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2017年11月15日 (水)

社保負担を国民に求める愚論

『「親切・重税党」と「冷淡・軽税党」』(10/31 日経新聞/大機小機 執筆者:ミスト)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22933700R31C17A0920M00/

「世の中には「親切・重税党」と「冷淡・軽税党」しかない、故高坂正尭京都大学教授はよくこう語った。「大きな政府」と「小さな政府」でもよい。先進国の政治の対抗軸はこれをメルクマールに分かれ、二大政党制をなす。国民負担を上げ社会保障を充実したい「親切・重税党」と、負担は最小限に自己負担・自己責任を重視する「冷淡・軽税党」との間で政権交代が繰り返されてきた。高齢化で社会保障が最大関心事になる今日、この2つが政治の対抗軸である。(略)
日本は先進国最大の財政赤字を抱える。これは給付が負担を上回る政策(中福祉・小負担)を長年続けてきたことが原因だ。良識のある政治であれば、受益と負担のアンバランス(将来へのつけ回し)を国民負担の増加で対応する(中福祉・中負担)のか、歳出削減を中心に対処する(小福祉・小負担)のか、これを国民に問うはずだ。(略)」

まったく、緊縮主義者の勝手な妄想や決めつけには困ったものだ。

コラム執筆者のミスト氏は、既存政党を社会保障制度に対する態度別に、「親切・重税党」(社会保障充実+国民負担増)と、「冷淡・軽税党」(社会保障切り下げ+国民負担減)の二色に色分けしている。

さらに、少子高齢化という重い十字架を背負った国民にとって、今や最大の関心事項は社会保障制度の「維持」であり、「親切・重税党」と「冷淡・軽税党」の二大勢力が政治的対抗軸になるべきだと主張する。

冒頭から〆に至るまで大嘘だらけの緊縮礼賛コラムには冷笑するほかないが、日経発の緊縮菌を少しでも殺菌すべく、その誤りを指摘しておきたい。

先ず、ミスト氏による「親切・重税党」と「冷淡・軽税党」の色分けは、あまりにも杜撰かつ認識不足も甚だしい。

社会保障政策別に既存政党を色分けすると、おおよそ次のようになる。
①「親切(のフリ)・重税党」(社会保障切り下げ+国民負担増)…自民・公明
②「冷淡・軽税(のフリ)党」(社会保障切り下げ+国民負担現状維持)…希望・維新
③「平静・歳出カット党」(社会保障現状維持+公共事業費削減)…立民・社民・共産

つまり、国民にとって最大の関心事である「社会保障制度の充実や拡充」を真剣に目指す政党は皆無で、各党とも、「社会保障を何とかしてほしい」という国民の声を、「最低限のレベルで維持してほしい」と勝手に読み替え、“日本は借金大国だから”、“財源がどこにも見当たらないから”と下らぬ言い訳を並べて、「増税か、他の歳出カットか、社保サービス切り下げか」と国民を脅迫しているに過ぎない。

ミスト氏は、「親切・重税党」と「冷淡・軽税党」の二大勢力が政治的対抗軸になるべきだと主張するが、そんなものは国民ニーズを足蹴にするとんでもない愚論であり、平成不況に苦しめられ続けてきた国民が真に望むのは、『親切・免税党』だろう。

1970年には、たったの24.3%に過ぎなかった国民負担率は、今や43.9%にも達しており、中でも、社保負担の増加や消費税増税が負担率を大きく押し上げている。
この間に国民の平均収入が右肩上がりにでもなっておればまだしも、サラリーマン層の平均年収は1997年のピーク時から上がるどころか10%近くも下がっているのだから、これ以上の負担増に耐えられるはずがない。

ミスト氏は、“給付が負担を上回る政策(中福祉・小負担)を長年続けてきた”などと国民が社会保障制度のタダ乗りしてきたかのような言い草だが、毎月多額の社保費用を天引きされる庶民の感覚(中小福祉・高負担)をまったく理解できていない。

ミスト氏のコラムは、消費税率10%引き上げの一部を回す与党案や、大企業への留保金課税を課す希望案、金融所得や相続税の課税強化を訴える立民案、議員定数の削減・給与カットを主張する維新案のいずれも膨大な社保財源を賄うには役不足であり、社保給付の大幅カットと増税による国民負担は避けて通れないというニュアンスで締めくくられている。

彼のような創造性に欠ける緊縮絶対主義者は、寝ても覚めても財源探しを言い訳にして社会保障制度の中身の充実に取り組もうとしない。
要は、国民ニーズの汲み上げを基に制度の改良に取り組もうとするような根気の要る作業を敬遠し、財源問題を免罪符にして改良・改革作業を放り出したいだけなのだ。

我が国の人口ピラミッドが▲型から◆型へと変貌を遂げてしまった原因は、国民の責めに帰すべき事由ではなく、明らかに政府の経済失政である以上、国民に金銭的負担を求めてはならない。

今は歪な人口ピラミッドも、第二次ベビーブーム世代が後期高齢者になる30数年後には、かなりすっきりした形に戻るだろう。
また、社会保障に係わる支出の多くは国内経済に還流する性格のものだから、支出を厭わずに、大規模な国債発行で調達すればよく、それでも足りないなら、紙幣の増刷に踏み切ればよいだけだ。

医療・福祉・介護という分野は、日本人の誰しもが受益者たり得る政策なのだから、今の生活を切り崩してまで大きな負担を抱える必要はなく、国債や紙幣増刷という誰の腹も痛めぬ経済政策で対処すべきだろう。

大規模な財政支出によって多少のインフレが生じるかもしれないが、それこそ、社会保障サービス拡充の受益者たる国民が平等に負担すればよいだけのことだ。

国民も、切りつめ生活の中で更なる重税を課せられた挙句に社保サービスを削られるよりも、実質所得が増え続ける状態で少々のインフレに付き合う方が、遥かに気楽だろう。

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