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2017年7月 5日 (水)

成長を諦める国民に明日はない

『かつて民主主義は資本主義と蜜月関係だった~なぜ民主的でないルールが広がったのか』
(7/2 東洋経済ONLINE 的場昭弘/神奈川大学国際センター所長、教授)
http://toyokeizai.net/articles/-/178396
「最近、資本主義経済の未来に対して、悲観的観測が多い。リーマンショック以後10年が経とうとしているのに、資本主義社会にこれといったしっかりとした復活の兆しがあるわけではない。先進国の成長率は1%前後である。(略)
日本においても、世界においても、かつてのような民主主義的な議論が乏しくなりつつある。民主的過程を経て、何かが決まるのではなく、先に何かが先行し決まっている、という感じだ。それに対する批判も、ほとんど問題にさえされないときているので、ストレスは溜まる一方である。(略)」

上記コラムの中で的場教授は、次のように指摘している。

①“1970年代に先進国を襲ったスタグフレーション”と、“大量消費社会の終焉と賃金の上昇”が、資本主義の利潤率を低下させて急激な経済停滞”を生み出し、それが新自由主義を蔓延させるきっかけになった。

②新自由主義的思想は、利潤率低下や経済停滞の病根たる賃金上昇やストライキの頻発といった“民主的権利意識”を廃除する救世主として忽ち世界中に拡散され、その壮大な社会的実験場こそが「EU」である。

そのうえで、的場氏は、EUという、国民の民主的意思や国家を超えた特異な組織では、政治家が国民の利益を一顧だにせず、すべての物事は、国民の負託を受けてすらいない一部の経済界と官僚主導により都合よく進められてしまう“非民主的形態”が常態化していると指摘し、
「政府は国民を忖度するのではなく、他国の首脳や経済界を尊重して、どんどん新しい法律をつくりあげていく。まさにそのさまは、グローバル化という魔力が国民主権を危機にさらし、市民権を奪い去ろうとしている姿でもある。
なるほど地球は今、一つの世界国家に近づきつつあるという表現ができるかもしれないが、その実態は資本とその代弁者であるエリートによる世界国家にすぎない」
と喝破している。

筆者は、政治が国民の意思から離れること自体は、何も最近始まったことではないと思うが、政治家が国民の利益を考慮せず、経済財政諮問会議や産業競争力会議などといった類のいかがわしい審議会や懇談会に政策提案を丸投げして、財界やエコノミスト、マスコミ、識者、官僚という極一部の「インナーサークル」の意思や利益に沿った政策ばかりを行う様に、激しい憤りを覚えるし、反吐を吐き掛けたい気分だ。

何より問題なのは、政治にコケにされた当の国民が、自らを足蹴にする政治家の姿勢を、「旧弊を打破する構造改革」だの、「民間的発想の導入」、「官主導から政治主導へ」、「決められない政治からの脱却」などと評価し、放任していることだ。

“下がり続ける平均収入”、“上がり続ける社保料と消費税率”、“雇用の不安定化と非正規雇用の増加”、“蜃気楼のように後退を続ける年金支給開始年齢”、“移民受容れによる社会不安増大”、“TPPやEPAといった不平等貿易の促進”、“中身が空っぽの地方創生”等々、新自由主義思想に染まった為政者の迷走ぶりは目に余り、国民生活に直結する経済指標は低迷を続けたままだ。

しかし、国民はそれを批判するどころか、「財政政策は子孫にツケ回しするだけの愚策だ」、「生産資源を適正に配分するには聖域なき構造改革しかない」、「グローバル化は世界の潮流だ」という新自由主義者の甘言にコロリと騙され、自らの身を危うくする苛政を熱烈に支持するのだから、もはや救いようがない。

新自由主義者の騙しのテクニックは、
①国民から、「希望」や「成長」の芽を断つ(=積極的な財政金融政策をタブー視)
②自信を喪失した国民をシバキ上げ、情緒的不安定状態に陥れる(=相互不信感の蔓延)
③待遇や社会的地位の僅かな差異を針小棒大に喧伝し、吊るし上げる(=「公務員・農協・土建業者・正社員・男性」を魔女狩りのターゲット化)
④生活が良くならないのは利権に巣食う奴らの所為だと魔女狩りを始める(=「公務員・農協・土建業者・正社員・男性」叩きを煽情)
⑤魔女狩りによる景気悪化を、“改革が足りないせいだ”、“利権に群がるゴキブリの所為だ”と他人の責任にすり替える
⑥現状を変えるには“改革しかない、規制緩和しかない、歳出削減や社会保障削減しかない”と強弁し続ける
という、まことに幼稚かつ単純な手口だが、こんなものに騙される国民がウヨウヨいるから開いた口が塞がらない。

国民を騙すテクニックで最も肝要なのは、「景気や経済の話と、“お金”との関連性を断つこと」なのだ。

経済活動や、その結果としての景気動向は、モノやサービスの生産と消費、投資の連環の上に成り立つものだから、景気を良くして欲しいという国民の切なる願いを叶えるには、実体経済への貨幣投入量を増やさざるを得なくなり、新自由主義者どもが忌み嫌う財政金融政策を避けて通れない。

そうはさせじと考えた新自由主義者は、景気や経済とお金との関係性を切り離して、「財政支出は子孫に借金をツケ廻しするだけの麻薬だ」、「構造改革による生産性向上でグローバル競争に打ち勝つ以外に手はない」、「経済にフリーランチはない、ポピュリストに騙されるな」と国民に向かって訳知り顔で説法し、景気や経済はお金ではなく“個々人のやる気や倫理の問題”だと大嘘をついて騙し続けてきたのだ。

一方の国民の側も、毎日のようにお金を使い経済活動の循環に手を貸しているにも関わらず、お金と経済との関係に無理解や無関心を貫き通し、新自由主義者どもの怪しい新興宗教に進んで騙され続けてきたと言っても過言ではない。

新自由主義者から緊縮受忍の精神を強要され、それを妄信し切った国民は、すっかり成長や自らの幸福を諦めてしまったように見える。
昨今の選挙が、国政や地方政治を問わず、改革自慢しかしない新自由主義者どもの縄張り争いと化したさまを見れば、それがよく解る。

いまや、選挙に勝とうとするなら、いかに国民に対して厳しい事が言え、その夢や希望を断てるかが問われる。

本来なら、デフレ不況に苦しめられる国民に成長や分配を語り、未来への希望と活力を与えるのが政治家たるものの役割だろう。
だが、現実はまったく逆で、国民の利益を忖度する政治家はジャンクや詐欺師だと蔑まれ、国民をシバキ上げようとする自称改革者こそが本物の政治家だと崇められるような倒錯した時代なのだ。

国民ファーストや都民ファーストといった精神や掛け声を、政治家任せにしているうちは、何も変わらない
国民自身が、国民ファーストの考えを尊重し、その実践を強く政治家に求めぬ限り、暗澹たる不況が終わることはない。

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