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2017年3月30日 (木)

政治家がビジョンを語らぬ国に未来なし

『政治家の仕事はみみっちい財布(税金)の話をすること --- 渡瀬 裕哉』(アゴラ 3/26)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170326-00010002-agora-pol&p=1
「政治家はビジョナリーな空前絶後で超絶怒涛の公約を語ることよりも、現実の財布(=税金)の話をすることが本来の仕事であり、税支出の使途の妥当性を問うべきです。彼らは納税者の代表であって妄想を語ることは仕事ではありません。(中略) 筆者は東京都の政治家と都庁の役人に夢を見せてもらう必要はありません(後略)」

このコラムは、東京都議選に際して政治家がどんなレベルの公約を語るべきかについて論じたものだが、主張の幼稚さに頭痛がする。

渡瀬氏は文中で、次のように述べ、民尊官卑・民間主導の自助型社会の尊重を主張する。

❶政治家や官僚に社会のビジョン形成を求めること自体が時代錯誤で、「政治にビジョンの提示を求める」という行為をやめるべき
❷政治家と役人は余計なことをせずに粛々と行革、減税、権限移譲を進めるべき
❸起きながら見る夢とは民間人が努力する中で見るものであり、政治家ができることはそれを邪魔しないこと

現実の政治家選択システムの老朽化故に、政治の世界が「家業化」し、民意を収集できるシステムがまったく機能してないのは否めない事実だ。

しかし、それを理由に"政治家はビジョンを語るべきじゃない"と決めつけるのは、余りにも発想の次元が低過ぎる。

本来、政治家とは民の代表、民意の代弁者であり、彼らにビジョンを語らせずして、いったい誰が語るべきだと言うのか?

政治家や官僚の仕事が、細かい税金の分配でしかないとしたら、余りにも情けないし、そんな単純な作業なら、わざわざ高級官僚に任せずとも、消費者センターのおばちゃんにでもやらせておけばよい。

渡瀬氏の言う「現実の財布(=税金)の話をすること」とは、国民に要らぬ期待を抱かせるような話をするな、つまり、利権を産む余計な財出は許さない、税金の範囲内でできること以外するなという意味である。

行革だの、権限移譲だのと腹の足しにもならぬ妄想を騙って満足できるヒマ人はよいだろう。

しかし、実社会に生きる大半の国民や企業は、渡瀬氏が嫌悪する政治家や官僚の示すビジョンが産み出すビジネスや所得に頼って生活しているのだ。

彼のように青臭いピュアな民間信仰にかぶれた連中は、民主導(=企業主導)の自由放任主義こそ最上のシステムだと信じて疑わない。

だが、法人減税・低金利・労働規制緩和の三点セットの優遇措置を受けた企業が、大恩を忘れて雇用条件を切り下げたり、労働分配率を減らし続けたりして家計から需要力を奪い、社会システムを弱体化させたことを忘れたのか?

民間企業の好き勝手に任せたままやりたい放題にさせていると、社会のセーフティネットは簡単に崩され、民と民とを結ぶ経済的連関もズタズタにされ、国家は間違いなく瓦解する。

政治家や官僚が国家の行く末を示す大きなビジョンを提示する重要性は、高まりこそすれ低くなることはない。

ましてや、出口の見えぬ不況の闇の中を彷徨い続け、国民の絶望感や失望感がピークに達する今のような時代だからこそ、国民の失意に希望の灯火を当て、成長に向かい国民一人ひとりの奮起を促すための巨大なビジョンが絶対に必要だ。

社会や経済を主体的に動かすプレイヤーは、国民や企業という"民間"であるに違いないが、プレイヤーはあくまで執行者であり、企画立案・運営・管理の役目を果たせるスキルまでは持っていない。

戦略家と実戦部隊との役割分担や補完関係と同じ理屈で、各々が弱点を補い合わないと、システム自体が上手く稼働しなくなるものだ。

世の中には、あんな事業をやって欲しい、こっちの事業にも予算を付けて欲しいといった「国民のニーズ」がゴマンと転がっている。

こうしたニーズや要望を掬い上げて、キチンと予算を付け、速やかな解決を図るのが、政治家たる者の最重要任務だが、“民尊官卑”の思想に染まり切った現代では、こうした重要ポイントが欠落し、政治家や官僚自身が自分に課せられた職務の真の目的や意味を忘れてしまっている。

彼のように、「税金の範囲内での分配さえしておればよい」、「国民や住民に要らぬ期待を抱かせるな」というチマチマした発想では、大事は成し得ない。

ましてや、「政治家の仕事=税金のみみっちい話をすること」なんてレベルの低い発想なら、そもそも政治家など要らぬ。

渡瀬氏は、政治家が大きなビジョンを語ることを"妄想"だと揶揄するが、何のビジョンも持たずに民間人主導で社会を回していけるという氏の青臭い発想こそ「独りよがりな妄想」と呼ぶべきだ。

政治家は、チマチマした財布や税金の話をすべきではない。
予算の財源が足りなければ国債発行をして調達すればよいし、それで金利が上がるなら、日銀に引き受けさせればよいだけだ。
管理通貨制度下にある現代では、財源調達の手段なんて幾らでもあるのだから…

政治家に期待される役割は、口うるさい経理係みたいな狭小な発想で「入(歳入)」を語る類のものではない。

もっと大風呂敷を広げて、国民が直面する課題や問題という「出(歳出)」の口実や大義名分を拾い上げる努力こそが求められている。

「出」により課題解決の糸口を見つけられれば、それだけ国民生活の満足度が向上し、さらに、解決の過程で支出されたマネーにより新たな雇用や所得も生まれ、経済的好循環ももたらされるのだ。

「入るを量りて出ずるを為す」式の旧来のやり方では経済は成長しないし、国民所得を増やすこともできない。

「出ずるを図りて入るを為す」。
つまり、商機や所得につながる「出」を創り出す努力をせぬ限り、国民生活の満足度は上がらぬし、閉塞感を打破することもできぬことを、渡瀬氏のような人種は肝に銘ずべきだろう。

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