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2017年10月

2017年10月30日 (月)

「消費税は平等」と主張するエセ論者

我が国は20年もの間、世界でも稀な“非成長国”たる地位に甘んじてきたせいか、多くの国民は経済成長の大切さを忘れ、雇用の質や所得の向上に諦観の念を抱きつつある。

“希望失調状態”に陥り抵抗力を失くした国民の周囲には、いかがわしい学者や論者が跋扈し、増税や社会保障費&歳出の削減を囁きつつ、国民の意識から“希望や期待”を完全に消し去ろうとする。

実際、消費増税や社会保障費削減を声高に叫ぶエセ論者(自称プロの経済学者)の中には、次のような主張をする者がいる。

①GDPの6割を占める消費が弱いのは、国民が「社会保障制度の持続可能性」に不安を抱えて貯蓄に勤しみ消費を手控えているせいだ。

②増える一方の社会保障費を増税なしで賄うとすれば、無税国家にして100兆円規模の国債発行が必要になるが、そんな馬鹿な真似はできない。

③社会保障費を捻出するには消費税増税しかない。
消費税は「一番平等な税」だ。なぜなら、個々人が得る所得は、生涯を通じて必ず消費に回るからだ。所得に占める貯蓄割合が高い高所得者だって、将来消費するために、いま貯蓄をしているに過ぎない。

巷で学者やエコノミストを称したり、経済本(※売れぬまま在庫山積みのようだが…)を出したりする“プロ気取りの連中”が、レベルの低いバカ論を垂れ流すのには呆れ果てるしかない。

残念ながら、エセ論者の空論は現実の前では哀れなほど無力だ。

内閣府が行った調査(国民生活に関する世論調査H29)によると、政府に対する要望として多かったのが、
「医療・年金等の社会保障の整備」65.1%
「景気対策」51.1%
「高齢社会対策」51.1%
「雇用・労働問題への対応」37.3%
といった課題で、これらは、国政選挙の際に各政党へ求める政策とほぼ一致する。

これらの項目を素直に読み解くと、
「年金支給開始年齢引き下げや医療・介護費用負担の軽減、子育て支援の充実などの社会保障制度を拡充してほしい」
「景気対策をして、仕事を増やし、所得を向上させてほしい」
「高齢者が安心して暮らせるよう医療費・介護費用負担の削減、地域医療体制の充実を図ってほしい」
「雇用の質を上げるために、非正規雇用から正規雇用への登用拡大と長時間労働の規制強化を実現してほしい」
といったものになるだろう。

だが、エセ論者は、「医療・年金等の社会保障の整備」という国民の声を「社会保障制度の持続可能性確保」、つまり、『社会保障費の削減とサービスの切り下げ』にすり替え、社会保障制度の縮減と劣悪化を前提に話を進めようとするから始末が悪い。

先ず、①の国民の消費力低下は、社会保障制度の持続可能性に対する不安ではない。
単に、雇用の質が劣化(非正規割合増加やポスト削減等による不安定化)し、所得が低迷(1997年をピークに長期低迷中)し続けている厳しい環境下で、増税や社会保障費負担の増加による支出増が相次いだことが原因であることくらい小学生でも解る。

多くの国民は現行の社会保障制度にさえ強い不満や不安を抱いているのに、この上更なる制度の劣化を許せば、社会保障に対する不安は益々増大し、将来不安を抱えた国民は消費をもう一段抑制し、貯蓄に励まざるを得ないだろう。

次に、②の大規模国債発行や無税国家不要論について、逆に100兆円規模(※2016年度予算ベースでは保険料66兆円、税金45兆円)にもなり、年間2兆円近いペースで増加する社会保障費を、社保料や税といった国民や企業負担で賄い切れると考える方がどうかしている。

社会保障費の増大は、少子高齢化や生産年齢人口の減少という人智の及ばぬ天災(=人口動態の変化)によるものであり、長期不況で疲弊しきった国民や企業にこれ以上の負担を求めるなど愚の骨頂だ。

大規模国債発行や日銀の直受け、政府紙幣発行など、国民負担にならぬ手法を積極的に活用して社保財源の国民負担率をもっと減らしてあげないと国民の消費力(=需要力)は上がらない。

最期に③の“消費税は平等な税”なる質の悪いまやかしについて指摘しておく。
その根拠となる「個々人が貯め込んだ過去の貯蓄は、必ず老後に使用される」という妄想は、生活実態を何一つ知らぬシロウト論でしかない。

旭化成ホームズの「親と子の財産相続に関する意識調査」によると、土地・建物・預金・貯金を合わせた遺産の総額平均は4,743万円で、うち土地や建物分3,047万円を除くと、預貯金などの金融資産は1,700万円近くにもなる。
この数値は、65歳以上の世帯平均貯蓄額(2,499万円)からしてほぼ妥当な水準であり、実際には、一般の国民は貯蓄を全て使い切ることなく多額の資金を使い残したまま生涯を終えている。

そもそも、“誰もが生涯で所得を使い切るから、消費に掛かる消費税は平等な税だ”という論拠自体がまったく意味不明なのだが、所得の多寡に対する逆進性が極めて強い消費税が平等なはずがない。

GDP成長の四番打者である個人消費活性化のためには、消費力を担保する所得の増進が欠かせず、所得増進のためにはその源泉となる他者による消費や投資の活性化が不可欠だ。

消費税という存在は、個人・法人を問わず、消費や投資へ無用なペナルティーを課す悪税であり、消費や投資が生み出す所得の発育の妨げにしかならない。

屁理屈と詭弁ばかりで消費増税と社会保障制度の劣悪化を訴えるエセ論者は、顔を洗って経済の基本から勉強し直すべきだろう。

2017年10月25日 (水)

「小さくて無責任な政府」

『いま大きな政府か将来もっと大きな政府か』(10/22 アゴラ/池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/2029055.html

「(略)日本には小さな政府を志向する保守政党がないという傾向は、今度の選挙の公約でますますはっきりした。消費税を予定通り上げる(一部は流用する)自民党と、それに全面的に反対する野党という対立は、世界的にみると珍しい。アメリカでも医療保険や減税をめぐって対立が繰り返されているように、大きな政府か小さな政府かが主要な対立である。
日本でそういう対立が成り立たないのは、国債発行の歯止めがなくなったからだ。(略)
与党も野党も社会保障給付を減らさない状況での国政選挙は、負担の大小ではなく、そのタイミングの選択に過ぎない。だが政府債務(社会保障給付)の水準を選ぶことはできるが、金利上昇のタイミングを選ぶことはできない。日銀が財政ファイナンスを続けても、含み損を蓄積するだけだ。(略)」

上記コラムの中で池田氏は、「大きな政府か、小さな政府か」を縦軸、「改憲か、護憲か」を横軸にして主要政党をカテゴライズし、「自民・希望・維新」を改憲に、「立民・公明・共産」を護憲グループに色分けしている。

実際、自民党なんて、5年近くも改憲勢力を保持しながら改憲論議から逃げ回ってきた“口先改憲”グループに過ぎないのだが、まぁ世間一般の理解としてはこんなものだろう。

不可思議なのは、池田氏が主要政党を全て“大きな政府支持グループ”に色分けしている点だ。

政府規模の大小に関する池田流の判断基準は今一つ明確ではないが、コラムを精読すると、恐らく「社会保障制度の改悪や歳出削減に熱心かどうか」をポイントにしたがっているように見える。

最近、“大きな政府”という言葉をめっきり聞かなくなったが、ネットで検索すると、次のような解説が付されている。
『政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする考え方。政府の財政支出が増えるため、税金や社会保障費などの国民負担率が高くなり、「高福祉高負担」となる傾向がある』(デジタル大辞泉より)

池田氏が、何処をどう勘違いして全ての主要政党を大きな政府呼ばわりするのか、まったく意味不明だが、各政党の党首や幹部の日頃の発言や、先の選挙公約を眺めても、「社会資本の整備・国民生活の安定・所得格差の是正」に熱心な政党なんて見当たらない。

しかも、社会保障費の削減や緊縮財政、増税を声高に訴えるバカ者は多数見かけたが、「政府による聖域なき財政支出」を積極的に訴える政党など皆無であった。

ましてや、現在や将来の日本の社会保障制度を指して、その「高負担」ふりに不満を覚える者こそあれ、その内容が「高福祉」だと満足する国民などいない。
それを証拠に、国政選挙があるたびに行われる世論調査では、優先処理してほしい事項として「社会保障の拡充」を訴える意見が常に最大勢力と化しているではないか。
我が国の社会保障制度が「高福祉」と呼べるほど立派なものなら、国民から文句が出るはずがなかろう。

サラリーマンの平均年収は、1997年→2016年にかけて467万円→422万円へ10%近くも減少した中で、社保と租税の国民負担率は37.1%→43.9%と大幅に上昇し、社保負担率も13.1%→17.8%へ大きく増えている。

また、政府内や財政審の連中から、年金支給開始年齢の70~75歳への引上げの声が上がり、世のサラリーマン諸氏は「俺らは死ぬまで年金を貰えそうにないな」と自嘲するしかない。

さらに、財政審から、75歳以上の後期高齢者の医療費負担割合を1割から2割へ引き上げるよう提言がなされ、経済財政諮問会議では、度々、民間委員の連中から、消費増税と社会保障費の削減とをセットで議論するようケチをつけられるなど、社保制度の圧縮や関連費用の削減話ばかりが先行している。

こんなボロボロの社会保障制度のどこが「高福祉」なのか?
単に、質の悪い「低福祉・高負担」でしかなかろう。

池田氏は、社会保障費削減や消費増税を渋る国民や、国民負担を先延ばししようとする諸政党の態度を非難し、我が国には大きな政府(※池田基準)を志向する政党しか存在しないと嘆いて見せる。

だが、実際に各政党の政策や公約を精査すると、緊縮的財政運営や消費増税、PB黒字化を前提とした緊縮&改革政策ばかりで、既存政党を大きな政府呼ばわりする彼の認識は、現状誤認も甚だしい暴論だ。

誰がどう見ても、各政党は「大きな政府」ではなく、「小さくて無責任な政府」にしか見えない。
池田氏は、顔を洗って各党の政策や公約をよく見直すべきだろう。

今回の衆院選の結果は、壊国街道を驀進する自民党がほぼ現有勢力を維持するという誠に残念な結果に終わったが、調子に乗って「しがらみのない政治」や「身を切る改革」を連呼し、聖域なき歳出削減や社保切り下げを訴えていた希望と維新のバカ者どもが惨敗を喫したことは唯一の収穫だと言える。

今後、自民党の連中は、選挙結果を以って「国民から消費増税の信認を得た」と大きな顔をするだろう。
だが、それなら、希望や維新という自称改革勢力の惨敗という結果を以って、「国民は、腹の足しにもならない“しがらみのない政治”や“身を切る改革”を拒否した」と言えるのではないか。

2017年10月23日 (月)

消費税率引き上げ凍結より先の話をこそすべき

先の衆院選は報道各社の事前予想どおり与党の勝利に終わったが、その間、識者による言論空間では、国民ニーズに唾を吐きかけるような実にくだらぬ座談会が行われていた。

【言論NPO座談会】『アベノミクス実績と、今回の衆院選で政治は何を説明すべきか』(10/14 特定非営利法人言論NPO)
http://www.genron-npo.net/studio/2017/10/npo_8.html
〈出演者〉
湯元健治(日本総研副理事長)
早川英男(富士通総研エグゼクティブ・フェロー)
加藤出(東短リサーチ社長、チーフエコノミスト)
工藤泰志(言論NPO代表/司会)

出演者の顔触れを見た瞬間に、内容を読まずとも、座談会が「財政再建・構造改革・規制緩和」の大合唱に終わるであろうことは想像に難くない。

実際に、各人の発言をピックアップすると、
早川:「財政サイドは日銀の金融緩和が続くことを前提にして、財政の健全化を少しも進めていない」(※一部、筆者による編集あり。以下、同じ)
加藤:「金利が低いということで痛みがないがゆえに財政再建へのモチベーションが出てこず、結局は問題先送りというか時間の浪費になってしまっている」
湯元:「三本の矢のうち金融・財政政策はもう限界まで来ていますし、これ以上の効果は望めない状況ですから、もう手じまいに向かうべき。実際は最初の二本しかやっていなくて、三本目の矢はほとんど打たれていない状況ですから、成長戦略の「一本の矢」に切り替えていくべき」
と、財政・金融政策批判に終始している。

そのうえで、
早川:「私は、物価安定目標2%の早期達成は非常に難しい。日本経済の実力は、潜在成長率で見てせいぜい1%くらい」
加藤:「GDP600兆円はかなり無理筋。2%という目標がある限り日銀がしゃにむに緩和すると、政府にとってはかえってラッキーということで、政治家に財政再建の危機意識も出てこない」
と、日本の成長力を蔑み、できもしない成長に目を奪われるよりも目先の財政再建に全力投球しろとハッパを掛ける。

彼らの論旨は、「真に必要なのは成長戦略を実現するための改革であって、財金政策による経済成長なんて無駄を生むだけの空想論に過ぎない。財政危機は喫緊の課題だから、成長よりも財政再建に取り組め」という点で気味が悪いほど一致している。

出演者の早川氏は、「消費税は10%で終わりではない、もっと上げなければいけないのだ、ということです。だからこそ、国民に「増税することによって良いことがある」と分かってもらう必要があります。今回、安倍さんが言っていることは結構なのですが、そう言うのであれば10%よりも先の話を始めなければいけない」と言い放ち、人づくり革命や教育無償化といった施策をやりたいなら、消費税率が10%で済むと思うなよ、と国民を恫喝するありさまだ。

しかも、徹頭徹尾“改革支持者”の彼らの提言は、と言えば、
「正規・非正規に分断された労働市場の構造問題解決には同一労働同一賃金制度が必要」(=正規雇用者の所得カット)
「働き方改革の目的は、従業員の健康管理や福利厚生の向上ではなく、長時間労働で生み出していたのと同額以上の付加価値をキープすること」(=労働者に対するシバキ上げ強化)
「単なる無償化で本当にいいのか、ましてや大学無償化などというのは定員割れ大学の救済策にしかならない」(=授業料無償化による家計負担軽減効果の否定)
といった具合に、国民の実質所得を削り需要力や購買力を削ぐものばかりで、何の役にも立たぬだろう。

彼らみたいな改革バカに限って、「日本の潜在成長率は、せいぜい1%」、「他の先進国の実績を見ても1~2%の成長率なら合格点だ」といった間抜けな発言が目立つ。
だが、欧米諸国のようにある程度角度のついた右肩上がりの経済成長を遂げた国が言うならまだしも、1997年以降、経済成長のグラフが横這いでベタ張り状態の日本が、こんなレベルの低い目標設定でいいのか?

2016年の我が国の名目GDPは約537兆円(※統計基準変更後)と、1997年実績の534兆円からほとんど成長できていない。
裏を返せば、20年近くも怠け呆けていた分だけ、成長の伸びしろが十二分に残されているはずで、我が国の供給力をフル回転させるだけの需要力が投じられれば、1~2%どころか、8~10%近い成長を遂げても何ら不思議ではない。

潜在成長率を低く見積もりたがる連中は、議論の矛先が、「大規模な財政金融政策」という高成長率を叩きだせる最高の燃料に向けられることを嫌い、日本経済という世界最高級のパワフルなエンジンのポテンシャルを引き出そうとするのではなく、エンジンは故障して使い物にならぬと言い張っているバカ者に過ぎぬ。

挙句の果てに、消費税率10%の先の話をすべきなどと、出過ぎた強弁をするに至っては、国民経済に重い足枷を課し、その成長を望まぬ“壊国魔”の誹りを免れまい。

消費税率が0%→3%→5%→8%へと上がるたびに、消費そのものに対する罰則を科せられた国民や企業は、長引く不況も相俟ってか、消費や投資に対し、もはや慎重を通り越して、「冷徹」とも言えるほど冷え切ったマインドしか持っていない。

経済政策を論じる識者ならば、カネを使うことに罪悪感を覚えるどころか、端から興味すら持たぬ人種が、現に増えつつあることに十分留意せねばならず、経済成長(=消費や投資といった需要力の量的拡大)を実現させるには、想像以上に強烈な勢いで財金政策のアクセルを強く踏み込む必要がある。

そんな厳しい経済環境を冷静に分析せずに、“とにかく改革だ。財政再建から目を背けるな。消費税率をもっと引き上げろ”なんて、質の悪いバカ発言をする連中は、「経済」の基本的な意味と仕組みを、無償化されたFラン大学にでも通い直して勉強すべきだろう。

2017年10月18日 (水)

希望を実現するための財源は無限

『解散総選挙で隠された「議論なしの経済政策変更」を見逃すな』(10/5 DIAMOND online中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員 森信茂樹 )
http://diamond.jp/articles/-/144668

「大義なき突然の解散に続いて、小池新党騒ぎで政界は沸き立っている。(略)
 有権者そっちのけの選挙戦が始まろうとする状況で、安倍首相の衆院解散までの一連の動きを改めて振り返ると、日本の経済政策決定過程の不透明性が浮かび上がる。
 その象徴が、まったく議論がされないまま打ち出された消費税増税分の使途変更や、国際公約だった財政再建目標時期の先送りだ。(略)
 「2020年度のプライマリーバランスの黒字化」という財政再建目標は、これまでG7サミットなどで首相がコミットしてきたものだが、きちんとした数字の裏付けや議論、検証もないまま独断的に、日本がこれまで掲げてきた国際公約の先送りが決定された。(略)
 もっとも小池新党の方は「消費税凍結」を公約にするという。これではかつて、財源なき子ども手当を公約し、結局、実現できず国民の信頼を失った民主党(当時)の二の舞になる可能性が高い。「希望」を実現するには財源がいる、という冷徹な現実から逃避した公約で、安倍政権よりもっと問題が多きことも付け加えておきたい。」

今回のエントリーで、自民党や小池のババァ率いるインチキ政党のクソ公約に言及する気はない。
政界に巣食う泥棒政治家の公約なんて、カビの生えた骨太の方針や朝日新聞の社説からパクったものばかりで、そもそも論評に値しない。

代わりに、森信氏みたいに脳細胞が硬直した緊縮バカの妄言を糺しておく。

先ず、“プライマリーバランス黒字化目標は、安倍首相がG7サミットでコミットした国際公約だ”という指摘について反論したい。

財政再建とか構造改革が大好きなバカに限って、舶来モノに弱い日本人の甘さに付け込み、二言目には「国際公約」という単語を使って自身が信じる邪教を箔付けしたがるが、国際公約なんて概念を馬鹿正直に盲信するのは日本人だけだ。

「国際公約」という言葉を検索すると、『日本の政治家による国際会議の場での一方的な宣言。拘束力のある約束ではなく、特定の相手との約束でもなく、ただ日本国政府の方針を示しただけのもの。日本独特の約束感覚から生じるもので、国際公約を政策決定過程に組み込もうとする政治家もいる』(Hatane Keyword)という的確な解説がある。

そもそも、サミットにおける他国のリーダーの発言を事細かにチェックしている暇人なんていないし、彼らの発言を“公約視”するアホは日本のマスコミくらいのものだ。

彼らは自分たちに都合の良い政策だけを採り上げて、国際公約呼ばわりするが、それなら、アメリカやドイツ、フランスの国際公約も具体的に列挙し、それらの進捗状況をきちんと監視すべきではないか?

財政や経済運営といった政策やそれに係わる発言は、極めて内政的な問題であり、他国からいちいち口出しされるべきものではない。
安倍首相がサミットやAPECの場で、どれほど口を滑らせても、そんなものは安倍氏個人と政権与党が責任を取り、腹を切ればよいだけの話で、国際公約云々にまで昇華させて国民を巻き込むべきではなかろう。

PB黒字化をゴリ押しすれば、政策予算総額にキャップが嵌められ、省庁間や業界間のくだらぬ予算分捕り合戦と非難の応酬という何の生産性もない愚行に、入らぬ労力が消費されてしまう。

財政再建最優先主義の先に待っているのは、不況の恒常化と生活レベルの後進国化だけで、逆に、PB黒字化みたいな時代錯誤も甚だしい愚策の破棄をこそ公約すべきだ。

次に、『「希望」を実現するには財源がいる』という森信氏の言葉についても指摘しておきたい。

森信流の財源発掘法が、“増税or他の予算削減or希望そのものの破棄”の何れかであろうことは聞かずとも解かるが、彼は『政治の神髄は財源探しではなく、希望の実現にある』という重要なポイントをまったく理解できていない。

緊縮脳に染まった連中は、「税こそが正当な財源で、国債発行は邪道」と考えがちで、財源探しや経費削減にはやたらと熱心なくせに、国民のニーズを実現させ希望や活力を与える政策を創り上げることには全く興味を示さない。

政治家は、国民をシバキ上げるだけの頓珍漢な公約を掲げて自己陶酔するのではなく、「社会保障を充実してほしい」、「景気を上向かせて雇用の質や所得を上げてほしい」といった選挙のたびに出てくる国民の強烈なニーズを掬い取る努力をすべきだ。

不況で自信を失った国民の顔を上げさせ、今日より幸福な明日に向かって力強い一歩を踏み出させるには、何よりも希望の実現を最優先とし、財源の手当てという些細な問題に拘泥してはならない。

財源問題を盾に苛政を強いるのは、国民の希望に背を向けるヤル気のない卑怯者の態度であり、そんな愚か者を相手にする必要もない。

財源なんて、税に頼らずとも、国債発行や、金融緩和政策を通じた実質的な日銀直受けで十分調達できる。
それでも不足するようなら、政府による通貨増発で対応すればよい。

希望実現のための財源に限界なんてない。

2017年10月16日 (月)

国民の生活を豊かにするためには経済成長が必要

『衆院選に問う アベノミクス/この道で所得が増えるのか』(10/1 河北新報社説)
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20171001_01.html

「第2次安倍政権が発足した2012年末から続く景気拡大が58カ月に達し、高度経済成長期の「いざなぎ景気」を超えた可能性が高いという。
 リーマン・ショックでどん底に落ちた世界経済が、持ち直す過程と軌を一にしていたとはいえ、主エンジンである日銀の異次元金融緩和が、円安株高の環境をつくり出し、輸出産業を中心にした企業業績を改善させたのは確かだ。(略)
 政権に言わせれば、それもこれも経済政策「アベノミクス」の成果となる。
 だが大方の国民、特に地方にあって生活実感として景気が良くなったとは思えない。
 ここ数年、政府が春闘に介入し2%前後の賃上げが続いたものの、社会保障費の負担増もあって実質賃金は増えてはいない。 (略)
 経済を成長させるのは、国民の暮らしを豊かにするためである。そのことを与野党は肝に銘ずべきだ。(略)」

上記は河北新報の社説『衆院選に問うシリーズ』の第二弾の記事だ。

第一弾『税と社会保障/新たな改革像こそ議論を』では、教育無償化をバラマキ呼ばわりしたうえに社会保障費削減と財政再建を訴え、第三弾の『エネルギー政策/「脱原子力」へ長期展望示せ』では、無責任な脱原発論を主張する河北新報だけに、所得を増やすための具体策をまったく提示できていない。

だが、文中にある『経済を成長させるのは、国民の暮らしを豊かにするため』というフレーズには、筆者も同意する。

20年以上もだらだら続くデフレ不況下で国民はすっかり自信を失くし、「もう成長なんて無理。スマホと百均さえあれば事足りるから、このまままったり暮らしたい」といった類の成長を放棄する妄言も飛び交っている。

しかし、成長を実現せぬ限り、“最低限のまったり生活”すら容易には維持できないことに、多くの国民は気付いていない。

成長する諸外国との競争に後れを取った我が国は、食糧やエネルギー、鉱物資源の確保で成長国に買い負けに喫し、それによる輸入コスト上昇が後に大きなダメージを生む。
牛丼が350円で食える、キッチン用品だって100円出せば買えるとはしゃいでいられるのも今のうちだけで、このまま停滞が続き所得が頭打ちになると、デフレ信者に残された安物買いという“最後のお楽しみ”さえ奪われてしまう。

デフレ信者の都合に合わせて、経済というエスカレーターが止まったままでいてくれるわけではない。
黙っていれば下がり続けようとするエスカレーターを何とか上昇させない限り、国民は豊かな生活を享受することができず、貧困化という奈落へ突き進むしかなくなる。

「経済成長なんてもう古いよ。低成長を前提としたQOLの追及こそが21世紀型のライフスタイルだ」といったアホな空想を吐く輩には、経済の残酷さを十分理解するために、『経済を成長させるのは、国民の暮らしを豊かにするため』という言葉の意味を噛み締めてもらいたい。

筆者が思うに、「国民の暮らしを豊かにする」には、二つの要素が欠かせない。
一つは「所得の向上」であり、もう一つは「商品やサービスの高品質化や高度化」だ。

所得だけが向上しても、世に溢れる商品やサービスがポンコツだらけでは、意味のないインフレを招くだけだし、逆ならバカげたデフレが続くことになる。

国民の暮らしを豊かにし、今日より希望に満ちた明日を迎えようとすれば、所得増進と商品・サービスの高度化という両輪をバランスよく実現させねばならない。

昨今の経済論壇では、生産性向上や商品・サービスの付加価値向上ばかりが叫ばれ、肝心の所得増進策を意図的に置いてけぼりにする傾向にあったが、先ずは、積極的な財政金融政策を打ち出し、労働分配率を強制的に上げる政策を断行することにより、所得増進策のスイッチを入れるのが先決だろう。

国民の所得向上への期待が確信に変われば、消費力UP→企業サイドの雇用・人材育成・生産投資の積極化→商品開発力UP→商品・サービスの高度化や付加価値UPという好循環につながり、経済活動全体が正のスパイラルで回り始める。

そこまでいけば、安倍政権みたいに統計数値やGDP計算方法を弄らずとも、国民が経済成長の実感を嫌でも得ることができるはずだ。

2017年10月13日 (金)

「増税&無駄の削減しかない」というしがらみ

『代替案なしの「増税先送り」なら、日本の財政を誰も信用しなくなる~「希望」だけでは国が滅びる~』(10/3 現代ビジネス 経済ジャーナリスト 町田徹)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53062

「二度あることは三度ある――。過去二回の先送りに続いて、2019年10月に予定されていた消費増税の実施が風前の灯火だ。その仕掛け人は、総選挙の公約として消費増税の凍結を打ち出した、「希望の党」の小池百合子代表(東京都知事)である。(略)
既定路線とみられていた三度目の消費増税の先送りを安倍首相が断念したことは、資金使途の組み換えによってただでさえ難しい財政再建が一段と遠のく面があるとはいえ、先送りよりは歓迎すべきだ。多くの経済界首脳たちは、安倍首相の変心に安堵のため息を漏らしたことだろう。(略)
総選挙が終われば、(略)消費増税は使途の組み換えでなく、実施延期となる可能性が大きくなるだろう。
そこで懸念されるのが、日本の財政再建への不信や国債の信認低下である。米欧が金融政策の正常化に本腰を入れ始めているだけに、日本の緩和政策もひきずられて金利が上昇してもおかしくない。そうなれば、利払い費が膨らみ、予算に大きな影響が生じる可能性も出てくる。(略)」

個人的に、旧民進党の山尾氏の不倫騒動を発端とする意味不明な衆院選には、まったく興味が湧かない。

小池のババァ率いる希望の党は、マスコミ連中の期待をよそに政権奪取を早々に諦め、安倍政権ではなく旧民進党の連中にケンカを売る体たらくで、公示前から失速し、調整能力と度量の無さを露呈している。

ましてや、肝心の経済政策に関して、各党とも国民ニーズを足蹴にし、ガン無視する完全に場違いな公約を掲げ、“緊縮・改革自慢”を競い合うありさまでは、選挙に興味を持てという方がどうかしている。

筆者は、「社会保障制度の充実」と「景気回復」を願う国民の想いとは真逆の緊縮政策を課そうとする安倍自民党や希望の党のいずれも全否定する考えであり、衆院選に関して細々と論評するつもりはないが、選挙に乗じた悪質な増税礼賛コラムを見逃す気はない。

上記コラムの町田氏の主張を要約すると次の二点になる。
①財務省から増税延期を勝ち取った安倍首相が三度目の増税実施を決断したことに、財界首脳は安堵している。
②希望の党による消費増税凍結は無責任だ。日本の財政再建への不信や国債の信認低下による金利上昇に備えるべく、増税先送りに対する代替案を示せ。

先ず、国家の経済成長力を大きく削ぎ、国民負担が増すだけの愚策(増税)の是非を論ずるに当たり、なぜ、財界首脳の意向だけを忖度する必要があるのか?

町田氏は、財政再建の遅れを懸念する財界首脳たちを慮っているが、そもそも、一介の商売人たる連中が国家の財政状況に口出しするなど以ての外だ。
“輸出型大企業への補助金”と揶揄される消費税輸出戻し税の増額を狙う財界の連中に要らぬ口出しをさせるべきではない。

ここ数年というもの、名だたる大手企業や名門企業による検査データの捏造や粉飾決算、社員へのパワハラやセクハラ等といったまことに恥ずべき不正行為が相次いで摘発されているが、財界首脳たちは、財政や税制に関する無駄口を叩く暇があるなら、業界や自社の不正を正す努力をする方が先ではないか?

次に、増税先送りによる財政再建への不信や国債の信認低下云々という明らかな“虚偽”について指摘しておく。

町田氏は、増税凍結による国債金利高騰や、その先にある財政破綻を気にしているようだが、それが本当なら、我が国の国債金利はとうの昔に急騰し、デフォルトが起こっているはずだ。

なにせ、我が国では、1995年に当時の武村蔵相が財政危機宣言をし、その後も、緊縮派のバカ者たちから事あるごとに多額の政府債務が問題視され、2014年には米アトランタ連銀のアントン・ブラウン氏や米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のゲイリー・ハンセン教授らから、社会保障費を抑制せずに財政安定化を目指すには、2017年には消費税率を33~35%まで引き上げる必要があると指摘されている。(ちなみに小林慶一郎と小黒一正のジャンクコンビは2050年までに31%への引き上げを主張)

30%超の税率を訴える増税推進派の懸念が真実なら、現行8%の消費税率を10%に上げるか否かという議論をしている時点で、日本の財政や国債に対する信認が吹っ飛んでいてもおかしくないが、相変わらず日本国債の金利は史上最低ラインに張り付き、米朝軍事緊張下で有事の円買いが起きるありさまで、日本という国家や円に対する信認は些かも揺るぐ様子がない。

いつも指摘していることだが、「日本は財政危機だ」、「痛みの先送りは財政や国債の信認喪失につながる」という緊縮派の常套句は悪質な大嘘であり、虚言しか吐かぬ連中の虚仮脅しなんて端から無視しておけばよい。

国民の願いは「社会保障制度の充実」と「景気回復」にあり、それらを実現するには、公共投資や社会保障費負担の削減、大型の減税などを通じた長期にわたる経済成長と適切な分配政策が欠かせず、多額の財源が要る。
問題なのは、それらの財源を増税と不要な支出削減で調達しようとする緊縮バカどもの浅ましい発想で、そんなものは誰の腹も痛まぬよう国債や通貨の増発で賄えばよいだけのことだ。

今回の衆院選における各党の公約を見ても、国民の幸福を奪い取る政策を愚直に訴えるバカな与党と、財政再建というしがらみに囚われたままのアホな野党ばかりだ。
もはや、政治を家業とする薄汚い連中に我が国の政治を任せる時代は終わったと強く感じている。

2017年10月11日 (水)

家計簿脳の弊害

『消費増税は急がば回れ 政治に欠ける歳出抑制』(9/25 日経新聞「核心」 上級論説委員 大林尚)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO21437620S7A920C1TCR000/

いつもながら日経の記事は、緊縮政策を煽るものばかりで碌なものがない。

記事を書いた大林上級論説委員は、安倍首相、岸田政調会長、小泉のバカ息子、前原民進党代表らが消費税率引上げや社会保障費負担強化を訴えているのを、「元来、政治権力者は税をたくさん取りたがるものだ」と批判する。

だが、彼の批判の意図は、増税による国民や中小企業の財布を心配するものではなく、「増税の前にやるべきことがあるだろっ‼」というお馴染みの歳出削減論を展開することにある。

彼は、
「社会保障費を抑える視点がどの政治家にも希薄だ。進次郎氏の父は首相を辞す前にこう語った。
『増税していいから必要な施策をしてくれという状況になるまで歳出を徹底的にカットしなければならない。そうすると消費税の増税幅も小さくなる。歳出削減を徹底すると、もう増税の方がいいという議論になる』
至言である。
成長を追い、歳出の膨張を圧縮し、経済への負の影響を抑えつつ増税機会を探る。この組み合わせこそが健全な財政と確かな社会保障を将来の世代に引き継ぐ要諦だ」
と得意げに騙り、“徹底的な歳出カットこそが国民負担を軽減させ、次の増税論議もスムーズになる”と主張する。

正直に言って、大林氏は、経済の要所を何ひとつ知らず、支出削減と増税を賛美する「家計簿バカ」の一人でしかない。

彼は、“成長を追い、歳出の膨張を圧縮し、経済への負の影響を抑えつつ増税機会を探る”姿勢こそが将来世代への責任だと言いたいようだ。

しかし、「歳出削減&増税」という強硬手段が、実体経済や国民所得にどれほど深刻な悪影響を与えてきたか、ここ20年余りの経済指標をつぶさに眺めれば一目瞭然だろう。

我が国の世帯当たりの平均所得(H27/545万円)は、相次ぐ緊縮政策と増税のせいで、ピーク時(H6/664万円)と比べて18%も下がってしまったが、20年前より所得が下がった国なんて世界中探しても何処にもあるまい。

経済をシュリンクさせるだけの「歳出削減&増税」という最悪手の果てに、どうやって成長を追うつもりなのか、大林氏は、そのロードマップを具体的に説明すべきだ。(200%無理に決まっているが…)

彼みたいな家計簿バカは、一般家庭はおろか、政官財界やクオリティーペーパー気取りの新聞社の幹部層にまで蔓延っており、その病根はかなり根深いものがある。

彼らは、経済をマクロ視点から俯瞰することができず、個々の経済主体が織りなす経済行為が相互に連関している事実を無視し、頭の中で、“歳出されたお金は誰の所得にもならぬまま何処かに消失し、大義名分さえあれば国民は喜んで税負担に応じるはず”だと妄想している。

よって、何を聞かれても、彼らの口からは「歳出カットと増税」という答えしか出て来ず、増税を引き出すための「大義名分探し」しかしない。

大林氏は、徹底的な歳出カットと増税強化のコンボにより、健全な財政と確かな社会保障を将来の世代に引き継げるはずだと自信満々だが、そうした悪手により内需主導の経済成長の道を閉ざされた我が国の経済は、隘路に迷い込み墜落必至だ。

家計簿バカの妄言に唯々諾々と従うようでは、我々は次世代に、『さらに悪化した財政、ボロボロに朽ち果てた社会保障制度、勤勉さを失った国民、後進国並みに劣化した生産力、今以上に少子化した社会』という最悪のプレゼントを渡さざるを得なくなるだろう。

いまの経済論壇が、増税派と緊縮派に席巻され、増税を前提にしたうえでの『増税が先か、歳出削減が先か』という実に有害且つ下らぬ議論に成り下がっている現実に目が眩む想いがする。

財出する分野と量に関する建設的且つ前向きな議論は、いったい何時になったら始まるのだろうか。

2017年10月 9日 (月)

問題児が座れるほど議員のイスは多くない

『説明責任の美名に隠れてリンチが行われる』(9/19 BLOGOS 小林よしのり)
http://blogos.com/article/247012/
 
「(略)そもそもわしは豊田氏の罵声の音声はもう飽きたし、元秘書とのパワハラ疑惑に関しては、当事者間の決着しかないだろうと突き放して見ている。
豊田氏が議員を続けたければ、選挙で国民に判断してもらえばいいだけのことで、文藝春秋に手記を書いても、記者会見しても意味はない。
人々は「記者会見しろ」とか「説明責任を果たせ」とか言うが、その本心は「もっとリンチがしたい」というだけのものである。(略)
わしは、パワハラは犯罪に近いと思っているが、豊田氏くらいのパワハラをやっている議員は他にもいるだろう。(略)
パワハラ・セクハラを許してはならないという空気は作っていく必要はあるが、豊田氏個人に対する糾弾は、そのような啓蒙の域を超えていて、単なるリンチである。(略)
民主主義は病いを抱え込んでいる。」
 
小林氏は世論への逆張りがお好きなようで、政策秘書に対するキチガイじみたなパワハラ問題で一躍悪名を轟かせた豊田真由子や、顧問弁護士との不倫騒動で大恥をかいた山尾志桜里を盛んに擁護しているが、彼の論旨は無茶苦茶で、あまりにも身勝手な依怙贔屓が過ぎるためか、周囲から冷笑を買っている。
 
件の問題児たちは、反省やお詫びなど何処吹く風といった図々しさで、何れも議員辞職を拒否し今回の衆院選に出馬するほどの強心臓ぶりを発揮している。
 
一般的な国民感情や感覚からすれば、素行の悪い馬鹿コンビの出馬など端から言語道断なのだが、広い世間には、小林氏みたいな声だけがやたらとデカい変わり者がおり、どさくさに紛れて一般常識のバーを下げようとするから始末が悪い。
 
今回のように、国会議員のパワハラ問題や不倫騒動が起きると、「パワハラなんて、多かれ少なかれ、議員なら誰でもやっている」とか、「不倫云々と政治家の仕事とは切り離すべき。政治家は結果さえ出せば何をやっても構わない」などと、訳知り顔で問題児を擁護したがるバカが現れる。
 
世論の逆張りでheelの肩を持とうとする救いがたいバカ者は、国会議員たる者に課せられた職責の重みをまったく理解せず、自分の好き嫌いだけで愚論を述べているに過ぎない。
 
衆議院のHPには、国会議員について、次のように説明されている。
『国会議員は、主権者である国民の信託を受け、全国民を代表して国政の審議に当たる重要な職責を担っています。この職責を果たすため、国会議員の地位には、一定の身分保障が与えられており、法律の定める場合を除いては、国会の会期中は逮捕されず、また、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われません。』
 
何かと問題視される多額の議員報酬や政務活動費、議員会館内の事務室貸与、秘書経費の国費負担、JRや航空機の無料券などといった優遇措置が与えられ、将来的に叙勲の対象になるのも職責の重みゆえの特権だろう。
よって、その見返りに、一般の職業人より高い責任や倫理観を求められるのは子供でも解る当然の理屈だ。(※実際には、一般人未満の責任感や倫理観しかない糞蠅だらけだが…)
 
そもそも、小林氏みたいに、問題児を処断するに当たっての善悪の判断基準を一般人並みに引き下げること自体が間違っており、一般企業とて、度を越したパワハラや不倫発覚はケースによって首切りの対象になることを知っておくべきだ。
 
「豊田氏くらいのパワハラをやっている議員は他にもいる」、「政治は結果だ。政治家の私生活なんてどうでもいい。不倫どうこうよりも待機児童問題を早く何とかして欲しい」なんて薄呆けた屁理屈で問題政治家を擁護する愚か者には、いますぐ公民権を返上しろと言っておく。

だいたい、まともな結果を出せる政治家なんてどこを探しても見当たらぬし、結果さえ出せば倫理や常識を踏み躙っても構わないなんて甘えが許されるはずもない。
 
我が国には1億2千万人もの国民がいるが、国会議員の座に就ける者はたったの700人余りと、わずか0.0006%でしかないのだ。
それほど貴重な役職に、わざわざ、素行不良で頭のおかしな連中を座らせておく余裕も理屈も必要性も無いことを、小林氏はよく噛みしめるべきだろう。
 
“病”を抱え込んでいるのは民主主義云々ではなく、子供でも解る常識を、屁理屈と詭弁を以って挑発する小林氏みたいな“逆張り魔”の方ではないか。

2017年10月 5日 (木)

息苦しい酸素不足社会

『野焼きは違法?農家困惑 市と警察が“対立” 兵庫・三田』(9/13 神戸新聞NEXT)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170913-00000005-kobenext-l28

「稲わらや刈り取った草を屋外で焼く「野焼き」を巡り、兵庫県三田市内の農家に困惑が広がっている。廃棄物処理法はごみの野焼きを禁止しているが、農業を営む上でやむを得ない場合は例外とし、市は「農家の野焼きは違法ではない」という立場だ。一方、ここ1、2年、市には、三田署の取り締まりに対する農家からの苦情が急増している。12日の市議会一般質問でもこの問題は取り上げられ、森哲男市長が「市と三田署の見解に相違があり、協議が必要」との認識を示した。(略)」

三田市では今年3月に農家の野焼きが原因となった火災が3件発生しており、警察がナーバスになる気持ちも解かる。

だが、稲わらなどの野焼きは、農村地域でごく一般的に行われてきた日常行為であり、筆者も先ごろ田舎に帰省した際に、稲刈りを終えた田んぼで5~6軒の農家がのんびりと野焼きをしている光景を目にした。

ちょっとした田舎なら、農家はもちろん、一般家庭だってゴミや伐採した樹木を庭先で当たり前に燃やしているし、その方が自治体のゴミ処理負担の削減にもなる。

上記記事でも、「野焼きは害虫駆除にも効果があり、灰も肥料になる。これができないと農業が成り立たない」といった農家の声を紹介しており、一定の火災発生リスクは否めないものの、遥か昔から農村の一風景に溶け込んだ野焼きという行為にまで、わざわざ目くじらを立てて取り締まる必要はない。

火災の危険性に警鐘を鳴らしたいのなら、個々の農家に野焼き後の消火や延焼対策を要請すればよいだけだ。

因みに、2016年に発生した火災事件の出火原因のランキング(不明分を除く)を確認すると、
①放火3586件 ②たばこ3483件 ③コンロ3136件 ④放火の疑い2228件 ⑤たき火2124件 ⑥配線不良1310件 ⑦ストーブ1210件と続く。

「野焼き」は「たき火」に分類され、全体の5位と一見多いように見えるが、あくまでたき火の一部でしかない。

真に防火対策に取り組むつもりなら、ダントツに件数の多いのは「放火(疑い含む)」なのだから、警察サイドも、田んぼを見回り農家に嫌がらせするより、住宅街の見回りを増やして放火犯の取り締まりに注力すべきだ。

今回採り上げた野焼き問題は、社会的に決して大きな課題ではないが、たばこや酒等に対する異様な排斥運動にもある意味通じるものがある。

こうした自分に無関係なものや自分が気に喰わぬものに対する過度な弾圧を平気で許容する昨今の風潮に、筆者は強い違和感を覚えている。

この手の狂信者たちは、自分が気に喰わぬ慣習や物品を悪者に仕立て上げ、少しでも反論を喰うと、“健康被害を許容するのか、犯罪行為を見過ごすのか”と高圧的で子供じみた態度を取る。

彼らは、ごく一部の不心得者の行為をダシにして利用者や愛好者全体を恐喝し、たばこや酒がもたらす膨大な社会的効用を真っ向から否定する幼稚な連中であり、まともに相手をする必要もない。

冒頭に採り上げた野焼き問題にしても、そもそも、全国の自治体ではゴミ処理負担の軽減を目標に掲げており、その趣旨に沿うはずの野焼きを問題視する方がどうかしている。

全国都市清掃会議(全国の自治体と企業等が、市区町村の廃棄物行政の問題解決のために組織する公益社団法人)の資料に目を通すと、財政難を抱える自治体のゴミ処理コスト軽減のため、「廃棄物処理法の基本方針の目標(H32目標)」を掲げ、“ゴミ排出量H24実績4,523万トンの約12%削減”や“家庭ごみ排出量1人1日当たりH12比25%減=500g”と言ったゴミ処理負担軽減目標が謳われているではないか。
【参照先】https://www.env.go.jp/press/y0310-03/mat02.pdf

さらに、国の循環型社会形成推進基本法でも、事業者に対する廃棄物発生の抑制を明記するなど、国を挙げて処分を要するゴミ発生量の抑制を推進しておきながら、廃棄物排出の抑制に資する野焼きを禁じるのは、明らかに矛盾している。

偏狂な連中が、小悪を叩いて風紀粛清に熱を上げるたびに、ますます世の中は窮屈になり、諍いやクレームばかりが横行する“息苦しい酸素不足社会”を招くことになるだろう。

2017年10月 2日 (月)

多様性のゴリ押しは止めろ

『スーパーの陳列棚を「国産品」だけにしてみたら…。』(9/11 TABI LABO)
http://tabi-labo.com/283590/edeka-empty-shelves

「災害でも起きた直後かと思うくらい、すっからかんの陳列棚。どこもほとんど商品ナシ。ごく一部、ジュース類やパンなどは並べられているが…。冷凍食品のコーナーに至っては、もはや開店休業状態。
ここは、ドイツの大手スーパーチェーン『Edeka』ハンブルク店。8月の某日、1日限定で"国産品しか置かない"という、大胆な行動に出て話題になった。国産品だけにしたら、こんなにモノがなくなってしまうのか…。
当然、この日は大赤字だったはず。それでも彼らがこれを決行したのは、<国内生産量の危機>を伝えたかったから。普通ならこう思っても不思議ない。ところが、真意は別のところにあった。
空棚に置かれたポップに、こんなメッセージが。
「ドイツが多様性を失った時、こんなにも生活は貧しくなる」
「Edekaは、様々な国の力を借りて価値提供をしている」
人種差別をしたり、違いを受け入れられない社会は貧しいということを、国内シェア率No.1を誇るスーパーが世間に訴えたわけだ。(略)」

上記記事に添付された写真を見ると、純国産商品のみを陳列したスーパーの棚には5~6品の商品しかなく、まるで閉店セール最終日のようだ。

件のスーパーは、敢えてショッキングな写真を上げ、「多様性」や「共存」の大切さを訴えるつもりらしいが、国産品だけで商品棚を埋められないのは、なにもドイツに限ったことではない。
日本でもアメリカでも、はたまた、中国やボリビア、ケニア辺りでも同じざまになるはずだ。

いまや、スーパーに自国産品だけが並ぶ国なんて、世界中どこを探しても見当たらない。

だが、こうした事態は、何も昨今始まったものではなく70~80年代から十分進んでおり、その頃は海外からの輸入品に囲まれながらも、国内産品と輸入品との量的バランスは絶妙に保たれ、先進国内の産業や雇用が寒風に晒されることは少なかった。

だが、そうした適正なバランスは2000年代に入ってから崩壊した。
この時代から野放図な自由貿易推進論者が跋扈し、“自由貿易こそ絶対善”、“国際分業なき社会など時代遅れ”とばかりに、本来なら自国で生産可能な産品ですら、労務コストの安い海外へ生産拠点を移したせいで、雇用や所得だけでなく技術や流通の国外流出を招き、国際的な雇用の不安定化と所得の停滞をもたらす病原菌がバラ撒かれてしまった。

今回採り上げた記事のスーパーは、いかにも幼稚な空想論好きのドイツ企業らしく、
「ドイツが多様性を失った時、こんなにも生活は貧しくなる」
「Edekaは、様々な国の力を借りて価値提供をしている」
と、ドヤ顔で、歯の浮くようなPOPを掲げたらしい。

だが、何のことはない。彼らは、自分の利益のために、自国よりコスト安の後進国から搾取しているだけではないか?
“様々な国の力を借りて価値提供をしている”と鼻高々に騙る以前に、力を借りた国々の労働者に対して、価値に見合った適正な対価を支払っているのか?

恐らくそんなことはあるまい。

フェアトレードの精神などどこ吹く風とばかりに後進国の労働者を土人扱いし、自国民の数十分~百分の一にも満たぬ低賃金で働かせた上がりを掠め取って平気な顔をしているくせに、よくもそんな綺麗ごとを言えたものだ。

また、件のスーパーは、多様性の喪失は生活の困窮につながると訴え、人種差別に反対し、違いを受け入れられない社会に警告を発しているが、彼らみたいな極端なボーダレス論者の発想は、あまりにも大袈裟すぎる。

いまの世の中に、“外国人を一人残らず追い出せ”、“外国産品を一切入れるな”なんて主張するバカなど何処にもいない。
野放図な自由貿易に反対する者は、自国内の労働者が路頭に迷わぬ程度に、資本・生産拠点の移動やダンピング紛いの海外産品輸入、技術漏出などに制限を掛け、国内産業や雇用の場を維持すべきと言っているだけで、極めて適切かつ当然の主張だろう。

なのに、頭のおかしなボーダレス論者は、こちらが少しでも自由貿易に異を唱えると、“鎖国だ、自給自足だ”と幼稚な極論を飛ばして弾圧に掛かるから始末に負えない。

また、彼らは、やたらと人種差別に敏感なことをアピールしたがるが、当の自分たちは、海外から子供の小遣いにも満たぬ安値で商品買い叩き、月給8000円で働くミャンマー人をダシに自国の労働者を“お前たちの給料は高すぎる”と恫喝するありさまで、四方八方に人種差別のタネを撒き散らしていることに気付こうともしない。

博愛主義者のフリをする彼らが、「フリートレードの素晴らしさ」や「多様性の大切さ」、「人種差別への反対」といった綺麗ごとを口にするのは、自国内の雇用破壊と後進国での奴隷労働を正当化するための詭弁であり、今回紹介したようなパフォーマンスをこれ見よがしに披露するのは、そうした詭弁や矛盾を指摘する者に対する悪意に塗れた恫喝でしかない。

彼らは、自分たちの利益を守りたいがために、多様性を甘受するよう自国民に強要するが、それ以前に、多様性という言葉に甘え切ったイスラム系やアフリカ系難民の連中にこそ、それを順守させるべきではないか?

多様性どころか、受入先の法規制すら簡単に足蹴にする出稼ぎ難民の連中に、テロや殺人強盗、性犯罪などで国中を蹂躙されながら、黙って指を咥えて傍観するだけの腰抜け国家に未来などあるまい。

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