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2017年9月28日 (木)

財源なら幾らでもある

『年金受給「70歳以降からも可能」提言 有識者検討会』(9/13 朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00000009-asahi-pol&pos=5

「高齢化に対応する社会づくりを議論している内閣府の有識者検討会は12日、公的年金の受給開始年齢を70歳より後にできる仕組みづくりを盛り込んだ提言の骨子案をまとめた。政府は提言をもとに、年内に中長期的な高齢者施策の指針となる「高齢社会対策大綱」の改定案を閣議決定する見込みで、導入の是非をめぐって議論となりそうだ。
 年金の受給開始年齢は原則65歳だが、今も60~70歳の間で開始年齢を選ぶことができる。早くすれば65歳から受給するより受給額が最大で30%減り、逆に遅くすれば最大42%増える。
 骨子案では、高齢者にも高い働く意欲がみられる現状があるとした上で、「繰り下げを70歳以降も可能とするなど、より使いやすい制度とするための検討を行ってはどうか」と記した。具体的な年齢は盛り込まれなかったが、7月の検討会では委員の1人から75歳まで延ばしてもいいとの意見が出た。(略)」

今年1月に日本老年学会と日本老年医学会の連名で、“高齢者の定義を現在の65歳から75歳に引き上げるべき”との提言があった。
また、昨今、公務員の定年年齢を65歳に引き上げる議論もスタートし、巷では、「年金受給開始年齢引き上げに向けた布石だ」との批判も強い。

そして、誰もが懸念したとおり、政府が有識者の口を借りて、年金受給開始年齢の引き上げ構想を堂々とぶち上げてきた。

消費税率10%への引き上げ論議もそうだが、為政者たちは、なぜ、国民に負担を強いる政策に熱を入れたがるのか、国民感情を逆撫でする杜撰な神経を疑わざるを得ない。

我が国の少子高齢化が深刻化するにつれ、年金を含む社会保障関連費は毎年2~3兆円の自然増が見込まれ、政府や財務省が予算抑制に躍起になっている。

昨年度の年金支給総額は、予算ベースで56.7兆円と2010年の53兆円との比較で6.9%伸びており、今後も2020年度に58.5兆円、2025年度には60.4兆円にまで増えると推計される。

これが「単なる無駄なコスト」にしか見えない連中は、“最近の高齢者は元気だ”、“高齢者の働く意欲は高い”と持ち上げてワーカホリックな日本人の琴線を刺激し、“年金お預け”を謀ろうとする。

確かに、電通総研の調査によると、60代の男女のうち「現在、働きたい」と思う割合は、60代前半で60.5%、60代後半で50.8%となり、働いている 60 代男女の 7 割が、現在の働き方に「満足」し、「働けるだけで満足」との割合も半数近いとのデータもある。
【参照先】http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015074-0702.pdf

だが、データを裏返すと、60代の人間で「もう、働きたくない」という割合が半数近くいるのも事実だし、そもそも、日本人の働く意欲と、年金受給開始年齢引き上げ問題とは全く別次元の問題として捉えるべきだ。

上記の調査では、「思ったより収入が少なかった」と収入面のギャップに面食らう割合が比較的高く、高齢労働から得られる収入が十分ではない様子が読み取れ、“働いているのだから年金なんて不要だろ”というわけにはいかない。

死んでも働きたがる日本人の病的な勤労症を放置したまま、定年や年金受給年齢をズルズル引き伸ばせば、死ぬまで年金受給できぬ層が爆発的に増え、年金制度そのものが悪質な国家的詐欺との誹りを免れまい。

60歳を超して働いていようがいるまいが、年金支給開始年齢は60歳からとすべきだ。
働くか否かの選択は個人の自由で、それと年金受給の問題とは別の話だろう。

年金に投じられる60兆円近い資金をコスト扱いしかできぬ連中は、それが個人消費を刺激する貴重な財源になるという重要な側面を見落としがちだ。

高齢者に年金を渡しても貯金するだけとの意見もあるが、60歳を過ぎても働きたがるような元気なシニア層が雇用所得に加えて年金を手にすれば、元々消費性向の高い層でもあり、国内に莫大な需要の塊が生まれ、国内企業のビジネスチャンスも拡大する。

高齢者ばかり優遇するのはけしからんとの意見も出るだろうが、社会保険料負担の軽減、未成年層の医療費免除、大学教育の無償化、児童手当の増額、子育て世代への減税措置、住宅ローン減税の拡大等々、現役世代の実収入を増やす施策を強力に要求すればよい。

こうした施策は、財政赤字の拡大や消費者物価の上昇といった副産物を生むかもしれない。
しかし、収入が増えぬまま、遠のく一方の年金を指を咥えて眺めるよりも、確実に収入が増え続ける環境下で、生産性を上げつつマイルドなインフレと闘う方が遥かに楽だし、努力のしがいもあるだろう。

年金・医療・介護といった社会保障は、国民の誰もが受益者となるべき最重要な分野であり、関連予算の安易な削減などご法度だ。

既存の社会保険料や税で財源が足りぬなら、日銀の国債引き受けや政府紙幣発行などで財源を補填してやればよい。

そもそも、国民全員が必ず恩恵を蒙る施策に、予算の縛りを入れる発想自体がおかしいのだ。
世界有数のインフレ対応力を有する我が国では、財源問題を論じること自体がどうかしている。

人生の7割以上を勤労に捧げてきた高齢者が、年金すら貰えずに毎朝満員電車に揺られて通勤せねばならず、会社では自分の息子みたいな年齢の上司からドヤされるなんて、あまりにも惨めすぎる。

それよりも、十分な年金が貰え、日本中何処に住んでいても医療や介護サービスが直ぐに手の届くところにある環境を創る努力こそ必要ではないか。

我が国には財源なんて幾らでもあるのだから、海外が羨むほど高度な福祉モデルを構築し、世界に範を垂れるべきだろう。

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