのは、いったい、どうしたわけなのか?
それとも、インタゲ政策はハンドリングを誤り、逆作用を起こして「不幸な未来」を確定させてしまったのだろうか?

そもそも、宣言だけで「未来を確定する」ことなんて絶対に不可能で、そんなことくらい、一般的な常識を備えた社会人ならすぐに理解できると思うが、教科書の世界に逃げ込むだけで実業経験のないバカには解るまい。

エセ教科書学派が例に挙げたオリンピックや新しい鉄路の完成云々というビッグイベントは、確かに、人々の未来行動に影響を与え得るものだろう。
だが、それは、オリンピックや鉄路建設が「予算(財出)」に裏打ちされているからに他ならず、予算の担保なしに人々の行動を変えることはできない。

金融政策一本足打法に固執して、カネを動かさない(=所得が発生しない)限り、人心を消費・投資へと駆り立てることはできないのだ。

彼は、ネットに蔓延るシロウト論者は「教科書読まない・読んだことがない・読むつもりがない」と批判しているが、教科書を熟読した割に、肝心の持論は低レベルで実戦力がなく、結果と因子との因果関係の説明もあべこべだ。

教科書云々を別にしても、エセ教科書学派の論考には、経済論議をするうえで最も大切な「国民生活を何としても向上させたい」という熱意や情熱が決定的に欠けている。

彼は、学問や教科書の知識を、持論の修飾のために都合よく切り貼りすることに情熱を注ぐだけで、事実を深掘りし、不況を克服するための提言に結び付ける努力をしていない。

インタゲ宣言だけで未来を確定できるほど、社会や経済は甘くはない。
自意識過剰の空想家が騙る「珍論・珍説」の類いは、所詮、実戦では通用しないのだ。

2017年2月10日 (金)

合理的不安形成説

今回は「合理的期待形成仮説」に触れてみる。

「合意的期待形成仮説」とは、70年代末にアメリカの経済学者ルーカス、サージェントらにより主張されたもので、
『政府が裁量的経済政策を行ったとしても、企業も個人も、その結果を正しく予想し行動するところから、その政策は無に帰すとした仮説』(知恵蔵2015)
あるいは、
『民間が政府の将来の政策を予測し、その予測に基いて行動をするという仮説』
(シノドス「リフレ政策とは何か? ―― 合理的期待革命と政策レジームの変化」 矢野浩一)
と解説されている。

両者の解説には、若干ニュアンスの違いがあるが、
・財政政策により景気浮揚を図っても、人々は将来の増税を予測して支出を抑制するから意味がない(=財政政策への批判)
・政府と中央銀行とが、将来のインフレ目標にコミットすれば、様々な経済主体の間に将来のインフレという合理的な期待が形成される(=金融政策への期待)
という点で一致している。

要は、「財政政策なんて効き目がないけど、金融政策の効き目は抜群だ」と言いたいわけだ。

矢野氏に至っては、この仮説を「現代マクロ経済学の一大革命である「合理的期待形成革命」」と持ち上げ、インフレ・ターゲット政策を軸とする「リフレ政策」は、合理的期待を基盤とした政策であると断じている。

家計消費支出が落ち込み続けている(H28/12:前年同月比▲0.3%/10カ月連続マイナス)のは、安倍政権が歳出改革と称して緊縮政策の継続を宣言していることも満更無縁とは言えず、そういう意味では矢野氏の解説にも頷ける部分はある。

だが、人々が消費抑制行動に走る(=走らざるを得ない)のは、政・官・財・学・報のいずれもが、ありもしない財政危機問題を誇大に喧伝し、盛んに緊縮財政を強要し続けたことにより、国民の間に、「財出はムダ&悪手」という大嘘がすっかり蔓延し、緊縮政策という“誤った政策選択”が経済を委縮させたことに起因している。

確かに、〈政府による緊縮政策続行宣言〉→〈人々が不況を予測〉→〈消費抑制〉という流れは解りやすい。

しかし、現実には、市井の人々は、学者が考えるほど政府の政策に興味や関心を持っておらず、政策内容の詳細を理解しているわけでもない。

また、人々の消費や投資行動の起点となるのは、現実の収入の多寡と、そこから敷衍される近い将来の収入見通しであり、政府の経済政策も大いに関係があるものの、人々が経済政策だけを見て予測を立てているかのような表現は、やや大袈裟で、〈政府による緊縮政策続行宣言〉→〈人々が不況を予測〉の間に、〈緊縮政策による雇用や所得の劣化〉という文言を挿入すべきだろう。

「予測」や「期待形成」が起きる前提条件として、「所得の増減という現実」があることを忘れてはならない。
単に、「政策」を打ち出せば「予測や期待」が形成される訳ではなく、「現実」という明確な担保があって初めて、それらが形成されるのだ。

矢野氏だけでなく、リフレ派の面々は、“リフレ政策が合理的期待と政策レジームの変化を基盤にしている”と意気込むが、残念ながら、デフレ不況下において合理的期待形成の効果が最も脆弱なのは、財政政策でも緊縮政策でもなく、金融緩和政策であろう。

財政政策や、その逆の緊縮政策は、家計や企業の所得や売上の増減に対して、良否の差はあれども、ダイレクトに影響を及ぼす(=“収入増減”という現実に担保される)から、人々の予測を動かしやすい。

一方、金融緩和政策が人々に合理的期待を形成させるパワーは、リフレ派が自負するよりも遥かにか弱いものだ。

金融政策の本分は、あくまで財政政策にとって欠かせざる従者(サポート役&マネージャー)であり、実体経済における注目度はかなり低い。

黒田バズーカ砲が発射されてから4年近くにもなるが、日銀の量的緩和政策やマイナス金利政策の意義や狙いを、ある程度正確に理解できている家計や企業なんて、どれだけ多目に見積もっても1割未満だろう。

だからこそ、日銀がマネタリーベースをどれだけ積み上げても、長期金利の利回りをゼロやマイナスに誘導しても、企業や家計はそれに反応を示さず、投資や消費は冷え込んだままなのだ。

空前の低金利ではしゃいでいるのは、誰にも買えない高級マンションや相続税対策用の賃貸物件を建てまくっている不動産業者だけではないか?

現に、国内銀行の貸出増減実績を見ても、H27/9→H28/9で約10兆円増えているが、その内訳は不動産業+5兆円、自治体+1兆円、個人+4兆円と偏りが大きく、小売業は横ばい、製造業や卸売業は微減と、量的緩和政策の効果が行き渡っているとは言い難い。

筆者も、企業経営者から、「低金利は有難いが、たいした仕事もなく、たとえゼロ金利で借りても返せる自信がない」、「仕入値は上がるが消費者に転嫁できず、利益が確保できない」との声をよく聞いている。

事の良し悪しは別として、経済政策の期待形成力には、種別や経済環境により大きな違いがある。
特に、不況下の金融政策は、期待形成力が最も弱い政策の一つであろう。

話題になっている米プリンストン大 シムズ教授は、インフレ目標2%を達成するまでは財出を優先し、消費税増税も凍結すべきと主張する。

だが、その程度の“条件付き財出”だけでは、デフレ不況で凍り付いた消費者心理を融解させるには不十分であり、“インフレ目標2%を達成するまで”という財出抑制のためのキャップを連想させるものを一切排除してかかるべきだ。

個人消費が減少し続けるのも、企業投資が活性化しないのも、突き詰めれば、現実の収入レベルが低すぎ、そこから敷衍される将来の収入予測もネガティブにならざるを得ないことによるものだ。

人々の心理の大半を占めるのは「期待」や「希望」ではなく、「不安」である。
経済政策に合理的期待形成を期待するつもりなら、その不安を現実に取り除けるものでなければ意味がない。

2017年2月 9日 (木)

会社がなくなる!

昨年12月に中小企業庁から『事業承継ガイドライン』が公表された。
http://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/2016/161205shoukei1.pdf
このガイドラインは、“円滑な事業承継の促進を通じた中小企業の事業活性化を図るため、事業承継に向けた早期・計画的な準備の重要性や課題への対応策、事業承継支援体制の強化の方向性等について取りまとめた(中企庁HPより)”もので、中小企業・小規模事業者の円滑な事業承継のための取組みや活用すべきツール、注意すべきポイントなどが紹介されている。

行政サイドが事業承継の促進に躍起になる理由は、経営者の高齢化と企業数の減少という憂慮すべき事実を目の当たりにしているからだ。

中小企業庁の資料によると、
・中小企業経営者の年齢のピークは2015年時点で66歳と、20年前(47歳)に比べて19歳も高齢化
・経営者の平均引退年齢は、中規模企業で67.7歳、小規模事業者では70.5歳となり、3年後には数十万人の団塊世代経営者が引退時期に差し掛かる見通し
・2014年の国内企業数は382万者と、15年間で100万者以上減少(中でも、小規模事業者は98万者減少)
といった惨状である。

政府は、一億総活躍社会とか外国移民の活用なんて寝ぼけたことを抜かしているが、肝心の雇用の受け皿が存亡の危機に晒されているのだ。

中小企業白書のデータによると、事業承継が進まない理由として、「将来の業績低迷が予測され、事業承継に消極的」との回答が55.9%と最も多く、「後継者に適当な人が見つからなかった」22.5%、「個人保証や個人財産の担保提供が障害となった」3.6%などの回答が目立つ。

筆者が相談を受ける企業からも、
・業績が思わしくなく承継云々を考える余裕すらない
・自社の将来性を危ぶみ、自分の代で会社を畳むしかないと諦めている
・会社が赤字続きで、会社勤めする息子から事業を継ぐ気はないと断られた
・社員に会社を譲ろうとしたが、個人保証がネックとなり社員の家族に反対された
などといった悩みを聞いている。

社長に成りたがる人材がいないという事実は、日本企業の大半を占める中小企業の将来にとって非常に由々しき問題だ。

筆者の個人的意見に加えて、企業経営者や官庁、専門家などの意見を聴いた限りでは、
①企業業績の低迷
②金融機関に対する個人保証や担保提供
の2点が大きな障害だと感じている。

①については、マクロ経済環境の改善や大企業による下請けいじめ禁止の徹底などで対応するしかないが、どうしても中長期的な時間軸の話になってしまうだろう。

一方、②の個人保証の問題は、喫緊に改善すべき課題でもあり、金融機関サイドの理解さえ得られれば比較的短期間に解決可能な問題だと思う。

経営者の個人保証免除に関しては、平成25年に「経営者保証に関するガイドライン」が制定され、経営者個人と法人との関係が明確に区分・分離されている場合などに、経営者の個人保証を求めないことが明示されているが、ほとんど普及が進んでいないと言ってよい。

銀行業界におけるガイドラインの普及度合いを示すデータは見当たらないが、日本政策金融公庫(旧国民生活金融公庫)のデータによると、2014年の新規融資41万件のうち、ガイドライン適用件数は8600件と約2%に過ぎない。(累計で10000件ほど)

しかも、これは「新規貸付」に限った話であり、既存の貸付(約208万件)を含めた数字で見ると、無保証融資の割合は0.4~0.5%程度でしかなく、あくまで例外的な取扱いに止まっている。

過去のエントリーでも何度か触れたが、筆者は、経営者の個人保証は事業承継の妨げになり、金融機関の債権保全面からも大して役に立たない中途半端な存在だと考えており、金融機関は、中金利による無保証融資への切り替えを積極的に進めるべきだと提言してきた。

国内企業の7割近くが赤字企業とされ、資本金1億円未満の法人の役員平均年収は613万円というデータもあり、思ったより低額であることに驚かされる。
確かに、昔は、家族を含めて2000~3000万円も取る社長も珍しくなかったが、20年以上も続く不況により、「名ばかり社長」が増えたのだろう。

はっきり言えるのは、この程度の年収で借入の個人保証をしても、資力が保証額に見合わずに、ほとんど実体を伴わぬものになるだろう、ということだ。
金銭消費貸借契約書の連帯保証人の欄にハンコを押しても、実体的な保証力が無ければ、何の意味も成さない。

そんな無駄なことをするよりも、事業計画の詳細説明を義務付けたうえで無保証融資に切り替え、保証料代わりに融資金利を2~3%でも上乗せする方が、金融機関にとっても収益改善につながるし、不良債権管理の手間が大幅に省ける。

また、経営者サイドも、個人保証絡みの悩みから解放され、事業承継も多少はスムーズになるだろう。

小泉バカ政権以降、歴代の政権がくだらぬ改革ゴッコや緊縮ゴッコに興じた結果がこの体たらくである。
バカ者どもが残した負の遺産やツケの後始末には、膨大な作業と大胆な発想の転換が必要になるが、雇用の受け皿を確保していくためには、避けて通れぬ道なのだ。

2017年2月 8日 (水)

公共インフラは国民全員の宝である

出張先で読んだ北海道新聞に、『【月曜討論】第二青函トンネルは必要か』という特集が掲載され、「必要」との立場で内閣官房参与 藤井聡氏、「不要」との立場で米アラバマ大名誉教授 橋山禮治郎氏から、それぞれコメントが寄せられていた。

藤井氏は、
・北海道~青森間の陸路は青函トンネル1本しかなく、人の移動や物流のボトルネックになっている
・九州や四国がトンネルや橋3~4本で本州と連結されているのと比べて、北海道の利便性は著しく劣る
・交通の使いやすさは地域産業の発展を決める最も重要な要因。北海道の商業・工業成長率が他地域よりかなり低いのは、交通インフラの未熟さにも原因がある
・第二青函トンネルは可及的速やかに開通させるべきだ
と主張する。

一方、橋山氏は、
・東京湾横断道路「アクアライン」が巨額の赤字に苦しんでいることを教訓にすべき
・公共工事は精緻な需要予測の裏付けが必要だ
・国交省やJR北海道が構想する貨物新幹線があれば、第二青函トンネルは不要だろう
・第二青函トンネル建設を望むのは建設業者ばかりで、大手ゼネコンに回る利益のツケを国民が背負うことになるのではないか
・インフラは需要があるから整備すべきもので、整備したものが需要を生むものではないと、少子高齢化を迎える日本では、大型の公共インフラ整備は慎重に検討すべきと主張する。

筆者は、藤井氏の意見に同意する。

青函トンネルは全長54㎞にもおよび、関門トンネルや本四連絡橋とは比べものにならぬほど多額の費用と技術的な困難さが付きまとうが、日本列島を縦貫させる交通網の大動脈をより完璧なものとするために、鉄道トンネルと道路トンネルの2本開通を望みたい。

現在の青函トンネルは、新幹線と貨物との共用のため、非常に窮屈なダイヤ編成を強いられ、新幹線のメリットが発揮されておらず、事故発生など緊急時のバックアップ機能もない。

また、九州や四国のように、自動車専用のトンネルがないと、本当の意味で物流の要とは成り得ないし、道本間の人やモノの移動に伴う経済波及効果も限定されてしまう。

筆者も、たびたび北海道に出張するが、移動はたいがい飛行機を使うことになり、着陸地の新千歳空港は、北海道の中央部付近に位置するため、九州や四国のように、島の先端部分から移動できる状況とは大いに異なり、道南地域など場所によっては、着陸後に長距離を戻って移動することを強いられ大いに不便を感じる。

しかも、北海道の面積は、九州・四国を合わせた面積の1.4倍以上もあり、物流の効率化は生産性向上に欠かせない最重要課題である。

北海道内の移動のみならず、道内で生産した農水産物や加工品などを大消費地へ輸送する際にも、各地から集約したコンテナを本州方面へ輸送するのに、新幹線と共用の貨物路線や空路、航路のみでは機動性やコスト面で他地域に太刀打ちできまい。

橋山氏がインフラ整備の悪事例として槍玉に挙げる「アクアライン」だが、開通当初こそ、交通量が日量10,000~15,000台でしかなく、目標の35,000台を大きく下回り、無駄な公共工事の象徴だと揶揄されていたが、ネックであった通行料金を大幅に値下げした結果、年々交通量が増加し、昨年は45,000台と目標を大きく上回る実績を上げている。

これに対して、料金を下げたんだから交通量が増えるのは当たり前じゃないか、との批判もあるだろうが、肝心なのは、交通量という「需要」が確実に増え、それを利用する国民の利便性が確実に向上したという事実である。

そもそも、高速道路やトンネル、橋といった基本的な公共インフラを有料化し、整備費用を回収しようという発想自体に大いに疑問を感じている。

特定地域の渋滞防止のため敢えて有料化するならともかく、本来、公共投資は有料化すべきではなく、高速道路と雖も、一般道路やトンネルなどと同じく、日常的な国民の足として国や自治体が責任を持って整備し、無償で提供すべきだ。

公共投資と聞くと、すぐに、需要予測だ、B/Cだと騒ぐバカ者が多いが、公共投資や社会資本整備の目的は、国民の社会生活や経済活動の利便性向上・安全性の確保を図ることにあり、国や自治体が収益を稼ぐことではない。

費用対効果云々というレベルの低い発想に拘っていたら、人口集積地域でしか公共投資ができなくなるではないか。

それでは地域間の利便性格差が拡大するばかりで、人やモノの移動という“血流”が国土の隅々にまで行き渡らなくなり、周縁部から国土の崩壊を招きかねない。

特定の地域に人が住めなくなるということは、国土の一部の主権を放棄するに等しいことに気付かねばならない。

また、橋山氏の「インフラは需要があるから整備すべきもので、整備したものが需要を生むものではない」という主張は、公共投資をやりたくないがための質の悪い言い訳に過ぎない。

インフラ投資嫌悪症の連中は、すぐに「需要はあるのか?」、「費用対効果は?」とガードを固めたがり、端から需要を確認する気がない。

その手の重症患者は、第二東名や圏央道みたいに、誰が見ても強い需要があるのが明らかなインフラでさえ、税金の無駄遣いだ、人手不足を助長するだのと、総会屋みたいに文句を付けたがるものだ。

そんなに需要が気になるなら、地域の住民に直接聞いてみれば、強い需要があることがすぐに判る。

特に、移動が不便な山間部や離島、険しい山岳地帯に阻まれ相互移動が難しい地域、慢性的な渋滞に悩まされる都心部、古くからの街道沿いに街が発展し、生活道路が魚の小骨状に敷かれているため、相互移動が極めて不便な住宅地等々、インフラ整備が解決すべき問題は、そこいら中に転がっている。

インフラ投資を嫌うバカ者は、そうした国民の我慢の中に溜まっている膨大なニーズを掘り起こす努力をまったくしていないではないか。

“整備したインフラが需要を生むものではない”という橋本氏の主張は、公共インフラと通常の生産物との性格の違いを理解せぬ暴論だ。

例えば、完成後間もなくは無駄なインフラの象徴と散々批判されていた本四連絡橋だが、今では計10本の橋の日量の交通量は167,000台(H27)にも上り、東京外環道をも上回っており、本四間の経済交流に多大な貢献をしていると言ってよい。

また、関門橋に至っては、橋とトンネルを合わせた交通量は日量66,000台と、こちらも九州と本州を結ぶ大動脈としての役割をきちんと果たしている。

公共インフラに総じていえることだが、建設前は費用や予算、環境問題に絡めていろいろと文句が出るものだが、いざ開通させてしまえば、文句を垂れていた連中を含めて、多くの国民から利用されるものなのだ。

何だかんだ言っても、新しい道路や橋、トンネルが開通すれば、間違いなく地域の利便性は向上するのだから、交通量も当然増えることになる。

昨年北海道を襲った3つの台風により、道央と同等地域を結ぶ主要国道が寸断されたが、クマしか通らないと(バカ大臣から)揶揄された道東自動車道があったおかげで、十勝や釧路地域の物流が確保され、陸の孤島になる非常事態を免れたことは記憶に新しい。

また、東日本大震災発生時に地域住民の生命を守った仙台東部道路や三陸縦貫自動車道などの「命の道」が果たした役割は、需要とかB/Cといったチンケな次元を遥かに超えるもので、予算とか費用云々では語れない多大なる成果を上げている。

公共インフラ、社会インフラは、国民の生活や命をつなぎ、経済活動を滞りなく行うために欠かせざる存在であり、コストや費用という次元で、その要否を論じるような時代遅れの発想から、そろそろ脱却すべきだろう。

2017年2月 7日 (火)

成長の道を閉ざそうとする詭弁師たち

【詭弁とは?】
1 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。
2 論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。
(デジタル大辞泉より)

経済政策論の世界には、数多くの詭弁が溢れている。

例えば、読者の皆様も、政府諮問会議の資料やマスコミ報道、経済系ブログなんかで、以下のような惚けた言説を耳にしたことがおありだろう。

①日本の借金は世界最悪。とにかく借金返済が最優先課題だ
②成熟期を迎えた日本の潜在成長率は、せいぜい0.5%くらいだから1%を超える成長なんてムリ
③グローバル化に乗り遅れぬよう社会構造の改革による体質改善が最優先だ
④少子高齢化を迎え労働人口が減るから、外国人を活用するしかない
⑤財政政策なんて時代遅れ。変動相場時代は金融政策だけで十分だ
⑥インフレ期待を起こせば、民間投資も増えるはず
⑦輸入を増やせば、輸出も増えるはず
⑧日本は他国と比べて格差が少ないから、現状程度の経済環境で何の問題もない
⑨産業の空洞化なんて起こっていない

上記の①~④辺りは、経済成長を諦め、縮小社会を前提とした改革ゴッコにしか興味を持てぬやる気のない成長放棄論者やナマケモノ論者たちが、よく口にする言葉だ。

⑤~⑥は、成長の意志はあるものの、方法論を間違えて、目的と手段とが入れ替わってしまった金融政策万能主義者たちが陥りがちな勘違いだ。

残りの⑦~⑨は、日本という国の将来に何の関心も持たぬ“単なる薄鈍”の戯言に過ぎない。

詭弁界に占める各々のシェアは、ナマケモノ論:金融政策万能主義:薄鈍=98%:1.9%:0.1%
くらいの感じで、成長放棄のナマケモノ論が圧倒的多数を占めていると感じる。

この手の諦観論や改革論は、マスコミ受けが良いせいか、他の追随を許さぬ物量とスピードで世に蔓延し、いまや、国民の多くがナマケモノ論に感化されていると言って差し支えないだろう。

マニアックな金融政策万能主義は国民の知的興味を惹くことができず、薄鈍の戯言は、そもそも相手にすらされていない。

一方、成長放棄論者から、“競争が足りない”とか“努力が足りない”と罵声を浴びせられると、元々自虐性の強い国民性が反応するせいか、国民の大半は、「生産性が低いのは自分たちの努力不足かも」、「贅沢言わずに大人しく働くしかない」、「もう成長なんてムリだから、コツコツ切り詰めるしかない」と自分を責め始めるのがオチだ。

たいがいの国民は、口先では、“景気を良くしてほしい”とか“社会保障の充実を望みたい”なんてブツブツ文句を言うくせに、マスコミの連中から、「日本の借金が~、少子高齢化社会が~、グローバル化が~」と言われた途端に、“もう成長を望む時代じゃない”、“子孫にツケを残さぬよう早く借金を返さないと”、“グローバル化に備えて英語くらい話せないとな(俺はやんないけど…)” などと、物わかりよく態度をコロッと変えてしまう。

筆者は、国民が、経済成長や豊かな生活を手に入れようとする意志を失いつつある実状を、非常に強く危惧している。

筆者が目的とする経世済民も、その手段としての機能的財政論も、生活向上や豊かな社会の実現を望む国民の意志と想い失くしては、何の意味もないからだ。

こうした国民の諦観論を助長するのが、次に紹介するような詭弁コラムの氾濫であろう。

『政府は倒産しないの?』(アゴラこども版 2/5 池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/2024263-2.html

「財務省の人や経済学者が「日本の財政は危ない」というと、「政府は倒産しないから大丈夫」という人がいます。倒産というのは資金ぐりがつかなって借金が返せなくなることですが、政府はいくらでもお札を印刷できるから借金がいくら増えてもかまわない、というのですが、本当でしょうか?
いくらでも(名目で)借金できるというのは本当です。日本政府の借金はいま1000兆円ぐらいですが、いくら増えてもお札を印刷すれば返せます。これを名目債務のデフォルトは起こらないといいます。
でも借金を返す財源は税収(社会保険料を含む)しかないので、たとえば今後の税収の実質現在価値(会社の時価総額みたいなもの)が500兆円だとすると、500兆円足りないことになります。この足りない分はどうやって払うんでしょうか?(後略)」

コラムでは、この後で、税収減少→国債価格下落→金利高騰→借金返済のための日銀券増発→インフレ→国債や日銀券を保有する国民の財産価値が下落する、と警告し、財政収支の均衡が絶対善だと説いている。

池田信夫のバカさ加減と発想の醜悪さは、これまで何度か指摘してきたが、それは、彼の「借金を返す財源は税収(社会保険料を含む)しかない」という一言に集約されている。

これこそ、歴代の政権や政治家、官僚、報道機関、エコノミスト、識者たちはおろか、日本人の大半に至るまでに蔓延し、20年以上にもわたり経済政策の判断を誤らせ続けてきた病根そのものである。

筆者や、進撃の庶民(http://ameblo.jp/shingekinosyomin/)のブロガーの皆様(推薦ブロガーも含む)が、日々訴えているのは、突き詰めると、この一点、『国債償還の財源は税収のみという妄想をいかに克服できるか』というポイントに尽きる。

「財出(歳出)=税収の範囲内」という間違ったギャップを取り払うと同時に、
●国債償還に熱中して、その残高を縮小させてはならない
●実体経済を成長させるための糧として、国債は永続的に増やし続けるべきもの
●財出に必要な財源は、国債発行、日銀直受け、政府紙幣発行など無限にある
●税収の意義は、再分配機能と景気調整機能にあり、財源問題とは切り離して捉えるべき
●管理通貨制度下において、高度かつ強大な供給能力を有する我が国には、財源問題や借金問題なんて端から存在しない
●政府の収支バランスなど二の次で、民間経済(家計と企業)のフローとストックの改善こそが最優先
●財出=高インフレという思い込みは、生産力の乏しかった前近代時代の遺物にすぎない
●国家の経済に停滞や衰退など許されるはずがなく、常に成長を目指すべき
●仮に高インフレが発生したならば、国民が生産性向上や代替品開発に汗を流して克服すればよい
●デフレのせいで縮減し続ける雇用と所得に怯えるくらいなら、雇用や所得が伸び続ける中でインフレと闘う方が、遥かに容易かつ有意義である
●最も重要なのは、国民生活の維持向上を永続的に支え続けるための国富(=モノやサービスの供給能力)を漸増させられるような豊饒な経済環境を創出すること
といった考え方を広めていく必要がある。

そのためには、詭弁師たちが吐いた妄言の除染作業をこまめに続けるとともに、汚染の発生源を消毒しておく必要があるだろう。

2017年2月 6日 (月)

最悪との比較で満足するな‼︎

先日、図書館に行った際に昔の新聞を捲っていて驚いたことがある。
平成3年頃の新聞を眺めていると、本田技研工業の期間工募集広告が目に入り、そこには「月収例43万円、契約満了一時金90万円」という景気の良い条件が記載されていた。

今なら幾らくらい貰えるのかとネットで検索したところ、本田技研工業熊本製作所の募集広告があり、月収例27万円、満了一時金3カ月で9万円支給 6カ月で9万円支給 9カ月で15万円支給 12カ月で15万円支給(計48万円)であった。

世界ブランドランキングで、日本企業としてトヨタに次ぐ21位につける世界のホンダですら、いくらバブル期との比較はいえ、25年以上も前の雇用条件にすら手が届かないどころか、当時の6割程度にしかならぬ待遇のショボさを見て悲しくなってきた。

最近のホンダの決算を見ると、連結売上が14兆円、当期利益が4千億円と、間違いなく平成3年頃とは比較にならぬほどの増収増益を果たしているにもかかわらず、そうした果実は雇用条件にまったく反映されていない。

グローバル化の先進企業たるホンダが、世界展開で得た利益は、海外雇用の労働者や役員報酬、配当金などに廻され、、国内の労働サイドには十分に分配・還元されていない事実が観て取れる。


広い世間には、アベノミクスや金融政策に対して、「雇用数が大幅に増えた」、「民主党政権時に比べれば遥かにマシ」などと過大評価する輩がいるが、いったい何を考えているのか?

比較対象のバーを極端に引き下げ、常に「最悪との比較」をして低レベルな満足感に浸っているのは、さぞ気持ちが良かろう。
だが、落第点(30点くらい?)しか取れない学生が、隣りの落第生と比べて“俺の方が2点高いぞ”と自慢顔していたとしたら、良識ある読者の皆様なら、何と思うだろうか?
(※筆者なら、教科書の角でバカ学生の頭をぶん殴るだろう)

先ず、近年の雇用数増加は、明らかに、人口動態の変化(人口ボリュームの多い生産年齢層の定年期到来と再雇用措置)によるものと、家計の窮乏による主婦層や学生層のパート・バイト人口の増加に過ぎないし、雇用の質も悪化するばかりだ。

総務省による「労働力調査平成28年7~9月期平均」でも「正規の職員・従業員は3360万人と前年同期に比べ31万人の増加。7期連続の増加。非正規の職員・従業員は2025万人と54万人の増加。15期連続の増加」と、非正規雇用増加の勢いが止まる気配がない。

しかも、正規雇用とはいえ、「ブラック労働の横行、厳しいノルマ、社内教育制度の衰退、過度な自己啓発の押し付け、低賃金、ポスト不足、福利厚生制度の貧弱化」といった七重苦に直面しており、『名ばかり正社員』と言ってよいほど惨めな待遇だ。

最近の新入社員の初任給が、20年以上前の水準とほとんど同じとのデータもあり、雇用が改善したと手放しで褒めるバカ者には、“お前たちの目は腐っているのか”と厳しく指摘しておく。

安倍政権になってから4年以上が経過するのに、安倍信者どもや金融緩和万能論者の連中は、いつまで「民主党時代と比べれば…」という言い訳を続けて逃げ回るつもりなのか?

4年間という期間は、政治・行政的時間軸で言えば、すでに「長期」の領域であり、それだけ時間があれば、目に見える経済的成果を上げていなければならない。

落第生同士で傷を舐め合っても、満足のいく生活水準を取り戻すことはできないことを肝に銘じるべきだ。


思えば、バブル期は、雇用に対する絶大な安心感があった。

たとえ失職しても、ホンダの期間工で1~2年稼いで糊口をつなぎ、再起を果たせるようなチャンスがそこいら中に転がっていた。
タクシーの運転手しかり、長距離トラックドライバーしかり、少々無理をすれば月収40~50万くらいは稼げるような仕事が幾らでもあり、労働者にとっても、もしもの時のバッファーとして心強いものだった。

「グローバル化は世界の潮流だ」、「金融政策こそ主流かつ最先端の経済政策だ」という寝言しか吐けぬ愚か者には、『屁理屈は聞き飽きた。25年以上も前の時代より良い雇用条件を早く実現してみろ‼』とキツく言っておく。

2017年2月 5日 (日)

経済政策は「人々の財布にはカネが入っていない」ことを前提とすべき

『日本に必要なのは財政拡大、基礎的収支の目標年限撤廃を=シムズ教授』(ロイター 2/1)
http://jp.reuters.com/article/japan-economy-profsims-idJPKBN15G3KM?feedType=RSS&feedName=topNews&google_editors_picks=true

「ノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のクリストファー・シムズ教授は1日、日本経済研究センターで講演し、プラスの物価上昇を実現するには現在の財政赤字を拡大することが役立つとの「物価水準の財政理論」を前提に、将来不安により支出が萎縮している日本で必要なのは継続的な財政拡大とインフレ実現への政治的コミットだと指摘した。基礎的財政収支(プライマリーバランス:PB)黒字化に固執するとデフレから脱却できないとした。
(中略)
日本では「短期的な景気対策としての財政拡大は次の増税で穴埋めされると人々が感じて支出が抑制されているほか、高齢化による将来不安も重なっている」と指摘する。PB赤字の拡大をインフレ実現とリンクさせれば、将来にわたって財政赤字が拡大するとわかり、国債価値が下落。それによって国債保有から実物消費へのシフトが起こり、物価が上がるとの理論を展開した。(後略)」

米プリンストン大教授のシムズ氏は、“変節名人”の浜田宏一内閣参与に財政政策の重要さを気付かせたことにより、経済論壇界隈でちょっとした話題になっている人物だ。

そのシムズ氏が来日し、日本経済研究センターで行った講演で、金融緩和+歳出改革(=緊縮政策)に偏っていた日本政府の経済政策を批判し、2%の物価目標達成に向けて、財政政策の活用を強調するとともに、消費税増税やPB黒字化を後回しにすべきだと主張した。

海の向こうでは、トランプ大統領が大規模な社会インフラ整備のための財政政策実行を訴え、イギリスが2020年までの財政頃直目標を取り下げるなど、緊縮政策の弊害が見直されつつあり、緊縮財政&金融緩和を主軸とする経済政策もレジーム・チェンジする時期を迎えている。

今回のシムズ教授の講演が、我が国における経済政策のレジーム・チェンジのきっかけになるかどうかは不明だが、これまでも、スティグリッツやクルーグマン、ピケティなどノーベル賞受賞者や世界的に著名な識者からの、財政政策の拡大が必要との指摘を完全に無視し続けてきたことを考えると、シムズ提言も糠喜びに終わる可能性が高い。

しかも、シムズ氏のインタビューを精査してみると、
・米国ではインフレ宣言を行うことにより、人々のインフレ期待の上昇に効果があった
・2%の物価目標達成までは、消費増税を先送りすることが望ましい
・PB赤字の拡大をインフレ実現とリンクさせるべき
・国債価値の下落によって国債保有から実物消費へのシフトが起こり、物価が上がる
という趣旨の発言が目立ち、いかにも主流派経済学者の巣窟であるプリンストン大学臭がプンプンと漂ってくる。

氏の主張について、
・消費税増税に賛成しない点(※あくまで、物価目標達成までという時限付きだけど…)
・PB黒字化目標を否定的に論じる点(同)
・財政政策の活用を訴える点(同)
などは評価すべきだ。

一方、最終的な目標を「2%の物価上昇達成」に置き、その手段として、合理的期待形成による消費や投資の活性化に期待している辺りは、リフレ派の範疇を大きく逸脱する人物ではない、と思われる。

シムズ氏の提言について、筆者と同じ『進撃の庶民』でコラムを投稿しておられる有閑爺い様が、ご自身のブログ(『経済学のダメなところ』http://ameblo.jp/kumuka99/entry-12243906186.html)で、「人は、金利の変化で支出行動を決めたりはしません。(中略)「国債保有から実物消費へのシフト」は自動的に起こるのではなく人が決めることです」とご指摘なさっておられるとおり、

①財政赤字拡大

②国債価値の下落(金利上昇)

③国債保有から実物消費へシフト

④消費や投資の活性化による物価上昇

という合理的期待形成や実質金利頼みの「期待発生ルート」は、途中で遮断される可能性が極めて高い。

この手の「期待形成に期待する」手法は、リフレ理論に近似した考え方だが、たいがい、③で躓き④に至らない。

それは、リフレ理論では、実体経済を刺激する手法として、金融面からのアプローチや資産効果、為替効果に重点を置きたがり、財政政策を蔑視するあまりに、①の実行に十分な物量を投じることを躊躇し、その使いみちに厳しい制限を掛けたがる(=公共投資への嫌悪など)からだ。

また、②→③ルートへの拘りも大きな障害となる。

人々を実物消費へと向かわせたいのなら、国債価格や通貨の下落、金融資産の取り崩しという北風政策を以って追い立てる必要はない。

シムズ氏は、別のインタビューに応えた際に、「ゼロ金利制約下では金融政策が機能しないため、財政政策と金融政策が連携するのが望ましい」と述べているのだから、国債価格下落→金融資産売却→実物消費や投資へのシフトという実現性が極めて低いルートを選択するよりも、金融緩和を維持して金利を抑えたまま、財政政策にブーストを利かせて、もっとストレートに家計や企業のフローとストックを膨らませる手法を説明すべきだ。

金融政策に固執し、効き目が薄く、回りくどいアプローチをするよりも、大規模かつ長期間の財政政策断行を宣言し、

・積極財政(財政赤字拡大)

・ビジネスチャンス、雇用創出、所得増加

・経済成長期待の具現化

・消費や投資の活性化

という好循環ルートを、よりダイレクトに実現できるよう、ショートカットを狙えばよい。

人々が積極的にカネを使ってモノやサービスを買うようになるためには、金利効果や資産効果だけでは、ほとんど役に立たない。
デフレ下で不況慣れした人々の財布の紐の固さを舐めてかかると、構造改革派やリフレ派の連中のように痛い目に遭う。

家計にしろ、企業にしろ、傷み切ったフローとストックが十二分に修復され、今後も増え続けるに違いないという確信を持てぬ限り、消費や投資が積極化することはない。
肝心なのは、何を以ってその“確信”を担保できるか、ということだ。

シムズ氏の話を聞くにつけ、財金両面のアプローチを推奨してはいるが、財政政策と金融政策のどちらを主軸とすべきなのか、解りにくい。

どうも、彼の話は、金融政策の効果に未練を感じつつ、その効き目が弱いがゆえに、仕方なく、一時だけ、財政政策の手を借りようというニュアンスが強すぎる。

それはそれで良いのだが、彼が提言する経済政策の最終目標は、あくまで、「2%の物価目標達成」に置かれているのが気にかかる。

本来なら、国民の所得水準や増加率こそターゲットとすべきだが、なぜか話がインフレ率に収斂してしまうのは、主流派経済学者の限界か…

主流派経済学やリフレ理論の最大の欠点は、
①インフレ期待という、確率の低い期待形成への期待に重きを置くこと
②実質金利低下や資産効果、為替効果云々に家計や企業が反応すると信じ込んでいること
③家計や企業が、マーケットの変化に即応して、実物消費に投じられるフローやストックを潤沢に保有していることを前提にして論じていること
にあり、特に、③の勘違いが、彼らの理論を実戦力無きものに貶めている。

20年以上も続く不況のせいで、家計も中小企業も、直ぐに使える金なんて持っていないし、少々景気が良くなっても、派手に使える確信が持てないことを、まず理解すべきだ。
そうでないと、インフレ期待だの、合理的期待形成だのといった空理空論から、いつまで経っても抜け出せない。

シムズ氏も、せっかく財政政策の重要性を説くつもりなら、家計所得の増加を最終的なターゲットとすべきだし、消費税増税の一時的な凍結というケチくさい提言ではなく、廃止にまで踏み込んだ発言をし、ついでに、社会保険料の国庫負担率引上げや大規模なインフラ整備等々、年間数十兆円レベルの財政刺激策を提言すべきだろう。

そのくらい言わないと、緊縮派の巣窟と化した日本の経済論壇を一ミリたりとも動かすことはできない。

まあ、財政政策の重要性にスポットが当たることに違いないから、これでも、半歩前進したと評価すべきなのだろうが、財政政策を擁護したり、支持したりする声が、いつも海外発の輸入物であるのは、本当に情けない。

日本の学者やエコノミストの連中は、いつまで呆け続ければ気が済むのか?

2017年2月 4日 (土)

詭弁師は頭の中が空洞化

『論語読みの論語知らず』
【注釈】古来、儒教の経典である『論語』をしたり顔で語ることはできても、その教えを実践できていない者の愚かしさから、書物を読んでも表面的に理解するだけで真髄をわかっていない人をあざけっていう言葉。(故事ことわざ辞典より)

日ごろ、「教科書を読め、読め!」とうるさいエセ論者に限って、案外、教科書に載っている言葉の意味を理解しようとせず、都合の悪い事実から目を逸らそうとするものだ。

日本経済衰退化の一因となった「産業空洞化」を否定する愚か者など、そうしたエセ論者の典型だと言える。

内閣府の経済財政白書(2012年度版)でも、「我が国では、製造業の海外生産移転が進展するにつれて製造業の雇用は減少しているものの、生産性を向上させつつ生産水準を維持してきた」ことや、中間材の輸出誘発効果、海外現地市場の獲得を企図した「現地市場獲得型」移転の増加などを理由に、産業空洞化を否定的に論じている。
(http://www5.cao.go.jp/keizai3/2012/1222nk/n12_3_1.html)

また、場末の論者の中にも、
・GDPが一貫して上昇している
・雇用が比較劣位産業から比較優位産業へ移転し、全体として雇用者数は極端に変化していない
ことを論拠に、産業空洞化を完全否定する変わり者がいる。


先ず、「GDPが一貫して上昇している」という論は、統計や事実をまったく無視した妄想だ。

我が国の名目GDPは1998年以降、一進一退を繰り返しており、“一貫して上昇”なんていう事実は何処にもないのだが?
[参考資料]http://ecodb.net/country/JP/imf_gdp.html

エセ論者は、大嘘を吐くことに何の痛痒も感じていないようだが、事実を捻じ曲げた論拠を並べて、正しい結論を出せるはずがない。

ちなみに、我が国と世界各国とのGDP平均伸び率を比べてみると、世界平均値は2000~2010年/+6.83%、2010~2015年/+3.73%となり、日本の実績は、それぞれ、+1.51%、▲4.24%と著しく劣っている。(国際貿易投資研究所 国際比較統計より)

「GDPが一貫して上昇している」はずなら、そもそも、マイナス値(▲マーク)が記されること自体があり得ないし、他国と比較した成長率も低すぎる。
GDPは増加するのが当たり前の指標だから、停滞や現状維持は、他国との相対比較ではマイナスと同義語になる。

そもそも、GDPは一国の成長度合いを測る最小かつ最低限のモノサシに過ぎないから、これだけの動向を以って、産業空洞化を否定する材料にするのは、あまりに大雑把でいい加減な議論だろう。


次に、「雇用が比較劣位産業から比較優位産業へ移転し、全体として雇用者数は極端に変化していない」という論の幼稚さも指摘しておく。

ここで云う「比較劣位産業」とは海外移転した製造業(二次産業)や農林水産業(一次産業)を指し、「比較優位産業」とはサービス業(三次産業)を指すものと思われる。

内閣府の経済財政白書も同じニュアンスだが、要は、「製造業の雇用が減っても、その分だけサービス業で吸収できているんだから文句はないだろっ‼」、「産業の空洞化ではなく、産業間の労働者移動に過ぎない」と言いたいのだろう。

こうした論を吐くバカ者には、
①果たして、サービス業が、比較優位と呼べるほどのシロモノなのか?
②なぜ、A(製造業)+B(農林水産業)と、C(サービス業)とを代替の関係に置く必要があるのか?(Aも、Bも、Cもすべての産業で雇用を増やせばよいではないか?、「○○よりマシ」というセコい妥協で満足せず、ベストな結果を求めないのか?)
という観点がすっぽり抜けている。

細かい業種分類ごとの違いはあれども、サービス業は製造業と比べて、おおむね利益率や労働生産性が低い。

内閣府の「産業別生産性の動向等について」という資料でも、卸売・小売業やその他サービス業の売上高利益率は2~3%辺りでしかなく、化学(5%超)、輸送機械(4%)と比べて低位であり、労働生産性上昇率(2000~2005年)も製造業種と比べて著しく低い。

また、経産省の資料でも、一人当たりの産業別付加価値額は、製造業が857万円であるのに対して、卸売・小売業590万円、サービス業466万円と大きな乖離がある。

件のエセ教科書学派は、実際に起こったのは、「産業空洞化」ではなく、「サービス業種(三次産業)への産業構造の高度化」だ、なんて寝ぼけたことを言っている。

だが、利益率を見ても、付加価値額を見ても、三次産業は二次産業と比べて劣位しており、これの何処が「比較優位産業」や「高度化産業」と呼べるのか?

工場が海外へ移転し、代わりに、すき家の名ばかり店長や佐川急便の低賃金ドライバーが増えただけのことを、「産業の高度化」と呼ぶバカの気が知れない。

ここ数年の製造業国内立地件数は400~500件で推移し、最悪期より持ち直してはいるものの、バブル期前後には2,000件、バブル崩壊後も700~800件台を維持していたことを考えると、かなり落ち込んでいる。

雇用者数自体は、2002年12月/6,291万人→2016年12月/6,466万人へと増えてはいるが、その間、製造業は1,188万人→1,039万人へ149万人も減り、代わりに医療・福祉業(+338万人)や情報通信業(+53万人)、運輸業(+19万人)といった業種が増えている。
しかし、いずれも、ブラック企業がひしめき、低賃金労働が横行する質の悪い業種ばかりで、産業の高度化どころか『産業の陳腐化』と呼ぶのが相応しいだろう。

つまり、労働者にとって質の良い働き場所(製造業)は海外へ流出し、増えたのは、粗悪な業種ばかりということで、製造業種の空洞化による雇用の劣化が進んだと言うべきだ。

「製造業の雇用者が減っても、サービス業で雇用者が増えているからいいじゃん」と嘯くのは、雇用の質の劣化を考慮せぬいい加減な議論だ。

先進諸国が足並みを揃えて適切な資本移動規制をかけ、製造業の野放図な漏出を防いでおれば、雇用者数はさらに増え、人手逼迫による雇用条件改善が相当進んでいたはずだ。

“日本全体としてGDPは伸びている=産業は確保されている”というのは、雇用の質を顧みないインチキ論で、あまりにも醜悪でレベルも低すぎる。

経済財政白書にある「中間材の輸出誘発効果」や「海外現地市場の獲得を企図した現地市場獲得型」云々についても、エセ教科書学派の詭弁と同様で、海外移転させずに、国内生産を基点とするサプライチェーンを維持・構築していた方が、より大きな経済効果と付加価値をもたらしたはずだ。

グローバル化は世界の潮流だというインチキスローガンを盾に、製造拠点の漏出を奨励した挙句、国内産業の三次産業偏在を招き、「付加価値&生産性の低下→労働者所得の長期低迷→個人消費支出低下→国内マーケット縮小→需要不足→デフレ不況→更なる付加価値&生産性の低下…」という最悪のスパイラルから抜け切れない社会構造にしてしまったのだ。

これは、明確な経済戦略のミスだ。

産業空洞化の有無なんて、端から議論の余地もない。

現実に、製造業種を中心に空洞化しており、残された他の業種も、長期間の景気低迷により事業承継もままならず、倒産や廃業の大量発生が顕在化している。
総務省のデータによると、2014年の国内事業者数は382万者と、1999年比で103万者も減っている。(年平均6.9万者減少)

このままでは、海外移転による空洞化を懸念する以前に、廃業の加速化による内部崩壊や空洞化が目前に迫っており、愚にもつかぬ根拠を基に空洞化否定論を弄ぶバカ者に構っている暇はない。

・国内製造拠点の漏出という大量出血の止血
・国内産業の保護育成
・事業承継の迅速化
とう3本柱の政策を早急に進める必要があるだろう。

2017年2月 3日 (金)

意識改革のきっかけ

『「報復関税の標的」警戒 トランプ氏が批判の為替、協議の焦点に』(産経新聞 2/2)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170202-00000081-san-bus_all

「トランプ米大統領が1月31日、日本の為替政策を円安誘導と批判したことで、巨額の対米貿易黒字を抱える中国だけでなく、日本も「為替操作国」に認定される懸念が出てきた。トランプ氏は中国製品に45%の関税を課すと報復措置を予告しており、日本も標的になりかねない。米新政権が要求する2国間の通商協議でも焦点に浮上しそうだ。(後略)」

トランプ大統領が、批判する「日本の為替政策」とは、日銀の大規模金融緩和のことであり、黒田バズーカがアメリカの標的にされているということになる。

アメリカが文句をつける『為替操作国』とは、ウィキペディアの解説によると、次のとおりだ。
「アメリカ財務省は、1988年から毎年2回議会に対して為替政策報告書を提出している。それに基づき、対米通商を有利にすることを目的に為替介入し、為替相場を不当に操作している国に対してと議会が為替操作国と認定する。為替操作国に認定された国は、アメリカとの間で二国間協議が行われ通貨の切り上げを要求される。またアメリカは必要に応じて関税による制裁を行う。」

要は、アメリカの貿易政策に不利益となる輸出国を標的として吊るし上げる、という、スーパー301条と同様に、まことに自分勝手な言いがかりに過ぎないから、こちらも毅然とした態度で反論すればよい。

為替政策は、国家が当然のように行使できる経済政策の一手法であり、他国から四の五の文句を言われる筋合いはない。
やらない方がバカを見るだけのことで、アメリカに対して「文句があるなら、貴国もドル安操作をすればよい」と言い返すべきだ。

日銀は公式には認めていないが、量的金融緩和政策の狙いの一つに、円安効果がビルドインされているのは周知の事実で、2013年10月に岩田副総裁が講演した、中央大学経済研究所創立50周年記念公開講演会でも、
「予想インフレ率の上昇は株高や外貨高(=円安)をもたらす」、
「外貨高の効果として輸出の増加はすぐに思い浮かびますが、海外から日本への旅行者による国内サービス需要を増やす要因である点も見逃せません。」、
「円安によって輸入製品やエネルギーの価格が上昇するだけでなく、堅調な消費を背景に、これまで下がり続けてきた耐久消費財などの価格下落幅も縮小し始めました」、
「金融緩和政策は国債、株式、外国為替のような資産市場には直ちに影響を及ぼします」
と、金融緩和政策が為替効果(=円安誘導)を狙っていることを認める発言をしている。

さらに、彼を信奉するリフレ派の面々も、量的緩和政策の狙いが、予想インフレ率UPによる実質金利低下と円安誘導による輸出額UP&輸入物価上昇であることを方々で公言しており、いまさら、“量的緩和政策は為替操作を意図したものではない”なんて言い訳する必要はない。

堂々と、
・金融緩和政策は為替政策による円安効果を企図するものである。
・途上国との競合により体力を奪われた国内の輸出型企業及び関連産業の振興に資するものである以上、アメリカから何と言われようが、為替政策を断行する。
・アメリカが、為替操作国云々とクレームをつけ、制裁措置を発動する気なら、当方も帰国からの輸入品に同率の高関税を課すぞ。
と主張すればよい。

筆者としては、必ずしも、円安=日本経済の利益とはならず、その効果は中長期的には中立付近に落ち着くと考えており、正直に言ってどうでもよい。

今回のトランプ発言は、円安や為替操作の是非云々の話ではなく、世界中のどの国に対しても、きちんと日本の国益を主軸とする主張や交渉がする、という、より高いレベルの問題として捉えるべきなのだ。

アメリカからの言いがかりに何も言い返せないようなら、中韓やEUにすら舐められるだけで、今後見込まれる貿易交渉の行く末が思いやられる。

財政政策や金融政策は、各国固有の政治的大権に基づき行われるべきもので、他国がそれに文句をつけるのは、明らかに内政干渉である。

アメリカのFRBは金融政策の出口を探り、政策金利引上げに舵を切ろうとしており、トランプ発言も、政策変更に伴うドル高の影響緩和を狙ったものであろう。
国家の経済政策は激烈な競争下にあるのだから、アメリカの事情に配慮し、忖度する必要などないし、円安が日本の国益になる(※筆者は同意できないが…)と信じるのなら、それを堂々と断行すればよい。

トランプ政権に代わり、これまでの日米関係に関するレジームは変化しているのだから、余計な腹芸でお茶を濁す必要はなく、日本の国益を第一に主張し、それを基に交渉すべきだ。

アメリカの国益を前面に出して難題を突き付けてくるトランプ氏の手法は、日本の政治家や官僚たちが自立的な発想や交渉をできるようになるための格好の練習台になる。
彼の刺激的な発言を、日本の政・官・財・報や国民に長らく染みついた、醜悪な従米体質の払拭につながる意識改革を促すきっかけにしたい。

2017年2月 2日 (木)

外需は無限じゃない

今回は、読者のおひとりである田中リンクス様からご紹介いただいた記事を取り上げたい。

『日本の「1人あたり」輸出額は44位に過ぎない 本当に「ものづくり大国」といえるのか』
(東洋経済オンライン 1/30 デービッド・アトキンソン/小西美術工藝社社長)
http://toyokeizai.net/articles/-/155352

「(前略)米国中央情報局(CIA)によりますと、2015年の日本の輸出額は世界第4位です。この実績を基にして、「いまだにメイド・イン・ジャパンは世界で高く評価されている」という主張をされている方も多くいます。
(中略)
確かに、日本は輸出の絶対額では「世界第4位」です。しかし、その輸出額は、ドイツの輸出額の48.3%にすぎません。日本の人口はドイツの約1.57倍であるにもかかわらずです。
(中略)
世界の上位100カ国の中で、総輸出額では第4位の日本が、1人あたり輸出額となると「第44位」に転落しているのです。
同じ「ものづくり大国」といわれるドイツは第14位で、韓国は第24位です。イタリアは第32位、イギリスは第35位、スペインは第40位です。
日本は技術レベルが高い国なのに、これらの国と比べて、1人あたり輸出額が低いのです。」

アトキンソン氏は、日本が名実ともに「世界に冠たる輸出依存国」にならないと満足できないらしい。

氏は、「日本が急速に少子高齢化しており、これから人口が減少していくのに対し、米国はいまだに人口増加が継続しています。3億2000万もの人口を抱えた米国経済は輸出に依存することなく、内需だけでも十分成長できます。」と述べ、アメリカは内需で喰っていけるが日本は無理だろ?と端から決めつけている。

何のことはない。
彼も、人口が経済規模を左右するという、根拠薄弱な『胃袋経済論者』に過ぎないのだ。

胃袋経済論者の最大の特徴は、国民一人当たり、あるいは、企業単位当たりの消費額が永遠に一定だ(=増えない)と思い込んでいることだ。
彼らは、「人口×消費額/人=経済規模」だと妄信し、人口減→経済縮小は避けられないと、すぐに白旗を上げてしまい、不思議なほど、一人当たりの消費額を伸ばそうという発想がない。

アトキンソン氏は、「日本という国が本当にすばらしい「潜在能力」を持っていると確信しています。その潜在能力を生かしさえすれば、日本は「1人あたり」という指標でも世界の上位にランクインするのは間違いありません。」と強調し、しきりに、『1人あたり』というキーワードにこだわるが、その割に、「一人当たりの消費額を伸ばす(=所得を伸ばす)」という視点をまったく持っていない。

彼の嘆きは、日本人に対して、根拠の無い無責任なセイな法則を押し付けているだけで、(外需の有無を検証せずに)“とにかく生産性を上げ、外需開拓に注力すれば、もっと日本は成長できるはず”と妄想しているだけだ。

彼は、「世界から「技術大国」という評価を受けているドイツと比較するのが妥当だと思われます。そうなると、先ほども申し上げたように、日本の人口はドイツの1.57倍なのに、輸出額はドイツの48.3%しかありません。1人あたり輸出額で見ると、日本はドイツの3分の1ほどです。」と主張し、日本はドイツを見習うべきだと偉そうに語っている。

だが、彼の言うとおり、日本が、国民一人当たりの輸出額をドイツ並みに引き上げようとするならば、単純計算で輸出額をいまの3倍に膨張させることになる。

2015年度の我が国の輸出総額は75兆円にも上り、これを3倍にするとなると、あと150兆円も輸出を伸ばす必要があるのだが、それだけの外需を、いったいどこから開拓すればよいのか?
宇宙人にでもモノを売るつもりか?

アトキンソン氏は何も考えていないと思うが、150兆円という金額はドイツの輸出額とほぼ同規模になる。
世界中のどこを探せば、ドイツ丸々一国分の外需が転がっているというのか、氏は明確に答えるべきだ。

彼のような胃袋経済論者&行商万能論者は、「内需は愚・外需は賢」だと思い込み、大航海時代の強欲商人みたいに、海外マーケットは無限に拡大すると夢想している。
要は、時代錯誤もいいところで、「海外市場=Infinite market」だと信じ込む田舎者に過ぎない。

そもそも、アトキンソン氏の「ものづくり大国=輸出依存度の強い国」という発想が間違っている。

ものづくり大国が生産したモノを、なぜ海外へ輸出する必要があるのか、彼は責任ある説明をしていない。
製造したモノが国内で消費されるなら、それで良いし、無理してグローバルマーケットに依存する必要などない。

日本やアメリカの一人当たりの輸出額ランキングが、総輸出額の割に低いのは、技術力が劣後しているわけではなく、国内マーケット(=内需)が巨大であることの証である。

そうした事実は、何ら恥じるべきものではないばかりか、安定したマーケットを確保できているという点で、ドイツや韓国、イタリア辺りの外需依存国と比べて、大きなアドバンテージだ。
何といっても、国内の経済政策でいかようにも拡大可能で、かつ、為替動向に左右されない『内需』という強力な後ろ盾があるという安心感は、何物にも代えがたい。

外需依存度の高さで技術水準を測るなんて、まったく意味がない。

ドイツや韓国のように、製造業が外需頼みということは、それだけ国内マーケットの成熟度が低いこと(=経済失政)の証とも言える。

アトキンソン氏は、「特効薬などありませんが、とにかく生産性を上げるという目的をもっていただき、各業界、各企業が工夫して、その答えを出すべきです」と、具体策も示さず、ここの日本企業に工夫を丸投げする形でコラムを締めくくっているが、いい加減に根拠の無い行商人根性を改めるべきだろう。

外需は、各国の内需の内数だから、内需が伸びない限り、その拡大には限界があることを理解すべきだ。

2017年2月 1日 (水)

移民問題は貧困化利権に集るクズとの闘い

『米入国禁止、内外で抗議拡大=トランプ氏異例の釈明―「テロとの戦いに悪影響」も』
(時事通信 1/31)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170131-00000001-jij-n_ame

「トランプ米大統領によるシリア難民の受け入れ停止やイスラム圏7カ国からの入国禁止令に対し、国内外で抗議が拡大している。
 アラブ連盟は29日、声明で「不当な規制」などと深い憂慮を表明。トランプ氏は同日、政権の対応に理解を求める異例の声明を出したが、燃え上がった批判が収まる気配はない。
 インドネシア外務省報道官は28日、AFP通信の取材に「過激主義やテロリズムを特定の宗教と結び付けるのは間違いだ」と批判。「世界的なテロとの戦い、難民管理に悪影響を及ぼすだろう」と警告した。
(中略)
英国では、年内に予定されるトランプ大統領の公式訪英招請を取りやめるよう求める議会への請願書に、130万人以上が署名。イランと関係が深いイラクは、米国に「誤った決定の見直し」を要求した。スーダンやイエメンは相次ぎ「不満の意」を表明した。(後略)」

トランプ大統領は、政治家にしては異例なほど着実に公約実行を果たしているが、彼が発したシリア難民受入れ停止令などに対する国内外から反発が沸き起こっている。

国外の動きは上記記事の内容どおりで、国内でも東海岸やカリフォルニアなどを中心にデモが頻発し、大統領令を無視したイェーツ米司法長官代行が解任される騒ぎもあった。

トランプ氏の政策に対しては、世界中のマスコミや政治家、識者、人権活動家、アーティストなどから猛烈な抗議の声が上がり、四方八方からの総袋叩き状態と言っても差し支えなく、マスコミ報道だけを見れば、一見、トランプ氏が窮地に追いやられているように見える。

1R開始のゴングが鳴ってすぐに、マスコミの連中から猛烈なラッシュを浴び、コーナーに追い詰められた状況を思い浮かべればよい。

だが、ケツに火が点き大いに焦っているのは、形相を変えてトランプ氏を非難するマスコミサイドや自称人権派団体、不法移民の連中の方だろう。

彼らの怒りのボルテージがMAX値に達したのは、グローバリズム利権に胡坐をかいてきた連中の危機感と焦りの裏返しなのだ。

グローバリストや多文化共生主義者たちは、イギリスのEU離脱決定、トランプ大統領の誕生、イタリアでの改憲を問う国民投票の失敗と、立て続けに手痛い逆転負けを喫し、反グローバリズムのうねりが、今春から始まるオランダ総選挙やフランス大統領選挙に伝播しないかと大いに気を揉んでいることだろう。

トランプ氏は就任早々に大変な気苦労を背負い込むことになるが、ここが踏ん張りどころだ。
グローバル利権屋に煽られた世論は、「反差別、反クローズド、反トランプ」を旗印に、一時は猛火を浴びせるやも知れないが、ここを耐え、もうひと押しして難局を突破すれば、一気に流れが変わり、形勢は逆転するだろう。

「過激主義やテロリズムを特定の宗教と結び付けるのは間違いだ」(インドネシア外務省報道官の発言)などといった現実を無視した空論を唱えるバカ者も多いが、世界中で頻発する凄惨なテロや、移民先の無辜の民を狙い卑劣な犯行に及んだ輩は、ほとんどが、鬼畜にも劣るイスラム教徒たちではないか。

イスラム教徒やイスラム系の連中が世界各地で引き起こした凄惨なテロ事件は、枚挙に暇がない。
中近東地域で毎日のように起きている無差別テロをはじめ、近年だけでも、昨年7月にフランスで起きたニーストラックテロ事件(花火見物の列にトラックが突っ込み死者84名、負傷者202名)、昨年6月にアメリカで起きたフロリダ銃乱射事件(ゲイナイトクラブでの銃乱射により死者50名、負傷者53名)等々、無辜の民を標的にした卑劣な大量殺人が繰り返されている。

これだけの大事件をあちこちで惹き起こしておいて、宗教とテロとは関係ない、なんて陳腐な言い訳が通用するとでも思っているのか?

世界中の何処へ行っても、くだらぬ礼拝と女性蔑視を止めぬイスラム教徒たちは、宗教とテロとを結び付けて欲しくないのなら、自分たちの責任で、過激なテロに走るイスラム系の人非人たちを止めてこい、と言っておきたい。

不法移民排斥の動きに対しては、マイクロソフト・アップル・グーグル・スターバックスコーヒー・ツイッターなど移民社員に依存するグローバル(礼賛)企業から、ビザの発給が経営の死活問題になりかねない、との強い反発もある。

アップルのティム・クックCEO:
「アップルは、この政策を支持しない。アップルは移民なしに成り立たない」
マイクロソフトのサティア・ナデラCEO(インド出身):
「移民の1人として、またCEOとして、移民がこの会社とこの国、そして世界にもたらすポジティブな力を目の当たりにしてきた」

マスコミやそれに踊らされる連中は、世界レベルの経営者の発言を鵜呑みにするかもしれないが、筆者には、国民の生活よりも自社や自分の報酬を優先させるご都合主義まみれの詭弁にしか聞こえない。

我が国にも100万人の移民がおり、それ抜きには企業経営が成り立たないと開き直るバカ者もいるが、彼らは、低賃金の固定化と雇用条件のシフトダウン、雇用のイスの減少という負担が国民に押し付けられているという多大なデメリットを理解していない。

「移民なしに成り立たない=奴隷なしには利益を出せない」という言い訳と同じで、不法行為を前提とする経営など認められるべきではない。

また、移民の持つポテンシャルを経営に活かしたいというマイクロソフト社ナデラCEOの発言も情けない。

アメリカは既に3.2億人と、我が国の3倍以上もの人口を抱え、世界最先端の教育機関や研究機関を数多く有しておきながら、なぜ、海外からの人材誘致に頼ろうとするのか?
3億人以上もいる自国内で、有為な人材の育成や発掘という努力を放棄し、カネとポストをエサに海外から有能な人材を一本釣りやり方は、途上国根性丸出しの無責任思想だと言える。

“コスト安&リスク高”の移民依存という麻薬に溺れる欧米諸国の怠惰さは、確実に、移民の輸出元の途上国にも伝播している。

いざとなれば、職に溢れた国民を移民として放り出せばよいという安易な選択肢がある限り、途上国のリーダーたちはそれに甘え続け、自国での産業育成や人材育成、雇用の場の創出、教育の実施などといった長期にわたる国づくりへの努力を放棄し、外貨稼ぎのための人材輸出、あるいは、養育・教育コスト削減のための人材放出を恥とも思っていない。

近年、世界中にグローバリズムの嵐が吹き荒れて以降、先進国のグローバル企業は不法移民の低コスト労働に甘え、反差別主義運動に熱中する活動家たちは弱者(?)保護に献身する自分に酔い、移民を輸出する途上国の連中は自国の社会政策コスト削減というメリットに甘え、不法移民たちは受入れ国の保護に甘えて新たな職と既得権益を得る、という「甘えのカルテット」を土台とする言論空間が形成され、社会はそれに大きな制約を受けてきた。

そして、社会に渦巻く膨大な甘えのツケを一身に押し付けられてきたのが、なにを隠そう、低中所得層の一般国民であり、職を失い、賃金下落の煮え湯を飲まされ、社会保障費を横取りされ、治安悪化に怯え、反差別主義者の監視による言論封殺の憂き目に遭ってきたのだ。

先のアメリカ大統領選挙でトランプ氏が大逆転勝利を収めたのは、そうした層の積年の恨みや、やり場のない激しい怒りが爆発したことによるもので、そうした変革のうねりを認めたくないマスコミをはじめとする既得権益者たちが、怯えてギャーギャー騒いでいるだけのことに過ぎない。

“出稼ぎ目的や犯罪目的の不法移民の連中は、いますぐに自国へ還れ”
“アメリカに居続けたければ、くだらぬ宗教や習慣を捨てて、真のアメリカ人となれ”

トランプ大統領には、周囲の雑音に惑わされることなく、また、暴言やテロに臆することなく、公約を着実に実行し、バカなマスコミ連中を黙らせ、こうした大原則を浸透させてほしいと期待している。

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