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2017年2月28日 (火)

働く気持ちさえあれば、財源は無尽蔵

筆者は、常々、日本のように重度のデフレ病を患う国では、通貨の信認など気にせずに、もっと積極的に通貨を働かせるべきだと主張してきた。

デフレ経済下で、いつまで経っても不毛な安値競争を強いられるのは、需要不足のせいに他ならない。
モノやサービスを売りたい(=カネに換金して収入を得たい)企業や事業者は後を絶たないが、実体経済には、彼らの欲求やポテンシャルに応え得るだけの資金や実需がまったく足りていない。

そこで、供給サイドと需要サイドのバランスを適切に保つには、両者を隔てる巨額の資金的アンバランスを通貨供給によって埋めてやる必要がある。
それも、「返済を伴う通貨(金融緩和で生まれるマネタリーベース)」ではなく、「ダイレクトに売上や所得となる通貨(財政政策が生み出す事業や給付などを通じて供給される通貨)」でなくてはならない。

莫大な量の通貨供給を行うには、当然、大量の日銀券が必要(必ずしも紙幣の現物を必要とはしない)になり、馬鹿な財政学者や緊縮主義者らから、財政規律や日銀のバランスシート棄損を問題視する声が上がることは目に見えている。

だが、不兌換通貨制度が一般化し、高度な供給能力を備えている現代では、財政規律とか通貨の信認云々など、取るに足らぬ些細な問題である。

なにせ、円安信仰の根強い我が国では、円の信認が高すぎることに怯え、史上空前のゼロ金利が何年続いても、2%のインフレ目標すら達成できないような特殊な国だから、財政規律など気にせずに、大量の通貨を実体経済に供給して活用すべきだ。

いまだインフレ率がゼロ近辺をウロウロしているような国で、通貨の供給制約を語るのは、まったく馬鹿げた話だろう。

ましてや、中央銀行のバランスシートなんて、存在自体がまったく無意味である。
貸借対照表とか財務、決算なんて、結局は、すべて「円」という通貨価値に帰し、円によって換算されるのだから、円の体現者である中央銀行(日銀)をバランスシート化する考え方自体が奇異なことだ。

先日、日経新聞を捲っていると、いつもは緊縮派や構造改革派の幻想コラムしか載らぬ『大機小機』に、珍しく、筆者と似たような主張があった。

『日銀に財源はいらない』(日経新聞「大機小機」2/24 執筆者:カトー)
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO13296490T20C17A2EN2000/

執筆者のカトー氏は、経済アナリストの吉松崇氏の論考「中央銀行の出口の危険とは何か」を引用して、
「まず何よりも、不換貨幣を発行する現代の中央銀行は財務の健全性を心配する必要がない。中央銀行は民間銀行や企業と異なり、通貨発行益を有する。資産の購入も経費の支払いも日銀当座預金の貸方記帳で取引は完結する。日銀は債務超過を心配する必要がないから、自己資本を心配する必要もない。」
と論じている

また、金融緩和政策を終了させる出口戦略の段階で、これまで日銀が購入してきた長期国債の金利上昇による含み損発生やバランスシートの棄損という問題に対しては、
「結論から言えば、短期金利の上昇が始まるまで日銀は経常利益を出し、出口に入って短期金利が上昇し始めると経常損失が生じ始める。
 だが出口での経常損失も心配するに及ばない。出口政策が完了した暁には、再び経常利益が発生し始めるからだ。
 では損失が出たときには政府による日銀の補填は必要なのだろうか。不要だと吉松氏は言う。政府による補填は税金と国庫納付金を通じて日銀から政府に還流するだけだからだ。」
とし、金利上昇による日銀の財務への影響はないとする。

そして、
「ひょっとしたら出口での日銀のバランスシートや債務超過を懸念する人々は、日本銀行を民間銀行のように、あるいはかつての金本位制のように兌換(だかん)通貨を発行していると考えているのかもしれない。もちろん、日銀は民間銀行ではないし、今は金本位制の時代ではない。金融政策に財源は不要だ。この簡単な事実を日銀はきちんと広報すべきだろう。」
と訴え、通貨の発行元たる中央銀行の財務状況を民間企業と同一視する安易な発想を否定している。

日銀の財務に関するカトー氏の考え方は、概ね、筆者と一致する。

金融緩和政策の出口戦略(=国債買取額縮小)に伴う市場金利上昇により、400兆円を超える日銀保有の国債価格の下落を心配する声が多いが、そんなものは満期保有すればよいだけだし、金融引き締めの必要が生じて、国債売却による損失が出たならば、政府が補填すれば済むだけの話だ。(日銀には、それすら不要だと思うが…)

日銀と政府は、誰が見ても一体の「統合政府」に他ならず、また、不可分かつ一体でなければ意味がない存在だから、両者の持つ無尽蔵の通貨発行権をフル活用して、実体経済の需給バランスを調整すればよい。

カトー氏の云うとおり、兌換通貨や金本位制の時代は、とうの昔に過ぎ去っており、政治家や官僚は、経済政策の選択に当たり、通貨の信認や中央銀行の財務状況を言い訳にできない時代になったことを認識すべきだ。

「財源」なら、いくらでも創り出せるのだから、後は、それを受け止め、消化する供給サイドの問題なのだ。
供給サイドが怠けぬ限り、財源(=通貨)が無駄になることはない。

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