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2017年3月

2017年3月31日 (金)

理論<現実

【読者の皆様へ】
4月1日付で勤務先の人事異動があり、しばらくの間、業務多忙となるため、本稿を以って、毎日の記事更新は一旦終了とさせていただきます。
4月以降は、週1~2本の更新ペースになる予定ですので、予めご了承ください。


『市場に影差す「アベグジット」の難問 』(日経新聞 編集委員 滝田洋一 3/28)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO14442530U7A320C1000000/?dg=1
「「アベグジット(Abexit)」。内外の市場では「ブレグジット(Brexit)」にひっかけ、安倍晋三政権の動揺を懸念した造語が、ささやかれだした。
 欧米の政治が揺れるなか、ひとり安定を誇っていた日本の安倍政権。それなのに、「ブルータスよおまえもか」というのが、日本株に投資してきた外国人投資家の偽らざる本音だろう。
 森友学園問題の拡大につれて安倍政権が、足をすくわれだしているからだ。問題が広がりを見せた3月に入り、外国人投資家による日本株の売越額は第3週末までに1.5兆円近くにのぼった。(中略)
アベノミクスの最大の成果を上げるとすれば、大規模な金融緩和を通じて、円高是正を実現したことだろう。外国勢が日本株に矛先を向けたのも、デフレ不況からの脱却という明確なメッセージを評価したからといえる。(中略)
 仮に安倍首相が退陣を余儀なくされるような事態に陥った場合、日本が再び「1年ずつの首相交代」の時代に舞い戻るのではないか。そんな悪夢が彼らの胸の内にはある。(後略)」

“外国人投資家”という生き物は、まことにくだらぬことを心配するものだ。

日経の記事では、外国人投資家の連中が、森友事件で安倍政権が倒れ、“日本が再び「1年ずつの首相交代」の時代に舞い戻る”事態を懸念していると報じられている。

しかし、記事中に貼り付けられた外国人投資家による日本株投資額のグラフを見ると、既に2015年半ばから外国人投資家はほとんど売越超過となっており、「アベグジット=外国人投資家の日本株売り」という意味ならば、アベグジットとやらは、とうの昔から始まっており、たとえ安倍首相が退陣しても大した影響はあるまい。

そもそも、外国人投資家が日本株を売ろうが買おうが彼らの勝手なのだから、いちいち彼らの顔色を窺う必要などない。
彼らが売る株が値ごろなら、日本人投資家が買い増せばよいだけの話だ。

株の売り買いなんて、所詮は、経済活動をネタにした賭け事でしかないから、その動向に一喜一憂する必要なんて一mmもない。
よって、安倍政権が吹っ飛び、外国人投資家が慌てようが、「株式投資は自己責任が原則ですから…」と冷たくあしらっておけばよい。


さて、日経の記事では、「アベノミクスの最大の成果を上げるとすれば、大規模な金融緩和を通じて、円高是正を実現したことだ」と持ち上げているが、“異次元金融緩和の意図は為替操作策ではない”と、安倍首相がトランプ大統領に見苦しい言い訳をしたばかりだから、勇み足気味の“ぶっちゃけトーク”は、却って安倍ちゃんの迷惑になるのではないか??

安倍政権初期の異次元金融緩和政策は、同時に放った大型の補正予算のおかげで一定の成果を上げ、その残滓が、未だにアベノミクスを実力以上に輝かせていると言っても過言ではない。

異次元金融緩和政策(いわゆる黒田バズーカ)と言えば、金融政策一本足打法に固執するリフレ派の連中が、盛んに、「一般物価(マクロの物価)」は金融緩和の量に比例するから、原油価格など「個別価格(ミクロの物価)」の変動は重要ではない、つまり、Aという商品の価格が下がっても、浮いたお金で別のBという商品が買われるから、マクロで見た時の一般物価に変化はないと主張していたのを思い出す。

だが、実際には、個別商品の値下がり分で浮いたお金は別の商品購入には向かわず、退蔵されるだけで、インフレ目標は未達状態が続き、風前の灯火と評してよい。

これだけ不況が続き、人手不足下でも時給が上がらぬようでは、家計や企業が、余剰資金を気前よく他の消費に廻す訳などないことくらい誰にでも解るはずだが、世間知らずのリフレ派には理解できぬらしい。

また、彼らはマンデルフレミング理論を信奉することでも知られているが、マンデルフレミング論から導き出す「財政赤字拡大による実質金利上昇が自国通貨高を招き、輸出減少や輸入増加によりGDP減少に至る」という結論と、上記の一般物価・個別価格論とは、明らかに矛盾があり、整合性が取れていない。

一般物価・個別価格論では、個別価格の変動が一般物価に影響を及ぼさないという「一般物価の中立性」を主張しておきながら、マンデルフレミング論では、為替動向がマクロ経済に与える影響の中立性を無視するのは、明らかに片手落ちの議論だろう。

円高が輸出減退をもたらす傍らで、内需型産業にとっては原料コストの圧縮による付加価値向上というメリットがあるはずだから、それこそ、一般物価・個別価格論に従えば、企業はコストの浮いた分を人件費や投資に廻せる余力が生じ、内需が誘発され、輸出減退分を十二分にカバーできるはずだ。(※生産拠点の海外移転が進み、為替動向の影響も小さくなっている)

なにせ、我が国の経済構造では、GDPに占める純輸出の割合なんて、ほんの数%と、まさに誤差の範囲内でしかないから、円高=経済の足枷という考え方自体が疑わしい。

本来なら為替が円安になろうが、円高になろうが、数多ある国内産業にとって、メリット・デメリットの双方が生じるから、マクロ経済に与える影響は中立に近い。
特に、内需型産業が大半を占める我が国の産業構造にあっては、円安のメリットは、世間で認識されているほど高いものではないというのが筆者の考えだ。

理論や法則の類を勉強するのはよいが、経済論を語るなら、それらが旧式化していないか、現在も実戦力を維持しているのか、常にチェックする必要があるだろう。

2017年3月30日 (木)

政治家がビジョンを語らぬ国に未来なし

『政治家の仕事はみみっちい財布(税金)の話をすること --- 渡瀬 裕哉』(アゴラ 3/26)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170326-00010002-agora-pol&p=1
「政治家はビジョナリーな空前絶後で超絶怒涛の公約を語ることよりも、現実の財布(=税金)の話をすることが本来の仕事であり、税支出の使途の妥当性を問うべきです。彼らは納税者の代表であって妄想を語ることは仕事ではありません。(中略) 筆者は東京都の政治家と都庁の役人に夢を見せてもらう必要はありません(後略)」

このコラムは、東京都議選に際して政治家がどんなレベルの公約を語るべきかについて論じたものだが、主張の幼稚さに頭痛がする。

渡瀬氏は文中で、次のように述べ、民尊官卑・民間主導の自助型社会の尊重を主張する。

❶政治家や官僚に社会のビジョン形成を求めること自体が時代錯誤で、「政治にビジョンの提示を求める」という行為をやめるべき
❷政治家と役人は余計なことをせずに粛々と行革、減税、権限移譲を進めるべき
❸起きながら見る夢とは民間人が努力する中で見るものであり、政治家ができることはそれを邪魔しないこと

現実の政治家選択システムの老朽化故に、政治の世界が「家業化」し、民意を収集できるシステムがまったく機能してないのは否めない事実だ。

しかし、それを理由に"政治家はビジョンを語るべきじゃない"と決めつけるのは、余りにも発想の次元が低過ぎる。

本来、政治家とは民の代表、民意の代弁者であり、彼らにビジョンを語らせずして、いったい誰が語るべきだと言うのか?

政治家や官僚の仕事が、細かい税金の分配でしかないとしたら、余りにも情けないし、そんな単純な作業なら、わざわざ高級官僚に任せずとも、消費者センターのおばちゃんにでもやらせておけばよい。

渡瀬氏の言う「現実の財布(=税金)の話をすること」とは、国民に要らぬ期待を抱かせるような話をするな、つまり、利権を産む余計な財出は許さない、税金の範囲内でできること以外するなという意味である。

行革だの、権限移譲だのと腹の足しにもならぬ妄想を騙って満足できるヒマ人はよいだろう。

しかし、実社会に生きる大半の国民や企業は、渡瀬氏が嫌悪する政治家や官僚の示すビジョンが産み出すビジネスや所得に頼って生活しているのだ。

彼のように青臭いピュアな民間信仰にかぶれた連中は、民主導(=企業主導)の自由放任主義こそ最上のシステムだと信じて疑わない。

だが、法人減税・低金利・労働規制緩和の三点セットの優遇措置を受けた企業が、大恩を忘れて雇用条件を切り下げたり、労働分配率を減らし続けたりして家計から需要力を奪い、社会システムを弱体化させたことを忘れたのか?

民間企業の好き勝手に任せたままやりたい放題にさせていると、社会のセーフティネットは簡単に崩され、民と民とを結ぶ経済的連関もズタズタにされ、国家は間違いなく瓦解する。

政治家や官僚が国家の行く末を示す大きなビジョンを提示する重要性は、高まりこそすれ低くなることはない。

ましてや、出口の見えぬ不況の闇の中を彷徨い続け、国民の絶望感や失望感がピークに達する今のような時代だからこそ、国民の失意に希望の灯火を当て、成長に向かい国民一人ひとりの奮起を促すための巨大なビジョンが絶対に必要だ。

社会や経済を主体的に動かすプレイヤーは、国民や企業という"民間"であるに違いないが、プレイヤーはあくまで執行者であり、企画立案・運営・管理の役目を果たせるスキルまでは持っていない。

戦略家と実戦部隊との役割分担や補完関係と同じ理屈で、各々が弱点を補い合わないと、システム自体が上手く稼働しなくなるものだ。

世の中には、あんな事業をやって欲しい、こっちの事業にも予算を付けて欲しいといった「国民のニーズ」がゴマンと転がっている。

こうしたニーズや要望を掬い上げて、キチンと予算を付け、速やかな解決を図るのが、政治家たる者の最重要任務だが、“民尊官卑”の思想に染まり切った現代では、こうした重要ポイントが欠落し、政治家や官僚自身が自分に課せられた職務の真の目的や意味を忘れてしまっている。

彼のように、「税金の範囲内での分配さえしておればよい」、「国民や住民に要らぬ期待を抱かせるな」というチマチマした発想では、大事は成し得ない。

ましてや、「政治家の仕事=税金のみみっちい話をすること」なんてレベルの低い発想なら、そもそも政治家など要らぬ。

渡瀬氏は、政治家が大きなビジョンを語ることを"妄想"だと揶揄するが、何のビジョンも持たずに民間人主導で社会を回していけるという氏の青臭い発想こそ「独りよがりな妄想」と呼ぶべきだ。

政治家は、チマチマした財布や税金の話をすべきではない。
予算の財源が足りなければ国債発行をして調達すればよいし、それで金利が上がるなら、日銀に引き受けさせればよいだけだ。
管理通貨制度下にある現代では、財源調達の手段なんて幾らでもあるのだから…

政治家に期待される役割は、口うるさい経理係みたいな狭小な発想で「入(歳入)」を語る類のものではない。

もっと大風呂敷を広げて、国民が直面する課題や問題という「出(歳出)」の口実や大義名分を拾い上げる努力こそが求められている。

「出」により課題解決の糸口を見つけられれば、それだけ国民生活の満足度が向上し、さらに、解決の過程で支出されたマネーにより新たな雇用や所得も生まれ、経済的好循環ももたらされるのだ。

「入るを量りて出ずるを為す」式の旧来のやり方では経済は成長しないし、国民所得を増やすこともできない。

「出ずるを図りて入るを為す」。
つまり、商機や所得につながる「出」を創り出す努力をせぬ限り、国民生活の満足度は上がらぬし、閉塞感を打破することもできぬことを、渡瀬氏のような人種は肝に銘ずべきだろう。

2017年3月29日 (水)

「皆が平等に貧しくなる社会」を招こうとする痴れ者

北海道で、土木職(技術職)の公務員不足が深刻らしい。

大卒採用枠58人に対して応募は71人だけで、採用基準を通過した46人のうち、採用後の辞退者もおり、4年連続の採用枠定員割れ状態が続いているとのこと。

元々、小泉バカ政権による三位一体改革で地方交付税が大幅に減らされた影響もあり、北海道建設部の土木職員は、2000年の約1,400人から、2016年には1,000人を切るまで縮小している。

北海道では、昨年夏に観測史上初めて大型台風が3つも直撃し、南富良野町や大樹町ほか道内各地に甚大な被害をもたらしており、ただでさえ復旧作業が立て込み、土木職の採用や養成が急務になっているようだが、上記のとおり人気がないようだ。

北海道建設部では、東北、関東、北陸、関西方面の大学にまで足を運んでPRに努めているようだが、九州と四国を合わせたよりも遥かに広大な北海道内をくまなく転勤せねばならぬという事情が敬遠され、人集めに苦心しているらしい。

筆者が仕事上で付き合いのある公務員(県職員)に聞くところによると、公務員の仕事でストレスの強い業務は、
①地方(痴方)議員の議会質問に対する答弁書作成
②予算獲得のための財務当局との折衝
③地方自治体や住民などとの利害調整のための説得作業
の3つだそうだ。

いずれも、世事や世情に疎いくせに、やたらと権限を振りかざしたがる人種相手の業務で、公務員が精神を病むのは、たいがいこの3つに関わるケースが多い。

北海道庁が人集めに苦心している土木職は、これら三重苦から比較的隔絶されており、公務員としての出世の道は行政職より一段低くなるが、ストレスの掛かり具合は行政職よりも遥かに軽微なはずだ。

そうした比較的恵まれた職種であるにもかかわらず、人が集まらないのはどういう訳なのか?

公務員を「上級国民」とか「特権階級」と揶揄する世間知らずなバカも多いが、特権階級の公務員ですら成り手の確保に苦労する現実をまったく解っていない。
この手の頭でっかちなバカは、たまに外の空気を吸って情報をアップデートすべきだろう。

我が国は、世界に先駆けて緊縮財政によるデフレ不況という大病を患っているにも拘らず、さらにグローバル化というデフレ増進剤を飲もうとしている。

長すぎる不況が人心を荒廃させ、大衆は、銀行員や公務員、農協、医者、教師、電力会社、警察等々、次々と嫉妬のターゲットを見つけ、「既得権益者だ」、「高給取りだ」と卑しい嫉妬心をぶつけている。

醜い大衆の中には、公務員の給与水準が高すぎるというデータを探し回り、「日本の公務員給与は中小企業と比べて高すぎる、民間並みに引き下げろ‼」と青筋立てて主張する大バカ者もいるから世も末だ。

他人の給与水準を引き下げようと、必死の形相で資料やデータを掻き集めたがる賎人の根性の汚さには反吐を吐きかけたい思いがする。
貧しい者の所得を増やそうと奔走するのではなく、1千万円にも満たぬ公僕の給与を嫉み、その待遇を切り下げようと血眼になってデータを創作する様は、人品の卑しいデフレ支持者としか言えない。

公務員という職種は、特権階級が牛耳るクローズドなものではなく、その門戸は広く国民に開かれている。
よって、彼らの待遇を羨むのなら、自身が試験に合格する努力をするか、もしくは、公務員の中途採用枠をもっと増やして民間の血が大量に混じりやすくなるよう訴えるべきではないか。

「公務員は国民の税金で飯を食っているくせに、俺たちより給料が高いなんてけしからん」といったレベルの低い与太話は居酒屋談義だけにしておけと言っておく。

貧困問題を解決し低所得者層を救うには、積極的な財政金融政策が不可欠だが、公務員批判にしか興味のない連中は、「大規模な財政政策は政治的に不可能」だなんだと
言い訳ばかりで、「公務員の給与を減らせ」、「高齢者の負担を増やせ」と財政限界論や予算の付け替え論に終始する愚か者ばかりだ。

他人の足を引っ張ろうとする卑賎なクズは、己の嫉妬心を糊塗しようと、格好つけてデータ探しに奔走するが、たとえ公務員を貧しくしても、マクロレベルの消費力が落ちて貧者を極貧者へと貶めるだけに終わる。

本来なら、公務員攻撃に向ける情熱を低所得者層の救済にこそ注ぐべきだが、思慮の浅い賎人に大局観を持てという方が無理なのかもしれない。

結局、賎人たちの主張は「平等に貧しくなろう」という上野千鶴子レベルの妄言と、何ら変わらない。

彼らは成長を諦め、貧者の生活向上をも放棄する単なるナマケモノだ。
自身の怠惰さを指摘されるのを恐れ、それを糊塗するために、手近な公務員に八つ当たりしているだけに過ぎない。

貧しき者たちの生活改善というハードルの高い難事から逃げ、公務員批判という難度の低いバカ騒ぎに興じて自己満足に浸る…

筆者が、公務員給与引下げ論に固執する薄汚い連中を蔑む理由はここにある。

2017年3月28日 (火)

泥臭い期待

『インフレ2%の達成は程遠い ヤマトの値上げが話題のお国柄』(ダイヤモンドオンライン 3/23 加藤 出/東短リサーチ取締役)
http://diamond.jp/articles/-/121807
「宅配便最大手のヤマト運輸が、宅配便の運賃引き上げを検討しているというニュースが大きな話題となっている。1面トップで報じた全国紙もあった。
 しかし、米国人がこの話を聞いたとしたら、「なぜそんな話題が新聞の1面に載るのか」と驚くと思われる。なぜなら、米国では荷物の配送料の値上げは日常茶飯事だからだ。
(中略)
値上げしづらい空気、またはそれを招いている人々の行動規範を「ゼロ・インフレ・ノルム」と呼ぶ。それを打ち壊すまで、日銀は超低金利政策を粘り強く続けようとしている。
 しかし、日本経済は先行き伸びていくという予想(成長期待)が人々の間に存在しなければ、たとえ融資の金利が低かったとしても資金需要は湧いてこない。人口問題を含む構造改革に着手しなければ、日銀が実施している超低金利政策の景気刺激効果は限られてしまう。
 また、最近気になるのは、「人手不足→賃上げ→消費拡大→値上げ」という循環の拡大は緩やかな一方で、人件費の増加をサービス価格に転嫁しないで済むように、営業時間の短縮やIT化推進を含めた工夫によって、価格上昇を抑える動きが各所で広がりつつある点である。
 現在の人手不足は労働年齢人口の減少が主因であり、消費の過熱に起因するものではない。それだけに、「ゼロ・インフレ・ノルム」を克服することは容易ではないといえそうだ。」

黒田日銀総裁の任期はあと一年残っているが、日銀の金融政策があまりにもパッとしないせいか、市場関係者の関心は、黒田バズーカ第●弾から、早くも“ポスト黒田”人事へと移っている。

上記コラム執筆者の加藤氏は、量的緩和政策やインフレターゲット政策に否定的な論者であり、リフレ派から目の敵にされている。
彼は、構造改革や緊縮政策を是とする立場から、過度な金融政策に反対する主張を繰り返してきた人物で、コラム文中の“人口問題を含む構造改革に着手しなければ”云々という表現にも、そうした思想が見え隠れする。

しかし、加藤氏の次の指摘には同意する。
●日本経済は先行き伸びていくという予想(成長期待)が人々の間に存在しなければ、たとえ融資の金利が低かったとしても資金需要は湧いてこない
●「人手不足→賃上げ→消費拡大→値上げ」という循環の拡大は緩やかな一方で、人件費の増加をサービス価格に転嫁しないで済むように、営業時間の短縮やIT化推進を含めた工夫によって、価格上昇を抑える動きが各所で広がりつつある
●現在の人手不足は労働年齢人口の減少が主因であり、消費の過熱に起因するものではない

問題は、こうした課題やボトルネックに対して、どのような処方箋を示すのか、という点にある。

筆者も、巷間囁かれる「人手不足問題」は、単なる人口動態の変化によるもので、景気拡大に起因する前向きなものではないと思っている。

また、求人倍率の高まりが、給与水準改善にストレートには反映されない事態にかなりイライラしている。

売上が増えず、個別商取引の収益も上がらぬビジネス環境では、人件費上昇分のコストを消費者や顧客へ転嫁できず、労働時間圧縮や他の経費縮減で対応せざるを得なくなる。
そして、そうした個別企業の経費圧縮努力が、長期デフレからの脱出に対する高い壁になる。

一企業の経営選択としては致し方ないとしても、全産業でこれをやられた日には、まさに合成の誤謬が発生し、いつまで経っても経済成長などできないし、デフレ脱却も永遠に不可能だ。

企業が直面する課題は、次のようなものだろう。
①売上が伸ばせない(=需要不足)、個別取引でも利益を取れない(=価格競争)
②高齢層の退職時期到来、氷河期世代前後の採用不足、絶対数が少ない新人層の採用難など複合要因による人手不足
③人件費UPに廻せる財源不足(※中小企業のみ)
ただし、③に関して、大企業の経常利益は過去最高水準に達するなど十分に拡大しており、財源不足を言い訳にするのは許されない。

こうした課題のうち、①の実体経済のビジネス環境改善こそが避けて通れぬ最重要課題であり、量的金融緩和政策やインフレターゲット政策を巡る議論でも、ここに焦点を当て突破せぬ限り、解決の糸口を掴むことはできない。

「いかにして2%の物価上昇目標を達成すべきか」、「金融機関の尻を叩いて、マネーストックを増やすにはどうすべきか」という本末転倒かつ枝葉末節な議論に収斂するだけでは、何の進歩もない。

物価上昇目標やマネーストックなんて指標は、経済成長や適切な分配が行われた後に顕在化する多くの数値の一つでしかない。

加藤氏の云う「日本経済は先行き伸びていくという予想(成長期待)」とは、商機と所得の拡大という“泥臭い”期待のことに他ならない。

この泥臭い期待を確信に近づける経済政策無くして諸問題の解決は不可能であることを自覚せぬと、いつまで経っても「金融政策一本足打法の継続か、緊縮・構造改革路線への転換か」という妄想と空想との禅問答を繰り返すことになる。

2017年3月27日 (月)

海外依存リスク

穀物や食肉などの基幹食糧の海外依存度を高めすぎるのは、やはりリスクが大きい。

日本では、年間約220万tの鶏肉が消費され、うち3割ほどを輸入に頼り、輸入国別ではブラジルが7~8割を占めるらしい。
実際に筆者も、スーパーの店頭でブラジル産鶏肉が安売りされているのをよく目にする。

ブラジルは2014年の鶏肉輸出量が356万tにも及ぶ世界最大の鶏肉輸出国なのだが、既に報じられているとおり、とんでもない食肉不正事件が発覚した。

『ブラジルで食肉不正問題、緊急閣議招集へ』(AFP 3/19)
http://www.afpbb.com/articles/-/3121962
「ブラジルのミシェル・テメル大統領は19日、世界有数の食肉生産国で国内外に広く鶏肉などを販売している同国において、食肉の安全性をめぐり不正問題が発覚したことを受け、緊急閣議を開くと発表した。
 2年間にわたる警察の捜査によって17日、公衆衛生検査官数十人が賄賂を受け取り、衛生基準を満たさない食品を消費に適しているとして承認していたとの不正が明らかになった。
 不正に関わったとされる多数のブラジル企業は18日、自社製品は安全だと主張したが、国民の不安は高まるばかりだ。(中略)
当局は、衛生基準を満たさない食品が見つかった場所について言及していないが、南部クリチバでの記者会見で、腐った肉の悪臭を隠すために「発がん性物質」が使われていた事例もあったと述べた。(中略)
 リオデジャネイロのスーパーマーケットでよく買い物するというシルビア・ファリアス教授は、鶏肉製品の一部には段ボールが混入しているとの報告もあり、懸念していると述べた。
 ブラジルは少なくとも世界150か国に鶏肉などの食肉を販売しており、この不正問題は同国にとって深刻な懸念事項となっている。」

今回のニュースには、「賄賂」、「衛生基準未達」、「発がん性物質」、「段ボール混入」という悪臭の強いワードが目立ち、事の重大さと深刻さを浮き彫りにしている。

衛生基準未達は健康被害に直結するリスクが高まり、それを糊塗するのに賄賂や発がん性物質を使う、あるいは、段ボールまで混入するに至っては、悪質性が極めて高く、昨年、我が国でも大騒ぎした鳥インフルエンザどころの話ではない。

鳥インフルエンザの場合は、ウイルス感染した鶏肉を食べても人への感染が起こったという事例は世界的に報告されておらず、単なる過剰反応(※鳥インフルは大袈裟に騒ぎ過ぎというのが筆者の私見)の域を出ないが、ブラジルの不正問題は、中国で起こったマックチキンの消費期限切れ&薬漬け(疑惑)問題以上に悪質だ。

しかも、ブラジル国内で少なくとも21カ所もの施設が不正に手を染めていた事実は、同国の食肉処理施設の衛生管理システムが、相当いい加減なレベルにあることが判る。

同国のテメル大統領は、国内4,800以上の加工施設のうち、不正が発覚したのは21カ所に過ぎないと火消しに躍起だが、21カ所という数字は尋常な数ではないし、何より食肉加工最大手のJBS、BRFのほか中小合わせて数十社に衛生管理基準違反の嫌疑が掛けられているそうだから、法令違反の加工施設の数の実態はこの数倍に膨らむだろう。

世の中には、「食料なんて、海外から安く買えばいいじゃん」、「日本の農家は怠け者。あんな奴らを甘やかす必要はない」、「食べ物が安くなるのは消費者の利益」云々と腑抜けたことをぬかすバカ者が多い。

今回は、たまたま、国内の自給率が比較的高い鶏肉だったからよいが、基幹食糧で輸入依存度が高い原料であれば、小売店や食品加工業者、飲食店、観光業者などを中心に、かなり大きな打撃を受けることになる。

鶏肉の年間消費量は一人当たり12kgと、豚肉と同じくらい日本人の食卓を支える大事な存在であり、こうした基幹食糧は、できるだけ内製化に努める必要がある。

食糧安全保障という観点は無論のこと、飼育から出荷に至るまで、国内の関連産業に与える経済的波及効果が大きいのと、飼育・給餌・温度管理・採卵・包装・物流等々、その過程ごとに行われる技術開発や省力化・高付加価値化技術など有形無形の産業財が培われるからだ。

トリュフやキャビアのように、消費量が少なく日本が産地として不適なものとは違い、鶏肉や豚肉、牛肉など、十分に国内での生産・出荷が可能な畜産物は、できるだけ内製化を促進して、日本というマーケット内での域内循環を進めるべきだ。

2017年3月26日 (日)

日銀は国債買入の意義を勉強しろ

『日銀保有国債、年内にも500兆円超えか 買い増し続く』(朝日新聞デジタル 3/17)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00000090-asahi-bus_all
「日本銀行が17日発表した資金循環統計によると、日銀の保有国債は昨年末時点で前年比27・0%増の421兆円(時価ベース)で、発行残高全体の39・1%を占めた。大規模緩和前の2012年末と比べると、日銀の保有額は3・6倍で、今年中に500兆円を超す可能性がある。
 日銀は現在の緩和策で、年80兆円をめどに国債を買い増している。財務省は年約40兆円の国債を新たに発行しており、日銀はそれ以上の量を、民間銀行などから買っている。民間銀行が保有する国債の残高は、昨年末時点で209兆円で、4年前の360兆円から4割以上減った。保有割合は19・4%で、初めて2割を割り込んだ。」

日銀の国債保有額が年内に500兆円超えする見込みとなり、まことに結構なことだ。

莫大な額の国債を抱える日銀の財務や金融政策の出口戦略を懸念する幼稚な意見もあるが、そんなものは無視すればよい。

「通貨=円」と同義の存在である日銀の財務を気にすること自体が珍妙かつ無意味であり、日銀保有額の多さを心配するよりも、民間金融機関の保有額の少なさ=新発債の発行量不足の方を気にすべきだろう。

また、量的金融緩和政策は、数値目標に一度たりとも達しておらず、いわば、道半ばの行程にあるのだから、出口戦略云々を語るべき段階ではない。
今後実施するべき大規模な財政政策のサポート役として、出口どころか、入口の先導を仰せつかるくらいの覚悟が要る。

そもそも、日銀が保有する国債を、民間機関の保有と同列に論じることがおかしい。
日銀保有国債は、形式上は満期保有、もしくは、金利・物価調整用の売りオペ要員と位置付けられているが、バカげた財政破綻論を滅菌するための償却用途だと考えるべきだ。

日銀の懐に収まった国債の「出口」は、債券市場ではなく、永久債への借り換えによる金庫行きか、政府との相殺勘定による焼却炉行きの何れかである。

日銀首脳部の連中は、「自行の国債保有=政府債務の実質的消滅」であるという事実を、もっと積極的にアピールすべきだ。
日銀の金庫に眠る400~500兆円もの国債分だけ“国の借金(嘘)”とやらが蒸発することが判れば、不況を誘発してきた財政危機論は霧散し、実績ゼロの量的金融緩和政策よりも数倍マシな成長期待が醸成されるだろう。

そのうえで、国債が日銀に吹き溜まるのが不満なら、もっと気前良く財政支出して、新発債をどんどん市場に投じればよい。

財出は民間企業の開発意欲や設備・人材投資意欲をダイレクトに刺激し喚起させるから、日銀がチマチマ国債を買い入れする必要もなくなる。

日銀は、先日15-16日の金融政策決定会合後の公式会見で、「わが国の景気は、緩やかな回復基調を続けている」、「先行きのわが国経済は、緩やかな拡大に転じていく」と、相変わらず薄呆けた寝言を吐いていたが、個人消費支出は長期縮減、春闘のベア交渉も前年割れと惨憺たるありさまで、“緩やかに拡大している”のは黒田総裁と岩田副総裁の妄想だけではないか?

これまでのように、日銀が国債を溜め込むだけの手法では、国民から、政府債務の付け回しだと受け取られ、量的金融緩和政策の効果が疑われ、在り方自体が否定されてしまう。(既に、十分疑われているけど…)

既発債の買入という地味なやり方を続けても、この先、インフレ期待の醸成につながる可能性はまったくない。
それどころか、政府と日銀が結託して借金帳消しに動いているなどと、財政破綻ゴロの連中に引っ掻き回される口実を与えてしまう。

金融政策の出番を作るためには、先ず、強力な財政出動による実体経済への地均しが必要であり、日銀から政府サイドに対して、財出を促すよう積極的なアプローチがあって然るべきだ。

このままでは、家計や企業は、いくら金利を下げても反応しないし、実質金利とやらの低下を見込んで投資や消費を増やすこともない。

家計や企業が金利に反応を示す前提条件として、雇用・所得・売上・収益など、自身や自社の利益に直結する指標が十分に高く、今後も逓増し続ける、という確信に近い将来予想が必要になる。

日銀をはじめ金融政策を信奉するバカな連中は、4年近くも失敗し続けたのに、こんな簡単なことも解らぬのか?

2017年3月25日 (土)

バカのひとつ覚え「ジンバブエ」

『米利上げで国債漬けの日銀に「債務超過」の危機』(ダイヤモンドオンライン特任編集委員 西井泰之 3/17)
http://diamond.jp/articles/-/121602?page=3
「米国の連邦準備制度理事会(FRB)が追加利上げを決めたが、「物価上昇率2%」の目標を掲げる日本銀行は、直後に開いた政策決定会合で超金融緩和を続けることを決めた。だが日米の金利差が拡大し、国債(長期金利)市場が不安定な動きをしかねない中で、日銀は金利上昇を抑えようとしてまた国債購入を増やすことになりかねない。借金財政をファイナンスする“国債漬け”日銀の「出口」はますます見えなくなった。(後略)」

西井氏の主張は次の4点に集約される。

①「いったん金利が急騰(国債価格が急落)すれば、財務基盤にも影響が出る。(中略)途中で売ると「含み損」が表面化するから、物価が上がって金融引き締めをしようにもできなくなる。インフレが止まらなくなり、結果、国債の額面が維持されても資産価値は目減りしてしまう。」

②「政府が増税を先延ばしし財政健全化に取り組む姿勢が見えなかったり、財政が破綻寸前だったりという国の中央銀行が発行する通貨はどうなるか。通貨の信認が崩れて超インフレになり、自国通貨を国民すら使わなくなったジンバブエなどの例でも明らかだ。」

③「政策金利がゼロになった時点で、金融政策がやれることはほぼ限界にきていた。銀行の貸出金利を下げて企業の投資を促すには、銀行の短期市場での資金調達コストを下げることしかない。だが短期金利がゼロまで下がってしまえば、その効果はそこで終わる。」

④「政府の財政再建努力は先送りされて、日銀保有の国債残高は増え続け、財政ファイナンスの性格を帯びる。民間でも、超低利局面が長く続いてきた結果、「ゾンビ企業」が生き残って、新陳代謝、産業構造の転換が遅れ、一方で国債や上場投信などの市場は“官製”化が進んでしまった。」

①は日銀B/S棄損論とハイパーインフレ懸念論で、②は通貨信認崩壊論、③は金融政策限界論、そして④のゾンビ企業排除論へと続く。

まず、①について、西井氏も触れているが、日銀の保有国債は満期償還目的のため評価損は生じないし、そもそも通貨発行元たる日銀の財務基盤云々を語ること自体がまったく無意味だ。

また、西井氏は、極度のインフレ発生時に国債売りオペができないことを心配しているようだが、政策金利の引き締めや融資の総量規制、増税などインフレ防止策はいくらでもあるし、いざとなれば、日銀の含み損など無視して売りオペを仕掛ければよいだけのことだ。
日銀の財務と国民経済とのどちらが大切なのか、政治が冷静に判断すれば自ずと正しい答えは出る。

まあ、4年もの歳月を経て、300兆円以上の資金を使っても、僅か2%のインフレ目標にすら到達できないありさまだから、極度なインフレを心配する方がどうかしている。

次に②について、ハイパーインフレとか通貨の信認云々の与太話をするのは勝手だが、いい加減に“ジンバブエ”しかネタが無いのか?

日本の財政破綻論は、20年以上前から公然と囁かれるほど年季が入っているが、インフレどころか、何時終わるとも知れぬデフレに悩まされ、通貨の下落どころか、絶えず円高に怯えているではないか。

西井氏は、ジンバブエ国民が自国通貨を使わなくなったと脅しつけるが、日本人の“円に対する絶大な愛情”は天井知らずで、2016年末の家計の金融資産残高は1800兆円(昨年比+0.9%)と4四半期ぶりに過去最高を更新したと報じられたばかりだ。
しかも、金融資産増加分のほとんどは“円”による現預金であり、資産の海外逃避の動きは見られない。

③の金融政策限界論については同意するが、だからと言って、西井氏のように、出口論(金融緩和縮小)への誘導を急ぐ必要はない。

せっかくの史上空前の低金利環境を活かすためにも、大規模な財政政策を打つことで企業や家計の投資・消費意欲を喚起し、金融政策をサポートしてやればよい。

最後に④のゾンビ企業排除論は、経済連関を無視した夢想論に過ぎない。

西井氏は、企業活動の何たるかをまったく理解できていない。
日本企業の67%近くが赤字企業という惨憺たる状態で、赤字企業(ゾンビ企業)狩りなんかやった日には、間違いなく経済がクラッシュするだろう。

企業全体の7割近いゾンビ企業とて、実体経済においてモノやサービスを売り買いするわけで、そうした経済活動が黒字企業の富の源泉にもなっている。
黒字企業は黒字企業同士だけの商売で業績を維持しているわけじゃないことくらい、普通の人間ならすぐに理解できるはずだが?

素人に限って、新陳代謝とか産業構造の転換なんて言葉を軽々しく使うが、ゾンビ企業を退場させてしまえば、実体経済は失業者で溢れ返り、ただでさえ事業化確率が低い新規創業者の事業環境はますます悪化し、新陳代謝どころか、創業マーケットは死屍累々の状態と化すだろう。

西井氏のようなドシロウトに言っておきたいのは、産業構造の転換も、新陳代謝も、財政再建優先主義がもたらす超デフレマーケットよりも、放漫財政が創り出す成長マーケットの方が、遥かに実現しやすいということだ。

経済は結果がすべてであり、その結果をもたらし得るのは「所得や売上に直結するマネー」でしかない。

2017年3月24日 (金)

会計検査院と財務省は要らない

『プレミアム商品券の使途、車検や運賃など想定外多数 検査院』(日経新聞 3/15)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H4M_V10C17A3CR8000/
「(前略) 検査院が248の市区町村などを調べたところ、少なくとも150の市町などで車検費用に充てられていた。司法書士などへの報酬(18自治体)、家賃や駐車場代(13自治体)のほか、交通機関の定期券代、葬儀費用、パチンコ店での支払いなどの使用例もあった。
 商品券には1人当たりの購入限度額が設定されているケースが多いが、購入履歴の確認が不十分で、特定の人が大量に使っているケースもあった。福井県では船の購入費の一部として1800万円分が使われていた。
 プレミアム商品券は自治体から委託を受けた地域の商工会などが発行する。例えば5千円の商品券で6千円分の買い物ができ、この千円分を交付金で賄う。法律で定価販売が義務付けられているたばこには使えないが、少なくとも8つの県市などでたばこの購入に利用されていた。
 検査院は制度設計を行う内閣府に対して「利用対象となる商品やサービス、利用条件などについて消費喚起効果を高めるものとすべきだ」と指摘。(後略)」

筆者にとって、「財務省」と「会計検査院」は、その存在自体がゴミとしか思えない二大官庁だ。

彼らは経済実態を知らぬ教条的な守銭奴で、支出を削ることと、公的支出に難癖をつけることしかできぬくせに、強大な権限を振りかざし、他省庁や補助金受給者(企業や団体)に睨みを利かせて悦に入っている。

日経記事によると、検査院の見解では、プレミアム商品券が司法書士報酬や家賃の支払い、たばこの購入などに使われるのは、「新たな消費を喚起するという制度の趣旨」にそぐわないそうだが、バカも休み休み言えとした思えない。

プレミアム商品券の真の目的は、地域の消費喚起を起点とする経済効果の波及を狙ったものだから、葬式代に使おうがパチンコに使おうが何の問題もない。
要は、カネが使われたかどうかが最重要ポイントなのであり、使途の適否は、商品券を購入した消費者の自由な選択に委ねられるべきだ。

検査院は、「新たな消費喚起(新規の消費喚起)」の定義を故意に狭め、制度の趣旨を歪めている。
「新たな消費喚起」とは、新商品や新サービスの購入という意味ではなく、貯蓄に退蔵されていたカネを実体経済の場に引き出す(=実体経済に新たなカネを引っ張り出す)という意味だと理解すべきだ。

特に、大した産業もない地方や地域には、これといった新商品や新サービスなんて存在しないから、商品券の使途に制限を掛けてしまうと、購入するモノが何も無くなってしまう。

プレミアム商品券の立ち位置は、消費を義務付ける減税措置と同じだから、結果的に支出が喚起されるのであれば、商品券が何に使われようが問題はない。

「利用対象となる商品やサービス、利用条件などについて消費喚起効果を高めるものとすべきだ」との検査院の指摘は、あまりにも烏滸がましく頭に乗った発言である。

文句を言いたいなら、“消費喚起効果を高める商品やサービス”とやらを、検査院自身が具体的に明示し、その経済効果を他商品との比較で数値データを以って実証すべきだろう。

筆者自身、プレミアム商品券は購入層が比較的資金の余裕がある高齢者層に偏りがちで、経済政策の優劣で云えば減税や定額給付金以下の政策だと考えるが、それでも、高齢者層の退蔵資金を消費の場に引っ張り出し、地域の消費喚起に一定の効果は認められると思う。

検査院による重箱の隅をつつくようなくだらぬ指摘は、こうした細やかな経済効果すらも否定するものであり、到底受け容れられない。

こうした幼稚な屁理屈が罷り通るようになると、各省庁が予算要求の過程で、事業目的の狭小化や支出要件の厳格化に血眼になり、せっかく予算化された事業が、ますます使いにくくなってしまう。

財務省は予算査定や予算編成という「入口」で、検査院は会計検査という「出口」で、事業の組み立てや予算の執行にアレコレと難癖や文句をつけ、補助金を使いにくくすることにしか興味がない。
彼らの専横を放置すれば、せっかくの公的支出の経済効果が台無しにされてしまう。

補助金を使う企業や団体が、補助金の目的やルールを守ることだけに縛られ、税金を拠出する経済主体が、税金を原資とする事業を自由に使えないようでは、まったくの本末転倒ではないか。

いつもなら、ここで、「税金を原資にすると、“私たちの税金が~”と騒ぐバカの所為で、いろんな制約が掛かり過ぎ自由度が無さすぎる」→「税金の番犬に要らぬ口を差し挟ませぬよう、永久国債や政府紙幣発行により財源を拠出すべき」と話を拡げるところだが、くどくなるので、この辺で止めておく。

2017年3月23日 (木)

紙幣の返済?

『「紙幣や国債は返済する必要がない」は本当か 「返済される」からこそ守られる大切なこと』(3/20 東洋経済オンライン 斉藤誠 /一橋大学大学院経済学研究科教授)
http://toyokeizai.net/articles/-/163330

斉藤教授の主張詳細は上記URLからご確認いただくとして、それを要約すると次のようになる。

①1万円札は「日銀がいつでも返済することを期待されている借金」。
紙幣は、江戸時代にコメ取引で使われた約束手形と同様に、「返済される」からこそ、日々無数の経済取引が紙幣を介して滞りなく取り結ばれている。

②今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはないが、依然として「いつでも返済される」という性質を備えている。

③「いつでも返済される」紙幣と「確実に返済を期待できる」国債が両輪となり1枚1枚の紙幣の流通が支えられている。

④日銀保有の国債を「いつまでも返済する必要がない」とするアデア・ターナー氏(英金融サービス機構・元長官)やジョセフ・スティグリッツ教授(米コロンビア大学)の主張や、国債の「返済されない度合い」は政策的に微調整でき「当面、返済されない」国債や紙幣の実質価値を下げて物価上昇を期待するクリストファー・シムズ教授(米プリンストン大学)の主張は、国債と紙幣が「返済される」という大前提により守られている通貨取引の仕組みを根底から殺めてしまう。

⑤社会にとって極めて大切な通貨制度の根幹を揺るがせ、公的債務を踏み倒し、通貨や国債の価値を毀損してまで物価上昇を達成しようとするような経済政策は「どうかしている」としか言いようがない。

先ず、上記の①②③について、斉藤氏は盛んに、「紙幣はいつでも返済されるべきだ」と主張し、紙幣を保有するものが、日銀から、その対価を何らかの形で“返済”されることに強くこだわっている。

一方で、「今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはない」と、管理通貨制度下における通貨の不兌換を認めている。

では、斉藤氏は、紙幣の対価として日銀は“何”を返済すべきだと言うのか?

先進国では、もはや、金本位制度を採っている国はなく、紙幣を金銀と交換してくれる国なんて何処にもない。

「通貨(紙幣)は中央銀行の負債である」というのが一般的な考え方(※筆者はそう思わないが…)だが、斉藤氏みたいに、中央銀行や政府を基点にして通貨や紙幣の返済性に固執し過ぎると話がややこしくなる。

通貨や紙幣は、実体経済や金融市場における取引を円滑に行うための媒体としての役割を担っており、個々の取引における債権・債務の決済に用いられている。

例えば、AがB商店で本を買う際に、Aは1,000円札をB商店に渡し、それを受け取ったB商店は、1,000円札の対価として本をAに渡す、つまり、渡された紙幣に対して、“本”という商品で以って「返済」するという商行為が起きる。

これは、返済云々というよりも商取引の範疇だろうが、このように、「紙幣の対価が、何らかの商品やサービスなどで決済(返済)される」という意味合いなら解らぬでもない。

しかし、紙幣を日銀や政府に突き付けても、何も返済しようがないではないか。
せいぜい、新しい紙幣と両替するくらいしかやりようがない。
(※ちなみに、日銀は、損傷した、あるいは、昔に発行した紙幣や貨幣の交換以外の両替行為などは行っていない)

また、斉藤氏の④⑤の主張について、氏は、ターナーやスティグリッツの無利子永久国債発行論や、政府債務のインフレによる解消を主張するシムズのFTPL論を、『国債と紙幣が「返済される」という大前提』を破壊するトンデモ論だと非難している。

筆者は、インフレ発生を目的化するだけのシムズ論には、正直言って賛同しかねるが、少なくとも、国債縮減必達論あたりで立ち止まったままの斉藤理論よりは、数段マシだと思う。

斉藤氏は、コラムの中で、「国債と紙幣が「返済される」という大前提によって1つ1つの通貨取引が守られている」と述べているが、通貨の信認と返済性とを混同していないか。

個人であれ、企業であれ、日常お金を使う際に、いちいち通貨の返済性を確認する者なんて一人もいない。
斉藤氏だって、大学から支給される給料を使う際に、円の返済性を気にしてなんかいないはずだ。

経済論壇でも、財政規律が緩むと円の信認が棄損し、通貨価値の大暴落により外貨へのキャピタルフライトが起きるなんて寝言を吐くバカ者を見かけるが、幻覚状態に陥っている者に限って、無価値なはずの“円”を必死に掻き集めようとして、自ら矛盾を露呈してしまうものだ。

通貨の信認は、発行国の供給力や治安状況、国民や企業の資産力、教育水準、法の強制力・遵守力、労働規範、商慣習、流通インフラ、金融システム、徴税力、知財権等々総合的な信頼性によって担保されるものであり、返済性なんて何の関係もない。

また、斉藤氏は国債の返済性も心配なようだが、国債は償還期に同額の新発債を発行し、永久債に切り替えて永遠にロールオーバーすればよいだけで、そもそも実質的という意味において返済の必要などない。

国債は、国民や企業、投資機関の財産であり、それを逓増させて、いったい誰の腹が痛むというのか?

国債償還財源が心配なら、政府紙幣発行により償還相当額を基金として積み立てておればよい。
本来なら、そんなものは不要だろうが、我が国には斉藤氏みたいに、国債を民間の借金と取り違えて怯えたがる痴れ者がたくさんいるから、そうした臆病者たちを安心させられる程度の意味合いはあるだろう。

斉藤氏は、紙幣の返済云々にこだわるつもりなら、何を以って返済すべきかをきちんと明示すべきだ。

2017年3月22日 (水)

売上無視して成長なし

『4年連続ベアも前年割れ=官製春闘、息切れ鮮明-大手が一斉回答』(時事ドットコム 3/16)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017031500905&g=eco
「自動車、電機など大手企業の経営側が15日、一斉回答を行った2017年春闘では、基本給を底上げするベースアップ(ベア)が4年連続で実現した。しかし、引き上げ幅は円高による収益悪化などを受け、ほとんどの企業が2年連続の前年割れ。景気の本格回復に向け、政府が産業界に賃上げを促した4年目の「官製春闘」は、息切れ感が一段と鮮明になった。(後略)」

今回のベア前年割れという事態に、連合は「労働条件改善につながるなど前進があった」なんて呑気にコメントしているが、日本の異常な労働慣行自体が、そもそも違法なのだから、春闘以前に即刻改善すべき次元の話だろう。

また、円高による収益悪化なんて恍けたことを言っているが、昨今の1ドル=110~115円程度の為替水準は、2015年夏~冬頃にかけての120円台と比べると若干円高だが、ここ2~3年で見れば、十分に円安と言える水準であり、収益悪化の言い訳にはなるまい。

なんのことはない。官製春闘が息切れしたのは、アベノミクスが失速したからに過ぎない。
家計消費支出の下落が1年半も前年割れを続ける異常事態を放置し、“景気は緩やかな拡大局面にある”なんて惰眠を貪ったツケがこの体たらくなのだ。

大手企業経営者の中には、ベアが“特別なこと”であるかのように語る者もいるが、勘違いも甚だしい。

財務省法人統計によると、全産業ベースの経常利益は、平成27年度に68兆円と対前年比で5.6%増加(6年連続増加)し、40兆円を切るくらいであったバブル期を遥かに凌駕している。(http://www.mof.go.jp/pri/reference/ssc/results/h27.pdf)
バブル期の1.5~2倍もの経常利益を貯め込んでおきながら、“業績見通しが不安定ゆえベアは難しい”なんて幼稚な言い訳が通用するとでも思っているのか?

同統計を見ると、全産業ベースの売上高が平成3年以降、ぴたりと止まっていることが判る。
平成27年の1,431兆円という水準は、平成3年辺りと大差なく、ここ25年余りほとんど伸ばせていない。

全産業ベースの売上高は、平成16~19年にかけて一時拡大を続け1,500兆円を突破したが、リーマンショックによる大幅下落以降立ち直りの気配も見えず1,400兆円台をうろついたままだ。

本来なら、「売上が頭打ち」になっていることが企業にとって最大の悩みであるはずだが、肝心の企業側の危機感が薄い。
「売上が増えない=商機がない=成長できない」となり、云わば、資本主義が機能しない、企業活動の意味がない、という深刻な事態に直面しているはずだが、企業が政府に求める対策は、いつも頓珍漢なものばかりだ。

「売上高」を増やそうとすれば、実体経済を飛び回るカネの量、とりわけ、『消費や投資に直接使える所得や売上としてのカネの量』を増やす必要がある。

しかし、企業側が要望するのは、法人税絡みの減税措置や規制緩和、海外への投資、外国人材活用、雇用流動化といったクソの役にも立たぬコスト削減策ばかりだ。
政府に対してもっと財政支出を訴えるべきなのに、格好をつけて真逆のデフレ促進策ばかりを提案している。

企業経営者は、口を開けば「人手が足りない」、「中長期的な事業拡大が望めない」と愚痴をこぼすが、自ら成長の蛇口を締め上げ続けているのだから、事態が改善するはずがなかろう。

今回のベア後退を受けて、経営者からは「この先人口減少による市場縮小が予想され、賃上げ要求に応えられる環境ではない」、「価格競争が厳しく、一人当たりの人件費は抑えざるを得ない」という弱気なコメントが相次いでいる。

“人手不足=低賃金労働者不足”であるのなら、国民にとって何のメリットもない。
そんなものは、奴隷代わりに外国移民を入れるための単なる「エア・人手不足」としか呼べない。

“労働需給の逼迫”というせっかくの追い風を賃金改善に活かせないのは、デフレを払拭するための根本的な政策(=大規模かつ長期の財金政策)を避けている所為に他ならない。

「売上高」という企業活動の『フィールド』を拡大させぬことには、日本の経済成長などあり得ないことを、企業経営者はもっと真剣に考えるべきだろう。

2017年3月21日 (火)

暴力的なフリートレードを"保護"したい輩

『G20声明、「反保護主義」を削除-ムニューシン米長官との対立鮮明に』(ブルームバーグ 3/19)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-03-18/ON0OKU6K50XS01
「ドイツで開かれたG20は18日に閉幕し、共同声明では「経済に対する貿易の貢献の強化に取り組んでいる」と表現。米国が求めていた公正な貿易を確実にするといった具体的な約束は盛り込まれなかったものの、昨年の共同声明にあった「あらゆる形態の保護主義に対抗する」との文言は削除された。(後略)」

暴力的なフリートレード(=行き過ぎた資本・人・技術の移動の自由、必要な規制の聖域なき撤廃)は、先進諸国の雇用や所得だけでなく治安までも不安定化させるとともに、莫大な資金と人材を継ぎ込んで開発した高度技術をも簡単に流出させてしまった。

こうした野放図な貿易体制は、隣家との境界を定める塀の撤廃やドアロックの禁止を強要されるようなもので、国民生活をリスクに晒し、国家の存立すら危うくするとても無謀かつ危険な行為である。

だが、これまでは、狂気に満ちたフリートレード論を是正すべしとまともな指摘をしただけで、「時代遅れの保護主義者」だと周囲から一斉に口汚く罵られるのがオチだった。

G20の共同声明に、「あらゆる形態の保護主義に対抗する」といった過剰反応としか思えぬ“ヒステリックな妄言”が盛り込まれてきたのも、世界中が暴力的なフリートレードに心酔し切ってきた証左とも言える。

今回のG20の動きを見たアップルのティム・クックCEOは、「グローバル化に問題があるからといって、国が内向きとなれば経済発展のスピードは遅くなる」とコメントし、途上国の安価な労働力に甘え切ってきたフリートレード論者(=自分たち)の欺瞞を糺すような動きを牽制したそうだ。

クック氏の「国が内向きとなれば経済発展のスピードは遅くなる」との発言は、まったく現実を説明できていない。
日米ともに、国が内向きというか、節度のある自由貿易体制下にあった時代の方が、遥かに経済発展のスピードは速く、国民所得も十分な伸びを示していた。

経済活動のエネルギーは、生産→流通→消費→生産…という間断なき連鎖により増幅されるのに、一企業や一介の経営者の都合で生産工程を安易に海外へ移されてしまうと、経済の連鎖が断ち切られ雇用や所得がたちまち不安定化する。

国を適度に内向きに保たないと、経済活動が生み出す付加価値が海外へ漏出するばかりで、国内で循環すべき富が流出してしまう。

付加価値や富は経済発展のエネルギーそのものだから、国内市場にそれらが不足すれば、経済発展のスピードが上がるはずがない。

クック氏が言う“スピード”とは、国家単位の経済ではなく、自社の業績や自身の所得のことを指しているだけだ。
他人を安くこき使いだけの下衆な根性を隠そうと、あれこれ格好良く修飾するために、“グローバル化”なる言葉で誤魔化すのは止めてもらいたい。

また、フリートレード論者は、自由貿易こそが人々の生活を便利にした、スマホもAmazonも自由貿易のおかげだ‼といきり立つが、そんなものは何の根拠もない思い込みでしかない。

別に、中国人をこき使わないとスマホは世に出ていなかったという確証など何処にも無い。
仮に、節度ある自由貿易体制が維持され、付加価値や富が国内循環していたならば、安定した所得を保障された世界中の人々は、より早くスマホを手に入れられた(アップルよりも数年早く日本人がスマホ以上の商品を世に出していたかもしれない…)ろうし、格安スマホみたいなケチくさい商品ではなく、もっと便利で高付加価値な商品を求めたことだろう。

新しい家電商品や便利なサービスが世に出ると、人々はそれらに驚嘆し、頭に乗ったフリートレード論者から、「あなたが、便利な●●を手に入れられたのも、自由貿易のおかげですよ」と唆され、すっかり騙される。

だが、暴力的なフリートレードが世界レベルで蔓延する以前から、人々は常に便利な商品やサービスを手にしており、毎年のように「いやぁ、世の中便利になったもんだ」という言葉を繰り返してきたはずだ。

フリートレードの有無に関わらず、必要なものは海外から調達できたし、それらを活用して生活スタイルをガラリと変えるような画期的な商品が数多生み出されてきたではないか。

むしろ、フリートレードが横行する時代(平成中盤以降)になってから、イノベーションやレボリューションのレベルが明らかに低下し、10年前、20年前との生活レベルの違いが不鮮明化している。

昭和から平成初期にかけては、5~10年も経てば、街の景色は一変し、住環境から衣服、食料、交通網、情報、娯楽に至るまで、大きく変化を遂げるのが当たり前だったが、平成期突入以降の変化の無さにはウンザリさせられる。

“パソコンやネットが普及しただろ”、“スマホもあるじゃないか”との意見もあるが、適切な経済政策や節度ある貿易体制下でぐんぐん成長を続けていたとすれば、そんなものはとうの昔に普及しており、現世を生きる我々は、より高度なレベルの便利なアイテムを満喫できていたはずだ。

そもそも、いくら便利な商品やサービスが存在しても、それを消費できる所得がなければ、まったく意味がない。

一部のグローバル企業の都合で、生産拠点や雇用・所得を途上国へ持ち逃げされては、本来、先進国の国民が享受すべき所得がダダ漏れし、革新的な商品が世に出たとしても、あたかもと需国の貧困層のように、黙って指を咥えているしかなくなってしまう。

フリートレードがもたらす低コスト生産により莫大な利益を手にする守銭奴には、自国の社会インフラにタダ乗りさせてもらっているという感覚が欠如している。
あたかも、親の庇護を忘れて、独力で生きて行けると勘違いした青臭い中学生みたいなものだ。

そんな彼らの我欲が創り出した貿易体制の下でしか、人々が便利な生活を手に入れられなかったなんて詭弁が罷り通るはずがなかろう。

想像力に乏しい連中に限って、「フリートレードか、鎖国か」という小学生みたいな二者択一を迫るが、その中間にある『節度ある自由貿易体制』を探る気はないのか?
「鎖国」という誰もが選択し得ない極論を盾にして、鎖国が嫌なら「暴力的なフリートレード」しかないだろと迫るのは、あまりに稚拙だ。

人件費の安い国での生産に固執するのは、自国から雇用や所得、技術集積の機会を奪い流出させても構わないという意思表示としか受け取れぬから、そんな企業には“会社ごと生産国へ移転してしまえ”と言っておく。

また、“海外生産によるコストダウンが売価ダウンにつながり消費者の利益になる”との間抜けな意見には、「お前は、100円のプライスダウンと引き換えに、10,000円の給与削減に応じるのか?」と突っ込んでおく。

今回、G20が「あらゆる形態の保護主義に対抗する」という妄言を取り下げたのは当然のことで、むしろ遅すぎたくらいだが、意固地な欧州勢の反対を振り切って、フリートレード礼賛の旗を降ろさせた意味は大きいと評価できる。

2017年3月20日 (月)

実戦力を失った比較優位説

リカードの比較優位説(一国における各商品の生産費の比を他国のそれと比較し、優位の商品を輸出して劣位の商品を輸入すれば双方が利益を得て国際分業が行われるという説「デジタル大辞泉より」)なるクズ理論を信じる者がいまだに絶えない。

“比較優位説は数多ある経済学の理論で「前提無しに成立する」唯一の理論”とまで言い放つバカもいるが、前提の有無以前に、エセ理論を信奉するシロウトの願望の中にしか存在しない“妄想理論”に過ぎない。

比較優位説を青筋立てて擁護する連中は、例のイギリスの羊毛とポルトガルのワインの話や、弁護士と秘書(最近は、タイガー・ウッズと芝刈り少年の話に夢中)の職業分担の話を盾にして、絶対不可侵の地動説並みに完璧な理論だと主張する。

交易は比較優位説のおかげ、人類が自給自足せずに済むのも比較優位説のおかげ、職業選択も比較優位説のおかげ…と際限なくリカードの手柄にしようとするから質が悪い。
この辺りは、ちょっと良くなった経済指標を見つけては、何でも自分たちの手柄だと喧伝するリフレ派の連中とそっくりだ。

『労働量1単位で、A国はパン4個か毛布2枚、B国はパン3個か毛布1枚が生産可能とした場合、どちらもA国のほうが効率的だが、B国では毛布1枚を諦めればパン3個が生産できるため、パンの機会費用が少ない。A国が毛布、B国がパンに特化し、貿易を行うほうがよい。』というデジタル大辞泉の説明事例を見ても、ピンとくるより、あまりに現実離れしていることへの違和感が募る一方だ。

そもそも、一国における比較優位産業や比較劣位産業なんて、誰も正確に把握することは不可能だし、比較劣位と決めつけられた産業を排除することもできない。

B国が毛布を諦めパンの生産に特化したとして、ついさっきまで毛布を作っていた職人が、いきなりパンを3個も生産できるはずがないし、パン職人への転職を無条件にのむとは限らない。

毛布職人が、エセ理論をバラ撒く高校教師(フィクションです)を見て、俺も高校教師(社会科)になれるはずだと駄々を捏ねたらどうするのか?

また、A国が毛布、B国がパンに特化できたとして、相互の交易が成立する保障などどこにもない。

A国では米食が大ブームとなり、B国は熱帯気候ゆえに毛布が不要となれば、互いに、パンも毛布も不要となるが、それでも比較優位説を盾にして、両国に対して、需要ゼロのゴミ造りに特化しろとでも言うつもりか?

現実には、A🔗B両国間のニーズが互いの比較優位産業と完全に合致する確率はゼロに近く、これは、自給自足経済下の物々交換といったファンタジーと同様、ほぼあり得ない空想の世界でしかない。

彼らは、自給自足が消滅したり、各人が特定の職業に特化したりするのは、すべて比較優位説のおかげだと得意げに騙るが、そんなものは、交易の発展に都合よく乗っかっただけの詭弁であり、人々が一つの職業に特化するのは、単純に、ほとんどの職場で副業が禁止されているからに過ぎない。

また、自給自足が消えたのは、比較劣位産業を潰して優位性の高い産業への集約を果たしたからではなく、単に交通網や産業の発展とともに生産力が上がり、それを流通させる術が発達したからに過ぎない。

人類は紀元前の太古から世界中で交易を行い自給自足生活と手を切ってきたが、別に比較優位産業の生産物だけを交易してきた訳じゃない。
交易物の中には、付加価値の高いものもあれば、単に造り過ぎただけの余剰品もあり、生産性の高い物品に特化して交易し合うという比較優位説では説明できないものが多すぎる。

地方には比較優位産業と呼ぶべき産業など皆無に等しいが、とくに問題なく物品流通がなされているし、交易国同士が優位産業と劣位産業を補完し合うなんてのも、日独間で、互いの優位産業であるはずの自動車の交易がなされているのはおかしなことになる。

現実には、リカードが理想とする国際分業なんて絵に描いた餅に過ぎず、複数国の比較優位産業が同一産品であるケースが一般的で、分業どころか熾烈な貿易戦争が起きているではないか。

さらに、我が国には3万種近い職業が存在すると言われているが、比較優位説が本物ならば、比較劣位産業が淘汰されて優位産業に特化せねばならぬはずで、いまだに、多くのゾンビ企業や劣位産業が生き残っていること自体が奇異なことではないか?

そもそも、比較優位説の論拠を、各国における様々な品目の「生産性=1単位を生産するのに必要な労働力」に求めている時点で、理論として三流の誹りを免れない。

リカードが生きていた生産力に乏しい時代ならともかく、恒常的な需要不足に悩まされる現代においては、“造れば売れる”ことを前提とした産業や交易は、理論的にも実証的にも成り立たない。

ポルトガルはワインづくりに特化すると生産量がUPすると思い込むのは勝手だが、勝手気ままに造りまくった大量のワインを、いったい何処の誰が買うというのか?

ポルトガルが毛織物づくりに特化したイギリスとの交易を望んだところで、イギリス人がフランスワインを選択したら、ポルトガルはワインを畑にでも撒くしかない。

野放図な自由貿易論を唱えたがる連中は、リカードとかセイ、マンデル・フレミングモデルの如き実戦力を失った古臭い理論に頼るのではなく、そろそろ自分の頭を使って論拠を組み立てる努力をすべきだろう。

生産力が脆弱であった時代の理論をいくら振り回しても、需要不足の時代に通用する理論は見つからない。

2017年3月19日 (日)

反原発ゴロの嘘はすぐにバレる

我が国を覆う“反原発ヒステリー”は、ついに司法の場にまで及んだ。

『原発避難訴訟、国と東電に賠償命じる…前橋地裁』(読売新聞 3/17)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00050130-yom-soci&pos=2
「東京電力福島第一原発事故で、福島県から群馬県に避難した計45世帯137人が、国と東電に慰謝料など総額約15億円の損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は17日、国と東電に対し、原告のうち62人に計3855万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 原道子裁判長は、国も東電も巨大津波の到来は予見できていたとして、原発事故で国の責任を初めて認めた。全国で計28件ある同様の訴訟で、判決は初めて。
 裁判では〈1〉国と東電が津波を予見していたか〈2〉国の原子力損害賠償紛争審査会の中間指針に基づく賠償基準が妥当か――が争点となった。
 判決では、国の地震調査研究推進本部が2002年7月に公表した「日本海溝沿いで大津波を引き起こす巨大地震が30年以内に約20%の確率で発生する」などとする長期評価の合理性を認め、「非常用発電機を建屋の上に置くなど対策を取れば事故は起きなかった」と指摘。(後略)」

今回の判決は、東電や国に、予測困難な自然災害リスクに対する過剰なまでの予見責任を負わせるもので、冷静さを欠き偏った感情論や偏見に満ちたまったく不当な判決だ。

前橋地裁は、地震調査研究推進本部による「日本海溝沿いで大津波を引き起こす巨大地震が30年以内に約20%の確率で発生する」との調査結果を根拠にして、東電や国が大津波を予見し、必要な対策を取るべきだったと結論付けている。

しかし、およそ自然災害のリスクは、進路が予想できる一部の台風などを除き、その発生や災害規模を事前に予見するなんて、ほぼ不可能だと言ってよい。
予見できるのだと言い張るなら、裁判所の責任で、今後10年間に発生するすべての自然災害のスケジュール表やカレンダーを制作し、国民の前にきちんと提出してみろ、と言っておく。

そもそも、自然災害、しかも、それが大規模になればなるほど、予見なんてできないことは、誰もが理解している。
伊勢湾台風や阪神・淡路大震災、秋田沖地震、中越地震、熊本地震、広島豪雨など過去に甚大な被害をもたらした数々の自然災害を誰も予見できなかったではないか。

たまに、週刊誌やネットニュースで、富士山大噴火や南海トラフ地震の発生を予測する記事が出るが、それを目にする国民のほとんどは与太話としか思わず、そのリスクを真剣に考えることはない。

本件についても、“日本海溝沿い”、“30年以内”、“約20%”という曖昧な言葉や数値を賠償責任に結び付けるのは、あまりにも無理がある。

まず、「日本海溝沿い=福島第一原発」とは限らず、場所の特定は極めて困難だ。
なにせ、日本海溝は、北海道えりも沖から関東地方まで、総延長800kmにも及ぶのだから。

さらに、この数値や確率自体の根拠が万人に認定されたものではないし、30年以内というのなら、2002年+30年=2032年までに対策を取っておればよく、2011年時点で対策を取っていないことを非難するのは暴論だ。

しかも、20%しかない確率を基に国が積極的に数億円~数十億円も掛かる予算を付けるのは現実的に難しく、国の責任を問いたいのなら、緊縮財政の旗を振っていた財務省の責任を問うべきだろう。

大した科学的根拠もない「30年以内に約20%」という数値が大手を振って歩くのが許されるなら、鉄道のホームドア未設置による転落事故や刃物を使った殺傷事件を根拠にして、鉄道会社や刃物メーカーが対策不備の責任を問われることになる。

それでも、必要な津波対策を取れというのなら、“30年以内に70%程度”という極めて高確率で発生が予見される南海トラフ巨大地震や首都直下型大地震に備えて、国の責任で防災対策に莫大な予算を支出することを素直に認めるべきだろう。
なにせ、こちらは、「20%」どころか「70%」だから、予見の域を超え、すでに「現実」の領域の問題なのだ。

いざ事故が起こると、予見責任云々と騒ぎ立てるのなら、よもや、財政危機を言い訳にして必要な防災対策予算の支出を渋るような卑怯者はいないと思うが…。

今回のくだらぬ判決にもまったく収穫がないわけではない。

それは、地裁が「非常用発電機を建屋の上に置くなど対策を取れば事故は起きなかった」と指摘した部分であり、裏を返せば、“必要な対策”さえ取れば事故発生は防ぐことができた=原発は人為的に管理&コントロール可能であることを、司法が公式に認めた点にある。

現在、各所の原発再稼働に当たり、反原発派のバカどもが、原発は“アウト・オブ・コントロール”だと騒ぎ立てているが、今回の前橋地裁の指摘は、こうした幼稚な幻想を根底から否定するもので、原発が十二分にアンダーコントロールであることを吐露してしまった形になる。

頭の悪い詭弁師の嘘は、常に自分たちに跳ね返ってくるものだ。

2017年3月18日 (土)

働き方改革は国民主導で行うべき

今月13日に、安倍首相、経団連の榊原定征会長、連合の神津里季生会長が会談し、繁忙期に例外として認める残業を「月100時間未満」とすることで決着した。

これを受けて、故高橋まつりさんのご遺族から、次のようなコメントが寄せられた。

『「月100時間残業に反対」=電通女性社員の遺族コメント』(時事通信 3/13)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017031300942&g=soc
「残業時間の上限規制をめぐり、過労自殺した元電通社員高橋まつりさん=当時(24)=の母幸美さん(54)は13日、代理人弁護士を通じ、「1カ月100時間、2カ月平均80時間残業を上限とする案に、過労死遺族の一人として強く反対します」とのコメントを出した。
 幸美さんは「このような長時間労働は健康に極めて有害なことを政府や厚生労働省も知っているのに、なぜ法律で認めようとするのでしょうか」と批判。「人間はコンピューターでもロボットでもありません。長時間働くと疲れて能率も悪くなり、健康を損ない、ついには命まで奪われるのです」と指摘した。
 その上で、「娘のように仕事が原因で亡くなった多くの人たちがいます。死んでからでは取り返しがつかないのです」と訴えた。」

高橋さんのご遺族は、今回の決定に強く反発している。

繁忙期とはいえ、月100時間の残業ともなれば、「毎日3時間残業+毎週土曜にフル出勤」くらいは必要で、その他にも、残業にカウントされない通勤時間(往復2~3時間)や早出時間(1~2時間)もあるから、食事や睡眠時間などまともに摂れないし、家族と過ごす時間などほとんど無いだろうから、不幸にも娘さんが、自殺という最悪の選択を取らざるを得なかったご遺族が不快の念を抱くのも無理はない。

ご遺族のコメントに内在する強い憤りは、○○時間という形式上の残業時間だけではなく、無理な残業を社員に押し付けて平気な顔をしている上司や組織全体の非人間性に向けられている。
働く者の人間性をまったく配慮せず、下僕や家畜であるかのように軽く扱う上司や使用者の下賤な態度や発想を即刻改めろと言うのが、ご遺族の偽らざる想いなのだと推測する。

こうした過労死問題を語るにつけ、なぜ、日本人はこれほどキチガイじみた働き方をせねばならないのかと嘆息せざるを得ない。

厚労省の資料によると、平成27年度の精神障害に関する事案の労災補償状況は、精神障害「精神障害」に関する請求件数は 1,515 件で、前年度比59 件増え、うち未遂を含む「自殺」件数は前年度比14件減の199件であった。
精神障害の請求件数は、平成23年度の1272件から毎年増え続けており、自殺件数は200件前後で推移している。
業種別では、医療・福祉業や卸・小売業、製造業などブラック企業が犇めきがちな業界の件数が多い。
【参照先】http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000128216.html

無論、労災補償にまで話が縺れるケースはごく一部に過ぎず、1,500件という請求件数など氷山の一角であることは誰しも理解するところで、実際には、強いストレスの所為で精神障害寸前の方が、少なくともこの百倍はいるだろう。

表面上の残業時間だけを問題視するのではなく、その陰に潜むパワハラやセクハラ、職場内いじめ等々といった醜い付属物や悪習を排除する必要がある。
国民の強い監視の下で、そうした悪習が犯罪であることを徹底的に叩かない限り、高橋さんのように誠に不幸な事案は後を絶つまい。

そのためには、労働法規違反を機動的に摘発し是正させる権限を持つ「労働環境監視員」のような制度を新設し、一定規模以上の企業を担当させ、定期的に監視させるような強権発動も必要だろう。

働き方改革の取り組みを企業の自主性に任せる呑気な時代はとうに終わっている。
国民自身や行政の視点から、強く管理・指導せねば具体的な改善効果は見込めないだろう。

2017年3月17日 (金)

愚者の愚者たる所以

『住宅ローン利用者の平均値』というサイトによると、2016年の新築マンション購入者の全国平均像は、
・年齢42歳
・家族2.5人
・世帯収入787万円
・購入費用4,250万円
・借入金額3,201万円
・毎月返済額11.9万円
だそうだ。
http://isolf.com/hikakuhyo2/hikakutool/403-matome

これが首都圏平均となると、
・借入金額3,602万円
・毎月返済額13.4万円
に膨らむ。

上記の世帯収入787万円という数値は、何かと妬みの的にされる国家公務員平均給与630万円前後に、奥さんのパート収入を足したくらいの額だろう。

これくらいの収入だと、ご主人の給料は手取りで30万円を切るだろうから、奥さんのパート収入無しで12万円近いローン返済は、かなりキツい。

これに子供の教育費用や医療費などが嵩むから、年収700万円台と雖も、家計は楽どころか火の車に近い。

「公務員は特権階級」、「民間との給与格差是正のため公務員給与を下げろ」といった類の飲んだくれレベルの愚痴が、いかにいい加減か解る。

中小企業の従業員なら年収300-400万円もザラだから、それと比べれば公務員の年収も高く見えるが、600-700万円クラスの年収で楽ができると思ったら大間違いだ。

一流大学を出て、懸命な努力の末に晴れて公務員となり、地域住民の面倒な苦情処理の矢面に立たされ、不勉強な議員諸侯の代わりに立法の仕事までこなし、国家や地方の行政運営の根幹を支える彼らの年収が、たったの600万円程度なら安いもんだ。

大半の公務員はコツコツ真面目に働く人種であり、途上国の公務員みたいに当たり前のように賄賂を要求したりしないし、欧米の公務員みたいにやたらと高圧的な態度を取ることもない。

筆者も業務上、県や国の役人と仕事をしたり、会議の場に居合わすこともある。

彼らの発想や行動原理が、いわゆる「お役所仕事」の域を出ないのも事実だが、その原因は、行政手続きや予算執行管理をやたらと厳格化する昨今の風潮や、予算獲得のための財務省や各県の財務当局とのバカバカしいほど面倒な予算折衝作業、程度の低い議員連中の議会質問対応業務など、心身に過度な負担の掛かる業務の所為だと言える。

彼らの行政手続の遅さが、お役所仕事だと批判されるが、公務員である以上、法で定められた手続による他なく、文句があるなら、地元の議員を動かして手続法の改正を訴えてはどうか。

民間企業だってお役所仕事以上に不親切でスピードの遅い会社はいくらでもある。

電気通信事業協会の資料によると、苦情・相談窓口の受理件数約2,000件のうち57%がサービ内容や接客態度などへの不満といった「苦情」だったそうだ。

これはごく一例に過ぎないが、民間だから親切かつ迅速なんて、単なる幻想だ。
それを証拠に、価格.comのサイトを見ても、「◯◯のサービス対応は最悪!」なんて書き込みが溢れているではないか。

また、民間に合わせて公務員給与を削減しろとのバカ論には、顔を洗って小学生からやり直せと言っておく。

小泉バカ政権による三位一体改革で交付税を削減された地方行政は、国家公務員に先んじて自主的な給与減額措置を10年以上も続けたが、その間、減額措置を取った県のGDPは軒並みダウンしており、公務員叩きには何の経済効果も無いことはハッキリしている。

特に、大した産業もない地方では、公務員・自衛隊・農協・商工会・教員・漁協・その他公的団体が主要産業化しているのが、何も珍しくない。

そこでは主要産業の給与は公務員準拠されているから、公務員給与引き下げは、地域の購買力の弱体化に直結する由々しき問題なのだ。

公務員の給与を一部カットし、低所得層に分配すべきとの意見もあるが、間違いなく購買力の共倒れと消費支出の縮減に陥るだろう。

仮に、公務員の給与を20%くらいカットし、それを低所得層に付け替えたとしても、せいぜい一人当り年間20万円くらいしか増やせまい。

これでは、公務員は間違いなく支出を減らすし、低所得層も年収増加額の絶対値が低過ぎるから、支出を増やさずせっせと貯蓄に回すだけに終わる。

公務員を妬んで叩くことにより収入がグンと増えるならよいが、そんなバカなことはあり得ず、単にデフレを深刻化させ、公務員のヤル気を削ぐだけで、良い事は一つもない。

20年以上も成長を忘れ、平均所得が減るばかりの我が国には、喫緊の課題や優先度の高いイシューが山積しており、公務員の給与問題風情に青筋立てて猛り狂うバカには呆れるよりほかない。

あたかも、ゾンビの大群に囲まれ、絶体絶命の危機に瀕した状態で、共に立て籠もる仲間の食料が豪華過ぎると食って掛かるようなものだろう。

眼前の危機を脱するために取るべき行動は何か、倒すべき敵は何処にいるのか、頭を使い冷静に考えるべきだ。

公務員の給与を下げても事態の悪化を招くだけだ。
低過ぎる民間給与を大きく引き上げるための政策にこそ心血を注がねばならない。

感情にまかせて重要な選択を誤るのは、紛れもない愚者である。

2017年3月16日 (木)

嫌煙ファシズム

『飲食店の原則禁煙案、「賛成」64% 朝日新聞世論調査
』(朝日新聞デジタル 3/14)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170314-00000012-asahi-pol

「朝日新聞社による11、12日の世論調査によると、受動喫煙対策の強化策として、レストランや居酒屋などの飲食店を原則禁煙とする厚生労働省の法改正案に「賛成」は64%で、「反対」の25%を上回った。男女別では、男性の57%、女性の71%が「賛成」だった。
たばこを吸うか吸わないかを聞くと、「吸わない」は77%、「吸う」は22%。男性の67%、女性の87%が「吸わない」と回答した」

筆者自身はタバコを吸わぬ(一度も吸ったことがない)が、近年のタバコ叩きを無条件に善しとする風潮は異常だと感じている。

タバコ代は値上げの一途を辿り、喫煙スペースも減るばかりで、さぞかし、喫煙者も辛かろうと同情する。

筆者の職場のあるビルでも、狭い喫煙スペースで、人目を偲び寄り添うようにタバコを吸う者たちの姿を目にする。

先日、商用で北海道に出張し、新千歳空港から札幌経由で稚内市まで列車に揺られたが、計7時間近い乗車時間中は全面禁煙のため、筆者みたいな非喫煙者はよいが、喫煙者には溜まったものではなかろう。

「国民総タバコ狩り」状態の我が国では、喫煙人口は年々減少し、JTによると2016年の喫煙人口は約2,000万人と、2009年より600万人も減っている。
これは、いくら何でも異常な減り方だ。

タバコが嫌われる理由として、
①健康被害(肺がんなど)
②臭い
③喫煙者のマナーの悪さ(ポイ捨てなど)
などが挙げられる。

タバコの健康被害問題については、「
タバコ=肺がん」というイメージが先行する嫌いがあり、両者の因果関係者は疫学的検証ばかりで病理学的な検証が十分ではないとの指摘がある。

また、肺がん死亡者数は、喫煙率が80%を優に超えていた昭和50-60年代の3,000人弱から、喫煙率が30%程に低下した2010年には、逆に50,000人へと増えているというデータもある。

これについては、タバコを吸い続けてから病気になるまで30年程のタイムラグが生じるとの反論もあるが、肺がん死亡者数の急増を説明しきれてはいないし、30年もの長過ぎるタイムラグを設定すれば、大概の人は何らかの病気に罹っていても不思議ではない。

また、タバコの臭い問題は、分煙を徹底すればよいだけのことで、すべての飲食施設から喫煙者を追い出す「嫌煙ファシズム」を容認する理由にはなり得ない。

喫煙者のマナー問題は、喫煙者自身にも自覚の無さを反省してもらう必要があるが、ゴミのポイ捨てと同じく、公園や街中にゴミ箱や吸い殻ボックスが少な過ぎるのも良くない。

ゴミの回収コストをケチり、マナー違反者を糾弾して悦に入ることに、何の生産性があるのか?

以前のように、ゴミ箱を彼方此方に設置すれば、清掃業務が増え民間事業者の雇用増加につながり、街の美観も向上する。

筆者は、タバコは大人の嗜みとか、文化云々とまで言うつもりはないが、せめて、酒やタバコくらいの庶民の楽しみにまで度を越したキツい制限を掛けてはならぬと思っている。

2017年3月15日 (水)

妬みは何も生まない

『「財政政策シフト」が新トレンドを読み解くキーワード!』(ダイヤモンドオンライン 3/13 村上尚己 アライアンス・バーンスタイン㈱マーケット・ストラテジスト)
http://diamond.jp/articles/-/116555
「トランポノミクスは、レーガノミクスよりはむしろアベノミクスとの共通点が多いことを前回に指摘した。どちらも長引く不況からの脱却を目指し、従来の金融政策に加えて財政政策による後押しを重視している。この政策によって日米がともに結果を出していけば、世界各国のポリシーメーカーたちにも大きな影響を与え、経済政策のスタンスが大きく変わっていく可能性がある。(中略)
 実際、サマーズ(元米国財務長官)は「実質均衡金利が大幅なマイナスとなっているなら、金融緩和だけでは景気刺激効果は限られる以上、総需要を直接増やす財政政策などが必要になる」という具体的な政策提言をしていた。
これ以来、従来の金融緩和策に拡張的な財政政策を組み合わせる必要性が、欧米で盛んに議論されるようになったのは事実である。ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツといったノーベル賞経済学者も、財政政策による景気拡大を訴えていたし、英金融サービス機構の元長官であるアデア・ターナーに至っては、中央銀行が保有する国債を永久債化するヘリコプターマネー政策の提言にまで踏み込んでいる。(後略)」

アベノミクスを財政支出政策の旗手的に扱う部分には異論があるものの、「世界各国の経済政策スタンスが、金融政策オンリーから、財政政策と金融政策とのポリシーミックス型へ移行すべき」との村上氏の主張には同意する。

村上氏は、英国キャメロン政権時の増税断行や、ギリシャやイタリア・ポルトガルなど南欧諸国の財政赤字問題について、問題の本質がユーロという通貨システム自体にあることを無視して、各国の放漫財政に問題の所在をすり替えたことを批判している。

こうした「経済危機・財政危機=放漫財政」という誤ったレッテル貼りが大手を振ってのし歩き、ユーロ圏ではドイツ主導で強烈な歳出抑制が課され、米国では議会多数派を握る共和党の均衡財政主義が罷り通ってきた。

洋の東西を問わず、“経済危機は財政のムダが原因”、“緊縮による無駄の削減こそ財政危機の特効薬”と誤解したがる輩が多いようで、経済政策の緊縮シフトはあっという間に拡大し、「成長限界論」や「低成長宿命論」が持て囃されるに至ったのだ。

縮小するだけの経済は、人々から雇用と所得と将来への希望を奪い、先進諸国の生産性を低下させたが、緊縮絶対主義に駆られた各国の政権が選択した政策は、規制緩和と緊縮策の継続、グローバル化の推進といった逆噴射型のオプションばかりであった。

質の悪い緊縮主義者たちは、答案に何度✕点を付けられても、何の反省もなく「緊縮・構造改革・規制緩和」としか書いてこない。

その理由として、彼らは、
❶経済的効果を度外視して「緊縮・構造改革・規制緩和」こそが絶対善だと妄信していること
❷経済成長に対する興味や関心を持っていないこと
❸「経済」の基本的な仕組みや原理をまったく理解できていないこと
が挙げられる。

特に、経済の在り方をカネの動きと切り離して論じたがる緊縮主義者の幼稚さと稚拙さには、常々閉口させられる。

彼らは、『グローバル化推進・外国人材の活用・生産性向上・労働改革』といった類の言葉を好むが、そこにカネの匂いを感じさせないのが胡散臭い。

企業が「ヒト・モノ・カネ・情報」という経営資源を活用して事業を営むのは、すべて「売上&収益」という名のカネを得るためである。

だが、緊縮主義者の提案は肝心の“カネ”を稼ぐための要素が欠けている。
彼らの案は、労働意欲を削ぎ生産性を貶める『コスト削減策』ばかりで話にならない。

筆者も、村上氏の見方には賛成で、財政政策シフトが新トレンド化することを願うが、「国民総緊縮脳化」している現状を鑑みると、現実には相当ハードルが高いと感じている。

財政政策が積極的に支持されるには、“所得向上や用の質の改善”に対する国民の強い渇望感が必要だが、機能的財政論など微塵も知らぬ国民の多くは、Aの予算を削ってBに付け替えるくらいしか能がないから、「公務員給与を削り、貧困対策予算に廻せ」なんてレベルの低い妄言を吐きかねない。

公務員や土木建設業者、農業者、医療関係者、金融機関など、市井の人々の下種な妬みを買いやすい職種の人件費削減論に話が逸れてばかりでは、まともな財政政策など打てるはずもない。

財政政策と金融政策の強力なポリシーミックスを断行するためには、予算の付け替え論争や公務員給与削減論といった類の下種な妬み根性は一旦脇に置き、マクロ視点から見て、何を優先すべきかを真摯に考えるべきだ。

くだらぬ足の引っ張り合いで得をする者は誰もいないのだから。

2017年3月14日 (火)

国債原理主義者の愚

『聞き捨てならない国債に対する安倍首相発言』(BLOGOS 3/8 久保田博幸/慶応大教授)
http://blogos.com/article/213088/
「3月7日の日経新聞の日本国債という特集記事のなかで、次のような安倍首相の発言が紹介されていた。「デフレ脱却を考えると国債を返し過ぎだ。国債は実質的には日銀が全部引き受けている。いまはマイナス金利だし、実質的に借金は増えない」
この発言は昨年秋、複数の与党議員を前に首相が漏らしていたものだそうである。また次のような首相発言も記事のなかで紹介されていた。「政府と日銀は親会社と子会社みたいなもの。連結決算で考えてもいいんじゃないか」(中略)
もし国債の信用を落としたいのであれば、償還をやめるなり、日銀に本当の意味で国債直接引き受けをさせるなり、日銀保有の国債は政府債務と相殺したりしてみれば良い。
なぜそれをしてはいけないかといえば、あたりまえだが国債の信認を維持させるためである。その信認を崩せばインフレ圧力は確かに強まろう。しかし、ほどよい信認低下などできるわけがない。いったん日本国債の信用が低下すれば、ユーロ危機の際のギリシャの国債のように誰も日本国債を買わなくなってしまう。(後略)」

久保田氏の記事中にある“安倍首相の変節”を以って、「安倍ちゃんも、ようやく経済を理解できるようになったか…」と感心するつもりはない。

安倍氏が公式の場で発言しているのは、2019年10月の消費税率10%への引き上げや、PB黒字化目標の堅持、聖域なき歳出改革や社会保障改革などの緊縮政策ばかりであり、財出拡大志向への変節は、あくまで確度の低い憶測や伝聞に過ぎないからだ。

筆者は、浜田変節名人やシムズ論文の発想も、それらに異を唱える久保田氏のような緊縮論者の反論も、どちらも気に喰わない。

その理由は、シムズ論争の渦中にある賛同者も反対者も、その発想や議論の根幹が、
①“国債の信認”や“インフレ率の調整”という小手先の手段を弄るだけのテクニック論の域を出ていない
②政策目標が「国債残高の多寡問題」に止まる矮小な議論に過ぎない
ことにある。

両者の議論はあまりにも次元が低すぎる。

片や、国債残高を一定量に抑えるには高度なインフレによる国債の発散が必要で、それには消費増税の延期や財出により政府の信認を意図的に落とすべきと主張する。

これに対する反論は、一旦政府の信認が低下すると通貨が暴落し、ハイパーインフレが起こり、国債デフォルトリスクが顕在化する。安易な財出は避け地道に歳出改革と社会保障改革に取り組むべき、となる

彼らの頭の中には、“真の国富たる生産力や供給力の維持向上を図るには、どういった産業政策が必要か”、“凍り付いた需要を刺激するに経済政策はどうあるべきか”、“国民生活の向上に向けて、克服すべき優先課題は何か”といった視点がまったく無い。

シムズ信者も、アンチシムズ派も「国債・信認・インフレ」の三つの言葉の周囲をぐるぐる回り、目先のテクニック論に拘泥するばかりで、政策がカバーすべき対象は誰なのか、最も優先的に解決すべき課題は何か、といった政策の拡がりが感じられない。

両者の目的を突き詰めると、「国債を減らすべし」という点で一致する。
異なるのは、シムズ信者は政府や通貨の信認低下&インフレを「是」とし、アンチ派はそれを「否」とする点だけで、要は、国債削減という目標達成の手段やアプローチの違いで揉めているだけなのだ。

筆者が、信者VSアンチの議論に物足りなさや違和感を覚えるのは、この点に尽きる。

我が国は20年以上もの低成長下で1,000兆円もの国債を抱えながら、インフレや信認低下に襲われるどころか、円高&空前の低金利、つまり、政府や通貨の信認の強固さにずっと悩み続けている。

しかも、悩みの真因が財出不足による実体経済の需要不足にあるが誰に目にも明らかなのに、それを決して認めようとしない。

こんな国で、通貨の信認低下を真剣に危惧したり、信認低下を発火点とするインフレを起こそうなんて考えたりすること自体が、あまりにもバカバカしい空想であることに、いい加減気付けないのか?

筆者は、インフレを人為的に起こそうとするエセ学者と、インフレにビビッて緊縮と改革を連呼するだけのインチキ学者とのくだらぬ論争にジャッジを下す気にもなれない。

「お前たちの政策目標は、その程度なのか?」、「そんな安っぽい政策で国民が満足するのか?」とひたすら呆れるだけだ。

2017年3月13日 (月)

命より税金惜しむクズばかり

『<大震災6年>「1者応札」苦渋の容認 競争性に疑問も』(毎日新聞 3/12)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170312-00000002-mai-soci
「8割台だった岩手県発注の建設工事の平均落札率(予定価格に対する落札額の割合)が東日本大震災後、9割台に上昇している。
同県は従来、入札に1事業者しか参加しない「1者応札」を認めていなかったが、震災後に入札不調が続出したため1者応札を認めるようになったことが一因とみられる。
復興工事を急がなければならないという事情はあるが、専門家からは競争性を疑問視する声が上がる。
 岩手県は競争性確保のため2008年1月、1者応札の場合は入札を取りやめ、条件を見直して改めて実施する制度を導入した。だが震災後、人材不足や資材高騰などを背景に1者応札が急増。10年度に3%だった入札不調が、11年度には9%に跳ね上がり、「復興を進めたくても進められない状況」(県の担当者)に陥った。このため11年11月から1者応札を認めた。(後略)」

バカマスコミの連中みたいに、口先では被災地の復興を唱えながら、いざ工事が始まると、入札手続きの瑕疵を問題視し、復興の足を引っ張るクズがうようよしている。

“復興促進よりも、公共工事に無駄ガネを使わせたくない”というのがクズどもの本音だから、工事業者が足りぬ地元の実状なんてそっちのけで、公共事業叩きに邁進している。

記事では、法政大名誉教授の五十嵐氏の「1者応札の落札率が90%台後半というのはかなり高い。いまだに仮設住宅に住む被災者がいる住宅関係の工事は別としても、港湾や道路などで1者応札を認めるほどの緊急性、緊迫性があるのか。入札のやり直しは2、3カ月あればできる。そのくらいは受け入れ、競争性を確保しなければならない」というコメント引っ張り出して、復興事業の入札が“お手盛り化”していると批判している。

しかし、こんなものはヤクザ紛いの下劣な言い掛かりに過ぎない。

他の公共工事にも言えることだが、100%に近い工事落札率のどこが問題だというのか?
「発注側(=自治体)が公的積算根拠に基づき予算付けした予定価格=支払ってもよいと認めた価格=落札率100%」なのだから、まったく適法ではないか。

五十嵐氏は、90%台後半の落札率が高すぎるなんて文句を垂れているが、これでも当初予定価格より数%ディスカウントされた価格だから何の問題もなかろう。

この記事を書いた毎日新聞の記者は、復興事業の意味や意義を全く理解していない。

2万人近い死者・行方不明者と40万個以上の建築物損壊、停電800万個以上、断水180万個以上という未曽有の大惨事をもたらした東日本大震災により、東北地域の太平洋沿岸を中心に、何の罪科もない地域の住民の方々は、耐え難いほど深い傷を負わされてしまった。

復興事業は、こうした被災者の生活再建と今後二度と同じような惨事を避けるために行われているのであり、何よりも、工事進捗のスピードと構造物の頑強さが求められる。

スピーディーさと堅牢さというニーズを求める以上、価格競争を旨とする入札制度に掛けること自体が本末転倒な発想であり、ましてや、入札不調ゆえにやむを得ず採った「1者応札」を不適切な手法であるかのように貶める記事を書く記者の神経を疑う。

世間知らずの幼稚な記者には、「お前は、東北復興よりも、無駄カネ叩きを優先させるつもりか?」と問い詰めておきたい。

さて、復興事業関連の工事といえば、岩手・宮城・福島の沿岸で進められている防潮堤工事が挙げられる。

防潮堤工事は計600か所で総延長400㎞、最大高さ15.5m、総事業費1兆円かかると言われる壮大な工事で、「海が見えない工事でいいのか」、「自然に対して傲慢になっている」、「防潮堤の裏には山と畑しかないからムダ」、「海が見えないと、海のリスクに対する感度が鈍る」といった類の批判が殺到している。

筆者は、震災復興の問題を、反原発運動や反公共工事運動にすり替えたいだけの薄汚いゴミ虫が吐く戯言など聞く気はない。

過去に何度も大津波に遭い、そのたびの貴重な人命と莫大な財産が失われてきた東北地方太平洋沿岸地域の住民の方々を、二度を悲惨な災害のリスクに晒したくないというのが、復興事業の究極目標である。

海が見えない、自然破壊云々と寝ぼけたことを言うバカ者には、いい加減に目を醒ませと言っておきたい。

また、「海が見えないと海のリスクに鈍感になる論」には、まったく根拠がない。

現に、明治三陸沖地震(死者1.8万人)、昭和三陸沖地震(死者行方不明者2,600人)、チリ沖地震と過去に何度も大津波に襲われてきた東北地方太平洋沿岸地域の人々は、毎日のように海と接し、海から多大な恩恵を受ける(地元の人々は「太平洋銀行」と呼ぶらしい)一方で、その恐ろしさを誰よりも知っていたはずだが、不幸にも、先の大震災で耐え難いほどの被害を蒙ってしまったではないか。

海という巨神がもたらすリスクは、人々が蓄積してきた知恵や経験を、いとも簡単に乗り越えてしまうことがある。
防災意識というソフトだけでは対応しきれぬ事態をカバーするために、防潮堤工事というハードの手助けが必要なのだ。

防潮堤工事の内容が不十分であり、もっと堅牢な構造にすべきといった前向きな批判ならともかく、「公共工事=ムダ」という程度の低い次元からの批判なら、居酒屋にでも行って勝手にやってもらいたい。

たったの1兆円で400kmもの防潮堤が整備できるのなら安いものではないか。
この先人口減少社会を迎える我が国にあっては、一人ひとりの人命は、これまでにも増して重くなるため、自然災害から国民の命や財産を守る事業は国家の存在意義そのものであり、何より優先すべきである。

税金惜しさに、命を守る貴重な事業の足を引っ張る汚い守銭奴には、次の記事をよく読んでおけと言っておく。

『普代守った巨大水門 被害を最小限に』(岩手日報)
http://memory.ever.jp/tsunami/tsunami-taio_309.html

2017年3月12日 (日)

風評被害を撒き散らすクズ

『日本食品、禁輸続く=近隣国で警戒-新市場開拓で光も・原発事故6年〔深層探訪〕』(時事通信 3/11)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000033-jij-soci
「東京電力福島第1原発事故から6年。日本の農水産品には依然、外国から厳しい目が向けられる。特に中国など近隣国・地域の警戒は根強く、禁輸が継続。(中略)
農林水産省によると、震災直後には54カ国・地域が日本の農水産品の輸入を制限。今は33カ国・地域に減り、大半が産地証明があれば輸入可能とするなど規制を緩めた。衛生基準に厳しい欧州連合(EU)も昨年、大幅緩和に踏み切った。しかし、中国、台湾、香港、マカオ、韓国、シンガポール、ロシアは、それぞれが決めた野菜や魚など、特定地域からの食品に対し門を閉ざしたまま。(後略)」

東日本大震災という未曽有の大惨事が起きてから6年が経過するが、被災地の復興がままならない。

東北地方の太平洋沿岸地域を中心とする被災地の方々が受けた被害は、
①家族や親族、知人などを失くした、或いは怪我などを負ったという人的被害
②不動産や家財、金融資産、雇用などを失った財産的な損害
③原発事故などにより居住地を失った生活面の損害
④原発事故に託けた放射能絡みの風評被害
などに大別され、上記の記事は④の風評被害に該当する。

諸外国の連中が、日本産、とりわけ東北産の農水産品に対して、放射性物質の有無を持ち出して薄汚い言い掛かりをつけるのは、即刻止めてもらいたい。
特に、中韓露あたりの食品管理意識や流通網、保管体制がいい加減な後進国から文句を言われる筋合いなどまったくない。

食の安全云々に拘るつもりなら、最も大切なのは、消費者の口に入る寸前の川下工程の衛生管理であり、市場で魚を剥き出しで放置し、ハエがたかっても平気でいるような土人国の連中が、何を偉そうに言うか、と怒鳴りつけたい気分だ。

腐った鶏肉を加工するような中国人、発がん性物資が検出された辛ラーメンを平気で食べる韓国人、日本人の3.5倍近くもマヨネーズを食べるロシア人に、食の安全なんて言葉を口にしてほしくない。

この点はEUも同罪で、食の安全よりも、民度の低い移民の連中が惹き起こす犯罪リスクに対する身の安全を図る方が先決ではないか。

東北各県では、公的機関を使った地元産品の放射性物質検査をきちんと行っており(本来ならやる必要もない余計なコストなのだが…)、農水産品に関して安全面の問題は無い。

放射能云々よりも、温度管理のいい加減なトラックやコンテナで運んだり、購入した食材を何週間も冷蔵庫に放置したりする方がよほど不衛生だろう。

日本は、諸外国の根拠なき言掛りには毅然たる態度を取るべきで、政治色の強い日本食品禁輸措置に対しては、対象国の主産品の禁輸対抗措置を取るべきだ。
生意気なEUからワインやチーズの輸出を止めてもよいし、ロシア産キャビアの輸入を止めてもよい。

ご紹介した記事では、宮城県産の「ホヤ」が主要輸出先の韓国(生産量の7割が韓国向け)からの禁輸措置により、大量に廃棄せざるを得なくなった例が挙げられていた。
先の震災で養殖ホヤはすべて流出し、その後、漁業関係者の多大な苦労を経て、種苗の育成を含め5年もの歳月をかけ、ようやく生産・出荷に漕ぎ着けた挙句の禁輸措置には、さぞや、やりきれない想いだろう。

この手の薄汚い風評被害を失くすには、何よりも、当の日本人が被災地や被災者を全力で支えようとする気概が欠かせない。

意図的に偏見の目を向けてくる諸外国に対抗するためには、先ず、我々が身を挺して同胞を庇う姿勢が必要だ。

しかし、現実には、原発事故を針小棒大に報じるバカマスコミの口車に乗せられて、日本人自身が真っ先に放射能に怯え、被災地に対して汚い偏見の眼差しを向ける有り様だ。

先日とある新聞を見ると、東北の被災地の方々が、“家族の命を奪った恨めしい海だが、多大な恩恵をもたらすことを思えば敵には回せない”と語ったことを美談風に書いたコラムを読んだが、それならば、日本の電力供給の根幹を支え続け、国民の社会生活に膨大な恩恵をもたらしてきた原子力発電に対しても、同じような敬意を払うべきだろう。

原発事故に端を発する風評被害がこれほど根強いのは、事故発生後の政府の対応の不味さと、放射能リスクを煽り続けたバカマスコミやそれに賛同する反原発脳のクズどもせいであることに疑いない。

福島第一原発の事故は、明らかに、定外の大津波により惹き起こされた災害であり、東電の責めに帰すべきではない。

誰もが避け得ない災害に見舞われた以上、冷静かつ迅速な対応により被害を最小限に防ぐ行動と、それを資金面や技術面から国がバックアップすることこそが最重要課題であろう。

だが、当時の政府は、法に定めた賠償責任を放り出し、東電関係者を生贄として国民からの批難を集中させ、自らは事故対応の現場から逃げ出したのだ。

こうした政府腰抜けぶりが、被災者の復興そっちのけで、反原発運動と放射能リスクの風評被害を撒き散らすことにしか興味のないクズどもの跋扈を許したと言ってよい。

クズどもは、福島を「フクシマ」呼ばわりしたり、玩具みたいなガイガーカウンターでそこら中の放射線量測定ごっこに熱を上げたりしていたが、いまでも測定ごっこは続けているのか?

本当は、もう放射能リスクなんて存在しないことくらい、皆解っている。

福島県内を走る東北自動車道の一日の交通量は30万台、磐越自動車道は2万台、常磐自動車道は20万台以上にも及び、県内の空港や駅にも、震災前と何ら変わらぬ量の乗降客があり、誰もが日常生活を取り戻している。

原発付近で作業する作業員や取材に入るマスコミの中に、宇宙服みたいな防護服を着ている者もいないし、町民全員が外に避難した無人の町でも、野生化した牛やシカ、イノシシなどが元気に走り回っている。

ありもしない放射能リスクに怯えるふりや演技をせねばならぬのは、反原発を生き甲斐や飯のタネにするクズどもだけで十分だ。

2017年3月11日 (土)

国民が命を守る行動だけに専念できるよう

『「長靴業界」発言の政務官が辞任』(ロイター 3/10)
http://jp.reuters.com/article/idJP2017030901001705
「務台俊介内閣府政務官(60)は9日夜、岩手県の台風被害の被災地視察を巡り「長靴業界はだいぶもうかった」と発言した責任を取って辞任した。松本純防災担当相に辞表を提出し、受理された。政府は10日午前の閣議で辞任を決定する。事実上の更迭で、安倍政権への打撃になるのは必至だ(後略)」

2011年に東日本大震災が起きた3月11日という厳粛な日を目前に控え、頭のおかしな与党の高慢ちき議員の馘が飛んだ。
務台氏は、以前、水害に遭った岩手県の被災地を視察した際に、こともあろうか長靴を忘れて、ほんの数mの小川を渡るのに、現地職員に負ぶってもらうという醜態を曝した札付きのクズだ。

こんなレベルの低い人物(彼は東大卒らしいが…)が政治の世界で踏ん反り返る一方で、被災地では、現地の公務員らが激務で自ら命を絶ってしまうという悲惨な事態が起きている。

『震災・原発対応で疲弊か 福島で職員9人自殺』(河北新報 3/8)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170308_63026.html
「福島県と県内市町村の職員の自殺者が2016年度だけで9人に上ることが7日、自治労福島県本部のまとめで分かった。うち5人は今年1~2月に集中していた。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発の複合災害への対応に追われていることなどが背景にあるとみて、県本部は「心のケアが急務だ」などと指摘する。(中略)
 避難区域を抱える双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の労組組合員を対象に昨年3~5月に実施した調査では、時間外勤務が月平均31時間以上との回答が38.0%に上った。200時間以上の職員も2人いた。全体の56.1%は通院や薬の服用をしていた。(後略)」

被災からの復興という極めて重要度の高い業務に当たりながら、被災者と行政との板挟みに遭い、激務と過度なストレスから、大切な命を絶たざるを得なかった職員の方々のこれまでの奮闘ぶりに深い敬意を表するとともに、ご遺族の方に心から哀悼の意を表したい。

世間では、復興事業の使い残しが多すぎる、震災を口実に無駄な事業を突っ込んでいるんじゃないかと、くだらぬクレームを付けたがるクズも多いが、こうした事態を招いたのは、復興業務に当たる公務員の絶対数不足と、復興事業を含めた国の直轄予算事業の手続きの煩雑さによるものだ。

しかも、ただでさえ面倒くさい行政手続きに加えて、事業に余計な嘴を差し挟める議員連中の調整も加わるから、現地の公務員らの御苦労も如何ばかりかとお察しする。

そもそも、国や県の予算執行に際して、やたらと厳しい支給要件や面倒な執行手続きを課したり、予算支出の検査を過度に厳しくチェックしすぎたりするのも問題だろう。

財務省や会計検査院みたいに、国家予算を自分の懐と勘違いし、予算執行の粗探ししかできない連中に余計な口出しをさせぬためにも、自然災害の復興予算は政府直轄で立案・執行・管理するような新たな仕組みづくりが必要ではないか。

復興で最も重要なのはスピードであり、予算執行の適正さなんて二の次だ。
要件や支出目的のチェックにばかり目を奪われていると、住民の生活再建という大局を見失うことになる。

復興事業には、怪しからぬ輩や団体も絡んで様々な不正事案が起きているが、そんなものは個別にピンセットで摘み出せばよく、一部の不正チェックにばかり気を取られていると、肝心の復興予算の分配が疎かになる。

我が国の国土面積は全世界の0.25%を占めるのみだが、自然災害による被害額は17%を占めており、世界有数の自然災害国家であると言えよう。

日本にとって、自然災害は戦争以上の脅威をもたらす最大のリスクだと言っても過言ではなく、それに対する物心両面の備えは欠かせるものではない。

我が国の防災に対する基本的な考えは、以下に示すとおり、「減災」と「地域ネットワーク単位での自助意識向上」に委ねられている。

「東日本大震災は,我が国の防災対策に多くの教訓を残した。特に,災害の発生を防ぎきることは不可能であること,大規模な災害が発生した場合は人命を守ることが重要なこと,災害対策のあらゆる分野で,予防対策,応急対策,復旧・復興対策等の一連の取組を通じてできるだけ被害の最小化を図る「減災」の考え方を徹底して,防災政策を推進すべきことが再認識させられた。(平成25年度版防災白書より)」

「(※「防災1.0(伊勢湾台風)」「防災2.0(阪神・淡路大震災)」「防災3.0(東日本大震災)」を経て)「防災4.0」では、地域、経済界、住民、企業等の多様な主体のそれぞれが、防災を「自分ごと」として捉え、相互の繋がりやネットワークを再構築することで、社会全体のレジリエンスを高め、自律的に災害に備える社会を、「防災4.0」の目指す姿と捉えている。(平成28年度版防災白書)

いかなるハード整備を以ってしても、大規模な自然災害を防ぎきるのは不可能だという考え方自体を否定するつもりはないが、だからと言って、防災や減災に資するハード施設整備を放棄するのは間違っている。

災害への備えや被災後の健康維持などの教育といったソフト事業のみで対応するのは、あまりにも非現実的だ。

特に、我が国では、自然災害の被害をまともに受けやすい山間地域や海岸部、河川流域、離島には、高齢者が数多く暮らしており、避難行動すらもままならぬケースも多いと推測される。

防災対策はハードとソフト両面の強化が肝心であり、どちらかに偏った対策では意味がない。

筆者としては、従来のハード整備事業やソフト教育と並行して、自然災害時の政府による資産補償制度の創設が、減災の一助になると考える。

大規模な自然災害、特に日本人を悩ます水害(津波などを含む)は、平凡な日常生活を前触れなく襲うケースが多い。

いまの防災は自助が基本だが、とっさに適切な避難行動を取れるものは少ない。
家や車、預貯金、家財等々、資産の流失が気になり、危険だと解っていながらも避難を躊躇して家に戻ろうとして災害に巻き込まれたり逃げ遅れたりするケースも多い。

また、運よく命が助かっても、資産を失った喪失感を抱えながら長引く避難生活を強いられることによるストレスから体調を壊したり、命を絶ったりする方も多いと聞く。

マスコミの連中は、「命を守る行動を」とか、「命があって良かったね」なんて他人事みたいに言うが、被災して身ひとつで寒空に投げ出された方は堪ったものではない。
命だけ助かったとしても、一切の財産を失って(借金だけが残ることもある)、どうやって前を向いて生きて行けるというのか。

こうした不幸な事態を少しでも緩和するとともに、自然災害発生時に、誰もが命を守る行動に専念できる公的災害補償制度を求めたい。
民間生損保への配慮が気になるなら、見舞金という位置づけでもよい。
日本人の平均資産額に一定額の補償金を上乗せして、被災者全員に迅速に支給できる制度が理想だ。(世帯当たり5,000~6,000万円程度が目安)

津波で家や財産が流されても、後で必ず国が補償してくれるという安心感を国民全員が常識として共有できれば、目前に迫る災害からのサバイバルに立ち向かう気力も出てくるというものだ。

突発的な自然災害発生時には、誰もが一旦は慌てふためき狼狽するだろう。
しかし、何かあったら国が補償してくれるという安心感さえあれば、財産のことなど気にせずに、自分と家族の命を守る行動に専念できる。
そうした個々の行動が、財産を気にして災害に巻き込まれるリスクを低減させ、迅速なサバイバル行動による人的被害の低下にもつながるはずだ。

自然災害は国民誰しもが直面しうるリスクであり、何よりも人的被害を最小限に止めるという最重要課題をクリアするためには、国家がカネを惜しんではならないだろう。

2017年3月10日 (金)

東京都知事はクズ揃い

『築地市場の土壌からヒ素、基準の2.4売 13年調査』(朝日新聞デジタル 3/7)
http://www.asahi.com/articles/ASK375SFBK37UTIL056.html
「築地市場(東京都中央区)の敷地内の土壌から環境基準の2.4倍にあたるヒ素などの有害物質が検出されていたことが、7日分かった。都道の建設工事にあわせて都が2013年に検査した結果で、同日に公表された。同市場の土壌から基準超の有害物質が検出されたのは初めて。(中略)都の土地の履歴を調べた調査によると、同市場の敷地には戦後、有機溶剤を使ったとみられるクリーニング工場などがあり、都は「敷地全体に土壌汚染の恐れがある」とみている。」

築地市場の豊洲移転問題について、これまでエントリーで触れる機会はなかったが、筆者の見解は次のとおりだ。
①「築地」という国際的なブランド価値を考慮すれば、そもそも移転ではなく大規模改修で対応すべき
②ただし、①は豊洲市場建設前に決着しておくべき議論であり、新市場というハードが完成した今となってはもはや取り得ない選択肢だ
③小池都知事のくだらぬパフォーマンスのために豊洲移転問題が悪用されることに、都民は厳しい眼を向けるべき
④政争の具と化した豊洲移転問題に費やされる都庁職員の膨大なエネルギーは単なるムダ

一言でいえば、「豊洲問題化利権に集る小池のババァとそれに群がるコバエどもはすっこんでろっ‼」ということだ。

朝日新聞の記事によると、築地大橋建設の際に橋台部分の土壌で、地下90㎝から水1ℓあたり0.024㎎のヒ素(環境基準は1ℓあたり0.01㎎以下)と、同1.3㎎のフッ化物(同0.8㎎以下)が検出されたが、都は「アスファルトに覆われており、健康に影響はない」とコメントしている。
これは、3月初旬頃に築地市場の汚染問題が取りざたされた際に、「(築地は)コンクリート、アスファルトでカバーされている所なので問題はない」と答えた小池知事と同様に間抜けすぎるコメントだ。

小池氏の受け答えを聞いて、“コンクリートで覆われているのは豊洲も一緒だろ?”と、誰もが心の中で突っ込みを入れたに違いない。

築地市場は、都も「敷地全体に土壌汚染の恐れがある」と認めているように、豊洲以上に土壌が汚染されている可能性が高い。

また、築地市場の不衛生さを指摘する声も多くある。
「ベンゼンで騒いでいますが、これは煙草の副流煙にも含まれています。築地で魚を扱う人たちには喫煙者が多い。咥え煙草をしながら、ターレ(運搬車)に乗って仕事をしている者もいます。そういう連中は大半がポイ捨てですよ」
「だから、外国人観光客がマグロに手を触れて、記念撮影なんてことができてしまう。中国人観光客の中には、場内で立ちションをしている奴もいます。築地は不衛生極まりない」
「自分はトイレの汚れが気になる。トイレ内には水溜めがあって、用を足した後、長靴の汚れを水で流すよう促されています。しかし、ほとんどの者がトイレの汚水に触れた長靴のまま、場内を歩き回る。その地面の上をマグロなどの商品が引きずられていくわけです」
「築地には大量のネズミが潜んでいる。ここに住みつき、魚をエサにしているのは間違いない」
【参照先URL】https://www.youtube.com/watch?v=8jn08FJwLyI

こうした実態を放置して、築地市場の衛生状況を裏付ける科学的調査も為されぬままに、豊洲市場のみを一方的に不衛生呼ばわりするのは、あまりに杜撰かつ公平性に欠ける処置であり、小池氏の悪質なパフォーマンスに利用されたと言われても仕方がない。

そもそも、築地に限らず、行儀の悪い市場関係者や仲買人が行き来する市場に厳格な衛生管理を求めたり、ちょっとした不衛生ぐらいで大騒ぎしたりする方がどうかしている。
市場というエリアは、元々その程度のもので、これまで大きな問題も生じていなかったのだから、それでよいのだ。

小池氏は、そうした実状を無視して、“食の安全が侵される”とか“計画にあった盛り土がされていない”とか難癖をつけ、針小棒大に騒ぎを拡大させて自身の求心力拡大に利用し、それにバカマスコミやコバンザメみたいな“小池チルドレン”の連中が乗っかっただけのことだ。

豊洲移転をぐずぐず引き延ばしていては、余計な維持コスト(年間70億円とも言われる)がドブに捨てられることになる。
これでは、税金の無駄遣いでしかなく、小池氏の決まり文句の“都民ファースト”どころか、“都民ワースト”にしかならない。

財政力が豊かで緊張感に乏しいせいか、東京都政は、いつもくだらぬ話題で大騒ぎしたり、右往左往したりしている。

東京都民は、“東京が稼いだ税金を、穀つぶしの地方にバラ撒くのはけしからん”と生意気なことをぬかし、二言目には“2020年のオリンピック開催”云々と自慢げに語りたがるが、選出される知事のレベルは大阪府並みに低く、選ばれた知事も問題児ばかりだ。

都民の民度なんて、たかが知れている。

2017年3月 9日 (木)

家計消費を増やすには

世の中には、「マネタリーベースを拡大させて予想物価上昇率を引き上げれば、実質金利が引き下げられて民間投資や住宅投資が拡大し、景気が刺激される」と信じ込む変わり者がいる。(※リフレ派&エセ教科書学派)

つまり、「インフレ予想」が家計や企業の投資・消費意欲を刺激するという訳だが、現実はそう上手くは行かない。

所得や売上・収益上昇が先行するディマンドプル型のインフレなら良いが、生活必需品や製造コストの値上がり負担を強いられるだけのコストプッシュ型インフレが起きた場合、家計や企業が取るのは「支出の削減と節約」という防衛行動のみだ。

そして、いま、実体経済で起きている消費縮減のスパイラルは、まさにこれに当たる。

『固定費ずしり、緩まぬ財布 スマホ・保険料・光熱費…支出の1割に』(日経新聞 2/27)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO13399770W7A220C1NN1000/
「ちょっぴり収入は増えたけど、財布のひもは緩めない――。こんな世帯が増えているようだ。税や社会保障の負担が増えているのが一因だが、それだけではない。通信費や生命保険料、電気代といった「固定費」が年々膨らみ、家計をじわりと圧迫している。(後略)」

記事では固定費増加事例として、
・スマホやネット通信費は年間19万7千円と、10年前から6万8千円も増えた
・掛け捨て型の保険の費用は年10万2千円と初めて10万円を超え、10年で2万7千円増えた
・電気代は11万5千円と同7千円増加し、上下水道代も上がっている
などを挙げている。

また、記事によると、スマホ・ネット料金、生保の保険料、電気代の合計額が約41万円と、10年前より10万円も増え、消費支出に占める比率は1割を超えたそうだ。
こうした固定費負担の増加が消費の重荷になり、家計は防衛行動を取らざるを得ず、預貯金に回す金額は逆に19万6千円も増えている。

要するに、大手通信キャリアの価格カルテルや低金利下での保険会社の運用難、東日本大震災後の誤った再生エネ推進政策の負担のツケ回し等々、政策の失敗による負担増を押し付けられた形の家計は、好まざるインフレに耐えかねて、支出を増やすどころか、支出切りつめと節約にひたすら励んでいる。

これでは「インフレ期待」など起こりようもない。

“無難な経済運営”と評されるアベノミクスの施政下で実際に起きているのは、
「家計調査によると、2人以上の働く世帯の実収入は632万4千円でリーマン危機前の10年前を1万5千円上回った。しかし消費支出は371万5千円と、12万8千円減った。
 内訳からは「減らせるところから減らしていこう」という強い意思がにじむ。世帯主のこづかいは7万4千円、贈答品も含む交際費は5万1千円減った。衣類も1万8千円減った。
 耐久消費財では家電の落ち込みが目に付いた。買い控えや製品単価の下落で2万円近く落ちた。(日経記事より抜粋)」
という惨状であり、家計の消費マインドはかなりネガティブだ。

アベノミクスのおかげで雇用が改善し収入も上がったと自慢するバカ者もいるが、満足のレベルがあまりにも低すぎる。

10年前と比べた実収入の伸びが、たったの年1万5千円 (月1万5千円の間違いではないのか??)でしかないことに、家計はかなり強く不満を募らせている。
消費支出が10万円以上も減っているのは、そうした不満や危機感の表れだろう。

通信費や電気代だけでなく、食料品や日配品などの値上がりも家計を圧迫しており、家計が財布の紐を絞める理由には事欠かない。

こうした窮状を逆転させるには、家計が明確な「所得増加期待」を確信できる政策、つまり、家計所得をダイレクトかつスピーディーに増加させる大胆な経済政策が必要になる。

消費税廃止、社会保険料負担の軽減、恒常的定率減税、最低賃金の大幅引き上げ、公教育費負担の軽減、公的医療費負担の軽減など、打てる策はいくつもある。
同時に、企業側の負担も考慮して、積極的な財政政策を打ち、人件費原資を捻り出すための事業所得を獲得しやすくなるような経済環境を創出する必要もある。

人々の財布の紐の固さは、デフレ圧力の強さに比例するのだから、選択すべき政策は誰の目にも明らかだ。

家計にカネを使わせようとするのに、政府がカネを使わずに済まそうとするなんてあり得ない。
財源など気にせずに、国民や企業が驚愕するほど巨額の財政支出を明言し、予算付けを望む業界や団体から広くニーズを募ればよい。

政府が、そのくらいの積極性と覚悟を示さぬ限り、デフレ志向に染まり切った家計や企業の心理を動かすことはできぬだろう。

2017年3月 8日 (水)

ジャンク政策

『次は「異次元の財政政策」か 冒険やめて地道な改革を』(日経新聞客員コラムニスト 平田育夫 2/27 日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO13383860V20C17A2TCR000/
「デフレ脱却へ敗色濃厚な異次元の金融緩和策に代わるのは「異次元の財政政策」なのだろうか。安倍晋三首相と近い浜田宏一内閣官房参与(米エール大名誉教授)が「目からウロコが落ちた」とはやすのは米国発の経済理論。積極財政でインフレを起こせばデフレ脱却にも財政再建にも役立つという。放漫気味な日本の財政運営を応援するような内容だ。
 だが日銀緩和だけではなく、新たな案も財政破綻を招きかねない劇薬である。冒険的な政策はそろそろやめにして、次世代のため財政改革や成長戦略を地道に実行するときではないか。(後略)」

正直言って、外人経済学者の新説を聴かされるたびに目からウロコを落としている浜田氏が、安倍首相にどれほど影響を与え得るものか大いに疑問だ。

よって、日経がオロオロ心配せずとも、安倍氏はこれからも財政再建の道をひた走るに違いないが、日経は、安倍首相がシムズ論文を鵜呑みにして財政再建の手綱を緩め、大規模な財政政策を打つのではないかと相当警戒しているようだ。

コラムニストの平田氏は、シムズ論採用後の安倍政権の経済政策について、次のようにシミュレートしたうえで、『異次元緩和もシムズ説もインフレをテコに成長と税収増を促し財政再建を狙うという横着さがある。増税などに比べ政治的に容易でも、成否は読めず、失敗したときの代償は大きい。(中略)やはり財政改革と成長促進策を着実に進め、社会保障などが持続する社会に改革したい。成長促進では、完全雇用に近い今、需要追加より生産性向上など供給力強化のほうが大切だ。』と否定している。

【平田氏のシミュレート】
▼第1幕 政府が財政健全化目標や増税の延期を表明。インフレにはならず。
▼第2幕 そこで政治主導の積極財政が続く。日銀の異次元緩和も継続。
▼第3幕 「団塊の世代」全員が75歳以上となる25年が近づいて医療費急増による財政悪化が懸念され、物価が上がり始める。
▼第4幕 貯蓄の外貨への転換による円安などで物価が一段と上昇。だが日銀は金利上昇を嫌い厳しい引き締めをためらう。政治家は緊縮財政に動かない。
▼第5幕 人々の不安心理も重なりインフレが年10%超に加速。海外への資本逃避のほか政府と円の信用失墜、金融システム不安など経済は大混乱に陥る。

平田氏の妄想の逞しさには脱帽するほかない。
特に、第2幕の政治主導の積極財政なんて、いまの安倍政権や自民党の連中には、絶対に無理だ。(民進党や維新のバカどもにも無理だろうが…)

なにせ、憲法改正草案に財政規律条項を盛り込もうとしたり、政府の諮問会議に世情に疎い識者を集めて財政再建論や歳出改革論の後押しをさせたりするような輩に、積極財政など期待する方がどうかしている。

それはさておき、先ず、第3幕の団塊世代の後期高齢者化による医療費急増に起因するインフレ発生説とやらに釘を刺しておく。

確かに、2025年の医療給付費は54兆円と推定され、2015年(40兆円前後)より14~15兆円ほど増加する見通しだ。
だが、2015年より10年前の医療給付費は26~27兆円ほどであり、2015年→2025年間の増加額は、2005年→2015年の実績と大差ない。

無論、これに莫大な介護費用が付随するから話は単純ではないが、要は、その間にGDPをきちんと伸長させ、医療給付費の対GDP比率を適切な範囲内に抑えておれば何の問題もない。

平田氏の「医療費増加=急激なインフレ」論が、何を根拠にしているのか謎だが、2025年までの間に日本経済が急激な経済成長を遂げることを前提にしているのなら、そこで発生するインフレはディマンドプル型の望ましいものであるし、対GDP比で一定範囲内に収まっていれば問題は発生しない。

逆に、経済成長を前提としないのなら、急増する医療費負担に耐えかねた国民は他の支出をきつく絞り込むはずであり、インフレよりも深刻なデフレを心配すべきだろう。

次に、第4幕の「貯蓄の外貨への転換による円安などで物価が一段と上昇」なる幻想にもモノ申しておきたい。

平田氏は第5幕の政府や円の信頼失墜という幻想に絡めて、「高インフレ→通貨の信認下落→円売り→外貨買い」というインフレ恐慌発生ルートを想定しているようだ。

しかし、2015年末の個人金融資産残高1,740兆円のうち外貨資産は42兆円と、たったの2.4%でしかなく、長期トレンドで見ても大して増えていない。
しかも、平田氏の云うとおり、円の信用失墜→大幅な円安傾向ともなると、ますます外貨購入にブレーキが掛かり易くなるから、急激な円の外貨転換なんて起こり得ない。

平田氏の数々の妄言は、「財政改革や成長戦略を地道に実行する」、「需要追加より生産性向上など供給力強化のほうが大切だ」という結論に導くための前菜でしかない。

だが、彼の大好きな財政改革は実体経済に投じられる資金量の縮減させるもので、成長戦略とやらは資金の裏付けが伴わぬ政策である。
さらに、需要不足下の供給力強化は、不毛な競合と安値競争を生み出すだけの愚策でしかない。

要するに、平田氏の提案は「不況やデフレを深刻化させる毒薬」ばかりで、まったく話にならない。

財政政策を「冒険呼ばわり」する神経は緊縮脳のドシロウトそのものだ。

彼の説く「地道な改革」こそ、デフォルトリスク300%の超ジャンク債である。

2017年3月 7日 (火)

負け試合を認められぬ愚者

『エンゲル係数29年ぶり高水準 共働き増・値上げ… 16年、0.8ポイント上昇の25.8%』
(日経新聞2/17)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A2EE8000/
「総務省が17日発表した2016年の家計調査速報によると、家計の支出に占める食費の割合である「エンゲル係数」は2人以上の世帯で前年より0.8ポイント上昇して25.8%となった。1987年以来29年ぶりの高水準。食品価格が上昇したほか、共働き世帯の増加で調理食品などの購入が増えたことが背景にある。衣料品などを買い控えており、家計の節約志向は根強い。(中略)
SMBC日興証券の牧野潤一氏は「16年は賃上げより食品値上げの影響が大きく、節約志向が高まった」とみる。特に無職世帯にとって値上げは家計に打撃だ。高齢夫婦の無職世帯ではエンゲル係数が15年から1.7ポイント上昇の27.3%となった。」

少々賞味期限の切れかけた話題だが、エンゲル係数がここ2~3年急上昇していると報じられた。
エンゲル係数は2014年/24.0%→2015年/25.0%→2016年/25.8%と上がっており、1987年並みの水準まで戻ってしまった。

エンゲル係数の動きについては、中食市場の拡大や個食化、働く女性層の増加など、ライフスタイルや食生活の変化に応じたもので貧困化とは別の次元だ、との指摘もあるが、見苦し言い訳にしか聞こえない。

家計が「食」に求めるニーズに高級化し、そこにかける費用を意図的に増やしているのなら構わないが、現実はそれほど甘いものじゃないことくらい、普通に暮らす人ならすぐに解るだろう。

総務省の「家計調査報告」によると、2017年1月の二人以上世帯の消費支出は、 1世帯当たり279,249円と、前年同月比実質1.2%減少、名目0.6%減少し、11ヵ月連続でのマイナスに終わった。
(※上記のエンゲル係数は2016年の数値で、今回の家計調査とは統計年が異なるが、大まかな支出傾向を見るためにあえて今年の統計を用いている)

特に「食料」(名目▲0.8)、「住居」(同▲6.4%)、「光熱・水道」(同▲1.9%)、「保健医療」(同▲7.1%)といった生活必須項目の支出は軒並み大きく減少しているのは、日経記事で指摘しているとおり、『賃上げ<食品など生活必需品の値上がり=家計の節約志向』という構図によるものと素直に理解すべきだ。

今回の家計調査報告では、「家具・家事用品」(名目+7.3%)、「教育」(同+6.6%)、「教養・娯楽」(同+3.0%)といった具合に、不要不急の支出項目の支出はかなり増えている。

一部の論者が主張するように、昨年のエンゲル係数増加の原因が人々の嗜好の高級化や個食化にあるのなら、今年1月の食料費支出も娯楽費と同様に増えていてしかるべきだが、両項目はまったく逆の動きをしている。

ここ数年のエンゲル係数の上昇は、食の高級化といったポジティブな要因によるものではなく、所得低迷下の食費値上がりによる家計防衛という非常にネガティブな要因によるもので、国民は「生活の貧困化」という危機に直面している。

「安倍首相は無難な政権運営をしている」、「なんだかんだ言っても、民主党時代より遥かにマシ」だなんて甘っちょろいことを言い、厳しくなる経済環境から目を背けているうちに、ぐんぐんと成長を続ける諸外国との所得伸長競争に敗れ、食料品や資源の獲得競争にも買い負けし続けた結果が、この体たらくなのだ。

“いろいろと批判はあるが、安倍政権は少なくとも民主党よりマシじゃないか”という論は確かにある。
だが、それは、大量リードを許し敗色濃厚な試合で、味方の攻撃時に送りバントを命じる愚将の采配を「堅実な采配、無難な采配」だと褒めちぎるようなもので、端から見ると、“いったい何処に眼がついているのか?”と疑いたくなるようなバカ評論でしかない。

悪化する現状を直視せず、“日本経済は着実に成長軌道に乗っている”と信じ込みたがる輩は、自分の半径2mの範囲内で起きた情報でしかモノを考えられない愚か者だ。

人々の収入や賃金が十二分に上昇し、食に対する嗜好の幅や選択肢が拡大した結果としてエンゲル係数も上がっているのなら何も文句を言う必要もないが、現実は真逆である。

新生銀行が20~50代の男性サラリーマンを対象としたアンケートでは、昼食代の平均は587円(2016年)と、2015年に一旦600円台に回復したが、再び500円台に逆戻りしている。

アンケートを始めた1979年は565円だったそうだから、40年近く経ってもほとんど変わらないレベルなのは悲しい限りだ。(ちなみにピークは1992年の746円‼)

なにせ、1979年の大卒初任給は10万9500円と、今の半分ぐらいの時代だから、実質的な価値から推し量ると、現在のサラリーマンの昼食代のレベルは40年近く前の半分程度しかないと言える。

こうした惨状を、『中食化や個食化の浸透』といった詭弁で誤魔化そうとするバカ者どもには、顔を洗って外に出てみろっ‼と言っておく。

2017年3月 6日 (月)

改革の名を騙る疫病神

『賃金が力強く上がる基盤を築こう』(日経新聞社説 2/26)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO13393150W7A220C1PE8000/
「消費は依然として本格的な回復に遠い。このままでは消費を盛り上げて企業の生産活動や設備投資を活発にし、経済全体を元気にするという政府の筋書きも画餅に帰そう。起点となる賃金の伸びが勢いを増すよう、本気で取り組むときだ。
 総務省の家計調査によると、2人以上の世帯が使ったお金は2016年に月額平均28万2188円で、物価変動の影響を除いた実質で前年比1.7%減となった。14年も2.9%、15年も2.3%の前年比マイナスとなっており、3年連続の減少だ。
 14年4月の消費税率引き上げや、円安が進んだ局面での輸入物価の上昇が消費を抑えた面はある。だが、大きく影響しているのは賃金の伸び悩みだ。(後略)」

ここまで読むと、賃上げ実現に向けて、日経もようやく重い腰を上げるつもりになったのかと思いたくなるが、後略の部分は「緊縮・改革・規制緩和」というお馴染みの日経節の大合唱で、案の定、反省の色がまったくない。

日経社説は、個人消費減少を賃金伸び悩みによるものとし、その原因として、
①労働者一人当たりの付加価値低迷
②硬直した労働市場
③社会保障費負担の増加
の三つを挙げている。

そのうえで、
❶生産性向上=AI技術の活用、外国人労働者の受け入れ促進、各種規制緩和
❷労働市場改革=労働市場の流動化
❸社会保障改革=医療・介護費の削減
が不可欠だと主張する。

だが、日経社説の提言は、“失われた20年時代”に失敗を繰り返してきた負けパターンをなぞる愚策ばかりであり、150%失敗に終わると断言できる。

「生産性向上」の名を借りた移民促進や規制緩和は、低賃金労働の横行や雇用の質の劣化、不毛な競合の激化を生む。

「労働市場改革」の名を騙る雇用の流動化は、雇用の不安定化や技術継承の断絶、正規雇用者の所得減少につながる。

「社会保障改革」を称する医療・介護費の削減は、医療や介護業界の質の低下、職員待遇の悪化、更なる人手不足という弊害をもたらす。

悪質な『見返りのない緊縮と競合の扇動』によって、労働者は処遇の劣化と所得の低下に苛まれ、将来不安の海に叩き込まれ、医療や介護を受ける立場の高齢者の不満も爆発するだろう。

その結果、個人消費はますます低下を余儀なくされ、縮小のスパイラルが永遠に続くことになる。

日経社説は、労働者の生み出す付加価値の伸びが低迷していることを特に問題視しているが、その要因を正確に理解し切れていない。

日本企業の付加価値が低迷している要因は、
・長引くデフレ不況下での国内マーケット縮小による売上の鈍化
・成長を続ける諸外国との原材料買入競争激化による輸入コスト上昇
という売上低迷とコストアップのダブルパンチによるだ。

そもそも、「付加価値」は売上高-変動費で表される価値であり、それは、経常利益と人件費や減価償却費などの固定費に分解される。

日経をはじめ新自由主義者の連中は、付加価値を語る際に、変動費や人件費の削減ばかりに熱中しがちだ。

しかし、付加価値という概念は、あくまで、企業の財務諸表の損益計算書(P/L)の中にあるのだから、付加価値を増やしたければ、P/Lという箱の中身をアレコレと弄りまわすよりも、箱の大きさ自体を膨らませてやる方が、遥かに容易く解決できる。

「売上原価(労務費・原材料費・外注費等)」や「一般管理販売費(人件費・交際費等)」を削ることばかりに血眼になり、自社のコスト削減に成功したとしても、削減された分のコストを売上にしていた納入先企業の付加価値を低下させるだけのことだ。

こんな不毛な負担の押し付け合いに興じていては、いつまで経っても付加価値向上など望むべくもない。

企業の付加価値をUPするには、P/Lという箱の大きさを膨らませる、つまり、P/L最上部にある「売上」を拡大させられる経済環境を創り、マーケットを活性化させることが、最も重要なのだ。

付加価値を高めたいのなら、売上に余計な天井を架して、低成長時代を前提としたコスト削減競争に奔走する、といった「成長放棄思考」からの転換を図る、つまり、力強い成長を前提とした『意識改革』こそが必要になる。

「改革」の名を騙る縮小均衡やコスト削減思考からは何も生まれない。

少子高齢化はインフラ縮小の言い訳に使えない

米国トランプ大統領は、2月28日(日本時間3月1日)に、米議会上下両院合同本会議で施政方針演説に臨み、1兆ドル(約113兆円)規模のインフラ投資法案への協力を議会に仰ぎ、「米経済のエンジンを再起動する」と強調した。

彼は、「国家を再建設する時が来た」と述べ、道路や橋、トンネル、空港や鉄道など総額1兆ドル規模のインフラ投資に取り組む姿勢をアピールするとともに、新たなインフラ投資は「数百万の雇用を生み出す」と議会に呼び掛けたそうだ。

この他にも、米軍再建のために540億ドル(約6.1兆円)もの国防費増額 (増額分だけで我が国の年間防衛予算を上回る‼)を訴えている。

いまだにPBバランス堅持に拘り、歳出改革云々とレベルの低い議論をしている我が国の首脳と比べて、その精力的な姿勢は何とも羨ましい限りである。

我が国の社会資本老朽化問題は、一向に解決の糸口が見えない。

国交省のHPにある「社会資本の現状と将来」には、次のようなデータが掲載されている。
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/maintenance/02research/index.html
【建設後50年以上経過する社会資本の割合】
・道路橋(約70万橋) 〈H35/3〉約43%→〈H45/3〉約67%
・トンネル(約1万本) 〈H35/3〉約34%→〈H45/3〉約50%
・河川管理施設(約1万施設) 〈H35/3〉約43%→〈H45/3〉約64%
・下水道管渠(約45万㎞) 〈H35/3〉約9%→〈H45/3〉約24%
・港湾岸壁(約5千施設) 〈H35/3〉約32%→〈H45/3〉約58%

あと6年ちょっと先には、これだけ多くの社会資本(インフラ)が整備後50年を迎えることになり、急速に老朽化が進んでいる様子が解る。

しかも、上記の数値算出に当たり、建設不明なものは分母から除かれていることに注意せねばならない。
その数は、橋梁約30万橋、トンネル約250本、河川管理施設約1千施設、下水道1.5万㎞、港湾約100施設にもなるから、実質的なインフラ老朽化はさらに深刻だ。

政府・議会・官僚の何れも、社会資本老朽化に対する真の危機感は皆無に等しく、経済財政諮問会議の議論では財政再建やPB赤字解消、歳出改革という言葉ばかりが踊り、よりブレイクダウンした社会資本整備等ワーキンググル―プの議論では、公共施設の統廃合の話に終始している。

襲い掛かる老朽化の波に立ち向かおうというのではなく、いかに被害を最小限に抑えるか、見捨てるべき社会資本をどう切り分けるか、という消極策ばかりでウンザリさせられる。

我が国の公共事業関係費は、一般会計と特別会計の総額でH27/6.5兆円(当初予算+補正予算)しかなく、H22/10.6兆円→H23/7.6兆円→H24/9.0兆円→H25/7.6兆円→H26/6.4兆円と減るに任せているが、これほどの惨状にもかかわらず、国民の間には「ムダな公共事業ばかりやっている」という愚論が蔓延している。

社会資本老朽化問題に対して、そのメンテナンス費用を国交省が試算したところ、2013年/約3.6兆円、2023年/4.3~5.1兆円、2033年/4.6~5.5兆円と推計されている。

これは、あくまでメンテナンス費用であり、新設・除去費用や用地費などは含んでいないが、思ったより少額な印象だ。
毎年5~6兆円もあれば最低限の維持・更新ができるのなら、大した金額ではない。

国民の生命や財産を守り、経済活動の基盤を支えるインフラ整備に、年間たったの5~6兆円を費やすことに何の負い目があるのだろうか?

この先暫くは生産年齢人口の大幅な減少が避けられぬとしたら、より加速的に社会資本老朽化対策を打っておく必要がある。

さらに、人口減少時代をカバーできるだけの生産効率や移動効率を実現するためには、インフラの維持・更新だけに止まらず、より積極的に新設工事を進めておくことは、極めて有意性の高い事業だろう。

国交省HPに掲載されている「都市間連絡平均速度の国際比較」によると、『日本59㎞/h、ドイツ90㎞/h、フランス88㎞/h、イギリス72㎞/h、中国73㎞/h』とのデータがあり、我が国の道路網整備が立ち遅れていることが判る。

巷では、アマゾンの配送を担うヤマト運輸の苦境が話題になっているが、例えば、鉄路や河川、丘陵、山岳などで分断されている道路(高規格道路だけでなく一般道も)を新設工事で繋げてミッシングリンクを解消すれば、配送効率は格段に向上するはずだし、都市部の渋滞解消にも役立つはずだ。(今冬のような大規模雪害発生時の迂回路にもなる)

“人口が減るからインフラは要らない”という巷の意見はまったくの見当違いで、“少子高齢化社会を迎えるからこそ、生産効率維持向上のために更なるインフラ整備が不可欠”という発想の転換が求められる。

社会資本整備を放置すれば関連産業は衰退し、人材育成や技術革新もままならなくなってしまう。
日本が建設土木技術を失くしてしまえば、必要なインフラ整備は外国資本や人材の手を借りねばならなくなり、より多大なコストや期間を要するうえに、投じた資金が国外に流出してしまう事態になる。

ちなみに、冒頭に紹介したトランプ大統領の演説後に行われた調査(トランプ氏に「嘘ニュース」呼ばわりされたCNNの視聴者調査)では、軍事費増強や巨額のインフラ投資の意向表明に対して、57%の人が演説を「非常に肯定的」に受け止め、69%が「正しい方向に向かう」と回答したそうだ。

日本人が同じ演説を聞かされたとしても、恐らく、「衰退する宿命の日本でインフラ整備しても借金が溜まるだけだろ」と斜に構えるだけだろう。

提示された『希望』を素直に受け入れ、前向きな反応を示す分だけ、アメリカ人の方がリアリストなのかもしれない。

2017年3月 4日 (土)

日銀の胃袋は底無し

異次元緩和政策は“目標未達の泥沼”に嵌まり込み身動きの取れない状態だが、敗戦の総括も反省もないままに、早くも日銀内部から出口戦略が囁かれ始めた。

『短期市場への影響見極めつつ、国債残高圧縮望ましい=佐藤日銀委員』(ロイター 3/1)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170301-00000049-reut-bus_all
「日銀の佐藤健裕審議委員は1日、徳島市で講演し、日銀は国債の残高を圧縮するのが望ましいとの見解を示した。また、現在ゼロ%としている長期金利目標は、市場の動向を追いかける形で緩やかに引き上げるべきと提唱した。
これまでマイナス圏で推移してきた消費者物価指数(CPI)が今後はエネルギー価格の上昇により2017年度後半にも1%に達する可能性があり、長期金利が急上昇する可能性もあると指摘した。(後略)」

また、佐藤氏は記事の中で、
・年80兆円という買入額はあくまで「目途」に過ぎず、日銀の国債残高を圧縮すべき
・長期金利ゼロ%が長期化すれば「財政規律が弱まる」リスクが生じる
・財政への信認低下で長期金利が急騰すると日銀が抑えられなくなる恐れがある
・ヘリマネ論者の中央銀行による無利子永久国債の引受けは実務上現実的でない
とも指摘している。

佐藤氏は、白川前総裁時代に審議委員に就任した「非主流派」で、2%上昇という物価目標達成に消極的で、マイナス金利政策導入時に反対票を投じた人物(日銀の伝統的保守派とでも云うべきか…)であり、量的緩和のように金融の蛇口を弛緩させる政策を毛嫌いするのは不思議ではない。

彼は、原油価格や為替動向により今年度後半にはCPIが1%を超え、長期金利も併せて上昇圧力がかかるかもしれないと予想するが、CPI積算におけるエネルギーのウエイトは7.8%程度でしかなく、ガソリンこそ若干上がり気味だが、都市ガス代や電気代はそれ以上に下落している。
よって、ここ半年あまり、対前年比で▲0.4~+0.5辺りをウロウロしているCPIの1%超えのハードルは相当高いと思う。

佐藤氏のように、通貨の番人としての日銀の伝統的価値に拘る人種は、日銀が400兆円もの巨額の国債を押し付けられている事態に我慢ならないのだろう。
財政規律や長期金利高騰云々と、ありもしないリスクを声高に叫び、量的緩和政策を逆回転させようと必死だ。

だが、ここで日銀による国債保有額を減らしてしまうと、せっかく積み上げた400兆円もの国債の実質無効化の成果が無に帰してしまい、財政破綻論者に要らぬデマ喧伝材料を与えることになる。

佐藤氏は「財政リスク・信認低下リスク・長期金利高騰リスク」を意図的に心配するが、そうした数々のリスクは、彼が忌み嫌う財政政策&量的金融緩和政策でしか防ぎようがないというのが動かしがたい事実である。

彼の主義主張のロードマップ上に展開される
・量的緩和の縮小(=出口戦略)
・長期金利上昇の放置
・社会保障費削減
・消費税率引上げ
・歳出改革
といった施策を断行すれば、日本経済がどうなるか、硬い頭を使ってシミュレートしてみればよい。

こうした逆噴射的緊縮政策によって、間違いなく実体経済は凍結し、大デフレ時代の到来を経て崩壊へと突き進むだろう。
そして、その先に待っているのは、「失われた20年」なんて生やさしいモノじゃなく、「壊国した50年」や「途上国化した50年」であろう。

彼のように、「財政規律」を基点に物事を考えたがるバカ者は、政策の拡張性や発展性が皆無だ。

「財政」なんて、所詮は国庫を出入りする資金量の積み上げでしかないのに、財政規律の厳格性に拘る有意性などどこにあるのか?

どうも、財政破綻主義者の連中は、国家財政を企業会計の如くバランスシート化して考えたがるが、政府や日銀の資金の出入りをバランスシート的視点で捉える必要などない。
無理やりバランスシートに押し込めようとすれば、赤字だの、債務超過だのと要らぬ雑音が入り、経済政策のベクトルが緊縮へと振れやすくなる弊害が生じる。

通貨発行権を有する国家という存在をバランシート的発想で理解すること自体が不自然であり、大福帳でもつけて資金の出入りさえ管理していればよい。

肝心なのは、デフレや不況を放置したまま財政規律を死守することではなく、実体経済のメインプレーヤーたる民間経済主体のバランスシートを強化することだ。

佐藤氏みたいに、量的緩和の出口戦略を語るなんて時期尚早であり、日銀には、まだまだ大量の国債を飲み込んでもらう必要があるだろう。

日銀も、既発債は食べ飽きただろうから、政府も財政法第5条を改正して、新鮮で活きの良い新発債を大量に用意し、日銀に御馳走してはどうか。

2017年3月 3日 (金)

仕事は9回までに終えるべし

『プレ金、実際どうだった? 経産省の目論見外れる皮肉な結果に「自分には関係ない」』(SankeiBiz 2/28)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170228-00000500-fsi-bus_all
「月末金曜日は午後3時に退社し余暇を楽しもう-。停滞する消費を押し上げようと経産省が旗振り役となり、2月24日に鳴り物入りでスタートした「プレミアムフライデー」。
株式会社VSN(東京都港区)が実施した実態調査では、半数近くの人が「自分には関係ない」と他人事で、実際当日にイベントなどを楽しんだ人はわずか5.0%だった。
「今回は様子見」とひとまず見送った企業も少なくなかったようで、「中小企業はとてもじゃないけど無理」といった嘆き節も。(後略)」

月末金曜日の早帰りを促す『プレミアムフライデー』の初回は空振りに終わったようだ。

筆者も、「自分には関係ない」のうちの一人で、当日は急な仕事の依頼が入り泣く泣く残業を余儀なくされてしまった。(そもそも、筆者の勤務先では、プレ金の言葉すら囁かれることもなかったのだが…)

プレミアムフライデーの旗振り役が格好つけの経産省であり、かつ、世の中的には何の準備もなく急に出てきた話であったせいか、国民の反応がいま一つだったのは否めない。

“公式に実施したのは大手企業を中心に120社しかなかった”、“人手の足りない中小零細には無理”、“3時という終業時間設定は書き入れ時の飲食業にとっては営業妨害でしかない”などといった批判も多く、推進した側にとっては当てが外れたと言ってよい。

だが、筆者は、こうした取り組みを否定する気はない。
むしろ、ワーカホリックな日本人の労働観や生活観を改めるための一歩とすべきだと思う。

筆者の職場もそうだが、官民を問わず、我が国のサラリーマンは給料も上がらないのに働き過ぎだ。
日本企業にありがちな早出出勤や残業を無批判に尊ぶ風潮が、企業内社会と一般社会とを隔絶させ、『会社の常識=社会の常識』という勘違いを生み、パワハラ行為やセクハラ行為の横行を許容することにつながる。

こうした悪習の是正は、企業の自主的な取り組みだけに任せていては永遠に不可能であり、『企業や業界』というClosed worldの壁を取り払い、『世間の常識』という風に晒す必要があるだろう。

昨年12月15日にエクスペディア・ジャパンから公表された有給休暇の国際比較調査の結果によると、
①2016年の日本の有給消化率は50%と、3年ぶりに世界28か国中最下位となり、2年連続ワーストだった韓国を3%下回った
②休みを取ることに「罪悪感がある」と考える日本人の割合は約6割にものぼり、韓国に次いで世界で2番目に多い結果となった
③自身の有休支給日数を知らない日本人は約半数にものぼった。これは2位の韓国を二倍以上引き離しダントツでトップの結果だった
④日本人の22%が、休暇中にも関わらず仕事のメールを「一日中」見てしまうと回答。韓国に次いで2位の結果となった
という惨状で、日本の労働環境は最悪に近い。
【参照先URL】http://news.mynavi.jp/news/2016/12/15/402/

また、昨年10月12日に一般社団法人日本能率協会から公表された「第7回ビジネスパーソン1,000人調査(仕事と健康編)」の結果によると、
①残業をする理由は、「自身の日常業務が終わらないから」が最多で45.7%。次いで「突発的なことに対応する必要があるから」(27.6%)、「残業手当(時間外給与)が欲しいから」(15.8%)だった
②1日あたりの平均残業時間が3時間以上の人では、「自身の日常業務が終わらないから(50.0%)に次いで多いのが「職場が残業をする雰囲気だから」(27.1%)。長時間残業の背景には、職場風土の影響がうかがえる
③残業を減らすために職場に求めることは、1位「必要ない業務をやめること」(29.8%)、2位「残業をしない職場の雰囲気づくり」(28.6%)、3位「特定の人に負荷がかからない仕事の割り振り」(24.9%)となった
となり、残業の理由として、業務量の多さや職場の風潮などを指摘する声が多く、残業削減には、業務のスクラップ&ビルドや残業に対する意識改善が必要との意見が目立つ。
【参照先URL】http://news.mynavi.jp/news/2016/10/12/302/

筆者も、残業を減らし、無くすためには、
・経営者層の意識改革(権限移譲、内部向け業務の削減、会議の削減、適切な人員配置、残業=コストUPという意識の徹底、残業手当に頼らぬ給与体系実現)
・労働者側の意識改革(生活残業・付き合い残業・自己満足残業の停止、“残業=延長戦”だという意識の徹底)
という具合に、労使双方の考え方を根本から改める必要があると思う。

先ずは、自社内の企業内業務(内部向けの資料作りや決裁事務などのほか、社内政治も…)の削減に本気で取り組むべきだ。
企業の規模が大きくなればなるほど、業務量に占める企業内業務の割合が8~9割近くなっていると思われる。

例えば、
・役員に提出する新規プロジェクトのプレゼン資料を作るのに、役員ごとにフォントの指定が異なる
・企画部と購買部に提出する稟議書の様式がまったく異なり、作成が二度手間になるうえ、購買部の決裁日数は倍もかかる
・市場開発部に話と通す際には、A統括部長だけでなく、別ラインのB部長にも事前に根回しが必要になるのだが、B部長にアポ入れする前に、子飼いのD代理に話を通さねばならない
・お客様からの苦情処理専門部署がなく、総務部と管理部双方に報告せねばならないが、別々に対応指示が下りてくるから、対顧客よりも両者間の調整に手間取る
・同じ企画書を作る際に、管理部にはエクセルで、営業部にはワードで、しかも、D部長の分だけゴジック体の別バージョンで提出する社内ルールがある
等々、くだらぬ企業内業務に忙殺されているサラリーマン諸氏も多いだろう。

こうした悪弊を整理すれば、余計な残業時間を減らせ、対外的な業務に専念できるだけの十分な労働時間を確保できるはずだ。

さらに、「残業=イレギュラーな労働時間、余計なコスト、悪習、禁じ手」といったイメージや慣習を世間の常識として浸透させる努力が重要だ。

何だかんだ言っても、経営者という生き物は、周囲や業界の動きを横目で見て自社の方針を固めがちで、官公庁の取り組みや業界トップ企業の動きに右に倣えだったり、ライバル企業の取り組みを追随したりするなど、思った以上に周りの目を気にするものだ。

よって、「●●だから、残業するのは当たり前だ」という企業の常識は時代遅れで世間的にはまったく通用しない、という強い姿勢を見せつけることは相応の効果がある。

企業は、個々人が地経した労働の対価を得る場であり、自身の生活や人生を朝貢する場ではないという当たり前の常識を認識し、広く共有せねばならない。

労使ともに、残業という『延長戦』を前提にした仕事のやり方を廃し、9回までに仕事を片付けるという意識を持たない限り、働き方改革なんて絵に描いた餅に終わるだろう。

2017年3月 2日 (木)

地方なくして国土なし

『危ういポスト公共事業 地方経済、福祉に依存 ゆがむ分配(6)』(日経新聞 2/22)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO13204610S7A220C1MM8001/
「(前略)取材班は日本の社会保障制度を維持するには、可能な限り費用を抑えるべきだと考えている。しかし当然ながら、これへの反論も耳にする。中でも、ある医師の警告めいた言葉が気になった。
「社会保障費を抑えれば地方経済も疲弊する」
 医療や介護、年金にかかるお金が染み渡り、それを削れば地方経済も道連れになる。経済を「人質」にコスト抑制をけん制するかのように聞こえた。(中略)
高齢化が進む島根や奈良、愛媛県などでは年金が家計消費支出の2割を占め、厚生労働省は「地域経済を支える役割を担っている」と強調する。
 ただ高齢者が既に減り始めた地域もあり、社会保障頼みは行き詰まる予感も漂う。ゆがみを伴う「ポスト公共事業」は危うい道を進んでいる。」

筆者は仕事柄、地方の自治体や商工団体、金融機関、中小企業の話を聞いたり意見交換したりする機会があるが、ここ15年くらいの間に地方経済は加速的に疲弊している。

以前なら、地域の町村はともかく、中核都市に行けば、駅前通りはそこそこの賑わいがあり、商業施設や宿泊・飲食施設が集積し一定量の人通りもあったが、今や見る影もない。
駅前通りの商店街はシャッター通りと化し、人はおろか、猫さえ見かけない。
商業施設はすべて郊外のロードサイドに移設され、全国一律のチェーン店舗が立ち並ぶ味気のない光景が当たり前になってしまった。(実際には、ロードサイド店すら皆無の地域の方が多いのだが…)

筆者は、何が何でも駅前や商店街を活性化すべきとまでは思わないが、首都圏や政令指定都市以外の中核都市や地域の市町村の経済を、衰退するに任せ放置してはならないと強く感じている。

駅や公共施設を核とした中心市街地の衰退は止めようがないかもしれぬが、その地域全体という視点で経済規模や人口規模が縮小するのを喰い止め、中長期的には拡大させる努力が必要だ。

「田舎は不便だから人が減っても仕方がない」、「誰が好んで辺鄙な場所に住むのか」と放置するのは、国土の在り方を無視した近視眼かつ無責任な意見だ。

都会から地方へ強制移住させることはできないが、地方へ住んでもよいと考えている者が、雇用や所得条件が不十分なあまりに地方での生活を諦めざるを得なくなるような事態は、行政的措置を講じて避けるべきだろう。

人が住まなくなると、必然的に当該地域の社会インフラが放棄され、人の行き来が途絶えることになるが、それは実質的な国土の放棄につながり、最悪の場合、他国からの侵略のリスクに晒されることになる。
無人の尖閣諸島で起きている事案を見れば理解できるだろう。

ご紹介した日経の記事は、「地方の人間が、経済を人質に、社会保障費や公共事業費削減というコスト抑制をけん制するのはけしからん」、「地方は財政再建の足手まといだ」と言わんばかりで、公共事業や社会保障費を主要エネルギーとする地方経済をバカにしている。

首都圏をはじめ三大都市圏に住み、地方を単なる金食い虫だとしか思わないバカ者は、掃いて捨てるほどいるが、古くからの歴史的経緯と国策による投資(しかも、その財源は地方から集めた財投や税金)のおかげで何の苦労もなく膨大な社会インフラと民間企業集積というメリットを享受してきた都心部の連中に、蔑まれる謂われはない。

地方経済が公共事業に支えられてきた(=公共事業頼み)、あるいは、自衛隊や公教育施設、公立医療施設、農業団体の関連事業などに頼ってきたのは紛れもない事実だし、これから先の未来も同じような構図が続くのは避けられない。

日本には1,800近くもの自治体があるのだから、各々が特色ある産業を有し、民間主導で雇用の受け皿を作るなんて芸当は絶対に無理なのだ。

地方に自助を強いるのは見当違いも甚だしく、小泉バカ政権時代から減らされ続けた地方交付税交付金や公共事業費などを元に戻す必要がある。

そもそも、「公共事業は地方という穀つぶしに与えるエサ」、「地域で行う事業や地方へのインフラ投資=ムダ」という考え方自体、勘違いも甚だしい幼稚な中学生の発想だ。

日本からすべての地方が消滅し、消費するしか能がない三大都市圏と地方の政令指定都市だけが残ったとしたら、我が国の生産力は間違いなく壊滅する。

地方経済を活性化させて一定の人口集積を保持するために、地方交付税交付金や公共事業、社会保障費を地方へ適切に配分することは、国土を遍く均衡に保全するために最善かつ必要不可欠な措置だと理解すべきなのだ。

2017年3月 1日 (水)

インフレ恐怖症

『シムズ理論への言及「急浮上」 消費税増税「再延期の狙い」?』(J-CASTニュース 2/25)
http://www.j-cast.com/2017/02/25291333.html?p=all

詳しくは上記URLをご参照いただきたいが、記事ではシムズ理論を、
「FTPLは、国の借金の返済原資が足りない場合、増税ではなく、インフレで借金を「返す」という考えだ。例えば借金の半額しか返済原資がなければ、100%のインフレで原資の額面を2倍にすれば返せるという理屈だ。ポイントは、政府が、「増税ではなく、インフレで(借金を)帳消しにすると宣言すること」(日経新聞2017年1月29日付朝刊シムズ教授インタビュー)。それによりインフレ予測が高まり、モノの値段が上がる(お金の価値が下がる)前に投資や消費をしようとして、モノが売れ、物価が上がる理屈だ」
と解説しつつ、財政拡大は、物価上昇ではなく、単に国債のリスクプレミアムの増加による金利上昇を招くだけで望ましいシナリオではない、と否定的な見方をしている。

以前のエントリーでも述べたとおり、シムズ理論に対して、筆者は懐疑的な見方をしている。

なぜなら、
・FTPLの一義的な目標が、国民生活向上や経済成長ではなく、インフレ目標達成に置かれていること
・消費税増税の延期を提案しつつ、それが、インフレ目標達成までの期限付きに過ぎないこと
・どうやってインフレにするのか(=インフレ目標を達成)について、具体的な説明が欠けていること
・“政府債務は削減すべきもの”という文脈からインフレ活用を訴えていること
・財政政策を、インフレ目標実現のための道具とした考えていないこと
等々、彼の理論からは、どこからともなく怪しいリフレ臭が漂ってくるからだ。

だが、それでさえ、今回ご紹介した記事のような緊縮や改革にしか興味を持てぬ大バカ者に比べると、遥かにマシだと言える。

記事では、大手紙経済部デスク(たぶん日経だろう)のコメントを借りて、次のようにシムズ論を批判している。

「「財政拡大を始めたら、やめると景気を冷え込ませかねないため、実際にやめるのは困難で、結局、インフレをコントロールできなくなる恐れがある」とエコノミストは指摘する。」

「そもそも、インフレで財政赤字を帳消しにするということは、インフレで預金が実質的に目減りする国民の負担で財政再建するということ。公的債務が国内総生産の2倍にも達する日本で、すさまじいインフレが必要になりかねない。」

「国民の反発が必至のインフレとは言えないのだろうが、著名な学者の理論を借りて、実際には消費税率引き上げを再び先送りし、財政再建目標を撤回するお墨付きにしたいという狙いではないか」

先ず、財政政策を一旦始めると止められず、インフレを制御できなくなる、とのコメントは、緊縮派の常套句だが、こんなものは子供騙しの大嘘である。

この手の緊縮教徒(狂徒)に念を押しておくべきことは、
①財政政策は実体経済の主要エンジンであり、景気動向に応じて止めるべきものではないし、止めてはならない(無論、速度調整は必要だが…)
②インフレの制御はそれほど難しいものではなく、高度成長期でもインフレ率が二ケタ越えしたはたったの3回に過ぎなかった(残りは、せいぜい3~7%くらい)
という事実だろう。

「インフレさえ起こせば経済成長するはず」というリフレ論は幼稚な勘違いに過ぎないが、「巡航速度で経済成長させると自然にインフレ率が上昇する」というのは当然のことだ。

経済成長による分配の果実が適度なインフレを惹き起こし、生産性向上によってそれをコントロールする、というのが、経済政策の常道だろう。

次に、インフレで財政赤字を帳消しにしようとするなら、過激なインフレが避けられない、という極論にモノ申したい。

そもそも、“管理通貨制度&自国通貨建て内国債かつ保有者の大半が国内経済主体”という条件下で、財政赤字を帳消しにする必要など一ミリもない。
1,000兆円超の国債をすべて帳消しにするほど過激なインフレなんて起こせるはずがないし、起こす必要もない。

国債恐怖症に憑りつかれた狂人の心理を推し量ることはできないが、国債の何にそれほど怯えているのか?
そんなに国債返済財源が心配なら、政府紙幣発行権を駆使して国債整理基金を別建てで積み、マーケットの消化状況に応じて基金を取り崩して返済すればよい。

本気で国債を返済して償却してしまうと、債券市場の出物が枯渇するから、基金を積んで何時でも返せるぞというポーズを取るだけでよいのだ。

最後の、“消費税率引上げの再延期と財政再建目標撤回のお墨付きを与えるためにシムズ理論を利用するのはけしからん”との意見には、呆れてモノも言えない。

緊縮バカや財政再建バカの連中には、「消費税引上げ&財政再建という超緊縮政策の向こうに、日本経済のグランドデザインをどう描くつもりなのか、明確に説明してみろっ‼」と言っておきたい。

バカ者どもは、「インフレ=庶民の敵」とばかりにシムズ理論を警戒するが、彼らが支持する「超緊縮政策」という苛政がもたらす暴力的なデフレこそ、庶民から“雇用・所得・預金利息”を奪い去り、ささやかな成長への希望をへし折った張本人であろう。

周回遅れのシムズ理論にケチをつける暇があるのなら、そこからさらに2~3週は遅れている自らの不明をとくと恥じるべきだ。

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