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2017年3月23日 (木)

紙幣の返済?

『「紙幣や国債は返済する必要がない」は本当か 「返済される」からこそ守られる大切なこと』(3/20 東洋経済オンライン 斉藤誠 /一橋大学大学院経済学研究科教授)
http://toyokeizai.net/articles/-/163330

斉藤教授の主張詳細は上記URLからご確認いただくとして、それを要約すると次のようになる。

①1万円札は「日銀がいつでも返済することを期待されている借金」。
紙幣は、江戸時代にコメ取引で使われた約束手形と同様に、「返済される」からこそ、日々無数の経済取引が紙幣を介して滞りなく取り結ばれている。

②今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはないが、依然として「いつでも返済される」という性質を備えている。

③「いつでも返済される」紙幣と「確実に返済を期待できる」国債が両輪となり1枚1枚の紙幣の流通が支えられている。

④日銀保有の国債を「いつまでも返済する必要がない」とするアデア・ターナー氏(英金融サービス機構・元長官)やジョセフ・スティグリッツ教授(米コロンビア大学)の主張や、国債の「返済されない度合い」は政策的に微調整でき「当面、返済されない」国債や紙幣の実質価値を下げて物価上昇を期待するクリストファー・シムズ教授(米プリンストン大学)の主張は、国債と紙幣が「返済される」という大前提により守られている通貨取引の仕組みを根底から殺めてしまう。

⑤社会にとって極めて大切な通貨制度の根幹を揺るがせ、公的債務を踏み倒し、通貨や国債の価値を毀損してまで物価上昇を達成しようとするような経済政策は「どうかしている」としか言いようがない。

先ず、上記の①②③について、斉藤氏は盛んに、「紙幣はいつでも返済されるべきだ」と主張し、紙幣を保有するものが、日銀から、その対価を何らかの形で“返済”されることに強くこだわっている。

一方で、「今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはない」と、管理通貨制度下における通貨の不兌換を認めている。

では、斉藤氏は、紙幣の対価として日銀は“何”を返済すべきだと言うのか?

先進国では、もはや、金本位制度を採っている国はなく、紙幣を金銀と交換してくれる国なんて何処にもない。

「通貨(紙幣)は中央銀行の負債である」というのが一般的な考え方(※筆者はそう思わないが…)だが、斉藤氏みたいに、中央銀行や政府を基点にして通貨や紙幣の返済性に固執し過ぎると話がややこしくなる。

通貨や紙幣は、実体経済や金融市場における取引を円滑に行うための媒体としての役割を担っており、個々の取引における債権・債務の決済に用いられている。

例えば、AがB商店で本を買う際に、Aは1,000円札をB商店に渡し、それを受け取ったB商店は、1,000円札の対価として本をAに渡す、つまり、渡された紙幣に対して、“本”という商品で以って「返済」するという商行為が起きる。

これは、返済云々というよりも商取引の範疇だろうが、このように、「紙幣の対価が、何らかの商品やサービスなどで決済(返済)される」という意味合いなら解らぬでもない。

しかし、紙幣を日銀や政府に突き付けても、何も返済しようがないではないか。
せいぜい、新しい紙幣と両替するくらいしかやりようがない。
(※ちなみに、日銀は、損傷した、あるいは、昔に発行した紙幣や貨幣の交換以外の両替行為などは行っていない)

また、斉藤氏の④⑤の主張について、氏は、ターナーやスティグリッツの無利子永久国債発行論や、政府債務のインフレによる解消を主張するシムズのFTPL論を、『国債と紙幣が「返済される」という大前提』を破壊するトンデモ論だと非難している。

筆者は、インフレ発生を目的化するだけのシムズ論には、正直言って賛同しかねるが、少なくとも、国債縮減必達論あたりで立ち止まったままの斉藤理論よりは、数段マシだと思う。

斉藤氏は、コラムの中で、「国債と紙幣が「返済される」という大前提によって1つ1つの通貨取引が守られている」と述べているが、通貨の信認と返済性とを混同していないか。

個人であれ、企業であれ、日常お金を使う際に、いちいち通貨の返済性を確認する者なんて一人もいない。
斉藤氏だって、大学から支給される給料を使う際に、円の返済性を気にしてなんかいないはずだ。

経済論壇でも、財政規律が緩むと円の信認が棄損し、通貨価値の大暴落により外貨へのキャピタルフライトが起きるなんて寝言を吐くバカ者を見かけるが、幻覚状態に陥っている者に限って、無価値なはずの“円”を必死に掻き集めようとして、自ら矛盾を露呈してしまうものだ。

通貨の信認は、発行国の供給力や治安状況、国民や企業の資産力、教育水準、法の強制力・遵守力、労働規範、商慣習、流通インフラ、金融システム、徴税力、知財権等々総合的な信頼性によって担保されるものであり、返済性なんて何の関係もない。

また、斉藤氏は国債の返済性も心配なようだが、国債は償還期に同額の新発債を発行し、永久債に切り替えて永遠にロールオーバーすればよいだけで、そもそも実質的という意味において返済の必要などない。

国債は、国民や企業、投資機関の財産であり、それを逓増させて、いったい誰の腹が痛むというのか?

国債償還財源が心配なら、政府紙幣発行により償還相当額を基金として積み立てておればよい。
本来なら、そんなものは不要だろうが、我が国には斉藤氏みたいに、国債を民間の借金と取り違えて怯えたがる痴れ者がたくさんいるから、そうした臆病者たちを安心させられる程度の意味合いはあるだろう。

斉藤氏は、紙幣の返済云々にこだわるつもりなら、何を以って返済すべきかをきちんと明示すべきだ。

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