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2017年7月18日 (火)

カネを貸せば景気が上向くという勘違い

金融の仕事、とりわけ「銀行業務」は、一般の人々にとって馴染みの薄いものだろう。
「銀行員は3時にシャッターを下ろした後で何の仕事をしているの?」、「銀行って、困った人にはお金を貸したがらないよね」、「銀行なんて、担保さえあればいくらでもカネを貸してくれる」なんて考えている人は山ほどいる。

銀行や銀行員にまつわる世間のイメージは様々で、中には、図星のものもあるが、まったくの誤解や周回遅れ気味の偏見でしかないものも多々ある。

『日経新聞“春秋”(7/9)』
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO18649750Z00C17A7MM8000/
「明治に入って、武士が給与として米や金銭をもらう仕組みは廃止された。代わりに士族が受け取ったのが今でいう国債だ。旧津軽藩士たちはその運用をしようと、銀行の設立を考えた。元家老の大道寺繁禎らが相談したのが、すでに銀行を開業していた渋沢栄一だった。
▼渋沢は手厳しかった。士族の救済だけの銀行ではダメだ、と説いた。銀行とは民衆からお金を集めて必要とする人に融通し、国を富ませるところと考える渋沢には、旧藩士たちが思い違いをしていると映ったのだろう。(略)
▼(略)ところが今、地銀の多くは国債や外債の運用に依存する。マイナス金利政策のもと、貸し出しで稼ぐのが簡単ではない事情はあるが、銀行本来の役割を十分に果たしているようにみえないのは残念だ。
▼(略)自分の地域ではどんな産業が必要とされ、どんな事業を伸ばせばいいか。地銀の経営者は描けているだろうか。」

ここ最近の銀行に対する誤解の最たるものは、春秋のコラムみたいな「金融機関の地域産業牽引機関説」だろう。

例えば、金融庁の資料に目を通すと、地域の金融機関に対して、
「融資先企業の経営課題の解決に資する融資・コンサルティングの提供が必要」
「地域のグランドデザイン作りと自らの業務・ビジネスモデルである企業・産業支援を連携させて地方創生に貢献すべき」
「金融機関は、見通しの立たない会社に対しては、転廃業やM&Aを促すことも必要」
などと過剰な期待と負担を掛ける記述が目立つ。

要は、行政としての怠慢や不作為をほったらかしにして、地方創生の責任を金融機関におっ被せた挙句、ゾンビ企業に引導を渡す介錯人の役目まで押し付けようとするありさまだから、呆れてモノが言えない。

春秋のコラムでは、「銀行とは民衆からお金を集めて必要とする人に融通し、国を富ませるところ」と語った渋沢栄一の理想の高邁さを持ち上げているが、この不況下で、肝心要の『お金を必要とする企業や人』自体が減っているという事実を意図的に見落としていないか?

直近の日銀データによると、国内銀行の預貸差(平成29年4月)は約276兆円と、3年前と比べて65兆円以上も増えている。
確かに、貸出も+2~3%のペースで伸びてはいるが、預金増加のスピードは、その倍以上にもなり、両者の差は拡がる一方だ。

一部の商人を除くあらゆる経済主体が、常に金欠で資金需要が逼迫し、高金利が当たり前だった江戸時代や明治時代ならいざ知らず、不況による需要不足が猖獗を極める現代では、「企業や民衆は、貯金ばかりしてお金を借りてくれない」というのが厳然たる事実だろう。

ところが、一般大衆のみならず、政府やマスコミ、エコノミスト、学識経験者、官僚などといったエスタブリッシュメント気取りの連中までもが、「景気が上向かないのは銀行が企業にカネを貸さないせいだ」、「金融機関のコンサル能力欠如が地方創生の足枷になっている」などと、小学生レベルの言いがかりを、真顔で付けてくるのだから、開いた口が塞がらない。

借入を嫌う企業に、銀行が無理やり「押し貸し」して景気が回復し、地方創生が叶うのなら、これほど簡単なことはないが、事実は違う。
低調とはいえ、ここ3年ほど国内銀行の融資実績は対前年比で2~3%UPしてきたのだから、「融資増加=景気や地方の活性化」が真実なら、とうの昔に日本経済は成長軌道に乗っているはずだが、現実は真逆で、長い不況のトンネルを抜け出せずにいる。

そもそも、銀行が押し貸ししたとして、融資資金を勝手に口座に振り込まれた企業は、そのお金を一体何に使えばよいのだろうか?

さらに言えば、企業は、銀行に対して素人紛いのコンサルティング機能なんて期待していない。
まともに、モノやサービスの開発や製造、物流、売り買いのどれひとつやったこともない銀行員が、経験豊富な実業家に説教を垂れるほどの経営スキルを持っているはずがないからだ。

思えば、明治初期のように産業の芽が勃興し、旺盛な資金需要があった時代は幸せだった。
今のように、資金需要が冷え切った時代は、銀行が「自分の地域ではどんな産業が必要とされ、どんな事業を伸ばせばいいか」と頭を悩ます以前の問題で、銀行に資金を求め新たな事業の開拓に熱意を滾らす起業家自体が見当たらない。

春秋のコラムは、旧き良き時代の銀行の在り方に固執したまま、融資先の開拓に苦心する現代の金融機関を批判しているが、往年の渋沢翁が銀行たるものの理想を追えた時代とは経済を取り巻く環境が違い過ぎることを端から見落としている。

バブル期以前には、「金融業界は経済社会の血液」だと持て囃された時代もあったが、不況による需要不足を病根とする低体温症に苦しむ産業界は、血液循環のスピードが低下し、もはや大量の血液すら必要としないほど重篤な症状に陥っている。

金融機関なんて外部が想像するほど自立的な存在ではない。
極論を言えば、産業界に寄生し、資金供給や決済機能を仲介するだけの生き物に過ぎないから、宿主たる産業界やマクロ経済が健康でないと、忽ち栄養供給が断ち切られてしまう。

寄生虫が幾ら元気を出しても宿主を健康にすることはできないが、幸いなことに金融機関は有り余るほど潤沢な預金量を抱えているから、政府の適切な財政金融政策が打たれ、産業界が活性化した暁には、あらゆる経済主体からの資金需要に応え得るだけのポテンシャルは十分にある。

「銀行員は高い給料を貰っておいて、企業のコンサルひとつできないのか」と批判するのは勝手だが、いくら銀行を突いて融資増強を急かしても、需要が停滞したマクロ経済は微動だにしない。
ガソリン(融資)をいくら注ぎ込んでも、経済を突き動かすエンジン(需要)が故障したままでは車を動かすことなど不可能だ。

外野の人間は、融資(債務)を単なるお金(所得)と混同して誤用しがちだが、融資の借り手が元金に利子を付加した返済義務を負う以上、融資が漸増する経済環境を創り出すには、借り手の事業マインドや投資マインドを、かなり高レベルに過熱させる必要があることをよく理解すべきだ。

企業がカネを借りてでも十分な利益を見込める投資環境の創出こそが問題の根源であり、マクロ経済が活性化して初めて銀行本来の機能も発揮されるのだ。

経済政策を司る者は、こうした基本を忘れてはならない。

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